旗森の観てきた!クチコミ一覧

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貴婦人の訪問~THE VISIT~

貴婦人の訪問~THE VISIT~

東宝

シアタークリエ(東京都)

2016/11/12 (土) ~ 2016/12/04 (日)公演終了

満足度★★★★

ミュージカルに向いている原作なのか?
ミュージカルの原作は難しい。平凡だと客が観ないし、複雑な心理描写が欠かせないとなると、時間が足りなくなる。客も飽きる。このドイツ演劇の代表作は筋書、テーマもはっきりしていて(あざとい話だ)ミュージカルに向いていそうに見える。これは東宝お得意のウイーン仕立てだが、同時期にブロードウエイでもやったそうだ。こちらは情報でしか知らないが、あざとい話を抽象化して表現主義的?にやったらしいが見事失敗。一月持たなかったと聞く。こちらのウイーン版は東宝が知恵をつけているのだからきわめて大衆的な解りやすさをのある宝塚の俳優を生かした東宝ミュージカルだ。元戯曲は金で愛情が買えるのか、金があれば復讐できるのか。現代の社会の法や倫理はそれに対抗できるのか、と言う、まぁ、新書版ハウツーもの向けのテーマをドイツ風にじっくり書いてある4幕物。
対立項が男女の愛と復讐だし、金が前面に出るのでわかりやすいが、そこが落とし穴。今最もモラルが輻輳化しているテーマでもある。終結は明かさないが、これでは今の若者、いや中年も何が言いたいかわからない。原作は別の解決をしていてその方がよかったと思う。
と、中身には疑問だが、クーリエは満員のお客様。音楽は今どきめずらしい絃などもたっぷり入っているし、最近多い凝りまくった曲もなく、ダンスや群舞は手慣れた東宝ミュージカル調で見ている間は楽しく見られる。でも出てからはあれどういうことと?と話し合うネタにはkと欠かないだろう。それでいいのだともいえるか・・・なぁ。
余計なことだが、カーテンコールでもオケが紹介されるのに姿が見えない。カラオケではないと思うが、ミュージカルはオケを見たいのだ

三人姉妹はホントにモスクワに行きたがっているのか?

三人姉妹はホントにモスクワに行きたがっているのか?

鈍牛倶楽部

駅前劇場(東京都)

2018/01/26 (金) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

満足度★★★★

台詞よりも仕掛けの効果に頼る舞台が流行りだが、岩松了の舞台は台詞で見せる。ことにチェホフは岩松が学生の頃から取り組んだ作家で、自家薬篭中のもの。「三人姉妹」を河原で上演しようとしている小劇団のバックステージ模様と、芝居の「三人姉妹」を重ねて滑り出す最初の溶暗まではなかなかシャレてもいるし、随所に本歌取りがあって快調である。ワークショップのメンバーを集めたと言うキャストは、全くと言っていいほど実績が浮かばない俳優ばかり(出演表か配られたが、配役表が欲しい。誰が何をやっているかわからない)だが、よく稽古が行き届いていてそれぞれの役も過不足ない。メンバーの一人がマスコミに売れることで劇団内に波紋が広がっていく二場からは近くの住人なども出てきた話も広がっていく。この人物たちもさすが、鶴屋南北賞(だったっか?)受賞した岩松、キャラも台詞も面白い。三場には歌もあるがこれもなかなかいい感じだ。

ネタバレBOX

しかし面白ければ面白いほど、一場のような、一九世紀のロシアの「三人姉妹」と現在の演劇若手の重ね合わせは、うまくいかなくなる。だんだん最後の軍隊が出ていくところはどうするつもりかと心配になってくる。なんとか決闘のシーンで一人が生きていることにする新趣向で逃れようとするが、やはりうまく結末には持っていけていない。「三人姉妹」の幕切れ、三人姉妹がそれぞれ出発する軍隊を見送りながら人生の行方について独白する有名な感動シーンにはつなげられなかった。岩松の力量からすれば、時間をかければできただろうが、ま、今回はここまでと言う納めである。それでも、これでも十分面白い。もう少し手を入れて、設備と椅子のいい劇場でもう一度見たい舞台である。
少女ミウ

少女ミウ

森崎事務所M&Oplays

ザ・スズナリ(東京都)

