満足度★★★★
各所でお名前伺ったり、引用されるけど、そのものが上演されるのは初めて拝見の別役実戯曲。不条理感のある会話から…ふっとした契機に切ない現実が繋がっていく構造には震えがくる。仄かに幸せも感じさせる味わいでしたが、それは別役作品としては…珍しい…取っつきやすい名作だそうで、初めてが本作で良かった。
しかも広田さんは『好きに上演して良い』と別役さんに許可を得た超マニアだそうな。二口大学さんも好きな役者なので美味しいトコづくめの50分でした。
満足度★★★★
非常にたくさんのモチーフが詰め込まれている。宣伝時・作中含めてダークツーリズムを前面に出してはいるが、どうもそれ以外の要素の印象の方が強く残る。
街に住む人々の…自分の想いに周りを引き込もうとする「業」の方が強く迫ってくるのだ。…DV、不倫、出世欲、心理誘導、利権誘導、村八分、憶測による勝手な噂… 災害絡み"以外"のトラブルの方が非常に目につき、災害よりも「人間怖え…」の印象も少なくない。
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(続く)
役者の個々の演技の見事さや、各シーンの演出が好みである故か、観後の満足感は極めて高いものの、さて作品として消化しようと思うと…なかなか噛み切れない。
「76をめぐる暴言」以降、刈馬作品にかなり心酔している私ですが、これまでの「表出する緻密さ」とはまた一風変わった印象に戸惑いも生まれました。いつも人間を凄い彫り込む感じが刈馬作品にはあるんだけど、今回のどの登場人物にも感情移入を許さない感じは何なのだろう… そこに何か狙いがあるのではと窺ってしまう。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた要素と、発散気味に見えるバランスと、…相反する印象がある掛け合わせのぶつかりあい。そのくせ…かなり観客に委ねたテーマの掘り下げ。
だから観る人により…もっと言うと観る人の「バックボーン」により、心に残る「印象」と「感じる想い」がかなり違うのではと思いました。
結局、最終的に私がコレだ…と思って汲み取ったポイントは…
「無責任に…他人に過剰な責任を課す社会の怖ろしさ。それが日本社会に蔓延していることへの警鐘。」です。
草平が記憶を取り戻すことで明かされる…災害当時の意思決定の過程。
「無理な避難をして(それで怪我人が出て)、もし何も(災害が)起こらなかったら…責任がとれるんですか?」
そういう言葉が出るほど…普段から追い詰められている「教師のシビアな苦境」が慮れる。報酬を大幅に超えた過剰な責任の負荷、社会圧力。
「過剰な責任を…さも当然の様に負わせる空気」が、危機において「勇気ある決断と行動」を阻んでいたという事実が、深刻な負のスパイラルを感じさせます。
9年前というと実は自分の子もちょうど中学生で、その先生たちが自分が中学生の頃の先生たちと比べると…萎縮した感じ、学校自体が社会に対してガードを固めた感じがあったのを思い出します。モンスターペアレントって言葉も既にありました。何となく符合する気がします。
そして災害後においても…コトに決着をつけるために…「人身御供」あるいは「みせしめ」を要する社会圧力の空気も非常に重い。
健三を中心とした訴訟は、おそらくは個人対個人の衝突のキッカケを大きく超えて、便乗した勢力により膨らんだ暴走を感じさせます。
防災機能として自らを律し、改善を施していくべき「社会」は…結局何も責任を負わず…人身御供として教師とその遺族のみが割を食った。
ひいては「どこにでもある街の話」というラストが、如何にも「これが日本社会に蔓延る闇である」と言っているように思えました。
タイトル「フラジャイル・ジャパン」=「脆い日本」…とも密接に結びつく様に思えるこの暗喩。
実体が見通せぬ日本人社会の圧力による負のスパイラルを強く揶揄しているのだろうか。
唯一の救いは、イノシシ事件における…
「私が責任を取ります… だから皆さんも責任をとってください」の流れ…皆で知恵を出そうとするメンタリティですが、これも目の前にいる仲間内の決断だからできたとも思える。
問題は姿を見せぬ… 責任のない所から正論めいた私見を…さも社会の代表の意見であるかの様に唱えるマジョリティ。
ただ、そんなことに耳を貸すな、目の前の人のために決断せよ… ということかもしれない。
今になって考えれば、それを果たせなかった父(遊作)を… 超えて一歩を踏み出したのが、…その娘(環)であるというのは素敵な構図ですね。
あと、もう一つ扱いが印象的だったのは「被害者の加害者化」です。
強い被害者意識… 世間も後押しする絶対的正義… それがいつしか…被害者を加害者たらしめる構図もひどく印象的でした。
訴訟が加害者遺族をこの街から追い出したという事実に対して… 健三がそれを受け容れたのも相手が環だったからこそ…とは思えますが。
ただ、おそらく健三も遊作を責めたかった訳ではなく、市の危機管理の問題を問うただけだったかもしれず、でもそういう核心の描写は一切なく、その前後の関係性の描写から想像しなければならない… 社会状況を過多なくらいに説明するのに、ここら辺に関する観客への突き放しっぷりは何だったんだろう。
伊達家と太刀守家の確執の解決(?)が…最後に持って来られるあたり、ここにも核心があるはず。
だだ健三と海は、言ってみれば「手締め」として心に踏ん切りを付けたが、エンディングに両家が揃う図式は、実は凄まじい相関関係にあるわけで、何か凄い皮肉にしか見えない。…この後味が誘発させるモヤモヤとした感情!
