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若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

「箱」・・お洒落な小品
HPをみたら最後に選出が決まったというので、正直ちょっとナメてる部分があったことをここに告白しておきます(苦笑

ただ、観てみてその先入観は間違っていたことがはっきり分かりました。

ピンク地底人と本選を争ったというので、
「ピンク地底人(こちらの公演も観ています)と一緒に議論される」という作品が
どんなものかな・・と気にしながら観てみると、
なるほど、ほんのちょっと似ている気がする(笑

よく見ると全然違うのだけれど、
アフタートークを聴いて、
「どことなくちょっと似ている」と感じた理由がなんとなくわかった。

ひとつひとつのシークエンスの長さ、つなぎ方がちょっと似ている気がしたのだ。
もちろん、良く見ると全然違うのだけれど。

この作品は題名にもハッキリ分かる通り「箱」を題材にしている。

その視覚的な分かりやすさ(テーマはともかく(笑
が、ほんのちょっとピンクに先んじた理由かもしれない。

ただ、その分かりやすさゆえに、
ピンク(「長い人生の陰影」とでもいうべきものを音でザッピングしたものと自分は捉えました)とでは
微妙に好みが分かれ、選考現場では票が分かれたのではないかな、という気がした(推測です

この作品自体は、まだ4作品観たわけではないのでハッキリとは言えないけれど、
多分他のどの作品にも劣らない作品であろうと思われます(何となくピンク地底人がなければこちらに票が集まっていたようにも思うので。それはピンクにも同じことが言えますが(苦笑

別にこのまま優勝しても何らおかしくないと思いました。

それくらい、洗練された作品であるように思われました。

ネタバレBOX

作品は、5人の作家の作品を切り刻んで組み合わせたものです。

舞台上の□(平行四辺形含む)の上をさまざまに役者が動き回ります。

役者たちはなぜか靴下をはかず、
脛の途中で切られたストッキングは二人一組の同じ模様、
上着もまた二人一組で同じ模様。
そのため役者が動き回るごとに色の組み合わせが様々に変わり、
観ていて目が回るようです(笑

物語もまた、300年、1000年の話からたわいもない子供たちの話、
工場の女性たちの陰湿なやり取り、ノアの方舟の話・・さまざまに飛び回ります。

ちょっとした子供たちのやり取りから、次の瞬間には神話の出来事の話へと、
マイムでハコを突き抜けるたびごとに
時空が次々と変わるさまは痛快でもあります。

「身の回りに見えない箱があるなんて気のせいだよ。
飛び越えちゃいな、別の世界が広がってるから」
とでもいうみたく。

前日のサリ氏が、音楽にたとえるなら骨太なロックなら、
今回の作品はヴァンパイア・ウィークエンドみたいな
様々な物語を呑み込むワールド・ミュージックとでもいうものでしょうか。

物語を組み合わせる手腕に遊び心が感じられるので、
観ていて物語の意味をつかませるようでスルリと抜けてしまいはしても、
別にそれほどストレスには感じませんでした。

切り替えのテンポは非常に軽快で、
意味を追いながらも音楽が切り替わるごとに
幕が開ける次の物語へと
「小説を何冊も並べながら電車の中で音楽を聴きながら本の中の物語世界を飛び回る」
ように、
ウィンドーショッピングでもするみたく気ままに
移り変わりを楽しめる雰囲気があります。

この手法が新しいか、と言われると
別にそんなことはないのですが
(というかすべての手法はほぼ出尽くしているので、そのような議論は無意味のようにも思われるので
物語を飛び回るフットワークの軽さは、重苦しくもある2013年の今現在では、
目新しいというよりも「新鮮」と言って良いように思われます。

例えば、ピンクやサリ氏のように、一人の作家が書いて、
自分でその構成を考えるのとは違い、
物語の継ぎ目ごとに
リズムがザックリと変わる面白さ。

・・そのリズムの変化もまた全体の中で調和よく構成されているため、
切り刻んでもなお全体としてみると
ひとつの印象が残る良さもあります。

東京でこのような軽さとリズムの作品をあまり観た記憶が無い気がしたので
とても素晴らしいと思いました。

全然、この作品が優勝でもおかしくないと思いました。


ただ、全体としては文句のつけようもないのですが、
一応賞レースなので(苦笑
微妙に他の作品と比べると若干いうところがあります。

マイナス点の内容とは、アフタートークで審査員が言うところに全く同意なのですが(苦笑

①まず上演時間の60分と言うのが少し長い

・・・それは、前日に怒涛のテンションで50分で燃え尽きる
サリ氏の作品を観た後だからなのかもしれないです。

審査員の方が言うように、もし上演時間が40分なら、
物語の意味を追うよりリズムに集中できて
良いのではないかと思いました。

東京の人間に受けるためには、
何でもそうなのですが30分以内にカタを付けなければなりません(苦笑
何かを加えることによって得られるプラスより、
何かを削ることによって得られるプラスを第一に考えなければなりません。

「上演時間が少し長い」というのは、
制作者サイドにはそれほど気にならなくとも、
観る側にとっては致命的な違いになって現れます。

②全体として少し平坦な印象を受ける

脚本を書いたのは、演出家とは別の人たちなのですが、
脚本家と演出家が異なる最大の利点というのは、
演出家が脚本を情け容赦なくカットしたり、切り刻めるということだと思います(恐ろしいことに

そういう意味では、脚本と演出をハッキリ切り分けた今回の作品においては、
その利点を最大限に追い求めたとは言えないように思います。

演出家がもっとラディカルに、
本の量を1/10にしたりする。

あるいはもう文節ごとに切ってしまう。

誰か一人の役者の動きだけをラディカルにして、
他の役者が語ってる最中に体当たりするなどして強引に物語を分断するなどすれば、
もっと生の動きが出てエキサイティングになるんじゃないかと思ったりしました。

あるいは、審査員の誰かが言ったみたく、
途中で役者の誰かが物語を見失ってアタフタし、
みんなが心配して、
例えばそこに観客に紛れた演出家が登場して指示すると途端に完璧に戻るなど(苦笑
進行上、イレギュラーを装ったいろんな悪戯を紛れ込ませればもっとハラハラして面白くなるんじゃないかと思ったり。

まだまだ遊びを加える余地はいくらでもある気がしたので、
審査員の方が言っていた
「初演と今回の公演がほとんど同じ(15分短くなったらしいけど」
というのは、
自分は初演を観てないので何とも言えないけれど
初演より上演時間を伸ばしながら
個人的に特に長さを感じず、また色々な要素を盛り込みつつ
ぶっ飛んだ村上くんを磨き上げたサリ氏との大きな違いと言えるのではないかと思ったり。
(厳しいようだけど、半年経ったら作品が大きく成長しているのはアタリマエ。そうでなければ「若手」と銘打つ意味は無いように思う。無謀な挑戦を常に続けられれば80才を過ぎても若手でいられると思う


