満足度★★★
雰囲気が大衆演劇のような感じでした。
初めての団体さんだったので、ちょっと色々と衝撃。
マネキンのような演出の場面が印象に残ってます。
満足度★★★★
あの短い作品から、こんな骨太の長編を創り上げられるだなんて。
普段テレビ画面や映画館で観ている役者さんの生の演技を観られて感激でした。
ものすごく当たり前のことですが、映像で素晴らしい演技をされる役者さんは、生の舞台でも素晴らしかったです。
中井貴一さんの歌声が忘れられない。
満足度★★★★★
遠方からでしたので、配信で観させて頂きました。
観終わった後、魂を吸い取られたかのような心地に。
劇場で観てたら、しばらく立ち上がれなかったかもしれません。
冒頭と終幕で視点が変わるような、入り口と出口が違うような、観ていたものが徐々に、あるいはガラリと、正体を現す。
なんとも奥深い、心が交錯する舞台でした。
素晴らしかった。
満足度★★★★★
ボケとツッコミのキャッチボールが抜群。
最高の間の良さでリズムが良く、隙間なくどこまでも笑いに貪欲。
3人ともにモンスターでした。笑い疲れました。
満足度★★★★
京都劇場という大劇場の舞台でも負けることなく映えていた舞台美術がさすが。
常々この見事な美術は大劇場向きだと感じてました。
ロブカールトンの笑いは上質で、冒頭から延々と随所に仕込まれるネタが心地良い。
ずっと笑ってた気がします。楽しかった。
普段大変に笑いが上品だと思っていたので、開幕早々に放り込まれてきた下ネタに意表を突かれて大笑いしてしまったのが、ちょっと恥ずかしい(笑)
満足度★★★★★
劇場での観劇、アーカイブ配信での観劇、ノベライズ。
様々な媒体で楽しませて頂きました。
ネタバレBOX
時は大正時代、怪異が居る世界、大正浪漫の世界。
華族の家柄、父親の分からない子供ということで、肩身の狭い想いをしながら過ごすエミ。
母の死をきっかけに家を出されることに。
そこに現れる、母の旧友の青山。
青山に連れ出され、見知らぬ父親を探す旅に出る。
汽車の旅、切符は書き手の想いの残る手紙。
汽車ってのがいいですよね、銀河鉄道とか色々と連想する。
手紙は白紙、文字が消失している、切符を切る毎に、そこに書かれていたはずの思い出の残る場所へ誘われる。
巡る場所には、それぞれ怪異がいて、それぞれに父親との思い出が語られる。
ここがとても楽しかったです、一緒に旅してる気分。
旅を通して各キャラクターの個性が掘り下げられて、役がどんどん質感をもっていき、親しみが湧く。
スピンオフで、この巡る場面いっぱい創れそう、ていうか観たい、もしくは読みたい。
怪異と聞くと個人的には某物語シリーズが頭に浮かびますが、怪異辞典とかあったら読みたいかも、他にどんな怪異がいるんだろう、でもあんまりおどろおどろしくない書き口なのがいいな。
青山の想いがせつなかった…。
思い出の中、ちづちゃんと一緒にいる時の青山の表情が、あまりに幸せそうで、愛おしさが滲み出ていて。
正一の消失の真相明らかになり、ちづちゃんの娘から責められ罵られ想いを暴かれた時の青山の泣き出す一歩手前な表情が、あまりに辛そうで悲しそうで。
ずっと好きだった想い人が、突如現れた男に奪われてゆく、それを祝うことしかできない、見てることしかできない。
記憶から消えてもなお、独りぼっちにされてもなお、夫を想い続けこちらに想いを向けてはくれないちづちゃんを前にした時の絶望。
ずっと、ずっと、傍に居続けていたのは自分なのに。
自分にもしものことがあった時は娘をよろしくと、憎い恋敵との間との子を託された時の気持ちは、如何程だったろうか。
それでも、正一の消失に罪の意識を背負う青山は、託された娘を連れて、父親に会わせる旅に出る、命を賭した贖罪。
エミが青山を責め立てている場面は、辛かった。
紹介はした、だけど選んだのは正一自身、拒絶することもできた、なのに言い訳するでもなく、弁明するでなく、エミの言葉全部受け止めて罪を背負って死を選ぶなんて。
幼い頃からきっと青山はずっとエミのことも可愛がってた、大切にしてくれてた。
それも全部なかったことかのように、帳消しに、そんなのって…。
青山は、果たしてそんなに悪いことをしたのだろうか、と思う。
確かにサトリに引き合わせはした、だがしかし、無理強いをしたわけではない、サトリと契約することを選び取ったのは正一自身。
自身の存在と引き換えにしてまでも、小説家として成功を納めたかった、納得のいく作品を書き上げたかった、そしてそれは叶った。
取引の代償で結果自身がどうなってしまうのか、事前にどこまで承知しての選択だったのかは分からない、でも劇中のサトリの台詞からは納得ずくだったのだと覗える。
ならば、例え存在がこの世から消えてしまおうとも、書きたいものが書けて、そしてその作品はこの世に残り続ける、それは自身満足のいく人生だったのではないだろうか…。
何が正しくて、何が間違っていて、何が幸せで、何が不幸せか、それは他人が決めることではない、自分だけのもの。
正一はどこまでも芸術家で、そして妻も芸術家だった夫を愛していた、芸術と妻どちらの方が大切だったかということではなく、そんなの比較できることではなく。
それでもやはり心残りは、妻を置いてゆくこと、産まれてくる子供に一目会うこともできないこと。
その心残りこそが、この旅の始まりだった。
旅を終え。
父が書き残した作品、その足跡を辿って引継ぎ書いた娘の作品、永遠に残り続ける親子の競作。
父の作品は、人の記憶から消えても残り続け。
母の記憶からも父は消えたけれども消えて尚、愛していたという感情だけは残り続けていた、覚えてないのに、気持ちだけは。
同じように、この旅で見た父の記憶は娘の記憶からは消えてしまうけれども、著書と共に、父への慕わしさは残り続けるのだろう。
旅に出る前とは違う、旅に出たことは無駄ではなかった、得られた温もり。
旅を通して、周りの自分を支えてくれる存在にも気づけた、従妹は自分を大切に思ってくれてるし、旅を一緒にしてきた二人も心から自分を心配してくれてる、自分はひとりだという思い込みから脱せた。
作品は時代を越えて残り続ける、人が没した後々までも。
そしていつかこの作品を読んだ誰かが、また旅に…ということまで思い馳せてみたり。
観終わった後までも、この世界から去りがたい、抜け出しがたい気持ちにさせられる。
美術、灯り、音楽、衣装、演じる皆々が、隙なく揺らぎなく世界を創り上げてくれていたので、わたしは一瞬たりとも現実に還ることなく、この世界に居続けられた。
きっとこの舞台の上にあるどれが何一つ欠けたとしても誰ひとり欠けたとしても、実現はしなかったのではないだろうか、結集したからこそ。
この作品を劇場で観られて良かった、観終わってまだこの世界に浸かっていたいなぁと思わされる極上の2時間を過ごさせて頂きました。
また後にノベライズも読みました。
人物像や関係性等が舞台版とは異なる印象で。
これはこれでまた一つの並行世界、作品における姉妹として。
舞台のコミカライズが流行っている昨今ですが、わたしは触れたことがあまりなく。
こうして世界が広がって紡がれてゆくのも、悪くないなと思いました。
京都の鞍馬山、南海高野線の極楽橋駅という、聖地巡りも悪くない。
満足度★★★
無観客の完全配信限定の、一人芝居二本立て公演。
