ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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記憶の水平線-初日完売致しました!-

記憶の水平線-初日完売致しました!-

マニンゲンプロジェクト

シアター711(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★

生きる
 とは何か? を、改めて考えさせる作品。登場人物は、総て既に死んだ者たち。而も死後の世界にあって尚、不幸自慢しか話せないような”駄目人生”の経験者が殆どで、自殺者の比率も高い。

ネタバレBOX

 論、駄目タイプと自殺者が完全に正比例しているわけではない。然しながら、唯でさえ自殺の多い、この「植民地」の昨今の中でも、やはり高いのは事実である。何れにせよ、そんな彼らが、曲がりなりにも共闘し、芝居作りに励む中で見えてきたものは、日々の何気ないこと、欠伸をしたり、叱ったり、叱られたり、怒ったり、喧嘩をしたり、仲直りをしたり、風邪をひいたり治ったりしながら、決して偉くなるわけでもなければ、有名になるでも、金持ちになるでも、才能を発揮するでもなく、唯、そこに当たり前のように居ること、そのことの幸不幸を生きて味わい、大事な人がそばに居ると互いに認め合えること、その大切さであった。かっこよくも無く、目立ちもせず、楽しいことも苦しいことも惨めなことも一緒に過ごす。そのこと総てが人生の意味なのだ。そう思い到ること、であった。
同情タクシー

同情タクシー

天丼

こった創作空間(東京都)

2014/06/26 (木) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

この値段でこの内容はお得(Aチームを拝見)
 舞台は、パイプ椅子に白いカヴァーを掛け、対角線に沿って手前に2脚、奥に3脚を置いただけである。手前の椅子の間に若干のスペースがあるのは、運転席と助手席の間のスペースを表している。これは、無論、ボディーを取り除いたタクシー内部だ。

ネタバレBOX

 シナリオはちょっと奇抜な所があるが、落とし所が上手く書かれているので、その面白さや機転の妙に感心しているうちに先に進んでいるので違和感は無い。演出も、バランス感覚に優れた展開で持って行く為、自然な感じで観ていられる。四人の出演者も其々上手い。演技力の大切さを教えられるような舞台でもある。音響や照明も無駄を削いだ効果的なもので、シンプルな舞台設備で効果を上げている。今後も楽しみなグループだ。ストレートプレイで勝負している点も気に入った。
 明転すると、後部座席には、座席に上半身を横向きにして寝ている客、池岡と、正面を向いて座った客、東條。手前には、運転手、天ヶ瀬。池岡は、酔っ払っているらしい。東條は、兎に角、真っ直ぐ進むように、と言っている。池岡が目覚める。彼は、この日、ボランティアサークルの全国大会で決勝進出を決め、祝勝会で飲み過ぎたのであった。目覚めて暫くはぼんやりしていたが、そのうちに、目的の自分の家の傍迄来ていることに気付き、行く先への指示を出す。が、東條が真っ直ぐと言い張り、終には脅迫まがいの事までしてくるので、終に断り切れぬまま降りるタイミングを逃してしまった。而も、天ヶ瀬が人身事故を起こしてしまった。被害者、有馬は、助手席に。だが、無論、有馬の手当てはしなければなるまい。その割に、池岡を除く皆は、落ち着いている。池岡は決勝が今日なので7時迄は部屋で眠り、それから準備をして会場へ行く為に、自宅へ戻らねばならないのだ。然し、ここで、衝撃的事実が語られる。実は、この4人は、死んだ者、寄り正確に言えば、天ヶ瀬を除く3人は既に死んだ者の霊なのであった。天ヶ瀬は、天界から送られた天使。彼らが現世に未練を残さないようにと、生前果たせなかった思いを一つだけ叶える為に霊を死後49日の期間中、彼らの望む場所に連れて行く為に働いている天使なのであった。当然、行ける場所は一か所。それは通常、一つの魂しか1台のタクシーに乗せないからである。然し、東條にタクシージャックされてしまったというわけだ。本来、このタクシーの使用権のあるのは、池岡なのだが、彼は寝ていて、凶暴なことで有名な東條がタクシーを乗っ取ったのである。東條は30年前49日間タクシーを乗り回した揚句、目的地に着かぬまま、あの世行きになる所を、担当天使を襲って逃亡。彷徨える霊となっていたのだが、もう直ぐ悪霊にされてしまうことに耐えきれず、霊界タクシージャックをしてあの世へ行こうとしていたのである。そして、有馬は、愛する娘に会いたい。彼自身が交通事故を起こして妻と娘は、救急病院に運ばれているハズなので其処へ行きたいのだ。始め、天ヶ瀬の「一か所だけに行ける」という言葉を其々の思う場所へ行けると解していた三人だったが、実は、一台のタクシーが乗っている霊を運べるのが一か所だという事実を突きつけられ、侃々諤々の論争に発展。どう折り合いをつけるかが、中盤以降、今作の見所となる。この経緯が頗るつきで面白い。役者達の本領が発揮される所でもある。最終局面まで、二転三転のドンデン返しがあって飽きさせない。ラストがどうなるかも含めて想像してみると面白いかも知れぬ。
 
