最新の観てきた!クチコミ一覧

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青の凶器、青の暴力、手と手。この先、

青の凶器、青の暴力、手と手。この先、

キ上の空論

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/08/31 (木) ~ 2017/09/03 (日)公演終了

満足度★★★★

「青の凶器、青の暴力、手と手。この先、」
確かに、この先、を描いてた。
好き嫌いあると思う。私はあの世界がとても好き。
劇中、ある人のことを久しぶりに思い出して、今、とても、会いたい。消息なんて知らないけれど、会って何したい訳じゃないけど

リジッター企画の中島さんの立ち上げてるユニット、ってことで気になってて、りさこのガチ恋~とかで評判聞いてる新垣さんを見たかったのと、あすぴーとゆかりんが共演してて、クロムの森下さんが居るっていう、割と条件揃ったので行ってきた訳なんだけど。

なんだこの、空間の、繋ぎ方。すげぇよ…

新垣さんの体現力も凄いし、あすぴーの表現力も凄い。ゆかりんの沿い方とかも良くって、語彙力どっか行くわ。
そして、
演劇って、何もない。が、何でもある。になるから凄いんだ、ってことも再確認。もちろんそこにガイドはあったりするんだけど、それでもホンモノは無いから。
どんな舞台も、音響さんや照明さん、演出部さんが、最後のキャストなんだけれど、
ちょっとこれは、音照がガチでキャスト。殺陣のサンプラーに近いというか、息を読んで滑り込まないといけないやつ。見事。

【第29回池袋演劇祭「大賞」受賞作品】成り果て

【第29回池袋演劇祭「大賞」受賞作品】成り果て

ラビット番長

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/09/14 (木) ~ 2017/09/18 (月)公演終了

満足度★★★★★

前作とかなりイメージが変わった。ストーリーはそのままであるが、全体的に“泥臭さが抜けた”とでも言うのだろうか?井保さんとしてはかなりスタイリッシュな絵を作ったなぁと感じた。何より驚かされたのは雪島さら紗の成長!前作では“お嬢ちゃん”だった彼女が凛とした、勝負に向かう覚悟を感じさせるようになっていた!これは嬉しい!気になったのはラストの対極の際のコメント、舞台上に障害物が多いので文字が読み取れず。多分舞台正面からはちゃんと見えたのだろうが、上・下手寄りの席だとかなり見づらい。あれもストーリーにとってはスパイスとなるものなので、もう少し見やすいと良かったと思う。

かっぽれ!〜締〜FINAL

かっぽれ!〜締〜FINAL

green flowers

シアター風姿花伝(東京都)

2017/09/21 (木) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

お初でしたが、良い舞台を観せて頂いたと思っています。一門という独特の世界と絆、押し付けでなく、じんわりと感じさせてくれる舞台でした。最後という事でしたが、登場人物たちの過去もそれとなく織り込まれた細やかさのある舞台でもありました。番外編、続編、観たいです。

クロス ~橘耕斎ヘダ日記~

クロス ~橘耕斎ヘダ日記~

Re:Duh!

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2017/09/21 (木) ~ 2017/09/25 (月)公演終了

満足度★★★★

和物の美しい動きをなさる女優さんがいて、骨太の芝居をなさる方もいて、また作品の内容的にも、大変見ごたえのある作品だと思いました。が、どうも話の流れがずっと同じテンポで、“引き込まれる感覚”までは至らなかったというのが正直なところです。なんというか“観客を巻き込む加速”そういうスピード感がもっと出ればと感じました。

レインメーカー

レインメーカー

劇団ショウダウン

南大塚ホール(東京都)

