実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/03/21 (日) 14:00
フライヤーの女性の顔。はっきりしないけれど、これは月船さららの顔だ、そうまさにこの舞台の。
この舞台の予備知識として、あるいは評価として、オーストラリアのアポリジニ迫害、白人の入植による土地奪取が語られるけれど、実のところ、この話、オーストラリアの話であるかどうかはどうでもよい気がする。
確かに、アメリカの西部開拓史とはかなり趣が違う。でも、これは異世界に入った人々が、恐怖や不安と闘いながら、全く自力で生きていくことになった際に遭遇する、ある種極限状態の話だと思う。そもそも、舞台ではオーストラリアとも、アポリジニとも言われていないし、ある固有名詞は登場人物名だけだ。
開幕早々、いわいのふ健と月船さららの邂逅。物語の進行中、この二人は一対の獣のごとく、時に共感しあい、時にいがみ合う。過剰なまでの憐憫の情と暴力性は、自らの破滅を留めるための自己保存装置のようだ。何かを傷つけ愛さずには、生きる術さへ失わんばかりの脆さ。ラストの黙示録様な、2人のポーズとスポットライトは、舞台を通じている闇を、まさに一層の漆黒へと誘う第2部の開幕のようだ。