ヌーの食卓

ヌーの食卓

演劇集団〆切非常事態

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2014/06/27 (金) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★

男30歳、夢と生活の間で
 大仏の覆面などの使い方を見ていると、必然性を、敢えてズッコケさせて脱力させ、芝居の持つ空想性への浮力をネグレクトすることで、現実空間に持ってゆくような作り方をしている、という印象を持った。

ネタバレBOX

  その分、浮力よりは引力が働き、男の30歳という節目を迎えて、尚一人立ちできていない不如意が伝わってくるし、よしこが包丁を持って入って来る時に、大の男3人が、だらしなく逃げ惑う姿勢にも説明がつく。だが、この辺りは、矢張りリアリティーを欠くという印象はぬぐえない。部屋の中には、いくらでも盾になるものはあるのだし、女の子の持っている包丁を叩き落とすくらい容易いのだから。
 まあ、タイトルにヌーが入っているのは、マサイ族の神話にあるように、神様が最後に作った動物で、どんな動物にするかのイメージストックが切れ、牛の角、山羊の髭、馬のたてがみと尻尾を合わせて作ったとされる。どこかキメラを思わせる不思議な動物とも、捉えどころのない鵺のようなイメージとも通じる部分を意識しているのかも知れない。
 今作が初見なので、この劇団の傾向なのかどうか迄は、判断がつかないが、今回は3度目の上演ということだ。劇団のヒット作、自信作であることは間違いなかろう。このようなテイストで更に、演劇的な上を目指すのであれば、つい先日、東京乾電池の新人公演で選ばれた、竹内 銃一郎の「食卓㊙法・溶ける魚」のような作品かも知れない。
 以上の感想は”間のび”を主題とする場合ではあるが。最初から、これを明確に狙っていたのだとすれば、星は4つにしてもよい。本当の所、脱力系、シリアス、或いは、第三の道何れを選ぶのだろう。また、東京で公演するとのこと、確かめてみたい。
食卓(秘)法・溶ける魚

食卓(秘)法・溶ける魚

劇団東京乾電池

アトリエ乾電池(東京都)

2014/06/28 (土) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★

ちまちまするより、大胆に挑んだことが良い
 随分、難しい作品に挑んだな、というのが正直な所である。

ネタバレBOX

 不条理劇と呼ばれる作品でも、実際には条理の通っている作品は多い。然るに、今作は、生きる為の根本条件である食うこと、捕食者と餌について、食欲についてが描かれているのに、捕食者は、己の同族を捕食している。つまり共食いである。当然のことながら、此処には、倫理的に自家撞着に陥らざるを得ない問題が予め組み込まれているのである。その逃れようのない立場から、捕食者は、自らエクスキューズとして、獰猛だと思われていることは誤りで、実は、養殖場等で餌を食べる時にも、ちゃんと並んで一口齧りとっては最後尾に並んで順番を待つ、との話をするのだが、こんなものは、無論、単なる自己欺瞞である。
 但し、主人公である鰻1も2も、毎日午後7時にやって来て、同類を食わせる笑う男の食事には完全に嫌気がさしており、現在では無理やり口にしても吐いてしまう程なのである。そんなこんなで、もう吐き戻す前から、彼らは壁を作り、一所懸命に補強して、笑う男の侵入を防ぐべく努力してきたのであったが、努力総てが水泡に帰していた。彼らは、遠い海で生まれ何千Kmにも及ぶ旅をし、常に前へ前へと遡る。時には大きな滝を登り、時には激流に逆らってにゅるにゅる・にょろにょろ。而も、これらの努力、前向きな姿勢、ストイシズム、レゾンデ―トル迄の総てが、無意味なように思われるのは、倫理的な自家撞着から離れられないからである。この不条理を越えるべく繰り返される予め無駄と分かっている努力。
 彼らは終に、笑う男を絞め殺した。ハズであった、のに!
 この難しい作品にチャレンジし、格闘した新人たち3人の役者のチャレンジングな精神に拍手を送ろう。然し、その努力と志に未だ、技術や哲学、深い体験が伴っていない為に、道は半ばである。ますますの精進を。志の高さとチャレンジ精神の高さには★4つ。技術的なものには3つ。
何も聞こえない

何も聞こえない

明治大学実験劇場

明治大学和泉キャンパス・第一校舎005教室(東京都)

2014/06/26 (木) ~ 2014/06/28 (土)公演終了

満足度★★★

位相
 積極的に死を選んでいけないわけなど何処にあろう? そうではないか?

