雨の日は上を向いてバラードをシャウト
GRahAMBox
小劇場 楽園(東京都)
2016/08/06 (土) ~ 2016/08/07 (日)公演終了
満足度★★★
シャレたコント集...面白い
このタイトル「雨の日は上を向いてバラードをシャトウ」は、一見(読)すると何と滑稽な表現であろうか。雨の日はどちらかと言えば、足元を見るのではないか。バラード(抒情)をシャトウ(絶叫)するとはどういうことか。そんな歌い方もありかな。
すでに本編のコント要素をうかがい知ることができる。コント...機知や風刺に富んだ軽い物語。軽妙な寸劇という意味でも使われる言葉。
本編は、演技(10編)と映像(4編)という2つの方法で観せている。そのテーマと思えるようなものが、普段見かける事柄をデフォルメまたは茶化して面白可笑しく表現している。
ネタバレBOX
当日パンフからコント・タイトルを転記すると次のとおり(14編)。
①はやまるな ②システム ③肩(映像) ④哀愁の旋律 ⑤なんじゃこりゃ ⑥挑戦(映像) ⑦サカサカサ ⑧そこいち ⑨ゲンコツ(映像) ⑩ガッシャンコンフェスティバル ⑪Replace ⑫夢中(映像) ⑬東京~感謝の日々~ ⑭明るく沈もう!
先に記した「叙情」と「絶叫」は、その表現イメージはまったく異なる遠いもの。どちらかと言えば対極もしくは矛盾するようなことを想像する。コントという笑いに隠されたシュールな一面をみる。タイトルにある内容を逐一書いては無粋または野暮と思われるので、印象深かったものを挙げる。
「そこいち」...村(町)が湖底にという話は、現実には悲愴、悲哀を感じるものであるが、村最後のイベントを考える会合で、真剣に考えている最中に諧謔(かいぎゃく)的な発言。厳しい現実を可笑しさで包むような。
コント集...この観せ方は、ほとんど素舞台であるから役者(男性のみ9名)の演技力による。小気味よいテンポ、バランスのとれた演技は見事であった。全体的にまとまりがあり悪くはない。しかし自分の好みとしては、一話(コント)が短かすぎたこと、映像挿入(暗転し、舞台と二面客席を白い布・上映幕で仕切る作業が入る)が必要だったのか、という点が残念であった。コント形式だから仕方がないのかもしれないが、もう少し話を作り込んでほしいような...。
上演後、舞台壁に透明袋に小分けしたグッツ?販売(基本一律200円)は、観客(ファン)へのサービス。細やかな心づくしに好感が持てる。
次回公演を楽しみにしております。
厚い雲に覆われた光
演劇企画集団Jr.5(ジュニアファイブ)
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2016/08/02 (火) ~ 2016/08/08 (月)公演終了
満足度★★★★
熱い篤い母に蓋われた娘・光のような
地震津波の被害を思わせるような瓦礫の数々。その中央に防波堤か避難所のような上にセーラー服の少女。突然サイレンが鳴り響き...暗闇に懐中電灯の光が二筋照らされる。その異様・不気味な雰囲気が場内を覆う。
この地震津波は、1993年に起こった北海道南西沖地震(別に「奥尻島地震」とも呼ばれる)をイメージした。奥尻島を中心に、火災や津波で多くの死者、行方不明者を出したという。
この公演は、地震津波という悲惨な状況を背景にしつつも、この島にいる普通の家族(特に母と娘)の関係を濃密に描いた物語と言える。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
川内家という被害者家族を中心に物語は展開する。震災の前後で心や生活状況の変化を、普段使っていた家具、雑貨、漁業具などが波に流され、打ち寄せられ瓦礫が荒んだ様子を映しだす。
震災前...母(山素由湖サン)は娘・光(岡野真也サン・高校生3年生)を島内で生活させるため、自分が勤めている缶詰工場へ就職させようとしている。娘は進路目標を定められずにいた。母の束縛から逃れたい、島の生活という閉塞感から開放されたい。母はさまざまな仕方で縛り、娘は母の呪縛から逃れようとする。縛り縛られする母娘の情景を濃密に描く。この母娘の日常を震災の前・後の視点で交互に描く構成で物語は進む。母から逃れるには母が死ぬのを待つほかない。もっと言えば母の死を願うような...そして震災で母が亡くなる。
母の死によって確執は無くなり、自由を謳歌できたかどうか。娘を思う気持が重圧であったが、それさえも思い出になるようで心が痛むようだ。
そして震災を通じて人の心に宿る怠惰と悪事というダークな側面を抉り出す。それが、震災による国家補償を当てにすること、災害(火事)場泥棒や詐欺行為。それらの人間模様が物語に厚みを加え、さらにこの娘を巡る女友達の友情、男子学生の純情、高校教師や警察官というお堅い職業(公務員)の恋愛感情がアリアリと窺えるコミカル笑いのシーン。
随所に母・娘の本音がぶつかる。怒り暴言を吐き、頬を叩き精神的に追い詰める母。娘のために人生を捧げるような言葉...その緊迫した台詞の応酬が見事であった。もちろん、光の兄・一男(奥田努サン)の飄々とした ぐうたら姿も愛嬌あり。キャスト全員がキャラクターを立ち上げ、バランスも良い。
ラスト...場内出入り口近くにハシゴを架けるシーンは何を意味するのだろうか。閉塞感、そこからの脱出の経緯を表現したのか。穿った見方をすれば、閉じ込められて亡くなったのは娘・光のほうであった。自由は儚い夢だったのか。この敢えて描く必要があったのだろうか...。
次回公演を楽しみにしております。
1969:A Space Odyssey? Oddity!
開幕ペナントレース
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/10 (日) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★★
空間処理が巧み
第7回せんがわ劇場演劇コンクール ファイナルステージ参加作品。今回は30劇団のエントリーがあり、その中で厳選された公演の一つである。
SFファンタジーという観せ方であるが、その底流にあるテーマは確固たるもの。宇宙の中では、単純・坦々は繰り返し...平凡な中にも味わい深い営みが見え隠れする。その演出は短い時間の中では しつこい感じで少しイラッとする。
説明にある1969年、宇宙の旅を果たした宇宙飛行士達が、出口なき宇宙空間で“1969年”の出来事を体験していく、という不思議な切り取り方は巧み。そしてその観せ方はコミカルである。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
冒頭、三方から紐で結ばれ、引っ張られている人形が舞台中央で浮いている。さながら宇宙空間を浮遊しているようである。そして役者登場...その姿は全身白タイツのような体にピタッとした衣装。それが宇宙服をイメージしていることは明白である。
地球が破裂し断片が散らばる。それを集めてスペースシャトルを作ろうとするが、足元から瓦解する。その無駄とも思えるような作業を通じてみる人の営み、人類の歴史を見るようである。何か起こりそうな、夢・希望を持って活動した過去...その繰り返し積み重ねが歴史になる。そして過去と未来の緊張した時点が現在だという。過去は生きてきたが、未来は死が待っている。その怖い当たり前の事を突きつける。
此処ではない何処かに行ける確信を得た彼らだが、辿り着く景色は常に奇妙に“1969年”であった、という一瞬の夢を見ることも大切。その意味で未来の死を見つめつつ、今に戻って生きている価値は十分あるのだと...。
次回公演を楽しみにしております。
『<トマソンの祀り>を準備する』
トマソンの祀り
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/10 (日) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★
繰り返し...
