ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

221-240件 / 3238件中
少女の魂は謳う

少女の魂は謳う

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2023/03/20 (月) ~ 2023/03/21 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 長い人生を生き抜いてきた4人の女性の人生を歌とドキュメンタリー仕立ての表現で構成し、観客に活力をくれる舞台。本日まで。べし観る!

ネタバレBOX

 シアターXルナ・パーティーの第12回公演は丈夫ならぬ「ますら女」4人による歌とドラマの実験的作品。伴奏は無論、生ピアノ。奏者は志村 百子さん。歌うは今回脚本・構成も担当した渡邊 嘉子さん他総勢4名だが、以下順次紹介してゆこう。渡邊さんは毎年銀座某所でたくさんのお仲間とシャンソンコンサートを催し、季刊誌・OPINION♀を編集なさっているキャリアウーマンだ。因みに今回歌ってくださる女性は、総ての方がキャリアウーマンとして男性優位社会のガラスの天井を砕き女性の社会進出や権利拡大に貢献してきた方々ばかりである。無論、お子さん、お孫さんもいらっしゃる。日本でもつい最近実現した育休や、遡ると零歳児保育等への先鞭をつけたパイオニアでもあるから、サブタイトルに“ますら女”と入っている訳だ。
 歌い手紹介は、脚本・構成も担当なさった渡邊さんから始めたので逆あいうえお順で紹介してゆく。
宮崎 絢子さんは、アナウンサーを続けてこられた。ラジオ・TVどちらも放送している放送局から民放に移りずっとこの仕事をなさってきたが、現在はボイストレーナーなどもこなしていらっしゃるようだ。
 次に黒田 恵子さん、宝塚出身だ。男役希望であったが、身長が届かなかった為、脚本家が少年役を作ってくれたこともあったが遂に宝塚を退団。その後は歌や演技で活躍、若手育成も続けている。一度、癌で活動を休止せざるを得ない時期もあったが、復帰後現在に至るまで活躍なさっている。
 最後に紹介するのは、父はドイツ系ロシア人、母はウクライナ人のエカテリーナさん。現在はボニージャックスと共演することが多いというが、来日28年。ソ連崩壊後の1990年代に息子さんと一緒に日本に来て暮らしてきた、子供の頃から歌などで舞台に立っていた方だから歌の上手さは勿論、ちょっとした仕草も茶目っ気も、とてもチャーミングな方である。
 舞台は、紹介した4名の女性の人生それぞれを描くと共に、歌を挟む形で進められたので、シャンソンの本質をキチンと捉えた上で地に足のついた自然で深いものになった。4名の歌い手それぞれの歌の上手さは無論のこと、生き抜いてきた人生の侘び寂も表現されているばかりではない、当に今を力いっぱい生きている姿を見せて活力を観客に与える舞台であった。
丹青の水屋の富

丹青の水屋の富

深川とっくり座

江東区深川江戸資料館小劇場(東京都)

2023/03/17 (金) ~ 2023/03/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 落語の「芝浜」を下敷きにしたのかと思ったが、「水屋の富」という噺があるそうで、そちらが下敷きになっているようだ。

ネタバレBOX

 江戸下町の長屋での暮らしは、至って暮らしやすいものであった。長屋の住人といえば、金の無いのは当たり前、自分も2~3歳当時(1953~4年)深川の長屋で暮らしていたのだが、皆住人は貧しくて亭主は朝仕事に出掛ける、女房は内職するか、仕事がある時は仕事に出るから結構昼の間は長屋のお兄ちゃん、お姉ちゃんが我々幼児の面倒を見てくれた。だから長屋全体が本当に大きな家族のような感じで、どの子が、どの部屋に上がり込んで遊んでいても問題は無かった。それどころか時には鍋釜まで貸し借りするほど貧乏だったから、マッチ(大箱)などもどの時点でどの部屋にあるのか、働きに出たお母さんが戻ってきた時、分からないことが多い。そうすると子供が、困っているそのお母さんに「今日は誰々ちゃんちにあるよ」などと教える。そんな生活であった。長屋の作りは、一部屋四畳半の部屋を繋いだ何棟かを通路を挟んで平行に建て通路の端に井戸があってそこで煮炊きの下準備をしたり、盥と洗濯板を使って洗濯をしたりできるようになっていたから、お母さんたちはそこで皆日々顔を合わせていた。(井戸端会議などという言葉もこんな所から生じたのではないかと思っている)四畳半の部屋は通路側が障子、鍵等無論無い。従って鍵代わりになるのは心張棒のみである。まあ、泥棒が仮に入っても盗むべき物なぞ何も無いというのが通例であった。
 こんな思い出を書いたのは、下町の人々の人情というものが、実は今に始まったものでは
なく江戸時代には既にあったという資料を読んだことがあるからである。江戸幕府は、人別帳を結構しっかり機能させていたから何時、何処に、誰が居るかもそれなりにキチンと把握していた。今作でも新たな住人となった“おてる”の請負人の話題が出てくるが(そしてそれを同心が確認している)公式には大家が承認していると住人が証言する形で同心からの信任を承けている。貧しい暮らしから生じる苦労や苦悩を人と人との繋がりを創ることで乗り越えてきた人々は他人の苦しみを自分ごととして捉える力を持つから、人別帳から訳あって除外されているような階層の人々をも包み込むような優しさを持つのである。承知の通り、太閤検地以来、各農家の収穫量は為政者である武士に筒抜けである。また人別帳がキチンと制度化されていたから為政者はこの2つを組み合わせることによって誰にどれだけの年貢を課すか計算できる。日本では長らく人口の大多数を占める農民の長男男子が親の遺産を相続するというのが歴史的に続いてきた相続の形式であった。身分制も士農工商で基本的に自らの意思に従って職業選択ができた訳でもない。従って人口の大部分を占めていた長男以外の次男、三男等は幕府の政策次第で下働きに甘んじるか何とか雑役に就くか或いは渡世人になるか等の他生きる術を失っていた(女性の立場は更に厳しかったのは言うまでもない)のである。長屋は、このような階層の人々が暮らす空間であった。
 以上のような情況が今作の拠って立つ社会形態である。このような社会で“おてる”は、序盤から一人だけ垢抜けている。つまりトウシロウではないことが一目で分かる。それが分かった上で観客は、何でもかんでも犯罪と結び付けて考えがちな同心即ちお上を或る意味おちょくってみせる長屋の住人を目撃するのである。と同時に長屋住人のお人好しの側面を見せて笑わせもするのだ。その見せ方が場毎に上手に纏めてあり、それぞれの場をこれも自然に観えるように構成している。流石に長い間地元で公演を続ける劇団の力を感じる。最後の落ちも深い。
果てのない 物語のない 旅にでる

