ロンググッドバイ
オーストラ・マコンドー
JORDI TOKYO(東京都)
2012/01/31 (火) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★
ニュアンス
すべては理解できなかったですが、ニュアンスは伝わってきました。
ハードボイルドっぽく、近未来的な雰囲気に不思議な登場人物....
見ごたえ十分で面白かったです。
ただ会場の都合上しょうがないのでしょうが、公道での演出は新鮮味があっておもしろいのですが、一般の歩行者との兼ね合いなどでちょっと残念に思ったところもありました。
ミュージカル ゴースト
ミュージカル座
六行会ホール(東京都)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
生きるという事を考えられる作品でした
ミュージカルは劇団四季しか見たことない私ですが、他にもこんなに素晴らしい舞台をつくるところがあるんだ、と感じさせられた公演でした。皆さん歌とダンスが上手で純粋に感動できました。特に主役の少年役の神田さん、元映画女優役の三辻さん、三姉妹のわたりさん、五大さん、縄田さんは歌も演技も素晴らしかったです。特に、わたりさんは美人で見てるだけで楽しかったです。
ネタバレBOX
お芝居の内容も生きていればやり直せる、とかいままでどう生きてきたのだろう、と考えさせられる内容で、最近落ち込んでいただけにとても印象にのこりました。
ハローワーク
国分寺大人倶楽部
テアトルBONBON(東京都)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
完成度が高いし・・・
エピソードの広がりとそれぞれの個性の露出の仕方が
絶妙なバランスが作られていて、
とても自然にその場所に流れる時間に
染められてしまう。
その先にある
いろんな尺での
生きる感覚にまでたっぷりと浸されてしまいました。
ネタバレBOX
比較的大手の印刷工場の事務所。
その職場の空気の作りこみがとてもしたたかで、
観ていて違和感がない。
だから、場を染める個々の感覚も
見る側の意思を超えるように
伝わってくる。
言葉や態度に表すことや
黙々と存在していること、
さらにはあからさまな感情や
ふっと裏を見せる思いが
作り手の秀逸なさじ加減で
本当にしなやかにやってくるのです。
絶妙なバランスのなかに
バランスに埋もれない一人ずつの素顔が
しだいに浮かび上がってくる。
両側におかれたモニターに映し出された
それぞれの日常や
抱き枕から入り込んでくる夢が
会社の外側にある個々の世界を垣間見せる。
組み合わせを変えて重なっていく会話の
緩さを細微に描き出す密度や
実存感に満ちた苦笑系のエピソードにも
細微に研がれた空気があって。
役者たちの出来が抜群によい。
自然さのなかに中庸な機微や
感情の色を無理なく織り込む絶妙な力加減があって
だから、見る側も状況に染められるのではなく、
その刹那の舞台の空気の揺らぎに取り込まれる。
観終わって、その刹那の肌触りと
さらにそこから俯瞰される過去と未来の姿に
ふっと登場人部のひとりとして
立ちすくみ、思いをはせるような感覚すら
訪れてきて。
派手さはないのに、
でも、心につもり散らない感覚が残る。
秀逸な作品だと思います。
びんぼう君
五反田団
アトリエ劇研(京都府)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★
こんなに。
五反田団は初めて観ました。でも何年か前に「びんぼう君」の戯曲を友達に借りて読んでいました。
自分の頭の中で好き勝手に組み立てたからかもしれないけど、
戯曲だけでこんなに笑えるものかと衝撃を受けました。
その作品がなんと再演。
貴重な機会に恵まれてよかった。
でも好き勝手読みすぎて、実際演じられたものと全然違ったら
(別に演者さんは何にも悪くないのに)楽しめないかもしれない、
なんて思っていたのですが、
きれいなほどにぴったり、いやそれ以上でした。
初めて戯曲を読んだ時の感情がまた戻ってきたみたい。
楽しかったです。
ぜひまた京都に来てください。
渡辺美帆子企画展「点にまつわるあらゆる線」
青年団若手自主企画 渡辺企画
アトリエ春風舎(東京都)
2012/02/05 (日) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★
劇場が溶けて・・・
・・・いくような感じを持ちました。「劇場がまるで美術館に溶けて・・・」あるいは劇場空間にいる演者と観客(さらにスタッフ)の間が溶けて・・・」。
