実演鑑賞
若い人たちばかりのグループのせいか、老いて視聴覚の衰えた観客に対する配慮が無い。演技が殆ど見えないレベルの照明で、終演後に客電をつける配慮もなくアンケに書かれた文字の判読もできない有様。以上の理由から評価はできず。
ネタバレBOX
「エフィラのひとみ」
照明が昏過ぎて演者たちの表情も良く見えない。脚本は悪くはないが、図式的に過ぎた。またオープニングでの最初の発語に気遣いが感じられなかったのは残念。これは間の取り方の重要性に気付いていないか、大して意識していないことから来る結果とみた。
「フェンスと箪笥とレジスタンス」
こちらも照明が昏過ぎて演者たちの表情が良く見えない。然も脚本内容は、余りにも世界が狭い。
実演鑑賞
満足度★★★★★
多くの人々が楽しめる作品とみた。
ネタバレBOX
全体に漫画チックな作品。擽りも随所に鏤められエンターテインメントとしては楽しめる。昨今の世界情勢を普段から真剣に捉える気の無い人々にとっては質の高い娯楽と映るに相違ない。その分、漫画的なのだ。言ってみればQue Será, Seráでしかないと高を括っている一般の人々の生活に決闘というシステムを国家が提起し、問題を煽る側と収束させようと図る側に分かれての争闘を描いて見せた後、二元化するに至った過程、即ち歴史を紐解いて見せ、アウフヘーベンして見せるという手法を採っている。このように物語を構築することで極めて分かり易く現象の表面を俯瞰するタイプの作品になった。
然し乍ら、このような発想そのものが、既に世界を腑分けする論理として有効性を喪失したと考えている自分の位置からは漫画に見えた。舞台美術がシンメトリーを採用して安定感を創出している点も我らが今、現実に対応している不安定性、不確実性と正反対の構造を人間の為す認識の中で一般的には最も多い視覚的な要素で表現し、安定していると見せかけている点にも注意を払いたい。
以上の理由から普通の5つ☆
実演鑑賞
満足度★★★★★
ベシミル! 華5つ☆ 追記後送
ネタバレBOX
脚本は設定が良ければ半ば成功したも同然、という鉄則にピタリ嵌った見事な設定。アクタージュの目指してきた人の優しさを頗る付の自然体で表現する舞台としても、レンタルビデオショップ、<カリチャイナ>での店長、店員たちと常連客たちとのあれやこれやの日常会話にさりげなく埋め込まあちれた伏線が、或いは思い出話の断片が後に大きな効果を齎す展開は見事という他無い。かてて加えて店長役でアクタージュ代表を務める大関雄一氏を始め劇団員皆が持つ優しさが作品全体に滲み出て今作の主眼テーマと見做して良いと考えられる他者への思いやり優しさが観客の心にそのまま届く。
実演鑑賞
満足度★★★★★
単に鑑賞するという作品ではなく、提起された問いを持ち帰って深く考えさせる作品。観るべし! 華5つ☆
ネタバレBOX
大切な人を喪った痛みが、交錯する是々非々が各々の当事者の心とその存在の内に深く更に深く、時々刻々深化しながら己を苛み、魂に錐を揉み込む。そのような工程を通して過ぎたことは過ぎたことと端的に自認すること、止まっていた時間の無制限な反復運動から脱し事実を事実として受け入れ新たな人間関係を構築してゆく者がいる。償い切れないと誠心誠意を尽くし続ける者が居る。実は本当に悪いのは自分だと勘づいているから直接に大切な人を奪った当人として辛く当たる者がいる。だが、その大切な人を永遠に喪った原因を作ったのは、辛く当たる自らであるという欺瞞を克服してこなかった己自身に対する防御は、恐らく娘を不登校に追いやる原因の一つであった。そんな人々を繋ごうとする者も居る。互いに生き、生活をしている。こんな当たり前を是認できない関係があった。そのような関係が永遠に続くことは果たして無辜の者の逝去に対して如何なものか? そんな視座から描かれた作品ではない。寧ろそれぞれの登場人物が、己の置かれた位置で切歯扼腕するさまを丁寧に掬い上げて提示することによって取返しの付かない問題に如何に対処し得るのかを観客に提示してくれる作品である。各々肝を据えて観劇すべし!
