
第84回「a・la・ALA・Live」
a・la・ALA・Live
座・高円寺2(東京都)
2025/12/24 (水) ~ 2025/12/24 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/12/24 (水) 19:00
a·la♪ALA♪Live観るのは、私は多分今回の第八十四回含めて3回ぐらいは観ていると思うが、全然マンネリ化しておらず、前にもましてごっちゃ煮と言うか、闇鍋的で、現代版寄席という感じを強く感じた。
現代的スタイリッシュさ、多様性、懐かしさがない混ぜ、渾然一体となっていてかなり詰め込んだ感じもしたが、大いに楽しめた、大いに笑えた。
冒頭のクリスマス·パーティーでは、どういったプログラムなのかと思ったら、役者の荒山昌子さんによるクリスマスをテーマにした滑る笑いも含めて、距離感のない元気なノリで、この後の多種多様なプログラムを楽しむ為にも、一気にその独特のトーク力で引き込んでいて、何となく巻き込まれていて、知らず知らずのうちに、ツボりやすくなってしまって、現代寄席に誰よりも乗りやすく、盛り上がりやすくなってしまって、荒山さんは人をノリ良くしやくするのが上手いと感心してしまった。
現代寄席の中で、間隔を何回かあけて3回出演したアクションパフォーマンス集団「NEMO」は、所謂アクション集団や忍者集団○○といったのとも違って、格好良いや様式美、常識や固定概念、規定の枠組みに留まらない独特のアクションパフォーマンスの世界観に引き込まれた。
忍者同士の忍具も用いた本格的なアクションから、かの有名なピンク・レディーの『UFO』をもしたかのような衣装で、非常に現代的でファンシーでコミカルで、どこかTiktokを撮っているかのようなオシャレで原宿的な感じが見事に融合した「Space Fight」という宇宙船内を舞台に繰り広げられるアクションパフォーマンス、刑事と犯人のチェイスアクションの「チェイス」というジャンルも雰囲気も違うアクションパフォーマンスを披露していて、そのバリエーションの豊かさにも驚いた。
それぞれの世界観ごとに、アクションに差をつけたりしているのも見事だったが、時々見せる連続バク転にも目を見張るものがあった。
2人が良い感じに水と油で、違う個性を出していて、愛嬌とアクションパフォーマンスが見事にバランスが取れていて、見ていて、見飽きなかった。
街頭紙芝居の紙しばいやもっちぃさんによる「ヤマタノオロチ」では、途中でバルーンの剣でヤマタノオロチを倒す場面で、ヤマタノオロチを倒す役を急に任されて、舞台に立ってバルーンの剣を振るうのが、急に私が任されたもので、すぐには心の整理がつかず、アタフタしてしまって緊張したが、そう言えば小さい頃にヒーローショーで怪人がやる企画に参加したことを思い出し、久しぶりに童心に帰れて、大いに楽しめ、大いに笑えた。
また街頭紙芝居「ヤマタノオロチ」の最後のほうで平和を訴えるような2025年戦後80年という節目ということもあるからか、そういったメッセージも織り交ぜられていて、考えさせられた。
江戸太神楽は、バランス芸、門付け芸、大道芸で、仙若さんの勢いのある話術に引き込まれ、芸の上手さとのギャップも楽しめた。
おめでたい芸も多く、晴れやかな気分になれた。
モロ師岡さんの1人コント「モロアワー」で、山中恒原作で映画化された『転校生』の中の階段でぶつかって男女の心が入れ替わるシーンをパロったような場面も多く、モロ師岡さんが『転校生』にかなり影響を受けているのかもと感じた。
しかも、よりトランスジェンダー的な在り方、巨体で太り過ぎた中年男と家が貧乏で、ドサ回り芸人から、更に落ちぶれて性風俗嬢になって思い悩んで、現状に絶望し、落ち込んで、諦めている若い女性の心が入れ替わるというような、社会問題も組み込まれており、大いに笑える場面も多くありながら、大いに考えさせられた。
太陽がくれた分度器の荒山昌子さん、島袋ぢぇみさん、鈴木ゆきをさんによる劇も、介護の問題、家族間のDV、そもそも露骨ではないが男尊女卑的な在り方、認知症の問題など、現代的切実な問題と向き合いつつ、家の中の押し入れに入り、しばらくしてそこを出ると過去にタイムスリップ出来るという少し不思議な話だったが、夫とも夫の年取って認知症発症中のお母さんとも上手くいってない中年女性が押し入れのタイムスリップを繰り返して、過去の若い頃の夫や夫のお母さんと交流するうちに、少しずつ自分も周りも変わっていき、最後大きくは変わらないものの、少しは良いほうに向かう展開のラストに感動した。
途中、大いに笑える場面も多くて、観ていて飽きなかった。

朗読劇 「JK★CHRONICLE ― 消えたメロディ ―」
Candy Pop Music
方南会館 ホール(東京都)
2025/12/27 (土) ~ 2025/12/27 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/12/27 (土) 18:00
KチームVersionを観た。
私立シンフォニア学園は、音楽とパフォーマンスが得意で、ちょっぴり特殊能力を持つ女の子が多く集まる学園。
数か月前、その舞台で起きた**「文化祭盗難事件」**は、一ノ瀬アイリと仲間たちの活躍によって解決したが、学園には今もその余韻とわずかな不安が残っていた。
事件から月日が流れ、学園には新たな希望が芽生えていた。
それは、三人組の新アイドルユニットCandy☆Drop。
彼女たちは文化祭「シンフォニア FES.」でデビューを果たすべく、日々練習を重ねていた。
そのステージを彩るはずだったデビュー曲――**楽曲「ラストノート」**が突然、学園のサーバーからまるごと消失してしまう。
「ラストノート」は、かつて伝説のユニットRefrain†Noteが最後に歌うはずだった幻の曲。
Refrain†Noteの元メンバー、火野アンは動揺を隠せずにいた。
彼女だけが、この曲がRefrain†Note崩壊の真実と深く結びついていることを知っていたから。
やがて浮かび上がるのは、過去の伝説と現在の夢が交差する壮大な陰謀。
文化祭「シンフォニア FES.」の幕が上がるその瞬間、アイリたちは消えたメロディを取り戻すため、
最後の推理と行動に挑む――。
と言うようなあらすじだったが、観劇前は声優の生アフレコ的ファンタジックな学園ミステリーかと思って観に行った。
実際に観てみると、良い意味で裏切られた。
具体的には、ファンタジックで、ミステリーではあるが、あらすじにははっきりは書かれていなかったが、殺人事件の要素とか、もしくはあらすじにも書かれていた学園の陰謀が段々と明かされていくのかと思って観ていたら、そういった事というより、先生とアイリたち生徒たちが「ラストノート」のメロディを取り戻す為、「ラストノート」の曲の誕生や練習場所等学園の中を巡りながら推理しながら、行動していき、それに連動して後ろのスクリーンに移される映像やその場面や状況にあった音楽や照明の当て方になっており、どちらかというと良い意味で大どんでん返しや衝撃的な事実が明るみに出ると言うような急展開はなくて、今時のイマーシブシアター的な観客没入型というか、物語、台詞、映像が一体化して、電子ゲームをするように進んでいく感じの、その物語の劇世界を自分もその選択をする立場の側になっているような感覚になっていて、新鮮な朗読劇だった。
普通、アニメや電子ゲーム、イマーシブシアターではこう言った見る側、ゲームをする側、イマーシブシアターのイベント参加する側が選択していくような在り方は時々あると思うが、朗読劇ではなかなかこういったシチュエーションの劇はありそうでなかったので、意表を突かれた。
朗読劇だが、ここまで、自分のいる場所から一切動かない劇もなかなか珍しいと感じた。
ミステリー要素もありつつ、女子高生たちと先生と「ラストノート」という曲の誕生や練習場所を巡りながら青春している感じや演じている役者たちが透明感溢れていて、こんな青春出来たら良いなと感じる理想的な感じが見て取れて、キラキラ輝いて見えて、普段の疲れやストレスをすっかり忘れる程、癒やされた。
しかも、普通のミステリー劇と違って、あんまり考えずに、比較的簡単な謎解きで、疲れず、気軽に、色々考えさせ過ぎず、たまには、あんまり複雑じゃない劇も良いものだと感じた。

