r_suzukiの観てきた!クチコミ一覧

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テノヒラサイズの致命的誤謬

テノヒラサイズの致命的誤謬

テノヒラサイズ

駅前劇場(東京都)

2011/03/09 (水) ~ 2011/03/13 (日)公演終了

満足度★★★

捲土重来?再上陸を期待して
明るいドタバタを通じて、ある集団に参加する人々の個人的事情を紐解き、集団における彼らの「ふるまい」を注視していく……のだけど、やっぱりドタバタもしちゃうよ!、というコメディー。キレがよく明るい演技には、このごろの口語演劇にはあまり見られないサービス精神と潔さを感じました。

レタス工場のサークルの話、のはずが、どんどんと宇宙サイズの物語へ変わっていく展開は、破天荒というかなんというか……なかなか追いつけないなぁとも思ったのですが、その飛躍自体は楽しかったです。
ボイスパーカッション、パイプ椅子をつかったフォーメーションで見せる場面も巧みです。宣伝等でもアピールされているようでしたが、似たような演出をされる他の芝居(といってもそれほど経験はないですが)と比べても、完成度は高いのではないでしょうか。

 明るくて、ヒューマンなのに、「ふるまい」に着目するなんて、どこかちょっとだけ(SFらしい?)醒めた視線が入る辺りに個性も感じさせる集団。欲を言えば、で、あるからこそ、今以上に、このオリジナリティのある作風もどんどんアピールし、育てていただけるといいかも!と思いました。


公演中止で、結果的に数少ない観客の一人、になってしまいましたが、今後のリベンジにも期待しつつ、書いておきます。

夕夕方暮れる

夕夕方暮れる

立ツ鳥会議

萬劇場(東京都)

2019/05/31 (金) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

舞台となるのは、これといった特徴もない小さな公園。そこを訪れる人々の、さまざまな人生模様が交錯していきます。5日間にわたって起こる複数のエピソードを、時系列を折り重ねて見せるアイデア、つかの間の逗留の場や通路としてこの公園を訪れる人々とそこにこだわり清掃を続ける女性の存在を対置させた構造など、作家の企み、意欲を感じる舞台でした。

隣接するアパートの価値を高めるため清掃に励む女、いつまでも子供の頃のように友人を助けたい万引き癖のある男など、出てくる人々の造形は、ユニークでありつつ、それぞれに生きにくさや世の不条理を写し取ってもいます。独立して見えるエピソードが少しずつ関連を持っていることも興味を引きましたが、いずれも対象から距離をとった描き方のせいなのか、グッと引き込まれるというまでには至らず……。種明かし的になる必要も、ことさらエモーショナルになる必要もないですが、もう少し、話の展開以上の会話の奥行き、ドラマを楽しみたかったとも思います。

ハイライト

ハイライト

うさぎストライプ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/04/03 (水) ~ 2019/04/08 (月)公演終了

満足度★★★

憧れだった東京を離れる決意をした女と、オリンピック後の東京にとり残された人々との奇妙な交流が、交通誘導ロボット・安全太郎とのはとバスデートといったシュールな設定のもとに描かれます。
人も流出し、荒廃する「東京」を包み込む倦怠感は、今、私たちが感じている未来への漠たる不安、寂しさをそのまま写しとっているようです。淡々とした会話の中に仕込まれた笑いにもドライなセンスを感じました。

シュールな世界観と舞台全体を覆う(東京をめぐる)虚無感を味わうほかは、なかなかとらえどころのない作品だとも感じましたが、それこそが「現在」や「近未来」なのかもしれず……。これを機に東京を離れるといううさぎストライプですが、その創作活動の中で、数年後、この作品がどのように振り返られるのかも、ふと気になりました。

残火

残火

廃墟文藝部

愛知県芸術劇場 小ホール(愛知県)

