旗森が投票した舞台芸術アワード!

2017年度 1-10位と総評
木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談ー通し上演ー』

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木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談ー通し上演ー』

木ノ下歌舞伎

昼から夜まで6時間と5分、たっぷり四谷怪談を楽しんだ。日本の古典戯曲がこのように現代の劇場で今ここで生きている人たちの手で今の演劇として上演されるのは大きな喜びだ。蜷川の近松心中に劣らない舞台成果で、ここまで新しいスタイルで古典戯曲をかみ砕いたというだけで、すごい。今年の演劇の評価の一つになるだろう。
古典の宿命で、ネタバレで気付いたこともあるが、多分そんなことは制作側は先刻ご承知と思う。まだやることはある。これが最終形などと言わず、今後も時にこの場に戻ってこの舞台を又見せてください。

(構成について)一幕は完ぺきな出来。二幕の穏亡掘は少し焦点を見失っていると感じた。戸板返しからだんまりはあてぇのつなぎもあるので、もっと説明してもいいと思う。三幕は、大歌舞伎が三角屋敷をあまりやらない理由がよくわかった。原作もここはちょっと持て余したか、中だるみだ。丁寧にやるだけの意味がつかめなかった。コクーンなどがやるこの長さの半分くらいでいいのではないかと思う。復讐の動機付けが解ればいいのだから。大詰めへの物語の速度が落ちる。夢の場の「七夕」の童謡は突然西洋の物語が挿入されたようで、観客も戸惑う。三幕はまだ改良できるところがあると思った。
(俳優について)俳優の皆さんは好演だが。伊右衛門は現代の無知な若者風になりすぎていないか。状況からももっと、現実の社会への鬱屈があるのではないか。仲間の若者が暴走族みたいなのも面白いが、ただの無軌道になっていて、こうしなければ社会に組み入れられないドロップアウト寸前の危うさがない。人物はそれぞれよく書かれているが、そこへ俳優の個性が付け加えられないと生きてこない。蘭妖子がたつのは個性があるからで、それは排除しない方がいいと思う。あと二三人個性が出てしまう俳優がいると舞台が華やぐ。
(美術など)大道具は見事な出来だ。この劇場を立体的に使っている。薄墨のだんだらも生きた。小道具も見た目のバランスがよく神経が行き届いていて心地いい。衣裳もいろいろの工夫が楽しい。
音楽はこれも見事だが、一幕の完璧さに比べると次第に疲れてくる。ことに邦楽と洋楽のクラッシクの交錯する後半は、時に違和感を感じる。純邦楽は完全に外した方がよいのではないか、使うとしても大和楽とか。
音響で事分テンポリズムを作っていていいのだが、ヘリの音は効果的ではあるけど、どうしても「ミスサイゴン」を連想してしまう客はいるだろう。それはマイナスになる。
などと、団菊爺みたいになってしまったが、舞台成果としては本当に見事なもので、感服した。

パレード

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パレード

ホリプロ

100年前のアメリカの南部の冤罪事件を素材にしたミュージカル。と聞いただけで、今どきなんで? と思ったものだが、これがなかなか。最近のロックの犯罪ミュージカルではなく、歌詞に曲がついている(笑)正当なミュージカルスタッフの座組みがよく、ここの所、瞠目するミュージカルがなかった中では出色の出来だ。まず、キャスト。公共劇場との提携で充実している。岡本健一など役不足だろうが、やはりここに岡本がいるのがいい。流石、、齢を感じさせない石丸、堀内。さらにミュージカルを構成する各スタッフの力量をうまくまとめた。大木一本の裸舞台だがここに五色の雪を降らせる趣向は秀逸。ホリゾントの色もたまに変わるのが効果的、部分で使った斜めの照明もいい。これで舞台転換に時間がかからず、テンポもリズムも出て音楽が生きた。衣裳も少女の衣装で一本勝負。オケも台詞との絡みが多いのに、見事なものだ。コーラスの振り付けも無理していないところがいい。すべてをまとめきった新劇団出身の森新太郎に拍手。これで既成の、四季,東宝、ホリプロ、松竹いがいの新しいミュージカルの舞台を楽しめるだろう(これはホリプロも噛んでいるが、これで森の使い方もうまくなるだろう)
企画としては大衆迎合の最近の世相への時宜を得たもの、と言うことだろうが、それは少し買い被りで、今はアメリカでもやっていない旧作をよく掘り出して夫婦愛のミュージカルにして面白く仕上げたことを評価すべきだろう。