刈馬作品でよく扱われる「善意のぶつかり合いによる止むを得ない悲劇」は…観客の感情移入をすごく誘引するのですが、本作でそれを敢えて阻む感じになっている意図はなかなか掴めないでいます。
…ただ先述の通り、観る側のバックボーンにより異なる「引っ掛かり場所」を無数に作ってあるのだとしたら、観客数と同じぐらい…壊れつつある「脆い日本」が映るのかも。
さてここまで長々語って、もう各論には入れないですが笑、ちょっとだけ…飛び道具的な存在感の佐野かおるさんの「街子」とTERUさんの「草平」の関係性は素敵でした。
思えば、この「街」の話で「街子」という名はすごく意味深。
この街に一切しがらみのない彼女の振る舞いに、何か作品としての意志があるのかも。…あの…自分が空気を読めないのを理解した上で、周りに必死に誠実であろうとする態度は… もしかしてあるべき態度の指針なのかも。
あと、やっぱり まといさん演ずる「梨南子」は、解釈を悩ませる存在としてとても素敵でした。あの空気は堪らん。
満足度★★★★
バッカスが演ったアガリスクエンターテイメント作品というと「ナイゲン」や「時をかける稽古場」がまだ記憶に新しいが、笑いへ巻き込む勢いと畳み掛ける感じ、そして笑い続けて観終わった後に魂が抜けちゃう観後感は、まさしくその時の再現です。
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前半は、面白いながらも「ああ、このパターンね」との既視感はあるんだけど、やっぱりテンポの良い議論と熱いパワーに捻じ伏せられて笑わずにはいられない。分かってるけど笑っちゃうモードに巻き込まれると、もはや観客はまな板の上の鯉だね。
そして終盤 やれやれ終わった…と思った暗転からの「怒涛」のおかわりは、同じ舞台をメタフィクションに置き換えた展開になって、「君たち何目線で喋ってんの?笑」ってツッコまずにはいられない。総キャスト総演助状態? いやぁ、楽しかった。もうこうなると、伏線はもとより…見立てとか解釈とか背景とか考えるのが無意味になってくるから、私にとっては久し振りにリラックスして笑ってられたわ。
まぁ、でも一つマジメなことを言うと、…自分たちの提案が通りそうになったのに、議論が尽くされないとみるや反対勢力に転じた飯田の姿勢は…単に幼馴染に同情したとみるよりも、別の観点で眺めると非常に印象的でした。
それは…彼の目的が自分の提案を通すことではなく、「しっかり議論を尽くさせて、自分たちの手による町興し案を考えさせること」にあるのだとも思えて、コンサルタントというよりはファシリテーターの趣き。
採り得るべき解決手段はいくらでもあるのであって、彼らの提案の目的はあくまで「タブー無き発想と議論をするための起爆剤」であること。
自分たちで議論を尽くしたプランであったればこそ、その後にそこに全員が総力をつぎ込む気になれる… そんな思惑にも見えるかなぁとも思ったのでした…ずっと後になってからだけどな(笑)
この作品を観てる最中に、そんなこと考えられるわけがないわ(笑)
満足度★★★★
前作「わたピピ」からエンタメとしての基本構造を踏襲。ポップな演出と集団パフォーマンスはそのままに、ゲーム調の演出を主軸に…ラップ感もまとったハイテンポな展開。よりシンプルに…ストレートに盛り上げる方向に磨きがかかった。
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特に常滑ケンジ氏の音楽による寄与は絶大… というか芝居の空気を支配したと言っても過言ではない。もともと常滑さんにはゲーム音楽の様な音作りの傾向を感じていたので、「ゲーム」がモチーフの本作への親和性は非常に高かったと思う。
本作のために全オリジナル33曲をあつらえたとのことだが、単にオリジナルなだけでなく、テーマ曲以外は…むしろ何かのゲームで聴いた気がする…ぐらいの「微かな聞き覚え」の要素が観客を盛り上げてくれるので、そこら辺も踏まえて絶妙なバランスとノリだった。サントラを聴いて、作品の空気がしっかり蘇るのは素敵。
話的には…楽しんだ事実を踏まえた上で、ちょっと思うところもある。
わたピピの「ムーピィ」に類似のモチーフ「ケモノ病」を立てながら、伝わってくる悲壮さにだいぶん温度差を感じたこと。わたピピにあったダークな要素(例えば主人公の未熟で歪んだ倫理観から脱していく精神の変遷、主人公と敵の黒幕との類似性と対照性など)は…少なくとも表向きは影を潜め、かなりぶっとんだ楽観さで纏めている。わたピピの「ダークさの中に潜む意味深さ」は…好みだったので、個人的にはやや残念に思うところ。
脚本的に…ヤドリジマはもっと善悪の二面性を磨ける素材だったのに悪役だけの扱いだったなぁ…とか、本来もっとシビアに感じれるはずのケモノ病差別も…設定相応の悲壮さが伝わってこないなぁ…とか。…思うに…ほとんど支援者ばかりが出てくる感じや…最後にユイが受けた仕打ちについても、コレオにほぼ責任がなくて彼の悔恨が薄まって感じたりしたせいかなぁ。