一本目は、たねちゃん主演の「かすがいのカニ缶」
二本目は、南出さん主演の「夕映えの職分」
想像していたよりも映像綺麗で音声もクリアで高品質な映像でした。
二作品の一人芝居、現実社会を生きてる人の生活が飾り気なしに描かれていて、人間味がありました。
現実社会で生きていくのは、ほんと楽じゃない。
台本で仕掛けるという配信をどう観るかの実験もあり、面白い公演でもありました。
ネタバレBOX
「かすがいのカニ缶」
場所は、「かすがい」というカニ缶を製造販売している会社の社内。
「かすがい」にクレームを言いにきてる女性。
曰く、カニ缶一年分プレゼントに当選したものの、一年分が僅か4缶とは納得がいかない、365缶寄越せというクレーム。
台詞を発するのは女性ただ一人、だけれども会話相手である「かすがい」社員の男女の声も聞こえてくるかのような巧みさ。
女性の前にいる男女の想定立ち位置を2点のカメラアングルで導くことにより、より臨場感が増す仕掛け、配信ならでは。
いや、わたしも、一年分なら365缶やろ~?と思いました。
成人の平均摂取量に沿っていると説明されたとて、それは屁理屈やんって思う。
世によく見受けられるプレゼント一年分、その一年分の概念とは?と前々から思ってた。
小さく表記するんやなくて、一年分(4缶)って大きく表記するべき。
という個人的主観による余談。
押し問答が続く中、女性のカニ缶にこだわるのは亡き夫がカニ缶好きだったからなのだという告白により、解決する。
そこまでカニ缶を好きでいてくださる方なら…と、見事女性はカニ缶365缶ゲット。
顧客を大切にする心ある良き企業の在り方やなと、ここ素直に感心しました。
当然そんな重量の缶詰を自力で持ち帰ることなど不可能で、「かすがい」社員の男性に自宅まで運んでもらう。
自宅にて、男性の人柄の良さにツンケンしていた女性もすっかり打ち解けて、本当は夫は亡くなっておらず家出をしたのだと告白する。
女性にとってのカニ缶とは、まさにかすがい、自分もカニ缶を好きになればカニ缶が異常に好きである夫との距離が埋まるのではないかと、夫と自分との間の鎹。
負けん気の強い女性の思いがけない弱気な姿が垣間見える。
そこにやってくる「かすがい」社員の女性。
この女性も大層気が強く、よくいがちな経験浅く自分では何も解決できないのにやたら自尊心だけは強くて事を荒立てて回るタイプ。
ここで衝撃の暴露、この女性社員は家出した夫の不倫相手だった。
そして家出した後も女性社員とは連絡を取り合っており、今からここに帰ってくると。
薄々は感づいていたであろう夫の不倫に直面するという場面で、自身は目の前の男性社員と何やら恋に発展しそうな雰囲気。
ここでかねてより用意してあった離婚届を取り出す女性、不倫相手の女性社員、いい雰囲気な男性社員、ふたりに離婚届承認欄にサインをもらう。
思いがけず離婚届には承認のサインが二人分要るという豆知識を得ました、知らなかったわ、面倒ね。
何はともあれ、これでみんな綺麗さっぱりそれぞれに明るい人生を…で終わったのが配信。
配信を観終わってから、特典の台本を読みました。
各登場人物の年齢設定やら、ト書きやら、行間を埋める情報満載でもあり。
また台本には、台詞として発せられていた女性の台詞だけではなく、会話相手である男性社員、女性社員の台詞も全部書かれていたのが驚きでした。
台詞も巧み、たねちゃんも巧みだったので、何ら違和感なく、ほぼほぼ想定通りの言葉を言ってましたが。
最後の最後、配信観てる分にはまるで男性社員が女性を口説いているようにしか観えなかった部分が。
なんと、男性社員は女性への好意を語っていたのではなく、カニ缶への愛をひたすらに説いていたという、これ以上ない衝撃の事実、衝撃の仕掛け。
台本配布が配信終了後だったわけを深く理解でした。
南出さん…さすがだわ、なんて一筋縄ではいかない。
完全無観客配信という状況をこんな風に活かすなんて。
改めて感服です。
そして作中あれだけカニ缶、カニ缶言われたら、当然カニ缶食べたくなるのが人情ってものですが。
ちょっと気安くは手を出せないのが、缶詰の王者カニ缶。
仕方がないので、カニカマで手を打っておきました。
「夕映えの職分」
こちらは主宰であり、作演である南出さん主演。
すごい台詞量、しかも上演時間も長め、自分で自分を苦しめるストイックな作品。
台本手放さないリーディンク形式なのは、もう仕方ないと思うのです。
舞台は小学校の職員室、時間は放課後夕暮れ時。
昨日開催された運動会のDVD編集の為に居残っている場面で、教頭先生と電話で会話してるところから始まる。
会話の端々から、この先生の人柄がしのばれる。
他人の気持ちの機微に疎い、自分の価値観を絶対だと信じ他人の価値観を受け入れることができない、弱きものには強く出て長きものに巻かれる気質、不遜で他人を見下しがち。
ここだけ取ると、なんて最低な人間なんだという印象を受ける。
だけれども、この先生も最初からそうだったわけじゃない。
民間出身の先生、会社を辞めて教職に就くにあたって、挫折を経験。
勤めていた会社で自分の正義を通そうとして、潰されて辞めてきた。
その経験から、正しいことがいつでも通るわけではない現実に絶望して変わった、変わらざるを得なかった。
そうしてやって来たこの学校で、かつての自分のような同僚に出会う。
頑ななまでに自分の信念を真っ直ぐ貫く同僚に、かつての自身を重ねる。
きっと苛立ちを覚えたのだろう、衝突して追い込んで、辞めさせるに至る。
この同僚は猪突猛進、自分が正しいと思ったことを押し通す気質。
教頭先生によると昨日の運動会にも乗り込んできていたらしい。
自身の信念を通す為に、すでに辞職している学校の運動会に口出しをしに。
さらには先生が居残っている職員室にまで乗り込んでこようとする、幾度もインターホンを鳴らす。
信念が間違ってなければ、正しいこと言っていれば、全ての行いが許されるのだろうのか、何をしてもいいのだろうか、それはある意味人間味がなく機械的とは言えないだろうか、正義のごり押しではないだろうか。
そんな中、職員室に警察から電話が入る、この学校の生徒が集団で万引きをしたと。
しかもその中に、先生の担任するクラスの生徒も混じっていると。
この生徒は、先生が贔屓にしている生徒、特別お気に入りの生徒。
会話の中の言葉から察するに、この贔屓されてた生徒は、贔屓されてたことにより不良グループから目をつけられており、苦しんでいた。
そしてその兆候に気が付いていたにも関わらず、先生は放置した。
彼が先生への反発で自ら行動したにしても、不良達に強制されたにしても、兆候は確かにあったのだ。
万引き問題が勃発する中、さらに家出中の妻からLINEが入る、離婚を考えていると。
生徒達の問題にも、妻との問題にも、この先生は何一つ気が付いてなかったと言う、何も問題はなかったと、上手くいっていたと、何の兆候もなく突然だったと。
本当に気が付いてなかったとしたら、あまりに他人の心の機微に疎すぎる、人が視えてなさすぎる。
本当に視えてなかったのかな…いや心のどこかでは分かっていたんじゃないかな、分かっていながら否定していたんじゃないかな。
挫折から再び立ち上がって自分では達観したと思っている理念によって進んできた今の道で、またこうして挫折に直面し。
最後、ようやくかつての自分のようだと感じている元同僚と向き合う。