2017/09/23 (土) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

2日間で2ステージ観てきました。

内容も引き込まれ。。。

人の本能の部分が出てしまったけど、誰もが持っている心で、追い詰められたらそう思っても仕方がない…だけど、心打たれ、泣きっぱなしでした。

演技もとても良かったと思った。。

セリフのないところでも演技をしているのがとても気になり、見入ってしまった。

またやってほしいです。

上智劇研×みち草るーてぃん番外公演

上智劇研×みち草るーてぃん番外公演

みち草るーてぃん

上智小劇場(一号館講堂)(東京都)

2017/09/23 (土) ~ 2017/09/25 (月)公演終了

満足度★★★

良さは幾つかありましたが、メリハリであったり、台詞で一杯一杯で感情が乗っていなかったかな。器用にやろうと走っていたのかも。
今昔の解釈・表現が混交した新鮮な演出も有り楽しめました。・・偉そうですみません。

魔法の鏡、とその中身

魔法の鏡、とその中身

the pillow talk

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2017/09/22 (金) ~ 2017/09/25 (月)公演終了

満足度★★★★

 身も蓋もないAVのお話。と言っても社会性はある。

ネタバレBOX

マジックミラーの内と外、内側ではAV撮影や契約、籠絡などが行われているが、その詐術的話法の見事さには目を見張るものがある。とは言え、騙されたと気付いた時には、既に契約書に判をつき、誘導されて自らの意思によって選択したと解し得るあけの根拠を相手に与えてしまっているかも知れない。而も、会社側が必ず言い出すのが、費用の発生と違約金である。今作で違約金は100万とされているが妥当な線ではあるまいか。実際、AV女優だったことをカミングアウトして現在は、このような被害に遭った女性達の力になれればと活動している女性の話とも一致する。何れにせよ、街中で声を掛けられてスカウトマンについてきた若い女性がおいそれと払える金額ではないことが重要な点である。それでも出ない、と言い張る女性に対しては大声を張り上げて何人もの男が恫喝としかいいようのない「脅し」を掛ける訳だ。ゲットする側はおだてすかした上、ちょっと体の線を見たい、などと言って別室でヌード写真を撮影しているから、出ないと強情を張れば、それを彼女の通う会社や学校、知り合いにばらまくなどと迫るのである。
このようにジェンダーの問題を絡めながらスカウトや彼らを雇い給料を払っているプロダクション、芸能事務所などを絡ませて、街中でスカウトした女性を強引にAV女優に仕立て上げる模様や、スカウトをやらせても効率よく女の子をゲットできない連中は結局仲間や社内で追い詰められて、自分の身の周りの女の子を売り込む様。契約書をろくに読みも読ませもしないで判子を押させ、これを根拠に無修正AVに出演させネット上にアップする手口等々が描かれてゆく。或る意味、啓発作品と言えよう。ネット社会での責任の曖昧化、海外のサーバーを経由することによる国内法からの抜け道、当然のこと乍ら、違法すれすれのことをやらせているプロダクションには、顧問弁護士がついているという法的問題点も類推させる。即ち法など解釈次第であると同時に時代の趨勢や力関係だというあからさまな実情が浮き彫りにされて、欺瞞社会そのものが今作のターゲットとされていることが理解できる訳だ。
 何れにせよ、現在では、我が国の哲学の本流もポストモダンの修辞学的傾向助長によって、下司共の主張を正当化するに至っている。無論我らの存在の基盤は曖昧である。何処から来て何処へ行くのか? 定かでは無いし、一体我々が何者なのか? も定かではない。その曖昧を精神に置き換え、人間として当たり前だと思われる思惟の普遍性によって根拠づけてきたのだろうが、今やそのベースが崩れ去って、時代の潮流は詭弁である。その詭弁を駆使して弱者である女性を性の道具乃至性奴隷として娯楽に供している姿が描かれている訳だが、ラストシーンがその対極に位置する。即ち客席と舞台を遮るように設置されたマジックミラー越しに、鏡の中身であるAVを巡る実体が、それを享受する我々を見返しているのだ。
 我々自身を律する倫理として、最低でもこの程度の自己批評意識は持っていたいものである。

