たんげ五ぜんの観てきた!クチコミ一覧

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6人のレオナルド

6人のレオナルド

ジョン・スミスと探る演劇

ギャラリーLE DECO(東京都)

2014/05/29 (木) ~ 2014/06/02 (月)公演終了

満足度★★★★

イメージの万華鏡
と言っても、視覚イメージの話ではない。
舞台は極めて簡素である。
素舞台に等しい空間で演じられるシュールでぶっ飛んだ展開に、
観客は想像力を刺激させられ、その幻想的時空間を共有することになる。
その在り方が、非常に特異な舞台だった。(詳しくは「ネタバレ」に)

「演劇」という構造自体は何も壊れていないし、逸脱もしていないので、本質的にはアヴァンギャルドだとは思わないが、「演劇」内部での文法はかなり破綻していて、そういう意味ではアヴァンギャルド。
技巧的アヴァンギャルドとでも言おうか。

正直、舞台自体の満足度は☆3だけれど、
その方法論の新奇さや今後の可能性も含めて✩4にしました。

役者さんたちも、とても良かった。

ネタバレBOX

場面転換の異常さは特筆に値する。
役者1がA役を演じていたと思ったら、急に、役者2がA役を演じていたりする。
そのように、5人の役者が、様々に役を交換しながら舞台が進行する。
それも、一つの物語を語っている訳ではなく、
繋がりがあるようなないような複数の物語が舞台上で展開されているのだ。
その切れ目も、区切りがある訳ではなく、aの話が急にbになっていたりする。
(シュールレアリスム的と言おうか、マジックリアリズム的と言おうか、、、)

その技巧的な上手さがまず凄いのだが、それを素舞台に近い状況で演じているということが、その効果を更に高めている。
イメージが次々に変化していく為に、そこに具体的な小道具やセットがあってはむしろ邪魔なのだ。その点をうまく利用して、小道具はイスのみ。
それを様々なものに見立てて使うことで、イメージを更に豊かにしている。

また、劇場の客席裏などの空間もうまく使って、劇場全体を観客の想像力で彩ることを可能にしていた。素晴らしかった。

そのようなめまぐるしい場面転換の中で、映画の長回しの撮影シーンが出てくるのだが、今まで極めて速いテンポで芝居が進んできたのに、急にそこで、ゆっくり緊張感のある場面になる。
この緩急は絶妙だった。
映画撮影の、裏方側の異常な緊張感に目を付け、そちら側だけを描写したというのが見事だった。

言葉遊びを取り入れたセリフのセンスも良かった。

更に、劇中劇でありながら、その劇自体を劇の中で書いているという設定も面白かった。

また、役者さんたちがよかった。
1人の役を1人の役者が演じきるという芝居ではそもそもないので、
一般的な「上手い」というのとは違うのだが、
なんだかわからない魅力があった。(うまく説明できない。)

以上、良い処だけみたら、素晴らしい作品なのだけれど、
そこで語られている内容が、何を問いかけているのかはわからなかった。
意味がわかりたいということではない。
陳腐なメッセージを発せられる位ならば、意味なんてわからない方がよっぽど良い。

ただ、「意味なんて関係ないんだ。何の意味もないのだ。」という芝居で素晴らしいものもあるが、
この作品の知的な構成から言って、そちらの作風でもないだろうと思うのだ。もしそちらの作風なのだとしたら、むしろ破綻が足らない。
この作品は、肉体的・非論理的な破綻の面白さというよりは、
知的な破綻の面白さに依拠しているのだから、
その知性で何を問うているのかということは伝わって来てほしいかった。
勿論、私が受け取れていないだけかもしれないが、、、。

と厳しいことも書いたが、この作・演出の 三宅章太郎さんの技量と才能は凄いと思う。年齢のことを考えると、驚きしかない。
桃太郎の母

桃太郎の母

劇団唐組

雑司ヶ谷鬼子母神(東京都)

2014/05/23 (金) ~ 2014/05/25 (日)公演終了

満足度★★★

若手の台頭
若手役者のエネルギーが加わり、新たな唐組ができつつあるように感じました。

特に岩戸秀年さんが素晴らしかったです。

3 crock

3 crock

演劇集団 砂地

吉祥寺シアター(東京都)

2014/05/09 (金) ~ 2014/05/12 (月)公演終了

深い読みのできる
深い読みのできる作品だと思いました。

体調を悪くして、途中退場してしまったので、それ以上のコメントも書くことができません。

チケットプレゼントで当選させていただいたのに、本当に申し訳ありません。

満足度も、最後まで観ていないので「評価しない」にしてしまいましたが、「評価できない」という意味ではありません。

積雨、舟を沈む

積雨、舟を沈む

ゲンパビ

王子小劇場(東京都)

