最新の観てきた!クチコミ一覧

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ことわりにむかい

ことわりにむかい

(裸)ミチコイスタンブール

明石スタジオ(東京都)

2016/02/18 (木) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

楽しめました
いや~こんな内容だとは思わなんだ。ちょっとシュールで、少しグロくて、なんとなく切ないマッドサイエンスなカンジ、といっていいでしょうか。メインのお話はありがちなものですが、サイドのお話のどうでもいいような会話の部分がこの劇団らしくて妙に笑ってしまいます。

tick,tick…BOOM!

tick,tick…BOOM!

AKA Company

シアター風姿花伝(東京都)

2016/02/13 (土) ~ 2016/02/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

ここはどこ?
凄いメンバーだとは思っていたけど、始まってすぐ“ここはどこ?”という気分になった。もちろん風姿花伝とはわかっているが、まるで“パルコ劇場”にでもいる様な・・・それくらい歌声・演技共に素晴らしかった!あいにく体調崩していて、スピーカーの振動に負けそうな状態だったのが、とても残念!また機会があればぜひ拝見したいです!

GOKÛ

GOKÛ

ネルケプランニング

【閉館】AiiA 2.5 Theater Tokyo(東京都)

2016/02/16 (火) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

日本昔話的な!?
意外に意外に面白かった!どれ位面白かったかといえば“あっ姉さん、笑ってる”と観劇友が驚くくらい。最近ちょっとやそっとでは笑わない。が、今回は笑った!西遊記“日本昔話版”というようなアナログチックな演出に、逆を行く映像の載せ方はかなり効果的で、有効!出演者も主役のそれは役者の芝居ではないが、彼なりの個性が出ていて悪くなかった。また、羅刹女役大沢さんの母心、息子に弱い母としては同化する部分有り。更にその息子役佐々木くんの一部ラスト、二部オープニングからのソロ・人形芝居のような件、存在自体も美しいが動き・歌声・演技、実に見応え有りでした!

第47回「a・la・ALA・Live」

第47回「a・la・ALA・Live」

a・la・ALA・Live

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2016/02/20 (土) ~ 2016/02/20 (土)公演終了

満足度★★★★

楽しめる
 1「風」2「戦場の…」3「マリリン東京公演vol.3~吹き語り&エトセトラ」4「花も嵐も」5「昼下がりの喫茶店」6「夢は夜開く」7「販促サービス」8「オペラ座の道化師、春を待つ」9「世界に一つ」これらの演目を芝居、道化(手品つき)、演奏つきパフォーマンスなどで構成。中心になっている荒山 昌子さんの出演は1、4、6、9の4本。各挿話が総て関連していて、そのサンドイッチパンに挟まれる形で他の演目が上演されるのだが、これがとても楽しい。(追記2016.2.24 0:28)

ネタバレBOX

 どんなことが表現されているかといえば、こんな気持ち・あんな気持ちにマイノリティーやちょっと出来の悪い後輩に“さしすせそ”の理論。“さ”は流石、“し”は知らない、“す”は凄い、“せ”はセンス良い! 、“そ”はという具合に営業トークを伝授しようとするのだが。というのがNO.7 の内容。NO.1 の“風”では、バカ代表の安倍辺りがスマップ解散についてコメントを述べたこと。そんな暇があるなら、他にすべきことがたくさんあるだろうに、ということ。
まあ、あんなアホでは、アメリカの命令に尻尾を振って、恰も日本政府が独自に様々なことを決め、実行に移していると国民を騙すことができると信じ込むことしかできまいが。というアイロニーが込められているというのは自分の解釈である。安倍以下、現在彼をサポートする彼より頭がマシと評価されているハズの連中の内容も実にレベルの低いものだとい厳然たる事実と、事大主義の下司根性ばかりが見える。こんなアホばかりが政権中枢に居座ってデカい面をしているから、アメリカ程度の知的レベルしか持たない国家にさえ馬鹿にされるのだ! 論理的必然として、このように知的レベルの低い国民から奴隷扱いされる我が“国”の愚衆がバカにする者より国際的に低く見られているのは当然のことである。自分に自信があり、国際的な荒波に漕ぎ出してキチンと勝負できる者は勝負せよ。それができないならば、自分を鍛えよ。鍛えることすらできないならば、一生自分を恥じるが良い。
その上で、遊ぶことを楽しむのだ。自由の根底をキチンと自分の土台に据えた上で。そのようにして今作を観るとホントに楽しい。全体的柔らかな感性で楽しめる舞台なのだ。例えばクラウンの特異性に小さな子供が怯えて泣き出すなど、大人になると皆忘れたふりをするデモーニッシュなもの・ことに対する懼れを感じ取ることのできる子供達には、このクラウンの芸が本物であることが分かるのである。残念乍ら、年齢的には大人になってしまったにも拘わらず子供精神も併せ持つ自分には、この程度子供達の感じる身体の震えが分かるのである。
2月文楽公演