「人間の展示」で、展示されている人間は「部屋にいるようですが、部屋の周りにもさながら現代美術の展示館の様相。人間のデータもアートの形で展示されています。私は「肌の固さ」と、「足の親指の長さ」「第七肋骨の長さ」が気に入りました。観客も動くよう促されますが、その前にかまわずいろいろ動いたほうが楽しめるのではないかと思いました。あとトークンをもらいます。使ったほうがいいです。せっかくのサービスですから。
ハローワーク
国分寺大人倶楽部
テアトルBONBON(東京都)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
テレビでは見られないものをきちんとやる
映画を見ているような印象。とてもレベルが高い。
丁寧に積み上げられた演技が、素晴らしい。
脚本も不親切なようで、バランスが絶妙。
すごく陳腐な表現だけど、人の描写に「生と現実」を感じる。
人のいやらしさ、うっとうしさを喜劇でつきつけられる。
なかなか小劇場で感じることができないもの。
個人的にBLANKEY JET CITYが好きなので
意外な場所で聞くことができて少し高揚しました。
ネタバレBOX
おまけは個人的にはあんまり好きではないけど、
前半にこういうイベントを持ってくるところに努力を感じる。
もうさんざん言われてると思うけど、無期限休止はもったいない。
ちゃんとお金に見合う舞台を見せてくれるところってやっぱり少ない。
今週はぬいぐるみハンターも見たが、こういう人たちが増えると
劇場に足を運ぶことの価値がどんどん上がっていくと思う。
まあ、違う形で創作を続けていくのだと思いますので、
これからも楽しみにしています。
愛はタンパク質で育ってる
ぬいぐるみハンター
駅前劇場(東京都)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/14 (火)公演終了
満足度★★★★★
すべてが心地いい
ダンスが非常に生き生きとしていて、
チラシのイメージと同様、躍動感がある。
これぞエンターテイメントだと思った。
舞台に立っている役者と客席の間に境界線がある芝居は多いが、
観客をしっかり巻き込んでくれる。
はちゃめちゃなエネルギーとストーリーとが非常に心地いいところでまとまっていて、
見やすいし、面白くて楽しめた。チラシの裏も初心者に優しくてすごく良い。
しっかりした考えのもとに舞台を作っている劇団なのだと感じた。
チラシのイラストも印象的で素晴らしい。
ネタバレBOX
よくわからない要素でがちゃがちゃ勢いで見せているようで、
最後にすべてがつながって一気に理解できた。
こういう構成は、ぐっと引き込まれて非常に好き。
見に行ってよかったと思える。
こういう、きちんと狙いを持ったラストを決められる劇団が増えてほしい。
ロゼット〜春を待つ草〜【ご来場有難うございました!】
ハイリンド
「劇」小劇場(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★
良い脚本&良い役者たち
それぞれ問題を抱えながらも、前に進もうという明るい気持ちが感じられ、見ているほうも気分がいい芝居。開演前に舞台上をじっくり見させてもらったがとてもよくできた事務所のセット。小さい明るい色の机の下に私物の物を置く布製の入れ物が置いてあるところなんか細部にも神経が行き届いている。音楽も芝居の雰囲気にぴったり。
ネタバレBOX
典子と真樹の仕事上の立場が対等でなかったことがちょっと残念。
ニトロ
ゲキバカ
in→dependent theatre 1st(大阪府)
2012/01/19 (木) ~ 2012/01/23 (月)公演終了
満足度★★★★
キン肉マン中毒
サイコーでしたよ。
当日は会場パンパン最前列。
芝居が始まる前のマイクパフォーマンスを経て幕が上がったと思いきやまた挨拶、そしてオープニング的な舞い。
狭いステージでデカいあんちゃん達が暴れ回る。
ノリ的にはラグビー部的なかんじですよね。
野球部よりオシャレ好き、バスケみたいに喧嘩しねぇ、みたいな。
漫画の世界みたいにキャラみんなに人間が生で、しかもこんなに客席の近い小劇場でやっていいんか?というぐらいドギツイ個性がある。
服装とか髪型とか性格とか。
漫画なら成立する会話、現実ならちょっとキツいぐらいのテンションでの会話をしている登場人物たち。キャラがキャラを演じてる感じ。高校生っぽい息苦しさ。
笑って笑って引いてゾッとして泣いて笑ってサヨナラ。
劇終了後になんにも残さん良い芝居でした!!