第7回せんがわ劇場演劇コンクール ファイナルステージ参加作品。今回は30劇団のエントリーがあり、その中で厳選された公演の一つである。
究極には、都市伝説の一つとして「核」不要を訴える。多くの不要なもの、抽象的な形象(都市中のCM音)を描くことで不条理を表しているような気もする。
パンフレットの説明によれば、「トマソンの祀り」は、都市の人間を観察し、そこに抱え込まれた無用さの事情へ想いを馳せる--たった一人で初める現代の「祀り」だという。その無用に思えるものを、観察したトマソンを「身体でもって出現させる」というもの。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
上手側にトマソンの説明者(1人)。舞台の中央は乱雑...その中心が山積みになった靴。下手側にプラレールに電車。その箱庭のような作りは新都心のイメージである。
この公演はこれらの「物」を通して、人間観察を行っている。一見無用と思える、または雑然とした世界は、人間の心を表しているようだ。
人間社会には無用なものに目を瞑る風潮がある。それでも残って目にするものも少なからず存在する。さて、”もの”を”人”に置き換えた時、誰もがトマソンになる可能性がある。それに目を瞑るだけで幸せなのだろうか、という問題提起をする。
赤瀬川原平が発案したトマソンのコンセプトを「何らかの事情を抱え込んだ無用さ」として再解釈。その眼差しを物件ではなく「人」に向けることで無用な身振りや存在の内に抱え込まれた「何か」を観察・再現したのがこの芝居であるようだ。
その表現としての芝居は、コンクール形式への参加作品ならではという感じである。繰り返しこそが不要のような...そのイラッとするような体現こそが「トマソンの祀り」を表しているかも。
次回公演を楽しみにしております。
そだててたべる
演劇活性化団体uni
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/09 (土) ~ 2016/07/09 (土)公演終了
満足度★★★
少し怖いような
第7回せんがわ劇場演劇コンクール ファイナルステージ参加作品。今回は30劇団のエントリーがあり、その中で厳選された公演の一つである。
自然との共生を考えさせる農耕(濃厚)演劇である。自活の中に自己犠牲も厭わない教えとは何か。
自給自足...他者(グループ)を拒み、自分たちの仲間内で寄り添い食生活する。極めて狭い人間関係の中で縮み思考になる怖さ。排他的な行動の果てに得るものは...。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央にサークルのような囲い。その中に祭り櫓のような木組み。
その中に入っていれば他から攻撃させない。その意味でセーフティエリアと言える。逆に言えばそのエリア以外は危険地帯。この芝居でも害獣とおぼしき者が、このエリアの者を襲うシーンが何回かある。
自分たちで育てたもの以外食べてはいけないという厳しい教えがあった。 親元を離れ、土地を見つけ、教え通りの生活を始める。 誰かが死んでも自給自足の生活スタイルは変えない。そして一人になるまで...。
この芝居は、「食」を切り口にしたメッセージ性の強い作品。この生活における食の安全性は高いだろうが、栄養、調和(バランス)という点で問題が残る。食に絡めた分り易い人間社会が見える。この自給自足の生活は昔からの言い伝えのようであるが、その根拠の描きが弱い。物語で主張したいテーマの前提が曖昧でもどかしく思う。この誰が誰のための教えなのか。
食=生きる は食物連鎖との関係を思う。命の尊さを尊重しながらも、いろいろな共生が必要になる。さて、「食」を「平和」に置き換えた時、色々な課題も見えて ゾッとすることも。
いくつか考える課題が透けて見えるが、そこに観客(自分)としての想像力を掻き立てる幅を狭くするような...
次回公演を楽しみにしております。
落ちこぼれアイドルだった私が社長になって1年で会社を立て直した10の方法
ガラス玉遊戯
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/07/27 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
「HOW TO」本のような話...面白い!
タイトルと芝居の内容の好い意味でのギャップが凄い。
物語は、立体化した経営者向け読本といった印象である。シチュエーションは、地方のガス会社という、現代のエネルギー政策にぴったりの設定である。そして世襲社長、中小零細企業、地域密着、高齢者との関わりなどを示唆する問題の数々。そのどれにも明確な回答は示さないが、観客(自分)なりに考えるという、提起はしている。その道化的な役割を元アイドルが担っているようで興味深く観た。
この物語の最大の見所...率先垂範する社長の「視点」と「行動力」が魅力的であった。それはアイドルも社長も「人」を思う心、そして...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
客席はL字型。劇場出入り口とは反対側に舞台セット。その作りはシンプルで、長テーブルとパイプ椅子のセットが3組。ホワイトボード、ガスレンジとダンボール箱が数個。
社是「地域で一番愛される会社」が貼られている。
従業員が地域の人と密に顔なじみになる営業戦略...アイドル写真のようなパネルを飾ったり、企画案を配付するなど状況の変化が一目瞭然である。観客の集中力を途切らさないよう、舞台転換は薄暗りの中で行う。何となく見えるその素早い行動の中に時間の経過を感じる。
梗概...某地方のガス会社「小倉リビングサービス」は、経営が傾きはじめている。先代社長が亡くなり、新たに社長に就任したのはその娘である。彼女は、30歳を過ぎた「元・地下アイドル」。 作業服姿の従業員を前に新社長は「今までのやり方はダメだ!これから私たちの会社は、地域に愛されるアイドルになるんだ」 と。会社や従業員、そして彼女自身の人生の再起をかけた新たな挑戦が始まった。
元アイドルの女性社長の魅力、コンサルタントの実務的な対応、従業員としての旧態依然な姿勢、業務提携先であるが、親会社的な立場に窓口担当者など、それぞれの立場がしっかり描かれ、観ていて分かり易い。この観せる工夫が物語を飽きさせない。その意味で役者陣の演技とバランスは良かった。
この公演には先に記した問題提起がいくつもあるが、ガスのエネルギー政策...エネルギー選択の自由、料金抑制、供給と保安などについて説明する。そこに、消費者目線の重要性を絡める。そして環境施策も垣間見せる。その意味で中小零細会社を通じて現代日本の経営・経済を考えさせられるようだ。
アイドルも社長も「人」を思う心、そして...「確固たる意思」が重要であると。
次回公演を楽しみにしております。
太陽のあたる場所
パンドラの匣
TACCS1179(東京都)
2016/07/27 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
心温まるような...