ネタバレBOX

 何一つ本当のことが言えず、その事実を指摘すれば、空気が読めないだの、協調性がないだの、慮りが足りないだの、損をするだのと下らない応答しか返ってこないこの腐りきった植民地で正しいことを言うことが虚空に叫ぶことに異ならないならば、死とどれだけの径庭があると言うのか? ありはしない。
 であるならば、死のインパクトを以て主張する以外にどんな道が残されているというのか? 今作は、新人公演に相応しくこのようなラディカルな問いを孕んだ作品である。未だ、演技は拙く、表現力も乏しいとはいえ、このようにラディカルであることは保って頂きたい。腐りきった植民地でアーティストがラディカリズムを失う時、アートは死ぬのだから。
子供の時間

子供の時間

スターダス・21カンパニー

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2014/06/22 (日) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

蠅の王にも似たテイストながら、女の子
 1934年に発表された”Thf Children’s Hour”は、リリアン・フローレンス・ヘルマンによって書かれた作品の中でも最も有名な作品の一つだが、寡聞にして自分は読んだことがなかった。今回、小田島 雄志の名訳で初めて接したこの作品、当に衝撃! (追記後送)

水曜日のイソップ

水曜日のイソップ

99roll

ザムザ阿佐谷(東京都)

2014/06/26 (木) ~ 2014/06/28 (土)公演終了

満足度★★★★

小さい子も楽しめる
 2012年にスタートした劇場で見る絵本シリーズ第3弾、子供も楽しめる舞台だ。観に来ていた2歳くらいの女の子に帰り際「面白かった?」と訊ねてみたら、こくりと頷いていたし、「蟻とキリギリス」に始まり「天文学者」「ライオンと鼠」「ロマンスグレーの恋人」「王様をほしがるカエル」と演じられるオムニバス形式の演目の最中「怖い」などと呟く子供の声も聞こえる和やかな舞台作りであったが、教訓あり、ロマンティックな美あり、笑いあり、アイロニーありの構成は、流石に監修として演出者協会が関わっていることもあるのだろう。役者で特に気に入ったのは、うおさん役の川合ロンの身体パフォーマンスの見事さ、しののめさん役の二階堂 まりの軽やかで年季の入った芸と形態模写の巧み。
 五つの作品中、最も気に入ったのは、3km離れたガマガエルのグループに居住区を脅かされ、強いリーダーを求めたアマガエルのグループが、民主的なシステムを構築している間こそ、生命を維持できたものの、強い王様が来るとあっと言う間に全滅の憂き目をみた話。安倍 晋三のような「植民地為政者」にみせてやりたい作品であった。

Freak box -the:FINAL-

Freak box -the:FINAL-

姫君

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★


基本的にはダンスパフォーマンスグループのようだ。照明、音響の使い方が巧みで、動き・振付も良く楽しませてくれる。扱っている題材がフリークスなので、彼らが抱える被差別故の深い魂の傷と、トラウマを逃れようとする強い念をキチンと押さえた舞台になっている。(追記後送)

インシデントさん(三)

インシデントさん(三)

カリバネボタン

ワーサルシアター(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★

メジャーの罠
 3次元を敢えて2次元に仕立て直したような印象を持った。

ネタバレBOX

 原因は様々な引用とパロディーにあるのだが、表現したい内容が何も無いのに、表現意欲だけはあるので身の回りを眺め廻し、取り敢えず、大衆に認められた「表現らしきもの」を渉猟してみると、アメリカ映画の植民地席巻体制があった。それを疑うこともせず、{情報洪水の中で、「表現者」であることが、単に退屈でしかないと喧伝する、或いは平和が長く続いた云々}という、マスメディアの阿保なプロパガンダに甘えて、自らの目を切開することも、地獄に飛びこむこともせず、楽な道を選んだ、その結果がこれだ。若い劇団なのだからもっとアナーキーで攻撃的であって良い。否、そんなことは当たり前のことなのだ。先ずは、そのことを理解することから始めて欲しい。その上で、自分にとっての“初めて”と向き合い、真の葛藤を通して掴み取った“もの”を作品化して欲しいのだ。大衆に媚びるレベルで格好つける必要などさらさらない。狂気の淵で格闘することこそ、アーティストの為すべきことなのだから。そして、この程度のことは、最低限必要なことでしか無いのである。
『カナタ』

『カナタ』

劇団光希

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★

熱い舞台
 カジキマグロの突きん棒漁の基地港にある飲み屋。ホステスは訳ありの流れ者。客の漁師たちもカジキ漁で一攫千金を狙う突きん棒漁に携わる海男。所詮、男と女とはいえ、互いに流れ流れて、心の何処かに風の棲家を抱えている身。本能的な自己防衛のアンテナと、このような世界に身を置いたことのある者にしか分からない裸の精神を持っている。だが、社会の通念は、第二の本能のように彼らを縛り、そこから意識的に脱することは容易でないこともまた事実だ。

