Caesiumberry Jam 公演情報 Caesiumberry Jam」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-20件 / 45件中
  • 満足度★★★★★

    哀しく、美しい。
    この類の原発や戦争モノはどこかメッセージが強すぎたり、暑苦しかったり、胡散臭かったりしてしまうのだが、この作品にはそれがない。安心して眺めていられたし、安心して哀しめ、感動できた。

    ネタバレBOX

    最後舞台上に机とイスだけ残される所が、ものすごく哀しく、感動した。


    カーテンコールがないのが寂しいが、「誰もいなくなった」ということを表現する上ではあの演出は必要だし、死んだ役を演じた役者が最後出てこないところにも谷さんの意図があるのだろうと終演後自分で納得した。
  • 満足度★★★★★

    まぁ、そりゃあもう
    恐ろしいほどの完成度。劇場の中と外をくっつける演出(始まり方も終わり方)は良くも悪くも効いていた。おもしろかったか、どうか。そっちじゃない感想ばかりになっちゃうのがある意味残念だけど、それだけでは語れない内容であることは確かだし、どこの演出が駄目でとか、どこが良くてってのも語れないほどきっちりと完成されている。そういう意味では遊びの部分が少ないのかもしれない。観てる側の想像で遊ぶ部分。まぁ、この芝居にはそんなのはいらないのかもしれないけれど。

    ネタバレBOX

    時が経つに連れて、あまりにも性格が豹変し過ぎていると感じる役柄の人もいたけれど、それも狂った日常にい続けたら、そうなるのかも??という範疇。ただ、一個気になったというか、それはどうなのだろう??と思ったのは背景映像に写真を使ったところ。この意図だけはどういう狙いだったのか聞いてはみたい。あれだけ、個人的には違和感があったんですよね。でも、やはり言えることは素晴らしかった!!
  • 満足度★★★★★

    人間幸福の脆弱性とそれでもの希望
    盟友谷賢一氏の劇団DULL-COLORED POPの再始動記念公演である。

    再始動記念公演だから、気持ちを新たに新作をというのが普通人なら考えそうなことだが、谷くんは、再演を選んだ。

    2007年の作品の再演だ。

    もちろん、福島原発の事故があってという現状を鑑みての判断だろう。

    しかし、作品で描かれる「人間幸福の脆弱性とそれでもの希望」は、福島の原発事故とは切り離されてそこにあった。

    ネタバレBOX

    当然、福島原発事故に遭遇してしまった現代日本の我々としては、この作品で描かれるチェルノブイリの事故に対して、作品内における書かれようとはまったく関係なく親近感というか臨場感を覚えずにはいられない。

    だが、僕がハッとさせられたのは、堀奈津美さん演じるリューダを取り囲む物語と、その物語を背負うにふさわしい堀さんの青白く孤独に屹立した佇まいだ。

    誰もが享受すべきささやかな幸せであったはずのモノが、1つの事故をきっかけに召し上げられる。

    享受すべき幸せを召し上げられたリューダの切なる思いは、空間をゆがませるほどの磁力を持った…本来享受するはずであった幸福の到来を待つ思い…狂気に変わる。

    その空間をゆがませるほどの狂気は不幸であるはずの現実を侵食し、ついには奇跡的な反転をもたらし…ハッピーエンドとなれば、「班女」に代表されるような能にいうところの狂女物の変奏となったところだが、この話では、そうはならない。

    リューダの思念をもってしても、現実は反転しえない。

    いや反転しえたのかもしれないが、それを許さない客観性…ゴゴの視点、あるいは作家自身の、あるいは観客の視線が、「本当はあんたは不幸なんだよ」とリューダの夢を覚まそうとおせっかいをやく。

    最後は、そのお節介を拒否したリューダの世界が観客とゴゴを拒絶して幕は下りる。

    リューダの思いに接続しかかった観客は拍手もない世界に押し出されて、客席=現実という本当の絶望の中に帰還する。

    「Caesiumberry Jam」は原発事故の悲惨さを描いた話ではない…こともないのだろうが、僕はこの作品から、絶望すべき世界(原発事故があろうがなかろうが絶望的な現代)を前にしてリューダのように思念によって(あるいは演劇によって)これを反転させようとする谷賢一自身の企みを読みとり、しかしそれでも、その企みは敗れるだろうという諦めにも似た凍える現実認識を読みとった。

