恐怖が始まる 公演情報 恐怖が始まる」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-20件 / 20件中
  • 満足度★★★★

    演劇的表現力の高さ
    まず冒頭のスローモーションとストップモーションの身体表現にハッとさせられた。「徐々に恐怖が迫ってくる」という表現にピッタリだったから。また同じ茶の間なのに、二つの家族が瞬時に入れ替わり場面が転換していく手法も面白い。演劇ならではの表現力の高さを感じた。また、役者陣の安定した演技力も相まって見応えのある舞台となった。
    この物語で語られるのは「見えないもの」(放射能汚染)を、時の経過とともに「ないもの」「なかったもの」にしてしまう「人の心」の恐ろしさ。これは我々に突きつけられた大きな問題である。
    それどころか、渦中にいる原発作業員でさえ、組織のため、義理や面子のため、「見えないもの」に蓋をして「ないもの」にしてしまうことの愚かさ。ラスト近く、仕事を続けようか、やめようかと迷う若い作業員に白血病で亡くなった年嵩の作業員の妻が「自分の真ん中にあるものをまっすぐに見つめて答えを出す」よう話すシーンがある。そう、「命より大切なものなんてないんだよ」というシンプルかつストレートなメッセージが痛いほど突き刺さってくる。ラストの、登場人物たちが1からカウントしていくシーン。一つ一つに祈るような思いが込められていたと感じたのは私だけだろうか。

  • 満足度★★★★

    現在も
    時と共に記憶やニュースからもだんだん薄れていきますが、今現在も確実に事実は存在しているわけで、誰かが発信することに意味はあると思わせてくれました。いろいろな意味で難しい問題、正しい答えははたしてなんなのか、そもそも答えがあるのか!?演劇の力の一面を感じました  アフターイベントの公開ダメだし、普段観る事のできない稽古の一部分を観れたようで楽しかったです

  • 茶の間から のぞく原発

    緊迫感伝わる舞台だった。

    このカウントは、今私たちに問われている数字だ。

    ネタバレBOX





    戦後日本ではもはや制御できない安全保障上の危機だった。
    液晶テレビの画面に映るのは、東北沿岸に押し寄せる津波と、福島第一原子力発電所が水蒸気爆発により「吹っ飛んだ」その光景。

    街中に「がんばろう、日本。」の文字が溢れかえり、商店街では様々な団体の少年少女が「募金にご協力  お願いしまーす」と道行く人へ訴え掛けた。

    しかし、あれから歳月が流れ、商店街で募金を呼び掛ける少年少女の姿が消えた。代わりに今そこにある日本は、原発再稼働を容認する世論である。


    環境活動家の田中優氏が言うように、「東日本大震災は援助より、自立的な経済復興の段階」(2012.4.19  武蔵野青年会議所主催『復興シンポジウム』)ではあるが、原子力発電所の所在地で約3000人の住民全員が避難する双葉町の井戸川前町長は県の復興計画において「復興計画を策定できない状況」(2013.3.13  早稲田大学  第二回シンポジウム『東日本大震災と人間科学』)と、嘆く。
    つまり、東日本大震災からの復興という一つのパッケージであっても、原発被害の軽微な岩手県・宮城県、年間限度の20mSv超えが指摘される飯館村が位置する福島県とでは、別のアプローチをした方が効果的なのだ。
    東日本大震災が津波・地震だけの被害であれば、地域経済の自立の段階で、財務省が「19兆円フレーム」と意気込んだインフラ整備中心の復興策が要る。この場合、日本人が「東日本大震災」に無関係で構わない。


    だが、原発事故を含む複合災害である以上、福島県は  旧来型の災害復興策に伴う自律回復は通じず、現在も20キロ圏内にいた住民は月10万円の補償金を受け取っている。
    原発の電力網のもと、国民の生活・経済が成り立っていたわけだから、「原発事故」は これからも全国民が当事者である。


