鯉之滝登の観てきた!クチコミ一覧

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あたらしいエクスプロージョン

あたらしいエクスプロージョン

CoRich舞台芸術!プロデュース

新宿シアタートップス(東京都)

2025/11/28 (金) ~ 2025/12/02 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/11/30 (日) 18:00

 終戦直後の日本にて、まだカメラもフィルムもままならない時代に、「邦画史上初のキスシーン」を撮ろうと奮闘する映画人たちの姿を描いた、時にドタバタ喜劇な要素あり、人情喜劇な要素も混ざった青春群像劇となっており、それでいて、舞台は敗戦直後なものの、戦争の影響やトラウマが劇中、登場人物たちの台詞を通じて描く描写もあり、それらがバランスよく、1つの劇を構成していて、考えさせられる場面もありつつ、大いに楽しめ、大いに笑えた。
 また、この劇を通して、映画を作ることにかける思いは、勿論、技術や機材の面、また俳優も含めて、今の時代のほうが、闇市もあるような終戦直後の混乱期と比べて苦労しないことは確かかもしれない。
 しかし、良い映画を作ろうという根本はその時代と今とで、そう大きくは変わらないんじゃないかと感じた。
 勿論、これは、日本において、特に当てはまると思う。
 
 終戦直後の混乱期とは言え、闇市の何やら怪しげな食べ物を松竹梅で値段が違うが、実際は、その差は大してないかと思われるものを売っている屋台の肉欲が酷い、何処かギラついていて危ない貞野寛一、パンパン(娼婦)をしているが、客に体は売らず、客を騙して、財布や金目のものを取る悪どい商売をする野田富美子(見た目や格好からは、娼婦と言うよりかは、どう見ても、現在の新宿歌舞伎町にたむろするトー横キッズにしか見えなかったが)の2人を映画俳優として起用するという、映画監督の杵山康茂自身がカメラも何もなく、貧乏で、0から始めなければというところを加味したとしても、中々の前代未聞で、役者の大元をこの日本で遡ると中世の御代に遊女が芸事も始めたところまで遡れると言えば、そうなものの、この近現代において、実際には、終戦直後とは言え、闇市の屋台店主や娼婦を起用することはなかったと思われる。
 しかし、その発想は中々ユニークで面白かった。
 また、パンパン(娼婦)野田富美子を演じる浜崎香帆さんの見た目や格好が、娼婦と言うよりは、トー横キッズにしか見えないのは、寧ろ終戦直後当時と言うより、現代との持続性を感じさせ、妙なリアリティーと過去の人というふうに分けて考えずに、今でも、世間に居場所のない少年少女が騙されて犯罪に加担させられていたり、騙されて性的に搾取されたりといったことがなくなっていない現実をふと考えさせられた。

 この劇に出てくる登場人物はまぁまぁいるが、それを数える程の役者で演じる上、ちゃんとそれぞれの登場人物の置かれた状況や人間関係、登場人物の性格や個性といったものを理解して、演じ分けていて、1つたりとも、同じ人物や似たような性格になっていなくて、それぞれの登場人物たちの話し方や表情にまで、違う雰囲気を出していて、流石はプロの役者だと感心してしまった。

Cordemoria

Cordemoria

縁劇ユニット 流星レトリック

ザ・ポケット(東京都)

2025/11/05 (水) ~ 2025/11/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/11/08 (土) 18:00

 主に48分と45分位の不思議な古書喫茶店が舞台で、そこを訪れるお客の悩みや願いを叶える短編2つと、その2つの短編劇のキーパーソンとなる、2つの短編より短い戦後直ぐの混乱期に古書喫茶店『コルデモリア』を創業した真壁八重子の創業のきっかけとなる話。
 この3つの短編、時代、店長も、主人公となる人たちも違えど、古書喫茶店『コルデモリア』が舞台となっているということでは共通しており、母親と殆ど一緒に過ごしたことがない30代の女性や会社でのミスで上司や同僚から酷い冷遇を受け、そのうちに会社に行けなくなって、引き籠もりになってしまった男性など、昨今の社会問題を物語のなかに組み込んでいるが、その解決方法がどこか少し不思議で、劇中暖かく笑える場面も多くて、肩の力を入れ過ぎずに楽しめながらも、最後には心温まるほっこりとした気持ちにさせ、知らず、知らず、感動させる終わらせかたが、非常に映画化もされた小説『コーヒーが冷めないうちに』と似たような空気感のある作品だと感じ、この戯曲を書いた人は『コーヒーが冷めないうちに』を読んで、相当影響されたんじゃないかと感じ、意外とここまで演劇で『コーヒーが冷めないうちに』と似たような空気感の劇はないと思うので、新鮮だった。

 また、本にだって意思がある、本が人に早く中身を見てもらえないかとソワソワする場面等が3つ目の短編で描かれるが、そういった視点が非常に面白く、興味深かった。
 古書喫茶店コルデモリアを舞台とした短編劇の総まとめとしての3つ目の劇の最後のほうでは戦後直ぐの混乱期が舞台ということもあり、第二次世界大戦中の日本の言論が封殺され、着たいものを着れず、自由に話せず、どんな本でも自由に読めるとは言い難い不自由な世の中からようやっと脱却しようとし、物資には相変わらず不足しながらも、これから戦後日本を踏ん張って行こうという時だからこそ、戦中の反動で人々は知識を欲しているはず、もう2度と戦争なんか真っ平御免だ。だから、本を読んで、知識を吸収して、戦時のようにお上の号令になんの疑いもなくただ従うのでなく、知識をつけることで、簡単に利用されないようにすると言ったようなことを真壁八重子役の人が言い切るのを聞いて、深く考えさせられた。
 そして、どことなく今年が戦後80年だということを考えさせずにはおかなかった。
 最近では、日本でも『日本人ファースト』を声高に叫ぶ政党が躍進したりと排外主義や軍靴の足音がすぐ側まで迫ってきていてもおかしくない状況になってきている。
 だからこそ、無関心を決め込まず、おかしいことをおかしいと言うことができる社会、著作権侵害にならない限り自由に創作できる状況、演劇含む文化が軽んじられない世の中、本を読み、知識を吸収して、簡単に政府や行政に丸め込まれないようにすることが大事だと改めて感じた。

リーディングセッション『蠅取り紙ー山田家の5人兄妹』

リーディングセッション『蠅取り紙ー山田家の5人兄妹』

OVER40S

ザムザ阿佐谷(東京都)

2025/10/18 (土) ~ 2025/10/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/10/18 (土) 18:00

 「お母さん、ハワイから日帰りですか?」
ハワイにいるはずの母が、朝起きたら家にいた。
脛に傷持つ、いいトシした、山田家の5人兄妹が、三途の川を
渡りかけている母を、必死で引き止めようとするという普通に考えたら、かなり心理的に怖い怪談とも言えるあらすじだった。
 しかし、朗読劇の上演を前から、劇場やスタッフの絶妙にアットホームで、どことなく懐かしい感じがしている上、朗読劇が始まると、生演奏や照明の当て方、登場人物たち同士の会話からどことなく不穏さや不気味さ、差し迫った危機意識が感じられず、段々本音がぶつかり合う人間味溢れる展開になっていく感じが大いに笑える場面も多くて、面白かった。
 5人兄妹全員、フリーターで劇団していたり、30代で教員という安定した職業に就いているものの独身だったり、編集の仕事しながら、彼氏と同棲していたり、相手に奥さんいるのに不倫して、奪って略奪婚していたりと、個性豊かで癖強過ぎる現実ではなかなかない深夜ドラマを絵に描いたような5人兄妹のエピソードが印象的過ぎて、脳裏に焼き付いた。
 しかし、そんな兄妹を持ったお母さんだし、若くはない良い大人が実家ぐらしだったりする兄妹もいて、ハワイに行って、病気になって、麻酔で眠る中、生きたまま、魂だけ幽体離脱して日本にいる兄妹たちの元に戻って来る程、子どもたちの将来を心配する気持ち、分からなくはないと感じた。
 しかし、幽体離脱して魂だけ戻ってきたのには、もっと違う兄妹たちに伝えておかなければいけないことがあったと言うような展開に、後半戦で一気になって、それも幽体離脱して魂だけになっているお母さんから、「お父さんにこのハワイに移住するぞって言われた時には、正直、あたしは困惑したわ。また、お父さんに振り回されるのかと思うと、この先までも自分の人生なのに、自由に出来ないのか、お父さんの為にまた我慢しないといけないのかと思うと嫌にもなったわ。でもね、お父さん、会社を定年迎えて退職した後、これまで仕事一筋の人だったから、定年退職後何をしたら良いのか分からなくなって、もぬけの殻のようになっていた時期があったでしょ。だから、あたしは、お父さんがハワイで一緒に暮らそう。おまえにはまた迷惑かけるかもしれん。すまん、でも付き合ってくれないか。あたしは、久しぶりにいつものお父さんらしい、新たな希望を見出して、キラキラと輝いて夢を語るお父さんを見たわ。その時、この人に一生付いていこうと思ったわ。あたしはこのハワイの土地が気に入ったから、でもお前たちの顔も時々は見たいから、東京にマンションを買って、時々日本に来つつ、ハワイにお父さんと移住することに決めたから。だからお前たちは、これからはあたしに頼らないでね。自分のことは自分でしなさいよ」と言うような言葉を言い残して、お母さんの幽体離脱した魂は消えていくというようなあり方に、観ている私たち観客も色々と考えさせられてしまった。

 幽体離脱したお母さんの魂だけ日本の5人兄妹たちがいる実家に戻ってくるというような、普通に考えたら結構怖い怪談要素の強めな話な筈なのに、どこか一昔前のブラウン管のTVから流れる家族ドラマを見ているような、何とも言えない懐かしさと泥臭さ、人間臭さ、綺麗事では済まないけれども、駄目駄目だけれども何処か憎めない感じの5人兄妹、何とも言えない人情味が流れていて、そういった5人兄妹と幽体離脱した魂だけのお母さんとの何とも噛み合わず、時に馬鹿馬鹿しくさえあるそういった家族の少し不気味で不思議さもある家族の話を暖かく描いていて、大いに笑えながらも、気付くと少しじんわりとする劇だった。

 役者も、立ったり、座ったり、出たり入ったりと本当に自由で、台本も途中で落としてしまって、その後拾うも、台本を見ずに台詞を喋っていたりと、従来の朗読劇のイメージと言うか、根本概念を壊していて、良い意味で新鮮だった。

