バルブはFB認証者優遇に反対!!の観てきた!クチコミ一覧

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夏の終わりの妹

夏の終わりの妹

遊園地再生事業団

あうるすぽっと(東京都)

2013/09/13 (金) ~ 2013/09/22 (日)公演終了

満足度★★★

インタビュアー資格制度
 ストレートプレイでは扱いづらそうな題材がポエトリーリーディングのような形式で巧みに表現されていた。だが、そこにあったのは見せる技術の洗練とちょっとばかりのユーモアだけ。こんな劇が上演されることにいかほどの必然性があるのだろう? “やむにやまれず作った”というような切実さが演劇作品にはやはり欲しい。悪い芝居「春よ行くな」を観たばかりだけに余計にそう思う。

春よ行くな【15日(日)18:30に追加公演決定!!!】

春よ行くな【15日(日)18:30に追加公演決定!!!】

悪い芝居

駅前劇場(東京都)

2013/09/11 (水) ~ 2013/09/17 (火)公演終了

満足度★★★★

深層可視化演劇
悪い芝居はお初でしたが、人の内面や人間社会の実相を斬新な手法で顕在化させる“深層可視化演劇”ともいうべき新手の劇をたいへん面白く鑑賞。それだけに、客をポカーンとさせるラストシーンで終幕したのが残念至極。

ネタバレBOX

 そこまでがとても精緻に作られていただけに、劇そのものを放り出すようなあの結末ではもったいない。仮にそれが正視に耐えないものになろうとも、底(主役の若い女性の名前)自身も言及していた“69歳の底”の姿を、底の末路を見せてから劇は閉じられるべきだった。
 そうは言っても、結末云々が瑣末事に思えるほどに力強く、面白い劇だったのは否定しようのないところ。
 何よりまず、“超リアリズム”とも言うべき方法に圧倒された。
 悪い芝居は初体験だったため、この方法が本作に固有のものなのか、他作品でも使われているのか判然としないが、人間や世界の実相を表現するため、役者たちがおそろしくリアリティを欠いた演技をするのである。
「実相」を表現するため「リアリティを欠いた」演技をするとはなんだか矛盾しているようだが、そこに矛盾はない。
 先に本作を“深層可視化演劇”と称した通り、役者たちは世界や心の内奥を表現するべくわざと反・自然体の演技をするのである。
 変に声を張らず、変に身振りを交えず、変に力まない。我々が「自然体の演技」と聞いてイメージするものとは真逆の演技を悪い芝居の役者たちはあえてする。変に声を張らないどころか多くの場面で叫ぶようにセリフを発し、変に身振りを交えないどころかケイレンするように荒々しく体をよじって心の震えを体現し、変に力まないどころか多くの役者は力み返って芝居をする。
 それもこれも、すべては実相を表現するため。恋人に去られたショックから立ち直れない主人公の底をはじめ、本作の登場人物の幾人かは大きく心が荒立っており、その荒立ちを表現するためあえて上のような芝居をするのだ。
 激しい演技で人間の、世界の実相を表現する役者たちを見ていると、劇世界に生きてはいない我々がいかに心の荒立ちをひた隠して生きているかを思い知らされる。
 劇世界に生きてはいない我々はたとえ恋人に去られようともそんなことなど無かったように何食わぬ顔で社会生活を営み続け、別の登場人物よろしく父親の蒸発を体験しても動揺を表に出さず真人間を装い続けるだろう。
 だからこそ、激情を隠そうともせず思うままに振る舞う舞台上の役者たちは我々の代弁者のような役割を帯び、思うさま振る舞いたくとも常識に縛られてそうはできない我々にいくばくかのカタルシスを与えてくれる。
 自然体でないのは演技だけにとどまらず、会話も然り。劇世界に生きる彼らは実社会に生きる我々が対話者をはじめ各位に配慮し“心の声”にとどめておくような事までをあえて口に出し、現実世界ではありえない“互いの心に土足で踏み込み合う”ような露骨な会話を当然のように繰り広げ、そんな会話など出来っこない我々にやはりカタルシスをもたらすのだ。
 このような劇の有り様はむしろ古典劇に近く、「静かな演劇」「現代口語演劇」などと呼ばれる、20年ほど前に生まれて今もその影響下にある劇が後を絶たない“リアリズムの劇”の有り様とは大きく異なる。
 そのような劇が“リアルでない”との理由から長ゼリフを排し、同じ理由により声を張るのを歓迎しないのに対し、悪い芝居の役者たちは“心の声”をも口に出して長々と、しかも声を張り上げて絶叫調で喋る。この点からも、悪い芝居が最近の口語劇より古典劇に近いことは明らかだろう。
 そして、今なお読み継がれ演じ継がれる古典劇の多くがそうであるように、悪い芝居の本作も紛れもない悲劇である。
 恋人に去られた若い女が途方もない喪失感に呑み込まれて苦しさに身悶える、文字通り“身悶える”この劇が悲劇でなくていったい何であろうか?
 興味深いのはなぜ“今”このような劇が作られ、支持されているのかということだ。
 それは本作の主人公・底が抱えているような暗黒が、多くの日本人にとって他人事(ひとごと)ではなくなったからだろう。
 ネアカがもてはやされた80年代が終わり90年代に突入した頃、サブカルチャーの世界で“暗黒”がもてはやされたことはバルブと同世代の演劇ファンならご存知のことと思われるが、いま「もてはやされた」と書いた通り、そのころ“暗黒”は我々を蝕むリアルな敵ではまだなく、“面白いから”と金で買われる流行品だった。だからこそ、人や世界の暗黒をカタログ化した『危ない1号』のような雑誌が売れ、人や世界の暗黒をユーモアにくるんで描いた大人計画がウケたのだ。
 だが、大人計画が売れ始めて約20年、暗黒は笑いの対象にできるような“遠くの火事”ではもはやなくなり、ユーモアにくるんで描けるような他人事ではなくなった。
 市場原理主義が地球を覆いつくして世界規模での安売り合戦が起こり、労働者の賃金までが買い叩かれる昨今、近代国家が理性で抑え込んできた弱肉強食の世界が再来し、“富める1%”からあぶれた者は社会にコマとして使い捨てられる“消費財”として生きることを余儀なくされつつある。
 そんな絶望的な時代に暗黒を描き痛みを描く“悪い芝居”が現れたのは偶然ではないだろう。
 もとより、本作の主人公・底を苦しめているのは恋人の失踪であり、市場原理主義ではないが、底は恋人から、少なからぬ現代日本人は社会から見捨てられて“己の無価値”を感じている。生きるよすがを失って苦しんでいる点において両者は同じなのだ。
 自分を自分たらしめてくれるものを失った主人公が自分を取り戻すためにあがき、悶え、自壊する本作はまた、“自分探しの劇”、“自分探しの果てのアイデンティティ崩壊劇”という側面も持ち、その点において六、七十年代のある種の映画や小説にもまた似ている。
 映画でいえば『東京戦争戦後秘話』をはじめとする大島渚の一部の作品、小説ならば『箱男』『他人の顔』などの安部公房作品がそれにあたり、いずれの作品でも“自分探し”は重要なテーマだ。
 この時代に自分探しを主題とした芸術作品が目立ったのは、「実存主義」や「人間疎外」「自己疎外」といった言葉が多用された時代相と無関係ではありえまい。
 だとするなら、それから四半世紀以上を経た今また悪い芝居のような“自分探し”を描く集団が現れたのは、“人間疎外”がまた進み始めている証左なのではないだろうか?
 本作にはそういえば、労働というものが引き起こす“人間疎外”を描いたシーンがあったはずだ。世界の実相を分かりやすく描き出すため超リアリズムの手法を採るこの劇団の方針に従い、かなりデフォルメされて描かれたそのシーンは滑稽味さえ感じさせたが、失踪した彼氏のことを気に病むあまり仕事に身が入らない主人公を上司たちがいびり倒す場面で彼らがしていたことは“人間疎外”以外の何ものでもありえない。
 もちろん、“自分探し”の劇は80年代にも90年代にも00年代にもあったに違いなく、鴻上尚史などはこれら3つの年代にわたってそうした劇を積極的に作ってきたが、悪い芝居の“自分探しの劇”からは80年代以降の“自分探しの劇”にはない切実さ、のっぴきならなさが感じられる。
 自分を探してしっかり守り抜かないことには、再来した“弱肉強食社会”の荒波にさらわれてしまう! そんな危機意識がひしひしと伝わってくるのだ。
 この劇団が採用している、一見すると奇を衒っているかに見える斬新な“方法”に嫌味が感じられないのは、切実に訴えたい何ものかをこの劇団がしっかと持ち、それを表現するのに最適な方法として上の方法が不可抗力で選ばれているからだろう。その意味において、この劇団における内容と方法の関係、もしくは内容と形式の関係は極めて健全であると言える。
 やはり演劇は“内容ありき”でなくっては!
 方法に淫して内容が二の次になっているあの劇団やかの劇団は悪い芝居を見習うべきだ。
 
