最新の観てきた!クチコミ一覧

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僕の居場所

僕の居場所

劇団あおきりみかん

G/PIT 名古屋市中区栄1丁目23-30中京ビル(愛知県)

2016/09/21 (水) ~ 2016/09/27 (火)公演終了

満足度★★★★★

面白かったー!
いろいろな意味でビックリ!
あのアイディアは何処から出てくるんだろう?
本当にさすがでした。
素敵な作品をありがとうございました☆

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

演劇レーベルBo″-tanz

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★

SF?
初見の人にも分かり易いように 1・2部の粗筋をキャストみんなで説明してくれたのは親切♪ 始まりの映像を使いながらの首ちょんぱはびっくりしましたが 3.11震災を大胆な発想で SFチックに仕上げてあるのに なるほど~ 
でした。

かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

演劇企画ハッピー圏外

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2016/09/26 (月) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

北ひとみさんって素敵
割と明快なストーリーで(本筋にはあまりかかわらない県会議員さんは何のために出てきたのかがいま一つ判りませんでしたが)、滑舌の良い俳優さんばかりの良い芝居でした。とくに北ひとみさんって素敵な女優さんですね。難点を挙げるとすると、最後の結論にたどり着くのにあんなに時間をかける必要はあったかな、「常識で考えればわかるでしょ、」という気持ちが若干しました。

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

演劇レーベルBo″-tanz

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★

アンブレイカブル
本編が始まる前のイントロダクションでなんだかすごく登場人物のバランスがいいなと感じました。一章、二章は見ていないのでこの前説(とは言わない?)はありがたかったです。暗く辛辣な内容でしたが、笑い(ブラックなのも含めて)もあり、映像や小道具も生きていました。お芝居は滅多に見ない、まして小劇場なんて初めて!と言う友人を連れて行きました。役者さんが近くて迫力があって疲れた。でも面白かった!と言う感想でした。池袋演劇祭のCM大会の様子を観劇前日に見ましたが、予約前にこれを見ていたら観劇しなかったかも(笑)

へなちょこヴィーナス

へなちょこヴィーナス

“STRAYDOG” Seedling

ワーサルシアター(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★

【はち組】観劇
元気いっぱいでした。

ネタバレBOX

陸上部の有望選手を応援するために作られた高校チアリーダー部の話。

応援団の延長、立体的ではありませんでした。

100mの準決勝後に肉離れを起こした選手が決勝戦に出場するのを美談にしたところは全く理解できませんでした。陸上選手の将来を考えれば、監督は制止し続けるべきでした。高校野球でも、投手のローテーションを重視する高校がある時代なのに残念でした。若い女優陣が中心の活気溢れる作品であるだけに時代遅れ感はなおさら残念です。
月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★

月の剥がれる
殺人(主に戦争らしい)に抗議の意を表明するために自殺する。命を賭けた抗議と言えば聞こえはいいが、自殺した本人はその死が果たして意義があったものかどうか確かめようがないのである。そればかりかその思想を持つ平和団体さえも、偉い人たちは会員を増やして自分は死ななくてすむように画策しているだけで、自分たちの行為の確証さえないように見える。そんな団体でもまっとうなものとして受け入れられてしまう流れが恐ろしい。
散華のメンバーだった元フリーターの男が「アルバイトで生計立てて、それでもなんとかやっていけて、たまには焼き肉とかも食べられて特別何もなくて生きているのはいけないんですか?」と言うセリフが胸に刺さる。特別なことなど何もなく生きているから。とても考えさせられる舞台でしたが、登場人物にどういう人なのかわからない人がいたり、ダンスの意味・意義がわかりませんでした。終演後主宰さんを捕まえてお聞きしたところ「言葉のさらに先にあるものを表現したい」とのことでしたが、私から見たらあんなに長くはいらないんじゃないかと。上演時間だって短くできるのではないかと思ってしまいました。

---黄離取リ線---【ご来場いただき誠にありがとうございました!】

---黄離取リ線---【ご来場いただき誠にありがとうございました!】

劇団えのぐ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

良かった!
現実でもあり得そうな話だからこそとても考えさせられる作品でした。
親には子供が成人になるまでは責任を持って子育てしてほしいですねと思うのですが、親だって毎日毎日自分の事を犠牲にして子育て頑張ってると思うと何でもかんでも親の責任には出来ないと思うし難しいですね…
人間って難しいです。