2月文楽公演

国立劇場

国立劇場 小劇場(東京都)

2016/02/06 (土) ~ 2016/02/06 (土)公演終了

満足度★★★★★

嶋大夫お疲れ様でした。
2週間にわたって、第三部まで観ました。多分、今回は第二部に人間国宝の豊竹嶋大夫の引退公演があるからなのか、座席選択が出来なかったのですが、自分が選ぶのとは違った席で観るのもたまにはいいものです。
第二部は2回観ました。嶋大夫の最後を蓑助師匠のおとわで締めくくるという、とても胸の熱くなる公演でした。
寛治師匠の三味線に続き、曲挽きは寛治師匠のお孫さんの寛太郎くんで、それもまた感慨深いものがありました。

ミセスフィクションズのまんがまつり

ミセスフィクションズのまんがまつり

Mrs.fictions

インディペンデントシアターOji(東京都)

2016/02/17 (水) ~ 2016/02/22 (月)公演終了

満足度★★★★

丁寧なのにヌケ感アリ、たしかに漫画っぽかったです。
原作をひとつも読まずに観劇。
「原作知らないと【漫画の舞台化】感をあじわえないかな?」
と思っていましたが、
開演前の仕掛けにより
未読でもその感触を味わえるようになっていて良かったです。

5作品オムニバスで上演時間70分と、
数字だと慌ただしい印象を受けましたが、
せわしなさを感じませんでした。
ゆるゆるっとした、
でも「これがコマとコマの【間】なんだろうな」と思わせる
丁寧な造りでした。

ネタバレBOX

自分はいわゆる「2.5次元舞台」もすこしだけみていますが、
あちらのように「漫画を実体で再現する」
のではなく、
「漫画を舞台表現に翻訳した」作品群だったな、という印象でした。


『いまなく』は
走る二人の表現と、
ミヤの描写(画面端から見える感じ)が好きでした。
電車に乗っているときのメーコちゃんの表情で涙ぐみました。

『橋』は
とぼけた感じの女子の会話、 
突っ込み役(?)の女子Cの冷めた感じが楽しかったです。
女子高生の頃って
たしかにあぁいう刹那的なところあるなー、と。

『リンゴの国のお姫様・森田早紀
(源氏名 姫)』は、
事情が判明するまでの時間が長めかな、と思いましたが
全体的に見ると清々しい話で好きです。
トッピング云々のセリフがツボでした(笑)

『恋の草鞋編み』
設定からして、かなり漫画っぽいなー、と思いました。
静かに食いついてくる先生と
協力的な彼女(2)の詳しさが面白かったです。
ラストも「あぁっ」て感じで、可愛らしかったです。 

『ナオミ女王様に仕えた日々』
女王様のクオリティの高さ。
(アフタートークによると、オーダーメイドらしい。
ここの団体の衣装に対する意気込み、好きです)
「女王様を何かに言い換えてるのかな?」と
最初は思いましたが
全体的な説得力がすごくて慣れさせられました。
作中カテコの女王様がまだまだ「女王様」だったのも良かったです。
(全体的なカーテンコールでは女優さんでした)

守里の双眸

守里の双眸

集団as if~

吉祥寺シアター(東京都)