犬、だれる

犬、だれる

劇団HOBO

サンモールスタジオ(東京都)

2013/09/10 (火) ~ 2013/09/16 (月)公演終了

満足度★★★★

楽天主義の素晴らしさを再認識
忘れかけていた楽天主義の素晴らしさをこの劇からあらためて教えられ、いくらか心が軽くなったような…。貴重な演劇体験をありがとうございます。
高橋由美子さんと松本紀保さんを生で見られたのも一ミーハーにとっては大きな収穫。ただ、紀保さんの胸もとが思いのほか豊かで、紀保さんがボディコンシャスな服を着て演技する中盤以降はその部分に目が釘付けに…。
とはいえ、演出の方や衣裳の方は仮にこれを読まれても服を変えたりせぬように。初志貫徹。これは何事においても大事なことだと思うので…。
松本幸四郎さんが万が一このけしからぬ書き込みを読まれたら、その寛容なお心でお目こぼし頂けるものと信じます。

ネタバレBOX

 南神無島(みなみかんなきじま)という、沖縄の孤島を彷彿させる架空の島の小さな民宿。その一室を間借りしているアラフォーの駆け落ちカップルと宿の支配人、さらにはよく宿へ暇潰しに来る島の巡査や観光課の男、駆け落ちした姉を探しに来たその妹らが繰り広げる人情劇。
 何より良いのは、先にも触れたが、作品全体がそこはかとない楽天主義に貫かれている点。宿には島の居酒屋の女将もよく顔を出し、その情夫が過去に詐欺事件を起こしていたことが終盤になって発覚するが、島の楽天的な風土に染まった登場人物一同は“なんとかなるさ”とばかりに男へ船での逃亡を勧める。この“なんくるないさ~精神”にバルブは打たれてしまった。
 登場人物は全員イイ大人。年を重ねるにつれ忘れがちになる楽天主義を彼らによって呼び覚まされ、同じくイイ大人のバルブは観劇前よりいくらか楽な心持ちで劇場を後にしたのだ。
 役者さんでは島の観光課の男を演じた本間剛さんが図抜けて良かった。
 駆け落ちした姉を探しに来たその妹・直子とメイクラブに至るシーンはバルブにとって本作一の名場面。本間さん演じるお人好しな役人が夜空に見つけた満月についてウンチクを語るのを聞きながら、その博識ぶりに惹かれた直子が「合格(笑)」と手で丸を作ってトイレへ役人を誘い、ウマが合うのにどこかつれない直子にジリジリしていた役人がトイレへ躍り込むくだりでは悲願を果たした役人を心の中で思わず祝福してしまった。
 色んな人が行き来する民宿が舞台なので色んな話が作れそうだし、本作はシリーズ化しても良いのではないだろうか?
 林和義演じる宿の支配人が除霊師でもあるという設定が本作ではあまり生かされていなかったので、除霊師としての支配人にフォーカスした作品を次にバルブは観てみたいもの。
臆病な町

臆病な町

玉田企画

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2013/08/30 (金) ~ 2013/09/08 (日)公演終了

満足度★★★

上演時間約100分、体感時間80分
 タイトルと内容は無関係。チラシのあらすじと本編のストーリーは全く別物。
 カーテンコール無し。
 卓球部の合宿に来た男子中学生4人と、顧問のおっさんバツイチ教師。
 温泉旅行に来たOLコンビと、うち1人にたかってヒモ暮らしを送るアラサー無職のろくでもないその彼氏。
 同じ宿に泊まった2組が交わって起こる小騒動を描いた口語劇的日常劇。
 この種の劇ってそんなものなのかもしれないが、100分という上演時間に見合ったボリュームは感じられず、体感的には80分くらいの印象。笑えるいっぽう冗長さも感じられた枕投げのシーンや“いいキャラ”の教師によるお説教シーンを縮め、最後の見せ場にもっと時間を割くべきだったか?
 そうすれば腹八分目くらいの満足感は得られたはず。
 こじ開けた口に無理やり食べ物を注ぎこんで満腹にするような劇よりもこの種の劇のほうが好みとはいえ、腹七分目で劇場を後にするのはやっぱり忍びない。
 カーテンコールを加えただけでも満足感はいくらか上がったと思うのだが…。
 刻一刻と変化する感情を手つきや表情をコロコロ変えて細やかに表現していた墨井鯨子さん、ロクデナシを迫真の演技でじつに生々しく演じてみせた海津忠さんをはじめ、皆さんの演技にぜひとも拍手を送りたかっただけに、カーテンコールの割愛は惜しまれた。
 カーテンコールに持ち込めないほど重い劇というものもあるけれど、本作はそこまで重くもなかったことだし、あえてやらない意味が見出せない。

ネタバレBOX

 転任が決まった教師にあの手この手で謝意を伝えて感動を与えようと生徒達が夜おそくアポなしで部屋を訪ねると、教師はナンパしたOLコンビと酒盛り中。妙な空気が流れる部屋へ口論のすえ自分をフったOLを探しにロクデナシまでが乗り込んできて、生徒ら一同が見守るなか「あんた、他人(ひと)の女と何してんだよ!」と教師に詰め寄る最後の修羅場は見もの。
 ただ、ロクデナシの怒りが過熱し状況が重くなるほど可笑しみも増していくという名場面をせっかくこしらえたのだから、ここは一つ、ロクデナシにもっと暴れてほしかったところ。
 バルブとしては、OLコンビを引っかけたことからほの見えた教師の下心をズルズルと引きずり出して欲しかった。
 教師がこっそり用意した2つのコンドームが枕の下から見つかり、ロクデナシがさらに教師を問い詰めたあげく殴り倒すようなシーンがあっても良かったか?
 子供たちが気まずそうにそれを見ていることによって大人の修羅場が喜劇に変わるこの場面のこと、上記のようなことが起こればこのシーンはさらなる笑いを呼び込んでもっともっと盛り上がった可能性も。
 ともあれ、初見だったこともあり、この団体を正しく評価することはまだ不可能。評価するのはもう1、2作観てからにしようと思う。
 というわけで、3つ星は純粋に作品に対する評価です。
emiko

emiko

保木本真也がプロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2013/08/15 (木) ~ 2013/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★

コメディって…!?
「黄金のコメディフェスティバル」千秋楽ぶっ通しスペシャルにて観劇。もしこのイベントが純粋な演劇コンペであったなら、バルブはこの作品に一票を投じていたかもしれない。それくらいの佳品。だが、コメディコンペというイベント趣旨を考えると、やはりこの作品には入れられなかった。たびたび笑わせてはもらったもののセンチメンタルに過ぎるこの作品をコメディとは捉えられなかったのだ。他の投票者の皆さんも思いは同じだったのか、本作だけが俳優賞を含め何の賞にもあずかれず、無冠という結果に。作・演出家は王道的コメディをあえて避け、ダメもとでこの「emiko」という、6作品の中でただ一つ口語演劇の演技メソッドを採用した一風変わった作品をぶつけてきたのだろうが、“コメディは多様”ということを示しただけでも意義深い一作だったと言えよう。
 しかし、同じくセンチメンタルな色合いが強いPMC野郎「死が二人を分かつまで~」がグランプリに輝き、本作が無冠に終わるという、その分かれ目は一体どこにあるのか? バルブはなぜ前者をコメディと捉え、後者をそうは見なさなかったのか? さらに言えば、コメディとはいったい何なのか?
 考えれば考えるほど分からなくなってくる。