月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★

重層世界への広がりと視点の転換にアマヤドリの良さを見た
なぜだか初演を観ていない。
なので、初『月の剥がれる』。

一見とてもストレートなテーマなのだが、答えがそこにあるのではなくきちんと考えさせるところがアマヤドリだ。
19時30分からスタートで上演時間2時間30分のアナウンスには、エエッとなったが、最後の最後まで目を惹き付けた。

また長文になってしまった。
以下ネタバレボックスヘ。

ネタバレBOX

フライヤーの出演者を数えたら27人もの登場人物がいるわけで、その人数を登場させ1つの方向へ演出する力は並大抵のものではないと感じた。

ただ、どうもキレがあまり感じられない。いつもはビシビシと決まっていたのに。
きちんと描きたいという想いからつい盛り込みすぎたのではないか。伝えたいことに対しては言葉を尽くして、役者を観客に向き合わせてじっくりと見せたかったのではないか。
その気持ちはわからないでもないが、逆に疎かになってしまったところはないだろうか。

演劇は、小説ではなく、戯曲を読むことともイコールではない。
当然のことだが、生身の人が演じることで文字だった台詞に「意味」をもたらす。
極端なことを言えば演出によって台詞の「意味」だって変わってしまう。
「文字の固まり」の戯曲では語ることができないものを舞台の上ならば語らせることができるのが演劇だ。

しかも「言葉で語ることができない何か」「戯曲作者もそれがなんだかわからないモヤモヤのようなもの」をそこに込めることができる。
そして、その送り出された「モヤモヤ」と観客が受け取る「モヤモヤ」には差が出来てしまう(これは演劇に限ることではないかもしれないのだが)。さらに演出家(戯曲作者)と役者との「モヤモヤ度」や解釈の違い、齟齬も生まれるだろう。しかもそれらが「生」で訪れるのが演劇だ。
その「生で訪れる」「差」や「齟齬」も含めて演劇であり、そこが演劇の面白さでもある。

アマヤドリ(ひょっとこ乱舞)の舞台にはそんな面白さがある。
つまり、観客には「劇団」(演出家・戯曲作家・役者)からの「モヤモヤ」まで繋がっている糸を探すために、舞台の上で行われていることを解きほぐしていく楽しみが常にあるのがアマヤドリの作品ではないか、と思う。

非常にまどろっこしく書いたが簡単に言えば、「舞台を見終わってから、あれってこうだったのかな、と考えながら帰るという楽しみを与えてくれる」ということとも言える。見終わって「ああ、面白かった」だけで終わらない楽しみがそこには広がっている。

こういう見方は私個人の見方なのかもしれないが。

さて、この作品についてそれはどうだったのだろうか。
「もやっとした部分」を整理するために、いったん引いた世界、つまり学校のある世界を設定したのではないかと思った。
なぞの転校生との関係が散華の結末(物語の結末)を表している。そんな関係だ。

「命」を巡るストーリーであり、散華のエピソードは「命」を「数」や「道具」としてしか見ていない。そこに散華という団体の問題点や限界がある。
「死ぬ人、1名」とカウントしているからこその樹海でのスカウトだ。

しかし、ラストに至り「命」は「生命」であり、連綿と現在まで続いていているもので、さらにさらに続いていくものだという展開が見えてくる。
その価値観の転換の上手さに「あっ」と思った。そして少し恐くなった。

そして、散華のリーダーだった男の妹がどうしたのかが見えてくる。
つまり、「いたはずの転校生」がラストでは「いなくなってしまう」、つまり妹は自己矛盾をしながらも散華に対して自らの命を引き替えに止めようとしたのではないか、ということだ。だから「生命」の連続が断ち切られてしまったのではないか。

朝起きると世界が変わっていると言う女子学生の台詞とも繋がっていく。
「自分がいなくなる」ということではなく、過去との繋がりの中で「世界が変わっていく」ことの恐怖。価値観の変化は実は恐ろしい。世界を破滅に導いていたのが
戦争だけではなかったという恐怖も冒頭とラストからうかがえる。