果てのない 物語のない 旅にでる

精華高校演劇部・芸術総合高校演劇部合同東京公演実行委員会

シアター風姿花伝(東京都)

2023/03/11 (土) ~ 2023/03/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「ファウスト-大阪、ミナミの高校生5-」2023.3.12 17時 風姿花伝
 素舞台、上手に階段を設え登場しない生徒たちが座って待機する。タイトルに入っている5という数字は、ミナミの高校生がシリーズ化されており、今作が5作目であることを表していよう。
ところで今作を拝見し既発表作品も脚本を読みたくなった。何より最も本質的な問題に真正面から挑んでいるからである。この勇気を高く評価したい。

ネタバレBOX


 ミナミと関西人が聞けば、その雰囲気は誰でも知っているが少し説明しておこう。自分は最初に入った大学が京都にあったせいで夏休みにミナミでアルバイトをした経験があり、いきなり度肝を抜かれた。キタが東京でいえば銀座辺りの高級イメージだとすれば、ミナミはその真反対、現在の情況は知らないが当時は真昼間からタチンボが道頓堀にもうようよ居た。その姿に驚いたのである。ガキの頃から渋谷、新宿等を中心に遊んでいたからタチンボの存在は当然知っていたが、真昼間から公然と仕事をしていることに驚かされたのである。
 で、この話である。恋バナだ。どんな学校でも若い男女の恋は頗る大切な問題であり、誰しもが経験することでもあるが、実際問題の最たるものは、妊娠ということであろう。自分たちの時代にもスケバングループやグループに入っていなくとも我々、不良と付き合いのあった女生徒からは時々その深刻な話題は伝わってきていたこともあり全くヒトゴトでは済ますことのできない作品として拝見した。恋をして最終的に最も大きなリスクを負う女性が、経済的自立の覚束ない年齢で妊娠をしてしまうという状況で、人間として、女性として、母となる身として、恋する乙女でありながら余りにも若すぎる己の未来へ向けてはリスクしか無いと判断する大人に対し、母の心配も理解しつつウザイと蹴って彼の下へ走りたい純な念は、現代学歴社会に於いては現実社会的には下層へ落ちるしかない中卒乃至高校中退というレッテルに甘んじ乍ら生きてゆくか、悲観して自殺するか或いは心ならずも堕胎するか、最悪大きな悩みを抱えながら隠れて出産し自ら我が子を殺害するか迄を含めて悩まねばならぬ問題を同じ女子高生の助けで最善の方向に持ってゆく内容も実に温かく人間的で心を打った。ゲーテの「ファウスト」が外延として絡んでいる点もグー。
果てのない 物語のない 旅にでる

果てのない 物語のない 旅にでる

精華高校演劇部・芸術総合高校演劇部合同東京公演実行委員会

シアター風姿花伝(東京都)

2023/03/11 (土) ~ 2023/03/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「Twinkle Night」 2023.3.12 17時 風姿花伝 埼玉県立芸術総合高校演劇部
 某侯爵邸が舞台の作品である。板上は下手奥に侯爵令嬢の肖像画を懸けたイーゼル。上手奥に絨毯を敷いた応接セット。ソファの豪華さでその富を偲ばせる。

ネタバレBOX

時は錬金術師が未だ残っていた時代のイースターの時期。肖像画に描かれた女性は宝石を収集していることで著名であった。ところで侯爵令嬢は張り紙を街に張らせた。「求む、錬金術師」とあった。屋敷を訪れる数多の自称・錬金術師。然し大半は既に亡くなった侯爵の遺産を高価な宝石に換えて所有しているという令嬢の富を狙った詐欺師、盗人などであったが、本物の錬金術師も交じっていた。
 全く同じセットの中に登場人物が入れ替わり立ち代わり現れる。新たに現れた二人組は未婚のまま生涯を終え寂れて居た侯爵邸を購入し謎だった隠し場所から令嬢の集めた宝石を見つけたらしかった。彼らもまた張り紙を出した。「求む、超能力者」張り紙にはそう記されていた。成功報酬は、豪華な旧侯爵邸であった。令嬢が張り紙を出した約200年後の矢張りイースターの頃であった。無論、今回も集まった連中の殆どは碌な者ではなく、単なる手品師だの人語を話し二足歩行できる兎等であったが本当に特殊な超能力を持った者もいた。
 さて美しく富に恵まれた侯爵令嬢は、何故か独身を通して世を去った。原因は彼女が恋した同じ貴族が、ある日訪れていた侯爵邸から突然消えてしまったことにあった。理由はこの屋敷の建っているエリアはかつて錬金術師が用いた特殊な力を秘めた石が多く採掘された場所であり、そこに別の何らかの石か宝石が持ち込まれたことで相互作用を起こし一時的に時空に歪みを生み、その歪みに呑まれ彼はタイムスリップしたということが分かった。
 即ち不可思議な力を持つ石と照応した宝石が、今再び出会い互いの力が衰えて居なければ再び時空の歪みを生みタイムスリップができる可能性は零ではない。寂れていた屋敷を購入した紳士は、この可能性に賭け成功した。200年の時を遡り、彼は彼女の下に還り夫婦となった。肖像画は睦まじい二人を描いた物に替わっている。


レプリカ

レプリカ

ハツビロコウ

シアター711(東京都)

2023/03/14 (火) ~ 2023/03/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 この内容は当然5つ☆
尺は休憩なしの2時間15分を超える程度。然し一瞬たりとも気の抜けない舞台だ。観る者は、普段自分が拠って立っている存在感の基盤を揺すられ極めて濃厚な時間を過ごすことができよう。良く考えられた照明、音響、舞台美術効果も体験すべし。いつも通り、スタッフの対応も素晴らしい。

