GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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SUBLIMATION-水の記憶-

SUBLIMATION-水の記憶-

護送撃団方式

萬劇場(東京都)

2017/02/15 (水) ~ 2017/02/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/15 (水)

座席2列

『あなたのその曖昧さ、全面的に愛してる。』このセリフを吐くのは、誰もが想像するように主人公の曖昧な女性である。しかし、このセリフがどこで誰に吐かれたのか、そのシーンにはかなり驚いた。

”形を壊すスチームパンク LOVEサスペンス!!”という煽り文句。

この舞台は、登場人物同士をたくみに裏切らせながら、その上で観客をも少しづつ裏切っていく。それも、特定の登場人物と観客しか知らない形で。登場人物と観客がある種に共犯関係を築かせるのだ。これが「形を壊す」。

まさに設定は、スチーム満載の「スチームパンク」。

説明書きを読んだ観客は、割り切りたい男と曖昧な女が愛し合うという意味で「LOVE」を想い観劇に臨むのだけれど、この「LOVE」は全く私たちの想像を超えるものだった。

そして次々と明かされる事実と、暴力描写や30年前の回想シーンは上質の「サスペンス」。

何のことやらと思った説明書きが全て、きれいに舞台内容をなぞっていることには、ほとほと感心せざるをえない。確かに「真実なんか蒸気の向こうに消えていく。」のだから

また、舞台装置も見事。確かに狭い。しかし、その狭さも舞台を立体的に見せることや深い奥行きを感じさせること、そしてトンネルをくぐり時間経過を見せることで無限の広さを感じさせる。
その上で、ダンスシーン、アクションシーン、そしてモブシーンが、最初狭いと感じさせる舞台に収まるのは、演出と稽古の賜物だろう。その上それぞれのシ-ンの出来栄えも高品質だ。

本来、舞台では難しい回想シーン。舞台装置の大掛かりな変更(例えば、歌舞伎などの回り舞台)が必要と思われる過去への移行も、人物配置の妙ででスムーズに行われる。だから、舞台は停滞することなくどんどん進んでいく。

舞台開演時の演出も気が利いている。まさに【舞台への誘い】、観客席がこの街との地続きとなり、舞台と観客の一体化を感じさせてくれる。

まさに観るべき舞台!!!

追伸:スチームのせいか、結構、劇場内が冷えます。、ひざ掛けを貸与してくれますの   で開演前にいは借りておきましょう。



ネタバレBOX

『私の体の60%は世界で最も曖昧な物質で構成されているんです。』
これが水であることは、舞台のタイトルからも自明の通り。ただ、この水を、スチームであったり、街をめぐる水道管内の水であったり、そして人間に含まれる60%にまで拡張して、そこに宿る記憶の物語として舞台化したお手並みは見事の一言。

物語を貫くウェンヤンの存在も街の混沌を体現するように魅力的。
ウェンヤンの分裂症的な性格は、あの街にあった水の記憶に由来するものなのか。
優等生的だが、曖昧なことを愛し、仲間を裏切り、兄を蔑み、○○を偏愛し、自らの愛の証明のために自傷する。自らの存在の前に、意図のあるなしに拘わらず全ての者をひれ伏させる。しかし、そんな彼女は、街の誰からも愛される(あるいは嫉妬される)存在なのだ。
彼女は割り切りたい男をも飲み込んでいく。

水道管に水を送り続ける、【存在しなかったのにすべてを見ていた】ラウ、スチームの中を時空間を渡るように舞い続けるフーグー。彼、彼女は水の近くにいて全てを司っていたのかもしれない。彼らは歌わない、たった2人の沈黙のコロスではないのか。ただ1つ、30年前に嫉妬に駆られてラウがとった行動のみが、自らの役割を逸脱するのだが。

なお、1つだけ言わせてもらうと、30年前の事件の際にリーと組み合う人物の素性が判らないのが消化不良。クインに暴力を振るっていることから、親なのか夫(ないし恋人)なのか。その人物描写を捨象したことは正解だったけれど、どうにかしてすっきりさせて欲しかった。(どこかで判るようになっていたのかな?)
ブラックマーケット1930

ブラックマーケット1930

ユニットR

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/06/27 (水) ~ 2018/06/30 (土)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/06/27 (水) 19:00

座席1階1列

今年度は、全作を通して観劇すると決めたリオフェス。。
すでに観劇済の「野外劇 新譚 糸地獄」「桜の森の満開の下」に続いて3作目の作品です
ちょっと、言い方は変ですが、先の2作品に比べて舞台劇らしい舞台劇でした。
アゴラこまばで上演されたということもあるのでしょうけれど。

アゴラこまばは、リオフェスの聖地という感じだったのですが、今年度はユニットRのみ。少し寂しい感もあると同時に、せっかくの岸田理生さん追悼フェスティバルなのですから、表現の可能性が広がっていると解すれば、ここれはこれで歓迎すべきことかと。

原作は「ハノーバーの肉屋」
私はこの脚本を知らないのですが、幾つかの理央さんの作品を混ぜている(あるいは翻案しているが正しいのかな)ようです。(そう役者さんが言われていました)

ただ、タイトルからわかるのは、第一次世界大戦後のハノーバーの人肉愛好家兼人肉屋のフリッツ・ハールマンの話だということ。
でも、パンフレットの配役では、ペーター・キュルテンと書いてある。
あれ、これって、ちょっと年代はズレルけれど、ヂュッセルドルフの殺人鬼じゃない。
両方とも第1次世界大戦後のドイツという共通点はあるけれど、嗜好が全く違うのに。
(キュルテンは動物性愛・強姦殺人、ハールマンは男色・人肉嗜好)
それと、ハールマンを支配するそしてハンス・グランスにあたる少年が少女になっている。