ネタバレBOX

 物語は、この酒場に出入りする馴染み客で、海男としては、頗るつきに度量の広い船長のラリーと、10年ほど前に他の船に放火し、殺されかかった所を助けられた問題児サッケを中心に展開する。メインにサブというより、メインストリームが2つぶつかる構造だ。従って当然かも知れないが、若い観客とロートルでは、どちらをメインにとり、どちらをサブととるか意見が分かれるかも知れぬ。その間を繋ぐ謂わば接着剤として、作家志望、つまりは物語を紡ぐ役割のマキネが登場するが、彼女は、物語を同じ土俵に自然に収める役割を果たしていると言えそうだ。ラリーの船には、他にボースン(水夫長)役のクインチ、女だてらに海男を目指すジョルが乗船している。
 他の常連には、若い頃からラリーのライバルであり、今は、自分の船を持つバロネがいる。彼らを迎え入れる店の大姉御マスカトレーゼは、人生の長老格、滅法ポーカーに強く、皆から金を巻き上げているが、悩みごとには適確なサジェスチョンを与えるので、決して憎まれていない。無論、ポーカーに負けた相手が半分冗談に憎まれ口を叩くことはあるが。ホステスは、他にルビール、セヌーレ、ルアンナ、サンディが居て、ルアンナとサンディは種違いの姉妹。其々の父は海男で、彼女らの母は、其々の男を本気で愛したが、何れも戻っては来なかった。この為、姉妹の父に対する見解、母に対する評価は正反対である。無論、その中核にあるのは、彼女らの父無し子としてのトラウマである。姉のルアンナは、母を悪く言うべきではないと言い張り、妹のサンディは、帰っても来ない海男に惚れた母に対してアンビヴァレンツなメンタリティーを抱えている。というのも、この姉妹、実は恋のライヴァルなのである。サンディは海男のラリーに惚れているが、ラリーは姉のルアンナに惚れている。然し、ルアンナは、表面上ラリーに肘鉄を食わしているのである。その結果、妹は愛する男には愛されず、海男に惚れた母を理屈では非難しながら、自ら同じことをしている矛盾と、同時にその矛盾を解消してくれるはずの姉とラリーのカップル誕生を姉がラリーを愛している癖に肘鉄を食わしていることに対するやきもきが重なって爆発寸前なのだ。そんな時に、建築家として一家を為した一回り年下のレンデンが、戻って来て、彼が11歳の時に姉に申し込んだ結婚の約束を果たして欲しいと、かつての約束を思い出させていた。
 海男の海への憧れ、愛着がどれほど強いものかを知っているルアンナは、ラリーを愛するが故に、そしてラリーが本気で自分を愛していることが分かっているだけに、彼が、自分の為に海を捨てることに耐えられないと考えて、レンデンの申し入れを利用、結婚すると言いだしていた。然し、彼女のお腹には、既にラリーの子が宿っていた。妹のサンディの説得「自分の気持ちに素直になれ」や、ラリーの「未来に怯えるな」との言葉、他の面々の説く道理に終にルアンナも折れて、ラリーとの生活を受け入れる。
 この恋の道行きに、ラリーが救ったサッケとの逸話がパラレルに展開したり、ジョルとの経緯が挿入されたりして、物語の幅を広げている。また、この物語を書いたと匂わせる、作中に描かれた物語作家としてマキネが登場することで、物語がメタレベルに移行している点も見逃せない。これだけ、熱いメンタリティーを描きながら、べたっとし過ぎていないのは、作中にこのように作品を対象化する視座が描き込まれているからである。マキネが乗船を希望しつつ、それが叶えられていない点も、作家と作品の距離を考える際、重要なエレメントである。
 「男の色気」を感じさせ、シナリオも担当しているるラリー役、平山 和宏が殊に気に入ったが、「ファイティングポーズ」で主役を演じ、今回はラリーのライバル役を演じているバロネ役の田口 和も独自の役作りをしている。だが、ラリーのライバルとしては、もう少しギラリとした部分をどこかで強く出しても良いのではないだろうか? 光希代表でマスカトレーゼを演じた竹下 宮子の存在感も健在だ。小説家志望のマキネを演じた村松 幸の初々しさもGood。レンデン役の中村 正仁も喧嘩には弱いが、自分の彼女たるべきルアンナを守るべく男気を見せてクインチに立ち向かった、弱い所を孕みながらの爽やかさが良い。問題児、単純馬鹿のサッケを演じた大沢 祐貴の演技は、素直だが、何故、其処までラリーの恩義を感じたのかを内面化できると演技に深みが出よう。(ex.それ迄、自分に対して本気になってくれる人間が親を含めて1人もいなかったような寂しさを抱えているなどを内面化した役作り)初日段階では、シナリオを素直に読み込んでいるという印象である。大沢 祐貴のサッケを演じて欲しい。
 総じて、役の背景にあるものへの想像力を更に逞しいものにして貰えると、作品に更なる深みが生まれると考える。
 ところで、今回、体調不良で役者としては舞台に立てなかった森下 知香は、前説等を担当した。前説にこれだけ多くの観客、皆が拍手を送っていたというのは、数多く舞台を拝見している自分にも驚きであった。流石、人気のある女優ということであろう。光希の観客の質の高さ、温かさも感じられる初日であった。然し彼女は、未だ本調子ではあるまい。くれぐれも無理をしてはならない。役者は健康な体が資本である。他の役者仲間、スタッフ、また観客も皆、キチンと養生して本復し、再び元気な姿で舞台に立つのを楽しみにしているだろう。はやる心を押さえて充分養生した上での、彼女の舞台復帰と堅調な回復を心から祈る。