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイゼツ、ベシ観る!! 華5つ☆ 必見ですぞ~~~~~~! 追記後送
ネタバレBOX
板状は基本的に素、ほぼ中央に横3m、縦2m程の長方形が白いテープで形成されるが、これは2人の演者の内の1人が行う。尺は約80分。
極めて感受性が鋭いばかりでなく知的で而も頭も切れる、本来極めて有能な若者たちを此処迄絶望に追い込んだ唾棄すべき大人たち代表、現在日本の為政者共に対する極めてradicalな表現に因るantitheseである。
一方でradicalな仏教徒でありながら同時に科学的な手法と術によって利他主義を説いた賢治の様々な言語表現を縦糸に他方にそれらと響き合う様々なfragmentsを横糸に編まれた詩的構成物、構築物である。
訴えられているのは、世界の破綻、破綻から生じる様々な地獄とそこで苦しむまともな人々であり、抱える絶望であり、絶望を反転しようと足掻く姿である。
これらが実にradicalに無駄も媚もなく提示される。
実演鑑賞
満足度★★★★★
Wキャスト公演であるがAチーム初日を拝見。初演時より内容的にも輻輳化され内容的にも濃くなっている。ベースに島原の乱を色濃く漂わせつつ、現在の日本の基層にも通じていると感じられる点がグー。
(追記後送)
実演鑑賞
満足度★★★★★
観客の多くが楽は混みあうと判断したのか、23日夜の情報では空きがあるとのこと。而も、和合さんも残っているとのことなので、詩集を買ってからサインをして貰うのも可能である。詩集は本屋さんで調達していったほぅが良いかも知れない。
ネタバレBOX
ストアハウス
和合氏の詩「詩の礫」で用いられている詩語は到底抗しきれない状況に置かれた人間の切迫した状況に対する精一杯の叫びである。そもそも私自身は故郷というものをメンタルなレベルで持たない人間だから何としても踏みとどまろうとしないだろうしそれは自身の生い立ちに密接に絡む問題だから致し方ない。何れにせよ、故郷に強く惹かれ何とか大地震・大津波そして原発人災という3つの複合災害を経験しその状況を現地・福島で体験した衝撃と理不尽に対する遣る瀬無さがこれらの詩語に見て取れる。和合氏の体験をその重さ、気も狂わんばかりの懊悩、理不尽と思える宿命に対する憤りの地平に、生演奏のお二人を除く13名が和合氏の体験時に向き合うべく総力を挙げてチャレンジし生々しさは生々しいままに、猛威に抗するエネルギーは無論のこと。瞬間、瞬間の緊張感を持続しつつ描いた。押し作品である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
今作jを深堀すれば、大変深刻な問題が析出されようが、その有様を軽いタッチで描いている点がグー。面白い!