ここらあたりは、これから観劇する方は、予備知識をもって観られた方がよいかもしれません。ちょっとした趣向として、こうしたのだと思います。

舞台上では、ひたすら「肉」「肉」「肉」の発声と、食事シーンのオンパレード。
食欲、性欲、支配欲、そして殺人衝動、これらは通じ合うということを、しつこく教えてくれます。

ネタバレBOX

グランスを女性にしたのは、食事それも肉食、ひいては人肉食のシーンを、料理を作るということでことさら強調させたかったのと、ストレートに性欲を強調したかったのではないかと。それにグランスは美少年だったので、変に男性にやらせるとクレームきそうだし。

肉屋をキュルテンとしたのは、戦後ドイツの殺人鬼を一つの鏡像として見せたいがためではないでしょうか。劇中、肉屋の分身がたびたび出てきますが、これがハールマンではないでしょうか。キュルテンは、ハールマンになった夢を見ている。
だから、人肉は食べられないし、グランスは男ではなく女なのです。
ラストシーンで夢?あるいは錯乱状態から覚めたキュルテンが、自分の最期望みとして発する名言「私に残された最後の望みは、自分の首が切り落とされ、血飛沫を噴き出す音をこの耳で聴くことです」を発します。

初日の懇親会でお聞きしたのですが、読み合わせから通し稽古まで、週1回のペースで計10回程度の稽古しかなかったそうです。ですから、セリフを定着するのに苦労した、と笑ってお話しくださいました。
他の小劇団も同じようなものなのかもしれませんが、それでも、このクォリティは素晴らしいですね。たった6公演とはもったいない限りです。
青森県のせむし男

青森県のせむし男

B機関

ザムザ阿佐谷(東京都)

2017/11/22 (水) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/24 (金)

ラストに向けて、確固とした何かを与えてくれる芝居だな、と途中で思ったのだが、その予想はある意味あたり、ある意味はずれた。泣いてしまったのだ。涙腺が感情と関係なく緩んでしまった。どこで泣いたのかと言えば、ラストで、と言えるのだけれど、なぜ泣いたのかと言えば、これは言葉では難しい。

語ることが難しい芝居、舞踏を基礎とした身体性が、頑なに言葉を拒絶しているような芝居である。点滅氏はヒルコであり、せむし男の精神性だったのですね。

ネタバレBOX

果たして、あのせむし男松吉は、マツの本当の子だったのか?マツの子殺し発言は本当だったのか?ただ、はっきりしているのは、松吉が母を求めていたという、その一点だけである。

ヒルコ伝説はそれとして、母子相姦の意味するものは何だろう。
~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

サンハロンシアター

テアトルBONBON(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/30 (木) 19:00

座席1階1列

どこまでをここに書いて、どこからネタバレとするか迷います。

まず、多くの観劇者が、このフライヤーに惹かれて、少ない説明にそそられて足を運ぶ(運んだ)と思います。戦前の上海租界の魅惑に溺れたいがために。

確かにその魅力は十分に舞台で表現されています。
マニュエラ役のYOSHIEさんは、フライヤーを飾っているとおりに妖艶で魅惑的です。
ベリーダンサーとして、舞台を縦横に舞います。
李香蘭を再演する田宮香苗さんの歌は、ミュージカル女優ならではで十分に魅了されます。そして2役となる川島芳子の軍服姿で演技は、短いながらも彼女の悲劇的な運命を感じさせてくれます。

劇作の長い中盤を占める上海での情景、よく雰囲気を醸し出していて、舞台の大きさや予算のことを考えれば非の打ちどころがありません。むしろ、豪華絢爛です。しかしこの舞台の骨格はそこにはありません。

マニュエラの物語でも、ましてや李香蘭の物語でもないのです。
これは1人の作家ないし編集者の物語。

「現代日本と戦前上海とを行き来する」と説明がありますが、現代日本とは老人介護施設。登場人物たちの立ち位置はまさにミステリアス、でもこの幻想譚はそれなりの方法で伏線を回収し、カタルシスを開放してくれます。

これ以上はネタバレですね。ストーリーとしてはもちろん楽しめますが、上述のような上海を味わいたければ、できるだけ前で、かぶりつきで観るべし。

ネタバレBOX

冒頭の数分間、男女の編集者2名が出てくるシーンは何だったのだろう。
あれは、男性編集長が自身の老婆を連れてくるシーンだった(つまり、老婆と自宅で話しているシーンは回想していることになる)のかな。
だって、老婆はこの物語の主人公の女性編集者なのだから。
その老婆が恋焦がれる嘱託医が、件のインチキ占い師こと現代と戦前の上海を行き来する小説家、つまり双子の兄と同じ江口信さんが演じているのは、うまい配役だと思った。

ただし、男性編集者を介護施設に登場させるために、例の介護施設での大量殺人事件を引用したのだろうけれど、あまり味の良いものではない。もっと、サックリ描いてもよい気がした。
Salvation-救済-

Salvation-救済-

劇団天動虫

ワーサルシアター(東京都)

2017/12/06 (水) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/12/06 (水) 19:30

座席1階2列

 天動虫は今、何か変わろうとしているのかな。というのも、以下の理由。
1. かなり心理的な痛みを伴う内容の舞台が続くようになった。
2. 劇団員の外部出演が増えてきた。(温井さんなどは、MUに連続だ)
3. メディアにインタビューなどを積極的に出し始めた。(カンフェッティですが)
4. ツイッターやフェイスブックを活用した情報拡散を積極的に推し進め始めた。
(他の劇団よりも結構積極的な感じがする)
5. 3と連動するが、集客にかなりこだわり、様々な割引制度を用意し始めた。
劇団としてのサバイバルなのか、意識の変化なのかは分からないけれど、これは悪いこ
とではない。変化なき者は廃れゆくだけですから。ただ私は1観客として、今までのようにオーソドクスに観劇を続けて、行く先を見届けるだけです。(すみません、非協力的で。おじさんは快楽主義でして、気楽に見たいのです)

