GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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囚人

囚人

Oi-SCALE

駅前劇場(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/02 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/09/27 (水) 19:30

座席1階1列

「囚人」というタイトルの意味。
囚われた人とは自らの境遇を受け入れながらも抗う人。
運命と自由の相克で、ひたすら身もだえる人。

人間は皆、自らの未来(運命)を知っていて、それへの有限の抵抗を続ける存在なのだということ。主人公を取り巻く(あるいは訪れる)人々、彼・彼女は運命の何に抵抗するのか。
それが描かれる物語。主人公もその埒外ではありません。

まだ、前作「オカルト」でもそうでしたが、林灰二さんはこうしたメタ芝居的な演出をよくするのでしょうか。Oi-SCALE初心者なもので、不思議でした。

村田充さん人気ですね。(他の役者さん失礼!)長蛇の列です。

ネタバレBOX

主人公の命を助けてくれた桜の木、主人公の友人の父が首を吊った桜の木でもある。
その木は「奇跡の木」とも呼ばれている。
3.11主人公の妻は死んだのだろうけれど、もしもの場合にはそこが待ち合わせ場所だった。
そのとき、サクラの花の香りはしたのだろうな。でも、その香りは本当に桜の花からしたのだろうか。
「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2017/02/18 (土) ~ 2017/02/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/20 (月)

座席1階3列

「ロミオとジュリエット」の翻案ではありません。歌舞伎ですね。「ロミオとジュリェット」のハイブリッドでキッチュでハイパーな「傾奇」。もしかしたら、タイトルにある「ロミオとジュリエッタ」は、個人名と恋愛悲劇との掛詞に過ぎないのかもしれない。それくらい、本来の話との共通性はない。

世話物でありながら、まさに荒事。歌う躍る、殺陣あり艶事あり、駈けづり回る飛び跳ねる、修羅場もあれば見得も切る。目に焼き付くのは、胸の谷間と網タイツ、粋な漢の着崩し姿。セリフのケレン味は抜群。

舞台で起きるあらゆることが、向島の戯作者(登場人物の1人)の作った戯作のメタ芝居のようにも思えてきます。つまり、舞台で起きることが、彼に芝居を書かせているのだけれど、実は彼自身も戯作に登場する1役に過ぎない、というような、胡蝶の夢みたいな芝居です。

浅草を根城とする同劇団、この演目を東洋館でやることの意義を深く感じます。
すぐ手の先にある吉原と隅田川。そして勝手知ったる劇場を隅々まで使いこなす巧緻性。土地柄なのか、贔屓筋(ファンではない、親族や友達でもない)も多そうですし。

飲食禁止ではないこともよいです(芝居の邪魔にならない範囲ですよ)。大衆娯楽で飲食禁止はないよ。

樹里恵の服装はナコルルですよね、赤バージョンの。
客席通路に立つ樹里恵こと古野あきほさん、横で観ていて凛としてカッコよかったな。
「狼眼男」こと毛利小平太の丸山 正吾の客席を駆け抜ける横の速さと、舞台に飛び乗る時の縦の軽快さにも目を見張った。

また拝見に伺うと思います。そのせつも宜しくお願い致します。




幸福のとき

幸福のとき

立花座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/01/06 (金) ~ 2017/01/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

寡聞して原作者の莫言という方を存じあげないし、立花座が張芸謀という映画監督へのリスペクトによって立ち上げられたということも不勉強だった。そして、この作品が張芸謀氏の映画になっていたことも。(そう、張芸謀って「紅いコーリャン」の監督だったんだ。)だが、そんなことは観客にとっては関係ない。結末をどう見るか、きっとありきたりとかいう者がいるんだろうけれど、私には、人生は過酷なものなのだ、そして人間は愛おしいものなのだということが改めて感じられた。その意味では戯曲として、テネシー・ウイリアムズやアーサー・ミラーにも匹敵すると思う。(ただし、彼らの作品と違うのはこの作品には心優しい人々がたくさんいること)
何書いてもネタバレになるので、ここでは書けないんですが幾つか、突っ込ませてもらいます。
序盤のところの描写には、子を持つ親として少しセンシティブになりましたけれど、、、、今の子供たちなら心配ないか。(意味わからないと思いますので、未見の方は是非ご覧ください。この劇団が子役の育成に力を入れている、というがヒントです)
リンリンの将来が心配です。
工場長さん、ピカピカの車持ってるくらいなんだから、本当は相当貯めこんでたんじゃないの。
ユイさん、本当に気持ち悪い。
ちょっと、観客席が寂しかったけれど、チケット代を考えれば観る価値は十二分あり。でも、子役は皆うまいなあ。ラストは横を通られて少し目頭が熱くなりました。(意味わからずでごめんなさい)

