インテリぶる世界
箱庭円舞曲
ザ・スズナリ(東京都)
2017/05/10 (水) ~ 2017/05/17 (水)公演終了
満足度★★★★
ガレージのような場所で、女が取材している。
その場所は、かつて人気を博したアーティスト集団「深八幡朱理子」の活動拠点だった。彼らのファンだったその女は、どうやら彼らの活動を再開させたいらしいが、リーダーだった男が今は自分一人でその名を引き継いでいる、という。
女が取材している「現在」と「深八幡朱理子」が活動していた「過去」が絡まりあうように物語は進む。
描かれる「過去」は、それほど遠い時代ではない。パソコンや携帯端末もあるが、まだインターネットが普及し始めたばかりのころだ。いまとは異なる当時の状況が懐かしく思えたりする。
観ているうちに、取材する女の語る「深八幡朱理子」の印象と、実際に描かれる「深八幡朱理子」のギャップ。
仲間の名前から1文字ずつ取ってグループ名にし、先生に無理矢理書かせた看板を無断でサイトに掲載し、パズルゲームの数学的な解法を示した式を、もっともらしいムーブメントにしたてあげる。
にじみでる、ある種の子どもっぽさと自己顕示欲。
グループのメンバーにも温度差や意識の差がある。加えてそこに人間関係や恋愛模様もある。
それが特に強く感じられたのは、先生との議論の場面だ。ひとりは先生とある程度同じ土俵で議論している。先生が若者をあおり、若者は先生を糾弾しつつ、それぞれの間に共感があり、一定の問題意識を共有し、客席にいてもその高揚感が伝わってくる。その傍らで、同じグループのメンバーのある者は憧れめいた視線を送り、ある者は疎外感と焦燥をあらわにする。
そういう人間関係等に頓着せず独自のスタンスでアートを探求している者もあれば、サークル活動めいた感覚で加わっていた男は堅実に就職しようとしたりする。
そこに、リーダーの家族が加わる。活動の場所が生活圏と隣接しているため、彼らの活動や人間関係に無関係ではいられない。今と過去。家族の変貌と喪失。
現在の場面では、彼らに執着して取材を続ける女の苛立ちやひとりでグループ名を引き継いでいるリーダーの模索、当時と変わらずマイペースにアートを探求し続けている男、そして現在の家族たちの様子が、そのガレージで描かれる。
そして、父。すでに亡くなったその人のある行動が、割り切れなさに似た余韻を残す。遠慮がちに応援していたように見えたその人は、彼らに対して、いや息子に対して何を求めていたのか。
生と死とパフォーマンス。
喪服。中毒。首吊り。飛び降り。死を想起させるモチーフが散りばめられつつ、それでも彼らは生きていくのだろうと思った。
個性的なキャスト陣が繰り広げる絶妙なやり取りが、共感とは異なるレベルで妙に身につまされる舞台であった。
『死なない男は棺桶で二度寝する』 &『オハヨウ夢見モグラ』
ポップンマッシュルームチキン野郎
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2017/05/03 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了
満足度★★★★
『死なない男は棺桶で二度寝する』
タイトルのとおり、死なない男の話。『錆びつきシャックは死ぬほど死にたい』などとも共通する不死の哀しみを題材にした作品だ。
ヒロインである信子が、偶然(?)知り合った1人の男。名は六郎。とても優しくて、でもちょっと世間からズレているその男には、ある秘密があった……。
楽しいクリスマスパーティのはずが、半裸の男女が血まみれで飛び込んできたりする予想外の展開、破天荒なキャラクターたち、社会風刺すれすれのナンセンスさなど、笑いの要素をたくさん詰め込みつつ、物語はしだいに孤独や哀しみに寄り添っていく。
主演の吉田翔吾さんは、可愛らしいルックスとどこか浮世離れした演技で死なない男の孤独を描き出していく。
特に印象的だったのは、人魚の肉を喰らう場面だ。
グロテスクな姿の悪臭を放つソレを、たらいからつかみ出しナマのまま貪る。妹を守りたいという想いに突き動かされて。
ふだんの優しい印象からは想像できないほど壮絶な怒りと哀しみと焦燥と……。
圧倒された。
彼の秘密を知る男 大島。記者である信子は、精神病院で彼の話を聞く……。その内容の奇妙さと男の苦悩。横尾さんは他の作品でも似た感じの痛ましい役を演じて印象的だったが、ここでも物語の暗さを引き受ける役柄に説得力があった。
