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vol.41 「廃墟」、vol.42 「そぞろの民」

vol.41 「廃墟」、vol.42 「そぞろの民」

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2025/07/25 (金) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「廃墟」を観劇。Corichページを開き、改めてTRASH観劇歴を振り返ってみると・・題名で内容を思い出せる作品が少ないのでレビューなど眺めて「あーあの作品か」と合点。一作ずつ辿ったがほぼ観ている。初回が「狂おしき怠惰」これは「背水の孤島」が話題になったのでその次作を観たというヤツで。従ってTRASH歴13年になった。
以後観ていた中で一度、開演時間を一時間取り違えて駅前劇場を訪れ、しょんぼりと帰宅した事があったがそれが「そぞろの民」(レビューを書いていないので)。だがこの作品の記憶があったのは雑誌に戯曲が載ったのを読んだからだった(それを元に脳内で舞台イメージを作っていた訳である)。
と、今気付いたのでもう観劇には間に合わない。残念・・

というわけで「廃墟」の感想を。
新作ばかりを観てきた自分としては異例の公演に欣喜雀躍であったが、あの一晩中侃々諤々やる三好戯曲をTRASHがやると、TRASH的議論劇になるのかも・・?と一抹の不安ありであった(自分としては敗戦直後の物的に逼迫したリアリティをしっかり表現してほしい思いがあった)。だが結果は、中津留氏は基本リアリズムの演劇人であったのだな、という感想。以前文化座・東演の合同公演で観た衝撃の三好十郎世界の発見の体験に、十分拮抗した、また清新な切り口もある「廃墟」であった。
難点を先に書いておくと・・・リアリズムという点からするとキャラクターと配役の合致は望みたい。長男役の長谷川景は肺病を病んでなお「理想」に己の人生を賭けようとする造形としては、やや病弱イメージが薄い(台詞には「こんなに痩せちゃって」等とある。それでも会話は成立し、大過ありという訳ではない)。叔父役が少々リアリティに欠いた。お調子者の要素を強めに出していたが、南米に渡って一時は鳴らしていた事もある世慣れた人物像、それなりに一家言あるが殊更に(周囲の者のように)大声で主張しないだけ。熱くなりすぎず達観した所から物を言う。ある意味この劇を進める緩和剤的な位置であるが、今回の舞台では「おいおい」とツッコまれちゃう非常識側の色が強く出ていてそぐわなかった。また衣裳もセーターの色が合わず、わざとそうしたのかもだがもう少し別なチョイスがあったと思う。川崎初夏演じる居候(母代わり)「せい」は真心が表に出すぎ(役者として秀でているという事ではあるのだろうが)、女の弱さが不可抗力的に真面目な男(ここでは長男)を翻弄する「無意識の狡さ」があれば満点なのだが、という所。
浮浪者については、後半出て来て何をするでもない役だが、精神を病んだ「戦争の犠牲者」を想起させる役どころで、その描写は、本人は口がきけないだけに、彼をいじる側の演技次第という面がある。その点では次男を演じた倉貫氏の特攻帰りのアプレゲールの持つ狂気「押し出す」演技としては文句の付けようもない印象なのであるが、「見栄張り」と脆さをもう少し自然な演技の中に偲ばせる人物造形により、彼の「自然さ」を鏡として浮浪者の異常さを観客に認識させるのが、方法ではなかったか、と思う所。
顔に火傷を負った次女と、父役には満点を付けたい。

