
おしとおせ!限界ノンカノン
sitcomLab
吉祥寺シアター(東京都)
2026/08/27 (木) ~ 2026/08/31 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/08/28 (金) 19:00
当初こそ人気があったものの、今では展開がマンネリ化してきている漫画『限界カノンカノン』最終回のネームを描いている東雲の元に訪れたハウスクリーニングの新井は、最終回のネームの原稿を読んでいるのを東雲に見つかったことで、弱みを握られ、東雲に自分に成りすまして欲しいと頼まれる。
仕方なく引き受ける新井だったが、そこへ『限界ノンカノン』のファンだと言う女性が現れる。
彼女は自分の納得のいく最終回にしてほしいと、東雲になりすましている新井を脅迫し始め、東雲のアシスタントの彼女や関西弁で図々しくて、無駄に存在感があって、圧が強すぎる彼女の母親、漫画『限界カノンカノン』に入れ込み過ぎて、自分で勝手にこういう結末が良いということを語りだす兄、ハウスクリーニングの借金している先輩等、個性豊かでアクが強すぎる登場人物たちが次から次に入ってきて、新井が振り回される様に、時にドタバタあり、ボケ突っ込みありのシチュエーションコメディで、腹が痛くなるほど大いに笑えた。
漫画『限界カノンカノン』の漫画家東雲のアトリエで、訳あって東雲に扮するハウスクリーニングの新井たちの現実世界と、漫画『限界カノンカノン』の人を半殺しに出来る改良型スタンガンを隠し持つヤバ過ぎるファンの女性の漫画の結末を語り出したり、他の登場人物が漫画のこうであってほしい結末を再現するシーンが舞台の前の方で展開されたりはした。
しかし、CoRich舞台芸術!に載ったあらすじでは、漫画『限界カノンカノン』のアクションファンタジーの世界観とそれを描いている漫画家の東雲の現実世界が交錯していくようなアクションファンタジーシチュエーションコメディの様な風な書かれ方をしていたが、実際に観てみると、そんなに交わっているように感じなかった。
ただ、劇の最後の場面で、東雲が描く漫画『限界カノンカノン』の主役カノンと東雲がそれぞれの生きている世界線の境界がその瞬間だけ交わり、2人が言葉少なに会話するのを観るにつけ、アクションファンタジーシチュエーションコメディと言うのがようやっとしっくりときたと感じた。
この、普通は、ありそうでなかなか無い、アクションファンタジーとシュチュエーションコメディが交錯する展開が新鮮で、面白く、印象深かった。

Transit 〜an echo chamber without noticing
劇団art box
シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)
2026/09/04 (金) ~ 2026/09/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2026/09/04 (金) 19:00
佐野みやこの葬儀に集まったのは、彼女の“友人”たち。
参列者たちは死者を悼むどころか、みやこが死人に口無しなのを良いことに、自称シンガーであったみやこが巻き起こしたトラブルに振り回され続けた自分たちの苦労を悼み合い、笑い合っていた。
「誰が私を殺したのよ!?」
葬儀の“主役”であるはずのみやこが突然目を覚ます。
みやこは、死後の案内人の力を借りて、飛び散った記憶の欠片を集め、自分は殺された事前提で、その犯人探しをしていく話という、コメディで、ファンタジーで、ミステリー要素もとてんこ盛りで大いに面白かった。
過去に役者を目指し挫折して、現在バー経営しているが、仕事をせずバーのバイトの佐藤千香に仕事を全部押し付け、自分は何もしないがどこか憎めない篠田啓介、バーのバイトの佐藤千香はそんなバー経営者の篠田に呆れ、突っ込みながらも、自身は密かに歌手になることを夢見ながらも、引っ込み思案で、中々プロになる一歩に近付けずにいたり、売れない役者で父親が生きている時に亡くなった父親との関係性を上手く解消出来ず、普段はバーに集まる人たちに振り回される葉山悟。
千香の大学時代の同級生で、思ったことをはっきりストレートに言って、どこか言葉尻にキツさを強く感じさせる麻田萌衣、同じく千香の大学時代の同級生で、無類のディズニー大好きで、どこか夢見がちで、おっとりとしている西野まり、売れない歌手で、人によっては当たりが強い高瀬由結と、みんな個性豊かで、アクが強いが、それぞれの抱えている自身の夢への悩みや人間関係の悩み等も劇中丁寧に描いていて、私たち1人1人が誰もが必ずと言っていい程ぶつかる悩みや壁と共通するように感じる部分も多く、私たち1人1人の人生における悩みや壁と重ね合わせて考え、共感しやすかった。
みやこの友人たちは言いたい放題言いながら、劇の最後の方では、結果としてみやこと関わったことで、トラブルに巻き込まれたり、迷惑することも多かったが、自分たちが抱える自身の夢への悩みや人間関係の悩み等の悩みに対して生前みやこが土足で踏み込み、ズケズケ言うことに辟易しながらも、そういうみやこによって少し救われていたことが分かってくるという結果に、多少は亡くなった佐野みやこにとっても報われたのではない感じ、胸を撫で下ろした。
ただ、最期の最後で、佐野みやこの幽霊が予想を上回るハッピーエンドな結果に衝撃的過ぎた。
死後の案内人がどう見てもドラァグクイーンにしか見えない風貌と言動で、凄く印象に残った。

魚雷モグラ‘26
ウラダイコク
池袋みらい館大明 ブックカフェ特設ステージ(東京都)
2026/08/07 (金) ~ 2026/09/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/08/07 (金) 18:00
普通の劇場ではなく、昔学校だった所が多目的施設になっている所の中の図書室内を舞台に公演が行われていて、しかも昔の学校感の雰囲気が出ていて、且つ、図書室内がどこか劇が始まると本当に地下工場のトンネル内にいると錯覚させられるほど、音響効果と暗くされた効果も相俟ってか、不穏さと息苦しさを感じた。
焼け爛れた人々、「水、水」と言って、倒れ込みながらも手を上げて、最後の力を振り絞っている感じなどから、下手をすればトラウマ級の怖い場面や工場の軍人による工場で働く、まだ女子学生に対して、高圧的でかなり暴力的な場面も結構あって、心臓が止まるかと思うほど、身体が自然と硬直させられ、冷や汗が出るほど、緊張させられ続けたが、そこに多少の笑いが入ることで、どうしても戦時中から戦後を舞台にした作品だと、真面目でかなり深刻になりやすいところが緩和されていて、良かった。

魚雷モグラ‘26
ウラダイコク
池袋みらい館大明 ブックカフェ特設ステージ(東京都)
2026/08/07 (金) ~ 2026/09/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/08/07 (金) 18:00
長崎に原爆が落ちた日の前の日々と、原爆投下当日、投下後の生き地獄を丁寧に、時に詩的に、コンテンポラリーダンスの要素や、長崎と言えばキリスト教会のマリア像のイメージを役者で表現したり、教会音楽が爆音で流れたり、爆弾の爆発する音等が、まるで戦中のその場所にいるかのように錯覚させられるような没入感を強く感じた。
勤労奉仕として、今まで学校で勉強していた女学生たちが、勉強は終わりになり、地下の魚雷工場で働くことになるが、原爆投下後の放射能や黒い雨等の後遺症により次々に大事な女学生仲間であり、工場仲間でもある仲間たちが亡くなっていき、または苦しみながら生きている人等の悲惨さを描いていて、悲しく、また心が傷んだ。
そして全体的には、かなり悲惨だが、モグラの王女様が地下魚雷工場トンネル内に現れ、復讐しにきたと言うことで、突如ファンタジックな要素が入ることで、バランスが取れていて良かった。
モグラの王女様は、そのお父さん、お母さん、親類縁者、国民が全滅させられたということから、人間を恨んでいることが分かってくる。
モグラは、農家にとっては害獣だが、それは人間の側の理屈で、それで靴で踏んづけてモグラを殺したり、モグラ穴を埋めて窒息死させようとしたりして良い理由にはならないと言うようなことをモグラの王女様が言うのが、完全に間違っているとも思えず、だからと言って、一方の言い分が絶対に正しくて、もう一方の言い分は間違っているかと言うと、物事はそう単純じゃないと感じた。
このファンタジックで擬人化されたモグラの王女様という要素をねじ込むことで、どうしても日本で太平洋戦争を描くと被害の側面が強調されがちだが、無意識の加害性にも焦点を当てていると感じた。
先の大戦が下手したら、美談になりかねない論調や総理の治世にあって、また世界のどこかしらで常に戦争、紛争が起きる時代にあって、そのファンタジックで擬人化されたモグラの王女様を出すことで、スッと日本のと言うか、誰でも、戦時において、加害者にも被害者にもなりうることが分かり易く捉えることが出来た。