ただ、要素自体があったことを踏まえれば、これはきっと作り手のチューニングによる選択だ。潔く…シンプルなノリに注力したことによる「破天荒さ」が大きな盛り上げを生んだことも確か。
ここはやはり…エンタメとして心地よく喜怒哀楽に浸る楽しみ方が王道だったね。
満足度★★★★
なんて言うかね、終わってみれば…やり手の「囲碁」を体験したかの様な話の進め方だったと思う。
1つ…また1つと…施術士や客の「雑談」が積み重ねられる時間… これがまた結構長いんだよね。
…最初は「この芝居、一体どこに向かっていくんだろう…」って印象だったんですよ。反禁煙トークとか、治安の悪い地域の話とかね。もちろん雑談には笑いの要素もあったので、単なる日常の描写の積み重ねなのだろうか…とも思っていました。
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しかし、話が核心の「装具技師・蜂谷」と「社会復帰したい元暴力団員・将太」にフォーカスされ始めると… ふと気づく。あの他愛の無い数々の雑談… いつの間にか…取り囲まれていたんだ… 何でもないごく普通の市民の 「無自覚な差別」に。
アレはまさしく積み重ねた「布石」だったんだな…と後で思った。
最初から…置かれた身の上が想像し易い将太に対し、謎めいていた蜂谷の素性が徐々に明らかになっていくが…彼女の行為の印象は…「背景」が想像できるか否かで全く異なる。
父に見捨てられ… 母子2人きりで育った身の上ながら、なぜ自ら母を見捨てたのか… なぜ世帯分離までし…なぜ母の死に際しても故郷に戻ることがなかったのか。
蜂谷は…結局、憎んだ父と同類じゃないか…とも思ったんだ、その時は。
この理由は…舞台上ではハッキリとは明示されないが(観た人間がポンコツだから汲み取れなかっただけ…ってことは否定しない笑)、この一見不条理な行いの「背景」のヒントは…「広島」と「竹細工の村」というキーワードにあった様だ。正直、その場では ぼんやりとした空気しか掴んでいなかったのだけれど、…後で調べてみると「竹細工」は… 被差別部落では割と一般的な生業なんですね。
いわゆる同和問題だったのだ。
そして広島は福岡に次いで多くの同和地区を抱える県。
これが分かると…途端に…そうまでして故郷を切り離したかった蜂谷の「切迫した事情」が明確になってくる。
「こっちも必死だったんだ」というセリフの意味が分かってくる。
頑なに父と会おうとせず…明確に父を憎んでいた蜂谷が、将太との絡みの中で「最後に父と話す」ところは予定調和として納得できたのですが、「お父さん…」って涙声になっちゃうことが、観た当初はしっくりこなかった。
融和していくにしても最初から涙声はないでしょ… という印象でした、最初は。でも、娘も…父も… 母(妻)を犠牲にしてでも… 必死にアノ故郷から脱出しようとしていたのかと思うと… 娘にとって父は、実は憎悪の対象では無くて、自分の許し得ない行いの「鏡」であり…「直視したくないもの」であったと思える。
そして一方で…「同じ苦境を必死に生きた同志」なのかなと思うと、「最後の涙声」がやっと腑に落ちた気がしました。
幸か不幸か自分が公団住宅育ちで、古くからのしがらみがある土地に住んだことがなく、知識も浅かったので実感できないけど、2つの差別(ヤクザと部落)を重ねて話が進むことで、知らずとも解釈を助けてくれる部分や…、蜂谷 父娘の非人道的な行いを重ね合わせることで… そうさせるほどに「厳しい世界」なのだろうと…想像をさせてくれる感じがあるのは確かですね。
シーンとしては、将太と蜂谷がガンをくれあう対峙が圧倒的にヒリヒリする感じで好き。背景を汲み取り切れずとも…アソコは痺れた。あの時、将太もまだ迷いの中にあったはずで、2人の迷いが衝突することで、最後の各々の決断が生まれたと思う。
施術土おばちゃん・木村の自由奔放な活躍も目が離せませんでしたね。特に蜂谷・将太の対決への介入は凄かった(笑)
作演・岩田さんの味なのか、劇団シアター・ウィークエンドの味なのか分からないけど、笑いの部分が独特な芝居でもありましたね。
満足度★★★★
立て続けに3キャストを観れましたが、ネタや演出そのものの変化もさることながら、キャストが変わって…発する空気の色が違ってくるのが本当に美味しかった。キャスティングも含めた演出の妙を感じさせてくれましたね。
[C]:為房大輔×山岡美穂
何て多彩なんだ。これだけの物語が無理なく詰め込まれて、夢のような時間。そして自由の風(謎)をたくさん浴びました(笑)
[N]岡田ゆう太 × 未彩紀(ドラマトゥルク:紺野ぶどう)
こちらとしては、むしろお馴染みの安定キャスト、ドラマトゥクル陣。そうきたかぁ な感じ。
期せずして未彩紀さんの過去作を連想しちゃったりして、また別の味わいがありました。
[A] 三浦求×岡田怜奈
ミスターメビウスの呼び声高き三浦さんのパフォーマンスはさすが!マイムのレベル半端ない。岡田さんの多様な役柄の根底に共通する温かみも素敵。岡田さん曰く「本気で笑わせに来られてビックリ」というネタのセッションも美味しい!
