満足度★★★★
三味線、篠笛も上手でした。
雅楽は、一度体験してみたかった。楽しめました。
ネタバレBOX
この日は,はるばる柏市まで足をのばした。最初は,健康ランドで,カラオケをやっているしろうとさんたちを見ているような企画だった。そのうちに,日本舞踊とはいうものの,実際には,長山洋子『じょんがら女節』が流れる間に,着物で音楽にあわせて仕草を作るだけの企画が量産された。
三味線,篠笛,あるいは,雅楽の龍笛,篳篥(ひちりき),笙(しょう)などを拝見する珍しい機会でもあった。こちらを期待していたが,期待以上におもしろかった。長唄も少しあったが,かつて,完全に長唄だけの企画にはめげた。おそらく,ほんの少しさわりを体験したい場合,本格的なものは敬遠すべき。
日本的なもの,地元の老人会などで楽しむものは,やっている方は楽しくが,鑑賞するには厳しいものだ。それは,玉石混淆だからだ。よほど出演者と懇意で,義理でもないと見たくもない。場合によっては,うなされる。しかし,芸事は,菊池寛がいうように,下手な小説を自分で書く喜び,認めたい。同様。
ただ,着物には魅力がある。現代日本で,着物を利用する企画はそれだけでたいへんな贅沢だ。もちろん,バレエの衣装が安くあがるわけでもないから似てはいる。しかし,日本の古来からの楽器などを習うことは,ピアノなどを習うのとは,まったく違った難しさがある。どちらにも,良さがあるだろう。
満足度★★★★★
駅前劇場進出おめでとうございます。
内容は、すごく引き込まれました。少しずつ同じような、擬似恋愛関係が執拗にひろがって、いきます。とても、おもしろい演劇です。少し長すぎるかと、おもえど目をこすりながら、主客逆転?の結末なのかもしれませんね!傑作!
ネタバレBOX
そこにいけば,必ずあなた,もてます。ある程度のお金はかかりますが,保証します。三人の女の子がすべて気に入らないなら,無料です。三人とも気にったら,英語で自己紹介すれば,ゲームは始まります。しかし,あなたは,あとくされなく,その場を去ることが条件で,本当の恋愛は禁止です。
おおむね,そんな設定の中で,主人公となるひとは,意外と深く挫折感,喪失感を抱いてもがき苦しむ。被害者同盟もできかかる。が,それはつぶされる。ようにみえて,オーナーが実は,もともと,すべての発案者でありながら,自分自身が,根源的な被害者であったという,大どんでん返しの結末。
ありそうで,意外と痛快に見終わるところは,さすがである。過去のいずれに作品も,おもしろいけど,現実ばなれというか,設定そのものが複雑すぎたり,自己満足だけでやってる・・・とかの印象もあった。ところが,今回は,非常に上質で,猥雑な雰囲気の下北にはにあわない何かがあった。
大変な成長があったと思う劇団の力作。これを,次はこれをどうするのだろうか。
満足度★★★★
作品には印象的な場面が三つあるのかもしれない。
もっとも好きなのは、完全犯罪にみえた事件が天井から落ちて来る古い証文で暴露するところ。
次は、子どもがおもしろおかしく、あたかも母親と男を表現して、不倫の疑惑を発生させるところ。
そして、今回重点となった、おがんで、金はやるからと命ごいをする女を嫉妬もあって油まみれで虐殺するところ。
なかなか迫力のある場面だった。すごい!
ネタバレBOX
杉本文楽『女殺油地獄』by近松門左衛門
文楽に至るまでは,なかなか迷うところがあった。ドナルド・キーン氏も言っているが,子どもぽい人形劇をまじめに鑑賞できるのだろうか。楽しめるだろうか。そういう心配が確かにあったのだ。
結論からいえば,最初は少しなじまない。しかし,時間が過ぎると,映画などでいえばアフレコ,アニメなどの声優などと同じで,さほど気にならない。俳優の個性ばかりを見にいくなら,ときには,文楽・人形浄瑠璃で,近松門左衛門の脚本どおりを楽しむのもいいかもしれない。
あくまで,人形を見に行ったつもりだが,人形なしの導入部分があった。こちらは,二人で,やった。ひとりは,三味線だ。もうひとりが,語る。
古文に強くないと,つまらないかもしれない。どうしても,古語の持つ語りが伝わってこないとおもしろくない。文章そのものは,古文とはいえ,近代に近いものだから少し予習すれば理解できるだろう。
これで,能とか,雅楽,あるいは,歌舞伎が未体験ゾーンだ。宝塚も,そういえば,いまでも見たことがない。
満足度★★★★★
四時間の大作と、熱演にたいへん感動し楽しめました。思いのほかバレエとは、良いものだと感じました。
あまりに完成されたものばかり見て、気がつかなかったものが発表会などの状態からわかってきました。
ネタバレBOX
バレエの発表会は,とても楽しい!
