ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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わが町 高円寺 子ども食堂

わが町 高円寺 子ども食堂

演劇なかま高円寺

座・高円寺2(東京都)

2021/11/20 (土) ~ 2021/11/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 実践の大切を訴える作品。

ネタバレBOX

 演技レベルではまだまだ作為が目立つ者が多く中盤迄学芸会のような演技が続くので参った。が、描かれている通り子ども食堂に集う子供たちは、母子家庭、離婚した父子家庭で父は出張が多い為父不在の折は祖父母の家に住み乍ら兄が8歳の妹の面倒を見る日常を強いられている等実際に起きている事例がベースになっており、新聞の社会面でも報じられることが増えたこともあって大体の様子は聞き及んでいる方も多かろう。だがこのような困難を背負う子供達に具体的な支援策を講じ、実施する大人の数は決して多くはあるまい。そうしたくても出来ない大人も多かろう。マジョリティーの相当部分の人々が生きることに必死な階層に落ち込む傾向が続いているからである。こういった事情から今作で描かれているように子供という社会的弱者に皺寄せが来る。
 この劇団の作品は初めて拝見したが、今挙げたような問題に気付き、具体的に助け船を出す必要を感じ、実践して行ける人々の念を今作で訴えていると感じる。その真摯な姿勢が、多くは貧困に起因する困難な問題群が、日常生活に食い込んでくる様をキチンと認識させ今作を描き上演させたのであろう。中盤から閉まってきた。この優しさと演劇的実践に敬意を表し☆4つ。
ME AND MY LITTLE ASSHOLE

ME AND MY LITTLE ASSHOLE

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2021/11/17 (水) ~ 2021/11/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 物語は小さな設計事務所の日常を描く。事務所は代表の上村を含めて4名と小規模だ。(秀作)

ネタバレBOX

但し通常の劇作品と異なり大工の棟梁を除き一場だけは通常の演劇と同じように1つの役を1人が演じるが今作は2場以降社員4名各々を2人の役者が演じる。片や本音、片や建前である。このような仕掛けで作品をメタ化しているのだが、発想が面白いではないか! 1場だけ1人1役(建前)を演じ、2場では全く同じシーンに本音を演じる役者が噛んで来るので建前と本音のギャップが面白い。3場以降は2場のようなちょっと長めの間は採らず、間髪を入れずに建前のいうことに本音が被さって来るのも小気味が良い。全体に極めてバランスのとれた秀作である。
 毎朝行われる朝礼の4つの目がグー。1:鳥の目、2:虫の目、3:魚の目、4:蝙蝠の目の4つだ。その内容は先ず読者各々が考えてみて欲しい。その上で作品を観、見比べてみるのも一興である。
シアトルのフクシマ・サケ(仮)

シアトルのフクシマ・サケ(仮)

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2021/11/19 (金) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 さて今回は、今作のタイトルをどのように読むか? から始めよう。作家の念が込められたタイトルであることは歴然としているだろうからである。読みは「シアトルのフクシマ・サケ カッコカダイカッコトジル」と読む。つまり(仮)は変更の可能性があるかも知れないので付いている訳では無く正式なタイトルの一部なのである。その理由が何か? については作品を実際に観てお確かめ頂きたい。(華5つ☆)ベシミル! 追記後送

ネタバレBOX


 2011年、3月11日に起きた大震災及び津波襲来により可能性が指摘されていた全電源喪失を惹起し福島第1原発が水素爆発に至った事実は覚えていよう。被災地の人々は、地震・大津波・放射性核種被害の3重苦によって或は命を奪われ、住む場所を失い、仕事を失くしてしまった。今作はおよそその3年半後の10月、当時の首相が「アンダーコントロール」と言ってこの物語の1年前に東京オリンピック招致を決めた翌年、大被害を被った福島浜通りにあって「陸鯨」という銘酒を作っていた斉藤酒造、中通りに在り「鬼蔵」という銘酒を作っていた菅野酒造の人々の夢枕に斉藤酒造の杜氏をしていた長男の双子の娘で父と共に津波で命を落とした未来が立ち「シアトルへ行け」と告げることから始まる。舞台には、巨大な醸造用タンクが2基そそり立っているのが目に付く。
半神

半神

ThreeQuarter

中野スタジオあくとれ(東京都)

2021/11/12 (金) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 ホリゾントには大きなホワイトボード、特殊相対性理論の有名な帰結即ちE=mc²他様々な数式、幾何学図形等が描かれている。(Aチームを拝見)

ネタバレBOX

板ほぼ中央にはヘキサ(=6)角形の白く若干厚みのあるシート状の物が置かれているが、これは世界から遠ざけられたシャム双生児姉妹(シュラとマリア)が隔離されている灯台の基底床やフロアを暗示していよう。またタイトルも仮名読みすれば多重化した意味を読み取ることができる。シャム双生児と聞けば我々の世代は、ベトちゃん、ドクちゃんを直ぐ思い浮かべるが、今作は萩尾望都、野田秀樹が原作や脚本に関わっているらしい。何れにせよ、シュラとマリアには2人に1つの心臓しかない為、10歳の誕生日を迎える頃には心臓が耐えきれなくなり、2人共に命を失う可能性が高いと考えられて居た為、極めて難易度の高いオペを行ってどちらか1人を救うか、2人共諦めるか或は人工心臓を1人に付けるか等の選択肢は考えられようが、シャム双生児の場合、身体のどの部位がくっついているかで実際のオペの内容は全く変わってくるから、今作では2人の体に心臓が1つしかないという設定だけに絞って話を分かり易くしている。その分、次元と学校の授業で用いる1時限目、2時限目・・・、を用いて次元の意味をずらしつつ、音声表現では同音異議となるよう仕組まれている。更に2人を奇跡的に救えるという幻想に一定の共感を喚起する為にマリアの処女受胎(キリスト教に於ける大切な「奇跡」の1つ)に被る話を挿入したり南半球と北半球で水流の渦が逆に巻く物理現象を利用して2人をその境界線で分割すればオペは成功するハズとの幻影を撒いたりもし乍ら厳しい現実を詩的に昇華している、何れにせよ登場するキャラクターも神話的世界の住人、人間、異形の者の三巴であるから、この三者を弁証法的にアウフヘーベンしてみせたということになろうか。
NEXT STAGE

