# coming soon ご帰宅準備中♡
劇団てあとろ50’
早稲田大学学生会館B203(東京都)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/13 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
とても可愛らしい衣装、なんとなく懐かしい衣装って感じで良かったです。
一生懸命に演技する演技には感心させられました。
よく考えられた脚本ですね。
素早く場面転換されていてとても良かったです。
関ケ原BOOGIE☆WOOGIE~小早川の場合~
山川プロダクション
萬劇場(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
小早川秀秋役の役者、とても大将とは思えない演技、微笑ましい限り。
動きやすいように考えられた衣装、ユーモアたっぷりの台詞に演技でとても楽しませていただきました。
脚本、演出、演技最高、あっという間の2時間でした。
『コラソンはデイドリームちう*(中)』
コラソンのあんよ企画
APOCシアター(東京都)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
落ち着くところに落ち着く幸せな気持ちになれるお話しでした。
『コラソンはデイドリームちう*(中)』
コラソンのあんよ企画
APOCシアター(東京都)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
現実と幻想の間で揺れ動く、そんな曖昧な世界観を描いた物語。その曖昧さが 人間らしいと言えるのかもしれない。前作「コラソンのおともらち」は3話オムニバスという説明だったが、実は連作のような構成。本作も基本は3話だが、それにプロローグや1話の中に幕間~その① ②を挿入し、2話・3話と続き、最後にエピローグという構成で、少し凝った劇作。
公演の見所は、日常のありそうな出来事を 敢えてリアルに描かず 白日夢のような幻想世界へ誘うところ。リアルに描かない--その舞台の虚構性を前面に出すことで、観客の想像力や思考力を刺激する。基本は家族の在り方を描いているが、そこに潜む表現し難い感情を それぞれのキャストが上手く演じている。その意味で確かな演技と調和している。
(上演時間2時間20分 途中2分程度のリラックスタイム) ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台装置は、3話および幕間~その① ②の場景に応じてテーブル、イスそしてベット等を搬入搬出する。場転換が多く 暗転も頻繁にあるが、集中力は削がれない。また 音響/音楽の印象はないが、照明は巧に諧調し 心情や光景を効果的に表していた。
物語は 逃避と願望、憧憬と畏怖といった 相反するような描き。人間の心は複雑、その表現し難い内面をリアルとファンタジーといった観せ方で紡ぐ。全体としては、人の再生・自立へのキッカケと家族の絆が浮き彫りになる好公演。
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概要は次の通り。
0.プロローグ
青澤家の食卓、そこに長女 瑠璃、次女 藍子、そして父の玄太が穏やかに会話している。主な登場人物と 母は亡くなり父子家庭ということが分かる。
1.「A Wonderful Day ~ ワンダフルデイ~」
亡くなった母 青葉は生きているが 余命わずか。今は 草太という男と暮らしている。正面の壁に窓/カーテン影の照明。(黄昏時?)2人の穏やかな会話で和む。安楽死を求めて海外の病院へ来ているようだが、草太が夢落ちすると そこは日本の病院。事務的な男性医師 ブラウン医師/訪問医師(海外と日本)との会話が虚(空)しい。草太は家族 特に娘たちに思いを伝えるべきではないか と提案。遺書代わりに録音を勧める。
青葉は、子の愛し方、接し方が分からず育てられない。その苦悩を夫 玄太に話して 云十年前に離婚した。青葉は自分も母に愛されなかった。ネグレストというの負の連鎖。現実にある家庭(個人)の深刻な問題、それを海外と日本の医療(社会)問題--安楽死を絡めて幻想と現実の間で描く。
幕間~その① ②は、それぞれ或る住宅の街路。訪問医師と訪問看護師の車内での会話。一方的に医師が看護師を詰問し、立場の上下関係を知らしめている。台詞にもあるが、強い口調はパワハラ/セクハラではない旨 事前に言い訳する。幕間は、2話への場所と主役が変わることを意味する。