今回,第二部『くるみ割り人形』は良かったと思う。バレエというものを,ずっと観るには,私には苦痛かもしれないと思っていた。しかし,今回の企画は,そのような初心者にも楽しいものだった。
おそらく,有名なバレエをあちこちで数回見た後で,手作りのような,素朴な,どこか壊れた,不完全な世界があった。バレエの大好きなひとたちでなんとかまとめた,という熱意を感じたものだった。
一番すごかったのは,幼児が,大きな声でゲラゲラ笑い出して,全体を壊している場面だ。しかし,一応放棄はしないで,覚えた仕草をなんとか演じてはいる。そのアンバランスさは,なぜか面白かった。年齢に合わせたダンスなのかもしれないが,そもそもメニューが多すぎた。かくして,壊れながらの『くるみ割り人形』。チャイコフスキーが観たら,なんというだろうか。
演劇には,ハプニングがつきものだ。だから,なんでもあり!終わってみると,結構楽しい企画だった。おそらく,バレエの舞台裏を少し見たからだろうか。
満足度★★★★
手違いで、スタートダッシュで出来るだけ前の席をゲットしたつもりが、当日券でも残っているような二階席だった。
そのため集中できなくて、前半うとうとっとした。後半は、プロの悪役が印象的でさすがだった。
満足度★★★★★
幕末維新は、かなり勉強した。その中の実際の事件が頭のなかで整理されていく。演出家が、詳しいのだろう。
焦点となっているのは、人斬り以蔵はなにゆえのに天誅で、暗殺に狂っていったのか。あるいは、たけちという恩師をどう認識して生きていたのか。
ありふれた観劇でも!と思ったが気持をぐっとつかまれた。め組の中央線のカンバンは、さらに心に残っていくだろう。
ネタバレBOX
劇団め組『岡田以蔵』
岡田以蔵は,人斬り以蔵と呼ばれ幕末に,とりわけ幕府側の要人を殺害したようだ。実際には,京都では,ある時期恨みをかったもの,目立つもの,社会改革を阻むもの,そう思われたら,尊王攘夷派に闇討ちされた。それは,安政の大獄のことを覚えていた連中は確かにやりかねなかった。
それにしても,土佐勤王党の立場はややこしい。武市半平太は,吉田東洋を殺害してのしあがっていく。そのことは,攘夷派が勢いのある間は,お殿さまも苦々しくおもえど,黙認していた。が,時代が,一時逆流する。薩賊会奸ということばに象徴されるように,こともあろうに,薩摩は,長州最大の敵と通じてしまったのだ。この事件を背景に,お殿様は,公武合体を阻むような連中の粛清を始める。
劇団め組『岡田以蔵』に出て来る,岡田以蔵と,武市半平太は,最初は,土佐での尊王攘夷をリードするわけだが,終盤には,そのこと自体が重罰の対象になった。
岡田以蔵というひとは,実際には,どのような人間かわからず,京都での暗殺の一部にしか関係していないかも。しかし,学問がないし,足軽の出身であるにかかわらず,異彩を放つ。おそらく,剣の達人というだけの存在でもなかった。というのも,人斬りマニアの気ちがいでありながら,坂本竜馬を通して,勝海舟とも顔なじみになっていく。
岡田以蔵は,武市半平太に可愛がられ,用心棒のようでもあり,鉄砲玉のようでもあり,気心の知れた友人・子弟でもある。そんな岡田以蔵は,悪行の数々もあるから,いずれは裁かれたと思うが,お殿さまから拷問を受ける。その酷さに耐えられず,愛する師をお殿様に売ってしまう。八つ裂きにされても当然な人間であって,ロマンチックに語るべきではないかもしれない。
というわけで,劇団め組『岡田以蔵』像には,冷静に考えて,首を傾げざるを得ない点は多い。描かれる,以蔵は,人格破綻者に持つ同情やら,一匹狼であることの孤独感が切ない。不器用な生き方であるが,師・武市半平太を父親のように慕う。なぜか,ある種の人間が持つ哀しみが表現されていた点が殺人者を美しく,はかなげに見せてくれている。
満足度★★★★★
4日間とおし券を、二千円で購入
二年前のとき以上に、中国出身の演奏家が目立っていた。はるか、異国から楽器の聖地で、コンクールにでたい。そういう子どもたちもいるだろう!