ネタバレBOX
今回は「探偵事務所」のオハナシ。追っている対象はちょっと不可解な、だが何処にでも在るような而も登場する探偵事務所員達の認識法では極めて解くことが難しいという代物だ。それは例えば事務所に在るデスクでも良いし、カップラーメンやボールでも良い。問題は、これらが客観的に在るとしても探偵達、玄人には不十分と見做されていることだ。何故か? 物それ自体によって己の存在証明が出来ないからである。彼らは何とかこの解を見つけ出そうと奮闘している訳だ。
一方で探偵達は就業時間を終えたら残業等は一切せずにプライベートタイムに移行する。プロフェッショナルである以上、総ては就業時間内に片付けて当たり前、それで片付かない問題はそもそも問題足り得ない! との主張である。探偵達はこのようにして自らが生き、暮らしている社会と世界に対峙している。探偵達は都合2人、事務所ではITに強い人物も1人登場する。彼は探偵達の主張を聴きながら古いパソコンを分解してCPUを取り出し部屋にあったIT掃除機を足代わりにロボットが動けるようにしたり、未だ目玉の入って居ない達磨を頭部にとあり合わせのガラクタも用いて簡単にロボットを作り上げてしまう。無論、作られたロボットはキチンと機能する。これらの条件から導き出されるもの・ことは何か? 探偵達とITに強い人物はかなり近しい関係である。つまり知的レベルは高い友人同士と考えて良かろう。然も探偵達は先に挙げた認識上の問題点を克服できていない。この事態の原因は唐突に思われるかも知れないが、所謂エリートとされる為政者、キャリア官僚等々の実際の行動が完全に破綻しているケースが年中報じられ、まともな知性を持つ人間からは茶番としか名付けようのない施策を多くの反対を誤魔化しや隠蔽、詭弁とアリバイ作りで、或いは木で鼻を括ったような答弁などですり抜けしゃあしゃあと主権者達の望まぬ、だが某国が望む方針に諂う姿を日々嫌というほど見せつけられ『人間不信』に陥っているからだろう。ITには有能な処を見せても自らの心理分析や健全な人間社会を創出する為の前提となる人としての倫理観が現在の祖国には欠落しているということを骨の髄から知悉しているからに他なるまい。壊れた人間より論理的で裏切らない可能性がより高いITに走るのも無理はない。
ところで探偵達の、自分の側からしか世界を観ない態度も同根であると思われる。然も不信が根っこにあるから、物がそれ自体で自己の存在を証明できないという論理を越えることが困難である。然し解は容易く得られる。読者もチャレンジしてみて欲しい。
実演鑑賞
満足度★★★★
面白いが、脚本がやや粗い。
ネタバレBOX
人間の知を越えた存在がゾーンと呼ばれる地域に関わっている可能性が語られているので、人間如きの知力では解明不可能と片付けることができない訳でもあるまいが、板上で演じられる劇としてのリアリティーが齟齬をきたすような矛盾が何か所かある。役者陣は可成り頑張って好感を持った。何れにせよ、己の生きている意味を見失った多くの現代日本人にとって、己を振り返ってみる契機になりそうなテーマも含んで展開する物語は楽しめる。
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆ 板上、照明はずっと昏め。
ネタバレBOX
賢治の「銀河鉄道の夜」と演劇をやり続けるか否かで悩む世代の役者・演劇人の苦悩と葛藤を入れ子細工に描く。ファンタスティックな側面とリアルな側面が上手く料理されていると同時に、リアルな実態をもキチンと浮かび上がらせているのは出演している役者陣自身が実際に体験している当にそのことを反映しているからであろう。
実演鑑賞
満足度★★★★★
流石、演奏舞台の公演、華5つ☆。ベシミル!! (内容詳細、及び解釈詳細は新生館スタジオ公演終了後に追記する)
ネタバレBOX
観想という言葉に少し戸惑うかも知れない。無論作家がこの言葉を用いるには訳がある。元々は仏教の用語であるから哲学的な意味を持ち、その第一義は、特定の事物に心を注ぎ迷いを除こうとする修行を指す。第二は一定の対象を観察、その対象に一心に思いを凝らすこと。第三に実際の利益などを離れ純粋に知的で経験を越えた存在と真理を捉えようとする考察を意味する。まあ、単語の解説は辞書によって様々な違いがあるからこの程度でよかろう。納得のいかない方々は、30種類以上の国語辞書は参照することができようからご自分でお調べ頂きたい。