いちおう①、②と分けてはみたけれど、
それほどハッキリわかれるわけでもなく(苦笑

「削る」か「遊びまくる」かでちょっと中途半端な印象はあった気がする。

ただ、それらが決定的なマイナスという訳では勿論ない。

あくまで、「他の作品と比べたら」「もっと良くするには」
という観点で観たらそのような感想が思い浮かんだというだけで。

あとは好みの問題だと思います。

ただ、先に自分がみた東京以外の2作品(大阪・広島)は
東京ではあまり見られない珍しいタイプの作品にも思われたので、
エンゲキを東京以外に広めるためにはこの辺りから
選んだ方が良いのではないかとも思ったり
(東京の演劇の流れを「これが東京の流儀だから従うように」という時代ではないように思う。今現在の時代の先端は、マスコミの充実していない地方の片隅にあるように思う。東京の人たちは、地方の人にしたらそこここに転がっている些末な出来事を、週末わざわざ出かけて行って吸血鬼のように吸い上げて、爆発的なパワーで舞台に描いた方が良いように思う。

・・ただ、まだ東京の2作品が残っているので
こっちがもっと東京では見られない種類の凄まじい作品かも知れないので
まだ何とも・・(苦笑

そちらは明日観ます。・・入れるかな、特に8時の回。一応予約したけど(苦笑
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

「絶対の村上くん」
今回の作品は自分は一度大阪で観ていました。

なので、以前と比べて作品がどう変ったかは勿論、東京の観客の反応も少し気になったり。

物語の構造としては非常にシンプルな二人芝居なのに、
だからこそというのか、
心理的には非常に複雑な愛憎が絡み合い、
どこまでが現実で、どこまでが夢なのか分からない作り。

少し、年末に春風舎で山崎氏が上演していた「マボロシ兄妹」を思い浮かべたり。

今回観て、改めて作者の独特な世界が良く分かった気もする。

ネタバレBOX

主人公は、せいぜい佳作どまりの冴えない小説や俳句などの制作に没頭している。

ただ、その部屋はどうも特殊な環境のようで、それがどうやら独房らしいことが徐々に分かってくる。
親友がたびたび差し入れを持って彼を訪れる。
とても親切で文才もあり、良い奴のようである。

そのうち、何をして刑務所にいるのかが分かってくる。
どうやら主人公は自分の家族と、その庭にいる多数の鶏を殺して
家に火をつけたらしい。

でも、そんなことからかけ離れた、毒にも薬にもならないファンタジーを書いて応募したりしている。
そこに鶏のヘンリーが現れる。
ヘンリーは優雅にお茶を飲みながら、
主人公に現実の体験をそのまま書けと言う。

彼は、その場の湿度や体温も含めた殺人現場の光景を
眼に火が付きそうな表情で、熱狂的に演じてみせる。

彼が自分の家族を殺したことは、疑いが無いように思われる。

ところが、途中から殺されたのが実は主人公の両親ではないことが分かってくる。

どうやら、殺されたのは主人公の家族ではなく、
親友の家族であるようだ。

じゃあ、なぜ主人公は、自分の家族を殺したように演じてみせたのか?
なぜ、自分の家族を主人公に殺されたハズの親友は、足しげく義務のように主人公を訪ねるのか。
そして、良い奴でいることを途中で急に止めるのはなぜか。

あくまで自分の想像だが、
主人公は、どうも両親や鶏を殺した親友を庇ったようだ。

・・と言えば聞こえはいいのだけれど、
実は主人公は以前から、内心非常に特殊
(親が鶏ばかり拾ってきて、家じゅう鶏の臭いまみれのため、家族みんな地域で疎まれている)
で、創作環境にはうってつけと思われた親友のことを羨んでいる。

主人公にとっては創作がすべてのようだ。
どうやら自分(普通の家庭環境であるようだ)に文才が無く、
親友に文才があるのは、その特殊な家庭環境にあると信じて疑わないようだ。

自分が励まして親友に書かせた作品は、
主人公にとっては眩しすぎる(といっても小さな)賞を取り、
この上、家族まで殺して、特殊な生い立ちに磨きをかけるとあっては、
もう一生自分の手の届かない(文字通り(苦笑
所に行ってしまう。

主人公は、親友と殺人者の役割を交代することで、
罪の代わりに人殺しの体験を得て、
わざと自分を追い込んで創作に向かって、作品を公募し続けているようだ。

親友も最初は気にして面会に来るものの、
途中から独房で生き生きと駄作の制作に没頭する主人公にそっけなくなり、
「ふたり一緒に文豪になる」という夢を捨てて就職したことを適当に告げる。

主人公はがっかりするが、
それは親友のことを気にするのが、純粋に親友の文才によってのみであることを
露呈するだけのことだった。

親友はその後、ゲイ?になって店を持ったと主人公に伝えに来る。

ここで、やっと、主人公は親友の文才しか見ず、
親友は主人公のことを、恋愛対象としてみていたのではないかと(あくまで想像だが
感じられてくる・・。
(もちろん、過去の「人を殺した自分」と決別するためにそうなったとも読み取れると思う。いくつかの読み取りが可能な所が、この物語の面白さだと思う

しかし、主人公は執筆に没頭し、親友の変化から、その心情を読み取る事が出来ない。
彼にとっては、執筆こそがすべてのようだ。


また、殺人の発端となった、
鶏の頭部がその親友の家の前に置かれ、親友が精神的に追い込まれたと思われる事件も、
よくよく考えれば、
主人公の僻み(賞を取った親友を表では喜びながら裏では嫉妬している)かもしれない。

そもそも、先ほど演じられた殺人風景も、そもそもが主人公のイメージなのか。

良く考えれば、その光景は一人称で語られていた。

とすると、その風景も、親友の目撃・体験・語りなのか。

主人公は、親友の用意した渾身のシナリオを読みながら、
その時の親友の心情と完全に一体化してしまったのか。

しかし、せっかく血肉の滴る殺人風景の描写を手に入れても
物語を語る才能のない主人公にとっては、
想像の世界を描くことには限界がある。

殺人の風景を自分のものとすればするほど、
リアリティのある想像の世界をそこに継ぎ足すことが
自分には難しいことが実感されてくる。

結局は、実際の殺人を行った親友と自分との
過去のやり取りに帰結してしまう。

主人公は、リアルに親友のシナリオを自分の血肉とし、供述したためか
無事に死刑囚となる。

主人公は、そんな絶望的な状況にも関わらず
目前の死によってかえって燃え上がり、
死刑執行まで笑いながら作品を描き続ける。

まるで執筆することが生きるすべてとでもいうかのように。

鶏のヘンリーが出てきた理由をよく考えてみると、
親友の家族を殺したのが、親友なのだとすると、
その発端となったと思われる鶏の首を親友の家の前に置いて行ったと思われる主人公に、
殺された鶏が祟ったのかもしれない(あくまで想像だけど

非常に限定された空間のなかで、
広漠な海や、時間の流れ、
夢の景色、燃える家、玄関に置かれた錆びた銛で貫かれる両親、
鶏の臭いが染みついた服を着て学校で疎まれる子供・・。