また、九州に関連会社があるらしい。そのため、レッスンの成果を浜松に来て毎年披露する親子もいるのではないだろうか。ついでに、東京めぐりもかなう!
参加者に、やや偏りがある企画なのかもしれない。でも、子どもたちものレベルは、いつかプロに!というほどの熱意があって、感心する。
ネタバレBOX
小池孝志氏によると,ウィリアム・ローソン・ギロック(1917-93)は,ブルックミュラーなどと同様,ピアノ・レッスンで愛されているという。ギロックの作品は,初級から,中級が圧倒的である。
音楽を趣味とする家族の中で,三歳からピアノに接した。楽譜ではなく,耳から覚え,父親から手ほどきを受けた。和声学とか,対位法とかの専門知識も乏しかった。かえって,自身の才能に早くからのめりこむことになる。
ピアノ教師もいない田舎町ラ・ラッセル,30kmも離れたピアノ教室の講師もそこで楽譜を使わない。ギロックは,次第に,楽譜を使った現代的な音楽教育の必要性を意識していく。
「サンセット」「森の伝説」「船着き場のダンス」(1942)は学生時代に発表されている。音楽理論の欠如が,即興的演奏能力とアンバランスになっていた。音楽家になっても,生徒とともに学ぶ姿勢があった。
ピアノを弾くときの姿勢,腕の力の抜き方,手の形を大切にした。美しい音色や旋律を歌うことを強調した。生徒ひとりひとりが,ピアノを,音楽を楽しむことを目指した。
ギロックのピアノは,子ども向けである。子どもたちが十分に楽しめる音楽は,美しい旋律や和声がそこにある。音楽教育界のシューベルトといわれる。
1980年代になって,日本でもギロック作品が注目される。
ギロックは,ピアノ演奏の指導において,音楽を表現することを指摘。作曲家から,演奏者,さらに,聴衆。心の対話をもとめ,それがない場合,演奏は芸術とはいえない。ただの,演奏テクニックの披露なのだ。
76歳,ガンで亡くなった。
ギロック・ピアノ名曲集:小池孝志
満足度★★★★★
山梨の観光について,知らなかったことをわかりやすく教えてくださいました。
作品については,津軽とならんで,わたしにはふつうな作品!
もっと,太宰らしい作品に惹かれます。
でも,学校で一番とりあげるのは,この作品なのでしょうか。
カットされた一名文を読むこむことは無理もありましょう。
よい講演でした。
満足度★★★★
非常に美しいジゼルに、とりわけ前半は時間がたつのも忘れました。
ただ、後半は、よく知ってはいる内容ですが、暗く寂しいバレエだと思う!
たぶん、もう少し見どころがわかってくると楽しめたのかと。
満足度★★★★★
たいへん感動しました。内容も、よく出来ていて、スキがないと思いました。
非常に、シリアスな場面に、ひとり笑ってしまう中国人の演技が秀逸でした。
良い体験が、出来ました。ありがとうございました。
満足度★★★★★
前半はなんか堅い。もともと、そうゆう演劇だったせいかと思った。なんかわかってる話が、ごちゃごちゃしてきた。
という印象のもと、後半に突入。やはり、一度休憩をいれた方が良かった!
