ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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SENSE OF LOSS

SENSE OF LOSS

劇団Turbo

駅前劇場(東京都)

2017/04/27 (木) ~ 2017/05/01 (月)公演終了

満足度★★★★

ぽっかり心に穴が開いてしまったような状態を体験しなかった者は幸せである。

ネタバレBOX

実際にそのように恵まれた者が存在するか否かは問うのも愚かなことかも知れない。何れにせよ傷つかなかった心などありはすまい。然し、心にいつも虚ろを抱え込んだ生というものは決して楽なものではない。様々な理由で親を亡くし、この施設で育った子供たちに里子制度による親が出来たのだが、貰われていった3姉妹は実の姉妹。だが里子に出された家庭は別々であった為、姉妹の誰一人として心底からの幸せに到達できない。親・子双方が各々悩むが子供同士が離れたくないのであれば、親が子供から離れ彼女らの思いを尊重しようと各親同士が約束を交わし子供たちは元の鞘に収まったが。この後、更なる協議の末に、誰もが納得のゆく結論を出し物語は新たな局面に入る。
 上演中故、ネタバレはここまで、あとは確認してちょ。

SENSE OF LOSS

SENSE OF LOSS

劇団Turbo

駅前劇場(東京都)

2017/04/27 (木) ~ 2017/05/01 (月)公演終了

満足度★★★★

ぽっかり心に穴が開いてしまったような状態を体験しなかった者は幸せである。

ネタバレBOX

実際にそのように恵まれた者が存在するか否かは問うのも愚かなことかも知れない。何れにせよ傷つかなかった心などありはすまい。然し、心にいつも虚ろを抱え込んだ生というものは決して楽なものではない。様々な理由で親を亡くし、この施設で育った子供たちに里子制度による親が出来たのだが、貰われていった3姉妹は実の姉妹。だが里子に出された家庭は別々であった為、姉妹の誰一人として心底からの幸せに到達できない。親・子双方が各々悩むが子供同士が離れたくないのであれば、親が子供から離れ彼女らの思いを尊重しようと各親同士が約束を交わし子供たちは元の鞘に収まったが。この後、更なる協議の末に、誰もが納得のゆく結論を出し物語は新たな局面に入る。
 上演中故、ネタバレはここまで、あとは確認してちょ。

光と影からの恵み

光と影からの恵み

BuzzFestTheater

萬劇場(東京都)

2017/04/26 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

小屋の作りの関係で座る場所によって見切れができてしまうので、可動椅子の場合は、
半身ずらしで並べるなどの配慮が欲しい所だ。キチンと見えさえすれば多くの人が更に高得点をくれるだけの内容である。

ネタバレBOX

都内にある沖縄料理店。店主は娘ばかり4人を持つ。妻は癌で既に亡くなっているが、孫娘にも恵まれ、常連客も互いに仲の良い極めて家族的な店である。無論、従業員も沖縄大好きおヤマトンチュー。そして医者を目指す中々優秀な留学生。
 笑いには、各キャラクターの言語表現の癖を用いたり、発音上の難点を用いたりを多用しとって付けたようなギャグが少ないので、沖縄の苦悩の歴史を背景にした物語を自然に成立させている。物語の縦軸は、三女・恵美の夫・光央の闘病生活だが、それを支える場として沖縄料理店の日常が活写されている点は見逃せない。というのも、日常を劇化するということは、難易度が高いのである。無論、ドラマティックな部分は、光央の闘病に纏わる部分だが、日常がしっかり描き込まれていないと芝居は観客に迫ってこない。この辺りの呼吸をしっかり舞台美術を含めて表現してくれている。もともと、この小屋は天井タッパがかなり高い。店の営業中は、下手の高い部分に地味な色地の布を用いた目隠しがそれとなく配されているのだが、物語の進展で必要になると、そこは病室であったりと実に効果的に用いられているのみならず、上手天井近くにはエル字型に提灯が下げられて、観客の目が自然に演者に向かうように作られている。
 また、人々の哀しみや喜びを表すのに沖縄の歌は最高の表現の一つだと思われるが、三線の生演奏や歌が実によく按配されている点も見所、聴き所である。

「新宿コネクティブ アナザー1975」

「新宿コネクティブ アナザー1975」

演劇企画ハッピー圏外

TACCS1179(東京都)

2017/04/20 (木) ~ 2017/04/26 (水)公演終了

満足度★★★★★

 1975年当時の本質的な新宿(歌舞伎町・ゴールデン街・二丁目)のちょっと斜めに構えながら、ホントに優しい街の雰囲気を見事に表出した作品。

ネタバレBOX


更に付け加えておくならメタ化された作品は、それなりに存在しているのだが、ハッピー圏外特有のトリックスター、後藤田さんの名乗りをメタ化しているのには驚いた。原作は小説にもなっているとのことで月末辺りから都内本屋には並びそうだ。
新宿のこの頃は実に面白い街であった。無論、表面的にはぼったくりとか、カツアゲやチンピラに喧嘩を吹っかけられて、袋叩きにされる連中も居たし物騒だという側面があったのも事実だが、ディープな関わりをしている人間には極めて優しい街であったのも事実であり、ホントにピンからキリまで総てのタイプの人間が集まる坩堝であった。マッポの手が届かない人脈・ルートがあったのも事実である。掃除屋というキャラクターが、当時の新宿の象徴として描かれ、悲劇のヒロインや街の優しさ表現にも極めて効果的で斬新な表現が採られている点、そしてそれらが、本質を見事に抉り出している点で、この劇団の質の高さと優しい感性、真摯な態度に共鳴する。
わりとキリギリス

