公演情報
「聖なる日」の観てきた!クチコミ一覧
実演鑑賞
満足度★★★★★
オーストラリアの辛く悲しい歴史でしたが、舞台に引き込まれ、あっという間の2時間半(休憩10分を挟み)。
いつまでも余韻が残る、素晴らしい名演でした。
実演鑑賞
満足度★★★★★
メインキャストに客演を据える「こだわり」の成果か、ここ数年秀作舞台を出している俳小。今回の月船さららはリアルな人物形象を要求する「普通の劇」でちゃんと演技していたのが新鮮であった(metro等では月船ありきの演出)。
「黒人」と呼ばれる人々は先住民であり、それはアボリジニであり、従ってここはオーストラリアである、と鈍感にも後半で気づき、終わってみれば侵略史を告発するドラマであった。
もっとも物語は入植者(白人)同士が、当地の「情勢」を背景にいささか剣呑な部類の人間ドラマを展開。情勢とはアボリジニの報復を思わせる事件が続いている事であるが、舞台となる飲食を振舞う村はずれの娼婦の店にはアボリジニとの混血である「娘」がおり、仕事を求めてやってきたアボリジニの肌をした若い女との接触が娘の中に波紋を落とす。やがて己の出自を疑い始める思春期の娘と、不幸に染まった人生の代償のように娘(実はアボリジニの村の外れで拾ってきた)を溺愛する母との軋みも生まれる。また長逗留する事となった仕事を求めてやってきた三人の男(この人物らが登場する冒頭から終始ドラマにとっての劇薬となっている)、開拓伝道に訪れていたがついに自死に至った神父の夫人の登場等が絡まって、「崩壊」の予兆を告げる状況と決裂すべく最も剣呑な客であった男がアボリジニ殲滅部隊を組織し、「情勢」は極限へと昇り詰める。この部分は恐らく史実に基づいており、白人国家オーストラリアの負の歴史がやおら浮上するという案配である。
この舞台を特徴づけるのは不穏さという通奏低音である。四方を闇に囲まれた入植者のよすがは目の前に居る「生身の他者」という存在以外ない(確立された社会システム=「想定他者」が保証する安堵がもたらされない)、言わば原始的な条件である。舞台の魅力は、この不穏さがもたらすスリルと言える。人間の抗えない内なる暴力性やぎりぎりの妥協や、最後に何を死守するかを迫られて歩く生ゆえに崖縁を離れただけで得られる幸福感といった、得難い疑似体験が満載なのである。
かつて流刑地であったオーストラリアという国を自ら告発するような劇作であるが、荒んだ状況を生きる最も荒んだ人間たちを描く作者の筆致はそれらを包む温かさも感じさせる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
あらためて歴史とは真実ではなく勝者の都合良くできたものと認識した。
当時を容易に想像させる舞台セット、かと思えば本物の斧を小道具として使用し、リアル感を感じさせる演出も良かった。
役者陣も申し分ない。
特に月船扮するノーラといわいのふ扮するナサニエルとの関係が非常に微妙で危うく見逃せない。
劇場の大小に限らずこれほど内容の濃い芝居はなかなか観られない、見事でした。
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/03/21 (日) 14:00
フライヤーの女性の顔。はっきりしないけれど、これは月船さららの顔だ、そうまさにこの舞台の。
この舞台の予備知識として、あるいは評価として、オーストラリアのアポリジニ迫害、白人の入植による土地奪取が語られるけれど、実のところ、この話、オーストラリアの話であるかどうかはどうでもよい気がする。
確かに、アメリカの西部開拓史とはかなり趣が違う。でも、これは異世界に入った人々が、恐怖や不安と闘いながら、全く自力で生きていくことになった際に遭遇する、ある種極限状態の話だと思う。そもそも、舞台ではオーストラリアとも、アポリジニとも言われていないし、ある固有名詞は登場人物名だけだ。
開幕早々、いわいのふ健と月船さららの邂逅。物語の進行中、この二人は一対の獣のごとく、時に共感しあい、時にいがみ合う。過剰なまでの憐憫の情と暴力性は、自らの破滅を留めるための自己保存装置のようだ。何かを傷つけ愛さずには、生きる術さへ失わんばかりの脆さ。ラストの黙示録様な、2人のポーズとスポットライトは、舞台を通じている闇を、まさに一層の漆黒へと誘う第2部の開幕のようだ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
二回目。台詞や演出を変えているのか、自分の記憶違いなのか、色々と変わって見えた。
いろんな登場人物が顔に唐突に塗りたくられる白のペイントが効果的。『地獄の黙示録』を彷彿とさせる、『覚悟』の演出。しかも、その『覚悟』は結局何にもなりはしないのだ。
映画化するならガウンドリーはホアキン・フェニックス、コーネリアスはティモシー・シャラメかな。
実演鑑賞
満足度★★★★★
本格的な舞台セッティングで、雰囲気がすごくよく出てる。
衣装も素敵!!!
