満足度★★★★★
さすが天野脚本、唸るわ、この仕掛け。
ホンワカいが女面子の絡みが…徐々に放電家族ばりのミステリー感を纏い、更にそれで終わらない人間ドラマを構築。
クセ者作演ペアお見事。いが女メンツに客演男子が凄く効いてて、かなり幅の拡がったお芝居でした。
満足度★★★★
思考を奪われる魔法の時間… 少年王者舘はいつ来てもそうなる。
不条理感と滑稽さ…空間と動きの美しさ… あらゆる感覚を刺激されてきました。
満足度★★★★
派手な演出にエネルギッシュな役者、工夫の凝らされた舞台美術…ここら辺は良い意味でいつも通りなんだが、今回は結構味が違うね。野田さんが主役を演じる効果がお話にグッと活かされてて、周りを彩る武将勢が良いバランス作ってた。転換にも面白味あり。
満足度★★★★★
ノンバーバルってんで、アクションを楽しむつもりで行ったんです。それが…何て切ない筋書きを仕込みやがるんだ。
終盤…意図に戸惑いながら観てたが、それが氷解した後に現れる芝居が…受け継がれる想いが…何て切ない…何て皮肉。
満足度★★★★★
伊丹まで観に来た甲斐があった。決っして解決しない悩みを…現代でより強まるこの無力感・虚無感を…より鮮明に見せてくれた感じ。今回のメタ感の強さがザ匿名劇壇なのかな。にわかファンなので今回の再演は凄く嬉しかった。石畑さんの役が面白くて好み。
満足度★★★★
「あなたの善意に感謝します」…その怪しげな招待状をきっかけに集う…およそ繋がりの計り難いアスタリスク(*)のメンバーたち。
「自分が行った善意の報告をするために」…言葉でそれだけ言うと、怪しげな新興宗教集団のノリですが、コメディタッチで穏やかに場を温めながら…各々が心に抱える後悔と負い目を吐露していく。
その重さを和らげるかの様な笑いの部分は安定して面白く、キャラ毎のオムニバス感があります。
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(続き)
私の好きなところを挙げるとすれば、…
一つは宮川。穏やかで妙に卑屈で根に持つ語り口は面白い。お気に入りの「トイレの水」発言は台本に無いので、稽古で膨らんだかな。そして、良かれと他人に譲ってしまう為人が産み出す二重の不幸…やりきれなさ…モヤっと伝わってきて辛い。
もう一つは、プラスチック・ゴム製の人形と会話できる異能少女リリィと、キモイ系タコ人形のイカスケのペア。ファジー定番の被り物ですが、ダミさんが演じる辺りからの特異性がなんとも言えない。「あが、あが、あがががが」という笑いとやたら匂いに厳しい毒舌にインパクトあり。二人の掛け合い面白いね。
他のキャラも面白い笑いを振りまきながら、各々が背負う闇を感じさせていきつつの「終盤」の見せ場へ
周到に舞台に置いていかれた「布石」が瞬く間に繋がり、導火線に火が付いたように連鎖して…メンバーが「過去のある事件」で繋がっている事実を呼び起こす。
今の繋がりだけコミカルに見せていたメンバーの背景に、一瞬のうちに複雑な関係性を構築した流れにはドキドキしました。
…割とぬる~いコメディ感が支配した空気からのギャップでインパクトあったし、各人が吐露していた…ぼやけた表現しかされていなかった「後悔と負い目」が…一瞬で鮮明にみえた感覚に、ショックを感じずにはいられませんでした。…フラッシュバックの様に表現されるあのシーン…正直言って、初見で観客が全ての事情をすくい切れるのかな…って気もしますが、どうしようもない不幸の連鎖が起きていたことは、しっかり感じ取れる空気は作られていたと思います。
…この事故を踏まえると、前半にコミカルに描かれるボンの「自己否定感」は、実はもっと根深いものであり、この登場人物の中で最も辛いと思われます。
また、そんな不幸の中で…失うことばかりの背景の中で…唯一得るものがあった…「サクラが今ここで生きている」ことの価値は…本作の大きな救いだと思えます。
関係性が明確化した後に、この両者の事はもう少し手厚く描いた方が観客の心に訴えかける作りになる気もしますが、そうはせず、あくまで均等に描く…あくまで煽らない作りが、石田さんの味なのかな。
あと、主謀者であるリリィの「動機」がもう少しハッキリしてくると…すっと話を呑み込める気もします。何かしら闇の感情を抱えていないと始まらない行為だと…私は思うのですが、…その方面での闇はは窺い知れませんでした。
…いや、兄に対して「父の様にはなるな…」と心で呟くセリフなど、暗示してそうなところはあったんだけど、自分が想像するところと合致しなかったので、私がもっと咀嚼したいところですね…。
モヤモヤと分からないところがあっても、それが明らかに描写されるのが全てでは無いことは確か。要は空気が伝われば良くて、細部は観客が勝手に妄想で補うので充分…というか、その方が楽しいことも少なからず。
伝わる空気は確実にありました。
そこに不幸の連鎖があって、一体どうすれば良かったんだ…という嘆きの数々。善意は必ずしも思うように作用せず、想いに真逆に作用して…不幸を呼び込むことすらあるけど、それでも足掻き続ける善意の人々。