さて、拝見したのは演奏舞台の常打ち空間GEKIBAである。今作久しぶりの新作であるが3月20日から23日迄中板橋新生館スタジオでも上演される。GEKIBAでご覧になれなかった方々は新生館スタジオでご覧頂きたい。
今回のGEKIBA公演で特に普段の公演と変わっていた点は、演奏者たちの生演奏の位置である。通常下手に位置を占める彼らが今回は正面奥、ホリゾントの手前に陣取って生演奏を聴かせてくれた。いつも通り作品内容によくマッチした良い曲目を確かな腕前で聴かせてくれたが、矢張り正面から聴くのは音のバランス等の点からも側面からの音を聴くより数段音曲の良さを楽しめてグーであった。
無論、作品内容も極めて優れたもので表現する者の持つ一種のカルマが、日常の生計を立て周囲の人々との諸関係の只中で暮らし、日々これら家族を含む人々と己が密接に関わり合いつつ葛藤や悩みを抱え、同時に己の真の悩みは最も近い肉親であっても伝わり難く時に取り返しようのない悲劇を生むということ。
その考え得る原因と処方箋についての詳細は、全公演が終了後追記することとする。一種宙ぶらりんの状態に読者を置くことになるが、ご勘弁頂きたい。解答が早く欲しい方々は、是非ご自分で作品をご覧になり先ずはご自分の解釈をして頂き、その後追記をお読み頂ければ幸いである。GEKIBAでご覧になった方々でもう一度新生館スタジオで観る方々は、劇空間が違うことで様々に変わってくる演出や効果等の違いも楽しめよう。自分は予定が詰まっていて新生館スタジオへは伺えないが。二度観できる方々が羨ましい作品であることを告白し現段階では此処迄とする。
実演鑑賞
満足度★★★★★
極めて良く構成された作品である。(追記の可能性あり)
ネタバレBOX
演じられるのは校内での“苛め”に纏わる物語であるが、これを夢というキー概念と現実との被膜レベルで描いていると言えようか。設定としては虐めを受けている1人の生徒が自死を選んだその朝見る夢と、彼が対峙してきた苛めを受けた学校という社会即ち生徒にとっての世界との相克を感情的にではなく、寧ろ淡々と描いている点に集約されようか。この点は重要である。即ち観客にとっての想像力の幅を広げる工夫が為され観客自身のこの問題に対する関与の深さ、人間としての立ち位置が露わにされるような鋭さを秘めているからである。
実演鑑賞
満足度★★★★★
今作、MELTの本公演としては3作目の作品であるが、小生は初見の演劇ユニットであった。新しい才能発見! 断固ベシミル!! 華5つ☆作品である。(追記3.9)
ネタバレBOX
今作品を観たいと思ったきっかけはこのタイトルから何やら怪しい“ぞよめき”のようなものを感じてであったが直観は表面的には当たっていたと言えるかも知れない。この単語。元々は米国で用いられたスラングだとのことである。だが無論、そんな表層のみで終わる程単純な作品ではない。寧ろ極めて知的で深くアイロニカルな作品である。
今作品を観たいと思ったきっかけはこのタイトルから何やら怪しい“ぞよめき”のようなものを感じてであったが直観は表面的には当たっていたと言えるかも知れない。この単語。元々は米国で用いられたスラングだとのことである。だが無論、そんな表層のみで終わる程単純な作品ではない。寧ろ極めて知的で深くアイロニカルな作品である。
因みに今ユニット、お目見え1年半。今作が3回目の本公演と極めて若いユニットだが若々しさは今作に充満するエネルギー及び斬新で鮮烈な切り口に現れており、至る処に振りま敵かれた擽りの表皮の下には剃刀のようなアイロニーが控えている。オープン早々演じられる王様ゲームでも見る目のある者が一目見れば直ぐに分かる我々が実際に暮らす国の底を流れるタブー視されている本質に対する強烈なアイロニーが見て取れるし、その後の展開でも現況を訳が分からない状況と率直に観て作品を形象っている。この事実は頗る重要である。何となれば人々は疑心暗鬼に陥りその表層である“心”は何とか平静を装いつつ、その根にある魂を根底から腐らせてしまったので己自身の深い所でその事実を隠蔽し、然も隠蔽した事実に蓋をして自らに映じないようにした上で「社会」に「参加」しているからである。このような魂の死が何を我々に齎したかを観る為の方法は徹底的に率直であることだが、そのような態度を保ち乍ら生きることは己の頭脳を最大限に活用し自らバイアスをとことん排除して世界と対峙する他はない。即ち徹底した率直に徹する他ないのである。今作はそのような視座で世相を観て初めて創り得た作品と言える。