本作は「議論」としての凄みのある一方、物質的豊かさが「政治の季節(熱い季節)」を終焉させ「高度成長期」をもたらした事が象徴するように、劇中の彼らはひもじさをも「糧」として敗北からの未来を見通すための話をしている風景としても、見える。勿論、その前年まで「戦争」という激烈な状況を味わい、悲痛にあえいだ記憶が何より彼らを「その事をどう処するのか」の思考へと突き動かしているのだが、このような議論をした家族は無かっただろう。飢えをどうしのぐか、どう我慢して夜を明かすか・・そんな状態で普通議論はしない。ただしこの作品の彼らは仮にも歴史を教える大学教授の息子・娘らであり、そのような家風であった事は無理筋ではない、が、それでも行きがかり上あのような会話が生まれ、議論に発展し得るという事は奇跡に近いのであり、戦争を直に体験した三好十郎という一人の作家による架空も良い所のフィクションなのである。
にも関わらず、そこには真実があり、人間の感情があり切実な思いがある事は否めない。「戦争」というものをあの時点で三好は「憎んでもいない人たちの事を殺し」と人物に言わせ、「二千万人もの仲間を殺した」とする。このとき三好十郎は、新たに敷かれた国境(それまでは植民地・満州そして開戦後の占領地はニアリーイコール日本だった)の内と外を切り分けて人間を捉えず、「人間にとって」必要なこと目指すべきことについて考え、台詞に殴り書くように書いたのではないか。今考えるべき全てを洗い出し、ある生き方を全力で貫こうとする人物を通して議論させた。それをやらずに先へは進めなかった、のだろう。裏を返せば、恐らく「過去は忘れるべきもの」とばかり新時代を要領よく生きる人間たちが溢れていた故に、彼らを横目で見ながら、危惧を抱くと同時に彼らの分まで考え抜こうとした。

そして作者が戯曲に刻んだ言葉・・父の立場、長男の立場、次男そして次女それぞれの立場から吐かれる言葉は、彼らがその存在を賭して提示した思考をなおざりにし、遠い過去である事を良いことに都合の悪い事実を伏せて責任放棄を決め込んだ現在の日本及び日本人を、鋭く突く。意図せざる皮肉である。

ネタバレBOX

興味深い対立図式が、次男の虚無的世界観と、長男の理想主義的・進歩主義的世界観。
そして長男の立場と、父の民族的な反省(責任の自覚)に立った態度との対立だ。
長男の立場が拠って立つビジョンとして、当時共産主義が存在した。
彼は戦中投獄され、己の進歩主義的立場が如何に中途半端であったかを痛感させられた、と語る。「やつら」と、長男は言う。やつらは喧伝により、また暴力により「一つの正しさ」を国民に強制した。だが、それはやつら(資本家)が己の利益と野望のために全国民を「利用する」所行であったのであり、もう二度と私たちは彼らに騙され、利用される者であってはならない。敵は明白であり、今市ヶ谷で(極東軍事裁判で)裁かれている戦犯はその代表だ、とする。
これに対し、父は「私は日本人を信じている」と言い、日本人がこの結果を直視し、そこに至った責任と一人一人が向き合い、改めて行くこと、その先に未来があるのであり、きっと日本人はそれを乗り越え、あるべき未来を手にするに違いないと信じている・・と長男に迫る。
長男はそうした父の民族主義的な考え方、即ち責任を全体に均し、還元する考え方が本当の悪を甘やかすのだと言う。そのような論理は彼らに都合良く利用されるだけで、何の前進ももたらさない。何が悪で誰が敵かを直視し、悪を駆逐することに国民は手を携え、団結すべきなのである・・と。
唾棄するように父に言い募る長男や、冷笑で迫る次男に、心臓を病む父を心配する次女は幾度となく「もう止めて!」と厳しく論難する。大事なのはもっと素朴で、単純なことだ。近くにいる人間を思い合うこと。私たちが過ったのはそれが足りなかったからだ・・。
一方、闇市で喧嘩に明け暮れる次男は、相手も自分も傷つけて怯まない、ある達観を手にしており、怖れられている。そしてこの家族の集まりの場でもその狂気を爆発させる瞬間がある。その瞬間に彼の負った「傷」が僅かに垣間見られるのだが、長男は彼を「可哀想だ」と言い、お前も心のどこかで自分が被った理不尽さへの怒りを持ち、もっと良くならなきゃならないと思っているはずだ、と言う。その語りの間、次男は泣いているが、一瞬のうちに反転し、バカにするな、と咆える。そしてナイフを取り出す。
前半彼はニヒリズムを体現する者としての構えを崩さず、長男と彼が恋慕するせいの関係を冷やかし、長男は不実な思いはなく真剣に考えているのだからそんな風に笑うな、と怒るも意に介せず「好きならくっつけばいい」と人間=動物説を通す。特攻帰りの典型の行動を辿る次男が、戦争前は学問優秀で正義感に熱い人間だったのに・・と父も妹も彼に生き方を改めるよう説くが、次男は軽くいなし、長男の真心からの語りかけにも頑として拒絶を示す。・・のだが、その頑なさと、正義感の強い人間だったという証言とを考え合わせて浮かび上がる人間像が、切ない。