わりとキリギリス

いのさち

OFF OFFシアター(東京都)

2017/04/19 (水) ~ 2017/04/23 (日)公演終了

満足度★★

 かなり病んでいるような内容だが、シナリオが未だ3人称の立ち位置から書かれていない。その為だろう。切れが悪いのである。

ネタバレBOX

タイトルは「蟻とキリギリス」をもじったものだし、劇中何度も原話の解釈や、クイズの解答として蟻を選ぶかキリギリスを選ぶかなどの設問も出てくるのだが、それが話の全体と有機的に関わっているとは言い難い。而も、描かれているのは拉致・監禁の上での虐待(気絶するほど強力なスタンガンを用いた)なのだからパンフに謳われているような喜劇というには程遠い。而も、劇中襲撃者は悪を働く自分が喜びを感じることに酔う反面、少しは呪ってもいるのである。こんな中途半端を描くなら、いっそのこと徹底した悪を描いた方が作品としては数段面白くなる。例えばキューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」に登場するアレックスのような暴力である。
独立愚連飯店

独立愚連飯店

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2017/04/19 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★★

 東西南北、どの国からみても最も国境に近い真空地帯に位置する、食堂。その名を独立愚連飯店。(Bチームを拝見)

ネタバレBOX

マスターには伝説があって滅法強いことは確からしく、この店唯一の掟は例え戦闘中の敵同士であっても、店に入った以上「仲良く飯を食え」である。マスターの威厳を恐れてこの掟を破った者は居ない。
 このことが戦争の非人間性や、殺戮を旨とした生活から精神にダメージを受けた者、ホントに嫌気がさした者達にとって、心平らかに安らぎ居心地の良い唯一の場所になっていた。然し、各国の戦争はまだ続いている。そんな時、この食堂に東の国の兵士が2人紛れ込んできた。敵対国の兵士たちなので、常連たちも身構える。が、皆、人を殺したい訳でも殺されたい訳でもないので、女将が拾ってきた2人の兵士を皆で匿うことになったのだが、この国の兵士が、敵兵が潜入しているのではないか? と捜索に来たり、高級参謀用の兵法書が盗まれたらしいとの情報も入り、疑心暗鬼渦巻く中で、人として生きること、人間らしさが問われてゆく。同時に軍の根本的発想、人間を人間として扱わず“単に駒として考えよ”という兵法書の極意なども明かされ、戦争遂行の為に国家が「国民」に要求するものが何であるかを提示している。更にこの体制を維持する為の立法として共謀罪が登場するのだが、アメリカの植民地であるこの「国」の人々への注意喚起にもなっていることに注意したい。スノーデンの指摘を待つまでもなく電磁データの総てをアメリカは日本から原理的に盗むことができる。スノーデンの指摘した手法プリズムはエシュロンの発展形であろう。而もエシュロンの基地が、日本にあることは周知の事実である。トモダチ作戦の目的はいくつもあったが、そのうち最も比重が重かったのが、エシュロンの基地を守ることだったのではないか? との疑いを自分は持っている。何故ならエシュロンの基地は三沢の米軍基地内にあるからである。
 ところで、共謀罪である。何故、安倍の如きパシリが、共謀罪に此処までこだわるのか? という点についてである。エシュロンやプリズムで電磁データの総てを原理的に盗めるということであれば、情報収集サイドの穴は何処にあるか? これを考えてみればよかろう。答えは各自で出したまえ。
 何れにせよ、共謀罪を無理矢理成立させる必要などない、ということは日弁連の主張などを見ても納得がゆく。https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/complicity.html
まっする東京すぽーつじむ

まっする東京すぽーつじむ

ものづくり計画

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2017/04/19 (水) ~ 2017/04/23 (日)公演終了

満足度★★★★

 板上は、素舞台。箱馬が腰かけやテーブルとして用いられている他、必要に応じて劇中、話の内容に応じたパーティー会場作りなどもされ、自然な流れが作られているので、伏線が、それと感づかれないままに巧みに埋め込まれている。この演出の手際は鮮やかと言って良い。花四つ星

