夜は昼の母
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2024/02/02 (金) ~ 2024/02/29 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
二度目の観劇はならず、破の序盤ステージを目にしてより日が随分経っているが、褪せつつある記憶を掘り起こして言葉にしてみる。
ネタバレBOX
風姿花伝P・上村聡史演出による優れた舞台を目にした事で、自分が作者ラーシュ・ノレーン作品への「予断」を無遠慮なまでに持っている事はまず断った上で・・。
作品はストーリーテリングのずっと手前、舞台上に存在する個体としての人間描写が、細密画のレベルで求められている、というのが私の感じ方であり、作品への願望だ。
ゆえに役者の課題は「さらけ出された人間」の提示であり、「話を進める」最小限の役割よりも、「そこにリアルに存在し得る」ありようが深い洞察から生み出される事が重要だ、と感じる。
劇が進むリアルタイムの時間は、客観的事態の進行以上に、人物の他者への影響による変化に比重があるため、ある時間経過の後に想起する(観劇中であれ観劇後であれ)時の人物の整合性、リアリティの濃さが相対的に重要になる、という風に言えるか。
高度で複雑な役者の仕事は人それぞれ、説明困難ではあるが、恐らくは「役人物」と「役者本人」との「合作」として、己の中から有用なる人物を発見し、生み出す課題となるのだろうと思う。
という事で、結論を言ってしまえば、ストーリーよりはこの芝居に登場する人物たちの人物像にどれだけ役者が迫れているか、360度包囲されている「家族」内部の関係性と構成員の人格=たたずまいと行動が緻密に描けているか、の話になる。私の関心は(劇から受け取る快楽は)、それだからだ。
そしてそれはラーシュ・ノレーン戯曲の最大の特徴が「人間(あるいは家族)」の本質の暴露だから、である。
過去上演された二つの共通点は、ドメスティックな会話劇である点。一作目は父母と息子・娘、二作目は二組の夫婦。そして本作は再び父母と二人の息子即ち現代の核家族だ。
父に問題のある家族の痛み(現在・過去ともに)は、映画の題材としても多いが、父とはそういうものである、とも言う。反面教師、越えるべき壁。
だがセクハラと強姦が地続きだとは言いつつも「傷」の程度は大きな開きがあるように、「問題ある父」の影響力も様々だろう(同じ家族でも感受性によって大きく違ったりする)。
この作品に登場する父は重症の部類とされている。ただし、作者の経験が反映しているせいかその「度合い」を客観的に測る事をしていない。(そのような他者の目を存在させていない)
父は酒乱であり典型的アル中でもあるが、芝居では「アル中」という概念で父の状態を把握する家族を置いておらず、目の前の父という具体的な存在の言動に即反応せざるを得ないドメスティックな環境がある。幾分余裕のある観客は「これはアル中だ」と脳裏をかすめても、芝居に没入する事でそうした一般的なカテゴリーでの認識は背後に退き、無力に思える。家族の成員が見る家族の風景に同化する。
さてこの父は普段は人の良い人物である。が、酒を飲んだがために無茶苦茶な事をする、全くの別人格の出現に翻弄される経験を家族は重ねた結果、酒と事態との因果関係を体験的に把握するに至る。だが忘れた頃に出現するため、一家の長を常に監視する事はできず、、といった経験を何年もの間重ね(あるいは最初は何年かに一回、それが徐々に頻度を増してきたという事も)、「現在」即ち下の息子が17歳になった家族状況を迎えている、という訳である。
父を山崎一が演じる。
この配役については私は懸念があったが、これはあくまで私が描くラーシュ・ノレーン作品のイメージに照らしてだが、やはりある線を超えられてない、というのは正直な感想。
父の一見情けなく病的なキャラに山崎氏は合っていそうなのだが、実際得意とする技をこれでもかと繰り出していたが、私の記憶と照合した所のNylon100℃による2000年前後の舞台(祖父と幻想の中の息子役)での山崎氏とほぼ変わりがない。彼一流の笑わせ術がある。その定型を駆使してうまく繋げた、という印象だ。俳優が演技を「技で繋げてる」と感じる事はあるが、上手い作劇の芝居だとストーリーへの注意が演技の細部を目立たせず、ポイントを押さえた演技をしてくれてたな、という印象を残す。役者の仕事は概ね、そういうものだと言えなくない。が、この作家の戯曲は「別」なのである。