今台詞を聞いてドキッとさせられるのは、長男が説く共産主義の理想だ。
もっとも共産主義、と名は付いても、(マルクスの「資本論」を学んだのでない限り)それは平等主義や「悪は明白」という発想から問題解決を探る素朴な考え方、という程度のものであり、資本家(企業)は都合よく労働者を使おうとするからそれに対抗するため労働者同士団結しよう(労働法が整備されたので労基法の遵守を求め、団体交渉権を活用しよう)という事であったろう。(もちろん変革=実力行使という発想は直前まで戦争があり事態が流動的であった戦後間もなくの時期にはあったのであり、敗戦を認めず蜂起した軍人や勢力地図の変った地域での内紛、混乱が普通にあった時代である。)
だがそこから、「労働者が統べる平等な社会」という理想が思い描かれる。実はこのビジョンに具体性は乏しく、実際に革命を起こしたソ連や、戦後共産党が勝利した中国も、独自の政体を作る。ソ連では専制と腐敗が横行する仕組みで多くが苦しんだ訳であるし、中国は建国後しばらくは人治体制が理想社会への信奉や指導者への敬意が媒介してうまく機能したように見えるが、周恩来から毛沢東、寛容から規律重視へと傾くと「人治」に限界が訪れ、管理強化へと向ったと思われる。
長男の言う勤労者が統治する社会、とはプロレタリア独裁という言葉に象徴されるように「あり得ない」夢物語だ。「全人民が独裁」とはこれ如何に、である。一億人が盆の上に乗り、それをごく少数の資本家が支えている図(インドの絵画か何かにありそうな)は、単に一部による独裁により多くの犠牲を生んだ過去に対する「意趣返し」を絵にした餅であって、四民平等をその先へと進め、所有そのものを認めないといった発想も、現実にはあり得ない。(所有されない物が誰によって管理されるかが問題になり、それは所有とほぼ同義となり、政治は代表によって行なわれ、その権限において決定される仕組みを作らざるを得ないのだから。)
この「あり得無さ」は、過去人類が苦しんだ経緯から発想された一つのモデル、くらいに捉え(憲法の非戦の規定も同じと言える)、その理想に近づけるべく努力をしようという「努力目標」にとどめるのが良識なのだが、長男がそうだというのではなく、最も進歩的な思想(モード)のその先端に自分は位置し、指導的立場になるのだ、という一種の野望の対象として、そうした「主義」というものを使おうという人間は必ず現れる。連合赤軍事件の「指導者」らのいびつなあり方はどこに発したか・・。特に「下からの体制変革はあり得ない」日本では運動は閉塞し、内向し歪んで行く。造反有理と、若者の希望を一部でも聞こうとする政治家がいない、という構図も遠因ではあると思うが、かくして日本の「運動」は厳しい境地に追いやられる。
その暗い未来を暗示させるワードを希望に満ちた顔で語る長男の姿は、かつて北朝鮮への帰還運動を地上の楽園への憧憬をもって進めた楽観に重なる。切ない。
彼に対して父は、敵味方の二分法の危うさを直感してなのか、どんな悪政もそれを支える人民がいなければ成り立たなかった、私たちが過去の過ちに再び陥らないためには、民族として高めて行くしかないのだと訴える。善悪二元論を推し進めれば、悪の側に付く者の存在を否定する態度に行き着く、とも父は言うのだが、このような台詞が果してあったか・・私はこんな現代に重なるピッタリの台詞は以前観た時には気付かなかった。(原本を確認したいが、私はここは中津留氏の書き換えではないか、と疑っている。)長男の言う、父のような責任を分散させる論理は「あくどい連中に利用される」だけ、との説は、確かに妥当にも思うが、丁寧な議論をするなら「どう利用されるのか」が明示される必要があるし、「利用されることなく日本人の多くが国民としての責任において過去との決別をしていく」可能性を否定する事はできない。が、この父のビジョン(三島由紀夫を思わせる)も長男のそれと同様、その後の歴史によって否定されてしまうのだが、今の私たちの感覚では鶏が先か卵が先かの議論で言えばやはり父の主張が先にあって然るべきだな、となる。その事をしばしば口にしている一人、社会学者・宮台真司は悲観論を語りつつ加速主義によりいつか(痛い目にあう事で)より良い選択を見分ける民族になる、と父の言に通じる言葉を吐いている。
しかしこの戯曲で父も、長男も次男も、そして素朴に過ぎる次女も言語の力が拮抗し、最後までたゆむ事がない。三好氏自身の脳内ディベートが再現されたかのよう。
寺山修司生誕90年記念認定事業「盲人書簡◉上海篇」

