第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020 公演情報 第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-14件 / 14件中
  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 ⒓日目 2020.7.9 19時
    本日も出演は3組、総ての演目がソロである。(追記後送、全体評価華5つ☆)

    ネタバレBOX

    Ⅰ:「想」は手柴孝子さんのソロダンス。石井みどりさん・折田克子さんへのオマージュと見た。(5つ☆)
    Ⅱ:長谷川康志さんによる朗謡「胎内にみる四億年前の世界」は、解剖学者・三木成夫さんの「内臓とこころ」を通して個体発生が系統発生を繰り返すという事実を証立てる朗謡である。解剖学者ならではの実証をベースに受精31日目から約1週間の間に人間の胎児が、海水の成分によく似た母の羊水の中で如何様な変容を遂げるのか、米粒程度のサイズの胎児が勾玉のように頭部を体の内側へ曲げた状態にあって、ラブカのような鰓を首に持つ時、その顔はどんな姿をしているのか? その翌日は? 僅か1日の間にどのような変容を遂げているのか? 更にその翌日は? 胎児が凄まじいスピードで先祖が辿ってきた進化の歴史をなぞってヒト型になるまでのどの辺りで母体はつわりを生じ、その時の母の表情はどのようであるのか? 等々が、三木博士の観察を基に綴られ個体発生が系統発生を繰り返すドラマが迫真のリアリティーを持って迫ってくる。(5つ☆)

    Ⅲ:Mikaさんのダンス「Latin FANIA」は、大野慶人さんが彼女のダンスパートナーに贈った杖を用い、キューバの病と医療を司る神・ババルアジェを踊った。個人的な話題になって恐縮だが、舞台を観、リズムに乗り乍ら、体が勝手に反応する。そういう次元のパフォーマンスであった。評価等糞喰らえ❕ なのだ❕ この踊り(ダンス)は、ダークマターがその殆どを占める宇宙に於いて光に吸い寄せられる命の余りに哀切な関係をダンスという形を通して直接化し得た稀有な、命そのものの例である。伝説の舞台・土方巽さんの生舞台を拝見していない痛恨の記憶が、今作を拝見し得たことによって、自分の人生の中で少しだけ軽くなったような、つまりこの舞台自体が新たな伝説になるような舞台であった。よって☆は、コリッチの評価には存在していない。華6つ☆だが、存在していないので現実に表すのは華5つ☆+スタンディングオベーション。後記:これ程素晴らしい踊りなので寿がれる神の退出と共に、演者も消え、アフタートークにはいらっしゃれなかった。このような謙譲も我ら愚かな人間には生き方として必要と思われる。三千程度の生舞台は観ていると申し上げた、そのうち、観劇後、椅子から立ち上がれなかった程のショックを受けた大阪の劇団Mayの作品「風の市」と、意味内容は対照的であるが、今作は双璧を為す。表現する者達の本質に根差した力を体得させるに充分な舞台であった。
  • 満足度★★★★

    X主催「国際芸術祭」鑑賞2回目。3演目の内訳はダンス・ダンス・演劇。
    先陣は女性2人組、天然素材感ある薄褐色のドレスで舞う。チベットのティンシャ他の鈴を使い、水音や優しげな音楽が流れる中、自然讃美の特命で地上に遣わされた者の如く。一人は力量十分で曲線を描き、一人は音や補助的に立ち回る役割分担であったが、「二者の差をもっと明瞭に出してよかったのでは・・」との客席からの意見に首肯した。やや予定調和な作り。
    二つめの踊りは女性ソロ。勅使川原氏を思わせる素早く鋭い動きと、生じた波動が部位を伝って連続し展開する視覚的快さがあり、想定される何らかの「身体言語」が、何を語ろうとするのか?という関心へ引き込まれる。舞踊は抽象次元の遊びだが、何らかの一貫性を保ちつつドラマ性を演出するという意味では演劇に似ている。今回のは前半保たれていた強く太い幹が、後半やや細まり、勿体なく感じた。前半で自分の中に膨らんだ「当て」が外れただけに過ぎないのだが。
    演劇は企画のテーマである「蟲愛づる姫」を主人公とし、彼女の前に生物進化の各段階をユーモラスに擬人化して登場させ、生物多様性を教える教材のような出し物。バクテリア、ミドリムシ、ボルボックス、海綿、クラゲ・・等々。明治座シニアクラス出身者で作ったグループで、高齢者劇団の趣きだが、キャラの立つ役者揃い。憾みは(恐らく)稽古量の少なさ、内容も相まって余興を見るノリで見てしまった。本来なら相当の時間をかけて作られる演劇という芸術が、今置かれている状況を思う所であった。

    ネタバレBOX

    特に惹かれたのは2番目のソロ舞踊(足立七瀬)『選んで、いる。』。タイトルは現代生活の琴線に触れて来るものが..。
    トークでは、振りの中に「取りに行く」直截な動きを入れた、とか、会場に居たダンサーに質問されて已むなく「通常言わない」ネタバレを語ったりと、作る作業のあれこれが割合と明け透けに開陳されていた。それらは観る私の追おうとしたストーリーとは違うものだったが、それはプログラマーたる七瀬氏の脳内処理の問題で、観客は何を見ようとしていたか(何に誘われたか)を語るのみだ。

    暗がりの中に浮かぶ身体。バックにはアフリカの木琴のような音楽が薄く流れているか、無音のどちらか。無音での緊張が心地よい。「次の動作」への間が、正に「選ぶ」緊張を感覚させる(観る時はタイトルの事は忘れていたが)。
    言ってしまえば、まあ結果つけられたタイトルは良いのだが、踊りが含む要素としては、「選ぶ」という人間の行動そのものを描写してもあまり意味はない。選ぶ事が可能であるのか、という問い、あるいは何を選ぶのか・選ぶべきなのか、という問いが、付随して来なければ思索として物足りなさが残る(その事が作り手の考えとパフォーマンスに反映しているかどうかは不明)。
    七瀬氏の着想は選ぶ=責任(何げなく選んでいる事が重大な結末に通じていたり)であると思う。責任は容易に放棄され得る。個人的な領域では「選ぶ」結果は自分持ち、自分で結果責任を負えばよい、となる。それで話が終らないのは個である己の生き方、行為が他者に多少なりとも波動を送り、影響するから。だがこれは生物学レベルの話でもあって、いわゆる社会的責任に直結する行為は部分的だ。今の状況では、むしろそう考えたい。咳をすればコロナをうつす、という事から、戸外でもマスクをしなければコロナリスクを増やしている、という、世の中の(誤った)「責任」の束縛を、相対化するものを見たいというのはある。
    海外で起こるコロナ関連の「事件」に日本人は驚かされるが、「マスクをつけろ」と言われて逆切れ、極大の憤怒を相手にぶつけてボコボコにした、であるとか、逆にマスクをしろと言ってきかない客を滅多打ちにした、であるとか・・そこには「個は個である」自立と自由の思想の染みついた人間が「コロナ」を理由に「全体のための個」たる事を要求された拒絶感、またその反動を想像させるものがある。米国での抗議行動もきっかけは黒人虐殺でも、「人を押さえ付ける態度」への心理的な反抗が根底に流れている気がする。
    翻って日本はこのコロナ禍にあっても自己犠牲に甘んじて声さえ上がらず・・政府はお金を配るのにも息のかかった所へ割り前を回す周到さ、こんな状況でも庶民を出し抜く「抜け目なさ」を発揮しているのに暴動一つ起きない。あまりに感情を抑え過ぎ、そのつけを別のターゲットに向けている。向けさせる事にこの社会は成功している・・。

    都知事選は「東京五輪、開催か否か」が争点になってしまったばかりに、五輪幻想にまだ固執したい多くの都民が積極支持を表明しに投票所へ足を運んだ(その意味では対立候補はその炙り出しに貢献したとも言える)・・つまり「選んだ」訳だが、それこそ最も重い選択。その責任を個々が吟味すべき期間が始まった、という事である。(私は都民ではないが、、)
  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 ⒒日目 2020.7.7 19時
    (追記7月8日02時39分、七夕公演 全体評価5つ☆)7月9日は19時からの公演 

    ネタバレBOX


    1:望月太左衛社中 剣伎衆かむゐ&剣伎道。演ずるは、和楽器が彩る剣伎・侍魂「未来へ~Samurai still exist」自分もそれなりに和楽器は拝聴してきたつもりであったが、今日初めて聴く音も多く、最初に用いられたのは空気をまさしく切り裂くような音を発する笏拍子で、これには度肝を抜かれると共に、かむゐリーダーの島口哲朗さんが上手ホリゾントの奥から舞台中央へ隙の無い登場を見せるシーンは慄然とするほどの気を内に秘め、正しく武人を見た思いがした。