遠ざかったから、懐かしさも倍加するような...人生の滋味を味わうような物語である。それが母の突然の死であればなお更であろう。二度と聞けないからこそ、胸の奥で自分の支えとなる言葉がある。それを伝える聞きなれた”声”が愛しくなる。
人の絆の儚さと希望、愛を育んだ喜びと孤独を静かにあぶりだすような余韻が心地良い。
家庭の中で、夫や子供達の世話をし、近所付き合いもしっかり行う。この家族を支えた母親は、多くの人がそうであるように、真面目に働いても目覚しいことがあるわけでもない。しかし、毎日の繰り返しのようである家事...その母親の仕事を尊重したい。
舞台美術はもちろん、脚本・演出も丁寧であると思う。しかし自分の好みとしては、しっくりこないところも...。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
地方都市の家屋...その居間を中心に物語は展開する。舞台セットは見事に作り込んでいる。居間には和箪笥、正面奥には廊下、その先には垣根のある庭が見える。上手側に台所。そこに食器棚、冷蔵庫が置かれている。下手側には別棟として風呂場、トイレがある。その風呂...今では珍しい薪で焚くもの。その他、いくつもの家庭用品が置かれ実際に生活しているような錯覚を覚えるほどである。そして上手の客席側の ひまわり花壇(タイトルを象徴するようなもの)。
梗概...説明から、突然亡くなった母の葬式に集まる人々。 今、明かにされる意外な事実、母の想い。 母は太陽のような存在で、 温かく優しく見守ってくれていた。それぞれの家族史があるように、この家族にもちょっとした出来事があった。その出来事(母は、父と結婚する前にお見合をし婚約者がいた)が、この平凡と思われる物語に味付けしている。この味付けは母のもの...そのちょっぴりほろ苦いエピソードが涙を誘う。
自分は(亡き母・照子からみた場合)、姪の恋人・海老原や義妹の高校先輩・野口(当日パンフでは同級生と紹介)の笑いを誘うような挿話よりも、普通の描き方(単に父親ほど年齢差があるオジさん)のほうが素直に観れると思う。
母の葬儀という悲しみと、残された父・息子の今後の生活という両方観せる話にするため脇筋に笑いネタを入れたようだ。あまり暗くならないような配慮であろうか。
自分の好みとしては、先の挿話を省略し家族との触れ合いをもう少し観せてほしかった。本筋であろう家族を中心としたドラマとして...。
上辺だけではうかがい知れない、歳月を重ねた結婚生活の奥底に横たわる老い、同時にそこで紡がれていく人間の生の喜び。
脚本は王道的で安定しており、演出は ひまわり ウェディングドレスなど魅せて印象付けるもの。とても余韻があり観応え十分であった。
次回公演を楽しみにしております。
きれいなひかり
情熱のフラミンゴ
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/09 (土) ~ 2016/07/09 (土)公演終了
満足度★★★★★
第7回せんがわ劇場演劇コンクール グランプリ
ダメダメ学生が卒業制作のため前夜集まり作業することに...典型的な劇中劇。この公演、なんとなく彼らの等身大の芝居稽古という準備段階を想像させるような内容である(彼らはダメダメではないが)。
一見アナログ世界に見えて、実は近未来のように感じられる、そんなシュールさも垣間見える。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
コンクール形式のため、次公演(劇団)の準備もあることから、大掛かりな舞台セットは作れない。本公演も小物を有効活用し、舞台技術(音響・照明)との相乗効果を狙い、見事に功を奏していた。
梗概は、説明「日本イベント専門学校(通称イベセン)照明学科の卒業制作前夜。卒業単位ギリギリの“いわくつき”生徒が集まるN班は徹夜で仕込み作業をしていた。 猿以下の知識で課題は完成するのか…」というもの。この「猿以下の学生」という役作りのための稽古にかこつけて退廃的な遊びを繰り返したと...。一夜劇のため、夜明けには終わる。その終わり方が、見回りロボットというハイテクの極み。
一夜という限られた時間、作業場という限定された空間、そこに気だるさと、目的を達成させようとする足掻き。それが舞台という画面を押し広げるようだ。
脚本も面白いが、音響や照明技術が素晴らしく印象的である。光と影のコントラスト、人の心の明暗を映し出すようである。演技は気だるさ(ダメ学生のイメージか?)を漂わせるため、猫背でスローテンポ。卒業制作場面として、脚立、ドラム缶、バナナ、缶箱を用いSE...。その音だしが上手い。
人間観察を通してのユニークな感性が、ダメ学生のキャラ設定を作り出していると思う。そしてその集合体としての人間(学生)関係の真面目・不真面目、器用・不器用という対の可笑しみが出ている。
コンクール作品であるが、通常の公演でも十分楽しめるもの。
次回公演を楽しみにしております。
WBB vol.10.5『リバースヒストリカ2016』
WBB
クラブeX(東京都)
2016/07/27 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
時代劇を次代劇へ
戦国時代の有名な武将と現代青年の織り成すSF・ファンタジー?...そこには、戦国時代という「世界」と武将の「個人」が存在する。その両方の魅力を遺憾なく魅せる。そして平和な世を謳歌する現代青年が体験する不思議感覚の数々。そこに極大と極小、過去と現在を目まぐるしく往還する。その描きは荒唐無稽で奇怪な様相になるはずが、所々に笑いが仕込まれる。
身の丈に合わせる物語というよりは、今の世に生きる幸せと戦国時代の殺傷が当たり前という社会状況の違いを斬り結ぼうとする野心作のように思う。
ネタバレBOX
ミステリーサスペンス仕立ての本公演は観ていて面白い。この物語の世界にぐいぐいと引き込まれる。封建的な主従関係、同じ主従でも野心を持ち自分で天下統一をなし得たい武将としての夢...その儚さを現代に降臨した本人(武将)達から話を聞く事によって、今の時代の有難さを感じる青年の成長。
円形舞台…正面に神社の鳥居。そして樹木をイメージさせるオブジェ。シンプルな舞台は殺陣等のスペースを確保するもの。演技は円形客席に放射状にある通路も使用し、観客の目線を意識した観せ方のようだ。
梗概は、戦国時代を舞台にした自主制作映画を撮影をするため集まったスタッフ・出演者たち。 そしてお祓いをするためスタッフが霊媒師を呼んで来てしまい、明智光秀を現世に降臨させてしまう。光秀に立ち向かうべく、撮影クルーは織田信長、羽柴(豊臣)秀吉 、さらには柴田勝家、森蘭丸、真田幸村を次々に降臨させてしまい、てんやわんやの大騒動になる。