Shampoo ~花の香り~

Shampoo ~花の香り~

PROJECT-残-

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2014/06/21 (土) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

満足度★★★

タイトルと内容の関係をもっと考えたい
 若い劇団で経験が浅いということが、シナリオ、演出、演技総てに出てしまった。

ネタバレBOX

 シナリオについては、みのりの恋人、ただしが警察官の採用試験を六度も落ち、為に自暴自棄になってギャンブルに走る姿が描かれるが、破綻の描き方、内面の苦悩の描き方に深みが感じられない。予定調和で本当の破綻が無いのである。言葉との距離の取り方にも疑問が残った。表現は、裸の己に麻酔無しでメスを当て、切開し、施術する行為である。そのようなレベルで向き合うことが、最低限一度は必要だ。プロとアマチュアの差がこういう点にこそ出るからだ。
 演出では、役者の間の取り方に、更に気を配って欲しい。間については、会場内でのアンケートに書いた通りである。演技については、個々の役者陣の今後の努力に期待する。
 一所懸命だし、他人の意見に耳を傾ける謙虚な姿勢があるので、少し厳しいが、今後の為を思って書いた。初志を忘れず、精進して頂きたい。
ミュージカル 牡丹さんの不思議な毎日

ミュージカル 牡丹さんの不思議な毎日

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

上野ストアハウス(東京都)

2014/06/18 (水) ~ 2014/06/23 (月)公演終了

満足度★★★★

生態系
 東北は白神山系を始め、ブナ原生林の北限。ブナは節が多く、建材としては嫌われ者だが、広葉樹なので、たくさんの落ち葉を落とし、山の保水力は抜群である。日本がこのような国土の荒らし方をする迄、東北は、名水のメッカでもあった。その理由は、ブナである。山からの下がり水は、やがて豊富な地下水脈となって、命を潤し、更に大地を豊穣にして、多くの動植物による多彩な生態系を作り上げて来た。そのような自然の豊かさがあって初めて、遠野物語が生まれる素地が作られたと言えよう。この物語の舞台に東北の山がちな場所に建つ旧ホテルが選ばれているのには、無論、作家、演出家の命に溢れる世界への念いが込められていよう。(追記後送)

飛び出す鹿パレードvol.3

飛び出す鹿パレードvol.3

プラズマダイバーズ

高円寺haco(http://koenjihaco.com/h_access.html)(東京都)

2014/06/22 (日) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

札幌の才能
 札幌からやって来た2人組(谷口 健太郎・深浦 佑太)のユニット。4月から今月迄、毎月東京公演を打って来たが、深浦は会社員なので、月曜日出社する為に、観客が帰るより先に蜻蛉帰りすることもあった由。今回は、夜の公演開始が17時なので何とか観客より先に帰らずに済みそうである。
 今回の演目は、「叩いてかぶってジャンケンポン」「Man-hole~鹿ver~」「ザ・バースデイ」の3作をオムニバス形式で上演。一篇約20分の1時間強である。見る前は、全然、別の作品と思いきや、さに非ず。何と掴みのジャンケンポン地獄とマンホールは時間的に逆転しているものの最後のバースデイを加えて序破急を形成しており、而も、これが実に弁証法的なのだ。