2.「Un homme et une femme~男と女」
訪問医師 紺田秀一郎は看護師が辞めて機嫌が悪い。場所は大久保公園の近くの某公園。そこに立っていた若い女に声をかけるが…。側壁に歌舞伎町のビル街を映し出した照明。そこへ見知らぬ女が紺田へ近づき、オレを忘れたかと問う。過去の苦い思い出が甦る。女は桜木百々江といい高校の同級生。同時に紺田の意識下に母親の幻影が立ち上がる。今の女性蔑視、弱い者いじめといった態度は 自分の内にある女性(マザー)コンプレックスの裏返し。現実と幻想が混濁した意識下、深層心理の情景。
3.「Too Hasty to Call This,”Fantasy"~ファンタジーと呼ぶには早計です~」
再び青澤家の食卓。プロローグの穏やかな会話から一転、激情が迸る。姉 瑠璃は精神的に不安定で引き籠り。妹 藍子は夜のバイトで昼夜逆転の生活。藍子は母 青葉の記憶はなく、瑠璃に向かって母の面影を聞く。少しでも母の愛情を受けたのでは という嫉妬心から今の生活状況を責める。一方 瑠璃は藍子が如何わしいバイトをしているのでは と詰問する。そこへ父 玄太が妹 橙子(叔母/辞めた訪問看護師)を連れて帰宅。2人の言い分を聞いているが、そもそも子に関心がない。そのうえ、瑠璃が家事や妹の面倒を見て母親代わりをしているにも関わらず、それが当たり前のよう。玄太の困惑した表情/態度が滑稽。
4.エピローグ
橙子は、不思議な女/ニルに頼まれ遺書代わりの録音を…、娘たちへ思いを伝える役目を果たした。不思議な女そしてチャコでありニルは青澤家で飼っている猫=精霊であろうか。そこは観客の感性に委ねているようだ。
次回公演も楽しみにしております。
クジラの歌
劇団サイエンスフィクション眼鏡
πTOKYO(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
シージャックされたフェリーを舞台に、回想を交えつつ犯人たちの意外な目的が明らかになる休憩無し約1時間40分、工夫されたセットが興味深く、終盤迫真の長ゼリフに脚本の力を感じました。
クジラの歌
劇団サイエンスフィクション眼鏡
πTOKYO(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白かったです。
謎めいたストーリーで、どんな展開になるのか、どんどん惹き込まれました。
役者さん達は熱演で迫力満点、セットも作り込まれていて、その世界を堪能しました。
予想外の内容で、ラストは涙腺が緩みました。
素敵な舞台でした。
チャランポラン・トランポリン
東京演劇アンサンブル
吉祥寺シアター(東京都)
2025/09/03 (水) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
8年は経っているか..東京演劇アンサンブルが在パレスチナのイエス・シアターという劇団の主宰と俳優の二人を招いてディヴァイジングで作った舞台があった。今知る所であるがパレスチナ、特にヨルダン川西岸地区では2000年代以降「分離壁」の建設と検問(移動の自由の制限)、入植者と軍の圧力による恐怖に晒される子どもの日常をケアする一方法として文化運動が生まれたと言う。
思い出せばその舞台はアイデア満載の摩訶不思議な時間で、「芝居」は遊具無しに遊べる道具、また「遊び」が芝居になり得る、との発見をその時したように思う。
現実を捉える視点を「物語」の形で提示する「劇」(ざっくり新劇、あるいはリアリズム演劇)と一線を画したそれは、左脳の検問を無検閲パスして情操に働きかける刺激を孕み(観る側以上に、作り手たちにとって、との印象は大きかったが)、(左脳では)評しがたいものがあった。
今回のパフォーマンスは正にその地平にあるもので、出演陣が身体性の高い若手(選ばれし)5人、ノンバーバル(音韻を制限した発語を含む)表現、そしてトランポリンの活用、といった特徴を別にすれば、上記公演と共通する感覚のものである。
ただし空間を演出する照明・音響(音楽)やストーリー構成などは当然ながら全く別物。本作はサイバー・ゲーム空間のような設えであった。
聞けば、韓国人演出家ジャッキー・チャン氏は脳神経学、発達心理学に通じた学者でもあり、理論に裏付けられた実践を続けている人だという。子供を対象とした上演計画を劇団も考えているらしい。