    そして、これは原発問題やら何やらが起こるよりも前からの僕らの現状認識に他ならない。

    なにをやろうが僕らは敗北するしかない。

    再出発にあたって、なによりもまず深い現代の絶望を描いた谷賢一が今後どのように希望を描いて行くのか、とても興味がある。(谷賢一が希望を失っていないのは結婚したことからも明らかである。いや、あるいは希望を失わないためにこそ結婚したのかもしれない)

    ますます目の離せない人物である。

    それはそうと、堀奈津美さんが体現する静かで動くことのない狂気、「待つ」ことの狂気は刮目すべきであるが、それは何よりも彼女が本当に、自劇団の再開を「待ち」望んでいたこととも無縁ではないように思う。放射能の中で思念の子供(別の男の子供)として生を受けた新生DULL-COLORED POPの今後が非常に楽しみである。
  • 満足度★★★★★

    絵画の様でもあり映画の様でもある
    劇場の使い方がうまい。会話が同時にいくつも交わされ、どこを見ていていいのか迷うほど。
    前半は明るく、村の人々の姿が描かれているがだんだんとシリアスになっていく。

    脚本の内容がすばらしいのは言うに及ばずだが、演出もうまい。
    役者も老若男女とそろっていて、見所満点であった

  • 満足度★★★★★

    3.11に印象が多少変わったのだろうけれど
    原発事故を通じて、
    その場、その時間に生きることの感触が
    伝わってくる舞台でした。

    どうしても、震災のことがあって、
    伝わってくるものの色が染まってしまう部分もありましたが、
    でも、それとは関係ない
    たくさんの想いにも満たされました。

    ネタバレBOX

    観終わって、作品のシーンがランダムに思い出されると、
    写真の時間を過ごした村人たち一人ずつへの愛おしさと、
    その時間の繋ぎ止めようのないことへの切なさが
    ゆっくりと降りてきます。
    その感覚は曖昧なものなのですが、
    ずっと居座りつづけていて・・・。

    写真の使い方も秀逸、
    役者はそれぞれにきちんと人間なり猫なりを
    その場に住まわせる力があって。
    中でも、終盤の堀奈津美さんのお芝居には
    狂気を凌駕してその世界に観る側を導くだけの切っ先があって
    言葉を失いました。
  • 満足度★★★★★

    自分ならどうするのか
    過去の事故をモチーフに、放射能汚染された地域がいかに無視され、いかに滅びていったかを描いています。ジャーナリズムとは違う演劇のおもしろさは、目の前の役者の台詞、動きを見ながら「こういう立場に立ったら、自分はどう行動するだろうか」という想像力を、リアルに駆使できることです。この芝居は、舞台の特性を最大限生かしています。

    この芝居のよさは、人々の心の豊かを深く表現している点です。豊かなものが、実感を持って失われていくところに悲劇がある。だからこそ忘れられない芝居といえるでしょう。タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」を思い出しました。

    ネタバレBOX

    土といすだけのシンプルな舞台装置ですが、高度に計算されています。細部の話ですが、カメラやバッグをもう少しプロっぽいものにするとか、役人が小成金的な時計をはめるとか、小道具を工夫するのも面白いかな、と思いました。ベリージャムを煮て、時折、わずかに香りを感じさせるのもありうるかと。ベラルーシやロシアではそんな感じのにおいがするのです。
  • 満足度★★★★★

    あわわ
    この作品を4年前に描いていたという事実が恐ろしい。

  • 満足度★★★★★

    すっげー、芸術的っっ
    きちんと調べて、まとめ、作り込まれた芸術的な脚本。登場人物になりきって観客を舞台にのめり込ませる確かな役者陣。同時多発的に風景が演じられそれが一つの画として魅せる、緻密で壮大な世界を浮かびあがらせる演出。圧倒された。自分の感性に響く、凄まじい公演だった。刺激的。美しい。でもわかりやすい。見れて良かった。良い芝居を見るとシビレル。

    ネタバレBOX

    チェルノブイリ原発事故現場から30キロほど離れた村の事故前から2005年までの風景。一人の日本人カメラマンは、その暗くて重い灰色な村で明るく過ごす村人達の風景を切り取り、話を聞いていく。年を経て村を度々訪れる内に他人事とは思えなくなってのめり込んでいく。村人達はある者は死に、ある者は去り、ある者は残り続ける。