満足度★★★★
壮絶の一語に尽きる。史実である紀元前ローマ侵略におけるヌマンシア包囲戦を舞台に…民族が選択した決断に対して…原作戯曲制作時の社会背景と、現代人の価値観を重ね合わせる演出が意味深。観る人にアンチテーゼを醸させる凄まじい迫力と寓話性がある。
そんな堅いこといわんでも、純粋に間近で観る迫力の語りと、委細を放つ迫力の演出を楽しむだけでも相当の意義がある。
これは確かに理屈は二の次で「まずは、最前列で有形無形の色んなモノを浴びて感じろ!」
…という芝居でもありました(=゚ω゚)ノ
満足度★★★★
もはや職人芸と呼ぶに相応しい形態描写。演技や口調に留まらず…口元に宿る人の歴史と人となりが素敵。基本は笑いの筋立てにすっと挿し込む切なさもあり…日常にある悲喜こもごもへの愛おしさを感じる。思いがけず東海地方に来て頂けて嬉しい。
満足度★★★★★
昨年の学祭公演短編「午後6時、踏切ニ ニ分後クル君ヲ観ル」で その独特な切り口と演出力を印象付けた荒井さんが、遂に丸々1公演を任され、ハイレベルなキャスト/スタッフの力を借りながら、その感性で彩る…詩的な空間で劇場を埋め尽くした。
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諸々の描写がとても詩的。丹念に紡がれる一つ一つの『言葉』の連なりは、テキストで何度も反芻し… 意味を掬い上げたいと思わせる深み。
その言葉を発する『役者』達の…台詞の無い時の佇まいや仕草が… 後から言葉の肉付けになって、実在感と説得力を増す。
同時に聞こえる違和感は…一つの時刻の表現に留まらない… 人生と心象を感じさせる『音』の組み合わせを形作る。
白いカーテンを…スクリーンにもレフ板にも透過幕にも使い、横からの照明で操る『光』と『影』、そしてそれを開いて生み出す漆黒の夜と深海。
そして、それらの要素を巧みに操って…夢と現実…望みと諦め…愛と憎しみ…この世とあの世… あらゆる相反する時空を重ね合わせることで… 単なる「時系列の物語」では感じ取ることができない「深み」と「厚み」が…波が押し寄せてくる様に伝わってくる。
正直、一度観ただけで…全ての物語構造を理解できる様な作りではないが、理屈では ぼやっとした理解であっても…言いようもなくじわっと沁みてくる…感覚的に伝えてくる力強さがありました。
少し具体的な中身にも触れようか。まずは4人の登場人物ごと。
「朝」の親に対する不信感と拒絶の背景には…一家…ともすれば土地ぐるみの犯罪(大麻栽培)が背景にある様だが、寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」が何度も出てくることが示す様に、社会の閉塞感や大人の圧力への不満を体現する人物として彼女は存在した。
ただし、朝がその読破に挫折しているのが皮肉たっぷり。
『私が死んだら、家族が悲しみそうなのが嫌』というくだりが…絶妙な心情表現で、勿論 "親を悲しませたくない"のではない。
愛されることにすら嫌悪し、それでもなお…という複雑な感情を象徴する。
彼女は…明らかにあまり性格の良い娘ではない。だからこその現実感… 自己顕示、反発、攻撃性、友人への依存… 等身大の…真正面からの苦悩が際立ち… だからこそ周りに愛されたのだろう。
「さわり」は…当初から この世の人ではない佇まいと演出で、本作に漂う一連の空気を象徴していた。もはや触ることのできない故の真逆の名付けか。自殺の理由は語られず、急ブレーキ音に事故死も想像したのだが違った。
「死んだ理由は本人にはどうでも良い。それは周りの人に必要なもの。」という朝の台詞に符合?