     終演後に伺ったことを基に書くと、メソッドとして剣伎道を創設しそこに殺陣、居合、新陰流、空手やマーシャルアーツなどの要素を織り込みつつ舞うように演じているとのこと。どんな格闘技も基本は、間合いを見切る動体視力、己の力を最大限に・或は殺して常に重心を安定させスムースに移行・受け即攻めに転じる動作にあるが、攻めでは無論最大限の力を効果的に用いる。実際の戦いはままごとでは無いから、自分が死ぬかも知れないし相手を殺すかも知れない。日本刀は剃刀程に良く切れる。

     一方東洋の哲学は、陰陽五行説に負う所が大きく、陰陽・五行共に有為転変の関係を現す、同時に仏教による六道輪廻なども転生という考え方は人間中心の発想と異なり他の生き物との関係性を説いている。更に老荘の思想は、無為自然・柔弱謙下という言葉にも示されているような摂理を活かす思想であるから、宇宙的エネルギーを気として己に取り込み、これを上手にコントロールしながら用いることに繋がる。無論、物理学的な説明も可能である。武道の達人の動きは、皆一つの例外も無く、最も合理的な動きになる。琉球舞踊も基本は武術、殊に王を護って外交などにも重きを為した王族出身の高級士族には必須の素養であった。実際格闘技としても強い。

     ところで今作は、舞台芸術でもあるので、武術だけで成り立っている訳ではない。人として守るべき矜り、道を究める為に払わねばならぬ大きな犠牲、他人の痛みを知り生きる哀れを知る仏性、決断する勇気、そして総てを統合し判断し責任を負う覚悟及び判断し実行する行動力を統合した生き方。これこそまさに武士道の理想であろう。この理想を台詞無しで見事に伝えているのは以下のシーンだ。未だ5つ位の男の子とその母が2人の武士に追い掛けられて客席方向から登場する。敵う訳が無い。子供は腰に刀を帯びてはいるものの小刀である。母子は当初、切り掛かる刃を躱すが、遂に追い詰められ、子を庇った母は、先ず浅手を負ったものの子を覆うように庇いながら向かい来る武士の1人に子の刀で応戦、傷を与えた。然しそれまでであった。母は子を庇ったまま、惨殺されてしまった。2名の武士は更に子を追って迫る。子も武士の子、落ちた小刀を拾い上げて応戦している所を1人の武士が通りがかり子を襲っていた2名を斬る。子は母の遺体に追い縋って悲嘆にくれていたが、やがて助けてくれた武士を頼り去った。青年になった子に稽古をつけている件の武士の様が描かれ、力をつけてゆく若武者の姿の後、更に腕を上げた青年と育ての親が木剣で試合をしている。青年もかなりの腕になった。武士は真剣に持ち替え、青年にも促す。青年も真剣を持ち、戦いが始まった。一番勝負では一瞬の隙を突き武士が青年の右二の腕を切った。一旦、参りましたの所作があって二番目の勝負、義父が撃ち込んで来る所、胴を払って青年が勝った。青年が大人になる為のイニシエイションと取っても一子相伝と取っても良かろうがこの流派が継承されるシーンも実にドラマチックだ。

     武士の妻や娘のたしなみである長刀の剣舞と殺陣も披露されるが、長刀の柄の先には赤い房紐が付けられ女性の剣技を実に華麗なものにしているのもオシャレ、更に数歳からミドルティーンに至る多数の女子剣士、男子剣士を交えた群舞も見事である。流石に国際的な舞台で賞も受賞しているだけの実力者グループ、新型コロナで練習・稽古の時間も中々取れず、皆で集まることも殆どできなかったということが信じられない見事な剣技・舞台だ。感心したのは、メンバー全員が、謙虚で爽やかな集団であることだ。無論、様々な和楽器など(和太鼓、鼓、雨団扇、和鈴、二胡、横笛、尺八など)の演奏でアクションを盛り上げて下さった望月太左衛社中とのコラボも素晴らしい。華5つ☆
    Ⅱ:こかげ舎による演劇公演「いまはむかし(虫愛づる姫とノア博士)」出演は、ノア博士に小林拓生さん、虫愛づる姫に佐々木和子さん、ちょっと変わった楽器・GANKなどでの演奏に中馬美穂さん。GANKは、耳慣れない楽器だと思うが見た目は、ちょっとへんてこりんなUFOとか、炊飯ジャーのような形の楽器でプロパンガスボンベの材質を用いて作られ、その上部のあちこちに逆Uの字型などの溝が彫られていて、その溝の幅や長さなどによって異なる音が出る。奏法は木琴のように叩いたり、こすったり色々だ。何れにせよ、中々不思議で魅力的な音が出、形もユーモラスなので一度調べてみると面白かろう。脚本は、姫を演じる佐々木さんが書いた。一応、環境破壊を重ねた人間の愚かさが招いた近未来を舞台にしたディストピア作品ということが出来よう。理性的に考えれば、人間が今のように愚かな生き方を続けてゆけば誰が考えても地球に未来は無い。このことは余りに明白である。因みに地球上で起こっている波や風は地球に注がれる全太陽エネルギーの僅か0.2%の影響だ。一応述べておくと日本政府がF1人災後もベース電源として強力に推し進める原発は、100万KW級1基で1秒に70トンの水の水温を7℃上げる。70トンの水量とは多摩川と荒川2本の川の流量/secを合わせた程の膨大な量である。温められた水の中に溶け込んでいたCO2も当然蒸散する。馬鹿な話ではないか。言っておくがこれはほんの一例に過ぎない。誰も問題にしないが何の役にも立たない煙草もCO2を輩出している。税を高くすれば良いという問題ではあるまい。
     物語に戻ろう。今作では主に温暖化によって極の氷が溶けだし水位が高くなるのみならず、高温化によって降雨量が全地球規模で極端に増加した結果、生物の大量絶滅が起きる世界に突入する前夜譚として話が進行するのだが、興味深いのは、AIの発達によって人々は、大量データの処理をAIに任せっきりにしていた為、真に優秀で発想にユニークさや飛躍力のある知恵を評価し得なかった頃のデータが基礎データとしてインプットされていなかったが故に姫のような本質的で独特な発想のできる有能な研究者はリストラ対象となりラボを追われていた点である。ノア博士も解任の憂き目に遭った。こんな事情からノア博士はかつてのラボで自分の下に居た最も優秀な研究者である姫の所へサジェスションと別れの挨拶をしにやって来たのである。博士はラボを馘首されたから、単なるノアに戻っており、ノアは、地球上の虫以外の総ての生命を護る為の箱舟を作り、姫には虫の為の箱舟を作って欲しいとの依頼に訪れたという訳で洒落の掛かった落ちになっている。劇中、歌で表現するシーンがあって佐々木さんのソプラノと小林さんのテノールがバランス良く、良い具合に響き合いこれも楽しめる場面となっている。5つ☆
    Ⅲ:宇佐美雅司さんのソロ作品。作・演・出演総て1人でこなした。タイトルは「Listen to the He:art~愛でてエな~Need is Love」七夕の夕べ、織姫・彦星年1度の逢瀬の日、パンデミック・COVID-19の前に人類などと恰も連帯が生まれてでも居るかのような紛らわしい表現も馬鹿らしいが、殆ど世界中の為政者が、非科学的、非現場主義的、非合理的、非理性的判断によって舵取りを誤り、自らフェイクを撒き散らすTのようなウスノロ、パシリでミムメモのA、裏切りだけは一流のKらと、不作為によって殺人者となりながら、不作為故に罪を追求されない厚労省、文科省の高級官僚、経産省とその天下り先法人等々のトンネル組織。こんな連中とグルの政治屋、マスゴミ。こういった下種に媚びへつらい己の頭を用いて考えることのできない「臣民」くたばっちまえ! と小生は思うのだが、舞台人である宇佐美氏は、何とかこのめちゃくちゃを皆に欝発散の機会を共有してもらうことで発散してもらおうとでもしているようだ。自分と現実認識は可成り異なろうが、この意気を評価して4つ☆。

  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 9日目 2020.7.4 14時半
     本日も3組の出演。(追記7月8日0時半 全体評価5つ☆)

    ネタバレBOX

    Ⅰ:小谷ちず子さんのダンス「わたく史」白い衣装に白の長い紗をたぐねて被り、上手客席側に左体側を観客に向け、膝を曲げ足先は床からやや浮く状態で丸めた体をそのままの状態で保っている。音響等は一切無い。この無音が緊張感を持続させ、舞台に集中させて良い演出になっている。かなり長時間この状態にあるが、足を衣から少し出し、足指を曲げたり伸ばしたりを暫く繰り返している。無論、羽化を現していよう。自分が小学2年の初夏、近くに自分の通う小学校より大きいかも知れない程の屋敷があったのだが、門を越えて書生に怒られないようその広く大きな門に繋がるアプローチで良く遊んでいた。偶々、そこに生えていた木の根元近くに蝉の蛹が上って来るのに気付いた。蛹の背を割り這い出した蝉は、浅葱色というのだろうか、黄緑のような淡い色で、羽はヒグラシやトンボの羽のように透き通っているが、蛹から出てきたばかりの時には未だクシャクシャだった。その体、目や頭、胴体や羽が徐々に堅牢になり、変色してゆく間に数十分は経ったような気がする。そんな時間の中で、殆ど動かず、只木に止まってクシャクシャだった羽を伸ばし、体色を徐々に変え、目の色も変わって頼りなげな印象を齎す弱弱しいものから逞しさを感じさせるものに変え、羽も遂には茶色になって馴染のアブラゼミとなった時には命の不思議、変容の凄さにいたく感銘を受けた。当時既に、アブラゼミの幼虫が土中でどの程度の期間を過ごすかと成虫になってからの寿命は当然知っていたから、猶更感慨を深くしたのであろう。

