土着夢幻想劇は3.11を海猫の鳴き声とともに鎮魂する
沖縄旅行するよりも、カルチャーに富み、時代を浴び、その日々を透明にする方法がある。
それが、劇団桟敷童子の舞台空間だった。
2年ほど前だろうか。日活撮影所の存在した調布市・公益財団法人調布市文化・コミュニティ振興財団主催〈調布シネサロン 日活100年への軌跡 銀幕のパールライン日活女優特集〉『絶唱』をフィルム上映のまま、鑑賞した。
作品紹介『絶唱』(1958年)
【山陰地方では、園田家と云えば、山園田と云われるほど名の通った、広大な森林と山を持つ大地主だった。その一人息子・順吉は山番の娘・小雪を愛していた。京都の大学の休暇で帰省したとき、そのことで父惣兵衛と激しく口論した。父は町の実業家の令嬢・美保子との結婚を強いるのだ。順吉には山園田のすべての富よりも小雪一人の方がかけがえなかった。彼には味方がいた。小学校教員の大谷や銀行員のマサなど彼のやっている読書会の連中である。彼が京都に帰ると、惣兵衛の命で、小雪は因果をふくめられ、他国の親戚にあずけられた。順吉が小雪にあいに帰って来、そのことを知った。彼は家出した。宍道湖のほとりの経師屋の二階が、彼らの愛の巣になった。順吉は肥くみ作業員、材木運びなどをして働いたのだ。が、二人は幸せだった。しかし、外の世界では戦争が進み順吉にも召集令状が来た。〜】(映画.COM 作品解説より)
「差別の構造」は、恋愛というドリルが壊すものだという固定概念が どこか私たちにはある。
しかし、劇団桟敷童子『海猫街・改訂版』は 郷土愛とか、仲間とか、家族とか、全く〈情〉に無関係の ドリルを教唆してくれる。それは〈使命感〉に近い。
劇場に入り驚愕してしまった。なぜなら、木材が入り乱れ、『海猫街』のカラーでもあるブルー・ライトを照らす、幻想的なジャングルであったからだ。
さあ、1920年代の日露戦争後、玄海地方に位置する漁村の物語であるが、改めて「昭和の身売り」時代を再確認したい。税金は上がり、物価は上がり、働き手が減った集落というのは、「近代化の孤児」であった。
それは そうだ。
敗戦後、GHQが調査したデータによると、地方は栄養失調が慢性化しており、舗装されていない路には牛車が活躍中だった。
こうした時代背景とは別に、漁村からミクロネシアの文化範囲をマターする民族性も描いている。それは海上に住宅を建設し、強固なコミュニティを形成する漁民だった。
『海猫街』は海賊の末裔、その奴隷が住む集落として描かれているから、元は「倭寇」であろう。いつしか安住の地を発見した。旧奴隷地区の村民は「白いクジラ」にまつわる土着宗教を信仰する。
この「土着起源説」は 海に面した島国の先住民族にも共通する神秘だ。ニュージーランド先住民族はマオリ族であるが、彼らは 次のような起源説を語り継いでいる。
マオリの神話と伝説
【マオリには豊かな神話と伝説があります。ニュージーランドが創られた様子は英雄マウイの伝説の中で次のように語られています。超人的な能力を持つ半神半人のマウイが、4人の兄弟とともに釣りに出かけたところ、特別な釣り針に巨大な魚がかかりました。あまりの大きさに、マウイは自分のもてるすべての力と兄弟の力を借りて、引き上げることに成功しました。この魚が北島になったと言い伝えられています。北島の形は、尾が北に、頭が南にあるように見えます。現在も、北島はマオリ語でテ・イカ・ア・マウイ(マウイの魚の意)として知られています。南島は、マウイの乗っていたワカ(カヌー)、スチュアート島(ラキウラ)はプンガ(錨)だとされています。形が似ているかどうか、ニュージーランドの地図を見てみましょう。】(ニュージーランド政府観光局 HPより)
いよいよ『劇団桟敷童子』の文明論を観劇できた。誤解を恐れず明言すれば、ディズニーを日本において専門的に扱う劇団四季のような擬人化である。もちろん、彼は鳥を登場させるわけでも、カエルを登場せるわけでもないのだが、何だか漫画であった。