さて黒が基調の風変わりな衣裳の5人は、(後でパンフを読んだ所では)彼らの主人に対する「影」として登場し、時々主人が表れたりもする。影とは本体とは対照的な人格・性質であり、「無い」ゆえに憧れる対象でもある。その彼らはジャンケンという勝負にこだわり、強くなるための訓練をしていたりするのだが、「影」が主人の足を引っ張らないように(?なのかイマイチよく判っていないが)という理由で訓練に勤しむ。存在の最初からある一つの使命を帯びている条件も、ゲームに似ている。
これは間違いなく何かのメタファーなのであるが「左脳」では理解に到達しない。
そうした彼らの「動き」と、珍妙な「発語」による人物同士のコミュニケーション、ダンスやパフォーマンスで場面が構成されていた。
大きな特徴として、フラットな会場が4エリアに分割され(正方形に×を書いた図形の線の部分が俳優たちの通り道)、そこに置かれた座布団が席である。即ち観客は靴を脱いで地べたに座る。
出入口から見た反対側に、大きなトランポリン+両側にラックが組まれ、一人乗り用の低いトランポリンも客席エリアの周囲に4つ5つ置かれる。観客はパフォーマーたちを見るため360度体や首を動かす羽目になる。
冒頭はダンスそしてマジック、芝居の流れの中でのトランポリンの技披露もあるが、一連のストーリーの流れはどことなく「ある」時間の流れにはなっている。
これだけ文字を並べてもうまく説明が出来ていないのがもどかしいが、更にもう一つ大きな特徴が、凡そ1時間の上演を終えた休憩の後、フォーラムシアターをやるというもの。
フォーラムシアターとはある短い劇の上演の後で、再度その劇を通す時には観客が劇に介入したり、別の設定や行動を指定して俳優にやってもらうという形式を言う。今回はそれなりに長かったパフォーマンスに対し、観客からリクエストされた事に俳優が応えて行く。休憩前に配られた紙に観客が書いて提出したリクエストを俳優が拾い、読み上げながらこれを進めて行く。ここではファシリテーターである三木氏(+ご意見番の太田氏)主導の場となり、俳優は俎板の鯉。それを楽しむ時間でもある。
ストーリーとしては判りづらい内容に対して注文をするのは難しくもあるが、結構な量とバリエーションの富んだリクエストがあり、時間の許す限り次々と挑戦して行く。
ある意味「ぶっ飛んだ」パフォーマンスだが劇団公演として成立していた。このあり方はどのような展開の可能性をも擁しており、今後も楽しみである。
ネタバレBOX
1970年代にブラジルの演劇運動家がフォーラムシアターを考案した目的は、人々のエンパワーメントであった。社会の構造悪や圧政に対し、人々が対抗し得るため、自分達の状況を客観的に把握するツールとして演劇=ドラマを用いられる、という所までは近代以降に期待された面もあった演劇の「効用」と言えるが、フォーラムシアターはワークショップの一形態で観客参加の仕組みがある。
「うまく行かない」例えば家族のストーリーに対し、その登場人物の誰かが「こう行動すれば」どう変るか・・という発想を投入していく「変り得る劇」=受け皿である。言わば演劇Playを通じてのストーリーの実験。
被虐に終る主人公が、あるいはそれに関わる人物の誰かが、元の劇とは異なるどのような行動を選ぶ事で事態は変化していくのかを、(俳優たちは精一杯本域で=そう簡単に事態が好転するとは行かないリアルな行動を演じ)見せて行く。それを参加者皆が共有する。
識字率の低い社会ではドラマを用いた啓発教育が効果を持つと言われるが、自分たちを取り巻く何が問題の根源であり、何を変えて行かねばならないか、についての共通認識を多くの人々が持つことが「人々の力」の根源だとすれば・・、今日本は途方も無く分断され、エンパワーされ損なった状態が(もう何時の時代からか判らぬ程に)続いている、とも言える。
演劇を通じて子どもたちの精神が開かれて行く運動が広まって行くとしたら・・と考えると、暗き世に光を見る思いである。
ラルスコット・ギグの動物園
おぼんろ
Mixalive TOKYO・Theater Mixa(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/20 (土)公演終了
実演鑑賞
初日といったい何が違ったのだろう。舞台は何も違っていなくて、私の心持ちが違ったのか?確かに初日は1階で、今日は2階から見たという違いはあるけれど。カラスも日替わりなので違うわけだが、怖がらないでと言われても(言ってないけど)鸚鵡返しのカラスは怖いかも。