『を待ちながら』

『を待ちながら』

HEADZ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2017/09/17 (日) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★

■約95分■
荒唐無稽で落ち着きがなく、ついていこうとすると結構なエネルギーの要るお芝居。頑張って観ていたら、いくつかいいフレーズにめぐりあえたのは幸い。

悪いけど芝居させてくだ祭

悪いけど芝居させてくだ祭

悪い芝居

浅草九劇(東京都)

2017/09/13 (水) ~ 2017/09/18 (月)公演終了

満足度★★★★★

■『純白』鑑賞/約100分■
5作品中、山崎彬の新作はこの1本のみ。例によって悪ふざけ満載ながらも、全体としては、人生の一大転機を迎えた主役のJKへの温かい応援歌として受け止めた。好作。

悪いけど芝居させてくだ祭

悪いけど芝居させてくだ祭

悪い芝居

浅草九劇(東京都)

2017/09/13 (水) ~ 2017/09/18 (月)公演終了

満足度★★★★

■『マボロシ兄妹』鑑賞/約50分■
単なる言葉遊びに逃げることなく、現実と幻想の弁証法をとことんまで突き詰めた労作。青山円形劇場で観た大人数バージョンより話が簡明なのに加え、中西柚貴の凛とした演技が素晴らしく、この二人芝居のほうがずっと食いつけた。

悪いけど芝居させてくだ祭

悪いけど芝居させてくだ祭

悪い芝居

浅草九劇(東京都)

2017/09/13 (水) ~ 2017/09/18 (月)公演終了

満足度★★★★

■『夢を見た後見てる夢』鑑賞/約60分■
ビギナーが手がけたとは思えない、巧妙にして洗練された脚本・演出に驚嘆。東さんは明らかに創作に向いている。手垢にまみれた夢モノも、工夫次第で面白くできるのだなぁ。

悪いけど芝居させてくだ祭

悪いけど芝居させてくだ祭

悪い芝居

浅草九劇(東京都)

2017/09/13 (水) ~ 2017/09/18 (月)公演終了

満足度★★★

■『それはそれとした』鑑賞/約70分■
所属俳優渡邊りょうが初めて手がけた作とあって、全体に間延びしている、主役の演技が一本調子と、あれこれ粗が目についた。これはおそらく、伝えたいことをスマートに伝えるための脚本力・演出力が備わっていないため。まだまだ勉強が必要と感じた。テーマは悪くない。

悪いけど芝居させてくだ祭

悪いけど芝居させてくだ祭

悪い芝居

浅草九劇(東京都)

2017/09/13 (水) ~ 2017/09/18 (月)公演終了

満足度★★★★

■『神様それではひどいなり』鑑賞/約65分■
屈折した人間ドラマで面白かったが、上演時間の短さが影響してか、やや見せ方が粗い。初演は何分くらいあったのだろう?

賊義賊 -Zokugizoku-

賊義賊 -Zokugizoku-

壱劇屋

HEP HALL(大阪府)

2017/09/22 (金) ~ 2017/09/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

ルパン三世のような痛快なアクション殺陣芝居。
本当に楽しかった。
中村るみさんの表情がくるくる変わるのもとてもかわいくて楽しくて見てるこちらまで笑顔になりました。
KATUさんのラスボス感。身体能力、リズム感。悪者なのにかっこいいって見入ってしまう。壱劇屋のノンバーバルはもう絶対倒せないだろって思わせられるラスボス感がめっちゃ好きです。
竹村さんの描く世界、その中にいる竹村さんが大好きです。
ひとりひとり感想書くとものすごい量になるのでこの辺で(書けるんですけどw)来月も楽しみにしています。

Regulation'sHigh

Regulation'sHigh

BLACK JAM

萬劇場(東京都)

2017/09/20 (水) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/09/24 (日) 16:30

価格4,000円

レギハイ3rd千穐楽観劇。
最前列で迫力ある舞台を堪能!!
出演者は男性キャストのみ。
熱い芝居を間近で観れて大満足(*^艸^*)
たくさん笑って、たくさん泣いて。
とても素敵な時間でした、ありがとうございました!!