2014/04/24 (木) ~ 2014/04/27 (日)公演終了

満足度★★★

正攻法のつくり
正攻法のつくりで、うまく構成されている作品だと思った。
ただ、個人的には前作の方が良いと感じた。

ゲンパビの役者:三澤さきさんに、独特の魅力を感じた。

ネタバレBOX

前作で感じた特異さは、今作からは感じられなかった。

「ゲンパビ」について、私は前作『トーキョー拾遺』と今作しか観ていない。
以下はあくまで、2作の対比。
どちらがゲンパビの真の顔なのか、私にはわからない。

前作では、小さな空間での上演ということもあり、構築された舞台セットのようなものはなかったと思う。少しはあったとしても、可変的なものだったと思う。
そのため、私は、役者の背景にあるはずの景色を想像して舞台を観ていた。その背景も、単なる場面背景というだけではなく、時代背景なども含んだ奥行を感じさせるものだった。
そう感じることができたのは、場面場面がトーキョーに流れている生活の細部を描きながら、その断片が相互に連関することで、総体としてトーキョーが形づくられているということが感じられる脚本になっていたからだ。まさに「トーキョー拾遺」という題名通りに。

場面・場面を別撮りできる映画と違い、
一つの舞台上で物語を展開しなければならない演劇では、この奥行を観客に感じさせることは極めて難しい。それを、観客の想像力の中で繋ぎ合わせることで成立させた前作の構成力は素晴らしかった。

それとは対照的に、今作では、構築された一つのセットの中で物語が展開されていた。場面は限定され、時間軸の変化の中で、物語の広がりを持たせるという作りであり、それ自体はある程度上手くいっていたとは思うが、その一方で、どうしても脚本における窮屈さが目立っていた。物語を破綻させないために、ご都合主義に近い形で、設定などの諸々が、現実感の薄いものへと変質させて、一つの舞台・物語に押し込められているという感じを受けた。

そもそも、物語化に対する是非という問題がある。
前作でも、「大きな物語」と「小さな物語」というようなことはテーマになってはいたが、その語り口(脚本の構造)としては、物語化自体を疑っている作りにはなっていなかった。政治などの大きな歴史的な動きと個人の小さな日常の対比として受け取っていたので、前作はあれで良いと思っていた。ただ、ポストモダンなどの議論で取り上げられる「大きな物語」というような問題の中には、「物語化」「歴史化」そのものへの疑義が含まれる。それは、まさしく語り口の問題でもある。意味・解釈など、世界が一つの方向に向かうことへの疑義。その点に意識的な作り手は、演劇などでも、ポストドラマを志向する。そこまで物語の解体に向かう必要があるかどうかは別にして、物語性の強い演劇を志向するにしても、今作のように物語に様々な要素を従属させる作り方では、世界を狭めてしまうと思うのだ。

その点、前作は、計算された物語構造でありながら、
一つの世界に留まらない広がりが感じられる作品だった。
物語演劇であっても、一義的に完結しない豊かさを持った作品を提示することは可能だ。そのことを、まさに前作が証明していたように思う。

上記のような理由から、私は前作の方が良かったように思う。

ただ、今作は今作で、物語としてよくできている作品だとは思った。
おそらく、こちらの方が好きな観客も多いと思う。


あくまで私見ですので、不遜なもの言いをお許しください。

最後に、
制作の方の対応がとても丁寧で、素晴らしかった。
ありがとうございました。

海猫街・改訂版

海猫街・改訂版

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2014/04/21 (月) ~ 2014/05/03 (土)公演終了

満足度★★★★★

過去を描きながら 現在を問うている
日露戦争後の話。
日本の近代化による庶民と国家/産業との関係、
地方と都市との構造は、当時から現在まで何も変わっていないのだと気づかされる。
原発の構造なんてまさに。

初演は2006年だが、原発事故を経験した今、この作品を再演する意味は大きい。

ネタバレBOX

現在と当時で何も変わっていないと言っても、大きく変わった部分もある。

それは、自然と人間との繋がり。八百万の神への信仰と言ってもいい。
かつては、これほどまでに人間は自然と共に生き、自然に畏敬の念を持っていた。
現在では、どこかで全て人間が自然をコントロールできるかのように錯覚している。
だが、先の震災でもわかるように、現在でも自然の脅威は圧倒的だ。
自然との繋がりを失った人間は、同時に、何か大きなものを失ったような気もする。
(ただ、この議論を深めると、一歩間違うと、スピリチュアル/カルトになるので、それもそれで危ない部分もあるのだが。)

そして、共同体の在り方。
村落共同体では、年上が尊ばれる。
それは、儒教的な教えの影響だけではなく、今作の「おばば」がそうであるように、年配者が持つ智慧に由来する。それがかつては実際に大きな力だったのだ。
現在は、それらが科学などから得られる知識にとって替わり、
経験からくる智慧のようなものの存在価値が軽視されている。
それが同時に年配者への敬意をも失わせてしまっている。
(と言っても、私は、根拠もなく「年上だから敬意を持て」式の年功序列権威主義なんてクソくらえだと思っている。心から敬意を持てる年配者の存在とその経験から得られた智慧が重要だと言いたいだけだ。)

また、共同体の内部での差別の問題もある。穢れ(部落)の問題。
現在でも、高齢者の中には多少残っていたりもするが、この問題は現在では極めて小さいものとなってきた。だが、排外主義などが横行している状況を考えると、この問題は、形を変え転移しただけだとわかる。