サラリーマン!!!
床の間企画
中板橋 新生館スタジオ(東京都)
2025/12/25 (木) ~ 2025/12/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/12/26 (金) 19:00
マフラーチームの回を観た。
ただの一般人や引き籠もりがヒーローや勇者に仕立て上げられていく話は、今まで私が観てきた劇では幾つかあった。
しかし、それ等の劇では、当の本人は最初気付かないものの、潜在的な人智を超えた能力や技を持っていることが多かったのだが、今回の劇ではそのような潜在能力など一切なく、妻には呆れられ、高校生の娘は思春期で、何かというと父親に反発し、娘の父親でもある会社員の恐らく中年男(年齢は40代後半〜50代後半の間くらい?)は、会社でも、何処か舐めているように見える後輩、中年男は会社でミスを繰り返す上、上司からは快く思われずと言った感じで、家族だけでなく、会社での人間関係まで上手く行かず、顧客からも文句を言われと、良いところを見つけるのが大変なぐらい駄目人間で、気も小さくて、絵本「お父さんはウルトラマン」に出てくるようなヒーローとは程遠いどころか、それ以下なのだが、娘が悪の組織に攫われ、妻も捕らわれといった絶望的状況になった時、何の能力があるわけでもないが、家族の為に全力で無謀に悪の組織に立ち向かい、途中諦めかける場面もしっかりと描く辺りも、人間らしさが伝わってきて、ひょっとしたら身近にヒーローがいるのかもと思わせてくれるような等身大なヒーローに共感した。
しかも、娘が悪の組織に攫われ、妻が捕らわれたという最悪の自体の中で、ヒーローになるしか家族を守れない、救えないということで相当葛藤し、勇気を振り絞って、恐怖心と戦いながら、ヒーローになろうともがく姿が、リアルで、しかも鞭さばきが上手過ぎるドSだが、悪の組織のボスに対してだけはどこかあざとい、思考回路がよく分からない女幹部や、いかにも強そうなのに、どちらかと言うと精神攻撃の方がより得意というギャップが凄い悪の組織のボス、全然強く見えないのに、思ったより手強い悪の組織の戦闘員たち相手にコスチュームも武器もなく、無防備で戦い、ボロ負けしながらも、何度倒れても立ち上がって戦い続けることに、リアルさを感じた。
悪の組織も、人数が4人しかいないことや、組織経営を軌道に乗せるため、某有名な○○珈琲や○貴族、○○良品など何処かで聞いたことのあるチェーン店ばかりで必ず看板の先頭に黒という字が付くという細かい洒落まで噛ましていて、地味に面白かった。
また、悪の組織なのに、戦闘員たちが、働きに見合った給料が貰えていないと訴えたり、サービス残業が多過ぎるなどと訴えては、これはブラック企業だという、まさにそのこと自体がブラックコメディ過ぎて、悪の組織の戦闘員が至極真っ当な正論を仮に戦闘の最中であってもお構いなしに言う辺りが、大いに笑えた。
悪の組織の女幹部が悪の組織のボスに対してのあざとさと、戦闘員に対しての接し方で、落差があり過ぎて、必要以上に過剰なまでに戦闘員を鞭で連打する、足蹴りにする、殴るなど、余りの躊躇のなさ、オーバーリアクションで痛がる戦闘員たち、中年男の様が大いに笑えた。
全体的に、本格的なアクションと笑える場面のバランスが良くて、極度な緊張をせず、気軽に楽しむことができた。

KNOCK UP
2025年度 一般社団法人 神奈川県演劇連盟合同公演
神奈川県立青少年センター・紅葉坂ホール(神奈川県)
2025/12/18 (木) ~ 2025/12/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/12/19 (金) 19:00
過去か未来か異世界か、とにかく海賊がはびごる大海賊航海時代の世界。 女海賊「サーカス」は突然の嵐に見舞われ失踪してしまう。一方2025年現代、新進気鋭の劇団「バイキング」は公演を控えていたが、トラブルに見舞われプロデューサーと劇団員は空っぽの大ホールで頭を抱えていた。そんな中、突如嵐と共に海賊団「サーカス」が船ごと現れた!というようなCoRichに載っていたあらすじを読んだだけで心躍る奇想天外で無茶苦茶だが、とても面白そうな内容で、期待しかなかったが、実際の上演を観てみると、期待を大きく上回っており、圧倒された。
海賊がはびこる大航海時代の女海賊「サーカス」が現代日本の神奈川県立青少年センター紅葉坂ホール内の客席に突然の嵐によって、時空の歪みが生まれ、タイムスリップしてしまい、その場の流れ的にキャストとして急遽強引に女海賊たちを演劇に参加させようと四苦八苦する超個性的な新進気鋭の劇団「バイキング」の面々とこれだけでも、かなりぶっ飛んだ設定の上、ドタバタ喜劇、そして舞台の裏側を中心に話が展開し大いに楽しめた。
しかし、女海賊「サーカス」が最初に登場したときの感じが、良い意味で思っていたような感じと違って、コミカルというよりかは、虐殺をも厭わない野蛮で野性味溢れ、獰猛果敢で、かなり怖い雰囲気と、本物の銃(劇の設定)を撃ったりと手段を選ばない危険さを兼ね備えた感じに描かれており、「バイキング」の個性豊かな劇団員たちと一触即発になるような場面が何度もあったりと、異文化が交わることの難しさを暗に示唆していたり、それでも試行錯誤しながらお互いが理解しあおうと努力するような在りかたに時にその迫力に圧倒されながら、胸打たれた。
色々ありながらも、劇団「バイキング」と急遽この現代日本の神奈川県立青少年センター紅葉坂ホール内の客席に不時着し、タイムスリップしてきた女海賊「サーカス」たちがトラブルを繰り返しながらも何とか本番の劇の公演に漕ぎ着けて、何とか公演を成功させることが出来るという風に描かれた。
一時は、女海賊たちが台本の台詞が漢字が多くて読めなかったり、何度も書き換えを指示されて、気位が高くて、高圧的で、気難しく、演出家への当たりが強く、感情の起伏が激しいメンヘラ気質で、自分の書いた作品へのこだわりが強く、勝手な書き換えを許さず、自分の書いた戯曲の通りに一字一句役者が戯曲に書かれた通りに台詞を喋り、動くことを望む、若い女性脚本家に現場の劇団「バイキング」の演出家や劇団員たちが翻弄されつつ、何かというとすぐ戦闘モードになりやすく、血が頭に登りやすい女海賊「サーカス」たちを本気で怒らせないように気を使いつつのバランスを意識して疲弊する劇団「バイキング」の演出家たち、そして女海賊「サーカス」の中でボーイッシュな雰囲気で、海賊団内一荒っぽく、野性味溢れ、粗野で粗暴で、恐喝、恫喝をも厭わない、剣の腕もピカイチな正義感の強い女海賊が台本では切られ役というのに納得せず、書き換えろと演出家に迫り、結果台本を書き換えなければいけなくなったりとトラブルも頻発し、その度に観ているこちらまで肝を冷や冷やさせられるような迫力があったが、その劇が完成するまでの期間に起こるトラブルや人間関係を赤裸々に描いていたのが、大いに面白く、そのプロセスにハラハラドキドキさせられた。
劇団「バイキング」の由来が海賊というような意味で女海賊「サーカス」たちは捉えていたが、実はもっとしょーもない意味で付けられていたということが最後のほうで明かされ、その意外性に大いに笑えた。
劇団「バイキング」の演出家が個性豊かでアクが強すぎる劇団員たちや若い女性脚本家、急遽劇場の客席に不時着した女海賊「サーカス」たちに翻弄されるさまが非常に面白かった。
女性の若い役者で中年の女性演出家の演出助手のようなことも卒なくこなすが、どんな事にも動じず、何を言われてもあまり響かず、そんなに感情が表に出ることがなく、飄々としていて掴みどころがなく、どこか演出家たちが右往左往しているのを冷めた目で見ている、どこか舐めた態度の低体温系が、女性演出家とのやり取りや、他の劇団員たち、若い女性脚本家、女海賊「サーカス」たちにポロッと本音を言って、その場を凍りつかせたり、気の利いたことを言ったつもりで堂々と滑っていたり、といったこの若い女性の役者の絶妙に拔けているんだか、いないんだか定まらない独特な感じにある種のユーモラスさを感じた。
普通の劇では舞台があって客席で、観客は観るといった漠然としたイメージがあったが、今回の劇では、舞台幕の後ろの舞台上を客席にして、本来観客席であるはずのところを舞台にするという逆転の発想に驚き、新鮮で、舞台上で観るからこその臨場感だったり、差し迫ってくる役者の気迫、没入感だったりと普段以上に劇世界に引き込まれてしまった。
今回観た一般社団法人 神奈川県演劇連盟合同公演は、実は前に違う劇で1度観たことがある。
しかし、その時のイメージから市民の方が数多く参加して、そこに多少プロの劇団の方が混じっているというようなイメージが強く、その時の公演も悪くはなかったのだが、知り合いや家族が多く観に来ており、内輪乗り感が否めなくて、どこか乗り切れないところも多く、普通に考えると明らかに滑っているギャグでも暖かく笑っているような空間だったイメージが強く、今回の劇でも、役者たちには正直大した期待をしていなかった。
しかし、実際に観てみると、そういった思い込みや、懸念は吹っ飛び、まぁ今回はプロの劇団員が大半を締めているということもあるのかもしれないが、台詞を忘れることもなく、滑るギャグ、内輪受けと言ったこともなく、普通に大いに楽しめ、笑え、そして異文化交流、外国人共生について何気なく考えさせられつつも、女海賊「サーカス」たちと現代日本の劇団「バイキング」の演出家や役者たちが深い絆で結ばれ、仲良くなり、女海賊「サーカス」たちも演劇の演技の魅力に引き込まれ、でも最後は自分たちの元いた世界に戻っていく姿に成長を感じつつ、どこか寂しさも感じる、だけれども女海賊「サーカス」たちが元いた大航海時代の世界がどんなに過酷で、弱肉強食の世界であっても、彼女たちは確かにその世界に生きていて、この現代日本に居続けると歴史が変わってしまうと考えるとこれで良いんだろうと考えさせられ、複雑な気持ちになった。
女海賊「サーカス」たちの生きた大航海時代の世界と現代日本の法律の在り方やカルチャーギャップによる笑いも面白かった。
しかし、それに匹敵する程、女海賊「サーカス」たちの捕虜の中年男に対して劇の練習時以外、首輪を付けられ、鎖を女海賊たちに持たれた上、殴る蹴るの暴行や、銃や剣による脅し、言葉による恐喝、恫喝など過剰なまでにSMに描かれていて、大いに楽しめた。
しかも、中年男の海賊の捕虜で、元違う海賊に属した海賊の中年男役を、これまた憐憫の情を一切感じられない感じの、どこかウザくて、まぁヤラれ役でも仕方ないよなぁといった感じがする役者が演じているものだから、余計に過激な程の中年男がボコボコにされている感じに大いに笑えた。