    そもそも、福島第一原発の事故は収束段階にあるとする東電の説明は疑問だ。

    脱原発を唱えたことで辞職した元駐スイス大使・村田光平氏が、重大な報告をされている。

     「現在、4号機のプールにある1535本の核燃料棒はかろうじて冷却されていますが、もし4号機が倒壊すれば、冷やす術はありません。そうなると、最悪の事態---核燃料棒が溶け、メルトダウンが起き、膨大な放射性物質が撒き散らされるという、いまだ人類が経験したことがない悲劇が起こります」

     「今、4号機も含めて、福島第一原発に残されている核燃料棒の総数は1万4225本にのぼります。米国の核科学者ロバート・アルバレス氏によれば、チェルノブイリの85倍のセシウム137が福島第一原発に存在するそうです。4号機に限っても、セシウム137の量はチェルノブイリの10倍になるのだとか」(現代ビジネス2012.9.14    脱原発を訴える「反骨の外交官」が緊急寄稿! 村田光平「新たな一大汚染の危機と国・東電の無策ぶり」)

    収束した どころか、建屋の破損状況よっては チェルノブイリの比ではない、人類未到達の事態もありうるだろう。再び、震度6強クラスの地震が起これば、コンクリート補強が弱い1号機、2号機、3号機、4号機の建屋が全壊する可能性もある。
    それこそが、福島第一原発は非常時のままであると断言できる理由だ。

    既に、原発事故はチェルノブイリ以上の大きな放射能被害をもたらしている。


    ノルウェー大気研究所(シェラー)の大気科学者 Andreas Stohlが率いたノルウェー研究チームの報告書の一部を紹介したい。


    「原発から放出された放射性物質の量の解明は、事故の経過の再現に比べてはるかに難しい。政府が6月に発表した『原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書 ―東京電力福島原子力発電所の事故について―』では、今回の事故により放出されたセシウム137は1.5×1016ベクレル(Bq)、キセノン133は1.1×1019Bqと推定している2。セシウム137は半減期30年の放射性核種で、原発事故による長期的汚染のほとんどの原因となっている。一方、キセノン133はウラン235の崩壊によって放出される半減期約5日の放射性核種であり、原発事故や核実験の際、初期に観測される。

    ところが、Stohl らが原発事故の再現結果に基づいて推定した放出キセノン133の量は1.7×1019Bq、セシウム137の量は3.5×1016 Bqで、政府の見積もりよりキセノンが約1.5倍、セシウムが約2倍となった。

    キセノン133の放出量は、チェルノブイリの総放出量1.4×1019Bqよりも多いことになる」(Atmospheric Chemistry and Physics  発表  日本語訳  三枝 初夜子)


    メディアは、日本の原発事故が国際原子力事故評価尺度に基づき「レベル7」の判定を受けた事実に対し、「チェルノブイリよりはマシ」を強調した。
    最大の根拠とされたのは、チェルノブイリ原発事故では28人が死亡したのに対し、福島第一原発事故で死亡した者はいなかったからだ。たしかに その通りではあるが、チェルノブイリで亡くなった人は全員が消火作業にあたった作業員だった。
    チェルノブイリ原発は鉛型のため、事故直後に猛烈な火災が起こり、それを消すために国家の指令で駆り出された人々なのだ。28人の死者が出てしまった背景には、鉛型原発特有の火災・作業員の軽装備の二点が考えられる。いずれも、原発の型や行政管理に原因があるわけなので、原発事故の深刻さ=レベルとは大きな関係はない。

    事故当時の保安院は、「放射能放出量はチェルノブイリの1割程度」(時事)とし、国民に安全性を装ったが、前記のノルウェー研究チームの報告にあったように、放射線の種類によっては“チェルノブイリ超え”が確認されている。

    むしろ、福島第一原発事故は原発事故評価尺度に基づけば、レベル8の段階に達しているのではないか、と訴える米国の原子力科学者も存在する。

    3.11の際、CNNで原発事故のニュースコメンテーターを務めた、アーニー・ガンダーセン氏も その一人だ。CNNのニュースコメンテーターは、その役割において政府の報道官並みにあると断じても差し支えないのではないか。

    ガンダーセン氏は、次のように述べている。

    「津波が襲ってから一週間後、私はCNNに出演しました。私はジョン・キングさんに言いました。福島第一原発事故は地震によって起きたものでもなければ、津波によりディーゼル発電機が破壊されたことが原因でもない。