バックギャモン・プレイヤード
カムヰヤッセン
吉祥寺シアター(東京都)
2012/02/09 (木) ~ 2012/02/13 (月)公演終了
満足度★★★★
寓意の先に浮かび上がる感覚
シンプルにおかれた設定の中に、世界を俯瞰する寓意が宿る・・・。
切れを持った役者達がくみ上げていく物語には
世界を纏う間口があって・・・。
そのたどり着く先までを描ききっているからこそやってくる
ラストのシーンからの
俯瞰に深く心を奪われました。
ネタバレBOX
物語自体はそれほど複雑なものではありません。
人物相関図が配られていましたが、
そのヘタウマなイラストがきちんと機能するようなフィールド。
でも、そこに描かれる小さな村の物語が
国の発展や、その中での人々のありようを
見事に具象していきます。
風見鶏をまわしての物事の決め方から
とある国の物事を決める感覚がやってくる。
総意でないものが
そうなるしかなかったと決まっていく感触・・・。
ものしりを受け入れること、
金融がうまれ、
効率や生産性が重視され
となり村との関係が築かれ社会は豊かになる一方で、
職業に貴賎の感覚が生まれ
社会に歪みが生まれていく必然。
役者たちは、切れを持った緻密な演技で
シーンごとのなりゆきにとどまらない
個々の心情や感覚のありようを浮かび上がらせていきます。
それは社会の変化の骨組みにとどまらず
ともに歩み、とまどい、あるいは抗う人々の感覚や思惑すらも
観る側にしなやかに伝えていく。
たとえばグローバリゼーションに巻き込まれていく姿、
貧富や優劣が生まれていく構造、
さらに社会の揺らぎや破綻の構図、
偶然から生まれたものとその先にさだまったもの、
立ち位置での思惑と崩れていくことの必然、
そして散らばっていく感覚までも・・・。
それは
たとえば戦後のこの国の歴史や
先進国と途上国の関係などが内包するものへの
したたかで間口の広い具象にも思えて。
しかも、舞台自体に顛末を物語るしなやかな力が宿っていて
しっかりと惹きこまれ見入る。
そして、その終焉までを見届けたからこそ、
再びそこに集うことや生きようとすること、
さらには風見鶏が回る感覚、
知ることや定まることまでが
人が生きることそのもののありようとして感じられて。
タイトルのごとく
バックギャモンのロジックとサイコロの目の定まりのなかで
それでもフィールドを歩みつづける人の営みの感覚に
愕然とし、
でも閉塞や絶望とは少し異なる
醒めていても温度を失うことのない肌触りに
深くとらわれたことでした。
初日ですこし硬さもある舞台でしたが、
回をかさねるごとに
シーンのニュアンスがさらにひろがっていく予感もあって。
受け取った肌触りがずっと残る帰り道でした。
異郷の涙
劇団太陽族
J:COM北九州芸術劇場 小劇場(福岡県)
2012/02/04 (土) ~ 2012/02/05 (日)公演終了
満足度★★★
流す涙のその意味は
平成生まれの若者たちが社会の中核になっていくだろう現在、「昭和」がノスタルジーの対象として語られる現象には何が背景としてあるのだろうかと考えることがある。
たとえば映画『三丁目の夕日』シリーズには、必ずしもその時代を知っているわけではない若い人たちもこぞって観に出かけて感動の涙を流している。実際にあの時代を体験している世代としては、ともかく「ものがない」時代で、そんなにいいものかと思ってしまうのだが、若い世代には、今は失われてしまった家族の絆やら何やら、肯定的イメージが増幅されて、一種のユートピア幻想まで感じさせているようだ。あの世界にはきっといじめも虐待もないのだろう。