彼女の台詞が2度あることで「繋がり」を意識させられる。

過去と現在というリンクの中で、「現在はどうなっているのか」が見えない。「怒りを放棄した世界はどうなっているのか」がわかるとさらに世界が広がったのではないか。

自殺をしようとしている女性の位置づけも上手い。これで散華の正体が少し見え、それだけでなく彼女のその後の台詞により、もうひとつ散華の世界の外側と内側(内面)を描いたのではないか。

散華という団体の行動だけでなく、さらにその世界から視点を引いていくことで、さらなる世界を見せ、「命を引き替えに戦争(人を殺すこと)を止めさせる」ということだけでないテーマへも、深さを増して見せてくれたのではないかと思うのだ。

このあたりのダイナミックさと視点の移動がアマヤドリならではであり、見応えがある。

ただし、先に書いたように疎かになってしまったところがあると感じた。
1つは散華の実質的なリーダー・羽田。彼はもと証券マンだったらしい。それもたぶんやり手だったのだろう。彼が本音では何を目指してるのかが、どうもつかめない。ネットで散華のアイデアを知り、彼の豪腕で団体を立ち上げ大きくしていった。そして内部からそれを破壊しようとする。カネが動いてそこが彼の目的かと思えばそんなところは出てこない。彼に賛同しているクラッチバッグを手にしているスーツの男は十分に怪しいのに。そこが見えて来ないので、散華自体の意味合いがきちっと頭の中にはまってこない。

さらに、下手にときどき座っている袴姿の女性がよくわからない。彼女は過去の人らしいのだが、明治〜大正時代っぽい。当日パンフ的な相関図を見ると名字が同じで繋がりがわかるのだが、いまひとつ判然としない。教室での議長的発言があることや、九条に重ねた「怒りの放棄」で過去と現在(教室のこと)との関係はわかるのだが、どうもそのあたりがすっきりとしない。テンとソラといういい名前があるのに、それが人物相関図の中だけなのがもったいない。というか何故そこの中だけなのか。
時間をかけて広がる世界を描いているのだが、この2点はストーリーの土台に位置すると思うだけに、つかみ切れなかったのは残念だ。

あと、ジャーナリストの設定はなくてもよかったような気がする。取材により語る姿などは演劇なのだから「自分語り」がいきなり出てきても違和感は感じなかっただろう。

オープニングとラストの飛行機のシークエンスは9.11を思い起こさせる。炎に包まれるビルと焼身自殺を遂げる散華のメンバーの姿が重なる。
そして、子どもたちも死ぬ。
「戦争」ではなく「テロ」によって奪われる多くの命があり、これからはそれと見合うだけの散華に属する人の命を差し出さなければならないということなのだ。

大きな戦争でなくても、世界中で起こっているテロで多くの人が亡くなっているということも、ここのテーマに含まれているのだろう。
散華の命がいくつあっても足りない世界に我々は生きているということなのだ。

広田さんからの挨拶文によるとこの作品は、チベット僧の抗議が発端だと言う。私は見ていて、ベトナム戦争時に僧侶がアメリカ大使館前で焼身の抗議を行った写真を思い出した。「自分の命と引き替えに」という行動は気高くあるが、そこにある「死」すなわち「生」は、正しいのだろうかというモヤモヤも同時にわいてくる。それには答えはなく、そのモヤモヤが作品化されたのだと思う。
「死をもって…」ではなく「命を捧げて…」という「死」と「生」の発想の逆転があるのではないか。

散華という団体の行動は先に書いたとおりに問題点がある。「死」を「道具化」してしまったことだ。
僧侶たちの抗議の焼身はどうなのか、という重い問いかけがそこにはあるのではないか。
散華のメンバーたちがカウントしているような「他人の死」としてではなく「自分が死ぬこと」として考えることで、何かが感じることもあるのかもしれない。

アマヤドリという劇団は、役者の見せ場をストーリーの1つの山にしているようにいつも感じる。
そうした「山」は役者の姿と「台詞」によって形作っている。
ついも「ここぞ」というシーンでは役者の力を見せつけられ、惹き付けられる。