 さて、フライヤーを見ても、海賊だと書いてあり、少年犯罪とも書いてある。「幻の女」を観劇した時、ジョニーさんから、この舞台の概要を聞いたのだけれど、さっぱりわからなかった。でも、舞台を観て、「ああ、そういうことか」と納得。

 「飛び火」以来の活劇調で、ジョニーさんはこうした活劇がよく似合う。とにかく、演技が外連味たっぷりで、指先一つ一つに緊張が走り、その跳躍に開放感が溢れる。(「煙のミロク」を観られなかったのが残念)御年○○歳ということだけれど、こういう芝居は若い時にしかできないのだから、役やテーマは替われど、こうした芝居をどんどんするべきだと思う。それでも、悲哀や煩悶、歓喜や安堵を演じる力量は、十分培われていると感じるし、一幕劇のようなコミカルな演技と相俟って、十分に役者として成長していると思われるから、心配ない。
 ジヨニーさんは脇で抑えた演技をさせると、結構な女前なのと立ち位置をわきまえすぎて、何とも没個性的になってしまってもったいない(「上を向いて歩こう」の女霊媒師や「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た」の3姉妹とか)。脇で主役を光らせることは、主役の経験値でも養われるから、脇を張る時でもやはりはじけて欲しい。

温井さんは、いまや完全に天動虫舞台のキーマン役だ。「幻の女」に続いて、この舞台でも抑え目で目立たない役を、ラストから逆算して登場直後から慎重かつ丁寧に演じている。
こうした役を演じきれる方はそうはいないと思うので、今後は、客演も引く手あまたにならんことを祈っております。

杉本さんは、舞台設定を活かす上での重要なスパイス役。過去については詳しく分からないけれど、どういう立場なのかはよく分かる。だからこそ、終始大声で怒鳴るばかりではもったいない。法律(青少年更生法)に反対なのか、少年そのものの存在否定なのか、脳内に意図的な作業を施すことへの批判なのか、それとも全部なのか。その辺りを、もう少し強弱のある演技で仕分けて欲しかった。

 「幻の女」でも、号泣していた男性がいたけれど、初日、私の隣の女性もラストでワッと泣き崩れました。帆足さん、演出家冥利に尽きますね。

追伸:2時間は全く構わないのですが、お尻が痛いのは何とかならないかな。
   次回公演も同じ劇場らしいので、ちょっときついです。





























ネタバレBOX

ラスト近く、家族で食卓を囲むというシーンで、少年Aの伊藤さんと少女Bの千晶さんがテーブルの前に正面に並んで座るのだけれど、この時、舞台上は13人。伊藤さんと千晶さんが、テーブルの左右横にいれば、図はさながら「最後の晩餐」。するとジョニーさんがキリストなのかユダなのか。興味深い構図でした。

ここで最後に残った課題、冒頭、母を殺した少年と同じ名前で呼ばれる少年Aと少女Bは何なのだろう。全く的外れかもしれないけれど、少年の中に存在する母親への希求(少女B)と反発(少年A)のメタファーなのかな。ラストで描いているのは、そういうことなのだろうから。

最後に、話の進行で井村さんはてっきり少年の幼いころに離婚した父親という設定かと思いました。(死んでいないとは言われていないし)やはり、おじいちゃんですか。(失礼!)
相談者たち

相談者たち

城山羊の会

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2017/11/30 (木) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/30 (木) 19:30

座席1階1列

ストーリーだけをみれば、他愛ない話。(現実であればかなりシリアスだけれど)

50歳過ぎの夫婦。夫が若い女と不倫をし、妻に別れを持ちかける。
そこに、一人娘が彼氏を連れてきて状況を垣間見ていると、何と不倫相手の女が男性に連れられてやってくる、さて。(これで1時間50分)

これが、ツボを押さえておかしい。
いや、内容的にはシリアスだけれど、会話やセリフ、行動に生ずる微妙なズレが、常に笑いを誘う。それが声になる笑いであったり、クスっという笑いであったり一筋縄でない。

声がかなり小さくて、冒頭におことわりがあるのだけれど、それが効果的。
(集音マイクが3基設置してあるが、それでも聞き取れないところがあった)
集中してセリフを聞かせるので、ニュアンスの面白さや、セリフの意味をあれこれと想像させるのである。この規模の劇場ならば、こういった演出もアリアリだと思わせた。

ネタバレBOX

「相談」=どうすればよいかなどについて、意見を述べ合ったり、意見を述べてもらったりして考えること。 

らしいけれど、「相談者たち」というより、みんな人生の一場面でついうろうろてしまう「遭難者たち」に見えた。

鄭亜美さん(不倫相手)、色っぽい。ラストの吹越さん(夫)とのラブシーンはちと長すぎなくないかい(笑)きっと、毎舞台部分部分、2人で工夫して(なすがまま?)違うんだろうなあ。
暗転する中で1回、暗幕になって1回、安澤千草さん(妻)のセリフ「うちではやめて」2連発には、笑った笑った!