    衛星から撮影された映像を見ると、津波が海沿いにあるポンプを破壊しているのがわかります。ご覧になれば明らかなように完全に破壊されています。ポンプは元来地震などの自然災害には耐えられるように作られています。しかし津波が襲った後の沿岸部は、金属がねじ曲げられまるで廃棄場のようです」

    そして、原発の冷却機能が停止した理由は津波の到来のみならず、地震の影響も含めた原発屋内の複合的な「ポンプの故障」だと語っている。

    同じような指摘は、例えば今年の3月に東電関係者以外で初めて原発屋内内部に入った川内博史 前民主党衆院議員(元 衆院 国土交通委員長)も発言されている。
    しかし、その報道は翌月に東京新聞が『こちら特報部デスク』の中で詳報しただけで、多くの新聞・テレビメディアは沈黙を守った。

    原発事故発生直後、メディアは どのような報道を繰り返していたかを再現しなければならない。



     日本の原発事故がレベル7の評価を受けた当日、時事通信社は次の記事をネット上に配信した。
    「危機的な状態が続く福島第1原発事故。その深刻度の評価が地震発生からほぼ1カ月たった4月12日、国際原子力事故評価尺度(INES)で最も深刻な事故に当たる「レベル7」に引き上げられた。

     外国メディアは「1986年の(旧ソ連の)チェルノブイリ原発事故に並んだ」(ロイター通信)などと速報。国内からは「先が見えない」と怒りの声が上がった」 2011年4月12日)

    もちろん、政府の圧力もあってか、「福島の米は安全です」「風評被害で苦しんでます」の報道は続いたが、一方で原発事故で緊迫する報道も伝えた。
    では、今は緊迫した事態ではないのだろうか。
    チェルノブイリでは28人の死者を出しながらも1年以内に石棺が完了し大量の放射能漏れは解決したのに比べ、日本は現在でさえ屋内に作業員が入れず水棺の作業へ手を付けられていない。福島第一原発事故には1万4255本の燃料棒が未だに残ったまま。再度マグニチュード7クラスの地震があり原発建屋が崩壊すれば完全溶融することになる。


    東電の汚染水流出も、国際的に日本の事故対応能力に懸念を与えてしまった極めて重大な問題だろう。
    国際科学雑誌『Nature』の記事(2012.11.14)に汚染水問題の解説が載っている。


    「2011年3月、マグニチュード9.0の地震が日本沿岸を襲った。
    (中略)
    原子炉6機のうち、3機でメルトダウンが発生し、大量の放射能が大気中に放出された。事故発生後、非常用冷却水が海へと流出し、汚染が海洋に広まった。

    この原発で海洋へと放出された放射能の量は、過去のどの例と比べても飛びぬけて多い。ウッズホール海洋研究所(米国マサチューセッツ州)の科学者が提示した新しいモデルでは、発電所から漏出した放射性セシウムの量は16.2 x 1016ベクレル(Bq)であると推測されており、これは大気中に放出されたのとほぼ同量である。

    その放射能の大部分が太平洋に拡散し、非常に低い濃度にまで希薄化した。しかし、発電所周辺の海洋では、セシウム137の量は1,000Bqのまま横這いであり、自然放射線量と比べると比較的高いレベルである。同様に事故から1年半が経過したものの、底魚から検出される放射性セシウムのレベルに変化はない」

    周辺の漁業被害は2000億円にのぼる試算もあるという。


    「(略)~汚染の主な原因として神田(注  神田穣太 東京海洋大学教授)が挙げているのは、海底堆積物だ。約95TBqの放射能セシウムが発電所周辺の砂の海底に入り込んでいる。しかし、その到達経路は不明である。砂が直接吸収したかもしれないし、プランクトンなどの小さな海洋生物が放射能セシウムを吸収し排泄物をとおして海底に堆積させた可能性もある。河川からの有機堆積物もまた汚染の原因となっている可能性があると、神田は述べる。どのようにたどりついたかに関わらず、「堆積物中に有機物質が混じっていたに違いないのです」と神田は強調する」