さまざまな出来事を重ねて、終盤に登場する、小岩崎さん演じる老女がとても好きだ。この方の老け役は他の作品でも何度か拝見しているが、いつもなんていうか、メイクや髪以上に声や仕草が重ねてきた年月を感じさせる。
この作品でも、過ごしてきた半生がにじみ出るような、素敵なおばあさんだった。
忘れてしまったその人との日々。それでも、運命に逆らうように刻みつけた名前。
いくつもの伏線が気持ちよくハマってラストの感動につながる。いろんな意味で綺麗な物語であった。
観終わったとき、すべての登場人物が懐かしく愛しく感じられるのは、六郎の孤独と思い出に気持ちを重ねているからかもしれない。
『オハヨウ夢見モグラ』
こちらは短編集だ。ただし、短編の外枠となる物語があって、全体ではひとつのストーリーとも言える構成となっている。
子どもの頃の事故が原因で、眠ったまま生き、年に1日だけ目覚めることとなった男の物語。目覚めた時に彼が語るいくつもの奇妙なお話がそれぞれ短編となっている。
『きみはぼくのやさしいともだち』
リストラされた武田が出会った若者 江尻の提案は、大金と引き換えに自分の友だちになってくれ、というものだった。
金を使い続け、引き返せないところまで来てしまった武田は妻や元上司にも裏切られ……。
武田を演じる加藤さんの、平凡な元サラリーマンとしてのとまどいや欲や打算に共感しつつ、その運命がどこへ向かうのか、ハラハラしながら観ていた。
『無音はお前の耳にも届いている』
マスター:渡辺裕太
バーのカウンターで、マスターと客が交わす何気ない会話からはじまるとっても怖い話←語彙力(^_^;)
マスターの静かな狂気と死んでいく正田の傍らで微動だにしない客。彼には聴こえているのか、いないのか。
ホントに怖いのは幽霊とかじゃなく人間なんだよな、などと改めて思う。
『いつでもいつもホンキで生きてるこいつたちがいる』
冴えないサラリーマンの松本には、かつて人間ではない大切なともだちがいた。ある日、人間に駆逐されたはずの彼らが蘇って……。
ま、なんていうかこういうの、この劇団らしいって気はする。怒られそうなスレスレの悪ふざけをしつつ、芝居も登場人物も一生懸命な感じにちょっとうるっときたりするのだ。
『黒豆』
これ一編で上演されても満足できそうな完成度とボリュームのある作品。
加藤さん演じるブラック・ビーンは、クールなエージェントとドラーグクイーンという2つの顔を持つ。決めポーズがばしばし決まるカッコいい昼の顔と、セクシーかつナイーブな夜の顔の振り幅が素敵。
妹のジェシカと同僚のソフィーを演じる増田赤カブトさんもタイプの違う役なのに、それぞれピタリとはまってチャーミング。
物語の中で2つの顔を持つ男と、2役での2つの顔を持つ女。トリッキーな構成で、たくさん笑いながら、実はとてもロマンティックだったりするのも面白かった。
『じかんをまきもどす』
星新一のショートショートみたいな、時間モノの洒落た短編。でも、まきもどす様子を目で観る面白さは舞台ならでは、かも。
そして、それぞれの短編をつなぐ軸となるストーリー。
『モグラの見た夢』
野口オリジナルさん演じるミツオは、年に1日だけ目覚めて、少年の精神のまま老いていく。
眠りの中で集合知にアクセスしているのかもしれない、という医師の説明を背景に、彼の語るたくさんの物語が、それぞれの短編となっていた。
目覚めるごとに、1年が過ぎている。気がつけば月日は過ぎ、自分も老いていく。無邪気な少年らしさは失わないまま、過ぎた時間は確実に彼の心にも積もっていったのだろう。そう感じさせる変化が切ない。
母役の高橋ゆきさんをはじめとする家族や幼馴染の様子も笑いを交えつつ丁重に描かれて、ミツオのいない時間の経過を感じさせた。
行き場のないそれぞれの想い。それでも、この物語は悲劇ではないのだと感じさせてくれる優しいラストがかえって涙を誘った。
同時上演の『死なない男……』ともつながって、二本のPMC野郎を堪能した一日の終わりにふさわしいエンディングとなった。
遠き山に陽は墜ちて
劇団肋骨蜜柑同好会
シアター風姿花伝(東京都)
2017/04/28 (金) ~ 2017/05/02 (火)公演終了
満足度★★★★
開演してまもなく、姉の述懐で過去のシーンへと遡る。弟がいなくなる一年前のことだという。
