
「Collapse Of Values」Re:Mix
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場HOPE(東京都)
2025/12/09 (火) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/12/12 (金) 18:30
私は、裏チームを観た。
警視庁刑事部捜査第一課の佐々倉優希、山崎鈴音はとある事件の捜査を言い渡される。
それは突如消えたサラリーマン2人の行方の捜査。
なんとそのうちの1人は佐々倉の弟、優太だった。
弟の行方を探す為、佐々倉は潜入捜査を開始すると言ったようなあらすじだったが、実際観てみると、刑事で正義感の強い佐々倉は怪しまれないよう名前と職業を変えて潜入するが、潜入した一軒家の中では、何処からか運ばれてきて地下に安置された遺体の解体作業に従事するという闇バイトの内実が分かってきて、高額バイトに釣られて応募してきた訳有りの複数の男女が実際には遺体の解体作業に1週間くらい従事しなければならず、家族や、職場に勘繰られないようにしなければならないというようなことが分かってくる。
佐々倉はとんでもない場所に自分が潜入捜査で飛び込んだ事を実感し、自分の弟が殺されていないか不安になる。
そのうち、この一軒家を取り仕切るインテリヤクザの男が、バイトの男女の中から、自分が気に入った女性だけ、自分の楽しみの為、女性が嫌がろうと、無理矢理にでも性的搾取をする構造も分かってくる。
更には、この一軒家から逃げ出そうとする者は誰であれ殺されると言う救いようのない、負の連鎖のピカレスクダークサスペンス劇に驚愕し、当然のことながら最初に騙されてこの明らかに違法な遺体解体作業に従事していた女性がこの一軒家から抜け出さず、この作業に従事し、一見すると優しさもあるバイトリーダーに見えていた人物が実はかなりのサイコパスと化して、目的達成の為なら殺人も厭わない人物だったり、バイト仲間に殺人鬼が紛れていたり、過酷な境遇の中で、人間性が失われ、腐り切っていく、自分が助かる為なら平気で人を騙しさえする、そういった人の汚さ、綺麗事だけでは回らない不条理さ、そしてこの事件には警察上層部が実は?と言った感じで、佐々倉は追い詰められ、最後は……と言った感じで一切の救いが無く、胸糞悪差しか残らない。誰一人として本当の意味での善人は出てこないし、露骨な悪役も出てくるとは言えない。
こう言ったことが、妙に現実味を帯びていて、実際の世の中に起きる事件はここまで救われなさ過ぎるものではないかもしれない。しかし、多少誇張していたとしても、実際の世の中でも何が絶対に正しいと言うようなことでない、正解が出し辛いことも多いことを考えると、深く考えさせられた。
この劇の中で次から次に展開され、主人公も追い詰められていく不条理こそが、現代の生き辛くて、閉塞感のある社会を多少誇張していたとしても描いているのではないかと感じた。
途中途中、登場人物たちによる下らない笑い、勘違いによる笑い、巧みなボケ突っ込みによる笑い、出てくるだけで癖が強すぎる登場人物による笑い、ズレた笑い等大いに笑える場面もあったが、劇全体としては、ピカレスクノワールサスペンス劇で一切の救いが無い内容が次から次に展開され、出てくる登場人物に対して人間不信になるような展開の上、観客を緊張、緊迫させる場面、重厚な場面のほうが多くて、バランスは悪く、疲れた。
しかし、笑いとピカレスクノワールサスペンス劇で救いのない展開とのバランスの悪さによって、刑事ものなのに軽すぎてエンタメに特化し過ぎるといった感じに陥っていなかったので、個人的には緊張、緊迫感、重厚感のある押し潰されそうになるような舞台、とても集中出来て良かった。
役者の演技力も中々差し迫ってくる感じがあって良かった。
性的搾取やパワハラな言動、威圧的行動を繰り返す、人として余りに終わっている腐り切ったヤクザの男を演じる役者は、如何にもそういうことをしそうな雰囲気に見えない見た目で、そういった難役を何気ない感じでこなしていて、こちらに人間不信感さえ抱かせる感じが上手かった。
演技だと露骨に分かると言うよりかは、一体どこからが演技なのか、分からなくさせていく演技が流石はプロだと感じた。勿論、終演後のカーテンコールの際には、柔和で温厚そうで、常識人な役者になっていたので、こうも役者とは、一旦役になる際には普段とは振り切って演じつつ、さも、演じる役が普段であるかのように振る舞えて、観ている側をすっかり錯覚させるだけの力量あってこそ、本当に演技力のある役者と言えるのかも知れないと感心してしまった。
有沢澪風さん演じる最初のほうで騙されて遺体解体作業に従事して、闇バイトのバイトリーダーをする、威圧的、高圧的なヤクザにビクビクして、バイト仲間に優しい顔と裏の顔の2面性がある東山えりの役の演じ分けが上手かった。特に前者の、被害者感を出している感じは、観ている側に共感を感じさせるほど上手かった。
前中慎役の小郷拓真さんの実は○○○だと分かってからの豹変ぶりも中々だったが、それ以上に警察上層部で佐々倉の上司役の役者がそれまで温厚そうで、部下に振り回されてばかりいるように見えたのに、実は事件の裏に……という驚愕の事実に行き着いた時に、それまでの性格や行動と余りにギャップがあり、観客をそれまで騙せおおせていたことに驚愕し、一体登場人物の誰を信じれば良いのか分からなくなるぐらい意外過ぎて、役者の鏡だと感じる程、それまでの演技が上手過ぎて、あっけにとられる程だった。
最後の佐々倉の上司の警察上層部が実は……という下りが予想の斜め上を行き過ぎて、それまでのアクの強かったり、緊急時における人間の嫌な部分が次々に露見していく展開の時の、役者たちの演技力の見せ所になっていく場面より、何なら印象に残ってしまった。