本能寺の変を中心に、それぞれの武将の思惑、思念が伝わる。現代、机上の史実として教わる日本史とは違い生身の人間の言葉が、青年たちの心に響く。
テレビや映画で時代劇を見る機会が少なくなったが、次代を担う若者(キャストのファンであろう、若い女性が多かった)にも興味を持ってもらえるような作品である。
芝居的には、のり移られた青年の体から解霊させるまでの時間的制約による緊張感(それほどでもないが)、戦国武将による殺陣の迫力は面白かった。同じ日本でありながら、時間という隔たりは「歴史」や「文化」が異なる人々(特に現代青年)がどんなふうに感じ、考え、行動したのかを身をもって内側(心情)から推し量かり、生き生きと体験していく。それを観客(自分も)が追体験できるようで楽しかった。
役者陣は現代青年、武将が降臨してからの違いを演じわけ、それぞれのキャラをしっかり立ち上げ魅力的であった。
廃神社の神主が何故日本刀を所持していたのか、などという矮小なことは一笑に付して、過去に生きていた武将の声に耳を傾け、彼らが果たそうとしていた事(真)実を現代人にも分かる様に翻訳した物語として楽しめた。
次回公演を楽しみにしております。
かぜがふいた
ナイスコンプレックス
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/09 (土) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
魂を揺さぶる秀作
「第7回せんがわ劇場演劇コンクール」のオ-ディエンス賞受賞作品。物語の構成に分り難いところもあったが、心で話す(黒)電話...その擬人化した芝居はとても面白く、そして泣ける。
私事で恐縮であるが、自分の誕生日にこのような素晴らしい芝居を観ることが出来て嬉しく思っている。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
3.11東日本大震災から5年...骨太い情景描写と繊細な人間観察という対比を持たせて描いており、無機質な黒電話を擬人化することによって、そこに声なき人々の心の声が聞こえてきそうな、そんな豊かな感情表現を感じる。
シンプルであるが、丹念でややもすれば王道的な描き方は、その観せる切り口がシャープなだけに観客(自分)が置いて行かれそうになるが、公演全体としては、目に見えない感情を上手く描き出し、その命題に向かう強固な意志は、この大震災の悲しみと痛みを十分引き出している。だからこそ、未来に向かう”力強さ”がしっかり伝わり、確かな前進、希望を感じさせ、前述の賞(特別審査員、市民審査員、全公演を観劇した人の投票で選出した公演)を受賞したと思う。
劇団からのメッセ-ジ...実際にある「風の電話」を擬人化し、震災後そして現地から見る今を、押し付けるのではなく、物語を通して浸透させるアナグロファンタジーで紡ぐ、という。その説明の通りであるが、その主張は確固たるもの。
この公演はコンクール参加作品であるから40分という時間枠の中で収めている。通常公演より短い時間であるが、場面転換に暗転を多用しているように思った。脚本には先に記したように悲しみを呼び起こすような痛々しさがあるが、それを乗り越える”力”を持っているのが”人”...そう信じさせる、また思わせる印象深い仕上がりになっている。
芝居的には音響・照明という技術面も効果的で、総合的に観せる魅力を持っている(専門審査員の中には、その技術に頼り過ぎとの批評もあったが)。一般観客は公演全体を通して、その芝居で何を感じるか(面白いか)という観点からすれば観応えのある作品であると思う。
この公演は、8月の0章作品(中野ザ・ポケットで本公演「かぜのゆくえ」)になっている。
次回公演が楽しみである。
英雄コレクション
ジョーカーハウス
サンモールスタジオ(東京都)
2016/07/21 (木) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
面白楽しい MIXバージョン
劇中劇の典型であろうか...実生活とバーチャルの世界を自由に行き交うため、 次第にそのギャップに翻弄されはじめる、という説明が言い得て妙である。
芝居としての楽しさ面白さと、主人公女性の成長を重ね合わせる、という多重構成である。
またゲームというバーチャルと現実社会のギャップに苦しんだのは、女性だけではないというオチも現代的な問題提起である。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
昨今流行のサブカルチャーと呼ばれる分野(ゲーム、アニメなど)はメディアミックスが進んだ結果、ジャンルの垣根を低くしたかもしれない。本公演はアニメキャラかリアルキャラか判然としないが、劇中ゲームとして、場面の展開をゲーム場面のクリアーと重ね合わせているようだ。その進展は現実社会における自立に繋がっている。
公演そのものがゲーム機の画面を見ているような錯覚。実にバーチャルな世界を観応えあるものに仕上げていた。
そして、ゲームにウィルス感染させた人間。企業における自己実現できないまたは認められないという歪な感情が動機になっている。そのバーチャルな世界における違法行為そのものが実社会での存在や主張そのもの。
印象に残る台詞...仮想の世界で痛みを知ることは、現実の社会でも痛みを知る。その知ることが人に優しくなれるようだ。それをゲームを通して教えられるという奇妙な体験が...楽しめた。
この「英雄コレクション」を観て、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」を思い出した。異世界を冒険する「ロールプレイングゲーム」である。このロールプレイは「役割演技」ということらしい。数人の仲間がそれぞれの騎士などの役割になりきり、ファンタジー世界を舞台にしたシナリオで会話・冒険をする。それを一人で楽しめるようにしたのがコンピューター版ロールプレイゲーム。
ここでも自分が操作することによって「成りきり英雄」として、世界を救う物語になっている。小説や映画以上に架空の世界の没入感がある。ゲームという架空世界を芝居という現実に見せる場面へ引き出させ、役者の演技(しっかりキャラが立っていた)や舞台技術(音楽・照明=場内全体を満天の星空など)の効果、そして劇場一体感となるような雰囲気は心地良(酔)い。小難しいことはいらない...という暗に主張する劇中劇のようであった。
次回公演を楽しみにしております。
7ストーリーズ
イークエスト・カンパニー
北池袋 新生館シアター(東京都)
2016/07/22 (金) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
ブラックコメディ...楽しめた!