彼はこの後、今度はどのような生き方を選ぶことになるのだろう。
救いだったのは、会話から察するに、どうやら教頭先生はまともな考え方をもった人らしいということだろうか。
満足度★★★
再演、前回の初演は予定の都合で行けなかったので、今回が所見。
利晶の杜の中に入ることも、地元でありながら、初めて。
興味津々でした。
日曜日の午前中だというのに、チケットカウンターはなかなかの列。
賑わっていて、物産物販等も眺めながら、あぁほんまに一応観光地なんやなぁと実感。
早めに着いてて良かったと思いながら列に並び、無事に開場前に余裕もってチケットも買えて、公演会場であるお茶室へ。
来るのも初めてなので、茶室も初めて。
近代的な建物の中に、ちゃんとした茶室が建造されていて、びっくり。
部活動で茶道を習っていた高校時代を懐かしく思い出したりしながら、開演を待つ。
ネタバレBOX
千利休といえば、個人的には晩年の血生臭いエピソードに触れる機会がほとんどで。
故に千利休といえば頭に浮かぶのは権力者との交流や、その最期だったりするわけですが。
この作品では、それより少し前、まだ豊臣秀吉等と関わる前の時代で。
主に夫婦間の愛の話でした。
この時代では、嫁ぐ年齢って現代に比べたらだいぶ若いうちで。
だからろくに恋もせず、恋に恋する娘さんのまんま嫁ぐことも珍しくないわけで。
ほんとなら段階踏んで精神的成長を遂げて、大人の女性になってから嫁ぐところを。
実らぬ初恋、憧れから脱しない域である淡い想いを引きずったまんま胸に秘めたまんま嫁いできた妻。
そしてそれを察してしまう夫、悩む夫、劣等感を抱えてしまう夫。
せつないですよねぇ、いや妻の方じゃなく、夫の方。
大切にしたいと、幸せにしてやりたいと思ってる妻が、自分に対しては妻としての義務感でしか接してないってさ。
自分の妻となった今でも、想いはずっと初恋の君の方にあるってさ。
そりゃあ、他所の女性に癒し求めるのも仕方ない…って思っちゃいました。
でも自分は夫にその仕打ちなのに、胸のうち知られた上に、夫の浮気知ったら、開き直って居直ってしまう妻。
なんかもう切なかったし、ものすご~く人間臭かったです。
そののち歴史は進み、初恋の君は歴史通りに亡き人になってしまう。
そのショックで生きる気力を失い寝込む己に対する夫の接し方に、自分が絶望の中にいるような状況の中でも、前向いて未来見据えて茶の湯を通じた信念抱く夫を前にして。
ようやく妻は目が覚める、浮かされたような夢見てるような初恋から、傍らに在る夫の存在に意識が向く、現実に還り娘さんから大人の女性になる。
天下に名だたる歴史に名を残す茶人である千利休でも。
ひとりの男であり、ひとりの夫であり、ひとりの人間である。
そんな世で描かれがちではない、側面を垣間見ることができる作品で。
ちょっと身近に感じさせて頂きました、三好長慶の生涯ついても調べたくなるくらいに。
産まれてからこれまでずっと住んできた場所、そこかしこに歴史が潜んでいて、普段の日常生活においては強く意識することもなく過ごしてますが、この地を何百年も前に歩いていたんだとか思うと浪漫に胸が高まります。
帰りに館内の展示も鑑賞し、隣接の千利休屋敷跡も見て、さらに足伸ばして南宗寺まで行き。
充実した休日でした。
余談ですが、茶室のかまち、わたしは自分の感覚だと気が付かなかったのですが。
男性である浅雛さん、田米さんは長身でいらっしゃるので、実際に立たれてみたら、普通に通ったのでは頭をぶつけてしまう高さ。
ぶつけちゃったりしないのかな…?と心配になりましたが、それはもう見事に芝居中にチラッチラッとちゃんと自然に目視で確認して通っておられて。
さすがやな~と感心でした。
満足度★★★
今年で36歳になる演劇人の方が集結した公演とのこと。
親しくさせて頂いている人が出演されていたので観に行ってきました。
ネタバレBOX
もう若年層でもなく、かといってまだ中年層でもない、狭間の世代。
この世代ならではの、安定した生活に収まっている者、まだ夢を叶える途中の者、対比。
夢を追う者は、安定し充実した生活を送る者を前にし、同じ歳でありながらまだ何もなしえてない焦りを募らせる。
このままでいいのか、そろそろ諦めて自分の安定の道を進むべきではないのか。
その焦りが、妖しい者からの誘いに乗らせてしまう。
夢追い人の前に現れた妖しい者は言う、自分は余命を買い取り、買い取った分だけ過去に行かせることができると、過去に戻り人生のやり直しをさせることができると。
過去に戻ってずっとそこにいられるわけではない、過去に戻って失敗や過ちをやり直したら、また今に戻ってこないといけない。
過去から戻った今は、やり直した行動の結果によって変化が生じた世界。
但し、やり直した結果だけが残り、その過程を知ることできない。
つまり過去に戻った結果、本来は友人と結婚するはずだった女友達が自分の妻になっていたけれど、どのように結ばれ育んだかの過程は記憶に書き込まれることはない。
つまり過去に戻った結果、漫画家デビューすることができたけれども、デビュー作がどのように評価され、次回作がどのように創作されたかは記憶に書き込まれない。
この他にも色々と…設定が、まぁまぁ細かい。
こういうお話の流れにしたい、こういうお話の流れにするにはこういう設定が必要等々、練り練りに練り込まれたのだろうなという印象。
夢追い人は漫画家を目指しているわけですが、諦めてちゃんと就職しようかなぁと打ち明ける彼に対してかける友人達の、そんなこと言うなよ、おまえならやれるよ、諦めんなよ、頑張れよって言葉が、一見味方になって励ましてるように見えて、親身になっておらず物凄く無責任で軽薄だなぁと。
飲みの席での愚痴でもあり、自分達は充足しているということもあり、まぁそんなものかもしれませんが…そこでいささか友人関係の希薄さを感じてしまいました。
編集部に原稿を持ち込むも、編集さんにちっとも読んで貰えず未読のまま捨てられる日々、とにもかくも読んでもらいたい、読んでもらいさえすればきっと・・・という望みを持ったことが、そもそも余命を売り始めることになったきっかけ。
今の自分が書いた原稿を、編集部に持ち込んだ前日に戻り取り返し、その原稿を手にさらにもっと過去、まだ編集さんが自分の原稿に目を通していた頃に戻って読んでもらう。
その結果として、思惑通りに編集さんは今の自分が書いた原稿を評価してくれ、漫画家デビューを果たすわけですが・・・。
果たしてそんなに箸にも棒にもかからない扱いを受けてた人の原稿が、僅か数年、特に何ら変化のない数年の時を経ただけで、漫画家デビューできるほどの出来栄えになるものだろうか・・・いやそんなわけない、と思ってしまいましたので。
ここに説得力をもたせて欲しかったかな。
余命は売ることもできれば、買うこともできる(という設定)。
売るときの対価は過去戻りというファンタジー性のあるものだけれども、買うときの対価はお金っていうあたりが生々しくて、ん??ってなった。
余命売買で余命を買っても、病気は治らないし、結果余命は延びない。
そんなわけで作中では癌で余命いくばくもない友人が余命売買で余命を買ったのに死んでしまう。
じゃあ余命の定義とは・・・?ちょっと謎。
病気だろうが事故だろうが、予めその人に運命的が決まっているのなら、余命は余命なんじゃあ・・・?