ネタバレBOX

やっぱり、ラストをどう見るかということだと思います。全てを不安に包ませたまま終わっていくラストは、実は他の役にも皆あてはまることで、彼らはひどい怪我は負っていないしいなし、目が見えないわけでもない。そして主人公2人のこれからを思うと深い苦しみ・悲しみを覚えずにはいられないのだけれど、それはこれからの自分にも起きるかもしれないこともよく分かっている。だからこそ、それまで主人公2人とそれをとりまく彼らの笑顔が、全て愛おしい。
実はこのことは、「評判の悪い女」アイリンにも当てはまるのではないかな。彼女もつも不安にさいなまれている。それと、チャオは別れ話を言われたときに気付いたんじゃないのかな。だから、捨て言葉1つ言わなかったんだと思う。ただ、悲しいかな彼女には、フーさんやティオンさんやチェンさんetcのような人々がいない。彼女は底のないほど孤独なんだろう。
周りの皆が、初めはチャオの結婚のために頑張るんだけれど、それがだんだん、チャオも含めて、ウーィンのためだけを思って奮闘努力するようになる姿が、自然ですごくよかった。だからこそ結末が生きたのでしょうね。
それと、小技ですが、ウーィンが天井の高さを測るシーンがうまいですね。あれで、全てが嘘だと確信したんでしょうね。映画もそういう場面あったのかしら。
最後に、
赤池さん、あんなに滑舌よかったのに、何で最後のインフォで噛んだんですか。
斉藤さん、終始結構色っぽかったです。何か青目さんVerのアイリンも見たくなりました。次回も期待しています。
ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ

演劇企画集団THE・ガジラ

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/06/04 (日) ~ 2017/06/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/06/07 (水) 19:00

「生きていたのか呉青洲!」という、まんまの舞台でした。そこが凄いですよね。「ドグラマグラ」は一旦、読み手の解釈を加えたとたんに破綻してしまうような作品です。一生、直には見られない自分の顔のような、掴むことのできない雲のような、逃げられない影のような作品。作品との距離を付かず離れず、微妙なバランスで保ちながら演出するのは大変だったろうなと思います。忠実に忠実に、そのためには削除も厭わず、「ドグラマグラ」の神髄を抜き取り見せるような舞台でした。
(えっ?何を言っているか判らないですって。私はまだ胎児ですので許してください)

ネタバレBOX

壁掛け時計実際の時刻を示しているのですが、机の上の時計は止まったままで動いておりません。まさに止まった時間の中で、観客には明確に時間の経過を感じさせるということですね。
空を飛んだ後のライト兄妹

空を飛んだ後のライト兄妹

東京パイクリート

小劇場B1(東京都)

2017/01/25 (水) ~ 2017/01/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/01/26 (木)

座席1階1列

まずはお詫びをいたします。所詮、飛行機とかのセットはないんだろうな、と少し侮っておりましたが、何と素晴らしいセット(飛行機!)を作ったことか。確かに、空を飛ぶことはないのですが、そのセットとたまに出てくるエンジン音だけで、”ライト兄弟(妹)”のドラマであることを強く強く印象付けます。
そして、各役者さんたちのキャラがエッジ立ちまくりでキレキレ、服装・仕草・小道具・言葉使いに工夫がなされていて、彼らの交錯する芝居は多彩なパステル画を見るようで一切飽きさせません。特に内藤羊吉、用松亮のライト兄弟の強烈な個性は仲がよいのに全く異なる(それでも高い共感性を保っている)2人をうまく描き分け、前半は弟中心に、後半は兄中心に進む構成もメリハリが効いていてとても心地よいもでした。そして、ともすれば濃くなりすぎそうな芝居全体を、妹キャサリン役の内海詩野さんがうまく中和してくれます。
とてもよいものを見せていただきました。

ネタバレBOX

ラスト近く死期が近いであろうシャヌート氏(兄弟の目の敵)を飛行機に乗せてやろうと言いだす弟オービル、多くの失ったもののために訴訟は譲歩できないと自分の意志を曲げない兄ウェルバー(この失ったものは、キャサリンの35年の年月なのだろう)、頑固者(弟)と変人(兄)を中心としたドタバタ展開の後に、最後で2人の人物像を描き切る手腕は見事でした。ラストシーンもきれいに落ちました。
The Dark

The Dark

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2017/03/03 (金) ~ 2017/03/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/06 (月) 19:30

座席1階C列12番

予定調和にしないこと、間隙を作り観客に読み込ませる部分を設けること。単に意外性を追求するのではなく、本来現実にありうる偏りや欠落を示し、バランスボードにうまく人物を配置しないこと。この舞台のそうした配慮に感心しきり。

