『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』 公演情報 『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-20件 / 34件中
  • プルーフ/証明
    丁寧に
    積み上げられた
    ぎゅっとした
    座組み

  • サイコシス
    作者が演出家であり主演俳優でもあったこの舞台は、谷氏のかっこよさをもってしても(かっこよすぎたのかもしれない)谷氏の内面の葛藤(かっこいい)を修飾して(そんな気がしました)出力するだけのモノにしかなっていなかったように感じました。

    俳優と演出家が分かたれた状態でこそ観たかった作品、と思いました。
    純粋さがその純粋さによって時として悪魔のような残酷さへと変わってしまうような。

  • 満足度★★★★

    サイコシス。
    追記することもなさそうなのでいいかと思ったけど、記録に残したいので。
    サラと医師とのやり取りにぐっときた。大泣きしそうで怖かったので自分の中からもう一人ピョコンと引っ張ってきて、その子に監視してもらう。そうして悲しみと並びつつ、涼やかに明るく楽しむモードで観ました。演出がこれでもかこれでもかと面白くて遊園地にいる気分。
    好きな場面は風船を火で割るところ、天井の照明でサラを追い詰めるところ、傷を全身につけるところ、悲しみをどんどん着こんで太っていくところは、マイナスを足してゆくことでプラスになり悲しみが飛んでいったようだった。いつかもう一度観たい作品です。

  • 満足度★★★★★

    瞬間の芝居
    『プルーフ/証明』はわかりやすい。ストーリーがもう評価の確定した本である。とはいうものの誰がやっても面白いわけではなく、あの水準に、持っていった谷賢一は当然評価されるべきだ。だが、それよりも何よりも、『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』にこそ注目すべきである。

    ネタバレBOX

    ちなみに、これを観た後に僕が見た演劇は

    ハイバイ『て』

    砂地『ナノクライシス ポルノグラフィ』

    五反田団『生きているものはいないのか』

    五反田団『生きているものか』

    だが、どれもすばらしかったが

    そのどれよりも、素晴らしかったのは表題の

    DULL-COLORED POP『心が目を覚ます瞬間 ~4.48サイコシスより~』

    だと思う。

    最近で言うと、野田秀樹の『ザ・ダイバー』日本バージョンに匹敵する。

    つまり、世界標準であろうということだ。

    そして谷賢一が、この演目を単体でやったのではなく

    もうひとつの『プルーフ/証明』と抱き合わせ販売したというのがナメている。

    演劇をなめきっている。

    そしてナメキルだけの才能があることを証明した。しやがった。

    このすごさがどれだけの人がわかるだろうか。

    本人も総括を書いてしまったので、

    なんだか後出しじゃんけんみたいなことになるが、

    『プルーフ/証明』は連続時間の芝居

    『心が目を覚ます瞬間 ~4.48サイコシスより~』は瞬間の芝居

    その両方をやれますよーみたいな演劇を舐め切ったことをしたのである谷賢一は。

    そして舐め切れることも証明した。ひどい(笑)

    ちなみに、「連続時間の芝居」と「瞬間の芝居」をわかりやすく言えば、「ストーリーのある芝居」と「ない芝居」、あるいは「映画になる芝居」と「映画にならない芝居」というか「映画になるかもしれないがなったとしても人の入らない芝居」(笑)とでもいおうか。

    それこそ、「連続時間の芝居」は丹念に表現することが求められる。そこに必要なのは忍耐であり、苦痛を我慢することであり、大人の目をもつことだ。一方、「瞬間の芝居」はすべての観念から自由になることが求められ、逃げ続けることが求められる。そこで必要なのは、わがままになることであり、少しの苦痛も我慢しないことであり、子供の目をもつことだ。