このように、私は、過去の物語から、現在のことを色々と考えさせられた。

今作は、過去を語りながら、現在をこそ問うている作品だと思う。
ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇

ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇

シアターオルト Theatre Ort

こまばアゴラ劇場(東京都)

2014/04/03 (木) ~ 2014/04/13 (日)公演終了

満足度★★★★

リーディング『睡稿、銀河鉄道の夜』 を観劇
リーディング『銀河鉄道の夜』(脚本:平田オリザ)に、リーディング公演の可能性を感じたので、私が何にそんなに魅かれているのか考えるためにこちらも観劇した。

今作では、観客参加の手法がとても上手く使われていた。

脚本も演出も演技も、『銀河鉄道の夜』(脚本:平田オリザ)と違わず素晴らしかったが、その手法がリーディング公演の特性と響き合うということはなかったため、満足度は☆4にしましたが、これはこれで面白かった。

ネタバレBOX

倉迫演出のリーディング公演について、私なりにその可能性を検討しました。

コリッチ用に書き直すのが大変な為、facebookのリンクを張るので、よかったら読んでみてください。


『銀河鉄道の夜』(作:平田オリザ)について

https://www.facebook.com/kazuki.okamoto.12532/posts/564409877005409?stream_ref=10

『睡稿、銀河鉄道の夜』 (作:泊篤志)について

https://www.facebook.com/kazuki.okamoto.12532/posts/565153760264354?stream_ref=10



抱擁ワルツ

抱擁ワルツ

激弾ショット

高井戸・青果鹿スタジオ (東京都杉並区宮前1-19-14 ワトミ8号館地下1階)(東京都)

2014/04/10 (木) ~ 2014/04/13 (日)公演終了

満足度★★★

生の深奥
人間の生の奥深くにあるリビドーを、
不条理的、超現実的幻想譚として形にしている作品だと思った。

ネタバレBOX

他の「観てきた」評にも書かれていたが、私も「もったいない」と思った。
焦点が完全には合っていない感じ。

ただ、この戯曲の焦点をピタッと合わせるのは、本当に難しいことなのだとは思う。

この作品に挑んだということは、素晴らしいことだと思う。

鯨井智充さんの演技など、良いと感じる部分もあった。
「そして誰もいなくなった」 -ゴドーを待つ十人のインディアン-

「そして誰もいなくなった」 -ゴドーを待つ十人のインディアン-

劇団東京乾電池

本多劇場(東京都)

2014/04/10 (木) ~ 2014/04/20 (日)公演終了

満足度★★★

・・・
「ゴドーを待ちながら」を別役実流に変奏したような作品。

不条理というか、一見バカバカしいやり取りをしているように見えながら、
よく考えると、深い寓意が込められているようにも見える。
その寓意も観る者によっていかようにも解釈もできる。
もちろん、深読みをせずに、表面上のズレの可笑しさを単純に楽しむ観方もできる。

ただ、演出の問題かわからないが、私には、芝居として面白いとは思えなかった。

と言っても、私の席の周りの観客はよく笑っていたので、好み(評価)が別れる作品なのだと思う。

ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇

ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇

シアターオルト Theatre Ort

こまばアゴラ劇場(東京都)

2014/04/03 (木) ~ 2014/04/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

リーディング『銀河鉄道の夜』を観劇:<追記あり>
※最初のコメントには私の誤認もあったようなので、「ネタバレ」に追記しました。 (誤認したことも劇体験の内と考え、最初のコメントは訂正していません。)

リーディング公演と言っても、練られた演出が素晴らしかった。

どこまでが演出で、どこまでがアドリブなのか、キワキワの感じもとても刺激的だった。言葉に詰まったり、読み間違えそうになったりするのは、ミスなのか、それともミスを演じているだけなのか?
また、そのミスにフォローしたり、ツッコミを入れるのは、アドリブなのか、その対応すらも決まっていたことなのか?

いずれにしても、すべてが計算されているようにも、すべてがアドリブのようにも見えるというのは、出演者の皆さま一人一人の演技力のなせる技だと思う。
全員が、本当に素晴らしかった。
中でも、ラストシーンの平佐喜子さんに強く惹きつけられた。

今公演の中にある、ある意味でのジャズのような在り方(偶然性やドキュメンタリー性の取り込み方)には、
演劇の未開の可能性があるように感じた。
(実験演劇における偶然性やドキュメンタリー性の取り込み方とは別の、役者の演技力に裏打ちされたそれらの取り込み方という意味で。)

満足度:☆5を付けたのは、
素晴らしい作品を観て満足したというよりは、
この作品にしかない可能性を見せてもらったという意味あいが大きい。

ネタバレBOX

<追記>2014.4.12.