2022/05/20 (金) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「平成」にフォーカスしながら、いつか訪れる東海地震への漠たる不安を抱える少年と阪神淡路大震災で生き残った少女との出会いと、20年強にわたる交流を描くドラマ。
両親と片腕をなくし、深い悲しみ、トラウマを抱えながらも生きるヒロイン「火花」の強さ、美しさが際立つ舞台でした。後に東日本大震災に遭遇することになる友人「歩鳥」も交えた日々の風景に、語り手の少年(後の青年)の持つ「カメラ」の視点が持ち込まれるのも(ベタだともいえますが)効果的だったと思います。
3つの震災を並列にしそれぞれを主要な登場人物が経験するという筋立ては、(「平成」がそうした災害と共にあったという見立てにはうなづく部分もありつつ)図式が過ぎるとも感じましたが、俳優たちが発する今を生きていることの迷いや輝きが、その作為の跡を薄くし、ドラマをうまくドライブさせてもいました。

ネタバレBOX

それだけに終盤、架空の「東海地震」が多くの犠牲者を伴う形で起こり、ヒロインに死をもたらすという展開には非常に驚き、考えさせられました。「平成」を象るものを明確にし、ここまでに少しずつ積み重ねてきた生の喜び、強さを、逆照射するためだとしても、これは悪しきセンセーショナリズムなのではないか。2つの震災を、そのトラウマも含めて描いてきた時間はなんだったのか。疑問が残りました。
THE Negotiation

THE Negotiation

T-works

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/03/13 (水) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★

企業合併の交渉、その大詰めの攻防を描くコメディーです。やりたい世界を完成させるためのテクニックを、楽しみつつ駆使している舞台だと感じました。終演後のロビーに飾られた「合併合意」の新聞も素敵でした。

海外ドラマの吹き替え風演技には、初めこそかなりの居心地の悪さを覚えたのですが、アレック役の三上市朗さんの登場によってその違和感は払拭されました。「偽物の西洋人」として、お尻の浮かない存在感とパロディーとしての軽みを共存させるのは、決して容易いことではないでしょう。

数日にわたる(ホテルマンも巻き込んだ)2対2対のネゴシエーションが描かれるのですが、交渉のポイント、ドラマの流れ自体は変わらないため、やや冗長にも感じます。ここは好みの分かれるところかもしれませんが、この繰り返しの中からもうひとつ別の人間ドラマが立ち上がるか、あるいは、笑える作戦変更の角度をもっとダイナミックに変えていくようなことがあってもよかったのかなと思います。



深海のカンパネルラ

深海のカンパネルラ

空想組曲

赤坂RED/THEATER(東京都)

2012/04/15 (日) ~ 2012/04/22 (日)公演終了

満足度★★★

ファンタジーと現実の交差点
宮沢賢治はよく取り上げられる題材ですが、とても難しい題材でもあります。表面的なファンタジーばかりに気をとられれば浅薄に、といってシリアスなテーマにばかり関心を向ければその世界は貧しくなってしまうのです。

空想組曲は、人間の心理、その葛藤のドラマを、ダイナミックな虚構(ファンタジー)の中で浮かび上がらせることを得意としています。今回の舞台では、ひきこもりの主人公の生きる現実界と「銀河鉄道の夜」の世界とが並行して描かれます。それは空想組曲の作風とも確かに呼応するもので、宮沢賢治をただのメルヘンにしない、面白い取り組みだったと思います。

また、小玉久仁子さんや牛水里美さんの存在感も絶品でした。









ネタバレBOX

額縁舞台の中に、さらに箱形の構造物を置いた舞台はシンプルかつ重層的で、ここに描かれる世界の膨らみを十分に予感させるものでした。惜しむらくは、その語り口が、オリジナル部分や虚構と現実との交差点よりは、「銀河鉄道の夜」に描かれた道程を辿ることにやや傾いてしまったことでしょうか。いっそ、もっと「銀河鉄道の夜」を解体してみてもよかったのかもしれません。もともと、その手法、想像力には定評のある空想組曲ですから、ファンタジーの世界も、現実の問題も、より鮮やかに豊かになったに違いありません。
「したごころ、」【満員御礼!千秋楽を無事迎えることが出来ました!】

「したごころ、」【満員御礼!千秋楽を無事迎えることが出来ました!】

エビス駅前バープロデュース

エビス駅前バー(東京都)