プラライ

プラライ

インプロカンパニーPlatform

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2025/10/23 (木) ~ 2025/10/23 (木)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/10/23 (木) 19:30

 インプロ(即興演劇)の要素の濃い作品や、完全なインプロ公演も私は意外と観てきているが、大抵の場合、始まる前に紙が渡されて、劇中にBoxの中に観客が書いた単語や言葉、台詞の紙が入れられ、役者がその紙を引きながら、例え書かれた言葉や単語、台詞が劇の方向性を逸脱していたとしても、何食わぬ顔で、劇の場面にあった自然な感じで、吹き出したりせずに言わないといけないという役者の演技力やその場の臨機応変な対応力が問われるが、劇全体としては1つの物語や世界観で進んでいくことが多い長編劇を観ることが多かった。
 また、インプロ劇でも、激しい殺陣や全篇終始ミュージカル劇になっているインプロ劇など、同じインプロの即興演劇と1言で言っても、今まで自分が観てきたインプロ劇はかなり捻りを入れてきていることが多かった。
 それに、インプロ劇でも、アイドルや声優を数多く入れていたり、2·5次元演劇のオフオフブロードウェイバージョンの如くに、演劇の役者にしては、普通にイケメン、美女芸能人ランキングとかに入っていてもおかしくないようなヴィジュアルの男女の役者ばかり出ていたりと、同じインプロ劇と言っても、本人の演技力やその場の対応力、アドリブ力は2の次、3の次となってしまっている本末転倒のインプロ劇も昨今では見受けられる。
 そうした中で、今回観たインプロ集団platform(実はそんなに前じゃなくに、platformの定期公演を1度観たことはある)は、良い意味で、土着的で、大衆的、今時ここまで泥臭さ漂って、見た目よりも個性が滲み出て、突発的なアドリブを次から次に飛ばし、思い付きの一発芸も盛り込み、私も含めた観客を終始抱腹絶倒にし、純粋に役者の演技力やその場の対応力が問われ、白けた際やハプニングが起こっても、以下に慌てずその場を持たせるか、台本もない中で、手探りながら良い感じに結末まで持っていけるかといった能力が役者に求められるインプロ定期公演となっており、生半可な気持ちでは成功しない役者の能力頼みの公演だと感じた。
 しかし、プロの役者も去ることながら、途中の戯曲の本読みコーナーでは、舞台の朗読に参加したい人を公演前に神に書いてもらい、その中から抽選で選ばれた一般の観客もプロ顔負けの演技力やアドリブ力、対応力があり、声1つ、表情1つでその人が演じる役のイメージが伝わってくる個性が溢れ出ていて、更には舞台慣れしているのには、驚き、感心してしまった。

 今回のインプロ定期公演は、前に違う劇で観たことがある役者が何人かいたということもあるし、会場の雰囲気が暖かくて、居心地が良いと言うこともあるが、出ている役者全員、どことなく中央線沿線や下北沢界隈の空気感があって、あんまり緊張しなくて良かった。
 例えるなら、今時の鉄骨の高層マンションではなく、古ぼけたアパートに佇んだり、昔ながらの商店街を歩くと、何とも言えずほっこりすると言うか、妙な安心感やじんわりと幸せを噛みしめることがあるが、それと同じような幸福状態だった。
 なかなか、意外と他の劇団の劇で、ここまでリラックスして楽しめることってないので、良かった。
 カプセル兵団の世界の神話や民話を題材にした朗読劇の際にも、何とも言えない幸福感と懐かしさを感じたが、そのカプセル兵団と今回のインプロ集団platform以外では、意外とそのような状態になることができないもので、こうやってリラックスして、身構えずに肩の力を抜いて、観れるインプロ劇というのも良いものだと感じた。

 唐十郎さんの戯曲を上演する唐組や梁山泊のテント芝居に出れるんじゃないかと思えるような役者も、今回のインプロ集団platformのインプロ劇で観かけて、これは、これからの演劇界もまだまだ希望が持てると感じた。

たまたまロミオとサム・ゲタン

たまたまロミオとサム・ゲタン

市民劇場TAMA

多摩市立関戸公民館・ヴィータホール(東京都)

2025/10/18 (土) ~ 2025/10/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/10/19 (日) 16:00

 市民劇場TAMAは、結成から40年以上の市民劇団で、今年で41年目に突入し、少し遅めの40周年企画の公演ということで、劇団員たち自身にとっても特別な公演になる筈。
 また、今回の劇のタイトルも『たまたまロミオとサム·ゲタン』ということで、あらすじも大して書かれていなかったことから、恐らく、シェイクスピアの名作の1つ『ロミオとジュリエット』を大胆にアレンジしたうえ、現代の人でも共感しやすいような作品に換骨奪胎して、オリジナリティも加えた作品だと感じて観に行ったら、実際には違って、良い意味で裏切られた。
 
 劇中で劇団員の高齢化など諸事情により、解散が決まっていた市民劇団の為に戯曲を書き下ろしたが、あいにくのコロナ渦など、諸々のことが重なって上演出来なかった。
 それも未完成の脚本『たまたまロミオとサム·ゲタン』の中身が、『ロミオとジュリエット』を題材としながらも、ジュリエットの婆やが実は時空を超えてやって来た怪盗サム·ゲタンで、このままだと悲劇になってしまう『ロミオとジュリエット』をハッピーエンドになるように物語を改変しに未来から来たというような急転直下でかなりぶっ飛んだ展開になると言うような上演出来なかった幻の台本で、今後も上演は予定していなかった筈だった。
 稽古場兼劇場に市民劇団のかつての仲間たちや、幻の台本を書いた寺方翔子たちが、かつて使った道具や衣装などをフリマアプリに売ったり、処分したりする為の仕分けをする為に集まった筈だったが、市民劇団に入団志望の青年落川京助が何気無く近くに落ちていたスマホに着ていた1通のメールに気付き、そのメールには、今日、その幻の公演が演られることになっていて、更には、その公演の話を聞き付けた阿佐ヶ谷姉妹ならぬ、美容師の永山姉妹が早合点で、拡散しまくった上に、市民劇団は色々公演の為に忙しいだろうからと、勝手に公演のことに関する問合せ先を、永山姉妹のDMでも受け付けるというようなことをやってしまい、今更後に引けなくなった市民劇団は幻の台本の公演を実現するため、悪戦苦闘するというような話だったが、これは三谷幸喜の劇『ショウ·マスト·ゴー·オン』と劇の展開の仕方が似ていると感じた。
 勿論、細かい部分や市民劇団と劇団という部分でも違うし、状況やそもそも『ショウ·マスト·ゴー·オン』はシチュエーションコメディで、一つの場所が舞台となっているうえで、ドタバタ喜劇の要素やアドリブの要素を盛り込んでいると言うところでも違っている。
 但し、厳密な意味で言うと、劇中の幻の公演の台本を上演している場面と、そこでアクシデントが起きて、裏の楽屋のアタフタぶりが描かれて、2つの場所が舞台になっているから、シチュエーションコメディとは呼ばないのかも知れない。
 しかし、広義の意味で言うとシチュエーションコメディと呼べる筈だし、台詞をド忘れしてアタフタする馬鹿馬鹿しさ漂う場面や、ドタバタ喜劇な部分など、三谷幸喜の『ショウ·マスト·ゴー·オン』と共通した部分も多くあると感じられ、勝手に思い描いていたものとは違ったものの、大いに笑え、楽しむことができた。

 今時、ここまで、純粋に笑えて、楽しめる作品は、意外とあまりない気がするので、これからも市民劇団ということに甘んじ過ぎず、型にはまらず、画期的で、斬新で、それでいて面白い作品で、観ている皆んなを笑顔にしていって欲しいと感じた。
 せめて、劇の中ぐらいでは…。

「ニュー御釜怪奇譚」(にゅーおかまかいきたん)

「ニュー御釜怪奇譚」(にゅーおかまかいきたん)

レティクル座

萬劇場(東京都)

2025/10/01 (水) ~ 2025/10/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/10/03 (金) 19:00

 東北地方、宮城・山形両県にまたがる〝蔵王山〟という語り口から始まるあらすじから、比較的真面目で実在する場所、実際にあったことを題材にしたドキュメンタリー風な廃村地域活性化、笑いあり、人情あり、涙ありの村興し喜劇かと思った。
 だがしかし、あらすじを読み進めていくとそうではないことが分かってくる。その頂上に広がる火口湖「御釜」の底から、突如ゾンビが甦った!
 ゾンビたちは山麓の村を襲い始めたが、そこは日本一の限界集落「釜底村」
すでに滅びかけていたところに、パンデミックなど起こるはずがなかった‥‥。
 無害化されたゾンビたちは村おこしに利用され、看護ゾンビ、農作ゾンビ、そば職人ゾンビに姿を変え、次々と村に就職してゆく!
 ――蘇るのは、死者か、村か。
 かつてのように、村に活気は戻るのか‥‥?
 と言ったようにあらすじが続いており、そういう風にあらすじが展開しているところから、村興し話と最初に捉えた部分は間違っていなかったようだが、ゾンビが出てきたり、その余り一般的には良いイメージがないゾンビを、逆転の発想で寧ろ村興しに徹底的に活用しようというような奇想天外な展開になっていく可能性が高いあらすじに、ごっちゃ煮的で、何でもありで、下らなくて、しょうもなくて、御釜とオカマを掛けているんじゃないかと言うような、どうでも良い疑念を抱かせる辺り、前にも横浜市県立青少年センター内の『HIKARI』というところで中編、短編劇の休憩なしの連続上演を観たことがあるレティクル座らしさを感じる劇だと思えた。