結果的にこの手法を用いて描かれているが、その手法は科学的アプローチ及び人文学的アプローチを同時並行的に描きつつ、その合間に多用な擽りを入れて現実に現在起きている世相を反映して時代の心情を取り込んでいる。例えて謂えば分からない対象に対するに最も有効な手法である科学的アプローチを脳とするなら、言語を用いて考察する人文学的アプローチを骨としこの2要素を用いて他の同類と交錯する関係性から紡がれる諸関係をヴァレリー流身体を通しての個vs世界として俯瞰した有様と、私は観客の1人として観じた訳である。
脚本の巧み、演出の良さは無論だが、役者陣の演技。とりわけ間の取り方の上手さが光る。場転・暗転を含め物語の展開に全く悪影響を及ぼさないのは間の取り方が抜群である為、総てが自然に流れるように展開するからである。舞台美術やフライヤー、タイトルセンスも見事である。
実演鑑賞
満足度★★★★
オープニング、おどろおどろしい音楽と共に舞台上には閻魔の審判御前の有様が表現される。裁かれているのはお七。有名な八百屋お七である。
さて、八百屋お七と弥次喜多? どこでどのように繋がるの? それは観てのお楽しみ。
華4つ☆。
ネタバレBOX
神奈川県演劇連盟合同公演である。HIKARIは2階にある小さな空間であるが、こちらは同じ建物1階にある大ホール。
江戸時代後期に黄表紙作家、絵師として活躍した十返舎一九原作「東海道中膝栗毛」に登場するご存じ弥次・喜多の神奈川の宿場を巡るお噺。人口に膾炙している“旅の恥は掻き捨て”は元々一九の言とされる。
物語は東海道の宿場町・横浜と小田原を中心に展開する。幾つかのジャンル(落語・小説など)の作品の肝を今作の中に巧みに織り込み幕末から維新へ至る歴史も踏まえて現代に暮らす我々庶民の日常をも映す展開になっている。発明家として鳴らした平賀源内が考案したとされる「キコエテル」なる機器は現代のスマホによく似た機能を持つ機器だがスマホ同様、SNSが齎したような現象と弊害を齎しそれまでの庶民生活を一変する。
一方、弥次喜多生みの親・十辺舎一九は戯作者としての反骨精神を見せて瓦版に為政者批判を載せた。これが当の為政者の目に留まり死刑を課されることとなった。この無体に対して弥次喜多が抗弁する。そしてこの抗弁に対しての応えが3日の猶予の間に、どんな罪も許されて極楽往生が叶うという『お血脈の印』という宝物を現在在ると言われている小田原に行き盗んで横浜迄戻り暴虐を恣にする為政者の下へ届ければ弥次喜多に死刑執行する代わりに友人である一九の命を助けてやろうというものであった。為政者は人間不信に陥って現在のような施政を行うに至っている、果たして弥次喜多はこの暴君の魂をどうにかできるのか? はたまた一九の運命、弥次喜多の活躍、と仮に友を救えた暁に弥次喜多が死なねばならぬ運命や如何に! というのが今作の大きな流れであるが、庶民自体は「キコエテル」の大流行の央(さなか)SNS的応答を通して誹謗中傷の応酬、自らそれ迄在ったとされてきた社会的な他者への信頼関係そのものを破壊し、信頼関係が壊れたことによって起こり、益々陰湿であくどくなってゆく庶民レベルでの罵詈雑言は、暴君とされる為政者の凝り固まった信念をも補強してゆく。
これら負の連鎖を断ち切る術は? 一揆を起し一時の憂さ晴らしの後、更に苛烈な支配体制を招くのか? 或いは? との問いにも繋がり得る。今作実際の大団円ではお祭り騒ぎで華やかに昇華されるが、現に我ら庶民が生きる現代日本での為政者の倫理的崩壊は今作以上に破滅的である。このような現況を変えて行く為に演劇が出来ることは、例えば日本の選挙で勝つ為の条件として挙げられる選挙の三バン(地盤・看板・鞄)のうちから英国のように自分の地盤(地元)からは立候補できないような縛りを付けるような制度を庶民自らが主権者として提起し現実化し得るような流れを提案することも必要で、表現する者としての役割だと考える。
実演鑑賞
満足度★★★★
解釈次第で様々に読み取れる舞台。華4つ☆
ネタバレBOX