後半は、素晴らしい!まず、絵がきれいに決まっている。トリゴーリンが、ひとり舞台で楽しめた。
ネタバレBOX
『フェードル』を観たら,やっぱギリシア悲劇に,演劇は戻っていくのかと思います。『トロイアの女たち』では,ギリシアの神々など複雑だったけど。
演劇にはこれ以上深入りしません。シェークスピア演劇は,あきました。
小説はある結論に至ることを,作者が意図します。ところが,チェーホフ演劇が典型的なのですが,観劇側にさまざまな解釈を許すようなメリットがある。
たとえば,ニーナが,ソーリンが,まったく幸せな人生ではない。そのような道に自分で踏み込み,それが,まったくのところ自分の軌跡なのだから,諦観はあって良い。トリゴーリンにも一度は,接近できたし,マザコンのぼくは,なんかあってなかったかも。ソーリンも,結婚したかったとか言いながら,幻滅とかマイナスのイメージもあったかと。
イプセン作品は,もう少し追ってみたい!
人民の敵やら,棟梁やら,ゆうれい,野鴨,ヘッダー,人形,ペール,海夫人,なんでも,わかり易いから好き。確かに,生活の小さな世界に,演劇の持つ偉大さを押し込めたかもしれないけど,でもいいと思います。
では,また,いずれかの劇場で!
満足度★★★★
予約は先行販売中だったので、前の方かと期待したが、当日精算だったせいか、むしろ後ろの方だった。
前半は少し眠くなった。神社を減らすのは反対、環境問題は大事!国家を敵に回して闘う姿は素晴らしい。
後半は研究分野で天皇に味方してもらえて良かったと思う。ただ息子との確執は考えさせられました。
正当派の演劇もたまには見ます!
ネタバレBOX
南方熊楠:複眼の学問構想(松居竜五)から
比較的早い時期から,熊楠を学者として評価すべきとした知識人は,柳田邦男や桑原武夫がいる。博学には違いないが,理論がない。1978年,鶴見和子『南方熊楠:地球志向の比較学』は,観点を変えた。
問答形式の学問で,知的活動を行っていた。真言密教の思想を援用している。学問的モデルから,「南方マンダラ」と名付けた。1909年に,神社林の保護を目的に開始した,「神社合祀反対運動」をエコロジーの立場に立つ公害反対と評価。
26歳で一般読者から寄せられた世界の星座に関する質問に答えた。これが,「東洋の星座」として『ネイチャー』に掲載された。鶴見和子により,伝説的巨人像でなく,等身大の人物として熊楠は把握された。
『和漢三才図絵』は,熊楠にとっては格別な存在となった。和漢は,日中のこと。三才とは,天・地・人のこと。李時珍『本草綱目』にも関心を持った。江戸初期に輸入されたこの本は,儒者・林羅山が長崎で購入したものを,家康に献上したとされている。貝原益軒は、1709年に,『本草綱目』から動植物を比較し,『大和本草』を著した。
『十二支考』の虎にあっては,熊楠は『和漢三才図絵』から材料を転用した。虎の頭蓋骨で,まくらを作れば悪夢もみないだろう。玄関に置けば,ゆうれいも退散するだろう。虎が死んだ場合,その目が放つ光は地中に落ちて石となる。
加藤弘之の進化論理解は稚拙であったとする。むしろ,熊楠こそが,アメリカでスペンサーから自由な批判精神を獲得した。ただ,スペンサーそのものも,多面的思想家であったがゆえに,熊楠がどのような側面に注目したのかはよくわからない。
文化が独立発生して来たものか,あるいは,伝播によるものであるかは論争になる。対立しているようにみえるが,補完的なかたちで作用していることがある。
書簡によって,法龍と,大乗仏教を中心としたやり取りをした。1902年においては,粘菌(変形菌)の生態を例に,「曼荼羅」という言葉を使い始め,独自の哲学を展開した。のちに,2004年高野山にてその手紙が発見された。
1893年には,シカゴで,臨済宗・釈宗演ほか,各派がイベントに参加している。この一連の対話では,仏教徒から,仏教と科学の比較が提起された。因(縁)果論が,科学上の因果律と一致するものがあるのではないか。釈宗演に随行したのが,鈴木大拙である。
華厳経については,熊楠の世界観の一つの源泉である。唐の法蔵から来た教えもある。ほんの小さな世界に,大日如来の教えを受ける無数の仏がいる。微小な粒子の中にも,大日如来の法の力によった世界がある。
満足度★★★★★