ただ、本作は戯曲としての完成度に難があり、それゆえ細密画の完成よりは「展開」の妙、役者の身さばきの躍動を取り込もうとしたのかも知れぬ。多くの観客の納得を得る工夫は不正解とは言えない、が、私が求める快楽からは遠ざかる。「人間」の限界のリアルな形での提示は、芸術の重要な役割の一つ。話は逸れるが、どろどろな権力中枢の「人間ゆえの」醜さを、どことなく整理の付く話に置き換えて大衆に飲み込ませている欺瞞を見るにつけ、人間はもっと「暴かれねばならない」欲求が高まるのである。
4人家族の中で最も癖のある役柄は、岡本健一演じる次男だろう。芝居の冒頭は、彼が女装をして鏡の前に立ち、それを見つけた兄が容赦ない嫌悪の言葉を弟に投げ付ける場面だ。嫌悪が性的なものに対するそれなのか、自分の理解を超えた「趣味」に対する反発なのかは分からないが、弟の歪んだ人間性は後々次第に見えて来る。既に50近いだろう岡本氏が十代を演じている事に最初違和感がよぎったが、成長しない精神をもう一人の老成した自分が眺めているような爛れた性質に似つかわしく見えて来るのが不思議、というよりゾッとさせる。
兄はサックスを実際に吹く場面で技を披露していたが、家を出て自立したい願望を吐き出している相対的にまともな存在だが、最後は彼も家族のゴタゴタに関わらざるを得ず決断に至らない。これが家族の病としてなのか、行きがかり上そうなっちゃった(劇が終わる時点では)という事なのかは不明で、おそらくフィクションと割り切って書かれたなら兄は出て行くか「出て行けない」か明確にしただろうが、体験が元になってる故にそこを明確に出来なかった。(現実の家族は己の意思と、意思とは別の必然と間で繋がりが維持されている。)という事で兄の描き方はもう少し別のあり方があり得たかも知れない。
最後の曲者は母(那須佐代子)である。DVではないが酒乱で「迷惑をかける」父を見限り、絶縁するかに見えた母は、父の必死の改心の誓い、歯の浮く台詞、何度も裏切られたはずの言葉を重ねられる内に、「これが最後だよ」と軟化する態度に転じる。観客から見ればそれは父の巧みなトラップで「本当に君がいないと生きて行けない」と言いながらスキンシップに至り、性的な甘味な時間を仄めかしたのに母がフェロモンを発し始める訳だが、観客の目にも彼女の固い意志が明瞭と見えていただけに、裏切られた感は否めない。この一部始終を、次男は見ており、スッキリした顔で居間に出てきた母に次男は近づき、最近携帯するようになったナイフで母の頸動脈を斬る、という怒りの場面が挿入される。これは次男の想像の場面。現実を逸脱した場面はここともう一度、同じく次男の見る幻影として挟まれるが、次男という人間はこの過激な行動を「取らない代わりに取られる」歪な振る舞いにカモフラージュされた人格であると言える。だが掘り起こせばそこに理不尽さへの怒りがあるにせよ、現実の彼は解消できないものを抱え、現状において可能な自己防衛的な生活スタイル(学校には行けずにいる)を維持する他なく、故に家族に対して、とりわけ見切った父でなくまだ塗りしろのある母に期待があるだけに愛憎にまみれた感情が生起するといった様相である。
母は問題児である割にチャレンジをしない次男を諦めなのか敢えての突き放しなのか不明な態度も示す。元々子供への愛情に欠く性質を疑いそうになる人格で、冷酷さがふと現れる。子供に対して不敵な笑みを見せたり。子供らのためには父と離れるべき所、離れられない事を自己弁護もしない感性。家族とは綺麗事ばかりでない事を弁えている態度とも。
女性性と母性のバランスを男の子供の目線で疑う事を普通はしないが、老成した次男は無遠慮甚だしくもそれをやってのける(あからさまに言葉にして表面的な円満を壊すことはしないが)。だが糸が切れたら何をやるか分からない不気味さを湛え、これに言葉を与えるなら、愛の不結実ゆえ、という事になるのだろう。
子供は親を選べないと言うが、親も子供を選べない。親を親に育てるのは子供であったりする(自覚的でなかろうと)意味では、この次男の性質はこういう父の影響によるものだろう、と推察させる第一段階から、実は(子供にとっての味方と見えた)母の影響が最も強くあったのかも知れないと推察する第二段階、そして家族にとって最大の影響力は次男の存在にあったと考える第三段階へ。作品がそう導いている訳ではないが、有機体である家族の問題に対し、あるいは家族環境で受けたダメージを解消する課題に対し、必ず通過する思考過程をこの芝居を見ながら思い巡らしたものであった。
結論。こうした影響関係にある人間の形象という課題には、(芝居は相手からもらう、という事とは別に)単体として自分がどのような「状態」にあるかを突き詰め、己を具象として舞台上に存在させる必要がある。
山崎氏の演技は特に彼が隠していた酒を取り出して飲み、元に戻すも次男に目撃されており証拠まで突きつけられてもなお「飲んでない」と言い張るくだりが極め付けで、笑わせ、呆れさせるのだが、闇の深さ(人間の浅さ、という事であればそれも一つの闇)の出どころが見えないのが疵である。