「しずか」はいきなりの攻撃性を示して自己中と評されたが… 幼少から大人びていた朝に憧れを抱いていた様で、自分には成し得なかった「故郷からの脱出」を叶えた朝とさわりを…理想化していたのかも。それを裏切る結果となった二人への憤りを窺わせる。
「留守」は一人…客観的な立場で一番冷静に事態を見ていた。事件の渦中から少し外れた存在でありながら、妙にミステリアスな印象も受けた。名前のせいもあると思う。
さわりの死を受け止めきれずに…精神的な生死の境目を彷徨う朝の帰りを待つ留守居役… というイメージも浮かぶ。留守は実際にある珍名字で一番多いのは宮城県という辺り、留守が震災被災者(津波)を思わせるくだりがあったのにも符号する。留守と朝の言葉少なな呑みの雰囲気は良かったな。実は時空がズレていたとも想像すると何とも味がある。
私は、本作の最たる特徴を「重ね合わせ」だと思っているのだが、印象的だったのは…対峙する朝と留守の時間軸にズレがあった(4月と11月)ことで… 色んなところで時空が重なり合っているような演出を代表して…不意の言葉の不一致でインパクトを与えた。…最後に2人が12月で同調したことは、精神的に取り残されていた「朝」が死の淵から戻ってきたかの様だ。
また、朝と留守の2人の宴が、休憩後のリプレイで朝、留守、さわりの3人の宴に変わっている演出も、留守は幽霊として最初から居たという暗示なのか…それとも、在りし日の3人での楽しい日々の投影なのか。いずれにしても、これもまた多重世界的で、印象的なシーンが目白押しの作品だった。
構成としてもう一つ特徴的なのは「幕間の休憩(5分)」が設けられていたこと。新入生への配慮かもしれないが、上演時間はトータル100分でさほど長くはない。とすれば、何かの演出意図を伺ってしまうのだが。
暗転するでなく…列を組んで退場し、薄暗闇の中…戸を開けて出ていく光景は印象的だった。
休憩後、前半と同じキーワードで物語を再構成していく意図は、勿論「前回までのあらすじ」である筈もなし。咀嚼の時間か、別の視点を与えるものか…無限ループすら想起する鬱屈の時間から生み出されるモノとは… 朝の鬱屈と迷いを観客に共有させようとしている?
観客の受けるストレスすら…計算ずくなのかもしれない。
満足度★★★★
もともと名古屋では稀有な作風をもつオンリーワン的な劇団ですが、本作は…また一段と異色。
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(続き)
特徴をいくつか書きだしてみると…
①メルヘン漂う雰囲気の中、可愛い少女たちがシックなデザインの衣装を纏って、物語を紡いでいく。
②天体擬人化の不思議設定の中、SF(すこし不思議)風な謎の物理概念が根底に流れる。
③設定も出来事も独特ながら、関係性の根底に歴史・社会への風刺性を醸す。
④波乱万丈でハードな革命・戦記ストーリーがバックボーンにあって、大河ロマン感が漂う。
えっ?て思う。
これらが1作の中に同居しているって不条理を理解できるだろうか。
ふわっと「恒星から生まれた子供たち」、「月から地球まで10年かけて歩く」とか言われると、普通は実現性をすっとばして頭をメルヘン思考に切り替えるしかないんだが、なんかそれで終わらせたくない何かがある。
なんとなく…「伝承される神話」の風味があるのだ。
日本神話やギリシア神話にしても、神は…能力こそは超人で…出てくる数字は破格の超物理なんだが、なんか心情や思考は人間そのものの愚かさがあるでしょ。
実際の出来事を神様クラスに翻訳して伝承化されている節なども、実際の神話にはあるから、「革命物語を後世の民が神話化した物語」って想像してみると楽しい。
風刺性は、侵略民と原住民の関係性や、天然資源(ここでは「石」と表現)や技術の略奪や、弱さゆえ侵略民に帰化した者への差別等、実際の歴史をオマージュした空気が強く、後に繋がる大虐殺等、ストーリーテラーとしての意気込みが設定資料集からも伝わる。
そのハードさをメルヘンチックな空気に乗せるのは…「被差別」側の抵抗の想いを託した「被差別」側の抵抗の想いを託した…後世に伝える「おとぎ話」…なんて見方もできそう。
ホウキの立場は、まるで交通犯罪者の更生プログラムの様であったし、色んな「見立て」が物語の中に組み込まれている感じだ。
これだけ色んな要素を注ぎ込んで…雰囲気を破綻させずに、想像の余白で調和させる。設定資料集も良かったですが、これなら台本も見てみたかった。衣装は舞台の雰囲気の重要な部分を担っていましたが、かなりの部分が私服ってのが、この子たち普段からこういう佇まいなんや…と感心しました。
満足度★★★★