アスタリスクは無くなっても善意の輪は残る。
何かを生み出した…何かが解決した訳でも無いが、皆と会えて良かった…リリィの台詞が象徴するお話でした。
満足度★★★★
何というか…演劇言語が異なると言うべきか…異文化に出会った気分。AAFはいつもそういう出会いを与えてくれる。作曲技法による戯曲かぁ。リフレインを多用する芝居は見慣れて来たけど、それとも異質…その意図を手探りしながらの観劇は充実でした。
そして、鳴海さんと佐々木さんのアフタートークは大当たりでした、充実。
満足度★★★★
歌舞伎の現代リクリエーションに定評のある木ノ下歌舞伎。
そうか…浄瑠璃の現代版はこうなるんやな。情と理性、想いの残るところと離れるところが複雑で巧妙。現代人としての心中へのネガティブな意識も相まって複雑な感情が湧くが、美化しない死に様には好感。
満足度★★★★
特に大きな出来事があるわけではないが、登場人物の心情と背景を深く深く…しかも間接的に描写して… 説明はせずに漂わせる感じ。それ故もやもやと観る者の心に沈殿してくる。奇抜さがないので、芝居を観ているのでなく、その場に居合わせた感覚。いや増す重苦しさに唸る。
満足度★★★★★
哀しい結末しか想像できない…非常に統一感のある空気作り。特に舞台美術、音楽、そしてアンサンブルキャストたちの声と動きによる「空気」の支配力の高さが非常に際立った。脇役と見られがちなモノたちによる…観客の心理を誘導する力強い影響力は見事でした。
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(続き)
舞台美術は抽象・具象の両面に利くシンプルな構成。円・四角・螺旋が空間の「枠」として配され、家・戸・窓枠・井戸を具現化しながら、各々が「穴」を想起させる。そして時としてその空間は演じる姿を変える。家が井戸の底に姿を変える瞬間は非常に印象的だった。
アンサンブルキャストもまた具象抽象の両利きで、その都度姿を変える。野良猫・赤ん坊・内心・観察者…八方から代わる代わる響く声は、語りにリズムと重層感を与え、見事な擬態は観客の想像力を呼び起こす。ここまで効果的印象的なアンサンブルを観たのは初めて。
そして音楽。観客心理を支配する最たるもので、元々いちろーさんの音楽は廃墟文藝部とは切っても切れない存在だが、今回は特にある種の感情を刷り込んでくる感覚。サントラを聴き返すとしっかり観劇時の気持ちが蘇るのがすごい。声の多用も人の惑いを象徴してた。
私の感想が物語の解釈以外から入るのも珍しいけど、たとえこの物語の深淵を汲み取れなかったとしても、この空気に触れ…味わって生まれる印象と感情は、物語のどんな解釈よりも得難く、深い印象を残すものと思う。
さて…でもやはり物語の感想に入っていこか。
主題に謳われる「アナウメ」… 心の中にぽっかり空いた穴(喪失感、無力感、罪悪感、嫌悪感…)を…ある時は自分で…ある時は他者が埋める行為。
それ自体にはあまり解釈が変わる余地は無い。
問題は、そんなアナウメ行為の…動機、代償・見返りの有無、…相手の意図・内心との整合度合いだろう。
アナウメが報われなかったり、アナを埋めているつもりが相手にとってはそこはアナでなかったり、逆効果だったり…相手のアナウメのつもりが実は自分のアナウメであったり(それが当たり前であるかもしれないが)、そんな行為と善意・愛情の「噛み合わなさの悲劇」を表す作品だった。
味気ない言い方になるが、突き詰めれば…他者を…ひいては自己を理解することの難しさと、それを誤ること・疑心することによる悲劇に他ならない。
その象徴と思しき「翻訳」という行為。
「本の方がよく人の心が見える。」という言葉も出たが、妻の作品を夫が解釈して翻訳(二次作品化)する構図は極めて象徴的で…
『翻訳とは理解を試みる作業。隠されたヒントから隠された言葉を選び取り、更に隠された心情を読み取る』
というセリフが端的。
その行為は創作のみならず、実生活の投影でもあったわけだ。創作生活を現実にも重ね合わせる発想は「小説家の檻」からの流れを感じる。
そして…妻の作品の「難解さ」と「自分は何か勘違いしてやしないか」という不安が、本作の悲劇の基本構造にも映る。
ミステリアスな作品だが、謎解きは暗示のみに留まる。好きな人は好きに楽しんで…と言わんばかりのたっぷりな余白だ。
そして、アナを埋め続け…最後に自己をも見つめ直して、精一杯の気持ちを囁く夫に…ざーっと冷や水を浴びせかける妻の最後のセリフ。この悲劇の結末に相応しい…なんともコンタさんらしいエンディングだ。
…ここで終われば良いものを、好きなもんでミステリー部分に空想を拡げる。ここから果てなき妄想。本質でないことは分かってる。矛盾をつくとかダメ出しではない。純粋に思索の楽しみ。