『異郷の涙』の主人公は「原爆頭突き」の大木金太郎こと金一(キム・イル)である。往年のプロレスファンには懐かしい名前だ。しかし在日韓国人でそれゆえに差別に遭い、血の涙を流しながらも栄光を掴んだ人物にスポットを当てるのなら、師である力道山を主人公にするのが妥当てはないだろうか。
しかし劇団太陽族の岩崎正裕は、時代を力道山の死の二年前、1961(昭和36)年に置き、あえて力道山を殆ど登場させなかった。彼を主人公にしてしまえば、「ノスタルジーが在日差別の問題よりも優先されてしまう」ことを恐れたのだろう。
日韓のドラマとなれば、また差別問題か、在日コリアンだってのべつまくなしにサベツサベツと日本人を糾弾しているわけではあるまい、他の切り口はないのか、と思いはする。しかし、『異郷の涙』で大木金太郎が流した涙は、単に差別を受けたという悔し涙ではない。在日コリアンが被害者意識を乗り越えてもなお背負わなければならなかった「業」に対する「怨みの涙」である。日本を責めるだけで事が済む問題ではないのだ。
情に流されない描写や政治的な発言が連続するため、観客は素直に感動することはできにくい。そこがノスタルジーに堕した一連の「昭和もの」や、在日コリアンの涙ばかりを強調した従来の「反日」作品とは、ひと味違っている点である。彼らが流した涙が、日本人の差別によってのみのものではなく、彼ら自身のメンタリティにもあることを、この作品は明確に訴えている。
ネタバレBOX
最初に、俳優たちが自己紹介するシーンからこの物語は始まる。
韓国から招聘された二人の俳優、金一役のキム・ジュンテは来日したのは初めてであり、姜哲役のチョン・ウォンテは二度目であることが語られる。
日本人俳優たちは、舞台となった1961年にはまだ生まれていない、あるいは生まれたばかりで、あの時代のことはよく分からないと、口々に語っている。ここで既に、この物語がはるか「歴史の彼方」の物語であり、俳優たちもノスタルジックな感傷は持ち合わせていない基本姿勢が提示される。
大阪難波の在日コリアン街、そこの旅館に投宿している大木金太郎、力道山の新妻田中敬子、ボリショイサーカスのプロデューサー・セルゲイといった面々。実はその宿は、後に「和製R&Bの女王」として売り出されることになる金海幸子(本名金幸子)の実家でもあった。
当時彼女は小学六年生、それにしては身長が大人並にあって、学校では在日ということでからかわれていた。
この少女が、和田アキ子(本名・金福子)をモデルにしていることは、物語の最後で『あの鐘を鳴らすのはあなた』が流されることでも暗示される。
和田アキ子が在日コリアンであることは知っている人は知っていただろうし、かなり昔ではあるが、週刊誌の記事になったことが何度かある。しかし本人の口からその事実が語られたのは近年のことであり、彼女が日本人であると思っていた人も少なくはないのではないか。劇中、「在日がいなくなったら紅白歌合戦の歌手は半分に減る」という台詞が出てくるが、彼女はそうした「コリアンであることを隠さねばならない」人々の代表としてこの劇に登場している。
しかし、彼女よりももっと切実に、自らの出自を隠さなければならない男が一人いた。
それが、この劇では名のみ語られるばかりでいっこうに宿に現れることのない力道山その人である。力士時代、彼が執拗な差別に遭っていたこと、「民族の壁」に阻まれて大関になれなかったこと、それらは現在では周知の事実となっている。だが劇中でも語られていたように、彼は自らの出自を捏造し、ニセの伝記映画まで作っていた。純粋の日本人であるかのごとく装った。そして彼は木村政彦とタッグを組み、アメリカのシャープ兄弟を空手チョップでリングに沈め、敗戦後、意気消沈していた日本人たちを鼓舞し、「日本人の英雄」となった。
