実演鑑賞
満足度★★★★
パンとステーキとお好み焼き。食べ物って大切ですね。
想いは、思うようにはならないものであっても、あたたかな想いは尊いと思いました。
映画版、来年、公開されるのですね。そちらも楽しみ・・・
ネタバレBOX
パンとお肉。お好み焼きは両方の素材を使うお料理かなぁ。食べる物って大切ですよね。自らの身体を形成する基ですもの。
お肉は、弱った身体に力を与えてくれるように私は思っていて、ステーキを用意していた昭子さん、ステーキを食べながら話をしようといった千夏さん、共に生きることに前向きに対面する覚悟に至ったことがうかがわれました。
ちなみに、パンは、手軽につまみ食いするような位置づけかな・・・美味しく思うところはあるけれど・・・
ここで少し考えると、冒頭の、冷蔵庫に調味料以外何もないというのは、少し、「うーん」かなぁ・・・後で、木村さんのために昭子さんが保存食を作るエピソードが、昭子さんが「男狂い」したようにも映ります、千夏さんには、日常において、そういう配慮ができなかったのかと・・・でも、千夏さんのブラジャーのエピソードなども勘案すると、昭子さんの感性は、千夏さんほど細やかではないことを表現しておきたかったのかなぁ・・・
そういえば、木村さんの転職は、ブラジャーが関連していましたねぇ・・・胸つながりかな・・・
千夏さんは、とっても「かわいい」し、魅力的でした。創作課題がとっても雄弁にいろいろ語っていて・・・胸って、いろいろな表現につながっているのだなぁと思いました。それだからこそ、検査の結果は重かったなぁ・・・
昭子さんは、千夏さんよりもざっくりとした性向のようだけれど、愛情深い人で、千夏さんを育てることで一所懸命だったのだろうなと・・・
透子さんは、「実践あるのみ」の人なのかもしれないけれど、最近別れたばかりで、すぐに年下の誘いに乗ってしまう軽い人に見えたのが、少し残念かなぁ・・・パーソナルな接触で好きになってしまう・・・というような表現だとニンフォマニアみたいで・・・でも、千夏さんの思いを知っての展開を考えると、もう少し、年下の男によろめいてしまった背景の設定が見えるようになっていた方が、透子さんをすきになれたかもしれません。悪い人ではないのだけれど・・・パン好き人間。
男性陣2人は、どちらも、コミュ力に問題がありそうで、意識せずに人を傷つけていそうかなぁ・・・役者さんが悪いわけではなく、そういう設定に見えました。
なんだろう・・・女性陣に対する視線に比べて、男性陣に向ける視線が幾分ぞんざいかも・・・
でも、それだからこそ、千夏さんと昭子さんのお話にスポットライトが当たるのでしょうね。
最終日、滑り込みでしたけれど、観に行って良かったなぁと・・・
実演鑑賞
満足度★★★★
今となっては貴重なBチームを観劇。
理解に役立つヒントがいろいろなところにちりばめられていて、途中でおおまかな構造が分かるように組み立てられているなと思いました。動きがあるところに至るだいぶ前から舞台上に配置されている理由など、理解しきれていないところも多々あるのですけれど・・・
ネタバレBOX
最初に受けた鮮烈な刺激は後の行動に深く影響を及ぼしてしまうものなのでしょう。星野が目にした「そのとき三崎は笑っていた」という心象は鮮烈なものでした。
ラストシーンと免許証のエピソードから、二人は同じ姓になっていることが推察されます。二人は、相互理解に成功したのでしょうね、高校生のときには嘔吐するほどその状況を許容しきれなかった三崎だけれど・・・
舞台の中にはいろいろな人がいました、タブーになることが異なる面々が。(ある意味、私が一番苦手な人は、いい人そうに見える「蒼くん」かなぁ・・・君こそサタンだ、なんてね。)
自分の常識とは異なることを求める星野を許容すること(諦めかもしれませんが・・・)を三崎ができるようになった背景には、そんな星野であっても好きということに加え、星野の性癖を生じさせた原因が三崎自身の行為だったということもあったように思われました。
「好き」っていう感情は、理屈で割り切ることはできなくて、「笑っていた」など、ときに曲解から、タブーを侵すような「人でなし」な行為を相手に求めてしまうものなのかもしれません。「人でなしの地」において、棲み分け、許容し合うこと、それが「愛」・・・なのかなぁ・・・