最も謎なのは、やはり妻の精神構造。単なる「性行為の記憶の欠落」ではない…性行為直後には満足感・幸福感の描写があり、忘れるのは寝て起きた後…というタイムラグの謎。とてもPTSDの疑いの延長戦上とは思えない。。一種のフラッシュバックにしても妙だ。本当に忘れてたとしても、体に残る違和感は必ずあるはずで、続けば自分に疑心が湧くはずだ。
そして「産んだ子を認知できない」という症状。そもそも人を猫と認知する状況は、「忘れる」とは一線を隔す。演出上の比喩等の類とも思えず…更に起こる殺害疑惑…「何かしら妻の意思が介在した行動…あるいは狂気」を疑いました。
妹の言う『都合の悪いことは全部捨てて、自分は綺麗なままでいる』、『1人だけ汚れないままでいるのは許せない。』からも、過去に何か元カレ事件以上の確執の存在を確信していましたが…結局、最後の井戸の底の事実を目撃しての「妻(姉)の失踪」で、一貫した意図的な行動…という仮説は崩れました。
そもそも当人からは「何かを企んでるオーラ」が一切無いので、この状況を両立させうるのは「多重人格+狂気」の構図かな…と思います。…ただ、人格遷移の「豹変」を感じさせる演出は無かったよなぁ…。まあ、意図的に隠して観る人の想像を膨らませているかもしれないし、当然、単なる私の見立て違いでも良いんだけど、何にせよ色んな想像が成り立つ演出は観ていて…そして観た後も面白いですね。
他にも仮説はあって…、「夫婦の夜の行動」が同じだけでなく、ニュースすら同じ「北朝鮮ミサイル」が繰り返されるので、これは「実は夫の頭の中で反芻される記憶であって、妻は最初から死んでいた説」も浮かんでました(笑)
編集者・妹・少女も絡んでいくことで、あっさり瓦解した仮設でしたが、観ながらそういう疑惑を膨らませるのって楽しいのよ。
夫の心情が本作の核ではあると思うのだけど、夫のみならず周囲の全てをあらゆる方向で惑わせる妻の芝居は、観客をも激しく惑わせて、楽しませてくれました。(終
満足度★★★★
1人の僕(優)を3人の役者が入れ替わりつつ進む展開が興味深い。登場人物9人を役者3人で回す台所事情的な演出テクニックかもしれないが、僕の語りが非常に長い戯曲ゆえ、…台詞を切り分けることで不思議にリズムも良くなり、見た目も軽快。分担により、何となく「僕」の立場を普遍化している様にも感じられ、後々明かされる背景とも絡めると意味深かも。
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少年の単独小旅行という設定には、当初は子供向けテイストを想像しており、実際に動物や妖怪も活躍する味付けがあるのだが、その裏でテーマ的に潜む色んな意味でのマイノリティや多様性、空気を読ませる日本的社会観等の一般論的な問題を被せてきたリ、災害や戦争等の特定の社会背景や歴史を重ね合わせつつも…オブラートに包んで明示しない辺りが粋でもあり、がっつり大人向けの作品だ。
異能を持ち…孤独を匂わせる僕に絡む妖怪たち…特にヒトカゲの示唆に富んだ語りやコミカルなサトリも面白いが、それ以上に彼らの年齢設定もいい味を出していて、歴史的な背景との繋がりの意味以上に、現代の大人を揶揄している…人間社会の負の状況の体現の様でもあり、これまた意味深だ。
そして、そんな大人の社会事情はあくまで背景に留めて、子供である僕が…親との思い出や妖怪達を支えにしながらも…あくまで自分の判断で「人の心の本質」を滲ませ、結果を掴みとる結末は何とも心地よい空気でした。
終盤につれ…不思議に大人びていく少年の佇まいに…少年が乗り越えてきたモノを感じさせ、切なくも頼もしい後味でした。余談ですが、本作の「戯曲版」と「公演脚本版」を購入できたので、さらっと読んで比較してみたところ、公演版では僕の配役分割以外にも色々効果的な手が入っていて、「へ~」ってなった。
発言の出所を変えて登場人物の役割のメリハリを良くしたり、観客が察すれば分かることの説明台詞を省いたり、結末の気付きのキッカケを増やしたりしている様でした。
推敲の過程を垣間見れたようで、こういう機会も面白いですね。
満足度★★★
登場人物の性質と噛み合った「役者の奔放さ」がコメディとして活きた作品でした。
若手女優陣の楽しんでる感や、ここらでは見掛けない豊田の劇団からのヒロイン抜擢、自称幻想舞踏家の様々な銅像ポージングの造形美…等々、面白みはふんだんにありました。
…ただ一方で…せっかくある「特異さ」を活かしきれず、全体としてちぐはぐ感のある印象も残った作品でした。コメディとして前者だけでも楽しめますが、後者がもったいないなぁ…と。
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(続き)
そう思ったきっかけが「この作品の最初の着想が"TPP"だった」…というアフタートークでの話です。
予想外が色々と渦巻く点が特筆できる本作でしたが、その話が作中以上に…意外の最たるものでした。
突然、父が語り始めたTPPは作中で異様に浮いており、それが飛び道具としてあるなら…さもありなんです。
…しかしそれが着想の根幹であるなら、そこからの話の拡がりがもう少しあって然るべきかと。