ネタバレBOX


 物語は、街中のスポーツジム。一般に喧伝されている日本最初のスポーツジムより、ホントは歴史のあるジムが、存亡の危機に瀕していた。建物、設備、インストラクター等、どれをとってもガタがきたジムだったが、存亡の危機が伝えられると多くの人々から基金が寄せられリニューアルすることができた。心機一転、新たにチャレンジしようと考えた二代目は地元TV局にプロモーションヴィデオの制作を依頼した。PV試写などで再会したTVディレクターと二代目の会話から、TV取材が入ることになったが、リニューアルはしたものの、話の内容の殆どが嘘。然しTV局の取材が入るとなれば何としても体面を繕わなければならないと“まっする東京すぽーつじむ”関係者はてんやわんやの準備、打ち合わせなどに追われる。実際に現役で活動しているインストラクターは高齢者ばかりの為、偶々、二代目がTV局スタッフにジムを案内した際、会員になりすましピンチヒッターを務めた小劇団メンバーは即席インストラクターを演じることになり、本物のインストラクターたちは、かつて行われていた交流会の観客として参加することになった。TV局はこの交流会をメインに取材することになっていたのだが、地方局と雖もそこはプロ、すぽーつじむ側の嘘を見破ってしまう。然し、伏線で触れられていた謎が、起死回生の妙薬となった。その謎とは、ジム開設者である必敗のプロレスラーが何故人気レスラーだったのか? という謎であった。ミル・マスカラス、タイガーマスク(殊に初代)、猪木、ブッチャー、デストロイヤー、馬場などが何故人気レスラーだったかをみれば明らかであろう。カッコいいし、強いからと両面揃っているか、強いからであった。因みにこのスポーツジムの名称は“まっする東京すぽーつじむ”プロレスラー“まっする東京”のリングネームから取られた名である。そして名のあるプロレスラーなら皆持っている必殺技としてまっする東京が持っていた技の名をジャッジビンタという。
学校で苛められたり、孤立して辛い思いをしている子供達の意を自ら受けて、彼ら彼女らの悔しさ、苦しさを解消し優しく包み込んでやっていたのである。この優しさに救われた子供達、或いは社会的弱者たちがどれだけ多く居たことか。廃業止む無しという所迄追い詰められたジムの再建資金を提供してくれた人々こそ、まっする東京に救われた成長後の子供達であった。
 この事実に気付いた優秀なTVディレクターは、番組内容を変更してドキュメンタリーに切り替える。そしてこの国で最も早くできたスポーツジムの縁起として番組を制作する。
 シナリオで嘘を批判的に描くのではなく、その嘘が何故吐かれなければならなかったかに注目し、拠って来た所をハッキリさせて事実を再構成することによって作品を完成させてゆくというメタ構造を持たせた点に今作成功の理由があろう。この文章の最初で述べたように伏線の上手さも特筆に値する。うらぶれた雰囲気を出す為に役者陣もかなり工夫を凝らしたに違いない。劇団員の生活がそれとなく描かれていることも、この論点を保障するのではないだろうか。同時に生きてゆく者の求める答えも提示されているように思う。心を撃つ作品である。
『ラクゴ萌エ』

『ラクゴ萌エ』

ラチェットレンチF

d-倉庫(東京都)

2017/04/13 (木) ~ 2017/04/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 落語は、無論滑稽をその情趣とするが、人情ものの作品数も極めて多く、作品数からいうと滑稽譚に次ぐ位置を占める。

ネタバレBOX

所謂古典落語の世界を成立させた社会というのは、近代以前から国民国家を形成しようとした時期に当たる。この間、為政者同士の争闘も紛争の様相を呈したことは誰でも知っていよう。幕藩体制から大政奉還を経て廃藩置県と言う名の行政単位に移行する中で、我々は初めて国家意識を強要されるに至った。これは、我々より早く国民国家を作り上げ、世界中を植民地化していった欧米列強が一足先に歩んできた道である。遅れた我々は、その劣勢の総てを甘んじて受容すべく、教育によって洗脳され、天皇を頂点とする忠君愛国の滅私奉公に駆り出されることとなった。当然、私権は制御され、理不尽は民衆に押し付けられた。そんな状況の中で警察権力が肥大し、軍部が跋扈する時代が長く続いたのは周知の事実である。そんなガンジガラメの只中で庶民がホッと息継ぎすることができたのが、シャレノメスことと人間らしさを保つ人情の機微に訴える手法であったに違いない。落語の発達と隆盛は以上のような条件下での文化的必然であったと看做すことができる。
 今作は現在の日本で起こっている落語の再燃現象を意識しつつ、落語の二大本質の一つ人情噺に重点を置いて作られている。古典落語も新作落語も登場するし、所謂腐女子御用達の二次元キャラの影響力なども加味されつつ、多様な次元、多様な局面を上下二つの高座を利用し、下段に於いては科白の入った演技が、上段に於いてはやや昏い照明の中で身体のみの演技が同時に為され、その様たるや恰も子を案じる親やその霊が、頻りに背後や草葉の陰から応援しているような風情を醸し出し見事なメタ構造で深い人情を表している。
 脚本の良さは、作家の落語に対する本質的で深い理解を前提とし、その上で現在の我々の心の襞に過不足なくフィットする作りになっており、舞台構造は、この微妙なバランスを表現するに適した合理的な作りである。演出の細かな摺り合せと大胆で細心の指示、これら総てを背負い演じる役者達の演技。殊に主要な配役を務める役者達の演技が良い。華子の初々しさ、だん次の師匠らしさと人情表現の素晴らしさ、素めんの婿入りでもしたような弱い立場の表現、そして、開演前に噺をしてくれる作家の落語の上手さ等々。惜しむらくはせん華役、落語を演じる時だけは、もう少し天才の持つ狂気を出しても良いように思ったが。
いつまでの森

いつまでの森

劇団演奏舞台

九段下GEKIBA(東京都)

2017/04/14 (金) ~ 2017/04/16 (日)公演終了

満足度★★★★

 板上正面には、スナックカウンターが設えられ、ドイツ自動車のナンバープレート等がカウンターの壁面などに貼られている。カウンター手前には、ボックス席。劇が進行する場としてはオーソドックスな作りである。