2016/02/18 (木) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

インプロ
途中で始まった「インプロ」にゲラゲラ笑う隣の席のおじさんを横目に思わず帰ろうかと思ったのでしたが、ここは我慢して最後まで見届けなくては(何と言っても応援している役者さんが出ているのだし)と最後まで見て良かったです。主軸となっているお話はとてもしっかりしていて、人間(?)の不信感や醜さや理解できないもの、自分とは違うものに対する恐怖、それを乗り越えて分かり合いたいと思う気持ちなどよく描かれていると思いました。それぞれの長の陰謀で違う種族が怪物にしか見えないあたりの表現も良かったです。客演のカプセル兵団の二人の動きがさすがでした。

ネタバレBOX

最後がいまひとつ分からなかったのですが、私なりに解釈すると、お互いを憎み畏怖するように仕組まれた種族同士はやって来た調査団の陰謀により、とうとう最後の一人まで殺し合って滅んだ。御神木の前で愛を誓った二人の愛が通じて御神木はその枝から赤ん坊を産み続けるが、それを受け止める落ち守(お産婆さんみたいな役目)もいなくなっているので赤ん坊は地面に落ちる。おそらくそのまま死んでしまうだろう。また一人赤ん坊が地面に落ちる音が空しく、恐ろしく森に響く・・・。(藤丸さん、違ってたらメールください)ひどい話だ!と思いますが暗く深く胸に刺さる秀逸な話だと思いました。なのでたいして面白くないインプロなど入れずにストレートに作った方がいいと思います。見る方は大変ですが。
カカフカカ4DX

カカフカカ4DX

カカフカカ企画

d-倉庫(東京都)

2016/01/27 (水) ~ 2016/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

熱意
やりたいことをやる。
大事です。

猥り現(みだりうつつ)

猥り現(みだりうつつ)

TRASHMASTERS

赤坂RED/THEATER(東京都)

2016/02/18 (木) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

テーマの重厚さとメッセージ性のバランス
ここで語られる個々のテーマは非常に重厚で、吟味・議論されるに相当するものであるけれど、代わりに演劇自体としてのテンポが「重さ」に引きずられ、リズムに欠けてたかな。

それと、個々のテーマは十分に良いけれど、全体としてうまくまとまっているかはこれまたちょっと微妙かな。
あちこちにトゲ、でっぱり、いびつさが残り、もう少しブラッシュアップ出来る余地があるかと。

でも作品自体は傑作です。
再演希望。

ネタバレBOX

アフタートークで長田育恵さんが来ておりましたが、登場人物に「違和感がある」とコメントしていたのが、この作品自体のまとまりの未熟さであろうと思います。
逆に、これが改善の余地でもあるとは思います。
Stay of Execution

Stay of Execution

メガバックスコレクション

錦糸町SIM STUDIO 4F C-studio(東京都)

2016/02/20 (土) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

発想豊かな創作
初日観ました。
会場に入って舞台に驚きます。
いつもとは違って、観客席が舞台美術と一体感を持てる造りになっていました。
いい表情をする役者が揃っていたので、凝ったストーリーがより活きた印象です。
視界の不自由な舞台が奥行き感を出していて、演出が面白いです。
舞台美術で世界観はうまく表現されていましたが、グラツキが目立ちいつもよりクォリティは落ちる出来でした。

Revenge of Reversi

Revenge of Reversi

PocketSheepS

萬劇場(東京都)

2016/02/11 (木) ~ 2016/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

初見
初日にしては大きなミスもなく、案内どおりの2時間で幕が降りたのは、稽古の賜物。ただし、開演時間は「お約束」どおりにだいぶ押していた。時代錯誤な唐草模様の風呂敷を背負ったドロボウキャラはウケた。一部に早口過ぎて聴き取りにくい台詞が惜しい。

TRIPLE BILL 『P小山』

TRIPLE BILL 『P小山』

セッションハウス

神楽坂セッションハウス(東京都)

2016/02/20 (土) ~ 2016/02/20 (土)公演終了

無題1750(16-040)
19:00の回(雨)。

18:33開場、19:04開演~20:30終演。

長谷川さん「にわ」。
梶本さん「海へと」。
三輪さん「ミライハカケル」(ないきさん)。

「プロジェクト大山」は「キャッチマイビーム(2011/8@トラム)からここセッションハウス公演などを、長谷川さんは、「ダンス花(2013/9)」「COLONCH vol.5(2015/8ザムザ)」、梶本さんも出ていた「をどるばか(2015/2@BankART)」、その梶本さんは「batik トライアル vol.13(2013/12@森下)」。来月の@あうるすぽっともチケット手配済み。