同じS席だが、なんかやや違うところにすわっていたような気がする。たまたま来ない人がいたのかも。でも、自分の席には、誰かすわっていたかも。
内容的には、応援のつもりでいったのでそんな期待はしていなかった。しかし、人生というものを、なかなか的確に把握しているわけで楽しめた。
たまには、こんなオシャレな演劇も体験するべきなのだろう。
ネタバレBOX
本作品は,とても楽しい演劇だった。二時間の中に,構想をうまくまとめていた。これまで,似たような趣向は見たことなかったというわけでもない。作品の作り方,演出の方法など,どこかで体験したようなものが確かにあった。しかし,その中でも,無駄もほとんどなく,軽快に最後まで話は進んでいった。とても楽しい,良い演劇だった。
人生には,シナリオみたいなものがあるとか,運命論みたいなもので支配されているって,そんなことを誰でも感じるものだ。そのあたりが,この作品のテーマであった。しかし,垣間見る会話には,興味深いものが混じっていた。幸せって呼ぶものは,本当のところ,お金とか,地位とか,長生きとか,いろいろ思うが,きめては意外とない。
最近は,演劇・ミュージカルに対する情熱がめっきり落ちた。おそらく,世の中には,もっとおもしろい企画があるかもしれないが,それを探しまくるには何か新しいきっかけでもないと無理だ。で,昔ながらの知った顔でもながめに新しいで劇場とかに足を運ぶ。また,そこで演劇が楽しくなって来るかもしれないし,マンネリに思えたりもする。
そのようなモヤモヤした気持ちで,訪れた新宿村ライブだったが,これはいい感じだった。
満足度★★★★★
スタインベックには、戯曲としても評判になった名作があった。
レニーという愛すべき大男は、時としてたいへんな狂暴さが出る。最後には、射殺されるがたいへん涙をそそられる。
余生短い老人の悲哀、差別的待遇の中で虐げられてきた黒人、弱者に対するスタインベックらしい優しさがあった。
これは、とても良い演劇。ずっと心に残るだろう。
ネタバレBOX
スタインベックの世界は,素晴らしい。本戯曲には,魅力的な役者が数多く出ている。スタインベックの世界は,『怒りの葡萄』にしても,『エデンの東』にしても,作品の特異性は,群を抜いていると思う。なぜ,かくも印象に残る物語ができたのかと,ずっと考えていた。本日,戯曲『ハツカネズミと人間』を観て,その世界が少し身近になった。背景とか,人物特徴がわかった。
『ハツカネズミと人間』の主役は,まちがいなく,レニー・スモールだ。彼は,図体ばかりでかいが,知的障害があるという設定だ。もっとも悪いのは,女性のきれいなドレスが気になると,触れたくなって,最後には,女性を羽交い締めにしてしまう。また,ネズミやら,生まれたばかりの子犬をなぜ回して,少し噛まれただけで,殴り殺してしまう。
そんな凶暴なレニーであるが,兄貴分のジョージには絶対服従なのだ。最初の頃は,ジョージもバカな相棒をなぶっていたが,きわめて純真なものも残す友に自分の将来を語るようになる。そこで,おまえは,羊の世話をすれば良い。実際にバカなレニーが,なんの役に立つかはわからない。足手まといになり,致命的な失敗をして,なにもかもぶち壊すことになるリスクだってあるのだ。
カーリーの妻は,性悪女だ。どこにでもいる。そんな彼女の挑発にのったために,ジョージとレニーの友情は破たんする。ぼくたちの未来は,山の向こうに見えるじゃないか。どこに見えるの?と,夢の国を想像しているレニーの後ろに回って,ジョージは泣きながら,最愛の幼馴染みを隠し持った拳銃で撃ち殺す。役立たずの老犬と同じで,人間も邪魔になれば,消されるのだ。
満足度★★★★
前半はクラッシック名曲集。いくつか聴いたことあるような。
やや,眠くなったところで小休止。
後半は,昭和の名曲集。とは言え,やや趣向がバラバラのような感じ。
結婚礼賛歌と,哀愁の失恋ソング。
でも,結構良かったものもあって,次回に期待する。
満足度★★★★★
人気あるようなので、一番はじっこで非常に見づらい場所にかろうじて席を確保。
出だしわからん設定が、ずっと気になる展開。第四夫人がなにげなく出てきたあたりから、このひとの個性・なまり・おっとりな対応に注目。
舞台テンポ、話のながれ、さらにおもしろいコントぽい会話に引き込まれた。同じ劇団のほかの作品に同様の印象を持つかどうかは全くわからない。でも、本作品は大成功だと感じる。スゲエ!