同じ間取りの3軒の家に3つの家族が位している。間取りが同じなのだから、3軒は同じセットの中を縦横に行き来するのだけれど、こうした舞台設定はそんなに珍しいものでないようです。(この日はアフタートークがあり、中山祐一朗さんがそうおっしゃていた)

同じ間取りを使うとなれば、それぞれの家族のシンメトリーを映し出すことが物語進行の肝になりそうなものです。確かに3つの家族は異なります。
15歳の引きこもりの息子がいる倦怠期の夫婦、新しい赤ん坊(娘)を授かりながら、過去に幼い子供を亡くしたトラウマからいがみ合う若夫婦、大きな息子(彼がある性癖がある)を持ち夫をなくした老母。確かに家族の像はバラバラです。
この3家族は、全く異なるシチュェーションで、同じセリフをシンクロさせながら笑いをとったりしますが、常にどこかが仲間外れです。一家惨殺の事件に関心を寄せる2家族、流れのままに不倫をする2家族、停電で灯りを持っている2家族、子供たちが意思疎通する2家族、食事をする2家族、シャワーを使う2家族、バーナーのある2家族というように。

それぞれの家族は当たり前といえば当たり前のように、横並びではありません。停電の闇で、登場人物の心の闇が動き出す、確かにそうした舞台なのですが、微妙な仲間はずれが、闇の濃淡・深浅を紡ぎだします。

ネタバレBOX

ラストシーンは、何とも幸せな気分で迎えることができるのですが、ここでもある家族にのみ悲劇が襲います。あのシ-ンは死ですよね。そこまで、頑なに避けてきたような
「死」の到来が、あの家族にどのような闇を招いたのでしょうか。

なお、この舞台では何度か、今何時なのかを尋ねる会話があるのですが、これは実際の時刻なのだそうです。だから、あんなに半端な時刻だったのだな、と得心がいきました。でも、昼の舞台の時は、どうしているのでしょうか?停電しても闇になりませんから、お話が成立しないですよね。
「緑のオウム亭ー1幕のグロテスク劇ー」

「緑のオウム亭ー1幕のグロテスク劇ー」

雷ストレンジャーズ

小劇場B1(東京都)

2017/03/01 (水) ~ 2017/03/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/03 (金) 19:00

座席貴族番

かなり前に配られたチラシ(今のチラシと仕様が違い、裏面が白紙、内容も全く分らない)で「一幕のグロテスク劇」というタイトルを見かけてから、これは絶対見ようと心に決めていました。あの毒々しいオウムの絵に魅入られたともいえます。
フランス革命ーバスティーユ襲撃時の興奮が、劇の進行と共に居酒屋の中でも高まっていきます。劇中劇は、虚構なのか現実なのか。それらが混沌としてきたときに、居酒屋内の人々の判断は断絶し、狭い空間で各々の言動は暴発を始めます。
そして、劇中劇と現実との狭間を取り払い、大きく引き金を引いてしまうのが、あの人とは、、、

舞台衣装もよく調達したな、という感じで、特に浮浪者の衣装は、動くたびに本当にほこりが立つんですよねえ。

上演時間は80分。時間が残り少なくなった時、どのようなエンディングを迎えるのかと思いましたが、彼らは夢中の混乱から現実の混乱へと舞台を移動して行くのでした。
多くの笑いもあったけれど、物語の節々でエッジを利かせながら話の散逸を防ぎ、シニカルなセリフと時折起こる極度の緊張は心地よい。入りの静けさからスピード・ボルテージがどんどん高まっていき、最後の唐突に見えるエンディングは、まるでラベルのボレロみたい。

辻しのぶさんは確かにきれいです。適度な熟れ具合がまた。胸の谷間をまじかで観られたのは眼福。(あれ、最近こんなことばかり書いているなあ)

ネタバレBOX

貴族席で拝見しました。全くの貴族です。1舞台3人のみ。パンフレット付きで500円高いのだけれど、パンフレット自体が500円なので、お得感ありありでした。何かとてもお客として構ってくれた感ありましたもの。

ただし、この席はご注意。急に役者さんが目の前から話しかけてきたり、狭いのでぶつかりそうになったります(実際、ニアミス多かったし)。近くにあったランプも、単なる雰囲気だけの小道具かなーと思っていたら、しっかり使うし。油断できません。

ちなみに、盗んできた宝石をばらまく場面で、最後にポケットから出した銀色のお宝、何か気付いた人どれくらいいたかなー。あれ、繋がったドアのノブです。目の前で誇らしそうに見せてくれました。
『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2016/12/31 (土) ~ 2017/05/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/15 (月) 19:30