    『プルーフ/証明』では、登場人物たちの心の交流変化、ストーリーに感動する。

    『心が目を覚ます瞬間 ~4.48サイコシスより~』では、人間の想像力が自由であることに感激する。

    僕は、谷さんと堀奈津美さんが服を着こんでいるところとか、風船を割るところとか、まきちらすところとか、思い出すだけでも泣けてくる。何に泣けるかというと、自由であること、そっせんして自由であること、自由には無限の可能性があること、だがその自由にさえ終りがあること、終りがあることなんて谷賢一は十分わかってる。わかってるがそれでも自由であろうという精神を体現しようとするところ、ドンキホーテであろうとするところ、泣きながら、そして笑いながら上りつめる、…いとおしい人間と言うちっぽけな魂を抱きしめようとする行為、僕は、あの瞬間に世界が終っても満足したと思う。そんな芝居であった。

    谷賢一はもう演劇の世界に戻ってこなくていいよ。怖いから(笑)

  • 満足度★★★

    心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~
    目を覚ます瞬間だけ、なのか???構図がみえたとはいいがたいが、なにかをかんじさせる。堀さんがきれい

  • 心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~
    こちらは全く理解できなかったです、残念ながら。

  • 満足度★★★★★

    プルーフ/証明
    震えました。
    今のところ、今年No. 1かもしれない。

  • 満足度★★★★★

    忘れられません…。
    「プルーフ/証明」。
    2度目、観に行っちゃいました。
    強く、強く、鷲掴まれています。
    この父娘がもの凄く愛おしいです。
    何故でしょう。

    ソフィー・ジェルマン素数。
    この話をしているときのキャサリンの瞳。
    きっと忘れないと思います

    キャサリンの手。
    黒いベルベットのドレス姿で、ハルの背中に回したキャサリンの手。
    寒い自宅の庭で、父を触る時のキャサリンの手。
    きっと忘れないと思います。

    パスタと機械とラジエター。
    「笑い」と「数学者の頭脳」と「狂気と、それに気が付く自分」。
    きっと忘れないと思います。

    楽日の空気のなせる業でしょうか。
    父親役の中田さん。
    この日は前半から、遊びましたね。
    それも素敵でした。

    キャサリン役の清水那保さん。
    父親ロバート役の中田顕史郎さん。
    姉クレア役の木下裕子さん。
    ハル役の小栗剛さん。
    翻訳・演出の谷賢一さん。

    ダルカラ。

    皆さんの仕事、これからも見続けます。
    いつの日にか、必ずこのカンパニーで戻ってきて下さい。
    待っています。


    劇場のレビューなどはコチラをご覧下さい。
    http://ameblo.jp/potes-impressions/

  • 満足度★★★★

    『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』を観た
    正直言ってサラ・ケインにはあまり興味がない。読み進めてしまうとこちらの精神が捕り込まれてしまうからだ。笑

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX


    しかし、ワタクシの意に反して「4.48サイコシス」を観る機会は多い。(^^;)
    たぶん、この戯曲は、読む者を惹きつけてやまないし、演出家をも惹きつけてやまないからだろう。
    謎めいた数字を冠した精神病(サイコシス)を表題とするこの作品を観ているうちに、ワタクシ自身がいつしか数字に囚われて100から7を引いた数を数えてたりする。(苦笑!)
    原本はわずか数十ページしかない戯曲で配役もなく台詞の振り分けもなく、詩のようなことばが散らばっている。サイコシスな女性と医者と思えるような人物が登場し、そして点線・・・・・・・・・のみ。

    作家は4時48分に目覚めてこの遺書のようなものを書いて鬱と自殺願望にとりつかれて自殺した。

    そんな危険で奇妙な魅力を矛盾や混乱で表現していた舞台だったと思う。この物騒な戯曲は演出家の感性で表現するしかないのだと思う。そしてその表現が頂点に達したとき鋭利な刃物のように私たちの心に突き刺さる。

    今回の登場人物はサラ・ケインとサイコシスな女性と医者と思えるような人物の3人を二人が演じる。

    ただ私感だがサイコシスな女性役にはもっと痩せた病的なキャストが欲しかったところ。今回の戯曲はキャストとその空気感で完璧なものになる。
    やっぱ、何かに摂りつかれたか・・笑