ちなみに、演じていた役者さんは嫌いではないし、この作品が嫌いということでもないのだけれど、私は、キョウのような人は好きではありません。星野は嫌いです、高校生時の笑いながら「出て行った方がいい(だったかな?)」などと尋ねているところは、至極、気持ち悪い。大人になって、陽から陰みたいな、異質な感じで、更に気味悪くなっていて、嫌悪感すら覚えます。
役者さんの熱演を否定するわけではないのですけれど、私的には、この内容であれば、服ははだけなくてもテーマの表現はできたように思います。星野は相手に接触しなくても、ベッドの下でそれが見えなくてもよい(・・・映像化したいようなので見えた方がよいのでしょうけれど・・・)性癖でもありますし・・・こう思うあたりが、私の「お子ちゃま」なところなのでしょうね・・・
・・・役名、間違っているかもしれません。だとしたら、意味不明ですよね。間違っていたら、ごめんなさい。
実演鑑賞
満足度★★★★
途中、途中での物語へ引き込む力は相当にあり、どのようなところに着地するのだろう・・・と思いながら観ていました。
最後の暗転のとき、ここで終わり・・・と思えましたので、それなりの納得感は得られたのだと思います。
観に来てよかったと思いました。
ネタバレBOX
かれんさんは、女の人で、モカさんは、女の子。
現実の社会であれば、コワイ街の中、下園さんが言うように、モカさんは傷ついていそうなのだけれど、モカさん本人が言うとおり、「少女漫画」を読んでいる「女の子」であってほしいなぁと思いました。
かれんさんは、とっても魅力的だったのだけれど、ネックレスやピアスのエピソードなどから思うに、実際に付き合うにはたいへんそうな人。
かれんさんは、モカさんのことを思ってはいるのだけれど、モカさんに思われていることには気づいてはいないのかなぁ・・・かれんさんは妹との結びつきだけでは安定するには足りないのかなぁ・・・他方、モカさんが夜遅くまでお姉さんを待っている背景には、家庭の事情等があったのかなぁ・・・など、観ている中で、いろいろ考えてしまいました。
友達のことを思ったり、傷ついたって前澤さんに素直に告げることができたモカさんは、みんなのなかで、よりナチュラルな存在であったように思います、他者を受容する存在である前澤さんに次いで。
深夜薬局にはいろいろな方々が、薬をもらうためだけではなく、さまざまな痛みの緩和を求めて訪れるのでしょう。そういう場が、平石さんが言うような「夜職の人」が闊歩する町には必要なのでしょうね。
ミニマムな構成にするのなら、前澤さん、なるみさん、かれんさん&モカさんの4人芝居でも成立しそうに思いました。
なるみさんを、ナチュラリストの家庭の子として、おとしめるようなエピソードはなくてもよかったんじゃないのかなぁ・・・「ロキソニン」と言い切ってしまうなるみさんの現在の現実社会への対処法を際立たせるためだったのかもしれないけれど・・・
・・・以前、下園さんに近い仕事をしていて、麻取の方とも接触があった自分には、いろいろ思うところはあるのだけれど、私的には下園さんとは関わりたくないなぁ・・・こういう人、その手の職場にはよくいるのだけれど、分かっているようで分かっていない人のようなので・・・・・・って思わせるところも、ねらいどおりで、脚本がよく練られているところなのかもしれませんね、モカさんへの想いを深めるよう導くために・・・o(^-^)
満足度★★★
ストーリーの骨組みは、スズさんが出てきた後、ほぼ推察され、おおむね想定通り。
コトリさんの怪演!?が印象に残りました。
Zoomを用いた演劇は、画面の単調さもあって、途中で飽きてしまうことがままあるのだけれど、工夫された背景により、違った感じで没入しやすい感がありました。「ウゴウゴルーガ」の世界みたいな・・・
電脳空間 Helvetica も Futura も「ふぉんと」にあることを望んだ世界なのでしょうね・・・
ネタバレBOX
個人的には、もう少しウエットな結末を期待していました。自分なら、スズちゃんの名前は「コウ」とかにするかな・・・エンドロールには「虹」と表記して・・・
閉じこもりで、現実社会になじめないマナブの望みを叶えるために Helvetica を創造した Rein。失踪したRein を Helvetica まで探しに来たマナブ。マナブの真意を確認したかったスズ=Rein 。スズが人の感情のひだに触れることが出来るくらいの存在になっているなら、 Helvetica を閉じることにはマナブと通ずる理由があっても不思議ではない。マナブが前向きに世界に立ち向かおうとするとき、自我をもったスズは、自己肯定に向かってほしかったなぁ・・・閉鎖した Helvetica 内におけるマナブとスズの会話でのスズの表現はもっともっと感情的なものになっで良かったと思いました。