戯曲の最後、彼がふと漏らした「とっておきの」履歴、すなわち救国軍(的な部隊)に参加していた事、これに息子らが反応し、今父親を見直そうとし始めた瞬間を切り取っている。息子らを懐柔させる手を持ち出した父、それに絆される息子らの「弱点」、としたかったのか、それとも実は父は英雄だったと仄めかす事で暗澹たる物語に光を与えようとしたのかが演出面でも不明だった。私は前者の線で徹底的にこき下ろすのが整合的だと思ったが、それらも人物像の土台があればそれなりに見えて来た可能性もあるな、と(自分に都合よく)解釈したような事である。
この話の舞台は1950年台の前半だったか。長男がサックスで奏でるのが「ディア オールド ストックホルム」。スウェーデンの古い民謡をジャズスタンダードにしたスタン・ゲッツのレコーディングがこの頃で、あるいは作者自身の経験の反映か?と想像。ここでこの曲である必要は特にないので。
この世界は、だれのもの
ながめくらしつ
現代座会館(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
考えさせられる内容でした。演者の方々の息遣いが伝わってくるような迫力ある表現が凄かったです。
通る道
劇団芝居屋
中野スタジオあくとれ(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「通る道」とは何か、深く考えさせられる演題です。
ネタバレBOX
実際に現実にありそうな話で、遂行がじっくりとゆっくりと進んでいくのがとてもよかったです。役者が5人ですが、もっと多くの人数が出ているかのように感じました。外がすごく寒いということが伝わってきて、すぐ外は北海道であるように思えました。役者の作り出す話の展開と雰囲気によって、観終わった後の余韻が心に沁みました。
RUN FOR YOUR WIFE
劇団The Timeless Letter
扇町ミュージアムキューブ・CUBE01(大阪府)
2024/03/02 (土) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
以前拝見した作品でストーリーは知ってたけど楽しめました☆それだけ戯曲が魅力的なんでしょうね♪役者さんの表現も素晴らしかったです☆
通る道
劇団芝居屋
中野スタジオあくとれ(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
そうかもね、そうだよな、っ感じで
時々自分に置き換えて見ていた
ネタバレBOX
最初の来訪者3人の会話がリアルで日常感を感じた
一部屋の舞台、セットも人も少ないのが良かった
この世界は、だれのもの
ながめくらしつ
現代座会館(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
素晴らしい身体表現で見応えがあった。
残念ながら当日パンフレットに書かれていたテーマは私には感じられなかった。
エアスイミング
カリンカ
小劇場 楽園(東京都)
2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
二人のセリフのやり取りに圧倒され引き込まれた。
表情の変化が巧みだった。
ブロマイドも素敵な写真ばかりでオススメ。
走れ!弥次喜多
神奈川県演劇連盟
神奈川県立青少年センター・紅葉坂ホール(神奈川県)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白かったです!!最後の和太鼓もすごかった。役者さんも混じって少し叩いていたのですが、小さいお子さんたちの方がちゃんと音が出ていましたよ。日頃の練習の賜物ですね。
落語のお話もあちこちに挟んでいるので、知っているとより楽しめます。神奈川の劇団さん、役者さん、これからもがんばってください。
チケプレで見せていただく時はほんの気持ち(たいてい喉飴ですが)をお持ちするのですが、周りにコンビニが全然なくて届けられませんでした。次回にでもと思います。
月の岬
アイオーン
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2024/02/23 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
凄くこの物語は気になる。妙に引っ掛かる。
音楽・三枝伸太郎氏、歌・菊池好凛子ちゃん、津久井有咲ちゃん、牧野湊君。劇中歌「月の岬」が川井憲次の『イノセンス』みたいでカッコイイ。
ネタバレBOX
〈作品内に散らばる疑問〉
①何故、佐和子は悟と駆け落ちをしようとしたのか?