サイハテ
演劇企画集団Jr.5(ジュニアファイブ)
小劇場B1(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/12/13 (土) 18:00
主人公の男は、他の登場人物によって、途中で還暦60歳だということが分かるものの、他の妻や娘、家族以外では、部下や旅人など特定の名前余りが出てこず、劇の最後まで絶妙にズレていて、だけれども何処か可笑しみや哲学的で答えがなかなか出せない会話、また虚しさが浮き彫りになってくるあたり、そして、主人公がいきなり不条理な状況に置かれて、戸惑いながら、何とかしようとする当たり、別役実の劇作に影響をかなり受けていると感じた。
舞台のかなり抽象的な雰囲気からいっても。
最初や劇の途中途中で主人公の初老の60の男が持っている風呂敷包みで結ばれた箱に向かって話しかけると、男の妻が出てきて、男と話をする。
しかし、劇が進行するに従って、娘にも、他の登場人物にもその妻が見えず、話している声も聞こえなくて、男にしか妻の姿形が見えず、声も聞こえていないことが分かってくる。
娘と男との会話によって、男の妻はとっくにこの世に居なくて、男の妻が病気か自殺か、事故かといった早逝した理由ははっきりとは最後まで明かされないものの、男が持っている箱の中身が妻の遺骨であり、妻の遺骨に毎日男が語りかけていたという衝撃的な事実が段々と分かってくる。
そして、男が妻の死を受け入れきれず、未だ後生大事に遺骨になった妻に話しかけ、男にだけ妻の姿形が見え、妻の声も聞こえるが、今年30になる娘と今までちゃんと向き合ってきたとは言えなかったことも分かってくる。
妻と一緒に「サイハテ」に行くことだって、妻と約束したと言っていたが、実は違う事実が劇中で浮かび上がってきたり、妻の為に買ったと言っていた古ぼけて半ば壊れているラジオだって妻の為に買ってきたと言いつつ、実際には、男が誰よりもそのラジオが欲しくて買ったこと、定年になるまで国民汚物課 下水処理班で真面目に一生懸命働いてきたが、その分家族との関係と言うか、家庭よりも仕事最優先で働き詰めと言った感じだったことが徐々に明らかになってくる。
しかし、大事な事柄から逃げ、家族との関係性からも逃げ、妙な責任感からか、妻の遺骨に囚われ、娘ともまともに向き合おうとせず、60になるというのに本当の意味で2の足を踏み続け、自分はこれから何をしたいのか、どこに行きたいのかと言ったこと劇中を通して探し続け、迷い続け、半永久的に理想郷とされる「サイハテ」目指して、自分探しの旅を60にもなってする、何処か人間臭く、裏寂しく、何処か憎み切れない男に呆れつつ、何処か共感出来た。
やはり人間、完璧だったり、ハッキリした目標があったり、自信があったりするのが主人公よりも、人の意見に流されやすく、気が弱く、自分に何処か自信がなくて、これからどうしたいのか、なぜそこに行きたいのかと言ったような問に対して、具体的に答えることができず、何歳になっても思い悩み、過去を引きずり続け、後悔して前に進めず、娘とも何処か距離があるような人が主人公になるから、呆れ帰りつつも何かしら共感したり、その欠点や駄目さ加減に自分を重ね合わせてみたり出来るんじゃないかと感じた。
劇中、国民管理局に勤める女職員の部下が男と2人きりの場面で、自分が実は最低限の権利しか有していない非人戸籍であることを打ち明け、主人公の男も非人国籍であることを打ち明ける場面がある。
非人国籍だとえらく差別され、牛馬の皮革産業や汚物処理といった限られた職業にしか就くことが出来ず、結婚などなかなか出来ないといったことを主人公の男と国民管理局に勤める女職員の部下の男と2人でそういった話をするが、この劇に出てくる非人国籍の在り方、世間の差別のあり方は江戸時代の穢多非人、現在における被差別部落出身者の在り方にも通じる所があり、この劇全体的には、抽象的で哲学的、不条理劇的でもあるSF劇なのだが、そこに社会的な問題、特に普通は被差別部落の問題は取り上げ辛い問題だからこそ、SF劇の中に組み込んで描いている辺り、感心し、また深く考えさせられた。
国民管理局の女職員に部下の冴えない雰囲気の中年男がスリッパで思いっ切り叩かれる場面が劇中何回か出てくるが、容赦なく、躊躇せず、女職員が叩き、暫くして、ボソッと痛かったことをぼやく中年男の部下との絶妙にズレていて、とボケた感じのスラップスティックな喜劇の要素が大いに笑えた。
争いを好まない平和主義者だと言いながら、にこやかにそれでいて相手を追い詰める手法を使って、自分の部下であろうとも特に気にかけたりせず、部下の失態や暴走に対して部下を庇うどころか平気で責任を取らせようとしたりする、冷酷で淡々としている国民管理局の現場を取り仕切る男の上司である。
主人公の男が実は持ち込み禁止物を管理局内に持ち込んだことに対して、その中身をこっそり隠し、手荷物検査を女職員が命じたあと、中身が確認出来なかったことで、女職員が責任を取るため天条委員会に報告に行くが、その間に返してくれたりと、優しいのだから、怖いのだか、敵か味方か判然としない国民管理局の現場を取り仕切る男の上司が、こういったSF劇では、普通はっきりと管理する側、される側といった対立軸があるのが普通な筈なのに、今回の劇でこの国民管理局の男の上司1つ見てみてもはっきりとヤバい役、突出した悪が出て来ないのが新鮮であり、非常に現実的だと感じた。
また、国民管理局の上にある天条委員会がどういったものか劇中では詳しく説明されず、天条委員会に所属する人物も一切登場しないのが、逆に現実的だと感じた。
国民管理局に所属する者から、国民は国家に所属し、国が定めた法律は絶対に守らなければいけない。だから国民は国家の所有物である。なので、お前に手荷物検査を拒む権利などない。お前が生まれた時から国がその身体を管理しているのだから、思想信条、どんな家族形成、どんな交友関係と言ったことも全て国が知っている。お前の身体は国家が管理している以上、お前の持ち物ではないのだといったようなことを言うが、これは明らかに思想信条の自由表現の自由、人権に反しており、主人公の男や登場人物たちが名前でなく、番号で呼ばれることも管理社会的で恐怖でしかないが、「サイハテ」に行くための最初の試練として、ガラポン抽選がある。そういった国が管理し、国民の為、戦争紛争がなく、人々が平和に平等に暮らす為のルールとしての法律を守らせ、管理社会となった世界を描いているが、それで平和や平等が保たれ、理想的な社会になるのだとしたら、国の方針に国民は従っておけば良いのだ、国民は何も考えなくて良い。そのほうが幸せなことだってある。無用なトラブルも回避できるというようなことを国民管理局職員が言うことに恐怖を感じた。
しかも国民管理局の職員や国が国民に強いているというよりも、もうこういった制度になっているからと言った諦め感覚になって、事なかれ主義になっていて、何の疑いや不満も抱かなくなっている国民に、現実社会の日本の在り方とどこか似たところを感じ、SFなのに妙なリアル感と、危機意識を抱いた。
遺骨になった妻と上手く折り合いが付けられるのか、何処か穴が開いている娘との関係性も修復できるのか、主人公の男の代わりにくじを引いた「サイハテ」に行く権利を獲得してくれたことに対する、当てたのは自分じゃないという負い目、同士とまで意気投合したのに、イザとなると主人公の男の思い切りの悪さによって国民管理局職員の部下の中年男を結果的に裏切ってしまったりして、娘に真の幸せとはそ何かを問われて、答えに困って逃げてしまったりもするが、自分や妻、娘、職場の人からも逃げ続け、何とか辿り着いた「サイハテ」には何もなく、しがらみもなければ、何をするのも自由だし、自分を縛るものは何もないがただの砂地で、ショックを受け、途方に暮れるが、そこで今まで色んなことから逃げ続けてきたことを心底後悔し、自分や今は遺骨になってしまった妻ともしっかりと向き合おうとし、今まで人の意見に流され、家族ともしっかりと向き合ってこなかった主人公の60の男が、とある重要な決断をして、前に本当の意味で進もうとする姿に、そういった結末に、決して格好良くもなければ、ハッピーエンドともバッドエンドとも言えないような曖昧な終わらせ方で、中途半端とも言えるが、実際人間が生きている中で選択をする時なんて案外そんなもんだと言うところもあると感じ、妙なリアリティーを感じて、共感した。
世の中、意外とイエスかノーと言ったふうにはっきりと言い切ることより、生きている上で、思い悩み、悩んだ末にこれだとはっきりした答えなんて導き出すことができなくて、それでも導き出そうと四苦八苦する格好悪さが、2択に絞れないところ、永久に思い悩みながら生きるところこそが人間の良さでもあるんじゃないかと、完璧ではないし、欠点だらけの流されやすく、自分の考え方をはっきり抱いているとは言い難い主人公の60の男を見ていて感じた。

交差点のプテラノドン
演劇集団 Ring-Bong
座・高円寺1(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/12/05 (金) 19:00
里中産婦人科クリニックの院長である里中こうたの通夜。長女の唯は、母の遺言もありクリニックを守ろうと必死。こうたは急死だったため、遺言状は遺されているか…?と遺産とクリニックの今後をめぐり3姉弟は意見がぶつかり、お葬式なのにてんやわんや。そんな中、唯の娘、花音が大きな秘密を抱えているようで…。
葬式であぶり出される家族の本音から、母と娘、特別養子縁組…と、「家族とは?」を問いかけていくと言うような、CoRichに載っていたあらすじを読んだ感じだと、急死した里中こうたとその家族、親戚、関係者を巡るドタバタ喜劇であり、人情喜劇でもありつつ、社会問題を取り扱った演劇であって、不思議な要素など微塵もない作品だと思って、会場に観に行った。
実際観てみると、里中産婦人科クリニック院長の急死の為、遺言状が残されているのかといった問題と、遺産とクリニックの今後を巡り3姉弟の醜い言い争いになるようなドタバタ喜劇な展開や里中家の娘が17歳にして望まぬ妊娠になりそうな問題、長女とその娘との関係などを丁寧に描いており、全体的にはあらすじとそんなに大きくは変わらない。
急死した里中こうたが幽霊となって、時に感情的になったり(幽霊だから生きている人間には見えないにも関わらず)、時に人に見えない、自分の声も相手に届かないというような状況から客観的な視点に立って我が身を振り返ったり、自分のかつての言動や行動が相手を傷つけていたこともあると知って、我が身を恥じ、反省したりと、幽霊なのにも関わらず、その辺の生きている人間より、人間臭い感じに描かれ、幽霊が成仏してあの世に行くまでの期間、話し相手になったりする見守り係としてうら若く見えるさつきという女性とのやり取りを通して、里中こうたが気付くことも多かったりといったように、生きている人間には見えない幽霊と見守り係の視点がさり気なく入ることで、望まぬ妊娠になりそうな長女の娘の問題だったり、子どもの為と思って行動していた筈が子どもの将来や、子どもの意見や選択肢を親が勝手に縛って、親や世間が思うこうあるべきを過度に押し付ける問題や堕胎、特別養子縁組と言ったこと等、普通に描くとかなりシリアスで、観客にも緊張を強いる重いテーマが、もう少し緩やかに、時に笑いも交えながら、肩の力を抜いて、考える事ができるようになっていて、そのバランスがなかなか良かった。
若い人でも、気軽に、社会問題や家族問題と言った重いテーマについて、身構えずに考えやすい劇となっていたのではないかと感じ、全体として社会問題、家族問題、世代による考え方の違いや何気ない未だに残る女性差別の構造の問題といったことを観客に押し付けるのではなく、時に劇に出てくる登場人物の言動、行動を誇張し、大いに笑いを誘いながら、さり気なく考えさせるようになっていて、若者が観ても、難しく考え過ぎず、こういった劇をきっかけに他の演劇にも興味を抱くような橋渡しとなる劇としてちょうど良いのではと感じた。
また、里中こうたのとある秘密が劇の後半で明かされ、その内容が余りに予想を壊してくる展開が面白かった。
あらすじには出てこない、里中こうたが幽霊として里中家の家族の問題や社会問題を生きている人間には見えないに第3者の視点で見守り係と共に見つめ続けるという描かれ方は、不思議な要素などないと思って劇を観た私に取っては大いに予想を裏切られたものの、その絶妙な間と、不条理、ブラックコメディの様相を呈する劇に共感しやすく、社会問題や根深い女性差別の問題についても、遠いことではなく、日常の延長線上にあるんだと我が事として考えることが出来て良かった。
終演後の学生喋り場では、演劇集団Ring-Bong劇作家の山谷典子さんが司会となって、ゲストに劇作家、演出家、うさぎストライプ主宰の大池容子さんと演劇を学ぶ現役の大学生の2人を迎え、忖度なく、今の大学生が演劇に対してどういった思いを抱いているのかなどを引き出していて、普段は聞けないであろう、大学生の演劇に対する視点を聞けて良かった。
演劇と観客席との間に距離があって、一方的に劇を観客に観てもらい、劇作家が伝えたいテーマや価値観を一方的に観客に押し付けるといったことでなく、劇中でもっと観客と対話したりして、観客も主体的に参加させていくことで、若い人でも気軽に劇を観に行けて、劇中の観客との対話による交流によって一体感を生み出し、誰をも取り残さない演劇が作れるんじゃないかというような、今の演劇に対する改善点を大学生が話しているのも興味深かった。
家族や家族問題、社会問題、社会に根深く潜む女性差別の構造といった問題、そういった問題を取り上げた問題を取り上げた演劇は数あるし、姉弟のお婆さんがロボットや家族のことが心配で幽体離脱して様子を見に来たりといった不思議な要素や、SF要素を盛り込み、シリアスな展開になりやすい話をコミカルに展開し、感動要素も盛り込んだような劇もいくつか観たことはあるが、今回の劇のように、登場人物たちからは幽霊の里中こうたが全く見えない、声も聞こえないというような妙にリアリティーのあり過ぎる設定が加えられていることは他の劇ではなく、今回の劇のように時に感情的になったり、時に悔いたりする人間臭い幽霊として里中こうたが描かれながらも、あくまで第3者の視点に徹する描かれ方は他の似たようなテーマを扱った劇ではなかったので、新鮮だった。