姉は、オレンジ色の髪の少年とも少女ともつかない奇妙な生き物と公園で出会う。正確に言えば、職務質問されていた「それ」を助ける形でともに団地に連れ帰ることになる。
姉と弟の暮らしに突然加わった「それ」は、ある日花屋で薔薇を見かけて言葉を話し始める。
続く赤いワンピースの女性と「それ」の2度目の会話。(『星の王子さま』じゃないか!)とそこでようやく気がつく。
それまでにもいくつかのキーワードがあったのに、と前の場面が脳裏をよぎる。ついたて、毛布、水。
でも、『星の王子さま』だけじゃない。
ロズウェル事件(墜落した未確認飛行物体をアメリカ陸軍が回収したと言われる)との関連を思わせるプレートを身につけていた。
それから『ジギー・スターダスト』、あるいは『地球に落ちてきた男』、そしてロックンロール。昨年亡くなったスーパースターだ。
オレンジ色の髪の「それ」は、さまざまな寓意を抱えつつ、寂しげな声で話しかける。
哀しいくらい綺麗な夕焼け。むかし愛した一輪の薔薇。故郷を離れて出逢う人々。登場人物はみなどこか歪んでいて、この地上では生き難そうに見える。
モチーフとなっている童話より少し可笑しくて少し痛々しいのは、大人になってしまったからだろうか。
夕焼けに染められた屋上に太陽風が吹く。低緯度オーロラが空を染める。遠い星へ帰っていったロジー。姉弟のうちの弟も一緒に行ってしまった。
『星の王子さま』のラストと同様、それは死であり帰郷であった。
降りそそぐ薔薇の花びら。客席まで染め上げる紅い光。ロジーの髪は王子と同じ小麦に似た黄金色かと思っていたけれどそうじゃない。オレンジだと再三言われてたじゃないか。それは夕陽の色で、薔薇の色だった。
ダズリング=デビュタント
あやめ十八番
座・高円寺1(東京都)
2017/04/19 (水) ~ 2017/04/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
エレガントで情熱的で、仕掛けも技巧もふんだんに使われているけれど、大事なところは直球ど真ん中で決める作・演出の腕力とそれに応えるキャスト陣の魅力がしっかりと詰まった約2時間半。
日本画版・西洋画版という2つの演出で見せた振り幅も面白くて、刺激的な観劇であった。
天然痘と梅毒を足して症状を重篤にしたような架空の病気 柘榴痘が題材になっている。観る前に、性病と聞いたときはピンとこなかったが、観ながら(なるほど……)と思った。その病は、情を交わした相手にしかうつらない。だからこそ、そこに現れる人間関係が物語を牽引することになる。
主人公であり語り手でもある医師は、友人の呼び出しを受けてヌイエという小さな町にやってくる。
友人がなぜ彼を呼んだのか。友人が怯えている訳から見えてくる歪んだ人間関係。ダジュリング公爵夫妻を、いやダジュリング公爵夫人を頂点とするヌイエの社交界の構造。
退廃的な貴族のサロンで悪趣味な見世物にされている石榴痘の病人。女は息も絶え絶えで、別の檻に入れられている男は女をかばおうと声を荒立てる。
1幕では、そういう一癖も二癖もあるある人々の濃密なやりとりを、広い舞台を縦横に使いこなして描いていく。
2幕は、その大半が審問室での出来事だ。教会と呼ばれた娼婦と、彼女を尋問する憲兵、そして彼女からあることを聞き出そうとする医師。
女の過去と侯爵との関係。憲兵の過去。そして、石榴痘との戦いに勝利を得るための突破口を見い出そうとする医師。
2つのバージョンのうち、ベースとなるのは西洋画版でろう。医師を演じた島田大翼さんのよく響く声と端正な佇まいが、物語の語り手として観客を病魔に襲われた架空の町にいざなっていく。
一方の日本画版では、男女シャッフルを含むややクセのあるキャスティングと西洋人の名前や設定を和装で演じる違和感が、どこかアングラめいた独特の雰囲気を醸し出している。
同じ脚本、同じセットで、まったく色合いの異なる作品を同時に創り出す様子に、作・演出の堀越涼氏が、いや、あやめ十八番というユニットが、またひとつのステップをあがったという印象を受けた。
弁当屋の四兄弟【平成二十九年版】
スプリングマン
シアター711(東京都)
2017/04/12 (水) ~ 2017/04/16 (日)公演終了
満足度★★★★
ごく身近な、当たり前の家族の物語の中でしっかりドラマがあり、最後には収まるべきところに収まったという印象があるのは、伏線の引き方や展開がよくできているからだろう。
散りばめられた伏線がちゃんと回収されていく気持ちよさと、それに対する登場人物の反応の確かさが物語を支えた。