今夜の公演、いつものように「セリフ」はダメなのと、(意外性のない)ふつうの振付だったのと、映像を伴ったものは他のダンサーでも観ているのでインパクトを感じなかったこと…など。

カゲキ・浅草カルメン

カゲキ・浅草カルメン

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★

めざせ!浅草公会堂
久々の新作。ドガドガの持ち味が十分生かされた艶のある舞台になっています。良かったなぁ。劇団員の皆さんも劇場内を走り抜ける躍動感にあふれる活気ある舞台でした。しかし,小玉久仁子さん,ドガドガの芝居ということで,キャストをよく見ていなかったんだけど,出てきた時から圧倒的存在感,流石だなぁ。あれ以上出番があると,ドガドガを喰っちゃうくらいです。あと,ドガドガ退団組,良かったです,さすが10周年記念,華やかでした。途中休憩10分で約2時間半の舞台。ドガドガを満喫できるオススメの舞台です。

猥り現(みだりうつつ)

猥り現(みだりうつつ)

TRASHMASTERS

赤坂RED/THEATER(東京都)

2016/02/18 (木) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

宗教なんか無い方が・・・
重厚な宗教論争は見ごたえたっぶり。役者も全員役どころにドンピシャではまっていて、個性的な人物をみごとに演じていた。議論は商店街から飛び出して世界の問題へと発展する。荒唐無稽な部分や理解できない部分も面白い。でも人を精神的に救うはずの宗教が逆に根深い対立の根源(もちろん貧富の差も)にあるのが現実だ。宗教が無い方が人は分かり合える。

カゲキ・浅草カルメン

カゲキ・浅草カルメン

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

カゲキにお祭り!
劇団ドガドガプラス十周年記念公演カゲキ「浅草カルメン」を初日に続き2日目も観てきました。
記念公演に相応しく歌、ダンス、演技ともどれも素晴らしく楽しめました。
特に劇団初の男性ソロで中瀬古さんが歌うシーンが心に沁みます。
受けている古野さんの演技も秀逸です。
カルメン役のゆうきさんも艶やかで儚くてとても素敵でしたね。
豪華な客演陣や元劇団員も駆けつけパワー溢れる舞台でした。
とにかく見どころ満載で最後まで楽しめます。

「ひのきとひなげし」

「ひのきとひなげし」

HyouRe Theatre Company

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/20 (土)公演終了

満足度★★★

ひのきとひなげし
芝居(演技)とダンスとアート駆使してとても素晴らしい作品で、演技はすごくしっかりしていて見ごたえ十分でしたが、宮沢賢治の作品の内容が知らないためすごくわかりにくかったです。残念。

この声

この声

オイスターズ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/23 (火)公演終了

満足度★★★★★

平塚流ディスコミュニケーション演劇の精華!/約75分
言葉はひとたび吐き出されれば、その内容の真偽はどうあれ大手を振って独り歩きを始め、様々な誤解を生みながら暴走する。このことをまざまざと示してくれる、じつに見応えのある会話劇。
隙がなく緻密な脚本には、数学的美さえ感じた。

ネタバレBOX

ある美術教師が、3人の女子高生が入れ替わり立ち替わり持ってくる様々な情報に翻弄され、正気を失っていく物語。
狂っているのにその自覚のないヤバイ女子高生たちを、狂気を感じさせる上ずったセリフ回しで表現しきった女優陣が見事。
親の顔が見たい