まず、導入が怖いです。主人公たる2人が薄明りの中、こちらに歩いてきます。何かそのままとびかかってくるのかという緊張感。最前列の私はひたすら怖い。そうでなくても、会場の雰囲気が、開演前からどうも尋常じゃないのですから。
かなり怪しい舞台だな、と思っており、会話劇ということは理解していましたが、何やかやと細かい所作が連綿と続きます。その1つが、体に巻き付いたラップをはがしていくところ。この行為に何を見るかで、演劇の印象はかなり変わると思います。

自殺する生活、それはひたすら自身を殺し続ける(精神的な意味で)生活を意味するのかなと思っていましたが、違ったようです。絶え間ない生への執着を持つがゆえ、自殺してやろうという意思に自身の生の喜びを見つける所作。自身を頬をつねりながら、その痛みで生の実感を得るようなものでしょうか。

舞台の上では、ひたすら狂気が漂い、言葉の暴走が起き、そしてしょーもないダジャレが飛び交います。これはすごく不安な空間でもあり、またどこに連れて行かれるかわからない心地よい空間でもあります。

自殺志願の男の鬱屈した目と、彼を諫める男の焦点の定まらない目、舞台が終わると、お2人とも、至極まっとうな方々で、安心しました。リピーター割があるので、少ししてからまた観に行きたいなあ。今度は芝居好きの子供を連れて。

ネタバレBOX

延々と続く会話は、自殺の話からごみの分別の話、リサイクルの話、認知症の話とひたすら流転して、また自殺の話へと戻っていきます。今度は自殺の主体が入れ替わって。

体に巻き付いたラップ(いわゆる食品保存用ラップ)や、ラップを会場に張り付けるのは、今年4月以降の演出とのこと。このラップの意味は何なのか。回答はないようですが、彼らが自殺に踏み切れない、この世の業のようなものに思えました。そのラップが全てはがれてしまった先で、1人は事故死的に(周囲の評価では自殺ととらえられたかもいしれない)死に、もう1人は自殺を試みることから離れていく(このことは、取りも直さず、生死への執着の喪失であり、彼はその意味で精神的に死んだのかもしれません)。
「蝉の詩」

「蝉の詩」

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2017/04/25 (火) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

私は月1回、母親と演劇を観に行きます。歌舞伎(たまにオぺラ)ということもありますが、新劇が多い傾向にあります。母は戦前の生まれ、あまり突飛なものにならないことや、割とゆったり観れること、そしてできれば彼女の生きた時代と重ねられることなどを思うことからそうした傾向になっているのだと思います。

ですから、小劇場などはまず想定していなかったのですが、桟敷童子とチョコレートケーキには、母親にも観るべき何かがあるという気がしておりました。

そこで求められるのは、昭和の風景です(必ずしも明るく快いものばかりではありません)。しかし、俳優座でも民藝でも文学座でも、昭和という時代を見せてくれくれる舞台には出会えません。苦しさは個人の感情に還元されてしまい、明るさもお茶の間的なほのぼのさとしてしか表現されないのです。

そして、「蝉の詩」。初めての小劇場でしたが、見せてよかった。それは私もうろ覚えながら知っている昭和であり、感じてきた昭和がありました。生きることへの執着のある時代。これほど見事な世界を作り出すとは。

この舞台の高い悲劇性・悲惨さも、人間のリビドーが作り出す笑いでうまく中和されています。それが素直な観客の涙につながるのでしょう。けして悲劇への感情移入が涙を流させるのではなく、ひたすら湧き上がる高揚感が涙を流させるのです。桟敷童子の力量の高さです。母に見せて正解でした。

ネタバレBOX

ラストの描き方について幾つかのご意見があるようです。

織江のその後の数十年が判らないのでラストでの感情移入ができない、ましてや、ホームレスの老人になった織江に、今は亡き皆が「もっと生きろ」と言うことに何の意味があるのか、というご批判はごもっともです。

確かに描かれない、織江の生きた数十年に観客が想いを馳せるのは困難です。亀吉から相続したであろう遺産はどうしたのか、夫はいつどうして死んだのか、子供はいないのか、なぜアイスクリーム屋は失敗したのか。判りません。
ただ辛いだけの人生ではなかったのだろうとは、織江が姉の言葉(まっすぐに生きろ)を今も忠実に守っていることから推察できます。

ラストで皆が「もっと生きろ」ということの意味は、題名でもあり劇中で創作される「蝉の詩」にあるのではないかと思いました。

蝉は「みん」と鳴く、「死にたきゃねえ」と鳴く

人は死ぬと蝉に転生すると劇中で語られています。また黄金色の蝉を見つけると一生幸せに暮らせるとも。

織江はその最期を考えれば、黄金色の蝉を見つけることはできなかったのかもしれません。でも蝉に転生した時、彼女が黄金色の蝉になっているかもしれません。それで人を幸せにして、7日目に「みん」と鳴くのでしょう。