ネタバレBOX

下手奥には、ちょっと大きなラジカセがあり、ドリーム何とかという大企業のプロパガンダが開演前から流れている。因みにこのスナックは、いつまでの森に在ったのだが、立ち退きを迫られて現在の場所に引っ越してきた。立ち退きの理由は自然そのものである森を守り同時にエネルギーを自然を守ることによってこそ得るということを壮大なプロジェクトとして打ち上げているドリーム何チャラの計画推進の為であった。巨大企業の反対しにくい論理の前に、森の住民のうち多くの者が他の場所に移っていった。このスナックに集まるのは移住を拒否した人々である。
 養蜂家、森の花の活性的利用によって人気の高かったフラワーデザイナー、このスナックを陰ながら応援しているママの同級生、そしてこの地に”いつまで”を探しに来た研究者等々の生活の変化を通し、また研究者の齎したデータによって、ドリーム何チャラの欺瞞に満ち満ちた研究と制御できない技術を人間世界に取り込んだことの弊害が徐々に明らかになってくる。具体的に、自分が解釈したのは、F1人災で誰の目にも明らかになった核問題であるが、別に核に限定する必要は無論ない。ただ、作り出したヒトが、制御できない技術という化け物に対して、我々は何をどのように考え、対処すべきであるのか? このF1人災以来最も喫緊の課題を蔑にし続けるのみならず、被害の実態を矮小化して報じる政治屋や、その論理を裏付けるのに力を貸す下司インテリ、政治屋に対する批判精神を失った意味の無いマス塵、利害に敏いだけの官僚と言う名の糞野郎ども、これらの下司を利害によって操る巨大企業の傲然たる嘘に対し、真実が偶に命懸けで提起されようともこれらの下司の一部でさえ討ち取ることのできない鵺のような社会に対して、我らは有効なアンチを提起できているのか? を真っ向から問うた意欲作。
 願わくば、更に文学的表現迄昇華して欲しかった。
焼骨

焼骨

タッタタ探検組合

駅前劇場(東京都)

2017/04/12 (水) ~ 2017/04/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

火葬場、人生の最後にお世話になる場所である。今回は、その火葬場でのオハナシ!! 花5つ星

ネタバレBOX

厳粛を旨とするこのような場所を喜劇として如何に描くか? 最初から高いハードルを設定している作品だけに、どう料理するか? 観劇前の期待値の大きさは、誰にもあったであろう。結果、期待は裏切られなかった。思いもよらぬ形で進行する物語とオープニングでスクリーンに映し出された映像が、スクリーンを落とすと同時に生きた役者群が現れる演出の素晴らしさでいきなり引き込まれてしまう。空海の密教からの文章等が映写されたりという前提があり、焼き場の炎の描写があったりで、現れた役者達の炎を表すダンスが生々しく迫ってくるのだ。焼き場では、火夫が焼骨の歌等を歌いながら仕事をしている。火葬をお願いした一家、鳴沢家の人々の故人に纏わる雑談などが演じられる。火葬場スタッフ同士の場面、成沢家の人々と火葬場スタッフとの打ち合わせ場面などが、小気味よいテンポの場面転換で過不足なく紡がれ、仕込まれた様々なギャグと伏線、脱線、脱臼等々喜劇を作る際の様々なテクニックが縦横に配され、観客は笑いながら、箍を外され、思いがけない展開に翻弄される楽しみにしたたかに酔う。無論、更なる驚きと緊張が仕組まれている。詳細は上演中故敢えて書かないが、このもう一つの大きな柱によって、物語は単なる喜劇の枠を超えて深く哲学的であると同時に、厳粛であるべき葬儀という題材に対して決して礼を失することの無い優れた作品に仕上がっている。それは、死と再生の物語という普遍性に達し、仏教の極めて特徴的な思想である輪廻転生にも通じる。焼骨の歌の歌詞が、冒頭で歌われていた物とはまるで変って宮澤 賢治の「星めぐりの歌」になるのは、正しく象徴的である。無論、このようになることは、巧みな伏線によって示唆されている。今作も何度も観たい舞台だ。
近代能楽集

近代能楽集

J-Theater

小劇場B1(東京都)

2017/04/10 (月) ~ 2017/04/13 (木)公演終了

満足度★★★★

演出家2人の三島解釈

ネタバレBOX

拓生版
「班女」
二人の演出家の作品に対する位置の違いが舞台美術にも良く表れている。拓生版では、実子の部屋の様子はずっとシンプルで生活者の臭いが排除されている。その分、三島の死んだ文体即ち生きながらの死に近いと言えるかも知れないが、この手法・解釈は既に手垢に塗れているとも言えよう。何れにせよ、役者の演技への注文の付け方も明らかに異なるのがよく分かる。七緒版では、実子が主役であるが、拓生版では花子の役割が強調されている点にもこの差が現れているし、何より三島の死生観を如何に解釈しているかという点で大きく異なっている。花子の衣装についても、拓生版では和服、七緒版では洋服とまるで違うのも面白い。実際、二人の演出の差によって同じシナリオから受ける作品の貌がこうも違うのか、との驚きを禁じ得ないほど作品から受ける印象が異なるので、ご覧になる方は是非両方の演出を楽しんで頂きたい。なお、拓生版では一部Wキャストになっているので、贔屓の役者を観に行く方は注意されたい。(班女・邯鄲何れも一部Wキャストである)
「邯鄲」
三島の近代能楽集のうち最も早い時期に書かれた作品であり、可也素直な作品である。主人公の次郎は三島の分身であるし、登場人物の数も近代戯曲集の中で最も多いのだが、楽曲に対する指定などもあるシナリオでミュージカル的な要素も入って居る為、作品に対するイメージをもとに演出してゆく拓生流が活きてくる作品でもある。拓生版では「班女」でも用いられていた能管の生演奏が入る他、チベットのシンギングボウルやフィンガーシンバルなども効果的に用いられているが、今回能管の奏法は、多くの場合、伝統的な型ではなく近代能楽集の各作品、演者のテンポに合わせて奏されている点にも注意を向けたい。
同時に、邯鄲の演出で拓生版が一定の成功を収めている点で見逃せない事実がある。これは三島が、己の状態、生きながらの死を可也素直に描いている点から来ている。即ちi二乗
=−1という解になるという点が、空を空として初めから認識している次郎の齎す勝利の果実として、枯れ果てていた庭の花々の甦りや、鳥たちの再訪という奇跡を齎すのであり、これは生きながらの死を何とか脱出したいと願った三島の夢想の死の言語による実現だったと捉えることができよう。
近代能楽集