親の顔が見たい

かわさきシアターカンパニー

川崎H&Bシアター(神奈川県)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

役者力、堅実。
マンション内の、にしてはそこそこの(70人程入りそう)スペースで、ぶち抜いたコンクリの梁が低い天井に残るのも黒く、劇場としての味わいを有しているのにまず驚いた。
「親の顔」は数多くやられている演目だが、やはり味のある戯曲だ。中学生にしてはかなり過激ないじめ内容や、援助交際など、ドラマ的な演出を「盛った」ようにも捉えられるが、うまく解消していく戯曲だ。
新たな証言や物証が、事実を徐々に露呈させるが、その段階段階で、その状況に見合っただけの抵抗を親たちは繰り広げる。そして退路を断たれて事実に向き合わざるを得なくなる・・という意味では、「悲劇」に始まりそれは覆らないが、ある意味ハッピーエンドである。
 この劇団は、口跡もすっきりした堅実な役者が押さえる所を押さえた演劇を繰り出し、劇の終盤にはある「高み」へと観客を押し上げていた。 開幕当初に見られた、各自の仕事をしている感の演技(横同士の反応がやや堅い)は、しかし個々の「仕事」を延長した先に、しっかりぶつかり合う形が出来ていた、そんな感じ。演技を機能的に捉えているのか、やれる事をこなせばここまで持って行けるという事か・・不思議な感覚だ。
 一点、最後に残る夫婦の対話、そして退出の場面。 芝居中では夫に抵抗した妻だが、最後には夫の後について行く、古典的な妻を演じる日常に帰って行く、という処理にしていた。 簡単には変わらない・・それが脚本に書かれてもいる一つの結語だが、それでも何か変わって行くのではないか・・そう感じたい観客に、この演出は「簡単に変わらない」ことを形として強調してみせたのだろうか。

『月花抄』

『月花抄』

演劇ユニット 金の蜥蜴

ブディストホール(東京都)

2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

優雅な地獄
 嫉妬と己の地位から来る誇りに嗜みを失い、生霊と化した六条御息所と光源氏との確執を縦糸に、生霊に憑かれて殺される夕顔、葵の上を太い横糸に、更に彼女らの便を偲ぶ末として紫の君。ここに紫の君として源氏の意姫を登場させたのは、式部の自己主張なのかも知れぬ。何れにせよ、源氏物語を下敷きにし、能にも取り上げられている「葵上」「野々宮」「夕顔」を現代風にアレンジした作品である。舞台上で直接役者が演じる訳ではないが、源氏物語の有名なシーン(雨夜の品定め・末摘花に纏わるエピソードなど)が、源氏の親友・頭中将との対話の中で出てきてふくらみを持たせている。(追記2016.2.24 0:46)

ネタバレBOX


 舞台美術も平安時代の代表的な建築様式である寝殿造りの一部を再現したようになっており、下手渡り廊下に当たる部分は能の橋掛かりにもなっていて様式的にも平安と室町を繋ぐようで面白い。更に源氏と藤壺の近親相姦の悍ましさの中に蠢く、男女の愛欲の業(カルマ)がヒトもまた獣であるという本性を示し、本能を抱えて悩まざるを得ぬ知的生命体の哀れを示唆するかのようで、その救い難さと共に深く心に刺さる。今作の救いは、六条御息所が狂うまでに悩みぬく点にもあるであろう。それだけ真剣なのである。その真剣さのみがこの地獄の中を照らす光明であるとでも言うように。他の登場人物たちも其々に不幸であり、その身に纏った煌びやかさと反対に悩み惑う姿が、短いが深い科白に萎縮されている。また、ラスト、源氏自身がこれらの女性たちの宿世を負って、叫びによってしか表現し得ない人の弱さ、無力を描いている点でも、ものの哀れを文化の基調の一つとする日本を表していよう。
オペラ研修所修了公演「フィガロの結婚」

