満足度★★★★★
重さと明るさ
水俣病を扱った新作で、テーマは確かに重い。重いものを重く書くのはたやすいだろうし、今は評価が確定してる問題を今の評価で書くこともたやすいだろう。脚本に定評のあるこの劇団、そんな安易でないドラマが観られるだろうと期待しての観劇だが、やはり、良い芝居だった。
各1時間ほどの2話構成。第1話は、作品中では年代は明らかにされないが1956年のチッソの会議室。第2話は現代で、胎児性水俣病患者を中心とした授産所「みかんの家」。52年を経ても、水俣病が今に繋がる問題として、未来に続いていくことを、希望を持って描いた作品になっている。 舞台から与えられているものを自分がしっかりと受け止めているかどうかは、自信が持てない、そんな気にもなったりする。
ネタバレBOX
1話は、水俣病の原因がチッソの廃液に含まれる有機水銀であることが分かる場面。水俣病の真実を追いかけつつも、会社を守る立場に立とうとする工場長・西田(篠塚祥司)や技術次長・徳山(栗原茂)と、事実を明らかにしようとする若手技術者・石渡(浅倉洋介),チッソ附属病院の医師・小澤(金替康博)とが対立する中での、病院長・細田(佐藤誓)の苦悩が軸にあるように見える。西田や徳山を単純に「悪」とせず、そうせざるをえない状況を描くテキストに実感がある。
2話は、胎児性水俣病患者を中心とした授産所の現実を丁寧に描く。そこを、水俣病を題材にした芝居を作ろうとして東京から女性劇作家が訪れているという設定(って、要するに、本作を書こうとする主宰・詩森ろばのことだ(^_^;))。全体は明るいトーンで作り込まれているが、それはそれで時に重いものを突き付けられている印象はある。今も病気を抱える患者たちが、実は普通に生きているのだということも、我々は気づかないでいる/気づこうとしないでいる、という部分をあぶり出しているあたり、先日観た『ハリジャン』に似た感触もある。
と同時に、演劇で水俣病の何を表現できるのか、ということが展開される舞台は、そのことに対する主宰・詩森の一つの考えを具現化しているように思う。劇作家・国東(宮嶋美子)に対して、それまで非常に穏やかに授産所の仕事をこなしていた理事長・高城(西山水木)が感情を爆発させるシーンは、相当にインパクトがある。その意味では、この作品を水俣病問題という社会性のある側面だけから観るのではなく、あくまでも一つの演劇として眺める姿勢も観客には求められるように思う。エンディングはこの劇団らしく、極めて美しいシーンで終わっているのが印象的である。
通常はカーテンコールに顔を出さない詩森が、「みかんの家」のモデルとなった「ほっとはうす」所長の加藤氏を紹介するために舞台に上がり、加藤氏の言葉に涙する場面もあって、この芝居、特に初日に対する思いを感じた。
ベテランの客演陣は期待通りの熱演で、20年ほど前から観ている篠塚祥司や西山水木、1話でも2話でも重要な役を演じる佐藤誓など、流石と思わせてくれる。半面、欲を言えば、劇団員だけで本作を作り上げられないという限界も感じざるをえない。これは年齢的に若い役者が多い劇団ということでやむをえないのだろう。1話での浅倉洋介、工場長に父の発病を訴える事務員を演じた津田湘子、2話で自閉症患者を演じる山ノ井史は印象に残るが、後で考えてみたら、詩森の分身を演じた宮嶋が実は大変な役をやっていたのだと気づく。
満足度★★★
いい話だった
説明に「…(特に女子)」とあるけど、男が観ても感じるところはあると思う。書いてある通りの、いろいろある日常のある部分を描いた1時間の3人芝居。テキストが良く、言葉の選び方とか持ち出し方が巧みで、大したことは起こらないのにドラマがある。
ネタバレBOX
ただし、エンディングは何を示したいのかが分かりにくく、消化不良になってしまう感じがなくもない。タイトルは、弟が嫌いだったチーズをわざとお土産に買って来たら、弟がチーズを食べられるようになっていた、というシーンから来ていると思う。成長とともに人が変わっていく姿を淡々と描いた作品と言えそう。