開演前、静寂の中、車が街中を走る音。すでに孤独感が漂う。
男がアパートの7階から飛び降りようと身構えている。物語はその張り出した場所を往復し会話するだけのシンプルなもの。この公演の見所はこの男と、アパート住人たちとの奇妙な会話。いや会話が成立しているのか分からない、捩れ、勘違い、思い込みといった遣り取りに面白みがある。
終盤、老婆との会話が日常の繰り返しにこそ幸せがある、という当たり前のようで味気ないが、考えさせられる。
この芝居は面白かったが、気になることが...。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
ある夕暮れ、アパートの七階。一人の男が窓の外、外壁から僅かに張り出した突起の上に佇んでいる。今、飛び降りようとしているところに、7つの窓の1つが開いて、中で争っている男女の姿が見える。痴話喧嘩をしている。勢い余って男は女の首を締める。外の男は見るに見かねて仲裁に入る。しかし怒りが収まらない男はピストルを発砲。外の男も巻き込まれて大騒動となってしまう。
今度は両隣の窓が開き、それぞれの住人が顔を出し、事の顛末を外の男に詰問する。そのうち別の住人とその友人たちやパーティ会場の客たちも巻き込んで人が入替わり、立ち代り現れては男に話しかけるため男は飛び降りる機会を逸してしまう。
それから老婆が現れてとりとめもない話をし出すが...。
E-Quest Company 代表・谷口浩久氏が当日パンフで、この物語に”国家機関”と ある”動物”の登場について、この物語を暗示的に書いている。国家機関は警察、動物は鳩であるが、この物語の結末を上手く表している。
都会のアパートでの隣人関係は希薄または無関心といったところ。舞台はそんな情景を舞台うしろ(壁)の窓(部屋)に状況を投影している。窓の中にいる住人たちは、とにかく生きている。その無頓着振りと男が感じている繰り返しの平凡な日常への疑問が対比的で可笑しみがある。ここにブラックコメディとしての観応えを感じる。
自分自身を見失った男と100歳の老婆の他愛ない会話が印象的である。老婆曰く...警察は形式的な業務の遂行のみ。人の心には入ってこない。鳩、部屋に飼われたままでは飛ぶとこも忘れる。いやもはや飛べなくなっているかも。人生を坦々と生きた誇りのようにも聞こえる。そこには自立(信念)の大切さを問うているようだ。
さて、気になったこと。セットのアパートの張り出した場所を広角にひらいて作ってある。キャストが窓枠内で演技した場合、その角度が死角のようで観えないシーンがある。特に最前列両端の席は見切れになったと思う。上演後、気になって座ってみた。舞台セットまたは窓枠から半身出すような演技をするなど工夫があっても...。また男の悲哀・絶望が垣間見えて飛び降りそうな姿が見えると更に良かった。
次回公演を楽しみにしております。
月の道標
ニラカナエナジー
座・高円寺2(東京都)
2016/07/22 (金) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
骨太作品だが...
旗揚げ公演に太平洋戦争における沖縄戦...ひめゆり等の学徒隊をモチーフに取り上げた作品は観応えがあった。場内には、すすり泣きが聞こえる場面も多く、心魂揺さぶられる思いである。
素晴らしい公演であることを前提にしつつ、気になるところも...。
ネタバレBOX
舞台セットは、段差のある舞台を平行に設置し、その間の空間に壕か洞窟のような穴を作る。上手・下手には怒涛の波をイメージしたオブジェが立つ。
梗概は、ひめゆり等の学徒隊をイメージさせるような物語。説明抜粋「太平洋戦争の末期、激戦地となった沖縄。洞窟の中に設営された陸軍病院で、看護婦手伝いの学徒隊少女は、過酷な看護の日々を送る。しかし、日本軍司令部のある首里が陥落、アメリカ軍から逃れるために少女たちは南へ南へと逃げる。暗い洞窟の地獄から、爆弾の降る放浪」することになる。
戦争という最大の不条理、そこに見る人間の絶望と希望、弱さと逞しさを描いている。しかし、沖縄情緒豊かな地唄や映し出された風景は、凄惨さよりも旅情という印象が強く残った。また転戦(移動)するに従い、少女たちが成長していく様は悲惨さよりも逞しさを感じる。すべてにおいて、負なる言葉...恐怖・喪失・諦めを並べる必要はないが、戦時下という切迫感なり悲壮感が感じられなかった。そこに戦争の悲惨さと命の尊さ、生きる逞しさをどうバランスを図り印象付けて観せるか。
自分の好みとしては、もう少し戦時下における非人間的行為、それは大きくは戦争そのものであるが、自軍における倫理観が欠如せざるを得ない特異な状況を描くことで、より反戦を意識した公演にできたと思う。
この公演の中で、2箇所胸が締め付けられるシーンがあった。1つ目は、薬を譲る親切な行為に対し、お礼が手投げ弾を渡す。2つ目は、投降の呼びかけに「捕まれば米軍にひどいことをされると日本兵が言っている」こと。徹底抗戦が多くの犠牲を出した痛ましさ。
中盤以降、暗転が多くその間隔も短いため、集中力を保つのが大変である。また、女学生の衣装も含め小綺麗であるため違和感も…。その当時の姿、状況を視覚的に観せることも重要であろう。
「ひめゆり学徒隊」という呼び名(総称)があるが、本公演では少女一人ひとりの名前を大事にしていた。本来、総称ではなく一人ひとりの名前があり、前途ある若い人の命があったことを忘れてはならない、と改めて思った。
次回公演を楽しみにしております。
合理的エゴイスト
劇団ピンクメロンパン
明石スタジオ(東京都)
2016/07/21 (木) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
テーマ性がある物語だが…
現代から近未来を描いた内容...コンピューターの技術が刻一刻と進化している。その象徴として人型ロボットと人間との関係を興味深く観せている。専門的な用語としてシンギュラリティ(技術的特異点)という言葉があるという。人工知能が人間の知的能力を追い越し、自力で加速度的な発達を始める時点だという。
コンピューターが誕生して約70年、パソコンが普及して30年、インターネットが利用され出して20年、そしてスマートフォンを手にするようになって10年足らず...この加速度的に進化してきた歴史を見ると当たり前のような気がする。この進化がさらに進んだ世界...そこで起こる合理的なエゴと不条理へのストが展開する。この「エゴ」と「スト」の間にはイ(意)が必要なのだが...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、瀟洒な部屋、段通が敷かれ上手に豪華なソファー、テーブル、下手にも丸テーブルと椅子。壁には斜めに掛けた絵画が飾られている。この美術から既に歪な世界観である。
梗概は、 幼くして両親を亡くした姉妹は仲睦まじく生活していた。ある時、政府の人間が「お宅にロボットはいないか」 と。家族を傷つけ殺す人間(自宅に火をつけ無理心中しようとする父親)、家族(愛情)を求めるアンドロイド…どちらに真心があるのだろうか。社会や常識に血を流しながらも懸命に存在することを求める。
シンギュラリティは、人にとって必要なアイテムになるという。危険や過酷な労働はロボットに任せられるという期待。一方で人類滅亡の序章という考えもある。誰も理解できないコンピューターの「知」に依存し、制御不能な人口知能に人は支配されるというもの。
公演では家庭ロボット(アンドロイド)が不具合(故障)を起こし、回収し出すという。相当進化した形態のようで、一定の感情を持つようになるが、その耳目出来ない不思議な”心“は十分理解できない。アンドロイドには人の「心」そのものが不条理である。人の生活の便利さを求めるために造られ、不要になれば破壊される。至極当たり前のような行為であるが、近未来アンドロイドにはある程度感情があるような描き方である。その視点から見れば勝手に造り、自分たち(人間)の手違いで不具合を生じさせ、その結果破壊するのである。「エゴ」と「スト(襲撃)」の間には、「イ=意(思)」の疎通または交流が必要なのだろうか。
一方、人間でありながら、錯覚か記憶の錯誤であろうか、自分をアンドロイドだと思っていた。この男がアンドロイドを率いて人間社会に対してテロを起している。自分は人間である、という気持にアンダロイドに対する優越が透けて見え、アンドロイドからスポイルされる。そこに区別・差別という言葉の違いはあるが溝・壁があることは明白である。ここでも人間のエゴが見える。
この公演で、アンドロイドの不具合(欠陥)とは何か、人間を傷つけるようになったのか。このアンドロイド開発は1社独占なのか。他社があればそのアンドロイドの存在はどうなのか。政府の人間がアンドロイドを憎んでいるような行動。妻を盲目にされた恨みのようであったが...。その人間が持った心の痛みのようなものが解らない。人間の内面・感情からの視点の描きが弱いと思う。人間とアンドロイドがこのような事態・状況になった具体的なことを描くことで、問題の根源が見えてくると思う。またアンドロイドは、肉体的な痛みを持つまでになっているのか。一方、アンドロイドの軍事転用という指摘は鋭く怖い。この公演全体の描き方に濃淡が見えたのが残念であった。
いずれにしても経済至上主義、合理的で快適な生活を営むための欲求が、ロボット、アンドロイドの開発の原動力になっているようだが…。
役者陣の演技は安定しており、バランスも良い。そして役柄に応じて衣装に変化を持たせ役割を明確にする観せ方に工夫を感じる。
次回公演を楽しみにしております。
森の奥の噂ノ塔の上の
演団♤四輪季動
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/07/06 (水) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★
盛りだくさんかも...