さまよえるオランダ人
東京二期会
東京文化会館 大ホール(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
9/13(土)を鑑賞。音楽的には高水準だったと思う。ゼンタ鈴木氏の声・歌唱ともにすばらしいし、エリック、ダーランドもその役に絶妙なふさわしさ。マイクの助けもあるのだろうが、大規模なホールでの上演である以上、やむを得ない面がある。上岡指揮のオーケストラもきびきびした緊張感ある音楽を奏でる。
オペラでは非常にしばしば読み替えの演出が鑑賞の妨げとなるのだが、これはそういう変なのではない。しかし、いろいろ意図がわからない点はある。舞台後景は険しい岩場のような場所で、通常あるような海や船が見えなかった。これほど船や海を強調しない演出は初めて見た。オランダ人はこれまで見た中でもっとも不気味な風体というか、まるで幽霊船の怨霊のよう。ホラーであり、あんなのに惚れ込み救済しようとするゼンタはやはり頭がぶっ飛んでいると確信した(エリック助かった)。糸車のシーンでは、舞台上には糸車はなく女たちは舞台袖から延びたロープを引っ張るのだが、あれではオランダの風車のような巨大な糸車の化け物があることになる。オランダ人の船の乗組員とおぼしきカラフルなハイカーたちはあまりにも場違い。いったいなんでこんな恰好をさせたのだろう。終幕のシーンは、オランダ人とゼンタがめでたく結ばれ救済が成就した、とでも暗示しているのだろうか。
『REAL』
metro
インディペンデントシアターOji(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
語弊があるかもしれませんが面白かったです(以下、追記予定)
nitehi:kedo
こわっぱちゃん家
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2025/09/10 (水) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初演も見てますが、やはり良い作品です。
ネタバレBOX
失った関係性をどうするかは人それぞれ(だからこそ群像劇として、表現する意味があるのだと思う)。
生成AIが急速に進歩している今の社会にも沿ったテーマでもあります。
CONSTELLATIONS
劇団スポーツ
早稲田小劇場どらま館(東京都)
2025/09/10 (水) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
近年注目の劇団を初観劇。久々の早稲田どらま館にて。
serial numberが今後3箇年に亘り2名の女優と組んでのシリーズを始めたと知ったと同時に、こちらの劇団での「シリーズ」立ち上げ、しかも二人芝居、まずは海外戯曲を手掛ける点も共通で甲乙付け難し。双方に食指が動くも一方を選ばざるを得ず厳選なる選考の末こちらを選んだ。
若い俳優の煌めきにハッとする瞬間は芝居の醍醐味。ユニークな作りの本作の「見方」に最初戸惑うが、次第に「多元世界」を芝居に転化した趣向に目と頭が見慣れて来た頃には、「今この生」の多元的な振れ幅(当事者にとっては天と地の差があるに違いないが)に対するある種の達観と、同時にあらゆる可能性への胸騒ぎに見舞われる自分がいる。
舞台では同シチュエーションの様々な可能性が通り過ぎて行くが、入れ替わり立ち替わる場面の中に2つ程、他者(観客)が祝福するに相応しい場面がある。それは「うまく行ったケース」という事になるが、何故かその事で我々が報われている事実があり、何やら示唆深い。
ドラマを体験するとは二度生きる(生き直す)事に他ならず、男女の物語を觀終えた今、それがどの経過、どの結末であろうとそこには「別の可能性」が孕まれている事に変わりはなく、二人の物語の小波、大波が様々な仕方で観客を揺さぶるという事では満たされ度は高いと言えるかも知れない。と同時に、一組の男女の人生を味わった気になっている。時系列的に進む「次の場面」(またその次の場面・・)が二人が辿った凡その経路を示している所はあるので、ざっくり「一つのストーリー」と捉えられなくもない。が、主眼はその展開の仕方の多様さにある。
ただし・・もしかすると異なる展開に見舞われる二人の中に流れる精神というか、魂の交流自体は、表面上の差異にも関わらず「同じ」、即ち、この二人の物語であったと、考えて全く間違いでないと作者は示唆しようとしているのかも知れない。