「Collapse Of Values」Re:Mix
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場HOPE(東京都)
2025/12/09 (火) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/12/12 (金) 18:30
私は、裏チームを観た。
警視庁刑事部捜査第一課の佐々倉優希、山崎鈴音はとある事件の捜査を言い渡される。
それは突如消えたサラリーマン2人の行方の捜査。
なんとそのうちの1人は佐々倉の弟、優太だった。
弟の行方を探す為、佐々倉は潜入捜査を開始すると言ったようなあらすじだったが、実際観てみると、刑事で正義感の強い佐々倉は怪しまれないよう名前と職業を変えて潜入するが、潜入した一軒家の中では、何処からか運ばれてきて地下に安置された遺体の解体作業に従事するという闇バイトの内実が分かってきて、高額バイトに釣られて応募してきた訳有りの複数の男女が実際には遺体の解体作業に1週間くらい従事しなければならず、家族や、職場に勘繰られないようにしなければならないというようなことが分かってくる。
佐々倉はとんでもない場所に自分が潜入捜査で飛び込んだ事を実感し、自分の弟が殺されていないか不安になる。
そのうち、この一軒家を取り仕切るインテリヤクザの男が、バイトの男女の中から、自分が気に入った女性だけ、自分の楽しみの為、女性が嫌がろうと、無理矢理にでも性的搾取をする構造も分かってくる。
更には、この一軒家から逃げ出そうとする者は誰であれ殺されると言う救いようのない、負の連鎖のピカレスクダークサスペンス劇に驚愕し、当然のことながら最初に騙されてこの明らかに違法な遺体解体作業に従事していた女性がこの一軒家から抜け出さず、この作業に従事し、一見すると優しさもあるバイトリーダーに見えていた人物が実はかなりのサイコパスと化して、目的達成の為なら殺人も厭わない人物だったり、バイト仲間に殺人鬼が紛れていたり、過酷な境遇の中で、人間性が失われ、腐り切っていく、自分が助かる為なら平気で人を騙しさえする、そういった人の汚さ、綺麗事だけでは回らない不条理さ、そしてこの事件には警察上層部が実は?と言った感じで、佐々倉は追い詰められ、最後は……と言った感じで一切の救いが無く、胸糞悪差しか残らない。誰一人として本当の意味での善人は出てこないし、露骨な悪役も出てくるとは言えない。
こう言ったことが、妙に現実味を帯びていて、実際の世の中に起きる事件はここまで救われなさ過ぎるものではないかもしれない。しかし、多少誇張していたとしても、実際の世の中でも何が絶対に正しいと言うようなことでない、正解が出し辛いことも多いことを考えると、深く考えさせられた。
この劇の中で次から次に展開され、主人公も追い詰められていく不条理こそが、現代の生き辛くて、閉塞感のある社会を多少誇張していたとしても描いているのではないかと感じた。
途中途中、登場人物たちによる下らない笑い、勘違いによる笑い、巧みなボケ突っ込みによる笑い、出てくるだけで癖が強すぎる登場人物による笑い、ズレた笑い等大いに笑える場面もあったが、劇全体としては、ピカレスクノワールサスペンス劇で一切の救いが無い内容が次から次に展開され、出てくる登場人物に対して人間不信になるような展開の上、観客を緊張、緊迫させる場面、重厚な場面のほうが多くて、バランスは悪く、疲れた。
しかし、笑いとピカレスクノワールサスペンス劇で救いのない展開とのバランスの悪さによって、刑事ものなのに軽すぎてエンタメに特化し過ぎるといった感じに陥っていなかったので、個人的には緊張、緊迫感、重厚感のある押し潰されそうになるような舞台、とても集中出来て良かった。
役者の演技力も中々差し迫ってくる感じがあって良かった。
性的搾取やパワハラな言動、威圧的行動を繰り返す、人として余りに終わっている腐り切ったヤクザの男を演じる役者は、如何にもそういうことをしそうな雰囲気に見えない見た目で、そういった難役を何気ない感じでこなしていて、こちらに人間不信感さえ抱かせる感じが上手かった。
演技だと露骨に分かると言うよりかは、一体どこからが演技なのか、分からなくさせていく演技が流石はプロだと感じた。勿論、終演後のカーテンコールの際には、柔和で温厚そうで、常識人な役者になっていたので、こうも役者とは、一旦役になる際には普段とは振り切って演じつつ、さも、演じる役が普段であるかのように振る舞えて、観ている側をすっかり錯覚させるだけの力量あってこそ、本当に演技力のある役者と言えるのかも知れないと感心してしまった。
有沢澪風さん演じる最初のほうで騙されて遺体解体作業に従事して、闇バイトのバイトリーダーをする、威圧的、高圧的なヤクザにビクビクして、バイト仲間に優しい顔と裏の顔の2面性がある東山えりの役の演じ分けが上手かった。特に前者の、被害者感を出している感じは、観ている側に共感を感じさせるほど上手かった。
前中慎役の小郷拓真さんの実は○○○だと分かってからの豹変ぶりも中々だったが、それ以上に警察上層部で佐々倉の上司役の役者がそれまで温厚そうで、部下に振り回されてばかりいるように見えたのに、実は事件の裏に……という驚愕の事実に行き着いた時に、それまでの性格や行動と余りにギャップがあり、観客をそれまで騙せおおせていたことに驚愕し、一体登場人物の誰を信じれば良いのか分からなくなるぐらい意外過ぎて、役者の鏡だと感じる程、それまでの演技が上手過ぎて、あっけにとられる程だった。
最後の佐々倉の上司の警察上層部が実は……という下りが予想の斜め上を行き過ぎて、それまでのアクの強かったり、緊急時における人間の嫌な部分が次々に露見していく展開の時の、役者たちの演技力の見せ所になっていく場面より、何なら印象に残ってしまった。

サイハテ
演劇企画集団Jr.5(ジュニアファイブ)
小劇場B1(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/12/13 (土) 18:00
主人公の男は、他の登場人物によって、途中で還暦60歳だということが分かるものの、他の妻や娘、家族以外では、部下や旅人など特定の名前余りが出てこず、劇の最後まで絶妙にズレていて、だけれども何処か可笑しみや哲学的で答えがなかなか出せない会話、また虚しさが浮き彫りになってくるあたり、そして、主人公がいきなり不条理な状況に置かれて、戸惑いながら、何とかしようとする当たり、別役実の劇作に影響をかなり受けていると感じた。
舞台のかなり抽象的な雰囲気からいっても。
最初や劇の途中途中で主人公の初老の60の男が持っている風呂敷包みで結ばれた箱に向かって話しかけると、男の妻が出てきて、男と話をする。
しかし、劇が進行するに従って、娘にも、他の登場人物にもその妻が見えず、話している声も聞こえなくて、男にしか妻の姿形が見えず、声も聞こえていないことが分かってくる。
娘と男との会話によって、男の妻はとっくにこの世に居なくて、男の妻が病気か自殺か、事故かといった早逝した理由ははっきりとは最後まで明かされないものの、男が持っている箱の中身が妻の遺骨であり、妻の遺骨に毎日男が語りかけていたという衝撃的な事実が段々と分かってくる。
そして、男が妻の死を受け入れきれず、未だ後生大事に遺骨になった妻に話しかけ、男にだけ妻の姿形が見え、妻の声も聞こえるが、今年30になる娘と今までちゃんと向き合ってきたとは言えなかったことも分かってくる。
妻と一緒に「サイハテ」に行くことだって、妻と約束したと言っていたが、実は違う事実が劇中で浮かび上がってきたり、妻の為に買ったと言っていた古ぼけて半ば壊れているラジオだって妻の為に買ってきたと言いつつ、実際には、男が誰よりもそのラジオが欲しくて買ったこと、定年になるまで国民汚物課 下水処理班で真面目に一生懸命働いてきたが、その分家族との関係と言うか、家庭よりも仕事最優先で働き詰めと言った感じだったことが徐々に明らかになってくる。
しかし、大事な事柄から逃げ、家族との関係性からも逃げ、妙な責任感からか、妻の遺骨に囚われ、娘ともまともに向き合おうとせず、60になるというのに本当の意味で2の足を踏み続け、自分はこれから何をしたいのか、どこに行きたいのかと言ったこと劇中を通して探し続け、迷い続け、半永久的に理想郷とされる「サイハテ」目指して、自分探しの旅を60にもなってする、何処か人間臭く、裏寂しく、何処か憎み切れない男に呆れつつ、何処か共感出来た。
やはり人間、完璧だったり、ハッキリした目標があったり、自信があったりするのが主人公よりも、人の意見に流されやすく、気が弱く、自分に何処か自信がなくて、これからどうしたいのか、なぜそこに行きたいのかと言ったような問に対して、具体的に答えることができず、何歳になっても思い悩み、過去を引きずり続け、後悔して前に進めず、娘とも何処か距離があるような人が主人公になるから、呆れ帰りつつも何かしら共感したり、その欠点や駄目さ加減に自分を重ね合わせてみたり出来るんじゃないかと感じた。
劇中、国民管理局に勤める女職員の部下が男と2人きりの場面で、自分が実は最低限の権利しか有していない非人戸籍であることを打ち明け、主人公の男も非人国籍であることを打ち明ける場面がある。
非人国籍だとえらく差別され、牛馬の皮革産業や汚物処理といった限られた職業にしか就くことが出来ず、結婚などなかなか出来ないといったことを主人公の男と国民管理局に勤める女職員の部下の男と2人でそういった話をするが、この劇に出てくる非人国籍の在り方、世間の差別のあり方は江戸時代の穢多非人、現在における被差別部落出身者の在り方にも通じる所があり、この劇全体的には、抽象的で哲学的、不条理劇的でもあるSF劇なのだが、そこに社会的な問題、特に普通は被差別部落の問題は取り上げ辛い問題だからこそ、SF劇の中に組み込んで描いている辺り、感心し、また深く考えさせられた。
国民管理局の女職員に部下の冴えない雰囲気の中年男がスリッパで思いっ切り叩かれる場面が劇中何回か出てくるが、容赦なく、躊躇せず、女職員が叩き、暫くして、ボソッと痛かったことをぼやく中年男の部下との絶妙にズレていて、とボケた感じのスラップスティックな喜劇の要素が大いに笑えた。
争いを好まない平和主義者だと言いながら、にこやかにそれでいて相手を追い詰める手法を使って、自分の部下であろうとも特に気にかけたりせず、部下の失態や暴走に対して部下を庇うどころか平気で責任を取らせようとしたりする、冷酷で淡々としている国民管理局の現場を取り仕切る男の上司である。
主人公の男が実は持ち込み禁止物を管理局内に持ち込んだことに対して、その中身をこっそり隠し、手荷物検査を女職員が命じたあと、中身が確認出来なかったことで、女職員が責任を取るため天条委員会に報告に行くが、その間に返してくれたりと、優しいのだから、怖いのだか、敵か味方か判然としない国民管理局の現場を取り仕切る男の上司が、こういったSF劇では、普通はっきりと管理する側、される側といった対立軸があるのが普通な筈なのに、今回の劇でこの国民管理局の男の上司1つ見てみてもはっきりとヤバい役、突出した悪が出て来ないのが新鮮であり、非常に現実的だと感じた。
また、国民管理局の上にある天条委員会がどういったものか劇中では詳しく説明されず、天条委員会に所属する人物も一切登場しないのが、逆に現実的だと感じた。
国民管理局に所属する者から、国民は国家に所属し、国が定めた法律は絶対に守らなければいけない。だから国民は国家の所有物である。なので、お前に手荷物検査を拒む権利などない。お前が生まれた時から国がその身体を管理しているのだから、思想信条、どんな家族形成、どんな交友関係と言ったことも全て国が知っている。お前の身体は国家が管理している以上、お前の持ち物ではないのだといったようなことを言うが、これは明らかに思想信条の自由表現の自由、人権に反しており、主人公の男や登場人物たちが名前でなく、番号で呼ばれることも管理社会的で恐怖でしかないが、「サイハテ」に行くための最初の試練として、ガラポン抽選がある。そういった国が管理し、国民の為、戦争紛争がなく、人々が平和に平等に暮らす為のルールとしての法律を守らせ、管理社会となった世界を描いているが、それで平和や平等が保たれ、理想的な社会になるのだとしたら、国の方針に国民は従っておけば良いのだ、国民は何も考えなくて良い。そのほうが幸せなことだってある。無用なトラブルも回避できるというようなことを国民管理局職員が言うことに恐怖を感じた。
しかも国民管理局の職員や国が国民に強いているというよりも、もうこういった制度になっているからと言った諦め感覚になって、事なかれ主義になっていて、何の疑いや不満も抱かなくなっている国民に、現実社会の日本の在り方とどこか似たところを感じ、SFなのに妙なリアル感と、危機意識を抱いた。
遺骨になった妻と上手く折り合いが付けられるのか、何処か穴が開いている娘との関係性も修復できるのか、主人公の男の代わりにくじを引いた「サイハテ」に行く権利を獲得してくれたことに対する、当てたのは自分じゃないという負い目、同士とまで意気投合したのに、イザとなると主人公の男の思い切りの悪さによって国民管理局職員の部下の中年男を結果的に裏切ってしまったりして、娘に真の幸せとはそ何かを問われて、答えに困って逃げてしまったりもするが、自分や妻、娘、職場の人からも逃げ続け、何とか辿り着いた「サイハテ」には何もなく、しがらみもなければ、何をするのも自由だし、自分を縛るものは何もないがただの砂地で、ショックを受け、途方に暮れるが、そこで今まで色んなことから逃げ続けてきたことを心底後悔し、自分や今は遺骨になってしまった妻ともしっかりと向き合おうとし、今まで人の意見に流され、家族ともしっかりと向き合ってこなかった主人公の60の男が、とある重要な決断をして、前に本当の意味で進もうとする姿に、そういった結末に、決して格好良くもなければ、ハッピーエンドともバッドエンドとも言えないような曖昧な終わらせ方で、中途半端とも言えるが、実際人間が生きている中で選択をする時なんて案外そんなもんだと言うところもあると感じ、妙なリアリティーを感じて、共感した。
世の中、意外とイエスかノーと言ったふうにはっきりと言い切ることより、生きている上で、思い悩み、悩んだ末にこれだとはっきりした答えなんて導き出すことができなくて、それでも導き出そうと四苦八苦する格好悪さが、2択に絞れないところ、永久に思い悩みながら生きるところこそが人間の良さでもあるんじゃないかと、完璧ではないし、欠点だらけの流されやすく、自分の考え方をはっきり抱いているとは言い難い主人公の60の男を見ていて感じた。