それぞれのキャラクターに魅力も欠点もある。特に、三男のダメっぷりとしだいに見えてくる思いやりとか才能とかに納得。血の繋がりのない親子だからこそ、似ているという逆説が愛しかった。
Double Flat
ジャンクション
赤坂RED/THEATER(東京都)
2017/04/13 (木) ~ 2017/04/16 (日)公演終了
聖書のカインとアベルの物語をベースに、やや寓話的なストーリーをたっぷりのダンスや歌などパフォーマンス中心で見せる舞台。少数先鋭のキャストそれぞれの持ち味を生かす演出で質の高い歌やダンスを堪能した。
タイトルにもあるとおり、フラットを2つ重ねたダブルフラットという音楽記号をモチーフにしている。半音下げる記号が2つなら、一音下げればいいんじゃな
い?二つ並べたこの記号の意味はあるの?そんな素朴な問いかけと、兄と弟という近いと同時に対立もしうる関係を重ねていく。
この規模の劇場で拝見できる機会は貴重だと思える顔ぶれのパフォーマンスと兄弟のせつない物語を堪能する約90分となった。
グリーン・マーダー・ケース
monophonic orchestra
Geki地下Liberty(東京都)
2017/04/11 (火) ~ 2017/04/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
過去の因縁と故人の思惑でがんじがらめにされた大きな屋敷。住人はもとより、周囲の人々もそれぞれにどこか歪みを抱えている。一度は終わったかに見えた連続殺人にはまだ続きがあって、「全知全能までもう少し」だという名探偵と友人がその謎を解く。
まずこういう道具立てにゾクゾクしてしまうのは、古き良きミステリーの愛好者だからかもしれない。
ミステリーの古典をベースに、その先のもうひとつの回答を描き出す野心的な戯曲を、安定感のある演出で立体化したこの舞台。懐かしい本格ミステリーの登場人物が眼の前に姿を現し、こじんまりした劇場が古めかしい大邸宅やその他の場所を無理なく具現化する。
創りこまれた虚構性の高い世界観が心地よい。古典の雰囲気を丁寧に活かしながら、物語は原作の終わったところから進んでいく。(登場人物にとっての)現在、事件が起こり始めた昨年のできごと、そしてそれらの元になる過去、などへと時間を行き来し、場所もあちこちに移しながら、きちんと観客を物語に引き込んでいく。事件を通して描かれる人々の想いが細やかでせつない。
そしてとにかくキャストがそろっている。大奥様をはじめとするそれぞれゆがみを抱えたグリーン家の人々、ひとクセもふたクセもある使用人たち、医師、霊媒師、若々しい刑事、誠実な検事と颯爽と謎を解く名探偵のコンビ。よくこれだけの俳優を集めたなぁ、と観ていて感嘆する。
このサイズの劇場でこの作品を観られるゼイタクさについて、終演後に観劇仲間と語り合ったりした。何年後に、この舞台の初演をこの劇場で観たのだと、自慢できるようになるかもしれない。そういう舞台だった。
南島俘虜記
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/04/05 (水) ~ 2017/04/23 (日)公演終了
満足度★★★★
ホントに1時間半だったのか、と観終わってまず思った。もっと長い時間、あの暑い島で過ごした気がしたから。
過去の戦争の話ではない。これから先のいつかの話である。
戦争が続き、捕虜となった日本人が収容されている南の島。気だるい暑さ、保証された衣食住、おきまりの作業もサボりがちだが、監視する者たちもそれを黙認している。
帰るべき祖国は、戦火が続き疲弊している。
見馴れた顔ぶれの中の人間関係。収容所内での恋愛やセックスは禁じられているけれど、時間を持て余す彼らの感情のはけ口はどうしても互いの関係へと向かっていく。新入りが加わることで、状況が見えてきたりもする。
気だるそうな会話からにじみ出す閉塞感。終わらない、というひと言が浮かび上がらせる絶望。それぞれの経歴や家族についての思い。帰る目処の立たない祖国。
観ていた時間が長く感じられたのは、彼らの倦怠を共有していたからだろう。
そして、明確なメッセージの下のさまざまなモチーフや寓意。
面白かった。