ストーリーもおもしろい。本格的な舞台を観た。
本当にこんなによくていいの?というぐらい、最高に良い。
満足!!!さすが、世界に向かって挑戦している劇団さん。
この作品は、観たほとんどのひとが素晴らしい、っていうんじゃないかな。
実演鑑賞
満足度★★★★
骨太なテーマに正面から挑んだ力作。2時間40分という時間を長く感じなかったのは役者の熱演と演出の巧みさか。人種、性、宗教、様々な違いが差別を生んでいる今、この演劇は私たちに問い詰める。
正義とは何か、生きていく本能には逆らえないのか、いろいろ考えさせられるが、答えは簡単には出ない。。。実際にあった事件はリアルであるがゆえに生々しい。否定しなければいけないのに、どう否定していいのかわからない。人が持つ原罪なのか、そもそも人は不条理に存在しているのか。そんなことを考えながら帰途に就いた。
オーストラリアという国を、その成り立ちを考えながら。。。
実演鑑賞
満足度★★★★
一昨年、小劇場翻訳劇「殺し屋ジョー」でクリーンヒットを飛ばした俳小の新作翻訳劇公演。開拓時代の原住民と侵略者の対立はいままでも様々なケースで舞台化されてきたが、これは19世紀半ば、入植時代のオーストラリアの先住民アポロジニと白人開拓者の対立である。
白人側にも、その地がイギリスからの犯罪人流刑地であった背景や、自国移民層のアイルランドとスコットランドの対立、老朽化しているキリスト教会の宣憮然活動システムなど複雑な事情がある。
舞台は、奥地の砂漠地帯で中年女のノーラ(月船さらら)が営んでいる売春宿を兼ねた貧しい木賃宿。彼女はアボリジニ(オーストラリア先住民)との混血の少女・オビーディエンス(小池のぞみ)を従順な使用人として使っている。そこへ荒くれ者、ガウンドリー(いわいのふ健)が僻地で仕事を求める三人の白人流浪者達(遊佐明史・北郷良)を率いて現れる。彼らはオビーディエンスを一晩の慰み者にしようとするが、ノーラは激しく拒否する。彼らの滞在中に白人の宣教師と赤ん坊が行方不明になり、教会も焼け落ちるという事件が起こり、既に開拓者として地域で生きている白人農民(斎藤真)を巻き込んで、先住民と移民白人の戦いが始まる……。
戯曲は、それぞれの人物の立場、生きるこだわりやキャラクターについても細かく触れる。それは確かにオーストラリアのなじみのない辺境を知らせてはくれるが、舞台の上の人間像やエピソードは暴力的で荒々しいばかりで観客に身近になっていかない。
それは俳優の演技にも及んでいて、客演のいわいのふ健も月船さららも柄はいいのだが、演技がパターン化している。たとえば、いわいのふと、彼が連れ歩いている舌を切られた少年との関係、月船と宣教師の妻(新井晃恵)と生き方をめぐって対峙するシーン、いずれも類型的な演技に逃げ込んで独自の真実が見えてこない。ベテランの斎藤真以外の劇団員も、それに引きずられている。一面に水面のような青く反射するガラス面を張り巡らしそこに枯れ木を数本立てた舞台ですべてのシーンが展開する。この美術は美しいし、照明もよく舞台を追っている。この新大陸の民族音楽らしい管楽器を軸にした音響も効果的だが、この舞台の抽象性が戯曲の生々しい現実感とそぐわない。
演出の真鍋卓嗣は、昨年、僻地を舞台にした人間崩壊劇「心の嘘」を既に本拠の俳優座で演出している。西部の荒廃した辺境社会の人間模様が、現代人の心にも響くいい舞台だった。一昨年の「殺し屋ジョー」も観客の生活体験と重ならないトレーラーハウスの殺伐な殺し合いの世界だったが、共感できた。だが、この一種混沌とした舞台からは、舞台の全ての人が願ったようなであろう「聖なるもの」は出現していなかった。
俳優座の衛星劇団から出発した俳優小劇場は、かつては、新劇の範疇に収まらない都会的な洒落た作品を個性的な俳優でつぎつぎにみせてくれた懐かしい劇団だが、これからも自劇団に閉じこもらず、作品を軸に新しい世界を見せてくれることを期待している。
実演鑑賞
満足度★★★★