彼女が守りたかった大切な想い人というのは、どちらのことだったろうか。
彼女も余命売買をして過去戻りしている側の人間なので、そこは脚本上では答えがあるのだろうけど、わたしの中では不透明。
過去戻りをし過去を変えると、他人の生死までも左右する。
漫画家さんが過去戻りをし過去を変えたことで、派生的に友人達の人生も変わってゆく。
彼女は直接的には漫画家さんを救っているのだけれど、漫画家さんを救うことで過去を変え生きてて欲しかったのはそして結婚したかったのはジュンの方だったのではなかろうか・・・。
この辺りの女心の妙は思考をくすぐられて面白かった。
今を大切に、ないものを欲しがるばかりではなく今手にしているものを大事に、結果だけ欲しがっても何も身についてなければ価値がない、大切なのは結果ではなく過程である、過去を振り返ってばかりいないで今を未来を見る、傍にいてくれる人を大切にし感謝する。
どうしても設定が細かいと色々と思考してしまいがちなのですが、細かい設定云々は横においといて。
最終的に導かれたテーマは、とても共感をおぼえる良きものでした。
そうあれる人生を歩めるように心がけたい。
満足度★★★
若手の挑戦的なものと、ベテランの脂の乗り切った感じの、落差が激しい回でした。
ネタバレBOX
劇団天文座「ここから、ここから」
近未来的な舞台設定、滅びに向かう地球の未来の為に、研究に役立てる為に危険を冒して他惑星に向かう…お話。
とかく全員がずっと叫んでいて、それが上滑りしてるような印象。
熱量には内側にその源たる理由が要る、それが観えてこない。
各自が己に酔ってるような、自己陶酔な演技。
内容がちっとも入ってきませんでした。
感動を産み出そうとしている感はあるのですが、心が動かされることはなく…。
ただ、一生懸命さは伝わりました。
若手の挑戦のような、今期初の火曜日のゲキジョウらしい感じでした。
見たところ、まだまだ皆さんお若い。
また今後に期待。
狂夏の市場「虎女」
お金が必要な男が稼ぐ為に、謎の組織から言われるがままに離島にやって来て、言われるがままに訳のわからない生物の世話をするお話。
この訳の分からない生物というのが、虎人間女。
ちょっと衣装的にはあんま虎に寄せてはなかったので観てる間にまぁまぁその設定忘れがちになりましたが、虎と人間のキメラ(だったと思う)。
お金に目がくらんだ男、このまま世話してるよりも、この虎女をさらって売り払った方が儲かるのではと、島から逃げ出す。
しかしあまりに純真な虎女を前に改心し、戻るも最後は殺されてしまう。
悪に染まり切れなかった男と、無垢な虎女との、暖かな人情物語。
途中に挟まれた虎女こと武田さんの昔話落語メドレーが強烈。
もうそれだけでひとつの一人芝居として成立してた程のボリューム、相方はその間、舞台の上で三角座りで観てらっしゃいました。
いや~面白かったなぁ…あれだけ延々と観ていたい。
その落語メドレーで散々笑かしてからの、ゾッとする芝居が効いてました。
離島は沖縄とか、東南アジアイメージなのかな、落語メドレーは昔話から時代が進んで先の大戦、そして現代までが語られてて。
おもろいだけじゃあないですよっていう意地を観せられてる気がしました。
満足度★★★★
先週に続き、今週もベテラン組と若手組の組み合わせでした。
ネタバレBOX
福田青木「オーバー・ザ・ビニール」
暗転から開けると、二人がちゃぶ台挟んで無言で座って向き合ってる。
この無言の間が長くて、あまりに長くて、もう永遠を感じる程に長くて。
無言なのだけれども、ただ無言なのではなく、青木さんは何度も言葉を発しようとしている、そんな青木さんを前に福田さんは凄まじい眼力の圧で拒絶の構え。
何も言葉発してないのに、無言のやり取りが緊張感漲る。
ここからどのタイミングで、いつ言葉を発するのか、固唾をのんで見守る時間。
青木さんの第一声が舞台上といわずこの会場中に漲る緊張感を破る瞬間が最高、生身の人間が目の前で演じるライブの演劇だからこそ体験できる瞬間。
二人は夫婦、ちゃぶ台の上にあるのは離婚届、福田さんが離婚を迫っている、青木さんは嫌だよと拒絶している。
何故離婚をしたいのか、説明を求める青木さんに、福田さんがひとつひとつ述べてゆく。
リモートワーク中の怠惰な態度等コロナ時代を反映した理由があったり、過去の振り返りの再現等々にそっとどっきり的な罠をしかけて離婚届にサインさせようとしてみたり。
それら全ては夫に真実を知られて嫌われたくないが為の妻の愛情の裏返しだった。
マスクで顔が半分隠れて感情が見えにくく、生身の人間と触れ合えない今のコロナ時代、色々と騙してみたり本音を包み隠す妻と、妻の言うことは何でも信じて疑うことを知らない夫、とても素敵な夫婦像でした。
妻がどうしても知られたくなかった真実、実は自分は元男性であったという事実を妻に打ち明けられても、何ひとつ変わらず、何も動じず、むしろ何故それで別れねばならないのかという男性。
どんな時代であっても、何があったとしても、こんな人がずっと一緒に誰より傍にいてくれるなら、大丈夫。
とてもとても幸せな風景でした。
ありとあらゆる罠を仕掛けてゆく福田さん、ありとあらゆる罠にもれなく引っかかってゆく青木さん、さすがのお二人、すべからくめちゃくちゃ面白かったです。
めちゃくちゃ面白い上に、あんな幸せの構図まで観せてもらえて、もう大満足でした。
これ福田さん青木さんお二人のコンビというところだけで考えると、作演出は青木さんなんだと思いがちなんですけれども。
どっこい作演は福田さんで、演じて良し、お笑いやって良し、作演出してよし、なんという多才、素晴らしい。
是非また観たいです。
演劇ユニット急発進「DJヤマの人間ラジオ」
ラジオのDJブース内での男女二人芝居。
男性がパーソナリティを務めるラジオ番組、アシスタントが急遽来られなくなり、同局内の違う階で丁度別の収録のあった前代アシスタントだった女性がピンチヒッターでやってくる。
この女性は実は男性の元カノ、そして急遽おやすみになったアシスタントが今カノという関係性。
別れの間際、元カノと今カノの交際期間が被っており、女性は恋人も仕事も今カノに奪われたということで、今でも恨みを抱いている。
その恨みをこのラジオの収録の本番中に、絶好の機会とばかりに男性にぶつける…というお話。
もうね、女性が男性に対してネチネチ、ネチネチ、ネチネチ、粘着質に遠回しに、でもハッキリ分かるように嫌味をぶつけてる様が、観てて鬱陶しくて仕方がなかった、個人的には。
それをして得るものがあるの?むしろ失うばかりじゃないの?
そんな二股かけるような人にいつまでも執着してないで、なんで今を生きないの?