2011/02/25 (金) ~ 2011/03/20 (日)公演終了

満足度★★★

ちょっと気恥ずかしいけど、アリです
バーを舞台にした恋物語を本当のバーで。
それは正直気恥ずかしいとも思ったのです。だって、恋物語だし……ねぇ…。

ですから最初は俳優と観客の距離の近さも含め、どこに身を置いていいのか……という気もしました。が、物語の後半には「どうなるのかなぁ」などとちょっと思ってしまう自分もいたんですね。驚きました。






ネタバレBOX

セットの時計の針を進行に合わせて手で動かす演出、いいと思います。
リアルな場所での上演だけに、別の時間にするってことは大事です。
劇中の料理にも興味をもてました。

バーの設定だとやっぱりテーマは「恋愛」になりがちなのかな?と思ってもいたのですが、実際にこの劇場を見てみると、同じバーでもいろんな物語、いろんな企画ができそう。
今後の展開にも期待です。

ORGAN 【ご来場ありがとうございました。次回公演は9月中旬】

ORGAN 【ご来場ありがとうございました。次回公演は9月中旬】

elePHANTMoon

サンモールスタジオ(東京都)

2010/04/07 (水) ~ 2010/04/18 (日)公演終了

満足度★★★

リアルな視線、ニヒリズムの罠
D(ドナー)編、R(レシピエント)篇の両方を観劇しました。

どちらも苦い終幕。その時に感じたもやもやをどう整理するのか――それにはある程度の時間が必要で、今になって感想を書くことに。

生きる、ということはすなわち人と関わるということ。人と人との間には、愛も慈しみもあれば、打算や嫉妬、憎悪もある。さらに、それらが交錯し、なかなか1点に一致することがないのが、この世の常。この2本の芝居は、そのことを極めてヴィヴィッドに、スリリングに描いていると思います。また、そのことによって「考えさせる力」も持っていると言えるでしょう。

が、、私はこういうものを書き、表現できる人にこそ、「ドラマティックであること」に惑わされず、限界まで考えて考えて、考えうる限りの希望をしぼり出し、描いてほしいとも思うのです。

そこにはきっと、もっと鮮やかで深く、耐用期間の長い感動(ドラマ)があるはずです。

(むろんそれは、分かりやすい「希望」にはならないでしょうが)




ネタバレBOX


D編では、死刑囚からの臓器提供の申し出に揺れる、被害者家族(彼に子どもを殺された夫婦)の葛藤が軸になります。この申し出は一見、「つぐない」として理に叶うもののようにみえてその実、被害者にとっては事件の記憶をイヤでも蘇らせ、さらなる苦しみ、葛藤を与えるものでもあります。冷静な判断など望むべくもない状況に追い込まれた夫婦の感情のやりとりは、ヒリヒリと生々しい。また、友人との間で交わされる、さりげない「決定する/しない」をめぐる会話、移植コーディネーターの女性と母との間に横たわる父の死をめぐるすれ違いも、「臓器移植」という題材を重層的に見せます。

R編は、もう少し明るいトーンで、ドナーとなった男性の家族がレシピエントに抱く期待と、裏切り、それに対する復讐が描かれます。年に1回集まるレシピエントたちとの食事会に死者との再会と「絶えることのない感謝」を期待する母娘は、滑稽かつ恐ろしく、また無垢です(だから時々かわいくさえ見える)。また、彼女たちの期待をよそに、もらった命をそれぞれ気ままに生きようとするレシピエントたちも、のびのびと魅力的で、それだけに恐ろしい。D編とは違ったドライで明るいアプローチが、物語の面白さと怖さを引き立てます。

そして、ラスト……なのですが、
D編では被害者夫婦の妻が死刑囚の臓器を受け入れて生きようとする矢先に、別の被害者に殺害されてしまいます。
R編では母娘の希望に沿わないレシピエントは、その臓器を取り上げられてしまう羽目になります。実行犯はドナーを事故死させてしまった男(母娘に使われている)。母娘は取り上げた臓器と食事会をした後、ふたたび「ふさわしいレシピエント」を探すことにします。

どちらも衝撃的で、印象的です。でもちょっと、ドラマティックであること、アンチ・ハッピーエンドであることに流されているような気もしました。クリエーションにとってシニカルな視点は欠かせないものといえます。けれど、それが単なるニヒリズムやドラマ性に帰するものなら、いわゆる(揶揄して言うようなベタな)「いい話」とどこが違うのか――。