本公演は、物語の展開が分かり難いように思う。メインストーリーは青春期の好奇心を充たすような行動...それがタイトルにある森の奥の塔を目指すというもの。このイメージは、映画「スタンド・バイ・ミー」(1987年日本公開)を彷彿とさせるようだ。もっとも登場する人物の世代等(本公演は高校生男女、映画は12歳の少年たち)は違うが、若い頃の好奇心とその過程における友情が描かれている点では同じ。
そして映画タイトルを訳すと「僕のそばにいて」または「僕を支えて」…公演そのものではないか。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
梗概...ある街に住む少年と星空を眺めるのが好きな少女は、大切な"きょうだい"だった。 両親がいない中でお互いを支え暮らしている。 この街には、 強い願い事を叶えてくれる塔(神様)がある。 真偽は、面白半分、興味半分で少年達は森の奥に足を踏み入れる。 そして、森の奥である選択を迫られる。 大切に想っている人がいなくなってしまったら その時、どんな選択をするのか。
舞台セットは、中央に木枠で出来た「塔」。上手・下手にそれぞれ台が置かれているのみ。このシンプルな作りの中で森をイメージさせるため、台への昇降をもってして立体感、躍動感を表現している。それだけに脚本・演出に依るところが大きいが、この芝居では構成が散漫になっていた。
街外れの森に塔があり、そこから見える景色が素晴らしいこと、塔の上で願い事(1人)をすれば叶うという言い伝え。高校クラスメイトが好奇心から上ることに...。これが本筋であろう。この筋に①クラスメイトと馴染めない男子高校生とその妹の関係 ②星座好きな妹の本当の正体 ③ヒーローショー(笑)場面 ④大人(市役所役人や女教師)の隠し事、妨害 ⑤脚本・演出家による金の斧・銀の斧などが挿話として交錯する。その関連は緩く、それを挿話する必然性が感じられない。物語の輪郭(軸)を暈していることが、結果的にストーリーを分かり難くしている。
「スタンド・バイ・ミー」でも行方不明と騒がれた少年が列車に轢かれ、遺体を見つければヒーローになれるという。そして行動を起こす。
映画には、カインコンプレックスという心理が垣間見える。その特徴として同世代に心を閉ざしたと。この件、本公演では兄弟を兄妹に置き換えての描いたように思えるが...。
ヒーロー登場場面以外は、同じようなテンポ。単調な観せ方は観客(自分)を飽きさせる。日常(街)の近くにある、非日常(森)という神秘的な場所にある不思議な力のある「塔」...その謎に迫るようなドキドキ・ワクワクするような冒険譚でも良かったのではないか。
描きたい内容を盛り込んでいるが、そこには勢いがある。こじんまりと収まるよりは、勢いを大切にしつつ、観客に観せるという工夫も必要ではないだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
家族計略
劇団 背傳館
RAFT(東京都)
2016/07/19 (火) ~ 2016/07/20 (水)公演終了
満足度★★★★
雰囲気は十分かも...
東中野にあるRAFTという劇場(スペース)には、不気味で不快にさせるような雰囲気が漂う。比較的狭い空間には、小物ばかりが置かれているが、その物がこの公演を形象しているような気がする。もちろん、作・演出の高尾優太氏が意図していることは明白である。
客席は出入り口とは反対側に設け、最前列はベンチシートに座布団、2列目以降はパイプ椅子に座布団である。その前後列の段差があまりない(低い)ことから、座っての演技は見難いと思う。芝居の観せ方ではなく、客席配置に工夫が必要であろう。
当日パンフに「事前情報」として「あらすじ」のような記載がある。それとは別に「ある被害者の手記」なる資料が用意されていた。開演前は舞台中央にある丸卓袱台の上に置き自由に入手でき、上演後に読む(確認する)人は出口で配付するという丁寧な対応であった。
舞台にはダンボールを敷き座っての演技のスペースのみ茣蓙...和室イメージのようである。上手側に整理タンス、下手側に扇風機。部屋の何か所かに行灯がある。天井にはダンボールで作った動物の数々が吊るされている。卓袱台もタンスもダンボールで作られている。全体的に張りぼての偽装・空虚さを表現しているようだ。”狂気の臭い”という雰囲気作りは巧み。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
梗概...「事前情報」にある「中野擬似家族事件」を引用すると、家族関係に問題がある人間達が自己啓発セミナーと題した集団生活をしていた。このセミナーに参加していたのが4名と主催者1名の計5名のうち、3人が死亡。残り2名のうち重症者1名、行方不明1名という被害者が出た。主催者の男の背後にはカルト集団の影があったことから、警察の捜査はそちらに向かうが...。
この内容、どうしても宮部みゆきの直木賞受賞作「理由」を思い出してしまう。こちらは荒川区の高級マンションで、4人の死体が発見される。1人は転落死で、残りは何者かに殺されたようであった。当初、4人は家族だと思われていたが、捜査の進展に伴い、実は他人同士だったことが明らかになる。なぜ家族として暮らし、どうして死ぬことになったのかという謎を、別の登場人物の視点を通して解明していくという描き方であった。
この事件が起こった事故物件(事故・事件で死人が出たような賃貸部屋)見学ツアーに参加した人々の動機・理由が単に興味本位なのか、ラストシーンのある目的を持っていたのか、またはバラバラ(死体ではない)な思いなのか、そこが判然としなかった。①先の自己啓発セミナー時の行方不明者が義弟のため、その消息を知る、②霊が見えるという自己顕示、③アベックは心霊探訪という興味本位のよう。
このツアー(引率者)は、偽装家族事件を現場で追体験し、事件を風化させないことだという。だからこそ誓約書を書かせている。ここが物語の軸だと思っていたが、その描き方が弱い。さらにラストシーンを観ることで混乱してしまう。
この引率者が中野擬似家族事件の当事者であることは容易に想像できるが、ツアー参加者との関係が強引に思えた。この設定にもう少し分かり易い”説明”があると物語の印象(深さ)が違ったと思う。
役者陣は、殺風景・寂寞とした空間で迫真・緊張感ある演技を観(魅)せてくれた。
次回公演を楽しみにしております。
名なしの侍 (28日より大阪公演開幕!直前予約受付中!)