指摘をいただいて判ったのだが、どうやら、今公演は割と脚本に基づいているものらしい。私はまんまと騙されたという訳だ。
それを知って、尚更、役者さんたちの演技力と、倉迫康史氏の演出力に驚いた。
前提として、平田オリザ氏の脚本の上手さがあるのは当然だが、フェイクドキュメンタリー的な手法は、殊更真新しい手法でもないし、ヘタな演技や演出では、観ていられない程、嘘くさくなる。それを「アドリブかもしれない」と思わせてしまうというのは、相当な力だと思う。

一般的な「演劇」とは、嘘を観客に信じさせるものである。そこでは、事実がどうかではなく、そこで観客に受け取られたものこそが真実となる。
そういう意味では、私が最初に書いたコメントに間違いはないし、
この公演の嘘のつき方は、ある真実を起ちあがらせていたということになる。

私が「ジャズのような在り方」と書いたことも、単なる誤認でもないと確信している。勿論、それが偶然性やドキュメンタリー性の取り込み方の問題ではなかった点は明らかな私の間違いだったけれど、脚本や演出の手を離れて、役者さんたち1人1人の個性が舞台上で輝いていたという点は、楽譜や指揮者を離れて演奏者の個性が噴き出すジャズの在り方のようであったと今でも思う。
もはやそれがアドリブによるものか、計算されたものかどうかは、どちらでもいいのだ。

このような芝居の在り方を、やはり他で観たことがない。どうしても、脚本や演出に役者が従属してしまう舞台が多いからだ。
それを壊そうとすると、実験演劇のような構造自体の破壊(反転)を計るしかなくなる。それはジャズで言えば、フリージャズがそうしたように。
だが、今作は、ある意味では、極めて芝居らしい芝居だったという訳だ。

裏を知ったら、むしろ、この作品の質感がどこから来るのかの謎が増した。
そのことによって、この作品の可能性を、更に考えさせられてしまう。

いずれにせよ、素晴らしい作品だった。


<「追記」の「追記」>

この作品の可能性を、再度考えてみた。
この作品では、「偶然性」を取り込んではいなくても、観客に「偶発的に起きているのかもしれない」と思わせる「ドキュメンタリー性」が場に成立していたと言える。

そこで重要なのは、「リーディング公演」という要素。
この形態によって、多少の嘘くささも、ミス(読み違え)かもしれないと観客に思わせることができる。普通の公演よりも、観客側の意識の中に、現実と虚構との間のノリシロができているのだ。このノリシロが時にクッションとなり、時に想像力を刺激するものとなっている。

「リーディング公演」というと本公演を打つのには、お金も時間もかかるから、料金も下げて、番外公演とするというものが多いが、この公演では、リーディング公演そのものの可能性を追求しえていたと言えるだろう。

そういう意味で、倉迫康史氏の演出能力(この脚本を選んだということも含めて)も凄いと思う。
ドッグウェイ

ドッグウェイ

サッソク

nakano f(東京都)

2014/03/31 (月) ~ 2014/04/02 (水)公演終了

満足度★★★★

「間」が面白い
人と人との間にある微妙なズレをとてもうまく描いていた。
その「間」がとてもよかった。

役者さんたちもとても良かった。

ネタバレBOX

本人にとっては重要ではあるが、
他人から見たらどうでもよいようなことにこだわって、
一番重要なことが対話できなかったり、
あるタイミングを逃して、大切なことを言いそびれてしまったりというようなことは、誰にでもあることだ。
そして、それらの些細なことの積み重ねで人生の行路が大きく変わってしまうこともある。

ある劇団主宰者(作・演出家)の物語であり、
表現を行っている者にとっては「あるある」要素の多い内容ではあるが、
そこで語られていることはより普遍的。
どんな人でも経験があるだろう、自己と他者との行き違いの物語。

観終わった後、「そうだ、自分の人生でも、こういう些細なことで、無駄な争いや、行き違いをしているな」とつくづく感じた。他人の物語だと距離をとって見ることができるが、自分のことだとなかなかそう上手くはいかない。


河西裕介氏自身が、「国分寺大人倶楽部」活動休止後の自分の状況を、この物語にどこまで反映させているのか、反映させているフリをしているだけなのか、その辺の微妙な感じも面白かった。


演劇的には、その関係性のズレを、「間」を使ってうまく描いている。
もっとテンポよくオチを付けて観客の笑いを誘うことは容易なことだろうが、
あえて宙づりの空間をそのまま提示している。
その演出が、なんともモヤモヤした感覚を観客に覚えさせ、
時にそれがツボに入ると異常に可笑しく感じられる。
面白かった。


最後のシーンが、冒頭のシーンとほぼ同内容なのだが、ほんの少しだけ変わっている。その作りも素晴らしい。
同じ部分でも、冒頭と最後では見え方が違う。それに、その違うの部分を深く考えることになる。
(これは、河西氏が以前発表したStraw&Berryの『マリア』の構造と同じだ。)
「40 Minutes」

「40 Minutes」

TABACCHI

スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)

2014/03/21 (金) ~ 2014/03/24 (月)公演終了

満足度★★★

社会性のある
それぞれ全く違うテイストの三作品を拝見できて、
とても面白かった。

ネタバレBOX

<劇団チョコレートケーキ>
劇団チョコレートケーキ専用のページの方に書きました。

<JACROW>
舞台上で、下着になって着替えをしながら場面を転換していくのが面白かった。東電OL殺人事件の女性が、なぜあのような行為をしていたのか、様々に考える余地があって、よかった。