  • ひととひととがぶつかって
    花火のようでした。小栗さんがカーテンコールで足が立たなくてふらふらだったのに感動してしまった。

  • 満足度★★★★★

    祝福されたる未来の証明
    ほとんどイスとテーブルぐらいしか何もない舞台で4人芝居。2時間半。音楽の使用も最小限だ(というかあったか?思い出せない)。そんなんじゃ、ふつうはもたない。空間的にも時間的にももたない。もちろん出演者が、寺島しのぶとかなら別だが、小劇場程度の人間がいくら出てもふつうはもたない。が、もたせた。そこがすごい。そして、あの世界がもった理由。それは、ひとえに、清水那保。そこにつきる。

    僕は「小部屋の中のマリー」からしか谷さんの芝居を観ていない・・・あ、柏でやったロミジュリが一番最初か・・・まあダルカラを観たのは「小部屋の中のマリー」からなので、清水さんを観たのもそれからなのだが、僕は不思議な感慨をもっていた。

    ・・・谷さんは劇団の主演女優・清水那保をうまく使えていないんじゃないか・・・という感慨。

    「小部屋の中のマリー」のマリーはハマリ役のように見えるが作りものな感じがどこかある。それはブランヴィリエ侯爵夫人も同じ。清水さんの芝居には常に作りものの感覚があった。谷賢一の要求水準(演技の要求水準ではなく物語にかかわる「存在」としての要求水準)があまりにも高いため、清水那保ががんばって背伸びをしているという感じが常にあった。

    しかし、『プルーフ/証明』のキャサリン役。
    今回はどんぴしゃりと過不足のないハマリ役になったと言っていい。
    数式でいえば「キャサリン=清水那保」だ。

    ネタバレBOX

    (中略)

    わからないが、谷賢一は、劇団活動を休止するギリギリにして、はじめて清水那保を100%使うことのできる演目を見つけることができたのかもしれない。nを無限大に飛ばした。これは偉大なことだ。毎回自分を100%出したり、他人を100%使えたりしているなんて思うバカは死んだほうがいい。自分が自分であることに人は迷い続ける。だが谷賢一はついに清水那保を発見した。あなたがあなたであることを示した。これはすごいことだと思う。最後のギリギリにそんな演目を間に合わせることがシャレている。谷賢一らしい。

    清水那保=キャサリンという発見、その僥倖によって、ダルカラの、今後あるかないかわからない未来は輝かしいばかりに照らし出されることになった。だから僕たちは安心して谷賢一を、そして清水那保を待つことができる。今回の作品『プルーフ/証明』の成功こそが、彼らの祝福されたる未来のなによりのproof/証明なのだから。
  • 心が覚醒する瞬間に
    命懸けで挑まれた一ことがひしひしと伝わってきました。

    ネタバレBOX

    開演前、シングルベッドで横になっている男と女。
    ビートルズが流れてる。愛のうた。
    時々キスをしたりじゃれあったりしている微笑ましい関係。
    ふたりはまるで、シド&ナンシー。
    午前5時。男は部屋を出る。
    再生する記憶。

    午前4時48分。
    彼女の心が立ちあがる時刻。
    それから1時間12分間、彼女は正気でいられるという。
    彼は彼女の意識下の一番深いところにクリックする。
    彼女と向き合うために。
    恋人と担当医師を演じることを繰り返し、あらゆる手立てを使って交信するが
    彼女の心はまるでピースのかけたパズルのように、どう組み合わせても完成しない。
    よって、ピースの欠けた部分は彼自身が補うことになる。