第86回「a・la・ALA・Live」
a・la・ALA・Live
座・高円寺2(東京都)
2026/08/12 (水) ~ 2026/08/12 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2026/08/12 (水) 19:00
a·la ♪ALA ♪ Live あ·ら ♪ らいぶは、今回で第八十六回と言うことだが、実は今までも何度か観に行ったことがあり、その度に良い意味で、現代版の寄席だという思いを強く感じていた。
そして今回の公演を観て、中編のSF劇に、その合間に芸能あり、ものまね芸あり、巨大スピーカーを舞台中央に置いて、演者が仮面をつけたり、腕に人形の頭をつけたりして、東南アジアの芸能と現代のテクノロジーとが見事にコラボしたオブジェクトシアター等が織り込まれ、そのごちゃ混ぜ感、各々違う個性や空気感が出ていて、改めて、現代版寄席と私が捉えていたのは、あながち間違ってはいなかったのだと確信した。
途中度中芸能やものまね芸が入りながら、3場面?ぐらいの中編の劇では、自分が科学者で娘の面倒をほとんど見れていないが、娘のことを誰よりも心配し、娘が間違った方向に行かないためにもと、娘の母親で、恐らくシングルマザーが母親代わりとなる人型お世話ロボットを造り、娘の面倒を見させると言うようなかなりぶっ飛んだ導入部分から始まる。
しかし娘は、高校で学級委員長になって、成績も優秀だったが、何処か感覚がズレていて、自分のことを「あーし」なんて言う黒ギャル(しかもノリが、明らかに令和ギャルのそれではなく、平成初期のギャルのノリにしか見えない。六本木をギロッポンと言ってみたり、雑誌Eggに出てくるファッションのような格好だったり、パラパラを知っていたり)と勢いで仲良くなり、ギャル語にもハマってしまい、どんどん自分らしく、生き生きと振る舞うように変わっていく。
そして密かに、昭和のアイドルが好きな娘は、そのギャルの友達と一緒に学校の文化祭でピンク・レディーの『UFO』を歌って踊ろうということになる。
その前後で、ギャルの友達が六本木で本格的なレッスンまで受けていたアイドルグループに入れたかどうかの連絡が来ていたが、ギャルの友達の家は何故か今時黒電話で、ギャルの友達のお母さんが勝手に迷惑電話認定して出なかったもので、ギャルの友達が電話に出た頃にはアイドルグループのプロデューサーがブチ切れて、アイドルグループに入ることが叶わず、ギャルの友達がお母さんにブチ切れて、お母さんが今時アナログ人間過ぎることが原因だと言うようなことを言い放ち、大喧嘩になると言うようなトラブルがあったり、ギャルと友達だと言うことが科学者の母親に知れ、娘が窮地に立たされるような場面もあったりと、ドロドロな家族ドラマが、中編劇の中で展開されて、中々濃いい内容で、ハラハラドキドキさせられた。
しかし、そのギャル友達のアナログ人間過ぎる、今時スマホどころかパソコンもろくに使えない母親(そんなんでこの便利でストレスフルな現代社会で生きていけるのか、甚だ疑問ではあるが)が実はという展開に、そういうオチが予想がつかず、意外過ぎて、ただ、ただ驚いてしまった。
描いている世界は何処か懐かしい感じなのに、普通に人型お世話ロボットがいても驚かない、それがさも当然かのように描いているSFの世界観が面白かった。
主人公たちが生きている世界は下町か中央線沿線のような感じのイメージで描かれているのに、そこに人型お世話ロボットが出てきても、人情家族ドラマにSFの要素がさり気なく入ったという感じで、その2つがバランスを保っていることに、感心してしまった。
黒電話でオーバーリアクションで驚いて見せ、黒電話に興味津々な、何処か世間知らずな科学者の母親の娘役の島袋ぢぇみさんが、結構高齢なのにそういう高校生役というのが、見た目的にはどう見てもそうは見えないが、そのアンバランス感が大いに笑えた。
また、ギャルの友達の家に科学者の母親の娘が遊びに来ている場面で、科学者の母親の娘役とギャル友達の母親とを早着替えを繰り返したり、途中声だけになったりして、島袋ぢぇみさんがあたふたと対応しているのが、観ていて馬鹿馬鹿しくて大いに笑えた。
青木静香さんが人型お世話ロボット役だが、大仰な演技や身振り手振りが多く、声もデカくて元気が良く、どこかムギュさが滲み出ていて、個性が爆発していて、大いに面白く、印象にも残った。
荒山昌子さん演じるギャルも明らかに高校生には見えず、制服で出てきただけで、痛過ぎて笑えたが、次々に飛び出す、それいつ流行ったっけと言うようなギャル語(明らかに平成ノリ)が飛び出し、強烈な個性が出るキャラに、観ていて飽きなかった。
笑える場面も多く、シリアスな場面ばかり続く訳ではなかったので、大いに楽しめ、肩の力を抜いて気軽に観ることが出来た。
今の時代、そう遠くない未来にAIが人間を抜き、いつの間にか、人の仕事がAIに取って代わられる。こうしたことがただのSFとも言えなくなってきている時代に、人型お世話ロボットがいる世界はまさに今取り扱うべきテーマだと感じ、感慨深かかった。
森丸さんによる粋でイナセな江戸の大旦那衆のようなキャラで、山手線の駅をすべて取り入れた「恋の山手線」も中々味わい深くて面白かった。
しかし、本題の南京玉すだれも放送事故になるレベルの下ネタやぶっちゃけトーク、毒のある客イジリと終始目が離せず、大いに楽しめた。
ものまね芸のふじきイェイ!イェイ!さんは、宮川大輔のものまねが本家に引けを取らず、さらに誇張したPay Payダンスも大いに盛り上がり、楽しめた。
マイケル・ジャクソンやニューオリンズジャズのトランペット奏者で歌手のルイ·アームストロングの歌やダンス、トランペットを吹いてる様のものまね、そこにとある要素を混ぜ込んだ細かい芸等、大いに笑えて、盛り上がった。
オブジェクトシアターは、あさぬまちずこさんによる東南アジアのラオスという国で作品を作っていたと言うだけあって、表現が独特だった。
舞台中央に巨大スピーカーを置き、その何処か没入感があり、異国情緒がありつつ、時に不穏さも内包する音と照明、可愛らしさとグロテスクさ、不気味さとコミカルさそういったものが内包された仮面や身体として布を使い、その上に人形の頭を乗せたもの等、何処か不条理で、幻想怪奇で、神秘的で、人がほとんど足を踏み入れることの無い森の中の精霊たちの世界を繊細に、時に俗っぽく、それでいて掴みどころがなく、人間の世界で言うところの善悪二元論では測れない世界観を台詞なく展開していて、その独創的な世界観にすっかり引き込まれた。

