満足度★★★★
ガレージのような場所で、女が取材している。
その場所は、かつて人気を博したアーティスト集団「深八幡朱理子」の活動拠点だった。彼らのファンだったその女は、どうやら彼らの活動を再開させたいらしいが、リーダーだった男が今は自分一人でその名を引き継いでいる、という。
女が取材している「現在」と「深八幡朱理子」が活動していた「過去」が絡まりあうように物語は進む。
描かれる「過去」は、それほど遠い時代ではない。パソコンや携帯端末もあるが、まだインターネットが普及し始めたばかりのころだ。いまとは異なる当時の状況が懐かしく思えたりする。
観ているうちに、取材する女の語る「深八幡朱理子」の印象と、実際に描かれる「深八幡朱理子」のギャップ。
仲間の名前から1文字ずつ取ってグループ名にし、先生に無理矢理書かせた看板を無断でサイトに掲載し、パズルゲームの数学的な解法を示した式を、もっともらしいムーブメントにしたてあげる。
にじみでる、ある種の子どもっぽさと自己顕示欲。
グループのメンバーにも温度差や意識の差がある。加えてそこに人間関係や恋愛模様もある。
それが特に強く感じられたのは、先生との議論の場面だ。ひとりは先生とある程度同じ土俵で議論している。先生が若者をあおり、若者は先生を糾弾しつつ、それぞれの間に共感があり、一定の問題意識を共有し、客席にいてもその高揚感が伝わってくる。その傍らで、同じグループのメンバーのある者は憧れめいた視線を送り、ある者は疎外感と焦燥をあらわにする。
そういう人間関係等に頓着せず独自のスタンスでアートを探求している者もあれば、サークル活動めいた感覚で加わっていた男は堅実に就職しようとしたりする。
そこに、リーダーの家族が加わる。活動の場所が生活圏と隣接しているため、彼らの活動や人間関係に無関係ではいられない。今と過去。家族の変貌と喪失。
現在の場面では、彼らに執着して取材を続ける女の苛立ちやひとりでグループ名を引き継いでいるリーダーの模索、当時と変わらずマイペースにアートを探求し続けている男、そして現在の家族たちの様子が、そのガレージで描かれる。
そして、父。すでに亡くなったその人のある行動が、割り切れなさに似た余韻を残す。遠慮がちに応援していたように見えたその人は、彼らに対して、いや息子に対して何を求めていたのか。
生と死とパフォーマンス。
喪服。中毒。首吊り。飛び降り。死を想起させるモチーフが散りばめられつつ、それでも彼らは生きていくのだろうと思った。
個性的なキャスト陣が繰り広げる絶妙なやり取りが、共感とは異なるレベルで妙に身につまされる舞台であった。