今回のこの作品で言えば、「そうしたシーンは、たぶんここではないか」と思われる個所がいくつかあったのだが、不発に終わってしまった感じがある。
シーンがぐっと立ち上がってこないのだ。
散華の実質的リーダーである羽田や散華の発案者である赤羽あたりには情念のような自分の想いを吐露するような台詞があっても良かったのではないか(台詞が立ち上がってくるようなシーンが)。それらが「山」となっていないと感じた。

そんな中で、唯一立ち上がってきたシーンがある。
兄と夫が散華に入ってしまった女性・朝桐が夫を止めようとするシーンである。
彼女がすべての登場人物の中で観客に近いところにいる。真っ当でそれが変な方向を向いてしまっている兄や夫に伝わらないもどかしさと哀しさが観客には理解しやすいということもあるのだが、舞台の上に彼女が1人立っているように思えるほど、役者と台詞がやってきた。

そうした「立ち上がる台詞(シーン、役者)」の少なさが、先に書いた「キレのなさ」に関係しているのかもしれない。
もちろん、そんなシーンばかり続いてもメリハリに欠けてしまうのだが。
そういう意味において、アマヤドリをよくわかっている笠井さんや渡邊さんの使い方は少々もったいないように思えた。

役者は前に書いたように朝桐を演じた小角まやさんがいい。いつも普通の真っ当な人がそこにいる。切実さが伝わる。
ザンヨウコさんの佇まいもいい。この味はほかの人では出なかったのではないか。

ダンスで舞台の上のリズムを生み出そうとしているようだったが、一部、せっかくの会話のやり取りをしているときに、ダンサーが前に出て台詞のやり取りから気が削がれてしまうところがあったと感じた。動いているから視線がそちらに奪われていまうのだ。視線が奪われればせっかく積み重ねていた台詞が脇に行ってしまうのではないか。

それと今回はユーモア(笑い)のパンチが弱かった。先生のところでそれが垣間見えたのだが、弱い。

アマヤドリ(旧ひょっとこ)フォーメーションと勝手に私が名づけた群舞は迫力がある。汗だくの真剣さが伝わってくる。蠢き混ざり合い、混沌と秩序を生み出していく「生命」を感じるフォーメーションだ。
永遠の一秒

永遠の一秒

インヘリット東京

南大塚ホール(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/09/25 (日)公演終了

よく意味がわからなかった
感動できたのは最初の20分だけ。

タイムスリップ物にする意味がなかったと思う。
なんとなくまとまり感はあるものの、それだけ。

20年近く再演を重ねていると聞いて期待した分、がっかり、といった感じ。
内容としては戦争賛美でも戦争反対でもなく、どちらかというと友情の話なのかな?
それすらもぼんやり。

愛犬家

愛犬家

甲斐ファクトリー

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★

衝撃的な結末。
役者さん、がんばってたね。

時間が行ったり来たりするので追いかけるのが大変だけど
最後で一気に解決していくのが快感!

衝撃的な結末はそのあと救われる。

今牧さん眼福。

Infinity

Infinity

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★

シャボン玉のような
光を浴びて、シャボン玉が虹色に輝いているような舞台でした。背中にある現実をひととき忘れ、あこがれや切なる願いに輝いた人たち。かれらの苦しみより、夢みる力に心動かされた気がします。奥行きのある清潔感あるセット、ファンタジックな雰囲気まで生み出していたと思います。物言わぬ人たちの存在、イイ演出でした。

かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

演劇企画ハッピー圏外

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2016/09/26 (月) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★

とても味のある舞台でした、が。
ハッピー圏外らしい、人の想いの温かい舞台。しっかり作りこんだ舞台、清楚な妹、しっかり者の叔母、とても良い雰囲気を出していた。賑やかに飛び込んでくる隣人達も個性豊か。しかし、話の中心にある“不死身のお兄さん”にそれらしき人を超越した存在感がないのが残念!裏庭から人の出入りが多かったが、そのバックが黒というのに、なぜか違和感を持った。

七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)/笑の太字

七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)/笑の太字

アガリスクエンターテイメント

in→dependent theatre 1st(大阪府)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

流石、グランプリ&四冠…のシチュエーションコメディ
流石、コメディフェスティバル2015グランプリ&四冠。
シチュエーションコメディを逆手に取った作品『七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)』に大笑いしました!
上演時間も時間通り、完ぺきでした。素晴らしい!