ネタバレBOX
ねこは,双子の姉妹を殺したかもしれない山野と何度か,軽妙な会話をする。山野は,そもそもこの山里での殺人事件で黒幕を演じる。山魚を大量に捕獲しようとしたはずみで,過失致死事件に発展した場面に遭遇したのを利用して,村を混乱に陥れる。実は,山野が現れたのは重大な理由があったようだ。その事情は,最後に明らかにされる。そこで,幕となる。
多くのおもしろい場面はあった。目立つ笑いを誘うシーンもあった。しかし,非常におかしかったのは,私にとっては,ねこの登場からだ。彼女は,一番普通に田舎の花嫁を希望している。なのに,自分は,第四夫人であり,ほかの夫人は,世間的には妾と呼ばれるような存在だってこと。いずれにしろ,アタシは子どもを産む道具。でも,旦那はアタシに触れる気配はない!
そもそも,殺人事件はあったかもしれない。たしかに,賠償金を支払うのではなくて,一家まるめて,森村家はまるごと,岩瀬家に吸収合併される。そこでの,待遇は,ドレーである。中国かなんかの王朝史であったようなドラの音が鳴るたびに,舞台は引き締まっていく。ふざけた会話,ことばのあそびにあって,ドキッとする社会風刺みたいなことが起こる。
たしかに,人間関係とか,男女の愛とか,そうゆう日常現象は見方を変えるとすごく滑稽だったりする。また,もっと,別の生き方,社会の在り方ってあるのかもしれない。たくさんのナンセンス・コントが,ただつながってるて,わけじゃない!これは,すごく面白い演劇だった。
満足度★★★★★
比較的良い席だったこともあって、広くオシャレな舞台が十分に楽しめた。
多少こみいった展開、やや遠まわしでくだくだしい台詞にめげるかと思うが、気がつけば、話がつながってゆき問題はあまりなかった。
お金のかかった有名人の出演するものも、たまには勉強になる。素晴らしい演劇に、圧倒される。なにに夢中になったか、まだ整理できていない。
フランス古典演劇に、強く引かれる。
ネタバレBOX
テゼーは,たしかに死んだ!そのようなデマがにわかに信じられた。権力構造が一変した。それを利用すれば,不義の恋だってなんとかなる。フェードルは,そう思った。そもそも,イポリットと,アリシーの恋を疑ってみたことなんてないほど,おめでたい女。しかし,腹心の女,エノーヌは,フェードルを奸計でがんじがらめにしていく。恐ろしい女たちの策謀!
ところが,王は生きていた。フェードルは,単なる悪女なのだろうか。それとも,純粋に,イポリットが好きで好きで仕方なかったのか。だとすれば,多少は情状酌量の余地もあるではないか。そもそも,根っから悪い人間なんていない。ただ,いろいろ条件がそろって,気が付くとフツーのひとも悪事をしていく。そして,そこにのめりこむ。
ギリシア悲劇というのはおもしろい。人間関係でおきそうな悲劇的構成要素をほとんど研究し,実験的に,検証させる・・・そんなことをきっと考えた。だから,おきそうもない事件ではあるが,自分の身近にあっても,にたような力学,事実,考え方,そんなものが意外とある。だって人間のやりそうな悪事,そんなのはパターンが決まっているし。
Bukamuraシアターコクーンは,すごい熱気だった。迫真の狂女。罪もない愛する息子をむざむざ,死においやった王の苦悩。それを,周辺で演出してしまう登場人物。素晴らしい。
満足度★★★★
たいへん楽しい企画でした。
ネタバレBOX
戦争と暗黒の時代に,過酷な抑圧と戦いながら,言論統制と検閲の目をかいくぐりながら,宮本百合子は作品を書いた。戦時下の日本社会,そこで人民の前衛闘争を描くことを,文学の使命だと信じた。そのような宮本百合子のことを,不破哲三は講演で何度もとりあげた。そして,それを,一冊の本にまとめている。