エフェメラル・エレメンツ

エフェメラル・エレメンツ

ティーファクトリー

吉祥寺シアター(東京都)

2017/09/22 (金) ~ 2017/10/03 (火)公演終了

満足度★★★★

川村毅のスマッシュヒットである。80年代から鍛えられた小劇場魂。今だ老いず。
素材は使い古されたディック以来のアンドロイド物なのだが、この時期に見ると今の迫力がある。そこが演劇の怖ろしいところだ。
美術はクレジットがないから川村本人か。いつも川村の舞台は整理が行き届いていて、見ていて気持ちがいいが、今回も二百人足らずの小劇場の舞台に、廃炉の中から宇宙まで巧みな転換で見せていく。照明はベテランの原田保。音響が藤平美穂子で、いいスタッフを駆使するところなど、最近の若手の小劇場の及ぶところではない。さすが!!
堅い椅子で休憩はあるものの3時間は辛いが、飽きずに見てしまう。俳優も客演はあるものの、ベテラン新進でそれぞれの力を出している。
第三エロチカの80年代から、独自の演劇の世界にこだわってきた演劇人の作品に接すると、ある種の感動がある。MODEのカフカや、松本雄吉のジャンジャンオペラなど、唐や蜷川の大きな成功のもとに隠れた小さな宝石の輝きに触れたような懐かしさである。

ネタバレBOX

アンドロイドの活躍で廃炉の後福島にアンドロイドの人間の共生する独立国ができる。その名前が「希望の国」。観劇後帰宅して遅いテレビニュースを見ていると、小池新党の名前が希望の党!に決まったという。
舞台では希望の国の崩壊も描いているが、演劇の予見の力を感じさせつことであった。
METRO

METRO

劇団有馬九丁目

日本写真映像専門学校・実習棟1階ホール(大阪府)

2017/09/23 (土) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★

音響照明すごい豪華!
廃退した感じがすごかった。
カイジみたくずっと頭の中でザワザワSE響いてた。
疾走感溢れる物語でした。

ニコニコさんが泣いた日

ニコニコさんが泣いた日

演劇企画ハッピー圏外

コフレリオ 新宿シアター(東京都)

2017/09/20 (水) ~ 2017/09/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

ニコニコさんが泣いた日 拝見しました。
満足度の高い娯楽作品でした。笑いがあって、涙があって、最後に感動で席から立てませんでした。
動物がねぇ、まさかあのように描かれるとは(笑)
次回公演も観に行きたいです!ありがとうございました。

第4回大阪短編学生演劇祭

第4回大阪短編学生演劇祭

大阪短編学生演劇祭

浄土宗應典院 本堂(大阪府)

2017/09/23 (土) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★

今回は全く未知数な4劇団でしたが私の中では劇情ロマンスが一番、面白かった!
セリフや女優3人のキャラ設定など楽しめた^_^ タイトルはあまり関係なかったけど(^^; 役者さんが荒削りながらキャラを上手く演じていて笑いもいっぱい誘ってた♪

きゃんと、すたんどみー、なう。

きゃんと、すたんどみー、なう。

青年団若手自主企画 伊藤企画

アトリエ春風舎(東京都)

2017/09/15 (金) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★

素舞台に近い使用法の多いアトリエ春風舎に、作り込まれたリアル美術が嬉しい。
畳の間から縁側、短い渡り廊下で奥の家屋とも続きになる。
縁側を降りた奥の下手は抜き板を縦に重ねた時代がかった塀。
畳の上の円卓に麦茶のポットとグラス、、やや斜めに傾いた日射が縁側を照らす。
開場時間(開演20分前)から既に奥側に二人の作業員が座り、部屋にはタオルを被って足を見せて横になる何物か。時折会話していた二人の声が、前説の後に大きくなり、上々の日常芝居の開幕。