NEXT STAGE

ACファクトリー

シアターサンモール(東京都)

2021/11/10 (水) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 演劇初心者には、舞台を観る時の勉強になりそうな作品だ。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 所謂バックステージものを地でいった作品。座長が曲者で年中脚本を変えたり、設定を変えたりするものだから劇団中が大騒ぎするのが常なのだが、そこはそれ舞台監督が中々しっかり者で何とか纏めてきた。然し今回ばかりはそうはいかない。急な高熱の為ダウンしてしまったからだ。そこで急遽代役を立て、本日はその代役の木下が舞台監督を務めるが。
 今回用いられる演劇空間は通常の板の上だけでは無い。シアターサンモールの舞台寄りの客席部分全部が(通路の舞台寄り客席総て)舞台空間として設えられているのだ。ホリゾントの壁面はスクリーンとして用いられるが、幕を用いワンタッチで隠すことができる。舞台美術は大きな階段、モップの刺さったモップ洗い器、人工植裁といった所。そして客席側の椅子の背を利用して載せられた黒い平台を台形の短辺として長辺の左に照明操作盤と右に音響操作盤を前にしたそれぞれのスタッフ。やや上手側の中段辺りの椅子にダンスの振付師が座っている。観客は通路の後ろの客席からこれら全体を観る。
 座長が来る前にオープニング、ダンスシーン、場当たり等が行われているが、例によって緊急の変更が行われた為に舞台美術のバラシから何から。音響、照明の変更、脚本・演技・演目の変更等で大わらわである。因みに件の座長は昭和式のやり方で劇団を引っ張ろうとするものの創立以来残っている役者は、1名のみという惨憺たる有様。然し座長は座長らしく演劇好きなら誰でも追及してやまない演劇の本質を求めて戦っており、場当たりに現れてからのダメダシにも中々鋭い指摘があって劇団を力づくで引っ張ってゆこうとする。実際演劇好きなら劇作家、演出家、舞台監督、役者、照明、大道具・小道具、制作スタッフやプロンプター等の裏方総てと、観客迄含めて追及して止まないモノ、即ち演劇の本質を求めて皆普段から自らに磨きを掛ける。役者達は数多くの戦闘シーンでも更に動き体捌きを良いものにしようと奮闘し、ダンサーも今より更に美しくしっかりした表現にする為に自らと戦っており、皿回しのような曲芸も更なる磨きを掛けて見所にしようと懸命で、とエンターテインメントを演ずる為のコミカルでドライな要素をも取り入れ、ガチ勝負で懸命な有様をも同時進行で描きつつ、同時に現実と虚構が相互陥入するような舞台を創ろうと奮闘する姿を描く。無論、観る側とて気を抜けない。
 ラストは、これら総てを実現する為に用いられた策が提示されるオチ迄付く創りで、舞台に纏わる総ての人々を巻き込んだ。
セイムタイム,ネクストイヤー

セイムタイム,ネクストイヤー

演劇企画イロトリドリノハナ

オメガ東京(東京都)

2021/11/11 (木) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ベシミル、脚本が抜群。役者さん熱演!(華5つ☆)追記2021.12.22