あたらしいエクスプロージョン
CoRich舞台芸術!プロデュース
新宿シアタートップス(東京都)
2025/11/28 (金) ~ 2025/12/02 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/11/30 (日) 18:00
終戦直後の日本にて、まだカメラもフィルムもままならない時代に、「邦画史上初のキスシーン」を撮ろうと奮闘する映画人たちの姿を描いた、時にドタバタ喜劇な要素あり、人情喜劇な要素も混ざった青春群像劇となっており、それでいて、舞台は敗戦直後なものの、戦争の影響やトラウマが劇中、登場人物たちの台詞を通じて描く描写もあり、それらがバランスよく、1つの劇を構成していて、考えさせられる場面もありつつ、大いに楽しめ、大いに笑えた。
また、この劇を通して、映画を作ることにかける思いは、勿論、技術や機材の面、また俳優も含めて、今の時代のほうが、闇市もあるような終戦直後の混乱期と比べて苦労しないことは確かかもしれない。
しかし、良い映画を作ろうという根本はその時代と今とで、そう大きくは変わらないんじゃないかと感じた。
勿論、これは、日本において、特に当てはまると思う。
終戦直後の混乱期とは言え、闇市の何やら怪しげな食べ物を松竹梅で値段が違うが、実際は、その差は大してないかと思われるものを売っている屋台の肉欲が酷い、何処かギラついていて危ない貞野寛一、パンパン(娼婦)をしているが、客に体は売らず、客を騙して、財布や金目のものを取る悪どい商売をする野田富美子(見た目や格好からは、娼婦と言うよりかは、どう見ても、現在の新宿歌舞伎町にたむろするトー横キッズにしか見えなかったが)の2人を映画俳優として起用するという、映画監督の杵山康茂自身がカメラも何もなく、貧乏で、0から始めなければというところを加味したとしても、中々の前代未聞で、役者の大元をこの日本で遡ると中世の御代に遊女が芸事も始めたところまで遡れると言えば、そうなものの、この近現代において、実際には、終戦直後とは言え、闇市の屋台店主や娼婦を起用することはなかったと思われる。
しかし、その発想は中々ユニークで面白かった。
また、パンパン(娼婦)野田富美子を演じる浜崎香帆さんの見た目や格好が、娼婦と言うよりは、トー横キッズにしか見えないのは、寧ろ終戦直後当時と言うより、現代との持続性を感じさせ、妙なリアリティーと過去の人というふうに分けて考えずに、今でも、世間に居場所のない少年少女が騙されて犯罪に加担させられていたり、騙されて性的に搾取されたりといったことがなくなっていない現実をふと考えさせられた。
この劇に出てくる登場人物はまぁまぁいるが、それを数える程の役者で演じる上、ちゃんとそれぞれの登場人物の置かれた状況や人間関係、登場人物の性格や個性といったものを理解して、演じ分けていて、1つたりとも、同じ人物や似たような性格になっていなくて、それぞれの登場人物たちの話し方や表情にまで、違う雰囲気を出していて、流石はプロの役者だと感心してしまった。

Cordemoria
縁劇ユニット 流星レトリック
ザ・ポケット(東京都)
2025/11/05 (水) ~ 2025/11/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/11/08 (土) 18:00
主に48分と45分位の不思議な古書喫茶店が舞台で、そこを訪れるお客の悩みや願いを叶える短編2つと、その2つの短編劇のキーパーソンとなる、2つの短編より短い戦後直ぐの混乱期に古書喫茶店『コルデモリア』を創業した真壁八重子の創業のきっかけとなる話。
この3つの短編、時代、店長も、主人公となる人たちも違えど、古書喫茶店『コルデモリア』が舞台となっているということでは共通しており、母親と殆ど一緒に過ごしたことがない30代の女性や会社でのミスで上司や同僚から酷い冷遇を受け、そのうちに会社に行けなくなって、引き籠もりになってしまった男性など、昨今の社会問題を物語のなかに組み込んでいるが、その解決方法がどこか少し不思議で、劇中暖かく笑える場面も多くて、肩の力を入れ過ぎずに楽しめながらも、最後には心温まるほっこりとした気持ちにさせ、知らず、知らず、感動させる終わらせかたが、非常に映画化もされた小説『コーヒーが冷めないうちに』と似たような空気感のある作品だと感じ、この戯曲を書いた人は『コーヒーが冷めないうちに』を読んで、相当影響されたんじゃないかと感じ、意外とここまで演劇で『コーヒーが冷めないうちに』と似たような空気感の劇はないと思うので、新鮮だった。
また、本にだって意思がある、本が人に早く中身を見てもらえないかとソワソワする場面等が3つ目の短編で描かれるが、そういった視点が非常に面白く、興味深かった。
古書喫茶店コルデモリアを舞台とした短編劇の総まとめとしての3つ目の劇の最後のほうでは戦後直ぐの混乱期が舞台ということもあり、第二次世界大戦中の日本の言論が封殺され、着たいものを着れず、自由に話せず、どんな本でも自由に読めるとは言い難い不自由な世の中からようやっと脱却しようとし、物資には相変わらず不足しながらも、これから戦後日本を踏ん張って行こうという時だからこそ、戦中の反動で人々は知識を欲しているはず、もう2度と戦争なんか真っ平御免だ。だから、本を読んで、知識を吸収して、戦時のようにお上の号令になんの疑いもなくただ従うのでなく、知識をつけることで、簡単に利用されないようにすると言ったようなことを真壁八重子役の人が言い切るのを聞いて、深く考えさせられた。
そして、どことなく今年が戦後80年だということを考えさせずにはおかなかった。
最近では、日本でも『日本人ファースト』を声高に叫ぶ政党が躍進したりと排外主義や軍靴の足音がすぐ側まで迫ってきていてもおかしくない状況になってきている。
だからこそ、無関心を決め込まず、おかしいことをおかしいと言うことができる社会、著作権侵害にならない限り自由に創作できる状況、演劇含む文化が軽んじられない世の中、本を読み、知識を吸収して、簡単に政府や行政に丸め込まれないようにすることが大事だと改めて感じた。

リーディングセッション『蠅取り紙ー山田家の5人兄妹』
OVER40S
ザムザ阿佐谷(東京都)
2025/10/18 (土) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/18 (土) 18:00
「お母さん、ハワイから日帰りですか?」
ハワイにいるはずの母が、朝起きたら家にいた。
脛に傷持つ、いいトシした、山田家の5人兄妹が、三途の川を
渡りかけている母を、必死で引き止めようとするという普通に考えたら、かなり心理的に怖い怪談とも言えるあらすじだった。
しかし、朗読劇の上演を前から、劇場やスタッフの絶妙にアットホームで、どことなく懐かしい感じがしている上、朗読劇が始まると、生演奏や照明の当て方、登場人物たち同士の会話からどことなく不穏さや不気味さ、差し迫った危機意識が感じられず、段々本音がぶつかり合う人間味溢れる展開になっていく感じが大いに笑える場面も多くて、面白かった。
5人兄妹全員、フリーターで劇団していたり、30代で教員という安定した職業に就いているものの独身だったり、編集の仕事しながら、彼氏と同棲していたり、相手に奥さんいるのに不倫して、奪って略奪婚していたりと、個性豊かで癖強過ぎる現実ではなかなかない深夜ドラマを絵に描いたような5人兄妹のエピソードが印象的過ぎて、脳裏に焼き付いた。
しかし、そんな兄妹を持ったお母さんだし、若くはない良い大人が実家ぐらしだったりする兄妹もいて、ハワイに行って、病気になって、麻酔で眠る中、生きたまま、魂だけ幽体離脱して日本にいる兄妹たちの元に戻って来る程、子どもたちの将来を心配する気持ち、分からなくはないと感じた。
しかし、幽体離脱して魂だけ戻ってきたのには、もっと違う兄妹たちに伝えておかなければいけないことがあったと言うような展開に、後半戦で一気になって、それも幽体離脱して魂だけになっているお母さんから、「お父さんにこのハワイに移住するぞって言われた時には、正直、あたしは困惑したわ。また、お父さんに振り回されるのかと思うと、この先までも自分の人生なのに、自由に出来ないのか、お父さんの為にまた我慢しないといけないのかと思うと嫌にもなったわ。でもね、お父さん、会社を定年迎えて退職した後、これまで仕事一筋の人だったから、定年退職後何をしたら良いのか分からなくなって、もぬけの殻のようになっていた時期があったでしょ。だから、あたしは、お父さんがハワイで一緒に暮らそう。おまえにはまた迷惑かけるかもしれん。すまん、でも付き合ってくれないか。あたしは、久しぶりにいつものお父さんらしい、新たな希望を見出して、キラキラと輝いて夢を語るお父さんを見たわ。その時、この人に一生付いていこうと思ったわ。あたしはこのハワイの土地が気に入ったから、でもお前たちの顔も時々は見たいから、東京にマンションを買って、時々日本に来つつ、ハワイにお父さんと移住することに決めたから。だからお前たちは、これからはあたしに頼らないでね。自分のことは自分でしなさいよ」と言うような言葉を言い残して、お母さんの幽体離脱した魂は消えていくというようなあり方に、観ている私たち観客も色々と考えさせられてしまった。
幽体離脱したお母さんの魂だけ日本の5人兄妹たちがいる実家に戻ってくるというような、普通に考えたら結構怖い怪談要素の強めな話な筈なのに、どこか一昔前のブラウン管のTVから流れる家族ドラマを見ているような、何とも言えない懐かしさと泥臭さ、人間臭さ、綺麗事では済まないけれども、駄目駄目だけれども何処か憎めない感じの5人兄妹、何とも言えない人情味が流れていて、そういった5人兄妹と幽体離脱した魂だけのお母さんとの何とも噛み合わず、時に馬鹿馬鹿しくさえあるそういった家族の少し不気味で不思議さもある家族の話を暖かく描いていて、大いに笑えながらも、気付くと少しじんわりとする劇だった。
役者も、立ったり、座ったり、出たり入ったりと本当に自由で、台本も途中で落としてしまって、その後拾うも、台本を見ずに台詞を喋っていたりと、従来の朗読劇のイメージと言うか、根本概念を壊していて、良い意味で新鮮だった。