うらやましい。
『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2016/12/31 (土) ~ 2017/05/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/15 (月) 19:30

まず、導入が怖いです。主人公たる2人が薄明りの中、こちらに歩いてきます。何かそのままとびかかってくるのかという緊張感。最前列の私はひたすら怖い。そうでなくても、会場の雰囲気が、開演前からどうも尋常じゃないのですから。
かなり怪しい舞台だな、と思っており、会話劇ということは理解していましたが、何やかやと細かい所作が連綿と続きます。その1つが、体に巻き付いたラップをはがしていくところ。この行為に何を見るかで、演劇の印象はかなり変わると思います。

自殺する生活、それはひたすら自身を殺し続ける(精神的な意味で)生活を意味するのかなと思っていましたが、違ったようです。絶え間ない生への執着を持つがゆえ、自殺してやろうという意思に自身の生の喜びを見つける所作。自身を頬をつねりながら、その痛みで生の実感を得るようなものでしょうか。

舞台の上では、ひたすら狂気が漂い、言葉の暴走が起き、そしてしょーもないダジャレが飛び交います。これはすごく不安な空間でもあり、またどこに連れて行かれるかわからない心地よい空間でもあります。

自殺志願の男の鬱屈した目と、彼を諫める男の焦点の定まらない目、舞台が終わると、お2人とも、至極まっとうな方々で、安心しました。リピーター割があるので、少ししてからまた観に行きたいなあ。今度は芝居好きの子供を連れて。

ネタバレBOX

延々と続く会話は、自殺の話からごみの分別の話、リサイクルの話、認知症の話とひたすら流転して、また自殺の話へと戻っていきます。今度は自殺の主体が入れ替わって。

体に巻き付いたラップ(いわゆる食品保存用ラップ)や、ラップを会場に張り付けるのは、今年4月以降の演出とのこと。このラップの意味は何なのか。回答はないようですが、彼らが自殺に踏み切れない、この世の業のようなものに思えました。そのラップが全てはがれてしまった先で、1人は事故死的に(周囲の評価では自殺ととらえられたかもいしれない)死に、もう1人は自殺を試みることから離れていく(このことは、取りも直さず、生死への執着の喪失であり、彼はその意味で精神的に死んだのかもしれません)。
衣衣 KINUGINU

衣衣 KINUGINU

metro

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2018/02/09 (金) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/02/10 (土) 14:00

月船さららと結城座の出会いは、奇跡的だと思う。
でなければ、「ゴーレム」のような伝奇物は具現化できなかったろうし、ましてやこの作品のように泉鏡花の世界を見事に立ち上げることはありえなかったろうから。

「天願版・カリガリ博士」のチケットを購入した時、あとで気付いたのだけれど人形劇だと判り、しまった、と思った。まあ、購入したのだから仕方ないか、と足を運んだのだけれども、この失敗(と当時は思った)がその後の観劇に対する視野を凄く広げてくれた気がする。

どうも人形劇は、苦手だ。文楽も何度か見たけれど、好きな浄瑠璃演目でも、数人がかりで所作を操るのはせわしない。操り人形他でも同様で、上から動かそうが下から動かそうが、動かしている人間の所作が気になってしょうがない。

しかし、「天願版・カリガリ博士」しかり、「ゴーレム」しかり、この「衣衣」しかり、人間と人形とが一緒に演じることで、幽界と現実との狭間を見事に取り払い、観客にその世界を自由に行き来させてくれる。そこには生があり、生を与えられた虚が共存する。その玄たる世界観が見事。

月船さららさんの表現したい世界を「二輪草」に観たとき、その後に「ゴーレム」を観ていかにもと膝を叩いた次第。

「天眼版・カリガリ博士」で、後藤仁美氏のデビューに立ち会った至福を反芻しながらMetroという月船さらら表現の場に潜り込めた幸運に浸りながら、この「衣衣」にて泉鏡花の幽玄美を堪能させてもらったことに感謝。

ネタバレBOX

ちなみに、席は最前列がお勧めです。それもいわゆるでべそのかぶり付き席が。月船さんの指の先々の神経の動きまでが、数十センチという至近で堪能できます。
『熱狂』『あの記憶の記録』

『熱狂』『あの記憶の記録』

劇団チョコレートケーキ

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/12/07 (木) ~ 2017/12/19 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/12/13 (水) 17:00

座席1階D列13番

「ある記憶の記録」「熱狂」を連日で観た。他のコメントにあったような、聞き苦しさとかタイミングの早さとかは感じず、相変わらずの熟成度のある芝居だなと感心しきり。

ただ、連日で観て、かなり周りの観客の方々が厳しい批評眼で観られていた(なぜか若い女性の方)ので、細かく見ればいろいろとあったのかもしれないが。結構、終演後、辛辣に語っていたからなあ。そんな見方をされる劇団になったのですねえ。

ただ1人2作に出ていられる浅井伸治さん、どちらもストーリーテラー的な役割なのだけれど、一方は強面のSS、一方は人の好い身の回りの世話係と、ものすごい好対照。

古川氏の今年演じられた脚本、「熱狂」→「旗を高く掲げよ」→「ある記憶の記録」→「幻の国」と繋げてみると、戦中戦後のドイツ負の歴史とでも言おうか、何かとても感慨深い。古川氏がパンフで書いていた「知的好奇心」のなせる業なのだろうけれど、なんとも、それに留めておくのがもったいない気がするほどの連続性、体系性だと思う。

歌舞伎ミュージカル「不知火譚」

歌舞伎ミュージカル「不知火譚」

劇団鳥獣戯画

本多劇場(東京都)