ネタバレBOX

 どういうことかというと、初っ端、地獄におとされた2人は、30万年間ジャンケンをし続け、勝った者が、叩き棒を持って相手を叩く、負けた者はダメージを避ける為にヘルメットを素早く被るということを寝ても覚めても繰り返してきたのである。これを怠ると、鬼に金棒で殴られる訳だ。死んだりすれば蘇生させられ延々と続けることを強制されるのである。但し、この地獄を抜ける方法がある。1兆回目のジャンケンに勝った者はここを出ることができるのである。回数を覚えていたのは深浦、演ずるA。谷口演ずるBが、提案する。30万年も一緒に居たAと別れるのは、辛い。アイコを出して、引き分け、1兆回目を先延ばししよう、と。2人はちょきを出し合うことにするが、Bの出したのはグー。自分が地獄を抜け出すのだと、出し抜いた感覚に溺れるBであったが、Amo抜け目は無い。こんあこともあろうかと態と回数を少なく言っていたのである。そして本当の1兆回目、後出しで勝利したのはA。然し、中々変化は現れない。Bが後出しだから神様が認めないのだ、などと言っているうち、どこからか声が聞こえて来た。声のする方を辿ってみると、ニポポの木彫があった。声は、このニポポからである。何でもマグノリアに関することを述べているようだが、マグノリアは、萼と花弁が明確に分化していないことが特徴だと言う。2人はジャンケンのグー、チョキ、パーについて考える。グーは石で固くて頑丈だ。チョキは鋏で切れる。然しパーは紙で最も弱く、情報を伝達する為に、何かを書く、知識を伝える為に本を作るなどコミュニケーションに用いられるばかり・・・。そうか力でなく、互いに心を通わせ、協力し合ってゆく。互いに争っていた者が手を取り合って協調する。それは、尊い行為だろう。木蓮の花言葉は、崇高や持続、それがマグノリアの意味する所だと気付く。この場面、2人はパーを出して互いの手のひらを握り、さらに残った手のひらを重ね合わせて、マグノリアの花と萼を表現する。つまり異質な物同士の融和を象徴して、武器を捨て去る。だが、このように試練を越えても2人は地獄を出て何処へ行くのかを知りはしない。
 2話は、マンホールの底である。Aは、どうやらここに墜ちて来た後、気を失っていたらしい。気付くと体中が痛む。だが、ここには先客がいた。Bである。Bは、力を合わせて脱出しようと言うが、Aは余り乗り気になれない。戻った所でどうせ「お前の代わりなどいくらでも居る」と言われ続ける人生しか無い。そんなことならここで朽ち果てた方が良い、と考えているのであった。誰もが、日常感じているアイデンティティーの危機。存在意義の喪失という問題が、ここではさりげなく、上司の言葉として呈示されている。実際に、上司にこのように言われなくても、営業コンテストで常に上位の成績をとっていても、事情は変わらない。下らないシステムの奴隷と化してしか金を得る術の無い自らを振り返るだけの知性を持ち合わせる総ておの人間が感じる虚しさだからである。総てが茶番、そんなものを生きた所で、それが人生と呼べる代物か? このような疑問は、皆持っているハズである。持っていないと答える者があれば其処まで誤魔化しているか、“みむめも”かどちらかであろう。何れにせよ、2人は、これが地獄に落ちる前の自分達の姿だということに気付く。
 最終話の3話では、地獄を出た後の可能性に思いを馳せるが、思い出された来し方を踏まえて、今後、どのような可能性があり得るか? 幾つか選択肢がある場合、どれをを選ぶかに話の重点が移る。話は、輪廻転生に思い及び、この可能性が高いことを認めることで2人の意見は一致した。無論、未だ不確実性は残る。ニポポに訊ねることにしたが、輪廻は当たっていたものの、火星の二足歩行ゴキブリだとか、ゴリラだとか、兎に角、人間以外の生物にしか生き返らないと知らされ、悩むことになる。Bの選択は、このまま此処に留まることであった。Aの思考によって、世界はパラダイムシフトさえすれば、違ったものになるという発想を応用したのである。かつて地獄であった、この場所に留まり、自分達の理想とする地球を創造すること。これが、彼らの目標である。彼らが此処に来てから30万年後の地球は、渺茫たる風の吹く荒れ果てた大地でしかなかったから。
 因みに「バースデイ」というタイトルは、新たに2人によって創られる、新地球の誕生日を指すのは無論のことである。
「ぼくはだれ」

「ぼくはだれ」

RISU PRODUCE

小劇場B1(東京都)

2014/06/18 (水) ~ 2014/06/24 (火)公演終了

満足度★★★★

密室
 我らの生活する現代、とある警察署の取調室。スーパーで万引きをしたスナックの女、拳銃で3人を殺害した男の取り調べが行われている。彼は、子供の頃、両親を強盗殺人犯に殺されているので、復讐の可能性や精神鑑定の必要も認められるのだが、本人が強硬に精神鑑定を拒否。死刑への道を選ぶ。
 さて、これらの被疑者に混じって別件で引っ張られた男、を巡る攻防が、メインストーリーだ。シナリオ、演出、演技、効果音や照明どれも完成度が高い。また、取調室の違いを壁掛け電話の位置の違いで表すなど最小限の変更でキチンと効果を上げている点も見逃せない。舞台の構造上、座る位置によって細かい表情が追えない点があるのが残念。それがなければ満点だ。(追記後送)

朗読劇 四畳半神話大系

朗読劇 四畳半神話大系

演劇ユニット*エンゼルランプ

多目的スタジオ「プロモボックス!」(東京都)

2014/06/17 (火) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

満足度★★★

夏クソ暑く冬かじかむほど寒い京都盆地の青春グラフティー
 京都の大学3回生の可能であったらやり直したい、をオムニバス形式の朗読劇に仕立てた作品。中退してしまったものの、自分も2回生を終える迄、京都の大学で学生をやっていたので、土地の感覚が非常に懐かしい。
 新歓の際、どのサークルも勧誘の為に、様々な企画を立てて新入生を誘うのが常だが、その中で、主人公の私が興味を持った3つのサークルの其々に入ったとして主に、1、2回生の時代を描いた青春物だ。が、シナリオが可也長く、シチュエイションに重なる部分がある物を3回繰り返すことになると、余程、朗読する側に力量が無いと、観客は退屈してしまう。読み物としては、他の楽しみ方が可能だとは思うが、朗読劇にこういう作品を選ぶのは如何なものか? 著作権の問題があるので、いじれないだろうから、自分なら選ばない。仮に選ばざるを得ない場合、著者と交渉して朗読作品として、面白い物にする為に、もっと、千年以上の都としての歴史を持つ京都を掘り下げる。出町が出てくれば、鞍馬や貴船迄話を飛ばす。そうすれば、樋口のキャラや神の超越性ももっと生きて来よう。このような箇所が他にもたくさんあった。現代の描き方は、まずまず面白い。猫ラーメンの話などもグーだ。残念なのは、演者の年齢が若く、技術も拙いのに、これだけ長時間の物をやらせるというのは、演出に疑問を感じるのも事実だ。脚本を持っているのに噛む。テキストの分量が多いので、じっくり考えて間を取ることが出来ない。無論、科白は、自分のものになっていない。序盤に特にそれが酷かった。観客は、最初の数分で、劇団であれユニットであれ、演ずる者達の力量を量ってしまう。自分の場合は、先ず、十数秒から1分である。それで力が無いと判断すれば、集中できない。今回拝見して、自分のめがねで合格を出せるのは、樋口を演じた谷 伸二氏だけだ。主催の方には、ご自分の好みばかりでなく、演劇そのものの正体を探って頂きたい。