侵略戦争のさなか,具体的な戦争批判は果たしてできたのだろうか。宮本百合子は,敗戦後の日本において,歴史的転換期にもっとも役にたつ性格を持った文学ではなかったか,と不破氏は力説する。占領期においても,その表現には,「いりくんだ」表現を使うしかなったとも述べている。アメリカ占領と反動勢力は,どこか底での手をつないでいた時代というべきか。
宮本百合子が,プロレタリア文学運動に参加したのは,1930年のことである。1932年には,宮本顕治と結婚している。12年間に,獄中に届いた手紙は,800通を越えた。宮本百合子自身も,検挙とか,留置の経験がある。宮本百合子の,文章は,どんな抑圧,どのような逆境にも負けない確固とした精神がすべての文章にみなぎっていた。
日本中が牢獄的であった,そんな時代がかつて日本にあった。転向と屈服と迎合の流れに,宮本百合子ひとりは,正気の眼で最後まで戦った。宮本百合子は,バルザックが好きだった。ユゴー,そして,トルストイも。「作家が,永い生涯の間で何度発展をとげるか,その時にどの位作品を残してゆくのか,これは大なる研究に値し,作家必死の事柄です。」51年の生涯!
満足度★★★
初めて,長唄を聴くことができた。予測していたような具合で,それほど面白いものではない。理由は,いろいろあると思う。
たとえば,最後の『勧進帳』。本来なら,歌舞伎かなんかでよく知った演目だからそれだけで楽しめるのだろう。しかし,その演目を,いわばBGMだけで感動できるような準備が私にはできていなかった。きっと,こういうものは何度も何度も足を運ぶとその良さに酔いしれるのだ。
もちろん,三味線やら,横笛においては,十分に楽しめる部分もあった。
全体としてはしろうとのやる会だったのかもしれないが,数名客演で混じっているひとたちのレベルがすごく高いのだろうか,おそらく私には,新国立劇場で観てもさほどちがう印象にはならないだろう。そのちがいがきっと凡人の私にはわからない。
今後は,今回の長唄をきっかけに,三味線が奏でる文楽の世界に足を運びたいものだ。また,能管などがひきたつ能の世界もわかり易いものから選んでいきたい。きっと,入口は一つではない。
満足度★★★★★
たいへん格調高くしあがっていた。本作品のなんたるかが、すごくわかって来た。チェーホフの世界が、少しずつ理解される。まことに貴重な体験をした。
ネタバレBOX
ワーニャおじさんは,あまりおもしろいと思わなかった作品だが,演劇集団がかわったせいか,内容がわかって来たせいか,楽しめた。それは,前の団体が下手だったわけでもなく,おそらく観客側の問題だろう。(ちなみに,本団体が,前回扱った『タルチュフ』DVDは,ややくだけた演劇であった。)
ワーニャおじさんは,教授夫妻にたいへん思い入れがある。そもそもワーニャ―は地主の一員だったようだ。しかし,絶世の美人=妹が教授に嫁ぎ,姪のソーニャが生まれた。気が付けば,妹が夭折すると,さらに美しいエレーナが後妻となって,ここに教授夫妻が,ワーニャ一家を乗っ取った。
教授が,それなりに世に出るためには,ワーニャ家は全会一致で応援した。金銭面から,秘書的な仕事をしてあげた。そのメンバーには,老いたワーニャの母も参加していたし,ソーニャもいた。だが,もっとも教授に熱をいれたのは,ワーニャ自身であり,そのために人生を棒にふったともいえる。
しかし,教授は,利用するだけして,彼はワーニャ家に冷たい仕打ちをする。そのために,ワーニャは怒り,ソーニャも同情する。
教授の後妻,エレーナは,ソーニャのあこがれのひと=医師アーストロフと不倫の関係に向かう。ワーニャは,そもそも昔から,エレーナに夢中だった。エレーナは悪い女なのだろうか。
『かもめ』と同じような時期に発表された『ワーニャおじさん』は,かもめと対になっている作品だったのかもしれない。そう考えると,比較しながら,新しい発見が生まれる。良い演劇。非常に完成度の高いものだったと思う。