きっと、そうした意味でも織江に、皆はもっと生きろと言ったのではないでしょうか。

確かに織江は、まだみんなのところ(姉達や亀吉のところー黄泉の国)に行けないのかい、と一瞬嘆きます。ただ、彼らのエールはそんな弱気じゃだめだよ、「みん」と言ってみろということではないでしょうか。織江が最後に、気を取り直してアイスクリームの旗を振るのは、彼女なりの鳴き方だったのではないかと思えて仕方ないのです。
炎 アンサンディ

炎 アンサンディ

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2017/03/04 (土) ~ 2017/03/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/11 (土) 13:00

パンフレットを読む限りでは、役者の皆さん(再演がそもそも好きじゃないのか)、今回の再演には乗り気ではなかったみたい。それでも、オファーがあり、それに誰一人として欠けることなく出演したのは、この作品には、まだまだ演れることがあるという判断なんだろうな。
麻実れいさん毅然とした演技、娘時代の演技との乖離が素晴らしい。
岡本さんが後半出てくると(前半にも他の役で出てくるんだけれども)、舞台の重さは、とたんに軽くなると同時に陰惨さを纏い、雪崩を打つように悲劇色を濃くしていく、こういう役はうまいよなあ。那須さんも、童女のようなあどけなさを演じられる稀有な役者さんだし。
3時間強があっという間でした。

弟の戦争

弟の戦争

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2016/12/07 (水) ~ 2016/12/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

題名
この演劇の舞台は、湾岸戦争時のイギリスである。なぜ、イギリスなのだろう。そんな単純な疑問を持った。おそらく、湾岸戦争の当事者であるアメリカではなく、イギリス(多国籍軍として参加はしているが)としたのは、第三者の立場、言い換えれば第三者の視線を持ってこそ、演じるべきテーマであることが重要なんだということなのだろう。
舞台は、装置に工夫を凝らし、多くの場面転換を効率よく見せる。そのテンポのよさが、幾つもの場面とセリフを、フラッシュバックのように前の場面と重ね合わせ、善良である家族の無意識の悪意を紡ぎだす。
父親の理路整然とした正義感と実態を見ようとしない無関心、母親の愛情への埋没と現象しか見ない矮小さ、それらを整然と演じられたお二人に拍手。
ちなみに、説明に書いてある「弟のフィギス」は間違い、弟はアンドリューである。そうでないと、読み誤る。

ネタバレBOX

タイトルを見て、つい私も勘違いしてしまった。「弟の戦争」、これは「アンドリューの戦争」ではない。「弟」と主体的に言えるのは兄しかいないのだった、と芝居の途中に気が付いた。
兄トムがアンドリューが生まれる前に会っていたフィギスは、潜在化にいた悲惨な世界に対して覚醒する前のトムなのだね。ラストでフィギスがいなっくなったのは、トムがフィギスと一体になれたことを示し、これは世界へ眼差しを獲得したという点で幸福であり、1人と少年としては悲劇だったのだろう。冒頭から終末まで、自らの中でトムとフィギスの2役を演じきった、主人公には拍手。
彼の町

彼の町

劇団銅鑼

俳優座劇場(東京都)

2017/03/15 (水) ~ 2017/03/20 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/19 (日) 15:00

この舞台のよさは、劇中劇という形でチェーホフの短編をつなげることで、細々とせずにチェーホフの短編を幾つも観られること。そして、チェーホフ劇を演じる役者役の役者さんたちが、自身のチェーホフへの思いを体現しているように感じられること。構成・演出の勝利です。

ネタバレBOX

老演出家と若手女優の会話(正確ではありません)
女優「チェーホフは死を待っていたのではないでしょうか」
演出家「やはり、チェーホフは生きたかったのだと思う。何十年後も新たな作品を作り    出して、それを観てもらいたかったのだと思うよ。」
老演出家役の鈴木瑞穂さんには、チェーホフが望んだように永遠に作品を作り上げてもらいたいです。
だいこん・珍奇なゴドー

だいこん・珍奇なゴドー

流山児★事務所

ザ・スズナリ(東京都)

2017/03/15 (水) ~ 2017/03/22 (水)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/22 (水) 17:00

座席1階A列6番

この作品もやはりゴドーは来ない。というか、ゴドーという存在がいない。エストラゴンもウラディミールも、ポッツオもラッキーも、使者の少年もいない。でも、やはり「ゴドーを待ちながら」なんだよね。「だいこん」への執着はよくわからないけれど。
立派な音楽劇でもあります。
ちなみに、X・Y席に座ると、思わぬプレゼントがもらえるかも。
珍奇な珍奇なゴドーです。解説も評価も不要。

