舞台芸術まつり!2024春

風雷紡

風雷紡(千葉県)

作品タイトル「天の秤

平均合計点:17.6
丘田ミイ子
河野桃子
關智子
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★

家族を母体として劇団活動を続けている風雷紡。2007年の結成以降、津山事件、帝銀事件、あさま山荘事件などの昭和の事件をモチーフに作品作りを行ってきました。本作『天の秤』のモチーフとなっているのは、1970年3月31日に発生した日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件。奇しくも私が観劇した千秋楽は事件が起きた当日でした。
妙な偶然の中で見る、「正義」とはなんたるかを問う物語。細かな取材や資料の参照にあたりながら、事件の真相と深層をともに描き出した作品でした。

ネタバレBOX

客席と舞台を機内に見立てた美術、離陸アナウンス風の上演諸注意など、開幕前からすでに劇空間が物語に占拠されていることにまず耳目を奪われました。続く内容は事実に忠実に則っており、物語は、赤軍派を名乗る田宮貴麿(杉浦直)らによってハイジャックされた日本航空351便が北朝鮮へ行くことを命じられるところから始まります。
事件の現場である機内と事件の対応に奔走する社内。その2つの軸を往来する形でシーンが展開していき、立場の違いによって正義が歪む様を皮肉に炙り出していました。

機内パートには、田宮以外に機長の石田(祥野獣一)、副操縦士の江崎(北川サトシ)、客室乗務員の神木(秋月はる華)と沖宗(岡田さくら)、植村(吉水雪乃)。社内パートには、日本航空専務の斎藤(高橋亮次)、運輸大臣の橋本(齊藤圭祐)、政務次官の山村(山村鉄平)、客室乗務員指導教官の深澤(下平久美子)。立場や視点の様々な10名の登場人物の抱く恐怖や絶望、迷いや思惑、そして、それぞれ異なる正義の形が描かれていく点が最大の見どころです。人命がかかっているにもかかわらず、社内での権力争いや世間への体裁を優先し、そのジャッジに振り回されるのはいつも現場スタッフで…。こういった構造は現代にも通じる不条理であり、過去の事件ではありますが、組織や国家の闇はいつの世も変わらないのだと痛感したりもしました。

「ハイジャック中の機内」という状況下だけあって、俳優らのお芝居にも緊迫感が走り、また正義を口にする時にはそれぞれ温度も高く、熱演という言葉の似合う作品であったと思います。私が個人的に惹かれたのは、実行犯である田宮に次第に共感を覚えゆく乗務員・沖宗の姿でした。社会運動に刺激されたり、運動者の思想に感化をされる若者の姿は当時の世相を象徴しており、本団体が事件をモチーフに創作するにあたって重要視している「時代に翻弄された人々」をまさに端的に示すシーンであったと思います。

事件の背景や詳細、その当時の時代性を細やかに捉え、真摯に舞台化された作品であったと感じる一方で、それ以上のテーマ性には踏み込んでいない感触を覚えたのも正直なところでした。「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」というセリフは、本作の核心を突いた言葉であると思うのですが、言葉の力に寄り掛かりすぎている印象がありました。言葉の力が素晴らしいだけあって、こうした言葉を暗に示すような劇的な風景をさらに期待してしまったのかもしれません。また、起きていることの情報を正しく伝えようとするあまりに説明台詞が過多になってしまった感も否めず、全編を通じてではないものの一時的に再現VTRを見ているように感じる瞬間もありました。機内に仕立てた空間や俳優の力量を活かして、演劇でなければならなかった演出がもう少し忍ばされていたら、より深層へと潜って行けたのではないかと思います。

しかしながら、風雷紡の実際に起きた事件をモチーフに作劇をするといった試みは、今この瞬間にもあらゆる事柄が風化してしまう現代社会において、非常に意義深いものであると感じます。次はどんな事件をモチーフとするのでしょうか。劇場では、そんな風に今後の団体の展開を楽しみにしているファンの存在感も感じることができ、豊かな時間でした。

河野桃子

満足度★★★★

実際の事件をもとにしているため展開は想像がつくものの、人物の描き方によって、正義とはなにかや、後進を育てる立場のあり方など、ある程度の年齢や立場となった大人の迷いや覚悟が浮き彫りになっていきます。ハイジャックという特異なシチュエーションだからこそ、おそらくだれしもがいつか社会のなかでぶちあたる、育てられるものから、育てるものへの移行の困難が感じられたようでした。

ネタバレBOX

会場となる楽園は、二面舞台でその間に柱があります。今回、アクティングエリアを柱をまたいで奥まで設けたことで、視界の悪さがハイジャックされた機内と重なり、良いストレスとなりました。
緊迫感や人間ドラマなど基本はずっとシリアス。とくに機内は、たった1人でハイジャック犯役として健闘していた杉浦直さんは、なかなかの荷を背負ってのことだったと思いますが、(現実の事件でも)考え方が甘いと言わざるを得ない若者なりの信念には芯が通っていました。地上も右往左往していましたが、日本航空専務役の高橋亮次さんなど、緊迫したなかで頼りなさを感じさせ、かつ客席を沸かせることも何度かあり、私自身もその緩急のおかげで集中し続けられました。

余談ですが、終演後が誘導により1列ずつの退席だったため、待ち時間のあいだに隣席の年配の男性から「よど号って知ってる?」と聞かれました。その、どこかのめり込んだような口調から、リアルタイムでニュースを見聞きしていた方の感想は、また違うのだろうなと、思いました。