そして新作の『笑いの太字』
鹿島さんと沈さんの回を拝見。
素晴らしく見事な屁理屈の応酬が堪らない!
とっても良かった!
「笑いの○○」からのクレームがなく、再演される事を切に願っています。

終演後、予定通り「紅白旗上合戦」DVDを購入。
そして貧民割&前半割の御礼に「ナイゲン(全国版)」DVDも衝動買いしてしまった。
財布が寂しい。

月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

心に落ちて来た・・。
アマヤドリ「月の剥がれる」@吉祥寺シアター9/29マチネ観劇(10分休憩有)
観終って、一度止めた涙がまた、零れ落ちてしまった。

何故だろう、初演の時に「?」が多く残ってしまった自分の3年前を取り払うような、語弊があるかもしれないが感情が物凄くシンプルに、舞台から解き放たれた時間。
大きく変わったと感じたのは、テンポの変化。

観客の視線を置くところが見易くなった気がした。

学校のシーン、散華のシーン、より、「個」の成り立ちが明確。

更に、初演からの進化。

まっさらな心に落ちて来た。

色んな場面が流れるように、緩やかに交わる。

ふと、思う。

夜間飛行している彼らがみたのは燃える過去のヒトだったのか?

未来が過去を俯瞰しているのか?

命はだれのものなのか?

自分が傍観者でいることは悪なのか?

再演であって、再演ではなく、新たな「祈り」を見届けた時、涙が止まらなかった。

上演時間は数字にすると、長いと思われるが、実際今日観劇してそんな事は無かった。

ああ、とても愛おしい時間となった。

宮崎雄真さんの今作、いつものイメージだととても、温厚なお父さんといったものを個人的に持っていたが、愛らしくも有り、誠実でもあり、引き込まれる。

ザンヨウコさんの語り部的な役は、反則的に素敵だ・・・。

本当にあの方は不思議な俳優さんだと思う。でも、先生はきっとザンさんが演じるのだろうと思っていたので、嬉しかった。

石本政晶さんの今作の役は

初演よりなんていうんだろうか、セクシー度数が高まったような気がした。

初演は、「純愛」なイメージだったのだが・・。

彼の発案も、本当は、最初は些細な事だったのだろう。

そこから「散華」の膨れ上がるスピードが

現実の世界と気持ち悪いほどリンクする。

小角まやさんの言葉に共感する人が一番多いと感じる。

「私ならそう思う」といったある意味観る側の一番置きどころが近い役であるゆえに、台詞が刺さる。

同性である事もそうだが、彼女の「正論」が届かない悲しさ、怖さ、切なかった。

長男が死、その後に次男もまさかの同じ流れに身を投じていく様をみて、別れ際に

「またね」と言って走り去る場面。

縁を切ってもいいくらいの常識的には考えにくい行動をする兄に対して

それでも、「さようなら」と言わず「またね」という所が個人的にナツの優しい心根を観た気がする。

西川康太郎さんの役は、「自分」を持ちながら、一番翻弄されてしまった役なのかなとも感じた。知らない間に、抗う事をしないで、あの場に、自分を置きにいってしまった。

きっと、考えて、考えて、でも、あえて、あの流れに。

優しい人なのだな、と。

倉田大輔さんの役は、この役のイメージが、とても、飄々というかぬらりくらりとすり抜けていく。「散華」というマリオネットを操っていたが、何処かでその糸を切りたがっていた気がする。