ネタバレBOX

でも、登場人物たちは、ゴドーを待つのを止めて、新たな可能性を求めて旅立って行くのでした。「不条理なんて大嫌いだ!」なるほど。。。
ニール・サイモンの名医先生

ニール・サイモンの名医先生

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2017/02/06 (月) ~ 2017/02/14 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/08 (水)

座席1列

ニール・サイモン最高!
何を書いてもネタバレしそうなので、ここは一般に感じたことを
1.衣装の多様さに驚きます。着替えも多いのでしょうし、控室が広いとも思えない。
皆さんどうやって着替えているのかとても気になりました。

2.舞台を観て、戯曲を読んでみたいと思うのは作品の独創性がよく表れている所以だと思っています。そこで、どこまでニール・サイモンが書いているのかほんとに読んでみたいと思います。

3.1時間で11話、オムニバスは頭の切り替えを求められるので、結構慌ただしいかな
と思 いましたが、そうでもなかったです。時間に比して見応えがありました。全話後で内容をなぞらえましたし。(結構、オムニバスって、印象の強い話が他の話を記憶から駆逐してしまい、あれ何の話だっけといういことがあります)

4.さて、舞台は延々と続くスラップスティックコメディー、オーバーアクションはあるものの、クス笑いが続く空気は居心地がよかったです。

5.舞台の構造がかなり特殊で、脇の方々は役者さんが対面になった時の表情が見えづらいのではないかな。でも、椅子の使い方などかなり工夫が見られたと思います。

ネタバレBOX

さて、まずはチラシから。このセピア色のチェーホフ先生、どこからか昔の本人の写真を持ってきたのかと思いましたが、先生を演じる塚本さん自身ではないですか?
塚本さんのチェーホフの造形はほぼ完ぺきに近いですもの。
開場後ずーと、舞台のベンチに座っている塚本さんこと先生。かなり観客にプレッシャーかけています。(笑)正面で30分待っているのは、ちょっときついです。
印象が強かったのは、くしゃみの話、プレイボーイの話、オーデションの話、繰り返しの妙が、全く異なるトーンで観られます。
特にオーデションの話でのささいけい子さんの演技は、力量を感じさせました。私、きちんと「三人姉妹」が演じられるのよ、という点がツボで、ラストの先生のセリフが活きます。
剣持さんは眼鏡が曇る熱演で、力業を何度も繰り出します。当たり前かもしれませんが、全て各話の役柄が全く別の人物に見えるのが妙です。最初の大臣と銀行の専務などは、役柄が被りそうなのですが、そうはなりません。怒っている芝居(怒る理由は異なるわけですが)が別人物に見えます。
テーマは、、、、ないです。でも、品のあるすがすがしい芝居です。
ちなみに、塚本さんの先生はレオン・トロツキーに極似なので、剣持さんがスターリンを演じてコメディーを作ったら面白そうですね。
最後に、葵夏穂の美ボディを至近距離で観られたのは目の保養。

わが兄の弟

わが兄の弟

劇団青年座

紀伊國屋ホール(東京都)

2017/04/07 (金) ~ 2017/04/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

遠近法を強調するかのような、前傾になった舞台。皆さん三半規管大丈夫なのだろうか。舞台上の明るい会話もユーモアも、全てにほんのりと死の影を漂わせる舞台です。
ただ、舞台上では誰も死にません、それは語られるに過ぎず、故に死の現実は夢幻のように虚ろで、ただ香り立つしかないのです。
「贋作」いいじゃないですが、立派なチェーホフ傳ですよ。

ネタバレBOX

第一幕のアントンとニーナの軽妙なやりとりから始まり、第二幕に少しだけ影を落とす。その影は、第三幕で確信となり、第四幕で決定的になる。それでも、希望は消えない。アントンが天上の亡き兄ニコライに自分の心情を吐露する部分が素敵だ。目の前には、悲惨な現状(ニーナにとっても、そしてアントンにとっても)が突きつけられているのに、人間は希望と喜びを見いだせるのだなあ。
チェーホフの30歳、なぞのシベリア訪問に材を取った本作は、ラストまで影を濃く濃くし、彼の苦悩を大きく大きくしながら、一気に駆け抜けるように魅せる爽快感も素敵です。そこか、アントンはそこへ行きたかったのだね。この時点で余命14年か。
先月、俳優座で観た「彼の町」で、鈴木瑞穂演ずる老演出家がラスト近くで発する、「チェーホフは、もっと生きたかったのだと思うよ」というセリフが浮かんできて、なぜかとても感傷的になってしまった。
ふくろう

ふくろう

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2017/04/17 (月) ~ 2017/04/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/04/18 (火) 19:00