交差点のプテラノドン
演劇集団 Ring-Bong
座・高円寺1(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/12/05 (金) 19:00
里中産婦人科クリニックの院長である里中こうたの通夜。長女の唯は、母の遺言もありクリニックを守ろうと必死。こうたは急死だったため、遺言状は遺されているか…?と遺産とクリニックの今後をめぐり3姉弟は意見がぶつかり、お葬式なのにてんやわんや。そんな中、唯の娘、花音が大きな秘密を抱えているようで…。
葬式であぶり出される家族の本音から、母と娘、特別養子縁組…と、「家族とは?」を問いかけていくと言うような、CoRichに載っていたあらすじを読んだ感じだと、急死した里中こうたとその家族、親戚、関係者を巡るドタバタ喜劇であり、人情喜劇でもありつつ、社会問題を取り扱った演劇であって、不思議な要素など微塵もない作品だと思って、会場に観に行った。
実際観てみると、里中産婦人科クリニック院長の急死の為、遺言状が残されているのかといった問題と、遺産とクリニックの今後を巡り3姉弟の醜い言い争いになるようなドタバタ喜劇な展開や里中家の娘が17歳にして望まぬ妊娠になりそうな問題、長女とその娘との関係などを丁寧に描いており、全体的にはあらすじとそんなに大きくは変わらない。
急死した里中こうたが幽霊となって、時に感情的になったり(幽霊だから生きている人間には見えないにも関わらず)、時に人に見えない、自分の声も相手に届かないというような状況から客観的な視点に立って我が身を振り返ったり、自分のかつての言動や行動が相手を傷つけていたこともあると知って、我が身を恥じ、反省したりと、幽霊なのにも関わらず、その辺の生きている人間より、人間臭い感じに描かれ、幽霊が成仏してあの世に行くまでの期間、話し相手になったりする見守り係としてうら若く見えるさつきという女性とのやり取りを通して、里中こうたが気付くことも多かったりといったように、生きている人間には見えない幽霊と見守り係の視点がさり気なく入ることで、望まぬ妊娠になりそうな長女の娘の問題だったり、子どもの為と思って行動していた筈が子どもの将来や、子どもの意見や選択肢を親が勝手に縛って、親や世間が思うこうあるべきを過度に押し付ける問題や堕胎、特別養子縁組と言ったこと等、普通に描くとかなりシリアスで、観客にも緊張を強いる重いテーマが、もう少し緩やかに、時に笑いも交えながら、肩の力を抜いて、考える事ができるようになっていて、そのバランスがなかなか良かった。
若い人でも、気軽に、社会問題や家族問題と言った重いテーマについて、身構えずに考えやすい劇となっていたのではないかと感じ、全体として社会問題、家族問題、世代による考え方の違いや何気ない未だに残る女性差別の構造の問題といったことを観客に押し付けるのではなく、時に劇に出てくる登場人物の言動、行動を誇張し、大いに笑いを誘いながら、さり気なく考えさせるようになっていて、若者が観ても、難しく考え過ぎず、こういった劇をきっかけに他の演劇にも興味を抱くような橋渡しとなる劇としてちょうど良いのではと感じた。
また、里中こうたのとある秘密が劇の後半で明かされ、その内容が余りに予想を壊してくる展開が面白かった。
あらすじには出てこない、里中こうたが幽霊として里中家の家族の問題や社会問題を生きている人間には見えないに第3者の視点で見守り係と共に見つめ続けるという描かれ方は、不思議な要素などないと思って劇を観た私に取っては大いに予想を裏切られたものの、その絶妙な間と、不条理、ブラックコメディの様相を呈する劇に共感しやすく、社会問題や根深い女性差別の問題についても、遠いことではなく、日常の延長線上にあるんだと我が事として考えることが出来て良かった。
終演後の学生喋り場では、演劇集団Ring-Bong劇作家の山谷典子さんが司会となって、ゲストに劇作家、演出家、うさぎストライプ主宰の大池容子さんと演劇を学ぶ現役の大学生の2人を迎え、忖度なく、今の大学生が演劇に対してどういった思いを抱いているのかなどを引き出していて、普段は聞けないであろう、大学生の演劇に対する視点を聞けて良かった。
演劇と観客席との間に距離があって、一方的に劇を観客に観てもらい、劇作家が伝えたいテーマや価値観を一方的に観客に押し付けるといったことでなく、劇中でもっと観客と対話したりして、観客も主体的に参加させていくことで、若い人でも気軽に劇を観に行けて、劇中の観客との対話による交流によって一体感を生み出し、誰をも取り残さない演劇が作れるんじゃないかというような、今の演劇に対する改善点を大学生が話しているのも興味深かった。
家族や家族問題、社会問題、社会に根深く潜む女性差別の構造といった問題、そういった問題を取り上げた問題を取り上げた演劇は数あるし、姉弟のお婆さんがロボットや家族のことが心配で幽体離脱して様子を見に来たりといった不思議な要素や、SF要素を盛り込み、シリアスな展開になりやすい話をコミカルに展開し、感動要素も盛り込んだような劇もいくつか観たことはあるが、今回の劇のように、登場人物たちからは幽霊の里中こうたが全く見えない、声も聞こえないというような妙にリアリティーのあり過ぎる設定が加えられていることは他の劇ではなく、今回の劇のように時に感情的になったり、時に悔いたりする人間臭い幽霊として里中こうたが描かれながらも、あくまで第3者の視点に徹する描かれ方は他の似たようなテーマを扱った劇ではなかったので、新鮮だった。