    原発事故は収束したのではなく、「今そこにある危機」であることを改めて認識させてくれる。
    汚染水の堆積物への濃縮が、さらなる放射能汚染を引き起こす。
    そのような、極めて重大な事案を、周辺諸国に事前に通知することなく行った日本政府は 「ここまで劣化したのか」とばかりに国際社会から非難された。

    放射能被害は、原発作業員のみならず、福島県の一般市民をも巻き込み、蝕み続けるだろう。

    文部科学省は、福島県の子供と、他県の子供の甲状腺異常比較調査結果を公表したが、福島県の子供だけ異様に甲状腺異常の数字が低いのは人為的であることを逆に証明している。

























  • 満足度★★★★

    ネタバレかー
    パンフレットに各役者の恐怖体験が書かれており、今回の舞台内容とそれを同列に見ていいものなのか気になった。
    色々な形の恐怖がある中、たまたまこの題材が選ばれた、とも取れてしまう気がする。
    ただ、そうだとするとこの題材が選ばれている意味合いが薄くなってしまうのではないかと。

    ネタバレBOX

    震災当時(と言うかそこから1年くらい)、芝居を観に行くとかなりの打率で予告無くその手の題材が盛り込まれていてさすがに辟易してしまった記憶があります。
    今回の作品はチラシの絵からぎりぎり予告をしている形と取れるし、「身構えていない人にこれを観せたい」という覚悟の元やってるのが何となく分かるので有りか。
    どこまでどう予告するか、難しい問題であると思う。
    ネタバレは避けたいというのも確かにあるだろうし。
    ただ、宣言無しに震災ネタを見せるのは下手すると暴力に等しいと思った事があるのは事実。

    「そうは言っても実際に起きてるんだ。目を背けててもそうだろ!」
    と首根っこ掴んで突きつける様なモノを目指したんだろうな、そう思えたのでただの暴力には感じなかった。


    なかなか当事者でないと考えても見ないことが沢山ある。
    人間はそういう風に出来ていると思う。
    ましてや当事者でも考えられなかったりするのだから。

    話のネタ的にはちょっと特殊な例ではあるけれど、過労死と考えた時、他の仕事をしていても当てはまる事なのかなと。
    目を背けがちな身近な恐怖と言ったらそこまで噛み砕いた方が分かりやすいと思った。
  • 満足度★★★★★

    終わりそうもない恐怖
    チラシのユーモラスなイラストとは裏腹に本当に怖い話。
    無理矢理論点をずらして問題の核心から遠ざかる我々の悪い癖を見事に表現。

  • 次作は、中バコでお願いしたい
    このカンパニーの良さは、キレのある動きなのに
    舞台が小さい分、動きが制約されていたように思う。

  • 満足度★★★★★

    辛いけど面白かった
    チラシの表のイラストと、裏の剣呑な文章のギャップにザワザワするものを感じて、初めてこちらの劇団の芝居を観に行き、衝撃を受けました。

    考えてもしょうがない、と目をそらして生活していても、辛酸な出来事は今も進行形で存在しているのだよな、と改めて考えさせられました。

    ほどよくユーモラスなので「口当たり」よく観てしまうのだけど、ずっしり重い内容でした。面白かった!

  • 満足度★★★★

    蛇足
    恐怖の元はもう始まっている、まさに恐怖です。

    ネタバレBOX

    アフタートークで、作演の古城十忍さんから観客には一時間ぐらい経ってから放射能の恐怖の話だと気付かせたいと思って作ったとの話がありましたが、それならば、チラシの防御服は如何がなものかと思いました。完全なネタバレです。以前、別の劇団で同じようにチラシでネタバレになっていたものがありましたが、まさにこれもそうでした。

    福島原発2号機で事故処理作業に従事している下請会社の作業員の話。年間20単位、5年間で100単位まで許容されている作業員が100単位前後で白血病などの原因でどんどん死んでいくという展開から今の話ではないことが分かります。あと数年後に現実に起こるかもしれないという近未来のストーリーですが、その原因は2011年から始まっているわけです。