最終的にこのラジオの収録中に女性は男性を鋭利な刃物で刺してしまう。
明確な殺意をもって。
ブース内に凶器を持ち込んでいた…ということは、端からそのつもりだったということ、計画的だったということ。
でもこのピンチヒッターは急遽決まったことだったはずで…そこに計画性があったということは、つまりピンチヒッターになること自体この女性が仕掛けたことであり。
ピンチヒッターをすることになったそもそもの要因、アシスタント、今カノが来られなくなったのも、この女性が彼女に何かしたということを示唆している。
男性の生死までは描かれてなかったけれども、そこまでできてしまう執念が恐ろしく、嫌悪感が湧き出る。
男性の生死が描かれてなかった、それには物理的な演出があり。
女性が鋭利な刃物を取り出した時点からは、男性を追いかけまわしながら、舞台裏から楽屋までの階段までをバタバタ走り回っていたから。
これがまぁまぁ体感時間長めで、舞台裏から戻ってきたかと思えば、また裏でバタバタ、戻ってきたかと思えば、また裏でバタバタ。
何度も繰り返し、仕舞いにはちょっと正直うんざりしてしまいました。
そこに面白味があればいいのですが、全くない、ただただドタバタしてるだけ。
せめて戻ってきた時に回を追う毎に男性の服が切られているだとか傷が増えていくだとか変化があればまだ良かったのに…なんも変化なく、ただ何度も繰り返すだけだった。
今回は演出的にも、お話的にも、わたしは好みではありませんでしたが。
色んな出会いがあるのが火曜日のゲキジョウのいいところ、色んな挑戦がしやすいのが火曜日のゲキジョウのいいところ。
またいつか。
満足度★★★★★
ステージタイガーの舞台は、いつもそこに上っ面ではない確かな心があり、人生がある。
台詞にされてない想いまでも、ひとつの場面から、深く豊かに感じさせてくれる。
ここ数年、もう観るたびごとに、それは増すばかり。
故に、観て持ち帰るものがおおきくて、2時間という観劇体験以上のものをいつも頂いてしまう。
舞台というものは創作物、でも作り物じゃない、板の上にあるものは全部本物、そう思わせてくれる。
そこにいる人達の想い、人生、描かれないこの先の人生、ここに至るまでに歩んできた人生、想い馳せる。
観た後々までも、ずっと頭の片隅に心の内側に有り続ける、そんな舞台でした。
平十郎も、さつきも、勇吉も、それぞれに出会い、経験を経て、変化してゆく。
それは人生であり、生きていくということであり、それを舞台の上で生の質感で観せてくれた。
本当に大変な世情の中、こんな素晴らしい舞台をありがとうございました。
観る前から、観てる間も、観た後も、たくさん幸せ頂きました。
これぞまさに鉄壁の対策という信頼感、これぞまさに生きた生の舞台。
熱かった!笑った!泣いた!感動しました!
また必ず、どこかの劇場で。。。
満足度★★★★
この日の火ゲキは笑いの要素が強めで、日中の疲れも癒えるような良い観劇後の余韻を頂きました。
ネタバレBOX
劇団乱れ桜オムニバス短編集「ルーズリーフ」
30分間という時点で充分に短篇なのですが、今回の乱れ桜さんはさらに短い10分間という激短短篇のオムニパスでした。
わたしも前菜盛り合わせ好きですよ、飲みはそこから始めることよくあります。
「いつも通りの女」
手芸サークル所属メンバーによるプレゼント交換会。
男子二人が席を外してる間にプレゼントの中身を開けて見ちゃう女子二人、中身のハイクオリティ手作りテディベアの首を揉みあいの末、もいじゃう。
男子二人が戻ってくる前に、中身をフライングで見ちゃったことも、あろうことか熊さんの首をもいじゃったこともなかったことにして…。
素知らぬ顔を完璧にキメられる女子、あからさまな挙動不審で罪の意識に苛まれる女子、両極端。
いや~怖いですねぇ、でもいるんですよねぇわたし、キメちゃう系女子、職場に…(笑)
ドタバタコメディ、コント色が強く、4人それぞれにキャラが立ってて面白かったです、笑った。
「クソリプ列車」
クソリプとは、SNS等で、礼儀を逸していたり、空気読めてなかったり等するリプライ(返信)を送る行為を指す。
言うまでもなく蔑称であるそれを…わたしはあまり好きではないです。
でも、まぁ、確かに…世の中には、ちょっと度を超したリプライというものはあるにはある、そこは否定はしない。
そんなSNS上で有りがちなやり取りを断続的に小間切れに並べたシュールなお芝居でした。
すみません、気を付けます、気にし過ぎない程度に、気を付けます。
「アロンの願い」
指輪物語のオマージュ…なのかしら、わたし指輪物語観たことないのでその辺分かんないですけれども。
学校でクラスメイトの輪に馴染めず無視をされてる男子、願い事の叶う指輪を手に入れる、願いは友達が欲しい。
願いは叶い友達は出来たけれども、一緒に過ごすうちに指輪のことがバレて、無視されてるだけだった時より悪い状況に。
どうして学校という場所は、無理にでもそこで友達作らないとダメみたいな空気になるのだろう、あんな閉鎖的な空間で。
自分を変えること程には、他人を変えることは易くはない。
短編集ラスト締めくくりは、ファンタジーオマージュの人間ドラマでした。
空宙空地「たりない二人」
ルームシェアをする女子ふたり。
ひとりは極度の潔癖症、ひとりは極度に怠惰、水と油なふたり、寝起きを共にするというパーソナルスペースを近しく生活するにはあまりに支障のあるふたり。
現実の世界なら…十中八九、絶交になってそのまんまなところ…。。
そんなふたりが、互いに凸と凹であるからこそ逆に一旦仲良くなったら大親友になるという展開は、嫌いじゃない、むしろ良き。
頭から時間の流れをそのまんま通すのではなく、巻き戻したり切り取ったりして観せるの、30分間という短編ではとても効果的。
時間が飛んでも駆け足でも違和感なく、テンポよく観られて心地よい。
おぐりさんのキレの良さと間の良さ抜群の突っ込みは相変わらず最高だし、裾INネルシャツっていうあまりに狙いすぎな衣装のチョイスよ。
元山さんめちゃくちゃだらしない女子なんだけれども嫌悪感がなく可愛らしく感じるのは御本人の魅力によるところ、ちょっとまた観たいなぁと思わされる。
ずっと楽しくて、観た後にはとても爽やかな気持ちになれる、好きだなぁと思うお芝居でした。
満足度★★★★★
初日に劇場で、さらに配信チケットでアーカイブを観させて頂きました。
なんと1枚買うだけで、全公演のアーカイブが一週間観放題という太っ腹。
彗星マジックは観劇三昧Liveで全公演生配信、客席後方からの定点撮影というスタイルでした。
ネタバレBOX
アルバートとウルズとの対話。
ウルズはアルバート自身が、自身の中に生み出した存在。
思考する中で、自分の思考の対話相手として生み出した存在。
その存在に過去の女神の名前をつけてしまったせいで、アルバートの意識の中でウルズは過去でしか存在できないと定義づけてしまった。
ウルズを過去でしか存在できないものにしたのはアルバートのその定義づけのせい、つまりはアルバートの意識次第でウルズはどこででも存在できる。
名前とは存在を象徴するもの、存在は名前に縛られる。
現代でも姓名判断などがあるように。
そして無意識化ではアルバートも分かってた。
分かっていたから、出現できなくなったウルズの次に、現在の女神の名前、ウルズと名付けた。
しかしそのウルズでさえも、現在というものに対する己の定義付けにより手放してしまう。
同時に考えることをも手放してしまう。
世界は不思議に満ち満ちている。
分からないことを、明らかにされていないことを、どう考えるも、自由。