大礼服・壜の中の鳥
巴プロデュース
南青山MANDALA (東京都)
2026/07/22 (水) ~ 2026/07/25 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/07/24 (金) 19:00
『赤糸で縫いとじられた物語 寺山修司幻想童話集』の第1話として発表された「壜の中の鳥」では、朗読劇の冒頭から中盤にかけて、学者や学校の先生等が何の前触れもなく鳥になってしまう、そして疾走した夫も鳥になってしまったりといった不可解で不条理なことが次々に起こる。ニュースになり、目撃証言も取り上げられる辺り、フィクメンタリーの様相を呈していて面白かった。
しかし本題は寧ろ、そうした中で起きるあるメルヘンチックな純愛悲劇のお互い好き同士の少年と少女の物語だと感じた。
この入れ子構造に仕掛けられた物語の仕組みは、童話集のようなものであっても寺山修司らしさを強く感じた。
しかし、普段の寺山戯曲等はもっと複雑で分かりづらく、実験的なことが多いが、今回の話は、寺山にしては内容が理解しやすかった。
最初、少年が急に鳥になったことを知った少女は嘆き悲しみ、自分も少年と同じように鳥になって鳥になった少年と仲睦まじくいられるように願うが、鳥になった少年は、また人間に戻って少女と一緒にいられるように願うというすれ違いにより、悲劇的な終わり方になっていき、メルヘンチックで牧歌的ながら、そのどうにもならない終わり方に、胸が痛んだ。
寺山修司がラジオドラマとして書き下ろした「大礼服」では、少女の婚約者の刑事が、どこか存在が謎めいた透明人間の大礼服の男を血眼になって探し、少年探偵団も出てきたりと、寺山修司の大抵の劇作では、幻想怪奇、エログロナンセンスだが、あんまり笑いは多くなく、幻想性や叙情性が殊更に強調され、例えそれが近親相姦等の禁忌を扱っていても美しく描かれることが多いのだが、今回のラジオドラマでは非常に大衆的な感じで、笑いも多く、初めて寺山作品に触れる人であっても、抵抗感なく観れるのではないかと感じた。
しかし、大礼服の男を巡って、街の秩序を保つ権力側でもある警察が慌てふためき、対策を思案する様が、何処か皮肉が効いている気がして、面白かった。
また、場所が南青山MANDALAというライブハウスのMANDALAの系列の中でも、お洒落でとても高級感の漂う感じで、スタンディングではなく、一部ソファまで用意されたラグジュアリーな空間で、お酒を飲みつつ、その非日常感の中で、寺山修司の朗読劇という異質な組み合わせが、意外にも悪目立ちするというより溶け込んでいて、どんなラグジュアリーな空間でも寺山の作品を演ると、自然と寺山色に染まっていく感じが、寺山修司の凄さを感じた。

じべた
椿組
小劇場B1(東京都)
2026/05/25 (月) ~ 2026/05/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/05/26 (火) 19:00
この地球は地続きであった。そして海ができ、川が出来、島国もうまれた。そしてそのじべたの境界をめぐり争いが起こった。・・・・今も続いている。谷川俊太郎・黒田征太郎の絵本「じべた」から触発された戯曲ということで、しかも、泥臭くて、人間臭い濃密な群像劇を得意とする椿組による公演ということで、観る前から、どんな化学反応が起こるのか、期待しかなかった。
じべたの上では自分の土地を守るため、また土地を広げるための戦争が絶えず続いている。
そこに住む人々。
武器工場を営む家族。家族の三女は絵本作家になりたかった、しかし、家族からの反対をうけ、工場で働き始める。その工事では、様々な事情を抱えている人たちが働いてる。
出征した夫の帰りを待つ、妻と子どもの二人だけの家族。
戦争に疑問を持ち、協力者を求める戦争帰りの男。戦争から帰還した者。戦争を受け入れる者。この土地では、戦争に加担する事が仕事であるという話を軸にした、主に3つの家族と工場、個性豊かな工場勤務の人たちに焦点を当てた群像劇だった。
劇中、この土地で生きることは、この土地での仕事を受け入れることと言うような台詞があり、そういった在り方に大山夜子は内心反発するが、仕事をしないわけにもいかないと、じぶんが勤める工場が殺傷能力の高い武器の製造をしていることを知りつつ、黙々と仕事をこなし、何かにつけて弟の大山大地が工場主任の大山朝子に食ってかかり、喧嘩して、自分は戦争に加担する武器工場に勤めるぐらいなら働かないと言い切る弟をどこか羨ましく感じていたり等、劇全体としては、第3次世界大戦でも始まったかのようなもしもの世界を舞台にしつつ、不穏さと暗さが付き纏う劇なのに、人間同士のぶつかり合い等、緻密に、きめ細かく、それぞれの人間ドラマに重きを置いていて、共感しやすかった。
劇中、谷川俊太郎の絵本「じべた」に出てくる言葉が劇場の壁に投影されたりして、役者が独白のような形で絵本の言葉を言ったりして、絵本「じべた」へのオマージュもしっかりなされていて、良かった。
劇中、工場勤務の男で、戦争帰りで、敵の銃弾が頭に命中して、奇跡的に助かったが、話すことが出来なくなった男が出てくるが、その代わりに実は相手の脳に直接語りかけるテレパシーのような能力があることが分かり、その能力を巡るちょっとした騒動がコミカルで大いに笑えた。
劇中、部品を造る工場が、実は、戦争の為の武器製造をする工場になっていたことが分かったり、似たような工場が政府奨励のもと、次々に建てられていくといった在り方は、単なるディストピアと言って一蹴できるような状況ではなく、今の日本が防衛関連法等を次々に将来的に制定しようとしたりするなか、実際、殺傷能力のある武器を国外輸出を可能にする運用にいつの間にかなっていたりと、戦争への1歩を確実に踏み出し始めていると言ってもそう大袈裟ではないような今の日本社会を考えるに、この劇で描かれるような、普通の部品製造工場がいつの間にか殺傷能力の高い武器製造工場になって、幾つも似たような工場が建てられていくと言った在り方がナンセンスとは言い切れない、むしろ現実味をかなり帯びている状況に、す~と背筋が凍りついた。
そして、どんな事があっても、政府の聞こえの良い言葉に、簡単に騙されないように、おかしいと思ったことが言える社会である為にも、政治家の言葉の真意を常に探り、常に新聞などに目を通し、無関心でいないように心がけようと強く感じた。(今までも、私は無関心ではなかったが)
この劇のようにいつの間にか、戦争が始まり、しかも何が原因で始まった戦争なのかも、敵がどんな感じなのかも分からないまま、健康な男は徴兵され、他にこれといった産業がなく、街にあった工場が、武器製造工場にいつの間にか変わってから、他に仕事もないというので、大量にその工場で働く人がいて、街が潤い、結果的に国が戦争をする為の資金が潤うと言った在り方が1番怖いと思った。
こう言った在り方で行くと、誰も責任を取らず、地元住民にだけ負担がのしかかる構図が、日本の原発増産の論理とも似通って見えて、常に疑う感覚を身に着けなければと感じた。
戦争に関連する事故で奥さんを亡くした大山家の認知症のお父さん大山敏郎、砂塚家の戦争帰りの息子で、戦争は私たちが勝つかのように豪語するが、実際には、余りの惨状を目にして、トラウマを抱えているが、お母さんや工場の仲間を心配させまいと何事も無かったかのように空元気を振りまいたり、伊東家のお父さんが急にこっそり戻ってきて、戦争に行って、すぐ逃げ出して帰ってきた、しかも、実はかつて不倫相手がいたりとなかなか複雑な要素が織り込まれていたりと、実際に戦争が起こると、一般庶民は良いことなんて1つもないことをつぶさに教えてくれるエピソードに、悲劇しか生まない戦争に、絶対に戦争なんて始めてはいけないし、それがどんなにもっともらしい理由を付けようとも、戦争をして良いことにはならない、平和がいかに大切かを強く感じさせられた。