無隣館(こまばアゴラ劇場と青年団が設置している若い演劇人のための育成機関)の修了公演だと伺ったが、どの出演者も危なげない演技で作品の世界観を支えていた。トリプルキャストだそうなので、他のバージョンも観たかったな、と思ったりした。
『悪女クレオパトラ』
花組芝居
セーヌ・フルリ(東京都)
2017/03/26 (日) ~ 2017/03/31 (金)公演終了
満足度★★★★
開演時間が近づいたとき、演出助手の大野さんによる「この辺りのお席の方は、役者に足を踏まれないようお気をつけ……あ、リーディングですけど」という謎の前説があった。
クレオパトラを題材にしたリーディング公演、いや花組芝居のHON-YOMI芝居がおとなしくリーディングにおさまるはずはないと思ってはいたが……それにしても、踊る!歌う!義太夫にJ-POPに立ち回り!!という、予想を大きく上回る奇想天外な舞台だった。
笑いも多めの破天荒な物語に、じんわり忍び込む切実さと怖さ。歴史や人物の解釈も濃くて、いったい加納氏の頭の中はどうなっているのかと思ったりもする。
加えて、多くの奇妙な登場人物を男女問わず魅力的に演じ分けるキャスト陣。
なんでもありの大盤振る舞いな怪作だった。
身毒丸
演劇実験室◎万有引力
世田谷パブリックシアター(東京都)
2017/03/16 (木) ~ 2017/03/19 (日)公演終了
満足度★★★★
圧倒的な音と、壮麗な舞台のさまざまな階層でうごめく異形の者たちが、しんとくと継母との関係だけでなく、それを取り巻く奇妙に猥雑で禍々しい世界を浮かび上がらせる。
いろいろな意味で観る者を圧倒するような作品であり、語り継がれてきたというのも頷けるインパクトがあった。
観ることができてよかった、と思う。
ラクエンノミチ/ボディ
日本のラジオ
シアターシャイン(東京都)
2017/03/16 (木) ~ 2017/03/20 (月)公演終了
満足度★★★★★
愛と暴力のみっしりと詰まった、濃密で切実な85分と35分。
いや、「愛と暴力」とひと口に言ってしまったけれど、愛にも暴力にもさまざまな形があった。
『ラクエンノミチ』
ファッションヘルスの待合室で交わされる、奇妙な人々の奇妙なやり取り。
軸になるのはタケの愛。十年経っても二十年経っても変わらない初恋。報われることを求めない、ただかたわらを歩き続けるだけで幸福だった。
彼だけでなく、彼ら彼女らはそれぞれそういう道を歩いていたはずなのに。いつのまに落ちてしまっている奈落の底。死ぬことも殺すこともそれ自体が悲劇なのではない、すがってきたものを失ったとき世界はこんなにも虚ろになってしまうのだ、と思った。
女たちの抱く孤独や閉塞感がじんわりと切なかった。
それと、村上さんが演じた篠原がものすごく怖かった。最初に登場した場面の温厚そうな見た目を裏切る突然の暴力。人を傷つけることをまったくためらわない人間がこんなに恐ろしいんだと思った。
ホントは痛そうなのとか見るのもイヤだし、観てる間はずっと手を握りしめていたけど、それでも観てよかった、と思う。
『ボディ』
愛することがそのまま殺すこととなってしまう不幸な男。劇中には登場しない父親の庇護のもとで、死体は処理され彼の行為は隠蔽されてきたけれど、罪の意識がない彼は何度も同じことを繰り返してしまう。
生きている人間とは思いを交わすことができず、死体に寄り添い語りかけるときだけ人を愛することができる。
彼の見せるある種の無垢と一途、そしてその終わり。底の見えない亀裂をのぞきこむような、ごく短い物語。
親愛ならざる人へ
劇団鹿殺し
座・高円寺1(東京都)
2017/03/02 (木) ~ 2017/03/12 (日)公演終了
満足度★★★★
多少誇張されてはいるけれど、当たり前の人々の当たり前の想いがそれぞれに滑稽で、でも温かい。
母親役の久世星佳さんがとても魅力的だった。
披露宴はめちゃめちゃになってしまったけど、それでもそこから新しい暮らしを始めるのだ。
馬鹿馬鹿しさと切実さ、そして家族というどうしようもないけれど大切なもの。
観終わって温かいものが胸の内に残る、そういう作品だった。
炎 アンサンディ
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2017/03/04 (土) ~ 2017/03/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
初演を見逃して残念に思っていたので、再演と聞いて喜んで観に行った。