もちろん、この作品はそれほど単純ではありません。D編のラストに登場する殺人者は自ら命を絶っているし、R編の母娘が取り返した臓器もまた、(ドナーがいないため)「瀕死」の状態にある。最終的に「勝った立場」にいるものは誰もいないという意味では多面的ということもできます。ただ……レイプを題材にした「成れの果て」も、同じように衝撃的なラストだったのですが、あの時はその苦さがもっと多層的で(言葉は悪いですが)魅力的にも見えたのは……こちらの方がより根源的で普遍的な問題(生死/相互理解)を扱い、かつその答えとして「絶望」を導き出してしまったからでしょうか。

俳優はどちらも魅力的で、演技に関する演出も繊細にされているだろうと想像します。これだけ「絶望」をうまく積み上げられるのであれば、やはり、是非「希望」をこそ、考え、表現してほしいと、期待を持ちます。

小さくてもいい、或いは見つけきらなくてもいい。でも、演劇が、たくさんのシニカルな視線を通過しながら取り組むのは、前提された「絶望」ではなく、ありもしないかもしれない「希望」であってほしい――というのが私の願いです。














 “Na”

“Na”

PANCETTA

「劇」小劇場(東京都)

2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「Na=名」をめぐる7本の短編からなる公演。

揃いの白いツナギ(無名性の象徴ですね)を着た4人の出演者が、劇中で名前(と人格が一致した)「人物」を演じることはほとんどありません。通し番号か、「王様」「先生」といった代替可能な役割で呼ばれることで起こる混乱や事件を扱った7つの小さな喜劇から、笑いはもちろん、ふんわりと人間関係の緊張や情が引き出され、最終的にはやはり「名」が保証する(人物としての)同一性に焦点があたる構成に唸らされました。

コントの集成といってもいい内容で、演技も戯画的なものですが、ダジャレのくだらなさ、身体をつかった表現での奮闘ぶりだけでなく、たとえば「王様ゲーム」で生み出された嫌な緊張感、失敗の末自分の「名前」を食べてしまうアオヤギさんの焦りなど、関係性によって生み出される感情にフォーカスしている点が、スマートでした。同じツナギを着た二人の演奏者の存在、使われ方も、単なるBGM係ではない意味と持っていたと思います。こうした感性は、たとえば今後、子供向けのコンテンツなどでもうまく生かせそうな可能性も感じました。

わが友ヒットラー

わが友ヒットラー

シアターオルト Theatre Ort

駅前劇場(東京都)

2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★

空間と戯曲の関係、その可能性
駅前劇場という小空間で観る「わが友ヒットラー」には、戯曲の質量とも相まって、強い圧迫感のようなものを感じました。それはこの作品を上演する演劇人たち、そして私たち自身が、昨今の世の流れに感じる違和感、不安をそのまま映していたのかもしれません。

2ブロックに分かれた客席に挟まれた、ランウェイのような舞台の上で物語は展開します。青春時代の友情/幻想に浸り続ける突撃隊長・レームとヒトラーの運命を分ける会談の切なさ、反主流派(左派)のシュトラッサーの悲痛な闘い、武器商人クルップの不気味な存在感を、観客はごく間近に体験するわけです。さらに舞台は天井に向かって高さを増すスロープになっていますから、俳優たちも時には身を屈めて演技をすることになりますが、その窮屈さが、このドラマの背景にある政治的構造やそれに伴う恐怖をいっそう強く印象づけます(ヒトラーを含め、登場人物たちもまた、この恐怖から自由ではないのです)。

強い空間設計と計算された演技は、テーマの重さ、戯曲の重厚さを伝えるには充分でしたが、3時間近い大作ということもあり、沈滞感も漂っていたように思います。例えば、レームの、ヒトラーへの一種ホモセクシュアル的な執着には、もう少し色気も滑稽さもあっていいですし……そういった人間のあり方の複雑さ、幅こそが、この悲劇の深さ、面白さにも繫がっているのだと思うのです。






