第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020 公演情報 シアターX(カイ)「第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    X主催「国際芸術祭」鑑賞2回目。3演目の内訳はダンス・ダンス・演劇。
    先陣は女性2人組、天然素材感ある薄褐色のドレスで舞う。チベットのティンシャ他の鈴を使い、水音や優しげな音楽が流れる中、自然讃美の特命で地上に遣わされた者の如く。一人は力量十分で曲線を描き、一人は音や補助的に立ち回る役割分担であったが、「二者の差をもっと明瞭に出してよかったのでは・・」との客席からの意見に首肯した。やや予定調和な作り。
    二つめの踊りは女性ソロ。勅使川原氏を思わせる素早く鋭い動きと、生じた波動が部位を伝って連続し展開する視覚的快さがあり、想定される何らかの「身体言語」が、何を語ろうとするのか?という関心へ引き込まれる。舞踊は抽象次元の遊びだが、何らかの一貫性を保ちつつドラマ性を演出するという意味では演劇に似ている。今回のは前半保たれていた強く太い幹が、後半やや細まり、勿体なく感じた。前半で自分の中に膨らんだ「当て」が外れただけに過ぎないのだが。
    演劇は企画のテーマである「蟲愛づる姫」を主人公とし、彼女の前に生物進化の各段階をユーモラスに擬人化して登場させ、生物多様性を教える教材のような出し物。バクテリア、ミドリムシ、ボルボックス、海綿、クラゲ・・等々。明治座シニアクラス出身者で作ったグループで、高齢者劇団の趣きだが、キャラの立つ役者揃い。憾みは(恐らく)稽古量の少なさ、内容も相まって余興を見るノリで見てしまった。本来なら相当の時間をかけて作られる演劇という芸術が、今置かれている状況を思う所であった。

    ネタバレBOX

    特に惹かれたのは2番目のソロ舞踊(足立七瀬)『選んで、いる。』。タイトルは現代生活の琴線に触れて来るものが..。
    トークでは、振りの中に「取りに行く」直截な動きを入れた、とか、会場に居たダンサーに質問されて已むなく「通常言わない」ネタバレを語ったりと、作る作業のあれこれが割合と明け透けに開陳されていた。それらは観る私の追おうとしたストーリーとは違うものだったが、それはプログラマーたる七瀬氏の脳内処理の問題で、観客は何を見ようとしていたか(何に誘われたか)を語るのみだ。

    暗がりの中に浮かぶ身体。バックにはアフリカの木琴のような音楽が薄く流れているか、無音のどちらか。無音での緊張が心地よい。「次の動作」への間が、正に「選ぶ」緊張を感覚させる(観る時はタイトルの事は忘れていたが)。
    言ってしまえば、まあ結果つけられたタイトルは良いのだが、踊りが含む要素としては、「選ぶ」という人間の行動そのものを描写してもあまり意味はない。選ぶ事が可能であるのか、という問い、あるいは何を選ぶのか・選ぶべきなのか、という問いが、付随して来なければ思索として物足りなさが残る(その事が作り手の考えとパフォーマンスに反映しているかどうかは不明)。
    七瀬氏の着想は選ぶ=責任(何げなく選んでいる事が重大な結末に通じていたり)であると思う。責任は容易に放棄され得る。個人的な領域では「選ぶ」結果は自分持ち、自分で結果責任を負えばよい、となる。それで話が終らないのは個である己の生き方、行為が他者に多少なりとも波動を送り、影響するから。だがこれは生物学レベルの話でもあって、いわゆる社会的責任に直結する行為は部分的だ。今の状況では、むしろそう考えたい。咳をすればコロナをうつす、という事から、戸外でもマスクをしなければコロナリスクを増やしている、という、世の中の(誤った)「責任」の束縛を、相対化するものを見たいというのはある。
    海外で起こるコロナ関連の「事件」に日本人は驚かされるが、「マスクをつけろ」と言われて逆切れ、極大の憤怒を相手にぶつけてボコボコにした、であるとか、逆にマスクをしろと言ってきかない客を滅多打ちにした、であるとか・・そこには「個は個である」自立と自由の思想の染みついた人間が「コロナ」を理由に「全体のための個」たる事を要求された拒絶感、またその反動を想像させるものがある。米国での抗議行動もきっかけは黒人虐殺でも、「人を押さえ付ける態度」への心理的な反抗が根底に流れている気がする。
    翻って日本はこのコロナ禍にあっても自己犠牲に甘んじて声さえ上がらず・・政府はお金を配るのにも息のかかった所へ割り前を回す周到さ、こんな状況でも庶民を出し抜く「抜け目なさ」を発揮しているのに暴動一つ起きない。あまりに感情を抑え過ぎ、そのつけを別のターゲットに向けている。向けさせる事にこの社会は成功している・・。

    都知事選は「東京五輪、開催か否か」が争点になってしまったばかりに、五輪幻想にまだ固執したい多くの都民が積極支持を表明しに投票所へ足を運んだ(その意味では対立候補はその炙り出しに貢献したとも言える)・・つまり「選んだ」訳だが、それこそ最も重い選択。その責任を個々が吟味すべき期間が始まった、という事である。(私は都民ではないが、、)

    0

    2020/07/09 02:03

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大