    客席に背を向けてデスクに向かいキーボードを叩く男。
    ほほ笑む彼女のポートレートに笑いながらオモチャのピストルをぶっ放す男。
    サイケデリックなグラフィックスが映し出される大型プロジェクター。
    ざらついたロックンロールミュージックを時々、口ずさむ男。
    酒を飲み、精神安定剤を飲み、頭を抱えてうなだれる男。
    すぐにディレートされる、記憶の断片。
    記憶が更新されていくテープレコーダー。
    宙ぶらりんの”わたし”の告白。
    崩壊していくアイデンティティ。

    彼女は彼女自身が納得し、安心できる言葉を捕まえようと試みる。
    彼女は自分自身に出会おうとする。
    彼女は彼女が嫌いだ。
    白い腕に自然な動作で引かれる無数の赤い口紅はリストカットを暗示する。
    自分を傷つければ傷つけるほど、痛みに慣れ、強くなれるような錯覚。
    血で塗り込められていく心の空白。
    彼女は死にたい。
    彼女は生きたい。
    彼女は彼女と対峙する。
    彼は彼女と対峙する。
    彼は彼女を助けようとする。
    彼は彼女を求めようとする。
    彼は自分自身は救えない。
    彼は彼女が投げる走り書きのメッセージを必死に追いかけて掴み取ろうとするが追いかければ追いかけるほど、心理的な距離感はどんどん遠ざかっていく。
    彼らは理解し合うことを恐れ、欲していたが、
    どんなに対話を続けても理解し得ないことを知っていた。
    それでも理解し、愛そうとする彼の熱意が彼女を加速させたのか?
    彼女は光の速さで燃え尽きた。
    恐ろしいほどに美しく。

    彼女の病室のベッドの窓からはうっすらと光が差し込んでいて
    それはとても幸福そうな死に見えた。

    これは、ある男がサラへ宛てた究極のラブレター。
    でたらめに鉛筆で殴り書きしたデッサンがたくさん詰まったスケッチブックをいたずらに交換し合う真剣なお遊び。
    本人ですらどんな思いで描いたのか説明できないようなぼんやりとしたそれらにわたしたちは共鳴し、恍惚し、熱狂する。
    わたしたちはいつまでも彼らの物語を忘れない。
    想いを抱えて、歩いていく。
    そしていつの日か、いろんな色の油絵の具を塗りたくって、ゴージャスな額縁なんかに入れて、誰かのハートに飾るかもしれない。
  • 満足度★★★★★

    出会うのが遅すぎた
    飴屋法水版への期待がより一層高まったが
    何よりも、谷賢一氏に惜しみない拍手を!

    ネタバレBOX

    作者(谷)本人と、その恋人
    サラと、その担当医

    二役
    曖昧な境界線
    様々な物が散乱していく

    次々と語られる言葉が渦となり
    そのカオスに包まれた拙僧は涙せずにいられなかった
  • 10月12日(月)M
    『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』
    精神的退廃美。

  • 満足度★★★★★

    『プルーフ/証明』
    コロブチカでの舞台を見て、その緻密で繊細な戯曲と演出を知っていたので、谷賢一さんの演出と役者さんの演技に興味がありました。
    コロブチカは素晴らしすぎたけど、ダルカラにはそれに並ぶかそれ以上のものが出きると期待させるだけのものがあるのでした。

    そして、最初の一幕目を見ただけでもそれが戯曲の力やコロブチカ版負けていない事がわかって、2時間半の間時間を忘れて集中して見入ってしまったのでした。

    ネタバレBOX

    最初のキャサリンと父親のシーンからグイグイと引き込まれるのだけど、父親役の中田顕史郎氏の演技から目が離せない。
    その声、表情、仕草。
    全てが観客を引きつける。

    だけど、もう一方の清水那保さんの存在感も圧倒的で、ほぼ素舞台に近いこの飾り気の無い空間を役者二人だけで完全に支配していた。

    コロさんの繊細なキャサリンも好きだったけど、清水さんのガラスのような切れのあるキャサリンも好きです。

    この戯曲はたった4人の登場人物の会話だけで2時間半を見せきってしまう。
    実力のある役者の力を最大限に引き出させるのだと思う。
    逆に力のない役者がやると荒が目だってダメなんだろうな。