自分も、育児放棄などで家でまったくお風呂に入れてもらえない子供たちのことを人づてに聴いたことはある。

そういった、社会の中に実際にある悲惨な現実を
幻想的な夜の海の描写などを絡めながら、
あくまで登場人物たちは燃えるように笑い、踊ったりしながら演じる。

なかなか気づきにくい疲弊した社会の中の出来事を物語の中に生かしつつ
夢のように語るのは、
非常にサリ氏らしいと思うし、
あくまで自分の勝手に思い描く「大阪っぽさ」を体現しているようでもあり、
素晴らしいな、と思ったりもする。
春.一夜にして

春.一夜にして

KARAS

シアターX(東京都)

2013/03/03 (日) ~ 2013/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★★


そういえば生前、工藤先生に
「一番好きな作家は?」と聞かれて迷わず「トルストイ」と答えた気がする。

それを聞いた工藤先生は残念そうに「シュルツはどうだい?」と言った。

シュルツはとても良い。ポーランド語の凄さを引き立ててくれる。
現在の、味もそっけもない日本語より遥かに詩的な言語を当時自分は発見した気がしていた。

それでもなお、トルストイの真っ直ぐさ、明るさが自分の心の中にいつもあった。

工藤先生はその後も何度もシュルツのことを口にしていたと思う。

先生が死んでから、自分はシュルツがずっと好きになった気がする。
自分にとっては、たぶん他の多くのポーランド文学愛好家と同様に、
シュルツと工藤先生とは不可分だ。

劇中にたびたび訪れる闇の中で、
昔通っていた今はなきマヤコフスキー学院からの帰りの夜道を思い出していた。
工藤先生もそこでポーランド語を教えてくれていた。
先生はお金持ちには見えなかったが、口の中にはとても豊かなリズムが満ちていた。
大企業に勤めてお金儲けのことばかり口にする人たちには、一生手の届かない世界が、その向こうにあることがまだ若い自分にもわかった。
世界は詩で形作られている。

勅使河原氏の手が描き出す、闇夜の蝶が現れては消える様子。

2匹の蝶が現れては消えるのが、シュルツとゴンブロヴィッチのように見えた。

次に見えた蝶は工藤先生のようにも。

作品を生み出した人びとも、その作品たちをこの国に伝えた人も、今はもうこの世になく。
ただ、その言葉を風のように体の上にのせ、糸のように舞台の上に紡ぐさまを眺めるばかり。

瑞々しさとは何なのか?
人間の生命力というのは、死を引き立てる花に過ぎないのか?
あるいは逆か。

シュルツは灰色のこの世界の一瞬を、永遠のように引き伸ばし、広げ、
冬と春は一夜にしてせめぎ合い、
やがて冬は過ぎ去るが・・
それは夢の中で語られる物語のようでもあり
やがて物語は、混沌のなかで
世界の「価値が創られている深部のプロセスを記録」する・・。



シュルツとウィトゲンシュタインは似ている。

ふたりとも長い冬を生き、世界の測深器(ゾンデ)になろうとした。

シュルツはウィトゲンシュタインやゴンブロヴィッチのような天才ではなかったかもしれないが、天才ではなかったがゆえに、誰も到達できなかった刹那の最深部に到達できたと見ることもできるのかもしれない。
ゴンブロヴィッチもシュルツのその素晴らしさを十分に理解していたからこそ、お互いに尊敬しあっていたのだろうと思う。


もし、若手の演出家の人で、他の若いうちから活躍する作家に比べて自分が劣っていると思ってしまう人がいるとしたら、それは大きな間違いだと思う。

一瞬にして全てを見抜くような能力と言うのは、世界を測る上ではマイナスになる。

例えば世界の価値とでもいうものは、往々にして一冊の哲学書より多くを一体の仏像の中に見出せるものでもあるように自分には感じられるから。

同じ仏像を何年も見続けることなど、天才には難しい。

ギプス不動産

ギプス不動産

あひるなんちゃら

駅前劇場(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

熱演?
なんかいつものあひるなんちゃらっぽくない?
熱演ていっていいのか
本気でおかしくなってるのか分からない位いっちゃってる登場人物たちのなかで、
マトモな人たちばっかり貧乏くじを引いてるフシギ(笑

ツッコミどころ満載なのにみんなあまりにさりげなく、風のように
あっちの世界に入り込んでしまうので、
自分も舞台の他の登場人物同様にあっけにとられて
(心の中で)突っ込むスキを忘れてしまいそう(笑

コイツ、ボケてるふりをしてわざとやってるんじゃないの・・?
と思いながら、果てしなくボケ続けてるのを見て不安になり
自分の方がおかしくなってるのか、
自分も果てしなく突っ込んでるほうの登場人物になりかわって
口に出してソイツの不審さを口に出して確認できればどんなに良いか(苦笑

でも、あひる特有の
「いつの間にか夢に入っちゃった」感が時折覗かせたりして
ネバーエンディングストーリ―さながらに
「永遠にボケ続ける物語」の展開し続けるマコンド病院の、
でも怖いというより
どこかゆるくヌケ続ける
フシギなゆるふわっ感は健在で、
笑いながらも間違いなく終劇を迎える70分の夢の世界に身を浸してみたり。

HIPHOP侍vsレゲエ侍

HIPHOP侍vsレゲエ侍

男肉 du Soleil

シアター711(東京都)

2013/02/25 (月) ~ 2013/02/27 (水)公演終了

満足度★★★★★

FEEL
なんか知らんが観客がいっぱいいた。

ちょっと前に代官山ユニットでみたERAとかがでてたイベントより人がいたんじゃないかという気がした。

・・いや、そんなこたぁないか(笑

でも、それくらいいっぱいいいた。

ゲームセンター寺尾@東大阪市(勝手なイメージ
も、下北で結構やれるんだぜ。みたいな(笑

ルル

ルル

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

野生生物博覧会
文字通り人間世界における
人の顔をかぶった?野生生物たちの饗宴を、
サッカー専用競技場のゴール裏のような客席で
眼前のリアルバウトを臨場感たっぷりに観られるのが素晴らしい。

日本の劇場もサッカー専用競技場的なこの観客席を見習って
もっと臨場感のある客席を考えて
より盛り上がる仕掛けを編み出した方が良いんじゃないかと思う。

毎日観ても良い位だと思う。

前売りは完売だけどちょっとずつ当日券も出てるみたいなので
まだ諦めるのは早いと思う。

観客全員が複数回観ていると、
客席も盛り上がりどころが分かってきて
劇場全体に一体感が生まれてきたらもっともっと伸びそうだ。

演出の人の監督した映画も見たけれど、
この方は、もう死んでしまった人びとの魂に
生命力を入れて膨らませ、
躍動感漲るスペクタクルな法螺話に仕上げるのが非常に巧いのかな、と思った。