    ところで、何作品か見慣れてしまったこともあり、主役がいつも同じ俳優さんなところとか、劇団の特徴であるスローモーションとストップモーションのパフォーマンスが鼻につくようになってしまいました。

    誰かがやらなければならない事故処理作業とそれに絡む問題に真摯に向き合っていて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、ワンパターンからの脱却も考えてほしいと思いました。
  • 満足度★★★★

    痛い
    作者の意図とは違い、感じたのは「痛み」だった。いつも頭のどこかにいてなるべく見ない、触らないようにしているもの。目の当たりにぶつけられているようで・・・。リアルすぎるその内容、よくぞここまでという情報収集力、それを活かしきった作品。舞台構成も上手い。場に違和感無く茶の間の造りが見えない姿に変わっていく。そしてレベルの高い出演者、見応え有りの舞台でした。

  • 満足度★★★★

    高い演劇性を感じさせる
    社会派のお話。相変わらずの見事なムーブも面白く、人物設定もいかにも日本人に有りそうで説得力があった。でも真正面から放射能を取り上げたことで、社会派のイメージが強く出てしまい、この劇団の持つ素晴らしい演技力や構成力がかすんでしまった感じ。残念だ~。それにしても演劇の様々な可能性を次々と打ち出していく手腕はお見事。演出の巧みさに酔わされました。俳優陣の、演出に負けない演技力があってこそのものだと思いますが、うまく噛みあっていて見応えがあった。この劇団はついついハードルを高くして見てしまいますが、(台詞の噛みが一つ有っても気になる)軽々とクリアされてしまった感じ。なんか、悔しい・・・・・。ので、勝手ですが星ひとつ減らしてやる~。

  • 満足度★★★★

    芝居中、別の思考が駆け巡る
    チラシを見ただけでは、どんな恐怖が描かれているのか、予測がつかず、チラシの右の雪だるまみたいな人物の意味するところも、わかりませんでした。

    冒頭、出演者達が号礼のように口にする数字の意味も、固有名詞が話されないので、徐々にわかるようになるまで、時間を要します。

    そして、この芝居の描く恐怖の輪郭がはっきりした途端、今度は、思考は、舞台上のそれではなく、私がこの芝居を観ている今この時にも、作業している方達へと飛んでしまいました。

    この芝居を観ている、一般人の私に一体何ができるのかと、もどかしい思いが心に充満するばかりで…。

    大変、うまく構成された舞台で、役者さん達の演技も秀逸なのですが、演劇として、この作品をどう捉えたら良いのかと、ある種の戸惑いも感じました。

    アフタートークは、ゲストの劇団チョコレートケーキの古川さんの紹介に終始した感があり、まるで、チョコレートケーキの宣伝のような印象でした。
    会場に来ていた客は、今観た芝居の話題を中心にした話を聞きたいのではと思うので、もう少し、そういう方向でのアフタートークであってほしかったと感じます。

    ネタバレBOX

    つい先日も、東海村の事故があったばかりで、本当に、この国の未来には憂えることだらけ。

    自国の事故の尻拭いさえできない政府が、他所の国に、これを買わせようと画策する現実。汚染水や瓦礫の処理の問題、進まない復興支援…。
    解決のつかない難問が山積みで、更にいつまた余震が来るとも知らないこの国で、オリンピックを開催しようなんて無謀な計画もあり…。
    そう言った現実の脅威を心に置いたまま、この芝居を観ている自分の行動の意味づけに苦労しました。

    現場で作業する男達と、その家族に焦点を絞り、登場する人物も、悲劇的なキャラクターにせず、演劇的に、興味を持たせるような、普通の人物像を造型し、観客に興味を持たせつつ、芝居を進行させて行く、古城さんの構成力の巧みさには舌を巻くのですが、過去の出来事ではないテーマだけに、何もできない自分に、無性に歯がゆさを覚え、演劇として楽しむ余裕はありませんでした。

    前回の公演では、悩める母を好演された山下さんが、今度は、一転、原発作業員の夫を作業の犠牲で失う妻ながら、持前の明るさで、悲観的にならない健気な女性像を、巧みに演じられ、お見事でした。