     ところで羽化後には当然生存競争が待っている。その葛藤がこの後のダンスで描かれるが、ラストには音響が入り、最初の形(今回は卵を意味していて体は観客席に真正面から向き合っているが)に戻って終演。最後だけ音楽が入ったのは、新たな生命誕生へのオマージュであり、体が正面に向いているのは生まれ、これから己がミクロコスモスとして生きて宇宙・マクロコスモスと対峙する関係性を現していると解した。
     それにしても、今シリーズで毎回感心しているのは、照明の凄さである。表現する人達の意図を実に深く、而も想像力の遠く迄キチンと計測してそれより一回り大きく深い闇と光の芸術を作り出しているのだ。この照明なしにこれだけの舞台体験はできない。華5つ☆
    Ⅱ:山田いづみさんのダンス「ケラ鳴く道のいろは歌」
     台の上に腹這いになって手足をばたつかせる、ユーモラスなダンスで始まった今作、御本人のキャラクターも愉快な方のようで如何にも大阪の方らしい雰囲気が良く出ている。ケラという虫は、子供の頃。時々捕まえて、昆虫のモグラというイメージを持っている。その少し紡錘形の体は流石に土を掘るのに合理的だし、体毛のようなものは全部後ろへ流れるように付いていてすべすべし、堀った土を背後にしてゆく際、摩擦抵抗が少ないことが明らかであり、この点でもモグラに良く似ている。テリトリーはどれくらいか知らないが、モグラの場合、1匹で2㎞四方程度、土堀は大変な作業だからエネルギーを大量に消費する。従ってモグラは大食漢でこの程度の縄張りが無いと生きて行けない。だから、ケラも可成り大きなテリトリーを持っているだろうと想像している。が言葉としては、虫けらという単語にケラが入っていることもあってか、ゾンザイに扱われがちなのかも知れない。それが、大阪人。山田さんがケラを選んだ理由かも知れない。それも謎多き“いろは歌”と絡めている点が興味深い。何れにせよ、虫もヒトも生きとし生ける者総てが生存競争の渦中にあるが、人間だけがセーフティーネットを持っていると思っている。然し本当にそうか? と尋ねるならば、相当に怪しいのではないか? 蟻も蜂も集団社会を作るし巣は大変な大きさである。アフリカに住んでいた頃、蟻塚がたくさんあったが、1つの塚の高さは3m以上、蟻のサイズから見たら、バベルの塔みたいなものだろう。塚の中には女王の産卵室、食料貯蔵庫をはじめ社会生活を営むに必要充分な場所や役割に応じた身体分化が生じている。(女王蟻、羽を持つ雄蟻、兵隊蟻、働き蟻など)蜂もほぼ同様で卵から孵った幼虫が暮らす房室もある。何れにせよ、蜂の子は人間にも食べられてしまうし、蜂蜜は人間に収奪され続けている。さて、そんなに人間は偉いのか? という素朴な疑問も聞こえてきそうな諧謔とグレイなユーモアに彩られ、ちょっとスラップスティックな作品。諧謔精神に敬意を表して華4つ☆
    Ⅲ:Dance Monster 絵本「どこかにある誰も知らない小さな国のお話」
      男性が上に羽織っている長めの羽織かチョッキのような衣装が中々素敵。タイトルから何となくブータンを思い出してしまう、原作者の田崎麻衣子さんが癌闘病中に初稿を書き、当時西表に居た八つさんに原稿を送ってきた、ということだ。その後退院した田崎さんはアメリカで暮らして居たが既に亡くなられた。亡くなるまでに八つさんと連絡し合い絵本は現在の形になったそうだが、初め今作を拝見した際には、随分無責任な作品だとも思った。然し癌治療薬の副作用で朦朧とした状態で書かれた初稿のことを思えば致し方あるまい。生きることは瞬間・瞬間死んでゆくことと同義である。そんな生と死の分割し得ぬ不分明を男女のダンスパフォーマンスと後半は、この絵本を動画化した作品をホリゾントに映しながらの上演形態で表現した。生きることは生の堆積? それとも死の堆積? 或は分かち難い双方のミルフィーユ? 華4つ☆
  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 10日目 2020.7.5 14時半
     本日も3組の出演である。10日目の原稿が先に上がってしまった。次回公演は7月7日19時開演。

    ネタバレBOX

    I:堀ゆかりさんと別所るみ子さんのダンスユニット・Y&Rが演ずるのは「水・光・身体」という作品。タイトルから直ぐ分かるように命に纏わる諸関係(始原の生命と誕生に寄与した水、光、エネルギーなどと化学反応、アミノ酸複合体から体を構成するようになる生命誌等々)が優雅なダンスで表現される。ダンサーの動きの中で交差する眼差しに意を用いている所に極めて女性的で繊細な表現が感じられる点もグー。用いられた音響器具は、チベットのティンシャや波音などを出す小型の装置。衣装も2人揃った素敵なデザインでダンスを更に優雅に見せるのに役立っていた。ところで、自分もかつて極めて質の高いティンシャを持っていたのだが、今回使われたものは恐らく銀の含有量が少ないか真鍮製なのであろう。自分の持っていたそれに比べると響きが余り良くなかったのが残念だが、現在では良質な物は殆ど入手できまいから仕方ない。5つ☆ 
    Ⅱ:足立 七瀬さんによるソロダンス。タイトルは「選んで、いる。」日本人には珍しく、選択ということを正面に据えているので驚いて帰宅後、当パンを読んでみると(自分は作品を拝見する前には基本的に一切、当パンは見ないことにしている。刷り込みをしたくないからだ。推理作品などで予め見ることを要求される場合は別であるが)略歴を拝見して納得がいった。フランス人の振付家の関わる国際ダンスワークショップのオーディションに受かって「Harakiri」という作品に参加していたのだ。解剖学なども用いながら踊る身体を追求しているとのことはある。極めて優雅な動きから日常的にさえ見えるような動き迄、洗練、日頃の何気ない動作まで織り込んで“選択”の幅を広げているが、暗転させて明転に移行する際、必然性を感じない部分もあった。この辺りをもう少し詰めて欲しい。更に欲を言うなら、選んだつもりが選ばされているという資本主義の中で暮らす我らの姿をも描ければ。華4つ☆ 
    Ⅲ:シニアの演劇ユニット・夢桟敷によるミュージカル風演劇作品『Question・・・いのち愛づる姫から』は、生物学者の中村桂子さんの著書「いのち愛づる姫―ものみな一つの細胞から」をベースにした作品だ。原初我々の遠い祖先であるバクテリアの類からミトコンドリア、ボルボックス、海月や魚を経て陸に上がった生物の産む卵も受精するまでは1個の卵細胞である。始原の生命を単細胞から始め、個々の生き物の始まりを矢張り細胞分裂する以前の一つの細胞から始めている所にミソがあろう。個体発生は系統発生を繰り返すという良く知られた事実をも思い起こさせる、本質的でありながら極めて分かり易い摂理である。
     シニアといっても平均年齢は可成り高いので、かむ方がいらしたのは残念であったが、どういう訳か偉く楽しい作品であった。つらつらその訳を考えているうち、若い頃に読んだリルケの一節を思い出した。それはこんなフレーズだった。
    “若者とは既にして恐るべき老人なのだ。それを意識した上で、それを意識した上で若さを装うのだ!”という一節である。自分と同じことを考えた詩人が居たのだ! と二十歳を越えたばかりの自分は、少しだけ安心した。当然、その頃の自分は生意気を絵に描いて壁に貼り付けたようなガキであったから可成り鼻もちならないガキであったろう。と同時に急に勉強をし始めて知識を吸収することに忙しく、要するに自分のオリジナリティーの乏しいことは散々意識させられていたから、己自身を単に先人が積み上げてきたことのコピ―としか思えず耐え難い老いを内側に抱えていたのである。
    だがこの劇団の演者には、このような意味での老いが無い。皆さん自ら楽しみ己の人生で培ってらしたことを体中から溢れださせるように活き活きと創っていらっしゃる。これこそが、この楽しさの源泉なのだと感じさせられた。素敵である。5つ☆
  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 8日目 2020.7.2 19時
     8日目、丁度6,7月公演の折り返し点だ。(次回公演は7月4日14時半の開演)