氷のほむら

氷のほむら

エーシアター

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2014/06/14 (土) ~ 2014/06/18 (水)公演終了

満足度★★★★

Bキャストを拝見
 江戸時代、初夏、六月朔日、将軍家に加賀の氷を献上する習わしがあった。その年の将軍の無病息災、幕府の安泰を祈願するという行事である。その為、加賀で冬の間から氷室に収めて安置していた氷を4日間かけて江戸迄運び、将軍に食べて貰うのである。加賀藩の名誉の掛かった重大な行事であるから、当然、運ぶ人間も選りすぐりの脚自慢。報酬も通常の三倍だが、しくじれば仕置きが待っているという厳しいものであった。舞台は四代将軍、家綱の治世である。

ネタバレBOX

  先代の氷見役は、責任感が強く良い仕事をこなし評判も高かったが、他界した。先代に目を掛けられていたにせよ、今年が初仕事になる波戸に従い走る飛脚は、宗次郎に迅助。然し、直前になって伴走の者が来ない。代わりに根性だけはあるが、体の小さい、女のようなへんちくりんな「男」が現れた。実は、先代の氷見役の娘、六花であったが、波戸は目を掛けて貰った人の娘であるから、真実をバラス訳にもゆかない。同行を許し、四人は江戸への旅に出発するが、大奥で権勢を揮う矢島の局は家綱の病弱を案じる余り、過保護の愚に陥って彼らの行く手を阻む計画を練っていた。ところで、彼女がこのような権勢を得たのは、家綱の乳母であったからである。当然、自分の娘、雪も家綱とは同世代、乳兄弟として育っているから、彼への影響力を持ってはいるが、朱子学の支配する時代、雪と雖も母たる局には礼を尽くさねばならない。然し、幼年期を共に過ごした彼女のサジェスチョンは、家綱に幼児の記憶を蘇らせ、彼本来の優しさ、他人を思い遣る心を蘇らせるの功があった。歴史をひも解いてみると、家綱が病弱であったり、若年で将軍職を継ぎ、優秀な家臣のお陰で大人になる迄は散々にフォローして貰ったのは事実である。然し乍ら、暗君であったというわけではない。体は弱いが、決して愚かでは無く、様々な新政策を打ち出している。更に、彼の地位が下の者に与える影響を早いうちから自覚し、気遣いを見せる逸話の残っている所を見れば、逆はあり得ても、一応、彼は優しかったと信じておきたい。将軍職に就いたのが11歳で約30年その職にあり、男子の子はできずに他界した。一方、「左用せい」としか言わなかったとして暗愚と見られることがあるのも一方で事実であるが、これは、生後4カ月で脳膜炎に罹り生死の境をさ迷っていることから言われることであり、今作でも、献上された氷に関する逸話が、それとなく挿入されているのは、この史実を指す。為に局は異様なまでに家綱の身体に気を使ったのである。彼女の犯した愚が愛情から出たことに注意したい。無論、娘の雪も、彼を愛している。それ故に、彼をヴィヴィッドな感性と共に生きさせたいのである。そこには、幼馴染しか知り得ないような微妙な感性の交流があり、男女通常の恋愛感情とは異なるタイプの愛もある。この母子の命を受けた忍びや剣術指南役、加賀忍軍迄が加わっての道中譚。生きることの本質を取り戻した家綱が、氷献上の使者達をねぎらって自ら迎えに行く下りは、感動的である。
毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

鵺的(ぬえてき)

小劇場 楽園(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

引き締まった舞台
 Bプログラムを拝見。事件の本質を内務省のプロパガンダと見定め、現在も散々行われている大衆操作の為のプロパガンダにこの事件が用いられたと解して、定の生き様と取り調べる側の人間の有り様を浮き彫りにし、黒幕をある仕掛けでおちょくっている点でも面白い。作・演出・演技、舞台作りどれをとっても隙のない舞台だ。(追記2014.6.19)