Days Of Grey Sunlight
空想実現集団TOY'sBOX
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2026/06/26 (金) ~ 2026/06/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2026/06/28 (日) 17:00
CoRichに書かれたあらすじだけ読むと、アナタの街から隣の隣の隣ぐらいの隣街。
人間に飼われて育った犬・レトはある日、野良猫のシッシに導かれ捨てられた劇場へと迷い込む。
そこには個性豊かな動物たちが人間に見つからないよう肩を寄せ合って暮らしていた。
初めて知る"外の世界”。
自由、恐怖、そして仲間たち。
しかし街では"野良犬ゼロ作戦"が始まろうとしていた――という感じの内容だったので、児童文学の『ルドルフとイッパイアッテナ』シリーズに影響を受けつつ、害獣駆除や野良犬、野良猫の弊害、ペットショップという在り方自体、そしてそのペットショップで買った犬や猫、鳥をペットとして買うこと自体、そしてそのペットを引っ越しなどの際に一緒に連れていけなかったり、病気や飼い主の手に負えなくなって捨てる、躾けも含め、そういった構造自体が動物虐待に当たる。
動物を愛するのなら、そして責任持って最後まで人間側の諸事情により飼うことが出来ないなら、最初から飼わないこと。
動物は見て、愛でるだけに留めおくこと。
動物が自然に生活する為に、ペットショップや動物カフェを無くしていくこと。
どんな理由であれ、不用意に飼っていた動物を自然に放さないこと。
ペットとして飼っていた動物を例え良かれと思って放したとしても、外来種として自然の生態系を壊してしまう危険性が確実なので、絶対放してはいけない。
ペットを放さなければ、絶滅しなかったかも知れない、または絶滅しかけることはなかったかもしれない動物がが、絶滅、絶滅しかけてしまう結果を招く。
また、放した元ペットが害獣になってしまう可能性もある。
鳩等に餌をあげないと言ったような動物愛護団体による文言を電車内の広告や新聞の動物愛護に関する記事等で見かけるが、その動物愛護的な観点や動物虐待といった問題、ペットに対する躾けと言った問題をも、動物を主役にした群像劇のテーマに据えた、時に、馬鹿馬鹿しく、笑いもあり、友情もありつつ、社会派劇なのかと期待して観に行った。
実際に劇を観てみると、「安心して生きること」、「自由に生きること」といったテーマを、主人公の飼い犬レトと明らかに『映画 寅さん』シリーズの寅さんをモデルにしているようにしか思えない、あの街、この街と渡り歩く、人間で言うと30代中盤か、それ以降ぐらいの感じの自由をその言動、行動で体現する野良猫シッシ、その対照的な2匹の行動や他の野良動物たちとの関わりの中で描いていて、話が深刻になり過ぎず、バランスが取れていて、気軽に楽しみつつ、野良動物たちの置かれている状況にも考えを巡らせつつ、まるで犬等のペット目線で気付くと観ていて、没入感が凄かった。
但し、野良犬ゼロ作戦とか言うので、害獣駆除や野良犬、野良猫の殺処分の問題、やたらとペットを諸事情から捨てる問題、ペットを躾けるといったこと自体が動物虐待になる問題、そもそも、人間にとっては癒やしでも、ペットショップや動物カフェの存在自体が動物虐待に当たることこう言ったことに深く切り込むのかと思ったら、もう少し軽い作品で拍子抜けした。
劇中の野良犬が捨てられた新聞に載っていた野良犬ゼロ作戦の内容に怯え、他の野良動物たちとも情報共有し、震え上がるが、劇の最後の方で飼い犬レトの飼い主の女性が「、その記事に載っている野良犬ゼロ作戦は、野良犬を一旦保健所で保護して、里親が見つかったら、その里親に引き取ってもらって、大事に飼ってもらう。
最終的に殺処分と言うようなことは絶対ないから安心して」と言うような種明かしを言って、野良動物たちや飼い犬レトを安心させる場面があるが、大ドンデン返しで、それまでハラハラドキドキさせられていたのが、ホッとする終わり方ではあった。
だが、現実はそう甘くは、都合良くはないんじゃないかと思うと、何ともやるせなくなった。
これはあくまで劇な上、ファンタジーなことは分かっているが、ある程度の野良動物や野良犬、猫の置かれているシビアな現実も描いたほうが良いのでは、とも感じた。
劇中、幾度となく、クドいくらいの楽屋ネタや「これ、明らかに人選間違えてるよね」と言ったような台詞も何度となく出てきて、大いに笑えた。
またバレエ『白鳥の湖』の音楽にのって、『白鳥の湖』に出てくる白鳥の精の空気感で出てきたボーイッシュな麗人が実は雀だったり、明らかに白鳥と言うにはふざけすぎて、1980年代の東京のお笑いのネタのような格好と雰囲気の男の役者演じる白鳥と言うギャップがあり過ぎて、出てきただけで、ツボってしまった。
劇中、十兵衛と聞こえていたのが、最後の方で、忠兵衛?(チュウベエ)だったことが分かり、その鼠が、藤原竜也さん並の野性味と、ハードボイルドな空気感で、威圧感があり、観る者を圧倒し、緊迫感を漂わせ、どう見ても鼠というより、白狼といった感じなのに、鼠というギャップと、その鼠如きに、他の野良動物たちが時に恐れ、信頼し、リーダーと崇めている構図が分かったときに、そのあまりの馬鹿馬鹿しさと、他の野良動物たちが最後の最後まで本性に気付いていなくて崇めているのがおかし過ぎて、大いに笑えた。
雀のボーイッシュな感じの麗人が時々言う、格言が、本当に何を言っているのだろうと言うような、それっぽく言っているようで、あまり意味のない言葉の羅列を、無理クリそれっぽく言っていることも多く、その絶妙に残念なキャラが、昔モーニング娘にいた後藤真希さんが、モーニング娘が出るコント番組でキザな少年役を演じた際、ソレッポイことを言うのだが、実際は何を言っているのだろうと言うようなネタの笑いがあったが、そのネタとは違うがそっくりで、笑いが止まらなかった。
出てくる野良動物たちがクセ強でキャラが立ち過ぎて、それでいて、野良犬に関しては、村人A、Bならぬ、野良犬A、Bと言うような紹介のされ方の雑さ加減も笑えた。
天真爛漫で、マシンガントークで一方的に話し続けるが憎めないオウム、ゆっくり過ぎて周りが違う和田話題になったところで前の話題でツボって笑う亀等、実際の動物たちの習性を誇張して、大袈裟に描くことで、大いに笑えた。
しかし、狸とアライグマどれくらい似ていて、見た目で判断が付き辛いと言う風に劇中では描かれていたが、実際のところはどうなんだろうと考えてしまった。
私の地元では、時々野生の狸は見かけるものの、アライグマは、動物漫画や動物園以外で見たことないから、比べてみる機会に今のところ、お目にかかったことがないもので。
ただ、劇中、「鶏が先か卵が先か」じゃないけれども、そのようなどちらが原因か決められないことで狸とアライグマが常に喧嘩し、終わらないループにハマったかのように、1回仲直りしても、すぐ喧嘩し始めるというドタバタが面白かった。
主人公の飼い犬レトが隣のお節介で好奇心旺盛でどこか図々しいが、ちゃっかりしている雌犬に、赤いスカーフの経緯についての話をしつこくせがまれ、話をしだすところから、物語が展開するが、レトが話し出すと、決まって雌犬が茶々を入れ、観客に分かるように具体的に物語の舞台や主人の名前等を話し出し、話がなかなか進まないと言ったような漫才のような息のあったスッタモンダも面白く、飽きなかったかった。