「散華」の最期。

人々は死に、それは、新たな再生にむかう・・。

いや、「死」はあくまでも、「死」。

天寿を全うしない「死」はただの「死」。

生き残った者・・。

笠井里美さんの最後の場面。「きいてるよ」と心の中で呟く。

ファインダー越しに、彼女の涙が見えたような気がした。

渡邊圭介さんと、石井葉月さんの最後に死を止める言葉について話してる場面が好き。

震える様な細い繋がりを手繰り寄せる様な会話が切なかった。

そして、劇中、常に皆を見守り続ける

田中美甫さんの役。

天使のような、影のような、もう一人の「あなた」。

テンも、ソラも、

大きく、広く、隔たりの無い、何処までも、何処の場所にもつながっているモノ。

神様が、垣間見た人間たちのほんのちょっとの時間だったのかもしれない。

神様からみたら、人間の一生って、瞬きした位の感覚なのかもしれない。

でも、

親は子を産み、育て、やがて、また、その子が親となり、子を産む。

一個の命は、大きな木の様に過去から繋がって繋がっている。

とても、シンプルに考える。

だからこそ、心音にも似たステップの音の群舞に心奪われる。

善き時間を過ごせました。

楽までお怪我無きよう・・。

あなただけ元気

あなただけ元気

箱庭円舞曲

ザ・スズナリ(東京都)

2016/09/08 (木) ~ 2016/09/15 (木)公演終了

やっと観た!!
ずっと、観たいと思っていた箱庭円舞曲。
ホンが痛く、とても、観ながら考えると怖くなった。
ただ、特別な世界ではなく、ごく、自分の身近な世界の風景。
そこには、「個」としての成り立ちと「団体」今回は「会社」という身近で没入し易い世界での話。
日本人であると言う事を私は観ながら強く感じた。日本人であるが故のきっと、こんな事柄がきっと、近い未来、絵空事ではなくなってしまうかもしれないと感じ、怖くなった。誰に投影するか
によっても、感じ方が変わるとは思う。
心に痛く、刺さったホンだった。ラストの電話のシーンに、涙してしまった。
救われたの?と思ったが、ただ、それは本当のラストになってしまったのだろう。
涙が出た。

今回の俳優の方々の力量にも、本当に善き、芝居を観させて頂いたと思う。
岡田一博さんや、鈴木ハルニさん、その他にも皆さん、本当に力ある方々で
素敵だった。

久しぶりに観劇後に高揚感を感じている。今一度思い返すと、色んな伏線というか、揶揄が含まれてるトリッキーな構成ではないかと。この台詞の裏は実はこう、この設定はこうそれぞれの配役をもう一度、なぞりたいような芝居だった。
善きホン
善き俳優
善き公演をありがとうございました。

月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★

騙されたくないなー
一番興味深かったのは、誤った思想であっても、そのプロデュース力によって世間に通用させてしまうプロセスの描き方でした。 
ドラマチックに印象付けられてしまうと「正義」と勘違いしてしまう怖さ。 
そしてドラマチックとは程遠い、薄汚い内情。 
今のマスコミはあっさり騙されてしまうほどバカじゃないと思うけど・・ちょっと心配。 
今作を完成させるにあたり、どれだけ沢山のエネルギーが注がれているのかと思うと頭が下がります。 
思ったより理解しやすいストーリーで良かったですが、この2時間30分の力作に対しては、こちらも相応な気合で挑まなければ負けてしまうのではないかと思いました。(観劇に勝ち負けとは何を言っているんだか)

うつくしい世界

うつくしい世界

こゆび侍

駅前劇場(東京都)