ネタバレBOX

 原作はアメリカのバーナード・スレイド、今作では途中10分の休憩を挟んで2部構成。下手手前の壁際に三面鏡付の化粧台、その上手やや上部にダブルベッド、ベッド頭部には作り付けのテーブル、電話機等が置かれており、その奥ホリゾントにはドア、この中間にクローゼット。部屋の奥中央辺りから上手に掛けて窓、その向こうはベランダ。上手側面にもドアが在りその奥はバス・洗面所。このドアのある壁面客席側には暖炉が切ってあり暖炉奥に家具。
 18歳で初産を経験し高校を中退したドリスはその後更に2人の子宝に恵まれたが、偶然レストランの端の席に座っていた男と運命の出会いともいえるような会い方をしてしまった。ちょっと不思議な出会い方であったのは、端の席に座っていた者同士の出会い方というシチュエイション自体が少し突飛なことでも想像できよう。ところでこの運命の出会いの相手男性も既婚者であった。2人は逢ったその日の内に同衾した。男の名をジョージという。会計士である。アメリカの中流に属する階層の1つだが、男の時計は3時間25分も進んでいる。正確な時刻に修正するのは会計士という職業柄全く苦にならない。口癖は「数字は嘘を吐かない」である。ところでジョージは当初、小さな嘘をいくつも吐いていた。妻がこの浮気に気付くことを警戒していた為である。ドリスにとってジョージという名も本名か否か同衾時には不明になる。というのも妻の名を当初誤魔化していたからである。数字には強いが、どういう訳か妻の直感を信じるという非科学的なげんを担いだりもするちょっとナイーブな矛盾を持ち合わせた男だ。一方のドリスはイタリア系、カソリック系の高校に通っていた。卒業生の半分はシスターになるという高校である。出産、子育ての為高校は中退したものの、未知の世界に対する好奇心や探求のインセンティブは高く中々のしっかり者である。2人は毎年同じ時期の週末、同じ場所で逢うようになる。
 少しだけ今作の背景を説明すると物語が展開するのはカリフォルニアのコテージの一室、時期は1950年代初頭からの四半世紀だ。(この土地柄の設定も開放的で自由なカリフォルニア州の在り様をキチンと織り込んでいる)アメリカはピルグリム・ファーザーズが英国教やローマンカソリックと対立していた歴史もある国であり、未だに宗教が人々の思考に大きな力を持つ国で、而も多民族国家なので白人対有色人種との差別・被差別問題のみならず、白人同士でもカソリック系はJFKが大統領になる前迄は差別されていた。(というのもケネディー家はカソリック教徒の多いアイルランド系)またドリスはイタリア系(イタリアもカソリック系の国だ)なので白人系とはいえ様々な事情を抱えていたに違いない。
 前半ではジョージが会計士で社会的には所謂中流層であり数字には強いので時計の針が3時間25分も進んでいる(この件は、後半の大切な伏線の1つ)のを瞬時に正しい時刻に訂正することが極めて容易にできること、そんなに数字に強いのに、変にゲンを担ぐ傾向があることや妻に密会を悟られることを恐れる点などは前述の通りだ。一方ドリスの魅力には直ぐ反応してしまう身体傾向等ちょっと軽めのギャグや恋人同士によくある小さないざこざ、ドリスが高校を卒業したことなどが埋め込まれるが、後半では高校どころか大学に入学したドリスがイッピ―のような左派系知識人に変容しファシストに急変してしまったジョージと大喧嘩を始めることに成った時、その変化の原因が長男の戦死にあったという衝撃的な事実の吐露で哀惜の念に駆られ人間的な赦しへ通じてゆく点、終盤結婚を申し込んできたジョージの申し出を拒否せざるを得なかったドリスに妻が亡くなった話をする段と共にその人にとって人生最大の事件が生身に杭を打ち込むような衝撃で描かれ、ジョージの経験する家族の死に対してドリスには新たな生命の誕生が描かれる。何とドリスの出産には医師が間に合わず新生児を取り上げたのはジョージなのだが、この時主導権を握っていたのは無論ドリスであり、ジェンダーギャップで悩まされている女性による逆転という点が興味深い。
 観ている者を圧倒する場面やハラハラドキドキさせる展開に対し(例えば、ドリスが急に陣痛に襲われて破水の最中に掛かってくる電話等)生きる事の靭さと逞しさをユーモアさえ交えて対比、人生の諸相を実に見事に描いた作品である、
 また、今作で極めて興味深いのは、会う度に互いの連れ合いに関してこの1年で一番良かった点と悪かった点について話し、各々の連れ合いには1度も会ったことが無いにも拘らず恰も自分の親友ででもあるかのような親近感と人間的な感情を持つに至っていることだ。これが終盤の何とも言えな深い情緒と2人の生きて来た人生の厚み深みをしみじみ実感させる描写をする際、実に大きく説得力のある布石として機能してくる。無論、最後の最後にオチ迄つける作家のサービス精神もアメリカらしい。


たましずめ

たましずめ

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2021/11/10 (水) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 まずタイトルがひらがな表記になっていることに注目! 無論、複数の意味を喚起させる為えある。どんなに少なくとも3つは思い浮かべることが出来よう。3パートに分かれるが全体として無論関連ずけることがえきる。(追記後送・ベシミル5つ☆)

ネタバレBOX

 寓意に富んだ部分は第2部か。
三人姉妹

三人姉妹

劇団つばめ組

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2021/11/04 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 チェーホフの「三人姉妹」を観るのは何度目だろうか? 

ネタバレBOX

数回は観ているが、そしてチェーホフ作品に通底音のように流れる没落しつつある階級の昏い展望と、それでも働いて生きてゆこうとの決意が見せる仄かな希望を描くチェーホフの筆にどこか救われる思いがし、彼の天才性を素直に喜べたものだったが、ほぼリタイア状態になって、じっくり世界を眺めてみると現在我々が抱えている状況の余りの破綻と対処すべき政治の機能不全、全体計画の杜撰(国連の各部局はそれなりにマトモなことを言っている場合が多いが)各国政治は利害・打算・阿諛追従・権力欲によってズタズタだ。その結果が科学的根拠と共に我らの救い難い未来を殆ど確実に示唆している。この明澄性の央の絶望こそ我らの時代の絶望であり、我等自身の絶望だ。改めてチェーホフが天才を以て示した絶望ですら我等が日々抱える絶望のあからさまな姿には及ばないと感じた次第である。
 役者さんの役柄では我等の絶望に最も近いのが、ドクトルの絶望だろうか。医者として登場している彼は、チェーホフの影と捉えることもできるからである。
Romeo; Juliet in tokyo jungle/現代のロミオとジュリエット ボーイ ネバー ミーツ ガール 東京密林で出逢えない私たち

Romeo; Juliet in tokyo jungle/現代のロミオとジュリエット ボーイ ネバー ミーツ ガール 東京密林で出逢えない私たち

ポーラは嘘をついた―Paralyzed Paula―

SHIBUYA valley(メールにて道順を案内します)(東京都)

2021/11/03 (水) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 表面上シェイクスピアの作品とは殆ど合致しない作品内容になっているが、それはエリザベス朝の英国演劇が数百年の時と遥かな距離を越えて丁度洋菓子のミルフィユのようにこの差異の中に織り込まれているからであるかのようである。(追記後送)