    ネタバレBOX

    外国からの参加者はCOVID-19の影響で来日は9月の予定だからにゃ。今回も3組が登場。Ⅰ:白野 利和さん、アベ レイさんお2人のパフォーマンス。タイトルは「隣の迷宮2」オープニングで白野さんが登場すると「どうします? 何も決まってないんですよ。ゲネでやったこともうっちゃって」舞台の上に放り出された状態で何をどうしていいか分からないという状況を説明しながらぐるぐる舞台上を歩き回る、極めて示唆的なオープニングだ。そこへレイさんが言葉と音声の間のような表現をしつつ舞ったり弧を描いたりしつつ飛びこんでくる。レイさんによれば、生きることに予行演習は無い。ぶっつけ本番の連続である。仮に予定を組んでいてもぶっつけ本番で何が起こるか分からない時空に身を晒す点では変わらない。それが生きることであるなら、それは迷宮ではないか? と捉えている。つまり今作は、己の迷宮を迷宮として客体化する為に、演じられたと言って過言ではあるまい。だが、そうは言っても2人が時折、交差する中で何やら口をまあるく開けて向かい合ってみたり、何やら鳥が羽を広げるようにも見える動作をしてみたり、意味と無意味が微妙に絡み合うシーンには、サルトルのいう自己投棄を身体化して見せればこうなったと思わせるような形に近い何かを感じた。当然、自由の問題も絡むし、生死の問題も絡む実に面白く、かなり哲学的な作品であった。華5つ☆
    Ⅱ:評論を多く書いている四方田 犬彦さん準備中の新詩集「離火」から数編を選んで朗読すると共に5月14日に亡くなられた財部 鳥子さんを偲んで彼女の長詩の一部分をも読む。四方田さんの新詩集タイトルは音から判断すると鬼才絶と言われた中唐期の詩人・李賀の名に重ねたと見ることができる。27歳で夭折したが、亡くなる前母に「天帝が白玉の高楼を建て祝いの詩を李賀に作らせようとお召しになった」と語ったとされ、“白玉楼中の人となる”という成句はこの逸話から生まれたとされる。
    何れにせよ会場からアフタートークの際に彼のプロフィールに関して出た質問:比較文学とは? に、ホメーロスの有名な叙事詩「オデュッセイア」に出てくるトロイア戦争からの帰途、ローレライを長とするセイレーンの棲む海域に差し掛かる前後の話を持ち出し、船乗りが恐れて近づかぬこの海域に入り、その歌聲を聴けば、余りの美しさに虜となり自ら海に身を投げて藻屑となると伝わる歌とセイレーンの美しさを是非自分は見聴きしたいと願ったオデュッセウスはマストに自分の体をきつく縛り付けさせ、部下には、耳に蝋で耳栓をさせて魔の海に入った。セイレーンの歌声が聞こえると流石のオデュッセウスも縄を解けと大声を出しジタバタしたが船員たちは耳栓をしているから一切聞こえないし、危険海域を出て安全な海域に出るまでは絶対に縄をほどくな、と厳命されていたから解かなかった。そして安全な海域に出た時初めて彼の縄を解いたのであるが、その縄を解くという単語がアナライズというギリシャ語の初出だと説明し、そこから錯綜した状況なり物なりを解きほぐす、というようなことが原義だと話した。そして芸術とは、それを鑑賞する者も下手をすると命を取られかねない或は根本的な価値の転換を迫られるほどのものではないか? との卓見を述べた。然し乍ら彼の詩作品には、このような卓見は残念乍ら反映されていないように感じた。彼は大変な知識量を持つ人だが、それが却ってペダントリーとなって鼻に衝く気がするのである。
     無論知的に武装して箍を外すことは詩の重要な手法の1つではあるが、余りにもぺダンティックになってしまうと例えばRimbaudの有名な一節、s’opérer vivant de la poésie,・・・(生きながら詩に手術され・・・)のような生々しいリアリティーには遠く及ばない。即ち詩行として極めて弱くなってしまうのである。卓見に敬意を表して華4つ☆
    Ⅲ:シアターXアートマイム塾(作・演:JIDAIさん、出演;松沢玲子さん、沢村誠一さん、時任律さん、阿部邦子さん、橋元大和さん)
     ポーランドのステファン・ニジャウコフスキが作り上げたアートマイムという手法でのマイム。その本質は瞬間、瞬間舞台上に存在することにあるという。どうやらE=MC²という相対性理論の根本原理の各項目を移項することによって成立するそれぞれの式ということらしい。エネルギーと光速そして質量の相関関係を肉体に落とし込み以て身体化するということであると理解した。音楽とのコラボがグー。当初、原初の生命体例えば単細胞生物やプランクトンなどが海中や水の中を漂うような動き、或いは羊水の中で系統発生を繰り返した我らの初期胎児期の揺れる夢の如き動きから進化して両生類である蛙になり、更に進化して爬虫類になり更に・・・といった進化の過程に於けるRNAやDNAの揺らめきとも取れるというような極めて興味深いマイムであった。5つ☆
  • 満足度★★★★★



     7日目の構成は、参考上映のTV番組、IDTF実行委員10名による“いきもの絵巻『宝船』”上演、アートカンファレンスだ。

    ネタバレBOX

     今回のテーマは以前にも記した通り、堤中納言物語に記された “『蟲愛ずる姫』とBIOhistory”だから当然生命の始原から現代人へ至る進化と様々な微生物、ウィルスなどとの共存・共生に至るまでの史的過程及び遺伝子構造の変化・変遷、プラスになるにせよマイナスになるにせよウィルスと生命相互の関係性・諸変化が、COVID-19蔓延拡大の地球村に於いて如何なる作用を我々に齎し、未だ不明な部分の多いSARS-Cov2に対して我らは如何様に対処するのか? 或は自然免疫を得る迄多くの犠牲を耐え忍んで待つのか? ということを含めて当にmemento mori(メメントモリ/死を思え)、即ち実存哲学に自ら進んで入る条件の中に居る。人間というのは愚かな生き物であるから、普段自分自身の死を前提として考えることは殆ど無い。結果猶更愚かなことばかりしている。ここは、一つ学校で教えられたような規格に嵌った阿保な考え方や教条はうっちゃって、自由に考える訓練をしたいものである。但し、それには条件がある。死を前提に考えるのは、真理や普遍性を知る為であり、自死する為ではない。よって論理の前提に選ぶべき要素はファクト、現場での徹底的、実証的観察を統合する科学的・合理的思考だ。即ちファクトと実証的観察によって得たデータのみを用いて演繹・帰納法し合理的な解を導き出すことである。東京アラートなどという字義通りナンセンスなことをやっている暇は無い。SARS-Cov2はRNAしか持たず、誤った転写を起こしやすい。而も様々な抗生物質や薬品が彼らの突然変異をより早めるというデータが出ている。既にゲノムレベルでは、埼玉型、東京型、大阪型は異なっているという。無責任なばかりか己の言っていることの意味することすら理解できない安倍首相は、ワクチンはかなり早く出来る、などと訳の分からないことを宣うが、さに非ず。それどころか、仮にワクチンがかなり早く出来上がったとしてもサイトカインストームの危険がある為、下手をするとワクチンを打ったが為に症状が悪化してしまうケースが在り得るとして研究者たちは如何に対処すべきかを必死に考え追及しているのだ。エーザイが治験を始めるようだが。政府のやっていること、殆どの自治体のやっていることはトロ過ぎて話にならないし、官僚共は不作為といういつもの手で責任逃れをするばかり、当てにできる訳が無い。だから、我々民間で考え、対処する他ないのである。そういえば、東京でアラート解除後107名の感染者が出た、と聞いて驚いている人々が多数居ることに、矢張りと感じると同時に自分は少しショックを受けた。余りにも予測通りだったからである。
     さて出演者の職業は、コンダクター、生物学者、エッセイスト・通訳・翻訳家、著述・フォトアーティスト、演出家、役者、芸術監督、ダンサー等々多彩だ。参考上映として芥川賞作家でベルリン在住の多和田 葉子さんにインタビューした番組が映された。『宝船』上演後は、多和田さんがインタビュー番組の質問に答えて言った、「コロナ・テスト」というフレーズをタイトルとしたアートカンファレンス。この現象をどう捉えるか? との視座で出演者、観客との間で活発な論議が交わされた。大切なことは、このカンファレンスでも、事実をベースに語る生物学者と、それ以外の様々な言辞や為政者が何の合理性も科学的根拠もなく垂れ流している言辞をベースにした判断とが交錯することによって、今我々の暮らす社会が良く見えてきたことである。
  • 満足度★★★★

    県境を超えざる期間(3か月)を経て、劇場訪問解禁一発目。
    一昨年は「かぐや姫/アインシュタイン」とかいうテーマを掲げて開催されていた「国際」芸術祭、ジャンルを超えた出し物を見本市のように並べた催しに興味を持ったが今回初めて、プログラムの一つを拝見できた。(今回は海外からの出演無し)
    今回のテーマ「蟲愛づる姫」の含意は「毛虫も一つの命」との生命観のようだが、特に気にせず何が飛び出すか楽しみに、前知識なしに鑑賞した。