ネタバレBOX

また、この戯曲は室内劇ですが、ヒトラーの演説、銃声を遠くに聞く終幕など、外部(民衆、社会の動静など)を強く感じさせるものでもあります。今回は今を生きる観客自身がこの舞台を囲むことで、その構造を表現されていましたが、もしかするとこの戯曲はむしろ、プロセニアムアーチの劇場を前提に書かれた部分が大きいのかもしれません。ナチスと大衆の関係、あるいはヒトラーという人物のイメージをより劇的に、分かりやすく(それも善し悪しですが)伝えるには、いわゆる一般的な「劇場」の空間の方が便利というわけです。今回の上演の挑戦的な部分も、また、難しかった部分もここにあるような気もします。

オロイカソング

オロイカソング

理性的な変人たち

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

亡くなった姉の子を育てた祖母、シングルマザーとして奮闘する母、性暴力事件をきっかけに溝が生まれてしまった双子。女性だけの三世代の家庭を舞台に、性暴力が残し続ける傷、その深さにいかに向き合い、寄り添うかが描かれます。当事者の哀しみ痛みだけでなく、周囲の戸惑いや過ちも静かに見つめ、解きほぐしていく手つき、プロセスが印象的な作品でした。

とりわけ、音信不通となった姉・倫子(西岡未央)と、その心を追って旅することになる妹・結子(滝沢花野)の関係は、少女期の二人のアンサンブルの良さも手伝って、直接の被害者ではない(と思っている)人間が、どのように、性暴力や差別と向き合っていくかというヒントを示しているようにも思えました。

ネタバレBOX

会場の割には、やや声を張った芝居が多く、そのことが演じるキャラクターを「典型」に見せてしまうところはもったいなかったなと感じています。また、母、祖母の世代が何を感じ、考えていたのかはそれほど語られず、双子だけでない家族(母から娘)の肖像はやや薄いように感じました。ただ、二人のキャラクターをそれぞれが生きた時代の肖像としてとらえ、想像を膨らますことはできましたし、それもこの物語の背景には欠かせないものだったと振り返っています。
ひび割れの鼓動-hidden world code-

ひび割れの鼓動-hidden world code-

OrganWorks

シアタートラム(東京都)

2022/03/25 (金) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「表現」の源泉を求めた、古代ギリシャへの旅。
白い布をかけ、色をなくしたシンプルな舞台は儀礼の場のよう。
その周囲を「俳優」が歩き、時間の旅を始める冒頭から、深い時間の奥行きを感じました。「俳優」と「コロス(ダンサー)」が対置されながら進行する展開のなか、印象に残ったのは、ディデュランボスの祭礼の場面です。その踊りの輪には、盆踊りにも通じる、死者や過ぎ去った時間への思いが表れていました。

舞台構成、ダンサーたちのキレのある身体……頭脳と視覚を刺激する作品です。断片的で抽象的ながら、不思議なニュアンスを感じさせるイキウメの前川知大さんが執筆したテキストとのコラボレーションも含め、「ダンス」でもない「演劇」でもない、「パフォーミングアーツ」を開発する意欲、意思がそこにはありましたし、その地盤はすでに十分に固められつつあるとも感じます。この魅力的な場が、時には逸脱や混沌も含みつつさらにオーラ、熱量を放つ展開をみたいと思います。


左の頬(無事全ステージ終了!ご来場まことにありがとうございました))

左の頬(無事全ステージ終了!ご来場まことにありがとうございました))

INUTOKUSHI

シアター風姿花伝(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★

意外に?意外に!
鈴木アメリと二階堂瞳子の、ブリブリVSブチキレ対決に、聖書の有名な文句が絡み、両極にあるものがぶつかり合い別の磁場(ステージ)を生み出すという、この芝居のテーマである「世界平和」に向けても、多少深みのあることを感じさせなくもない……いや、まぁ、でもやっぱり、そんなには感じないけど(笑)……な舞台でした。

前説が芝居仕立てなのには「はっ!押し付けがましい、ご親切なエンターテインメントの始まりか?」と多少警戒もしたのですが、本編では多少の暑苦しさも、余裕を持って楽しむことができました。身体もきくし、歌も上手かったりするんですが、そのことに溺れていないせいかもしれませんね。センターの女子2名、周囲を固める男子たち、共にパワーがあり、好感を持って劇場を出ました。