    ワンツーワークスは、役者さんのバランスが良く、いつも感心させられます。
  • 満足度★★★★★

    期待通り!あっぱれ!
    期待通りワンツーワークスらしい舞台であった。
    核心をじわりじわりとついてくる運びは秀逸である。
    社会貢献と生命との相容れない葛藤。それを知りつつ信念を貫いていくが、
    その結果は誰もが知っての通り。茶の間のセットで、現在と回想シーンを混ぜていきながら、男たちの働く姿のパーフォンマンスはとても良い。
    もちろん、役者の皆さんレベル高いのは言うまでもない。

  • 満足度★★★★

    社会派っていうんですか
    原発事故後の話でした。

    『恐怖が始まる』っていうタイトルは、あんまりぴんとこなかった。
    意味はわかるとは思うんですが。

    ネタバレBOX

    事故後の処理の仕事をしているお父さん。
    労災だけど、労災申請すると他の人に迷惑が掛かるからしないんだってさ。下請けだから。そんなのすると仕事がなくなる。他の従業員の仕事もなくなって困るっていう論理。
    大変ですな。意地を張るっていうのも。命がけの意地。そして白血病で死んでしまいましたとさ。

    終演後のアフターイベントで公開ダメ出しってのをやってたよ。演出の古城さんが、劇団員にダメ出しして、返し稽古。それも結構面白かったな。

    泣く演技が嫌いなんですよね。
    最後、みんながこちらを向いて、数を数えるんだけど。泣きながら、あるいは泣くのを堪えながら数える、みたいな人がたくさんいて。そういうのは、なんか引きました。もっと抑えた演技にして欲しいなあと。
    泣かせて欲しいのは、こちらなんだけどなあとも。
  • 満足度★★★★

    何を書いても
    劇を通して見た現実に対する怒りにしかならない。きちんとした取材を基に書かれているからだと思う。いつものことながら俳優さんたちの演技がリアルで細かい。音楽・音声の使い方もうまい。「公開ダメだし」は、見てる方は「ほほーっ」となるほど厳しかったが、ダメだしされた人たちはちょっとかわいそうだったな。特に日暮君(だったか)は、緊張でがちがちになってて、やり直しがやり直しになってなかった。(あ。傷口に塩を塗ったか~)

    ネタバレBOX

    女性からの意見がもっと入っていたほうが良いと思う。今時にしてはちょっと旦那さんに従いすぎな感じがした。
  • 満足度★★★★★

    この上ないクォリティの高さ
    相変わらずクォリティが高い芝居を見せてくれます。
    役者陣の演技力の高さ、演出のこだわりは、他では見られないです。
    奥村さんのよだれを垂れ流しながらの演技は、さすがです。
    女優陣の演技には、生気みなぎる色気がありました。

    この日は、公開ダメ出しなるイベントがあり、古城さんのダメ出しがみれました。
    単に演じることを許さない厳しさ、観客が共感しない演技には妥協しない、素人には超人の域の演技のこだわりでした。
    役者の演じるとは、私のような一般人にとって改めて特殊能力だと実感しました。
    帰りには、展示されていたDVD全種類を大人買い、そして次回公演を予約しました。
    その場で、座席指定&発券という驚きのサービスです。

  • 満足度★★★★

    よかった
    いろんな思想や政治とかは置いといて演劇として楽しめた。

    ネタバレBOX

    初日だったが冒頭の一糸乱れぬ動きは見事。オチも好きである。暗くなりがちなテーマであるが軽快な台詞回しで暗さ一色にはならない。しかしなんだか心の底からは笑えない。それはそこにリアルを感じるからだろう。実際にこういう方がいてそれぞれ葛藤していてドラマがある。うまく描いていたと思う。考えさせられた。
  • 満足度★★★★

    これは,すごいインパクトがあった。
    劇場HOPEで,『恐怖が始まる』を観た。これは,すごいインパクトがあった。冒頭,登場人物による作品をイメージしたスローモーションが印象的だった。

    作品は,ずっと味気ない夫の49日シーン。時間が進むと,そこに絡むように追憶の場面が出て来る。数に執着があって,それは,終始一貫して繰り返された。なぜか,20とか,100とかわけのわからない値が出て来る。健康診断の何かの数値かな・・・