あたらしいエクスプロージョン
CoRich舞台芸術!プロデュース
新宿シアタートップス(東京都)
2025/11/28 (金) ~ 2025/12/02 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/11/30 (日) 18:00
終戦直後の日本にて、まだカメラもフィルムもままならない時代に、「邦画史上初のキスシーン」を撮ろうと奮闘する映画人たちの姿を描いた、時にドタバタ喜劇な要素あり、人情喜劇な要素も混ざった青春群像劇となっており、それでいて、舞台は敗戦直後なものの、戦争の影響やトラウマが劇中、登場人物たちの台詞を通じて描く描写もあり、それらがバランスよく、1つの劇を構成していて、考えさせられる場面もありつつ、大いに楽しめ、大いに笑えた。
また、この劇を通して、映画を作ることにかける思いは、勿論、技術や機材の面、また俳優も含めて、今の時代のほうが、闇市もあるような終戦直後の混乱期と比べて苦労しないことは確かかもしれない。
しかし、良い映画を作ろうという根本はその時代と今とで、そう大きくは変わらないんじゃないかと感じた。
勿論、これは、日本において、特に当てはまると思う。
終戦直後の混乱期とは言え、闇市の何やら怪しげな食べ物を松竹梅で値段が違うが、実際は、その差は大してないかと思われるものを売っている屋台の肉欲が酷い、何処かギラついていて危ない貞野寛一、パンパン(娼婦)をしているが、客に体は売らず、客を騙して、財布や金目のものを取る悪どい商売をする野田富美子(見た目や格好からは、娼婦と言うよりかは、どう見ても、現在の新宿歌舞伎町にたむろするトー横キッズにしか見えなかったが)の2人を映画俳優として起用するという、映画監督の杵山康茂自身がカメラも何もなく、貧乏で、0から始めなければというところを加味したとしても、中々の前代未聞で、役者の大元をこの日本で遡ると中世の御代に遊女が芸事も始めたところまで遡れると言えば、そうなものの、この近現代において、実際には、終戦直後とは言え、闇市の屋台店主や娼婦を起用することはなかったと思われる。
しかし、その発想は中々ユニークで面白かった。
また、パンパン(娼婦)野田富美子を演じる浜崎香帆さんの見た目や格好が、娼婦と言うよりは、トー横キッズにしか見えないのは、寧ろ終戦直後当時と言うより、現代との持続性を感じさせ、妙なリアリティーと過去の人というふうに分けて考えずに、今でも、世間に居場所のない少年少女が騙されて犯罪に加担させられていたり、騙されて性的に搾取されたりといったことがなくなっていない現実をふと考えさせられた。
この劇に出てくる登場人物はまぁまぁいるが、それを数える程の役者で演じる上、ちゃんとそれぞれの登場人物の置かれた状況や人間関係、登場人物の性格や個性といったものを理解して、演じ分けていて、1つたりとも、同じ人物や似たような性格になっていなくて、それぞれの登場人物たちの話し方や表情にまで、違う雰囲気を出していて、流石はプロの役者だと感心してしまった。

Cordemoria
縁劇ユニット 流星レトリック
ザ・ポケット(東京都)
2025/11/05 (水) ~ 2025/11/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/11/08 (土) 18:00
主に48分と45分位の不思議な古書喫茶店が舞台で、そこを訪れるお客の悩みや願いを叶える短編2つと、その2つの短編劇のキーパーソンとなる、2つの短編より短い戦後直ぐの混乱期に古書喫茶店『コルデモリア』を創業した真壁八重子の創業のきっかけとなる話。
この3つの短編、時代、店長も、主人公となる人たちも違えど、古書喫茶店『コルデモリア』が舞台となっているということでは共通しており、母親と殆ど一緒に過ごしたことがない30代の女性や会社でのミスで上司や同僚から酷い冷遇を受け、そのうちに会社に行けなくなって、引き籠もりになってしまった男性など、昨今の社会問題を物語のなかに組み込んでいるが、その解決方法がどこか少し不思議で、劇中暖かく笑える場面も多くて、肩の力を入れ過ぎずに楽しめながらも、最後には心温まるほっこりとした気持ちにさせ、知らず、知らず、感動させる終わらせかたが、非常に映画化もされた小説『コーヒーが冷めないうちに』と似たような空気感のある作品だと感じ、この戯曲を書いた人は『コーヒーが冷めないうちに』を読んで、相当影響されたんじゃないかと感じ、意外とここまで演劇で『コーヒーが冷めないうちに』と似たような空気感の劇はないと思うので、新鮮だった。
また、本にだって意思がある、本が人に早く中身を見てもらえないかとソワソワする場面等が3つ目の短編で描かれるが、そういった視点が非常に面白く、興味深かった。
古書喫茶店コルデモリアを舞台とした短編劇の総まとめとしての3つ目の劇の最後のほうでは戦後直ぐの混乱期が舞台ということもあり、第二次世界大戦中の日本の言論が封殺され、着たいものを着れず、自由に話せず、どんな本でも自由に読めるとは言い難い不自由な世の中からようやっと脱却しようとし、物資には相変わらず不足しながらも、これから戦後日本を踏ん張って行こうという時だからこそ、戦中の反動で人々は知識を欲しているはず、もう2度と戦争なんか真っ平御免だ。だから、本を読んで、知識を吸収して、戦時のようにお上の号令になんの疑いもなくただ従うのでなく、知識をつけることで、簡単に利用されないようにすると言ったようなことを真壁八重子役の人が言い切るのを聞いて、深く考えさせられた。
そして、どことなく今年が戦後80年だということを考えさせずにはおかなかった。
最近では、日本でも『日本人ファースト』を声高に叫ぶ政党が躍進したりと排外主義や軍靴の足音がすぐ側まで迫ってきていてもおかしくない状況になってきている。
だからこそ、無関心を決め込まず、おかしいことをおかしいと言うことができる社会、著作権侵害にならない限り自由に創作できる状況、演劇含む文化が軽んじられない世の中、本を読み、知識を吸収して、簡単に政府や行政に丸め込まれないようにすることが大事だと改めて感じた。

リーディングセッション『蠅取り紙ー山田家の5人兄妹』
OVER40S
ザムザ阿佐谷(東京都)
2025/10/18 (土) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/18 (土) 18:00
「お母さん、ハワイから日帰りですか?」
ハワイにいるはずの母が、朝起きたら家にいた。
脛に傷持つ、いいトシした、山田家の5人兄妹が、三途の川を
渡りかけている母を、必死で引き止めようとするという普通に考えたら、かなり心理的に怖い怪談とも言えるあらすじだった。
しかし、朗読劇の上演を前から、劇場やスタッフの絶妙にアットホームで、どことなく懐かしい感じがしている上、朗読劇が始まると、生演奏や照明の当て方、登場人物たち同士の会話からどことなく不穏さや不気味さ、差し迫った危機意識が感じられず、段々本音がぶつかり合う人間味溢れる展開になっていく感じが大いに笑える場面も多くて、面白かった。
5人兄妹全員、フリーターで劇団していたり、30代で教員という安定した職業に就いているものの独身だったり、編集の仕事しながら、彼氏と同棲していたり、相手に奥さんいるのに不倫して、奪って略奪婚していたりと、個性豊かで癖強過ぎる現実ではなかなかない深夜ドラマを絵に描いたような5人兄妹のエピソードが印象的過ぎて、脳裏に焼き付いた。
しかし、そんな兄妹を持ったお母さんだし、若くはない良い大人が実家ぐらしだったりする兄妹もいて、ハワイに行って、病気になって、麻酔で眠る中、生きたまま、魂だけ幽体離脱して日本にいる兄妹たちの元に戻って来る程、子どもたちの将来を心配する気持ち、分からなくはないと感じた。
しかし、幽体離脱して魂だけ戻ってきたのには、もっと違う兄妹たちに伝えておかなければいけないことがあったと言うような展開に、後半戦で一気になって、それも幽体離脱して魂だけになっているお母さんから、「お父さんにこのハワイに移住するぞって言われた時には、正直、あたしは困惑したわ。また、お父さんに振り回されるのかと思うと、この先までも自分の人生なのに、自由に出来ないのか、お父さんの為にまた我慢しないといけないのかと思うと嫌にもなったわ。でもね、お父さん、会社を定年迎えて退職した後、これまで仕事一筋の人だったから、定年退職後何をしたら良いのか分からなくなって、もぬけの殻のようになっていた時期があったでしょ。だから、あたしは、お父さんがハワイで一緒に暮らそう。おまえにはまた迷惑かけるかもしれん。すまん、でも付き合ってくれないか。あたしは、久しぶりにいつものお父さんらしい、新たな希望を見出して、キラキラと輝いて夢を語るお父さんを見たわ。その時、この人に一生付いていこうと思ったわ。あたしはこのハワイの土地が気に入ったから、でもお前たちの顔も時々は見たいから、東京にマンションを買って、時々日本に来つつ、ハワイにお父さんと移住することに決めたから。だからお前たちは、これからはあたしに頼らないでね。自分のことは自分でしなさいよ」と言うような言葉を言い残して、お母さんの幽体離脱した魂は消えていくというようなあり方に、観ている私たち観客も色々と考えさせられてしまった。
幽体離脱したお母さんの魂だけ日本の5人兄妹たちがいる実家に戻ってくるというような、普通に考えたら結構怖い怪談要素の強めな話な筈なのに、どこか一昔前のブラウン管のTVから流れる家族ドラマを見ているような、何とも言えない懐かしさと泥臭さ、人間臭さ、綺麗事では済まないけれども、駄目駄目だけれども何処か憎めない感じの5人兄妹、何とも言えない人情味が流れていて、そういった5人兄妹と幽体離脱した魂だけのお母さんとの何とも噛み合わず、時に馬鹿馬鹿しくさえあるそういった家族の少し不気味で不思議さもある家族の話を暖かく描いていて、大いに笑えながらも、気付くと少しじんわりとする劇だった。
役者も、立ったり、座ったり、出たり入ったりと本当に自由で、台本も途中で落としてしまって、その後拾うも、台本を見ずに台詞を喋っていたりと、従来の朗読劇のイメージと言うか、根本概念を壊していて、良い意味で新鮮だった。