余程時間が余っているのか、作業服の比較的若い男女の間にプライベートな時間が流れ始め、長い沈黙の中、見合う二人のキスの寸前に寝ていた某が奇声を上げて起き上る。(この絶妙なタイミングをどう図ったのか未だ不明。)

芝居は伏線と謎解きの構成もあるが、どちらかと言えば伏線抜きで強烈なキャラが登場して展開を見せるので、場当たり的、というか小説的?、ロードムービー的?予測できなさがある。そのためか、きちんと仕込んだ謎掛けの「解き」が今一つだったりもする。
その典型が序盤、男女の関係への想像を促して閉じる一言「元気出しなよ・・」という女の台詞。含蓄があるが、後の「謎解き」が待たれる「振り」にしては、中身はぼんやりしていた。・・男の傷心の源は震災時に帰宅困難者となった妻を自宅で出迎えた時に妻が発した咎めるような一言。・・二人は間もなく離婚し、その後妻は死に(死因には触れず)・・云々。
肩透かし気味なのだが、この「分からなさ」を大きな欠陥とは感じない。最初に張った伏線が意識に上らない程に、あれこれ強烈な刺激(謎掛け)がぶち込まれるからだ。「場当たり的」展開は他にも粗さを残したが、問題はその粗さより、話しがどのあたりに収斂して行くか、にある。

伊藤毅企画、前々作(第一作)以来の観劇は、第二作を飛ばして三作目。気まぐれ気分で観てみたら、障害者とその家族という設定が同じであった。
第一作の「アリはフリスクを食べない」では、軽度の障害を持ち作業所で働く兄と、婚約者の家族が出した条件に従って別居を決めてしまう弟、つまり家族内のやむ無き断絶が描かれる一方、彼に理解を示す女性スタッフが、彼との同居(結婚)を望んでいるらしい(が言い出せない)仄めかしの芝居をラストに置いていた。

今作も「障害者を抱える家族」問題が軸になる。
面白く観たが、この問題の視点から眺めると、物足りなさもある。またこれ(障害者)を扱う難しさを認識した舞台でもあった。

ネタバレBOX

(障害者を登場させた秀作として『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』が思い浮かぶ。障害を「問題」の源としてでなく「武器」として捉えていたから。主役は身体障害の青年だが、友人の軽度知的障害の男も信憑性ある行動が描かれていた。)

さて伊藤企画の今作も、「軽度」の知的障害のある人物が中心となる。その女性・雪乃(村井まどか=年齢は行っているが童顔)と、若死にした母親に代って姉の世話をしてきた二人の妹・・次女ツキハ(月遥)、カスミ(花澄)という家族構成で、その実家が舞台である。(父親についてはあまり語られない)
今日は次女の結婚・転出の日。冒頭から縁側に座るのは引越し業者の従業員らしいが、事情あって(妹の転出を受けいれられず姉・雪乃がパニックになったらしい)、一時休止状態になっている。

芝居に登場するのは、次女が結婚する一風変わった婚約者、その同級生(上述の男女が勤める引越し屋の社長)、雪乃が通う先に居る自閉症系?軽度知的障害のあるボーイフレンドなど。

ドラマ上の矛盾は多々あるが、最大の問題はやはり「知的障害を持つ人」の描き方、演技だろう。
今回の舞台では、「普通とは何か」という問題提起のために障害者が駆り出された、という印象がある。有効な問いであれば結構なのだが、果たしてどうだろうか。
「普通」を根底から疑い、相対化してきたのが60年代からのアングラ演劇であると私は思っており、しかしながら相模原事件この方、理詰めでこの問いに答える事が一定必要な状況にあるのかも知れない、と一応は理解する。