朝鮮人であるということで差別を受けていた力道山にしてみれば、日本人から熱狂的な支持を受けていたことに屈折した思いを抱いていたことは想像に難くない。劇中、力道山は大木金太郎を実は憎んでいた、という台詞が語られるシーンがある。大木が2年後の未来を幻視し、力道山の死を田中敬子から伝えられるシーンだ。
大木金太郎は、初めから朝鮮人である事実を隠さなかった。朝鮮人としてリングで戦った。力道山も、“本当はそうしたかったはず”なのだ(厳密には力道山は北朝鮮出身であり、大木は韓国生まれだが、分裂以前の感覚で同郷と感じていただろう)。
力道山は、在日コリアンたちにとっても「祖国の英雄」である。大木金太郎が力道山に送る憧憬の眼差しは、力道山にとってはそれが純粋であればあるほど、鋭い刃となって胸の奥を貫いていたことだろう。
当時の和田アキ子は普通の庶民である。力道山はスターである。そのどちらもが、本名で出自を明かして生きていくことには躊躇せざるを得ない現実があった。とは言え、多くの在日コリアンが本名を名乗り、自らの民族性を誇りに思い、堂々と生きていた例だって少なくはないのだ。
幸子は、自分の名前がハングルで「ヘンジャ」と発音することに劣等感を抱いている。父親は「お前はサチコじゃない、ヘンジャだ」と、コリアンとしての誇りを捨てるなと言い聞かせる。しかし幸子は頑なに父を拒絶し、「日本人として」歌手になる道を選んでいく。結局、その劣等感こそが「コリアンは差別されても仕方がないもの」と自ら認めてしまっていることに気付かないままに。
「祖国の星」である力道山が出自を隠していたという事実、それが在日コリアンたちの生き方に、暗い影を落としていたのではないだろうか。力道山ですら朝鮮人であることを隠さねばならなかったのだから、ましてや一庶民である自分たちは、と考えたコリアンたちも多数いただろうと思う(在日コリアンの中では力道山の出自はとうに知られていた)。鉄の男の内面は、民族の誇りを捨てるほどに誰よりも繊細で、恐怖に震えていた。そしてその恐怖は、多くの在日コリアンたちに伝播していたのである。
物語は、力道山が背負っていた「闇」の部分にも容赦なく光を当てている。
大阪難波での興行を一手に牛耳ろうとする関西芸能は、セルゲイや田中、大木にも興行収入の半分を寄越せと迫る。しかし田中敬子は、力道山にも「後ろ盾」がいることをほのめかし、その要求を突っぱねるのだ。
「在日コリアンは常に日本人に差別され搾取されてきた」という被害者意識だけで描かれた一連の日韓ドラマ(たとえば『焼肉ドラゴン』などは在日コリアンを「善人」としてしか描かなかった)に比べれば、『異郷の涙』は彼らの屈折した心理や「裏の顔」にまでかなり踏み込んで描写している点、大いに評価に値すると思う。
もっとも、いくつかの描写で、首を捻るような部分があるのも事実だ。
ラスト近く、それまでの物語の流れとは脈絡もなく、唐突に日の丸の旗をバックに、大阪市長・橋下徹の映像が流され、登場人物たちが毒づくシーンがある。ナショナリズムがマイノリティをいかに圧殺していくか、それを端的に描いたつもりなのだろうが、果たして岩崎正裕は、政治と教育を分離する理念に基づいて、「教育現場で国歌斉唱、国旗掲揚を義務づけている国が世界各国を見渡しても殆どない(国によっては卒業式などの儀式もない)」という事実を知っていて、このシーンを付け加えたのだろうか。
国旗国歌の強要をを実行しているのは、実は中国と“北朝鮮”だけなのである。言わば日本各地で無自覚的に「北朝鮮化(多分、橋下徹にもその意識はないだろう)」が進んでいるわけで、それを韓国出身の大木に非難させるというのはどういう意図なのだろうと疑問に思わざるを得ない。岩崎は恐らく、橋下ファシズムを単純な「戦前回帰」としか捉えてはいないのだろう。