ネタバレBOX

 実際に観に行ってみると、「狂わなきゃやってられないでしょ。村おこしなんて」というCoRich舞台芸術!のあらすじの最後の文面として載っていた、この劇のテーマを示唆する部分はしっかりと踏襲していた。
 劇の途中で蕎麦屋の弟子ゾンビと親方とのまるで夫婦漫才のように息があっており、またコミカルで非常に下らない、劇のタイトルに冠せられた御釜とオカマを掛けたかの様な展開の場面が、非常に面白く、BLを茶化して馬鹿馬鹿しい感じが大いに笑えた。
 また、廃村の危機にあって、若者がほぼ0な少子高齢社会が極端に突き進んだ村の地域興しの為に、村でゾンビアイドルも活用する。しかし、そのゾンビアイドルのLIVE中に合併を持ち掛けていた隣の市の市長が、合併を拒絶されたことを根に持ち、昔タンバリンで人を連続殺人して、人々を恐怖に陥れたタンバリン殺人鬼(どこかネーミングセンスとしてふざけ過ぎていて、そんなヤバい殺人鬼にどう見ても見えない見た目だったので、どうにも怖くはならなかった)をとある薬を使って、ゾンビとして蘇らせ、ちょうどTVで中継中で、ゾンビアイドルをLIVE会場で応援しているアイドルオタクの冴えない男性がその凶悪タンバリン殺人鬼ゾンビに襲われたことから、それ以来冴えないオタク青年はゾンビ憎しとなり、暴走し、ゾンビの弟子と一緒に蕎麦屋を経営する親方たちを追い詰めもするが、そこにゾンビアイドルが現れ、決死の覚悟で説得に掛かる。
 しかし、勢い余って手に持っていた電動ノコギリで冴えないオタク青年が大好きなアイドルの腹に切り込んでしまい、電動ノコギリを止めて、大泣きしながら詫び、息も絶え絶えなゾンビアイドルの最後のメッセージを聞くといったような場面が、非常に映画『推しの子』のとある場面と酷似しており、そういった切ない場面に、感慨深くなった。
 劇全体を通して、どうしてもゾンビを活用して村興しなんていう話が主になるもので、終始ふざけており、おまけに河童もいて、半魚人もいて、その半魚人を仕留めることが生き甲斐で、その余りの執着心によってゾンビとして蘇った狩人ゾンビなど、奇想天外でハチャメチャで、何でもありで、良い意味でその辺のB、C級映画並みか、またはそれ以下の低予算映画並みかといった馬鹿馬鹿しくて下らない、しょうもなくも面白い劇だった。
 しかし、そういった劇の中でもう1つ重要な軸となるのが、村長も実質主人公と言っても良いくらい出ており、そもそも群像劇だが、女で一つで育てられ、父親を知らない村上清音が一応主役で、その村を出ていた村上清音が父親探しの為に戻ってきて、村の人に聞いたりして手掛かりを探し、最終的に父親と感動の再開と言うような感涙必須な展開になるはずなのに、実はその父親は半魚人だったということが分かるという展開に、「えっ、何故!?どういうこと」とついていけない展開に、また村上清音のお母さんが父親である半魚人と結ばれた理由や、半魚人が家族でいられなくなった理由、半魚人が人里から消えて村の山に隠れ住むようになった理由がかなり曖昧に、大雑把な説明のみで展開していく感じの劇の適当さ加減と、ナンセンスコメディ加減に大いに笑え、科学研究所の自爆装置をゾンビリーダーこと文化人類学者、実は科学者で事故で幼くして亡くなった娘を生き返らせたい上須賀ワタリ博士の助手ゾンビが押したことで、娘を守るため、半魚人が自己犠牲になるという展開に、なんとなく感動してしまった。

 しかし、タンバリン殺人鬼ゾンビなどによって散々な目に合って、とうとうこれで村の村長も懲りたかと思いきや、劇の終わりで、自分が見ている眼の前を、のそのそと、どこかのどかな田舎の無邪気な子どもの様な女の河童を見かけ、「今度は河童で村興しも良いかも」と言うような発言をして終わっていく辺り、この村長全然反省してないなぁ、また他人任せにしようとしているなぁ、責任感ゼロだなぁと思いながらも、どこか憎みきれない村長の性格も、駄目人間の典型だと感じながらも人間味があり、味があって良かった。
 劇中出てくる女の河童も今時田舎の子どもでも、ここまで素朴で無邪気で、知らない人に対しても全く警戒心ゼロなんてことないだろというくらいに、山道に落ちている中身が開いているリュックサックに入っているキュウリを取り出して、持ち主が戻ってくるかも知れないと言ったことなどまるで頓着せずに、「うま、うま。うま、うまっ」とか言ってキュウリを頬張る様が、その女の河童を演じる女優がどことなく味があって、昭和感が漂い、その女優が演じる女の河童の独特な喋り方が、どこか1960年代の『快獣ブースカ』の「ブースカ語」を思わせるような独特なイントネーションと、現代人のセカセカとして落ち着きのない世の中において、なんとも言えずほっこりさせられるような感じに、日々のストレスや嫌なこと、疲労感が吹き飛び、現実の時間感覚さえ思わず忘れていた。
D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2025/10/01 (水) ~ 2025/10/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/10/05 (日) 13:05

 出ている役者も男女問わず、違う劇団のジャンルもSF、ファンタジー、アドベンチャー、幻想怪奇エログロナンセンス、タイムスリップもの、実験劇など全然違った作品に出ているのを何度か見かけて、特徴的で見覚えのある役者たちが今回の劇に出ており、安心感があり、それでいて他の劇団の劇で観た時と演技パターンが似通っておらず、マンネリ化もしておらず、流石はプロの役者、このような小規模でこじんまりとした比較的分かりやすい喜劇であっても、一切妥協せず演技して、また新たな可能性を引き出せていることに、感激してしまった。

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2025/10/01 (水) ~ 2025/10/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/10/05 (日) 13:05

 劇団A.R.Pの劇を今年の夏に続いて、今回の劇で私の記憶が正しければ、2回目になると思う。
 今回は夏の劇と同じ喫茶店がメイン舞台となっていたが、店長が中年のあんまりイケてるとは言い難いおじさんだったり、細かい点でまず違っており、内容は映画の最終オーディションに選ばれし3人、その3人がこの古びた成田空港近くの喫茶店で一般客に混じって即興エチュードで “最高の結末” を描くこと。
チャンスは一度きり。ところが想定外のハプニングが次々と!
人生と芝居の境界線をにじませる、シチュエーション・コメディの新定番と言うような、前回とは共通した部分も多少あるものの、大きく変わっていて、まぁ、そもそも違う作品で、面白かった。

 前回の劇も喫茶店が主な舞台となっており、前回は、その喫茶店で同窓会を開こうというような内容で、元先生を巡ってかなり重い要素があったり、観ていてただ笑えるだけじゃなく、くだらない部分やドタバタもありつつ、緊迫した場面や、観ている観客がハラハラドキドキさせられるような予測できない展開になるような、最後には思わず感動させられるような劇で、それはそれで良かった。
 しかし今回の劇は、前回と同じくシチュエーションコメディで、ドタバタ喜劇なところや、舞台となる場所こそ共通しているものの、前回の劇以上に非常に馬鹿馬鹿しくて、大いに笑えて、中年のおじさん喫茶店店主を演じるどこか冴えないけど憎めない感じが醸し出されていて、味のあるおじさん役者と、ムギュさ全開で面白くて、味があって印象に残る喫茶店のバイトの店員を演じる童顔で高身長な女優とのコンビネーションも印象にも残って良かった。
 登場人物たち全員が個性豊かで、それらを演じる役者が舞台の隅々まで使っていて、観客の視界から殆ど見えない位置でも、何かしら動いていたり、会話している感じだったりと、前回の劇以上に細かい部分においてまで役者が観客を意識して演じ、アドリブも観客が気付かないような小ネタもさり気なく食い込んだりしていて、観客にあまり見えない位置ですら何かしらしているという役者のプロ意識が凄いと感じた。
 また、前回の劇以上に良い意味で、内容が無いようなシチュエーションコメディで、感動的とは無縁で、おめでたくて、今時の劇にしては珍しいくらいの徹底したハッピーエンドな結末になっていて、今時ここまで完全なハッピーエンドのコメディ劇なかなか世の中の劇で見かけたことが無いので、今の世の中、また世界情勢的にも暗いニュースも多い中で、ここまで何も考えずに、大いに笑えて、普段のストレスさえも吹っ飛ぶ程に、腹を抱えて笑えて、今までで劇を観てきた中でも、劇を観ている時に、自分がここまで何も考えずに、現実の時計の時間さえ忘れる程に大いに笑えて、劇にのめり込むことが出来て良かった。
 

「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」

「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」

江戸糸あやつり人形 結城座

ザムザ阿佐谷(東京都)

2025/09/18 (木) ~ 2025/09/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/09/19 (金) 14:00

 前にチラシを貰ってあらすじを読んだ感じだと、詩的に石川啄木の短い人生を描きながらも、どこか自伝的な、伝統的糸操り人形を使った人形劇で、割と真面目で、新劇的演出方法の堅い人形劇だと思って観に行った。
 そうしたら、実際には良い意味で裏切られた。劇は、歌人·小説家の石川啄木の自伝的小説『雲は天才である』をモチーフとしながらも、結城座を模したような糸操り人形一座が都会の只中で大穴に落ちたところから始まり、その不条理さ、不思議さもさることながら、その大穴で糸操り人形一座の座員の1人が啄木の日記を見つけ、その後、日記の話がメインとなって劇が展開していく。
 しかし、劇の中盤で、日記を読んでいた一座の閉まっていた人形がいつの間にか消えて、日記の中に書かれた石川啄木の本名石川一(はじめ)が小学校の代用教員をして、学校の行事としての課外授業と称して森の中に生徒たちを連れて行くと言うことと、人形が消えたことが森を通して時空が歪み、リンクしていくといった、二重、三重構造の展開が、少し複雑で、急な展開だけれども、面白いと感じた。

 また、劇中の登場人物たちが個性豊かで、特に狂言回しで調子の良い猿やウナギ校長、ススケランプ教頭、バレイショ夫人、探偵独眼竜といった登場人形たちは、見た目も含めて印象に残った。
 思っていたより、乾いた、皮肉の聞いた笑いも多くあり、あんまり硬くならずに、気軽に肩の力を抜いて、大いに笑えて、楽しむことができた。

 今回の人形劇は、石川啄木の小学校代用教員時代の生徒たちとの交流や、ウナギ校長、バレイショ夫人、ススケランプ教頭たちを上手く言葉で言い包めるなどコミカルな場面も多かったが、全体としてはどこか宮沢賢治の『風の又三郎』に通じるような、少し不思議で、叙情的で、詩的、優しくも、劇が終わる頃には狐につままれたような気持ちになるといったような劇で、感慨深くなった。
 最近のスピード社会、流行社会とは真反対などこかのどかで、不思議で、時間の流れもどこかゆっくりとしていて、知らぬ間に現実を忘れているような劇で、これこそ人間のなせる技かもしれない、AIには到底到達しづらい次元ではなかろうかと感じた。

カサブランカ

カサブランカ

株式会社スタイルオフィス

博品館劇場(東京都)