考える自由がそこには存在している、こうであらねばならない、こうであるはずがない、そんな枠はない、自身を枠の中に押し込めて、枠の中に囚われてしまうのは、自分自身、自身の思考。
歳を重ねて経験を積み重ねていくと、子供の頃にもっていた思考の自由をその経験によって失ってゆく。
あんなに世界の不思議を思考することを楽しんでいたアルバートも、歳を重ねることで次第に無意識にあるいは意識的に、自身を縛ってゆく、思考する自由を手放してゆく。
死の間際、3に縛られていたアルバートは、3の次には4があることに気が付く、限界の向こう側があることに気が付く、枠の外側があることに気が付く、思考の自由を思い出す、何をどう考えるも自由だったのだということを思い出す。
その瞬間、死によって身体だという枠から解き放たれたアルバートは魂だけの存在になり4次元の世界へ自由に飛び立つ。
冒頭から自分に関わる全ての人々を暖かな眼差しで見守り続けていたのは、このアルバート。
4次元の世界で時間軸を移動する、過去の自身と周囲の人々を見守り辿ってきた思考を辿り直す、そして辿り着く。
辿り着いた先にあったものは、ウルズとの再会。
また同じように父ヘルマンも臨終を迎えて魂の存在になった瞬間に4次元を悟り、それまではアルバートを通して存在を認識していたウルズに出会う。
妻が最期の別れを言ってた時には、その身体からは既に魂は離れている。
好きなシーン。
マヤが両親を説教するシーン。可愛い、とかく可愛い。コブシはグーで膝の上!がもうとかく可愛い。
アドルフがフリッツを伴って社長室を訪れるシーン。ここは初演でも面白かったけれども、中川さんの一人芝居もまた面白かった。
離婚調停のシーン、貧困時代を支えてくれた献身的な妻をよそに、母親そっくりな女性と本気の浮気をするというマザコンっぷりを発揮した、なかなかに泥泥な状況にも関わらず。
とってもコミカルに演出されてて、とっても楽しい。
女神ふたりの実況面白いし、ミレーバ可愛いし、エルザ憎めないし、アルバート情けないし。
アルバートの晩年の病室のシーン。この劇中最も終始愉快だったシーンな気がする。立花さんのコメディ手腕がいかんなく発揮されてる。
4次元へと解き放たれた魂の出発点のシーン。ここのシークエンスは初演から好きだった。アルバートの人生に登場した様々な人々の元を巡る。巡る。巡る。時も場所も越えて。とても彗星マジックらしいと思う。好きだ。ここでは誰ももう何も取り繕わない、むき出しの魂だ。
主に焦点が合わされているのはアルバートの人生だったけれども、
暗黒の時代に、信仰だの人種だのに翻弄されたフリッツ、アドルフの人生も、生々しさを伴って描かれている。あまりに物悲しい。悪役を担っている人でも、産まれた時からそうであったわけではない、そこには理由がある、そうなるに値する理由が。運命の哀しさ。
アーカイブを観直す時に、ツイキャスで聞いたSEの3について注目してみようとは思ったのだけれども。
観てる最中に、その意識はノイズで、邪魔だなって思ってしまって、探すのをやめてしまいました。
意識してなくてもそれでもそういう仕掛けというものは、無意識化に働きかけてきて心地よく観させてくれるもの。
舞台の世界に厚みを増してくれる。
何かしら軽いな~という印象を受ける時というのは、そういう丁寧な仕事がなされていない場合なのかもしれない。。。
これまで様々な折につけ、一度ちゃんと相対性理論読みたいと思い、いまだ未読な現状。
相対性理論そのものではないけれども、興味が沸いたアインシュタインの生涯にも触れている、相対性理論を楽しむ本というものをようやく買いました。
まだ一文字も読んでませんが、買ったからには、読書の秋な間には完読を目指したいと思います。
時間とはなんなのか、ということを考える時の材料にしたいです。
そう考えることは自由、何をどう考えるも自由、考えることは楽しいことなんです。
台本も読みたい、まだ2020年度版は一文字も読んでない。
アーカイブで千秋楽のカーテンコールを観ていて。
おひとりおひとりのお顔観ていて。
あぁ、なんて最強な布陣だったかと、なんて最高の再生だったかと、改めて。
ある人はこの方はこんなに達者たったのかと今さらながらに驚いた方もいて、ある人はこの方は本当にいいお芝居をされるようになられたなぁと驚いた人もいて、ある人はこの方の存在は全てを率いて纏める説得力のある豊かな芝居をされるなぁという方もいて。
どなたにとっても間違いなくご自身の代表作のひとつになりうる舞台になったのではないかと思います。
ありがとうございました。
満足度★★★★★
東京千秋楽をライブ配信で観劇しました。
色々と演劇公演配信を観てきましたが、また新しい媒体。
今回は、ぴあライブストリーミング。
もう…感動的にハイクオリティでした。
映像的にも音質的にも最高品質、定点撮影ではなくスイッチング切り替えもあり、生配信でここまでのクオリティ、臨場感を出せるのかと…衝撃でした。
日本全国、いやむしろ世界各国、どこにいても皆等しく、今まさしくサンシャイン劇場で紡がれている時間を共有できる、感動です。
ネタバレBOX
事前に原作は読まずに観る選択をしました。
純粋に久しぶりのキャラメルボックスイズムを味わいなぁと思って。
きっらきらしてました、これだよ、これ。
中学生のいじめを題材にした作品なのですけれども、明るさと希望で輝いてた。
観ていると、とても気持ちが安らいで和らいで暖まる、浄化されるような面持ち。
どんなに心がしんどい時でも、ひび割れにしみこんで癒してくれる、そんな素晴らしい世界。
人生は、誰と出会い、どう過ごすかで、良くも悪くも変わる。
誰と出会い、どう過ごすか、一期一会の大切さ尊さが描かれている。
あの頃の自分に観せてあげたくなる。
学校というものは、強制的にもれなく押し込められるコミュニティで逃げ場がない、小学校中学校は特に。
でもさ…行きたくなければ行かなくていいんだよ、付き合いたくない人間とは付き合いもたなくていいんだよ、ぼっちでも構わない、無理するくらいならぼっちでも全然いいんだよ、勉強なんて学校じゃなくてもできる、学校は勉強をする為の場所じゃないんだよ、学校生活を楽しむ為の場所なんだよ、楽しくないなら辛いことあるんなら行かなくていいんだよ、学校行かないことを後ろめたくなんて思わなくていいんだよ、その場所が全てではない、その場所での自分が全てじゃない、その場所にいる人間が全ての人間じゃない、先生は聖人ではない親も聖人ではないいつでも正しいわけではない。
今、辛い思いしてるひとに、辛い思いしてる周りの人に、届いて欲しい。
モマぶりの舞台の生駒ちゃん、すっかり髪の毛が伸びてて可愛らしさが増して。
そしてすっかり頼もしい座長でした。
衣装の淡い色彩な花柄のふわっとしたワンピースも可愛かったなぁ。
普通に、っていうかとても欲しい。。。
観られて良かった、ライブ配信に感謝。
東京千秋楽のスタンディングオベーションの景色が観られて感激でした。
この後、東京を出てまだ公演は続く。
カテコでの生駒ちゃんの言葉に胸が締め付けられる。
どうか最後までこれ以上この誰一人として欠けることなく最後の地まで無事に駆け抜けられますよう、この素晴らしい世界を最後まで届けられますように。
満足度★★★★
本来なら観ること叶わなかったはずの、東京での公演。
有難いことにZOOM生配信をしてくださったおかげで、リアルタイムに観劇できました。
3方向からのアングルを、視聴者側で自在に切り替えできるという画期的試み。
わたしはあえての下手アングル固定で、下手最前列に座って観劇してる感覚を味合せて頂きました。