『私立シバイベ女学園』私達のインフラ編
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場MOMO(東京都)
2026/06/17 (水) ~ 2026/06/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2026/06/19 (金) 18:30
実は前にも、私立シバイベ女学園を観ていて、今回で観るのは2回目となる。
何となく前回が、芸能界に蔓延る悪慣習、ハラスメント、ハニートラップ、放送事故発言等々、芸能界に深く関わる問題をテーマに時に茶化し、真剣になり過ぎず、そういった問題について学園に入らされた訳あり過ぎる、個性豊かでアクの強い生徒たちと、鋭いツッコミをするが、生徒たちに振り回されがちな女性教師、時に威圧的だが、人によって態度が露骨に変わる女性副校長ら、生徒たちに負けず劣らずクセ強な教師陣、自由過ぎる保健の先生役のゲストの役者、時々盛り込まれるアドリブや一発芸などが混ぜこぜの、時々考えさせられつつも、全体としては大いに笑えるドタバタコメディだったので、今回もそういう感じかと思っていたら、良い意味で裏切られた。
実際に観てみたら、今回は教師はいなく、教師の代わりをAIが努め、声優の有澤澪風さん演じる関節系アイドル「POP☆SWEET」リーダー陽向信愛さん、北瀬永莉さん演じる、同じく「POP☆SWEET」メンバーでリーダーの信愛さんに対しても当たりが強く、最近急上昇中の後輩グループを目の敵にする、しっかり者の白月莉美さん(学園に入った理由が謎)、HKT48を2022年12月に卒業の宮崎想乃さん演じる美容系アイドル「POP★QUEEN」所属のあざと可愛いが、キツイ遠回しの皮肉も上手い佐野愛里沙さん、この白月さんと佐野さんが新たに学園に入ったことが分かるところから、話が本格的に進む。
前回と違い、テーマがインフラについて考えるだったので、インフラに関わる問題が多く、正直、馬鹿でなくても詳しくは分からない。簡潔に説明するとなると、尚更言葉が出てこない問題が多く、笑える場面もあったが、前回よりも、インフラや青切符制度、還付金、インボイス制度等、名前は聞いたことのあるものの、詳しくは知らない問題を多く扱っており、結果として、前回より、社会派テイストが強まり、考えさせられた。
具体的に青切符詐欺に登場人物の白月莉美さんが引っ掛かりそうになったり、陽向信愛さんが確定申告をしていなかったり、佐野愛里沙さんがかつて熊本地震で大切にしていたモー君(実は観葉植物)を亡くしたことから、自身に対してのトラウマが強いことが描かれたりすることで、日常とコミットさせて考えることができ、具体的なイメージが掴みやすかった。
どうしても、自然災害とか、インフラとか、イランと米国、イスラエルによる戦争というと、あんまり身近な問題として捉え難いが、ホルムズ海峡が封鎖していることによって、日常的に使っているものの物価が高騰したり、劇の登場人物自身が震災を過去に体験し、大切にしていたものを失うことで防災について深く考えるようになる。
青切符制度について、劇の登場人物が青切符詐欺に遭いそうになって初めて交通ルールについて考えるようになる。
そういった劇の中で描かれるのと同じように、自分の身近で、何か起こらないと具体的に想像することが出来なくなってきてしまっているのかも知れないと、危機感を感じた。
私は、日頃、新聞を読んだりして、普通よりかは、社会問題や、戦争、紛争、平和とは、民主主義とはといったことに思いを巡らせてきたつもりだが、これからは、よりいっそう気を引き締めて、少しの異変にも気付けるように気を付けていきたいと、思いを新たにした。
この私立シバイベ女学園のシリーズ、次は、なぜ世界各地で戦争、紛争が起きるのか、なぜ戦争、紛争は一旦始まると終わらないのか。
平和とは、憲法とは、民主主義とは、ポピュリズムとは具体的にどういったことか等をテーマにしてみても良いんじゃないかと感じた。
また、LGBTQ+やジェンダー格差、障害者雇用、部落差別、外国人問題、DV、虐待、カスハラ、いじめ等の問題を扱いつつ、シバイベ女学園シリーズならではの笑いも交えて、そういった社会問題をテーマにしてみるのも面白いと感じた。
佐野愛里沙さんを演じる、元HKT48の宮崎想乃さんが、今回登場人物のうち3人がより主役として描かれて見えたが、良い意味で他のその他大勢のクセ強な登場人物たちに混ざると、元HKT48と言うような、1人突出して目立ち、光り輝いているというようなことはなく、自然に溶け込んで見え、悪目立ちはしていなかった。
他の登場人物を演じる人たちも、宮崎さんが元HKT48だということで、特に特別視したり、異様な緊張感は見られず、和気あいあいと楽しげに各々の役を自然に演じていて、観ている側も劇世界に自然と入り込めた。

隕石
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2026/06/11 (木) ~ 2026/06/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/06/12 (金) 19:30
『―隕石―あるいは、主よ人の望みの喜びよ―』は選択の物語です。
何か(それが形あるものでなければなお)を選ぶのはとても勇気のいることで、だからこそ自分とは勇気の結晶でもあって。
今を生きる私たちはいつか辿り着くどこかに向かってたくさんの選択を繰り返しながら、各駅停車の旅を続けていくのですと言うように、CoRichやチラシのあらすじを読んだだけでは、かなり抽象的で、今時なかなか無いほどに、劇の内容が全然入ってこなかったが、それがむしろ、想像の余地を生み、怖いもの見たさも相まって、劇場に観に行った。
1960~70年代のアングラ演劇やATG映画を観に行く観客の心境も、あらすじが大して書かれていないどころか、劇場やテントの近くをたまたま通りかかって、配っているチラシやポスターに惹かれて、その場限りの体験をしたのか何て、思いを巡らせると、心が自然とワクワクドキドキした。
実際劇を観たら、日本の過疎化が極端に突き進んでいたとある地方に、隕石が落ちて、崩壊して、人々は、VRでまるで本当に旅行に行った気分になれたり、仮想空間で友達やご近所さんと話したりと気付くと自宅からほぼ出なくて生活が成り立ってしまい、その関係で、交通機関も殆ど動かなくて良くなり、電車も各駅しか止まらない上、その各駅も毎回本数が徐々に減る関係から、毎日駅の電光掲示板を変えるのが馬鹿らしくなり、スマホで駅に設置されたQRコードを読んで時刻表を確認する形式に変わったという、日本のとある地方の終末SF不条理劇だった。
しかし、この劇が興味深いのは、完全なディストピアでも、ユートピアでも、独裁者が支配したり、AIに管理される社会でもなく、何かハッキリとした脅威がある訳でもなく、かと言って日常系SFほのぼのコメディと言う訳でもなく、劇全体や複数出てくる登場人物たちの会話に一貫性がなく、主人公の中年の女性が、この駅を出ようとするのを全力で止めようとする理由を駅員に聞いても、曖昧で、どこか論点をずらして、答えにならない答えしか帰ってこない。
その他の劇の場面でのお兄さんと弟、その弟の奥さんの会話で、奥さんから、「あたし、離婚しようと思うの」と言う会話に対して、弟が理由を聞いても、大した答えが帰ってこず、会話がお互い一方通行で、噛み合わないというような場面が何度となく繰り返されることからも、この劇の脚本を書いた、劇作家が非常に別役実の不条理劇の作風に多大に影響を受け、リスペクトしているのではないかと感じた。

借金大王
中央大学第二演劇研究会
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2026/06/11 (木) ~ 2026/06/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/06/14 (日) 14:00
中央大学第二演劇研究会の公演を観るのは、実は今回が初めてではなく、複数回観たことがある。
バブルがはじけた日本
雇用が安定せず、社会には大きな格差と不安が生まれた
しかし、そこから成長するものもまたあった
ギャンブルである
国は「ギャンブル推進法」を制定
一発逆転のチャンスは国の支援もあり急速に成長したと言うような内容で、もしも「ギャンブル推進法」が制定されていたらと言う、もしもの世界を、時に尤もらしく描いて、ギャンブルをテーマにした劇だと、社会派的に説教臭くなり過ぎるか、くだらなくなり過ぎるかどちらかの筈なのに、そのどちらかに偏り過ぎることなくバランスが取れていて、感心した。
また、笑いもあって、大いに楽しめた。