友達の名前をReinと名付けたマナブの未来には虹が架かっていて欲しいなぁ・・・
満足度★★★
多くの部分が野球の試合の実況なのですけれど、野球をよく知らなくっても楽しめるみたいでした。
会場では、アニメの主題歌だった曲が流れていて、あの世界に入り込みやすくなっていました。
ネタバレBOX
込み入ったストーリーはなし。途中途中に入る短い台詞に、ちょっと考えさせるところがある程度。でも、最後までずっと観ていられます。
ダンスで終わらせるのは、力業のような気もするのですけれど、いい気持ちで帰途につくことはできました。
私の観劇した回は、女性が9割くらいかな。
舞台上でのアフタートークは、真面目なのですけれど、会場では、笑いがこぼれていました。
満足度★★★★
サスペンスドラマを観ているようなドキドキの展開。面白うございました。
SPACの前2作は、少々、独特な演出味が強くって・・・それは、それで興味深いのだけれど・・・同じ役者さんで、これだけテイストの異なる世界が構築されるのだなぁ・・・としみじみ感じ入りました。
ネタバレBOX
陰謀渦巻く政争劇。己が内に抱くものは、野心なのか、大義なのか・・・メナム川に流れている水と同じように時の流れに翻弄されながら生きる人々の様相が描かれます。
唯物論的な信条の元で生きる長政と、唯心論的な信条の元で生きる岐部とは、共に他者によって命を落とします。物語の中で語られるキリスト教の教義的なものとともに、同じところにとどまっていない水のように、物語の展開において、仏教的な無常観のようなものも感じ取れる内容になっていたように思います。
そういう意味では、障害となる者を亡き者としながら体制作りをする宰相と、原罪的な行いに悔いつつ彷徨う元神父も対照的と観ることができ、興味深く思われました。
長政が倒れる大団円の後のエピローグでは、生き残った女性によって、やがてアユタヤに残る日本人は赤子独りになるであろうことが語られます。たくさんの種を蒔いても流されてしまうというような逸話が劇中にあったことを想起すれば、この赤子も今後どうなるかは分からないという話なのかもしれません。ですが、王室で生き残ったのは姫であり、日本人街で残ったのも女性でした。戦等を越えて時代を継いでいく鍵となるのは女性というメッセージも込められていたのかもしれません。
そういえば、姫は、いろいろ立ち位置が想定できる存在でしたのに、今ひとつどういう存在なのか分かりませんでした。長政に向けて「ありがとう」といったことも少々了解しがたく思いました。もう少しだけ生きていてもらう旨の宰相の台詞があり、後に宰相が最高権力者になった旨の台詞があったことから、姫が最終的な黒幕だったなどという筋は否定されるのですが、うーん、長政が姫のことを思っていたことに気づいていてのことだったのでしょうか・・・でも、長政に毒入りの杯を勧めたように見えたし・・・うーん、酌み取ることができなかったかなぁ・・・最後の言葉は声になっていたことから考えると、姫は失語症ではなく、消極的な抵抗をしていたのだろうと思います、王妃やその他の策謀などに対して。宰相によりもたらされるであろう死に向かっていく姿は、ある意味、岐部に通づるところがあるのかもしれません。
シンプルな私には、誠実そうな登場をし、その実ダークだった宰相や、単純そうで聡明な長政がとても魅力的に見え、岐部や元神父、そして、日本人達が生き生きとしていて、良い世界と時間を味わうことができたなぁと思えました。
満足度★★★
どうしてあのような表現方法が採られたのだろう。自分には分からなかった。でも、現実の世界から距離のある寓話の世界をイメージさせてはくれました。
ほとんどが白一色でしつらえられた世界において、色相や彩度のある存在は、メッセージ性の強いものと推察されたのですけれど、酌み取れない自分が悲しい。緑に変わる木や、海のように寄せてくる青など、印象は強かったのですけれどねぇ・・・上部に現れる字幕と台詞との間に二面性はあるのかとか、表に見えている演者と影を演じている者との間に二面性が認められるのかなど、気にしつつ観ていたのだけれど、これらについても酌み取れない私。見守り支援してくれる者がアコーディオンを弾いている意図も分からない・・・うーん、いろいろモヤモヤしたものを抱えて帰途についた私なのでした。