    驚くことに物語の終盤まで、放射能やチェルノブイリという言葉は出てこない。今でこそ当たり前に知ってるセシウムは、初演時はほとんど浸透していなかった。でも非言語的に、または言葉の端から伝わってくるただならぬ空気。これを5年前の初演時に作ったのがすごいし、今やるのもすごい。

    「3・11」を知った我々の目の前に繰り広げられるのは、明日の我が身かもしれない登場人物たちだ。同じ状況におかれたその時、私達はあの楽観的に最後まで自分達の故郷で生きようとし続けた村人のように笑えるのだろうか。ノンキにこの芝居を見ることは今の自分にはとてもできない。

    チェルノブイリ事故当時ですら、風に乗ってセシウムは日本にまで運ばれてきている。いわんや、「3・11」以降、日本は現在進行形の非常時だ。でも、テレビで「人体にただちに影響はありません」と繰り返され安心してしまう周囲の人たち。あんなに毎日四六時中流されていた福島の原発の現状は、もうテレビではほとんど報道されないのに。東京で被爆することを恐怖する自分は、考えすぎだと笑われる。でも、怖いのだ。だから、作品に登場する人達の、無理矢理にでも明るく振舞う様子を見て、その生々しさに、どうかみんな逃げて、生き延びてくれと、切に願ってしまう。そんな事を思わせるほどリアルだった。

    「朽ちていった命」という本で、被爆するとどんなに苦しいか読んだ。作品中にも、終盤、事故当時に苦しみながら亡くなった消防士が描かれるが、苦しみを想像すると息苦しい。願わくば「3・11」前にこの作品を見たかった。今、見ると、衝撃が大きすぎる。

    カラーパンフレットを買った。どうしても、自分は「原発」と「自分の現実」と重ねてしか作品を見ることは出来なかったが、世界を限定せずに、感性で捉える事で広がる演劇を信じる作家の魅力から、芸術の力を感じた。活動再開したDULL-COLORED POPからは今後も目が離せない。
  • 満足度★★★★★

    20110819
    素晴らしいの一言。目の前で起こっていること、まさに演劇を見た。これを今年がタイムリーだからと言って見逃した人は勿体ない。当日パンフレットが本当に素敵。

  • 満足度★★★★★

    お土産(宿題)一杯、胸一杯。
    たくさん貰って帰って来たって感じで、言葉に困っています。

    特に、コミュニティを拒絶して生きてきた人。
    コミュニティに拒絶されて生きてきた人。
    自分の愛情に自信が持てない人。
    ぜひ、観てみてください。
    もちろん、答えなんて出ないんですけど…。
    でも、自分の世界に今まで無かったものが、伝わって来るんです。

    登場人物は多いので、早めに座席を確保してパンフでの予習をお薦めします。

    それにしても。
    谷さんの演出は、前回の「モリー・スウィーニー」を経て一周り懐が深くなった気がします。
    ニビ色が深くなって行くと何色になるのか、楽しみです。

    ネタバレBOX

    確かに御題はチェルノブイリですが、あくまでも要素の一つと感じました。

    人智の無力と組織の不条理は、古今東西世の常。
    でも「分かっちゃいるけど離れられない、愛着や愛情」について、こんなにズッシリ伝わって来たのは初めてです。

    ドキュメンタリーじゃなくて演劇だからこそ、これが出来るんだと思います。
  • 満足度★★★★★

    今でもどこかで起こっていそうな
    今、日本のどこかで起こっていそうな、今後、日本のどこかで起こりそうな話でしたね。恐ろしい。初演は見ていませんが、今回の方が絶対にインパクト大なはず。