これが驚く程に臨場感があって、まるで本当にそこに座って観ているかのような気持ちに。
観てる間、わたしはすっかり高円寺に居ました、感激。
ネタバレBOX
シュワシュワシュワ、蝉の鳴き声に一気に作品世界に心が連れていかれる。
蝉の声、台詞に潜ませられる風景描写、脳裏に鮮やかに景色が広がる。
この舞台の詳細を知ってから、鬼の居ぬ間にがどうしても気になって気になって、舞台映像をひとつだけ観させていただきました。
それがものっすごく恐ろしい作品で…、その印象がこびりついていたのですが。
チエノミでは全然違って、健全で瑞々しくて驚きました。
それでも心情の丁寧な紡がれ方や描写の鮮明さは同質で根っこは同じ。
作品舞台は明治時代、どちらもご両親に大切に育てられた女学生親友ふたり、汽車を待ちながら語り合う。
この時代、女はこうであらねばならない、男とはこうであらねばならない、そういう枠決めが今よりずっと強かった時代。
それに抗うのは人生を賭ける覚悟がいる時代。。。
二人とも夢を持ってた、けれども卒業を控え子供から大人の女性になる時期、女としての生き方に押し込められる現実が迫ってくる、夢を手放さなければならない現実がすぐそこに。
その憤り、恐ろしさ、そして諦念…ふたりは互いにぶつけ合う。
心から信頼する相手だからこそ、甘えを見せられる相手だからこそ、ぶつけても受け止めてくれる相手だからこそ、話して聞いてもらって。
そして受け入れる、決して後ろ向きではなく、とても前向きに、未来を向いて。
どちらもお見合いを控えているけれど、きっとずっと仲良くしましょうねと、子どもの代まで仲良くしましょうねと、子どもの代に夢を託して。
湖国への約束、それは自分達の人生が小さな池ではない、でっかいでっかい湖なのだと、でっかい湖みたいな人生、湖を想いながらの未来への約束。
なんだかこの二人なら本当にでっかい湖を眺めに、はるばる琵琶湖まで行っちゃいそうだ。
もうなんだか、この二人の互いへの無条件の信頼がやり取りから滲み出てくる感じが、微笑ましくて可愛らしくて、にこにこしてしまってました。
結構な激しさで罵り合ってる時でさえも、にこにこ。
だってそれでも二人のこの間柄が変わらないのは伝わってくるもの。
頑張れ~!って応援したくなっちゃう。
でも、そうだなぁ…そこにはちえちゃんへの気持ちも上乗せされてるかもしれない、と今思いました。
最後、ふたりで頭下げて、最後去り際にもう一度ちえちゃんがスッと頭下げた瞬間に、何の意識もせずにツーっと涙が流れました。
観られて嬉しかった、またお芝居する姿観られて嬉しかった。
ありがとう。。。
余談ながら、作中で幾度も出てきた「はぶけとる」が、はぶけとる?何?一体どういう意味??と気になり過ぎたので、調べてみました。
知らない言葉に触れることができる、方言芝居の面白味。
満足度★★★
配信で観させて頂きました。
配信の形態も様々生まれている昨今ですが、無名劇団さんの配信は劇場での無観客公演をツイキャスでの生配信。
画質は少し粗く、またそもそも劇場に観客がいないので演出は完全にどう映るかを意識しており、その為演劇を観てるというよりは映像作品を観てる感覚に近い。
生配信でありつつ、ライブ感は薄くなってしまうので…無観客は難しいのかもなぁと。
今は色々と試行錯誤する時期だと思うので、これはひとつの挑戦になったと思います。
ネタバレBOX
作品は、かつて演劇部から劇団を立ち上げて共に演劇をしていた仲間が、当時の演劇部の顧問の先生のお通夜に集っての会話劇。
演劇人らしい悩みに、友人関係、恋愛関係の悩み、年齢相応の悩み等々語られる。
ここに集う人々には、個々に互いに因縁が…。
アーカイブで観ると、序盤で結構ざわざわすること言ってるけれど、それは会話を重ねる中で、徐々に徐々に明かされる。
確執そのいち、女子同士のよくあるマウンティングの取り合い。
故人の先生に憧れていた女子は、憧れの先生に相応しい存在になりたくて演劇がんばる意識高い系女子。
意識高い系女子にマウンティング取られ続けていた苛立ちを忘れられずに、このお通夜でマウンティング仕返す不貞腐れ系女子。
一見中立、故人の先生と子弟以上恋仲未満(?)という複雑な関係にあったという一番ややこしい優等生系女子。
当て擦りの応酬が、もう~やだっ。
でもたぶんあと10年もすれば、めっちゃ仲良しになって、一生続く友人関係になるんちゃうかなって気がする。
本音ぶつけあって、なんぼですからね、強敵とかいてトモと読むですよ。
確執そのに・・・こちらが心底恐ろしいのです。
故人の先生の奥さんと、その奥さんが不倫を疑う優等生系女子との間の確執。
出会った瞬間から旦那さんへの恋に落ちてしまった奥さん、そのまま押し掛け女房した奥さん。
ずっと見つめ続けてきたからこそわかる、自分の旦那さんがどれだけ優等生系女子に心奪われていたか。
嫉妬が心に鬼を棲まわせ、未必の故意により、旦那さんを死に追いやってしまう…自分の元から離れていくくらいならと。
なんて恐ろしい、それはプライドなどでは決してない。
終始無邪気でおバカさんだった男子が逆にこの中では異質な存在になってました。
もうこの人は、このまんまでいて頂きたいと思うのですが。
それが天然ものなのか、全て察した上でのことなのかは、観た人毎の妄想の中に。
満足度★★★★★
ラストイヤーになるはずだったキラメキの代替え公演。
これまでに幾度となく様々なキャストで観てきた人生大車輪、それをBALBOLABOで。
キラメキが延期になったのはとてもとても残念だったのですけれども…そこで終わりにならず、人生大車輪が上演されることになったのは嬉しかったです。
配信してくださる有難みで、自宅で観させて頂きました。
ネタバレBOX
ずっと変わらない、揃いのツナギとパイプ椅子と、ほっこり音楽。
これさえ揃っていれば、世界各国どこであろうとも劇場でなかろうとも上演できてしまう。
ガワがシンプルなだけに、余計にキャストの役者力が光る。
過去観てきた人生大車輪も、此度の人生大車輪も、きっとパッと集まってパッと出来てしまうのであろうと思われる程に、仕上がった達者な役者さんばかり。
この作品は、キャストのポテンシャルがいかんなく発揮しやすい。
キャストの個性が引き出され、その魅力で役が染まる。
だから何度観ても、観る度毎に新鮮な気持ちで観られてしまう。
何度観ても、新しい人生大車輪。
これからも何度でも、色んな役者さんで上演され続けて欲しいと思う。
人生大車輪2020では、中でも特に、森崎さんが最高にイイ味でした(笑)
冒頭からずっと一体どこなんだか分からない、だだっ広くて真っ暗な空間の一室に閉じ込められてる。
最後の最後に明かされる真相を抜きにして観れば、ここは死後の世界、あの世とこの世の狭間なんじゃあないかと、最初の方は思えてしまう。
そういう展開にはならず、暖かな涙で包まれる世界なのが、すごい幸せな気持ちになれて、すごい好き。
最初は一緒に閉じ込められてる人々が、どこの誰なのか、どういう人でどうしてここに閉じ込められてるのかも分からない同士。
脱出を試みる中で、お互いにお互いの人生を、徐々にひとりひとり語り合う。
自分の人生を、自分の話を、人に聞いてもらう、あるいは人の話を聞く、自分を知ってもらう、他者を知る。
人間が生きていく中でそれがどんなに大きくて大切なことか。
生きてる以上、ひとりではない、ひとりのつもりでも、ひとりじゃない、誰かに影響を与えているし、与えられてる。
くるり、くるり、大車輪。
これも今の時代に上演するのに、観るのに、とても良い舞台でした。
代替え、人生大車輪で、大正解。