ネタバレBOX

 PMC野郎の作品では笑いが目的であるのに対し、本作において笑いはあくまで手段にすぎない。バルブが前者をコメディと捉え、後者をそうは捉えなかった理由の一つはここにあろうかと思う。
 PMC作品における無数のギャグも感動的なラストを盛り上げるための手段、引き立て役に過ぎないと言えなくもないが、ここが難しいところで、PMCの諸ギャグは作品全体を貫くセンチメンタリズムと相関関係にある一方でそれからの独立性も高く、例えば三姉妹のそれぞれが父親に意表を衝く彼氏を紹介する冒頭シーンなどはそこだけを抜き出してショートコントとして上演できるくらいお笑い方向に大きく振れており、これをはじめとするいくつかのシーンはセンチメンタリズムとほぼ無関係だと言ってさえよい。
 一方、「emiko」という作品に仕組まれたユーモアの数々は作品全体を貫く哀切さと強い相関関係で結ばれており、可笑しみが増せば増すほど切なさも増すような構造をこの作品は持っているのだ。
 ともに30歳を過ぎて定職にも就かず、焦りながらも地に足のつかないその日暮らしの同棲生活を気はいいがダメな彼氏と送っている主人公の笑子(えみこ)は「絵本作家になる!」とバイトをやめて“キノコ紳士”など奇妙なキャラクターが登場する独りよがりな作品を売り込む先もないままに家で描いている。
 キノコ紳士は作中人物という分際もわきまえずに笑子に語りかけてき、笑子がやめたバイト先の元上司と掛け合いまで始める始末。
 こうした妄想的シーンは着ぐるみを着て作中人物に扮した役者が小林タクシー演じる元上司と実際にやり取りする形で表現される。現実のシーンがリアリティ重視の口語演劇調で演じられるのに対し、妄想シーンは喜劇的なおどけた調子で演じられ、笑いは主に妄想シーンがさらっていくのだが、現実を見ようとしない笑子に甘言を吐きさらなる泥沼に引きずり込もうとするキノコ紳士と現実に目を開かせようと笑子に警鐘を鳴らす元上司の可笑しな会話はユーモアが増せば増すほどそれと裏腹に痛切味も増していくという構造を持ち、笑子を苦しめる。
 こうした妄想、さらには元上司と同じく“現実派”の女友達によって目を覚ますよう促され、そこへ加えてフリーターの彼氏がスーツを着て就職活動を始めるというまさかの事態が起きるに至って、笑子は夢見がちだったそれまでの暮らしに見切りをつけ、彼氏とともに地に足のついた人生を歩もうとする。
 ハッピーエンドと取れなくもないが、反面、“青春期の遅すぎる終焉”を描いたとも言えるこのエンディングはあまりにも哀しい結末ではないだろうか?
 この哀しみを際立たせるため笑いが或る意味で利用される本作において、笑いは目的ではなくあくまでも手段。ユーモアはペーソスのしもべ。
「emiko」はゆえにこそ多くの人にコメディとは認識されなかったのだ。
 本作がコメディと認識されづらいもう一つの理由として、作・演出家の作家性が強すぎることがあげられる。
 作家性とは何かと問われたなら、“名づけえない、もしくは、まだ名が与えられていない感情なり世界観なりを表現しようとする志向性”とでも言おうか。
 例えば、松尾スズキと三谷幸喜を比べるなら、松尾スズキのほうが遥かに作家性は強い。それは松尾スズキが、便宜上「人間の暗部」などと呼ばれているがそのじつ既存の言葉では言い表せない何ものかを表現しようとしているからで、同じような傾向は本作の作・演出家にも認められる。
 表現しようとしているものは松尾スズキと異なろうとも、“まだ名を与えられていない何か”を表現しようとする意志において両者は共通している。
 ここでとりあえず「センチメンタリズム」「哀切さ」「痛切味」などといった言葉で表現したものは本作で保木本氏が表現しようとしている何ものかに似て非なるもので、上に挙げたような陳腐な言葉では言い尽くせない何ものかを表現したいからこそ保木本氏はこの作品を作った。その結果、本作はコメディの枠を踏み越える魅力をはらんでしまい、結果、コメディとは見なされなかったのだ。
 松尾スズキ率いる大人計画が爆笑を呼ぶ作品を作っていながらあまり“コメディ劇団”と称されることがないように、たとえ多くの笑いを生もうとも笑いを超える何ものかのほうが勝っている作品は軽々にはコメディとは呼ばれないのである。
 第一回「黄金のコメディフェスティバル」はコメディと聞いて多くの人がイメージしそうな騒々しい作品が目立ったが、静かなコメディがあってもいいし、コメディなのかどうか判然としない境界的な作品があってもいい。
 開催がすでに決定しているという第二回のコメフェスではより多くの、そしてより多様な作品が上演されることを望む。
 
死が二人を分かつまで、愛し続けると誓います(黄金のコメディフェスティバル最優秀作品賞、受賞)

死が二人を分かつまで、愛し続けると誓います(黄金のコメディフェスティバル最優秀作品賞、受賞)

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアター風姿花伝(東京都)

2013/08/17 (土) ~ 2013/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★

危ない橋を渡りぬき栄冠奪取!
「黄金のコメディフェスティバル」千秋楽ぶっ通しスペシャルで観た本作、かなり危ない橋を渡ったチャレンジングな一作だったと思う。コメディコンペの出品作としてはいささかホロリ要素が強すぎるようにバルブには感じられたのだ。あとわずかでもホロリ要素が強かったら全6作品を観て投票権を得た観客たちも、そして5人の審査員も本作をコメディとは見なさず、多くの票は集められなかったかもしれない。しかし、ホロリ要素が許容範囲内にギリギリ収まっていると多くの投票者が判断したのか、蓋を開けてみれば最優秀作品賞と観客賞をW受賞! ホロリ要素が強かったとはいえ、千秋楽スペシャルでいちばん笑いを取っていたのは間違いなく本作だったし、バルブもこの作品が最も栄えある2賞を受賞してホッとした次第。バルブにはホロリ要素が濃すぎると思えたものの、作・演出家がおそらくは多少の不安を感じながらも“えいっ! これで良し!!”とした笑いとホロリの配合バランスは結果、間違っていなかったのだ。
 この好バランスが作・演出を手がけた吹原幸太氏の類稀なる脚本力の賜物であることは言うまでもない。

ネタバレBOX

 点滴が手離せない瀕死の高齢者、黒人、山の神。三姉妹が意表を衝く彼氏をいちどきに紹介してお父さんを驚かせる爆笑モノのシーンから始まり、涙腺を緩ませずにおかない感動的なシーンで終わる本作。
 落差のありすぎるオープニングとエンディングをみごと一本の線でつないでみせた吹原氏のストーリーテリングの巧みさにまずは喝采を送りたい。
 しかも、話をきちんと前進させつつ随所に無理なく織り込んである無数の小ネタはどれもハイレベルで、その中には他団体がほとんどやらなかった時事ネタも。「お前、罰として×××で働かせるぞ!」という、今話題のブラック企業を皮肉るそれこそブラックなネタもあったりして、これにバルブをはじめとする観客が爆笑したのは言わずもがな。
 バルブが演劇、中でも笑劇を好んで観る理由の一つとして“今を感じたいから”というのがあるのだが、時事的なギャグを入れられるのは生モノである演劇固有の強みで、映画やドラマではここまで即時性の強い時事ネタは不可能なのに、この強みを他の参加団体がほとんど生かさなかったことには大いに疑問。あるいは“古典的名作”を志向していて、後代まで残すには時事ネタは邪魔と判断したのかもしれないが、それは後代の演出家が時事ネタ部分を折々の世相を反映した別の時事ネタに差し替えれば済む話ではないか! 好みもあろうが、笑劇団が時事ネタをやらないのはバルブとしてはただの怠慢だと思う。
 ただ、時事ネタをやらない代わりに他団体も8割世界を除き下ネタには積極的で、本作の数多い小ネタの中にも下ネタは少なからずあるのだが、下ネタの見せ方はPMC野郎が群を抜いて上手かった。
 トンネル突入前の新幹線と突入後の新幹線の写真を交互に見せてSEXを表現したり、「大きくなった」というセリフを「下ネタ!?」と誤解した黒人に対し別の誰かが口の前で人差し指を振ってみせてそれが誤認であることを教え諭すという“メタ下ネタ”とも言うべきギャグがあったり、どの下ネタにも“ひと捻り”があるのだ。
 ひと捻りがあるといえば、エンディングもそう。
 冒頭で意表を衝く彼氏を娘たちに紹介される“お父さん”は霊視能力を持つ画家の叔母を尊敬していて、本作は幽霊が見えるその叔母と先に逝った夫の悲恋譚。
 夏には必ず連れ立って避暑地のホテルに出かけ、そこに住まう奇妙なお化けたちと騒動を繰り広げながらも仲良く過ごす親密な2人だったが、妻が他の男と会っているのを偶然見た夫は死者である自分に妻が不満を感じているのだと早合点して妻のもとを去る。
 それから40年―。すでに80歳を超えて余命わずかなはずの妻をひと目見たくなった夫がかつての愛の巣を訪ねると、「引っ越したら見つけ出せなくなるから…」と妻は相変らずそこにおり、涙ながらに言う。「遅すぎたわよ。私、独りでずっとここで待ってたのよ…」
 ひと捻りはここにある。
 ここで終わればサッドエンディングとなるわけだが、涙する妻の背後からはかつて夏をともに過ごしたお化けたちが満面の笑顔でゾロゾロと出てくるのだ。
 涙する妻の背後からお化けたちが現われるくだりは本編のラストシーンとも取れるし、カーテンコールの導入部とも取れる。つまり、吹原幸太氏はラストをお涙エンディングと受け取るかおバカエンディングと受け取るかを観客の判断に委ねたわけだ。
 事実、エンディングの受け止め方は分かれたようで、審査員の1人であるカンフェティ取締役の方はこれをお涙エンディングと、ラッパ屋の鈴木聡氏はこれをおバカエンディングと捉えたことが審査コメントから窺えた。
 ちなみにバルブは後者だったが、もしも本作がサッドエンディングとしか受け取れない終わり方をしていたらグランプリが取れたかどうか…。その終わり方だと多くの投票者が本作をコメディとは捉えず、結果、得票が減って栄冠は別の作品に渡っていたかもしれない。
 そう考えると、あらためてこう思わざるをえない。
 PMC野郎は、本当に危ない橋を渡ったんだなぁ……。
『狸のムコ入り』【黄金のコメディフェスティバル2013準グランプリ受賞作品!!!】