プラライ
インプロカンパニーPlatform
高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)
2025/10/23 (木) ~ 2025/10/23 (木)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/23 (木) 19:30
インプロ(即興演劇)の要素の濃い作品や、完全なインプロ公演も私は意外と観てきているが、大抵の場合、始まる前に紙が渡されて、劇中にBoxの中に観客が書いた単語や言葉、台詞の紙が入れられ、役者がその紙を引きながら、例え書かれた言葉や単語、台詞が劇の方向性を逸脱していたとしても、何食わぬ顔で、劇の場面にあった自然な感じで、吹き出したりせずに言わないといけないという役者の演技力やその場の臨機応変な対応力が問われるが、劇全体としては1つの物語や世界観で進んでいくことが多い長編劇を観ることが多かった。
また、インプロ劇でも、激しい殺陣や全篇終始ミュージカル劇になっているインプロ劇など、同じインプロの即興演劇と1言で言っても、今まで自分が観てきたインプロ劇はかなり捻りを入れてきていることが多かった。
それに、インプロ劇でも、アイドルや声優を数多く入れていたり、2·5次元演劇のオフオフブロードウェイバージョンの如くに、演劇の役者にしては、普通にイケメン、美女芸能人ランキングとかに入っていてもおかしくないようなヴィジュアルの男女の役者ばかり出ていたりと、同じインプロ劇と言っても、本人の演技力やその場の対応力、アドリブ力は2の次、3の次となってしまっている本末転倒のインプロ劇も昨今では見受けられる。
そうした中で、今回観たインプロ集団platform(実はそんなに前じゃなくに、platformの定期公演を1度観たことはある)は、良い意味で、土着的で、大衆的、今時ここまで泥臭さ漂って、見た目よりも個性が滲み出て、突発的なアドリブを次から次に飛ばし、思い付きの一発芸も盛り込み、私も含めた観客を終始抱腹絶倒にし、純粋に役者の演技力やその場の対応力が問われ、白けた際やハプニングが起こっても、以下に慌てずその場を持たせるか、台本もない中で、手探りながら良い感じに結末まで持っていけるかといった能力が役者に求められるインプロ定期公演となっており、生半可な気持ちでは成功しない役者の能力頼みの公演だと感じた。
しかし、プロの役者も去ることながら、途中の戯曲の本読みコーナーでは、舞台の朗読に参加したい人を公演前に神に書いてもらい、その中から抽選で選ばれた一般の観客もプロ顔負けの演技力やアドリブ力、対応力があり、声1つ、表情1つでその人が演じる役のイメージが伝わってくる個性が溢れ出ていて、更には舞台慣れしているのには、驚き、感心してしまった。
今回のインプロ定期公演は、前に違う劇で観たことがある役者が何人かいたということもあるし、会場の雰囲気が暖かくて、居心地が良いと言うこともあるが、出ている役者全員、どことなく中央線沿線や下北沢界隈の空気感があって、あんまり緊張しなくて良かった。
例えるなら、今時の鉄骨の高層マンションではなく、古ぼけたアパートに佇んだり、昔ながらの商店街を歩くと、何とも言えずほっこりすると言うか、妙な安心感やじんわりと幸せを噛みしめることがあるが、それと同じような幸福状態だった。
なかなか、意外と他の劇団の劇で、ここまでリラックスして楽しめることってないので、良かった。
カプセル兵団の世界の神話や民話を題材にした朗読劇の際にも、何とも言えない幸福感と懐かしさを感じたが、そのカプセル兵団と今回のインプロ集団platform以外では、意外とそのような状態になることができないもので、こうやってリラックスして、身構えずに肩の力を抜いて、観れるインプロ劇というのも良いものだと感じた。
唐十郎さんの戯曲を上演する唐組や梁山泊のテント芝居に出れるんじゃないかと思えるような役者も、今回のインプロ集団platformのインプロ劇で観かけて、これは、これからの演劇界もまだまだ希望が持てると感じた。

たまたまロミオとサム・ゲタン
市民劇場TAMA
多摩市立関戸公民館・ヴィータホール(東京都)
2025/10/18 (土) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/19 (日) 16:00
市民劇場TAMAは、結成から40年以上の市民劇団で、今年で41年目に突入し、少し遅めの40周年企画の公演ということで、劇団員たち自身にとっても特別な公演になる筈。
また、今回の劇のタイトルも『たまたまロミオとサム·ゲタン』ということで、あらすじも大して書かれていなかったことから、恐らく、シェイクスピアの名作の1つ『ロミオとジュリエット』を大胆にアレンジしたうえ、現代の人でも共感しやすいような作品に換骨奪胎して、オリジナリティも加えた作品だと感じて観に行ったら、実際には違って、良い意味で裏切られた。
劇中で劇団員の高齢化など諸事情により、解散が決まっていた市民劇団の為に戯曲を書き下ろしたが、あいにくのコロナ渦など、諸々のことが重なって上演出来なかった。
それも未完成の脚本『たまたまロミオとサム·ゲタン』の中身が、『ロミオとジュリエット』を題材としながらも、ジュリエットの婆やが実は時空を超えてやって来た怪盗サム·ゲタンで、このままだと悲劇になってしまう『ロミオとジュリエット』をハッピーエンドになるように物語を改変しに未来から来たというような急転直下でかなりぶっ飛んだ展開になると言うような上演出来なかった幻の台本で、今後も上演は予定していなかった筈だった。
稽古場兼劇場に市民劇団のかつての仲間たちや、幻の台本を書いた寺方翔子たちが、かつて使った道具や衣装などをフリマアプリに売ったり、処分したりする為の仕分けをする為に集まった筈だったが、市民劇団に入団志望の青年落川京助が何気無く近くに落ちていたスマホに着ていた1通のメールに気付き、そのメールには、今日、その幻の公演が演られることになっていて、更には、その公演の話を聞き付けた阿佐ヶ谷姉妹ならぬ、美容師の永山姉妹が早合点で、拡散しまくった上に、市民劇団は色々公演の為に忙しいだろうからと、勝手に公演のことに関する問合せ先を、永山姉妹のDMでも受け付けるというようなことをやってしまい、今更後に引けなくなった市民劇団は幻の台本の公演を実現するため、悪戦苦闘するというような話だったが、これは三谷幸喜の劇『ショウ·マスト·ゴー·オン』と劇の展開の仕方が似ていると感じた。
勿論、細かい部分や市民劇団と劇団という部分でも違うし、状況やそもそも『ショウ·マスト·ゴー·オン』はシチュエーションコメディで、一つの場所が舞台となっているうえで、ドタバタ喜劇の要素やアドリブの要素を盛り込んでいると言うところでも違っている。
但し、厳密な意味で言うと、劇中の幻の公演の台本を上演している場面と、そこでアクシデントが起きて、裏の楽屋のアタフタぶりが描かれて、2つの場所が舞台になっているから、シチュエーションコメディとは呼ばないのかも知れない。
しかし、広義の意味で言うとシチュエーションコメディと呼べる筈だし、台詞をド忘れしてアタフタする馬鹿馬鹿しさ漂う場面や、ドタバタ喜劇な部分など、三谷幸喜の『ショウ·マスト·ゴー·オン』と共通した部分も多くあると感じられ、勝手に思い描いていたものとは違ったものの、大いに笑え、楽しむことができた。
今時、ここまで、純粋に笑えて、楽しめる作品は、意外とあまりない気がするので、これからも市民劇団ということに甘んじ過ぎず、型にはまらず、画期的で、斬新で、それでいて面白い作品で、観ている皆んなを笑顔にしていって欲しいと感じた。
せめて、劇の中ぐらいでは…。

「ニュー御釜怪奇譚」(にゅーおかまかいきたん)
レティクル座
萬劇場(東京都)
2025/10/01 (水) ~ 2025/10/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/03 (金) 19:00
東北地方、宮城・山形両県にまたがる〝蔵王山〟という語り口から始まるあらすじから、比較的真面目で実在する場所、実際にあったことを題材にしたドキュメンタリー風な廃村地域活性化、笑いあり、人情あり、涙ありの村興し喜劇かと思った。
だがしかし、あらすじを読み進めていくとそうではないことが分かってくる。その頂上に広がる火口湖「御釜」の底から、突如ゾンビが甦った!
ゾンビたちは山麓の村を襲い始めたが、そこは日本一の限界集落「釜底村」
すでに滅びかけていたところに、パンデミックなど起こるはずがなかった‥‥。
無害化されたゾンビたちは村おこしに利用され、看護ゾンビ、農作ゾンビ、そば職人ゾンビに姿を変え、次々と村に就職してゆく!
――蘇るのは、死者か、村か。
かつてのように、村に活気は戻るのか‥‥?
と言ったようにあらすじが続いており、そういう風にあらすじが展開しているところから、村興し話と最初に捉えた部分は間違っていなかったようだが、ゾンビが出てきたり、その余り一般的には良いイメージがないゾンビを、逆転の発想で寧ろ村興しに徹底的に活用しようというような奇想天外な展開になっていく可能性が高いあらすじに、ごっちゃ煮的で、何でもありで、下らなくて、しょうもなくて、御釜とオカマを掛けているんじゃないかと言うような、どうでも良い疑念を抱かせる辺り、前にも横浜市県立青少年センター内の『HIKARI』というところで中編、短編劇の休憩なしの連続上演を観たことがあるレティクル座らしさを感じる劇だと思えた。

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜
A.R.P
小劇場B1(東京都)
2025/10/01 (水) ~ 2025/10/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/05 (日) 13:05
出ている役者も男女問わず、違う劇団のジャンルもSF、ファンタジー、アドベンチャー、幻想怪奇エログロナンセンス、タイムスリップもの、実験劇など全然違った作品に出ているのを何度か見かけて、特徴的で見覚えのある役者たちが今回の劇に出ており、安心感があり、それでいて他の劇団の劇で観た時と演技パターンが似通っておらず、マンネリ化もしておらず、流石はプロの役者、このような小規模でこじんまりとした比較的分かりやすい喜劇であっても、一切妥協せず演技して、また新たな可能性を引き出せていることに、感激してしまった。