ネタバレBOX

即ちこの時空の隔たりの間にある急激な変容とその激しさの中を正しく今生きる渋谷と謂う街の浮動・浮遊性や混乱の中だからこそ、皺寄せを喰らう社会的弱者として被災した少女地獄の様を、回り灯籠の絵のように淡く儚く浮かび上がらせたもの・ことが、今作の姿であろう。即ち人間精神の解体とヴァーチャルな再生技術集合体として顕現させた現代人の必然的に希釈された「アイデンティティ―」が空無化の一途を辿る道程のみならず男女各々3名ずつのロミオとジュリエットに仮託され、それが表すのは過去・現在・未来と謂った一連の意味ある連想ではなく、最早何処にも希望が無いという虚無空間に佇む我等人間の抱える絶望の生み出した幻でしか無い点にこそ、今作の主張がある。
藤田嗣治〜白い暗闇〜

藤田嗣治〜白い暗闇〜

劇団印象-indian elephant-

小劇場B1(東京都)

2021/10/27 (水) ~ 2021/11/02 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 表現する者が第1に為すべきこと。それは問題提起である。演劇に於いてもアーティストとして演劇に向き合う者なら、この点を疎そかにすべきではない。今作は、そのような立場から書かれ上演された作品と観て良かろう。この勇気ある上演に拍手を送る。

ネタバレBOX


 ユトリロ、モジリアニ、ローランサン、シャガール、キスリングをはじめとするエコール・ド・パリを代表する日本人画家・レオナルド藤田27歳の渡仏から第2次世界大戦終結後までを描く。嗣治の父は陸軍軍医総監になった軍医であるが、本物のアーティストを目指す者らしく国籍も定型も拒否し常に時代と場所の特性を観察吸収し以て己独自の作品世界を構築しようと懸命に生きる嗣治は日本人であることも捨てた。間髪を入れずアーティストとしての抱負を述べる嗣治に対し父の嗣章は「お前は何人か」と鋭い問いを発する。父は、それは一般の人々とは全く異なる世界を生きることだと知っているからであり、大きな仕事を為す者は良くも悪くも社会の代表者となることの意味を知っているからである。然し嗣治の意思は固く、表現することに総てを賭け制作した作品を通して永遠と戦うことを希求する。これは一般人が想像するような甘ったれた世界では無い。全き孤独を知悉しつつ、己の全存在を賭けて、世界を観察解析し、作品に仕上げる為の技術を磨き且つ作品として屹立させることに他ならないからだ。それを実現する為に払う代償は決して小さなものではない。己の孤立と孤高を時の齎す鑢でしかと磨き屹立した物として観る者の眼前に対置することだからである。一般人には、このような人生を選んだ人間の心持ちは理解できない。無論、理解しようともしない。一般人の見るのは単に作家の評判、気にするのは自分の周りの人間が下す己の評判に過ぎない。而もそのような評判の結果は作家に重大な脅威とも名声ともなり得る。殊に日本の同調圧力を原理とする圧迫は、その中心に天皇制に実に良く似た責任回避という名の空虚を置くので日本の一般人が「扇動された」(実際には周囲の目と官憲を恐れて嘘八百を選んだに過ぎないが)時の実際の圧迫とその後それが流行遅れとなった時に主体責任を完全に無視する徹底性に於いて天皇制とその象徴する空虚を根拠とする「論理」は並ぶべき規範を他国には見ないのではないか? 天皇が日本独自の云々と言い張る人々は少なくともそのように考えていると思われる。因みに朝日新聞の住は、帝大時代下町のセツルメントの中心スタッフとして活動していた。ということは東京帝国大学のマルクス主義者学生だったということだと、日本近現代史を多少齧っている者なら誰でも類推する所だ。多門が左翼的な発想を根底に秘めているのも少なくとも左派のイデオロギー、人間観を根底に置いていることは明らかである。これらの開明的思想を知る人物達が、乗り込んでくる占領軍がどのような施策を採るか事前にあれこれ考えるのは必然である。関連資料を燃やそうとする発想もある意味で自然であり、それは己の関与が日本軍政に関わりが深ければ深いほどリアルに考えざるを得ない。この期に及んで敵前逃亡する為には多くの困難が存するし、ましてかつて左翼知識人としてリーダーシップを発揮した住が、己のできる範囲で社会的責任を全うしようとする(絵描きの中から戦犯を出さない)のは当然である。無論、多門の言っていることは現代の我々から見て最も民主的で理想的な意見ではある。然し多門は小物で社会的責任を負うべき責務は住に比べて遥かに少ないのも事実だからこそ、理想的なことが未だ言えた、ということも見逃せない。第1の弟子である山田は戦死してしまったが、大日本帝国臣民から日本国国民になった無責任極まる人々から戦犯容疑者とみられ始めた嗣治は、その重圧からの妄想の中で死んだ兵士達から襲われる己の姿を幻視する。ヘルメットを被っているから顔は良く見えないが銃剣を付けた歩兵銃で襲ってくる彼らに応戦していて倒してしまった兵士からヘルメットが落ちた。その時、嗣治が見た兵の顔は、山田であった。この痛哭! 
 先にも述べた通りアーティストとしての嗣治に対し父の嗣章は「お前は何人か」と鋭い問いを発していた。この一言が意味した所は、実際日本でレオナルド藤田の作品評価を手の平を返す程大きく左右した。然し、その時期が過ぎ去ると嗣治の作品は、その作品の持つ普遍性と普遍的美即ち永遠性によって再び多くのファンを獲得して現在に至っている。
 以上に挙げた総てが、今作が我々に提起した問題群である。この事実を良く噛みしめて反芻したい。


海と日傘

海と日傘

KUROGOKU

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2021/10/28 (木) ~ 2021/11/01 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 タイゼツベシミル。華5つ。脚本、演技、演出、照明、音響、舞台美術等もグー。おっと、うっかり。今作を観て殆どの人が気付かないであろう、伏線について書き残した分を書き足した。