だが現代における最も恐ろしいファシズムは、社会主義国家の中で培われているのである。あの時代、「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮が、ただの全体主義国家であることは、現在、白日の下に晒されている。
大木金太郎は晩年、韓国に帰り、韓国プロレスの興隆に従事した。それは本来、力道山がもう少し長生きできていれば、そして自らの出自を堂々と口にすることができていれば、彼自身がやりたかったことだろう。「日本人としての通名」を名乗るコリアンがまだ多数いる現在では、差別に立ち向かう勇気がまだまだ在日コリアンの中に育っていない証拠だと言えるし、それが結局はマイノリティを踏みにじることを是とする橋下徹のようなファシストを跳梁させる遠因にもなっているのである。
Re:FT【劇団5454旗揚げ公演2012年8月!!】
プロデュースユニット四方八方
ザ・ポケット(東京都)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★
典型的
とても典型的な死後の世界を扱ったお芝居だなと思いました。
ネタバレBOX
豊島区の対応と渋谷区の対応があまりにも異なるのが面白かったです。特別区の権限、都の権限はどうなっているんでしょうね、橋下さんに教えてあげなくっちゃ。
後半のエレベーターシーンでは死因を確認するシーンがありましたが最初のエレベーターシーンにはありませんでした。樹の精霊が紛れ込んだ件と、階段利用の彼氏とエレベーター利用の彼女の関係でこうなったのは分かりますが、何となく順番が違うのではないかという気がしました。
妊娠したお母さんの胎児が実のお母さんの生まれ変わりとは切ないですね。
生まれ変わることを希望する人、希望しない人、いますよね。
人類誕生から現在の何十億人への人口増加を考えると、基本、生まれ変わりでは需要は賄い切れません。こういうお芝居を見る度に世の中には生まれ変わりが好きな人が多いのだなとつくづく思います。
ロゼット〜春を待つ草〜【ご来場有難うございました!】
ハイリンド
「劇」小劇場(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★
良い作品でした
脚本・演出共に派手さはないものの、繊細で丁寧な作品であったと思います。そしてそれにきっちりかみ合ったキャスト陣により、素晴らしい作品でした。
舞台美術も作品にマッチしていて良い雰囲気でした。
次回も観に行きます。
せいし
はぶ談戯
新宿ゴールデン街劇場(東京都)
2012/02/07 (火) ~ 2012/02/13 (月)公演終了
満足度★★★★
女性作家ならでは
提示された複数の挿話が関連付けられて収束する物語構造に加えて、後半で見せる複数の「対比」が上手い。特に女性キャラ達の生き方・考え方は女性作家ならでは、な感じ。
さらに鯨幕が…だったりな装置案や音楽も◎。
dogma/黒髪と魚の足とプレシオサウルス
劇団パラノワール(旧Voyantroupe)
サンモールスタジオ(東京都)
2012/02/03 (金) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
青の章観劇。
初演時にどちらも拝見しましたが、今回は dogma を見に行きました。
キャストがかわったこともあり、その変わりようを楽しめたとともに、同キャストの方々の安定感も見てて感じました。
ネタバレBOX
初演時のチグサ処分のシーンと、クスノキ処分のシーンが変わっていて、違った面白さがありました。平良さん演じるキャラクターの苦悩が素敵でした。
が、僕は初演時のほうが好きだったので、少し残念にも思いました。
特にチグサのあのショッキングな最期は、深く心をえぐられたので。初演バージョンは不評だったのでしょうか?