The Freak
劇団カルタ
RAFT(東京都)
2026/05/29 (金) ~ 2026/05/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2026/05/30 (土) 19:30
取り壊しを控えた古い借家。そこに住むリョウタのもとへ、ある夜、スズコとその恋人のユウゴがやってくる。リョウタが二人を呼んだ理由は、この部屋に現れる幽霊ノゾミを見てもらうためだった。
実は、10年前の大学時代にもスズコとリョウタと仲間たちは、幽霊ノゾミを成仏させようと奮闘したが、結局その後もリョウタのいる借家に居続け、成仏は失敗に終わって現在に至るというようなところから、リョウタの借家をメイン舞台に、幽霊ノゾミを巡って、ひたすら議論し、時に反発し合いながら、解決策を探りつつ、最後はどこか切なさが残る劇だった。
今まで観た幽霊が出てくる映画や劇ではなかなか考えられない、ホラーでもなく、人情喜劇、ファミリーコメディとも言い切れない、なんとも形容し難い劇作品で、新鮮だった。
笑いもところどころありつつ、幽霊ノゾミが全然恐怖を感じさせない、人間より人間臭いのも相まって、群像青春劇と言った感じが強く、借家を舞台にしている辺り、1960~70年代の安下宿でありそうな仲間たちとの結び付きが非常に強く、泥臭くてウルサイけれど憎めないような関係な感じの登場人物たちだが、借家内部の舞台セットはどこかお洒落で、どう考えても映画やドラマに出てくるようなシェアハウスの内装そっくりで、その感じからむしろ最近流行りの『タテドラ』のような感じもない混ぜになっていて面白かった。
リョウタと幽霊ノゾミが10年も一緒に暮らし、リョウタの悩みも聞いてあげたりする関係なのに、幽霊ノゾミのズボラで何処かふざける性格で、全然呪縛霊感はないが、何処かウザさが言動に表れがちなのもあってか、リョウタの性格が正反対なのもあってか分からないが、お互い自分の気持ちに素直になれていないということが、スズコの発言などによって浮き彫りになっていくのが興味深かった。
劇の途中まで、スズコが幽霊ノゾミに対して素直になれないような素振りを見せたり、急に怒り出したりして、どこか思わせぶりな態度に出るものだから、てっきりこれはGL(Girls Love)展開かと勝手にドキドキしたものだが、そういう意味では無かったと途中から分かり、少し残念だった。幽霊ノゾミが日常の会話に溶け込むように入っている劇で、どこか切ない劇というだけでも良いが、そこにGL要素をさり気なく折り込み、3角関係要素も盛り込むと、話がもっと膨らんでいく可能性があるのではないかと感じた。
今回入った劇場の席数が小劇場の中でもかなり少なく、劇場自体も狭いところで、演劇を観ていると言うより、良い意味で、稽古場公演を観ている感じがして、すぐ側で隣の家の様子を息を殺して覗き見ているような感覚で、作品世界に入り込みやすかった。

声が走る。浪曲が走る。
日本浪曲協会
横浜にぎわい座・芸能ホール(神奈川県)
2026/05/26 (火) ~ 2026/05/26 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/05/26 (火) 13:00
今回横浜にぎわい座と言う演芸場で、『声が走る。浪曲が走る。』と言う女流浪曲師6名、曲師6名による比較的若手の女流浪曲師中心の掛け声コーナーあり、浪曲あり、浪曲の歴史や豆知識について、アメリカのスクールドタバタコメディのようなコント形式で伝えたりと、創意工夫が感じられ、観ていて全然見飽きなかった。
浪曲は今まで、伝統芸能の野外のイベントで複数回観たことはあるものの、屋内の劇場で観たことは無かったので、最初、正直、浪曲師の唸りを静かにじっくり聴くという感じで、一元様お断りな空気もあるんじゃないか、似たような節回しを聴いているうち、退屈で眠くなってくるのではないか等の不安があったが、実際に観聴きしたら、そんなことは一切なく、良いタイミングで、声援を観客が出すこともでき、リラックスして、時に大いに笑いながら楽しめた。
周りの客層は高齢者が多かったが、一元様お断りといった感じはなく、伸び伸びとして、自由な感じで、ノリが良い感じで、温かい気持ちになれた。
浪曲の内容も比較的頭に入ってきやすいものが多く、落語のように伸びやかに難しく考えず、楽しめた。
古典も新作もあったが、飲酒を断った筈の母里太兵衛が福島正則の酒の誘いを断り切れず…というようないつの時代でも頭を悩ます問題等、現代の感覚でも全然共感できる内容のものが多く、物語に入り込みやすかった。
新作の『ルミの場合』では、人生に絶望した若い女性の前に悪魔が現れ、「寿命をいただく代わりにお望みの人生にしたまします」と営業を持ちかけられるが、絶望しているからどう生きたいかなんて分からない。悪魔が去った後、捨てられたギターを持ち帰って弾き始めたところから人生が少しずつ変わっていくという内容で、最近の小劇場演劇やアニメで取り扱いがちな紆余曲折を経ながら主人公が成長していく自分探し作品で、しかも、その新作浪曲の途中の場面で、悪魔の誘いに乗らないと決心したりと、最初自暴自棄になって死にたがっていた主人公の目に見えるような成長ぶりに驚き、最後のほうの場面で、まだやり残した感じもありながら、幸せな感じで終わっていくのに、感動した。
自殺する若者が多発し、精神を病む人も多発し、引き籠もりになって、家を出れなくなる人も多くいる、そんな生き辛い世の中だからこそ、必要な作品だと、強く感じた。
最後の玉川奈々福さんによる浪曲「仙台の鬼夫婦」の実は道楽夫を思えばこそ、鬼となり、厳しく当たる妻のお貞との情愛溢れる感じが、落語「芝浜」と内容は違うけれども、似たような接点を感じ、違うジャンルであっても、似かよる部分ってあるものなんだなぁと感心してしまった。
また、鬼の如く容赦無く恐妻と化すお貞を演じる際の玉川さんの顔芸と怯える駄目夫の表情に大きく変化をつけ、夫婦漫才に匹敵する程、丁々発止のやり取り、ドタバタコメディで大いに笑え、表情を見ているだけで、楽しめた。
それにしても、浪曲師も数多くいるとは思うが、ここまで、落語並みの表情の豊かさとこ気味の良いテンポで話を進める浪曲師はそうそういないのではないかと感じた。
今回の催しを通じて浪曲が、和製ミュージカルと言われる所以が分かった気がした。登場人物たち同士の台詞と謡いとが不自然に聞こえない程自然に連動していて、なる程と思ってしまった。
浪曲自体は、明治から始まった芸能というのも初耳で、良い勉強になった。

