グリム童話~少女と悪魔と風車小屋~ 公演情報 SPAC・静岡県舞台芸術センター「グリム童話~少女と悪魔と風車小屋~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     どうしてあのような表現方法が採られたのだろう。自分には分からなかった。でも、現実の世界から距離のある寓話の世界をイメージさせてはくれました。
     ほとんどが白一色でしつらえられた世界において、色相や彩度のある存在は、メッセージ性の強いものと推察されたのですけれど、酌み取れない自分が悲しい。緑に変わる木や、海のように寄せてくる青など、印象は強かったのですけれどねぇ・・・上部に現れる字幕と台詞との間に二面性はあるのかとか、表に見えている演者と影を演じている者との間に二面性が認められるのかなど、気にしつつ観ていたのだけれど、これらについても酌み取れない私。見守り支援してくれる者がアコーディオンを弾いている意図も分からない・・・うーん、いろいろモヤモヤしたものを抱えて帰途についた私なのでした。

    ネタバレBOX

     「たくさんの名を持つ者」(以下「悪魔」という。)が写楽の「江戸兵衛」の手のようなポーズを何度もしているのが印象的でした。そうそう、姫の父が悪魔を確認しようとして鏡を顔の左前方にかざすのに、悪魔は自分をのぞき込むように鏡を持つところも印象的でした。
     姫の父と悪魔との契約は、「まばたき」という、不随意な運動によって成立してしまいます。そしてこの契約は「古いリンゴの木を3年後に供出する」という姫の父の思い込みに基づいて結ばれたものです。後になって、契約の意味するところが姫を供出すると言う内容であったことを知ってなお同契約を追認した姫の父は、その後、悪魔の言うがまま、姫の手を切り落としてしまいます、そんなことまで契約してはいないのに・・・
     この行為は、悪魔によって改ざんされた王からの手紙を読んでも、そこに記された指示に従わなかった庭師の態度と対照的に見えました・・・
     そういえば、役割として7年もの間戦争をしていた王が、その一方で、子を慈しむ心情を示すのも対照的といえば対照的と言えそうです。
     人の行動は、意図せず行ってしまったものや、無知や思い込みに基づいて行ったもの、矛盾を内包するものであることがままあるのでしょう。そんななか、自分のあるべき状況が分からない森の中にいるようなときでさえ、姫も、そして王も、食べ物は欲っします。食べ物は、考える前にというか、生きるために本源的に必要なものとして描かれていたように思えました。
     最後に、長く記憶にとどめておくべき言葉として示された「奇跡は今も起きている」旨のメッセージは、苦しい状況下にあっても、抱いておくべき「希望のようなもの」として提示されたように響きました、まるで食べ物のように。寓話も同じようなものとして位置付けられるべきものなのかもしれません、日々生きていくための糧のように・・・

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    2020/01/19 02:08

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