「ファウスト」が日本に上陸するならぜひ観たい。上海やソウル位だったら
足を延ばして行っても良いかもしれない(P2.5や治安が不安だけど(苦笑

肉食の文化の作品という感じなので、
サッパリめの作品、ジャニーズ的なJ-POPじゃないとダメな人には
ちょっとキツいかもしれない(念のため

ネタバレBOX

寄生獣さながらに
猛獣が出てきたと思ったら、
その次にさらにその獣を殺す
紳士の顔をした激獣が出てきて物語を締めるラストが際立っている。

ルルは本能のままに生き、それによって輝き
相手によって自分の色をさまざまに変えることで
周りを泥沼に引きずり混んでいくが、
最後に切り裂きジャックと出逢うことでその人生の幕を閉じる。

ジャックに出逢う前にも何人かの狂犬じみた目をした獣のような男たちが登場し、
ラストの最終的な破滅への盛り上がりを加速させている。

そうした獣たちの中でもとりわけルルが
とびきりの怪物であるジャックに惹かれ、
彼の前では子どものように振る舞って死に至る演出は、
簡潔だが鋭く躍動感に富み素晴らしい。

タブロイド紙の記事に物語を与え、
豪奢なだけの舞台より遥かに輝く命を与えている。

スペクタクルで肉食の近松といったところだろうか。
ふりつけされたえんげき『君の知らない転び方』

ふりつけされたえんげき『君の知らない転び方』

ホナガヨウコ企画

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/16 (土) ~ 2013/02/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

その日はわりと面白かった。
ダンスをみた、というだけでなくその日はわりと面白かった。

舞台をみる、ということがその時の気分によっても大きく左右されるから。

開演ぎりぎりに当日券で入ったら、入り口の近くの一番端っこの席で、
舞台をみるにはわりと見切れてちょっと、というところだったけど、
あとで考えてみるとそれも満更でもなかった。


作品は非常に練られている、という感じで、
何気ない日常の動きを音楽にするみたく、
音楽を物語にするみたいに。

夕暮れの
日が沈む前の景色を
昼の国の女の子から夜の国の女の子への手紙のなかに
溶かしこむように。

ちょっと見にくいけど、ま、いっか、と思ってるとそこにちびっ子(女性)がひとり。
出口の扉を開けようとしてるんだけど開かない。
男としては、目の前のレディの膀胱破裂の危機(推測)を救わなければとやわら立ち上がってその子の頭を撫でてカッコよく押したつもりがビクともしない(苦笑
必至になりながら鍵を何度も回して押したり引っ張ったりするが動かない。

女の子は泣きそうな顔をして母親のところに行き、母親と一緒になって劇場のスタッフに電話をかけてやっとドアは開いた。

自分はわりと汗だくになった(苦笑

終演後にそのちびっ子の母親なのか関係者っぽい女性が、
さっきはありごとうございますと言ってくれたのだけれど、
自分は全然役に立たなかったので、
「頑張ったんですが、すみません、開けられなくて」とか何とか言ったような気がする(なさけな(笑

ちょっとビックリしたのは終演後のアフタートークでその女性がゲストだったこと。
ちょっと笑った。

終演後、近くの古本屋で物色していると、さっきの女性らのグループがこっちのほうに呼びかけてるみたいで、
何かな、と思ったら、さっきのちびレディが本棚の向こうにいたらしく(その古本屋には絵本もあるのだ)見えないけど、
声が上がったなと思ったら、ぴゅうと出て行った。

なんかさっきの様子と違ってすっかりピンピンしちゃって子供っておもしれーなと思った(笑

なんか、そんなことをぼんやりと思い出してみると、その日はわりと満更でもなかったかな、という気がした。

ちなみにその古本屋では、自分は絵本でもファンシーな何かでもなく、
戦前のアメリカのシアターギルドの本(そこは洋書が多い)を買った。

自分にはあんなちびっ子みたいな可愛気は一生できないな、と思った(昔からこんなだったのだ(苦笑

感想と言って良いんだか分からないケド、
自分にとってこの作品の想い出は、手に汗握る(笑)膀胱破裂の危機の回避と
密接な関係があるように思われたので、何となく書きます。

でも、ダンスをみる、ということは、作品を分析するためではなく、
「その日がわりと満更でもない」ことのしるしのためであるようにも自分には思われ
こんなちいさなアクシデントも評価に含めちゃっても問題ないようにも思われるのです・・。

必至になってノート片手に作品分析してたら、
こんな感想一生かかっても書けないからなぁ。

俺は・・・まぁ、立派なことを書いて人から評価される人生より
こんなふわっとした人生の方が良いや(仕事はしっかりやるが(苦笑

モー・ル・プラデック「Professor」

モー・ル・プラデック「Professor」

TPAM・国際舞台芸術ミーティング

KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)

2013/02/16 (土) ~ 2013/02/16 (土)公演終了

満足度★★★★★

説明を見ても良く分からなかったけど・・
観たら良く分かった!

ダンスなのだけど、演劇的要素も大きいみたい。

 劇団 マウス オン ファイア サミュエル ベケット『消滅するまえに…』

劇団 マウス オン ファイア サミュエル ベケット『消滅するまえに…』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/02/13 (水) ~ 2013/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

当日券
最初から予想はしていたけど、
シンプルながらも、あまりに濃密な作品群のため、
100m無呼吸で走り抜けるような、
息継ぎなしでずっと海に沈むような時間だった(苦笑

削ぎ落としながらも、
内に見える心は豊かで、
闇夜でありながら、目に入る光は啓示に満ちていた。

戯曲自体は、以前に何度か読んでいたが、
海外の劇団を見て、
音や光を交えながら豊かに語る様子に
自分が予想もしなかった言葉の向こうの豊饒さを見せつけられた思いだった(笑

ウィリアム・ブレイクやレンブラントの名前がプレトークにあったが成程と思った。

確かにウィリアム・ブレイクなどは自分も好きだけど、
後期ベケットを読み解く上では
常に心の中に置いた方が良いビジョンかと思った。

ベケット批評の本はあまり読んだことが無いが
(歴史とかでもそうだけど、自分は概説や批評的なものを読むことはあまりなく、
その分の時間があるなら、原作やその当時の時代に書かれたものを読み直すことが多いので・・・
自分もぼんやりと近いイメージではないかと薄々は感じていた画家たちの描いた景色を、
ハッキリと戯曲の向こうに配置する勇気を
この舞台は与えてくれたようにも思う(笑

また、この劇団の人びとが、
ベケットの戯曲の技巧的な面よりはむしろ、
ベケットの人となり、
母親に対する思いなど、
非常に個人的な感傷を掘り起こすことに
心を砕いていることにも感銘を受けた。

ベケットの戯曲は、
高度に感覚的で難解な代物であるというよりはむしろ、
戸を叩いて響く音がその時の感情によって微妙に揺れ動くような、
子供のように素朴でアナログな感性と、
死を前にして心惹かれる
宗教的な啓示とが
隣り合わせで存在することに特徴があるようにも思ったりする。


特にベケットの自伝的な感傷(母親への感情など)が込められた作品群をこうして並べたときには、
一見素朴で時に幾何学的な想像力に満ちたイメージの列の中から、
ベケット本人の温かみが泉のようにあふれ出ていることを感じる。