また、ツイッター上での堀口さんとあとむさんによる、勝手に裏設定も面白かったです。
『ZIPPY』 ジッピー
anarchy film
新宿アシベ会館B1(東京都)
2012/02/01 (水) ~ 2012/02/11 (土)公演終了
満足度★★★
捻り過ぎあるいは捏ねくり回し過ぎ
謎をちりばめまくりなストーリーや手作り感満載で独特な味のある美術(メイク・衣装も含む)など「ヨリコワールド」ド真ん中だが、過去に観た2作と比べて捻り過ぎあるいは捏ねくり回し過ぎ(=考えさせ過ぎ)なのが残念?
バックギャモン・プレイヤード
カムヰヤッセン
吉祥寺シアター(東京都)
2012/02/09 (木) ~ 2012/02/13 (月)公演終了
満足度★
お初です
初めて拝見いたしました。期待を上回るものがなく、無難に創るなぁという印象。
キャストは頑張っているのですがその頑張っているのが伝わってしまうのが残念なのと、やはり演出がいただけないかなと。広い空間に負けているように思われました。
ま、はっきり言ってつまらなかったです。
ネタバレBOX
もっと濃密な空間を感じられたらば良かったかな。無駄に助長的だし、メインキャストがもう少し踏ん張ってくれたならもったかもしれませんね。
演出の方は東大出身とか・・・もう少し客観的にお芝居が創れるようになるといいのかも。ちょっと、このタイプは主観的に創ると自己満足にしか見えないかなぁと
そう言えば、主役安藤さんは以前同じ吉祥寺で観た銀石の時と同様安定した演技でした。ただキャラクターはいい意味でも悪い意味でも同じ感じ。求められている事象が一緒だからなのかな?
ミュージカル ゴースト
ミュージカル座
六行会ホール(東京都)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
非日常を味わえました
素敵なショーでありました!
大満足です。
華やかで明るく前向きなメッセージが伝わってきました。
最近疲れていたんで、元気をいただけて助かりました(^_^)。
Re:FT【劇団5454旗揚げ公演2012年8月!!】
プロデュースユニット四方八方
ザ・ポケット(東京都)
2012/02/08 (水) ~ 2012/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
想いが溢れてました
ここの作家さんはシステム的なものがお好きで、その設定がしっかり作りこまれているのはイイことなのですが、造語やそのシステム自体がわかりにくいのが難点。
今回はその辺がスッキリしているように思えました。人の気持ちに重きがあって、人の想いが色濃く出ているようにも思えました。ラストで案内人・安藤君が涙こぼすに至る過程が納得できる内容だったと思います。
また、なかなか面白い設定が見られバリエーションも様々。展開も面白かった。
今までにこれを含む4作観せて頂きましたが、
今回が一番わたし的にはイイ出来だったのではないかと・・・・・・・・・・・
トカトントンと
地点
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2012/02/09 (木) ~ 2012/02/14 (火)公演終了
満足度★★★★★
そうしてそれからDie Kruppsの「Stahlwerksymphonie」
が舞台の上からハッキリと聞こえた。
『トカトントン』「と」の物語。
そうしてそれから、「文学」よりも、「音楽」を感じてしまった。
ネタバレBOX
前にも書いたと思うが、「地点」の作品には「音楽」を感じる。
コトバのリズム感、抑揚という「音」に関することもあるのだが、編み上がっていく物語自体が音楽に「見えて」しまう。
そうしてそれから、役者たちのアンサンブルは、台詞だけでなく、動きも含めて音楽なのだ。
そうしてそれから、今回はさらに「音」としても「音楽」であった。
それは(原作の)タイトルでもある「トカトントン」の「音」がそうさせるだけでなく、独唱や合唱のような台詞、実際に「唄」もあり、さらにその思いは高まる。
そうしてそれから、開幕に流れるSEは、工事現場の「音」であり、それが劇中の「トカトントン」に結びついてくる。