プラライ
インプロカンパニーPlatform
高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)
2025/10/23 (木) ~ 2025/10/23 (木)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/23 (木) 19:30
インプロ(即興演劇)の要素の濃い作品や、完全なインプロ公演も私は意外と観てきているが、大抵の場合、始まる前に紙が渡されて、劇中にBoxの中に観客が書いた単語や言葉、台詞の紙が入れられ、役者がその紙を引きながら、例え書かれた言葉や単語、台詞が劇の方向性を逸脱していたとしても、何食わぬ顔で、劇の場面にあった自然な感じで、吹き出したりせずに言わないといけないという役者の演技力やその場の臨機応変な対応力が問われるが、劇全体としては1つの物語や世界観で進んでいくことが多い長編劇を観ることが多かった。
また、インプロ劇でも、激しい殺陣や全篇終始ミュージカル劇になっているインプロ劇など、同じインプロの即興演劇と1言で言っても、今まで自分が観てきたインプロ劇はかなり捻りを入れてきていることが多かった。
それに、インプロ劇でも、アイドルや声優を数多く入れていたり、2·5次元演劇のオフオフブロードウェイバージョンの如くに、演劇の役者にしては、普通にイケメン、美女芸能人ランキングとかに入っていてもおかしくないようなヴィジュアルの男女の役者ばかり出ていたりと、同じインプロ劇と言っても、本人の演技力やその場の対応力、アドリブ力は2の次、3の次となってしまっている本末転倒のインプロ劇も昨今では見受けられる。
そうした中で、今回観たインプロ集団platform(実はそんなに前じゃなくに、platformの定期公演を1度観たことはある)は、良い意味で、土着的で、大衆的、今時ここまで泥臭さ漂って、見た目よりも個性が滲み出て、突発的なアドリブを次から次に飛ばし、思い付きの一発芸も盛り込み、私も含めた観客を終始抱腹絶倒にし、純粋に役者の演技力やその場の対応力が問われ、白けた際やハプニングが起こっても、以下に慌てずその場を持たせるか、台本もない中で、手探りながら良い感じに結末まで持っていけるかといった能力が役者に求められるインプロ定期公演となっており、生半可な気持ちでは成功しない役者の能力頼みの公演だと感じた。
しかし、プロの役者も去ることながら、途中の戯曲の本読みコーナーでは、舞台の朗読に参加したい人を公演前に神に書いてもらい、その中から抽選で選ばれた一般の観客もプロ顔負けの演技力やアドリブ力、対応力があり、声1つ、表情1つでその人が演じる役のイメージが伝わってくる個性が溢れ出ていて、更には舞台慣れしているのには、驚き、感心してしまった。
今回のインプロ定期公演は、前に違う劇で観たことがある役者が何人かいたということもあるし、会場の雰囲気が暖かくて、居心地が良いと言うこともあるが、出ている役者全員、どことなく中央線沿線や下北沢界隈の空気感があって、あんまり緊張しなくて良かった。
例えるなら、今時の鉄骨の高層マンションではなく、古ぼけたアパートに佇んだり、昔ながらの商店街を歩くと、何とも言えずほっこりすると言うか、妙な安心感やじんわりと幸せを噛みしめることがあるが、それと同じような幸福状態だった。
なかなか、意外と他の劇団の劇で、ここまでリラックスして楽しめることってないので、良かった。
カプセル兵団の世界の神話や民話を題材にした朗読劇の際にも、何とも言えない幸福感と懐かしさを感じたが、そのカプセル兵団と今回のインプロ集団platform以外では、意外とそのような状態になることができないもので、こうやってリラックスして、身構えずに肩の力を抜いて、観れるインプロ劇というのも良いものだと感じた。
唐十郎さんの戯曲を上演する唐組や梁山泊のテント芝居に出れるんじゃないかと思えるような役者も、今回のインプロ集団platformのインプロ劇で観かけて、これは、これからの演劇界もまだまだ希望が持てると感じた。

たまたまロミオとサム・ゲタン
市民劇場TAMA
多摩市立関戸公民館・ヴィータホール(東京都)
2025/10/18 (土) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/19 (日) 16:00
市民劇場TAMAは、結成から40年以上の市民劇団で、今年で41年目に突入し、少し遅めの40周年企画の公演ということで、劇団員たち自身にとっても特別な公演になる筈。
また、今回の劇のタイトルも『たまたまロミオとサム·ゲタン』ということで、あらすじも大して書かれていなかったことから、恐らく、シェイクスピアの名作の1つ『ロミオとジュリエット』を大胆にアレンジしたうえ、現代の人でも共感しやすいような作品に換骨奪胎して、オリジナリティも加えた作品だと感じて観に行ったら、実際には違って、良い意味で裏切られた。
劇中で劇団員の高齢化など諸事情により、解散が決まっていた市民劇団の為に戯曲を書き下ろしたが、あいにくのコロナ渦など、諸々のことが重なって上演出来なかった。
それも未完成の脚本『たまたまロミオとサム·ゲタン』の中身が、『ロミオとジュリエット』を題材としながらも、ジュリエットの婆やが実は時空を超えてやって来た怪盗サム·ゲタンで、このままだと悲劇になってしまう『ロミオとジュリエット』をハッピーエンドになるように物語を改変しに未来から来たというような急転直下でかなりぶっ飛んだ展開になると言うような上演出来なかった幻の台本で、今後も上演は予定していなかった筈だった。
稽古場兼劇場に市民劇団のかつての仲間たちや、幻の台本を書いた寺方翔子たちが、かつて使った道具や衣装などをフリマアプリに売ったり、処分したりする為の仕分けをする為に集まった筈だったが、市民劇団に入団志望の青年落川京助が何気無く近くに落ちていたスマホに着ていた1通のメールに気付き、そのメールには、今日、その幻の公演が演られることになっていて、更には、その公演の話を聞き付けた阿佐ヶ谷姉妹ならぬ、美容師の永山姉妹が早合点で、拡散しまくった上に、市民劇団は色々公演の為に忙しいだろうからと、勝手に公演のことに関する問合せ先を、永山姉妹のDMでも受け付けるというようなことをやってしまい、今更後に引けなくなった市民劇団は幻の台本の公演を実現するため、悪戦苦闘するというような話だったが、これは三谷幸喜の劇『ショウ·マスト·ゴー·オン』と劇の展開の仕方が似ていると感じた。
勿論、細かい部分や市民劇団と劇団という部分でも違うし、状況やそもそも『ショウ·マスト·ゴー·オン』はシチュエーションコメディで、一つの場所が舞台となっているうえで、ドタバタ喜劇の要素やアドリブの要素を盛り込んでいると言うところでも違っている。
但し、厳密な意味で言うと、劇中の幻の公演の台本を上演している場面と、そこでアクシデントが起きて、裏の楽屋のアタフタぶりが描かれて、2つの場所が舞台になっているから、シチュエーションコメディとは呼ばないのかも知れない。
しかし、広義の意味で言うとシチュエーションコメディと呼べる筈だし、台詞をド忘れしてアタフタする馬鹿馬鹿しさ漂う場面や、ドタバタ喜劇な部分など、三谷幸喜の『ショウ·マスト·ゴー·オン』と共通した部分も多くあると感じられ、勝手に思い描いていたものとは違ったものの、大いに笑え、楽しむことができた。
今時、ここまで、純粋に笑えて、楽しめる作品は、意外とあまりない気がするので、これからも市民劇団ということに甘んじ過ぎず、型にはまらず、画期的で、斬新で、それでいて面白い作品で、観ている皆んなを笑顔にしていって欲しいと感じた。
せめて、劇の中ぐらいでは…。

「ニュー御釜怪奇譚」(にゅーおかまかいきたん)
レティクル座
萬劇場(東京都)
2025/10/01 (水) ~ 2025/10/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/03 (金) 19:00
東北地方、宮城・山形両県にまたがる〝蔵王山〟という語り口から始まるあらすじから、比較的真面目で実在する場所、実際にあったことを題材にしたドキュメンタリー風な廃村地域活性化、笑いあり、人情あり、涙ありの村興し喜劇かと思った。
だがしかし、あらすじを読み進めていくとそうではないことが分かってくる。その頂上に広がる火口湖「御釜」の底から、突如ゾンビが甦った!
ゾンビたちは山麓の村を襲い始めたが、そこは日本一の限界集落「釜底村」
すでに滅びかけていたところに、パンデミックなど起こるはずがなかった‥‥。
無害化されたゾンビたちは村おこしに利用され、看護ゾンビ、農作ゾンビ、そば職人ゾンビに姿を変え、次々と村に就職してゆく!
――蘇るのは、死者か、村か。
かつてのように、村に活気は戻るのか‥‥?
と言ったようにあらすじが続いており、そういう風にあらすじが展開しているところから、村興し話と最初に捉えた部分は間違っていなかったようだが、ゾンビが出てきたり、その余り一般的には良いイメージがないゾンビを、逆転の発想で寧ろ村興しに徹底的に活用しようというような奇想天外な展開になっていく可能性が高いあらすじに、ごっちゃ煮的で、何でもありで、下らなくて、しょうもなくて、御釜とオカマを掛けているんじゃないかと言うような、どうでも良い疑念を抱かせる辺り、前にも横浜市県立青少年センター内の『HIKARI』というところで中編、短編劇の休憩なしの連続上演を観たことがあるレティクル座らしさを感じる劇だと思えた。