TPPから始まってこうなるって、どんだけ迷走たんや…とも思ったのですが、コメディとして味付けしていく過程で、極めて特異な最初の着想を膨らますことが…なおざりになったのでしょうか…。
もう一つの特異さ。
本作の登場人物達の特徴は、主人公カップルを除いて…誰も彼もが「頭がおかしい」って言ってよい程に自己中心的…いや、それに留まらず「他人のモノはどうでもいい」ってサイコパス気質なとこ。…
…それが悪いのではなくて、それならばブラックユーモア路線を貫いても良いはずなのに(むしろその方が私は好みですが笑)、結局、中途半端に母の愛情をアピールする展開になったりして、やはりちぐはぐ感が否めない。
話の展開でも…
…「秘密が秘密であるべき理由」が納得できずにモヤモヤするところがいくつかあったのですが、善意を前提で考えると成り立たないロジックも、そういう特異さを絡めるとスッっと呑み込める筋にできる気もします。
2つの特異さは共に強みだと思うのに、…一般的な面白さやヒューマニズムも追ったが故に、せっかくある特異さを生殺しにしてしまった気がします。
作演の高倉さんはかなり真面目な気質のご様子で、失礼ながら、もしかしたら自分の特異なセンスを掴み切れていないのかもという気もしました。…特異なところを特異と思っていないから、こういうことが起きるのかも。
いつにも増して勝手な言い草で恐縮ですが、ちょっと前向きに気になったので書きました。
的外れならゴメンなさい。こんな特異な曲解されたっ!と笑ってスルーしていただけると幸い。
満足度★★★★
一緒に講座を受けている様な感覚。教訓がふんだんに散りばめられているが、それが参加者から万遍なく生み出されているのが心地良い。講師というよりファシリテーターってヤツ? 複数の悩みの中での共通点、受け取り方の相違、変化も興味深い。
満足度★★★★★
いい作品は何度観てもいい。配役変更やホンに手が入れば尚更。
山形さんはストーキングブルースを体躯を活かして見事に磨き上げてたし、おナツさんは気性を活かした…おぐりさんバリのダメ出し台詞が効くわぁ。
満足度★★★★
この劇団のことほぼ予備知識ゼロで観たけど、何とも心地よい空気を味わったなぁ。
演出が…優しくてコミカルでユニーク、若者らしくゲラゲラ笑う屈託の無さが可愛らしい。
シームレスに時間軸入り乱れる構成は好みやなぁ。解釈無用の謎めいた感じも多様性を感じさせる。
満足度★★★★
振って、振られて(光の領地)観劇終了。憲法という思わず身構えてしまう題材だが、その内実は…極論を道具に人間の心理の変容、歪み、落とし穴の一端を描く。タイトルが結構核心を突いてるかなぁ。
椿教授役の多様さがかなり効いてて面白い。
満足度★★★
狭い小屋にギュッと乙女の拘りを詰め込んだ宝箱みたいな舞台。
個人的には、同種の空気に擬似科学や社会風刺も交えた前作「ヒカリノ国」方が好みであったが、敢えて奇をてらうことを避けた感じは、まさしく主人公少女を諭す空気に合わせたかのようでした。
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(続き)
「願いが叶う紅茶」「神様になりたい」
この2つのキーワードが主軸になる展開。空気だけ味わっても十分な芝居だが、私がぼやっとしてたのが、今一つ細部で呑み込めなかった部分もある。
①「神様になる紅茶」を飲んだ主人公が果たして神様になれたのかのくだりで、店主と旅好きの常連客との会話から浮かび上がると思しき解釈…
旅先では自分を作り直せる
→私を作る私は創造主(神様)
→自分を変えられれば神様になったと同等
…は斬新で面白かったが、主人公に何か繋がったのか良く呑み込めず。
…超然としていた店主が唯一惑いを見せていたシーンなので話のキーだとは思うんだが…。
②「力がある物」を得るには「価値のある対価(代価?)」が必要。
この「価値のある…」は経済社会では「その物を売る方にとって…」だが、ここでは「貰う本人にとって価値があるもの」…となる。
まるで生贄的対価…。あくまで何かを捧げさせることに意味がある。童話?寓話?的な匂いが潜んでいる様にも思えて、喫茶店形式だと異質に映って面白い。
③そして結局「本当の願い」とは何だったのか。…
…このお店のルールを理解することが、彼女が本当の願いを理解することにたまたま直結したのか…
それとも「願いを叶える紅茶」は「何でも叶える紅茶」ではなく、「人の喜ぶことを考えるコミュニケーション」が万物の願いを叶える…この紅茶の真髄なのか…
…何となく本作は単発でなく、この「彷徨える喫茶店」を舞台に、迷える複数の客を相手に短編3本立てぐらいで作った方が味が出そうな趣きでしたが、この「本当の願い」の扱いはこのコンセプトの基本設定に関わる気がしたので、ちょっと気になったわぁ。
彷徨える湖 ロプノール湖を彷彿とさせるこの喫茶店。超常的な存在の割りに、意外とこじんまり近所を移動範囲としている気がするのが面白い味。
彷徨える喫茶店を唯一捕捉している常連の旅人かすみは、この世界を膨らませそうな良いキャラでした。