「トカトントン」は、敗戦直後から主人公を襲う音であり、彼の無気力や無関心のトリガーでもある。
本当のトリガーは、「敗戦=玉音放送」であり、彼(ら)の世界は「玉音放送」により8月15日の正午までの世界と一変してしまった。
だから、「私ひとりの問題ではない」のだ。
そうしてそれから、「トカトントン」は、一方で「復興の金槌の音」であるとも言える。
それが冒頭の「工事現場SE」につながるわけだ。
しかし、主人公は、180°回転で転身なんかそう簡単にできるわけではなく、気持ちが盛り上がると「トカトントン」で、ダウナーな気分に陥ってしまう。
前半はそうした状況を、本来の原因である「玉音放送」の文章を交えながら、丁寧に再現していく。「玉音放送」が「トカトントン」だ。
さらに「ウソでした」という、原作ではラストに語られる主人公の、さらにダウナーな気分を、彼の手紙の記述に重ねていく。
この構成はとてもわかりやすく、「笑い声」や奇声とともに、彼の状態を語っていく。
そして、「唄」。
唱われるのは、賛美歌と「椰子の実」。コーラスで。
そうしてそれから、金槌を手に舞台の上で、「トカトントン」。
この、人力リズム丸出しの「音」と、耳に残る冒頭のSEの「音」で、先に書いたインダストリアルな「Stahlwerksymphonie」が聞こえてくる。
初期の「インダストリアル・ミュージック(またはロック)」は、工業生産される音楽へのアンチテーゼとしての成り立ちであった。その音楽の姿と、敗戦 → 復興(の音)という道筋をうまく受け入れることのできない主人公の姿はダブってしまうのだ。
この感覚は極極個人的なものであることは確かなのだが、そう感じたのでそう書いた。
そうしてそれから、主人公のコイバナあたりから、『斜陽』の「恋と革命」の一連の文章が覆い被さっていく。それは『トカトントン』の「デモ」のエピソードにも共鳴していく。
この感覚、『トカトントン』の主人公の「虚無」さと『斜陽』の「恋と革命」の「熱さ」の感覚は、実は近しいことがわかってくる。
つまり、「どうしようもなく、虚無さが沸いてきてしまう」ということを語っているのに、妙に「熱い」のだ。
その「感覚」をうまくすくい上げていた舞台であったように思えてくる。
全体が、やけに「熱」を帯びている舞台であったと思う。今までの地点の作品の中で(そんなに観ているわけではないが)、一番熱っぽいかもしれない。
そうしてそれから、「子ども」の登場だ。
子どもは「トカトントン」「トカトントン」「トカトントン」「トカトントン」と言う。
子どもは「未来」であり、「芽」である。まさに戦後の復興の「兆し」だ。
そうしてそれから、子どもは彼を「観察」する。彼の「外」にある視線だ。
子どもの登場によって、この舞台中の、『トカトントン』の主人公が持つ「虚無」は諦めではなく、(手紙によって他人に働きかけている姿からも)通過点の苦しみではないのか、とも思えてくる。何か彼の中に「萌芽」があるのではないかという感触だ。
だから、ラストでは、原作にある手紙を受け取った作家の返信は、バッサリとカットされ(もとも短いけれど)、「気取った苦悩ですね」だけとなるのだろう。
第三者からは理解されない苦悩であるのだが、概ね苦悩とはそういうものである、と言い切ってしまって、第三者の姿で、彼の「復興」を待とうではないか、ということでもあろう。
そうしてそれから、今回の舞台の形は、「逆八百屋」とも言えるものであり、舞台奥から手前に行くに従って徐々に高くなっている。観客はそれを見上げるので、KAATの大スタジオはいつものような段差がない。これは面白い。
そうしてそれから、舞台美術は、今回も見事で美しい。
そうしてそれから、後ろのキラキラを揺らすための、扇風機の音さえ「音楽」だった。
そうしてそれから、今回の舞台のためのフライヤーは一体何種類あったのだろうか。やけにでかいサイズのものまであったし。とても贅沢(笑)。
追伸 『トカトントン』に敬意を払い「そうしてそれから」率が高い文章にしてみた。
参考:Die Krupps "Stahlwerksymphonie" http://youtu.be/9qiSNMKfBzI