にしても、やはりこの芝居の「障害者」雪乃とそのボーイフレンドに対する、周囲の対応のほうに、違和感がある。とても長年一緒に暮らしてきた人達とは思えない初心者のそれで、つまり「現実を切り取った」絵としては、緻密でない。
頑張ってはいるが、障害者を演じるのがそもそも難しい課題である。彼ら障害を持つ人の「人物」如何で、筋書というものも変わって来るはずで、「どういう彼らなのか」・・描き切れていない所で問題提起は可能なのだろうか・・(これを言われちゃ実も蓋もないが?)そう思ってしまうのが正直な所だ。

「こういう障害のある人を抱えると大変だネ」という素朴な台詞が、芝居の終盤に吐かれる事にも違和感がある。当事者でない引越し屋に言わせた台詞ではあるが、このテーマを掘り下げるに当たっては、これはとうに「終わった」問いであり、終盤に改めて持ち出す類ではない、と私は思う。「大変なことは何十年も前に分かっている」が当事者の思い。「そこから先」の歩みの方がうんと長いし重要なのではないだろうか。

相模原事件の彼の手記をみると、食って寝て垂れ流すだけの「心失者」(植松被告の用語)を見て、彼らを「生かす」意味を見出せなかった事がわかる。
しかしこの芝居に登場する軽度の知的障害を持つ彼らが、周囲を「疲弊」させる程の仕打ちをするのだと仮にしてみよう。もしそうなら、如何に周囲が真摯に向き合わなかったか・・当事者なら考えるだろうと思う。私の知る軽度の知的障害を持つ男性(ちょうどこの芝居に登場する彼らに近いだろうか・・20代後半~30過ぎ)は、実に男気があり、寡黙だが周囲への気配りのできる人だった。私は年下の彼の人格に尊敬の念を抱いていた。もう亡くなってしまったが(泣)。それらは彼らが身につけた「処世術」なのかも知れないが、「普通の人」よりは「混じり気がない」ように私には見える。彼らがそうできるのは、自分の生き方、行き方を全うしているからだ、と感じるようになった。短期的な目標しか持てない彼らだが、確かにそれはあり、「やりたいこと」のために彼らは生きている。その点、全く健常者と同じである。
そうであるから、他者を慮る事ができるのだ。
話は脇へ逸れるが、「自分がいかに我慢しているか」を、自分より「劣った」人間に対する非難によって表現するケースがある。我慢して社会のルールを守っているのに、彼らはそれをしていない、守れていない。その彼らが一丁前の顔をして生きている、支援を受けている、優遇されている。その事を許せない心情が「自分の生き方を全うできていない」事に起因していると、気づけるか気づけないかの差は、大きい。気づかせてくれた彼らに私は感謝している。と言って、自分が幸福になれた訳ではないが・・。
それはともかく、彼らには一貫した人格があり、予測可能性が十分にある。芝居に戻れば、何十年も暮らした人達があれしきで根を上げるというのが、「リアルでない」と感じる最大の理由だ。
もちろんこの芝居にも、「普通」を基準にした偏見に対する疑義はこめられているが、投じた石があまりに小さく感じられる。

