座標と初恋 公演情報 アオガネの杜「座標と初恋」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    正直、キャンプの道具を買いすぎて金欠でしばらく舞台を観てなくて、本ばかり読んだり親から頂いた株主優待を使って映画ばかり観ていたけれど、しばらくぶりに舞台やを観て、やはり舞台は良いな、とつくづく思った。

    それは尿酸値上がりすぎたらしいタニノ氏も一緒のようだった。

    何を書いてもネタバレになりそうなので、以下ネタバレに。

    ネタバレBOX

    まず第一に気になるのは、この舞台には悪人らしき人がほぼ登場しない。それは若干不満が残る…。最初にあえてそう書くのは、そう書く批評家が絶対現れると思ったからで、自分も当然最初そう考えた。でも見ていてそのことにあまり集中するのは作品を味わう上で不毛かもしれないと思ったからだった。以下、

    この舞台には民主主義の選挙で選ばれた首相の娘(民主主義国家ピー国人、ピー国はエス国に植民地支配されていた歴史があり、ジャガイモばかり作らされてきたらしい、汚職が横行)が、主人公(独裁国家エス国の国家元首の息子だが、このときは秘密、エス国は植民地支配していた周辺国から奪った収益で国力以上に学問が発展さている模様、豊か)と同じ大学の学生として登場する(大学はエス国だが、留学生はどうやらほとんどいないようだ)。そう、自分が男だからというのもあるが、物語を見ていて一見男女が主人公のようにも見えそうだが、自分にはそう見えなかった。自分には男性が主人公だと見えたのだ。

    同級生が首相の息子だということは自分が学生の時にもあった。女の子ではなかったが(というか物語的にはもう一人は男でもよかったのではないかとも思うけど)、少女マンガを一杯持っていて、自分ともう一人の同級生は、その首相の息子から少女マンガをよく貸してもらっていた。それでずいぶん勉強させてもらった。そういった経験がなければ自分はいまだに少女マンガを読むような機会も無かっただろう。それは良い経験だった。ひょっとしたらどこかの女性演出家の方も、自分をどこかの会場で見かけて随分風変わりな男だな、と思ったかもしれないが、ある種進学校におけるザビエルの感化と言うことだ。

    …それはともかくとして、その同級生の父親が首相の時に見た景色は大して良いものではなかったらしい。それは父親が原因というよりは周りの人間によるものだったようだ。つまりは今まで真面目だった人間も権力の近くに行くと頭がおかしくなるというようなものだったように思う。父親も政治家の息子だったため、権力には慣れていたので普通だったようだったが、それが余計に周囲の様子を浮かび上がらせていたのだと思う。

    それは自分もこの年になってよくわかる。権力が近くにあるとなぜか人は発狂する。全てではないが。そして周りには容易には分からない。自分は舞台を観ているせいなのかわりとすぐに様子のおかしいのに分かるが、周りはおかしいのにすら気づかない(だがやがてとんでもない事態になっているのに気づく、そういうのはまさに恐怖)。…DJと同じで凡人が人を熱狂させる快楽に近づくと、熱狂させる権力が手の届く自分のものとなったように錯覚するのだと思う。そして詐欺師になる。戦争とはそうしたものだ。たとえば目の前で何千万人も踊らせるDJがいたとして、破滅のレコードを渡してもまだ掛け続けても誰も気づかず何千万人もが踊り続けるならば…。

    戦争の詐欺師とは、たいてい爽やかで子沢山で奥さんを愛していて、友達も多い…しかも公務員で、真面目そうで絶対嘘なんかつかなそうな…詐欺師。その友達みんな詐欺師で役者。直上のてっぺんの権力者を軽く騙すが、特に誰も悪びれない。詐欺師の首謀者は別の権力者で、若い首相を操る老練の政治家というのがそれに当たる。

    …たとえば新米首相になって最初に目の前に出された公文書が全てデタラメだとして、そのことに異を唱えられる人間が何人いるだろうか?敗戦時にはドサクサで詐欺師の公文書は全て破棄され、誰かのせいにされる。この国は神の国なので爆勝ち中と言っていたのに、ある日突然新型爆弾が落ちて首相官邸と周囲10キロは灰になったが、その偽の報告書を作成した側近たちは金塊を持って敵国に逃亡、戦争は全て首相が発狂したせいにして、誰も怖くて逆らえなかったという、そんなオチが普通なのが現実のような気もする…。

    自国民を何千万人盾にして犠牲にしても、アメリカより先に原爆の開発に到達すれば逆転できる。絶対に夢物語にしか見えなくても、戦争に負けたらさんざん自国民を騙してきた人間たちはそう信じざるを得ない。秩序を守るため、トップのトップは護られるが、その下の普通のトップたちはトップのトップを騙した者たちとして断罪される。実際ほぼそんなもんだ。戦争とはそういったものだと思う。そういう意味では少し物足りない。

    と、物足りない部分が長くなったのでアレだけど、でもやっぱり見ていて心地が良い、というのはタニノ氏も言うところで自分もそうだった。ちょうど中高生にやってもらいたい感じの舞台になってるな、とも思った。上記の政治系な部分、リアリティのありそうな部分がうまく抜けているからだ。