ブン/ダン
劇団チャリT企画
新宿シアタートップス(東京都)
2026/05/20 (水) ~ 2026/05/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/05/23 (土) 19:00
劇団チャリT企画の公演を観るの自体は確か、今回の劇含めて3回目だったと思うが、相変わらず日常の会話の中に色濃く、それでいて不自然でない感じで、政治や社会問題が取り上げられ、それでいて真剣に緊張感を孕み続ける展開ではなく、大いに観客を笑わせ、飽きさせず、固唾を飲んで見守ると言うよりかは、肩の力を抜いて気楽に観ながら、劇の最後で深く考えさせられ、すーと寒くなるような作風で有名だ。
ルールもへったくれもあったもんじゃない”力”によって支配されたしっちゃかめっちゃかな世界
「センソーハンタイ!」を叫べば「センハラですよ!」と訴えられ、スパイ防止法が施行され、国旗損壊罪が成立し、憲法改正が次々に実現して、国内の国民の分断も行くところまで行ってしまっているありそうであり得ない近未来SF劇だったが、劇の具体的な舞台となるのはシェアハウス、それもドラマやLGBTQ+の恋愛リアリティーショーに出てくるようなお洒落なカフェのような感じではなく、1960年代や1970年代で言うところの貧乏学生や売れない画家や漫画家、映画監督、演劇人がいた下宿をもう少し清潔感がある感じにしたといったセットち登場人物で、何だか親しみが湧き、近未来が舞台の筈なのに、チャリT企画らしさが全面に出ていて、劇中の会話に出てくる家の外を自警ロボットが彷徨いているのが日常化していたり、国旗が破かれたようにも見えるデザインのTシャツやポスターも国旗損壊罪に当たるかも?と言うような拡大解釈の危険性も会話の中に落とし込んでいて、その日常に潜む不穏さとのバランスの取れた描き方に感心した。
シェアハウス『テラダハウス』内の掲示板は、基本何を貼っても良いことになっていたが、新入居者で普段会社でコンプラ研修等にも関わっているという二階堂さんが、テラダハウスのオーナー寺田さんに、掲示板に貼られていた反戦デモのお知らせのチラシや戦争反対について書かれたビラ等が掲示板の一定数をしめていることを取り上げて、今の時代反戦デモや戦争反対について書かれたビラを見て、不快に思ったり、傷付けられたり、精神病んだりする人がいるというような懸念を伝え、それを受けた寺田さんはシェアハウスのみんなで話し合った上どうするか決めようと言うような話しが劇中出てくる。

魔法少女マジョリティ
劇団はみだしぼっち
シアターシャイン(東京都)
2026/04/23 (木) ~ 2026/05/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2026/04/24 (金) 19:00
魔法少女ものの劇ということで、勝手に何となく、キャッチーで軽くて、あんまり考えずに観られる劇かと思って、観に行ったら、近未来が舞台になっているものの、魔法少女の可愛さ(衣装も含めて)や笑いもありつつ、社会問題や今の日本の現状を肥大化させたような世界が描かれ、身につまされるものがあり、良い意味で思っていた感じと違って、衝撃的だった。
劇の冒頭で、女子アナに扮した役者がフリップネタを披露したが、フリップネタの中に『クレヨンしんちゃん』に出てくるボー君など分かり易く、大いに笑えるネタもあったものの、フリップネタ全体としては正直全然笑えず、周りの観客を何気に見ても白けてしまっていることも多く、この役者白けさせる天才かと、嫌味とかではなく、感心してしまった。むしろ、これからは、その役者自身のなにげに白けさせてしまう才能を自虐ネタにして笑いに変えるという、逆転の発想もありかなと感じた。
劇中、ところどころ、歴代の魔法少女もののアニメや『ハリーポッター』シリーズに出てくるキャラをネタにした笑いや隠れミッキーならぬ、劇中の随所に魔法少女もののアニメや『ハリーポッター』シリーズ等に対するオマージュがなされていて、大いに楽しめた。
また、魔法生物であるぬいぐるみで喋るはちべぇが、明らかに『魔法少女まどか☆マギカ』に出てくる、魔法生物きゅうべぇに寄せている気がして、脚本·演出の渡辺佑美さんの魔法少女愛が色濃く感じられた。
劇中で、魔法少女朝子(演じている役者がどことなく元NMB48に似ている)が魔法だけでは倒せない敵に対して、朝子の魔法生物であるはちべぇの助言で対戦をすることになるが、ベイブレードはまだ良いとして、かき氷の早食い対決は、その無茶振りっぷりが平成アイドルのバラエティ番組の罰ゲームを彷彿とさせて、観ている私たちをハラハラドキドキさせ、最後の対戦のカードゲームは、『小さ過ぎて見えねぇよ』的なことを朝子が楽屋ネタ的、的確なツッコミもあって大いに楽しめた。
ただ、対戦場面で、観客を半ば強制的に役者が適当にその場で選んで、観客に無茶振りをやらせたら、より面白いとも感じた。

イタイ★ホテル
enji
吉祥寺シアター(東京都)
2026/04/16 (木) ~ 2026/04/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/04/16 (木) 19:00
今まで遺体や遺体の遺族に関わる話だとファンタジックな要素が強めか、深刻な話になりがちだが、そういった話ではなくドタバタコメディと言うのが新鮮で真新しかった。

イタイ★ホテル
enji
吉祥寺シアター(東京都)
2026/04/16 (木) ~ 2026/04/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/04/16 (木) 19:00
24時間対応、ご遺族の宿泊も可能なホテル風鈴/通称【遺体ホテル】を舞台にした、遺体の個性豊かでアクが強すぎる遺族たちと新米の女性のホテルコンシェルジュとの交流、遺体の生前恋人だったゲイの男性と同姓同名だが当てられている漢字が違うことから遺体の取り違いのトラブルがあったり、派手な生前葬、役所の職員の東北出身の姉が父親の葬式を東京のホテル風鈴で役所職員の弟に黙って勝手取り行おうとしたり等の勘違い含めたドタバタコメディで大いに笑えつつ、感動的な要素も織り込まれていて、そのバランスが良かった。

賢治の風
劇団演奏舞台
演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)
2026/04/10 (金) ~ 2026/04/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/04/11 (土) 18:00
前に1度、劇団演奏舞台の劇は、現代能演出の能『藤戸』を観たことがあったが、今回の宮沢賢治の詩集の朗読や童話『どんぐりと山猫』を中心とした『賢治の風』の舞台とでは、舞台の構造自体が違っていて興味深かった。
『藤戸』の際には、能舞台を現代化したかのような抽象的なセットで、どこか観ている観客にまで緊迫感と極度の集中力を強いる舞台だったのに対し、今回の『賢治の風』では、宮沢賢治の詩や童話を扱っているせいか、時に耽美さや緊張感、不穏な空気感を与えつつ、電子音楽のような生演奏が付き、照明やスクリーンに映し出される美しい映像が朗読と混じり合うことで不思議な一体感が生まれ、日常と非日常の境目が段々と曖昧になっていく没入感覚に、『藤戸』の時の能舞台を現代に蘇らせた感じとは違った空気感を感じた。
普通宮沢賢治を取り上げるというと、映画やアニメ、漫画、演劇、朗読劇を問わず、普通は童話中心で、そこに多少詩を織り交ぜることが多いと思うが、今回の朗読劇ではそう言った既成概念に囚われず、宮沢賢治の詩集から、私の知っているものから知らないものまで、数多くの詩を、時に情感豊かに、また、深刻に、そして、耽美さ、切なさ、やり切れなさ、不穏さを含んだ感じまで、それぞれの詩で全然空気感を変えていて面白かった。
朗読劇の『どんぐりと山猫』では、一般的に山猫がズボラで田舎者だが、憎めず、人の良いキャラとして描かれがちなのを、今回はどこか不気味で、掴み所がなく、ただ威圧的と言うより、超自然的で逆らったらどんな不幸が待っているか分からない存在として、山猫、そして山猫の腰巾着にも見える御者が時にコミカルさやバカバカしさを備えながらも描かれていて、そのバランスと日常に非日常が当たり前に浸食しているシュールさを兼ね備えた、笑えながらも、どこか残酷性が混じった世界観に引き込まれた。
それと、どんぐりたちのガチャガチャした感じと、山猫に会いに行く少年の妙に純粋無垢な感じのさじ加減が大いに笑え、少ないキャラ1人1人が際立った演出が良かった。
全体として、大人の宮沢賢治という感じがして、こういう視点もあるのかと考えさせられた。