ネタバレBOX

 舞台は作家兼教師の佐伯洋次とその妻直子の住いを中心に展開する。描かれるのは九州の或る地方、季節は日暮の鳴く晩夏から晩秋に掛けてである。因みに2人の住いは大家・瀬戸山夫妻の隣に位置し普段から何くれとなく大家の世話になっており、家賃の滞納も可成りある決してリッチとは言えない所帯だが直子の少女のように柔らかな感性と明るく在ろうとする姿勢、夫の浮気を知りつつ耐えているその愛の深さは描き方を一歩間違えば、怪談になってしまいそうなほどの深みを感じさせるのは、全体として極めて淡々と描かれる今作のトーンに直子の鋭く的確な感性と頭脳が明敏に反応し楔を打ち込むからである。洋次の浮気に彼女が気付くのも、後任の担当編集者・吉岡が洋次を「先生」と呼ぶのに対し先任の多田久子は「佐伯さん」と苗字で呼んでいたからである、更に掛かり付けの医師から洋次が倒れた直子の養生している隣室で医師から「余命3カ月」を告げられた後、非常に早い時期に自らの死期を悟って尚極力冷静を保つ直子の、その姿勢は多田とできていることに気付いて尚、洋次を念い尽くす姿の痛々しさとして描かれていることで観る者の臓腑を抉る。
 因みに今作の小道具で赤い蓋が用いられているが、それが何の蓋なのか分からないという挿話として描かれているが、無論、直子が公園で出会った小さな女の子が持っていた赤い水筒の蓋である。この挿話の大切な点は、女の子が水筒の蓋を使って既に空になった水筒から直子におままごとのように飲み物を注ぎ飲ませてくれた話に繋がっている。直子は殆ど無意識にその時の蓋を持ち帰ってしまったに違いない。その蓋が廊下に落ちていたのをこの日も立ち寄っていた大家の瀬戸山剛史が廊下で見つけたが、劇中では何の蓋だか分からないことになっている。然し乍ら、無意識にせよ、直子は幼い女の子が大切にしている水筒の蓋を持ち帰ってしまった点が重要なのである。直子の持つ少女のような純粋性は、幼女の持つ純粋性には敵わないことが示されているからである。直子は結婚している大人の女性であることがこのことで決定的に示されており、その大人の女である自分が病の為、愛してやまない夫の性の対象としては不適格者として自覚されていることをも示唆している。即ち病の所為で相手をしてやれない自らの不甲斐なさを背負っているのである。これが浮気を許さざるを得ない直子の夫への愛と自分が夫に対して持つ愛の深さと同等には応えて貰えぬことに対するアンヴィヴァレンツと悔しさとして描かれている為に極めて重要なサブスクリプトなのである。
 一方、洋次も無論、妻に死期を悟られまいと優しく介護し気も使って接してはいるが、妻が彼を愛する程のひたむきさは感じられない。その有様は転勤が決まった多田が転任前の最後の仕事として洋次の原稿を受け取りに来た時、死の直前の唯一の夫との近場への旅行を断念させられた直子が湯呑を落としたシーンで表現される。即ち洋次に零れた茶を乱暴な物言いで「拭け」と命じられ抵抗する姿に凝縮されている場面だ。彼が直子の深い愛を悟るのは彼女を失って初めてであるという事実の持つ痛ましさが描かれる終盤の男女の認識差の齎す越えようの無い距離が人間存在のギャップの深淵を覗かせて観客に応える。
音楽劇 百夜車

音楽劇 百夜車

あやめ十八番

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/10/29 (金) ~ 2021/11/02 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 小野小町と深草の少将の百夜通いについては三島が「卒塔婆小町」で描いているし上演回数もそれなりに多いので舞台を観ている方も多かろう。今作も下敷きにしているのは、この百夜通いに纏わる夢幻能なので当然のことながらシテ(実方)、ワキ(謡子)、ツレ(黒塚・僧侶)として設定されており、二部構成になっているのも単に尺が休憩を入れて160分という長尺だからというだけでは無く能の前場、後場に対応していることに留意すべきだろう。あやめ十八番の作品は日本の古典文学の素養を基礎にした作品が多いこと、今作でも和歌等が多用されていることでもこの事情は納得できよう。(ベシミル 華5つ☆ 追記後送)

「あの怪物の名は太陽の塔」

「あの怪物の名は太陽の塔」

The Stone Age ブライアント

サンモールスタジオ(東京都)

2021/10/27 (水) ~ 2021/10/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 物語が展開するのは、施設のある場所から直ぐの展望台である。この展望台からは太陽の塔が見える。(シリアスだが、見るベシ。追記後送華5つ☆)