<電動夏子安置システム>
最初は、そのスタイルに入り込めなかったが、観ている内に、徐々に惹き込まれていった。笑いが中心にありながらも、風刺がただの手段や材料で終わらず、その批評の刃はきちんと現代社会を照らしていて、とても良かった。
ラストはかなり笑った。
◯六◯◯猶二人生存ス

◯六◯◯猶二人生存ス

劇団チョコレートケーキ

スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)

2014/03/21 (金) ~ 2014/03/24 (月)公演終了

満足度★★★★

特攻の起源
どこまでが事実に基づいていることかはわからないが、
少なくとも作品には、
「特攻」を可能にした精神が、どのように醸成されたのかの一端が描かれている。
作品内ではそれを「空気」とも表現している。

多くの兵士が命を賭す攻撃を神聖な行為として受け入れるためには、
人間魚雷「回天」に最初に乗り込んだ2人(黒木・樋口)の行為が、崇高な神話として機能する必要があった。
黒木はそのことに自覚的であった。
それこそが、この戦局を「回天」させ得るものとして。
そして、この2人の物語を、1人の整備士が別の視点から見つめるという話。

集団的自衛権の行使容認が進もうとしている社会状況がある一方で、
特攻隊の物語が美談のエンタメとして受容されている。
そんな現在の世相に漂っている「空気」をこの作品は問うている。
過去を見つめると同時に、現在について考えさせられた。

ネタバレBOX

「回天」の運用テストの最中で地底に突き刺さってしまい、
脱出不可能となった黒木と樋口が、酸素がなくなって死に至るまでの時間を描いた物語。

2人の物語を、整備士の視点が相対化し、批評することで、この物語が美談になることを阻止している。

その視点によって、優れて批評的な作品になっているという言い方はできるが、今まで観た古川健脚本の豊かさと比較すると、少々図式的で複雑さに欠けるという印象もある、短篇だから仕方ないとしても。
作品がメッセージになってしまっているきらいがあるのだ。
勿論、役者さんの強度や演出によって、メッセージだけの作品では全くないのだが。

どうしても、劇団チョコレートケーキの作品には、過剰に期待してしまっているところがあるので、観方も厳しくなってしまう。(申し訳ない。)
充分素晴らしい脚本であり、作品なのだけれど。

『○六◯◯猶二人生存ス』というタイトルは、
2人がまだ生存していた6時を指していると同時に、
「回天」の別称「○六」ともかかっているという、素晴らしいひねり。
それも、チラシ段階では、何を意味しているのか、何と読むのかさえわからないのに、観ているうちにはっきりしてくるというのも素晴らしかった。
(私は事前には宮武外骨の「滑稽新聞」のようなものなのかと思っていた。それにしても読めなかったのだが。
 深読みすれば、○は空欄としてとらえ、「26〇〇年にも猶二人の作り出した神話は生存ス」という意味として捉えることもできる、、、。)
南京・Nanjen

南京・Nanjen

メメントC

Geki地下Liberty(東京都)

2014/03/21 (金) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★

今の時代状況に
今の時代状況で、このテーマを作品化することの意味は大きい。

芝居としても面白かった。
役者さんもよかった。清田正浩さんが特に良いと感じた。

ネタバレBOX

嶽本あゆ美さんが脚本を書いた『太平洋食堂』では、
脚本としての力は凄いと思いつつも、
脚本ありき(言葉ありき)という感じで、芝居としての面白さに欠けるかなと思って観ていたが、
今作は、嶽本さん自身が演出も手掛けるということで、注目していた。

結果、言葉よりも、芝居自体に力点が置かれた演出で、とても面白かった。
嶽本さんは必ずしも脚本ありきという人ではないのだと思った。
そこは、役者さん達の力量に依るところも大きいのかもしれない。

生で付ける音の臨場感も素晴らしかった。
屠畜場の聖ヨハンナ

屠畜場の聖ヨハンナ

東京演劇アンサンブル

ブレヒトの芝居小屋(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★

正攻法の
正攻法のブレヒト解釈。
私にはその点が物足りなかったが、そういうものが好きな人にはとても良いのだと思う。

キャンディー

キャンディー

フルリールスタジオ

フルリールスタジオ(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★

う~ん。
河西裕介氏の作・演出作品は、私が観た限りでは、いつもヒリヒリした緊張感があって、とても好きなのだが、その緊張感が今作では感じられなかった。

虚像の礎

虚像の礎

TRASHMASTERS

座・高円寺1(東京都)

2014/03/06 (木) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★★

批評性の強い作品
中津留章仁氏の魅力は、社会にある様々な問題を、一度観念的に拾い出して、それを演劇のダイナミズムに力技で組み直すというようなものだと思っている。

今作の印象は、私が観た中津留作品の中で、最も観念的な作品だと思った。演劇のダイナミズムよりも、観念が先行しているように思った。
その点は物足りなく思ったが、全否定という訳でもない。
その分、作品の中にある複雑さや分裂は、今まで見た作品の中で最も大きかったように思う。その点はとてもよかった。