  • 満足度★★★★★

    パンフレットも ぜひ
    今日と、
    いつかの後の日にと、
    で、観て感じることが違うかも知れない と、思う 公演な気がします。

    この舞台を、 観たほうが いいと思います。

  • 満足度★★★★★

    フィクションだけれど…
    限りなく現実に近いんだろうなぁ…と思うのは、今だから?
    4年前に観ていたのならそう思わなかったかも。

    役者さんたちはみんな素敵。
    中でも堀さん中村さん石丸さん百花さんたち女性陣が特に。

    観ている最中よりも、後からいろいろ考えさせられる。

    終演後の舞台を眺めていたら切なくなった。

    ネタバレBOX

    上下左右は朽ちたような木材で囲まれ、背景は白い布、舞台上には土が。
    開演前から、どんな光景が繰り広げられるのかワクワクする。

    2人がネガを光にかざすとバックの白い布に背景が映し出され、当時に。
    前半は希望に満ちて明るい笑いが。
    話が進むにつれ残酷な現実(ではないかもしれない)をみせつけられる。
    「わたしはしらなかった」なぜだかとても胸がざわざわする。

    始め、「今」の場面では土がよけられて白い場所になっていたが、いつの間にか過去と同じ土の上に。
    今は過去のあの場所と同じになっているのか・・・とぐるぐる考えるが、よく分からない。

    観終わってから、無性にくるりのWORLD'SENDSUPERNOVAが聴きたくなり、聴いて少し泣いた。
  • 満足度★★★★★

    すっきりとした後味の悪さ
    待ちに待ったダルカラの再開公演。まずは復活おめでとうございます!

    内容も期待を裏切らない、素晴らしい作品でした。
    パンフレットも是非手に入れてもらいたい(笑

    ネタバレBOX

    どこまでが戯曲でどこまでが真実かがまったく分からない(笑

    終わり方は暗転後カーテンコールも後説もなく「えっ、あっ終わったんだ・・・」と言う感じ。
    劇場を出た後もなんだか芝居を引きずっている。
    「舞台が終わっても、登場人物の生は続いている」と言う狙いの演出なら、栗山民也の「かもめ」を彷彿とさせる。

    帰りの電車でカラーパンフレットを見ると、登場人物一人ひとりが実在しているようで、これが実際の話かと思うとぞっとした。
    と同時に谷さんの緻密な取材に敬意を表した。

    が、これを書くにあたり、パンフレットにある日本人写真家の名前や作品を検索するも、全くヒットせず。
    果たして真相は如何に!?

    あのパンフレットすら戯曲の一部なのか!?
    現実的な嘘か、嘘のような真実か。
    どちらにしろ、やはりすごい演出だと思う。

    タイムリーな話題でもあり、必ず見て欲しい。
  • 満足度★★★★★

    ( ゚д゚)ポカーン
    ↑抜け殻のワタス
    ★が5つでは足りないのですが。。。w
    2回だった予定が結局5回も観たw
    なのにもっと観たいw
    そんな作品でした。

  • 満足度★★★★★

    現実よりリアル
    今、僕たちが感じている原発への危機というのはすごくうっすらで現実味がないのだが、この芝居は村の最期までを描いているため、現実的だった。また、危険な状況の中でもたくましくキラキラと生きる人々というのがまた今の僕たちとは違う感じがした。それは僕たちが福島にいないからだろうか。ともかく、現実味のない今の僕たちにとって、知るべき生と痛みだと思います。

    個人的に今までで一番新しくて愛らしい塚越さんを見ました。豆のシーン大好き。

  • 満足度★★★★★

    チェルノブイリ原発事故のその後を題材に
    舞台には湿った土が盛ってあり、この土が壁をスクリーンに見立てた映像に見事にマッチしてリアルな雰囲気を醸し出す。映像なくして物語は成立しないほど、時の流れの残酷さを描写していた。登場人物の名前から察するとやはり場所はロシアの片田舎ナジロチ。原発事故から30km離れた村での情景を綴った物語。クリニカ演じる中村梨那の子供子供した元気溌剌な表情や行動がとっても素敵だ。ナターシャ役の石丸さち子のおっかさん的な演技力が群を抜いて秀逸。惜しむらくはジーナ役の加藤泰子が少々あがってたようでカミが目立ち、ギクシャクしていた。後半は良くなると思うが・・。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    前半、コメディかと勘違いするほど、笑いのネタ満載。後半はゆっくりと弧を描くようにシリアスになっていく。こういった構成は相変わらずお見事だった。

    1986年5月、原発事故は起きた。そこから30km離れたナジロチでも禁止区域のようだが、ここにこっそり数家族が暮らし、自らで学校のような場所を確保して子供たちの教育もしていた。舞台の始まりは元気な彼らが和気あいあいと暮らす情景を描写し、いかにもヨーロッパ的な香りで舞台を満たす。