オペラ研修所修了公演「フィガロの結婚」

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

オペラ初心者
入門として適当かと観劇に赴いた。ある程度「長い」ことは覚悟していたが、14時開演、休憩25分、終演17時半。ラスト10分前で退出せざるを得ず、それで知ったこと。
・・「フィガロ」のラストの畳み込みは10分の中に凝縮されている(17時半終演が正しければの話だが、スタッフは「きっかり」だと言っていた)。
・・二組のカップル(若い婚約者同士と、伯爵・伯爵夫人)が、女性二人による計略(困った伯爵を懲らしめるための)により、自分の「本来の相手」と会っていながら(変装しているため)違う相手だと思い込んでいるところ、暴露され、大団円というラストだ。
 音楽はドラマに使われると叙情性が増す。素で聴いてピンと来ないポピュラーソングが、実はこのドラマに使われていた・・とドラマを見て発見し、「売れた」理由が分かる。つまり、音楽にとって、それがどんなシチュエーションのために作られたか、という事はとても大切な要素。
 「フィガロ」のモーツァルトの楽曲には有名なものも多い事だろう、耳にした事のある楽曲もあった。だが何よりの「発見」は、オペラ歌手の声の「色」=感情が、音楽に乗って明確な(芝居上の)表現になっていることだった。ほぼ、開演から終演まで、鳴り続ける音楽。台詞っぽい音の並びのときと、芝居の中でも「歌っている」歌との違いもある。「歌」は心情吐露であり、個人の感情というのは切々と迫ってくる(ミュージカルに同じ)。
 「フィガロ」はモーツァルトが愛される原点のようなものではないだろうか・・。ドラマの力、侮れず。モーツァルト・イメージというものがここで出来上がれば、この原点との差異によって他の仕事の意味付けが可能で、しばらくは持つ。(芝居もそうかも) その1ヒットが奇跡的に出来た訳でなく、モーツァルトは名曲を多産した人だからこの法則を持ち出すに不適切かも知れないが・・
 間違いなく人類の貴い遺産だ。
 
 あと二点ほど、考えた。日本人がこれをやること、について。「北京ヴァイオリン」という映画があったな。たとえば東南アジアの国に「フィガロ」を自分の声でやろうと志す人は居るんだろうか・・?(反語的疑問にあらず)
 もう一点、オペラのほとんどは、「知ってる話」である。見に行く人にとってはなおそうである。完成度の高いドラマ(と音楽の融合体)を、あの美味しい料理を、味わいに行く。 「演劇」という世界では、古典、定番的なものは、本流でないと思う。発展するものとして、「現在」に呼吸するものとして演劇はあり、そこに最大の価値と快感がある。ただ、「定番的な」ギャグやドラマ図式を借りていたりするし、時にはカレーを食べたくなるのは否定できない。 
 さて「フィガロ」は自分に何をくれたのだろう・・・。モーツァルトの楽曲は私の中に快感を埋め込んだ。 喜劇調の中に、時に心情吐露、感情の高まりが挿入されると、ハッとさせられ、思わず感動する。しかし、冷静に考えれば伯爵夫人が伯爵に振り向いてほしい心情なんて、どうでも良いではないか。だがドラマという仕掛けの中では、美しい歌声が意味を持ち、なぜか迫ってくるのである。「あそこ、よかったな・・また聴いてみたい」と、いつか思うかも知れない「快」が、あった。なぜそう反応したのか、について、しばらく考えてみよう。

ネタバレBOX

付言すれば・・この公演を観劇リストに選んだのは、東京イボンヌの「モーツァルトとマリーアントワネット」観劇の影響に違いない。 かの舞台には「演劇」として難点が多々あると渋いコメントを書いたが、あの劇が、生の楽団の演奏、声楽家の声によって本格的に「引用」しているモーツァルトの音楽に「主役」を譲っていると見えたからだった。 だが天才の所産を前にそうしない訳に行かない、やむにやまれぬ思い、というのも恐らくある、とも想像されたので、どれほどの求心力を見せるものかを垣間見に行った訳である。
 演劇の中にモーツァルト楽曲を「引用」する場合、すでに楽曲が持つ魅力、威力(皆が知る)を踏まえて物語が語られるのなら、実際に楽曲を本格的に鳴らす必要はなく、物語を先へと語り進めればよい、と、やはり思う。 だが、本格的に鳴らさなくては理解できない要素が「物語」にある場合は、鳴らす必然性があり、その効果を持つ。必然性にかこつけて、贅沢な演奏を聴くことが正当化される訳である。
例えば・・・モーツァルトの音楽にケチを付けるやつがいる、害悪だとののしる者がいる、そんなやつらに、さてそのお膳立てをした上で、いざ!と、聴かせてやる。溶解して行く彼らの顔が、演技が、痛快なことだろう・・。など。
 色々と意見を言わせる芝居というのは一定のレベルを印している場合が多いが、イボンヌの昨秋の舞台はそれに違いなく、オペラなるものの小さな扉を押してみようとさせるだけの力は、あの「演奏組」(楽隊と声楽家)が擁していたとすれば・・・。
 余談が過ぎた。


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