    そのように思っていると,どうやら一人死に,二人死んでいく。でも,会社が生き残って欲しいから,少しばかり労災の申請は遅らせよう。夫は,信念を貫いて,会社に殺されていく。それを,妻は,悲しくも見送ってしまったのだ。

    公演終了後には,演出家によるトークショーがあった。この団体は,多くの社会派の演劇を手掛けていた。私は,内容を事前に調査せず飛び込んだ。最初,このまま延々何が起こるのだろうか。という,そのような苛立ちの中,あ!これは,あの話か。

    それにしても,関係者は,事態解決に相当振り回されて来た。そして,その中で,一番言わないといけない核心には,誰も触れない。それは,現場取材した演出家の感触でもそうだった。まだ,あと一週間あるので,中野にあるオシャレな劇場で,放射能に侵されて死んでいったひとたちの苦悩の物語を観るといい。

  • 満足度★★★

    自分の生き方、信念、誇り
    タイトルや内容からして、気になっていたが、
    時間ができたので、観劇することにした。
    役者陣の熱演、物語の演出は楽しめた。
    上演時間約2時間。

    ネタバレBOX

    東日本震災後の原発県連の作業員を取り扱った芝居。

    原発の現場で働き、白血病になり亡くなった夫。
    未亡人とその家族を描いた物語。
    並行していまだ原発関連の仕事を続け、病に倒れるのを待つ夫を持つ妻と家族を描いている。
    また、政府や会社社会の理不尽さを描いていた。

    作業員たちの「自分の生き方、信念、誇り」を描いていた。
    「誰かがやらなきゃいけないんだ。俺は逃げない。そんな卑怯な生き方はできない。」と亡くなった旦那が話すシーンがあった。

    しかし、彼が白血病に倒れ、亡くなる前、1人病院のベッドで
    声を殺して泣いていた。
    自分でみないふりをしていたものを最後に直視し、後悔していた。
    これは死後に妻が語ったものである。

    また、「会社から仕事がなくなるから、労災申請しないでくれ」と言われ、
    仲間のことを考え、申請しないことを語るシーンも心に残る。

    原発社会に対する問題提起の物語だと思う。
    観ることにより自分なりに考えさせられる内容である。

    最後は、もう一方の妻の夫が倒れるというところで物語は終わる。
    繰り返される悲劇。
  • 満足度★★★

    むずかしい、、、
    作品が難しいのではなくて、評価が難しいです。
    真面目な姿勢には共感しましたし、役者さんの熱演は凄いと感じましたが、
    舞台としては面白く感じませんでした。

    ネタバレBOX

    こういう社会的なテーマに向き合おうとする姿勢には、とても共感します。
    そして、それを演じる役者さんの熱量も凄いものがあったと思います。

    ただ、舞台として面白いとは感じませんでした。
    その点は内容としてひっかかった部分とも重なります。

    それは最終的に一つのメッセージを物語るために脚本ができ、演出がなされていたということです。
    勿論、単純なメッセージだけの作品だったとは思いません。多様な意見をそれぞれの役に語らせてはいます。ですが、最終的には何が言いたいのかというのが常に透けて見える。
    それこそが、批評性なのだと言われればそういう立場もあるとは思いますが、
    私にはその点は共感できませんでした。
    それは、演劇的にも、内容的にも。

    ひとつのメッセージに作品が収まってしまっては、
    まず演劇的な面白味が削がれる。次に解釈がとても狭いものになってしまう。
    そして、何より、世界はそんなに単純なのかと思ってしまう。

    私個人は、反原発支持です。ですので、この作品で語られていることなどは、本などで読んで知っています。国や東電などの暴力は本当に酷いと思っています。
    そういう権力を糾弾する在り方は必要だとも思っています。
    ですが、現実問題が抱えている複雑さは、そんな単純なものではない。
    だから、3月11日以降、様々な考え方・立場・置かれた状況の違いでいさかいが絶えない。
    この作品も、そのことをテーマにしているのだと思いますし、ある部分では、とても上手くそのギスギスした人間関係を描いているとは思いました。ですが、それでも最終的にはこの考え方が正しいという価値判断が事前に作り手の中にある作品だという気がしました。それでは、共感する人はうなずき、共感しない人は反発し(そして興味のない人は観にこない)という対立構造を助長することにしかならないと思います。

