満足度★★★★★
圧巻でした!
小屋全体がセットで埋め尽くされる感じ。
一人一人が面白いのもあり、おばあちゃん役の方、特にお気に入りです。
若干ラストなど疑問も残ったけど、特殊ギミックにビックリ!有り余るパワーで面白かったです!そして前列の人は大変だなーと思った(笑)
満足度★★★★★
すごいね~
序盤は騒がしくてかなわんなぁと思いましたが、気づいた時には魂を鷲掴みにされて片時も目が離せなくなっていました。とにかく面白い。それしか言えないです。今回は板垣桃子さんの迫力が素晴らしかったです。
満足度★★★★★
無題1091(14-129)
13:00の回(晴、夏日)。12:40会場着、すでに開場していて最後列中央に案内されました。4/27に観ていて2回目、千秋楽、4作目。
12:55「ウミネコのエサ…」、13:01開演(通路にも座席を作っていながらほぼ予定通り)〜15:01終演。
1回目は2列目でしたが、今回は全体がよくみえます(イサナが潜るシーンでは、上手の天井近く、その真下、下手、の3つの視点)。
栄枯盛衰、時代の趨勢を冷静に計算しながら、ひとり、婆の最期を静かに見とどける「会長」。己の使命か、時、人々の、海女の流れる血がそうさせるのか尽き果てることを怖れないイサナ。板垣さん、椎名さんの演技に引き込まれ、大手さんは前3作とは全く違うキャラクター。
稲葉さんは「乱歩の恋文(2012/1@トラム)」、「Hedda(2013/9@雑遊)」で観ていました。
満足度★★★★★
引き込まれる
いきなりクライマックスがきて、引き続きクライマックスで、ちょっと気を抜かせといたかと思えば、またすぐにクライマックスでみたいな流れで、熱気がすごいですね。
海に潜る人たちが出ても、恋い焦がれて守って足を踏みしめてるのは現実の大地でというのが桟敷童子さんですね。
風であろうが、海であろうが、山であろうが、幻想的ともいえる美しい彼方ではなく守りたいのはいつも苦しくて痛みを伴う現実世界。なんだかすごいね。息苦しいけど生きてかなくちゃならんね。
ここで。
みんな熱演。
いいものまた見せてもらいました。
ありがとう。
満足度★★★★★
無題1085(14-123)
13:00の回(快晴、暑)。12:15会場着、受付(整理番号付前売)、12:30開場。12:56老婆「ウミネコのエサあります」の旗、手前の木組みまで来る。13:01前説、開演、海の「青」い飛沫が会場を埋め尽くし物語は始まる…15:00終演、バックステージツアー(客席から観ていると広そうですが、実にコンパクトに造られています)。
客席右側上部まである舞台にぐるっと囲い込まれ、急変する潮の流れに翻弄される人々とともに揺れた2時間。「泳ぐ機関車」からで4作目(此処は3作目)。
荒々しい物語の間に挟み込まれた「花」に向けられた灯り、還ってくることを待ち続ける女、別れゆく者たち、舞い落ちた花片をノートに挟んで会場を後にしました。また12月に。
満足度★★★★
☆4.4
これぞスペクタクル小劇場演劇の極北!!といった感を再認識。
またぞろ怪異譚かとゆう想いと、この小屋での公演はやっぱり見逃せない、との想いの間で心が揺れつつも結局、遠方より足を運んでしまう。
この作風には、食傷気味ではあるのだけれど、この規模でこれだけ上質の舞台を提供してくれる劇団には感謝とエールを送りたい。
満足度★★★★★
お見事!