寺山修司生誕90年記念認定事業「盲人書簡◉上海篇」

PSYCHOSIS

ザムザ阿佐谷(東京都)

2025/07/24 (木) ~ 2025/07/30 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

PSYCHOSISの前に観た舞台は高取氏の作品で独自の文体を演出を駆使して飲み込み易く舞台化してくれた印象があった。アングラ劇世界の現代的上演という特色で集客を得、精力的に活動を展開(頻度も高い)と思しいが、さて今作。寺山作「盲人書簡」は初めてであったが、数組ある「登場人物/場面」が、順繰りに暗転を挟んで現れるが、組が多くて相互の関連がいまいち分からなかった。関連自体があるのかも・・
その意味では、各場面の人物(ら)によって具現される存在(人物)群と、その象徴となる言葉と、それらの素材を通して寺山氏が透徹する人間というものの本質・姿を想起する劇・・・とはなっていた。少年愛の嗜癖に溺れる明智小五郎と、彼に利用されまた捨てられる盲目の小林少年、暗躍する黒集団、不在の母へのマザコン魂がある娼婦と出会いで妙な発展を遂げる少年、部屋にこもる少女・・特徴的な人物/場面が衣裳、歌、踊り、ギミックと飽きさせない趣向で繋いでいたものの、物語叙述の面では(恐らく題材によるのだろう)追えなさがあり、やはり観客は物語を追いたくなる。原作を知る人には、どう見えたか分からないが。
今回も深海洋燈が美術を担当、音楽もレベルが高く、PSYCHOSIS初期(つっても何年か前)に比して全体に力量が上がったと感じさせる(人が入れ替ったのか人が変ったのかは不明だが)。ただ作品世界の精神を伝える目的に技術が先行する勿れ。
次作を楽しみに待とう。

記憶の欠片達

記憶の欠片達

株式会社GROW

シアター・アルファ東京(東京都)

2025/07/30 (水) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

盛り込みすぎた感じがします。

ネタバレBOX

ヘソは認知症のことなんだろうけど。
色々な問題があってぼやけてしまった感じがしました。

ラストのダンス、とても良かったです。
こういうシーンをもっと見たかったなあ。
りすん 2025 edition

りすん 2025 edition

ナビロフト

AI・HALL(兵庫県)