ネタバレBOX

 ボーボワールは言った。「女は女に生まれない。女になるのだ」と。だが、今の自分にそんなことは、大したことではない。女は来るものだからである。自分は、女性の意志を大切にするので、自分からゆくことは基本的に無い。来るからお相手するのみである。無論、本能はあるから、女性を嫌いな訳ではないが、社会に縛られている以上、自分から則を越えないという狡さを持っているのだろう。基本的に頭脳戦という側面があるから、会って初めてで電流が流れるような衝撃を受けた女性か、何かのきっかけで本当に愛しているのだと気付かない限り、自分から、チョッカイを掛ける必然性は無い。それだけのことだ。このような生き方をしてきただけに、今作で解釈されたような定の生き方には、共鳴する所がある。男の愛は、満遍なく広いが浅い。これに対して、女の愛は狭くて深い。この差を理解できるような気がするのである。偶々、定は、女のこのような愛を理解し、身も心も付き合って楽しんでくれる男に出会い、心底惚れた。それは、永劫の宇宙の有為転変の中の奇跡としか言いようのない出会いである。だから、性器のみならず、生殖器迄切り取ったのだ。雑草を刈っても根が残れば雑草は再び芽吹き、他者の手に掛かる。彼女は唯一無二の相手にそのように好い加減な愛を認めることはできなかった。だから根こそぎ切り取った。自分と彼との旬にであるが永久の愛の為に。ところで、愛の行為とは何か? 究極の形に於いて完全に相手を独占することではないのか? その一点に永遠を込めることではないのか? もとより我ら幽玄の存在が、真の永遠と競うこと等できようが無い。パラドクサルなレトリックを用いて表現するしかないのだ。その表現の形としては、そして、実践の形としては、沈黙する他無いのだ! その意味で、「言葉にできません」と言う彼女の言い方は正鵠を射ている。他に言いようが無い迄に。今作は、だから命ギリギリで求め会ったことが無い連中には、せいぜい想像することができる話なのである。彼女のセイントな部分までは、到底分かるまい。定を演じたハマカワ フミエにはそれが、見えているからこの役にチャレンジしあのだろう。良い“定”ぶりであった。老刑事を演じた谷仲 恵輔の陰影に富んだ表現の素晴らしさ、偽内務官僚を演じた平山 寛人の集中力、憎まれ役の若手刑事を演じた瀧川 英次も、他の役作りが見たい。総じて脚本の素晴らしさ、演出の的確、演技の深さ、舞台装置や、照明、音響の正確な操作、総体がマッチして、完成度の高い舞台になっている。
パダラマ・ジュグラマ終演いたしました!総動員3672人。ありがとうございました!

パダラマ・ジュグラマ終演いたしました!総動員3672人。ありがとうございました!

おぼんろ

ワーサルシアター(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

宿命からの脱出
  ♂に生まれたひよこは、判定後、即座に殺されるのが宿命だ。ヒトではない。鶏の話である。彼が生まれたのはxxxx年xx月x日。辺りの大気はオゾマシイ迄に汚染され、大地は、もうその胎から食用に適するものを生み出せなくなっている。為に、総ての生きとし生ける者は飢え、餓死する者は後を絶たない。余りの空腹に耐えかねて、地面に落ちた物を拾って食べれば、たちどころに悶絶し、死に至る。汚染はここ迄酷かった。唯一の食糧は、外界から遮断されて、汚染を免れた地域に作られた、彼の生まれた食糧生産工場だけだ。(追記後送)

キャッチ・ザ・レインボゥ

キャッチ・ザ・レインボゥ

My little Shine

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

こんな時代でも信じることのできる人を求めて生きてゆこうよ
 心に沁みる虹を感じた舞台。(追記後送)

素人

素人

劇団天然ポリエステル

タイニイアリス(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

良いね フェイスブックに一度も書く気がしなかった言葉を自然に贈りたい
 役者のレベルが全体的に高く、キャラが立っているのが良い。おまけに、ちゃんと、その演じられたキャラの中で自然体である。TVなどという阿保なメディア全盛が未だ続く現代、これが如何に大変な努力の結果であり、成果であるかということもまた、強調しておくべきであろう。舞台役者万歳である。枕詞として既に定着した“アホの(な)安倍”などには、思いもつかぬ世界がここにはある。何せ、生まれて初めて、心底、顔を見るだけでオゾマシイと感じたのは、そしてホントにこのようなことを経験することがあるのだということを経験して驚いたのは、安倍晋三の面をTVニュース等で見せられてからである。反吐が出る。これは本当だ。こんな時代、こんな植民地にあって、劇団などと“外れた”世界に一所懸命になり、全身全霊を賭けて生きて行く利口馬鹿の演劇人達の苦労、誇り、名誉心、恋、縛り、総てをひっくるめて人生を描いて温かさを届けてくれた。ナニゲに、丁度、舞台中央の目につき易い所に頭蓋骨が置かれているのは、無論、メメントモリを意味するだろう。ここに、役者根性を見る。実際、どの役者の演技もキャラの立った良い演技であった。これは、メメントモリの身体化だと思うのである。座付作家の悪戯根性も座長の責任感も、制作や王子、其々の姫、座員達も死に行く存在であることを意識した、含みのある良い演技をしている。温かさをありがとう、そう御礼を言いたい。

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