ネタバレBOX


 物語の内容そのものは、知らずに観た方がインパクトがあって良かろうし、原作は鐘下辰男さんと発表されているから興味のある方は原作も読んで比較してみると良いかも知れない。役者陣の誰しもが優れた演技を見せ、上演台本、演出、演技と三面六臂の活躍を見せる松本光生さんの底力をも見せる力作である。
 舞台美術はちょっと変わった作りになっている。板上に下手から上手迄両側に狭い通路スぺースをとった平台を置き、平台のやや奥に物語が進行する山奥の部屋が再現されているからである。板上は、窓やカーテンを夏でも締め切るという物語内容の設定もあり上演中殆どの場面で落とした照明である。室内のメイン照明は天井から下がる電灯だが、上演中はランプや大型懐中電灯を用いる場面も結構長く、いやがうえにも緊張感を高めて効果的な演出だ。出捌けは下手側壁及び上手側壁、劇場入口に設えられ、下手は玄関を通して外に繋がり上手は奥の部屋に繋がる構造を示す。更に始終仄暗い空間の正面、ホリゾントの中央には壁掛けの鏡が掛かっており、四転、五転する緊迫した物語の中で出演者の隠れた表情まで映し出される効果が抜群だ。下手奥のコーナーには冷蔵庫その上手にはポットやコーヒーを飲む為のマグカップやシュガー、スプーン等の載った収納家具、その更に上手にも収納家具やイーゼルに掛けた楽譜等が並び、上手側壁には壁に沿うように奥から小型の机、間にスツールの入った化粧台が置かれ、上手客席側コーナーには扇風機、下手客席側コーナーには電話台に置かれた受話器がある。また、部屋の真ん中辺りにダイニングテーブルとイス。尚平台客席側残余の板空間は家屋の外のシーンで用いられる。この辺りの工夫も決して広いとは言えない劇場空間を利用している今回の公演で演出の知恵であろう。
The Reed

The Reed

犬猫会

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2023/03/03 (金) ~ 2023/03/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 板手前やや上手に葦を模した細工物。似たような物が板上に適度距離をおいて置かれている。物語はこれら葦の生命力に依拠する集団と葦の生命力の源であるその地下茎が吸いあげる命の水、そして不思議な存在・ソ。ソを射る者たちとその長、葦の管理等をする長、そして葦の世界とソの世界を結ぶ世界を差配する長らとのコラボレーションによって成り立っている。

ネタバレBOX


 ところで、このソという「存在」少し厄介である。恐らく今作の劇作家は量子論に興味があるに違いない。一般に膾炙されている量子論では量子は観察者によって初めてその存在を明らかにしうるものの観察された瞬間に何処かへ行ってしまう。つまり観察者の観察するという行為そのものの影響を受けて質量が余りに小さい量子は変化を受けるのである。また、量子の振る舞いは古典的な物理学では理解できない。この辺りの物理学が理解できていないと観客はこの時点で本質的に物語の埒外に置かれてしまう。その懸念から、今作は神話展開を図ったのだろうが、その展開の仕方が量子としてのソとそれを射ることによって地上に生命を齎し実りや生産物を齎すことと直接繋がりようがないことが作家に分かっておらず、葦が吸い上げる命の水の齎す生命サイクル神話であるかのように組み立ててしまった点に今作の弱点が存する。論理的に明快な繋がりが無いからである。
 役者陣は可成り頑張っているし、懸命にこのギャップを何とか埋めようと頑張っているのだが、その溝は埋まり切る訳がない。
 作家は、量子物理をもう少し勉強して、この弱点を克服すると同時に、生きることの意味を明らかにする為にももう一度我々ヒトは何処から来て何処へ行くのか? ヒトとは何か? を問い直し更に先へ進んで貰いたい。
Dramatic Jam 5

Dramatic Jam 5

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2023/03/10 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 珍しくコントのような作品がかなり多い。全9作の内、短編の劇作は2本。コントと捉えた作品が5本、曖昧なのが1本。何れにせよ全体の作品を拝見した印象は、舞台から客席へのメッセージが送られているということであった。(追記3.12)

ネタバレBOX

 脚本は、ラストの短編・「殺し屋」を除き、総てfebLaboの作品ではないが、基本的には素舞台の板上に必要な小道具総てを準備し極めて短時間で場転を為してゆく。手際の良さは当然のこととしても、各作品の上演順をも含めて見事なものである。
 ところで、電車に乗ればどんな時間帯でも殆ど総ての人が四六時中スマホ画面に顔を埋め、自分好みにカスタマイズされた情報群によって「アイデンティファイ」してでもいるかのように見える。然しホントだろうか? 自ら進んでお1人様情報のみを選択したということになっているのではないか? 街中を歩いていても同様である。歩きスマホ、チャリスマホ、運転スマホを見掛けることは年中である。チャリスマホの自転車に後ろからぶつかられた経験をお持ちの方々もおられよう。こういった危険以外に案外気付かれないのが、先に挙げた自分で選んでいるように思わされているが、実はあからさまな現代資本主義によって選ばされているということに気付かない危険である。これはぶつかられることより自分にとっては恐ろしい。何れの作品の発するメッセージも我々の生きる現代日本に於ける普通の人々の、地に足を下ろし根を張って衣食住総て。即ち生きることの本質が己と社会、世界観の内的一致を同時に満たすことでアイデンティティーを確立し、ポジションを得ているような生き方とは正反対の、殆ど当事者性を喪失し、恰も生きながら幽霊と化したような非当事者性、即ち己が位置喪失及び自主性と自由喪失の危険性を描いているように感じられたのである。無論、その方法は歌舞伎術とでも名付ける他ない演劇独自の形を通して為されている。
鉄音、轟然。

鉄音、轟然。

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2023/03/10 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 三里塚闘争の投げ掛けた普遍的問題を見事に浮き上がらせた。現在に続くこの欺瞞国家の姿を目撃すべし。華5つ☆(追記後送)