レバノンでの内戦を背景に、母を亡くした男女の双子が、自らの家族のルーツを解き明かしていく物語だ。
麻実れいさんがその母として、1人の女性の10代から60代までを演じる。
カナダで暮らしていた年老いた女性。彼女は5年前のある日、突然心を閉ざし、言葉を失ったまま生きて死んだ。いや、5年の間に一度だけ、言葉を発したことがあった。その言葉の意味もあとになってからわかるのだけれど。
公証人から彼女の奇妙な遺言を聞かされた娘と息子は、反発や不本意な気持ちを抱きつつ母の言葉に従い、会ったこともない父と兄の消息を求めて母の母国を訪れる。
その国で双子は多くの人と出会い、話を聞く。双子はそれぞれに母の生涯を見出していく。そこで出会った真実。
世界はこんなにも残酷なのか。生きることはこんなにも過酷なのか。誰かを断罪して済むのなら、その方がよっぽど楽だと思えるのだけれど。
それでも。
知ることは残酷だ。しかし彼女はそれを乗り越えて、彼女自身に戻ったのだ。双子もまた真実を知り、真実を乗り越え、彼女をも乗り越えて、生きるだろう。
観終わったあと、胸の痛みとともにある種のカタルシスを感じたのは、そのためかもしれない。
赤い金魚と鈴木さん~そして、飯島くんはいなくなった~
九十九ジャンクション
王子小劇場(東京都)
2017/03/01 (水) ~ 2017/03/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
うんざりするほど平凡な風景に、混じり始める不協和音。過去の連続殺人事件。残虐な連続殺人鬼はどういう人物だったのか。そして殺人犯の家族であるということはどういうことか。
急速に緊張感が高まり、観る側も身じろぎすらできなくなっていった。
いくつもの重い課題を抱えつつ迎えたラストシーンでの殺人犯の弟と、知らずに結婚したその妻の会話が鮮やかだった。
怒っても迷っても投げ出すのではなく、やるせない現実に眼を背けず、逃げ出しもせず、現状を見つめ考えようとする。平凡な人間の中の強さが描かれて、観る者の胸にある種の安堵感を与えた。
中盤の展開からは予想外の後味のよさがうれしく、同時に重い課題も忘れることなく抱えたまま、劇場をあとにした。
LoveLoveLove20
劇団扉座
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2017/02/14 (火) ~ 2017/02/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
扉座研究生の卒業公演として上演された作品であり、芝居もダンスも歌も必ずしもうまい人ばかりとは言えない。
しかし、未熟であることや必死であることすら、観客が目撃する枠組みの中にある。たとえ間違ってもヘタクソでも声を枯らしても、それでもいい、いや、いっそその方がいい、と言ってしまったら語弊があるかもしれないが、彼らのがんばりこそが、この公演の最大の見せ場のように思えるのだ。
その汗や息づかいを魅力的に見せようとする演出や振付、そして照明や音響もある。
公演の最後は『スクラム』という演目だ。ラガーシャツに身を包んだ彼らが、それぞれ最大の愛の言葉を叫びながら体当たりをする。
準備から公演までたくさんの汗を流し、その日の公演でも力を振り絞って、スクラムの頃にはもう、叫ぶ言葉もほとんど聞き取れない。
それでも、これも演劇なのかもしれない、と毎年思う。……というか、実はこの辺りはもう毎年泣きながら観ているのだ。
ほとんどが初めて拝見する役者さん(のタマゴ)ばかり20人、序盤のタップからラストのスクラムまで、彼らが踏みしめる劇場の振動に共鳴し、彼らの「愛」と喜怒哀楽に寄り添い、2時間10分の上演時間が終わる頃には、いつの間にか彼らに親しみを感じるようになっている。
この先彼らがどんな道に進んでいくのかはわからない。扉座に残る方もいるだろうし、他で役者や舞台に関わる仕事をなさる方もいるだろう。あるいは、もう2度とステージに上がることのない方もいるかもしれない。
淵、そこで立ち止まり、またあるいは引き返すための具体的な方策について
カムヰヤッセン
ワテラスコモンホール(東京都)
2017/02/16 (木) ~ 2017/02/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