板上は下手中段から上手中段迄ビール用ラックサイズの色違いも混ざったコンテナが積み重ねられた状態で置かれているのが見える。所々スペースが設けられていることから通路が確保されているのだと類推できる。
舞台美術の意味する処は場面、場面で当然変化してゆくが、物語の展開する場所は渡良瀬川流域の一地方であり、川が運河として利用されこの地域が栄えていた頃にはこのエリアは物流の拠点として倉庫が多く建てられ今も残っている。こんな設定である。オープニングの状態はそれらの倉庫の1つの内部であり、場面が変われば主人公・大貫(ボッチの腰痛中年派遣従業員)のアパートにもなれば、渡良瀬川河川敷にも、変身した元人間たちの一時収容所にもなる。舞台美術の表現すべきコンセプトが大幅に異なる為、コンテナの色を何時、何処にどのように配置するかで倉庫内作業を演じつつ次の場面のレイアウト変更をする為に段取りは随分考えられ素材として色違いのコンテナを用い抽象化することが選ばれている訳だ。
その分、人間から訳も良く分からない原因で実は鰐に変身してしまう状況を生きる登場人物或いは元人間で今は鰐、又は既に鰐の登場者たちが、入れ小細工になりつつその意味する処を追求せざるを得ない、という事件当事者と未だ変身はしていないものの変身するかも知れないという未知に対する戦きに苛まれている人々、変身途上の人物たちの心理や、そのような不安を通して原因追求が為されてゆく中で必然的に我々人間が構築してきたキチンとしたシステムであるはず、或いはそうであるべきシステム自体への疑義が濃厚になってゆき、遂には変身し鰐になってしまった元人間たちや、変身途上に或る者たちとが未だ人間である者(たち)と協同してその解を得たと信じる理由に逢着する。その解とは? それは観て自分で見出して欲しい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
棋士の話は随分上演してきたラビ番だが、裏方ではある駒師に関しては初ではないか?
ネタバレBOX
人生には齢を重ねなければ見えてこない局面というものがある。その一つが年を取ることの意味する処だ。ラビ番の劇作家でもある座長も、暫く見ない間にお年を召した。それでこういう作品を創ったのだろう、云わば一歩引いた視座からの作品創造である。こう述べている自分もこの所急速に体力を落とし、今迄気付かなかった諸相に気付くようにもなった。
ところで自分の頭で考え続けている人間というものは、ある段階に達すると、流されている人々には決して到達し得ない人生の知恵と機微に接することができるようになるものだ。そうなれば後に続く者達にそれとなく、彼ら彼女らの今後活躍しやすい場そのものを提供することもできる視座が生まれ具体化する方図も見えてくる。
一方、健康に見放され易くなり余命も一般的に少なくなっている訳だからそういった場を維持し得る後継者育成を含めてのパースペクティブも当然必要となる。
おっと、説教くせえな! ざっくりいくとしよう。要は他の殆どの人々に気付かれず肝心なことをやってベースを創り、その上で皆が自発的にやっていると思えるような何か、今作の場合は将棋の駒を中心に将棋や駒、釣り、恋や夫婦・家族等々が和気藹々、互いを時にはぶつかり合ったり、齟齬を重ねたりもしながら信じあえる関係を維持し続けることの要諦を示唆した作品と言えよう。<ザックリトイッタワリニソウナッテネエジャンにゃんちって> 寉峯の師匠である富月の履いているジャージの後両ポケットに三羽の兎のデザインがそれぞれ付いているなど、擽りも無論あるし座長の芸名のうちファーストネームの意味する処とも掛かっているのは無論、ファミリーネームも入っている訳だが、誰にでも分かり可愛い! 更に 寉峯もまた弟子をとり後代を育ててゆく下りもいい。そして 寉峯の娘のインタビューされた時の答えも素晴らしい。どんな台詞かは、舞台を観てのお楽しみだ。未見の方々には以下のこともお伝えしておこう。敢えてここに書いていない魅力的なサブストーリーも他にある。こちらも楽しみに観劇して欲しい。
ラスト、ホリゾントに映し出されていた駒型の駒材料映像に、文字が浮かびあがる。この辺りで余韻を残し観劇後の想像力を更に搔き立てる演出も流石である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
華5つ☆ 1日で2回のみの公演だったのが残念至極!