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜
A.R.P
小劇場B1(東京都)
2025/10/01 (水) ~ 2025/10/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/05 (日) 13:05
出ている役者も男女問わず、違う劇団のジャンルもSF、ファンタジー、アドベンチャー、幻想怪奇エログロナンセンス、タイムスリップもの、実験劇など全然違った作品に出ているのを何度か見かけて、特徴的で見覚えのある役者たちが今回の劇に出ており、安心感があり、それでいて他の劇団の劇で観た時と演技パターンが似通っておらず、マンネリ化もしておらず、流石はプロの役者、このような小規模でこじんまりとした比較的分かりやすい喜劇であっても、一切妥協せず演技して、また新たな可能性を引き出せていることに、感激してしまった。

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜
A.R.P
小劇場B1(東京都)
2025/10/01 (水) ~ 2025/10/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/10/05 (日) 13:05
劇団A.R.Pの劇を今年の夏に続いて、今回の劇で私の記憶が正しければ、2回目になると思う。
今回は夏の劇と同じ喫茶店がメイン舞台となっていたが、店長が中年のあんまりイケてるとは言い難いおじさんだったり、細かい点でまず違っており、内容は映画の最終オーディションに選ばれし3人、その3人がこの古びた成田空港近くの喫茶店で一般客に混じって即興エチュードで “最高の結末” を描くこと。
チャンスは一度きり。ところが想定外のハプニングが次々と!
人生と芝居の境界線をにじませる、シチュエーション・コメディの新定番と言うような、前回とは共通した部分も多少あるものの、大きく変わっていて、まぁ、そもそも違う作品で、面白かった。
前回の劇も喫茶店が主な舞台となっており、前回は、その喫茶店で同窓会を開こうというような内容で、元先生を巡ってかなり重い要素があったり、観ていてただ笑えるだけじゃなく、くだらない部分やドタバタもありつつ、緊迫した場面や、観ている観客がハラハラドキドキさせられるような予測できない展開になるような、最後には思わず感動させられるような劇で、それはそれで良かった。
しかし今回の劇は、前回と同じくシチュエーションコメディで、ドタバタ喜劇なところや、舞台となる場所こそ共通しているものの、前回の劇以上に非常に馬鹿馬鹿しくて、大いに笑えて、中年のおじさん喫茶店店主を演じるどこか冴えないけど憎めない感じが醸し出されていて、味のあるおじさん役者と、ムギュさ全開で面白くて、味があって印象に残る喫茶店のバイトの店員を演じる童顔で高身長な女優とのコンビネーションも印象にも残って良かった。
登場人物たち全員が個性豊かで、それらを演じる役者が舞台の隅々まで使っていて、観客の視界から殆ど見えない位置でも、何かしら動いていたり、会話している感じだったりと、前回の劇以上に細かい部分においてまで役者が観客を意識して演じ、アドリブも観客が気付かないような小ネタもさり気なく食い込んだりしていて、観客にあまり見えない位置ですら何かしらしているという役者のプロ意識が凄いと感じた。
また、前回の劇以上に良い意味で、内容が無いようなシチュエーションコメディで、感動的とは無縁で、おめでたくて、今時の劇にしては珍しいくらいの徹底したハッピーエンドな結末になっていて、今時ここまで完全なハッピーエンドのコメディ劇なかなか世の中の劇で見かけたことが無いので、今の世の中、また世界情勢的にも暗いニュースも多い中で、ここまで何も考えずに、大いに笑えて、普段のストレスさえも吹っ飛ぶ程に、腹を抱えて笑えて、今までで劇を観てきた中でも、劇を観ている時に、自分がここまで何も考えずに、現実の時計の時間さえ忘れる程に大いに笑えて、劇にのめり込むことが出来て良かった。

「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」
江戸糸あやつり人形 結城座
ザムザ阿佐谷(東京都)
2025/09/18 (木) ~ 2025/09/23 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/19 (金) 14:00
前にチラシを貰ってあらすじを読んだ感じだと、詩的に石川啄木の短い人生を描きながらも、どこか自伝的な、伝統的糸操り人形を使った人形劇で、割と真面目で、新劇的演出方法の堅い人形劇だと思って観に行った。
そうしたら、実際には良い意味で裏切られた。劇は、歌人·小説家の石川啄木の自伝的小説『雲は天才である』をモチーフとしながらも、結城座を模したような糸操り人形一座が都会の只中で大穴に落ちたところから始まり、その不条理さ、不思議さもさることながら、その大穴で糸操り人形一座の座員の1人が啄木の日記を見つけ、その後、日記の話がメインとなって劇が展開していく。
しかし、劇の中盤で、日記を読んでいた一座の閉まっていた人形がいつの間にか消えて、日記の中に書かれた石川啄木の本名石川一(はじめ)が小学校の代用教員をして、学校の行事としての課外授業と称して森の中に生徒たちを連れて行くと言うことと、人形が消えたことが森を通して時空が歪み、リンクしていくといった、二重、三重構造の展開が、少し複雑で、急な展開だけれども、面白いと感じた。
また、劇中の登場人物たちが個性豊かで、特に狂言回しで調子の良い猿やウナギ校長、ススケランプ教頭、バレイショ夫人、探偵独眼竜といった登場人形たちは、見た目も含めて印象に残った。
思っていたより、乾いた、皮肉の聞いた笑いも多くあり、あんまり硬くならずに、気軽に肩の力を抜いて、大いに笑えて、楽しむことができた。
今回の人形劇は、石川啄木の小学校代用教員時代の生徒たちとの交流や、ウナギ校長、バレイショ夫人、ススケランプ教頭たちを上手く言葉で言い包めるなどコミカルな場面も多かったが、全体としてはどこか宮沢賢治の『風の又三郎』に通じるような、少し不思議で、叙情的で、詩的、優しくも、劇が終わる頃には狐につままれたような気持ちになるといったような劇で、感慨深くなった。
最近のスピード社会、流行社会とは真反対などこかのどかで、不思議で、時間の流れもどこかゆっくりとしていて、知らぬ間に現実を忘れているような劇で、これこそ人間のなせる技かもしれない、AIには到底到達しづらい次元ではなかろうかと感じた。

カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00
劇中何度かリック役の口から「君の瞳に乾杯」等の映画『カサブランカ』に出てきて、今や映画の中を飛び越えて、その台詞があまりにも有名になり過ぎた名言の数々が、あまりにもさり気なく朗読劇の中に丁寧に織り込まれていて、演出家の遊び心を感じて、楽しむことが出来た。
ただ、カーテンコールで出てきて感想を最後に述べた時の時のリック役の廣瀬智紀さんは、大人の色気があって「君の瞳に乾杯」と言うようなキザな台詞が似合う雰囲気と違って、責任感があって真面目で優しいが、どこか着眼点等が変わっていて、劇中とのギャップが面白かった。

カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/09/07 (日) 16:00
かの有名な名作映画『カサブランカ』を朗読劇として演るということで、どんな感じになるものか、想像もできなかったが、実際に観てみて、そんな長時間の劇ではなかったのにも関わらず、そのどこかほろ苦さも感じさせつつ、不穏な戦争の影響も描かれ、愛憎絡み、最後まで誰の言葉を信じて良いのか予測のつかない展開となり、お互いの思惑から、互いに騙し合い、利用し合うといった感じで、物語に深みが与えられ、ただの恋愛物語と言うよりも、終始サスペンスな要素も強かったので、知らぬうちに緊迫した感じに集中させられ、劇に没入していた。
朗読劇な筈なのに、男女のすれ違い
や主人公のリックの過去と向き合うこと、戦争の影が色濃く忍び寄ってきて、ナチスドイツのシューラッサー少佐のナチスドイツに忠誠を誓い、威圧的な態度で、地元警察等に対して接してきて、中立を謳う酒場を経営するリックも密売人でリックと顔馴染みのギレルモ・ウガーテが自身が経営する酒場で捕まり、そのウガーテが国外に出るためのビザ手続きのために関わった亡命者でレジスタンスのリーダーヴィクター·ラズロがかつてリックと惹かれ合ったイルザの夫だと知った。
そのことによって、リックは信念と愛との間で激しく揺られ、ある重要な決断をするに至るまでを丁寧に描いて、リックに関わる人たちの様々な思惑が絡みあっていくのがサスペンス仕立てにされていて、とてもドラマチックで、途中でシューラッサー少佐がウガーテに対する尋問場面で、ウガーテ役の台本を取り上げ、自分の台本を見ずに、堂々と台詞を言う場面や、リックの独白場面で、リックが過去の思い出したくないイルザとの別れのことや現在イルザがラズロの妻だということに思い悩むところで、リック役の役者がそれまでの表情一つ変えず、冷淡ささえ見て取れる無表情で淡々とした物腰や表情から一転し、ボロ泣きして、汗を大量に流し、鼻水を大量に垂らし、啜っては激しく動揺しながら、胸の内を吐露する感じが、人間味を感じ、非常に共感できた。
戦争に運命を引き裂かれ、3角関係に悩まされ、イルザをリックが思う気持ちと、イルザと、その夫でレジスタンスのリーダーのラズロを無事にアメリカに送り届けてあげたい、もう間もなくこのカサブランカも危ないというような思いの間で最後のほうまで決断しきれないリックの歯切れの悪さが人間味があって良かった。
朗読劇ならではの出てくる人物も最小限にして、色濃い人間ドラマ、場所も主にはリックが経営する酒場、ホテルが舞台となり、観ている側も、登場人物たちの様々な思惑を台詞やちょっとした細かい言動を注視しながら、恋愛要素もありつつもサスペンスふるで予測も付かない展開に、息を呑みながら、集中して観れて、途中余りの緊迫感に身体が身動き取れないほどだった。
ここまで、笑いがなくて、観客に良い意味で集中力を強いる劇もなかなかないと感じた。
なので、逆に私は映画の『カサブランカ』は今まで観る機会がなかったが、これを気に観てみたくなった。
朗読劇との細かい違いなど知れる楽しみもあると感じた。