作品テーマも、今日社会で最も問題になっている、拗れてしまった正義と暴力の問題。
架空の都市での話だが、日本と近隣諸国との関係のようでもあり、イラクなど中東の話のようでもあり、、、
そこに、なんとか解決策を見出そうという作者の意志が素晴らしいと思った。

ただ、一点とても気になることがあったが、、、それはネタバレBOXで。

ネタバレBOX

世の中にある複雑な価値観とそれに基づく正義と暴力について語られている。それも、大きな社会問題から、小さな人間関係の中に潜むものまで。
現代社会で最も問題になっていることだと思う。

様々な立場の人間が、自分の正義を声高に主張し、他の意見を排除する。だが、それぞれに誠意あることを言っているという場合も多い。つまり、正義と悪で対決しているのではなく、正義への道筋やその判断基準が違うだけという場合も多いのだ。その相違をなんとか解決できないのだろうかと悩む主人公(劇作家)。これは、どこかで中津留氏自身の姿に重なって見えなくもない。

この主人公が、解決不可能な様々な問題に対しての、唯一の希望として描かれる。

中津留氏は、この主人公に自分を重ねてはいても、それは自己正当化や自分を誇りたいということではないのだと思う。
表現(演劇)の可能性として、この主人公を描いているのだと思う。

そう考えたとしても、それでも、どうしても、
誰か一人が正義のように描かれる物語に私は抵抗がある。
そのため、あのラストシーンはあまり良いとは思わなかった。

私はラストシーンで主人公が撃たれればよいと思って観ていた。
それは、主人公が気にくわなかった訳ではなく、むしろその考えには大きく共感するからこそ、そんなキレイゴトが通じる社会じゃないじゃないかと思っていたからだ。

勿論、作者はそんなことはわかった上で、それでも希望を描いているのだろうが、、、

私は希望を見ることよりも、絶望を感じることからしか、
次の一歩を踏み出せないタイプの人間なのだと思う。
恋に狂ひて

恋に狂ひて

横浜ボートシアター

横浜ボートシアター船劇場(神奈川県)

2014/03/07 (金) ~ 2014/03/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

近代劇の超克は可能か?
長年、仮面劇をやっている劇団の人形を使った芝居。
そのため、普通の人形劇でもなく、普通の近代劇でもない。
人形であり、人形でない。人間であり、人間でない。その感じが絶妙に面白かった。

また、説教節の深さ、豊かさにも驚いた。

さらに、船劇場での上演のため、揺れながらの観劇体験というものも他では体験できない面白さがあった。

作品それ自体から受けた印象は★4だが、劇団が芝居に向き合う姿勢や、そのオリジナリティなどをトータルに考えて★5にしました。

ネタバレBOX

人形を使った芝居ではあるが、所謂人形劇ではない。
役者が人形遣いであると同時に、顔を出して演技もしている。
その上、説教節ということもあり、近代劇的な感情移入型の演技・発語ではない。
それらの屈折によって、人形と役者との距離感が絶妙であった。
人形であり、人形でない。また、人間であり、人間でない。

これは、長年、仮面劇をやってきた劇団ならではの発展形と言ってよい。

更に、この人形と役者との距離感の問題は、すべてが古語で語られることによって、観客に伝達される段階で、意味レベルでの距離感のズレが加わる。

何重にも屈折した表現を観たという印象。
(ある意味では、ブレヒトの異化効果にも似ているが、根本的に異化とも違う。)

と言っても、空間演出など、部分部分で、直接的に感受できる素晴らしい幻想が起ちあがる部分もあり、すべてが屈折している訳でもない。
それは役者の演技においても、感情を排している訳でもないため、人間が強く見える部分もある。
それらの、ズレと重なりの具合がとても面白かった。

こういう作品の中に、感情的な人間の内面のやりとりを表象する近代劇の限界を超えるものがあるのだと思う。

また、説教節の深さも痛感した。
人間の愛憎、罪きせ、誤解、、、、身分差別、復讐、、、
多様な読みが可能な、豊かな世界。
最後に、登場人物皆が死ぬことで、それまでの価値観が反転する(すべての者のが平等になる?)という部分も凄いものがあった。
片づけたい女たち プレビュー公演

片づけたい女たち プレビュー公演

グループる・ばる

ゆめぱれす(朝霞市民会館) 大ホール(埼玉県)

2014/03/08 (土) ~ 2014/03/08 (土)公演終了

満足度★★★★

批評性
50代女性の日常的な会話をユーモラスに展開しながらも、
強い批評性を秘めた作品。さすが、永井愛氏。
批評と言っても、社会を単純に批判し、観客を上から啓蒙している訳ではない。批評の刃は主人公自身を切り裂いていく。
それは、作者をも、観客をも、安住させたりはしない。