60'sエレジー

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60'sエレジー

劇団チョコレートケーキ

快作。今年前半の演劇では白眉だろう。ほめる人は多いだろうから少し視点を変えて。
1)方言指導(ダイアローグコーチ?)がよく俳優と共に頑張った。最近の小劇場の作者は台詞の言い方にはあまり頓着しないが、それは舞台のリアリティの基本である。佐藤が現れ最初のセリフを言った瞬間、舞台にリアリティが生まれた。家族兄弟の会話、従業員との会話は、いささか同時代を生き東京を知っている私はもう少し頑張れと言いたいが、ここまでやった青年座の女優さん?(文芸部?)に金賞だ。
2)演出が狭い舞台をよくさばいた。出入りなどこれしかない平面なのに立体的に見える。日澤演出は今度は銀河をやるようだが、大きな劇場でも、また少し大衆的なテイストの作品でも挑戦してほしい。ミュージカルをやるなら、ダンスに新しい工夫を切望する。美術も悪くはないが、小道具などはもう少し考えてほしい。
3)一見、三丁目の夕日のように見えるが、ぜーんぜーん違う。私は同時代に働き出したが、オリンピックそのものには世間はそれほど萌えなかった。なにかうすら寒い感じがあって、そこもこの芝居は人情もからめてうまくとらえていたと思う。
4)俳優もよく頑張っていて好演だが、華がない。一度、この芝居を三越劇場あたりで、西尾佐藤の他は松竹仕込でやってみるといい、というのは冗談のようだが、この芝居は、私の世代が久保田万太郎の「大寺学校」を見るような風俗劇の古典になる素地があるが、そういうところをくぐれれば、ということだ。。

OTHER DESERT CITIES

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OTHER DESERT CITIES

梅田芸術劇場

中嶋しゅうさんの御不幸は心からお悔やみ申し上げる。舞台で亡くなるのは役者の本望とは言うけれどそれは建前で、ご本人も残念なことだったろう。ことに中嶋さんは中年になってからがよくプロデュース公演の「新劇」には欠かせない俳優だった。個人的に印象に強く残っているのは舞台ではなく、映画の新しい版の「日本の一番長い日」で演じた東条英機で、今までどこか及び腰だったこの人物を正面から国民などなんとも思っていない栄達志向の軍人として演じて、一シーンだけで納得させたのは見事だった。そのリリーフは斉藤孝。演劇界では北海道地元演劇の出身者として知られているが、少し若すぎるし、中嶋さんとは感じが違いすぎる。初日は一幕しかやっていないのだから、本日初めての通し初日。これが、意外に、と言ったら失礼だが、中嶋さんとは多分大きく違う父親像としてまとまっていて大収穫。出演者五人、二時間半殆ど出ずっぱりなのだが、台詞も気が付くようなミスはなく、わずか四日にしては上出来だ。相手の母親役の佐藤オリエが、稽古のやりすぎか、いつもはよく聞こえる台詞が聞きにくかったくらいだ。
芝居そのものは、なんでいつもこうなるの、と言うアメリカ現代演劇の家庭内輪物で、かつては暖かいホームドラマだった世界を自虐的に崩壊させてみせる。女優陣が、オリエに加えて麻美れい、寺島しのぶと来れば、もう名優名演競演で、並の演出家では御しきれなかっただろうが、これも、意外に若い演出家の熊林弘高がおさえるべきところは抑え、少しはやりたいようにやらせて、抽象舞台できれいにまとめている。満席の大入り。
この話、終盤、電話がかかってきて終わり、ではいくらなんでも甘すぎると作者が思ったのは当然だが、そのあと、ここまで後味を悪くすることはないじゃないかと、私は思った。現実のアメリカの富裕層の心もとなさを芝居ならではの人間性のある幕切れで見せてほしかった。それにしてもかつては日本の富裕層を描いた「新劇」にはいい作品もあったのに、最近全く見当たらない、いや劇作家が書けないのか。