ピアノ奏者るりはちょっと尖った気質で、この世界のアクセントになるキャラ。何か人間ではない布石も感じましたが、タイヤキを前にして「魚の匂いがしない」は…ちょっと萌え要素でしたね(笑)
カーテンコールまでずっとモグモグしてたのは面白かったです。
満足度★★★★★
全般的にしっかりコンセプトに即した…統一感と美しさと奥深さを感じる舞台美術。
そこに、ただでさえ窮屈な世相の中で、自身の障碍から波及する精神の著しい閉塞感を役者が表現し、そして…そこから生まれる美しいものへの渇望と憎しみ、身勝手な理想から溢れ出す「狂気」を舞台上に映し出した。そして最後のどんでん返し?… 原作から一歩抜け出した印象です。
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(続き)
各論。まず見た目から入るけど、舞台美術を始めとする演出が本当に美しい。
炎や血をイメージしているのか…冒頭、…天井から垂れ下がる意味ありげな赤い布。白赤黒を基調とした統一感ある衣装。三・四層ぐらいに重ねられた襖は舞台に奥行きを与えるばかりか、話の奥深さを象徴する。
見ざる言わざる聞かざる… いや、見えざる、言えざる、聞こえざるか…の、序盤から何か不自由さを予感させるオープニングダンスも、がっちり展開とエンディングに効いてきた。
そして話中で何度もフォーカスされる「美しさの価値基準」と「空っぽ」
川口の…幼い頃から脳内で理想化・肥大化した「美しい金閣寺」と現実の美しさとのギャップは、強烈なコンプレックスから歪んだ価値観となった 「滅びゆく様こそが美しい」として示される。
一方で、川口のみならず、遊女や友人が抱える…世相を反映した閉塞感、無力感が「空っぽ」と表現されている様だ。
認識(知識・見識?)の無為さと行為(行動?)との対比の議論は普遍的に見えたが、川口の犯行を後押しする存在として使われている様だが、時代からの強迫観念の印象も感じた。
中盤は、発言の趣旨がロジカルに理解できない台詞が度々出てきて、何となく時代掛かっているから、その辺は原作に沿っているのかな。理解できないのは自分の教養の無さだろうが、ただ、最後の最後にその印象が一変する。
クライマックスの金閣寺放火のシーンで、同じく(色んな意味で)美しいモノとして…有為子たち遊女に金閣寺を体現させる演出は、川口の精神面に何を作用させているかが非常にイメージし易かった。
燃え盛る中での有為子の語りは(ここは後藤さんの独自解釈/創作な気がするが)、非常に呑み込みやすいメッセージになっていた。
空っぽなモノは美しく滅ぶしかない…と思わせる展開の中で、空っぽな遊女たちの悲痛な想いを糾合していくかんざしのシーン… それを受けて有為子(金閣)が語る川口の思想への拒絶と示唆…「もがき苦しみ、生きることこそが美しい」という趣旨は、…金閣に遊女たちが重なるからこそ、強い説得力を持ち、金閣とともに燃え尽きようとする川口を遊女たちが次々と拒絶し、コンプレックスを抱えながら(口耳目を塞いで)焼失していく様は、川口の毒気を身代わりに吸い取っていくかに見えて、それでこそ川口の「私は…生きるしか…ないんです。」がストンと胸に落ちた。
原作との差異を知るために原作解説を色々読んだが、いずれも川口の生きる決意がしっくりこなかったので、後藤さんの原作の自分色への染め具合に改めて唸りました。"
満足度★★★★★
さすが全国から代表が集まるコンテストには観劇の醍醐味がある。
決勝進出作品と一部の好みの作品について、
ネタバレboxに感想を書きました。
ネタバレBOX
■【救急車を呼びました(平塚直隆[オイスターズ])】
最初はいつものノリで、穏やかに不条理感を滲ませてくるかなと思ってた。このままなら、劇王防衛は厳しいかな…というのが序盤の印象。しかし、それは極めて甘い予見だった…中盤以降、予想を超えて畳み掛けてくる意外性。
…発言や所作から連想する思い込みを…、成立していたかに見えた作中・演出の約束事を…、全て逆手にとってくる。「なぜ君が喋る」「二度と言いたくない台詞」の辺りは秀逸。こういう「騙してくれる瞬間」は芝居の醍醐味だ。大いに笑った。
終始その意図の見えぬ男2(平塚)の不気味さも良い。善意の佇まいから…成立しない意思疎通、本人すら意図を量りかねる様に「あれ?」を繰り返し、入れ替わる「大丈夫ですか?」の主語たち…拡大する疑惑
サイコパスサスペンスさながらで効果的。
本作はこれら2つの柱…
「一種の言葉遊び的、不条理的な会話による意思"不"通への笑い」と
「善意の装いで(あるいは本当に善意のつもりで)近づき、心理誘導してくる者の恐怖」
で構成されている印象だ。
故に"物議"を醸したと思える。
審査員西田シャトナー氏の「不幸になる人を笑う芝居(且つ教訓の示唆もない芝居)は認められない。これを笑う観客が怖ろしい。」という趣旨の発言があったが、果たして観客が本当にそんなことを笑ったのかは冷静に分析すべきだ。客を侮り過ぎでは?