2025/08/02 (土) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/02 (土) 18:30

現実と意識の中の世界を行き来する演出とプロジェクトを使った光の幻影、会話の繰り返しは天野天街の世界、また夕沈のダンス、嬉しさと懐かしさを感じ、また原作のシリアスな物語が上手く噛み合いいい芝居でした。

ネタバレBOX

骨髄癌で長期入院中の少女と兄弟同然に育った青年との病室での会話、二人のやりとりが同じ病室の女性患者によって盗聴され物語が書かれていた。二人はその物語に取り込まれ死へと追い込まれていくが、少女の生きたい気持ちがダンスになり物語から抜け出し、少女は「出られた」と叫び喜ぶ。物語からの脱出は病室からの脱出(退院)か。

水星とレトログラード

水星とレトログラード

劇団道学先生

ザ・スズナリ(東京都)

2025/08/02 (土) ~ 2025/08/11 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/02 (土) 14:00

とても面白い家族劇でした。
「水星」を聴いてから観劇したので、より楽しかった。
観劇後の心地よさが素敵。

しっくハックじゃーにー

しっくハックじゃーにー

NICO×frogs produce #関西の役者が踊ってみた

in→dependent theatre 2nd(大阪府)

2025/07/31 (木) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

今回も最高でした☆ずっと笑顔で見てられる楽しさ満載の舞台で演者の皆さんも本当に楽しそうで笑顔と元気のお裾分けを頂いた気分です\(^o^)/
アフターイベントも面白過ぎてずーっと笑ってました♪主催植松ゆきさんの人柄の素晴らしさが劇場の隅々まで行き届いてて会場全ての空間が幸せで満ち溢れてました☆

記憶の欠片達

記憶の欠片達

株式会社GROW

シアター・アルファ東京(東京都)

2025/07/30 (水) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

とてもいいお話でした。若年性認知症になってしまったお母さんを中心にした介護をテーマにした家族愛のお話ですが、娘の成長、想像と違ったお父さんなどの要素を入れながら、医療や介護スタッフの様々な心情なども加えて、とても良くできた内容でした。また、身近なテーマとして深く考えさえられました。演者の皆さんの気合の入ったお芝居、所々入る歌、最後のお祭りをイメージした楽しい踊り、映像を交えた演出、とてもよかったです。大林素子さんの小ネタも笑わせていただきました。登場人物のすべてが清々しく、感情移入ができてあっという間の2時間でした。

朗読劇『少年口伝隊一九四五』

朗読劇『少年口伝隊一九四五』

新国立劇場演劇研修所

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2025/07/31 (木) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

クラシック・ギタリスト宮下祥子(さちこ)さんによるフラメンコ奏法、実はこれが主役。背面のスクリーンに光や文字が投影され効果を上げる。
舞台中央前に挿絵をジオラマ化したような巨大な広島市の地図が置かれている。物語の舞台となる比治山は標高71.1mの小高い丘。爆心地から約1.8km南東にあり、爆風を遮った為、比治山の東側は比較的生き延びた人が多かった。時折、その地図の上に砂を振り掛ける役者達。雨を表現。サーッという音。

原爆投下による地獄絵図。蛆虫と蝿が地上の盟主。その中で必死に生き続ける者達。この生への執念にこそ人間の凄まじさがある。
広島文理科大学の哲学教授、通称哲学じいたん(﨑山新大〈しんた〉氏)。
「狂うてはいけん。正気でいなきゃいけん!」狂った世の中があったことを後の人に伝えなくちゃいけない。

どんな状況になっても生き物は飯を食い水を飲み排泄し怒り泣き笑う。眠り目を覚まし思い巡らせ考える。

本社が全焼した中國新聞社、輪転機も紙もなく、緊急の情報伝達手段としてメガホン片手に「声の新聞」、口伝隊(くでんたい)を編成。花江(向井里穂子さん)は旧知の仲だった国民小学校6年の三人に協力を依頼。焼跡を走り回り情報に飢えた被災者達に出来得る限り今の情報を伝え続ける。