ドッグヴィル

ドッグヴィル

東葛スポーツ

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2013/02/07 (木) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

キエる鎌田氏(別に消えはしないが
途中からのノッてきた?感し。

最初は割と硬めだったかも。体の動きとかも。観客が多かったから照れもあったのかもね。

途中、画面(会場前方にスクリーンで映し出されているドッグヴィルの映像がある
見て、ガラスの向こう(フリースペースなんですぐ外が元校庭の広場)に眼をうつすと
「部活動でUFOを呼んでるっぽい」うる星やつらのオープニングに出てきそうなちびっ子たちがサイリウムを凄い勢いで振り回したり何本も放り投げたりして、
「をっ、UFO近づいてきたかな?」
とか思って、ふと舞台上に眼をもどしたら、
「あ、なんかぽくなってきてる」
て、なってた・・気がする(笑

なんでかな、て思ってたら、ラスト(以下ネタバレへ

ネタバレBOX

ネタばれってほどでもないのかもしれないけど、
ラスト50年代ハリウッドミュージカルっぽく
微妙な(上手くないことはハッキリ分かる(笑)ステップを踏みながら
外のUFO少年アブドラジャンたち(皆若そうだがたぶんラムちゃんも好きなのだと思う)のなかに飛び込んでいくあたり、
たしかに体が鈍ったまま外に飛び出ていくと
よっぽど葱を日ごろから大量に摂取していない限り
風邪ひきの憂き目を見るのは明らかなようにも思われたので納得
(別にそんな理由だけじゃないのかもしれないが

面白かったけど、
体の中にHIPHOPが染みついた男肉B-BOY(クラブでアンビエントでバク転するちびっ子たちを日ごろから苦々しく思っているなど)たちは
「チェっ、なんでぇ(こんなのがもてはやされるのか」
など、ど根性ガエルに出てくる登場人物みたいなボヤキを口に出すことは必至と思われる(すべて想像(妄想)だが

場所がほぼアキバなだけに2次元のたとえが頻出してしまったがご容赦願いたい。

帰りに近くのハナマサで泥葱を山盛り買って帰ったらお袋が大層喜んだ(もうないと思う

・・ちなみに最後の方で出てきたナカゴーの鎌田氏が
キエるマキュウの某氏の体型にほんのりと似ているような気がほんのちょっとだけしたりした。
Anamorphosis アナモルフォーシス

Anamorphosis アナモルフォーシス

青年団国際演劇交流プロジェクト

アトリエ春風舎(東京都)

2013/02/07 (木) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

分かるようになってきた気がする
やっぱりフィリップ・ケーヌは最高だ。

・・ただ、なんで観客がみんな最後まで起きているのかはちょっとよく分からない(苦笑

キノコやクラゲが好きな人にはおススメ。

ネタバレBOX

劇場に入って舞台上にドラムをみた瞬間、確信した。

「このドラムは演奏しない!それがフィリップ・ケーヌだ」

予感は的中した。

彼らしい作品を日本の俳優を使って直近で観れる幸せ。

去年の横浜でも感じたが、
彼の作品を鑑賞するためにはなるべく近くで見た方が良い
(ただし作品の世界に没入して寝る危険性あり

自分は濃いめの珈琲をたっぷり飲んでのぞみました。
IN HER TWENTIES 2013

IN HER TWENTIES 2013

TOKYO PLAYERS COLLECTION

インディペンデントシアターOji(東京都)

2013/02/06 (水) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

風景
男性的・・・というよりは上野氏の視点なのかな、とも思う。

ネタバレBOX

例えば、アフタートークで言われた
「女性は過去を更新するが、男性は過去にこだわる」というようなこと。

自分の視点からすると、これは全く逆のようにも見える。

人生も性格も、人それぞれなので、何が浅いとも、幻想とも、言い切れないように思う。

結末について言うなら、たぶんに上野氏の願望が反映されているのではないかという話が、やっぱりアフタートークにあったが、それは自分も感じた。

ただ、自分との見たい物語と言うのは、たぶん上野氏の願望とは正反対のようにも思う。

物語のなかで、20代の後半、女性が過去に付き合った男性のことを引きずって無理しているように見える場面があったが、
これは、上野氏の願望とも言えるのかもしれないとも思ったが、
自分が観たいと思う場面はまったく逆だ。

どちらかというと、男性のことなど完全に忘れて(笑
燃えるように毎日を過ごす女性の姿の方が、観ていて自分はスカッとする。

同じ男でも、感覚と言うのはだいぶ違うと思う。

・・じゃあ、男のことでクヨクヨする人生が駄目なのかというと、そんなことはないと思う。

自分は初演で観ていたので、話の手触りはおおよそ分かっていたので、
今回は落ち着いて自分を主人公の母親、
或いは飼い犬の視点で、物語を見つめてみた。

母親は離婚をして、たぶん主人公よりはずっと大人で、
遠くに離れたり、時折すぐ近くから、
自分の娘のことをどんなふうに見つめていたんだろうか?

飼い犬のラッキーは、
自分が子供の頃から一緒に育ち、
自分はもう老いさらばえて(まぁ犬だし何もできないし話せないし、人間の男はボンクラばっかだし(苦笑
次また生きて会えるか分からない目の前の主人公の女の子の元気のない様子を
どんな眼でみていたんだろうか?
(母親が離婚した主人公にとっての父親はラッキーだったのかな

自分が女性の心理について分かるのか、と言われると・・
まぁ、ちびっ子のころ遠くの公園の砂場まで出張って大きなトンネルを掘って
帰ってきていた(苦笑
ころから全然変わっていないので(苦笑
多分ラッキーの方が相当な感性をもって
主人公を包めることは明らかなのだが(自分は日本語が使えるくらいしか取り柄が無い(苦笑
まぁ、それでも女性の複雑性を察することができない自分を浅いとも思わない(笑

自分は、ただ女性を
----------------------------------------
正確に言うなら、
10人の女性が「集団としての女性」として演じる「ただ一人の女性」を、
----------------------------------------
風景のように観測しながら、
「・・・そんな人生もあるのかもしれないな」
とだけ思う。

当事者の女性や、その親友にしか分からない、微妙な機微があったとしても
自分はラッキーより外から、
彼女の10年を、風のように感じながら、
余白の分だけ気ままに夢想するだけ(笑

・・・その距離感が女性の観客には少し不満に思えたりもするのかもしれないが、
男性の演出家があえてそこまで細かく描く必要もないのかな、とも
男性の観客としては思ったりする。

あくしゃもん

あくしゃもん

田上パル

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/06 (水) ~ 2013/02/13 (水)公演終了

満足度★★★★★

凄く面白い
それだけで良いかな。

牧師が特に良い。
10年前に何を悔い改めたのだろうか?

strange

strange

ニットキャップシアター

ザ・スズナリ(東京都)