『狸のムコ入り』【黄金のコメディフェスティバル2013準グランプリ受賞作品!!!】

8割世界【19日20日、愛媛公演!!】

シアター風姿花伝(東京都)

2013/08/16 (金) ~ 2013/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★

憎めない一作
「黄金のコメディフェスティバル」千秋楽ぶっ通しスペシャルにて観劇。江古田のガールズ「大勝利!」、電動夏子安置システム「EZ」、犬と串「クイニーアマン~言いたいだけ~」に続いて4番目に上演された本作を観て痛感したのは、こうしたコンペでは上演順が評価を大きく左右するなぁ、ということ。話が込み入ってたり、やたら騒々しかったり、くつろいだ気分で観られる作品がそれまでに1本もなかったところへほのぼのテイストのこの作品がきて、少々疲れていたバルブはホッとした心持ちで本作を鑑賞。単独で評価するなら3つ星半くらいが妥当だと思われる本作に4つ星をつけたのは、事程左様に上演順によるところが大きい。
 そうは言っても、好感の持てる作品だったのは間違いのないところ。なんだか可愛いお話でした。

ネタバレBOX

 ある一家の長女が彼氏との結婚を父親に認めてもらおうと悪戦苦闘するホームコメディ。
 内向的で社交性に乏しい彼氏は長女が父親に引き合わせた際、粗相を繰り返し、結婚話は暗礁に乗り上げかけるが、ここで長女は大学時代の演劇部仲間である男友達2人を巻き込んで或る悪だくみを敢行。
 彼氏を再び父親に引き合わせる際、別の求婚者に成り済ましてもらった2人にも立ち会ってもらって彼氏以上のダメ男を演じさせ、彼氏の評価を相対的に引き上げて結婚を認めさせようとするのだ。
 …というストーリーはありがちながら、堂々と力強くダメっぷりをアピールするニセ求婚者2人がかえって父親に気に入られたりするくだりなどは観客の素直な笑いを誘い出し、思わずバルブもニンマリ。
 こういうドタバタ色の強いシーンがあるかと思えば、父親が今は亡き妻と会話する思わずホロリな幻想的シーンもあり、さらには中盤からちょっとしたどんでん返しがあったりと緩急のバランスもよく、なかなかの好編でした。
 本作をそんな好編たらしめていたのはなんといっても配役の妙。
 本フェスティバルの出演者のうち5人しかもらえない優秀俳優賞をみごと手にした凪沢渋次の頑固者ながら実は気のいいお父さん役もキャラに合っていて良かったし、主役の長女を日高ゆいに演じさせたのも適切な判断。彼女の清楚で飾り気のないキャラクターはどこか牧歌的な本作にドンピシャ調和し、作品の完成度を引き上げていた。
 彼女を看板女優とするこの劇団には、こういうほのぼの風味の作品が似つかわしい。
クイニーアマン~言いたいだけ~

クイニーアマン~言いたいだけ~

INUTOKUSHI

シアター風姿花伝(東京都)

2013/08/15 (木) ~ 2013/08/25 (日)公演終了

満足度★★★

ワンアイデアで40分は長い…
 黄金のコメディフェスティバルで観劇。ワンアイデアで最後まで引っ張り抜く、犬と串らしい一作。つい最近行われた短編オムニバス公演「ミニスカーツ」もワンアイデアものが目白押しだったが、あれは一作ごとの上演時間が長いものでも20分程度だったのでなんとか耐えられたものの、本作は40分。正直、途中でダレてしまった。

ネタバレBOX

 人がそのカッコ良さに惹かれてしばしば口にしがちな紋切り型のフレーズを面白がってやろう! ひいては、そんなフレーズを口にしたがる人間というヤツを面白がってやろう!
 その思いつきだけで延々40分も引っ張った一作。
 当然の結果として途中から間延びしてしまった上、そもそも、人が“言いたいだけ”で発する言葉としていくつかの寸劇で例示された「世界は汚い」をはじめとするフレーズのほとんどが弱かった。
 エレキコミックとラーメンズの片桐仁がやっている深夜ラジオに“漫画やドラマに頻出するカッコいい定番フレーズ”を募集するコーナーがあるが(今も続いているのかな?)、
そこで紹介されるフレーズに比べると“あるある度”がうんと弱いし、そのコーナーには“あるある度”が高い上に本作より面白いフレーズがたくさんリスナーから送られてくる。
 作・演出家はもっとフレーズを吟味すべきだったと言わざるをえない。
 作・演出家みずからが登場して“演劇人が言いがちなフレーズ”を口にする寸劇でも、
「90年代演劇へのアンチテーゼですね」をはじめ、フレーズが弱かったのは同様。
 シアター風姿花伝には演劇ファンが大勢詰めかけていたわけだから、できれば演劇ファンにしか分からない、もっとマニア受けしそうなフレーズをチョイスして欲しかった。
 もっと言うなら、人が“言いたいだけ”というただそれだけの理由でカッコ良さげな定番文句を口にする事ってそう頻繁にある事だろうか?
 もしそう思うのだとすれば、作・演出家の人間観はいささかペシミスティックに過ぎる。
 …というこのフレーズ自体、“言いたいだけ”で言ってるような気がしなくもないが、やっぱりそんな事はない。これはバルブの率直な思いです。 
江古田のガールズpresents「大勝利!」

江古田のガールズpresents「大勝利!」

江古田のガールズ

シアター風姿花伝(東京都)

2013/08/16 (金) ~ 2013/08/25 (日)公演終了

満足度★★★

話を進める事に汲々としてた印象
 あれだけ込み入った話を40分に凝縮してテンポよく見せていく技量には感服。
 ただ、ストーリーを進めることに汲々としている印象で、観ているこちらも展開がめまぐるしすぎて少々疲れてしまった。
 もう少しストーリーをすっきりさせて、その分もっと遊びを入れても良かったのでは?
 それから、文学座のベテラン役者を主軸にした平均年齢の高い座組みは“新進劇団のコンペ”という趣の強い黄金のコメディフェスティバルにはそぐわなかったような…。もっとフレッシュさが欲しかった。ストーリーも少々古風だった気が…。

ネタバレBOX

 公演紹介文に“話が二転三転するお芝居”といった記述があって、タイトルが「大勝利!」というのはいかがなものか?
 お陰で、いろいろあった末にめでたい結末を迎える話だということが読めてしまい、実際、話はその通りに展開。
 もしも話をスケールアップして再演するような機会があったら、タイトルは変えたほうがいいかも。
音楽家のベートーベン

音楽家のベートーベン

ダックスープ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/26 (火)公演終了

満足度★★★★★

ナンセンスは時空を超える
 面白い。
 ナンセンスコメディを観ていると無意味の連続に食傷してくることがままあるが、本作は現実原則に支配されないナンセンス劇の利点が生かされ話が時空を超えて展開するため、シーンがどんどん切り換わって飽きることがなく、最後まで楽しく観られた。