『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場MOMO(東京都)
2025/08/26 (火) ~ 2025/08/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/08/28 (木) 19:00
『私立シバイベ女学園 灼熱の課外授業編』のSチームの公演を観た。
「学力があれば防げた」と事務所判断で私立シバイベ女学園に入学させられた生徒ばかりが集まる、非常識で、筋金入りの馬鹿すぎてこのままでは世に出せないレベルの年齢的には社会人で、普段の仕事は、アイドルグループのリーダー、モデル、グラビアアイドル、下北沢の劇団員、深夜アニメの声優、お笑い芸人、シンガーソングライター、ライバー等々で、その殆どが兼業でアルバイトもしていると、芸能人だが、個性豊かで癖強だが、人間味があって親しみやすい設定の芸能人が多く出てきて、全員社会に出れないレベルの馬鹿というような極端で、突飛すぎるコメディなのにも関わらず、妙に現実味もあって、大いに笑えつつ、その独特な世界観に引き込まれた。
途中袋に入ったボールが渡され、授業参観に来た芸能関係者という設定で、私たち観客も、国語の授業で感じの読み間違いなど、ミスが多かったら、当たっても痛くない小さなよくアイドルが投げるメッセージボールぐらいより大きめだが、メッセージボールと同じ軽さ、柔らかさのあるボールを投げて良いというような趣旨の説明を副校長やS組担任から受けて、国語の場面で生徒役にミスがあるとボールを投げてみた。(もちろん生徒役本人にできるだけ当たらないように配慮して、生徒役の立っている位置より奥か、手前にボール落ちるように意識して投げた)
しかし、このように観客も自然と巻き込んでいくスタイルは、意外と面白いと感じた。劇は中断せずに、劇の一通りの流れの中でさり気なく、ボールの説明をする辺りも、現実に一瞬でも観客を引き戻さずに、劇に集中しながらも参加させていて、しかもやることがボール投げとよく小中学校の運動会である玉入れが思い起こされ、単純だけれども、童心に帰ったようで、純粋に楽しかった。
但し、例えばS組担任息吹楓役の邑上優希子さん(本当はS組担任役は大西彰子さんだったが、恐らく体調不良で出れなくなった為)、または副校長秋元康子役の板垣まゆさん等が、国語の授業の原稿を読む場面で、観客の中から適当に選んで、その選んだ人を舞台に上げて、生徒役に読ませていたものより遥かに難しく、普段使わない漢字や、聞いたこともない言葉が羅列してある原稿を読ませて、恥をかかせる、そんな企画があっても、個人的には面白かったと思う。
完全に実在する実際の姉妹ではない叶姉妹というユニットの芸能人にあやかって、この劇には非常勤講師の保健室の先生役として、毎回guestで4姉妹という設定で、入れ代わり、立ち代わりグラビア、モデル、アイドル、役者などを読んでおり、実際と同じく叶(かのう)という苗字な上、名前にguestの本名が組み込まれており、妙な生々しさが相まって、フィクメンタリーな要素が絡んでいて、面白かった。
副校長の秋元康子も実在するアイドルプロデューサーの秋元康さんに子を付け加え、ほぼ名前を寄せてきている辺りとかも、妙な現実味があって楽しめた。(隠れミッキーならぬ、役の名前や苗字、経歴などの中に実在する宝塚や劇団四季へのオマージュがパンフレットを買って、見返してみると、そういう楽しみ方も出来て楽しい。まぁ、劇を見ているときに気付いた、実在する芸能人の名前が役名に入り込んでいることに気付けることもあったが)
芸能人だと特に最近取り沙汰されがちな、セクハラやハニートラップといったことへの対処法を生徒役やguestの非常勤講師叶智絵子役の小林智絵子さんも参加してのショート劇で実演したりする場面もあるが、極端化してブラックコメディにしていて、緊張感あるシリアスな感じに描いていなかったので、気軽に見れた。
しかし、後から、深く考えさせられた。そもそも個人的には、セクハラやハニートラップ等に被害者側が対処しなければいけないということではなく、そういうことが起こらないように、芸能界、TV、映画業界等が真剣に取り組む事こそ大事なのではないかと感じた。
だが、セクハラ、ハニートラップこういったことが芸能界、TV等ではよく起こること、その他芸能人による不祥事や不正、脱税そういった闇の部分にもさり気なく劇中のショート劇といった形をとって描かれ、または劇中の生徒役同士の会話から浮かび上がらせたりすることで、そういった事に普段から目を通している観客じゃなくても、芸能人や芸能界、TV業界の陽の側面だけではない闇の部分や裏事情について知って、関心を持つ初心者向けと考えると、良いとも思えた。
今回の劇は、アイドルグループのリーダーが主役だが、恐らく2024年で、劇場MoMoで観た公演だったと思うが、それもアイドルグループのメンバーが主役(リーダーではないが)の少し不思議だがシリアスでサスペンス要素の強い群像劇だったが、その劇では、ストーカー被害にあってグループに復帰できないメンバーの葛藤や不信感、被害者に寄り添いつつ、社会問題として取り扱いながら、ハッキリと加害者が誰であるかを名前や刺して怪我を負わせる動機などが描かれない。そういったシリアスでサスペンスな展開が続き、主人公が追い詰められていきながらも、最後は多少幸せと思われるような描き方をしており、途中詩的な表現や少し不思議な表現も多々ある静かだが実験的要素もある劇だった。
同じアイドルが主人公で、芸能界や芸能人の闇の要素を扱いつつも、今回見た劇はブラックな要素もあるかも知れないが、根本的に大いに笑い飛ばせる明るいコメディだったので、こんなにも同じようなものを扱っても、こうも違う感じになるのかと、驚いてしまった。

Go West!
劇団芝居屋樂屋
たましんRISURUホール(立川市市民会館)(東京都)
2025/08/28 (木) ~ 2025/08/30 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/08/29 (金) 18:00
予定より7分程遅れて開演したが、開演時間が押したことが気にならない程、濃密で、大いに馬鹿らしくて笑える場面もあったが、深く考えさせられる作品だった。
今回の劇は正直、子どもも沢山出ており、演技経験のそんなになさそうな人も出ている市民劇といった感じが否めなかったので、そんなに期待していなかった。
しかし、実際に観てみると(まぁ、出演者の子どもによっては、明らかに歌う場面で、音階がズレていたり、台詞がたどたどしくて、苦笑レベルの子もいなくはなかったが)、思っていたよりも、完成度も高いし、プロの役者とそうでない人や、子どもの明確な線引きが出来ない程、演技も自然に見え、歌も上手くて、眼を見張るものがあった。
今回の劇は、西部劇のミュージカルだが、その組み合わせだけでもかなり詰め込んでいると感じるのに、今年戦後80年ということもあってか、西部劇なのだけれど、人を殺さず、敵を作らず、西部劇ではお決まりのならず者、お尋ね者、ギャング的なものは出て来ない。
最初敵役として出てくるならず者たちも、そうなってしまった背景が語られたり、主役たちの側の言い分、ならず者側が悪いことを続ける言い分が語られ、どっちの言い分が絶対に正しいとかではなく、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、心を開いて話し合えば銃などで撃ち合わなくて済む。
もっと平和的に大きなトラブル、戦争、紛争であっても解決できるといったテーマが盛り込まれていて、ただの古典的なアクション西部劇ではなくて、面白かった。
互いに憎しみあい、怒り、お互いの正義や守るべき者の為、大義名分があれば、銃を取って人を殺すことだって正当化される。
そういったことが肥大化していくと、かつて西洋の植民地政策や、それに習った日本が現在の韓国や中国、台湾、南アジアを一時期支配し、言語の強制等といったこと、ジハード(聖戦)の名のもとに戦争や紛争が正当化され、安全保障の名のもとに核保持が正当化され、原発が正当化されるといったことに繋がっていく。
そういう風になっていかない為にも、相手のことを考える想像力を働かせ、お互いのことをもっと知ろうと努力し、相互理解するよう努め、お互いに心を開いて話し合い、偏見や相手を下に見るのを辞め、まずは相手のことを理解するため、主義主張やその背景になっていることを丁寧に聞き、忍耐強く、何かと言うとすぐ武力に走らず、平和維持のため、争いや諍いよりも相手と対話し続けることが人類が平和でいられることなんだという平和でいる為の理念としては素晴らしいと感じた。
但し、西部劇の時代は、荒くれ者、ならず者が街をうろつき、ゴロツキ共も相当いて、更に野生肉食動物もその辺をうろつき、ギャングもいてといった状況の中で、劇中の保安官補佐の青年のように簡単に銃は捨てられない時代だったと感じた。それに街の人たちも自分の身は自分で守らないといけない危険と隣り合わせの時代が西部劇の世界だと感じた。
以上のようなことを踏まえると、簡単に西部劇の舞台となっている時代に、銃を捨て、武器を捨て、相手を互いに理解しようと努め、話し合うことで解決できるというのは、現実的に考えると余りに夢物語だと感じた。
ただ、この劇はあくまでフィクションなので、今の時代にあって、この世知辛い世の中で、緊迫した世界情勢の中、不安定な世の中の中では、せめてフィクションの中ぐらいは幾ら理想的過ぎたとしても、そういう理想を夢見ていても良いと思うし、更にそれが現実のウクライナ侵攻の問題やイスラエルとパレスチナとの問題に関しても、いつの日か平和的な話し合いによる解決が実現すれば良いと思う。
それに、核抑止ではなく、核廃絶の声が今よりもっと世界に広まってもらいたいし、原発回帰が正当化されるのではなく、将来的には再生可能エネルギーに移行していってもらいたい。
その為にも、今回の劇のテーマである自分の意見を持つ、一生懸命考える、思考停止しない、安易に多数意見に同調しない、人類の可能性を諦めない、お互いを認め合い、尊重し合う、武力、暴力は事態を悪化させるだけ、根気強く話し合うことこそが平和への道といったことを心に刻み、考え続けることが大事だと思った。