2013/02/01 (金) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

イスタンブールの子どもたち
今年は青組、グリクル、デスロック、サンプル、地点、伏兵コードなど・・
最初から印象的な公演を観る機会に恵まれたけれど
(無名な劇団が少ないのは毎年1~2月は海外のアーティストの来日が続くので自分もそれにつられて・・(苦笑
個人的には、観ていて一番背筋がゾクゾクする瞬間を感じたのはやっぱり
ニットキャップシアターかな、と感じた。

京都のヒラカタ・ノートを観たときから、構成の上手さは感じたけれど
(・・いや、良く考えると巧みではないけれど、それを観客に納得させるだけの手腕をその頃から持っていた、ということなのかな?
途中のアゴラのあたりから、イメージの豊潤さが前面に出始めて、
今回はそれに、シンプルでありながら太い線が
時間と空間と心の深度とを5次元的に走っているようで

個人的に感じたテーマ(とでも呼ぶべきものがあるならば
は、サンプルを思い起こさせ(死と再生
構成の巧みさ、洗練さはデスロック、
素材の黒さは伏兵コード、
軽やかさは地点。

それでいながら、
今回はあえて少し色彩を落として(といっても人物の周囲の色彩を落としたということで
心の闇の中に深く沈みながら、
アフタートークのごま氏の言葉を借りるなら、
「河の澱みに漂うボールに、流されながら途中で近づいて、また流れるうちに離れていく」
ように、被写体となった素材に微かに触れて、
また水の表面に戻っていくような。


ネタバレBOX

この物語のラストシーンは、
ばらばらになった仮面(心)が、奥さんと思われる女性によって、
紐で一つに結ばれるところから始まっているのだけれど、
結び合わされた仮面に自分の心を投影するとき、
仮面の持ち主である主人公の男性が、
かろうじて蜘蛛の糸のように一本の紐で現実につなぎ合わされると同時に、
その瞬間、
ごま氏が想像力の翼を広げて、
時空と心の距離を飛び越え、
深淵のなかのこちらの姿を認め、
また水面に浮上していく姿が見えたような・・(笑


-----------------------------------------------------

ごく一般的な感覚として、
仮面は、自分の心を映す鏡であることは分かってもらえると思います。

役者の顔じゃなく、仮面をかぶった役者の身体が登場するということは、
観客の心が仮面に投影されるということです。

ダンスなどにおいて仮面をかぶるか、かぶらないかというのは、
非常に重要なファクターで、
劇などでこのように仮面を非常に巧く使いこなすということは
非常に稀だし、
自分ももっとこういう作品を観たいと常々思っていました(苦笑

------------------------------------------------------

この物語は、ごま氏が知り合いの男性が失踪していたときのことを
想像しながら作ったとのことです。

自分ではなく、
他人の心の闇を想像するというのは非常に難しいし、
根気がいる作業だと思います。

それを、こんなにも豊潤に
(色彩豊かというよりかは豊潤と言った方が近いように思う
形作るというのは非常に素晴らしい。

京都やその近辺には、
ギャラリー宮脇(そういえば先週行ってきたばかり)やNOMAといったような、
心の闇?(分裂とかそういったものをそう呼ぶならば)を傑出した美の一部として
提示してくれる場所が多いけれど(通常の作家の作品が霞むような
この舞台作品も、
溢れる想像力という点においては、それらに全く劣らない(ただ、構成などの面でも通常の作家の遥か上を行っているようで


あと、ごま氏は今回、ダンスの振付や音楽、能や狂言の要素など、
色々な要素を取り入れているものの、
背骨が全くぶれないで豊潤なままでいられるところが素晴らしい。

そういうえばこの公演を観た後、代官山でトルコのアーティストたちのライブをみたんだけれど、
そのライブの最後で
ステージ上のゲストの日本人の女性ダンサーが
「アルバニア人・・」から読み上げて(トルコ人たちも自分のコトバで読み上げる)
色んな人種を読み上げて最後に
「イスタンブールの子供たちは虹のよう」
と歌っていたのだけれど、
ああ、なんかこの作品もイスタンブールかもな、と思ったりした(行ったことないんだけど(苦笑



鉄卜全

鉄卜全

鉄割アルバトロスケット

ザ・スズナリ(東京都)

2013/01/16 (水) ~ 2013/01/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

観に行ってきたよ
今回は、気のせいか初めて観るネタが多かった気がする。

浅草にいそうなオッサンたちが
たくさんいた気がした(笑

やっぱり鉄割は良いなぁ。

めくるめくセックス 発酵版

めくるめくセックス 発酵版

シンクロ少女

インディペンデントシアターOji(東京都)

2013/01/17 (木) ~ 2013/01/21 (月)公演終了

満足度★★★★★

フィジカルな愛とおやすみプンプン
正直言うと、自分の両親が、父親が死ぬまでいつもずっと一緒にいるのを見ていたせいか
(父親が元気で、自分も一人暮らしをしていたころは
自分が家に帰ると両親二人で一緒にテレビを見ていたのをよく見たし、
父親が死ぬ前は母親が行ける限り毎日病院にも行っていた。
仕事が終わって病院に行くと毎日母親が父親の横にいたし、
仕事が遅くなっても、いた。
・・まぁ数え上げればきりがないんだけど)
自分の中での愛の基準が高めなのもあるのかもしれないが(苦笑
あくまで自分にとってはなんだけど、
この舞台の上には、最後の例外を除いては愛は存在しなかった。

・・どれが愛で、どれが愛じゃないか、だなんて
偉そうに言おうだなんて気もないんだけど(汗
あくまで、「観客席で自分が肌として、目の前のものが愛として感じらたかどうか」と言うことで。

ネタバレBOX

舞台の上で男性の優しさと見られるものは、
自分がよく目にする、
「自分はこんなに優しい」
と、口では言いながら
それまでの彼の人生を通してみると
優しさとは違う、
何かのしたたかさ、問題回避能力とでも言えばいいのか、
ある意味で弱さの裏返しのようなものであったりする。

また、舞台の上で男性の純粋さと見られるものは、
独りよがりの理想の押し付けであり、
自己愛や宗教以外の何物でもないもので
(両方とも別に嫌いって程じゃないケド(苦笑
簡単に女性に対する敵意や
その女性が好意を寄せている(と見られる)男性への嫉妬・殺意に反転する
実は極めて危険な代物だ
(僕の中ではただのテロです。そういう女性とも一生関わりたくないと思えるほどに(そんなんで死んだら、あの世で亡父に申し訳が立たん(苦笑

なお、見当はずれの嫉妬からくる暴力は、
優しいだけの人間として描かれているハズのキャラクター(男性主人公の弟)にも
男性の一般的な姿として描かれているようである。

子供への愛でつながっていると思われる夫婦は、
(これが一番愛に近いのかもしれないが)
なんか父親はSMクラブに入り浸ったりしてみている。
欲望や好奇心を抑えられないという意味では、
やっぱり弱さと受け取られても仕方がないように思う。