ネタバレBOX

何せ時空を超えて、それどころか現実と幻想の垣根さえ飛び越えて話が展開するので、18世紀のヨーロッパで幼少期のベートーベンがピアノの猛稽古をしたり、現代日本のフリーター青年の家にモンゴルからアイデアが届いたり、世代も性別も様々な現代の日本人がある場所に集められて“人が人を裁くことの意味”について黙々と考え、結論に至った順に弁当をもらって帰ったり、本作にはそれこそ色んなシーンが登場し、シーンごとに色んなタイプの笑いが楽しめるのだが、笑いながらも唸ってしまったのが常識の恣意性をあぶりだして可笑しみを生み出す現代日本の(と念のため書いておきます(笑))ラーメン屋のくだり。
 常連客の主婦に家族の事故死を知らせる電話が入り、涙にくれていると、しばらくして「生き返った」との報。病院は生死の境をさまよう家族の容態をその後も小まめに伝えてきて、やがて家族は事切れるが、主婦は死んだり生き返ったりを繰り返して絶命した家族が再び甦ることを祈って「また生き返ったら伝えてくれ」と依頼。ほどなく「また生き返って、死んだ」と告げられた主婦は大いに呆れ、「けっきょく死んだのなら連絡は省いていいです…」と力なく言って電話を切り、その報を最後に家族は帰らぬ人となるのだが、注目すべきはこのくだりで二種類の常識が相克していることだ。
 一つは、“起きたことは小まめに伝えるべし”という常識。ビジネスの世界で“報告・連絡・相談”を略した“報連相(ほうれんそう)”という言葉が幅を利かせているのは誰もが知る通りで、面倒がらずに現状を逐一伝えることは世の中の広範な領域で“良きこと”とされている。
 もう一つは、“人の生き死にを軽々しく扱うべからず”という常識。死が確定して動かぬものとなる前に死んだの生き返ったのと小まめに報告して病人の家族を一喜一憂させることはこの常識に抵触する。
 この場合、大多数の人間は後者を前者の常識に優先させるのだが、一種の迷惑電話をかけ続けてきた病院関係者は前者の常識を後者よりも重んじたわけである。
 主婦はあくる日もまた常識の優先順位を知らない者に往生させられる。
 前日に引き続きラーメン屋を訪れて家族の死のショックからおいおい泣いていると、店に居合わせたある男が涙する主婦を不審がるのだ。
 前夜も主婦とともにラーメン屋におり、主婦が家族を亡くしたことを知っているはずの男は彼女が泣く理由(わけ)を解さず、「どうして泣くの?」と再三尋ねて彼女を鼻白ませる。
 ここにも二つの常識の相克がある。
 一つは、“近親者の死をはじめショッキングな出来事を体験した者は日をまたいで泣くこともありうる”という常識。
 もう一つは、“人間の喜怒哀楽は現在進行中の出来事によって引き起こされるものだ”という常識。人がテレビを観て笑うのはテレビの中で“今まさに”可笑しなことが起きているからであり、人が悲しむのは“今まさに”悲しみを喚起する出来事が起きているせいだというわけだ。
 男にあっては2つの常識のうち後者が優先される。ゆえにこそ、悲しいことが“今現在は”起きていないラーメン屋で主婦が泣くのを理解できないのだ。
 このように2つの常識がかち合う場合、どちらが優先されるべきかは慣例に照らして適宜判断されるのだが、通常とは逆の判断が下された場合にどんな事態が起きるのかをラーメン屋のくだりにおいてブルー&スカイは描いてみせたわけである。
 むろん、どちらの常識が優先されるべきかは慣例といういささか頼りないものに従って決められるばかりで、絶対的な判断基準というものは存在せず、その意味で常識なるものは多分に恣意的なものだと言わざるを得ない。
 よりにもよってTPOにそぐわないほうの常識が幅を利かせるこんな“もしもワールド”を描こうという発想はこのあやふやなる常識というものをその外から冷めた目で眺める視線を備えていないと出てこない類のもので、常識にすっかり呑み込まれているバルブはそのような視線を備えるブルー&スカイに畏敬の念を抱きながらこのラーメン屋のくだりを大いに満喫したのである。
 これほど良く出来たナンセンスコメディに出会えただけでも幸運なのに、加えて本作には延増静美という美しすぎる女優が登場。このタイプのお芝居にここまで綺麗な女優が出てくるとは思いもよらなかっただけに、バルブの喜びはいかばかりだったか!
 しかも見目麗しい彼女が美女らしく優雅に演技をこなしながら真顔でボケるのだから、ギャップも手伝い、バルブはその美貌に見惚れながらも大笑い!!
 美女を見ながら笑う。
 男にとって、これ以上の幸せが果たしてあるだろうか!?
focus#3 円

focus#3 円

箱庭円舞曲

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/28 (木) ~ 2013/03/11 (月)公演終了

満足度

演出に疑問
 「円」をテーマにしたこのオムニバス公演、無駄に長い間(ま)が随所にあってイライラさせられました。
 それに、ある作品である女優が発した「ニャ~!」というセリフ。まったく必然性が感じられなかった。
 この間(ま)はそもそも必要なのか?
 必要だとして、長さはどれくらいが適当か?
 このセリフは本当に残したほうが良いのか?
 劇を作る上での一つ一つの判断を演出家はもっと慎重に行うべきだろう。
 唯一の舞台美術として存在感を放っていた、廃物をコーン状に積み上げたオブジェにしても劇の内容との関連が無きに等しく本当に必要だったのか大いに疑問。あれが舞台中央の目立つ場所に置かれていた意義が私にはまったく理解できなかった。
 それから、本作については「コント集」という評価もあるようですが、コントとしても不出来な作品が多数。とりわけTrack3「マドンナー先生」はオチが甘すぎ! 必死にコントを作ってるお笑い芸人が観たらきっと怒りますよ!!
 もっと根本的な事を言えば、そもそも作品全体が「円」というテーマとあまり噛み合っていない。
 当日パンフでは作・演出家がこの「円」というテーマについてあれこれと紙幅を割いて述べているが、劇の内容はさほど「円」を感じさせるものではなかった。
 当日料金3千ウン百円で本作を鑑賞した私は観劇後、なんだか損した気分になったのだ…。

「バカの瞳はもれなく綺麗」

「バカの瞳はもれなく綺麗」

GORE GORE GIRLS

北池袋 新生館シアター(東京都)

2013/08/06 (火) ~ 2013/08/11 (日)公演終了

満足度★★★★

要注目劇団
 面白い。
 端的に言えば、思うところあって東京から都落ちした垢抜けた美青年を石川県某市の若い男女6人組がおちょくり倒し、おちょくり返される話。ま、双方のどちらにも“おちょくってる”という意識はないのかもしれませんが、結果的におちょくっているという…。
 本サイトでの批判を受けて直したのか、演技はちゃんとメリハリのついた真っ当なものになっていて(バルブにはそう見えました)、まともな人間が一人も出てこないこのおかしな劇をより面白くしていた印象。己の異常性への自覚がまるでない一見まともな人間たちが時に語気を荒らげ、時に冷静に自説を主張し合うズレた会話は爆笑モノでした。
 何より、タイトルにも表れている通り、作・演出の西山さんの言語感覚が秀逸!
 この劇団、今後、大バケする可能性も…。
 ただ、衣裳や美術へのこだわりの無さがバルブ的に少々気になったので星は4つ。
 衣服にはほとんど頓着しないバルブが役者の衣裳に厳しい目を注いでしまうのは自分としても不思議ですが、それはバルブが他の多くの演劇ファン同様、お芝居というものに非日常を求めるせいでしょう。
 役者は平均的な一般人よりいくらかマシな恰好をすべき。でないと日常に引き戻されちゃう。
 それに、男性客は女優を、女性客は男優を、どうしたって異性として見るわけだから、女優には女として、男優には男として光り輝く恰好をさせたほうが客はやっぱり喜びますし。
 例えば、ネルシャツにズボンという丸川役を演じたある女優さんの恰好。もっとガーリーな恰好をさせればより素敵に見えたに違いなく、男性客はより良い心地で劇を楽しめたはず。
 高級ドレスを着せろとか、そんなことは申しません。今回の劇で女優がドレスなんか着てたら場違いですし、和服でもまずい。
 まあ、女子大生が部屋に友達を呼んでバカっ話を繰り広げる会話劇だったりすればネルシャツにズボンのほうがくつろいでる感じが出てむしろ良いのかもしれませんが、本作はそういう芝居ではなかったし、より女らしく見えるようスカートにブラウスとかでも良かったのではないでしょうか?
 スカートだとUFOに見立てたテーブルを下から持ち上げるシーン(←観てない方には何を言ってるのかさっぱり分かりませんね…)で不都合が生じるとか、そういった事情もあったのかもしれませんが、上手く動きをつけてあげれば問題は回避できたはずです。
 要するにバルブが言いたいのは“衣裳にも最低限の気配りを!”ってこと。
 いや、それどころか、先鋭的な笑いを追求する貴団の作風からして衣裳には並の劇団以上にこだわってオシャレなイメージをつけたほうが女性客がつきやすくなって劇団経営という観点からは得策かもしれない。
 例えば、犬と串。同じく笑いへの追求心が強いあの劇団が売れつつあることには衣裳や美術がオシャレであることが少なからず寄与しているようにバルブは思うのだ。
“オシャレなんて糞食らえ!”を基本的なファッション観にしているバルブが“もっとオシャレに!”などとヌかしていることに我ながら驚きますが、あまりに衣裳がイケてないと服装に気を取られて芝居の中身が頭に入ってこないということにもなりかねないので、少なくともそうならない程度には衣裳にも心配りを! とりあえずこれだけは言っておきたいです。
 