近代能楽集

J-Theater

小劇場B1(東京都)

2017/04/10 (月) ~ 2017/04/13 (木)公演終了

満足度★★★★★

 二人の演出家、小林 七緒と小林 拓生の演出による三島の近代能楽集から、共通作品「班女」と七緒の「熊野」拓生の「邯鄲」。各々2作品づつの競演である。(敬称略)

ネタバレBOX

「班女」

小林 七緒は流山児事務所の実力演出家、小林 拓夫はJ‐Theater主催者である。先ずは七緒の「班女」から。
 七緒の演出では、作家三島の本質を死の側で生きようとしたナルシシストとして正確に捉え、その余りにも美し過ぎる文体に、腐敗過程を除くと死の特性である不変化に縛られた三島という華麗な嘘つきの実態を暴き出している。三島の全文章の中で最も完成度の高いのは戯曲であるとの指摘は高橋 和郎ならずとも指摘し得る所であろうが、その具体例が今作、「班女」にも端的に表れていると見ることができる。
 序盤、画家の実子が、花子を匿い続ける実子についての朝刊記事を鋏で切り裂くシーンがあるが、この切り方に対する演出が見事である。先ず、実子は件の記事の両側を裁断する。その後、記事部分を紙吹雪よろしく粉々に切り裂くのである。この演出で実子の花子に対する様々な想いが凝縮された形で表現されるのだ。
 序盤で、このように劇全体を説明すると同時に、登場人物の相互関係のアウトラインを示してみせるのは、戯曲の正攻法である。死の文体を用いて、生を再現しなければならなかった三島 由紀夫にとって、これら正攻法は必然的形式であった。その点を深く理解した上での演出と言えよう。更に言い募るなら戯曲の根本は論理であるから、三島作品の中で最も完成度が高いのが戯曲ということになるのである。
 何れにせよ、七緒演出では、ヴィヴィッドに生きている者の視座から三島を捉え返そうという姿勢が見える。だから実子の下にあって、班女の狂気即ち曖昧模糊と鋭さの混在を、再度狂気が生まれ出るよう形で再現してみせるのである。
 吉雄の登場によって、危機に晒される実子の目論見も、花子の狂気が持つ純粋性つまり真っ直ぐ物事を見る力によって回避される。花子の反応を解き明かせば、純化された理念が現実を凌駕してより美しく結実するのに対して、現実は変化し多くの場合劣化するので、理想とのギャップはより大きく感じられる訳である、ということにもなろうが、此処まで言うのは野暮か。
 では、班女の愛は何を対象としていたのか? という恐ろしい問いが、内包されている終結部は、答えが余りにも明らかなので記さない。
「熊野」
 西武の堤 康二郎辺りをモデルにしたような実業家(モデルに関しては「宴の後」で日本初のプライバシー裁判となった有田などの件もある)とその内妻の話だが、三島の文体の特色である死の側に身を置こうとすることから来る真の躍動感の欠如を覆いがたく感じる。恐らくは三島自身、このことは大江 健三郎に指摘されて本気で怒っていたように内心忸怩たる思いもあったのかも知れぬ。何れにせよ、己自身の死を自ら認識することは誰にも出来ないし、己の死が意味することの全体を、或いは意味せぬことの全体を自ら認識することもできない事実に鑑みれば、死を生きようとする三島は根本的な矛盾を犯していることになろう。だが、若い頃に人生の総てを計った気になってしまい、その呪縛から抜け出ることができなかったことは、三島の文体をその核心部分に於いて規定した。結果、自衛隊への体験入隊や映画出演、筋肉の鍛錬や一所懸命に剣道に打ち込んだことなどは、総て仮面であったと見ることができるような、生を生きる他なかったのである。これこそ、生ける屍、生きながらの死であった。聡明な彼にこのことが分からなかったハズはない。
 七緒演出では、この三島の実相をヴィヴィッドに生きる者の視座から照射し、評価して作品である今舞台を造形している。必見の演出である。

鬼啖

鬼啖

芸術集団れんこんきすた

studio applause (スタジオアプローズ)(東京都)

2017/04/07 (金) ~ 2017/04/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/04/08 (土)

 女性二人の真剣勝負。片や鬼と謂われた人喰い、片や尼僧。単に話に終わらず、かといって単なる言語合戦でもない。女性(にょしょう)の命を賭けた生き方そのものへの問い!!
花五つ星。見事である。