    そんな彼らを使者(保健省の小役人)が視察し指導をするのだが、言う事を聞かない住民はいつものように数種のベリーを採取してジャムを作り食し、木の実でワインを作り飲んで人生を謳歌していた。タイトルのセシウムベリージャムは、高濃度に汚染されたベリージャムという意味だろう。

    クリニカは六指の手を持ち、うさぎは片足の奇形が生まれ、やがて誕生した新生児は、無脳症だった。無脳症児は妊娠26日くらいにビタミンAの大量投与、葉酸の摂取不足が一因と言われているが、セシウムでもなるのだろうか?

    やがて、彼らはひとり、またひとり・・といなくなってゴーストタウンと化してしまう。愛していた夫を失ったリューダの想いや彼らと関わった思い出をカメラマンの記憶として描写した劇だったが、悲惨な景色や獣奇的な風景はない。ただただ淡々と綴っていった物語だ。人々がそこで暮らし、笑い、酒を飲み、幸福だったそれらが崩壊していくさまをまるでドキュメンタリーのように描写していた。その写しには作家の意図は何も感じられない。また訴える言葉もない。けれどその静かなる叫びはそれで充分なのだ。

  • 満足度★★★★★

    Caesiumberry Jam
    面白くもあり上手くもある舞台。
    1986年の大事故後、30km離れた農村に生きる人々の生き様を、薄暗く映し出す快作だった。

    開演前の舞台は一面敷き詰められた土と1台のテーブルというの質素なつくりで、観劇後は小道具が散乱し、荒れ果てて誰もいなくなった寂寥感が充満していた。

    タイトルの「Caesiumberry Jam」。なんとなく惹きつけられる響きだった。

    ネタバレBOX

    大事故後のナジロチ村を取材したカメラマンと、民生委員が2006年の東京から写真を通して過去を掘り返す。そこには、大事故で深い傷をおった(負いつつある)明るい村民の姿があった‥。
    この過去への遡りが、1991、1993、…というように間をあけて行われる手法でとても上手いと感じた。その間の描写をなくすことで時間の経過をしっかりと表現し、村から人がいなくなる場面を際立たせている。

    序盤から明るくpopな空気でもあるが、その後ろにある凄惨な事実がいつ顔を出してくるのか、恐る恐る観ていた。終盤のリューダ(と夫)のくだりとか、一番恐ろしかった。

    演技はみな上手いと思うが、クリニカ役の中村梨那の子供演技が特に素晴らしかった。あと、ナターシャの石丸さち子。いや、みんな上手いんだけど。
  • 満足度★★★★★

    濃密な時間
    堪能しました。
    ストーリーにぐいぐい引き込まれました。
    重いストーリーを重く感じさせず、かといって軽くする訳でもない微妙なバランス感覚が絶妙。役者陣も素晴らしく、濃密な時間を楽しむことができた。

  • 満足度★★★★★

    ダルカラ復活

    DULL-COLORED POPの劇団活動再開記念&第10回記念公演は、『Caesiumberry Jam』の再演。

    原発事故以降、演劇でも色々な劇団が原発関係の芝居を上演したようだが、

    8月、ちょうどセシウムがニュースに上がり始めた時期のこの再演。



    チェルノブイリ原発事故を題材にしたこの芝居、初演の時以上のインパクトがあった。



    なにより、役者の人数が増え、よりアンサンブルの芝居が強化されていた点が印象深い。



    沢山いた村の住人たちが、芝居が進むにつれ徐々に姿を消していき、舞台上の人口密度が減っていく。

    たいした説明もないままに人が消えていく様は、不気味以外の何物でもない。



    子供たちは、老人は、どこに消えていったのか。

    それでも村に留まり続ける人々。



    そういった光景が、土の敷き詰められた舞台の上で展開される。



    上演終了時、カーテンコールをせずに観客の拍手を一切拒絶する谷賢一らしいやり方は、

    芝居を「見世物」でなく、3月11日以降続く我々の問題として観客に持ち帰らせる。



    チェルノブイリの、放射能に汚染された土は、地続きで客席の我々の足元にも広がっているのだ。



    実に鮮やかな演出。

    いい芝居であった。

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