 

ベッキーの憂鬱

ベッキーの憂鬱

ぬいぐるみハンター

駅前劇場(東京都)

2013/08/07 (水) ~ 2013/08/14 (水)公演終了

満足度★★★★

冒頭の一文に他意はありません
 女子高生がいっぱいでした。
 彼女達のように夏休みを利用して観に来る演劇ビギナーの学生客を強く意識して作られたのか、本作は彼女達が日々を過ごしている学校を舞台にした「学園ミュージカルコメディー」ともいうべき取っつきやすくて娯楽性に満ちた一作でしたが、女子高生にはチョイきつめの下ネタやチョイむごめのブラックジョークを含む大半がアベレージ超えのギャグがテンポよく飛び交い、お笑い好きなバルブは初見の劇団ながら楽しく鑑賞。
 バルブのような成人男子向けのサービスなのか、スタイル抜群の竹田有希子さん扮するドSの生徒会長がミニスカからスラリと伸びた黒スト美脚を見せつけるだけにとどまらず、ブラウスを脱いでヒョウ柄ビスチェに覆われた胸の谷間とピアスが淫らなおヘソをさらすシーンもあって、これには度肝を抜かれたものの、恥ずかしがって目を背けても勿体ないだけなのでしっかりガン見させていただきました。

ネタバレBOX

 前半は、ホームルーム、部活、保健室、校庭のウサギ小屋など、学校ならではのシチュエーションを舞台にした小スケッチの数珠つなぎといった趣。クスクス笑える小ギャグはあっても大笑いには至らず、飢餓感が募ってくるが、後半に至ると前半の小ネタ群が有機的に絡みあって物語がうねり出し、クラスメートが一堂に会してのグルーヴ感あふれるドタバタ劇に。不良として恐れられていた男生徒が実はイイ奴だったと判明するくだりなど爆笑を誘うシーンが相次ぐなかクラスメートはある共同作業を通じて結束を強めていき、
みんなで目的を遂げて高揚感がMAXに達すると、やがてちょっとホロリなラストシーンを迎える。
 ラストシーンは冒頭シーンの反復で、女生徒達が天を仰いでベッキーに呼びかけながら“スローなパラパラ”とも言うべき奇妙な踊りを踊るのだが、冒頭で演じられた際には意味不明だったこのシーンは“ベッキーがどうなったのか”が明らかになったあと最終盤で再度演じられることで最初に演じられた時には喚起されることのなかった切なさを呼び起こし、滅多に緩まないバルブの涙腺もユルユルに。女優達の憂わしげな表情、夕刻を思わせる黄味がかった照明、天に向かって放たれる詩的なフレーズ……などなど色んな要素が結び合って琴線をふるわせてくるこのシーンを生み出すことが出来たのは池亀三太氏の類稀なる演出力の賜物と言えるだろう。
 この劇団は演出家も凄けりゃ役者も凄い。
 ぬいぐるみビギナーであるバルブの目をとりわけ惹いたのは「怪優」とも称される神戸アキコ。彼女の持つ華、そして求心力はブレイク前夜のワハハ本舗における久本雅美を彷彿させる。
 かてて加えて、安心して見ていられるその演技。
 彼女の安定度抜群の演技のお陰で、いささか狂躁的に過ぎるこの劇が地に足のついたものになっていた。
Weekly2【マザーフッカー】

Weekly2【マザーフッカー】

アヴァンセ プロデュース

「劇」小劇場(東京都)

2013/08/06 (火) ~ 2013/08/11 (日)公演終了

満足度★★★★

光瀬指絵さん!!!
 デリバリーヘルスの控え室を舞台に、6人のデリヘル嬢が女であることの素晴らしさに対話を通して目覚めていく、女性自身による女性讃歌。

ネタバレBOX

 何より、逃げた男に子供や借金を押しつけられて金のいいセックスワークに従事する彼女達がそれぞれの人生を回顧しながら時に取っ組み合いまでして繰り広げる“女性論”が紋切り型に堕してないのがいい。
 加えて、構成の妙。四部構成(だったかな?)の本作は各パートが“ここぞ!”というベストな頃合いで締めくくられ、しかも暗転に入るタイミングが絶妙。こんなに心地よい暗転を体験したのは何年ぶりのことか!
 一番のお目当てだった光瀬指絵さんは中性的なたたずまいと抜群の演技力でいつもながらにバルブを魅了。
 今回の座組みに役者魂の塊のような光瀬さんがいてくれたことは作・演出の坂上さんにとってとても心強かったに違いない。
 惜しかったのは、嘉門洋子さん演じる女性が子供時代の自分からあることを問われるラストシーン。
「あなたの夢は…何ですか?」女性はこの問いかけに「……」と言葉を詰まらせるのだが、何か観客の胸を刺す一言を返していればこの劇はさらなる感動を呼んだと思う。
タイム・アフター・タイム

タイム・アフター・タイム

天才劇団バカバッカ

ザ・ポケット(東京都)

2013/07/31 (水) ~ 2013/08/04 (日)公演終了

満足度★★★★

恐るべき終盤力!
“ハートフル・ディザスター・コメディ”と銘打たれた本作。
「ハートフル」と「ディザスター」と「コメディ」。
異質な三者はなかなか溶け合わず、一時はどうなることかと思いました。

ネタバレBOX

が、最後は三者を力技でまとめ上げて爆笑のうちに終幕。「とっ散らかったこの話を果たして収束させられるのか!?」とハラハラしながら観ていただけに、話になんとかオチがついて笑いながらカーテンコールを目にした時のカタルシスったらなかったです。

ライクアプラスチック

ライクアプラスチック

あひるなんちゃら

ザ・スズナリ(東京都)