②女子生徒、七瀬と信夫には何があったのか?
③悟の佐和子への謎の台詞「じゃあ、この間のことは何やったとね?何のつもりやったとね?」
④信夫に度々掛かってくる脅迫電話、信夫を闇討ちした者達の正体と目的とは?
⑤溺れた佐和子を救ったのが父親でなく、信夫であるという佐和子の記憶の混同。
⑥消えた悟の行方。
⑦佐和子は「月の岬」で身を投げたのか?何故?
⑧矢鱈水を飲み、佐和子が憑依したようになった直子の謎。「誰やお前?」
〈仮説〉
大島の経ヶ崎に伝わる伝説。江戸時代、近親相姦的愛情を父に抱いて長崎からこの島に流された美貌の娘。五年間耐えたが、父恋しさに泳いで帰ろうと満月の晩、海に入り溺れ死ぬ。「月の岬」は普段は歩いて渡れる陸続きの場所だが、満月の晩だけ潮が満ちて岬は切れ、島になる。
小学生の佐和子は遊泳禁止の「月の岬」で遊んでいて溺れてしまう。娘を助ける為、飛び込んだ父は亡くなる。その受け止め切れない残酷な記憶を封印する佐和子。弟の信夫が助けてくれたことに記憶を塗り替える。
高校時代、佐和子は恋人の悟と駆け落ちを企てる。小舟で経ヶ崎から長崎へと夜中に漕ぎ出す計画。悟は約束の場所でずっと待っていたが、彼女は結局現れなかった。
高校教師となった信夫は女子生徒、七瀬に言い寄られる。適当にあしらっていたのだが、キスだけはしてやる。
大阪で所帯を持っていた悟は、会社を潰し借金を抱え家族を置いて島に逃げて来る。佐和子は思わせ振りなことを言い、キスをする。「もうあんまり無駄遣いは出来んのよ。」
大学時代からの恋人であった直子と結婚する信夫。傷付いた七瀬は当て付けに他の男子とキスをする。
信夫の家に度々掛かってくる脅迫電話。七瀬との一件についてのもの。
悟は佐和子にしつこく言い寄るも撥ね除けられる。その騒動からか直子は流産する。
帰り道、複数の生徒に襲われて怪我を負う信夫。
夜になっても帰って来ない佐和子。経ヶ崎で彼女を見掛けた女性が駐在と訪ねて来る。身投げしたのではないか?と。直子は佐和子が憑依したようになり、信夫を問い詰める。
行方知れずの悟を捜しに大阪からやって来る妻と娘。悟も佐和子も帰って来ない。
今作のテーマは平岡家の「母親の継承」なのか。
佐和子は父親を亡くした「月の岬」でずっと死にたかった。高校時代、悟と心中を考えたが果たせなかった。そしてもう一度死にに戻って来る悟。抗う佐和子だったが、自分の揉め事のせいで直子が流産してしまう。ここで佐和子と直子の意識が入れ替わるように混線し出す。「月の岬」で身を投げる佐和子は息子を失った辛さを訴える。直子は佐和子の残留思念と共に生きていく。(悟がどうなったかは判らない)。
これは劇場アニメ向けの題材だと思う。演出によって様々な解釈が可能。
赤鬼
劇言鬼
表現者工房(大阪府)
2024/03/02 (土) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
満足度★★★★
同演目は何度か拝見していますが、とても分かりやすかった‼️
島国の日本人であれば一度は思うことなのかも…
考えさせられます
またね。の毒性と永い夜
ゴツプロ!演劇部
OFF OFFシアター(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
最高でした。お世辞抜きに最高でした。たぶんこれまで私がみた舞台でベスト3に入ります。後半、嗚咽状態でした。周りも泣きまくってました。最後のあの拍手がすべてを物語っています。ほんとーーにすばらしい舞台をありがとうございます。ポスターと内容説明に完全にいい意味で騙されました。いい意味で想定外のものでした。ブラボー!です。
走れ!弥次喜多
神奈川県演劇連盟
神奈川県立青少年センター・紅葉坂ホール(神奈川県)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