オーストラリアの黒歴史。時代背景を考えると回避不能な悲劇ではあるが、何とも釈然としない暗澹たる気持ちになる。楽しめる芝居ではないものの、必見の力作である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
最初のキャスト勢ぞろいの幻想的なシーンで心をつかまれる
最初と最後で呼応する「ランプをつけとくれ、夜が近寄らないように。世界に伝えとくれ、私たちはここにいるって。世界は見てやしないだろうけど。」とともに
良く考えられた舞台美術と照明、そして音楽
その中でキャストは個性的にふるまう
2時間40分はテンポの良い舞台展開で長さを感じなかった
しかし暗澹たる気持ちになる
そう、正義などないのだ
BLM運動が展開される中、時宜を得た上演
実演鑑賞
満足度★★★★★
前知識として。元々オーストラリアはイギリスの流刑植民地であった。囚人達が次々と送り込まれてくる流刑地。原住民であるアボリジニは類人猿と見做されていて、1967年まで人権は与えられなかった。
休憩10分含む二幕2時間40分。舞台美術、小道具、衣装、メイクと全て本気度を感じさせる。不穏なBGMも良かった。蝋人形のように袖で突っ立っている役者が出番と共に動き出す張り詰めた緊張感。
19世紀、オーストラリアの荒野にぽつんと佇む安宿。その地では開拓民と原住民アボリジニとの間に頻繁に事件が多発。そこに流れ着く三人の訳有な放浪者。安宿には女主人とアボリジニの義理の娘とが暮らしている。
何かセルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』を観ているような感覚になった。マカロニ・ウエスタンのあの肌触り。この空気感だけでずっと観ていられる。
勝手な偏見だが、女主人ノーラ役月船さららさんはこれが一番本人に近い役なのではと思ってしまった。悪魔みたいに美しい。
余りにも邪悪な男、いわいのふ健氏扮するガウンドリーのその果てしのない醜悪さが不快感を超越して、文学の域にまで達している。そこには直視するべき人間がいる。いわいのふ健氏の狂気の当たり役、必見。
アボリジニと白人の混血の少女、オビーディエンス役の小池のぞみさんも秀逸。メイクなしの別の役柄も観てみたい。
西本さおりさん演じるリンダの獣のような咆哮のインパクトが耳奥に木霊する。
出演する全ての役者が素晴らしい。
名台詞が多く、決まりに決まる。
「涙を見せない女は危険だよ!それは私だからさ!」
「ランプを点けとくれ、夜が近寄らないように。世界にあたし等がここにいるってことを伝えなければ。世界の方は誰も見てやしないけれども。」
エンニオ・モリコーネに曲を書いて貰いたかった。
まさにこれぞ観たかった作品。
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイトルの聖なる日は、誰にとっての聖別の日なのだろうか? オープニング・エンディング共にアボリジニの民族楽器・ディジュリドゥの唸る大地のような不思議な音をベースに別種の太い木管楽器2本を用いた演奏が流れる。この壮大な劇を、今演じる俳小の見識の高さ、取り組みの真剣な姿を先ずは高く評価したい。因みに今作は、日本初演である。(華5つ☆追記2021.4.4)
実演鑑賞
満足度★★★★★
本団体は3回目の観劇でしたが、演者のみなさんのお芝居、演技力はとても素晴らしいです。今回作品も少し難しいとも思いましたが、とても分かりやすく、よかったです。内容は悲しいお話しでしたが、このような事実をきちんと伝えることは大切なことだと感じました。アフタートークも勉強になりました。
実演鑑賞
満足度★★★★★
重厚な雰囲気で、目を背けたくなるような残虐な場面やサスペンス要素もあり、観応えのある舞台でした。差別や迫害、支配、色々考えさせられる事がありました。役者さん達の演技力がすごいので、現実にあった事だと思うと本当に怖かったです。ウィルスも天災も怖いけど、本当に怖いのは人間かもしれないと思いました。心に刺さる舞台でした。