2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00

 劇中何度かリック役の口から「君の瞳に乾杯」等の映画『カサブランカ』に出てきて、今や映画の中を飛び越えて、その台詞があまりにも有名になり過ぎた名言の数々が、あまりにもさり気なく朗読劇の中に丁寧に織り込まれていて、演出家の遊び心を感じて、楽しむことが出来た。
 ただ、カーテンコールで出てきて感想を最後に述べた時の時のリック役の廣瀬智紀さんは、大人の色気があって「君の瞳に乾杯」と言うようなキザな台詞が似合う雰囲気と違って、責任感があって真面目で優しいが、どこか着眼点等が変わっていて、劇中とのギャップが面白かった。

カサブランカ

カサブランカ

株式会社スタイルオフィス

博品館劇場(東京都)

2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00

 かの有名な名作映画『カサブランカ』を朗読劇として演るということで、どんな感じになるものか、想像もできなかったが、実際に観てみて、そんな長時間の劇ではなかったのにも関わらず、そのどこかほろ苦さも感じさせつつ、不穏な戦争の影響も描かれ、愛憎絡み、最後まで誰の言葉を信じて良いのか予測のつかない展開となり、お互いの思惑から、互いに騙し合い、利用し合うといった感じで、物語に深みが与えられ、ただの恋愛物語と言うよりも、終始サスペンスな要素も強かったので、知らぬうちに緊迫した感じに集中させられ、劇に没入していた。

 朗読劇な筈なのに、男女のすれ違い
や主人公のリックの過去と向き合うこと、戦争の影が色濃く忍び寄ってきて、ナチスドイツのシューラッサー少佐のナチスドイツに忠誠を誓い、威圧的な態度で、地元警察等に対して接してきて、中立を謳う酒場を経営するリックも密売人でリックと顔馴染みのギレルモ・ウガーテが自身が経営する酒場で捕まり、そのウガーテが国外に出るためのビザ手続きのために関わった亡命者でレジスタンスのリーダーヴィクター·ラズロがかつてリックと惹かれ合ったイルザの夫だと知った。
 そのことによって、リックは信念と愛との間で激しく揺られ、ある重要な決断をするに至るまでを丁寧に描いて、リックに関わる人たちの様々な思惑が絡みあっていくのがサスペンス仕立てにされていて、とてもドラマチックで、途中でシューラッサー少佐がウガーテに対する尋問場面で、ウガーテ役の台本を取り上げ、自分の台本を見ずに、堂々と台詞を言う場面や、リックの独白場面で、リックが過去の思い出したくないイルザとの別れのことや現在イルザがラズロの妻だということに思い悩むところで、リック役の役者がそれまでの表情一つ変えず、冷淡ささえ見て取れる無表情で淡々とした物腰や表情から一転し、ボロ泣きして、汗を大量に流し、鼻水を大量に垂らし、啜っては激しく動揺しながら、胸の内を吐露する感じが、人間味を感じ、非常に共感できた。
 戦争に運命を引き裂かれ、3角関係に悩まされ、イルザをリックが思う気持ちと、イルザと、その夫でレジスタンスのリーダーのラズロを無事にアメリカに送り届けてあげたい、もう間もなくこのカサブランカも危ないというような思いの間で最後のほうまで決断しきれないリックの歯切れの悪さが人間味があって良かった。
 朗読劇ならではの出てくる人物も最小限にして、色濃い人間ドラマ、場所も主にはリックが経営する酒場、ホテルが舞台となり、観ている側も、登場人物たちの様々な思惑を台詞やちょっとした細かい言動を注視しながら、恋愛要素もありつつもサスペンスふるで予測も付かない展開に、息を呑みながら、集中して観れて、途中余りの緊迫感に身体が身動き取れないほどだった。
 ここまで、笑いがなくて、観客に良い意味で集中力を強いる劇もなかなかないと感じた。
 なので、逆に私は映画の『カサブランカ』は今まで観る機会がなかったが、これを気に観てみたくなった。
 朗読劇との細かい違いなど知れる楽しみもあると感じた。

『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編

『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編

SFIDA ENTERTAINMENT

劇場MOMO(東京都)

2025/08/26 (火) ~ 2025/08/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/08/28 (木) 19:00

 『私立シバイベ女学園 灼熱の課外授業編』のSチームの公演を観た。
 「学力があれば防げた」と事務所判断で私立シバイベ女学園に入学させられた生徒ばかりが集まる、非常識で、筋金入りの馬鹿すぎてこのままでは世に出せないレベルの年齢的には社会人で、普段の仕事は、アイドルグループのリーダー、モデル、グラビアアイドル、下北沢の劇団員、深夜アニメの声優、お笑い芸人、シンガーソングライター、ライバー等々で、その殆どが兼業でアルバイトもしていると、芸能人だが、個性豊かで癖強だが、人間味があって親しみやすい設定の芸能人が多く出てきて、全員社会に出れないレベルの馬鹿というような極端で、突飛すぎるコメディなのにも関わらず、妙に現実味もあって、大いに笑えつつ、その独特な世界観に引き込まれた。

 途中袋に入ったボールが渡され、授業参観に来た芸能関係者という設定で、私たち観客も、国語の授業で感じの読み間違いなど、ミスが多かったら、当たっても痛くない小さなよくアイドルが投げるメッセージボールぐらいより大きめだが、メッセージボールと同じ軽さ、柔らかさのあるボールを投げて良いというような趣旨の説明を副校長やS組担任から受けて、国語の場面で生徒役にミスがあるとボールを投げてみた。(もちろん生徒役本人にできるだけ当たらないように配慮して、生徒役の立っている位置より奥か、手前にボール落ちるように意識して投げた)
 しかし、このように観客も自然と巻き込んでいくスタイルは、意外と面白いと感じた。劇は中断せずに、劇の一通りの流れの中でさり気なく、ボールの説明をする辺りも、現実に一瞬でも観客を引き戻さずに、劇に集中しながらも参加させていて、しかもやることがボール投げとよく小中学校の運動会である玉入れが思い起こされ、単純だけれども、童心に帰ったようで、純粋に楽しかった。
 但し、例えばS組担任息吹楓役の邑上優希子さん(本当はS組担任役は大西彰子さんだったが、恐らく体調不良で出れなくなった為)、または副校長秋元康子役の板垣まゆさん等が、国語の授業の原稿を読む場面で、観客の中から適当に選んで、その選んだ人を舞台に上げて、生徒役に読ませていたものより遥かに難しく、普段使わない漢字や、聞いたこともない言葉が羅列してある原稿を読ませて、恥をかかせる、そんな企画があっても、個人的には面白かったと思う。

 完全に実在する実際の姉妹ではない叶姉妹というユニットの芸能人にあやかって、この劇には非常勤講師の保健室の先生役として、毎回guestで4姉妹という設定で、入れ代わり、立ち代わりグラビア、モデル、アイドル、役者などを読んでおり、実際と同じく叶(かのう)という苗字な上、名前にguestの本名が組み込まれており、妙な生々しさが相まって、フィクメンタリーな要素が絡んでいて、面白かった。
 副校長の秋元康子も実在するアイドルプロデューサーの秋元康さんに子を付け加え、ほぼ名前を寄せてきている辺りとかも、妙な現実味があって楽しめた。(隠れミッキーならぬ、役の名前や苗字、経歴などの中に実在する宝塚や劇団四季へのオマージュがパンフレットを買って、見返してみると、そういう楽しみ方も出来て楽しい。まぁ、劇を見ているときに気付いた、実在する芸能人の名前が役名に入り込んでいることに気付けることもあったが)

 芸能人だと特に最近取り沙汰されがちな、セクハラやハニートラップといったことへの対処法を生徒役やguestの非常勤講師叶智絵子役の小林智絵子さんも参加してのショート劇で実演したりする場面もあるが、極端化してブラックコメディにしていて、緊張感あるシリアスな感じに描いていなかったので、気軽に見れた。
 しかし、後から、深く考えさせられた。そもそも個人的には、セクハラやハニートラップ等に被害者側が対処しなければいけないということではなく、そういうことが起こらないように、芸能界、TV、映画業界等が真剣に取り組む事こそ大事なのではないかと感じた。
 だが、セクハラ、ハニートラップこういったことが芸能界、TV等ではよく起こること、その他芸能人による不祥事や不正、脱税そういった闇の部分にもさり気なく劇中のショート劇といった形をとって描かれ、または劇中の生徒役同士の会話から浮かび上がらせたりすることで、そういった事に普段から目を通している観客じゃなくても、芸能人や芸能界、TV業界の陽の側面だけではない闇の部分や裏事情について知って、関心を持つ初心者向けと考えると、良いとも思えた。

 今回の劇は、アイドルグループのリーダーが主役だが、恐らく2024年で、劇場MoMoで観た公演だったと思うが、それもアイドルグループのメンバーが主役(リーダーではないが)の少し不思議だがシリアスでサスペンス要素の強い群像劇だったが、その劇では、ストーカー被害にあってグループに復帰できないメンバーの葛藤や不信感、被害者に寄り添いつつ、社会問題として取り扱いながら、ハッキリと加害者が誰であるかを名前や刺して怪我を負わせる動機などが描かれない。そういったシリアスでサスペンスな展開が続き、主人公が追い詰められていきながらも、最後は多少幸せと思われるような描き方をしており、途中詩的な表現や少し不思議な表現も多々ある静かだが実験的要素もある劇だった。
 同じアイドルが主人公で、芸能界や芸能人の闇の要素を扱いつつも、今回見た劇はブラックな要素もあるかも知れないが、根本的に大いに笑い飛ばせる明るいコメディだったので、こんなにも同じようなものを扱っても、こうも違う感じになるのかと、驚いてしまった。

Go West!

Go West!