ネタバレBOX

 鉄塔に対する攻撃音の度に天井から下がった電球が点滅する。而も点滅する電球の場所は一様ではない、今作の冒頭シーンである。この轟音と複数の電球が、攻撃される轟音の度に別の場所で繰り返される点滅が所謂三里塚闘争の経緯と、理は農民・空港建設反対側にあるにも拘らず相手が国家という責任無化システムであるという事実の齎す結果を象徴している。
 千葉県に建設された成田空港は1966年7月4日に佐藤栄作内閣によって閣議決定され、地元農民への通知も相談も無しに強行された。つい先日強行された鉄塔撤去も一旦は国家のミスを認めているにも拘らず、身勝手な立法と圧倒的不均衡の暴力によって強行されたものである。少し背景を述べておこう。成田に空港用地を閣議決定する直前には冨里が候補最適地とされ三里塚から10㎞程離れたこの地が新空港建設の対象地であったが反対運動によって頓挫していた。三里塚が選ばれた理由は幾つかある。政府は米軍によって極めて広大な空域を占拠されている航空管制、気象条件などの条件面で富里と差異がなく、「天皇」の牧場・下総御料牧場並びに県有地を最大限に利用できたこと、この為民有地買収を少なくできることなどに着目した。
無償の愛

無償の愛

Orgel Theatre

東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)(東京都)

2023/03/03 (金) ~ 2023/03/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 極めて詩的な作品。

ネタバレBOX

 奥中央に衝立を立て袖として用いる。下手壁に沿うように長方形の台、載せてあるのは奥から白っぽいトートバッグ、赤いトートバッグ、ペンギンのぬいぐるみ、ノート。台の前に紙コップと水の入った容器を載せた机、衝立の手前客席側にベンチとテーブル、上手には斜めに設えられたベッドがある。因みにベッドのあるエリアは、狭い小屋なので部屋の仕切り迄は作れないものの病室を表している。後で説明するようにこの病室である事件が起こるのを遮蔽物なしに見ることができるので却って効果的ですらある。(他にもイツキの娘の部屋になったりするシーンもある。)
 物語は病院の従業員休憩室で出会った2人の女性を中心に展開する。1人はイケメンだと直ぐついて行き、遊ばれては捨てられるという経験をしてきた掃除婦・イツキ、もうすぐ10歳になる娘・サラが居るが産み落とした時以来会わせて貰えない。サラは現在イツキの母が育てている。
 もう1人はミヅキ、現在は看護助手だが、看護師になる為の勉強をしており、この道を取るか偶然イツキの娘と同名の恋人サラを取るかで紛糾、結局同棲していたLの連れ合いと別れてしまった。
 この2人各々の最も大切な人それぞれに対する愛が中心となって展開するが、イツキは自称・バカで読み書きも苦手だが丁度山下清が精神薄弱児とされながら実に本質的に物事を観ていたような鋭さを持つ。彼女は今、数日後の娘の誕生日に最高のパーティー、最高の贈り物をする為に現金が欲しいのだが生憎経済的にはかなり厳しい。そんな折、病室の年老いた患者から頼み事をされた。老婆は、既に筆記する力も無いから娘への伝言をノートに書きとって欲しいというのであった。老婆はその言葉を言い終えると息を引き取ってしまった。ベッドの脇に老婆のバッグがあった。何気なくそれをみると中には現金が入っていた。イツキはそれを盗む。
 暫く経ってイツキは娘の誕生日に実家を訪ね娘にプレゼントを渡したものの娘は余り喜ばなかった、既に似た物を持っていたからである。だが、娘はペンギンの話をした。何でもペンギンは自分の連れ合いが死ぬと生涯その亡骸を保持し死骸と性行為迄するというのである。
 さて、娘の誕生日が終わった後休憩所で再び会ったイツキとミヅキだったが、互いにいつもと違う。ミヅキは何があったかを尋ねるが、イツキは互いの秘密を共有することを提案した。ここに至ってイツキが老婆から124万円入りのバッグを盗んだこと、然し娘の誕生日にはその金に手を付けなかったこと、遺言を書いてくれと頼まれたことを話す。ミヅキは自分がレズでパン職人で恋人のサラと別れたこと、経緯を話した。その上で老婆が言い残そうとしたことをイツキが娘に対して述べたいことに置き換えて創作しようと2人で文面を作成してゆくのだが、この文面が当に詩として昇華されたものになっている、殊にその前半は完全に詩である。
 ところで、詩に迄昇華したこの文章は、ラスト イツキが破り捨てる。
 その意味する所は明らかである。様々な困難や思うようには回らない人生に怖気をふるい落ち込んで人生から降りて仕舞わず、それらを総て引き受けて生きてゆく態度表明である。
 ところでパン職人のサラが随所に登場するが、イツキの反応がグー。パン屋の匂いの心地良さを子供同様に喜んだり、知恵遅れとされる子供たちのように五感を用いて興味を持った対象に積極的にアプローチしてゆく仕草が、我々頭でっかちになりすぎた凡庸な人間に多くの可能性の扉を拓いてくれるからである。
マギーの博物館

マギーの博物館

劇団俳小

サンモールスタジオ(東京都)

2023/03/03 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 物語と作品内容は観て頂くとして、欧米の演劇作品は何と言っても論理的な展開をみせるな、と改めて感じた次第だ。(追記後送)

ネタバレBOX

作品の主張は労働争議を中心テーマとして弱者即ち被雇用者としての労働者と資本家即ち雇用者としての支配者との相関関係を描く。要約すれば、力VS人間として生きる誇りの争闘である。どちらを選ぶか、そのギリギリの状況を提示することで、今作は観客に究極の選択を問う。
カミサマの恋

カミサマの恋

ことのはbox

萬劇場(東京都)

2023/03/01 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 再演である。箱チームを拝見。常日頃から丹念に紡がれた言の葉を、見事に台詞化した脚本を上演することのはboxの面目躍如たる傑作。
 タイゼツ、べし観る! 脚本の良さは無論のこと、演出、演技も素晴らしい。長尺だが、一切それを感じさせない、華5つ☆(追記後送)