一番印象深いのは、大人の若者への接し方。状況に対するロジカルな物の見方を諭した上で、無意味と切り捨てるでもなく、自分で調べてみろと促す。さりとて完全に突き放すでなく、若者の手の届かない所に手を差し伸べておく周到さ。
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(続き)
かこさん⇒奥村さん⇒若者達…と繋がる関係性は、まるで試験管ベビーでの芝居作りをそのまま映し出した様にも思えました。奥村さんが…かつてかこさんに施されたことを、今度は奥村さんが若者に施している…という感覚が…何とも言えず…じわっとくるね。
そして、逆に晴香の祖父・吉森への接し方もすごく愛情に溢れていたし、若者たちの秘めた気持ちを山田に伝えずにいられなかった吉森の行動など、世代間の繋がりが理想的な世界でした。あったけぇ。
一方、世代内の繋がりにも印象的なのがあった。その代表は、やはり宗平と風歌の繋がりかな。
物語のキッカケは…かつて失踪した山田を旅先で見掛けた「宗平の心に湧いたモヤモヤ」だったが、警察に相手にされなくて折れかけたところで… 物語の展開の原動力となったのは…明らかに風歌の想いだった。彼女は…宗平の気持ちを「そこで終わらせること」に、いったい何の危惧を抱いたのだろうか。
宗平と風歌の組み合わせには、どこか違和感がある。同い年ながら…別に同級生でもなく昔馴染みでもない…高卒の社会人と女子大生の組み合わせだ。…なかなか結び付きを育て難そうな立ち位置の間に…厳然として形作られている「2人の関係性」の裏には、何かとても心地よいドラマがありそう。
きっと、風歌は宗平の人となりに何か救われたことがある…宗平の行為を無為にさせたくない何かを経験している。ぽややん…としている…一見冴えなさそうな宗平の…人格の奥深さを浮き立たせているのが「風歌の存在… 風歌の執着」だな…と思わせました。
自分にも見えなかった自分の気持ちに…徐々に辿り着いていく宗平の心の変遷が良い描写でした。
満足度★★★★
えも言われぬ空気が漂う…何と90分の一人芝居。変哲無さそうな主人公だったんだけど… 何か精神鑑定に掛けたい感じの人となりが味わえるダークポエム。笑っていた自分がちょっと怖くなる後味。
満足度★★★★
何か不思議に…綺麗やった…って印象が残る。シンプルながらも華々しい効果、普段通りの動に対する静の肉体美の演出、至近の舞台に相まって…ゴテゴテにせずとも伝わってくる強度があった。波乱万丈の後が意外に静謐さに溢れてて、これ本当にKIMYOかって後味が良し。
満足度★★★★
重なる時間、重なる空間… そして…複数の価値観も交差する。善意の働き掛けも…所詮は刷り込まれて抗えない社会の価値観の元。それ自体否定もしないし、今もその元に生きている。それを揺さぶり、突き崩さないと、この芝居は味わい切れなさそう…
満足度★★★★
序盤はぬるい感じで始まった舞台だったのだが… 破産した工場に残る行き詰まった人たち… 抗議の手段としてテロリズムに走る土地の人たち。徐々に閉塞感がはっきり見えてくる…この地方の空気。
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(続き)
リンゴ園からパッキン工場と事業失敗を重ねていた茅ヶ崎。
潰れた工場で意味もなく就業時間が過ぎていくのを待つだけの夏目・前田望ら従業員。
人手も金もなく広大な農地を管理しきれずに違法な強い農薬に手を出した佐藤蜜雄。
農薬の影響で片目の視力を失っている佐藤涼。
兄に反発して家を飛び出し、工場で泊まり込みバイトをする佐藤豊蜜。
組合の工作員として涼に手を出していた川口満寿夫。
工場を逃げ出して怪しい仕事に手を染めた前田愛。
そして不法投棄の運び屋 真田三平。
いずれも…どこにあってもおかしくない暗雲たるリアリティで迫ってきた。
…ただ一つ
…序盤から明らかな違和感を放つキーワードが…
茅ヶ崎が追い求める
「舌が痺れるような、渋い… しっぶ~いリンゴ」
前田望が… 苗木に罵声を浴びせながら…
わざわざ渋く育てるリンゴ…
ゲンコツ。
明らかに売れるとは思えない異質な「渋いリンゴ」の暗喩するところは何だったのだろうか。
「人生における激しい苦難・辛酸」を背景に置いているのは感じられるが、茅ヶ崎の人生において、それが求めるべき輝きであるはずもない。
かと言って、その辛酸を世間の者たちに味合わせてやろう…なんて悪意であるとも思えない。
茅ヶ崎が最悪の事態の中で味わった「渋いリンゴ」… それが与えた衝撃は… 彼女の中の何かを「壊してしまったのではないか」とすら思える。
…その上で…あの壮絶な「放射性廃棄物を喰らうシーン」である。
その行いに合理性は一切皆無だが、そんな理屈を蹴散らして呑み込む「壮絶さ」と…「茅ヶ崎が求めていた渋さ」を感じさせた演出は、巨大なリスクを背負ってしまった現代科学と巨大産業…そして、それに狂う人間たちを皮肉った…とも感じられるが、果たして…。