劇団芝居屋樂屋

たましんRISURUホール(立川市市民会館)(東京都)

2025/08/28 (木) ~ 2025/08/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/29 (金) 18:00

 予定より7分程遅れて開演したが、開演時間が押したことが気にならない程、濃密で、大いに馬鹿らしくて笑える場面もあったが、深く考えさせられる作品だった。

 今回の劇は正直、子どもも沢山出ており、演技経験のそんなになさそうな人も出ている市民劇といった感じが否めなかったので、そんなに期待していなかった。
 しかし、実際に観てみると(まぁ、出演者の子どもによっては、明らかに歌う場面で、音階がズレていたり、台詞がたどたどしくて、苦笑レベルの子もいなくはなかったが)、思っていたよりも、完成度も高いし、プロの役者とそうでない人や、子どもの明確な線引きが出来ない程、演技も自然に見え、歌も上手くて、眼を見張るものがあった。

 今回の劇は、西部劇のミュージカルだが、その組み合わせだけでもかなり詰め込んでいると感じるのに、今年戦後80年ということもあってか、西部劇なのだけれど、人を殺さず、敵を作らず、西部劇ではお決まりのならず者、お尋ね者、ギャング的なものは出て来ない。
 最初敵役として出てくるならず者たちも、そうなってしまった背景が語られたり、主役たちの側の言い分、ならず者側が悪いことを続ける言い分が語られ、どっちの言い分が絶対に正しいとかではなく、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、心を開いて話し合えば銃などで撃ち合わなくて済む。
 もっと平和的に大きなトラブル、戦争、紛争であっても解決できるといったテーマが盛り込まれていて、ただの古典的なアクション西部劇ではなくて、面白かった。
 互いに憎しみあい、怒り、お互いの正義や守るべき者の為、大義名分があれば、銃を取って人を殺すことだって正当化される。
 そういったことが肥大化していくと、かつて西洋の植民地政策や、それに習った日本が現在の韓国や中国、台湾、南アジアを一時期支配し、言語の強制等といったこと、ジハード(聖戦)の名のもとに戦争や紛争が正当化され、安全保障の名のもとに核保持が正当化され、原発が正当化されるといったことに繋がっていく。
 そういう風になっていかない為にも、相手のことを考える想像力を働かせ、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、お互いに心を開いて話し合い、偏見や相手を下に見るのを辞め、まずは相手のことを理解するため、主義主張やその背景になっていることを丁寧に聞き、忍耐強く、何かと言うとすぐ武力に走らず、平和維持のため、争いや諍いよりも相手と対話し続けることが人類が平和でいられることなんだという平和でいる為の理念としては素晴らしいと感じた。
 但し、西部劇の時代は、荒くれ者、ならず者が街をうろつき、ゴロツキ共も相当いて、更に野生肉食動物もその辺をうろつき、ギャングもいてといった状況の中で、劇中の保安官補佐の青年のように簡単に銃は捨てられない時代だったと感じた。それに街の人たちも自分の身は自分で守らないといけない危険と隣り合わせの時代が西部劇の世界だと感じた。
 以上のようなことを踏まえると、簡単に西部劇の舞台となっている時代に、銃を捨て、武器を捨て、相手を互いに理解しようと努め、話し合うことで解決できるというのは、現実的に考えると余りに夢物語だと感じた。
 
 ただ、この劇はあくまでフィクションなので、今の時代にあって、この世知辛い世の中で、緊迫した世界情勢の中、不安定な世の中の中では、せめてフィクションの中ぐらいは幾ら理想的過ぎたとしても、そういう理想を夢見ていても良いと思うし、更にそれが現実のウクライナ侵攻の問題やイスラエルとパレスチナとの問題に関しても、いつの日か平和的な話し合いによる解決が実現すれば良いと思う。
 それに、核抑止ではなく、核廃絶の声が今よりもっと世界に広まってもらいたいし、原発回帰が正当化されるのではなく、将来的には再生可能エネルギーに移行していってもらいたい。
 その為にも、今回の劇のテーマである自分の意見を持つ、一生懸命考える、思考停止しない、安易に多数意見に同調しない、人類の可能性を諦めない、お互いを認め合い、尊重し合う、武力、暴力は事態を悪化させるだけ、根気強く話し合うことこそが平和への道といったことを心に刻み、考え続けることが大事だと思った。

えがお、かして!

えがお、かして!

四喜坊劇集※台湾の劇団です!日本で公演します※

小劇場B1(東京都)

2025/08/14 (木) ~ 2025/08/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/08/16 (土) 15:00

 今回の台湾の劇団による『えがお、かして』という公演は、生まれつき顔面神経麻痺により、口をすぼめたり、笑ったり泣いたり、怒ったりといった感情を面に表すことが出来ない「モービウス症候群」(PCで調べてみたら、実際にはモービウス症候群というような病名は見つからなかった。しかし、モービウス症候群と同じような症状のメビウス症候群というものが見つかったので、現実に顔面神経麻痺といったものがあることは事実で、それへの正確な対処方法が見つかっていないことも事実なんだと考えると、感慨深くなってしまった)の王曉天(ワン·シャオティエン)とその家族、交通事故で父親の王克強(ワン·クァチャン)の実際の肉体は病院で生死の間を彷徨っていた。
 だが、どうしても王曉天(ワン·シャオティエン)や家族のこれからが心配で、気にかかっている父親の王克強(ワン·クァチャン)の思いが強すぎて、自分の分身である謎の少女を生み出してしまい、王曉天(ワン·シャオティエン)にしか見えないその少女との不思議な交流を主軸とした、学校の教師や生徒、近隣住民のモービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)に対する無理解や差別、侮蔑、支え合わなきゃいけない家族内での意見のすれ違い、不和といった深刻な社会問題を内包したシリアスになりがちな劇を、ミュージカル劇として上演されていて、時に緊迫して観ながら、モービウス症候群や障害のある子どもを育てる大変さを真剣に考えつつ、肩の力を抜いて観れて良かった。
 またこれだけ深刻なテーマ(モービウス症候群を持った王曉天(ワン·シャオティエン)、障害を持った子どもに対する世間の無理解、差別や侮蔑、家族の不和や少しでも普通の人と同じになってほしい姉との確執)などをそのままリアルに描いて、心理描写や人間関係に重点を置いて描くと全然救いがなくなるが(王曉天(ワン·シャオティエン)が追い詰められて、自殺しようとする場面が劇中に出てきたり、父親の王克強(ワン·クァチャン)が現実としては交通事故で病院のベットで生死を彷徨っていたりしていることからも)、輪廻転生の要素や転生オークション会場責任者の地縛霊を劇中に出したり、王曉天(ワン·シャオティエン)に対する想いや家族への未練が強すぎて、父親の王克強(ワン·クァチャン)が分身の少女が生み出されたりといったどこかミステリアスで、ファンタジックな要素を混ぜ込むことで、少し救われた気がした。
 それに、王曉天(ワン·シャオティエン)の母親が家族の前では、気丈に振る舞い、学校の先生や保護者に対しても息子を守ろうと強気で振る舞ってきたが、一人になるとこれで良かったのか(息子のために会社も辞めたことが本当に正解だったのか)と、自問自答する場面が描かれたりと、王曉天(ワン·シャオティエン)の姉も本人の前では時に辛く当たることもあるが、実は弟のことを愛しており、モービウス症候群という障害を持つ弟を理解しようと陰ながら努力し、弟が思い悩みながらも頑張ろうとする姿を陰ながら応援していたりと、この劇に出てくる登場人物たちは1枚岩ではない人物が数多く登場し、物語自体も複雑に絡んでおり、そこがミステリアスでファンタジックな要素もありつつ、何よりも現実の人間関係や1筋縄ではいかない社会を表していると感じ、他人事とは思えなかった。
 
 自分も愛の手帳(障害福祉手帳)を保持しているし、癲癇持ちで(これも劇中のモービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)とほぼ共通で完全に治すことはできない。ただし、癲癇の場合は、無理をしないことと、薬を飲むことである程度癲癇発作を抑えることはできるが)、モービウス症候群の王曉天(ワン·シャオティエン)と全く同じ条件かは分からないが、どこかシンパシーを感じた。
 ただし、自分は愛の手帳(障害福祉手帳)を普段使いして長いもので、もはや他人に自分がどう見られているかといったことをそんなに気にしなくなって久しいので(寧ろ、その手帳のお陰で、得することのほうが多いのもあって)、愛の手帳を使うことで、ジロジロ赤の他人に見られる、差別される、侮蔑されるかも知れないと極端に怖がり、不安になる王曉天(ワン·シャオティエン)の繊細な心情は、人によって違う気はした。

 劇中に登場する転生オークションや生まれ変われるのは人のみというような転生条件が一般的な輪廻転生の価値観と似ているようで違っていて、その違いやどこかキリスト教を思わせるような転生を待つ待機場所では、天使のような格好で1回人生が終わった人たちが転生を待っていたりと色々混合していたりしていて、観ていてユニークで飽きなかった。

 自分は今まで、モービウス症候群(PC検索では、メビウス症候群)という顔面神経麻痺の障害のある治らない病気について、全く知らなかったので、これを機会に知れて良かった。
 自分も癲癇の持病を持っていたので、モービウス症候群について、普通の人よりも、より身近な感覚として、その症状を持った人の心情や思い悩んでいることについて理解することができたと思う。

 アフタートークも有意義で、本多劇場グループ運営の本田さんを間近に見れて、出演者とのトークも観れて、貴重だった。
 

六道追分(ろくどうおいわけ)~第八期~

六道追分(ろくどうおいわけ)~第八期~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/07/24 (木) ~ 2025/08/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/07/31 (木) 19:00

 片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」第33回ロングラン本公演『六道追分』第八期の剣チームによる公演ということで、長く続いてきたロングラン公演も、この八期をもって本当の意味で締め括りということで、それに私が1~4期まで観た後、長らく観てなかったが、この集大成を観れたということで、色々と感慨深いものがあった。
 そうはいっても、物語の内容や核となる部分、悲劇的な終わり方は変わっていなかったが。

 今回遣り手役が、金にがめつく守銭奴的で少し維持悪くて、狡賢い感じに演じられていて、それでいてそんなに威圧感や恐怖で支配するといった冷たさやサディスティックな感じ、人間味に欠けた感じには演じられていなくて、どこか小悪党感が否めない風に演じられていていたので、最初第二期で遣り手を演じられた薮田美由紀さんが今回も同じ役で続投されたのかと思っていたが、今回の第八期のパンフレットを後で見たら、遣り手役を演じられていたのは高橋綾さんという全然違う役者だったことに気付き、全然違う役者なのに、ここまで演技パターンが似通ってシンクロすることってあるものなのかと、只々、驚き、唖然としてしまった。

 今回W主役の盗賊の頭領の鬼アザミ清吉役の江田剛さんと花魁お菊役の百合香さんは、良い意味でズラ感、どこかコスプレ感が否めなかった。
 勿論他の遊女七越役の猪谷茉由さん、花里役の加藤瞳さん、松山役の乙坂みどりさんにしても、上に同じで、ズラを被ってる感じやコスプレ感が否めなかった。
 そういう側面もあってか、鬼アザミ清吉役の江田剛さんとお菊役の百合香さんの茶屋での言い争いの場面で、緊張感が高まって手に汗握るというよりかは、どこか間が抜けていて、普通に笑える感じになっていて、これはこれで良いなと感じた。
 