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜
A.R.P
小劇場B1(東京都)
2025/10/01 (水) ~ 2025/10/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/05 (日) 13:05
劇団A.R.Pの劇を今年の夏に続いて、今回の劇で私の記憶が正しければ、2回目になると思う。
今回は夏の劇と同じ喫茶店がメイン舞台となっていたが、店長が中年のあんまりイケてるとは言い難いおじさんだったり、細かい点でまず違っており、内容は映画の最終オーディションに選ばれし3人、その3人がこの古びた成田空港近くの喫茶店で一般客に混じって即興エチュードで “最高の結末” を描くこと。
チャンスは一度きり。ところが想定外のハプニングが次々と!
人生と芝居の境界線をにじませる、シチュエーション・コメディの新定番と言うような、前回とは共通した部分も多少あるものの、大きく変わっていて、まぁ、そもそも違う作品で、面白かった。
前回の劇も喫茶店が主な舞台となっており、前回は、その喫茶店で同窓会を開こうというような内容で、元先生を巡ってかなり重い要素があったり、観ていてただ笑えるだけじゃなく、くだらない部分やドタバタもありつつ、緊迫した場面や、観ている観客がハラハラドキドキさせられるような予測できない展開になるような、最後には思わず感動させられるような劇で、それはそれで良かった。
しかし今回の劇は、前回と同じくシチュエーションコメディで、ドタバタ喜劇なところや、舞台となる場所こそ共通しているものの、前回の劇以上に非常に馬鹿馬鹿しくて、大いに笑えて、中年のおじさん喫茶店店主を演じるどこか冴えないけど憎めない感じが醸し出されていて、味のあるおじさん役者と、ムギュさ全開で面白くて、味があって印象に残る喫茶店のバイトの店員を演じる童顔で高身長な女優とのコンビネーションも印象にも残って良かった。
登場人物たち全員が個性豊かで、それらを演じる役者が舞台の隅々まで使っていて、観客の視界から殆ど見えない位置でも、何かしら動いていたり、会話している感じだったりと、前回の劇以上に細かい部分においてまで役者が観客を意識して演じ、アドリブも観客が気付かないような小ネタもさり気なく食い込んだりしていて、観客にあまり見えない位置ですら何かしらしているという役者のプロ意識が凄いと感じた。
また、前回の劇以上に良い意味で、内容が無いようなシチュエーションコメディで、感動的とは無縁で、おめでたくて、今時の劇にしては珍しいくらいの徹底したハッピーエンドな結末になっていて、今時ここまで完全なハッピーエンドのコメディ劇なかなか世の中の劇で見かけたことが無いので、今の世の中、また世界情勢的にも暗いニュースも多い中で、ここまで何も考えずに、大いに笑えて、普段のストレスさえも吹っ飛ぶ程に、腹を抱えて笑えて、今までで劇を観てきた中でも、劇を観ている時に、自分がここまで何も考えずに、現実の時計の時間さえ忘れる程に大いに笑えて、劇にのめり込むことが出来て良かった。

「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」
江戸糸あやつり人形 結城座
ザムザ阿佐谷(東京都)
2025/09/18 (木) ~ 2025/09/23 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/19 (金) 14:00
前にチラシを貰ってあらすじを読んだ感じだと、詩的に石川啄木の短い人生を描きながらも、どこか自伝的な、伝統的糸操り人形を使った人形劇で、割と真面目で、新劇的演出方法の堅い人形劇だと思って観に行った。
そうしたら、実際には良い意味で裏切られた。劇は、歌人·小説家の石川啄木の自伝的小説『雲は天才である』をモチーフとしながらも、結城座を模したような糸操り人形一座が都会の只中で大穴に落ちたところから始まり、その不条理さ、不思議さもさることながら、その大穴で糸操り人形一座の座員の1人が啄木の日記を見つけ、その後、日記の話がメインとなって劇が展開していく。
しかし、劇の中盤で、日記を読んでいた一座の閉まっていた人形がいつの間にか消えて、日記の中に書かれた石川啄木の本名石川一(はじめ)が小学校の代用教員をして、学校の行事としての課外授業と称して森の中に生徒たちを連れて行くと言うことと、人形が消えたことが森を通して時空が歪み、リンクしていくといった、二重、三重構造の展開が、少し複雑で、急な展開だけれども、面白いと感じた。
また、劇中の登場人物たちが個性豊かで、特に狂言回しで調子の良い猿やウナギ校長、ススケランプ教頭、バレイショ夫人、探偵独眼竜といった登場人形たちは、見た目も含めて印象に残った。
思っていたより、乾いた、皮肉の聞いた笑いも多くあり、あんまり硬くならずに、気軽に肩の力を抜いて、大いに笑えて、楽しむことができた。
今回の人形劇は、石川啄木の小学校代用教員時代の生徒たちとの交流や、ウナギ校長、バレイショ夫人、ススケランプ教頭たちを上手く言葉で言い包めるなどコミカルな場面も多かったが、全体としてはどこか宮沢賢治の『風の又三郎』に通じるような、少し不思議で、叙情的で、詩的、優しくも、劇が終わる頃には狐につままれたような気持ちになるといったような劇で、感慨深くなった。
最近のスピード社会、流行社会とは真反対などこかのどかで、不思議で、時間の流れもどこかゆっくりとしていて、知らぬ間に現実を忘れているような劇で、これこそ人間のなせる技かもしれない、AIには到底到達しづらい次元ではなかろうかと感じた。

カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00
劇中何度かリック役の口から「君の瞳に乾杯」等の映画『カサブランカ』に出てきて、今や映画の中を飛び越えて、その台詞があまりにも有名になり過ぎた名言の数々が、あまりにもさり気なく朗読劇の中に丁寧に織り込まれていて、演出家の遊び心を感じて、楽しむことが出来た。
ただ、カーテンコールで出てきて感想を最後に述べた時の時のリック役の廣瀬智紀さんは、大人の色気があって「君の瞳に乾杯」と言うようなキザな台詞が似合う雰囲気と違って、責任感があって真面目で優しいが、どこか着眼点等が変わっていて、劇中とのギャップが面白かった。

カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00
かの有名な名作映画『カサブランカ』を朗読劇として演るということで、どんな感じになるものか、想像もできなかったが、実際に観てみて、そんな長時間の劇ではなかったのにも関わらず、そのどこかほろ苦さも感じさせつつ、不穏な戦争の影響も描かれ、愛憎絡み、最後まで誰の言葉を信じて良いのか予測のつかない展開となり、お互いの思惑から、互いに騙し合い、利用し合うといった感じで、物語に深みが与えられ、ただの恋愛物語と言うよりも、終始サスペンスな要素も強かったので、知らぬうちに緊迫した感じに集中させられ、劇に没入していた。
朗読劇な筈なのに、男女のすれ違い
や主人公のリックの過去と向き合うこと、戦争の影が色濃く忍び寄ってきて、ナチスドイツのシューラッサー少佐のナチスドイツに忠誠を誓い、威圧的な態度で、地元警察等に対して接してきて、中立を謳う酒場を経営するリックも密売人でリックと顔馴染みのギレルモ・ウガーテが自身が経営する酒場で捕まり、そのウガーテが国外に出るためのビザ手続きのために関わった亡命者でレジスタンスのリーダーヴィクター·ラズロがかつてリックと惹かれ合ったイルザの夫だと知った。
そのことによって、リックは信念と愛との間で激しく揺られ、ある重要な決断をするに至るまでを丁寧に描いて、リックに関わる人たちの様々な思惑が絡みあっていくのがサスペンス仕立てにされていて、とてもドラマチックで、途中でシューラッサー少佐がウガーテに対する尋問場面で、ウガーテ役の台本を取り上げ、自分の台本を見ずに、堂々と台詞を言う場面や、リックの独白場面で、リックが過去の思い出したくないイルザとの別れのことや現在イルザがラズロの妻だということに思い悩むところで、リック役の役者がそれまでの表情一つ変えず、冷淡ささえ見て取れる無表情で淡々とした物腰や表情から一転し、ボロ泣きして、汗を大量に流し、鼻水を大量に垂らし、啜っては激しく動揺しながら、胸の内を吐露する感じが、人間味を感じ、非常に共感できた。
戦争に運命を引き裂かれ、3角関係に悩まされ、イルザをリックが思う気持ちと、イルザと、その夫でレジスタンスのリーダーのラズロを無事にアメリカに送り届けてあげたい、もう間もなくこのカサブランカも危ないというような思いの間で最後のほうまで決断しきれないリックの歯切れの悪さが人間味があって良かった。
朗読劇ならではの出てくる人物も最小限にして、色濃い人間ドラマ、場所も主にはリックが経営する酒場、ホテルが舞台となり、観ている側も、登場人物たちの様々な思惑を台詞やちょっとした細かい言動を注視しながら、恋愛要素もありつつもサスペンスふるで予測も付かない展開に、息を呑みながら、集中して観れて、途中余りの緊迫感に身体が身動き取れないほどだった。
ここまで、笑いがなくて、観客に良い意味で集中力を強いる劇もなかなかないと感じた。
なので、逆に私は映画の『カサブランカ』は今まで観る機会がなかったが、これを気に観てみたくなった。
朗読劇との細かい違いなど知れる楽しみもあると感じた。