ネタバレBOX

即ち千里ニュータウンの傍にある殆ど人の寄りつかない一角に据えられた展望台だ。この山を下ると川が流れており山からの湧き水や季節によっては雪解け水なども川の源流になっていそうな可成り辺鄙な場所である。従って街に出るには車が必要だ。施設では重度の知的障碍者を預かる。現在、預かっている入所者は11名、受け入れ側は園長を含め3名。IQ測定不可(35以下)の入所者も含め、知的障害の重い者は、下の世話迄せねばならぬケース・手洗いを汚すケース等もあり、更に言語障害を伴うケースが多々ある為、コミュニケーションがままならないことも多い。またこのコミュニケーションの不完全性に起因する情報伝達不十分や隔離・外出禁止等によって収容者のストレスが蓄積され結果的に情動を抑えられなくなる為に特異な行動をとることが在る為、3名のケアスタッフではハッキリ言って人出不足であるが、実際の労働がきつく決して労賃にも恵まれている訳では無いので就労したがる者が多くないのも事実である。以上の条件のうち殊に手の掛かる事情から日本の公的な施設は受け入れたがらない実情が在る為、実際にこの人達の面倒を看ているのは私立の施設であることが圧倒的に多いのが実態だ。(読者も御存知の通り、日本の公は、基本的にアリバイ作りしかしない。殊に国家上級を含む所謂公務員は地位が上がれば上がるほど碌な者が居ないのが実情である。これに引き換え同じ公務員でも極めて優秀でありながら敢えて出世を選ばず、下位の公務員として地域や弱者の側に立ち非常に人間的に活動している方々もいらっしゃる)。今作の創作で最も大きいのが、弱者の側に立とうとしつつ、実際には優生保護思想を喧伝する為に行動するエリート公務員というキャラクターを創造した事である。このキャラの創造こそ、今作がこの問題を演劇として提起し得た最大の要因だと考える。一言で言えば、実際のエリート官僚とは違って話ができるということだ。では何故筆者がそのように考えるのかを以下で説明しておこう。{自分が今迄に出会ってきた実際の外務・文科・厚労・通産のエリート官僚等は総て腐りきっていたし、弱者に寄り添おうとする者等一人も居なかった。(エリートとされる公僕の対応は例外なく木で鼻を括ったような答弁に終始して話をはぐらかし詭弁を弄する他、対話が成立せぬよう図る事である。
解放区

解放区

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2021/10/20 (水) ~ 2021/10/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 舞台手前にはあちこちに塵の山、中央やや上手に舞台へ上がる段が1つ、上には茣蓙が掛けられている。舞台と客席の間、矢張り塵のような塊が上手下手の天井から1つずつ吊り下げられている。
 さて、板上。ホリゾント手前に衝立のように立ち上がる壁、その奥は袖になり上手に透明なビニールが貼られてバイオリン弾きが時折登場する。通常の演奏というより現代音楽的に不協和音をアレンジしたクラシックのような音楽を演奏しているのは、この空間が破壊の瀬戸際にあるからである。ビニールの更に上手には姿見サイズの大きな金色の額縁がある。壁下手には青いビニールハウス。住人は今作の主人公である。風呂に入れないから、物凄く臭う。
 壁から観客席へ延びる板上には下手に様々な書籍が塵の山となって散乱(産卵)し、上手にもやはり塵が若干と簡素な椅子としても用い得るガラクタが在る。
 物語は、可成り意外な展開を見せる。所謂ホームレスが主人公なのだが、このホームレス。実は天才と称された劇作家、元大学講師も務めたインテリである。その彼が何故このように零落の憂き目を見て居るか? その顛末が描かれたのが、今作である。(華4つ星、解釈は観た個々人がすればよい、時間が取れれば追記する)

ネタバレBOX

 
 主人公は、その才能故体制側に多くの敵を作ると同時に大学での教え子、作家志望の新聞記者をはじめとして熱烈な信奉者にも恵まれていた。従って彼の住むこの塵溜めのような空間も数々の政治的愚策や自由への圧迫、自分の頭を用いて考え抜かれた思考を持つ者達への有象無象の圧力から人間存在を解き放つ劇的空間として設定され機能している。その原動力は無論限りない想像力である。そしてそのimaginationを身体化することによって具現化する劇場としてこの場が捉えられているが故に死守せねばならぬのである。当然の事ながら立ち退き要求に応じることはできない。
 一方、資本主義体制の「王」である資本家や彼らとタッグを組む「政治家」、「マスゴミ」上層部、高級官僚及び最高裁判所裁判官等利害を一にする者達は、己が利潤追求の為に例えば3S政策等を用いて人々から自由な時を簒奪するのみならず恰も人々は楽しんでいるかのように思わされながら自発的な思考を停止させられ洗脳されてゆく数々の手管を用いて思考停止へ追い込む。これら「巧妙」とも言えないプロパガンダによって多くの人々が自省の習慣を無化され、思考の表層化・無化に甘んじることとなった。
 人々の持つ最大の武器である自由で合理的且つ深く実践的でイマジネーションに富んだ思考を無化し表層化することに成功した資本は次の手に打って出た。資本の唯一無二の目的・利潤追求である。その一つの現れこそ、現在この界隈で唯一の場所となったこの自由劇場空間破壊であった。このイマジネーションの宝庫を金のなる木に変えようというのである。
 ところで何故解放を叫ぶ者達は、敗北せねばならぬかである。現象的には現場監督の「未だ人が居ます」という制止にも拘わらず大型クレーンに取り付けられた巨大な鉄球が彼らを襲撃したからという単なる物理法則によって弾き飛ばされ、残存していた構築物が破砕された彼らの身体に圧し掛かったからという事象に過ぎないが、人間が人間に対して行った行為として、ことはそれほど単純ではあり得ない。現場で作業に携わる者達も解放区を主張して殺された者達も単に資本(即ち資本主義社会で高位を占める資本家≒王侯貴族や所謂エスタブリッシュメント等人間社会というヒエラルキー上位者)占有階層からみれば、ヒエラルキー下位を構成する人間総ては「モノ」に過ぎないからである。今更優生保護思想を喧伝するまでもなく、彼らのイデオロギーは「進化論」の曲解を根拠とする。無論、エスタブリッシュメント達は直接他人の死に関わるような愚行には関与しない。そんなことをするのは彼らの支配を受ける人間達に任せておけばよいのである。
『Black confession』

『Black confession』

法政大学Ⅰ部演劇研究会

一劇公式YouTube(東京都)

2021/10/13 (水) ~ 2021/10/16 (土)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★


 舞台は大道具のみ。小道具を用いる場合は総て動作で表現される。ホリゾント中央と上下壁面の壁に1カ所づつ出吐け。総ての壁の下方は煉瓦積みになっている。小道具のグラスやカップが壊れる音、武器の剣が用いられる場合は抜かれる音、銃の場合は発射音、カフェへの出入りは鈴の音等総て音響で表現される。朗読劇の形式である。BGMに掛かる音楽のセンスが良い。