2016/09/21 (水) ~ 2016/09/25 (日)公演終了

満足度★★★★

恐ろしげな世界
汚染された世界では「きれいな空気」が生命線。酸素は植物が生成するが、汚れをろ過したきれいな空気を作るのは薔薇だけ。もっともこの「薔薇」、植物ではなく人間の中でごくたまに生まれる、「ほめられると膨らむ」種類を指す。彼は耳を心地よくする言葉を聴くことできれいな空気を吐き出し、人を助ける。ただし、この社会ではこの空気は支配者の独占である。というか、空気を独占することで支配者となっている。最初の場面は、「薔薇」と思しい赤子が生まれたことに夫が気付き、その事を察知したらしい産科医を殺す(裏手の銃声でその事がほのめかされる)。時が経ち、その夫はやがて、狂気の支配者に使われる「官吏」となっており、薔薇の管理を任されている。支配者の片腕の大男が恐ろしげで、恐怖政治の実際の手先となって能動的に人々を威嚇する事に喜びを覚えているようである。
太陽もまともに当たらない世界、照明も茶色くくすんで人々は貧しく、世知辛く生きる。ここに善良で心のきれいな主人公の娘がいる。病気の妹がいて、仲良くくらしている。配給の空気を入れるタンクを交換してくれと言われ交換すると、穴が開いていて、困ったと妹に相談する。そんなあたりから、官吏の息子(実は薔薇だが素性を隠している)と、娘が出くわし、最初は険悪だが次第に心を通じ合わせ、精神的な愛を育む関係になる。だが娘の能天気さがアダとなり、官吏の息子が薔薇である事が支配者に知れてしまう。旧「薔薇」は次第に空気を作らなくなってしまっていた。
そんなこんなで、恐ろしげな世界の物語は綴られて行くが、ここに(我らが桟敷童子の)大手忍演じるこじきが登場してくる。これはまともに喋らず(喋れず)、いつも殺された死体があればどこかへ運んで行き、通りかかると人々から「臭い」と言って顔を背けられる。この「こじき」の独自の価値尺度や生活様式、哲学は無言の行動で表現される。万事行き詰まったときの「救い」が全身薄汚れた乞食によってもたらされる・・ファンタジーな場面は中々美しかった。喋れず、声だけの演技がよい。さすが我らが・・・
 惜しむべくは物語をもっと緻密に、不具合を修正できるのではないかと思う。最後は「二人の愛の物語」的なまとめになっていたが、「汚れた世界」を生き抜く同士として、べたべたせず、同じ方向を向いていれば良いのではないか。向き合って愛してる、だの言った瞬間に空しくなる・・というのは愛を感情、心情として捉える限り、それは「自分」に属するものでしかないという難題に現われるからであり、「汚れた世界」を生き抜いてきた娘にその事を知らないなんて事はない、そう思えてならない。
 舞台に出現せしめた汚れた世界の色合いは良かった。
 

贖い

贖い

地平線

アトリエ春風舎(東京都)