『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場MOMO(東京都)
2025/08/26 (火) ~ 2025/08/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/08/28 (木) 19:00
『私立シバイベ女学園 灼熱の課外授業編』のSチームの公演を観た。
「学力があれば防げた」と事務所判断で私立シバイベ女学園に入学させられた生徒ばかりが集まる、非常識で、筋金入りの馬鹿すぎてこのままでは世に出せないレベルの年齢的には社会人で、普段の仕事は、アイドルグループのリーダー、モデル、グラビアアイドル、下北沢の劇団員、深夜アニメの声優、お笑い芸人、シンガーソングライター、ライバー等々で、その殆どが兼業でアルバイトもしていると、芸能人だが、個性豊かで癖強だが、人間味があって親しみやすい設定の芸能人が多く出てきて、全員社会に出れないレベルの馬鹿というような極端で、突飛すぎるコメディなのにも関わらず、妙に現実味もあって、大いに笑えつつ、その独特な世界観に引き込まれた。
途中袋に入ったボールが渡され、授業参観に来た芸能関係者という設定で、私たち観客も、国語の授業で感じの読み間違いなど、ミスが多かったら、当たっても痛くない小さなよくアイドルが投げるメッセージボールぐらいより大きめだが、メッセージボールと同じ軽さ、柔らかさのあるボールを投げて良いというような趣旨の説明を副校長やS組担任から受けて、国語の場面で生徒役にミスがあるとボールを投げてみた。(もちろん生徒役本人にできるだけ当たらないように配慮して、生徒役の立っている位置より奥か、手前にボール落ちるように意識して投げた)
しかし、このように観客も自然と巻き込んでいくスタイルは、意外と面白いと感じた。劇は中断せずに、劇の一通りの流れの中でさり気なく、ボールの説明をする辺りも、現実に一瞬でも観客を引き戻さずに、劇に集中しながらも参加させていて、しかもやることがボール投げとよく小中学校の運動会である玉入れが思い起こされ、単純だけれども、童心に帰ったようで、純粋に楽しかった。
但し、例えばS組担任息吹楓役の邑上優希子さん(本当はS組担任役は大西彰子さんだったが、恐らく体調不良で出れなくなった為)、または副校長秋元康子役の板垣まゆさん等が、国語の授業の原稿を読む場面で、観客の中から適当に選んで、その選んだ人を舞台に上げて、生徒役に読ませていたものより遥かに難しく、普段使わない漢字や、聞いたこともない言葉が羅列してある原稿を読ませて、恥をかかせる、そんな企画があっても、個人的には面白かったと思う。
完全に実在する実際の姉妹ではない叶姉妹というユニットの芸能人にあやかって、この劇には非常勤講師の保健室の先生役として、毎回guestで4姉妹という設定で、入れ代わり、立ち代わりグラビア、モデル、アイドル、役者などを読んでおり、実際と同じく叶(かのう)という苗字な上、名前にguestの本名が組み込まれており、妙な生々しさが相まって、フィクメンタリーな要素が絡んでいて、面白かった。
副校長の秋元康子も実在するアイドルプロデューサーの秋元康さんに子を付け加え、ほぼ名前を寄せてきている辺りとかも、妙な現実味があって楽しめた。(隠れミッキーならぬ、役の名前や苗字、経歴などの中に実在する宝塚や劇団四季へのオマージュがパンフレットを買って、見返してみると、そういう楽しみ方も出来て楽しい。まぁ、劇を見ているときに気付いた、実在する芸能人の名前が役名に入り込んでいることに気付けることもあったが)
芸能人だと特に最近取り沙汰されがちな、セクハラやハニートラップといったことへの対処法を生徒役やguestの非常勤講師叶智絵子役の小林智絵子さんも参加してのショート劇で実演したりする場面もあるが、極端化してブラックコメディにしていて、緊張感あるシリアスな感じに描いていなかったので、気軽に見れた。
しかし、後から、深く考えさせられた。そもそも個人的には、セクハラやハニートラップ等に被害者側が対処しなければいけないということではなく、そういうことが起こらないように、芸能界、TV、映画業界等が真剣に取り組む事こそ大事なのではないかと感じた。
だが、セクハラ、ハニートラップこういったことが芸能界、TV等ではよく起こること、その他芸能人による不祥事や不正、脱税そういった闇の部分にもさり気なく劇中のショート劇といった形をとって描かれ、または劇中の生徒役同士の会話から浮かび上がらせたりすることで、そういった事に普段から目を通している観客じゃなくても、芸能人や芸能界、TV業界の陽の側面だけではない闇の部分や裏事情について知って、関心を持つ初心者向けと考えると、良いとも思えた。
今回の劇は、アイドルグループのリーダーが主役だが、恐らく2024年で、劇場MoMoで観た公演だったと思うが、それもアイドルグループのメンバーが主役(リーダーではないが)の少し不思議だがシリアスでサスペンス要素の強い群像劇だったが、その劇では、ストーカー被害にあってグループに復帰できないメンバーの葛藤や不信感、被害者に寄り添いつつ、社会問題として取り扱いながら、ハッキリと加害者が誰であるかを名前や刺して怪我を負わせる動機などが描かれない。そういったシリアスでサスペンスな展開が続き、主人公が追い詰められていきながらも、最後は多少幸せと思われるような描き方をしており、途中詩的な表現や少し不思議な表現も多々ある静かだが実験的要素もある劇だった。
同じアイドルが主人公で、芸能界や芸能人の闇の要素を扱いつつも、今回見た劇はブラックな要素もあるかも知れないが、根本的に大いに笑い飛ばせる明るいコメディだったので、こんなにも同じようなものを扱っても、こうも違う感じになるのかと、驚いてしまった。

Go West!
劇団芝居屋樂屋
たましんRISURUホール(立川市市民会館)(東京都)
2025/08/28 (木) ~ 2025/08/30 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/08/29 (金) 18:00
予定より7分程遅れて開演したが、開演時間が押したことが気にならない程、濃密で、大いに馬鹿らしくて笑える場面もあったが、深く考えさせられる作品だった。
今回の劇は正直、子どもも沢山出ており、演技経験のそんなになさそうな人も出ている市民劇といった感じが否めなかったので、そんなに期待していなかった。
しかし、実際に観てみると(まぁ、出演者の子どもによっては、明らかに歌う場面で、音階がズレていたり、台詞がたどたどしくて、苦笑レベルの子もいなくはなかったが)、思っていたよりも、完成度も高いし、プロの役者とそうでない人や、子どもの明確な線引きが出来ない程、演技も自然に見え、歌も上手くて、眼を見張るものがあった。
今回の劇は、西部劇のミュージカルだが、その組み合わせだけでもかなり詰め込んでいると感じるのに、今年戦後80年ということもあってか、西部劇なのだけれど、人を殺さず、敵を作らず、西部劇ではお決まりのならず者、お尋ね者、ギャング的なものは出て来ない。
最初敵役として出てくるならず者たちも、そうなってしまった背景が語られたり、主役たちの側の言い分、ならず者側が悪いことを続ける言い分が語られ、どっちの言い分が絶対に正しいとかではなく、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、心を開いて話し合えば銃などで撃ち合わなくて済む。
もっと平和的に大きなトラブル、戦争、紛争であっても解決できるといったテーマが盛り込まれていて、ただの古典的なアクション西部劇ではなくて、面白かった。
互いに憎しみあい、怒り、お互いの正義や守るべき者の為、大義名分があれば、銃を取って人を殺すことだって正当化される。
そういったことが肥大化していくと、かつて西洋の植民地政策や、それに習った日本が現在の韓国や中国、台湾、南アジアを一時期支配し、言語の強制等といったこと、ジハード(聖戦)の名のもとに戦争や紛争が正当化され、安全保障の名のもとに核保持が正当化され、原発が正当化されるといったことに繋がっていく。
そういう風になっていかない為にも、相手のことを考える想像力を働かせ、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、お互いに心を開いて話し合い、偏見や相手を下に見るのを辞め、まずは相手のことを理解するため、主義主張やその背景になっていることを丁寧に聞き、忍耐強く、何かと言うとすぐ武力に走らず、平和維持のため、争いや諍いよりも相手と対話し続けることが人類が平和でいられることなんだという平和でいる為の理念としては素晴らしいと感じた。
但し、西部劇の時代は、荒くれ者、ならず者が街をうろつき、ゴロツキ共も相当いて、更に野生肉食動物もその辺をうろつき、ギャングもいてといった状況の中で、劇中の保安官補佐の青年のように簡単に銃は捨てられない時代だったと感じた。それに街の人たちも自分の身は自分で守らないといけない危険と隣り合わせの時代が西部劇の世界だと感じた。
以上のようなことを踏まえると、簡単に西部劇の舞台となっている時代に、銃を捨て、武器を捨て、相手を互いに理解しようと努め、話し合うことで解決できるというのは、現実的に考えると余りに夢物語だと感じた。
ただ、この劇はあくまでフィクションなので、今の時代にあって、この世知辛い世の中で、緊迫した世界情勢の中、不安定な世の中の中では、せめてフィクションの中ぐらいは幾ら理想的過ぎたとしても、そういう理想を夢見ていても良いと思うし、更にそれが現実のウクライナ侵攻の問題やイスラエルとパレスチナとの問題に関しても、いつの日か平和的な話し合いによる解決が実現すれば良いと思う。
それに、核抑止ではなく、核廃絶の声が今よりもっと世界に広まってもらいたいし、原発回帰が正当化されるのではなく、将来的には再生可能エネルギーに移行していってもらいたい。
その為にも、今回の劇のテーマである自分の意見を持つ、一生懸命考える、思考停止しない、安易に多数意見に同調しない、人類の可能性を諦めない、お互いを認め合い、尊重し合う、武力、暴力は事態を悪化させるだけ、根気強く話し合うことこそが平和への道といったことを心に刻み、考え続けることが大事だと思った。