ネタバレBOX

「Black confession」2021.10.15 法政Ⅰ劇

 我々を取り巻く総ての状況が何者かによってコントロールされ、その専制者の意図の下に政治・経済・メディアは統制されている。一方、合理的で緻密、論理的で正確な理論と綿密な観察によって検証された事実だけを根拠に組み立てられた科学によって世界に対処する技術を持った科学者、医者等は、詭弁に踊らされる民衆には理解できないことが多いことを利用して古い伝説や俗論に残る魔術を扱う者とされ不測の事態や重大事件が起こると、その原因とされ殺されるなどの被害を蒙ってきた。
 今作は、この不条理の犠牲となった被害者を虚偽を用いて言いくるめ犯人自らの手足として使役して来た真犯人を暴く迄の物語である。当然の事ながらこの真犯人の犠牲者は1人や2人ではない。共謀していた政治家も実は真犯人に利用されただけの間抜けと見做される程にずる賢く悪辣極まる人物である。こんな真犯人に10年に及ぶ長期間育てられた少女は洗脳されてはいたが、その洗脳の頚城の重圧の下で矛盾を抱えたまま、自己肯定する術を身に着ける。現代日本の嘘八百の現状を生きなければならない若者達の不安を描いた作品と観た。

ドント・コールミー・バッドマン

ドント・コールミー・バッドマン

24/7lavo

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2021/10/14 (木) ~ 2021/10/19 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 流石、プロの創るメタ作品。(ネタバレが余り露骨になるのを防ぐ為、追記部分は完成しているが終演後にする)

ネタバレBOX

 面白い舞台美術である。この小屋の通常の舞台空間は、劇空間入口を零として入って直ぐ左側へ延びる辺をAとし時計回りにB,C,Dとほぼ正方形になりC,Dの向かい側が客席になるが、今回、客席は通常通り。零からAへ向かう途中に昔DJ喫茶等にあったDJの作業スペース即ち金魚鉢のようなスペースが設けられており、其処から右肩上がりに長い平台が置かれている。この平台に平行に、1m程間を開けた場所に丸テーブルと椅子2脚が置かれ更に高くなったスペースが設けられている。この場所の上手下手にはここへ上がる為の階段がそれぞれ設けられており辺Cのホリゾント側には2m程のポールが丁度肩幅程度の距離を保って立っている。
 椅子等が置かれ最も高い場所は主として喫茶店の店内としての機能を果たす。低い平台は校内の廊下、往来や学校の行き帰りの道、屋外等様々な場所を表すが、無論通常舞台として用いられるD辺と低い平台の間に広がるスペースも過去と現在進行している演劇に於ける劇空間としても機能する。
 ここで分かり易くする為に今作の構造を説明しておこう。無論、メタ作品である。第1の設定は作・演出を担った主人公主宰劇団の旗揚げ公演のゲネ直前から初日の開ける所迄を描いた作品という設定だ。第2に主人公が新たな中学に転校してきた後、自己紹介を切っ掛けに苛めにあったこと、その内実と担任教師即ち学校側の対応。第3が長じた後苛めていた中心人物の内実が第三者によって指摘され、その余りの空虚の何たるかに生まれて初めて客観化し己と真正面から向き合った苛めっ子が深く反省、虐められていた者が主催する芝居の初日を観に行く。の3つである。この3つの流れが入れ子細工になって物語が展開してゆくのだが、この展開を異なる時間軸・空間軸と次元に振り分けているのが、今回の舞台美術ということだ。メインストリームは無論、不測の事態や事故などを除き絶対に変えることが出来ない初日の無事開幕である。だがゲネは愚か本来ゲネまでに詰めておくべき、場当たりや演技と演出の詰めすら充分では無いという状況下、果たして開幕できるのか? との緊張感があるから観客は舞台から目を離せない。サブストリームも少し変わった趣向ではあるものの、シアターミラクルが在る新宿らしさも取り込み、随所に笑いも鏤めて飽きさせない。
そして、死んでくれ

そして、死んでくれ

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2021/10/13 (水) ~ 2021/10/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 日本の本質を抉った。深みのある作品。ベシミル。2人の中核的登場人物の妻が、中盤までと終盤での歩き方の差で事態の質的変異を如実に表している演技や、服装や身だしなみ、小道具等がキチンと時代を表している点。音響・照明、脚本・演出、妻たちの演技のみならず役者全体の演技も良い。内容が現代に通じている点もグー。華5つ☆(追記後送)

ネタバレBOX

 1926年、2月。25日は雪が降った。事件当日26日も雪で、皇道派隊付青年将校に率いられた1483名の下士官・兵が決起。指揮した将校らが君側の奸と見做した総理大臣・大蔵大臣・前内大臣・教育総監・侍従長及びもう一つの国家の暴力装置・警視庁そしてメディア等を襲撃した。所謂2.26時件である。彼らの拠って立つイデオロギーは北一輝の「日本改造法案大綱」と謂われることがあるが、実際には今作に登場する磯部や栗原らに影響を与えたとされ、寧ろ隊付青年将校に共有された念としては矢張り北が指摘していた‟君側の奸“という発想だったとみることができる。因みに当時の陸軍内部には皇道派と統制派の派閥争いがあった。閥の違いは所謂参謀や将官の道が開かれている陸代卒の高級将校の多くが国家を総動員して戦争を遂行すべきだという主張をしていた統制派に対し、農村等から集められた下士官・兵らと実際に接し隊付将校として彼らと行動を共にしているが故に、民衆の苦境即ち事ある毎に姉妹が身売りされ苦涯に身を落とすような苦境を実体験として知り抜いており為に民を無視する日本の政治に対し、人間として当たり前の義憤を常日頃から感じ心を痛めていた皇道派に属する者が多かった。
beside U : わたしいましたわ

beside U : わたしいましたわ

あまい洋々

新宿眼科画廊(東京都)

2021/10/08 (金) ~ 2021/10/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 タイゼツベシミル 華5つ☆ 新たな才能、発見! 暫くしたら拝見した演技・演出について追記予定
 「甘い蜜の部屋」というタイトルを聞いて直ぐ何かが分かる人がどれだけ居るだろうか?