ふくろうはもちろん出てこない。鳴き声で暗示されるだけ。それでも、かなり新藤兼人さんのシナリオに忠実に作ってあり、新藤監督が意図していた一幕物を舞台という空間で忠実に作り上げています。戦中戦後の苦しみが親子の身体性と、「花」の歌詞を通じて見事に描かれています。
北村さんは、長い芸歴の中でこれが初演出というのは意外な感じがしましたが、ご本人いわく役者の方が楽しみが多いからだったそうです。
田渕真弓さんは、怪しい魅力のある方ですね。

ネタバレBOX

殺人を繰り返す親子の怨嗟の声が、笑いの中で脳内に響いてきます。この殺人の繰り返しがどこまで続くのか、と思わせる中で、1人1人が一言ずつ発しながら観客に愉悦さえ感じさせて死のストーリーは進んでいきます。最後は大きな慟哭を感じさせるような死の連鎖があり、芝居は1年後をもって終焉します。あの母娘はどこに行ったのだろうか。シベリア、ブラジル、それとも、、、、、
正味2時間の部隊で途中15分の休憩は、どうかなと思いましたが、前半の弛緩したような空気と、後半の怒涛の展開とにうまくメリハリをつけてくれています。
ルート64

ルート64

ハツビロコウ

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/11 (金)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/08/08 (火) 19:00

座席1階1列

自身の欲望と権力欲を美辞麗句で巧妙に弱者に滑り込ませ、「教祖」となる。
批判する者・逆らう者亡き者とすることを、「浄化」という。
弱者の洗脳と忠誠を誓わせることを、「修行」という。
しかし、この実態を見破らせないように、実像をぼやかす意図でそれぞれを「グル」「ポア」「ワーク」という。
 2時間がっつりでした。姿を見せない声だけ出演のグルと、教団の体質を示す逸話に出てくる並木で計6名の登場人物と4人の役者さんたち。
不測の事態、杜撰な計画、決定意思なきままの散漫な責任所在によって実行された、行き当たりばったりの弁護士殺しのその後と「なぜ?」を描いた作品。
 このドラマは、1晩の話なのか、それとも数日の話か。どうも時間軸が定まらず、それでも悠久の時間が流れているようで、わずかな時間でもあるようにも思わせる。ひたすら夜明けを怖れ、相互の軋轢を増し続ける登場人物たち。海は近くにあるのか?グルの言う眩い光は一瞬でも見えたのか?
 死体役の人の皆さん、どう考えても千秋楽まで持ちませんよ。あんなに乱暴されちゃ笑。

ネタバレBOX

「ルート64」の「64」て何だろうと考えてみたが、どうも舞台での説明はなかったと思う。こちらの投稿でも指摘はなく。「無(6)」と「死(4)」への道?
彼らにはまだ、自身の良心に「戻る」という選択肢はあったはずなのに。死んだ自分の妻や子供のことを思い出す刹那、殺した赤ん坊を母親と一緒に埋めてあげたいと思い立った行動、など。 
ハツビゴロウさんの舞台は、まだ数少ないがすべて観たわけではない。でも、今のところあるフォーマットがある。
 まず、進行している現在→それがどのような事件に起因しているかが暗示される→登場人物の背景が独白調ないし登場人物相互の指摘で明かされる(心象描写)→事件の端緒が明示される(過去)→登場人物たちの戸惑いや深い絶望感(少し時間軸が進む、ただし過去)→事件の詳細な経緯(過去)→深い絶望感(現在)というような。
私は、この解きほぐされていく事実を時間軸を交錯させさながら見せていく手法は好きです。そこに待っているのは、抗うことができなかった弱き弱き救済されない魂。
ラストで心身共に憔悴しきった4人が深い眠りに落ちる。殺された赤ん坊が燃やされる中、暗闇の中で「起きて!」と3人に叫ぶ片桐の悲鳴にも似た1言。いったい何から起きるのか?
「遍在、或いは、いつもの軽く憂鬱な水曜日について」

「遍在、或いは、いつもの軽く憂鬱な水曜日について」

ヘアピン倶楽部

シアター711(東京都)

2017/04/26 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/04/26 (水) 18:30

「遍在」つまりどこにでもある話だ。考えるだに、展開を追い続けていると恐ろしくなっていく舞台である。結婚パーティの夜、そこに集う男女5人。この5人は、お互いの存在に気づかないのか、それとも気づこうとしないのか、話は双方向的になることもなく、ひたすらすれ違っていく。もちろん、彼らも相手を全く無視するというわけではない。一瞬、お互いを受け入れようとするが、そのささやかな努力さえも、失われたものを取り戻すことができない。その失われた状況は私たちの日常に遍在しており、明日の水曜日の朝を迎えることへの軽い憂鬱さを招いている。安部公房かルイス・ブニュエルの作品を思い出す、真実を露出させることによって成立した素晴らしい不条理劇。