えがお、かして!
四喜坊劇集※台湾の劇団です!日本で公演します※
小劇場B1(東京都)
2025/08/14 (木) ~ 2025/08/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/08/16 (土) 15:00
今回の台湾の劇団による『えがお、かして』という公演は、生まれつき顔面神経麻痺により、口をすぼめたり、笑ったり泣いたり、怒ったりといった感情を面に表すことが出来ない「モービウス症候群」(PCで調べてみたら、実際にはモービウス症候群というような病名は見つからなかった。しかし、モービウス症候群と同じような症状のメビウス症候群というものが見つかったので、現実に顔面神経麻痺といったものがあることは事実で、それへの正確な対処方法が見つかっていないことも事実なんだと考えると、感慨深くなってしまった)の王曉天(ワン·シャオティエン)とその家族、交通事故で父親の王克強(ワン·クァチャン)の実際の肉体は病院で生死の間を彷徨っていた。
だが、どうしても王曉天(ワン·シャオティエン)や家族のこれからが心配で、気にかかっている父親の王克強(ワン·クァチャン)の思いが強すぎて、自分の分身である謎の少女を生み出してしまい、王曉天(ワン·シャオティエン)にしか見えないその少女との不思議な交流を主軸とした、学校の教師や生徒、近隣住民のモービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)に対する無理解や差別、侮蔑、支え合わなきゃいけない家族内での意見のすれ違い、不和といった深刻な社会問題を内包したシリアスになりがちな劇を、ミュージカル劇として上演されていて、時に緊迫して観ながら、モービウス症候群や障害のある子どもを育てる大変さを真剣に考えつつ、肩の力を抜いて観れて良かった。
またこれだけ深刻なテーマ(モービウス症候群を持った王曉天(ワン·シャオティエン)、障害を持った子どもに対する世間の無理解、差別や侮蔑、家族の不和や少しでも普通の人と同じになってほしい姉との確執)などをそのままリアルに描いて、心理描写や人間関係に重点を置いて描くと全然救いがなくなるが(王曉天(ワン·シャオティエン)が追い詰められて、自殺しようとする場面が劇中に出てきたり、父親の王克強(ワン·クァチャン)が現実としては交通事故で病院のベットで生死を彷徨っていたりしていることからも)、輪廻転生の要素や転生オークション会場責任者の地縛霊を劇中に出したり、王曉天(ワン·シャオティエン)に対する想いや家族への未練が強すぎて、父親の王克強(ワン·クァチャン)が分身の少女が生み出されたりといったどこかミステリアスで、ファンタジックな要素を混ぜ込むことで、少し救われた気がした。
それに、王曉天(ワン·シャオティエン)の母親が家族の前では、気丈に振る舞い、学校の先生や保護者に対しても息子を守ろうと強気で振る舞ってきたが、一人になるとこれで良かったのか(息子のために会社も辞めたことが本当に正解だったのか)と、自問自答する場面が描かれたりと、王曉天(ワン·シャオティエン)の姉も本人の前では時に辛く当たることもあるが、実は弟のことを愛しており、モービウス症候群という障害を持つ弟を理解しようと陰ながら努力し、弟が思い悩みながらも頑張ろうとする姿を陰ながら応援していたりと、この劇に出てくる登場人物たちは1枚岩ではない人物が数多く登場し、物語自体も複雑に絡んでおり、そこがミステリアスでファンタジックな要素もありつつ、何よりも現実の人間関係や1筋縄ではいかない社会を表していると感じ、他人事とは思えなかった。
自分も愛の手帳(障害福祉手帳)を保持しているし、癲癇持ちで(これも劇中のモービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)とほぼ共通で完全に治すことはできない。ただし、癲癇の場合は、無理をしないことと、薬を飲むことである程度癲癇発作を抑えることはできるが)、モービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)と全く同じ条件かは分からないが、どこかシンパシーを感じた。
ただし、自分は愛の手帳(障害福祉手帳)を普段使いして長いもので、もはや他人に自分がどう見られているかといったことをそんなに気にしなくなって久しいので(寧ろ、その手帳のお陰で、得することのほうが多いのもあって)、愛の手帳を使うことで、ジロジロ赤の他人に見られる、差別される、侮蔑されるかも知れないと極端に怖がり、不安になる王曉天(ワン·シャオティエン)の繊細な心情は、人によって違う気はした。
劇中に登場する転生オークションや生まれ変われるのは人のみというような転生条件が一般的な輪廻転生の価値観と似ているようで違っていて、その違いやどこかキリスト教を思わせるような転生を待つ待機場所では、天使のような格好で1回人生が終わった人たちが転生を待っていたりと色々混合していたりしていて、観ていてユニークで飽きなかった。
自分は今まで、モービウス症候群(PC検索では、メビウス症候群)という顔面神経麻痺の障害のある治らない病気について、全く知らなかったので、これを機会に知れて良かった。
自分も癲癇の持病を持っていたので、モービウス症候群について、普通の人よりも、より身近な感覚として、その症状を持った人の心情や思い悩んでいることについて理解することができたと思う。
アフタートークも有意義で、本多劇場グループ運営の本田さんを間近に見れて、出演者とのトークも観れて、貴重だった。

六道追分(ろくどうおいわけ)~第八期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/07/24 (木) ~ 2025/08/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/07/31 (木) 19:00
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」第33回ロングラン本公演『六道追分』第八期の剣チームによる公演ということで、長く続いてきたロングラン公演も、この八期をもって本当の意味で締め括りということで、それに私が1~4期まで観た後、長らく観てなかったが、この集大成を観れたということで、色々と感慨深いものがあった。
そうはいっても、物語の内容や核となる部分、悲劇的な終わり方は変わっていなかったが。
今回遣り手役が、金にがめつく守銭奴的で少し維持悪くて、狡賢い感じに演じられていて、それでいてそんなに威圧感や恐怖で支配するといった冷たさやサディスティックな感じ、人間味に欠けた感じには演じられていなくて、どこか小悪党感が否めない風に演じられていていたので、最初第二期で遣り手を演じられた薮田美由紀さんが今回も同じ役で続投されたのかと思っていたが、今回の第八期のパンフレットを後で見たら、遣り手役を演じられていたのは高橋綾さんという全然違う役者だったことに気付き、全然違う役者なのに、ここまで演技パターンが似通ってシンクロすることってあるものなのかと、只々、驚き、唖然としてしまった。
今回W主役の盗賊の頭領の鬼アザミ清吉役の江田剛さんと花魁お菊役の百合香さんは、良い意味でズラ感、どこかコスプレ感が否めなかった。
勿論他の遊女七越役の猪谷茉由さん、花里役の加藤瞳さん、松山役の乙坂みどりさんにしても、上に同じで、ズラを被ってる感じやコスプレ感が否めなかった。
そういう側面もあってか、鬼アザミ清吉役の江田剛さんとお菊役の百合香さんの茶屋での言い争いの場面で、緊張感が高まって手に汗握るというよりかは、どこか間が抜けていて、普通に笑える感じになっていて、これはこれで良いなと感じた。
自分が今まで観てきたロングラン公演一、小ネタやくだらないドタバタ、アドリブが微に入り細に入りあって、全然飽きず、疲れず、観ていて常に大いに笑えて、面白かった。
特に同心の章衛門役の水野淳之さんと共蔵役の桜木ユウさんの掛け合いの場面において、共蔵役の桜木ユウさんの顔が長いことをいじったり、同じく共蔵役の3枚目な顔の桜木ユウさんが決めた決め顔が2期目のトランプ政権と不和になったと取りざたされているイーロン·マスクに少し似ていることや、今はトランプとイーロン·マスクの関係ぶっちゃけどうなのといったかなり突っ込んだいじりもしていて、大いに笑えた。
九次役の昇希さんは見た目はイケメンとは程遠いどころか、どちらかというとブサメンだったが、鬼アザミ一味のきゅう(感じが出てこないので、すみませんがひらがなで書かせてもらいます)次郎を崖付近で追い詰める場面での、本格的な殺陣や手に汗握る感じの切迫感を醸し出していて、さらにキレがあって動きが素早い感じといい、見た感じより、実際にかなり俊敏な感じも見て取れて、人はやはり見た目によらないものだと見直した。
激しく素早い動きや、役人的な目的の為なら手段を選ばない怜悧で横柄、慇懃な態度な感じに演じられていて、今まで九次を演じられていてきた役者の中でも多少の妥協さえしない感じ、優しさや隙がない感じが、九次の性格や行動とフィットした感じになっていて、印象に残った。
禿のお琴役のあいねさんは、今年の11月で17で、今はまだ16歳と実際の少女が演じられていていたということで、今までこの役を演じてきた人たちの中で、かなりリアリティを感じさせる自然で初々しく、素直で純真な感じで演じられていて、良い意味で、演技されているというより、自然体な感じに心動かされた。
尼さんの念念役の種村昌子さんは、良い意味で普通に真面目で融通が効かなくて、どこか浮世離れしていて、どこか達観して、落ち着き払ったお坊さんな感じが自然と醸し出されていて、僧服も含めて、似合っていて、役と完全にフィットしていた。
どこかとぼけた感じで、弟子の珍念役の谷口敏也さんの繰り広げるアドリブや小ネタにも、時々戸惑いながらもちゃんと即応して返していて、凄いと思った。
ただし、珍念を演じる谷口敏也さんに拮抗できたかというと、どこか谷口さんの存在感があり過ぎたのもあるとは思うが、念念を演じる種村さんが存在感が薄く見えた。
谷口敏也さんは、珍念だけでなく、磯七、亡八も演じているが、磯七の際はコミカルで優しい感じ、亡八の際は遊女を折檻したり、殴る蹴ると容赦がなく、少しも共感が得られないクズ男として演じていたりと、演じる役によって器用に表情や言動、行動、声の大きさや雰囲気を変えていて、役者でここまでしっかりと細かい部分に至るまで演じ分けることができる役者がいるものなのかと感心してしまった。