ネタバレBOX

 ある女流作家の作品名である。作家の名は、森茉莉、森鴎外の溺愛した愛娘である。今作の作者は若い。その若い作家がまさか森茉莉を読んで居ようとは、正直驚かされた。相当の読書家であることは間違いない。あの鰻の寝床のような新宿眼科画廊で賢い舞台の使い方をしているのもさることながら、舞台美術というか装置もシンプルでありながら、それ故にこそ如何様にも見せることが出来ることを利用して各場面をキチンと見事に変換して見せる。小屋の使い方は一般的で入口のある側の短辺の反対側をホリゾントとしホリゾント手前下手に脚立が1つ、脚立スペースの手前が演技用板の載った舞台だ。各コーナーから柱となるスチールパイプを立ち上げ天井部分もスチールパイプで連結した矩形。下部の各コーナーには対角線上の柱2本の下にストッパー付き滑車、他の2カ所は滑車のみが付けられ4人の登場人物の内、板上に居ない2人がこの矩形を動かして各場面に対応するよう調整する仕組みだ。壁面に当たる4面は総て左右に開くレース状のカーテンが付けられ開閉することで様々なシチュエーションに対応する。尚、今作の劇作家は谷崎潤一郎の「痴人の愛」を2度目に読んだ時に今作を書くことを決めたという。劇作家の視座は主人公“なおみ”を中心に展開するが、台詞は実にシャープで而も自然である。ずっと年上のパパさんとして譲治が登場するが、「痴人の愛」との関係で2人の関係は類推できよう。譲治がなおみの成長日記と称して撮る写真や、彼女の住いが変わるなどの状況変化がある度にその名と年齢がカーテンに映し出されるのも頗る効果的だ。また、孤独な少女の魂が運命的な出逢いを遂げ、仲良しになるが、互いにベタベタせず、まるでムルソーのような異界を抱えた人間同士である点も素晴らしい。それだけ、2人の悩みの深さも孤立感も、また非情緒的だが極めて知的な者のみが体験する迷い方の持つ深刻性も際立って表現されているからである。因みに仲良くなった女友達の名は‟ノラ”でありイプセンの「人形の家」の主人公であるのは、劇作家のイプセンへのオマージュでもあろう。
クロノス

クロノス

LOGOTyPEプロデュース

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2021/10/06 (水) ~ 2021/10/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 舞台美術・演技が良い。

ネタバレBOX

 通常のSFで守られているタイムパラドクス等を総て無視し、取り敢えず主人公即ち作家の頑固と一徹を通すことで一途なメンタリティーの純粋性に惑わされそうになったのは、主役を演じた南翔太氏の演技によるものだろう。無論、主役が引き立つような脇の演技も気に入った。然し5度目のチャレンジ辺りから鼻白むシナリオである。単に好きというプラトニックラブだけで少なくとも研究所のスタッフになれるだけの頭脳を持った人間が収まるハズはないからである。掛かるのは己の命より大切な欲望である。その欲望が綺麗ごとで済むハズが無かろう。この辺りから鼻白んでしまった。舞台美術は可成り洗練されているし役者陣の演技も良い。然しシナリオの終盤でアラが完全に露呈してしまった。演劇としてのリアリティーを失ってしまうのである。プロデューサーはもう少し勉強し、良い原作を選ぶべきであろう。少なくとも大人には底が割れてしまう。とはいえ、役者陣の頑張りと舞台美術を評価して星は4つ。
『おやしらず』

『おやしらず』

午前の紅茶

宮益坂十間スタジオ・Aスタジオ(東京都)

2021/10/02 (土) ~ 2021/10/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 板中央にパイプ椅子4脚がキチンと並べられている、背凭れは無論ホリゾントの側だ。出吐けは上手・下手そのぞれの1カ所。その袖の各々はクロスで目隠しがされている。出演者は総て若いという印象を持った。20代前半、大学生だろうか。

ネタバレBOX


 原案を女性が提示したものに負っており、脚本は劇団の専門部署が担った模様だ。内容的には決して悪くない。然しどのような世界を描くのか具体性に欠けている。原因はタイトルにも現れているが、"親知らず″がWミーニングであることがぼんやり示唆されてはいるものの、それがタイトルとして作品全体の象徴になる程の強度も、何等かの必然性をも惹起しないことだろう。つまり作品世界の設定自体が曖昧なのだ。脚本化する段階でこの点を詰め切れなかったことが最大の欠点だ。また、演出でキチンとダメ出しができていないように思えた。同世代、而も大学生で演劇部ということであれば仲間内の関係が悪くなるとか人間関係の問題を懸念してキチンとダメ出しが出来ないことも考えられるが、もしそうであるならそんなことは関係ない。演出の才能が有る者がその役割を担えば良く、出演陣は演出の駄目出しを尊重すべきである。何となれば、何故演じているのかを考えてみれば自ずと答えは見えてこよう。観客に届ける為では無かったのか? 其の為にこそ、裏方、(原案を含め)脚本家、演出家、役者は一丸となって創作に励んできたのではなかったか。先ずはそこから始めて欲しい。

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