不信 ~彼女が嘘をつく理由

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不信 ~彼女が嘘をつく理由

パルコ・プロデュース

一夜を劇場で芝居を楽しんで過ごすには最適の作品。芝居好きと一緒に見ていたら、帰りにはちょっと飲んでは、芝居の揚げ足を取って幸せな気分になれる。三谷らしい作品で、現代史や本歌取りなどの約束ごとがないだけのびのびと書いている。悪ふざけもなく、大人の芝居だ。役者もいい配役で、段田、戸田は当然として、栗原英雄が予想以上の好演。優香も今どきの無責任女をこちらも予想以上の好演。段田、戸田を囲んで抑えとはじけの脇役の良さもこの芝居の興趣を盛り上げた。変な小理屈や倫理の介入をさせない本もよく出来ている。値段も適当だが、もしこれが主催のパルコ劇場だったら高いんじゃないか? とかチケットを手にれる(正価で)にはいろいろ手を尽くさないといけない、とか余計な付随事項はあるが。
朝日の劇評(30日夕刊)で、舞台をマンションと書いているが、これは同じ作りの一戸建てではないか。庭に大きな穴を掘るし、役者も窓越しに隣りをみる。ずいぶん遠い目だった。また、優香が段田を先妻から奪った、と書いているが、そういう設定はあったかなぁ。先妻ではなく現在不倫中の大学生が、夫婦間の秘密だろう。この夫婦関係が恐怖感を呼ぶとも書いているが、笑を呼ぶが恐怖ではないだろう。こういう夫婦はどこにもいて、そこをうまくやっていくのは嘘が必需品と笑っているのだ。

謎の変奏曲

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謎の変奏曲

テレビ朝日

二転三転、舞台の謎が次々と変わる。たった二人の出演者で2時間半、だれることなく観客を引っ張っていく。超絶技巧の見事な戯曲だ。
エニグマと言う曲が謎を象徴する音楽になっているが、音楽そのものは象徴的意味しかない。象徴するのは「愛」だ。北極を望む北欧の寒村に住むノーベル賞受賞の老作家(橋爪功)を訪ねてくる、いわくありげな新聞記者を名乗る30歳過ぎの男(井上芳雄)の二人芝居。ただの取材と思っていると、二人の関係は刻刻と変わっていく。一幕の終わりで、二人の関係が容易ならぬ愛の葛藤を含んでいることがわかる。そこからの二幕の展開がうまい。
二人の間に置かれた老作家の新作に収められたかっての愛人から寄せられた12年間にわたる愛の手紙を巡って、次々と新しい真実が語られ、二人の間の関係も彼らと深い関係となった女性との過去も彩りを変える。そのサスペンスがこの芝居の見どころなのだ。二人が、姿を見せない第三の登場人物の女性に託した愛の姿がこの劇のテーマだ。
展開は実にうまい。事実が開いていく構成もよく計算されていて見事なものだ。面白い。芝居見物にはそれで十分、と言ってしまえばそれでいいのだが、ないものねだりをすれば、その「愛」はいささか作りぎで、真実性に乏しい。20年前に書かれて以来、日本でも三度目の上演で、老作家は仲代達矢、杉浦直樹、と言った癖のある「名優」がやっている。つまりはそういう俳優の力でこの作品の真実は担保されているのだろう。今回は橋爪功。うまい役者で、今までの役者に軽みを加えてさすがである。対する男に井上芳雄。劇場はこの俳優のフアンが詰めかけているようだが、残念ながら、長い間愛の谷間で過ごした男の苦悩が伝わってこない。表現されてもいない。橋爪につられたのか、軽すぎる。ただの謎解きエンタメ劇ならいいのだが、この芝居はいささか技巧に走りすぎているとはいえ、人間の「愛」のドラマである。観客のご機嫌伺いのような芝居もあり、そこが残念だった。

お勢登場

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お勢登場

世田谷パブリックシアター

乱歩の悪女ものと言えば、「黒蜥蜴」があまりにも有名で、八重子にあてた三島脚本も随分調子にいい本だったので有名だが、こちら、「お勢登場」のお勢はすっかり忘れ去られた作品になっていた。それもそのはず、乱歩は初めの第一犯罪が行われるところまでで投げ出してしまったのだ。今回はそのお勢を軸に現代版乱歩悪女ものを作ると言う企画だが、以上のようなわけで尺がたりない。そこで、乱歩の有名、中名の短編を集めて、なるほどの明キャスト思った黒木華をお勢に一夜芝居にした。
楽しめた、黒木もいい。こういう芝居はどんどん試みてほしい。しかし・・・
注文を挙げれば、数限りない。ネタバレにもなる。主なものだけネタバレで書かせていただくが、これはぜひ練り上げて再演、再再演をやってほしい。公共劇場だってそれくらいの度量はあっていいだろう。この劇場は「炎」と言う難しい芝居を当たり狂言にした実績もある。おごらず、区役所役員の天下りなどの影響を受けず、芝居好きを堪能させてほしいものだ。