2017/05/10 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/11 (木) 19:30

座席1階E列

奇しくも今年正月に、国立劇場で上演された歌舞伎「しらぬい譚」と同じ原作の歌舞伎ミュージカル。「奇しくも」というのは、この演目自体が「復活通し狂言」と銘打たれるくらいに滅多に上演されないので、ジャンルとしては異なりますが、このスパンで上演されること自体が奇蹟に近いのです。
歌舞伎では、天草四郎などのお家転覆のファクターはなく、あくまで鳥山親子VS若菜姫、化猫(別に連合軍ではない)の図式で進んでいきます。
鳥獣戯画は3部作で、この大長編戯作を、できるだけ原作に近づけて(といっても、十分に歌舞伎以上に傾いてくれるのですが)演りとげる所存のようです。
まずは第一段。けして派手ではないですが、舞台転換をさくさくと進めながらテンポよく話は進んでいきます。仕掛けは凝っており、若菜姫が蜘蛛の精に連れ去られた後の空中演舞、後の天草四郎が亡き父の亡霊と会うときの演出、殺される悪女とその色との首ダンス、ラストの大掛かりな〇〇登場と蜘蛛の巣のセット。
いやあ、お世辞抜きで、笑いあり、活劇あり(殺陣もしっかりしているんですよね)、ダンスありの舞台はまさにエンターティメントの粋をいっております。適度に歌舞伎の所作・ルールを意識しているところなど心憎い。
石丸さんの悪女ぶりがいいですね。小股が切れ上がった痛快な悪、でも、今回で死んでしまい残念。(次回からはナレーターやるのだそうな)
出演人数も多く華やかで、ラスト出演者全員でのレビューは圧巻です。舐めるなよ伝統芸能!!!とい喝采を上げたくなりますね。

ネタバレBOX

鳥獣戯画というと、当然、主演はちねんさんとなるのですが、相変わらずの活舌の良さが時代劇の雰囲気を盛り上げてくれます。しかし、あれは意識したギャグなのか、いかにもなちょんまげかつらは何なんでしょう。他の出演者がナチュラルに決まっているだけに、浮き気味です。また、どうしても、他の男性演者と比較すると、体格で劣るので、次回以降、一層の活躍が期待される中で、殺陣が増えてくると(上手下手ではなく)絵面で少し心配です。
次回はスズナリとのこと。箱が小さくなる分活劇度が心配、今回のようなダイナミズムを失わないように宜しくお願い致します。でも、来年秋はちょっと長いなあ。せめて1年後にして欲しかった。
最後にアンケートについて一言。今回は出しませんでした。理由は単純裏面に、登場人物の相関図が印刷されており、これ販売されているパンフにも掲載がないのですよ。となれば、次回観劇の際の記憶の必須アイテムです。これは、別紙面にしてくれないといけません。
THINGS I KNOW TO BE TRUE ーこれだけはわかってる-

THINGS I KNOW TO BE TRUE ーこれだけはわかってる-

幻都

black A(東京都)

2017/12/19 (火) ~ 2017/12/23 (土)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/12/20 (水) 19:00

座席1階1列

大森博史、山本道子の安定感のある演技を中心に、4人の子供たちがそれぞれの人生をセリフの中で個性豊かに演じられている。丁寧な演出の朗読劇でした。

家族をよく幻想だと喩する表現を耳にするけれど、それは理想としての家族がそれぞれあって、それが家族内で相互に違っていて、現実との乖離に疲弊したり失望したりするからなのだろう。しかし、そうならない家族像というものが存在するのだろうか。そもそも、初めから家族などに期待したり、依存したりしたりしなければ、家族像などというものは描くことすらないのだから。

皆ちりじりになる家族、それぞれの思いを込めて。子供たちは未来を観、親は過去を観、愛するがゆえに通じない心のもどかしさ。
ある子は、家庭の中に人生の総てがあったと言い、ある子はこの家の中には何もなかったと言う。この違いは何?母親は言う、皆公平に同じだけの愛情を注いで育ててきたのだと。

朗読劇はつくずく、見せるものなのだな、と思う。
役者の位置、移動、視線、手や足などのちょっとした所作が、かなり大きなニュアンスや波風を生じさせる。その意味でも、この舞台は声だけでなく、十分に舞台劇としても成立している。

必見。

ネタバレBOX

家族が全員揃うのは、序盤で次女が旅から戻ってきたと来た時だけ。ラストで揃った時には1人欠けていた。象徴的だな、気付いた時には集まりたくとも、集まれないのだから。

家族を描いた作品なのに、家庭内の様子はさっぱりわからない。しかし、庭の様子は手に取るように判るのは、庭が両親の生きる場であり、子供たちが訪れてくる場であり、去り行く場であるからなのだろう。親と子をつなぐ象徴なのだろう。そこでは四季が移ろい、痛みを伴う諸々が起きる。家族の知られざる素顔を観ることもできる。

バックに映りだされる四季と僅かな文言、そして木々の木漏れ日に雨、最後に多い出す漆黒の闇。夏に咲くバラ、それは咲き始めの時期が一番美しいと、父が次女に言い、母はバラを抜いて、別の植物を植えないかと言い出す。でも、まだまだ、この家族の物語は続くのだな、と思わせるスクリーンプレイが素晴らしい。

「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2017/02/18 (土) ~ 2017/02/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/20 (月)

座席1階3列

「ロミオとジュリエット」の翻案ではありません。歌舞伎ですね。「ロミオとジュリェット」のハイブリッドでキッチュでハイパーな「傾奇」。もしかしたら、タイトルにある「ロミオとジュリエッタ」は、個人名と恋愛悲劇との掛詞に過ぎないのかもしれない。それくらい、本来の話との共通性はない。

世話物でありながら、まさに荒事。歌う躍る、殺陣あり艶事あり、駈けづり回る飛び跳ねる、修羅場もあれば見得も切る。目に焼き付くのは、胸の谷間と網タイツ、粋な漢の着崩し姿。セリフのケレン味は抜群。