この男女、ローランとマリアンを三組の男女の俳優が演じるが(組合せも多様)、二人の関係のタイプはその組合せの振り幅も多少あるものの、知的に突出して性格が飛んでる女性の存在に、男性の方が当てられるパターンと見える。男の素朴さ(養蜂家というのもミソ=出来すぎという話も?)に女が惚れ込む面もあるが、頭脳が彼女の仕事の原資であった所へ襲ってくる脳腫瘍という病、人生の起伏の面ではマリアンの感情表現が、それを受けるそれぞれのローランによっても、と言うべきだろうが、三者三様の演者のリアリティがある。「こんなに若い俳優なのに」とは不適切な前提かも知れないが、素朴に、その演技に感服した。
樹海
近畿大学 文芸学部芸術学科 舞台芸術専攻 34期
八尾市文化会館プリズムホール 小ホール(大阪府)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ビジュアルが素晴らしい舞台でした☆素敵な時間をありがとー\(^o^)/
座標と初恋
アオガネの杜
アトリエ春風舎(東京都)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
正直、キャンプの道具を買いすぎて金欠でしばらく舞台を観てなくて、本ばかり読んだり親から頂いた株主優待を使って映画ばかり観ていたけれど、しばらくぶりに舞台やを観て、やはり舞台は良いな、とつくづく思った。
それは尿酸値上がりすぎたらしいタニノ氏も一緒のようだった。
何を書いてもネタバレになりそうなので、以下ネタバレに。
ネタバレBOX
まず第一に気になるのは、この舞台には悪人らしき人がほぼ登場しない。それは若干不満が残る…。最初にあえてそう書くのは、そう書く批評家が絶対現れると思ったからで、自分も当然最初そう考えた。でも見ていてそのことにあまり集中するのは作品を味わう上で不毛かもしれないと思ったからだった。以下、
この舞台には民主主義の選挙で選ばれた首相の娘(民主主義国家ピー国人、ピー国はエス国に植民地支配されていた歴史があり、ジャガイモばかり作らされてきたらしい、汚職が横行)が、主人公(独裁国家エス国の国家元首の息子だが、このときは秘密、エス国は植民地支配していた周辺国から奪った収益で国力以上に学問が発展さている模様、豊か)と同じ大学の学生として登場する(大学はエス国だが、留学生はどうやらほとんどいないようだ)。そう、自分が男だからというのもあるが、物語を見ていて一見男女が主人公のようにも見えそうだが、自分にはそう見えなかった。自分には男性が主人公だと見えたのだ。
同級生が首相の息子だということは自分が学生の時にもあった。女の子ではなかったが(というか物語的にはもう一人は男でもよかったのではないかとも思うけど)、少女マンガを一杯持っていて、自分ともう一人の同級生は、その首相の息子から少女マンガをよく貸してもらっていた。それでずいぶん勉強させてもらった。そういった経験がなければ自分はいまだに少女マンガを読むような機会も無かっただろう。それは良い経験だった。ひょっとしたらどこかの女性演出家の方も、自分をどこかの会場で見かけて随分風変わりな男だな、と思ったかもしれないが、ある種進学校におけるザビエルの感化と言うことだ。
…それはともかくとして、その同級生の父親が首相の時に見た景色は大して良いものではなかったらしい。それは父親が原因というよりは周りの人間によるものだったようだ。つまりは今まで真面目だった人間も権力の近くに行くと頭がおかしくなるというようなものだったように思う。父親も政治家の息子だったため、権力には慣れていたので普通だったようだったが、それが余計に周囲の様子を浮かび上がらせていたのだと思う。
それは自分もこの年になってよくわかる。権力が近くにあるとなぜか人は発狂する。全てではないが。そして周りには容易には分からない。自分は舞台を観ているせいなのかわりとすぐに様子のおかしいのに分かるが、周りはおかしいのにすら気づかない(だがやがてとんでもない事態になっているのに気づく、そういうのはまさに恐怖)。…DJと同じで凡人が人を熱狂させる快楽に近づくと、熱狂させる権力が手の届く自分のものとなったように錯覚するのだと思う。そして詐欺師になる。戦争とはそうしたものだ。たとえば目の前で何千万人も踊らせるDJがいたとして、破滅のレコードを渡してもまだ掛け続けても誰も気づかず何千万人もが踊り続けるならば…。