主な注文は二つ。後半、(戯曲で言えば3幕)そこまでは快調だったのに息がが続かなくなった。「二廃人」は無理ではないか。思い切ってカットすれば一人女優のやり場がなくなるが、そこは仕方がない。尺もベンチシートの客席にマッチする。
結局「押絵」(代表作だし名作だから仕方がないが)で落とすなら、前半からもっとうまく埋め込めないか、終わりの方で取ってつけたように兄弟が出てきて由来説明をするのはうまくない。そしてこれはないものねだりに近いが押絵はもっとうまく処理してほしい。押絵が生きていて、女は歳をとらぬというのは作品のキモだはないか。
乱歩は明智対お勢で長編にするつもりだったようで、こういう芝居では、お勢の鏡になる魅力のある男優がいる。今回は黒木以外は女優陣は多くの役をこなして健闘だが、男優陣一役役者が多くて残念だった。
黒木は現代的な悪女になっていて、これはホントに感心した。悪女と言うかむしろ女に共通する「魔性」がある新しい現代悪女が出来そうだ。見たい。
珍しく、ブラッシュアップされたいい再演を見たいと思った。その芽は十分ある。

蜘蛛女のキス

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蜘蛛女のキス

東京グローブ座

この作品は戯曲版と、ミュージカル版があるが、原作に近い戯曲版が要を得ている。かつて見たベニサンの舞台は元倉庫と言う場所もよく劇場の大きさともちょうどよく見あっていい舞台だった。その時もジャニーズの岡本健一だったと記憶しているが、今度もジャニーズの大倉忠義。こちらは芝居の経験が少ないというだけに岡本のような複雑な性的嗜好はだせず、また劇場もツルンと大きいグローブなのでスター顔見世のエンタメ性が強い。鈴木裕美の演出は例によって細かく終盤はしっかりと締めている。渡辺いっけいは次第に大蔵に心を寄せていくと女らしくなっていくところがうまい。
それはそうとして、今日の観客には驚いた。一階席で見渡したところ、関係者、記者らしい数人を除いて男性客は三人であとはすべてアラサーの女性客。彼女たちは当然ご贔屓の役者の初奮闘を見に来ているのだから、案の定、芝居の壺は外していて、板の上はさぞやりにくかっただろう。

斜交~昭和40年のクロスロード~

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斜交~昭和40年のクロスロード~

水戸芸術館ACM劇場

すっかり昭和史の事件となっている「吉展ちゃん誘拐事件」を描いたのが「斜交」である。舞台は取調室の一室。三度も長い取調べを受けていながら決定的証拠がないと見て否認を続ける被疑者(筑波竜一)と、警察の威信を背負って任命された切り札の刑事(近藤芳正)の最後の10日間の白熱の取り調べだ。
 刑事は、被疑者が犯人である状況証拠を自らの足で確かめたうえで取り調べに臨む。法廷に送るには犯人が自白するしかない。三度の取り調べを乗り切った犯人はあの手この手で逃げる。最後の日、刑事は被疑者のちょっとした証言のほころびから収集した状況証拠を一気に突きつけて落とす。密室の中の追跡劇に、強い心情証拠となるいくつかのシーンが挿入されている。半世紀前には大きな話題だった事件だけに当時はこの最後の取り調べも含めていくつもの記録が書かれ、映画やテレビ、流行歌のテーマにもなった。
 今回の企画は刑事の出身地の水戸芸術館の企画で、近現代史でいくつも秀作のある新鋭古川健が書き下ろした。狭い取調室で追うものは、追われるものの心情に触れて自白を引き出そうとする。二人が対峙する形式は演劇では珍しくないが、効果を上げるのは容易ではない。今回の刑事役近藤芳正はかつて三谷幸喜の「笑の大学」で追われるものを演じて成功している。今回は立場が変わってその経験が生きている。茨城出身の犯人役の筑波竜一もまだなじみの薄い新鮮さが生きた。
斜交と言う言葉は広辞苑6版に載っていない新しい造語のようで、クロスロードと振った副題から察するに交差する道ということらしい。単純には、探偵と犯人と相反する道を歩む二人が交差する、と言う意味だろうが、いろいろな読み方もできる。芝居のフィナーレを見れば、真人間と非人間の交差、とか、人間造形を見れば、日本の高度成長期の格差の交差とも読める。単純にサスペンス劇としてもよく出来ているが、50年もたった事件に改めて考えさせられる舞台でもあった。
水戸仕立てだけに東京公演はわずか3日。草月ホールは下北沢ほど狭くないが、知名度が低い。客席は芝居好きがかなり集まっていたが、フォローできたた観客は多くはないだろう。地方公共団体主催と言う事で、いろいろ下らないお役所縛りがあって、再演も難しいだろう、公共団体いじめ、威張り、はここの所目立つが、残念と言うしかない。