遠津川の両雄
祭文庫
シアター711(東京都)
2026/03/20 (金) ~ 2026/03/22 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/03/22 (日) 17:00
中世大和の奥また奥、吉野の山を行き越えて、人馬通えぬ遠津川(とほつかわ)。
秘境も断崖、田畑無し、天智天武の戦より、千年数えし免租の地。
雲海彼方の霊場を、変えぬ傑物、変える傑物という感じで、CoRichに載っていたあらすじが頭に入ってきづらい内容だったが、実際に観てみたら、勝手に私がイメージしていた怪奇幻想的要素が色濃い時代劇演劇と言う感じか思っていたら、良い意味で違って裏切られた。
信貴維綱(シギコレツナ)と北広時(キタヒロトキ)の2人は幼馴染で、今は遠津川の指導者と信貴(シギ)の妻の礼子(ライシ)と、信貴(シギ)、北(キタ)の幼馴染の慧(ケイ)を中心とした、アクション少なめ、但し、多少の怪奇要素ありの、ドラマ要素強めの、時に笑いあり、緊迫感に満ち溢れた作品で、そのバランスが良かった。
性格も目指す方向性も全然違うものの、幼馴染の信貴(シギ)と北(キタ)の2人が、段段と考え方の違いが決定的になり、遠津川とその近辺の平和を守る為、北(キタ)とそれに結果的に付いて行った者たちとを討つという難しい決断というか、覚悟を決める信貴(シギ)という風なドラマ重視で、変えようのない宿命の要素にも重きを置き、ハラハラドキドキで、最後は誰の得にもならないような終わり方になっていく悲劇的で、痛快とは程遠い、重くのしかかってくるような劇に、考えさせられた。
1時代劇演劇と言うだけに留まらず、世界各国で戦争や紛争が勃発し、日本やアメリカ、欧州でもポピュリズムや排外主義が蔓延りと言った不穏な時代において、今回の劇の中では、信貴(シギ)も北(キタ)もお互いの主義主張を一切捻じ曲げず、遂には最終的に戦わねばいけない状況に追い込まれるまでを丁寧に描いており、意外と国レベルの戦争や紛争等も、こう言った些細な意見の相違等の積み重ねで、取り返しの付かない悲劇に発展することも多々あるのではないかと(最もそうでない場合もあるだろうが)、取り返しの付かない争いに至る過程が丁寧に描かれており、分かり易くて、且つ自分とは全然違う意見の人がいても、完全に突っぱねたり、自分の意見が正しいと押し通すのではなく、話し合いを繰り返し、理解し合おうと努めていくことの大切さを改め思わされた。
また、時代劇演劇だが、従来の時代劇演劇と違って殺陣に重きを置き過ぎていないのが、新鮮だった。

帰ってきた?! 新版:プレイス・リバティ
海ねこ症候群
小劇場 楽園(東京都)
2026/03/05 (木) ~ 2026/03/08 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/03/06 (金) 19:00
今回の劇は、再演ということはCoRichチラシのタイトル的にも分かるようにはなっているが、厳密には新板とはどういった感じか、新板と再演に違いがあるのか、あんまりピンと来なかったが、実際に会場に行くと、パンフレット代わりの無料冊子があり、それの中身を開演前に見たのと、劇が始まってから、出てくる登場人物たちの関係性や舞台セットの女子トイレ、トイレットペーパーなどを観てみて、しっくりきた。
具体的には、無料冊子やチラシに書かれていた主人公のトイレの住人成願寺高校3年清水詩織さん(訳あり)と廃部寸前のオカルト研究部対生徒会と謎の女子高校生(実は学校の7不思議の1つ、トイレの花子さん張本人)の全然接点が無いようで、徐々に関係性が浮かび上がってくる感じが、イラストも相まって分り易かった。
但し、実際に劇の中身を観てみると、登場人物たちの関係性や生徒会長石田亜紀さんと主人公の清水詩織さんとのかつての関係性、調整型で温厚そうに見える生徒会長石田亜紀さんが生徒会長になってから、下駄箱に必ず誹謗中傷が書かれた紙が沢山入っている、こういったタチの悪い悪戯をする真犯人が実は生徒会内で誰よりも生徒会長のどんな相談にも親身になって聴く、誰よりも生徒会長の理解者で真の友達だと豪語していて、生徒会長の石田さんからも信頼されていた女生徒だったりと、劇も終盤に差し掛かると、単なる対立、摩訶不思議でオカルトな要素、そして軽快なコメディというだけではないんだなという、クラスの陰湿な虐めや嫌がらせ、嫉妬など、学校という狭い世界の中での社会問題を次々に浮かび上がらせていく展開が、軽く想像を飛び越えていて、良い意味で衝撃的だった。
初演を私は観ていないので何ともだが、初演では女子高という設定を今回は共学の学校という設定に変え、オカルト研究部なる新たな存在も出すことで、シリアスに行き過ぎて、救いがあまりない内容になるところを緩和して、ワチャワチャと騒がしく、楽しいコミカルな部分と、トイレの花子さんやトイレの神様などの摩訶不思議な存在などが混じり合うことで、とてもバランスの取れた劇になっていたと思う。
普通謎の女子高生(トイレの花子さん)はどこか不気味で、隙きあらばトイレの中に引きずり込もうとしたりするような気がするのに、今回の劇での花子さんは、優しくて、寂しがり屋で、何処か子どものような純真さをもっていて、オカルト研究部の部員たちとも仲良くなったり、孤独感を抱え込み、相手との間に壁を作る主人公の清水詩織さんとも段々と仲良くなったり、その辺の人間より人間味のある幽霊として描かれており、一方で成願寺高校の生徒たちの人間関係のほうが余程複雑で、周りと少しでも違ったことをしたりすると、裏で陰口叩かれ、時に集団無視され、陰湿な虐めだけでなく、嫉妬や恨みの対象にさえなり、今日まで学校の頂点にいても、いつ振り落とされるか分からない、陰謀渦巻く歪んだスクールカーストとの比較が見事だった。
トイレの花子さんを親近感のわく女子高生として描いているのは新鮮だったし、トイレの神様が威光なんて微塵もなくて、庶民的な上に、細かくて、人間臭く描かれているのも共感できた。
意外と、幽霊=怪奇、ホラー的に必ずしも描く必要もなければ、神様=絶対的で威厳を持つという風に描かないといけないという事はない、柔軟性に富んでいても良いんだと立証してくれた作品だった。
ノリ的には、映画『学校の怪談』シリーズと近いと感じた。勿論、そこまでの絶望的な怪奇現象、ホラー要素こそないけれど、上手くいかない人間関係やすれ違い、虐め、嫉妬や恨みなどの要素が物語に影響を与えている部分など、良い意味で共通点が多く見受けられた。コミカルな部分が要所要所で出てきて結構笑えるところも似ていたが、今回の劇のほうがより笑える場面も多くあった。
イメージしていた以上に、軽いだけのエンタメ摩訶不思議芝居ではなく、軽快な笑いも多いし、怪奇現象も時にコミカルに、手作り感満載で描かれるが、学校内で起きている社会問題にも登場人物たちの視点から、具体的に斬り込んでいて、思った以上に考えさせられた。
特に、生徒会長の石田さんが、1番の親友だと思っていた生徒会内の女生徒の個人的な嫉妬が原因で嫌がらせの紙を下駄箱に入れていたことも劇の後半で明らかになり、自分の今までの生徒会長としての言動に自信が持てなくなり、人間不信になってトイレに籠もる場面、皮肉にも今までトイレに籠もっていた清水詩織さんによって心が徐々に開いていくという終わり方に、人生常に勝ち組ということもなくて、どこで脱落するか分からないが、それでも、一旦動けなくなってしまった状態を無理に周りに合わせようと努力する必要はない、ありのまま自分を受け入れなければ、自分自身がまず自分を信じてあげないと、前に進めない。時には立ち止まっても良いんじゃないかと感じさせてくれる劇だった。
答えは、1つじゃないし、選択肢だって1つじゃない。無理に人に合わせる必要はない。人は、十人十色で多様なんだから、色んな生き方があって良いと感じさせてくれた。