ドラマ構成の問題で言えば、今回役者一人の降板で台本を書き換えたという。その影響か、最終盤の「やや感動」場面に不自然さと、後味の悪さを残した。
中盤、雪乃が相思相愛の○○君との「結婚」を宣言して「お世話になりました」と、家を出て行こうとする。
「いつもはお母さんと一緒に来るのに・・」と不審がった○○君の来訪が、その展開に繋がった格好だが、二人の決意に対して周囲はそれをただ否定し続け、最後には妹らが「普通の人だって大変なのに、あんたたちは普通じゃないの」という本音の説得となる(この台詞がリアルに出てくるには何らかの特殊な設定が必要と思うがそれは置いておく)。
この中盤の騒ぎを踏まえて、最後。その直前、死んだはずの「母」が三女の前に登場し、三女の本音ほ引き出す。「自分は姉のために犠牲になった(だから結婚もできず彼氏もできない、的な不満)」・・本心を言って泣く三女を、母は励ます言葉を紡ぐ。お前が生まれた時には雪乃はお姉ちゃんしてた(素朴にイイ台詞だ)、お前は自分で選んで姉の世話をしてきた・・これからも、いやこれからは、自分のやりたいようにやりなさい・・。
三女が落涙した後、これを受けた最後の場面である。
引越し屋も婚約者も去り、三人姉妹が居間に揃った時三女は雪乃の結婚を認める宣言をする。ここで終わっても良いのだが、この後の展開がある。○○君をやむなく一人で帰らせた(一人で来れたから帰りも大丈夫だろうと)、その彼が事故に遭ったという連絡が入る。雪乃に化粧をして上げようとはしゃぐ三女と、電話を受けた次女の対比が、長い・・のは置くとして・・次女が三女に事の次第(この時点ではまだ「事故った」という情報)を告げ、事実を共有した二人と、何も知らずに「結婚する」とはしゃぐ雪乃の対比も、長い。もう一度電話が鳴った時、雪乃が「電話なってる」と言い続けても二人は電話に出ようとしない・・。
なぜ電話に出ないのか?これは大いに引っかかる。
事実を知ることで、それを踏まえて雪乃にどう対しようかと、必死で賢明な判断をしようとする・・私はそれを見たかったのだが、二人は耳にフタをしたまま、雪乃の「おめかし」に集中していく。○○君は果たして亡くなったのか、持ち直したのか。恐らく亡くなったという結論になりそうだが、電話を取らない事により、妹の方が「萎えて」しまわないよう、事実にフタをしたのだ、と作り手は見せようとしたと思う。
だがここには重要な問題がある。
雪乃が○○君の死を受けいれられないだろう、という判断を二人が共有している事実がある。それは障害のある彼女らが「結婚などできない」と根拠なく否定したのと同様に、根拠のない事だ。これから彼と会えなくなるかも知れない事実、今の内に会っておいたほうが良いかも知れない可能性、雪乃の「思い」が持続的なものかどうかについての洞察・・そうした「判断を迷わせる」幾つかの要素を、省いてしまう大雑把さが、リアルな芝居であるだけに、気になる。この二人の態度を懐疑的に描く角度を、作者は有していない、と見えた。むしろ二人の態度は美談に収まる、そういう評価が滲む。
「姉の結婚を認める」という妹の思いは、姉の「心」に即した判断であるのか、一般的にそれが良いことである、という判断を彼女自身の中で完結させてはいないか。この事を批判的に作者が描いているのだとしたら、二人がその事に気づく話にしなければその視点は観客に伝わらないだろう。

「こんな重い荷物を背負った二人が、姉に歩み寄っている姿、何と美しいことだろう」という視点。施しの視点であり、妹らが姉からどんなものを「授かったか」という視点がない。必ずや、それはあるはずだ、というのが当事者の感覚だと、繰り返すが私は思っている。

「普通」「健常」といったカテゴリーの実質を解体する言辞が、例えば唐十郎の戯曲には溢れているし、常識という観念を顛倒させる台詞劇ばかり別役実は書いてきた。かの時代から我々はよほど退歩してしまったのだろうか。

・・長々と愚痴をこぼしたが、「障害者=大変」の等式は現在の経済状況、雇用状況との関連でもたげてくる「魔の等式」であり、これにハマれば即、己の首をも締めにかかるのだ。「本当なのか」を吟味する命題ではなく、拒否し続け、その論拠を後づけでも見出そうとすべき、悪しき命題だと心すべきだと思っている。
でなければ(今日も電波を使ってアホな目くらまし演説をやっていた)我が日本国の首相の見え見えの口車にさえ、丸め込まれてしまう。(いや、既に負けてこうなっている訳だが・・泣)

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