    まずピアノ演奏。若手であったが「エリーゼのために」を導入に、ベートーヴェン「熱情」をしっかり弾けるだけの実力。
    次に『白痴』のムイシュキン公爵の独白(菅沢晃)、ガウンをまとい女言葉で喋る(その所以は知らず)。
    最後の舞踊は二人の若いダンサーが作る独特な世界。題名のdodoとは孤島に棲む今は絶滅した「飛べない鳥」。
    終演後4名の演者をステージに呼んでの意見交換会、これが中々面白かった。音楽・演劇・舞踊というジャンルを横断するとその差異と同時に「時間の芸術」としての共通点もみえる。
    ある男性がピアノの演奏に対し「強弱」の塩梅に不満を漏らしていた(急激に音量が上がった箇所に付いて行けなかった)。だが私はこの演奏者のこの場での構え方に即興性を感じ、用意された「完成形」でなく、瞬間に即応した音を出そうと臨む姿勢を見た、と思った。実際CDでしか聴かない曲がリアルに立ち上がった感触は「ライブ」のそれだったが、演奏技術あればこそ(少し格下だと楽譜に食らいつく必死の演奏、それでも否その方が喝采をもらえたかも)。
    人は芸術に対し「完成形」への欲求を持ち、それは演劇に限らず、文学や映画も同様だが、自分は最近プロセスの面白さを「終幕になっても忘れない」事が大事、という気がしている。
    ピアノ演奏は多分計算されていない「終り方」だったと思う。落語にも同じ後味がある(オチでスッキリする演目もたまにあるが)。「終わりよければ」の法則は揺るぎないものがあるが、スッキリして後を引かない収め方が、またそれを求める欲求が果たして今の時代妥当なのか・・。

    また長いレビュー書きが始まった。できれば10行以内に収めたいが、、無理か。

    ネタバレBOX

    恐る恐る、久々の都内。利用した京浜東北線と総武線は、昼下がりでも土曜だけに出足が多かったが、なんと座席を空けて座る者なし。マスク装着はコロナ以前から多いにしても、装着率は以前より高めではあるか。
    乗車時は車内の混み具合を見て逡巡したが、人間必要に順ずる存在、乗らなきゃ芝居が観られないとなれば、感覚の方を<鈍く>調節するのみ。
    そもそも感染率的には0.001%レベルな話であるので、コロナ騒ぎの渦中でも、従来の「自己責任論」で通せば自粛率も低く、出歩く人は多かったろうと想像する。
    が、東京五輪にかまけてコロナ対応を疎かにする政府に批判が起きたのに加え、欧州の「惨状」の前例が「空気」の硬化に影響した模様。

    勿論、医療体制の分母に対する感染者数の爆発的増加は警戒に値する事態。人口呼吸器で助かる者を見放す事になる事態を避けた(現実には見放された例がPCR検査の制約により起きているが・・予防のための自粛をしているにも関わらず、検査によって感染発覚数が増える事を意図的に抑えた措置を私は犯罪的だと思う)。

    一方、人々の行動は所詮「気分」による。報道やワイドでの伝え方で楽観と悲観の間を揺れ動く自分がいた(気分を作る番組や情報と、冷静な思考を促す番組/情報とがあり、前者に触れると暗澹とさせられ、後者には束の間救われた)。
    気分に支配された状態は危機に対応する身構えとは対極だ。本気で「恐れ」ていない証拠に、自粛警察のように鬱屈を他者に向けて晴らす行動に走る。「恐怖」に駆られた人間が(例えばペスト流行時)営業している店にイチャモン付けに回るものだろうか。
    動機は疾病への危機感ではなく「医療崩壊」への警戒、と説明も可だろうが、政府の対策と行動自粛による負担のアンバランスには目を向けず、威を借って脳にドーパミン分泌させる方を選択した訳である。
    かの光景は戦前の隣組による相互監視の風景も彷彿させる。
    (「戦争に勝つ」目的の善悪はともかく、せめて互いに協力して公に貢献する美しい光景が見られたなら、と思うが日本のどこでそれを拝めたろう・・竹槍訓練で戦争に勝てるとは誰も信じていなかっただろうが、お上に文句が言えないストレスを「皆○○の目標のために一丸となり<我慢して>やってんだ」(無論<喜んで>やってます、と笑言わなきゃ拘引されようが)と、やらない者にマウンティングする事で晴らす。忠誠の功を競ってアピールし、優位な立場を得ようとするさもしい競いの場、お上の非はお咎めなし故の民同士の醜い足の引張り合いが、再び展開されるのを見る事になるのだろうか。。

    さて、劇場でも自由席として、特段席を空ける誘導はなく、そのため開演間際に入場した私は、やや前方の中央辺りの空席にお邪魔した。が、隣に座られた高齢の女性がカニ歩きで席に入った自分を驚いた顔をして迎えていたと思うと、荷物をまとめ始め、「まさか」と思うや別席に移っていった。
    確かに、その席からの視界には一席ずつ空けて座る観客ばかりだったが、後ろから来た私は隣り合って座っている場所が多々あるのを見て殆ど躊躇なく座った。女性は高齢もあって警戒心に抗えなかったのだろう。舞台に集中できないのでは来た意味がない。

    こうした事が何時まで続くか判らないが、これが数年続くとすると、これを称して後の教科書には「コロナ期」とでも説明されるのだろうか。。
  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 6日目 2020.6.27 14時半
    6日目の出演は、3組。(追記2020.7.1)本日28日も14時半から『いきもの絵巻・・・」の後、アートカンファレンスがある。

    ネタバレBOX


    出演順にⅠ:松本 隆彦さん、ベートーベン生誕250年ということと、COVID-19災禍に苦悩する地球市民への連帯を目指して「アパッショナータ」を今作タイトルに選んだピアノ独奏、人口に膾炙している「エリーゼの為に」を元とした演奏を披露した。久しぶりの生公演ということもあり、序盤第1音の重さを感じて、その心理状況が演奏に影響を与え音に艶と生気が欠ける点は観られたが、テクニックは無論高い。「パッショナータ」を弾く頃には正常な精神を無論回復していたが、タイプとしては、職人的なピアニストという印象を受けた。どういう意味か? 所謂天才は、兎に角、ステージに上がった瞬間から外側からそう見切る者が居なくても途轍もなくテンションが高いとか、徹底して深い自らの決定的な瞬間から始めることができる。その点が異なるのだ。華4つ☆
    Ⅱ:東京ノーヴィレパートリーシアターの菅沢 晃さんの一人芝居は、ドストエフスキーの「白痴」から『ムイシュキン公爵のモノローグ』。癲癇の療養でスイスの寒村で過ごした4年の追想を述べるという形を取る。今作、長編「白痴」の長大な文章群の中の白眉ともいえるパートであろう。公爵といえば通常貴族の最高位だが、そんな高い位にあって尚ムイシュキン自身が白痴と見做されるのは、無論彼が赤心で生きているからである。
    当然のことながら、出会った当初は兎も角、暫く経ち子供とのコンタクトが生まれた後は、子供たちに好かれる。その彼が癲癇の療養で出掛けた他国(スイス)の田舎の村で村の下働きをして病気の母を支え、いつも蔑まれている若い女性(マリー)が通りがかりの馬車に乗った若い外国の男に拉致され捨てられて、ボロボロの状態で村に徒歩で辿り着いて以来、村人たちは彼女を八分にした。が何より痛ましかったのは彼女の母が最も熾烈に彼女を罵り傷つけ、家から追い払ったことであった。母は彼女が「母の顔に泥を塗った」と責め追い出したのである。追われた彼女は雨露を凌ぐ屋根も寒風から護ってくれる壁も無く、更には彼女に唾を吐きかけ酷い言葉を浴びせかける親たちの真似をして石を投げたり、意味も分からず罵声を浴びせる子供たちの恰好のターゲットとなっていた。然しムイシュキンは、彼女の身に振り掛かった不幸に同情し庇う。初めのうちこそ子供たちはムイシュキンにも石を投げたりしていたが、ムイシュキンが彼女の被った不幸を彼らに話してやると、子供たちの態度が変わった。胸を病んでいた彼女が遂に倒れ病の床に就き、外出すら適わなくなると、子供たちは代わりばんこに彼女の看病をし、野の花を摘んでは彼女の枕元に飾り、貧しく全く余裕のない生活の中から何らかの食べ物を運んで彼女に供した。然し彼女は遂に身罷る。村中の子供たちが集まって棺桶を設え彼女を墓に運ぼうとしたが、重くて叶わなかった。興味本位に集まっていた大人たちの手を借り、子供たちみんなが棺を担いで墓地へ彼女を運び、彼女の遺体には子供たちの摘んだ野の花が添えられた。以降彼女の墓に花の絶えることは無い。不幸だった彼女の人生の最後に彼女は本当の幸せというものを手に入れた。これが上演された今作の粗筋であるが、ムイシュキンが癲癇持ちであることには、ドストエフスキー自身が投影されていると見るのが普通だろう。ドストエフスキー自身、死刑になる所を流罪に処され、刑を終えて帰って来てからは頻繁な癲癇の発作に悩まされ続けたことは、誰でも知っていようから。華5つ☆
    Ⅲ;高 瑞貴さん、宮本 悠加さん2人のダンス公演、タイトルは絶滅させられた飛べない鳥で、ルイス・キャロル作品にも登場するドド、作品タイトルは「dodo」表記。5つ☆
     切っ掛けや動作など作品全体の3割程度を予め決めていた他はアドリブやインプロヴィゼイションで演じたとのこと。ドドの形態模写を中心に演じた高さんは、子供の頃から舞台・ミュージカルなどの素養があるので動きは可成り良い。同時に余り意味に縛られることなく自由なイマージュを身体化している点に新鮮味があって面白く拝見した。舞台の使い方も面白い。ホリゾントの上手壁を構成しているパネルの下半を4枚外して、その奥から鳥の動きで登場したりするのだが、下手ホリゾントと衝立の間に脚から上を隠した状態で横たわった宮本さんがラストを除く殆どのシーン脚だけを用いてのパフォーマンスを披露しているのだ。
  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 5日目 2020.6.25 19時
    5日目は、出演2組。次回公演は27日(土)14時半開演、演者は3組、5日目とは演目、出演者共に異なる。