2013/07/19 (金) ~ 2013/07/21 (日)公演終了

満足度★★★

こぢんまり
※感想はすべてネタバレBOXに記しました。

ネタバレBOX

 こぢんまりしすぎていた、というのが率直な感想。
あひるなんちゃらを観始めてもう5年になるし、その作風は心得ているつもりだが、それにしても今作は話に波がなさすぎた。
 私が観た回の前説をしていた堀靖明さんが言っていたように、「これといった盛り上がりがな」く、ドラマ性に乏しいのがあひるなんちゃらの劇世界だし、それでも起こる小さな出来事をめぐって大なり小なりの欠陥を持つ人間たちがバカバカしいやり取りを繰り広げ、罪なき愚行に走るこの劇団の作品世界を私は愛してやまない。
 その“小世界で起こるアホ話”に魅せられてきた私にさえ物足りなく思えるほど本作はちんまりしていたのだ。
 思い返すに、私が最初に観たあひるなんちゃら作品『父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景』や次の『フェブリー』は近作よりもいくらか劇的だったし、いくらか賑やかだったように思われる。
 近作は一場物が目立つのに対して、船内での騒動を描いた『フェブリー』では貨物室、客室、調理場など舞台となる場所がつぎつぎ移り変わる上、船外の場所、たしか波止場を舞台にしたシーンもあったはずだし、密航者であるバンギャル3人が貨物室でヘッドバンキングの練習をするシーンをはじめドタバタ要素の強いシーンも多く、その賑々しくもバカバカしい劇世界を私は大いに堪能したものだ。異儀田夏葉と篠本美帆演じる2人の女幽霊が「ブス!」「デブ!」などと海上で互いを罵りあう珍妙なシーンがあったのも確かこの作品ではなかったか。
 『父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景』は『ライク・ア・プラスチック』同様に一場物だったと記憶しているが、今作よりも人の出はけが激しく、舞台となる家庭におかしな人物が次々やってきてはくだらない騒動を巻き起こす物語はこの劇団を特徴づける“頓痴気な会話”をベースとしながらも「会話劇」の枠に収まらない躍動感に満ち、今作『ライク・ア・プラスチック』と観比べると作風の変化を感じずにはいられない。
 いや、こりっち内の別の場所にも書いた通り、ドタバタに頼りすぎず“会話の妙”で可笑しみを生み出すところにあひるなんちゃらの長所はあり、『父親が~』と『フェブリー』の2作品もベースは会話劇なのだが、ここ最近の数作は「会話劇」の枠内にお行儀よく収まりすぎているきらいがあるのだ。
 思えば、意図せざるものか意図したものかは不明だが、『父親が~』にも『フェブリー』にもいわゆる“見せ場”がいくつか用意されていた。『フェブリー』では上記のバンギャルのシーンがその一つだし、『父親が~』では“他人のケータイに届いた迷惑メールを読み上げるのが趣味の男”が舞台となる家庭に来て家族を混乱に陥れるシーンがその一つに数えられる。
 “ある場所に色んな人物が訪ねてきては小騒動を巻き起こす”という『父親が~』と同じ劇構造を持ちながら今作『ライク・ア・プラスチック』が『父親が~』より物足りなく思えるのは、“ドタバタに頼りすぎないのが長所”などと書いておいてこんなことを言うのもアレだけれど、今作に『父親が~』ほどの躍動感や賑々しさがないせい、バカバカしい見せ場がないせい、そして『父親が~』のケータイ男のような“頓痴気が極まった人物”が出てこないせいだろう。
 さらに言うなら、主人公が設けられていることも今作がこぢんまりしてしまった遠因を成していると思われる。
 近作3本の中では最もドタバタ色が濃くまたバカバカしかった『ギプス不動産』にも、たびたび引き合いに出している『父親が~』にも『フェブリー』にも主人公と呼べるような人物は登場しない。
 一方、今作と前々作『ニアニア・フューチャ』では篠本美帆が主人公を演じ、漫画家に扮した今作でも女友達と無為な同居生活を送るフリーター(でしたっけ?)に扮した『ニアニア・フューチャ』でも主人公が些細な出来事を通じてある“気づき”に至って話が終わる。このように、主人公を設けると話は不可避的に主人公の成長譚の性格を帯び、いくらか真面目なトーンに支配され、いまひとつハジけきれないままに終幕を迎えてしまうのだ。
 こうなることを避けるためにも、今後の作品では出来ることなら主人公を設けないほうが良いのではないだろうか?
 以上、キビしいことを書いてしまったが、こりっち内の別の場所にも記した通り、作・演出の関村さんにはこれからますます活動の幅を広げてもらってゆくゆくは『やっぱり猫が好き』風のTVコメディを書いて頂きたいと願っているし、ああいうテイストのコメディが書ける作家は当代の日本では関村さん以外にいないと思われる。
 そして私は今後もあひるなんちゃらを観続けるし、ワンアンドオンリーの面白みを持つこの劇団の芝居が半期に一度のハイペースで観られるありがたみを忘れずにいようと思う。
 いや、そもそも、『ライク・ア・プラスチック』にしたって単体で評価するなら十二分に面白いのだ。だが、あひるなんちゃらにはこれを凌ぐ過去作品が多々あるために私は今作をそれらとの相関関係の中で価値づける相対評価に走らざるを得ず、結果、あまりいい点をつけられなかっただけのこと。
 そう、私はあひるなんちゃらを知りすぎてしまった男なのだ。
『静かな一日』

『静かな一日』

ミクニヤナイハラプロジェクト

吉祥寺シアター(東京都)

2013/02/14 (木) ~ 2013/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★

感動!
 躍動的な演技、精緻に造形された舞台美術、適切な音響・照明…。演劇は総合芸術なのだと再認識させてくれる素晴らしい舞台でした。

アガリスクエンターテイメントコーヒーカップオーケストラ

アガリスクエンターテイメントコーヒーカップオーケストラ

Aga-risk Entertainment

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2013/06/29 (土) ~ 2013/07/06 (土)公演終了

満足度★★

期待外れ
 コーヒーカップオーケストラの宮本さんが犬と串に客演してしていたことから興味を持って観に出かけた、2団体が駅をテーマに競作および共作をしたこの公演。正直、期待外れでした。
(ネタバレBOXに続く)
 

ネタバレBOX

 まず、アガリスクエンターテイメント(以下、AE)の冨坂友さんが作・演出を務めた、「シチュエーションコメディ レクイエム」と題された一編。
 シチュエーションコメディが得意だというAEの冨坂さんが手がけたこの中編は残念ながらシチュエーションコメディとは呼びがたい代物だった。
 コーヒーカップオーケストラ(以下、CCO)の宮本さん演じる大学生がサークル合宿をサボって浮気相手と遊んだ帰りに乗った電車で合宿帰りのサークル仲間と鉢合わせし、その中には本命の彼女もいて…という出だしはシチュエーションコメディの取っ掛かりとしては悪くなく、宮本さん演じる大学生のハジメは本命彼女と浮気相手がかち合わないよう悪戦苦闘する。
 いけなかったのはここからだ。
 ここからどう面白おかしく話を転がしてくれるのかと期待して観ていたところ、登場人物同士の頭がぶつかり合うと互いの心が入れ替わるというまさかのSF要素が導入されて、登場人物同士の心と心がどんどん入れ替わることにより生まれる混乱に話の眼目は移ってしまい、ハジメと2人の女がどうなるのかという三角関係ストーリーは物語の傍流に追いやられてしまうのだ。
 シチュエーションコメディというものは定義が曖昧らしいが、非現実的で荒唐無稽なストーリー展開が許されるナンセンスコメディと対をなす概念だとするならば、人物同士の心と心が入れ替わるというSF要素、『転校生』要素が入ってきた時点でそのドラマはシチュエーションコメディとして失格だろう。
 シチューションコメディの資格を失おうとも面白ければいいようなものだが、人物間の心の転移が相次いだ結果生み出されたのはただの混乱でしかなく、そこにさしたる面白味はなく、ある時点からは誰の体に誰の心が入っているのか見失ってしまったものの、それを頑張って見極めたところで労力に見合った笑いは得られまいと割り切った私はそれから終幕までの決して短くはない時間を廃人のように虚ろな目をしてただ漫然と舞台を見つめて過ごしたのだ。
 CCOの宮本初さんが作・演出を手がけた中編「ナイトステーション」は何をもって笑わせたいのかポイントが曖昧なうえ唐突な唾吐き、大して必然性のないケツ出しなどギャグとさえ呼べない単なるおふざけが頻出する大愚作。加えて、後藤慧のいかにもコメディコメディした上ずった演技がただでさえ笑えない本作をますます笑えなくしていた。
 最終作で冨坂さんの脚本協力を得た以外は宮本さんが全てを手がけた「トリッパー」はギャル女子高生たちのプエルトリコ旅行を面白おかしく描いた短編連作。女優たちがアーパーな女子高生を振りきれた演技で力演する本作はギャル女子高生とプエルトリコというミシンとコウモリ傘のような取り合わせがシュールでおかしく、また、つぎつぎ起こるトラブルをアホウなりに必死で解決しようと頑張るギャルたちの姿がオモシロかわいく、これだけは楽しめました。


根本宗子お祭り公演~バー公演がバーを飛び出した!~

根本宗子お祭り公演~バー公演がバーを飛び出した!~

月刊「根本宗子」

浅草木馬亭(東京都)

2013/07/08 (月) ~ 2013/07/09 (火)公演終了

満足度★★★★

オッサン率高すぎ!
 客席のオッサン率が異様に高い公演でした。
特に、昼夜通し観の客のみが座れる前方指定席。俺も含め、根本宗子の追っかけみたいなオヤジ達がほとんどを占め、観劇中、むさ苦しかったのなんのって。
 ただ、同じ追っかけでもタイプは2派に分かれ、演目と演目の合間、客席やロビーにたびたび姿を見せていた根本さんへ積極的に話しかける人たちがいるかと思えば、“私は純粋に公演を楽しみに来ました”てな顔して根本さんとの接触を一切取らない人たちもいて、後者の一人だった私はお聞きしたいことがいくつかあったにもかかわらず休憩時間中はずっとだんまり。
「役者さんて基本、運動神経いい人が多いんですか?」「月刊「根本宗子」の稽古にも肉練てあるんですか?」「次回公演『中野の処女がイクッ』って仮題ですか?」などなど、ぶつける価値大の質問をたくさん用意していたのに一つとして聞けずじまい…。
 客席には梨木智香さんのお母様のお姿もあり、「梨木の母でございます」と自らカミングアウトするほど気さくなお母様と周囲のお客さんとの会話を耳をダンボにして盗み聞きして得た情報によれば、お母様は娘さんの公演の大半を観てらっしゃるとのこと。そんなお母様にぜひともお聞きしたかった以下のこともチキンな俺には結局聞けずじまいだった。
「梨木さんてシャンプーハット時代はどんな演技してたんですか?」
 あぁ~、知りたかったよぉ~~、この質問への答え。
 というのも、月刊「根本宗子」の劇団員としての梨木智香には根本宗子による明確なキャラ付けがなされていて、プレ“月刊「根本宗子」”時代の梨木嬢がどんな演技をしていたのかまったく見当がつかないのである。
 これは劇団主宰者としての根本宗子がいかに梨木智香という役者をきっちり劇団カラーに染め上げたかの証左といってよい。これまでいろんな演出家のもとでいろんなタイプの演技をしてきたに違いない役者としての梨木智香の歴史が無に帰されるほど徹底的な演技改造が根本宗子によって行われ、梨木智香は、バー公演以外でも笑いに大きなウエイトが置かれる月刊「根本宗子」仕様の役者へと、この劇団仕様のコメディエンヌへと生まれ変わったのだ。
 ただ、梨木智香は根本宗子の期待に応えすぎた。期待に応えて面白くなりすぎた。
「くだらないことをやるためだけに始めた」と根本宗子が言うバー公演の過去作品から自信作を選りすぐり、新作1本を加えて連続上演した今回のイベントで梨木智香に過重な負担がかかってしまったのも、客を笑わせること、楽しませることに重きが置かれたこのイベントがコメディエンヌ梨木智香におんぶに抱っこしないことには成り立たなかったからに他なるまい。
(ネタバレBOXへ続く)