謎を解き明かす面白さ。
各登場人物のエピソードの面白さ。
キャストの面白さ。
解き明かされる真相の面白さ。
面白さが幾重にも幾重にも詰まってる。
めっちゃ笑って、暖かく涙する。
この舞台を配信してくださって感謝です。
次のキラメキは、次のBALBOLABOは、劇場で観られることを願いながら…。
あ~ハマチ食べたいっ。
そうそう、代替え公演の元だったキラメキの名残を、宇宙人のところに感じて、ちょっと嬉しかったです。
満足度★★★★
今週も一人芝居同士の対バンでした。
火ゲキ版インディペンデント、今ならでは、むしろ今でないと実現しない希少な面白味。
今週も観られた喜びとともに。
ネタバレBOX
江本真里子「人間×トライアル」
江本さんのほぼ3か月連続一人芝居の第2弾は、数年前の一人芝居フェストライアル参加作品。
テレビ番組ネタ、時事ネタ、二朗さんらしいエッセンスで、あぁほんとにテレビ好きなんやなぁと、いつも思う。
もう世間ではすっかり忘れ去られてる勢いな某W氏のトイレ事件を風化させてなるものかという勢いで複数回に渡りぶっこんでくる辺り、容赦ない。
そうして「ラッセン」というワード聞いただけで即座に「ラッセンがっすっき~♪」って脳内再生されるわたくしも、大概なテレビ好き。
最近あの人お見掛けしないな、お元気かしら。
そうラッセン、トライアル中な人間の次に控えている次世代の主役、イルカ。
碧の照明に照らされ、キュイ♪キュイ♪って鳴き声が響く。
リラクゼーション効果はんぱなかったです、癒し。
個人的には最近Huluでエヴァの新劇場版を一気観しまして。
さらにYouTubeでエヴァ考察動画を夜な夜な観ておりまして。
お恥ずかしながら、旧作の映画を観てなかった為に今さら人類補完計画の全貌を知ったりしたわけでして。
昨今のコロナの侵攻やらも顧みて、人類の種としての存亡等々。
この人間トライアルというテーマは、今わたしにフィットするものでした。
途中でふいに入ってくる落語。
あれはもっとガッツリこてこてな落語でも良かったな~。
観てる側が、どうした?急にどうした??ってなるくらいに、異次元にエッジ利かせて。
この一人芝居の最大の特徴は、演者が一歩もその場から動かないことかな。
動きも最小限、落語中に座った以外はその場に立ったまま、ひたすらに語り。
それで観客を惹きつけ魅せ続けるには、役者力が要る。
これがねぇ…凄いことに、引き込まれ続けた、魅入った、集中が途切れることがなかった。
演出の担当は、ご自身も素晴らしい役者さんである河口仁さん。
エンタメ色の強い舞台に出演されてることが多いイメージな河口さん、静の演出をされるというのが、ちょっと意外で、でも逆にすごく面白いなぁと。
俳優身体一つで観客を魅了できる、それを知ってるからこそなのかもしれないなと。
ほぼ3ヶ月、次がラスト。
また次は次で、全然違うものが観られそうで、今から楽しみです。
謎の女---《まなみ》。「You're ray」
火ゲキで幾度となく観てきたユニットだけれども、今回は作演出に出演もマナカくんな一人芝居という、割と貴重なものが観られた気がします。
劇中にはふたりいるのだけれど、片方は諸事情で見えない存在として二役演じるのに不都合ない設定、一人芝居として成立させてました。
霊が視えない霊媒師と霊体と…のお話。
元ネタが分かる人にはくすぐられる、元ネタがわからなくてもわからないなりになんとなく雰囲気で面白い、そんなマニアックなネタを散りばめてくすぐってこられるのが、マナカくん脚本らしさ。
漠然としてた霊体の女性の人となりがくっきり観えるようになる、憑依以前と憑依以後で観る視点に変化が感じられるのは面白い。
最後に正体が分かったもうひとりの存在が…涙を誘う。
随分と時間が経っているのだろうか、天寿は全うしたのだろうか、それともひょっとして帰ってこない大切な人を御飯も食べずに待ってたのかな、ひょっとしてひょっとしたら新しいおうちにも行かないでずっとひとりで待ってたんだろうか等々。
想い馳せると悲しくて泣きそうでした、たまらんかったなぁ。
自分にとっての光となる存在、再会できてよかったね。
満足度★★★★★
劇場で観られる喜び、何事もなく開催される有難み。
感謝。
ネタバレBOX
三等フランソワーズ「仕事の流儀」
落語なんですけれども、マクラが長い、このままマクラで終わるんじゃなかろうか…?と思い始める頃合いに、唐突に落語始まる、あっ、やっぱ落語やるんやなって。
つまり、そんくらい聞かせる程に、喋りが上手いのです、いや~おっもしろい!
このご時世、マスクしてても笑い声が漏れ出ました。
閣下のくだりは、解説する閣下を観たいが為に相撲観ようかなと思わされると同時に、それが本題にするっと溶け込ませてくる辺り、心地が良い。
相撲解説する閣下…観たい…絵面想像するとそこはまさしく世紀末や…。
一応、数年前の一人芝居フェスでの上演作品ではあるのですが。
マクラからの本題な落語という形態であるので、自由度が高い。
マクラにも再来週の出演情報をてんこ盛りでしたし。
故に何度観ても、その度毎に違って面白い。
本題は現代の親子の話で、ネズミーランドが出てくるくらいに思いっきり現代なのだけれども。
ちゃんと落語の所作を守りながら語るのが、かえって粋に感じる。
ネズミーランド、一回しか行ったことないです。
テーマパーク、コースター系が命がけになる勢いで無理な体質でも、あの非日常な夢の国の空間が好き。
花火も開催期間ならもれなく観られるじゃないですか、行きたいなぁ。
誰かと行くなら気を使わないでいい人と一緒がいいですけど、しんどいから。
幕後の「喋りますよ」タイムがなかったのは、落語だからという以上に、ランタイムという以上に(それなら喋ったらあかんタイミングは過去いくらもあった)。
マクラも本題も、充分に喋ったからなんだと思ってる。
中川さんの喋りは面白いなぁ、なんて面白い人なんだ。
いつも変わらず、観に行くと絶対に楽しくなれるのが嬉しい。
わたしにとって大切な時間。
米山空地「流レル星ニ」
こちらも一人芝居フェスで観た作品。
当時観た時の印象としては…なんだか勝山さんの作演出っぽいなと。
せっかく空宙空地のお二人と米山さんがタッグを組むのだから、もっと空宙空地な米山さんを観られることを期待してたのです。
これではお二人とタッグを組んだ意味がないなぁ、と。
でももし、空宙空地さんのお二人が、こういうテイストの作品を創りたくて、それを演じてもらうなら米山さんしかいないとなったとしたら…それは大正解だなとも。
それくらい、米山さんの魅力が輝く作品でした。
再演の今回。
抜群に動きのキレがよくって、台詞の一音一音がクリアに届いてきて、会場の違いというもの以上の素晴らしいアクトでした。
そして個人的には可愛らしいという印象だった米山さんが、えらく綺麗になられたと感じたのは、照明の加減のせいではないと思う。
演出面でも…1シーン、とても空宙空地さんを感じられる場面があって。
熟成された人間の人生を感じられる、そこがわたしにとっては空宙空地さんの魅力なのですけれども。
その1シーンにそれがギュッとされてて、とてもとても良かった、この作品の要になってた。
米山さんの真骨頂、魂振り絞った演技の爆発、最高でした。
今の世の中になって、演劇も形態を変えていく時代だとか、映像配信にシフトチェンジしていく時代だとか、劇場で観なければならない意味はあるのかだとか、そんなコトバが目に入ることもあった。
この演技を観て欲しい、これこそが劇場で、ライブで、観る意義だ。
この再演、観られて良かったなぁと、しみじみ噛みしめました。