    ネタバレBOX


     5日目出演順にⅠ:酒井エルさん、ダンスの演目は「フィールドノート」ご本人は自然の中に身を置いてそこから感じたり、体得したもの・ことを表現した、とおっしゃっていたが、序盤から中盤までは暗転した舞台の何処にどのような姿勢で現れるのかが全く見えない中、明転すると其処に彼女がおり、ある姿勢を取って各々異なったダンスを披露するという感じで、最初は海の波音の擬音を出す箱などの容器の中に小豆等を入れて緩やかに中の小豆を回したり傾けたりする動作が、地球上に海が現れ地球に影響する太陽エネルギーの0.2%が起こす波・風を彷彿とさせ、彼女の身体の他の部分では母なる海に生じた原始的なアミノ酸結合体から生命が生まれ進化してプランクトンになって波寄せる浅瀬で揺蕩うような動きが、小道具から生じる波音とスピーカーから流れる波音の音響の中で演じられ、暗転後は舞台縁迄移動した彼女は右側の体側を板につけ顔は舞台ホリゾントに向けて横たわったところから動き始めた。この間音響は、強い雨が地面を叩くような音、雷、強風等々と変化し続ける。これらの音響変化を自分は地球の歴史と捉え、その中でプランクトンから様々な生き物に進化してきた生命の歴史がダンスで示されているように感じた。(但し、ここでこのような解釈をしたことと、現在地球の歴史を繙く科学者の認識は無論、多少異なっている。唯、科学者ではない人に其処迄要求するのは酷であろう)3度目の明転では、組み上げた階段を上り当にホリゾントに張り付く蟹のように蠢く身体表現を見せて鮮烈な印象を与えた。ラストでは、再び最初に用いた擬音を出す小道具で波音を聞かせてくれたが、自分はPaul ValéryのLe cimetière marin(海辺の墓地)の一節、La mer,la mer,toujours recommencée!(海よ、海よ、無窮に繰り返す!)を思い出し母なる海から生まれた我ら生き物が、その個体発生に於いて海とそっくりな組成を持つ母の胎内の羊水の中で系統発生を繰り返して生まれてきたことをも考えた。不満はと言えば、若干、演技がおとなしすぎるという点か。華4つ☆  
    Ⅱ:日野 利和さん、アベ レイさん、藤田 恭子さんの3名。演目タイトルは「パラレルワールド」だ。板上やや下手奥には3mほどの高さの脚立が立てられ、その足元に大きな薬缶、真下にはセメントを捏ねる桶のような物が置かれ、その中に女が1人体を丸めて俯いた状態で座っている。襤褸を纏いビートルズの曲にのって現れた現れた男が所せましと動き回るのを、セメント桶から出ずに何とか捕まえようとする女との鬩ぎ合いが幾度か続いた後、女は外に這い出して、飛び回る男の足元を捉え、着地させる。この辺り、女に捕らえられた総ての男には、体験感覚があろう。男は常に今あらぬ所・時へ飛び去ろうとし、女は自分の居場所に繋ぎとめようとする。この束縛を男は本能的に嫌うのだ! 何となれば男の本性はその非在性にあるからであり、女の本性はその存在性にあるからである。その双方の自由は従って真逆のベクトルを持つ。
     ところで、取り敢えず女に捕らえられてしまった男は女の下僕であるから(存在の前で捉えられてしまった非在など如何程の価値があろうか?)カップルの形態を採っているのだが、ここに第3者としてもう1人女が現れる。ところで新たに現れたこの女は、意味を伝える言語は用いない。言葉と音楽の間にある音声表現を用いつつ、最初の女から男を獲ってしまう。捨てられたというか、男を獲られてしまった女は、独り孤塁を保つが、やがて己の巣に戻り、独り何事かをし出す。新たなカップルは、互いに向き合って飛んだり跳ねたり、数メートルの距離を置いて対面する時に口を丸めて同時に大きな円を作って見せたりのコレスポンダンスに興じていたが、無意味だが示唆的な音声を出す女に対して、「は」だの「何」だの「熱い」だの意味のある言葉で、好き勝手を互いにしているようでいながら、パラレルな中にも接点を持った2人が、セメント桶に戻った女の所を覗きに来て、彼女が棲家から持ち出し、むしゃむしゃ口にしているもののおすそ分けを貰う。すると阻害されていたハズのセメント桶の女と第3者として現れた女、後者に奪われた男の間に一種の連帯、紐帯が生まれ、第3者としての女が薬缶を手に脚立の上に上がって第1の女、男の順に頭上に掛ける水は、即ち命として共生してゆくこと、或は農耕が開始されて以降の人類史を暗示しているという具合にも解釈できる。そんな物語を組み立てることのできる作品であった。実に楽しく拝見した。
    終盤、男と半分軟体動物と化した最初の女が見せるダンスも実に示唆的で面白い。華5つ☆
  • 満足度★★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 4日目 2020.6.23 19時
    4日目も、出演は3組。

    ネタバレBOX

     今日は3組総てがグランドピアノも用いる。最初の2組はほぼ舞台中央に置かれたピアノで演奏するが、3組目だけはピアノを上手奥に移動、演劇スペースを広く取る。
    出演順にⅠ:SORAEという団体で活動する2人、ERIKO・HIMIKOさんのダンスにマルチメディア・インスタレーションの織田 理史氏がコラボ。作品タイトルは「2/1 Geist 1/2」。衣装・照明オブジェはERIKOさんが担当、パソコン、モニター、音響スピーカー、ピアノ演奏は織田氏が担当した。照明は常時昏め。板上には随所に照明オブジェが散らされている。
    オープニング、ピアノのやや上手にあおむけに横たわったERIKOさんが、腕を上げるが、照明は、その様子がハッキリ見えるギリギリの暗さ。身体パフォーマンスが続く中、客席方向からズカズカと歩いてくる靴音、感心したのは、瞬間これも演出と判断させた靴音の高さと入場のタイミング、そして大き目のキャリアケースから取り出された、スピーカーやモニター、パソコンを手際よくあちこちに配備してゆく実務的な動作が、ダンスという芸術表現と対置されながらちっともどちらも邪魔し合わないという点であった。織田氏がピアノで弾いた曲は、電子機器が奏でる音響のどこか騒音じみたり、心臓の鼓動音のようであったりという流れを作るのとやや異なり、ピアノ曲は現代音楽風の抽象度の高いものであったが、各々の音の響き合いが絶妙であった。
    ダンスは宇宙空間に浮かぶステーション内の無重力空間を揺蕩うようであったり、トルコのメヴレヴィー教団の回転する踊りのような動きであったり様々であるが。舞台上を動き回りながら押すと光る照明装置に触れ、昏い舞台空間にイソギンチャクの胴体のような光の装置が灯ると恰も魔法に掛けられたかのような幻想的な時空が現出した。一方、心臓の鼓動音を思わせる電子音が流れる中を2人が歩み寄ってタッチの動作をした時のシーン等は、宇宙空間の中で孤独な生命同士が触れ合ったような新鮮で斬新な感覚を呼び覚まされた。2人の互いに異なる個性を個性として表しつつ、時折交点を結ぶコラボレーションが素晴らしい。華5つ☆
    Ⅱ:束祓 つかさ氏と松本 邦裕氏が演じたのは「蟲愛づる姫のテーマ 聲Version」作曲・ピアノ演奏は束祓氏、衣装は白、芝居・音声は松本氏、衣装は黒。ちょっと変わっているのは、ピアノのやや上手手前に真っ赤な傘が開いた状態で置かれていること。これは、平安時代、遊女(白拍子などと同じく歌などを歌った芸人、芸を披露する際には必ず傘を広げて芸を演じた)菅原道真の子孫にあたる「更科日記」作者・菅原 孝標の娘も足柄山で出会った遊女らのことを記している。出演者お2人の衣装の白と黒の表すものは、凡その見当がつこう。傘の赤は生命の象徴としての血である。演奏された曲を目を瞑って聴いていると、全身を耳にしたように聴いていた自分の耳だけが身体を離れて、てふてふのように飛んでいくというような幻想が生まれる素敵な曲であった。そこへ松本氏の頗る響きの良い歌唱、ほれぼれするような美声で時に力強く、時に密やかにメリハリの効いた音声が絡み、ほぐれる様には流石、普段からの研鑽が稔っていると感心することしきり。5つ☆
    Ⅲ:「ダーティー・ドール~ダリオ・フォ&フランカ・ラーメの『良くある話』より」は、シアターX一人芝居研究会のメンバーの中から演技・石井 くに子さん、ピアノ演奏・志賀澤子さん、サックス・服部 吉次さん3名が出演した。ダリオ・フォはイタリアのノーベル文学賞受賞作家、フランカ・ラーメはその奥さんであるが、拉致され集団レイプされた経験を持つ。
     この予備知識を持っているといないでは、観方が相当違ってくるであろう作品だ。ダリオ・フォ自身が痛烈な社会批判をした作家であったから、アメリカからは入国を拒否されていたし、『良くある話』から採られている作で、このように突き放したタイトルの原本にも如何にもフォ夫妻らしい覚醒した意識が感じられる。またラーメの体験した凄惨な事実が、あらゆる女性にも襲い掛かる可能性のあることが多少の社会批判と、ちょっとコミカルな内容に、少女が大切にしていた襤褸人形との逸話を絡ませ、恐らくは人形のように男達に好き放題に弄ばれた許しがたい念をも重ねているのであろう。ラストは志賀さんの様々なアレンジに満ちたピアノ、服部さんのジャズの即興のような素晴らしいサックスを交え「猫踏んじゃった」が掛かる。この曲がこんなにも見事に箍を外してくれる名曲だということに感じ入った次第。5つ☆
  • 満足度★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 3日目 2020.6.21 14時半 艘評価☆3つ

