海猫街・改訂版 公演情報 劇団桟敷童子「海猫街・改訂版」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    過去を描きながら 現在を問うている
    日露戦争後の話。
    日本の近代化による庶民と国家/産業との関係、
    地方と都市との構造は、当時から現在まで何も変わっていないのだと気づかされる。
    原発の構造なんてまさに。

    初演は2006年だが、原発事故を経験した今、この作品を再演する意味は大きい。

    ネタバレBOX

    現在と当時で何も変わっていないと言っても、大きく変わった部分もある。

    それは、自然と人間との繋がり。八百万の神への信仰と言ってもいい。
    かつては、これほどまでに人間は自然と共に生き、自然に畏敬の念を持っていた。
    現在では、どこかで全て人間が自然をコントロールできるかのように錯覚している。
    だが、先の震災でもわかるように、現在でも自然の脅威は圧倒的だ。
    自然との繋がりを失った人間は、同時に、何か大きなものを失ったような気もする。
    (ただ、この議論を深めると、一歩間違うと、スピリチュアル/カルトになるので、それもそれで危ない部分もあるのだが。)

    そして、共同体の在り方。
    村落共同体では、年上が尊ばれる。
    それは、儒教的な教えの影響だけではなく、今作の「おばば」がそうであるように、年配者が持つ智慧に由来する。それがかつては実際に大きな力だったのだ。
    現在は、それらが科学などから得られる知識にとって替わり、
    経験からくる智慧のようなものの存在価値が軽視されている。
    それが同時に年配者への敬意をも失わせてしまっている。
    (と言っても、私は、根拠もなく「年上だから敬意を持て」式の年功序列権威主義なんてクソくらえだと思っている。心から敬意を持てる年配者の存在とその経験から得られた智慧が重要だと言いたいだけだ。)

    また、共同体の内部での差別の問題もある。穢れ(部落)の問題。
    現在でも、高齢者の中には多少残っていたりもするが、この問題は現在では極めて小さいものとなってきた。だが、排外主義などが横行している状況を考えると、この問題は、形を変え転移しただけだとわかる。

    このように、私は、過去の物語から、現在のことを色々と考えさせられた。

    今作は、過去を語りながら、現在をこそ問うている作品だと思う。

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    2014/04/23 21:16

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