戦争の詐欺師とは、たいてい爽やかで子沢山で奥さんを愛していて、友達も多い…しかも公務員で、真面目そうで絶対嘘なんかつかなそうな…詐欺師。その友達みんな詐欺師で役者。直上のてっぺんの権力者を軽く騙すが、特に誰も悪びれない。詐欺師の首謀者は別の権力者で、若い首相を操る老練の政治家というのがそれに当たる。
…たとえば新米首相になって最初に目の前に出された公文書が全てデタラメだとして、そのことに異を唱えられる人間が何人いるだろうか?敗戦時にはドサクサで詐欺師の公文書は全て破棄され、誰かのせいにされる。この国は神の国なので爆勝ち中と言っていたのに、ある日突然新型爆弾が落ちて首相官邸と周囲10キロは灰になったが、その偽の報告書を作成した側近たちは金塊を持って敵国に逃亡、戦争は全て首相が発狂したせいにして、誰も怖くて逆らえなかったという、そんなオチが普通なのが現実のような気もする…。
自国民を何千万人盾にして犠牲にしても、アメリカより先に原爆の開発に到達すれば逆転できる。絶対に夢物語にしか見えなくても、戦争に負けたらさんざん自国民を騙してきた人間たちはそう信じざるを得ない。秩序を守るため、トップのトップは護られるが、その下の普通のトップたちはトップのトップを騙した者たちとして断罪される。実際ほぼそんなもんだ。戦争とはそういったものだと思う。そういう意味では少し物足りない。
と、物足りない部分が長くなったのでアレだけど、でもやっぱり見ていて心地が良い、というのはタニノ氏も言うところで自分もそうだった。ちょうど中高生にやってもらいたい感じの舞台になってるな、とも思った。上記の政治系な部分、リアリティのありそうな部分がうまく抜けているからだ。
それはたぶん作家の意図したところだろう。
言語や、国家の固有名など抜いて、文学的な作品として座標を詩的に表現するところにフォーカスしている。これはとてもうまいと思う。抜けている部分は演じながら、想像力で補えば良い。そうしないと、座標も国家も組織も、想像力の範囲内に入ってこない。
SFジュブナイル的な感覚の文学的な演劇作品としてうまくまとまっている。ただ、ラストが少し短い気がする。もっと長く余韻を楽しんでもよかったのに。
強大ではないが喧嘩っ早いエス国の元首になった男の子は、降伏をしない。どうもベルサイユ条約のような形の降伏ではなく、ナチスドイツの敗戦時のような完全な瓦解を目指している、というようなものだった。
なぜそうするのかはよくわからない。描かれない。よく描かれていなかったが、エス国の独裁体制を終わらせるにはそれしかないと思っているようだった。
豊かで強大なエー国からきた怪しい黒服も良い。詐欺師のような、世界平和の意思のような、不思議なニュアンスでいて。
あの役柄を見た時は冷戦期のイタリア首相の誘拐暗殺事件を思い出した。
冷戦下で東西融和を目指したイタリアの首相は誘拐されて暗殺された。実行犯の共産系テロリストを手助けしたらしい軍関係者が内部にいたようで、目撃情報もいくつか妄想として決めつけられもみ消され、事件解決が遅れている間に東西融和を目指した首相は殺された。恐ろしい事件だった。そのころの冷戦下で、世界平和を目指すということは命がけだったのだ。意思を決定した時点で暗殺されかねないリスクがあった。そう言う意味でとてもうまい。
ピー国はアイルランドのような、琉球国のような、よくわからない立ち位置になっている。阿片が蔓延した前世紀初頭の中国のようでもある。選挙で選ばれた首相は、国民を愛国心で高揚させることに成功した。そして、五万人の犠牲によってどうやら国際世論を味方につけ、大国エー国を出動させることに成功したようだった。
ここらへんのお金(はっきりとは描かれていないが)の感じの話から、なんだかEUっぽい話が混じってくる。
なんかイメージ的にはスペインイタリアギリシャみたいなお金のない国が貧しいままでは域内の均衡が保たれず仲が悪くなるから、北の寒いドイツとかそんなところから国力を削ぎ取って貧しい国に分け与えれば競争や紛争も生まれない的な。得をするのはギリシャみたいなお金を貰ったりするだけのピー国…であってるかな?
みんな同じ国力で豊かになっても再分配されるからあんまり競争もない。競争はエー国内にすべて任せろってことかな…。
考えてみれば、戦争なんかなくても、古くて素敵なものたちは、経済発展でみんな消えるよ。
東京に数十年前の古くて素敵なものがいくつ残ってるだろうか?