オープニング、おどろおどろしい音楽と共に舞台上には閻魔の審判御前の有様が表現される。裁かれているのはお七。有名な八百屋お七である。
さて、八百屋お七と弥次喜多? どこでどのように繋がるの? それは観てのお楽しみ。
華4つ☆。
ネタバレBOX
神奈川県演劇連盟合同公演である。HIKARIは2階にある小さな空間であるが、こちらは同じ建物1階にある大ホール。
江戸時代後期に黄表紙作家、絵師として活躍した十返舎一九原作「東海道中膝栗毛」に登場するご存じ弥次・喜多の神奈川の宿場を巡るお噺。人口に膾炙している“旅の恥は掻き捨て”は元々一九の言とされる。
物語は東海道の宿場町・横浜と小田原を中心に展開する。幾つかのジャンル(落語・小説など)の作品の肝を今作の中に巧みに織り込み幕末から維新へ至る歴史も踏まえて現代に暮らす我々庶民の日常をも映す展開になっている。発明家として鳴らした平賀源内が考案したとされる「キコエテル」なる機器は現代のスマホによく似た機能を持つ機器だがスマホ同様、SNSが齎したような現象と弊害を齎しそれまでの庶民生活を一変する。
一方、弥次喜多生みの親・十辺舎一九は戯作者としての反骨精神を見せて瓦版に為政者批判を載せた。これが当の為政者の目に留まり死刑を課されることとなった。この無体に対して弥次喜多が抗弁する。そしてこの抗弁に対しての応えが3日の猶予の間に、どんな罪も許されて極楽往生が叶うという『お血脈の印』という宝物を現在在ると言われている小田原に行き盗んで横浜迄戻り暴虐を恣にする為政者の下へ届ければ弥次喜多に死刑執行する代わりに友人である一九の命を助けてやろうというものであった。為政者は人間不信に陥って現在のような施政を行うに至っている、果たして弥次喜多はこの暴君の魂をどうにかできるのか? はたまた一九の運命、弥次喜多の活躍、と仮に友を救えた暁に弥次喜多が死なねばならぬ運命や如何に! というのが今作の大きな流れであるが、庶民自体は「キコエテル」の大流行の央(さなか)SNS的応答を通して誹謗中傷の応酬、自らそれ迄在ったとされてきた社会的な他者への信頼関係そのものを破壊し、信頼関係が壊れたことによって起こり、益々陰湿であくどくなってゆく庶民レベルでの罵詈雑言は、暴君とされる為政者の凝り固まった信念をも補強してゆく。
これら負の連鎖を断ち切る術は? 一揆を起し一時の憂さ晴らしの後、更に苛烈な支配体制を招くのか? 或いは? との問いにも繋がり得る。今作実際の大団円ではお祭り騒ぎで華やかに昇華されるが、現に我ら庶民が生きる現代日本での為政者の倫理的崩壊は今作以上に破滅的である。このような現況を変えて行く為に演劇が出来ることは、例えば日本の選挙で勝つ為の条件として挙げられる選挙の三バン(地盤・看板・鞄)のうちから英国のように自分の地盤(地元)からは立候補できないような縛りを付けるような制度を庶民自らが主権者として提起し現実化し得るような流れを提案することも必要で、表現する者としての役割だと考える。
走れ!弥次喜多
神奈川県演劇連盟
神奈川県立青少年センター・紅葉坂ホール(神奈川県)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日拝見しました。内容的にはいろいろな聞いたことのあるお話がたくさん入っていて、登場人物も有名人たくさんで華やかでしたね。面白かったです。太鼓も素晴らしかった。何より演者の皆さんも楽しそうに演じられていて。2時間超の内容も気になりませんでした。楽しい時間ありがとうございました。
マクラメ
南山大学演劇部「HI-SECO」企画
G/Pit(愛知県)
2024/02/23 (金) ~ 2024/02/25 (日)公演終了
実演鑑賞
迂闊なことを書くと
ちゃんと観てなかったんですか?