劇団鹿殺し
サンシャイン劇場(東京都)
2016/07/16 (土) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
現代音楽と時代劇の融合...次代劇として期待大!
映画「7人の侍」(黒澤明監督・1954年)を思い出す。もちろん、モチーフもストーリーも関係ないが、物語の骨太さ、斬新さという点で似ているような気がする。また観せ方のイメージは絢爛豪華というよりは、地を這うような血・汗・泥という言葉が似つかわしいところも同じような。
乱世...戦国孤児が生きることに汲々とした暮らしから、いつの間にか野望に魅せられた人間へ変貌していく。その生き様をダイナミックに描く。
また、芝居としての観せ方も大胆であった。その1つが舞台セットの妙である。劇団鹿殺しは、 こまばアゴラ劇場、青山円形劇場、紀伊國屋ホールと劇場規模が大きくなってきている。
今回はサンシャイン劇場であり、どの客席からでもしっかり観えるよう工夫している。そして劇団の管楽器隊と現役ミュージシャンでバンドを編成し生演奏で聴かせる。そのため上手側に大きく演奏スペースを確保している。芝居の舞台面は斜めになっており、1階最前列や2階席からも観やすいような、いわゆる八百屋舞台の作りである。
もう1つ感心したところ...演出の格調の高さである。現世・来世を往還する姿に有名な文学作品を思わせるシーンが...
(上演時間2時間5分)
ネタバレBOX
7人の侍...乱世、貧しい農村では野武士たちの襲来に苦しんでいた。百姓だけで闘っても勝ち目はないが、作物を盗られれば飢え死にする。百姓たちは野盗から村を守るため侍を雇うことにする。そして7人の侍と野武士と戦うことに...。
この物語も乱世...日本史の教科書に記されたような武将の名が出てくるが、物語の主人公は孤児集団。その子供たちを預かり剣術を教えている道場。そこに今川、徳川と織田の有名な桶狭間の戦いの場面へ誘われる。説明にある、月見草のように闇に咲く名も無き侍たちとはこの孤児たちのこと。しかし時は下克上...名を馳せた武将に成りすまし...という本・贋者が入れ替わり、そのうち人格まで変わり権力の権化へ...。野望と友情の挟間に揺れる思い、抗いきれない運命に翻弄される姿が痛々しい。その人となりの心情をしっかり体現させており、観応え十分であった。もちろん演技としての殺陣(泥臭い)や剣舞(優雅さ)、演奏の楽器隊という夫々のパートで楽しませてもらった。
その変幻自在の演出は巧み。舞台には卒塔婆が何回も持ち込まれる。そして現世と来世の境界...三途の川の渡し場での笑いネタ。時に慟哭、そしてコミカルにという硬軟の描き分け。そして何度も境界から往還するが、その件に太綱に摑まる。このシーン...芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出してしまう。「生きたい」という強い思念そのものが生命力になっている(仏法説話の意ではなく、観せる感覚)。
この脚本の底流にある「生命への讃歌」、「権力への揶揄」そして平和への希求(「7人の侍」時は自衛隊法、本公演では安保法が関係...偶然か)がしっかり観てとれる秀作。怒パンクで観(魅)せる時代劇。ここに「7人の侍」に通じる斬新さを感じる。生「音楽」を芝居という生身の人間が演じる舞台で融合させ、独自のステージを作り上げているようだ。
次回公演を楽しみにしております。
雁次と吾雲
護送撃団方式
萬劇場(東京都)
2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★
虚実混濁の世界...盛りだくさんのようで
物語の場所・時代やその内容は架空・仮想という前提であるが、その描きからは日本の大正期...デモクラシーという自由民権をイメージさせることは間違いない。その一見史実に即した描きでありながら、実は虚実混濁という設定のズレに面白さを感じる。その情景・状況の錯覚、作・演出の藤森俊介氏の術中(語彙は相応しくないが好意的)に誘い込まれるようだ。
内容的にはメインストーリーとサブストーリー、さらに挿話があり盛りだくさんになったようで、主張(印象)が暈けてしまうようで勿体無い。
テーマ性の強い公演であり、その主張を中心に展開したほうが分かり易いと思う。
(上演時間2時間20分)
ネタバレBOX
セットは階段舞台...正面上部に張り壁に架空の絵画街角(庵や珈琲店の看板)が描かれている。周りはレンガを模した張り壁。その全体的な雰囲気は少し敢えて野暮ったくした造作のように感じた。そこに大正のような時代感を漂わす。「自由の塔 凌空楼」が見えるが、浅草にあった凌雲閣がモデルであろう。この姿は空中楼閣かも...。
梗概...暴動した中、兄・吾雲(一内侑サン)は弟・雁次(關根史明サン)との別れ際、「生きろ」と叫ぶ。以降2人は会うこともなく、雁次は兄は死んだものと思っていた。そして「生きろ」は兄の人生まで背負わされたような重み。この言葉が呪縛になって自由に生きられない。この心情の件も理解し難いところ。ところが偶然にも再会し...吾雲は自由に生き、親友・宝月(神谷未来紘サン)と「自由」を求める運動をしていた。そして自由を勝ち得た先にあったものは...。
この「自由を謳歌」することは人民が暴力的になり、その先は軍靴の足音が高くなるというもの。この帰結が説明不足、短絡的に思えた。自由という抽象的なことに対し、人それぞれが選択し責任を負う、という過程が観られない。自由の果てにあるのが戦争である、というのは史実を見た場合であろう。この公演では虚実混濁ということからすれば、もう少し多角的な観せ方があってもよかったのではないか。またラスト...自由を空(カラ)に準えているが、突き放して観客(自分)に考えさせるということだろうか...。
この公演ではラジオ(高校野球・駅伝放送)を用いているが、一方的に瞬時・広範囲に情報提供できる便利なもの。一方、情報の鵜呑みという思考停止という怖い面も裏腹にある。現代で言えばインターネットの普及が該当するか。その情報の真偽・正否は自由に利用と同時に責任も伴う、という主張も垣間見える。この壮大風の物語はメインであるが、この兄弟に親友の妹・白乃(本間理紗サン)との恋愛話がサイドとして絡み、さらに華族という戦前の「家制度」、「流民」に対する差別(人民が国民に代わった時、自分より弱者をいたぶる)などの問題も盛り込む。