ネタバレBOX


 舞台は、板を側面から挟み込む形で客席が設えられ、板上には鰻の上半身を上から眺めたような形の赤茶けた敷き物。この敷き物の側面には白っぽい礫が散らばっており、胴の中ほどには、鬼と化した女が縛めの縄を打たれて蹲っている。その背面は洞窟の奥を示唆するかのような黒い緞帳で覆われ天井からは縄のような物が二十数本垂れている。鰻の頭長辺りから1mほど幅のアプローチが架け橋となっていて、麓の村から通ってくる旅の尼の通り道である。
 さて、尼は誰からも好かれ、頭も良く若い青年が、鬼に食い殺されたので折伏して欲しいと通り掛かった村で頼まれたことから、この洞へやってきたのだが、鬼とは女子。而も村人を憎み呪う情念の強さは尋常でなく、理屈も立ち一筋縄ではゆかぬことを初の訪問で知る。翌日、更に翌々日と尼僧と鬼の対決は続くが、賢い尼僧がソクラテスの弁証法の如き論理で追い詰めたかと思えば、鬼は尼僧の知識の不備を突き、鬼のパトスの拠ってくる場所を弁えぬことの非を衝く。尼僧も負けてはいない。己を虚の状態に置き、とことん鬼の呪いの拠る所に添おうとする。この過程で鬼は尼僧の過去を見破り主客転倒するかと思われた反転世界が表現された後、二人は互いに正確に相手の位置を知り、恋に身を焦がす女子の性(さが)の執着の凄まじさと凄惨なまでのパトス、煩悩の坩堝の只中で生きて死ぬことの哀しさを共有する。このシーンの実に美しいこと。鬼女を演ずる中川 朝子さんの情念の炎に煽られながら同時に生きる者の真の哀しみを表現するような素晴らしい演技は必見。尼僧を演じるマリコさんも熱演である。脚本・演出の奥村 千里さんのシナリオ・演出も一瞬も目を離せない緊迫した舞台に仕上げている。シンプルだが、本質的な舞台美術もグーだし、照明、音響も適切である。スタッフワークも温かく丁寧である。何度観ても良い舞台と言えよう。少しだけ、どれだけキチンと作られているか参考までに記しておくと。縛めの縄もキチンと捕縛術に則ったものという本格的な縛り方だ。因みに明治時代以降、日本の警察が用いた捕縛術の縛り方も忍びの捕縛術を踏襲したものであった。こういう点にまで注意した丁寧で真摯なつくりの舞台なのである。
KILL&DAD

KILL&DAD

劇団ベイビーベイビーベイベー

d-倉庫(東京都)

2017/04/06 (木) ~ 2017/04/10 (月)公演終了

満足度★★★★

 開演が18時半ということだったので尺は長いと踏んでいたのだが、途中10分の休憩を挟んで2時間45分程。

ネタバレBOX

一幕では何等かの事情があって殺し屋稼業内に分裂が起き、結果裏切りが幾重にも重ねられた罠に変容でもしたように、悪魔と恐れられた殺し屋の娘、Killの親子・恋人・師弟関係など彼女に纏わる総てに絡んでスリリングに展開する。
この作品にリアルを求めても仕様がない。今作で用いられているような大型拳銃をあんなに連射するハズも無いのだし、銃身が焼けてしまうなど様々な弊害をあげつらったらきりが無い。そんなことより、ハードボイルド風に味付けされた人間関係の機微を掬い上げて楽しんだ方が良かろう。
二幕では、分裂の謎が解き明かされ、Killを巡る人間関係の真の姿が繙かれる。こちらは、一幕よりずっとメロドラマに近いテイストなので、ハードボイルド好みの人にはちょっと苦笑いかもしれないが、適度に擽りを入れ謎解きにつき合わせるのは中々面白い。
舞台の作りも決してデコラティブではないが、アクションの多いことを勘案した合理的な作りだ。役者達も動きは取り易いのではあるまいか。ジャンキーというとぼけた名前の殺し屋達のボスが、自分では殺し等やれないコーディネイターであるという設定も面白い。まあ、悪い奴ほど自分の手は汚さないのは世の中の基本ではあるが。
新入社員のイジメ方

新入社員のイジメ方

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2017/04/06 (木) ~ 2017/04/10 (月)公演終了