読みが甘いですねえなんて言われちゃいそうで
書けないんだけれど
私は、5年前の「HI-SECO」さん
2019年度卒業公演『443.75km』も観せてもらっていて
あれも最初『443.75km』の意味がわからなかったんだけれど
後から考えたらじわじわ怖さが伝わってきて
今回もそんな感じかなと思って公演終了後も
あれこれ考えてたんだけれど未だによくわからない。
下手に話をこねくり回して小難しくするのもいいけれど
共感を得られなかったのは残念。
この世界は、だれのもの
ながめくらしつ
現代座会館(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
「ピアノ超人」、ピアノを弾きまくるイーガル氏。膨大な楽譜を見ながら完璧に構築されたオリジナル曲を65分奏で続ける。不協和音を混ぜながら芯がしっかりとしたストーリー性のある楽曲。この人の存在は大きい。
「ジャグリング超人」、目黒陽介氏。ロジンバッグ(滑り止め)のような白いお手玉を使う。
「ダンス超人」、入手杏奈さんのファンは必見。凄まじかった。この人がパッと踊り出すと『フラッシュダンス』みたいに華がある。スポットライトが当たったかのようにステージの空気が変わり風が吹く。足の指先一本一本が踊っている。
「バランス超人」、目黒宏次郎氏。隙あらば椅子や机の角で倒立を始める。
「回転超人」、安岡あこさん。机の上など狭いスペースでくるくるくるくる回転し続ける。田村潔司か?ルチャ・リブレのコルバタのような動き。物販で手作りのピアスも販売中、大人気。
無機質に机と椅子が置かれ、太い綱やフープが転がっている。上手端にピアノ。
目黒宏次郎氏と安岡あこさんのペアは男が必死に女を口説いているようにも見える。徹底して跳ね除ける女。香港功夫映画のような遣り取り。酔い潰れた女を介抱するような場面も。チャップリンっぽい。
目黒陽介氏と入手杏奈さんのペアは謎のゲームを続けている。互いのやる事を否定して回るような。
死体(人形)を動かす為には必ず動力源がいる。動かす為のロジック。そもそも人間は無意識でそれを行なっているのだが、自覚的にそのことを突き詰めていくような試み。
音楽が良いので退屈せずに観ていられる。踊りというよりも闘いだ。
是非観に行って頂きたい。
ネタバレBOX
これは何かずっと考えていたのだが、ラストの組んずほぐれつを観てプロレスだと思った。65分時間切れ引き分けが決まっている試合。男女混合ミックスドタッグマッチでもいいし、男女混合ミックスドバトルロイヤルでも構わない。この時間切れ引き分けの試合は一番大変で、腕がないとファミコン・プロレス(技の羅列)になってしまう。1988年8月8日横浜文体で行なわれた60分時間切れ引き分けの藤波辰巳VSアントニオ猪木が一つの到達点。最早文学だ。
「他者への関心」というテーマは伝わらなかったが、いい試合だった。
ここから余談、プロレスは決まり手とおおよその試合時間が予め決められている。長い間に進化を遂げてHigh Spot(日本ではハイスパートと呼ばれた)という観客を盛り上げる見せ場となる技の応酬を幾つか約束事に入れていった。それを多用し過ぎるとダンスの振り付けのようになってしまうので、猪木や佐山は悪し様に罵った。(踊りのように最初から最後まで技の順番まで決められているプロレスも多い)。最低限の約束事以外の基本はアドリブでこなすのがストロングスタイル。「八百長だと客に舐められたらおしまいだ!」が力道山の教え。(真剣勝負ではないが)舐められないプロレスが日本の流れだった。時代は変わり、その辺のグレーゾーンがウザくなった奴等が真剣勝負の総合格闘技とエンターテインメントを標榜するアメリカンプロレスにハッキリと分かれた。日本独自の文化、グレーゾーン・プロレスはほぼ絶えた。
死して尚、生きてナオ
劇団二進数
インディペンデントシアターOji(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