ネタバレBOX

世界を脅かす「なるほ度」をめぐる設定には、ちょっとツッコミどころがありすぎる気がしましたが……エレクトリカルパレードのネタは好きです。あれってちょっと、演劇(フィクション)の枠組みを使った笑いとも言えますよね。意外に大人の演劇ファンも好きそうなネタかなぁと感じました。
My Favorite Phantom

My Favorite Phantom

ブルーノプロデュース

吉祥寺シアター(東京都)

2013/04/26 (金) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★

演劇で「立ち止まって考える」ために
役を演じるということ、すでに語られた物語を語ることの意味とは……といった、演劇にまつわる「前提」への疑いを身体化、空間化すること。あるいは演劇によって召喚される(はずの)あらかじめ失われたもの・ことの正体、その立ち現れ方を探ること。おそらくは、そんな意図を持って上演された作品なのだと思います。

俳優たちは自らの名前/役名を名乗ってみせるだけでなく、それぞれに、複数の役を「演じ(ようとし)て」いる。物語の流れそのものも相対化され、時には複数の人物によって「噂」調で語られたりもする。

こうした手法、考え方自体は挑戦的とも言えるのかもしれませんが、なぜそれが『ハムレット』という題材を通して行われるのかが見えず、さらに、落としどころのない懐疑を身に余らせたまま時に絶叫し、場内を走り回る演技、演出は、どこか閉じられているようで、観客として何に向き合うべきなのか、あるいは何を拒絶されるべきなのかといった入口にさえうまくたどり着けませんでした。

演劇という芸術の形式や古典戯曲と格闘し、そこに(肯定だろうが否定だろうが)新たな表現の可能性を求めるならなおさら、その対象にいったんは寄り添うほどじっくりと、堪えて向き合うことも必要なのではないでしょうか。そうしてはじめて、現在形の思索は鍛えられていくのだと思います。







ネタバレBOX

観劇当日は開場が遅れ、受付済みとそうでない人が入口付近に混在していたのですが、後から来る人の誘導、案内はないままでした。途中「整理券」が足りなくなるといった事態もあり、「どうなってるんだ」と声を荒げるお客さんも……。作品そのものとは関係ないのですが、こういったところがビシッと決まるだけで、カンパニーの好感度も、グッとあがるのではないかなと感じました。
『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

劇団チョコレートケーキ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★

その問いはどこへ、誰に、向かう?
スケジュールの関係で「あの記憶の記録」のみの観劇となりました。複雑かつシビアな題材に取り組んでいるのだ、という自負に満ちた、集中力の高い上演でした。

意欲を持って、沢山の資料に向き合いつつ、書かれた戯曲だと思いますが、どこか「勉強して構成した」感は拭えず、設定やせりふのディテールにも、今ひとつリアリティを感じることができませんでした。

遠く離れた場所の出来事を、(一見)無関係な者たちが物語化し、演じることの意味とはなんでしょう。劇中にも「体験した者にしか分からない」といったせりふは出てきましたが、まずはそのことを表現者自身が自らに繰り返し問うことこそが、当事者/非当事者の間に横たわる距離を埋める”想像力”を育てるのだと思います。リアリティもまた、そうして生み出されるのではないでしょうか。

イスラエルの事例は決して他人事ではないのですが、とはいえ、この劇団の高い志、集団性をいっそうよい形で生かすためにも、まずは身の回りにある溝、亀裂を見つめた作品づくりに取り組まれるもよいのではないかと思いました。私たちの身近な生活の中にも、さまざまな社会的課題の影を見出すことはできるはずです。また、そうして見出された小さな違和感こそが、時には宗教や民族をめぐる争いの本質を表すこともあるのではないでしょうか。





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しあわせ学級崩壊

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2018/05/30 (水) ~ 2018/06/03 (日)公演終了

満足度★★

<なんでもない、特別な1日>をキーワードに、生まれてしまったこと=原罪をめぐり葛藤する少年少女たちの物語。
舞台上にはDJブース。上演中は、主宰の僻みひなた自らがプレイする大音響のトランスがほぼ休みなく流れ、セリフはハンドマイクを通して語られます。
その断片的でエモーショナルな独白を拾いつつ、観客は自ら物語を構築していくことになります。