ネタバレBOX

 このような作品の深い味わいが分かるような次元に漸く自分も達した。
 物語は津軽の某巫(かんなぎ)つまりシャーマンの神との会所で展開する。舞台美術はシンメトリックなつくりで四角い餅を二段重ねたような造り。この構造を更に囲うように板全体が設えられている。上段の畳敷の部屋が会所。会所の両側面と手前が渡り廊下というのが基本構造だ。会所の下手奥に水屋が置かれ、茶を出す為のポットや湯呑などが置かれている。その上手に祈祷所、祈祷に用いる太鼓と撥、巫用の座布団が在る。また、水屋の手前、客席側には白いカバーの来客用座布団が重ねられ、上手客席側のコーナーにはソファ、テーブル、椅子の応接セット。劇場両側壁に障子が入っており、その丁度真ん中辺りに出捌けを設けてある。ホリゾントへ伸びる通路の奥も出捌けだから、出捌けは都合四か所。
コウセイ

コウセイ

ラビット番長

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2023/02/23 (木) ~ 2023/02/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 実話がもとになっているという。如何にも人を人として扱わないこの国の状況をよく映し出している。
  オープニング、自分ならもっと残虐な台詞を置く。とは思ったものの、そこは「ラビ番」の戯曲家・井保さんの温かいお人柄のよく出た冒頭である。当初予想していた通りタイトルに当てはまる表記は幾通りも在る。(追記2.26)

ネタバレBOX

 もとになった事件は、今作を観て初めて知ったが岡田更生館事件と呼ばれる。今作で描かれているように収容者の1人(詩人)が脱走に成功(1949年2月)し、施設内の凄惨な実情を訴えた事がきっかけであった。凄いのは詩人の訴えを受け本当に毎日新聞社会部の記者2名が潜入取材を行ったことである。
 衆知の如く戦後の混乱期に於ける一般都市庶民の飢えは、食うや食わずの戦中よりも酷かった。というのも戦中は曲がりなりにも食料分配自体が配給制で庶民に行き渡っていたが、敗戦後のどさくさの中では弱者には行き渡らない。ハイパーインフレの影響で不法な闇市や買い出し で食料を調達しなければ飢えて死ぬのみであった。実際、法を順守して餓死した裁判官が実在した、という噂話は自分たちが小学生時代には何度も聞かされ“愚かな奴”と考えて居たことを思い出す。大人になって、本当にそんな裁判官が居たのであれば、その頃は未だこの「国」にも正義の観念は生きており実践した大人が居たのだと考えるに至ったが。
 By the way,サンフランシスコ講和条約がオペラハウスで結ばれたと同じ日、アメリカは旧安保条約調印式を、オペラハウスではなく米第6軍の下士官クラブで、吉田茂との間に上げた。この2つの条約の内、旧安保条約に現在の地位協定と実質は殆ど変わらない日米行政協定が含まれていたわけだ。アメリカは2つの条約発効(1952.4.28)によってポツダム宣言でもサンフランシスコ講和条約でも禁じられていた占領軍撤退を免れ、その真の目的を果たした。即ち日本はこの協定によって実質アメリカの植民地と化したのである。(詳細を知りたい方は、地位協定や行政協定について書かれた書物、資料を自分で渉るべし。上記の文章に若干矛盾があるように感じる方々は秘密協定もあるからと答えておく、調べてみなされ。)
 さて基の話・岡田更生館事件に戻ろう。当時は未だ、復員兵や引揚者、被災者、戦災孤児が溢れ浮浪者化していた。GHQはこの有様を問題視、解決するよう命令した。これを受け日本政府は浮浪者強制収容施設を全国62ケ所に設置、岡田更生館はそのうちの1つであった。
  実際、施設内で行われていた虐待、虐殺、死体遺棄、施設費等の横領は、今作に描かれた通りの凄まじいものであったようだ。また、今作で描かれている通り施設長の巧妙な施設実態隠蔽工作及び巧みな偽善的言辞によって、記者たちの命懸けの潜入取材によって実態が暴かれる迄は模範施設との評判を得ていたことも事実である。
 これらの隠蔽構造や詭弁は、現在の愚劣極まる政治とそれを許容している、臣民としか思えない事大主義者・日本人の大多数に呼応するが、この事大主義を支えているものこそそれを殆ど意識できていない日本人の差別意識の慣習化としての財産贈与の基本形・男子・長子相続を浮かび上がらせているのであろう。法的実態は美濃部達吉らが主張した天皇機関説に近かったかもしれないが、この形は大日本帝国憲法で天皇を唯一の主権者と規定し国民を臣民として差別化・人間として扱うというより単なる戦場の駒として扱う本質的非人間化をも意味している。そして非人間化されたヒトは最早人間では無くなっているから、奴隷としてアメリカに今も収奪され続けていることに痛痒を感じることも無い。それどころか、この事実を指摘されると悪あがきをするのである、滑稽なことだ。ということまで深読みしてしまった。
 一方、今作が如何にもラビ番の作品であるのは、棋士・増山の天衣無縫と温かさ(当然、某著名棋士を想像させる)とその妻・葉子{(将棋以外は何もできない夫をそれでも、見捨てず掌で遊ばせているような素敵な女性。而もそれができるのは、彼女が田畑を遺産として受け継いでいるからである)この相続の形が男子・長男でないことに着目したい}そして隣家の娘・帰って来るお兄ちゃんとの対局の為駒を動かす里子との関係、脱走した詩人が実は里子の兄を殺害していたという悲劇に、にーさんと(棋譜)が絡む諧謔。新聞記者4名の関係、配役の面白さ等々だ。
 コウセイにどのような漢字を当てるかは簡単だから幾通りも考えて欲しい。


15 Minutes Made in本多劇場

15 Minutes Made in本多劇場

Mrs.fictions

本多劇場(東京都)

2023/02/22 (水) ~ 2023/02/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 6団体トータル4つ☆