その演出にダンスシーンが入り華やかさが出たが、そのイメージする意図は何か。自由の謳歌を身体表現で表したのだろうか。物語は面白く考えさせるものがあるが、もう少し観せる焦点を絞っても良かったと思う。
役者陣の演技は安定しておりバランスも良かった。ダンス・アンサンブルも高い身体表現で素晴らしかった。劇中での意味付けなり必然性を考え芝居・ダンスを調和できれば印象深い。
次回公演を楽しみにしております。
夏の夜の夢
天幕旅団
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
現代版...面白い演出
キーワード「夢」を感じさせるファンタジー作品は観応え十分。まさに今の時季...夏の夜に魔法でもかけられたかのような素晴らしい公演...終わってみれば一時の幻想のようであるが、確かに”SPACE 雑遊”という脳内ならぬ場内で観た。それも色鮮やかにである。
先人の訳本を踏まえた独自の演出、そこに芝居では大事な”発想 ”という夢(幻)ならぬ現実を観た。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
冒頭、坪内逍遥の訳本で始まるが、直ぐに「分からない」というツッコミのような台詞から、現代版...天幕旅団:渡辺望 流の「Hedgehog Magic Circus」へ変容させるような見せ方。
舞台は四方囲みの雛壇席で、どの位置から観ても楽しめるだろう。舞台周りには役者が屈んで出番を待つ。その衣装は白地であるが、役や場面に応じて上着を羽織り、その人物表現をする。そのシンプルな演出は、物語をテンポよく観せ、観客(自分)を飽きさせない。
戯曲「夏の夜の夢」は古今東西、数多く上演されている。表現は相応しくないかもしれないが、この手垢のついたような芝居をどう観(魅)せるか。本公演は、その分かりやすさが大きな魅力である。上演後、会場階段近くで渡辺氏と話をした時、現代風にしたと語っていたが、まさにそんなイメージである。
舞台では役者が実に生き活きとしており、自由奔放に演じているという感じであった。先人の訳本...分かり難い台詞を(敬意のためか)挿入し、その都度、先に記したように氏の台詞を追従する。この古典の持つ面白さは、訳本である以上、色々な表現ができる。この物語の持つ面白さを先人の力を借用しつつ独自性を示す、という柔軟な発想が素晴らしい。それを演出の面でも魅せる。少し段差のある舞台に上がるという動作で躍動感と天・地という空間処理をする。それは妖精が飛び回るという浮遊動作が観て取れる。と同時に地上にいる人間の地歩が感じられる。
この公演で、森の中という設定は、照明による木々の陰影のみ。その点が弱いような気がした。幻想的で浮遊感ある演出である。それは白地のゆったりした衣装が躍動するたびに布地が舞い妖精のように観える。その妖精が森という神秘的な場所にいるという感覚がほしいところ。
役者の演技は安定しておりバランスも良い。そして演出であろうが、妖精のような悪戯っぽく遊び心も垣間見える。とても観応えのある公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
絢爛とか爛漫とか〜モダンガール版〜
劇団テアトル・エコー
テアトル・エコー5階稽古場(東京都)
2016/07/15 (金) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
自分の好み...秀作です
テアトル・エコー5階稽古場で観るのは初めてである。そこにはしっかりセットが作られており、物語は説明にある うつりゆく季節が風情豊かに映し出される。
とても丁寧な制作で自分好みである。
登場人物は5人...女性4人と姿は見えないが、下働きの男性(りょうた)が...。ここには昭和(初期)という空間を見事に出現させ、当時の女性たちの生き様を心情豊かに描く。
(上演時間前半60分、後半65分 途中休憩15分 全2時間20分)
ネタバレBOX
舞台セットは和室・縁側...上手は玄関や母屋に通じる襖戸、その客席側に蓄音機、下手に座机、鏡台が置かている。さらに下手側は厠という設定である。中央には季節によって違うが、丸卓袱台がある。三和土に赤い草履。
「昭和モダン」と呼ばれた時期の女性4人が集まり、熱心に小説談義をしている。その「書く」ことに対する色々な思いが、各人の視点で語られる。梗概...説明から抜粋「デビュー作以来、一本も書けていない作家・文香の部屋に集まってくる作家仲間のまや子、すえ、薫。才能とは、自分とは何か。葛藤、羨望、嫉妬、友情、そして恋」を心地よいテンポで描いている。その思いは情熱的に、また叙情豊か、そして深淵を見る時もある。ラスト、文香がまや子に新作の構想を語る場面は圧巻である。自分の文才に疑問を持ち、足掻く心の中(うち)を書いたような物語(「湧き水を足で掻き回して濁している」との台詞に呼応して)...なぜか落語「紺屋高尾」の等身大の正直職人と心優しき花魁のことを想像した。訥々と語る文香...照明で彼女を浮き立たせ、その光の中での長台詞は心魂揺さぶられる。
この公演の見所、それは4人が典型的な当時の女性像を表していると思われるところ。文香(さとう優衣サン)は、文学で身を立てたい。その才能と向き合い苦闘する姿が知的女性のようである。まや子(吉田しおりサン)は、先進的であることを望みつつも奔放と古風の両面(客観性)を持つ。評論家志望。すえ(志々目遥菜サン)は、旧家に育ち父母の愛情に疑問を呈しつつ、母への反発が父への思慕へ倒錯するような。猟奇・狂気という作風。薫(大森柚香サン)は、庶民派の代表のようである。自由な発想と創作姿勢が生きた文学になる。実は子供が産めないため離縁された経験もある。当時の「家制度」を考えさせる。
この4女優の演技が実に自然で...芝居の面白さを堪能させてもらった。
そして、この四季折々を表現する演出が見事。春は桜と花びらが舞い落ちるさま、夏は青葉繁る、秋は中秋の名月とススキのゆれ、冬は枯れ木と雪...というように陰影する。公演全体の時の流れに人の心の移ろいを投影し、余韻を残す。もちろん、衣装も季節に合わせて変わる。自分好みの見事な公演であった。
矮小なこと...まや子さんのストッキング、昭和初期にあんなお洒落なものがあったのだろうか。最前列の至近距離で観ており気になったのだが...。
次回公演を楽しみにしております。