とにかく圧巻の舞台である。芝居の出来が素晴らしく,心震えました。完璧ですね。入場時から,舞台装置に圧倒され(入場時のスタッフ(役者さんだが)ワークも良い。おもてなしの心ですね。),海猫の鳴き声に臨場感は高まり,開演後は芝居にのめり込むばかりです。客席にはみ出すような舞台装置がまた舞台の大きさ,物語の大きさを膨らまします。そしてとにかく風雨!もう圧巻です。前方の席の方は大変ですね。凄いの一言です。この劇団の芝居は,ホント完成度が高く,また接客にも優れ,満足度は高いです。オススメの舞台であり,劇団と思います。
満足度★★★★★
物足りない。(後日書き足しあり)
圧巻の舞台装置、迫真の演技。
それはすでに桟敷童子の前提であり
ここの時点で星は5つである。
しかしこれが3本目となると
4つ程度の評価になってしまう。
正直いって物足りない。
何が物足りないのかといえば、
やはり前作と比較して
フォークロア色が薄かったせいなのではないか。
満足度★★★★
力のある作品でした。
役者の皆さんが力いっぱい演じる姿には、頭が下がる重いです。話の筋もさもありなんと感じさせ、権力者と弱者の対比がよく出ていました。
見させてくれるセットで、これも立派なものでした。
劇団桟敷童子さんの芝居を見たくて仕方がないお客さんが多いと感じられました。
満足度★★★★★
圧巻の迫力でオススメ
セットの凝り具合が凄まじく、特に女優さんのパワーがひしひしと来る作品だったと思います。最後の方に近づくにつれ、インパクトがありました。性や差別の表現もあり、苦手な方もいるでしょうが、自分は非常に面白く拝見しました。前列は要注意かな。時間ないので後述します。
土着夢幻想劇は3.11を海猫の鳴き声とともに鎮魂する
沖縄旅行するよりも、カルチャーに富み、時代を浴び、その日々を透明にする方法がある。
それが、劇団桟敷童子の舞台空間だった。
2年ほど前だろうか。日活撮影所の存在した調布市・公益財団法人調布市文化・コミュニティ振興財団主催〈調布シネサロン 日活100年への軌跡 銀幕のパールライン日活女優特集〉『絶唱』をフィルム上映のまま、鑑賞した。
作品紹介『絶唱』(1958年)
【山陰地方では、園田家と云えば、山園田と云われるほど名の通った、広大な森林と山を持つ大地主だった。その一人息子・順吉は山番の娘・小雪を愛していた。京都の大学の休暇で帰省したとき、そのことで父惣兵衛と激しく口論した。父は町の実業家の令嬢・美保子との結婚を強いるのだ。順吉には山園田のすべての富よりも小雪一人の方がかけがえなかった。彼には味方がいた。小学校教員の大谷や銀行員のマサなど彼のやっている読書会の連中である。彼が京都に帰ると、惣兵衛の命で、小雪は因果をふくめられ、他国の親戚にあずけられた。順吉が小雪にあいに帰って来、そのことを知った。彼は家出した。宍道湖のほとりの経師屋の二階が、彼らの愛の巣になった。順吉は肥くみ作業員、材木運びなどをして働いたのだ。が、二人は幸せだった。しかし、外の世界では戦争が進み順吉にも召集令状が来た。〜】(映画.COM 作品解説より)
「差別の構造」は、恋愛というドリルが壊すものだという固定概念が どこか私たちにはある。
しかし、劇団桟敷童子『海猫街・改訂版』は 郷土愛とか、仲間とか、家族とか、全く〈情〉に無関係の ドリルを教唆してくれる。それは〈使命感〉に近い。
劇場に入り驚愕してしまった。なぜなら、木材が入り乱れ、『海猫街』のカラーでもあるブルー・ライトを照らす、幻想的なジャングルであったからだ。
さあ、1920年代の日露戦争後、玄海地方に位置する漁村の物語であるが、改めて「昭和の身売り」時代を再確認したい。税金は上がり、物価は上がり、働き手が減った集落というのは、「近代化の孤児」であった。
それは そうだ。