一度は味わうべき作品。

ネタバレBOX

枕崎台風は『この世界の片隅に』の長尺版、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』に追加されたシーンを観て覚えていた。だがここまでのものとは···。「昭和の三大台風」とされる超大型台風が9月17日の夜、広島市を襲う。まさに『ゴジラ-1.0』。原爆で一面焼け野原になった地は湖の底へと沈んだ。

肩を叩かせる正夫の祖母(野仲咲智花さん)。
一人、体操服の英彦の妹(田村良葉〈かずは〉さん)。
正夫(和田壮礼〈たけのり〉氏)は原爆症で死ぬ。手榴弾で米兵に復讐を考える勝利(森唯人氏)は台風の中、小屋で溺れ死ぬ。英彦(菊川斗希氏)は哲学じいたんに叱咤を受けて生きる。石碑に刻まれた享年。やはり死因は原爆症。
帰り、小学生くらいの男の子が椅子から立ち上がれない程号泣していた。

当り前のように人々が死んでいく中、それでも生き抜く人間の物語。ジェームズ・キャメロンは現在製作中の原爆映画についてこう語る。「人間という存在が究極的な生死をかけた状況の中、自分よりも他者を大切にしていた事実」。瞬間的に身体を焼かれながら、それでも他の人を一人でも多く助けようとしていたこと。人間の根源には優しさがある。その優しさを信じて絶望の中から生きてゆけ。

もっと長尺で観てみたい。これこそ映画化すべき。
記憶の欠片達

記憶の欠片達

株式会社GROW

シアター・アルファ東京(東京都)

2025/07/30 (水) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

チームスペードを観劇しました。とても良かったです!
家族が病気になってしまったら、本人の気持ちは?その家族はどうするか?
他人事ではないストーリーに、色々と考えさせられました。
実際の所は、もっと壮絶だろうと思いましたが、優しさにあふれた舞台で、心が温まりました。
ラストの元気の出る演出も良かったです。良い舞台でした!

水星とレトログラード

水星とレトログラード

劇団道学先生

ザ・スズナリ(東京都)

2025/08/02 (土) ~ 2025/08/11 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/02 (土) 14:00

座席1階

劇団道学先生が、保坂萌という気鋭の劇作家の作品を選んだ。主宰の青山勝の目は確かだ。きわめて緻密に組み立てられた戯曲であり、母親の介護問題や配偶者に先立たれた女性の生き方、そして微妙な親子・兄弟関係という社会性をまぶした秀逸な作品。ラップを出演者全員に歌わせるなどの演出、昭和の居間・台所を中心に据えて両サイドから階段で登る踊り場のようなスペースを設けた舞台美術もいい。そして何よりも、道学先生を支える俳優・かんのひとみの演技が実に素晴らしい。涙あり、笑いあり。今回の道学先生の舞台も見逃せない。見ないと損するかも。

タイトルのレトログラードとは、腕時計などで使われている針の反復運動を指す。主人公の祖母(かんのひとみ)の言動に、「ついに認知症になってしまった」と思い込む息子や娘たち。しかし、祖母が言うにはレトログラードのようにタイムリープをしている、つまり水曜日を起点として1週間を何度も繰り返しているという。舞台は、亡き夫の一周忌を控えた1週間の設定で、本当にタイムリープしているのか、直前のことを忘れてしまっている認知症ではないのか、という思いをひきずって最後に驚天動地の答え合わせがなされる。
祖母の息子は妻に食わせてもらっているぐうたらぶりで、一人娘にも愛想をつかされ離婚を突き付けられている。祖母の娘は共働きで、認知症の疑いが出た母の面倒を押し付けられるのではと予防線を張っている。そうした家族の問題から「跳躍」したような部分で祖母のタイムリープが続いている。なぜ、そうなっているのか。誰かが仕組んでいるのか。こうしたなぞ解きのなかで、秀逸だったのはこの家などに営業にきている「ヤクルトおばさん」の存在だ。笑いを誘うせりふとやり取りを満載した、舞台から目を離せない会話劇が進行する。