舞台で起きるあらゆることが、向島の戯作者(登場人物の1人)の作った戯作のメタ芝居のようにも思えてきます。つまり、舞台で起きることが、彼に芝居を書かせているのだけれど、実は彼自身も戯作に登場する1役に過ぎない、というような、胡蝶の夢みたいな芝居です。

浅草を根城とする同劇団、この演目を東洋館でやることの意義を深く感じます。
すぐ手の先にある吉原と隅田川。そして勝手知ったる劇場を隅々まで使いこなす巧緻性。土地柄なのか、贔屓筋(ファンではない、親族や友達でもない)も多そうですし。

飲食禁止ではないこともよいです(芝居の邪魔にならない範囲ですよ)。大衆娯楽で飲食禁止はないよ。

樹里恵の服装はナコルルですよね、赤バージョンの。
客席通路に立つ樹里恵こと古野あきほさん、横で観ていて凛としてカッコよかったな。
「狼眼男」こと毛利小平太の丸山 正吾の客席を駆け抜ける横の速さと、舞台に飛び乗る時の縦の軽快さにも目を見張った。

また拝見に伺うと思います。そのせつも宜しくお願い致します。




野鴨

野鴨

ハツビロコウ

シアター711(東京都)

2020/03/24 (火) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2020/03/28 (土) 13:00

座席3列

 ハツビロコウが「野鴨」を上演すると知った時、ついにやったな、という思いが沸き上がった。もちろん、ハツビロコウの役者、演出、志向性あるいは体質というものを鑑みた時に出た心情で、以前から「野鴨」を演るべきだと思っていたわけではない。ただ、とても上演自体がしっくりきたのだ。イプセンであっても「民衆の敵」でも「ヘッダ・ガブラー」「人形の家」、もちろん「幽霊」でもなく、イプセンを上演すべきだと思ったこともなく、それはただ「野鴨」だから。

舞台を盆栽に例えると、今回の舞台には細かい剪定、意図的な構図、宇宙観・自然観の投影というものがない。ただただ、ハツビロコウという盆の上で、幹の強さのみで作品を成立させている。それは、盆栽を盆栽でなくす、つまりは舞台を舞台ではなくす。しかし、そんな惧れをものともせず、ただ自生のみがハツビロコウの「野鴨」であるというような、強烈な自負が、この舞台には芬々と漂っている。

だから、この舞台はシンプルだ。登場する人物に何の癖もない。これは驚くべきことだ。イプセンの芝居を純化することはかなり難しいから。イプセン舞台に登場する人物は、シェイクスピア作品の登場人物のように、ニュートラルな存在ではない。役者が脚本を読み込み、場面の推移を演じる中で想起し、引き起こされる結末に向かい意図をもってしまう。
だから、ついイプセンの作品では、「無作為の悪意」「純粋なるが故の愚かさ」「諦念を装った怨嗟」「勇気に見せかけた蛮行」等々がしばしば演じられる。いや、そう演じるように仕組まれていると言ってもよい。

この舞台はどうか。グレーゲルスはけして、よく言われるような「正義病」ではない。ヤルマールもけして「平均的な人間」ではない。彼らそれぞれにレッテルを貼り、彼らの愚かさを論うことを、演出の松本光生氏は敢えて廃除しているように思える。「この作品が言いたいことは、そんなことじゃないんだよ」と。
グレーゲルスは、友人を思慕し敬愛する、純粋な理想主義者だ。ヤルマールは自己の才気と器量の矮小さに気付き怯えながら、自分を鼓舞する声と支える愛情を信じ、苦悶しながら生きる1市民だ。誰が彼らを非難したり、彼らの言動を蔑んだりできようか。
そう、イプセンは彼らを物知り顔で批評する観客自体を、横目であざ笑っているような気がしてならない。それも意地悪気に。

舞台ラスト、演出家自らが演じるヴェルレが、彼を慰めようとする使用人を遠ざける。音も声もない世界に浸りながら、ただそこで起きた事実を慈しむように(悲しむようにではない)ヴェルレは暗転の中にフェードアウトしていく
ただ、そこで起きた不可避でありながら、あまりにも儚い死への哀悼を包み込みながら。

何とも何とも力強い舞台だったと思う。

葵乃まみ氏のヘドヴィクが好演。この役が「野鴨」の焦点、彼女の心情にどれだけ観客が踏み込めるかが、舞台の成否に関わるから。
そして、グレーゲルス役の石塚義高氏が、驚愕のピュアさをもってエクダル家を蹂躪する。
こんなグレーゲルス見たことない。

池田屋裏2炎上

池田屋裏2炎上

グワィニャオン

萬劇場(東京都)

2017/12/13 (水) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/12/14 (木) 19:00

座席1階C列7番

よくもまあ、これだけの人数、登場人物を使いながら(書きわけながら)、けして脱線せず、浮いた存在を作らず、動かしきることができると関心しきり。「ほたえな」的な舞台で、舞台装置も目いっぱいに使いながら、殺陣でも魅せて、存分に笑わせてくれる。一方でこの夏「学ばない時間」「クラゲ図鑑」を観たものからすると、西村さんの才覚の幅広さというか深さというか、恐るべし。

ただし西村さん、一層の千代大海(九重親方)化が進んでいますよ。

ネタバレBOX

「池田屋裏」とあるので、そこでずっと話が進むのかと思ったら、メインは新選組の屯所での話、「2」とあるので、その後ということでこうした展開なのかな、と思った次第。
でも、ちょっと裏のお宅の方々の位置づけが微妙になりましたね。
まつろわぬ民2017

まつろわぬ民2017

風煉ダンス

座・高円寺1(東京都)