ネタバレBOX
「たくさんの名を持つ者」(以下「悪魔」という。)が写楽の「江戸兵衛」の手のようなポーズを何度もしているのが印象的でした。そうそう、姫の父が悪魔を確認しようとして鏡を顔の左前方にかざすのに、悪魔は自分をのぞき込むように鏡を持つところも印象的でした。
姫の父と悪魔との契約は、「まばたき」という、不随意な運動によって成立してしまいます。そしてこの契約は「古いリンゴの木を3年後に供出する」という姫の父の思い込みに基づいて結ばれたものです。後になって、契約の意味するところが姫を供出すると言う内容であったことを知ってなお同契約を追認した姫の父は、その後、悪魔の言うがまま、姫の手を切り落としてしまいます、そんなことまで契約してはいないのに・・・
この行為は、悪魔によって改ざんされた王からの手紙を読んでも、そこに記された指示に従わなかった庭師の態度と対照的に見えました・・・
そういえば、役割として7年もの間戦争をしていた王が、その一方で、子を慈しむ心情を示すのも対照的といえば対照的と言えそうです。
人の行動は、意図せず行ってしまったものや、無知や思い込みに基づいて行ったもの、矛盾を内包するものであることがままあるのでしょう。そんななか、自分のあるべき状況が分からない森の中にいるようなときでさえ、姫も、そして王も、食べ物は欲っします。食べ物は、考える前にというか、生きるために本源的に必要なものとして描かれていたように思えました。
最後に、長く記憶にとどめておくべき言葉として示された「奇跡は今も起きている」旨のメッセージは、苦しい状況下にあっても、抱いておくべき「希望のようなもの」として提示されたように響きました、まるで食べ物のように。寓話も同じようなものとして位置付けられるべきものなのかもしれません、日々生きていくための糧のように・・・
実演鑑賞
満足度★★★★★
Sister Act 森公美子さんバージョンを観てきました。とってもよかったですよ。
各人のアリアも泣けるけれど、なにより、シスターズのアクトが極めてすてき!
もちろん、森公美子さんも、流石の歌唱力と持ち前のキャラクターを生かした演技で、デロリスの存在感を際立たせていました。
最後はみんなでダンシング ٩(❛ᴗ❛)۶ 多幸感に包まれて帰途につけますよ。
ネタバレBOX
最初の数曲は、それほど・・・みたいな印象だったのですけれど、ちゃんと、後に出てくるモチーフが示されていて、それでもって、中盤以降は、歌を聴いていて、うるうる、うるうる・・・ストーリーの展開も感動的で、うるうる。
後ろの席にいたおばさまが「すごいね」って途中で評していました。最後はスタンディング・オベーションも。
題名がシスター・アクトなのですけれど、シスターズのアクトがとても良く、個性的な振る舞いで、それぞれが粒立っていました。シスターズが集まったときの爆発的な衝撃感。すてきでした♡♡♡
満足度★★★★★
千穐楽を観てきました。リタの人生の変遷が描かれます。エロチックなはじまり。リタは、生きていくためとして春をひさぐ行為をしていました。でも、手に入れたお金は他者に渡すような行為を彼女は何度もしてきたようです。周囲の人は、リタは嫌といえないと見て、そうしたリタからお金を搾り取ります。そうした中、ひょんなことから、リタは、リコという存在を演じなければならなくなります。そして、追い込まれた終盤、リタは、リコとして生きていくことに・・・
ネタバレBOX
リタは自らの行為の動機を「他からよく思われたい」と吐露します。それは、自らの評価を良くするためというとても利己的なもの。示す行為こそ他者に施すものではありますが、そういう意味で、リタは元より利己的な人間でした。リコとして振る舞う彼女はとても尊大な態度を示します。元々利己的な素養を持っていたリタは、スプリッティングすることなく、リタとして振る舞えたのでしょう。人はリコを搾取する存在と評します。でも、リコは、貧しい環境に産業を根付かせ富をもたらす存在でもあります。利他と利己とは・・考えさせられる内容でした。
そうそう、神と呼ばれる存在が出てきます、善人を探しに。そして、リタは後に身ごもります。そういえば、リタは神と関係を持ったような・・・リタは聖母と見ることもできるのかな?