少なくとも私の笑いのツボは意外性だ。先述の通り、成立しないコミュニケーション、男2(平塚)の予想外の問い掛け・反応・切り返しに面白みがあり、それが判明するタイミングで全て男1(中尾)が窮地に陥るところに誤解の余地があると思える。とかく人には「許容できぬ勘所」があって、作品への批評眼を曇らせる。引き合いに出すのはおこがましいが、私自身、某作品で加害者扱いとなる人物の描写・扱いに…自分の身近な者の苦悩を重ねて、冷静に作品の価値を受け取り難かった経験がある。…結果的に男1(中尾)が陥る状況が、氏のそういうツボを刺激したかもしれない。
確かに男2(平塚)のサイコパス的態度がエスカレートする終盤、飯を食いながら虫けらを見る様に男1(中尾)を観察する視線は強烈で、そういう作為を疑ってもおかしくないし、ネガティブな受け取り方…例えば"いじめの構図"を想起させているかも。男1(中尾)の演技も巧みすぎて、もともと心臓疾患でもあったの?とも思える過剰さだった。(そういう殺人のサスペンスって見たことある。)…
…感想の本来の趣旨からは脱線したので元に戻ると、先述の2本の柱を、どういう作意で絡めているかは、物議のお陰で興味が湧いた。
正直、前者の柱だけで十二分に笑えるので満足だが、平塚さんは不愉快な印象を持った人がいたことについて、自ら演出上の課題と捉えている様だ。後者の柱が作品上の調味料に過ぎないのなら強烈さを薄めるのか…。でも、それも勿体ない気もするね。
一方、もっと深い意図を仕込むために切り口を変えるのなら、それこそ西田氏の様な想起を逆手にとり、本来の笑いどころは違っても、笑っていたという事実だけで観客がいつの間にか加害者に転じている様に思わせる…そんな仕込みも面白いのではないか。
後味は悪いが、昨今の「極めて作為的な報道等への対峙の仕方」への警鐘みたいになりそうだな。
■【言いにくいコトは、、([北海道代表] 上田龍成[星くずロンリネス])】
ど・どしのぎ祭、「キンチョーム」で出会った星くずロンリネス再来。持ち味を更に研ぎ澄ませ、観客が心地よく笑える空間を提供。
1アイデアを丁寧に磨いていくスタイルは相変わらずで、キンチョームでの「さ行抜き言葉」ほどの意外性は無かったですが、今回の「早口言葉」は小気味良いテンポにおいてはキンチョームに勝りました。
そして、もちろん中盤以降の飯塚の早口言葉オンパレードが見せ場ではありますが、それを引き立てるための琴葉・邦彦の噛み噛み早口言葉も光っているし、それらの「早口言葉」が登場できる布石を、観客に悟られない様に丹念に布陣していく序盤の手厚さも見逃せない。
全てを気付かせない…というのは無理があるほどの超定番の早口言葉があるのも実態で、予選・決勝で2回観ると、序盤の気の遣いようが見て取れて面白い。
やはり、勘の良い人なら序盤で早口言葉を全て見通せるでしょうから、とっておきのオリジナル早口言葉の仕込みがあれば手厚い仕掛け・意外性になるのにね…という気は否めません。ただ、なんとなく上田さんのポリシーとして「観客の知っている言葉」に拘りがある様な気もします。
ドラマとしては、むしろ定番の感動シーンを茶化しているかの印象も浮かんで、…なんていうか…Youtubeとかに上がる様な「MAD動画」みたいなものも想起しました。エモーショナルな感動シーンのセリフを、滑稽な早口言葉で置き換えてみた…的な。
(別に悪い意味では言ってません。MAD動画好きなので。)
一方で、役者の作る空気は「安心して観れるお茶の間コント」的。
最後のオチ(そこは言いにくいままでいろ)は何となく弱い気もするのですが、そこまで走り続けた後のひと心地…食後のお茶を一杯…お約束の様式美みたいな後味として無難とも言えるかな。
いずれにしても、何度観ても面白いライブ感が確かにあって、2度観て面白かったので実感しています。
演劇とコントの狭間を狙うと標榜する姿勢が遺憾なく表された…これは強み。
■【前兆とか([中国地方代表] 亀尾佳宏[亀二藤])】
冒頭では言葉遊びの様に見せていた「ことわざの珍解答」が「山本の不登校の理由」を解き明かしていく過程は実にダイナミック。
単純に笑いのネタとして賑やかしになっていたソレが、浮かび上がる疑惑とともに…畳み掛ける様に連発される空気にもはや笑いは無く、観客の受け取り方が180°変わる仕掛けは見事なものです。
疑惑を醸造させる…母親の対応の違和感…「それを知っていて何故言わない?」と湧き上がってくる疑問にも、両先生のツッコミの冗談で…観客にカモフラージュされて、「結論」に伴って再び息を吹き返すのも巧妙で良い。
伊藤の正論や、それに対応した第一場・二場の暗転直前の中尾の「問い」…このバランスは観客の頭や論点をきれいに整理して印象付け、お手本の様に綺麗な構成でした。
それだけでも十分な質であるところに、そういう表向きの面白さに添えて…何かモヤッと裏を感じさせる空気に深みがある。
伊藤と中尾の会話の…それこそ冒頭から続く「噛み合っている様で噛み合ってない感じ」。これに大いに含みが感じられる。
…中尾の真意をどう解釈するかで作品の味が大きく変わる。
特に中尾のセリフは「誰を…何を指して言っているのか…」がとても曖昧で、意味深となっている。
同意している様でいて、伊藤とは逆のことを言っている様にも見える余白の広さ。
…「出してたんだよ、前兆とかサインとか。」は、根拠もなく言っている一般論なのか、真実を知っていて皮肉っていたのか…。
一学期にさぼったにしても、いつまでたっても採点が終わらない不自然さ。中尾はどこまで分かっていて、何を期待して、ヒントを振り撒き続けたのか。何らかの理由で真実を明かせぬ中尾が助けを求めるサイン…かとも思ったが、そこに最後の「証拠隠滅」である。
あっさり読みが瓦解して見方を変える。
「前兆やサインが読めない」と嘆く伊藤への慰めと擁護の言葉たち…それは思い遣りではなく、後に明るみになる失策の弁明と同情を求める行為ではないか…
伊藤が自己保身に走らず、事態の理解と共に速やかに行動を起こしたことが、中尾には想定外だったのかもしれない。共者を発掘したつもりが…敵となった感じか?