あの夏の夜の夢
演劇ユニットキングスメン
LIVE HOUSE 曼荼羅(東京都)
2025/07/18 (金) ~ 2025/07/19 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/07/18 (金) 19:00
前回観た座·高円寺の『マクベス』では、マクベスが悪の権化と化して、最終的に野望欲望が肥大化していった結果、全てを失い、身の破滅に繋がるピカレスク悲喜劇だが、それを野性味溢れ、残酷で、エログロな場面も露骨に導入しながらも、最後の最後までマクベスが良心や理性との葛藤で揺れ続ける、1人の等身大の人間として描かれる。
周りの持ち上げや、唆し、畏怖によって、マクベスが独善的で独裁的な怪物と化していくといった風に描かれ、むしろ哀れにさえ思えた。
しかし、世の独裁者はこうやって形作られていくのかと思うと、背筋が凍り付き、襟が正される思いがした。
その『マクベス』に引き続き、今回は同じくシェイクピアの『真夏の夜の夢』を曼荼羅という吉祥寺の老舗ライブハウスで、それもバンド演奏付きということで期待しかなかった。
今回は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を、シェイクスピアの台詞の良さや世界観は残しつつ、ジェンダー問題の観点から『夏の夜の夢』を捉えるということで、現代的な価値観をいかにこの劇にアレンジとして活かしつつ、どう本編と融合して、違和感なく観れるのかということに、興味が湧いた。
実際に観てみると、アテネの公爵のシーシュースが結婚前に公爵の婚約者ヒポリタを力で従わせていることがよく分かる演出として、血だらけのドレスに黄色の鎖をヒポリタの首にかけ、鎖の先をシーシュースが持ち、時々鎖を引っ張りながら会話するという、明らかに対等とは言い難い、シーシュースに隷属する婚約者という構図が、DV夫とその妻の関係性を如実に連想させる。
そのシーシュースとヒポリタの関係性は、家父長制、現代日本においても完全に消えたとは言い難い男尊女卑観を視覚的にも体現しており、鬼気迫る迫力、強烈な印象を与えられるとともに、深く考えさせられてしまった。
忠臣イージアスの、イージアスの娘ハーミアの意志とは関係なく、ディミートリアスと結婚させようとする独善的で父権的、家父長的、封建的価値観に支配された行動、森で身体関係をハーミアに拒まれ、不気味で謎めいていて、神秘的で不穏な感じに描かれる妖精王オーベロンの臣下妖精パックの惚れ薬によって、ライサンダーがヘレナに目を向ける。
ディミートリアスは、元々はヘレナと仲が良かった筈だが、今は心変わりして、ハーミアを追いかけ回すという勝手過ぎて、やりたい放題の男たち、それに翻弄され、尊厳も何もかもズタズタにされる女たちという構図を普段の『夏の夜の夢』よりも露骨に強調していて、ジェンダー問題について考えさせられた。
妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの妖精の女王タイテーニアと上手くいかないとなると、急に柄にもなく大声で手足をジタバタさせて、まるで赤ん坊か3歳児のように泣き喚く場面などは、ギャップ萌えで大いに笑えた。
妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの両乳首が見えて、ガタイが良くて引き締まって、筋肉質な身体には、男の色気を感じてしまった。
妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの身体にフィットし過ぎて下半身の大事な部分が露骨に強調されている海パンに上半身裸に白い布を引っ掛けただけ、頭にもお粗末な冠のようなものを被っているという出で立ちも妙な生々しさと渾然一体となった不健康な色気が漂っており、しかしその露骨な感じが寧ろ笑えてしまった。
妖精の女王タイテーニア役の高村絵里さんも黒のブラジャーに黒のパンツ、腰布を巻いただけといった出で立ちで、そのあまりのもろ出し感と、艶感に驚いてしまった。
まだ役者が河原乞食と呼ばれていた頃の荒々しく、過激で、エロティックで、残酷で観客に媚びてなかった頃の原初の演劇を思い出さずにいられず、今演じられるどんなシェイクスピア劇よりも、シェイクスピアの根幹となる部分や匂い立ち上ってくるような、舞台と客席の距離がなかった頃の大衆性が今ここに現出したかのような舞台に、演劇ユニットキングスメンに可能性を感じた。
妖精パックが暗くて不気味で、闇感があって、神秘的で不穏な、声の出し方1つとってもこの世のものとは思えない感じに高村絵里さんが演じられていて、妖精パックっというと、大抵は軽くて、イタズラ好きで、でも何処か憎めない道化的に描かれることが多かっただけに、良い意味で、新鮮で衝撃を受けた。
しかし、よくよく考えてみれば、妖精パックは妖精なのだし、人ならざるもので、人智を超えた能力を有しているとしたら、そんな人好きのするような感じではなく描くのが、リアルみを感じるのだと思えた。
アテネの庶民や妖精たちの役をバンドFURUCHANSが演じるという、役者だけでなくバンドメンバーまでもが劇に参加するというところが、ライブハウスという特殊性も相まってか、全然違和感なく、寧ろ自然に見れた。
妖精王オーベロンの妖精の女王タイテーニアと関係性が上手く行かないことで癇癪を起こし、タイテーニアとアテネの庶民で妖精パックの魔法でロバの顔にされたボトムとを惚れ薬で無理矢理くっつけようとしたりと強引で、勝手過ぎるが最後は、惚れ薬の効き目を解き、オーベロンを疑う妖精の女王タイテーニアと仲直りして、人間界では、ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミートリアスといった感じで、お互い本当に好き者同士で結ばれ、シーシュースとヒポリタの関係性も逆転して、今度はヒポリタがシーシュースの首に鎖をかけ、鎖の先を自分が持って時々引っ張るといった感じに、主従の立場が逆転し、忠臣で封建的、家父長的で偉そうで傲慢だったハーミアの父親のイージアスもヒポリタに鎖を首にかけられ、大人しく従うといった感じに、大袈裟で視覚的も、見ていて大いに楽しめて、みんな幸せになって心底安心した。
だが、これで本当に良かったのだろうか、少なくとも一時的にだとしても妖精王オーベロンの妖精の女王タイテーニアが別れ話を切り出してきたことに逆ギレして、タイテーニアと人間で、妖精パックのイタズラでロバのあたまにされたボトムとくっつかせ、後で、あれは夏の夜の夢だったんだと弁明するこのエピソード1つ取っても感化できない女性軽視、女性蔑視、女性をただの物として扱っているように思えて許せず、他の登場人物の男性たちも同様で、現実としてはまだまだジェンダー問題が解決したとは言えない日本において、この劇や、この劇に出てくる登場人物たちの言動行動を通して、深く考えさせられた。
自分もあんまり考えずに普段、大なり小なり女性に不快な思いをさせていないか、良かれと思って言ったことでも、相手を深く傷付けていないか、改めて自分を振り返る良い機会になった。

花がこがれる
アユカプロジェクト
シアター風姿花伝(東京都)
2025/07/03 (木) ~ 2025/07/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/07/06 (日) 12:00
花屋を目指してきた(実際には、病院のベットで重病で生死の間を彷徨っている)少女は、花屋があった筈のところで花の魔女が運営するスナックのような魔女の店に迷い込む。
そして、魔女の店のアクが強くて個性豊かで、騒がしい常連客たち、魔女の店を切り盛りする何処か謎めいていて、でも底抜けに明るく、その場を癒し、人々の心を照らし、良い気持ちにさせるが、人懐っこいが、掴みどころのない花の魔女、また花の魔女と真逆で一見冷たく、ミステリアスで、星占いが得意で、厳格な現実主義者で、冗談が通じなくて、ニヒルで、取っ付きにくく、人と群れることを嫌い、気難しいが、本当は良い人な星の魔女たちとの少し不思議な交流を通して、少女のアイリスが少しずつ成長していくといった風に劇が途中までは進んでいた。
なのでこれは、小説で映画化もされた『コーヒーが冷めないうちに』と似たような構造だなぁと感じた。
常連客たちが頼むお酒や紅茶に花の汁を垂らすと、それが不思議な効果を生むという構造も、『コーヒーが冷めないうちに』における少し不思議な体験ができるコーヒーといったところが、偶然にも良い意味で似通っていた。
更に、それに加えて、舞台所狭しと飾られた花々や微かに香るお香の匂いが劇世界に彩りを添えて、華やかで優雅な雰囲気で、『コーヒーが冷めないうちに』をより、洗練させた大人な感じで、少し不思議な最高級な世界観が出来上がっているように感じた。
しかし劇の中盤から後半にかけて、花の魔女の店に来る常連客たちが既に生きている人間でなく、それも立派に生を全うしたというより、石膏になるのが夢だったが、馬に轢かれて事故死した男や、プリマドンナだったが、才能を周りに妬まれ、嫉まれ、追い詰められて自殺したセーラ、魔女の店に来ると南のほうに旅行に行ってきた話を周りにいる客たちに嬉々として話していたアビーも、生きていた時は北の国で夫のDVと寒さに耐えながら、精神的にも肉体的にも追い込まれて、病死して、魔女の店に彷徨っているといったような境遇の、実に凄惨で、救い難い幽霊たちが、現世と夢の境界線である魔女の家に留まっているというような実態が浮かび上がってくる。
更に、魔女狩り、異端審問といった不吉で不穏な中世の時代に実際に行われていたことが、花の魔女や星の魔女も例外ではなく、巻き込まれていく、暗雲立ち込め、シリアスな展開に驚愕してしまった。
但し、最後のほうで生死を彷徨っていたアイリスが時空を超え、夢と現実の狭間にある魔女の店から、皆に迷惑をかけまいとして、自ら出て行った花の魔女カガミを助けに行き、現実ではアイリスが重病から立ち直ることができるという奇跡なような展開に、途中まで救いようが無い終わり方になるのではないかという絶体絶命で、不穏な感じが漂っていて、どうなるんだろうとドキドキしていただけに、感じ入ってしまった。
前半から途中までの少し不思議で謎めいてはいるが、ゆったりと優雅で大人、そして華やかさもあるような感じとは、中盤から後半にかけてはほとんど違って、暗くて、不穏な感じが劇の終盤まで続くという大きく物語が変化していき、劇が進むに従って、花の魔女カガミが隠す秘密や、魔女の店に集う常連客たちの過去が明らかになっていく展開、その構成が見事だと感じた。
Aキャストバージョンの劇を観たが、終わった後にトークショーがあったので、聞いた。
A、BのWキャストとも同じ役者だが、A、Bではそれぞれ違う役を演じ、役者によっては全くイメージが違う役を演じられ、劇作、演出家であり、俳優として今回の劇にも出ている港谷順さんの独断と偏見で、役を役者に振り分けた話など、込み入った話や裏話が聞けて興味深かった。
また、トークショーの際に港谷順さんが今回の劇に出てくる登場人物たちの役名が、実際にある花の名前や鉱石から取っていたり、名作小説『ハイジ』に出てくる登場人物から取っていたり、性格も花言葉の意味から取っていたりと、港谷順さんのセンスの良さや、お洒落さ、譲れないこだわりといったものが伝わってきて、非常に興味深かった。