    ネタバレBOX


     3日目も、出演は3組。出演順にⅠ:渡邊翼くん。タイトルは「導き」、誕生を迎えて26歳の青年である。洞窟のような空間に水の垂れる音を音響効果としてかなり長時間用いた。港 千尋 さんの洞窟に関するアルケオロジーがふと頭をかすめたが、渡邊くんのイマジネイションは、可成り素直なものであり、日本の男性の子供っぽさに驚かされつつ拝見していた。終盤、ダンスのみで表されるべき表現に台詞が露骨に入っていることから、ダンス等言語によらぬ表現をベースにする表現者を目指すのか、或は芝居の役者を目指すのか未だ決めかねているという感触を得た。日本の男子は、海外の同年輩と比べて極めて幼稚。もっと世界と向き合って己の頭で考え、行動を決定して欲しいものである。評価3

    Ⅱ:今村よしこさん、タイトルは「cell」。cellは無論、細胞のcellであろう。無論、刑務所の独房や僧院・修道院などの独居室も表せば、党の細胞なども表すがメインテーマが生き物の物語だから、最初の解で間違いあるまい。ところで取り敢えず余程のハネッカエリでない限り、敗戦以降日本の男は戦争に関わって殺人を経験したり殺されそうになったことは殆ど無いから良いか悪いかは別にして余り突き詰めて生命を考えたことは無かろう。生命を真剣に考えなければならないのは、逆説的だが死と向き合った場合である。別に戦争でなくとも喧嘩坊主で命懸けの喧嘩を何度もやった奴ならこの辺りの事情は体得しており、無論それなりに大人である。これに対して女性は、赤ちゃん、幼女、少女、娘、女性と年齢を重ねる毎に身体自体が大きく変わるから、その中で体得してゆく精神の成長ものんべんだらりの男などより遥かに進んでいる。そんなこともあってか、本日3名の演者の中では、最も説得力のあるパフォーマンスであった。評価4

    Ⅲ:ヤンバル小太郎氏、タイトルは「聖蛇ハブに聞く、命❕」この方、ソロダンスなのに自分の演じる身体パフォーマンスの武器は何処にあり、それが観客にとってどのような意味或は何らかの提起乃至はイマージュの喚起ができるのかを全く考えていないようである。即ち戦略・戦術が欠けているのである。金も演出家も無しでソロで踊るのであれば自ら演出をするのは当たり前。そも、このタイトルの“聞く”は、正しくは“訊く”ではないのか? アフタートークで見せた身体表現には、武術を学んだ者の持つ鋭い動きが見られたものの、自らが表現する者として立つ為に考えなければならないことが殆ど欠落しているように思われた。表現する者は、常に意識を欹てていなければならない。生き・目覚めている間、意識が常に目覚めていること、それこそ表現する者の第一の資格である。猛省されたい。評価2
  • 満足度★★★★

    第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 2日目
     2日目も、出演は3組。出演順にⅠ:加世田剛さん Ⅱ:藍木二朗さん Ⅲ:巻上公一&伊藤千枝子さん 3作品総合評価 華4つ☆

    ネタバレBOX



    I:加世田さんの演目は「Bio」、生命とは何か? 何の為に生きているか? を問い言語化し得ないもの・ことを身体パフォーマンスで表すことを目指した。武術的ダンス劇団“SPINNIN RONIN”を主宰する他、映像・舞台を融合させたパフォーマンスグループENRAのメンバーでもあり、全米武術大会で3度優勝の輝かしい経歴を持つ。
     身体能力の高さ故か、動きに軽みが感じられる。背景に流れる音響は、英語で語られた様々な演説などを分解再構成したものが主で、話者の声質の高低が身体パフォーマンスと可成りマッチし、現代のパフォーミングアーツや二次元芸術の流れともマッチして居る為、自分には情報の海に溺れ漂うépaveのように感じられた。音響に南部の黒人女性シンガーの歌うゴスペルのような憂いに満ち荘重でもある音響を入れ、武術の動きを対比するように剛の動きを入れ、今作の主たる動作であった柔とも対比させたら尚面白い作品に仕上がったように思う。殊に最近の表現は歌唱や絵画・写真・映像など2次元表現にしても、他の現代作品の引用や、コラージュなどが多いように思われるばかりでなく、余りにありきたりで陳腐な価値観に収斂する作品が多いように思われる。バンクシーも結構様々な作品やキャラをベースにするが、彼が根底に持っているアンチ消費社会性や、絶望に打ちのめされた人々の持つ昏い目の描き方の持つ衝撃力、彼自身の視座としての皮肉な眼差しなどが、彼の作品を独自なものにし、際立たせている点で凡庸な表現者の追随を許さないのだろう。日本人の特徴の一つとして体制順応、言い換えれば寄らば大樹の陰的な発想があると考えられるがアーティストにとっては矢張り独自性の方が大切だろう。己の表現の独自性を更に追及して欲しい。4つ☆
    Ⅱ:藍木さんの演目は「変異体少女」当パンの説明には、“一人の少女が、世界に背を向け、サイバーデータ空間に、引きこもった。新たな種族になるために。”とある。が自分は、基本的に当パンを読まずに舞台を拝見し勝手な解釈をするのが楽しみの一つということもあってこの文章を書くまで当パンに目を通さなかったのはいつも通り。で、変異体という単語に接して一番最初に浮かんだのは、F1人災による突然変異である。が作品を拝見しつつ感じていたのは、音響が宇宙飛行士と地球の例えばNASAとの交信のように思えたことも含めて宇宙空間で殆ど絶対的な孤独という体験をしながら無重力空間を彷徨う少女のイメージであった。話は変わるが踊っているのは男性なのだが、セーラー服を着ての踊り方は実に女性的に見えた。ところで歌舞伎では現在女性も男が演じている訳だが、所謂女形の歌舞伎役者に言わせると、女を演じるのではなく、男の中にある男性性を殺すのだとのこと。実際に我々ヒトは、男性であっても女性性をも持ち、女性であっても男性性をも持っている。その身体的特徴を殺すことで己の身体の中にある逆の性を表出させる訳だ。当然、実に自然な演技になる。自然に見える演技こそ、最も難易度の高い演技ということと同義であるから、歌舞伎役者の表現力は極めて質が高い。そんなことも想起させる舞台であった。華4つ☆
    Ⅲ:巻上公一&伊藤千枝子さん。演目タイトルは「チャクルパ5アルハラララーイに声の雨」巻上さんはヒカシューのリーダーとして著名な方だからご存じの方も多かろう。極めて個性的な表現力を持つ多芸多才のアーティストである。ダンサーは伊藤さん。“珍しいキノコ舞踊団”を主宰しダンスは無論のこと、振付・演出・構成まで手掛け国内外で活躍してきた方だからご存じの方も多かろう。基本的には、カムチャッカ半島に住む先住民の祭り・アルハラララーイに呼応した巻上さんの喉声・所謂口琴を用いた音響パフォーマンスなどに、伊藤さんが連動したダンスでコラボするという公演で、お二人の個性が見事に交感してユニークで高品質而も愉しい時空を提示した舞台は流石。華5つ☆
  • 満足度★★★★