2017/05/26 (金) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/28 (日) 14:00

座席1階1列

いやあ、素晴らしい。白崎映美さんの女っぷりのよさに拍手拍手!!!!鬼、東北、ゴミ屋敷、行政、1000年。言わずもがなですが3.11が舞台の背景にあります。しかし、けしてそれを引き摺るではなく、そこを原点として前に進もうという意思であふれています。いやあ、歌とユーモアとダンスの奔流は2時間半を、物凄い強度で圧縮し、けして淀みを見せません。とにかく観てください。私の言葉などでは何も表現できません。

舞台を初めて観る方に、なぜ「絶対観るべし」がないのだろう、とちょっと意固地になります。

ネタバレBOX

ひたすら続くジャンプネタ、結構、観客の年齢層も高めだったし、どこまで観客の皆さん判っていたのだろうか。そして、ラスト近く、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」がかり、ジャンプの精霊(?)が出てくるのだけれど、若年層もあれ判ったかな
( ´艸`)
幸福のとき

幸福のとき

立花座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/01/06 (金) ~ 2017/01/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

寡聞して原作者の莫言という方を存じあげないし、立花座が張芸謀という映画監督へのリスペクトによって立ち上げられたということも不勉強だった。そして、この作品が張芸謀氏の映画になっていたことも。(そう、張芸謀って「紅いコーリャン」の監督だったんだ。)だが、そんなことは観客にとっては関係ない。結末をどう見るか、きっとありきたりとかいう者がいるんだろうけれど、私には、人生は過酷なものなのだ、そして人間は愛おしいものなのだということが改めて感じられた。その意味では戯曲として、テネシー・ウイリアムズやアーサー・ミラーにも匹敵すると思う。(ただし、彼らの作品と違うのはこの作品には心優しい人々がたくさんいること)
何書いてもネタバレになるので、ここでは書けないんですが幾つか、突っ込ませてもらいます。
序盤のところの描写には、子を持つ親として少しセンシティブになりましたけれど、、、、今の子供たちなら心配ないか。(意味わからないと思いますので、未見の方は是非ご覧ください。この劇団が子役の育成に力を入れている、というがヒントです)
リンリンの将来が心配です。
工場長さん、ピカピカの車持ってるくらいなんだから、本当は相当貯めこんでたんじゃないの。
ユイさん、本当に気持ち悪い。
ちょっと、観客席が寂しかったけれど、チケット代を考えれば観る価値は十二分あり。でも、子役は皆うまいなあ。ラストは横を通られて少し目頭が熱くなりました。(意味わからずでごめんなさい)

ネタバレBOX

やっぱり、ラストをどう見るかということだと思います。全てを不安に包ませたまま終わっていくラストは、実は他の役にも皆あてはまることで、彼らはひどい怪我は負っていないしいなし、目が見えないわけでもない。そして主人公2人のこれからを思うと深い苦しみ・悲しみを覚えずにはいられないのだけれど、それはこれからの自分にも起きるかもしれないこともよく分かっている。だからこそ、それまで主人公2人とそれをとりまく彼らの笑顔が、全て愛おしい。
実はこのことは、「評判の悪い女」アイリンにも当てはまるのではないかな。彼女もつも不安にさいなまれている。それと、チャオは別れ話を言われたときに気付いたんじゃないのかな。だから、捨て言葉1つ言わなかったんだと思う。ただ、悲しいかな彼女には、フーさんやティオンさんやチェンさんetcのような人々がいない。彼女は底のないほど孤独なんだろう。
周りの皆が、初めはチャオの結婚のために頑張るんだけれど、それがだんだん、チャオも含めて、ウーィンのためだけを思って奮闘努力するようになる姿が、自然ですごくよかった。だからこそ結末が生きたのでしょうね。
それと、小技ですが、ウーィンが天井の高さを測るシーンがうまいですね。あれで、全てが嘘だと確信したんでしょうね。映画もそういう場面あったのかしら。
最後に、
赤池さん、あんなに滑舌よかったのに、何で最後のインフォで噛んだんですか。
斉藤さん、終始結構色っぽかったです。何か青目さんVerのアイリンも見たくなりました。次回も期待しています。
SHIT AND LOBSTER 【ご来場ありがとうございました】

SHIT AND LOBSTER 【ご来場ありがとうございました】

MILE STONE

吉祥寺シアター(東京都)

2018/01/10 (水) ~ 2018/01/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/01/11 (木)

座席1階B列15番

あらすじを簡単に言えばーーー、
古来から培われ、受け継がれてきた日本人の精神性の象徴が、西洋キリスト教文化から恐れられ壊されようとする。西洋は長年そのことを目論んできたが、なかなか果たせずにいたところ、敗戦を受けた占領下で、一気に壊滅を図る。もはやその象徴を守るのは、代々守り続けてきた本家と、ほんの一握りの人々。その人々も、付け狙う組織の手で、次々と殺されていき、、、、
ーーーという、伝奇活劇物語。

舞台の開始はダンスから始まり、どうなることやらと心配したけれど、蓋を開けてみれば納得かつ才気に満ちた痛快エンターテイメント。

「観たい」皆さん、「シットアンドロブスター」とは何か調べているようですが、けして調べられません。是非、舞台で解明してください。けして損はしませんよ。保証します。


ネタバレBOX

とは言っても、私も具体的には判らないのですけれどね。
日本人の精神性であることに間違いはありません。

脚本買おうか迷ったけれども、パンフで演出家や脚本家、出演者の声の方が聴きたかったな。どんな気持ちで、舞台を作り上げたのか知りたかった。それほど、面白かった。
☆をもっと付けたい。

Die arabische Nacht|アラビアの夜

Die arabische Nacht|アラビアの夜

shelf

The 8th Gallery (CLASKA 8F)(東京都)

2017/06/02 (金) ~ 2017/06/05 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/06/02 (金) 19:00