    オフブロードウェイから始まってトニー賞、ピューリッツァー賞などを受賞するに至った作品ということだけど、日本でもこれだけの戯曲を小劇場だけにとどめておくのは勿体なさすぎる。


    できればこの演出・役者の組合わせで、そのままもっと大きな劇場へ持っていって上演してほしいものです。
    世田谷パブリックシアターとか良いと思うけど。
    ダルカラは活動休止という事だけど、皆さん演劇活動をやめるわけではないようなので、この発展的な活動休止後の活動に期待します。
  • 満足度★★★★

    プルーフ/証明
    コロブチカ「proof」を観ていたのでストーリーは解っていながらも、グイグイ引きこまれました。

    ネタバレBOX

    キャサリンとロバート、冬のシーンが好きですね。清水那保さんの涙にグッとくる。 清水さんの時折見せる狂気の瞳が怖い。
  • 心が目を覚ます瞬間
    サラ・ケインを谷賢一さんがどう感じ侵食されていったのか。谷さんが演じないと(演技といっていいのかどうか)意味が薄れるような感じさえします。

    ネタバレBOX

    フェスティバル/トーキョー09秋で「4.48サイコシス」演出 飴屋法水作品が気になるなあ。
  • 満足度★★

    4.48サイコシス

    演技とか筋書きにこだわっていては感じられないものがあるとは思う。なんだか訳が分からないけどいい、というような。

    それでも原作者の死に囚われ過ぎていた気もする。重ね合わせ過ぎていた気がする。自殺願望から遠ざかった時点で、再度この戯曲に挑んだなら、随分違うものを見られる気がするし、またそれを見たいと思う。心から思う。

    あと、いろいろと綺麗すぎた。美意識が語りをぼんやりとさせてしまったようにも見えた。

  • 満足度★★★★

    プルーフ観劇
    すばらしい!!


    満足です!


    清水さんと小栗さん目当てでしたが、
    とんでもない!


    4人ともすばらしい役者さんでした!

  • 満足度★★★★★

    渾身の舞台!
    【心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~】

     谷賢一の才能の引き出しはどこまであるのかと恐ろしくなった。この毛色の違う二作品を同時期に演出するだけで気が狂う作業なのに、この作品には自分で主演している。始める前に、いくら谷賢一とはいえ役者としては並だろうと想像したことを謝らなければならない。しっかりと谷賢一にしか出来ない演技を確立していた。お見事だ。
     堀奈津美は今回の芝居で一皮むけたのではないかと思う。元々達者な女優だが、自分をさらけ出し、一番醜いところまで見せた上で輝くという最高の演技が出来ていた。
     最初から最後まで想像力をかき立てられた。 


    【プルーフ/証明】

     舞台装置はテーブルがひとつ、休憩時間をはさんで2時間20分ののドラマをたった4人の役者で見せる。片時も目が離せない。ひきつけられる。まずその役者の力量にしびれた。ダルカラの大女優清水那保はもちろんのこと、4人とも素晴らしい。名優同士が舞台上で火花を散らすというような芝居。ストーリー展開の面白さもあるが、役者同士の戦いにまず感動した。そう言えば清水那保、つい1ヶ月ちょっと前にマリー・ド・ブランヴィリエ公爵夫人という稀代の殺人鬼を堂々と演じたばかり、その同じ女優が今回は神経質で折れそうなナイーブな女性を、繊細に演じている。どちらも難しい役なのに全身で演じ、自分のものにしている。なんて女優だ。

     この公演を最後にDULL-COLORED POPはしばらく活動を休止するという。残念でならない。だがその前の集大成としての舞台に恥じない作品だ。脚本と演出と役者だけで見せる本物のストレートプレイ。渾身の舞台という表現がこれほど似合う舞台はない。

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