敗戦後、GHQが調査したデータによると、地方は栄養失調が慢性化しており、舗装されていない路には牛車が活躍中だった。
こうした時代背景とは別に、漁村からミクロネシアの文化範囲をマターする民族性も描いている。それは海上に住宅を建設し、強固なコミュニティを形成する漁民だった。
『海猫街』は海賊の末裔、その奴隷が住む集落として描かれているから、元は「倭寇」であろう。いつしか安住の地を発見した。旧奴隷地区の村民は「白いクジラ」にまつわる土着宗教を信仰する。
この「土着起源説」は 海に面した島国の先住民族にも共通する神秘だ。ニュージーランド先住民族はマオリ族であるが、彼らは 次のような起源説を語り継いでいる。
マオリの神話と伝説
【マオリには豊かな神話と伝説があります。ニュージーランドが創られた様子は英雄マウイの伝説の中で次のように語られています。超人的な能力を持つ半神半人のマウイが、4人の兄弟とともに釣りに出かけたところ、特別な釣り針に巨大な魚がかかりました。あまりの大きさに、マウイは自分のもてるすべての力と兄弟の力を借りて、引き上げることに成功しました。この魚が北島になったと言い伝えられています。北島の形は、尾が北に、頭が南にあるように見えます。現在も、北島はマオリ語でテ・イカ・ア・マウイ(マウイの魚の意)として知られています。南島は、マウイの乗っていたワカ(カヌー)、スチュアート島(ラキウラ)はプンガ(錨)だとされています。形が似ているかどうか、ニュージーランドの地図を見てみましょう。】(ニュージーランド政府観光局 HPより)
いよいよ『劇団桟敷童子』の文明論を観劇できた。誤解を恐れず明言すれば、ディズニーを日本において専門的に扱う劇団四季のような擬人化である。もちろん、彼は鳥を登場させるわけでも、カエルを登場せるわけでもないのだが、何だか漫画であった。
満足度★★★★★
劇場以上の大きさ
劇場を立体に使い、照明も動きと美しさを与え、劇場からのイメージより大きな作品でした。
舞台上の役者さんも良かったですが、受付や案内、終演後の片付けや近隣への配慮を見られたから その姿勢がより一層後味良くしてくれました。
満足度★★★★
スピード感溢れる芝居
今回初めて観劇させていただきました。小屋に入った途端芝居の中に入り込むような空気感。丸太を組んだセットやこれて゜もかと舞い散る花吹雪。独特の世界観には引き込まれました。
ひとつ残念なのは、台詞がところどころ聞き取れなかったことかな。
満足度★★★★
泥臭い!
東憲司作品のストーリーは似ていると言われます。今回の作品も例外ではなかったようです。(自分は「紅小僧」と「夏ノ方舟」しか観てませんが。)ただいつも通り泥臭いエネルギッシュな演技が観れます。自分はそれを期待して観に行ったのでそこそこ満足です。なぜ、「そこそこ」かというと音響が少し大きすぎたように感じたからです。そこだけ残念でした。
パンフレットの初演時の写真と比べると衣装が良い感じに変わっていました。
好きな小説家が新しい小説を出したら買って読む。
好きな歌手がライブをやるから行く。
桟敷童子もそんな感覚にさせてくれます。
満足度★★★★★
観始めて間もなくワクワク
日露戦争後に国の繁栄(という大義名分で自らの利益を得ようとする輩)の犠牲となる庶民を描いており、「芝居芝居した芝居」を観たという充実感に満たされる。
そもそも観始めて間もなく「あー、これこれ!」とワクワクしてしまうくらいで。
通奏低音の如く悲劇性・哀しさがありつつ、ユーモアも交えた語り口は流暢で、様式美的なものやケレン味もあり鮮やか。
で、ふとここも含めてアングラ系の芝居は「現代歌舞伎」ではないか?などと思う。
さらに、沙翁作品が「きらびやかな悲劇」なのに対してこちらは「土着的悲劇」か?とも思ったり。
いやぁ、面白かった♪