東日本大震災<3.11>という現実と、丘の上の家に軟禁状態で暮らす姉妹という架空の物語とが二重構造になっているところが一つの趣向。舞台中央に座り続ける、まだ生まれていない、拒絶された命(少年)の存在とも相まって、なんのために生まれたのか、なぜ生まれるのかという問いがここでは繰り返されます。

かたや陰惨な死、かたや無垢な生の輝きと、一見世界観は異なりますが、エモーショナルな台詞の反復、生/死を扱うテーマ(そして白い服を着た少女)は、マームとジプシーなどにも通ずるところがあると思いました。個人的にはむしろ、そういったものへのカウンターも期待したのですが……。「生」の脆弱性(やそれゆえの輝き)は、普遍的なテーマではありますが、そこだけに留まらない視点の提示が欲しいところです。

音楽はもちろん、発話のスタイルや演技も、独自の世界観、ビジョンの実現に向けて、しっかり積み上げた感がありました。
観客をうまく巻き込む力、工夫も感じます。ただ、それだけに、もう一回り外からの視線、閉じた世界に耽溺しない社会への通行路をもつくってもらいたかったという気がします。

ネタバレBOX

血のつながりも怪しい5人の少女。彼女らは「特別」であるために、毎日祈りを捧げ、外界と交わることなく暮らしていました。ところが、ある晩、父がいなくなったのを機に、次女と思われる一人が家を出ると言い始めます。父と娘たちの間には、性的なつながりやそれにともなう死があったことが匂わせられ、そこが一種のカルト集団的なコミュニティなのだということもわかってきます。しかし、それは2011年3月10日のこと。翌日「みなとの見える街で暮らす」と家を出る二人の少女たちの目前に大津波が迫るということを2018年の私たちはよく知っています。

こうした現実を踏まえつつ、架空の物語を構築するのは、なるほどと思う反面、それをネタにしていないか、搾取しているのではないかという疑念も起こさせます。
3 crock

3 crock

演劇集団 砂地

吉祥寺シアター(東京都)

2014/05/09 (金) ~ 2014/05/12 (月)公演終了

満足度★★

古典←→現代劇。そのモチベーションとは?
全体に漂う停滞感、殺伐とした空気。吹き消される蝋燭が象徴する命のともしび、そのはかなさ、せつなさ。現代的で洗練された空間設計、演出が印象的でした。ただ、怒号が飛び交う一方で、対話はやや平板に抑えられていたこともあり、三人吉三の複雑な人間関係、ドラマをきっちり把握しきれなかったことには後悔が残りました。この出発点を前半でよりはっきりさせるころができていれば、この物語を現代劇にしたモチベーション、この作品の持つ骨太な魅力もいっそう際立ったのではないでしょうか。やや段取りがかった殺陣も気にかかってしまいました。

メディア/イアソン

メディア/イアソン

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/03/12 (火) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

エウリピデスの悲劇『メデイア』とその前日譚にあたる『アルゴナウティカ アルゴ船物語』を再構成し、あらたな演劇に仕立てる意欲作。怪物や魔法に彩られたイアソンとメディアの出会いの物語があればこそ、あの重苦しい悲劇の背景も理解できるというものだ。

影絵のような無彩色の舞台(装置)は洗練されていて、特に後半では(その陰惨な内容とも相まって)観客の想像力を刺激する。だが、ファンタジー色の強い前半については、しばしば禁欲的すぎて、描かれる世界の奥深さ、すでにすれ違っているイアソンとメディアのあり方、そこでの感情を見えづらくしていた面もあるのではないか。(とはいえ、若き日の二人のどことない頼りなさ、青さの表現は新鮮で印象に残った)

また何よりもこのプロダクションを特徴づけるのは、メディア/イアソンの間に生まれた子供たちが語り手をつとめる「物語」という構造。終幕の「語り」「子守唄」が、血に塗れた悲劇と共鳴し、鎮魂、そしてわずかながらの希望/祈りの場へと昇華していくさまに、ギリシャ悲劇を「いま」に投げかける意味が込められているように感じた。




イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

CoRich舞台芸術まつり!とCoRich舞台芸術アワードの覇者の中から、いずれもドラマ演劇を得意とする作家、演出家を選び出し、出会わせたCoRich舞台芸術プロデュースによる意欲作。
 