誰も観たことのない犬の鳴き声。困窮しつつ借金のない暮らし。要介護度の軽さ。
そういういくつかの違和感と3人の刑事の取り調べの様子が、本当は何があったのか、ということへの興味をそらさず、それが解かれていく時間の生々しい痛みだけでなく、物語としての(こう言ってよければ)面白さ感じさせた。
ナイフで人を殺すより、借金を重ねて踏み倒す方が容易だろう、という意味のことを一人の刑事が言った。
それができなかった母と息子の繊細なやり取りを、3人が交互に語る終盤の場面。痛みと優しさが胸にしみた。
どうしようもない現実。それでも、その淵を渡らずに済むためには……。
答えを出すのではなく、あなたもそして私自身もそれぞれに立ち止まり引き返せますように、という祈りのような何か。
身につまされる、などという安易な共感ではなく、もう少し丁寧に考えてみたい気がする舞台であった。
口々(くちぐち)
サンボン
サンモールスタジオ(東京都)
2017/02/08 (水) ~ 2017/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★
家族だからこそ言えない言葉。ウソだと知りつつ交わす約束。
身勝手さも優しさも親しいからこそ、なのだろう。愛情などと簡単には言えない。けれど、気がつけば同じ曲を聴き、同じものを食べたりしていたように、切り離せないつながりを感じる。
見応えのあるキャストが揃う中、父の愛人と弟の恋人の2役を丁寧に演じ分けた井端珠里さんの演技が特に印象的だった。
観ていて、(ああ、わかるわぁ……)と思う台詞がたくさんあって、台本買ってきてよかったなぁ、と帰りの電車の中で思った。
アトレウス
演劇集団 砂地
吉祥寺シアター(東京都)
2017/02/09 (木) ~ 2017/02/13 (月)公演終了
満足度★★★★
壮大なギリシャ悲劇をひとつの家族の物語として再構築した舞台。その壮絶な喜怒哀楽は、我々現代人の感情とは一線を画す神話的な激しさを見せる。
暴力、愛欲、拘束、殺人。罪と罰。
大義や信仰のためではない、家族という狭い関係の中の愛と憎しみは、エッジの効いた光と音と相まって、スタイリッシュといってしまうには荒々し過ぎる、ざらつく手触りを感じさせた。
我々よりずっと神々に近いところで暮らしながら、その信仰は禍々しく、予言は不吉であった。
女性だけのコロスを民衆の声として、舞台だけでなく客席通路や舞台上のバルコニーなど様々な場所に配し、家族の悲劇を揺さぶり続ける。
それぞれに印象的な登場人物の中で、アガメムノンの妻 クリュタイムネストラの母としての顔と女の顔、そして、愛人とともに夫を手にかけた後の迷いのない佇まいが印象に残った。
ダークマスター東京公演
庭劇団ペニノ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/02/01 (水) ~ 2017/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
マスターと若者の奇妙な融合、中国資本の台頭、暴力、セックス、循環構造をにおわせるラスト……などなど、寓意を読み取ろうと思えば膨大な情報量があって、でもそれはそれとして巻き込まれた奇妙なシチュエーションにゾクゾクしながら腹を減らす……というのが、まずはこの作品の味わい方であろうという気もした。
さまざまな仕掛けと刺激と隠喩に満ちた3.5次元くらいの観劇体験。不穏な空気に背筋がざわつく、油断のならない2時間20分であった。
オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』
オペラシアターこんにゃく座
世田谷パブリックシアター(東京都)
2017/02/03 (金) ~ 2017/02/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
繊細ないくつものパーツを、音楽が1枚の大きなタペストリーへと織り上げていく。生の楽器の音色が耳よりも先に肌と共鳴し、澄んだ歌声が胸に響く。
半円形の会場と舞台の奥の大きな輪を生かした美術が銀河系や時間を象徴し、その中で少年たちが探す「ほんとうのこと」「ほんとうのさいわい」は孤独と自己犠牲を経て、永遠へと変わる。
若々しい顔ぶれのキャスト陣にベテランがそれぞれの味わいを加えた座組は、少年たちが主人公となる作品によく似合っていた。