道学先生は家族の悲喜こもごもを描いたら右に出るものはいない(と思われる)中島淳彦作品をやるために結成された劇団だ。今回は中島作品ではないが、タイムリープという斬新な切り口で家族の群像劇を構成した力作だ。道学先生は中島作品だけではないぞ、とファンの一人として肝に銘じたい。

しっくハックじゃーにー

しっくハックじゃーにー

NICO×frogs produce #関西の役者が踊ってみた

in→dependent theatre 2nd(大阪府)

2025/07/31 (木) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

遅くなりましたが感想です。初日拝見しました。とても面白かったです。ダンスも楽しく、全編前向きで過去のことも今から取り返せる、そんな前向きなお話でしたね。悲しい出来事もありますが、臆病にならずに一歩踏み出すことの勇気、大切さを再認識です。楽しい時間ありがとうございました。良かったです❗

暗いのでブロッコリーなのかカリフラワーなのか分からない

暗いのでブロッコリーなのかカリフラワーなのか分からない

ドアとドアノブとドアノブカヴァー

OFF OFFシアター(東京都)

2025/08/01 (金) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

(笑えた度)4(今感)3(完成度)4

ワンアイディアナンセンス演劇。

ネタバレBOX

カリフラワーがブロッコリーに見える、という破壊的ワンアイディアを1分間程度観せるために、残り89分程度かもう少しの時間、演劇をやっている風で取り繕うという確信犯的所業(笑)。    

褒めてます。

演劇風部分は、ナンセンスの系譜で、ゲラゲラ笑えるものではなくニヤッとする読後感。笑いの素を置くだけで拾いに行かないのがコメディ作劇と異なる点。

アウトバーンを進む速度が時速30キロ程度まで落ちているので、
暑すぎる夏ですっかり溶けてしまった脳に優しく、まったりと楽しめる。
通好み。

常連さんばかりだと思うが、みんなニヤニヤしていたので、
そういうことなんだろうなあと。
それにしても、こういうの慣れていない人が見たら、どうなのか、
下ネタもやってるし、と不安になるくらいだが、
置いてきぼり余裕な感じが、20度にガンガン冷やした客席温度と相まって盛夏に涼風を感じて清々しい。

ところで、タイトルには堂々と書いてあるし、でも、どう攻めてくるかが楽しみではあったのだが、蓋を開けてみればかなりベタ。
しかしそのベタさをグダグダ芝居の中に置いてきたので、逆にかなり強烈なインパクトになっていたように思うが、個人的には半分以上読めていたので、別のタイトルだったらどういう印象になっていたかとか考えるのが楽しい。

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2025/08/02 (土) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

何でもありのエンターテイメントが良かったです。

記憶の欠片達

記憶の欠片達

株式会社GROW

シアター・アルファ東京(東京都)

2025/07/30 (水) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

何でもありのエンターテイメントが良かったです。

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2025/08/02 (土) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

圧巻でした。正直、あそこまですごいステージだとは思っていませんでした。ダンスメインのミュージカルですが、ほんとすばらしかったです。演出も音響も完璧です。こくみん共済 coop ホールにははじめて入りましたが、まさかあそこまで音響がいいとは思っていませんでした。不思議の国のアリスをあらためて勉強し直して観劇したこともありますが、内容もよくわかり大満足です。アリスの涙でみんなが溺れるシーンで「ああ、そういう演出もあるか!」と思いました。小さな子どもたちもたくさんいましたがきっといい刺激になっているかと思います。最高の時間をありがとうございます。蛇足ですが、ドラマーの方のグルーヴ感も最高でした^^ スネアの音がめっちゃいい音していました。

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2025/08/02 (土) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/02 (土) 13:00

ダンスもストーリーも楽しめ、面白いです!