ネタバレBOX

 舞台美術はちょっと変わった発想で作られているように思う。かなり大胆で限られた空間を巨きく見せる工夫が為されているように感じた。6つの団体が各々15分の持ち時間で1作品を上演するという企画なので、どのようなタイプの作品にも対応し得ると同時にマッチするある種の抽象度も具えた優れた舞台美術であり、照明も良い。
 各団体、各々の個性を出しているが特に気に入ったのは、キャラメルボックスの上演した「魔術」と主催のMrs.fictionsがトリを飾った「上手も下手もないけれど」

点と線のオブリビオン

点と線のオブリビオン

9-States

駅前劇場(東京都)

2023/02/22 (水) ~ 2023/02/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 字幕が投影されるようになっていて、この使い方もグー。華4つ☆

ネタバレBOX

 いきなり出てきたのがCogito ergo sum.(Je pense, donc je suis.)、デカルトの有名な「方法序説」(Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences)の要である。このフレーズこそが中世神学の絶対概念に自我を対置しそれまでの神的絶対に対し、思惟する自分を置くことで、当に時代を画す近代への扉を拓いた。この実に数学的な書物の要諦を単に記憶の有無に置き換えている点で違和感を感じたのだが、まあタイトルのOblivion(忘却・忘れられている状態)が主要テーマとなっている今作であり、近代的自我の喪失が惹起する思考根拠の喪失が今作生成の要ともなっているので良しとしよう。ほんの一例を挙げればCovid-19に対する非科学的で矛盾だらけの対応にも何ら一貫性が無いこと(皮肉なことにその出鱈目だけが一貫して変わらなかったという事実)が我々庶民に強いた不合理を暗に示唆してもいようからこれ以上は言わないが、こういった社会的混乱を招いたのが、本来混乱等を抑制しできる限りダメージを低く抑える為の政治や社会システムが、実際には真反対なことを多くやり(ワクチン開発の為の研究費切り、PCR検査機器はいくらでもあるこの国でその使用を不可能にした施策等、政治的には余りにもアホなことが多すぎたし皆さんが既にご存知だろうから書かない)そこで生じた矛盾を利用する悪賢い連中が最も弱い者たちを餌食にしたという物語(実際に多くの詐欺等があった)を創作することによって世間を炙り出した点を評価したい。
 舞台美術も見事である。


リーディング公演『ロッテルダム』『若造(チャマーコ)』

リーディング公演『ロッテルダム』『若造(チャマーコ)』

公益社団法人 国際演劇協会 日本センター

上野ストアハウス(東京都)

2023/02/16 (木) ~ 2023/02/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 チャマーコを拝見。インパクトのある作品だ。中南米とアメリカの関係を余りに知らない自分に気付かされ愕然。

ネタバレBOX

 キューバの作品である。日本でキューバの劇作品が上演されることは極めて稀であることなど今更言うまでもないが、今回はリーディング公演。
 物語は現代のキューバを描き、ハバナ市街で起こった或る事件に関する十章の報告書の形で上演される。描かれるのは12月23日から26日、時間軸が交錯するので各シーンの日時をホリゾントに用意された大きな黒板に板書して示す。
 舞台上には大き目のテーブルに椅子が数脚、リーディングをしている役者だけが舞台前面に進み出て読むというのが基本パターンであり、小道具、服装なども殆ど脚本のト書きとは異なる。あくまでリーディングの抑揚や、間、照明(ピンスポによる登場人物の強調と非登場人物達の溶暗)等で表現しているのが却って直截的な効果を齎している。
 当パンには、現在制裁に喘ぐキューバの貧しさや、制裁を科しているアメリカとのイデオロギーの差等からくる生きづらさや未来を築くことを阻む諸矛盾等が解説されているが、それが妥当するか否かの判断材料を残念乍ら自分は持っていない。作品を拝見して感じたのは寧ろキューバ革命以前のキューバとアメリカの、革命前と革命後の歴史を大して知る訳ではない身として、アメリカが裏庭としての中南米やカリブ・南インド・バハマ諸島等に対しどのように非道な対応をしてきたかは中南米及び島嶼地域を概観しただけで十分に知れるという事実。今作でも家族の中で裁判所に勤める判事として人々を裁くエリートである父、そしてこの父の息子を殺した同世代の犯人はバイセクシャル。殺人犯の叔父も現在ではバイセクシャルな関係を断っているようではあるものの、かつてはそうであったと匂わせる台詞を吐いている、等。単に現在の経済制裁等の経済的或いは軍事力的支配のみならず夜の世界,即ち性的享楽・歓楽の世界に於いても、プロテスタントの強いアメリカ国内では長い間排撃されてきたホモセクシュアルやバイセクシュアル等のアメリカ国内のマイノリティーが自分たちの玩具としてアメリカ国内外の弱者を弄んで来た。それら弱者の一部として弄ばれてきた者たちがそのような性的趣味を世代として引き継いできたという歴史を今作は背景に持っていそうである。今作の唯一の救いは、殺人犯であるカレルが息子・ミゲールを殺された判事・アレハンドロと情を交わして彼の欲望を満足させた上で自決し若者の持つ最後の純粋性を見せた点にあろう。腐りきった世界に対する蟷螂の斧という程度ではあるものの、ここには精神性が在る。
新春ソロアクトLive !!

新春ソロアクトLive !!

J-Theater

シアター711(東京都)

2023/02/11 (土) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 各出演者が演目もジャンルも異なる作品を各々披露。

ネタバレBOX

 トップバッターは、ミュージカル等で活躍してきた高橋さんの歌唱。流石に上手いが完全なソプラノではないようだ。ソプラノの高音部にやや難がある。
 2番目はプロデュースもしている小林拓生氏。古代インドのサンスクリット説話集・パンチャタントラから「友情」を朗読。声の質が実に良いので聞きごたえがあると同時に裸足で板上に立つという姿勢が役者らしい拘りとしてグー。
 3番目は吉本さんの一人芝居「私の想う三浦環」。三浦環は、日本人オペラ歌手として初めて世界に認められた女性として有名だ。「蝶々夫人」で主役を演じ世界各国で舞台に立ったことで知られる。今回上演された作品は、吉本さんが戦争の無い、平和と愛に満ちた世界を祈って書いたという作品だ。然し、紛争地の人々と付き合いのある自分の目から見ると実際に戦争や戦闘状況を経験した人々の抱えている一筋縄ではいかない現実認識とは距離があるように感じた。
 4番目は山崎義春作の「桶やの戦争」の朗読。日本児童文学者協会が関わった本のようで「語り継ぐ戦争体験」という五巻本に収録された作品だという。
 ラストはギターの弾き語り。作詞・作曲・演奏をしたからシンガーソングライターということになろう。美言さんがトリを飾った。彼女も素足であった。
ハンドル握って

ハンドル握って

 StageClimbers

新宿眼科画廊(東京都)

2023/02/11 (土) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆ 演劇好きには特にお勧め!