怪談 牡丹燈籠

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怪談 牡丹燈籠

オフィスコットーネ

牡丹燈籠はもともと話芸だけに物語の筋も趣向も飛躍(意地悪く言えばご都合主義)が多い。歌舞伎脚本が最もよく知られているのだろうが、それでも≪通し≫と言って全部やったのは見たことがない。武士社会の敵討ちとそのお家の従者たちの世話物が二重になっていて、ことにかたき討ちの因縁など複雑に絡んでわかりにくい。怪談はこの二者をつないでいるのだが、幽霊が出る事にテーマがあるわけでもない。ぐちゃぐちゃの人間関係、この世もあの世もありますよ、因果は巡る尾車の…と言うドラマなのだが、今どきそれでは見物は満足しないだろう。
と言うわけで今回の新作、もろもろの牡丹燈籠の種本を渉猟して新しく編んだフジノサツコの脚本。演出は売り出しの森新太郎である。工場(倉?)の改装した小劇場の舞台はノーセット。代わりに横に回転する舞台いっぱいに張られたスクリーンがあって、これが回る間に俳優がその隙間で演技する。と書くと、せせこましいようだが、照明と、大道具操作(回転係)の息が演技とうまくいって、見たことのない抽象舞台を作り出した。スクリーンの奥に俳優が去って照明がすっと動くと闇に溶けるように見える。場数が多い構成が説明なしで次へ行ける(これは功罪あるがそれは後で書く)。衣裳は全員現代衣裳でこれが違和感が全くなかったのはお手柄だが(木下歌舞伎もうまくいった)これにはやはり大道具をスクリーン一つにした大技の力が大きいと思う。
しかし、歌舞伎だとここは武家屋敷、伴蔵うち、船の上、とセットと衣装でハッキリ解るが、これでは、エートここはどこだっけ、だれだっけ、と理解するのに時間がかかる。テンポが速いので飲み込む前に次ぎに行くところもある。これは、原作の筋立てによるところも大きい。この話、歌舞伎でも最近は随分はしょった上にほとんど半分しかやらない。百両降ってくる世話物の部分が面白いので、仇討は添え物になっている。文学座が新劇でやった大西本などは仇討はカットである。今回のフジノ本はよくばりでずいぶん原作を取り込んでいる。構成上、面白そうなところは全部やっちゃえ、という精神だが、やはり人間関係がお客によく呑み込めていないと面白くない。お化けの出る怪談は、いはば、陰の引く話だから、もったいぶった間がないと怖くならない。余り怖くしたくないのかと思ったら、パンフレットでは演出が怖くしたいと書いている。うーんこれは歳のせいか。だが正直、後半話が詰まっていくところは駆け足で見る方も大変である。
そういう辛さも有りながら、この公演が面白かったのはナマの、役者の力だと思う。今回はキャスティングがすごい。80年代後半から現在までの小劇場、初期の東京ボ-ドヴィルの花王おさむから、チョコレートケーキの西尾友樹まで、つかこうへいアり、野田秀樹あり、道学先生にテアトルエコー、シャンプーハットといはば、独立路線を歩んだ小劇場劇団出身者にカブキ大御所の娘・松本紀保を加えた独特の大一座。現代役者名鑑である。彼らをまとめた森の演出力に改めて感服した。先ほどの話をひきとると、役者を見ていると物語の筋はあやふやでも面白いのである。細かく言えばいくらでも注文が出てくる舞台ながら、それをすべて越えて、この公演は成功だった。

総評

一つの時代が動き出したことを実感させる一念だった。平成も終わろうとしているが、劇作家で言えば、三谷に始まって古川で終わることが明確になり、前の世代は鬼籍に入った人の残影が少なくなり、野田、ケラ、松尾のベテランに宮藤が加わって熟練の技で一花咲かせようとしている。演出家では森に続いて熊林がいい。女流は暴れればいいというものではないが、少しお行儀がよすぎる。ミュージカルは原作は海外のものをこなすだけの力をつけてきたのだから、いい国産の作品が出ることへの期待が高まる。一頃はダンスが演劇に大きな広がりを与えると思われたが、それは岡田やオリザ系の一部のフリークに受け継がれただけで尻すぼみになった。音楽は随分進んだのだから、ここには今少し可能性があると思う。

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