ローラント・シンメルプフェニヒの「語りの演劇(Narratives Theater)」とはそういうことだったのか。本来、演劇とは「語るな、演じろ」ということが基軸だと思っていたし、説得力を感じていた。しかし、壁も扉も階段もない空間で、床に示されている位置や状況のみを説明する文言。登場人物は舞台装置の変換ではなく、自身の発する言葉で、今の自分の状況を示し心情を吐露する。始めは何とも違和感を感じたけれど、進行するうちに、その最小限とも言える身体表現が言葉で膨れ上がり、何よりも大きな説得力を持ってくるのである。なるほどね。

ネタバレBOX

フランツィスカは6歳の時、両親との旅行中イスタンブールで誘拐される。そして、とある首長の下に連れてこられ、第何番目かの妻として、たいそうかわいがられ、20歳にして本当の意味で妻となる。しかし、彼女への過大な寵愛を嫉妬した第1夫人は、フランツィスカにつらく当たるが、それを見咎めた首長は第1夫人を処刑。その時の呪詛の言葉が、現代のフランツィスカを覆っている。彼女は月を見ることができず(睡魔と記憶の欠如が毎夜彼女を襲う)、彼女と口づけをした者は死に至る。
カルパチ、カリルは次々と摩訶不思議な死を遂げるのだけれど、その後、ローマイヤーはどうなったのだろう。
矢野靖人氏は、パンフでこの芝居を「実存」というテーマで語っている。確かにそうした見立ては悪くない。でも一方で、伝奇であり幻想譚でもある。タイトルからも連想されるように舞台には終始アラビアンナイトの趣があり、何ともエキゾチックだ。
そして、よくよく思えば、かなりエロチックな芝居だ。
フランツィスカは終始ほとんど全裸なのだし、カルパチは覗きに精を出し、カリルは複数の女性と情を交わす。ローマイヤーの下心もあけすけだ。
矢野靖人さん今度は、もっと耽美的な演出ではいかがでしょうか。でも、そうなると全く別物になって、「語りの演劇(Narratives Theater)」ではなくなるでしょうね。
劇場ではないので四方に窓がある、夜の回だと、ちょうど舞台上の時間と重なるように、日の光が宵ばりに変化してとても舞台の雰囲気を盛り上げてくれた。
そう、この舞台が演じられたのは、舞台設定とおんなじ建物の8階なのです。
ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ

演劇企画集団THE・ガジラ

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/06/04 (日) ~ 2017/06/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/06/07 (水) 19:00

「生きていたのか呉青洲!」という、まんまの舞台でした。そこが凄いですよね。「ドグラマグラ」は一旦、読み手の解釈を加えたとたんに破綻してしまうような作品です。一生、直には見られない自分の顔のような、掴むことのできない雲のような、逃げられない影のような作品。作品との距離を付かず離れず、微妙なバランスで保ちながら演出するのは大変だったろうなと思います。忠実に忠実に、そのためには削除も厭わず、「ドグラマグラ」の神髄を抜き取り見せるような舞台でした。
(えっ?何を言っているか判らないですって。私はまだ胎児ですので許してください)

ネタバレBOX

壁掛け時計実際の時刻を示しているのですが、机の上の時計は止まったままで動いておりません。まさに止まった時間の中で、観客には明確に時間の経過を感じさせるということですね。
夜が摑む

夜が摑む

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2019/02/02 (土) ~ 2019/02/12 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/02/04 (月) 19:00

異様な出だしだ。
団地の部屋を訪ねてくるセールスマン、彼は幾つものドアをノックしては、居住人に「ここは私の部屋ではないですか?」と尋ねる。もちろん、居住人はここのは自分の部屋で、あなたの部屋ではないと突っぱねる。
しかし、セールスマンは「あなたの部屋かもしれないが、私の部屋でもありえますよね。」とひつこく食い下がる。
そして、また別の部屋へ行き、、、、夜を迎える彼は、自分はどうやってこの夜をやり過ごそうかと途方に暮れる。

ここから、4階に住むコスギと、すぐ下に住む3階のヤマモト一家や団地の住人との二重の芝居が繰り広げられる。不眠症に悩むコスギは、ヤマモト家から漏れ聞こえるピアノの音に悩まされているのだが、彼は妻の心遣いと小学生の息子との会話に、時間を費やしながら、でもというお話。

深夜1時過ぎに帰ってくる息子、また何か得体のしれない存在が室内を往来するしい。コスギの奇妙な言動と、団地住民の異常にハイテンションかつ無神経な行動は、ひたすら加速し、暴走しはじめる。しばしば挟まれる騒音とも、皮肉とも、あるいは無意味ともとれるユーモアは、話の進行にグロテスクさを増幅させ、観ていこちらの神経をとにかく氷つかせずにはいられない。

他の方も書かれているが、声を上げた笑う観客がいるのは不思議だけれど、クスクス笑いがやたらと漏れ聞こえるのはなぜなのか?ここはその無軌道さに恐怖する場面ではないのか。

ネタバレBOX

子供が育てたクラゲは、ただひたすら大きくなって、ついには水槽に飼えなくなると、屋上の貯水層で飼うことになり、そのクラゲは巨大な夜に変貌していく。その夜に追いかけられるようにコスギは団地の住人たちに向かって、夜(クラゲ)の恐怖を伝えようと試みるが、誰にも相手にされない。そしてついに、夜がコスギを掴まえた時、ある行動に出るのだが、そこから後は観客の想像に委ねられて終幕。

いやあ、凄いものを観たなあ。とにかく登場人物1人1人が、全て尋常ならざる存在で、一瞬たりとも予断を許さない。潜在意識に深く働きかけるような、創意工夫に満ちた傑作ホラー。

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