私の席は舞台から遠かったので、小劇場の臨場感に慣れている身としては、そういう部分で物足りなくはあったが、とてもよくできている作品だと思った。

ネタバレBOX

部屋を片づけられない女と、その友人二人との50代女の日常的な悩みなどを基に話は展開していく。
物語は軽妙なタッチで始まるが、最終的には人生において「片づけられていないもの」という重いテーマが起ちあがってくる。
それは「傍観」という問題。

高校時代、ベトナム戦争反対の決議をとろうとした際に、多くの人が会に参加さえしなかったことに怒り、「俺はお前らの側には立たない」というような言葉を残し、学校を退学したという優等生でカッコよかった男の話題がある。その男は、学校で一番頭が良かったにも拘わらず、高校中退ということもあり、その後、出世もせず、肉体労働の仕事中に高い処から落ちて死んでしまったという。

その彼の存在が、高校時代から現在まで、ずっと「傍観」しつづけている主人公の人生を問うている。

主人公は、高校時代、友人が部活中に顧問の先生からセクハラされたことを、コトナカレでやり過ごしたことを思い出す。

更に、つい先日も、直近の上司が首切りにあった際に、何も言わずに傍観をしてしまったことに思い至る。

そして、そのことで、30代の男と先日別れた理由が、彼に原因があるのではなく、自分に原因があるのだと気づく。
彼を最初は優しい人だと思っていたが、よく考えたら単に闘わない順応主義者でしかないと思い軽蔑して別れた。だが、実はそれは近親憎悪であって、逃げている男に、傍観者としての自分の姿を見て軽蔑していただけだった。

そのように、人生において片づけてこなかった「傍観」のことを突きつけられる。ある日、郵便受けに、差出人不明で、そのような主人公の姿勢を批判する文章が入っていたという。
誰からのものかわからない。上司の可能性が高いが、他の人かもしれない。
そして疑心暗鬼になる。

この主人公に限らず、このような「傍観」の問題はどんな人でも、少なからず思い当たることがあるだろう。
個人的な人間関係の問題から、会社での振る舞い、そして社会的な事象まで(政治、原発、被災、戦争、貧困、、)。

様々な位相で、この「傍観」という問題は、現代最大の問題のひとつだと言っていい。

そして、完全にこの問題に対して、傍観者ではなく生きるなどという理想論は通用しないのもまた真理だから話は難しい。作者もそのことをよくわかっているのだろう。
そのため、「傍観」批評でありながら、上から批判している感じがしない。葛藤を葛藤のまま描いているという感じがする。その点がとても良かった。
蜜月の獣

蜜月の獣

小西耕一 ひとり芝居

RAFT(東京都)

2014/02/26 (水) ~ 2014/03/03 (月)公演終了

満足度★★★★

独特のグルーヴ
独特のグルーヴがあって面白かった。

作品が問いかける内容も、心に迫るものがあった。
自分の中に潜む男の暴力性を突きつけられた。

ネタバレBOX

日常の一断面を切り取った場面という設定を考えると、
作者の内面を言葉にして表出しているようなモノローグ的な部分が見えて、ダイアローグとしては上手くないなと感じる部分も多々あったが、
一方で、そのちょっとギクシャクした感じこそが、妙なグルーヴを生んでいたとも思う。
作者の意図か、偶然の産物かはわからないが、私にはその点がとても面白かった。

特に前半の笑いの要素が多い部分でそのグルーヴは活きていたと思う。
日常のテンポの中で、日常的ではない言語の表出が、妙なズレを生んでいた。空転しつづけるスベり芸のような面白さがとても良かった。

前半はそのように、笑いの要素が多く、コメディかと思っていたら、
後半、極めてシリアスな問題が起ち上がってくる。

冒頭で「?」を示し、その「?」が物語の展開とともに徐々に明らかになっていく作りも見事だと思った。この点はとても上手いと感じた。
特に、作者(役者)がそれを言葉で明示するのではなく、観客自身が「あぁ、そういうことだったのか」と発見できる作りになっていて、とても良かった。

ただ、これは私の個人的な趣向の問題なのかもしれないが、
あこそまで劇的な物語にする必要はなかったのではないかとは思う。
日常の断面の描写を積み上げて創った物語であり、そのリアリティが核心にあるのだから、物語としてのスペクタクルに向かわずに、その細部の中に同質の問題を見出していく作りの方が良かったのではないか。

それでも、物語としては大仰であったけれど、観客の私の心に残ったものは、微細なものがきちんと残ったので、とても良かった。

私自身は、この物語で語られるような行為(レイプや暴力など)をしたこともなければ、自分が大切に思う人がそのような事態に巻き込まれたこともない。そういう意味で自分と関係がある話とは一見思えないのだが、この中で語られている暴力性は、小さなレベルであっても私の中(どんな男の中)にもあるのだということを突きつけられたような気がした。これは性や肉体的暴力だけの問題ではなく、言葉の暴力や力学としての暴力性という意味でも。

(そういう意味で、この作品を女性が観たらどう思うのかというのはとても気になった。)


役者さんも3人とも、とても良かった。

特にオールラストでの、河西裕介さんの眼がとても印象的だった。
眠る羊

眠る羊

十七戦地

LIFT(東京都)