     シアターX主催公演なので各回たった1000円で観ることができる。次回は20日14時半開演。詳しくはシアターXホームページで。
     尚、初日は3作品を上演したので☆はトータル評価。各作品の評価は作品ごとにつけてある。

    ネタバレBOX

     今回で14回目を迎えるシアターX国際舞台芸術祭(IDTF)2020。初日の6月13日14時半開演の公演を拝見してきた。3カ月近くも生の舞台を拝見していなかった我ら観客にとって、虚ろが世界を吸い込むように強烈な感覚と共に入り込んでくる生身の人間の持つぬくもりや3次元空間の広がりを、ダンス・パフォーマンス・音響・光・衣装の色彩等々に触発された我々の想像力が補完して舞台芸術を完成させるという、普段多くの演劇や舞台作品を拝見してきた者にとっては、当たり前の理屈になっていたものが、魂の渇きを癒す石清水のように流れ込んでくる感覚は、当に桃源郷もかくあらん、と感ずるほどのものであった。
    初日の演目は3作品。今回のメインテーマは、 “『蟲愛づる姫』(「堤中納言語」に所収)とBiohistory=生きものの物語”と題されている。これは、第13回(2018年開催国際舞台芸術祭)のテーマが“かぐや姫avecアインシュタイン”だったことに呼応している。因みにかぐや姫の登場する「竹取物語」には紫式部も言及しており、日本の物語文学の祖として極めて高い評価を与えているが、それも当然のことと言わねばなるまい。何となればこの物語には、日本の物語の総てのパターンが祖型として組み込まれているばかりでなく、極めて効果的に組み合わされることで物語としても超一級の名作となっているからである。無論、「竹取物語」同様現在まで古典として残っている「堤中納言物語」も名作であるが、これほどの傑作が何故か二作品共に作者不詳であるという所が奥ゆかしいではないか。
    さて、そろそろ上演作品各々の解説・評と参ろうか。
    Ⅰ:「装蛾舞戯Moth Gathering」 ジェフ・モーエン&奥山 由紀枝さんのユニット、毛円ダンスの公演でシアターXのIDTF出演は2018年に次いで2度目だ。振付をモーエンさんが、衣装を奥山さんが担当した。この2人のダンスは、ゆっくりした動きの中にこそ活きる鍛え上げた身体の齎す見事な身体の力学的緊張をベースに、考え抜かれ極めて理性的な所作の展開と、用いられている十二単の色味を基礎にした赤・青・黄・紫などを繋ぎ合わせた大きな方形の布を用いつつ、蛾が命の盛りに炎の中央に吸い込まれてゆく習性をも織り交ぜ、この地球に生きるありとあらゆる生命の象徴として、誕生から死までを、そして再生をも表現したような作品であった。無論、身体表現以外の色彩、照明、用いられている音楽とのコレスポンダンス迄見事に融和し調和した傑作。評価は華5つ☆
    Ⅱ:フランスのニナ・ディプラさんが2013年から毎年、来日してシアターXで行ってきたワークショップ参加者の中から4人の役者が集って演じた。ユニット名はニナ・メイツ。作品タイトルは「ニナ愛づる者たちのBIOhistory」全員ダンサーでは無いから作品コンセプトをどのように纏めるか? について迷いもあったのかもしれないし、コロナ騒ぎで大変な点もあったとは思うが、国も殆どの自治体も非科学的で非合理的即ち頓珍漢な対応しか取れなかった(和歌山県と鳥取県を除き)状況の根源にあるものをこそ、表現する者の持つイマジネイションや哲学で解き明かし舞台化してほしかった。4名のうち、男性が1名、他は3名の女優さんたちで、若いということもあるだろうが、表層レベルの表現に終わった点は、熟考の余地があろう。そういえば亡くなった小田 実さんが生前面白いことを仰っていた。民主主義というものを考える時、例えば多民族国家であるアメリカやフランスのような国を人種の坩堝と考えるより、サラダを考える。即ちメルティングポットのように各々の個別性を綯い交ぜにしてグチャグチャにしてしまうのでなく、個別性はキチンと活かしたままで全体として上手く機能するような社会、それが真に目指すべき民主制ではないのか? というような発想である、三密を避けるなど自分自身に向き合ってゆっくり考える時間はあったハズである。国も自治体も有効な策を採れないならば自分たちの頭でじっくり考えて新たな案を提案すること。これもアーティストの役割だろう。基本は、現在最も危機に陥っているファクト自体を探り当て、見極め、コロナ問題であれば、医学・科学・社会学・心理学・情報リテラシー・情報共有方法・プライバシー保護方法・対処療法収集及び分析・生活保障方法などの対策を具体的事実を集積すると同時に分析しその結果を活かしつつ新たな情報、情報共有手段ネットワークを構築、事実のみから演繹された結果を合理的・科学的に統合しつつ、基礎になる感染症の基本対策即ち罹患者と非罹患者との隔離を徹底する為の罹患者集団の社会階層や職種、罹患条件の明確化を図ることによって次のステップへの合理的絞り込みの確立を上げる等々。即ちファクトを基に合理的検査手法の喫緊な実施と治験に繋がるような研究も為されなければならなかったが、それを実際にやったのは、本当に事態を憂い自分たちの頭を用いて考え実践した研究者、企業を含むサポーターたちであったのは如何にも日本らしい。文科省や厚労省がやったようにラボや大学研究機関を活用させない方法とは逆の徹底活用とスタッフケア等々及びジャンル横断的知の結集等じっくり考えて頂きたい。こんなに細かいコロナ対処を書いたのは、無論死と生の間で生きている間に自分と世界(自分を取り巻く状況や環境と言っても良い)との間に生きて働く思考を打ち立ててもらいたいからである。小田 実さんの「サラダ民主主義」の場合でも個々の自由を極力阻害せぬが他者に何でもしていいということにはならないような社会的器は当然創らなければならない。でなければ表現の普遍性に必然的に収斂するような作品作りにしなければ、少なくともアートとは呼べまい。サラダ的でありつつ、傑作とされるような芸術作品として自分はカンディンスキーの初期コンポジッションを挙げたい。このような作品をものする為にカンディンスキーは点・線・面という絵画表現上の根本的問題をキチンと考えていた。今作評価は☆3つ。
    Ⅲ:仲野 恵子 「生命潮流未知=ライフタイドX-300才(歳)のおどる虫の女の子」仲野さんのソロ。300年を生きる虫の生々流転と見紛うような生命誌。年齢によらず、精神は童女。(女の童と表記したい所だ)用いられている曲も当に子供のような歌い方で歌われた童謡で、虫なのにメスではなく女の子とされている点や、ご本人のはにかみなどの全体が、舞台奥で踊ったこと等にも表れていて、キュートである。どちらかといえば感覚に頼る部分が多い表現者とお見受けしたがダンサーとして身体全体を躍動的に用いるのが常態であるのに、一瞬、左腕だけ脱力させたようなシーンがあって、これを方法化したら天才的な躍りになり得るのではないか? ということを考えさせてくれたダンサー。評価は☆4つ。

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  1. 第14回シアターΧ国際舞台芸術祭2020 テクニカルリハーサルが終わり、いよいよ明日、本番です。 1作品ごとに換気をし、消毒液等もしっかりしてます。 何故私は生き踊り続けるのか?‼︎その答を出したいと思います。 この舞台に立てた事… https://t.co/N9FzzVbyBK

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  2. 来月7日に、剱伎衆かむゐ&剱伎道は両国シアターχ(カイ)にて行われている 『第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020』に出演予定です! 🎋和楽器が彩る剱伎・侍魂「未来へ~Samurai still exist」』 〔望月太… https://t.co/0koqPicAkS

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  3. 【感想】第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020(6/20公演) ・巻上公一『チャクルパ5 アルハラララーイに声の雨』 3演目中、特に印象的だったのが↑ 巻上さんはホーメイや口琴などの民族音楽×電子音楽を得意とされる方なので… https://t.co/ahwrN61tHE

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  4. 【観劇解禁】第14回シアターΧ国際舞台芸術祭2020を見に行った。加世田剛「Bio」、藍木二朗「変異体少女」、巻上公一、伊藤千枝子「チャクルパ5 アルハラララーイに声の雨」ねえ、チャクルパってる? https://t.co/a1I5n4Id60

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  5. 【出演】 第14回シアターΧ国際舞台芸術祭2020 高瑞貴『dodo』(30min) 出演:高瑞貴 宮本悠加 6月27日(土) 14:30開演 一般 1,000円 / 高校生以下 500円… https://t.co/HZpcDxGnY3

    約1ヶ月前

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