ネタバレBOX

 初見Stage Climbersの短編オムニバス公演と銘打って為された公演であったが約80 分ほどの今作、基本的に板上はフラット。ホリゾントの手前に丁度スクリーンを床まで垂らしたように幕を張り袖にしてある。場転に応じて必要な椅子、机等もその場で準備されるが、スピーディな動きで為されるので問題は無い。オムニバスと銘打っているのは、各挿話(三場)をそれぞれ短編と捉えて構成されているからで、一幕三場と考えて問題無い内容である。中心テーマは、芝居という世界の持つ魔力と言ったら良かろう。
 実際、演じるという行為は、実に驚異的な世界である。“どうらん”を塗ると羞恥心が消える等は、ヒトが殆ど本能的に持っている変身願望と密接に関わっていると思われるし、変哲の無い日常の退屈から逃れ、成れたかも知れない他の人生を生きることを夢見ることは、子供っぽいにせよ自然な人情であるからだ。無論、劇作家ともなればそんなに単純な発想だけでは味のある作品を生み出すことはできないが。何れにせよ、今作演劇好きのこんな根底的欲求を作品の深所に抱えた作品であるから、例えば場当たりに使う蓄光テープ等の話が出てきたりもするのだ。当然のことながら歌舞く行為の表象として用いられている点がグーなのである。
まっくらやみ・女の筑豊(やま)

まっくらやみ・女の筑豊(やま)

椿組

新宿シアタートップス(東京都)

2023/02/09 (木) ~ 2023/02/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 素晴らしい! タイゼツベシミル。華5つ★ 自分は基本的に開演前には作品の解説資料等は読まない主義だから今回も無論読まなかったが、帰宅後ざっと目を通してみると良い資料である。炭鉱の歴史などはご存知ない方には一読してからの観劇をお勧めする。

ネタバレBOX


 板上は、ホリゾント・両側壁に短辺を床につけた状態の黒板が埋め込まれており、スト決行時のスローガンや舞台上で起こっている事件争議等の年次がその都度書き込まれる。登場人物のうち子供・赤子は総て人形が用いられているがこの演出も実に効果的だ。
板上のテーブルや椅子として用いられる小道具には数十年前迄用いられていた林檎の木箱等も転用されておりレイアウトは適宜変えられるが色彩は総て石炭に煤けたような色合いで炭鉱の状況・雰囲気を醸し出している点も秀逸。トロッコの音や炭塵爆発の音等の用い方、昏目の照明もグーだが物語の進展に応じて流れる山崎ハコの歌が作品にマッチして身に沁み、物語と歌とのコラボレーションも秀逸である。
 嶽本あゆ美さんの脚本は、彼女の描くいつもの作品からも推定できるように取材力の確かさや本質的な時代考証、時代を象徴する事件や人物の選び方がその基礎を為していると思われるが、これらの土台の上に築き上げられる物語は、各挿話が見事な連環を為しているが故に観客に必然性を感じさせる。作品が自然な流れと見える所以であろう。唯でさえこのような構造を持つ彼女の作品が、今回は、現代になって漸く一般の人々にとっても身近な概念となってきたジェンダー的視座からも見返され、その深く本質的な互いの性差と共通項を炙り出し問題の根深さを描き出してみせた点も高く評価したい。即ち現代でこそ浮き上がらせることのできる視点から照射する手法の確かさ手堅さを評価する次第である。この優れた脚本を見事に身体化している役者陣の演技が素晴らしい。更にこの脚本と役者陣の演技双方を時には異化効果等も用いつつ繋いだ高橋正徳さんの演出も見事なら、加藤ちかさんの舞台美術も素晴らしい、振り付けにスズキ拓郎くんが携わり宣伝には黒田征太郎さん凄いメンバーが揃っているのも椿組公演の魅力だ。プロデューサーも兼務した外波山文明さんは、演技にも生き様が自然に顕れて役者さんの歳の取り方として見事だと感心させられた。無論、お名前は挙げなかったが出演している他の役者さんたち、関わっている方々皆さんとても素晴らしい。
愛犬家

愛犬家

甲斐ファクトリー

ザムザ阿佐谷(東京都)

2023/02/08 (水) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 初日が終わったばかりだから、細部は後送するとして、ヒントとしてsenseという単語が持つ様々な意味の中で思慮・分別や感覚や意識、感覚能力の他に方向性などの意味もあることを指摘しておきたい。(追記後送)
 ところで、自分が「観たい」で書いていた深海魚と水圧に関する記述での指摘は、人間が変身した状況を描いている訳だから、作家が敢えて矛盾する説明文にしたのではないか? との疑念を観たいの指摘とは別に同時に考えていたのだが、後者の記述が当を射ていたと舞台を拝見して発見するに至っている。

ネタバレBOX

 今回の公演は甲斐ファクトリーの旗揚げ公演の再演である。小説家などの処女作についてもよく言われることだが、初作品はその作家の傾向を最もよく顕す作品だという。甲斐ファクトリーは劇団なので劇団の傾向を最も色濃く出した作品ということになろうか。そうは言っても、再演に当って大改訂がなされているとのことなので初演を観ている方々にとっても新鮮味のある作品になっているのではないか。導入部で、“何故犬を飼うか”について英国の諺を引いて極めて説得力のある、同時に今作に密接に関わる台詞が入るのも上手い。舞台美術も中々ユニークなもので、殊にピンスポを多用する序盤では舞台美術と相俟って照明の齎す効果は絶大である。中盤では板中央の朱色ドア傍らに付けられた照りの点滅による効果も素晴らしいがこの辺りの演出がグー。
No Robot