創造者の思惑とは合致していないかもしれないのですが、いろいろ示唆的な内容が刺激的でした。
満足度★★★★
久しぶりのサンシャイン劇場、成井氏の脚本・演出・・・思わず、ホッコリ。
物語は、とっても整理されていて、おぉ・・・という結末に向かいます。
とはいえ、そういえば、こんな台詞もあったなと・・・振り返ることも・・・
配役によって、演技の強弱が見受けられるのだけれど、それも、演出だったのかなと思わせます。
うん、うん、ニンマリしつつ帰路についた私なのでした。
ネタバレBOX
辰巳拓郎さん、足腰が弱っている感が・・・演技かもしれないけれど、若々しいお父さんでもよかったような・・・特に終盤の展開を考えれば。畑中智行さん、背景的な場面でも表情がとっても役柄らしくって、エクセレントって思いました。伊藤万理華さんの役は、最後まで観た後に考えると、とっても複雑な心情を抱きながらのものなのだけれど、かわいらしさで〇。平野綾さんは、お嬢様らしくってとっても素敵でした。暗い中でも足を引きずって歩くなど、うん、好き♡
結末部の台詞は、劇中劇を更に入れ子構造にするような面白さを覚えました(^_-)-☆
満足度★★★★
最後のいなくなった方は、なぜいなくならねばならなかったのでしょうか。劇冒頭で移動させられていたギターと劇の終末に池で見つかったギター、先代の田宮夫妻と慎一郎・いずみ夫妻、サングラスの女性と北島氏など対照的に配された設定と、時間軸を通じて失踪事件に関わっていた数名の登場人物。感情を伴って吐露される逸話の数々。これをつなげて紡いでいくと見えてくる紋様。なぜ、そして誰が、その行動を執ったのか。見終わった後、隣人と話してみて下さい。同じ舞台を観ていたのに、この夏起きた事件を同じようにとらえてはいないかもしれませんよ(^_-)☆⌒
ネタバレBOX
ギターにこだわって物語を観ていくなら、おそらく殺人犯はOさんかなと。動機は田宮家の主人に忠実な想いをもっているから。でも、自分から離れる畏れ及び不実をあいまいなものにするためにIさんが殺人に及んだということもありえそう。サングラスの女性が伴っていた犬と「そばこ」が同一犬だとすれば、Mさんが血縁関係の恨みからということも想定可能だし、変に粗暴っけのあるUさんが田宮家にかかわっているのはサングラスの女性の失踪に関わりがあるから?とか、KさんとIさんが抱き合う姿を目にしたSさんが嫉妬に狂って・・・ということもあるかなぁ・・・そもそも、Sさんがこの場にいること自体が仕組まれているようにも思えるので・・・冒頭でボートの金具が壊れていたというのは、事故が起きるようにするための事前工作だったとみることもできるし、わざわざ別荘にKさんを呼び寄せたSさんがKさん殺人事件の全てをプロデュースしていたということすら想定の範囲内にある。
うーん、作者が想定した真相はどのようなものなのだろうか。もう一度、じっくり観てみたいと思ってしまった劇である。
満足度★★
「家族の深い悲しみと再生を描く感動の物語」・・・なんて言われていますけれど、心地よい余韻などは残りませんでした。
昔の脚本なのかな・・・と思っていたら、そうではないのですね。私には、資本主義への批判的な主張がメインテーマのように感じました。
演者は豪華だと思いますよ(^_-)☆⌒
ネタバレBOX
上記のように見るのであれば、ハロルドは資本主義の権化であり、物語は、愛や連帯の欠如をあぶり出すための逸話を重ねているというような構造になると思うのですけれど、テレンス、エリザベスの行動の動因が了解可能域から少し外れていて・・・というか、共感できるレンジ内になくて・・・最後に出てくるエドガーも、その前に発見される手帳も生かし切れてない気がするし、テレンスの憑依されているような芝居も、日々エドガーの思い出が薄れていくテレンスが演じている動機が不詳だし・・・エリザベスとテレンスの関係性も微妙な表現だったし・・・亡霊を物語に引っ張ってきた背景には、資本主義の幻想っていうことのほかに、クリスマスキャロルへのオマージュみたいなものもあったのではないかと推測するのですが、そんな思い込みは満たされることなく、少しさみしい気持ちで帰途についた私なのでした。(T_T)