2016/09/22 (木) ~ 2016/09/25 (日)公演終了

満足度★★★★

新国立劇場研修所修了生の力量は。
見覚えのある二人。研修生公演を見始めたのは4,5年前か・・・洋物芝居でとっつきにくく、「無理してる」印象が否めなかった中、初めて顔のよく見えた「親の顔が見たい」(第8期)以来、俳優に親近感を覚えるようになった。その「親の顔」(何とあれは試演会)で中心的な役割だった坂川慶成、そして第9期の高橋美帆による二人芝居だ。(チラシデザインは8期で俳優としても目立っていた荒巻まりの)
 この新国立男女のまだ若き二人による芝居は、「淋しげな背中」の溶暗から、食い食いの激しい台詞の応酬に始まり、徐々に徐々に、「ある事(人)」をめぐる真相を浮かび上がらせて行く、ミステリー仕立ての会話劇。
互いによく知る間柄だから成り立つ、相手の数手先を読む台詞、話題の飛び具合が「ミステリー」的である事を可能にしているが、「後出し」に過ぎる感が否めない部分もある。
話を迂回させつつ、観客が真相を知るまでの時間を先延ばしにする工夫はうまいが、現われた(はずの)真相である「全体像」は意外でもなく、持って回って説明されるようなことでもなく・・・という印象だ。
まだ二十代前半の二人、とは後で判ったが、とてもそうは見えない貫禄は修練の賜物と言えるかも、であるが、中盤から若さが露呈し、芝居のテンションを維持するのが精一杯、それでもよくやっている、のだろうけれど、役のあり方、演技として的確かどうかとなると厳しい。
 男性の方は(性格・立ち位置として奔放である事が自然なキャラという事もあって?)「出方」にバリエーションがあって弛ませないが、女性のアプローチはせいぜい3つ位、それを使い回すのが精一杯に見えた。感情的になる。がそれを鎮めて、敢えて言葉を相手に投げる義務を負っていることへの倦み=ため息混じりの台詞、と来る。西欧だから「言葉」はどうしたって省略できないので、あの(洋物によくある)息混じりの喋りが出てしまってもある必然は無くはないのだろうけれど、「人物」になりきれていない、ゆえの「目くらまし」演技、意表をつく出方、これを二人ともやっている。終盤はこればかりに思えて仕方なかった。
問題は二人がどういう関係なのか・・・最初、夫婦に見え、その共通の親しい人の名が出て、彼が死んだ事がだんだんと判る。息子?と思いながら見ていると、それにしては一方が淡白すぎ、中盤も中盤に来てやっとそれが、男の「兄」だとわかる。そして女は彼と結婚していた女性だった。
 兄は音楽家で、単なる偶然によって、衝動的な殺人の犠牲者となる。加害者は所謂マイノリティ、異国人であり、男はそうした者たちへの(恵まれた白人としての)負い目を抱いており、その事は起こるべくして起こったと理解していることがわかる。貧困の子供たちへの支援活動もしている。そんな彼を女は受け入れがたいが、理解は示す。が、男のその行動、選択は自分の全てへの恨みに発していて、実は「正義」ゆえの行動ではなく己の負の要素に負の刻印を押すための行動に過ぎない(かなり意訳すればそんな具合)、と断じる。女は女で、結婚生活に敗れて5年前に出て行った事の負い目を持ちながらも、いつか帰る場所だと考えていたのに、訃報を聞いて帰ってみれば自分にまつわる何もかもが消えてしまっている(夫の生活から削り取られていた)事に愕然とした事を弟に伝える。行き詰まった彼女は戻ってくることを考えていた、という。
 さて、「問題にしている人間」を作者が中盤まで伏せた理由は、恐らく、出会っている二人が兄の(元?)妻と義理の弟である設定から、考えつくのは道ならぬ恋。だから伏せに伏せて、その間に「彼」との関係から派生する様々な「問題」のほうを話題にし、掘り下げさせた。
でもって、最終的に、二人は女がそこを去る前、電撃が走るような感覚に任せて肌を重ね、求め合ったことが語られる。女はそれで去ったのだと判る。男はその事実に触れまいとしてストイックな話題に固執していたらしい推測に導かれる。「兄」の死は9・11についてのある解釈と同様、ある恒常的な不正を放置し見ぬふりを続けてきたことのツケなのだ、と解釈し得る問題からすれば、そのような高邁な「正論」をいかに語ろうが、情欲の前に人間はひれ伏すしかない、脆弱さというものに繋がるのだろうか。。 
 いずれにしても、このオチが付け足しでなく、作者の最初の狙いなのだとしたら、芝居の作りは随分違ったものにせねばならなくなるのでは。
 冒頭から激しく続けられたやり取りは、全て、二人の間の精神的障壁を取り除くための、前戯であった、のに違いない。そうして「変わりえない世界」の片隅で、叶わなかった愛の代償であり今や不要となった「正論」を手放し、その手で「自由となった」女を抱き締め、現実に埋没して行く・・。そんなのが正解かナ・・などと想像した。
 芝居を離れるが、3年という期間を演劇修練に費やした修了生が、演劇界で活躍して行くことは喜ばしい。官製の演劇教育、などと揶揄する向きがあったりするのかどうか知らないが、私は応援したい。

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

Unbreakable -アンブレイカブル- 最終章

演劇レーベルBo″-tanz

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

SF的な批評精神を貫いて
前2作を受けていますが、開演前のレクチャーが親切ですし、展開する魔法世界は現代とかなりパラレルですので、今回から見て全然問題なしに、楽しめます。SFおきまりの自由な社会・政治批評が辛口に効いていて、堕天使と殺戮天使の争いにリアリティーというか、得心できるものになっています。映像と音楽が効果的に使われ、いいなぁ。個人的には、アンブレイカブルのままでもよかったのですが。

愛犬家

愛犬家

甲斐ファクトリー

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

珠玉のラストシーン
泣いた!久しぶりに泣いてしまった。。。
最近の歌って踊る薄っぺらな芝居と違って、作品と呼べる演劇だった。
その重いテーマは人の心の闇に潜むもの。それを笑いを交えて展開してくれて楽しめた。
ネタバレになるので言えないが、とにかくラストシーンは出色の出来栄えで感動した。これで旗揚げ公演なのか?再演を強く求める。
うん、もう1度観に行こう!

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