No Robot

One Bill Bandit

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2023/02/04 (土) ~ 2023/02/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 極めて面白い。追記2023.2.7午前1時。

ネタバレBOX

 板上は、ホリゾントの手前に白っぽい長方形の箱を下手壁から上手中ほど迄伸ばし、箱の下面に階段になる程度の高さの平台を置き、ホリゾント側が袖となって基本的な出刷けはこの1か所、1回だけ客席通路が出捌けに用いられるもののメインはあくまで板上である。場面設定によってパソコンが対面で載った小さな机や付随する椅子等が配置される。
 脚本レヴェルで個々の登場人物のキャラが立ち、社会的諸関係の距離が適正である為、様々な擽りや歌舞く台詞・演技が醸し出す動態自体がモビールの動きのようなある種の必然性を持っている上、微妙な距離感を正確に表現させた演出、それに応えた演技もグー。
 ひとまず粗筋を記しておこう。工業用ロボット製造企業・月島ロボティクス企画室の高見は近く開催される業界のイベント、ジャパンロボットウィークの企画書を提出するよう命じられた。偶々真摯に考察した企画書に空きがあったので埋めるために冗談半分に出した企画が取締役に絶賛された。然しこの企画は、工業用ロボットの企画としては余りに斬新、広報するにも提案者である高見の意見は必要欠くべからざるものとされ、サポートを余儀なくされた。然し問題が2つ在った。1つは企画ロボットのユニークさ、作業する際に歩行すること。この歩行に関しては極めて精度の高い而も安定した歩行が求められる。人間がそのような歩行をするケースを考えてみるとそれは能の演者の歩行にあるのではないか? との結論に達した。そこで能の宗家(柊木家)を訪ね、その要諦を教示願うこととなった。ところで、人の動きはそれで教わることができるにせよ、ロボットの動作にそれを落とし込むことは機械工学との関係になるから、別問題だ。工業用ロボットが作業をする際に安定は絶対必要である。その安定を得る為には、生き物の骨格や筋肉、神経系の構造と相互関連、更に脳とどのように連動し、その結果どのように動くのかが解明されねばならない。それが解明された上で機械としてどのようにその自然の複雑な動きをバランスよく安定的に再現できるかが実現されねばならない。メインストリームは、このような技術的難題にチャレンジする月島ロボティクス社員と開発に協力する人々とのあれやこれやが描かれる。即ち600年以上の伝統継承の重さを背負い実際に生活する伝統芸能の能楽師(シテ)宗家の者らがロボット開発に絡んで生きることが、あらゆる生活空間に科学技術の影が宿る現代先進国の生業に力を注ぐこととどのように両立し得るのか? が、伝統継承順位1位の宗家長男・武義、工学や情報機器にも才と指向を持つ次男・文義、そして伝統的には能楽師になれない妹・千景のジェンダー問題迄孕んだ生活の算段にどう影響するかへの不安がある。第2にロボットの動きが自然で而も安定し作業に安全が保障できる所迄追求できればというロボティック社員の希を掛けて協力を乞うた生物の身体の専門家・犬神博士は、{文Ⅰ卒キャリア組の基礎研視の齎す壊滅的結果(毎年3万人以上の自殺者があった当時のポスドクの異常な迄の自殺率を参考までに上げると、ポスドクに限ってみれば日本の自殺率が最も高かった時期平均の十数倍であった。)無論、グローバリゼーションと軌を一にした基礎研究軽視によって日本の科学的知性の総力はガタ落ちし、頭脳流出も酷かったこと。そしてそれが現在も続いていることが一般の人々にも漸く見えてきたことであろう。}を正確に予知していたのは当然だ。多少本当のことを言うならば、時代の底で何がどのように起こってきたかを注視している者から見れば余りにもあからさまな政治屋や官僚の無定見は明らかだから、この辺りの事情が博士の台詞にアイロニーとして盛り込まれていると取れる。
 優れた喜劇は、一皮剥くと極めておどろおどろしい社会の欺瞞を暴くものだが、今作はこの「国」の内実を、その喜劇的本質に於いて鋭く批判していると観て良かろう。その手法が、サブストリームとして広報室のメンバーたちのキャラや演技に現れていると解した。例えば高見の同僚・奥寺に秋波を送り続ける広報室華岡の演技は単に恋愛行動というよりも歌舞く所作そのものである。このことが原因でべたべたした演技にならずドライなのに冷たさが無い。剰えその場の空気を換えるインパクトも持つのだ。更に沖縄出身の知念が天才的な洞察力を以てシチュエイションの細部を解き明かしたり、優しく人々をフォローするのも、ヤマトンチュー一般が沖縄に負わせ知らんぷりを決め込んでいることに対する正当な抗議と見做す方が良いかも知れぬ。犬神博士の教え子であった大河内も狂言回しとして上手く機能しているし、大学院修士課程の学生としては優秀だが、全く体力の無い大河内が憧れる元プロレスラー仲道との掛け合いは、もっと単純な笑いを誘うあっけらかんとした喜劇性を持ち、歌舞く台詞・演技とは異質な笑いや感興を齎し芝居に厚みを加えている。更に室長・宇田川のトンデモキャラは、この「国」の矛盾だらけで無責任極まる為政者及び支配層の象徴的カリカチュアとして観ることができる。と同時にこれだけの脚本を書き、演出もしている人物に対し、実際に演劇を上演する側の現実に有効で合理的な配慮である。観客にこのように見せることでこの国の「保守」を標榜する為政者の余りの愚かさとかつて河原者と蔑まれた演劇人の知恵や経験、思慮の深さ、真っ当な人間らしさを突き付け対比させ正面から見せた点も評価したい。
 全体の展開としては、中盤迄歌舞くシーンを多用して笑わせると同時にアップテンポで進められた舞台が、プロジェクトを中止せねばならぬかも知れないという状況になる辺りから深い人生哲学に裏打ちされたような場面に変わり一挙に収束してゆく。背景に流れるラップや音響と進展する物語の相性も素晴らしい。名場面も数多く楽しみつつ、心に残る作品に仕上がっている。

このページのQRコードです。

拡大