初見のユニット。良くも悪くも若さが出てる。(3分押し)115分。
杉田なお25歳はいい所もいっぱいあるのに、同年齢で同姓同名で超有名な俳優である杉田ナオ(1人2役で演じる)がいるため「残念な方の…」と言われているが…、の物語。杉田の物語かと思うし、確かに軸には置いているのだけれど、脇の4人の物語もあるため、焦点が絞れないし、ちょっとシリアスないい話として書かれているみたいだけど、それにしては現実味がない。何より登場人物の誰にも感情移入できないので、私のテイストではなかった。役者陣の勢いはいいのだが、動きがまた私のテイストではない役者がいたり、滑舌が上滑りする時もあって、ちょっと気になった。次作に期待してみたい。
王子小劇場が用意したクリアファイルを、ノイジーな袋に入れたために、観劇中にガサゴソしてうるさいのが非常に気になる。
CIRCLEーすべては循環の中にー
(社)現代舞踊協会
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/02/28 (水) ~ 2024/02/29 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
Bプログラム鑑賞
身体の美しさ,動きのバランスとしなやかさ,全体の統一感,綺麗なものを観せていただきました。
東京トワイライト
劇場創造アカデミー
座・高円寺1(東京都)
2024/02/22 (木) ~ 2024/02/25 (日)公演終了
実演鑑賞
座・高円寺劇場創造アカデミー修了生が集っての作品が松田正隆氏演出の下、昨年夏より数次の稽古を経て発表に至ったとの事。
現代日本を独自に切り取った風景描写であるが、台詞量がかなり抑えられ、動作による表現が大部分を占め、その読み取りに苦労した(面白さもあるが、不明のまま放置せざるを得ない部分の割合が少々高い)。
タイトルにある「東京」をさほど気にしなかったのだが、白昼の銀座高級時計店の強盗事件を、地方の人はどう見ているのだろうとふと気になった。東京=日本の代名詞、とは限らない。
座・高円寺1は兎に角広い。このだだっ広さを活用し、何もない平面を数名の同世代(三十前後)の男女が動きまわる。照明も終盤の二、三の暗転以外は、同じ明りでステージを満遍なく照らし続ける。
言葉による説明を極力省いて作られた事は、役人物の同一性や、動作の意味等で不明瞭な点が幾つか生じた。不明部分が大きいと変数の多い方程式と同じく類推を諦めてしまう。
近年の松田正隆氏は、福島という土地かに因んだ継続的な仕事をしていたが、その手法の延長に今回の作品もありそうだ。難解というイメージが更に固定した感ありであるが、人間のちょっと笑える風情を体現した俳優たちの身体は緩みがなく、地味にポテンシャルを示していた。
ネタバレBOX
今年度春よりシライケイタ新芸術監督体制が始動した座・高円寺、氏の演劇人としての立ち位置を感触としてよく理解できていない自分だが、劇場の芸術的リーダーとしての仕事からその特質が見えてくるかも。。と少し期待している。
バンピーラダース
dopeAdope
サンモールスタジオ(東京都)
2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
稽古初日と哲学対話
O企画
アレイホール(東京都)
2024/03/01 (金) ~ 2024/03/04 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
素晴らしかったです。台本を初見でよくあそこまで演じられるなーと思いました。さすがですね。オープニングの中島らもさんの歌、しびれました。あと、ワークショップもとてもよかったです。最初は何も話すつもりがありませんでしたが、いろいろ自分語りしちゃいました^^; 素敵な時間をありがとうございました。今度は演出家や脚本家、そして俳優さんたちのディープな話を聞きたいです。