そして、そこまでの盛り上がりに水を差すような…暗転後の半「夢落ち」の様な展開。
茅ヶ崎が許したものは… この作品が許したものは… 決して夏目の過去だけではあるまい。決して暗転前までの世界が… 夏目の妄想のみとは言い切れない… 非現実とは言い切れない世相の中… それすら呑み込む神の目線なのか。
正直言って容易には呑み込めないが、観客に… 一切の爽快感や安易な感動を許さない…でも目を離すことのできない…心に…もやもやっと… あの「廃棄物」の様なものを沈殿させる芝居でした。
満足度★★★★
見事な大樹の存在感…その下で織り成される人間模様の味わいの深さ。関係性の説明が希薄なのに…必要十分の空気が伝わってきて、返ってリアリティを増す。ソーシャルワーカー山本の吐き出す言葉の説得力、入所者 白井の演技のリアリティは見事と言う他はない。
満足度★★★★
ネオオムニバスストーリーとの謳い文句に違わず、見事な構成。状況と立場が複雑に絡み合う関係性はさすがの一言。登場人物全てに多くのスポットライトが当たる仕組みは、あおきり役者の誰推しが観ても大満足の仕掛けですね。なるほど中身にもマッチする笑
満足度★★★
舞台美術が主宰という稀有な劇団。中二階、無知な六人と六人で周りを驚かせた とぅぎーさんの最新舞台美術を目の当たりにする。もはや彼なら七ツ寺に2階を作るのはデフォって感じですが、今回は派手さより…緻密さで攻めてくる印象の方が強い。
その根源は…地面から立ち昇る様に拡がり、入り乱れ…混沌すら垣間見える”無数の枝"。
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(続き)
話を振り返れば…それは可能性の"分岐"にも映る。
諦めて途絶える線… 諦めずに延びていく線… あの時…もし… の人生の選択の連なり、その都度の人の繋がりも思わせる。敢えて直線で表現し…小道具とも連携する機能性も細かい工夫。最初は鳥居の印象も強かったですが、どんなシーンにも意外に溶け込みました。意外なほど印象を変え… 極めつけは…空気を一瞬で変える…内部照明の仕込み。元が地味目な美術に…対照的に輝く。
さて、お話の方ですが… 全般的には戦国エンタメのよそおい。ダンス、アクション満載で伝奇物の空気もある。しかしながら、単純な娯楽作品と言い切るには…複雑な何かがある。
表に明示しない「背景設定」がかなり濃密にある感じ。意図的に色々削ぎ落して、今のエンタメ系に集約させた印象もあるのだが、「設定の名残」がそこかしこに顔を覗かせる。
もうその辺りは「観客の妄想に任せた!」と言われているような気もする。
最もミステリアスなのが…結局一度もおもてに現れることのなかった「フミノ」の存在。
そしてタイムスリップに関与する"物の怪"の様相を呈した「氷見」の存在。
そして…フミノと氷見の間に暗示されている気がする…二人の同一性。
眞子の…見えないフミノへの語り掛けに…集団芝居のどさくさの中…「氷見が応えている様に見える」のが謎めく。眞子は過去にフミノへのイジメ(?)に関与したと窺わせるくだりがあり… 眞子は明らかにフミノに負い目がある。
フミノが…「眞子がかつて埋めたフミノの携帯電話」を…旧友に掘り起こさせようしている状況は、ミステリーを超えてホラーの流れであり、破滅の予感しかない… 眞子が怖れるのも当然。
ここに…フミノ=氷見の関係を重ねてみると…、序盤は不幸へ誘っている様でありながら… 結果的にフミノが眞子に与えたのは「負い目に対する救済の機会」であり、求めていたのは復讐ではなく、祝福の言葉だ。勝手な妄想が前提の言になって恐縮だが… フミノが…何故…どの様にして、その救済の境地に至ったのか、…そして如何にしてこの力を得るに至ったのか?…
ミステリーとしてなら核心の謎だが、本作ではこの事態に対して… 一切の明示的な説明はない。だから観る人によって… 何に引っ掛かったかによって…想起する「背景」は様々だろう。
どこまでが計算の内かは知るべくもないが、多分に「スピンオフ」の可能性を秘めた作品でした。
フミノは…実は先に死んでいて「物の怪・氷見」となっているとか、フミノは先にタイムトラベルに関わる体験を経て、眞子がイジメに関与した…止むに止まれぬ隠された理由を知る機会を得て…、眞子を救う決意をしたとか… そんな話が本作の前にあるんじゃないかと妄想できる…そんなドデカイ余白が良い(笑
そもそもね、…何でこの戦国時代にピンポイントに繋がったのか… しかも設定的には…過去と言うよりはパラレルワールドの趣き… この縁を繋いだ…フミノ=氷見のお話が…この前に絶対あるよね???