第四場で折り重ねられていく伊藤と中尾のセリフ。
そこには「前兆やサインを読むことの難しさ」を嘆くというよりは、明らかに中尾の諦観・自己弁護・同情を求める心情が滲み出ている様な気がして、現場を知る者ならではの空気が漂っている気がしました。
■【アツモリ([東北代表] 遠藤雄史[トラブルカフェシアター])】
地区代表だけあって非凡な仕掛けは少なくない。
・離婚届と見せかけるミスリード
・夫婦の対話をプロレスの攻防に準える趣向
・故人への思慕を象徴すると後から気づかせる「日記、電話の使い方」
・無理のないレフェリーの位置づけ
オチも踏まえると「6年の歳月を重ねた上での自己完結」でしかないが、演出上は2人の対話で育まれていく結論は、存命中の生活から紡がれていた思考の総決算であり、流産経験とも重ね合わせた気づきの形成は…短編ならさほど違和感はなく、すっと納得できる。
それでも、「夫の本当の意識の外からの、新たな気付きの転機が欲しい」という趣旨の審査員評はなるほどと唸ったな。
こういう主軸の展開を彩る描写として、「プロレス」と「食」が使われた。
「プロレスによる描写」は着想として良い切り口だが、如何せん序盤の「脇固めによる押印強要」のインパクトがピークで、後が形式的なマネに留まったのは残念。ほぼ、女優の個性で押し切ったに過ぎない印象で、本当は「夫婦の対話」と併せて本作の両輪になるべき「売り」だと思うので、もっと研究してシッカリした「見立て」にまで作り込んで欲しかった。空気は好きなんです。
「食」については、タイトルに「アツモリ」が使われたり、夫婦の過去話が出てくるんだけど、小ネタ程度の印象しか残らなかった。…「生きるためにゴハンを食べよう」というセリフは良かったけど、それが活かされる空気はさほど感じられず、「プロレス」と「食」に手を拡げた結果として、双方中途半端で終わったのかも。個人的には「プロレス」に絞って磨いてくれた方が良かったな。
さて、こういう本作の本質としての感想とは別にして、やはり震災をネタにする必要性はなかったのでは?という気持ちが先に出てしまう。
一瞬で観客が事態を呑み込んでくれるというメリットがあるのは確かだが、それ故に思考も画一化されてしまう…語弊がありそうだけど…観る側に謎の圧力が生じる。意図せずとも、これに感動しない者は人に非ず的な圧力…。
一方、審査側でもプロの矜持として「感傷に抗する心理」でより厳しい評価を促すのではないか。「必然性」に対する言及が多かったのにも、そういう背景があるのではないか。
実際のところ、扱っているのが「震災でしか起こり得ない状況ではない」ことから、本当はこの設定を避けるのが得策だったと理性では思う。ただ、東北の人だからね… それでも…っていう想いは断ち難いのかもしれないね。
■【コミュニケットボール([関西代表] 福谷圭祐[匿名劇壇])】
決勝に進んで欲しかった1作。かなり地味だが、言葉の扱いがとても繊細。ただしそれは文学的な繊細さでなく、科学的な繊細さだ。
見た目バスケの謎の球技。名前だけ「コミュニケットボール」と明かされている。…そこに投入された3人の…言葉通りの苦悩のコミュニケーション。
メンバー3人はそれなりの知り合いの様だが、知らない者同士のSNS上のコミュニケーションを感じさせる。言葉のキャッチボールが、どうにもスムーズに進まない。…その裏に感じ取れるのは、必ずしも稚拙さではない。
「思い込みを廃し、言葉の他の可能性を無視せず、厳密さを求める気質」であり、使う場面を誤らなければ必ずしも悪い気質ではない。
しかし社会生活においては、大概は「厳密に対象を定義されないと行動を起こせないタイプ」としてコミュニケーション不全を起こす。
本質でない部分の曖昧さを許容して動けない一種の「発達障害」を思わせる。
「パスってどっちの?」
「いいよって、どっちの?」
交わされる言葉は思わずハッとする一種の言葉遊びに映ることもある。
本質を取り違えながら進む論理展開・議論の妙は面白く(ただし、コメディ的な空気はない。)、ゼロベースで考えた時に拡がる言葉の可能性も感じられる意外性もある。文脈で判断できないから同音異義語を交えて会話が出来ない。
言葉の些細な定義にすごく敏感であることの派生として「さしたる意図の無い言葉」がNGワードになって、過剰に周囲の悪意を感じ取る。
それらに晒されているうちに、会話の妙だけを味わっていた自分の気持ちに徐々に変化が起きた。
3人は本当に必死だ。
常人が感じる以上に厳しい針のムシロの上で、ぶつかり合い、せめぎあい、不平不満や皮肉を訴えながら、それでも誰かが関係を繋ぎとめようとする。「ずっと人との関わり避けてきて、うまく人と関われなくなっちゃって、どうしていいか分からなくなっちゃったから、ここに来たんでしょ?」、「こっちが行こうよ。」
最後に、そこまで使っていた言葉の用法をミスリードさせて転機とし、…本当の意味での「言葉のパスまわし」が始まる。
ささやかな結末…そしてささやかな一歩。
この…観客の感情をほとんど煽ってこない演出で、決勝進出まであと1票のところまで票を集めた。
惜しかったなぁ…2度味わいたかったよ。
■【怪盗パン ([東海代表] 渡山博崇[星の女子さん】