 自分が今まで観てきたロングラン公演一、小ネタやくだらないドタバタ、アドリブが微に入り細に入りあって、全然飽きず、疲れず、観ていて常に大いに笑えて、面白かった。
 特に同心の章衛門役の水野淳之さんと共蔵役の桜木ユウさんの掛け合いの場面において、共蔵役の桜木ユウさんの顔が長いことをいじったり、同じく共蔵役の3枚目な顔の桜木ユウさんが決めた決め顔が2期目のトランプ政権と不和になったと取りざたされているイーロン·マスクに少し似ていることや、今はトランプとイーロン·マスクの関係ぶっちゃけどうなのといったかなり突っ込んだいじりもしていて、大いに笑えた。
 九次役の昇希さんは見た目はイケメンとは程遠いどころか、どちらかというとブサメンだったが、鬼アザミ一味のきゅう(感じが出てこないので、すみませんがひらがなで書かせてもらいます)次郎を崖付近で追い詰める場面での、本格的な殺陣や手に汗握る感じの切迫感を醸し出していて、さらにキレがあって動きが素早い感じといい、見た感じより、実際にかなり俊敏な感じも見て取れて、人はやはり見た目によらないものだと見直した。
 激しく素早い動きや、役人的な目的の為なら手段を選ばない怜悧で横柄、慇懃な態度な感じに演じられていて、今まで九次を演じられていてきた役者の中でも多少の妥協さえしない感じ、優しさや隙がない感じが、九次の性格や行動とフィットした感じになっていて、印象に残った。

 禿のお琴役のあいねさんは、今年の11月で17で、今はまだ16歳と実際の少女が演じられていていたということで、今までこの役を演じてきた人たちの中で、かなりリアリティを感じさせる自然で初々しく、素直で純真な感じで演じられていて、良い意味で、演技されているというより、自然体な感じに心動かされた。
 
 尼さんの念念役の種村昌子さんは、良い意味で普通に真面目で融通が効かなくて、どこか浮世離れしていて、どこか達観して、落ち着き払ったお坊さんな感じが自然と醸し出されていて、僧服も含めて、似合っていて、役と完全にフィットしていた。
 どこかとぼけた感じで、弟子の珍念役の谷口敏也さんの繰り広げるアドリブや小ネタにも、時々戸惑いながらもちゃんと即応して返していて、凄いと思った。
 ただし、珍念を演じる谷口敏也さんに拮抗できたかというと、どこか谷口さんの存在感があり過ぎたのもあるとは思うが、念念を演じる種村さんが存在感が薄く見えた。
 谷口敏也さんは、珍念だけでなく、磯七、亡八も演じているが、磯七の際はコミカルで優しい感じ、亡八の際は遊女を折檻したり、殴る蹴ると容赦がなく、少しも共感が得られないクズ男として演じていたりと、演じる役によって器用に表情や言動、行動、声の大きさや雰囲気を変えていて、役者でここまでしっかりと細かい部分に至るまで演じ分けることができる役者がいるものなのかと感心してしまった。

あの夏の夜の夢

あの夏の夜の夢

演劇ユニットキングスメン

LIVE HOUSE 曼荼羅(東京都)

2025/07/18 (金) ~ 2025/07/19 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/07/18 (金) 19:00

 前回観た座·高円寺の『マクベス』では、マクベスが悪の権化と化して、最終的に野望欲望が肥大化していった結果、全てを失い、身の破滅に繋がるピカレスク悲喜劇だが、それを野性味溢れ、残酷で、エログロな場面も露骨に導入しながらも、最後の最後までマクベスが良心や理性との葛藤で揺れ続ける、1人の等身大の人間として描かれる。
 周りの持ち上げや、唆し、畏怖によって、マクベスが独善的で独裁的な怪物と化していくといった風に描かれ、むしろ哀れにさえ思えた。
 しかし、世の独裁者はこうやって形作られていくのかと思うと、背筋が凍り付き、襟が正される思いがした。

 その『マクベス』に引き続き、今回は同じくシェイクピアの『真夏の夜の夢』を曼荼羅という吉祥寺の老舗ライブハウスで、それもバンド演奏付きということで期待しかなかった。
 今回は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を、シェイクスピアの台詞の良さや世界観は残しつつ、ジェンダー問題の観点から『夏の夜の夢』を捉えるということで、現代的な価値観をいかにこの劇にアレンジとして活かしつつ、どう本編と融合して、違和感なく観れるのかということに、興味が湧いた。

 実際に観てみると、アテネの公爵のシーシュースが結婚前に公爵の婚約者ヒポリタを力で従わせていることがよく分かる演出として、血だらけのドレスに黄色の鎖をヒポリタの首にかけ、鎖の先をシーシュースが持ち、時々鎖を引っ張りながら会話するという、明らかに対等とは言い難い、シーシュースに隷属する婚約者という構図が、DV夫とその妻の関係性を如実に連想させる。
 そのシーシュースとヒポリタの関係性は、家父長制、現代日本においても完全に消えたとは言い難い男尊女卑観を視覚的にも体現しており、鬼気迫る迫力、強烈な印象を与えられるとともに、深く考えさせられてしまった。
 忠臣イージアスの、イージアスの娘ハーミアの意志とは関係なく、ディミートリアスと結婚させようとする独善的で父権的、家父長的、封建的価値観に支配された行動、森で身体関係をハーミアに拒まれ、不気味で謎めいていて、神秘的で不穏な感じに描かれる妖精王オーベロンの臣下妖精パックの惚れ薬によって、ライサンダーがヘレナに目を向ける。
 ディミートリアスは、元々はヘレナと仲が良かった筈だが、今は心変わりして、ハーミアを追いかけ回すという勝手過ぎて、やりたい放題の男たち、それに翻弄され、尊厳も何もかもズタズタにされる女たちという構図を普段の『夏の夜の夢』よりも露骨に強調していて、ジェンダー問題について考えさせられた。

 妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの妖精の女王タイテーニアと上手くいかないとなると、急に柄にもなく大声で手足をジタバタさせて、まるで赤ん坊か3歳児のように泣き喚く場面などは、ギャップ萌えで大いに笑えた。
 妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの両乳首が見えて、ガタイが良くて引き締まって、筋肉質な身体には、男の色気を感じてしまった。
 妖精王オーベロンを演じる平澤智之さんの身体にフィットし過ぎて下半身の大事な部分が露骨に強調されている海パンに上半身裸に白い布を引っ掛けただけ、頭にもお粗末な冠のようなものを被っているという出で立ちも妙な生々しさと渾然一体となった不健康な色気が漂っており、しかしその露骨な感じが寧ろ笑えてしまった。
 妖精の女王タイテーニア役の高村絵里さんも黒のブラジャーに黒のパンツ、腰布を巻いただけといった出で立ちで、そのあまりのもろ出し感と、艶感に驚いてしまった。
 まだ役者が河原乞食と呼ばれていた頃の荒々しく、過激で、エロティックで、残酷で観客に媚びてなかった頃の原初の演劇を思い出さずにいられず、今演じられるどんなシェイクスピア劇よりも、シェイクスピアの根幹となる部分や匂い立ち上ってくるような、舞台と客席の距離がなかった頃の大衆性が今ここに現出したかのような舞台に、演劇ユニットキングスメンに可能性を感じた。

 妖精パックが暗くて不気味で、闇感があって、神秘的で不穏な、声の出し方1つとってもこの世のものとは思えない感じに高村絵里さんが演じられていて、妖精パックっというと、大抵は軽くて、イタズラ好きで、でも何処か憎めない道化的に描かれることが多かっただけに、良い意味で、新鮮で衝撃を受けた。
 しかし、よくよく考えてみれば、妖精パックは妖精なのだし、人ならざるもので、人智を超えた能力を有しているとしたら、そんな人好きのするような感じではなく描くのが、リアルみを感じるのだと思えた。

 アテネの庶民や妖精たちの役をバンドFURUCHANSが演じるという、役者だけでなくバンドメンバーまでもが劇に参加するというところが、ライブハウスという特殊性も相まってか、全然違和感なく、寧ろ自然に見れた。
 
 妖精王オーベロンの妖精の女王タイテーニアと関係性が上手く行かないことで癇癪を起こし、タイテーニアとアテネの庶民で妖精パックの魔法でロバの顔にされたボトムとを惚れ薬で無理矢理くっつけようとしたりと強引で、勝手過ぎるが最後は、惚れ薬の効き目を解き、オーベロンを疑う妖精の女王タイテーニアと仲直りして、人間界では、ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミートリアスといった感じで、お互い本当に好き者同士で結ばれ、シーシュースとヒポリタの関係性も逆転して、今度はヒポリタがシーシュースの首に鎖をかけ、鎖の先を自分が持って時々引っ張るといった感じに、主従の立場が逆転し、忠臣で封建的、家父長的で偉そうで傲慢だったハーミアの父親のイージアスもヒポリタに鎖を首にかけられ、大人しく従うといった感じに、大袈裟で視覚的も、見ていて大いに楽しめて、みんな幸せになって心底安心した。
 だが、これで本当に良かったのだろうか、少なくとも一時的にだとしても妖精王オーベロンの妖精の女王タイテーニアが別れ話を切り出してきたことに逆ギレして、タイテーニアと人間で、妖精パックのイタズラでロバのあたまにされたボトムとくっつかせ、後で、あれは夏の夜の夢だったんだと弁明するこのエピソード1つ取っても感化できない女性軽視、女性蔑視、女性をただの物として扱っているように思えて許せず、他の登場人物の男性たちも同様で、現実としてはまだまだジェンダー問題が解決したとは言えない日本において、この劇や、この劇に出てくる登場人物たちの言動行動を通して、深く考えさせられた。
 自分もあんまり考えずに普段、大なり小なり女性に不快な思いをさせていないか、良かれと思って言ったことでも、相手を深く傷付けていないか、改めて自分を振り返る良い機会になった。

花がこがれる

花がこがれる

アユカプロジェクト

シアター風姿花伝(東京都)

2025/07/03 (木) ~ 2025/07/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/07/06 (日) 12:00