    利権が絡んだ国や財界の暴力構造を悪と断じるのに異議はありませんが、
    悪意のない人と人との間でも、正義と正義が対立している。それが、今回の原発問題のもう一方の最重要課題だと感じています。

    この作品では、様々な立場の意見は出てくるけれども、最終的にはどちらが正義だというのがはっきりとある。

    私が観たかったのは、むしろ、今までの自分の考え方とは違う立場の人にこそ強く共感してしまい、今まで自分が持っていた価値観やそれに基づく正義が揺らいでしまうようなものでした。どの立場の人でも揺らいでしまうような。

    ただ、これは作品観の違いなのかもしれませんね。
    メッセージがあった方がいいのか、ないほうがいいのかという、、、。
  • 満足度★★★★★

    淡々と
     この国で価値とされてきた、美徳とされてきたものの内実が、その内部から瓦解してゆく姿を淡々と描いて秀逸。(追記 5.26)
     

    ネタバレBOX

     現在、この「国」の緊切な話題は、無論、原発人災をどうするかだ。この難題に立ち向かっている原発労働者、それも下請け労働者とその家族が主人公である。作品の作者は、元ジャーナリストだから、そういう視座からこの物語を作り、演出している。従って、人々の私情が矢鱈入り込む余地は予めない。その突き放した作風こそ、この作品の成功の秘訣だろう。科白も恰も取材者が、取材対象から得て来たドキュメントを構成したような作りになっていると言ったら分かり易いだろうか。
     放射性核種の齎す恐怖を描く以上、原子物理学の知識も無い者にその恐怖を理解させることは愚か、想像させることさえ、かなり難しい。放射性核種は、我々の五感では一切捉えられないからである。目に見えないだけでも、それがどういうものか想像させるのは、共通認識がなければかなりの困難を伴うだろう。まして、放射性核種となれば、世界中の推進組織が必要なデータを隠す。或いは歪曲化したり、わざと間違った情報を流す等々の工作をしているのだから、大抵の人は何を信じていいのか分からない、などということになりがちだ。その場合、訳が分からない物・事は、漠然と怖くても、実際には、自分が何を怖がっているのかも定かでない為、大抵の人は、忙しいと逃げを売って忘れたことにしてしまう。
     一方、物理的な事実は、その条件下では無論絶対である。地球上で物が、落下する場合の加速度は、4.9S²である。これは、地球上であれば、どこでも通用する。音速は331+0.6T、Tは、常温で15度cを意味するから、音速は秒速340mと考えるのが基本である。こんなことは、義務教育で総て習ったことなので、今更態々繰り返すのも愚かなことだが、誰でも知っていることを例に挙げた。
     所謂「専門家」が、「素人にはわからないのだから黙っていろ」などと暴言を吐きつつ、己がどんなに馬鹿げたことを言っていたかと言えば、例えば原子力安全委員会委員長であった、班目春樹が、どれほど、頓珍漢で愚かなことを言い続けていたかを見れば、明らかだろう。原則を見、原理を知り、自分の頭を明澄性の中に置くことを知って、正しく推論するなら、例え、専門の学校など出ていなくても正しい推論は立てられるものである。それが出来ないのは、前提に間違いがあるか、推論に間違いがあるか、計測すべき何かを計測していないなど初歩的なミスを犯しているかであろう。
     この作品は、淡々と避けられない被曝を描くことによって、それが、何を破壊し、破壊される恐怖が、どんなに人間関係をズタズタにするかを描いている。劇場に入ってすぐ気付くのが、原発建屋を模した幕で、無論、上部は、金属が錆び、折れ曲がったフェンスのようになっている。ニュースの映像で、今は誰でも知っている事故原発の外部だ。
     安倍内閣のいうような楽観的なことは、2年以上経った今でも、何一つ言えない。そのことを胸に刻んで、生命総てに害を齎す核というものに想像力を働かせたいものである。


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