ネタバレBOX

 現に、梨木智香が出演した4作品はどれも面白く、また笑えた。もはや十八番の役柄と言ってよい“勝ち気でめんどくさいアラサー女”を演じた「ひかる君ママの復讐」「喫茶室あかねにて」「改正、頑張ってるところ、涙もろいところ、あと全部。2013年初夏」は言うに及ばず、妖艶キャラという新キャラを付けられてまさかの壇蜜(笑)を演じた新作「はなちゃん」もおかしかったのなんの。梨木さんの出番が少ない「はなちゃん」でしたが、やることをやってお役御免となった壇蜜こと梨木さんがすぐにはハケず、しばらく舞台に残り続けて意味なくセクシーポーズをキメていたのが個人的にはとってもツボでした。
 …と、梨木智香の大活躍もあって私にとっては十二分に楽しめた今回の木馬亭公演だが、
引いた目で客観的に捉えなおすと「これでいいのか!?」と疑問を抱かざるをえない点も。
 私はこの公演を客観視するため、“観劇初体験の友人を誘って観に行ったらどうなっていただろう?”と考えてみたのだが、5演目中3演目が“演劇バックステージもの”だった当公演を演劇に暗い友人が楽しめただろうかと考えると、答えは“否”だ。
 やはり演劇バックステージものだった「ひかる君ママの復讐」終演後にロビーで喫煙していた演劇ビギナーぽいお兄ちゃんが陽気で気さくな売り子さんに感想を求められて返した言葉を私は今でも覚えている。
「よく分かんなかったス」
 そうなのだ。演劇ファンにとっては面白くてならない演劇バックステージものは門外漢にとっては“よく分からない”劇でしかないのである。
 幕間のトークで根本さんは「梨木さんの当たり役“貧乏劇団員の美津恵さん”を今後封印するかもしれない」と言っておられたが、
月刊「根本宗子」をもっと大きな劇団にしたいのならばこれは賢明な判断だと言えるだろう。
「よく分かんなかったス」のお兄ちゃんみたいな人をも巻き込んで動員を増やさないことには月刊「根本宗子」は大きくなれないし、
演劇門外漢を新規のファンとして取り込むには内輪ウケ要素の強い演劇バックステージものは完全封印するか、たまにやるくらいにとどめないとまずい。
 昼の部と夜の部、それぞれの最後に演劇バックステージものではない新作「はなちゃん」が演じられた意義は以上のような観点からも大きかったと言えよう。
 まずもって、修学旅行で東京に来た関西女子高生3人組が主役というのが取っつきやすくて大衆性があったし、クラスのハミ子である3人が、学生時代に同じくハミ子だったものの今は東京の旅館でイキイキと仲居をしているお姉さんに憧れ、“素晴らしすぎる仲居のお仕事”を教えてもらうというストーリーはあまりにくだらなかったけれど誰もが笑える一般性があったし、ハミ子トリオの1人が大竹沙絵子演じる仲居から“ハミ子出身の仲居”の座を引き継ぎ旅館にとどまるという、ある意味で『猿の惑星』よりも現実味に乏しい結末もぶっ飛んでいながら分かりやすく、楽しかった。月刊「根本宗子」が演劇部外者にも開かれたより大きな劇団になるにはどんなコメディをやればいいか、その方向性が分かりやすく示された本作は月刊「根本宗子」の劇団史をのちに振り返った時、大きな転換点となった記念碑的一作として光り輝くのではないだろうか?
 本作「はなちゃん」はまた準劇団員とも言うべき大竹沙絵子がコメディエンヌ開眼した一作でもあり、その点でも意義深い作品だった。
 根本宗子を除く登場人物全員がコワれているという設定の「ひかる君ママの復讐」をバー夢で観た時、大竹沙絵子の演技だけがハジけきっておらず、結果として狂人に見えず、笑いを取るべきシーンで思うように笑いが取れていなかった記憶があるのだが、「はなちゃん」での大竹沙絵子は吹っきれた演技によって狂人になりきっており、ドッカンドッカン笑いを取っていた。分けても、ハミ子トリオに仲居の仕事を熱血指導する場面。このシーンで白目を剥いたり流し目をしたりニヤついたりと千変万化の表情を見せながら激しく舞台上を動き回りつつハミ子たちを教育する姿の可笑しく、また魅力的だったこと!
 梨木さんはうかうかしておれませんぞ!!
ミニスカーツ (チケット残り僅か!ご予約はお早めに!)

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INUTOKUSHI

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2013/07/05 (金) ~ 2013/07/09 (火)公演終了

満足度★★★

展開の妙で笑わすべし
 長篇一本モノだった前回公演『左の頬』で犬と串デビューした私にとって同劇団の短編オムニバス公演は初めてだったが、アイデア一発勝負のネタが目立った。
 いや、そうしたタイプのネタが全てだったと言ってさえよく、公演全体を通じ、“展開の妙”で魅せる作品にほぼ出会えなかったのは残念な限り。
(ネタバレBOXに続く)

ネタバレBOX

 アイデア一発勝負の傾向は1つめの短編「新宿」にとりわけ色濃く表れていた。
 新宿で起きたホステス殺人事件の容疑者として浮上したラーメン店の店員やその同僚、さらにはガソリンスタンドに勤める容疑者の友人が刑事からの取り調べや質問に対し“仕事がら多用する常套句”しか返さないという話で、刑事が何を尋ねても、ラーメン屋の2人からは「バリ硬で~!」「券売機でお願いしま~す!」「粉落としで~!」などの言葉しか、GS店員からは「満タンで~!」などの言葉しか返ってこない。
 こうしたセリフが喉も潰れんばかりの絶叫調で発されることから喜劇的効果が生まれ、3人が何か言うたび場内に笑いが起こるのだが、話が進むにつれ笑いが薄くなっていったのは刑事の質問と3人の返答が特にリンクしておらず、ラーメン店店員ならびにGS店員の単なる“あるあるゼリフ集”に客が飽きたからだろう。
 こうした“あるあるゼリフ”は刑事の質問とリンクしない以上、ギャグとしてどれも等価で、客が途中で食傷するのは当然。
「粉落としで~!」といったセリフが刑事の質問と偶然にもその都度リンクし、結果、容疑者の有罪が確定されるという“展開の妙”で魅せるお話だったら客も最後まで食いついたろうに…。
 店員のあるあるゼリフと刑事の質問をリンクさせるのは至難の業ではあろうが、「コメディの脚本家がそれに挑まずしてどうする!?」と私は言いたい。
 4つめの短編「キヲク」も最後の大オチに持ち込むためにのみストーリーが拵えられており、“アイデア一発勝負モノ”に分類される。主人公は悪の組織に記憶を書き換えられた会社員。オーラスで記憶のどの部分が書き換えられたが明かされ、「そこかいっ!」と大声でツッコみたくなる意想外の改竄点には笑わされたが、そこに至るまでの全シーンがオチに導くためのブリッジでしかなかったのは誠に残念。
 3つめの「OCEAN~失われし七つの秘宝~」と5つめ「老いのり」は“展開で魅せる作品”と言えなくもない。が、ともに、設定さえ決まってしまえばストーリーの7割がたは自ずから出来上がりそうな作品で、その意味において“ワンアイデアもの”と括られるべきだろう。
 5つの本ネタの合間合間に演じられた、本ネタよりもずっと短い3本の幕間劇も“ワンアイデアもの”だったが、ワンアイデアものは短ければ短いほど切れ味がよくなるのは言うまでもなく、こちらのほうが本ネタよりも楽しめたのは当然っちゃ当然。
 良いアイデアと役者の達者な演技が結びついて得難い可笑しみを生み出す「超ノリツッコミ」と「匠の技」はとりわけオススメ。

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