少なくとも大阪ほどじゃない。
戦争と経済発展は似ているよ。古くて素敵なものをみんな消すから。経済発展をあきらめてあとは平和があれば、古いものは残る。たぶん経済発展爆進中のエー国は戦争なんかなくても、古くても素敵なものは国内からほぼ消える。他の国は平等に貧しいから古いものをてくてく直して残していく。天才たちはすべてエー国に流出する。彼らは科学を発展させ、エー国が君臨する未来を確約する。
そういえばこの舞台を観る前にトーハクの大奥展に行ったのを思い出した。鎖国しながらも、大奥に閉じ込められた女性たちのために、刺繍とかいろんな手仕事のものをぎっしりと詰め込んで…大奥と言っても大名たちの親族を人質代わりに出していたのかもしれないが、その贈り物のなかにたぶん人の温もりと、外の世界の美をパッケージしてデリバリーするために、そうした美しい手仕事はあったんじゃないかな?とても豊かだな、とも思った。少し悲しいが。憧れではないかな。たぶん。隣の清国のような金銀財宝はなかったかもしれないが、とてつもない樹木を使った天守閣もあり、平和を謳っているような江戸の文化だった。正直、豊臣秀吉がうっかり間違って中国侵略成功しなくて良かったんじゃないかとも思う。これも結果論で、もし仮に明国に勝ってもあとですぐに清国に負けてしまって何もかも取られていたのかもしれない。結局は日本で鎖国していたから、明国の学者が日本に亡命してきて江戸時代の学問の隆盛を支えた感が自分にはある。爆勝ちしなくとも、平和を守り手仕事や学問を愛せば、世界屈指の文化を築いたいい見本が江戸時代だったと思う。だから国というアイデンティティはそれほど必要ではなく、平和さえあれば、座標からにじみ出てくる香りが、平和な庶民のただ中から文化として湧き出てくる。そういったメッセージがあるのではないかとも思う。メッセージとかというと政治的な雰囲気にもなってしまうが、そういった願いというのか。
登場人物が真っ直ぐだから見やすい。割と何度も見て、描かれなかった部分をみんなで想像力で補って語り合えるいい舞台だと思う。色がついていない分だけ余計に。政治的に国内が分裂していると、こういう描き方が演劇では正確なのだとも思う。
樹海
近畿大学 文芸学部芸術学科 舞台芸術専攻 34期
八尾市文化会館プリズムホール 小ホール(大阪府)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
アンケートにも記載しましたが、幻想的で美しい舞台でしたね。良かったです。これからも、それぞれ頑張ってください。
オズの魔法使いによろしく
中央大学第二演劇研究会
シアターシャイン(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
可成りストレートに時代を若者視点から描く。背景には時代の闇も、その深さと処置の難しさも透けて見える処がグー。
ネタバレBOX
板上は奥に暗幕。暗幕の真下には30㎝程の高さの黒い平台、幕が開くと黒い平台の上には下部が黒く上部が真っ赤な二回りほど小ぶりの平台。正義マンが現れる時などに使われる。
暗幕の手前の下手・上手には階段状の切り込みを入れ斜めに延びた衝立が見えるが各々が袖として用いられ下手の袖は地の色が白、上手の袖は地の色が黒でシンメトリックに配置されている。各々の文様は刷毛で掃いたような抽象的文様が描かれその色は下手の物には黒っぽい色と赤で表装が施され、上手の物には白とブルーが用いられて衝立の形態で対称性を強調すると共にその微妙な差異を描かれた文様の色彩的差異で示してもいる。場転場転でグレーに着色された箱馬が用いられるのも物語の内容に即し見事な感性である。無論、平台の色、黒と赤の使い分けも物語を象徴している。
肝心の物語は高2の女子・ドロシーが、ブリキ先生から進路指導を受け成績も良いのに何をしたいか決められない。モラトリアムから抜けられない事を中心に展開する。彼女の父は教師だった。多くの生徒たちから感謝され御礼の手紙が束になって幾つも残って居るほど生徒から尊敬され愛された教師であった。然し理由は明らかにされないまま自殺だったとの風評が流れていた。現在は母と2人の母子家庭である。ブリキ先生の推しは、決められないなら一先ず大学進学してみたら・・・であったが、彼女はそれを受け入れられない。母と2人の母子家庭で大学に通うことは母の負担が過重になることだと考えているからである。ところで、ブリキ先生はドロシーの父・山田正義に憧れて教師になり、生徒指導の指針には正義というコンセプトを以て当たっている。父没後可成りの年月が経つにも関わらず未だに墓参りをしてくれる教師である。一方父の親友だった獅子尾は警察官になっては居たが自らの勇気の無さが親友を死に追いやったと未だに悔やみ正義の墓参りを欠かさなかった。