同一人物でなくとも、氷見がフミノを支えた話としても成立しそうだ。
満足度★★★★
ドラマへの効果としては協調するのが難しそうな…理屈面と精神面をうまく掛け合わせた良作でした。SFテイストをベースにしつつ…マニアックな展開をさせながらも、「想いで自分の将来を変える」という…普遍の命題をど真ん中に置き、その動機として兄弟愛を持ってくるあたり、SF面の理解が及ばなくても気持ちを乗せられる構成が上手い。
以降、ネタバレBOXへ
ネタバレBOX
(続き)
理屈面においても…
・因果律に関わるSF的なロジック、
・物事の善悪と…簡単には割り切れない人情とのせめぎあい、
・人格は多面・多様で構成されいて…一意には切り捨てられない関係の難しさ…等、
…多方面に切り込んでいて、マニアックに見える割りにオールラウンダーな仕上り。
また、SF面一つにとっても工夫が大きい。タイムリープによるループものを全体のプロットに置いているのに、敢えて「最後のループ」に絞った話にして、「ループ自体を一つのオチ」に据えているのも良い。如何せん、今となっては世にループものが溢れているため、日記の正体も観客の想像の域を越えなかったと思うが、その正体の見せ方はインパクトあって、映像含めてとても上手い演出でした。
クライマックス関連でも… 過去は変えられない「決定論」的な挙動を示していた因果律に対し、量子論的な発想から「2つの状態が重なりあった状況」を作り出すことで… いわば「因果律を騙そう」という挑戦的な仕掛けに見えたのは興味深かった。
本来、「シュレディンガーの猫」の思考実験自体が、ミクロ現象をマクロ現象に置き換えて、その異常さを批判するためのものらしいが、そうであれば本作の仕掛けは…それを逆手に取る試みということになる。
結果的に事を成して「パラレルワールド」で生きているであろう結末も踏まえ、この手の話の異種混合・合わせ技となっていて、色々意欲的だ。
きっと論理的な穴はいくらでもありそうな気もするが、フィクションの楽しみ・意外性としては充分な仕掛けだったし、ハードSFではなく…最終的に人間ドラマに集約されているため、味付けとして効果的な盛り上がりを与えることができていると思う。
ところで、作中で…西川以外も、何故みんな制服がバラバラなのか?…がずっと気になっていて、単に制服フリーの学校とか、衣裳の都合じゃつまんないなぁ…ともやもや考えていたのだが…ふと閃いた。
実は…何かしらの作用で、ループの中でメンバーが少しずつ増えていったりしてないか?
西川が最後のピースだったのでは?
Wキャスト版も…解決のための平行世界の1つだったのでは?
…って妄想しだしたら、むっちゃ楽しくなってきた(笑)
満足度★★★★★
古き良きコミュニティのふれあい。血縁のみならず… ご近所、幼馴染、学校の友達に至るまで…多くの人々が"家族"然として振る舞う…人の結びつきが暖かい。
以降、ネタバレBOXに続く。
ネタバレBOX
(続き)
それを長崎弁が彩る。
先日、長崎の劇団F's Companyの「けしてきえないひ」で長崎弁芝居を味わって、長崎づいている私ですが、方言は…土地に根ざした現実味を無条件で会話に与えて味わい深いです。私に細部は分かりませんが、長崎ネイティブの西園寺さん(演劇集団こちら側)が「一切の違和感なし」と絶賛していたので、月カニの長崎弁は相当なレベルの様です。
そして、これだけ多くのキャストが並びながら… 誰一人霞むことのない各々の個性の強さ。
序盤から…ひたすらハイテンポで入れ替わり立ち替わりする…まるでオムニバス・コントの様なネタの奔流は見事でしたが、この流れのテンションを終始維持し続けられる「コマ」が揃った…集団としての総合力は流石です。月カニの外でも個々のユニット活動が目白押しだったタレント集団「月カニ15期生」の集大成でした。
そんな…家族ドラマの暖かさ、青春ドラマの甘酸っぱさ、突拍子もないキャラクターによるコメディの笑いと…色んなドラマの王道を嵌め込んで、安定した面白味に「穏やかに納まっていく」かと思われた終盤… 周到に用意された布石の連鎖によって、一気にクライマックスに駆け上る仕掛けには脱帽でした。
私、モトヤが置かれていた状況は全く予見できておらず、…思えば冒頭のモトヤとユウの何気ない会話シーンは…こんなにも切ないシチュエーションで交わされたものであったのか…と驚きました。
この時、モトヤがこっそりユウとだけ会っている意味…、
好意的なサカタが何故か他の面々から幾度も邪険にされて…モトヤが誰と結婚するのかすら教えてもらえなかった意味…、
モトヤが結婚式前夜に激しく腹を壊していた意味…、
全てがラストに結実して… 一瞬で花開く。
言葉通りに…一面に姿を現した夕顔たちは…観客たちの涙腺をことごとく壊していきました。互いが互いを…何よりも誰よりも大切にしたが故のすれ違い。ユウの…子供の様に天を仰いだ号泣が沁みわたるエンディング。中盤までのオーソドックスさに紛れて周到に仕掛け…、気持ちよく騙してくれた展開…演出には本当にありがとうと言いたい…気持ちよく泣けた。