 花屋を目指してきた(実際には、病院のベットで重病で生死の間を彷徨っている)少女は、花屋があった筈のところで花の魔女が運営するスナックのような魔女の店に迷い込む。
 そして、魔女の店のアクが強くて個性豊かで、騒がしい常連客たち、魔女の店を切り盛りする何処か謎めいていて、でも底抜けに明るく、その場を癒し、人々の心を照らし、良い気持ちにさせるが、人懐っこいが、掴みどころのない花の魔女、また花の魔女と真逆で一見冷たく、ミステリアスで、星占いが得意で、厳格な現実主義者で、冗談が通じなくて、ニヒルで、取っ付きにくく、人と群れることを嫌い、気難しいが、本当は良い人な星の魔女たちとの少し不思議な交流を通して、少女のアイリスが少しずつ成長していくといった風に劇が途中までは進んでいた。
 なのでこれは、小説で映画化もされた『コーヒーが冷めないうちに』と似たような構造だなぁと感じた。
 常連客たちが頼むお酒や紅茶に花の汁を垂らすと、それが不思議な効果を生むという構造も、『コーヒーが冷めないうちに』における少し不思議な体験ができるコーヒーといったところが、偶然にも良い意味で似通っていた。
 更に、それに加えて、舞台所狭しと飾られた花々や微かに香るお香の匂いが劇世界に彩りを添えて、華やかで優雅な雰囲気で、『コーヒーが冷めないうちに』をより、洗練させた大人な感じで、少し不思議な最高級な世界観が出来上がっているように感じた。

 しかし劇の中盤から後半にかけて、花の魔女の店に来る常連客たちが既に生きている人間でなく、それも立派に生を全うしたというより、石膏になるのが夢だったが、馬に轢かれて事故死した男や、プリマドンナだったが、才能を周りに妬まれ、嫉まれ、追い詰められて自殺したセーラ、魔女の店に来ると南のほうに旅行に行ってきた話を周りにいる客たちに嬉々として話していたアビーも、生きていた時は北の国で夫のDVと寒さに耐えながら、精神的にも肉体的にも追い込まれて、病死して、魔女の店に彷徨っているといったような境遇の、実に凄惨で、救い難い幽霊たちが、現世と夢の境界線である魔女の家に留まっているというような実態が浮かび上がってくる。
 更に、魔女狩り、異端審問といった不吉で不穏な中世の時代に実際に行われていたことが、花の魔女や星の魔女も例外ではなく、巻き込まれていく、暗雲立ち込め、シリアスな展開に驚愕してしまった。
 但し、最後のほうで生死を彷徨っていたアイリスが時空を超え、夢と現実の狭間にある魔女の店から、皆に迷惑をかけまいとして、自ら出て行った花の魔女カガミを助けに行き、現実ではアイリスが重病から立ち直ることができるという奇跡なような展開に、途中まで救いようが無い終わり方になるのではないかという絶体絶命で、不穏な感じが漂っていて、どうなるんだろうとドキドキしていただけに、感じ入ってしまった。
 
 前半から途中までの少し不思議で謎めいてはいるが、ゆったりと優雅で大人、そして華やかさもあるような感じとは、中盤から後半にかけてはほとんど違って、暗くて、不穏な感じが劇の終盤まで続くという大きく物語が変化していき、劇が進むに従って、花の魔女カガミが隠す秘密や、魔女の店に集う常連客たちの過去が明らかになっていく展開、その構成が見事だと感じた。

 Aキャストバージョンの劇を観たが、終わった後にトークショーがあったので、聞いた。
 A、BのWキャストとも同じ役者だが、A、Bではそれぞれ違う役を演じ、役者によっては全くイメージが違う役を演じられ、劇作、演出家であり、俳優として今回の劇にも出ている港谷順さんの独断と偏見で、役を役者に振り分けた話など、込み入った話や裏話が聞けて興味深かった。
 また、トークショーの際に港谷順さんが今回の劇に出てくる登場人物たちの役名が、実際にある花の名前や鉱石から取っていたり、名作小説『ハイジ』に出てくる登場人物から取っていたり、性格も花言葉の意味から取っていたりと、港谷順さんのセンスの良さや、お洒落さ、譲れないこだわりといったものが伝わってきて、非常に興味深かった。

アンネの逆襲

アンネの逆襲

劇団PDW

ウッディシアター中目黒(東京都)

2025/06/25 (水) ~ 2025/07/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/06/28 (土) 18:00

 『アンネの逆襲』という公演タイトル通り、かの有名で悲劇的な結末、しかも、事実が描かれ、第二次対戦中のヒトラー政権当時のユダヤ人の隠れての生活、それから見つかった後の強制収容所での生活が赤裸々にアンネの視点で描かれた『アンネの日記』を元にしつつも(勿論、アンネと関わる人や家族、一緒に隠れ家で避難生活をするアンネの父親オットーの知り合いのユダヤ人家族など、劇に出てくる登場人物の大半も事実に即している)、事実と違って、アンネが強制収容所の不衛生で過酷な環境で、すっかり衰弱して、収容所内で病死したということや、多くのユダヤ人がガス室に送られたことを変え、少し幸せな終わり方になっていて、事実はもっと過酷で悲惨であることに変わりはないし、今こうしてる間にも世界では、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルとガザの紛争、ミャンマー内戦、アフリカ諸国での戦争や紛争が起こり続けていて、とても平和とは程遠い状況だが、せめてフィクションの中でアンネが少し幸せになる描かれ方をすることで、少しは救われる気がした。
 今の世の中、あまりにも救われないことが多過ぎる上に、未だに戦争や紛争、内戦が起こると、正規の兵士に匹敵する数で、主に、赤ちゃんや幼い子供、少年·少女や女性、障害者、老人、病人など社会的、経済的弱者が狙われ、空爆や爆撃の対象にされ、レイプが公然と横行するという考えたくもない、思考停止したくなるようなこの世の悪夢が何処の世界であろうと情け容赦なく横行する、戦争や紛争、内戦とはそういったものだといつの時代であれ、そうだと否が応でもそう思わされる。
 この劇を見ると、権力者、独裁者も戦争をも、もしかしたら事前にその原因を丁寧に取り除き、皆んなが恒久平和を願い、ヤラれたらやり返すというような憎しみの連鎖を断ち切り、不信感や差別を助長させず、お互いに歩み寄り、理解し合おうと努力し、政治に関心を持ち、困っている人を見捨てず助け合える社会だと、戦争などは起こらず、独裁者や権力者は生まれづらいんじゃないかと感じた。
 勿論現実は、そう簡単にできていないことも十分分かっているが。
 
 せめて、劇の中において、中盤で強制収容所に入れられたアンネたちが家事を起こし、火事の中逃げ惑うユダヤ人や収容所の刑務官たちに混じって逃げていたヒトラーが躓き、意識を失ったのをいいことに、アンネたちは医者のデュッセルをヒトラーに扮装させることで収容所を脱獄することに成功し、アンネたち全員戦後まで生きたということに一抹の希望を感じた。
 そして実家に戻ったアンネが、ある満月の夜に、ひょんなことから飼い猫のキティと共に違う次元の戦争前?の世界で憎んでいた筈のヒトラーの若き頃、絵が売れなくて、金がなくて、空腹過ぎてフラフラになっているのと出会う。
 その出会いを通して、偏狭で、気難しくて、神経質で、諦めと差別意識が強く、非常に独善的で卑屈、といった感じの独裁者ヒトラーになっていくのを、絵を売れさせ、自信を付けさせていくことで、未然に防ぎ、愛と平和、日常のささやかな幸せを大切にするヒトラーへと、さり気なくアンネが導いていく、相手への憎しみ以上に、若い頃の独裁者になる前のヒトラーに罪はないと、内心ヒトラーを憎む気持ちと葛藤しながらも、若き日のヒトラーを理解し、救おうとする在り方に、人は、現実的には、ここまで吹っ切れるものではないと思いつつ、若きヒトラーとアンネのお互いを理解し合おうとする交流に、世の中全てこうだと争いなんて起きないのにと感慨深くなってしまった。

 ヒトラーと秘書の絶妙にズレた会話が面白かった。
 アンネとマルゴー、ペーターやアウグステたちの愉快でユニークな会話は見ていて、大いに笑えて、楽しめた。

北欧神話の世界

北欧神話の世界

カプセル兵団

三鷹Ri劇場(旧 三鷹RIスタジオ)(東京都)

2025/06/20 (金) ~ 2025/06/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/06/21 (土) 17:00

 カプセル兵団のベテラン実力派声優や中堅で味のある声優、若手で印象に残る声優などの男女の声優や役者が混ざり合い、更に毎回の如く恒例化しているゲストまで呼んでの、内容は毎回基本的には世界各国にある神話等を朗読する朗読劇ということで、私は過去にも何度かカプセル兵団の朗読劇を観たことがあるが、基本的に大いに笑えて、コンプラもクソもない発言が次々飛び出す自由さや、それぞれの神々や英雄、王、庶民等の登場人物の性格がしっかりと立っていて、また演じている声優や俳優たちによるアドリブや思い付きの小ネタ、一発ギャグも満載で、いつも神話を気軽に、肩の力を抜いて楽しめるところが、神話だからといって観客に集中して、常に緊迫感を伴うような朗読劇に仕立てていないところに、親しみやすさを感じていた。

 今回、カプセル兵団が朗読劇に選んだのは『北欧神話の世界 アスガルドの神々』ということで、8年ぶりの再演だと言う。
 しかも、今までのギリシア神話や中国神話以上に、またキリスト教の聖典『聖書』やイスラム教の聖典『コーラン』、インド神話の神々や仏教に出てくる観音や仏やブッダ、マヤ、アステカ、インカ神話、密教、エジプト神話、ケルト神話、トルストイの民話、ネイティブアメリカンの神話、イヌイットの神話、アボリジニの神話、シュメール神話、アフリカの土着信仰、ハイチのブードゥー教神話、そして日本神話に匹敵する程の知名度を誇り、アニメや映画、ドラマ、最近流行りの異世界転生ものの小説、漫画、演劇、幻想文学、ゲーム等において幅広く北欧神話は使われており、各分野において引っ張りだこで、北欧神話に出てくる神々等を1人も知らない人はいないと言っても過言ではないほど、目にしたり、耳にする事が当たり前すぎて、何の違和感も感じない程に、私達の中にすっかり浸透している。
 