一人、自由人?としてジローなる人物が登場する。

実際、目にすると凄く鬱陶しい人物ではあるのだけれど、
多分、本人もそのことを意識している。

一見、無神経で雑だが、
多分登場する男性のなかで一番気配りができて
仕事が良くできる人間だと思われる
(仕事は多少無神経になれるくらいでないと務まらないと思う

やることは大雑把だが、一番傷つきやすい人間だと想像した
(逆に仲良くなると一番大変なタイプかもしれない

後輩が自分勝手な思い込みでフラれて
自分に当たっても、
イヤな顔ひとつしない。

ハッキリ言って苦手なタイプだが(苦笑
人間としては理解できる。

少なくとも他の男性キャラのように、
自分の弱さ(誘惑に勝てないのを含む)やコンプレックスを言い訳にして
ゲームやSMクラブに逃避したりしない
(ジローがゲームをしているのは楽しいからだけだと思う

この物語の男性登場人物の中で、
もっとも女性に心情が近いキャラクターだと自分は思った
(たぶん脚本家は一部の女性の心情を、敢えて男性に代弁させているのではないか(笑
少なくとも、悶々とする後輩に「おやすみプンプンでもみて寝てろ!」とハッキリ言える(なんて優しい言葉
そういえばラストシーンでなんか、その後輩が本読んでいたようだったけど、
あれは「おやすみプンプン」だったのかなぁ・・。



女性と交流がある男性キャラクターのなかには、
強さとみられるは箇所はほとんど描かれていない。

唯一、主人公と思われる男性が、
弟の恋人に言い寄られてもそっけなくする場面(男性の態度は終始冷め切ってる)が一見するとそのように見えるが、
あれは強さではなく、
相手の心に対する無関心だと思う。

その証拠に、
寝たきりだったはずの奥さんが起き出すと、
急に従順な下僕に変貌する。

男性の強さがほとんど描かれないからこそ、
終盤のプロレスによるフィジカルなやり取りが映える。

夢の世界から抜け出てきた奥さんは無言だが、繰り出す技が言っている(笑

的確に相手の急所をつく攻撃(致命傷になるかもしれない
武器(椅子)を使った極めて危険な攻撃(ちゃんと外れるようにはなっているんだろうけど(笑

夫もそれに耐え、容赦無い攻撃を繰り出す。
しかし、そのどれもが、微妙に相手の急所を外れているようにも見える。

女性のそれに比べると、相手を倒すための攻撃ではなく、
自分の熱量を伝えるための攻撃に見える。

女性は、相手に激情のままにぶつかって、
それでも相手が最後まで自分の前に立っていられるのかを品定めしているようでもある。

別にDVを推奨している訳ではなく、
胸を真っ赤にしながら女性の平手打ちに耐える
(しかし顔を殴られると耐え切れずに倒れ込む(笑
様子に、それまで感じなかった、
男性の強さと弱さが表れているようにも感じた。

男性が弱いままだと、愛は成立しない。

女性の容赦ない攻撃に耐えきって最後まで立つ人だけが、
サイゴに愛を語るに値する。

舞台はそう語っているようにも見える。

前回公演で割と賛否があったような気もするので、
今回はざっくばらんに書いてみました。

でも、この劇団、実はマジメな内容にも関わらず
敢えて扇情的なタイトルを付けるのは、感想も書きづらいんでやめてほしいなぁ・・(苦笑
王子じゃなかったら、自分もたぶん足を運ばないかもしれない・・(汗


追記・

宗教に似た感情を「愛」と呼ぶ人々(主に男性)も存在する。

そういった人たちと話すとき、
自分たちの熱情を「愛」と呼び、自分の両親の話などしても
「そんなのは愛じゃない」と言う。

そしてそういった人たちに限って、何故か極端な暴力に向かおうとする
(友達だったんで止めたが。
冷静に戻るまでは、共感してくれるのが友達だと言わんばかりだった。
このように、何故か特に若い男性は阿呆が多い(個性的な人物もその分多いが

「コイツらの親は、子どもたちがこんな意味不明な表情・目つきをしているのを見て
心配しているんじゃないか?その心配を無視して
信仰めいた愛(自分が捉えるところの)に突き進むことが、『愛』なのか?」

日本語の通じなくなった彼らに疑問に思うことは多い。

その誰もが、正気に戻ってみると(洗脳が解けたのか?
いたって気のいい連中ばかりであったりする(あ、なんか戻ってきたな、でも元気なくなったな、と思う(苦笑

自分は奇跡的に呑気な男子校で中学高校と過ごしたので
そのころは全く気づかなかったが(苦笑
大人になってみると、特に20代のうちの男性は
一見、穏やかそうに見えても
おかしな男性ばかりだ・・。

自分が40代になった時、
30代の男性についても同様のことを思うかもしれないので
まぁ、聞き流してほしいんだけど・・(そういうの軽く聞き流してほしい、でも言う(苦笑
F/T12イェリネク三作連続上演 『レヒニッツ』 (皆殺しの天使)

F/T12イェリネク三作連続上演 『レヒニッツ』 (皆殺しの天使)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2012/11/09 (金) ~ 2012/11/10 (土)公演終了

満足度★★★★★

今更だけど・・
観てきました。

なかなか感想を書くのは難しいです。まだまだ勉強中・・ちなみに最前列でした。

「限定解除、今は何も語れない」+「あと少し待って」

「限定解除、今は何も語れない」+「あと少し待って」

A級MissingLink+三角フラスコ

インディペンデントシアターOji(東京都)

2012/11/24 (土) ~ 2012/11/26 (月)公演終了

満足度★★★

みてきました
「限定解除・・」の方は・・たとえば「震災タクシー」なんかに比べてもちょっとイマイチというか、もう少しユーモアが欲しかったなぁ。
A級missinglinkの方は・・頑張って単独で「悲惨な戦争」を持ってきた方が良かったんじゃないかとふと思った(スミマセン(汗

・・勿論、頑張ってるのは分かるんだけど、
気のせいか地方から来ている劇団の人は
狭い会場(王子自体は好きなんだけど
をどう使いこなして観客の前にスペクタクルを展開するのか、
という視点が少し不足してるんじゃないかな、と
今まで王子で観た地方の劇団についてよく思う
(例外は大阪のを更にブラッシュアップして持ってきたピンク地底人くらい・・?