ネタバレBOX
今作は、ガザ市民の日常がガザ在住市民の証言によって赤裸々に綴られた文言を集め編纂したアシュタール劇場のテキストを日本語に翻訳・上演された。これだけの作品を2月18日、15時及び19時の2回公演という形で上演し木戸銭はカンパ制を採った日本の劇場公演としては初演の作品である。日本語翻訳・構成・演出はサブテレニアン出滓の赤井氏自身が行った。
上演されたテキスト内容は以下の通り尺は70分強。
戦争とガザ
私の友人
またたきの間に
ガザからシェイクスピアまで
ラマ
長い戦争の数分
とても静かな夜
我が書斎へ
ところで、日本の劇場では今回が初上演となった今作、世界中の多くの劇場では「パレスチナ連帯の日」に上演されていた。生まれる場所も時も自ら選ぶことの出来ないヒトという存在が、偶々1947年以降のガザに生まれ味わわされて来た、聴いているだけで辛く顔を上げることも困難な無辜の民の耐え難い日常を追体験し得る内容のものばかりだが、現時点では更にガザで生きることの困難は増大している。
実演鑑賞
満足度★★★
“品川親知不知”、普段はコントをやっているという。オープニングでも男女の役者が下手、上手から飛び出して今作を象徴するようなシーンではなく、漫才師たちの出のような雰囲気でアクションを起こす。この時点で演劇としては、余りに表層に過ぎると感じた。コント風の演劇を目指すのであれば鋭利な刃物のような切れ味か、辛辣で表層を突き抜け本質を照らし出すような深淵を底に秘める不気味を表現して欲しい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
華5つ☆
ネタバレBOX
夫婦の行為に対する疑義から捜査の手が入る。然し問題はそれほど簡単に「解決」へと導かれる訳ではない。子供を救えなかった様々な人々が、己の論理を展開してゆき、何が真であるのかを追求することの難しさ自体が明らかになってゆく展開が見事!
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆
ネタバレBOX
ホリゾントにスクリーン。板上、舞台美術の色彩は総て白で統一されており下手から上手迄3段に重ねられた平台。最上段が踊り場となっている。側壁を黒幕で覆い上・下共に観客席側に袖を作って出捌けに用いているが平台の観客席側も無論演技空間である。板上にはイーゼルに掛かったキャンバス他椅子などが配置され場面によって多少の移動が為される。下手、板と観客席の間にピアノかシンセ。生演奏である。生演奏の奏者も役者陣も一所懸命に作品にコミットして情感を盛り上げる努力をしているのが見えるが、ゴッホのような天才を描くにはもっと突き抜けた距離感が劇作家には欲しいとは感じた。情緒で追い掛け切れるものではないように思うのだ。何となればそれは普通の感性を持つ人々が天才を崇め自分達とは異なる崇敬の対象と為すからであり、西欧的文化の中で、天才と雖も東洋に於ける“空”の思考には行き着かない実存的孤独を浮き彫りにできるとは思えないからである。ゴッホ自身も悩む狂気とは、矢張り純粋に他者からの孤立を意味せざるを得ないと考えるからである。その孤立は、然も完璧でないことを天才自身が知っており、自らの解決策としては自死しか思い浮かばぬであろうからである。
だが、旗揚げ公演で此処迄頑張ったことは評価したい。