満足度★★★★

 終盤迄、アメリカの海兵隊が新兵を殺人機械に仕立て上げてゆく12週間を思い出し乍ら見ていた。

ネタバレBOX

というのも第2次大戦中敵と遭遇した米兵が敵を殺傷するパーセンテージがほぼ20%というデータに驚いた軍上層部は殺人率を高める為に試行錯誤した訳だが、現在用いられている方法、それは一般的な洗脳の方式なのである。
先ず、隔離する。携帯等は取り上げる。どやしつけて脅かす。就寝中に叩き起こして熟睡させない。朝から晩まで徹底的にしごく。疲れ切り、頼るべき家族も甘える恋人も居ない日々の中で上官の命令を大声で復唱させる。これを何度も繰り返す。先ず隔離するのは、無論、今までの人間関係を断つ為である。携帯を取り上げるのも新兵達の精神的拠り所であるシャバでの人間関係を奪う為だ。孤立して寄る辺ない新兵に対して、訓練担当者は容赦しない。大声でどやしつけ、脅し、彼らが今まで築いてきた人間的な感情を、そして人間的な価値観を叩き潰す。その上で軍の論理を徹底的に叩き込むのだ。例えば夜、疲れ切った彼ら・彼女らを夜・夜中に叩き起こして充分な睡眠を取らせず、昼は軍事訓練で徹底的にしごく。それは、自分の頭で物事を考え判断するという人間として当たり前な能力を奪い、代わりに上官の命令を忠実に実行するロボットにすることである。このような訓練を12週間受けた新兵の60%近くが、敵と遭遇すると躊躇なく殺す。これが洗脳の効果である。今作で描かれる新入社員研修の有り様がこのような洗脳である。自分自身このような研修を受けた経験は無いが、このようなタイプの研修を受けさせる企業もあるという話は今まで幾度となく聞かされてきた。
但し、今作、結構擽りも入れ、呪縛霊やら、仏やらも登場して新入社員達も最後には救われるのだが、研修の現地となった寺の縁起によれば、かつてこの山は人捨て山と呼ばれ、所謂姥捨て山の如く年寄のみが遺棄された山ではなく、年寄達は無論のこと、双子、妾、ハンディキャップ、社会的弱者等が捨てられたのだと言う。時代が変わって人捨ての風習が無くなった後は、山深い土地柄から自殺者も多い。これらの気の毒な霊を弔う為にこそこの寺が建立されたのだという。こういった経緯から呪縛霊達が登場しているのである。未だ初日が終了したばかりなのでネタバレは此処までにしておく。仏が何をどのようにしたのかは、観てのお楽しみだ。
『上野パンダ島ビキニーズ』

『上野パンダ島ビキニーズ』

ネルケプランニング

クラブeX(東京都)

2017/03/30 (木) ~ 2017/04/02 (日)公演終了

満足度★★★

 二部構成で一部が芝居、二部が歌謡ショーである。

ネタバレBOX

 7名のアイドルグループ主体の公演だが、ロ字ックから客演が1名、他に演出の堤 幸彦との仕事が多い役者が1名、役者としては、この二人が上手にアイドル達を引っ張って行っている。落とし所を良く弁えたシナリオと手際の良い演出が、未だ未完成なアイドル達を引っ張り、物語を構築してゆくパターンだ。
 「2001年宇宙の旅」のパロディーが出てきたり“猿の神様”が出てきたりする点では、一瞬、「猿の惑星」の彼らの神、核を想像させられたりと擽りも入れてある。

マークドイエロー

マークドイエロー

もぴプロジェクト

王子小劇場(東京都)

2017/03/29 (水) ~ 2017/04/02 (日)公演終了

満足度★★★★

 狂気が、M.フーコーが定義したように”純粋な錯誤”だとしたら、所謂正常な者は、狂人は苦しまない、と考えがちだが、

ネタバレBOX

事実はその逆であろう。狂人自体その狂気の齎す嵐に苛まれている。
 夢野 久作の奇書「ドグラマグラ」をベースに阿呆陀羅経を上手く使いながら、正常と狂気の境を取り払うかのように、旧帝大の一つである九州大学医学部の精神科教授(即ち理性・知性の象徴)が、その権威とは裏腹に、狂気の嵐に巻き込まれたような様は、ミイラ取りがミイラになる、といった体。終盤、阿呆陀羅経に木魚の甲高い打擲音を絡ませながら、無窮の彼方から世界を嘲笑するかのように響くのが心地よい。
「泣いた紫の花」「43回混ぜても灰色」【ご来場いただきありがとうございました!】

「泣いた紫の花」「43回混ぜても灰色」【ご来場いただきありがとうございました!】

劇団えのぐ

高田馬場ラビネスト(東京都)

2017/03/29 (水) ~ 2017/04/02 (日)公演終了

満足度★★★★

 父の死後、家族の面倒を見ることを任された長男・律は小説家である。

ネタバレBOX

彼の小説の特徴はその作品の優しさにある。それで女性ファンが多いのだが、スマホの時代になっても編集部へは生原稿で入稿している。偶々、彼に高校時代「小説でも書いてみろよ」と勧めた友人・真佐人は、脱稿した原稿を読んでファンになってしまった。それで彼の作品を書籍化する為に編集者になった。将来作家を目指した律は実際に作家になったのだが、字が汚くて真佐人以外彼の文字稿を判読できない。そんなこんなで、担当は真佐人ということになった。
 さて、近く律の新作が発表されることになっているのだが、パソコンの新OS発売戦略のように、発売日の午前0時まではその内容などは発表しない、というのが出版社の戦略であった。こんな訳で新刊の話は、原稿の受け取りや打ち合わせに作家の私宅にくる真佐人からも家族に明かされることは無かったのである。
 然し、7月1日発売の直前作家は不慮の死を遂げる。作家の弟・洸の女友達・亜樹が作家に憧れ、遂には恋に迄達していた。然し、17歳の少女は告白することができない。そのまま、時は過ぎ、作家は永遠に帰らぬ人となったのである。少女はそのショックで引き籠り学校も休むことになった。洸、姉・雛、妹・鈴、妹の親友・奈津美。律を恋い焦がれる亜樹との一期一会を丁寧に描いて泣かせる。偶々、奈津美が、鈴に貸していた漫画は、成仏できずに幽霊となって戻ってきてしまった者の顛末を描いた作品だったが、それを妹の読了後作家も借りていた。そんな伏線が一場で描かれている。
 二場では、この伏線を効かして弟にしか見えない幽霊となって兄が現れる。また、単身赴任している母についてのエピソードも、遂に刊行された作家初の家族作品の内容を通じて明らかになる。今作のタイトルに絡む紫陽花についてもその花言葉と共に語られるのだが、この場面及び姉に出されたミルクティーに纏わる話が肝となって泣かせるのだ。
Musical 素敵な世界