2014/02/19 (水) ~ 2014/03/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

凡庸な悪
政治家(特に二世議員)や官僚の中にある「凡庸な悪」を描いた作品だと思った。
おそらくこの芝居で描かれているような構造で、為政者は国を動かしているのだろう。とてもリアルに感じた。
硬いテーマだが、随所にユーモアがあるのもよい。
風刺的でありながらも、一つの立場から主義主張を提示している作品ではないので、その感覚もとてもよかった。

ネタバレBOX

ハンナ・アーレントは、ナチスが行ったホロコーストの実行責任者アドルフ・アイヒマンを、命令に従っただけで何処にでもいる普通の役人でしかないとし、その本質を「凡庸な悪」とした。

私が『眠る羊』を観て思ったのはこのことだった。
二世議員で衆議院議員の次男:智志は、周りの人間が動いてくれることの上に胡坐をかき、自分の主張を述べているだけで、全く悪意はない。だが、母は彼を担ぎ上げるために多額の金を使っていた。その資金のために、企業から献金を受けていた。

防衛省装備施設本部の長男:宗介:は、自分の行為に無自覚で、自分の好きなオペラへの寄付金捻出のため、友人である軍需産業企業の社長から寄付を受けていた。その社長の助言を受け、自衛隊が購入する装備品(軍用艦のエンジンだったかな?)の発注をドイツの会社からアメリカの会社に変えさせた。実はそのアメリカの会社は、友人の社長の企業と提携しているところだった。

防衛省海上幕僚監部広報室の三男:衝太は、「匿名兵士の黙示録」というブログで、身元を隠しながらも政府見解と異なる(次男の考えとも異なる)憲法9条の改正や国防軍保持、徴兵制導入などの主張を声高に訴えていた。

これらはすべて、大きな悪意があって行われていることではない。自分の知らぬところで行われていたこと。なんとなく無自覚的にやっていたことなどである。それが大きな構造の中では、法律違反であり、倫理的にも悪となったと言えよう。

おそらく、この国で動いている力学の中心はこのようなものなのではないか。明確な悪意に基づいて行動している人もいるだろうが、それを構造的に支えているのはこのようなものなのではないか。
よく政治家や官僚への批判を耳にする。実際、本当に悪意を持った人間もいるだろが、その多くは、たいした悪意もなく、自分の信念を心から正義だと思い込んでいたり、既に以前からある権益をそのまま享受しているだけだったりするのではないか。

また、主人公が与党の衆議院議員であり、護憲の立場でありながら、武器輸出三原則を改訂しようとしていたり、同じく政治家であった彼の父が死ぬ前には憲法改正の立場に変わっていたなど、単純な権力批判をしている物語でもなく、多様な解釈ができるところもよかった。

ラストシーンで、清志郎(主人公の父)の秘書であり愛人であった常盤美咲は、国民を羊に例え、憲法改正に意見を変えた清志郎の意識こそ、自分が羊の群の一匹であるということを自覚していたということであり、次男智志(主人公)は国民に九条という柵を作ることで統率しようとしていると言う。つまり、次男智志は上から目線だと言っているのだ。
このラストシーンの面白さは、様々な形で、正義が引き裂かれているところにある。作者の主張が透けて見えるようなツマラナイ話にはなっていない。癒着には関わっていなかった主人公は、彼の信念に関してはとても清廉潔白であるかのように見える。だが、その正義を秘書がひっくり返す。それに、そもそも、主人公は武器輸出三原則を改訂しようとしている立場であり、完全な理想主義者でもない。「平和を実行する市民の会」というNGOに参加している一番下の妹の存在が彼の理想主義をも相対化している。では、秘書並びに、父の主張が正義なのかというと、そんなことはない。現実的にそれが正義だと父が主張していたに過ぎない。
観客は、では何が正義なのか、逡巡することになる。このバランスが素晴らしい。特に、末の妹を物語の中心に介入させなかったことで、このバランスが成り立っていると言える。

主人公を演じた北川義彦さんは、私が観た他の芝居では、線が細く繊細な役者さんという印象だったが(←そういうものとして素晴らしかった)、今作では政治家の図太い貫録を演じられていたと思う。素晴らしかった。

また、主人公の次男が辞職を覚悟し、議員バッチを置く場面での、公設第一秘書役真田雅隆さんの演技がとても良かった。自分が育ててきたお坊ちゃんの無念を我がこととして思っているというのがとてもよく伝わってきた。

総じて、とても面白く拝見したが、厳しく言えば、物語内で語られる人物は、ひねってあるとはいえ、想定できる政治家像、官僚像であって、驚きには欠けた部分がある。
また、政治的なテーマのため仕方がない部分もあるが、割と知的(観念的)な面白さが先行していて、演劇としてのダイナミズムは少なかったように思う。ただ、これは、以前観た十七戦地の芝居と比べてという意味なので、これが初見の劇団だったら、演劇としてのダイナミズムもあると感じただろう。

厳しいことも書いたが、とても面白かった。

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