ネタバレBOX

では、何がどこにでもあるのか。それはコミュニケーションの喪失。そもそも、結婚したという男女は存在したのか?そのような存在はなかったのではないか。どれだけ広い邸宅なのか判らないが、5人しかおらず、その5人はお互いの存在への意識は希薄だ。空間の喪失。彼らの時計は壊れるか、捨てられており、時間の観念も喪失している。テーブルに残された遺物のみが、彼らの存在を証明するかのようだ。一緒の行動(日の出を観に出かけたり、相手の似顔絵を描いたり、お茶を入れてあげたり、一緒に鏡を使ったり、そしてSEXも)は、常に自己の表明ではあっても、相互性を獲得することがない。
また、いつもの軽く憂鬱な水曜日はやってくるのだろう、日常という名の仮面を付けて。
ラストには、本当にぞっとした。「実存」という言葉を久々に思い出した。コミュニケーションなんて存在しない、それは束の間に現れる幻想だという表明は、私を暗澹とさせた。滅多に買わない台本を買った、もう一度この舞台の恐怖を確かめたくなったから。ただ、観客を選ぶだろうから、お勧めはしない。
すこやかに遺棄る

すこやかに遺棄る

芝居流通センターデス電所

OFF OFFシアター(東京都)

2017/04/26 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

これほどの娯楽性と「禍々しさ」が同居した舞台は観たことがない。確かに笑う笑う、そしてその背景にあるぞっとするような禍根の渦。ぱっくりと笑劇を割くように姿を見せる絶望感。何とも言えぬ居心地悪さが襲う。
チラシのストーリー書きを読むと、その曖昧な表現が醸し出すオカルト色に惹かれたのだけれど、どうみてもタイトルはしゃっれぽいし、何かかわいらしいイラストは入っているし、いったいどうなっているのと思ったけれど、双方正解。そういうことだったのね、という舞台でした。
入場の際に、あんな物を配ったり、配られた紙面にあんなことを書いたり、煽ってくれますが、これも演出なのかな。是非、芝居に
一期一会を求めるのであれば観てみるべき1作。

ただし、5人という限られた人数が劇中の回想含めて演じているので、服装がそのままで別の人物を演じなければならなかったのは、ちょっと興が削がれるなあ。
それと、あそこまで朗々とセリフがうまくはまっていたのに、ハブ・サービスさん頑張ってよ!


ネタバレBOX

児童虐待で死んでいった子供たちの物語。その悲惨に出会った3人がそれこそを糧に変えて、自らの新たに生きる道を探す物語。(もう1人は悔恨の上に死を選ぶのだけれど)グロテスクな表現も秀逸で、舞台上には見えないものを音とセリフだけで見させることへの執着まで感じました。べったりしそうな舞台をダンスが心地よく洗い流してくれるし、オカルト的な身体表現もよく練られています。
相談者たち

相談者たち

城山羊の会

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2017/11/30 (木) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/30 (木) 19:30

座席1階1列

ストーリーだけをみれば、他愛ない話。(現実であればかなりシリアスだけれど)

50歳過ぎの夫婦。夫が若い女と不倫をし、妻に別れを持ちかける。
そこに、一人娘が彼氏を連れてきて状況を垣間見ていると、何と不倫相手の女が男性に連れられてやってくる、さて。(これで1時間50分)

これが、ツボを押さえておかしい。
いや、内容的にはシリアスだけれど、会話やセリフ、行動に生ずる微妙なズレが、常に笑いを誘う。それが声になる笑いであったり、クスっという笑いであったり一筋縄でない。

声がかなり小さくて、冒頭におことわりがあるのだけれど、それが効果的。
(集音マイクが3基設置してあるが、それでも聞き取れないところがあった)
集中してセリフを聞かせるので、ニュアンスの面白さや、セリフの意味をあれこれと想像させるのである。この規模の劇場ならば、こういった演出もアリアリだと思わせた。

ネタバレBOX

「相談」=どうすればよいかなどについて、意見を述べ合ったり、意見を述べてもらったりして考えること。 

らしいけれど、「相談者たち」というより、みんな人生の一場面でついうろうろてしまう「遭難者たち」に見えた。

鄭亜美さん(不倫相手)、色っぽい。ラストの吹越さん(夫)とのラブシーンはちと長すぎなくないかい(笑)きっと、毎舞台部分部分、2人で工夫して(なすがまま?)違うんだろうなあ。
暗転する中で1回、暗幕になって1回、安澤千草さん(妻)のセリフ「うちではやめて」2連発には、笑った笑った!

うらやましい。

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