關智子

満足度★★★

 2022年に新型コロナウイルスの影響で中止となったためリベンジ公演となった本作は、風雷紡「よど号」ハイジャック事件を題材にしたスリリングな密室劇である。複数の勢力の利害及び影響関係が、それぞれの視点から取り上げられて見事なドラマへと編み上げられていた。

ネタバレBOX

会場となった小劇場楽園の密閉感は、ハイジャックされた「よど号」の密室感を観客に伝えており、加えて描かれる状況の閉塞感、どうにもならない息苦しさをも感じさせていた。そのような狭い空間で演じられる熱量の高い演技は、緊張感を一層高めていたと評価できる。
実際に起きた出来事を非常に綿密に調査し、一つの群像劇へとまとめた劇作能力には驚かされた。これだけの人数の人物の思想や感情だけでも大変なのに、その人物間の変化まで緻密に描かれていた。そのため観客は本作品を通じて、また劇場を出た後も、「正義」について問い続けることができた。
そのような構造の複雑さに比して、「正義」とそれを脅かす存在の掘り下げ方がやや安直だったことが気になった。国家や法の「正しさ」を問うのであれば、ハイジャックを行った赤軍派が信じる「正しさ」も問う必要がある。だが、彼らの思想や行動については(ストックホルム症候群的に同調してしまうアテンダントが描かれている割には)あまり言及されていなかったように思う。少なくとも、私は彼らが盲信者であり問い直す必要もなく「悪」であるように受け取られた。 また、これは恐らく風雷紡の演技スタイルなのだと思うが、狭い空間に比して演技と声量がやや大きすぎるように感じられた。ひょっとしたらより大きな劇場だったら適切だったかもしれない(しかしその場合は閉塞感を手放さなければならず、悩ましい)。

深沢祐一

満足度★★

 「客席をハイジャックする歴史劇」

 1970年3月31日に発生した日本赤軍によるよど号ハイジャック事件に取材した作品である。2022年に新型コロナウイルスのため上演中止になった公演のリベンジとなった。

 客入れでかかるサイモン&ガーファンクルの曲が往時を思わせ、機内アナウンスを模した上演前の案内が客席を劇世界へといざなう。楽園の二面舞台最奥を操縦席に見立て、そこから対角線上を飛行機内と見立てることで、客席がハイジャック犯に占拠されたかのような気持ちにさせる空間設計がまずうまい。

ネタバレBOX

 機長の石田真二(祥野獣一)と副操縦士の江崎悌一(北川サトシ)により運航されていた日本航空351便は、赤軍派を名乗る田宮貴麿(杉浦直)らによってハイジャックされ、北朝鮮へ向かうことを強いられる。客室乗務員の神木広美(秋月はる華)は乗客の命を最優先に他の客室乗務員と奮闘するが、新米の植村初子(吉水雪乃)はオロオロするばかり。その頃地上では日本航空専務の斎藤進(高橋亮次)が対応に苦慮するなか、運輸大臣の橋本登美三郎(齊藤圭祐)の代わりに政務次官の山村新治郎(山村鉄平)が自ら人質になることを申し出る。しかし山村には他に隠している家庭内の苦慮があった。

 事件にかかわった人物を実名で舞台にあげた勇気には感服したが、この上演を通して伝えたいテーマが見えてこないため、調べたことをただなぞっていたようになってしまった点が残念である。また状況の変化がすべて台詞で説明されてしまうため劇的な効果が殺がれていた。さらに機内の様子や航空会社、関係省庁や議員が行く末を見守る様子に加え、乗組員のプライベートの描写が入ってきたことで情報が錯綜し、観ていて混乱した。いっそ機内の様子に的を絞ったほうがより緊迫感が増しただろうに残念である。

 俳優は皆健闘していたが、説明的な台詞のために深い共感を呼ぶようなものが少なかったのも残念な点である。そんななかでも実行犯に一時的に共感する様子を見せる客室乗務員・沖宗陽子を演じた岡田さくら、冷静な指導教官深澤聡子を演じた下平久美子が印象に残った。

松岡大貴

満足度★★

同時代の事件を扱う困難さ

ネタバレBOX

日本赤軍によるよど号ハイジャック事件を基にした作品。物語や人名は史実をそのままに、台詞や人物描写は創作しており、カット割りのように場面が変わる様はさながら再現ドラマのよう。航空機内部での場面を再現するために、下北沢小劇場楽園の縦長の構造や、柱の区切りを客席とコックピットの区切りに見立てる部分は劇場を活かした演出だと感じました。
同時代の、しかも現在も関係者や関係者に連なる人々が健在の事件をテーマにした作品を観る時に難しいと感じるのは、これらがなにが事実でなにが創作か誰も判断することが出来ないことだと思います。劇中で人質の身代わりとなる政治家は、まるで大臣に嵌められたかのように、そして大臣やその上も非常に矮小に描かれている。ハイジャック犯も非常に無計画で言葉足らずな、感情移入するのが困難な人物として見受けられる。少なくとも同時代に一定の共感を経ていたはずの革命理論は、ある運動体の指導者足りえた部分はなにもなかったのだろうか。身代わりとなった政治家は無事に帰国したのち身内による殺人事件の被害者となってしまうのだが、その事実を持って、なにを描くのか。この政治家は図らずも身代わりになり、無事に帰ってきたが、後年身内に殺された。ここから何を受け取れば良いのだろうか。
史実を基につくる群像劇が一人一人の登場人物を掘り下げることは困難だと思います。一方、ならばこそ、舞台芸術としての演劇はその自身が持つ権力性や暴力性に自覚的でなければならないのではと思います。

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