 北欧神話の中でも有名過ぎるが、傲慢で非常に我儘、冷徹で非常に冷酷、例え肉親、親や兄弟だとしても目的の為なら殺すことさえ躊躇しない、手段を選ばず、卑怯な手だって厭わない、騙すことに対して臆することが無い、温かみや人情などは欠片もなく、猜疑心が強く、仲間だろうと人間だろうと殆ど信用しない、過去に犯した過ちに対しても葛藤や反省の意が認められず、巨人や小人、人間を露骨に見下し、下に見ており(因みに北欧神話において、巨人や小人、人間等を下に見て蔑んでいるのは、基本的に神々全体としてそう)、更にどこか家父長的で、独裁的、大抵の場合魔法使いの老人のような不気味な姿で描かれる最強最悪の神オーディン、MAVER漫画や映画で有名な『マイティ·ソー』の元になった超有名人で怒りっぽく、すぐ武力で解決しようとするトール、その弟でお調子者で抜け目なく、こズルく、狡賢い、策士で同じくMAVERで有名なロキ、得体が知れず、その存在自体が恐怖でしかない大蛇のヨルムンガンド、フェンリル、冥界に君臨する神々でさえ逆らえない死を司る闇の女神ヘル、また神々1のアイドル女神のフレイヤ(但し赤ら様に醜いものに嫌悪感を覚え、神々の中でも1、2を争う程に巨人や小人を毛嫌いし、露骨に見下している。また、小人たちが造っていたブリージングの金の首飾り欲しさに、その欲望に負けて、4人の小人たちと、1日1夜、夜を共にしなければならないという条件を丸呑みしてしまったりと、強欲さと軽さ、性格の悪さを併せ持っている。但し、外面だけは良く、お洒落に気を使い、損得勘定で動く。しかし、フレイヤに関するエピソードのどこにも共感出来ず、人間味のなさが際立っていた)、それを噛じれば永遠に歳を取ることなく永久に生きることが出来るイドゥンの林檎のエピソードで有名な女神のイドゥン等、余りにも有名でアクが強く個性的で、超人的な能力を持つが、絶対的な存在感があり、一切共感することが出来ない登場人物たちが多く登場したが(中には共感しやすい巨人や人間等も数少ないけれども出てくる)、こういった登場人物たちを、今回声優やゲストの方がどういう風に演じるのだろうと、非常に興味深かった。

 実際観てみると、カプセル兵団のいつもの朗読劇と同じく、声優やゲストの方の衣装は私服で、アドリブあり、コンプラ無視の発言、無茶振りあり、思い付きの小ネタや一発芸あり、ネタが滑り過ぎてもはや痛い感じにしか見えないのに、度胸と勢い、その場鎬で何とかこの場を乗り切ろうとする必死過ぎるロキ役ゲストの池田航さんなど、ある意味印象に残った。
 しかし良い意味で、私が今までイメージしていた非常に美しく、幻想怪奇的で、ハイファンタジーな世界観、ユグドラシル(世界樹)のエピソードやイドゥンの林檎など北欧神話の核となるエピソードを抑え、高圧的で威嚇的、厳格で格調高く、どこか植民地主義的で、独裁的、傲慢で猜疑心が強く、家父長的で自分たち以外の種族を蔑み、下に見ており、人間味のない神々(全員ではないが)といった北欧神話のイメージは、朗読劇で声優やゲストの方が演じており、確かに元々の北欧神話よりかは大分堅苦しくなく、気軽に、時々笑えるようにはなっており、多少北欧神話のイメージを変えてはいたが、そうは言っても朗読劇全体としては、私がイメージしていた北欧神話のイメージ通りだった。
 また、北欧神話のいつか神も人もこの世に生を受ける何もかも滅び、この世界は1から再生されるという、まさに中二病的な終末論、今で言うところの陰謀論的な部分もしっかりと真面目に取り組んでおり、楽しめた。
 しかし、邪神や怪物、巨人や小人と神々、人同士が争い、戦い一旦は滅亡するという構図が、中二病的と一蹴して笑える程、実際に私達が生きているこの世界が到底平和とは言えず、世界各地では、ロシアによるウクライナ侵攻、ミャンマー紛争、ガザのハマスとイスラエルによる民間人を巻き込んだ紛争、アフリカ諸国での絶えない紛争、地球温暖化による異常気象、密猟などが起こっており、北欧神話の在り方がただのフィクションとも言えない状況となってきていることに気付き、ゾッと寒くなった。
 但し、北欧神話の朗読劇の最後では全てが滅びたあとに、僅かに生き残ったオーディンの子どもたちや一組だけ辛うじて生き残った人間の男女などを中心に、質素で貧しく、先行きが見通せない絶望的な世界ながらも、一歩を踏み出そうと努力する姿勢に心打たれ、そこに現実はどうか分からないが、少なくとも劇の中では希望を見出すことができた。

ユグドラシル

ユグドラシル

劇団KⅢ

座・高円寺2(東京都)

2025/06/05 (木) ~ 2025/06/07 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/06/06 (金) 19:00

 劇のタイトルが『ユグドラシル』ということから北欧神話のユグドラシル(日本語に訳すと世界樹ともなる)に関するエピソードと、この劇を観るより大分前に貰ったチラシに書かれていたあらすじやCoRichに載っていたあらすじに書かれていた「創造」といった言葉もキーポイントになる事から、キリスト教の旧約聖書の中の天地創造〜アダムとイブが蛇の誘惑(実は悪魔の化身とも)によって禁断の果実(真っ赤な林檎)を食べたので、神様から楽園を追放され、荒野を彷徨い歩くといったところまでの創世神話の2つを下敷きにした上で、荒廃し、水も殆枯れ果て、食物も余り育たず、極端に地球温暖化が進んで、異常気象が続く、さらに少子高齢化が突き進み、人が木になってしまう奇病が瞬く間に人類に浸透し、村や街から荷物をまとめて、ここよりかはまだマシであるはずの新天地を求めて、若者や女子どもは出ていった壊滅的、絶望的、僅かな希望さえ残っているとは言い難い近未来が舞台のハイファンタジーと、あらすじからは読み取れて、実際観に行ったら、私が頭の中で描いていた世界観とほぼ合致していた。

 地球温暖化が行き着く所まで行ってしまって、異常気象も相まって、作物はほとんど育たず、僅かに村に残った人たちは村長含め毎日腹を好かせ、その上水がほとんど取れなくて貴重なので、本当は喉を潤したくても、僅かな水で村長含め我慢し、その上に、木になってしまう奇病の原因とされる村の近くにある森を立入禁止区域としたり、劇中出てくる空気感染や濃厚接触といった言葉、18、19世紀等に流行った疫病対策に使われたカラスのような不気味な形をした鉄のガスマスク(効き目があるとは到底思えない)が出てきたりと2020~2022年末まで世界を、社会を恐怖と混乱、不安に陥れ、なかなか治る感染症なのかさえ予測不能だったCovid19を彷彿させ、近未来の明らかに現実離れしたことがまかり通るファンタジーなのに、どこかリアル感があり、シリアスだった。
 勿論、大いにくだらなくて笑える場面も多かったが。
 ハードコア·メタル、ラウドロック、それに加えてヴィジュアル系といった要素が色々絡まったロックバンドと劇の組み合わせだったが、全然違和感なく、寧ろロックと劇の役者との劇中少し関わったりするのも含め、お互いに切磋琢磨し合って、良いコラボレーションだった。
 
 禁断の果実(真っ赤な林檎)を未知の木になってしまう奇病の抗体とすべく、今までずっと奴隷商人の頭領シニアから重病患者、重傷者、負傷者等を森の中にある父の代から続いている研究所で、極秘に人体実験を繰り返していた表の顔は村の村長の兄ウツギ、そしてこの物語のキーポイントとなる木になってしまう奇病を治すための抗体を作る為の犠牲者で唯一の生き残りのスノウ、同じく禁断の果実(真っ赤な林檎)を狙う奴隷商人の頭領で隣村の酋長、目的の為なら手段を選ばず、利己主義で自信家、野性味溢れ、冷酷非道な男シニア、その後を追うシニアの手下で幹部のオトギリ、アザミ、新鮮な水を探していた事がきっかけで、スノウと出会い交流する、村思いで、天真爛漫、怖いものなしで距離感ゼロの村長ウツギの妹でこの物語の主人公ミズキ、ミズキの仲間で変わり者で学者のシャガ、いつも2人に振り回されている機械工の娘でカッとしやすいレモン、そしてウツギの妻で、ハッキリと物怖じせず言いたいことを言う、夫婦喧嘩が耐えないロメリア、こういった個性豊かで、存在感があって、アクの強い登場人物たちが、スノウや禁断の果実(真っ赤な林檎)を巡って話が展開し、スノウや禁断の果実(真っ赤な林檎)を巡ってウツギやミズキたちとシニアたちが対立し、やがて破滅していくといった終わり方に、救いがないほどに人って強欲で、自分のことしか頭になくて、他人より自分さえ良ければといった感じに、超少子高齢化で子どもや若者、若い女性がほとんどいなくなった世界であっても、醜い争いを繰り返し、ちょっとした嫉妬や何かをきっかけに戦争や紛争って起こるんだなと感じた。そういった意味では、あらゆる動物の中で、愚かで馬鹿で、本当に救いようのない生物は人間くらいのものかとも感じ、暗鬱とした気分になった。
 さらに、物語の最後でミズキがシニアに拳銃で撃たれ、瀕死のスノウと共にその犠牲を基に、その身体に大きな根を張って、巨大な緑の葉っぱが生い茂る巨木となるという主人公たちが殺されてしまうのは悲しい。
 しかし、巨木となって地球温暖化が軽減され、世界で起こる争いが少しでもなくなり、平和と自然の恵によって、少子高齢化にも歯止めがかかるのかも知れないと考えると、確かに悲しい悲劇的な結末だが、それにどうにも個人的には誰かの犠牲の元に成り立つ豊かさや平和とはと考えてしまうので納得はしない。
 それでも多少の希望というか、一筋の光が差すような終わり方に、現実世界も、この劇で描かれているほどじゃないにしろ、暗くて、陰鬱で、余り良い未来が思い描けない、戦争や紛争も世界各地で起きていて、不穏で、日本の与党の政治家も腐りきっており、一体何を信頼したら良いのやら分からない時代だからこそ、多少の希望を見いだせた気がした。
 
 劇中の無茶振りなシニア役工藤竜太さんのアドリブやそれに一瞬困惑するもコナンのモノマネで(地味に上手かった)乗り切るアザミ役の葉月さんの即応力も目を見張るものがあり、面白かった。

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