科学者ブライアン・ウッドとその家族を軸に、ロスアラモスで原子爆弾の開発に関わった5人の青年たちのその後が、老年期まで、およそ65年にわたって描かれる。大プロジェクトにかかわることへの興奮や喜び、畏れを抱いた青春期から、ベトナム戦争、湾岸戦争を挟みながら変化していく時代、結婚や子供の独立などの出来事を経て、彼らの内心はどう揺さぶられたのか。やがて日本との関わりを持つようになったブライアンは——。
 
5人の中には過去を明確に悔い、苦しむ者もいれば、愛国心、敵外心をさらに募らせる者も。若さが放つ奢りと輝き、年齢を重ねた上での迷いや弱さ、頑固さを体現する5人の俳優たちと、時代と家族の変遷をストレートに描くストーリー展開で集中力を途切れさせない充実した上演だったと思う。
 
日本人が日本語で、原爆を投下した側であるアメリカ人たちの群像を描く「フェイク翻訳劇」としての狙いは、おそらく、その「イノセント」なあり方から、日本人の現在、来し方行く末をも振り返らせるところにあるだろう。廃墟のような装置、黒く煤けた小道具を用いて進行する劇の中で、当たり前のように口にされる日本人や敵国に対する差別、想像力の欠如した発言の数々は、なるほど刺激的だが、当時のアメリカ人、それもロス・アラモスにいた人間ならば当たり前の感覚であり、そのこと自体がさまざまな対立、紛争、戦争を時には見過ごしやり過ごしている多くの人間たちの存在を思い起こさせる。「謝れない」ブライアンの内心の葛藤もまた、時代の変化を知りながら過去をうまく消化できない人の姿だと思えば思い当たることも多い。





ネタバレBOX

途中、英語が通じない日本人(たち)に仮面を着け、無視される存在として見せたり、焼け野原にたびたび未来の子孫を思わせる少女を登場させたりと、わかりやすくビジュアライズされた演出も印象的な本作だが、率直にいえば、その強さ、わかりやすさが危ういと感じた面もある(ただし、戯曲は未読なので、どこまでが演出の範疇か明確にはわからない)。

時代や与えられた環境の中で、その人なりに生きる中で身につけてしまった偏見、差別、無関心こそがイノセンスの表れならば、こうした仕掛けは、むしろ分断や敵愾心を刺激するようにも思えるし、被爆者の血を受け継いでいる胎児に手を伸ばす幕切れの処理の仕方も解釈を任せるというにはシニカルに寄ったもののように見えた。

この「イノセント」は(もちろん反語だとして)誰にかかる言葉か。
観客にインパクトを残す工夫の一方で、この問いにしつこく止まり、紐解く地道な取り組みも観てみたかった。


the sun

the sun

カンパニーデラシネラ

シアタートラム(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

カミュの未完の自伝小説、短編小説をもとに構成された舞台。
日本ろう者劇団のメンバーのほか、それぞれ異なるバックグラウンドを持つダンサー、俳優の参加を得て、カミュの文学が空間化されていく。いつもながら驚かされるのは、舞台上にあふれる「言語」の多様性とそれらが切り替わり続けながら時間を構成していく推進力。

「言語」とはもちろん、手話や生演奏(驚くべき活躍!)の音楽のことだけではない。カミュの書いた物語に沿った(いわばマイム的、演劇的な)場面もあれば、そこから離れ、書き手をも含む世界を俯瞰するような場面もあり、自在に視点が、語り方が変わり、それにしたがって演技も動きも変わっていく。

かつて同じ作家の『異邦人』を題材にした時から、さらに、文学とその世界を舞台化することへの挑戦の深度が増していると感じた。

ネタバレBOX

複数の小説の断片を組み合わせて構成されており、かつ、その内容をそのまま演じているのではない——とすると、観客にとってはそこで何が表現されているのか、舞台の構成をどう受け止めるのか、難解に感じる面もありそうだ。舞台を観た後に作品に触れる面白さがある——ということか、あるいは当日パンフレットなどで触れられる情報を増やすのか、その辺りのスタンスをどこに置くか、これは考える余地(と楽しみ)のある課題だとも思う。

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