また高校の先輩・案山子田はドロシーがバイトをしているコンビニで矢張りバイトに入ってきた大学中退者だが高校時代の成績は可成り良かったにも関わらず現在は何をやってもミムメモ(間が抜けていて)で結果主体性を確立できずに他人からこき使われるだけの人間に成り下がってしまっている。心をドロシーと通わせることのできる友人は同級生の凛子とその彼氏の金治くらいのものだが、積極的に何かをしたいという目標も持てないドロシーに彼氏は居ないのでカップルの世界には入って行けない。こんな八方塞がりの中で進路は決めなければならない。期日は迫っているのだ。そんな中、時代はライン等で簡単にカップルの相手を見付けることができるようになっていた。凛子カップルの友人に速見というサブカルの一ジャンルに矢鱈詳しいオタクが居てレア物の収集も情報の多くをネットから得ているようであり時代の躍動は何となくプラスに映ったのかも知れない。ドロシーはライン系を使って或る男性と知り合いデートを重ねるようになったが・・・。物語は急展開、果たしてドロシーの運命や如何に? この結末は実地に観劇して確かめるべし。
全体を通して自分の感じたことは終演後に追記する。
われわれなりのロマンティック
いいへんじ
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2025/08/29 (金) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
三鷹市芸術文化センター 星のホールが選び、次世代を紹介するNext枠のひとつ。120分。9月7日まで。
https://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2025/09/post-4ce140.html
第14回名古屋学生演劇祭
第14回名古屋学生演劇祭
うりんこ劇場(愛知県)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/08 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
決勝の9月8日15時公演4作品を観せて頂きました。
各々30分程度でしたが、
この日のために情熱を注ぎこんで作られた作品はどれも力作ばかり。
改めてお芝居って色々な表現があるのだと感じました。
これからも若い力でどんどんチャレンジしていってほしいです!!
①な鳴る「音を鳴らす」
芝居というよりは、
アドリブでやってるようなリアルさがあった。
今どきの若者の相も変らぬ日常を
生々しく切り取った情景に心痛める場面も・・・
少女達にこんな思いをさせる大人達は、
もっと本気で考えるべきじゃないんですかね?
②劇団jobless「空のやつ」
生き辛い世の中、その中で模索し続ける若者の心象風景?
ユーミンの『ひこうき雲』を
そのまま体現したような作品でした。
③萌Co.「大草原不可避」
とにかくめっちゃ明るい作品でした。
一人で演じ切る力量が素晴らしかったです!!
④劇団とかげのしっぽ「残光」
全編、『謎かけ』のようで
まるでエッシャーのだまし絵の中で
遊ばれてるかのようでした。
ぼくらのおはなし
東京ノ温度
新宿眼科画廊(東京都)
2025/08/29 (金) ~ 2025/09/02 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
複数の二人芝居の断片を呈示してからそれらを関連付けてゆく形式の「一種のSF系」。
軸となるのは時間ものでしばしば使われる心だけのタイムスリップ(本作では「ココロップ」と呼称)だが、劇中でそれに疑問を呈するとは!(笑)
さらにそれだけでなく従来このテの作品では描かれることがなかった「ココロップされた側」も描いたのが画期的大発明(!)。
実は、主人公がある日突然違う境遇のパラレルワールドに行ってしまうという映画「知らないカノジョ」を観た時に「その主人公に入れ替わられたもう一人はどうなったの?」という疑問を抱いたので「そうそう、そっちも描かなくちゃ!」と膝を叩いた。
似た発想をする方がいらして嬉しい♪
The Breath of Life
serial number(風琴工房改め)
OFF OFFシアター(東京都)
2025/09/10 (水) ~ 2025/09/17 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
詩森ろば(serial number)の新機軸。林田麻里・李千鶴とのユニットの旗揚げだが、女性2人の関係の変化は面白い。131分。
ワイト島にあるテラスハウスに、フランシス(李)が元夫マーティンの愛人だったマデリン(林田)を訪ねる。マーティンは新しい恋人ができてシアトルにいるらしい。最初は敵対的だったマデリンだったが…、みたいな物語。デヴィッド・ヘアー2002年の作品で、日本では2014年に新国立劇場で初演された戯曲だが、女性2人の関係が濃やかに変化する様子が丁寧に描かれて、詩森の演出で女優2人がしっかりと演じた。タイトルは「必要不可欠なもの」という意味があるらしい。
どうでもいいことかも知れないけど、ドアが内開きというのは違和感。