敢えて人間味を遠ざけているかの様な演技。童話的な雰囲気で展開するそれは、生ける人形劇を想起させる。
レ・ミゼラブルを下敷きにしている様でいて、心の奥底は正反対に乖離している気もする不思議な一作でした。
…レ・ミゼラブルって原作をちゃんと読んだことないけど、改心したり、不変の愛を貫くイメージがあって…、でも本作では…同じ舞台で大筋をなぞっている様に見せかけて、絶妙に逆のことをしている気がするんだよなぁ。
やっぱりキーワードは…「この足は小銭を踏んずけたままだ」だなぁ。当初は罪悪感なのかと思ったり、「更生の難しさ」みたいなものを描いているのかとも思ったが、何かそこにも違和感が残る。
宗教的観念でいくら愛や正義を説こうとも、そんな単純じゃ済まないのが人間だ。…「どろぼう」にしか才がなかった男は、いったいどう生きていけば良かったのか。
社会に圧殺され、ただ朽ちていくことに甘んじなければいけないのか…
「足の裏の小銭」は…社会に対する…社会の価値観に対する違和感でもあるのかもしれない。…競争社会の中、限られたリソースの中、そのつもりが無くとも他人から何かを奪うことは普通に起きることだ…ただ社会のルールに…多数派の論理・倫理に則ってさえいれば、それが許容されるというだけのこと。
自分の特性が反社会的であることの悲劇か。…一方で、その拘りから抜け出すことの難しさを表している気もした。
実のところ拘っているのは本人だけ…
過去を払拭できれば、忘れてしまいさえすれば、掴めた幸せ。一歩を踏み出す怖さ、難しさ。
昇天し、遠のいていく小雪の服が印象的でした。
満足度★★★★★
なんか、いばさんがちょっと今までと違う作風の作品を書き始めた…っていうのは、ツイートやこの前の「想い出づくり」で感じていました。今回もその装いこそストレートな感じはあるのですが、やはり後味は「既存の価値観に抗うもの」ではないかと思えました。…それは個人の「幸せのアリカタ」。
以降はネタバレboxへ
ネタバレBOX
(続き)
故人に囚われて生きることを、社会一般では良しとしないことが多いし、創作の世界ですら…それを乗り越えて現実を歩き出す結末が多い気がします。
でも、そんなの社会の都合に過ぎないんじゃないか…と思わせる後味。
結局、小春の生き様のどこにも後ろ向きなところは無い。想う人と伴に、その想いを全うした年月。
「私、ちゃんと生きたよ」の言葉が本当に沁みてくる。その前の「その後の報告」辺りから、純一の何気ない言葉をずっと守ってきた空気がじわっと襲ってきて、目頭が熱くなりました。アレはハッピーエンドの物語であったと強く信じます。
さて今回の公演、会場選定まで含めた演出が高く評価され、場所の佇まいのみならず自然光でのライティングが絶賛の嵐。私が今更言うまでもないですが、その他にも演出がお話の想像をかなり膨らませてくれたことに唸っています
それは客入れから板付きとなっていた香澄の存在…いやここは早川さんと言うべきか。あの…話に絡まないのに絶妙な存在感を放ち、意味ありげに繰り広げられるその所作。
…私、最前の下手端から斜めに舞台を観ていたので、上手の早川さんは必ず視界に入るんですよ。しかも、早川さんの"役"を知らずに観に来ていたので、その所作を巡って、ストーリーと人間関係の想像が膨らむこと膨らむこと。夫婦の関係を揺るがす工作員説、…純一との共謀説、時間軸をずらして舞台に同時に出現させた小春の未来説… それらの想像は一切合切外れるのですが(笑)、あんなにさり気ない演出であんなに惑わされることになるとは思いもしなくて…正直、我がことながら驚きました。…本筋とは別の可能性を多岐に追って、一人でお話を何倍も楽しんでいた自信があります笑。ぶどうさんにしてやられた。
主人公・小春。みさきさんの甘える表情…純一にからかわれ、不満気に口を尖らす…全幅の信頼と愛情を持って、純一に首をもたれかける…ああもう何てことでしょう。微笑ましすぎて眼がとろけそうでした。やっかみで爆発しろとも言うことを許さぬ、圧倒的な幸せのオーラが振りまかれていました。
夫・純一。キレない・あるいは変人じゃない…貴重なタケジュンさんの芝居。
…何たる善人感。特に香澄の語る幼少時の純一の逸話がその人格を膨らませていて、そのイメージ通りの数々の所作に唸る。文句の付けようがないわぁ。あの幸福そうな立ち位置を演じておいて、男にそう思わせるって、ホント、良い空気を作ってくれましたよ。…そして、2人が作り続ける折り紙が、ホント良かった。まさしく想いが折り込まれていく様であり、時間の経過を如実に表現したり、積み重ねた想いを物量的に視覚化させる最高の小道具。
謎の女(笑)・香澄。このところ、幼い役が多かった早川さんの落ち着いた大人の女性役は新鮮でもあるが、とても板についていて…というか年相応なのか(笑)
先述の通り、私は中盤まで彼女の芝居にかなり惑わされましたが、立ち位置が分かってきてからの芝居もしっとり2人への想いが伝わってきて、たぶん小春が想いを貫けた陰には、香澄の想いと気遣いがあるんじゃないかと思えて、二人の終盤の心の交感が素敵でした。そして、それ故にラストシーンの花吹雪を香澄が散らすのには、小道具としての都合じゃなくて、演出上の大きな意図があると思えました。