たぶん地方だと、割と立派な会場(大阪ならアイホールとか芸創とか
が(東京に比べると)安価で借りられたりするんだろうけど(金額は知らない
こっちではずっと狭苦しい空間の中に、
今まで以上のスペクタクルを展開することが必要になる。

正直な所、地方の劇団ほど、
東京での(ちいさな空間での)公演に備えて、
わざと小さな空間に限定した(大きな空間をわざと半分に区切っても良いんだし←大きな空間を使い切りたい気持ちは分かるが、それだと持ち運べない。面じゃなくて空間で囲むような舞台だったら小さな空間に詰め込める鴨・・
持ち運びいやすいサイズにパッケージした鉄板公演
(面白くかつ役者の特徴(←これ重要)も、すっと伝えやすい
を準備しておくことが必要不可欠だと思う。

ウィングフィールドじゃなく、アイホールでやる規模のものを
サイズダウンを感じさせずに王子に移すイメージ・・?(滅茶苦茶難しいけど(苦笑

それが無理なら、世田谷区民に署名運動させてトラムに地方劇団枠を設けさせるとか・・(苦笑

小さな劇場で大きな劇場以上のものを生み出すのは題材によっては非常に難しいことはあると思う。

出来れば、わりと地方の劇団が呼ばれて公演している
王子(に限らず小さな空間)での話題の公演(東京の劇団による)は
参考にわざわざ観に行った方が良いのかも(舞台美術の人が使い勝手を学ぶ上でも

初雪の味

初雪の味

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/12/28 (金) ~ 2013/01/06 (日)公演終了

満足度★★★★

壱番屋
自分も鎌倉に行ったときはよく小町通りのこのお店に行って煎餅をお土産にしたり、
ミルクホールで珈琲を飲んだり、
古本屋に寄ったり、
CAFE GOATEEではたまにライブもやっているので、
気になった人がいると
鎌倉の空気の中で音が聴きたいから、
わざわざ下北のラカーニャとかじゃなく
こっちに出張したりもする。

でも、正直、鎌倉駅周辺よりかは
逗子や長者ヶ崎の方がずっとのんびりした空気が流れているなと思ったりもする。

この舞台となる家は、鎌倉と言っても
駅からだいぶ離れたところにあるみたい。

きっと小町通り近辺よりずっとのんびりした空気が流れているんだろう。

ネタバレBOX

登場する兄弟(+妹)が、母親(+その弟)が駅から離れた家を手放して
駅から近いところにあるマンションに引っ越すのを嫌がっている気持ち、
分かる気がする。

でも、舞台の最後の方で
その母親が死んでから幽霊になって、彼女の弟に向かって語りかけるように、
家がなくなっても、
結局は人のところに家族は集まってくるのかな、とも思う。

この舞台は「家」の物語であり、かつ、
家からの旅立ちの物語でもあるようだった。

ちなみに以前から思っていたのだけど
作者はこれだけ年輩の方も含め役者たちを舞台上に巧妙に配置できるなら、
そろそろ子役に挑戦しても良いんじゃないかと思ったり。

ちなみに今回も男性キャラはイマイチだったなぁ・・
(演技云々ではなくキャラ設定という意味で
「男役の岡田あがさ氏」のような益荒男を一人配置するだけで
ぐっと自分好みに(なり過ぎる位)なる気もするのだけど・・
男性キャラがみんなあんまり無邪気過ぎるんじゃないかと・・こんなもんなんですか・・ちょっと世間の平均が良く分からないんですけど。
夕顔のはなしろきゆふぐれ

夕顔のはなしろきゆふぐれ

維新派

デザイン・クリエイティブセンター神戸(旧神戸生糸検査所)(兵庫県)

2012/07/12 (木) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

2012年のベスト10に入れるとなると・・
維新派の舞台は関西の人ほどじゃないけれどそこそこ観ている気がする。

・・でも、年間のベストに入れるとなると、いつも躊躇してしまう(苦笑

というのも、東京に住んでいる訳だし、
土日に仕事が入る可能性も普通にあるので、
いつも直前まで日程が固まらず予約できない。

そのため、舞台の良い席は大抵埋まっていて、
東京公演(FTや早稲田)なんかではお蔭様で良い席も取れたりもするのだけど、
本領を発揮していると思われる東京以外の公演では
良い席を取れたことが無く、消化不良のことが多い
(端の方がお気に入りの方がお気を悪くしてしまいましたらスミマセン(汗

今回は、中途半端に予約して事前に席を割り振られるよりか
当日券で行って席を選ぼうとしたら、
受付の方に席は選べない的なことを言われたので、
さすがに結構な金額を払って観るのだから、
神戸だったらこのままトリトンカフェにでも行って夕暮れの景色でも見ながら
ご飯でも食べた方が良いかな、と思ってちょっと引き返しかけたら、
なんか多少は選べるという。

それでも端っこの席だったので、
観れたは観れた(その時は満足した)けど、
舞台セットの構造からすると、
終演後に客席の後ろの方からあちこち見て確認もしたけれど、
やっぱり舞台を完全に観れたとは思えない。

それで消化不良だったところへ、
その週末同じ関西で観たミジンコターボの「シニガミと蝋燭」は、
偶然キャンセルも出て良い席だったうえに、
ちびっこたちもたくさん出てきて、目の前で心から楽しそうに踊っていたし、
舞台の中に素晴らしい真心が溢れていたので、
なんだか感動して涙が出そうになってしまった(普段は涙もろくないと思うのだが(苦笑

自分の中での観劇体験としては圧倒的に上だったのは間違いない。

実際に同じ条件で観れればどちらが上か分からないが(これが微妙なところで
仕事をしていて絶対確実な日程を相当前に予約できない以上、
自分にとって関西では、維新派より大きな感動を受けられる劇団が
一定数存在してしまうということになる。

そのため、作品の評価として5つ星を捧げるのには何のためらいもないものの(それだけの完成度があるのは間違いない
年間のベストにあげるなら、どうしても前述のミジンコターボや
新進のピンク地底人やナントカ世代(関西では席にだいぶ余裕あり)などなど・・に、別にお世辞ではなく
普通に席を譲ってしまうことになる(自分の中での受け取り方の違いになるのだろう

2012年のベストはまだまだ検討中(汗)なので、実際にどうなるのかは分からないけれど、
2012年の年間のベストに維新派を選ばずに他の関西の小劇団を選んでいるとしたら、
それは別に宣伝でもなんでもなく
自分の演劇体験として実際そうだったということになるし、
維新派一辺倒(かもしれない)東京の関西演劇に対する眼も少しは変わってほしいな、という自分なりのメッセージのつもりでもあります。

当たり前と言えば当たり前のことなんですが。

ただ・・「シニガミと蝋燭」は維新派と同時期の上演だったのに、
東京の観劇にきてる人が圧倒的に少ない・・というか、いるの?
っていう感じだったのには(自分の回だけだったのかもしれないですが)
ちょっとショックを受けました。

舞台で素敵な作品と出会えるのは素晴らしいが、
現実とのギャップを見ていると辛くなる。

維新派は素晴らしい。

でも、それと同じ位素晴らしい志をもった若い人たちもいるなら、
その人たちにもそちらに対する以上の(時にはそちらを優先する位の
注意深さで耳を傾ける気持ちは無いんだろうか・・?

まぁ、公演から半年以上経ったんで
その当時感じたけど敢えて書かなかったことを
改めてこっそり書き直してみました(苦笑



ちなみに以前のコメントは以下~

今回は野外公演じゃなくて完全に建物内にセットを組み込んでいたせいか、
いつもより黒田武志氏の存在感を感じる舞台だったように思います(笑

もちろん、観劇前後の劇場前でのライブやパフォーマンスも含めて
楽しめました。

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