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』

CAT-A-TAC

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2025/08/02 (土) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ストーリーテラーが入るが、基本は無声ダンス劇で、説明文に「ダンス × 身体表現 × 音楽 × ユーモア全開!」とあった通りの仕上がり。特に序盤の展開なんて素晴らしかった。

おーい、 救けてくれ!

おーい、 救けてくれ!

鈴木製作所

雑遊(東京都)

2025/07/30 (水) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

嘗ては女子大演劇のリーダーとしてならした鈴木裕美も小劇場劇団の自転車キンクリートで腕を上げ、いまや商業演劇の新橋演舞場、客の来る小劇場系公演も幅広くこなしている。芝居をまとめてどこか賑やか、どこか女学生らしい純情さ、一方で実は徹夜も辞さない大酒豪という噂も伝わってきて、女性の年齢を忖度するのは失礼だから止めるがそろそろ還暦だろう。その鈴木裕美が、若い俳優入り口の人を集めて一月ワークショップを開いてその結果を見せるというので見にいった。
テキストはサローヤンで、一頃、鈴木はアメリカ演劇のテレンス・ラティガンのような地味だが受けのいい作家の作品をしきりにやっていた。日本の同年代作家では、マキノノゾミとか。分る演劇を照れないでたやり続けたところがいい。
一方ではこういう新人育成のようなこともやっているんだと、見直すところもあった。ワークショップは徹底的に実践派で、型を教えているわけではないようで、解釈とそんれを体で相手を見ながらどう表現していくか、ということをやったようで現代演劇の基礎訓練だったようだ。嘗ての演出家先生の訳の分らぬ事w謹聴、拝聴するだけの訓練よりはよほど役に立ちそうだったが、新人の感性を引き出すには、演出の方も、よほどの経験と口先の旨さがなければ務まらずそろそろ還暦だろう。あつての蜷川のように、出来るまでやらせるというような演出はこれからは難しくなりそうだ。

ネタバレBOX

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vol.41 「廃墟」、vol.42 「そぞろの民」

vol.41 「廃墟」、vol.42 「そぞろの民」

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2025/07/25 (金) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/01 (金) 19:00

『廃墟』を観た。これもまた、ひたすら重いが、戦後の混乱期の感触がしっかり伝わる。(3分押し)95分(10分休み)65分。
 中津留の戯曲を上演して来た同劇団が初めて三好十郎の戯曲に取り組む。戦後1年頃に書かれた作品だそうだが、敗戦後の過程を舞台に、歴史学者の大学教授と「共産主義者」として投獄された長男・元特攻隊員の次男を軸に、家族や周辺の人々が激しく口論する。戦後の混乱期に、さまざまな立場の人間が戦争の責任を問う、というのは分かるのだが、浮浪者の役割がぼんやりとしか分からなかった。
 2作に出ている役者は少なくないが、どちらでもほぼ前編に出ている川崎初夏が只者ではないと思った。

vol.41 「廃墟」、vol.42 「そぞろの民」

vol.41 「廃墟」、vol.42 「そぞろの民」

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2025/07/25 (金) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/01 (金) 14:00

『そぞろの民』を観た。とにかく重い作品だが、しっかり観て良い物を観たと思う。(4分押し)119分。
 2015年初演の戯曲を改訂しての上演で、初演も観ている。初演は傑作だと思ったが、本作もやはりとてもいい。政治学の元大学教授が、安保法制の成立を機に自殺し、その通夜の物語。長男(外交官)・次男(ジャーナリスト)・三男(失業中のAIエンジニア)と周辺の人々が、自殺の原因と責任を激しく語り合う。重いシーンの連続なので、3兄弟の再従兄弟が登場するシーンで少し笑いが起こるが、重さを味わう作品だと思う。初演では気づかなかったタイトルの意味が重い。初演は川崎初夏の代表作と思ったが、本作でも中盤からの川崎の活躍がいい。
 負傷の寺中寿之に変わって作・演出の中津留が舞台に立ったが、同劇団を22年観てる私にして記憶にない出来事。

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