Musical 素敵な世界

T1project

本多劇場(東京都)

2017/03/29 (水) ~ 2017/04/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 実は今作、去年の三月に中野のザ・ポケットで上演されている。但し、その時はストレートプレイとしてである。

ネタバレBOX

今回はミュージカルになっているから、ストレートプレイでの科白は、カットされた部分もあるし、歌詞に書き替えられている部分もあるが、基本的に前世と来世という二つの世界が通底しているという構造で組まれている為、その橋渡し役として、来世には拝み屋の先生が居て両世界を仲立ちしている。
シナリオの基本はドラマツルギーを如何に自然に見えるように紡ぐかであるが、物語の大枠の構造がこのような二項によって成立しているのみならず、其処に仲介役として神秘的な拝み屋が居ることで実は三位一体をも示唆しているであろう。更に、前世では、神を信じる者と無神論者の対立するデュアル構造が二元論の弊害を実に端的に表している点で、現在進められている我が「国」の非理知的な政策とそれを是とする多くの「国民」の嵌っているポピュリズムの行く着く先を示して予言的である。
美術も凝っていて、死までの時を刻む象徴のような歯車のリムの間には、ステンドグラスが嵌め込まれているばかりか、祭壇迄続くレッドカーペットと祭壇の形も日本の神道建築とキリスト教のそれとを合体したような形だし、祭壇背後にはパイプオルガンを模した構造物が設えられ、中央には、照明によって十字架が必要な時に浮き上がるような仕掛けが作られている。拝み屋は御簾の中に居ることもあり、これも実に効果的である。平安時代に書かれた古典等を読んでいる者にとっては、こういう洒落た配慮も実に嬉しい。正面奥に描かれた杜若らしき花や藤も風情充分である。
ミュージカルと言えば、歌唱力は大変大事な要素だが、何れの登場人物も実に上手い。登場人物も多いのだが、コーラスは圧巻である。惜しむらくは、音域がテノールの人が多かったので、互いの主張を同時に歌で表現し合う時に効果音とも一緒になって歌詞が聞き取りにくい所が少しあった点である。花星5つにしなかったのは、この点は改良の余地ありと感じたからであった。
然し、シナリオの科白、音曲の良さ、演出や効果の適確さ、役者陣の熱気と歌の上手さ、美術の粋などスタンディングオベーションに値する。
あるいは友をつどいて

あるいは友をつどいて

ハツビロコウ

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/03/28 (火) ~ 2017/04/02 (日)公演終了

満足度★★★★

 所謂学生運動は、1972年の沖縄闘争以降急速にその勢いを弱めていった。

ネタバレBOX

大衆の動員が減りセクトによってはヘゲモニー争いに明け暮れるものも出てきた。大衆との闘争に乖離を生じたセクトの多くはラディカリズムに走った。今作に登場する東アジア反日武装戦線”狼”もラディカルに傾いたグループの一つであった。彼らは、1974年8月30日、丸の内の三菱重工本社ビルに時限爆弾を仕掛け爆発させた。無論、人を殺傷することが彼らの目的だった訳ではないから事前に警告の電話を入れたが、三菱重工側は悪質な悪戯と取ったのだろう。警告の電話を切って対応を取らなかった。警告のタイミングから、爆発までの時間がかなり短かったということはあろうが、例えそれが充分であっても恐らく多くの死傷者を出したことに変わりはあるまい。日本国内での爆弾テロは、それだけ遠いものだったのだ。
死者8名、重軽傷者376名を出したこの事件でメディアは、実行した人々を人間と看做さないという状態であった。だが、本当に彼らはデモーニッシュな何者かで人の心のかけらも無かったのだろうか? 今作で描かれる彼らは優しく、正義感が強いうえに純粋で、非差別的である。そんな彼らが何故これだけの事件を起こしたのか? が問われていると同時に彼ら自身のオトシマエの付け方や悩み、社会的弱者救済という理想の前に立ちはだかる鵺のような普通の人間の差別意識や、変更を迫る者達に対する敵愾心や敵意或いは無視! 等の状況が淡々と紡がれ、考えさせる舞台になっている。

 今、安倍のような偽物が恰も人物であるような振りをして「日本国」首相としてその地位にふんぞり返り、日本会議のメンバーを優遇して己の地位安泰を計り、追及は悉く隠蔽と詭弁、嘘で逃げ回りながら、宗主国、アメリカの意を忖度して植民地経営に当たる愚を鵺達はどう観、これだけの高支持率になっているのか? ミサイル防衛を強化するだのとアホなことばかり言っていないで、原発即時全廃を決め、廃炉作業中にミサイルを撃ち込まれないようにするのが先決だろう。核弾頭を搭載していないミサイルでも原発に命中したら、その被害は甚大なものになるのは、どんなに想像力の乏しい者が考えても当たり前のことである。F1人災の被害を矮小化し帰還を促すプロパガンダに汲々としている推進派だが、日本人の犠牲の上に何を築こうというのか? と言った現在の問題についての疑義を投げかけるだけの問題提起を今作は孕んでいるであろう。

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