    それはたぶん作家の意図したところだろう。

    言語や、国家の固有名など抜いて、文学的な作品として座標を詩的に表現するところにフォーカスしている。これはとてもうまいと思う。抜けている部分は演じながら、想像力で補えば良い。そうしないと、座標も国家も組織も、想像力の範囲内に入ってこない。

    SFジュブナイル的な感覚の文学的な演劇作品としてうまくまとまっている。ただ、ラストが少し短い気がする。もっと長く余韻を楽しんでもよかったのに。

    強大ではないが喧嘩っ早いエス国の元首になった男の子は、降伏をしない。どうもベルサイユ条約のような形の降伏ではなく、ナチスドイツの敗戦時のような完全な瓦解を目指している、というようなものだった。

    なぜそうするのかはよくわからない。描かれない。よく描かれていなかったが、エス国の独裁体制を終わらせるにはそれしかないと思っているようだった。

    豊かで強大なエー国からきた怪しい黒服も良い。詐欺師のような、世界平和の意思のような、不思議なニュアンスでいて。

    あの役柄を見た時は冷戦期のイタリア首相の誘拐暗殺事件を思い出した。

    冷戦下で東西融和を目指したイタリアの首相は誘拐されて暗殺された。実行犯の共産系テロリストを手助けしたらしい軍関係者が内部にいたようで、目撃情報もいくつか妄想として決めつけられもみ消され、事件解決が遅れている間に東西融和を目指した首相は殺された。恐ろしい事件だった。そのころの冷戦下で、世界平和を目指すということは命がけだったのだ。意思を決定した時点で暗殺されかねないリスクがあった。そう言う意味でとてもうまい。

    ピー国はアイルランドのような、琉球国のような、よくわからない立ち位置になっている。阿片が蔓延した前世紀初頭の中国のようでもある。選挙で選ばれた首相は、国民を愛国心で高揚させることに成功した。そして、五万人の犠牲によってどうやら国際世論を味方につけ、大国エー国を出動させることに成功したようだった。

    ここらへんのお金(はっきりとは描かれていないが)の感じの話から、なんだかEUっぽい話が混じってくる。

    なんかイメージ的にはスペインイタリアギリシャみたいなお金のない国が貧しいままでは域内の均衡が保たれず仲が悪くなるから、北の寒いドイツとかそんなところから国力を削ぎ取って貧しい国に分け与えれば競争や紛争も生まれない的な。得をするのはギリシャみたいなお金を貰ったりするだけのピー国…であってるかな?

    みんな同じ国力で豊かになっても再分配されるからあんまり競争もない。競争はエー国内にすべて任せろってことかな…。

    考えてみれば、戦争なんかなくても、古くて素敵なものたちは、経済発展でみんな消えるよ。

    東京に数十年前の古くて素敵なものがいくつ残ってるだろうか?

    少なくとも大阪ほどじゃない。

    戦争と経済発展は似ているよ。古くて素敵なものをみんな消すから。経済発展をあきらめてあとは平和があれば、古いものは残る。たぶん経済発展爆進中のエー国は戦争なんかなくても、古くても素敵なものは国内からほぼ消える。他の国は平等に貧しいから古いものをてくてく直して残していく。天才たちはすべてエー国に流出する。彼らは科学を発展させ、エー国が君臨する未来を確約する。

    そういえばこの舞台を観る前にトーハクの大奥展に行ったのを思い出した。鎖国しながらも、大奥に閉じ込められた女性たちのために、刺繍とかいろんな手仕事のものをぎっしりと詰め込んで…大奥と言っても大名たちの親族を人質代わりに出していたのかもしれないが、その贈り物のなかにたぶん人の温もりと、外の世界の美をパッケージしてデリバリーするために、そうした美しい手仕事はあったんじゃないかな?とても豊かだな、とも思った。少し悲しいが。憧れではないかな。たぶん。隣の清国のような金銀財宝はなかったかもしれないが、とてつもない樹木を使った天守閣もあり、平和を謳っているような江戸の文化だった。正直、豊臣秀吉がうっかり間違って中国侵略成功しなくて良かったんじゃないかとも思う。これも結果論で、もし仮に明国に勝ってもあとですぐに清国に負けてしまって何もかも取られていたのかもしれない。結局は日本で鎖国していたから、明国の学者が日本に亡命してきて江戸時代の学問の隆盛を支えた感が自分にはある。爆勝ちしなくとも、平和を守り手仕事や学問を愛せば、世界屈指の文化を築いたいい見本が江戸時代だったと思う。だから国というアイデンティティはそれほど必要ではなく、平和さえあれば、座標からにじみ出てくる香りが、平和な庶民のただ中から文化として湧き出てくる。そういったメッセージがあるのではないかとも思う。メッセージとかというと政治的な雰囲気にもなってしまうが、そういった願いというのか。

    登場人物が真っ直ぐだから見やすい。割と何度も見て、描かれなかった部分をみんなで想像力で補って語り合えるいい舞台だと思う。色がついていない分だけ余計に。政治的に国内が分裂していると、こういう描き方が演劇では正確なのだとも思う。

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    2025/09/13 21:31

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