2017/05/21 (日) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★

岩松了・作演出でいかにも「現代劇」らしい舞台である。スズナリながら、プロセニアム舞台の味でテレビの人気俳優を使い、東北震災後の社会の空気を少女ミウに象徴させて舞台は進んでいく。震災避難地域にある家の晩餐と、それを外側から見るテレビ局を交錯させる手法で、話は面白おかしく、しかもいつもの若松らしい皮肉も十分に効いて進む。今の震災後に対する空気がよく描かれているが、さて、楽しいかと言われると、答えに困る。やはり観客の中でも風化は進んでいるのだ。
テレビ局を鏡にする構造は、今年も永井愛の新作で使われていたが、現在のテレビ局はメディアとしては弱体化しているので喜劇的以外のパンチがきかない。今回もテレビの好きな話題作りで進むが、これはあまり成功していない。
むしろ久しぶりに見た新劇の伝統を継ぐ現代劇がよく稽古されて上演されたのを多としたい

斜交~昭和40年のクロスロード~

斜交~昭和40年のクロスロード~

水戸芸術館ACM劇場

草月ホール(東京都)

2017/12/08 (金) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

すっかり昭和史の事件となっている「吉展ちゃん誘拐事件」を描いたのが「斜交」である。舞台は取調室の一室。三度も長い取調べを受けていながら決定的証拠がないと見て否認を続ける被疑者(筑波竜一)と、警察の威信を背負って任命された切り札の刑事(近藤芳正)の最後の10日間の白熱の取り調べだ。
 刑事は、被疑者が犯人である状況証拠を自らの足で確かめたうえで取り調べに臨む。法廷に送るには犯人が自白するしかない。三度の取り調べを乗り切った犯人はあの手この手で逃げる。最後の日、刑事は被疑者のちょっとした証言のほころびから収集した状況証拠を一気に突きつけて落とす。密室の中の追跡劇に、強い心情証拠となるいくつかのシーンが挿入されている。半世紀前には大きな話題だった事件だけに当時はこの最後の取り調べも含めていくつもの記録が書かれ、映画やテレビ、流行歌のテーマにもなった。
 今回の企画は刑事の出身地の水戸芸術館の企画で、近現代史でいくつも秀作のある新鋭古川健が書き下ろした。狭い取調室で追うものは、追われるものの心情に触れて自白を引き出そうとする。二人が対峙する形式は演劇では珍しくないが、効果を上げるのは容易ではない。今回の刑事役近藤芳正はかつて三谷幸喜の「笑の大学」で追われるものを演じて成功している。今回は立場が変わってその経験が生きている。茨城出身の犯人役の筑波竜一もまだなじみの薄い新鮮さが生きた。
斜交と言う言葉は広辞苑6版に載っていない新しい造語のようで、クロスロードと振った副題から察するに交差する道ということらしい。単純には、探偵と犯人と相反する道を歩む二人が交差する、と言う意味だろうが、いろいろな読み方もできる。芝居のフィナーレを見れば、真人間と非人間の交差、とか、人間造形を見れば、日本の高度成長期の格差の交差とも読める。単純にサスペンス劇としてもよく出来ているが、50年もたった事件に改めて考えさせられる舞台でもあった。
水戸仕立てだけに東京公演はわずか3日。草月ホールは下北沢ほど狭くないが、知名度が低い。客席は芝居好きがかなり集まっていたが、フォローできたた観客は多くはないだろう。地方公共団体主催と言う事で、いろいろ下らないお役所縛りがあって、再演も難しいだろう、公共団体いじめ、威張り、はここの所目立つが、残念と言うしかない。


夏の夜の夢

夏の夜の夢

演劇集団円

吉祥寺シアター(東京都)

2021/10/02 (土) ~ 2021/10/11 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

舞台を二重に組んだグローブ座風の裸舞台の中央の高みに木材の森風のオブジエが立っている。それだけの愛想のない舞台に、二十人余の役者が次々に現れてはセリフを朗唱風に言う。稽古中はコロナ禍だったので、俳優間の距離をとったという。それがリアルではない独特の空間になっている。音楽は笛や小太鼓が入っているが現代音楽で、時に踊りもある。振付も、踊り手もパッとしない。テキストレジと演出は客演出の鈴木勝秀。近頃、現代化やコスチュームプレイ化でサービス過剰の「夏の夜の夢」を見慣れていると、森の中の恋人の取り違えと、町人たちの御前芝居に絞った構成で、祝祭劇らしい喜劇的なシーンの連続で休憩なしの二時間。演出が劇場パンフで正攻法のシェイクスピアと言っているように、この作品は、あまりごてごてと飾らなくても面白いのだと、納得できる舞台だった。
しかし、このように芯だけを上演するならば、俳優には今少し頑張ってもらいたい。かつてはこの劇団のシェイクスピアは安西徹雄訳だったが今回は松岡和子訳。言いやすくなったからか、若い俳優たちはほとんど、セリフを一気に口にするだけで,言葉のニュアンスの表現ができていない。味気ないことおびただしい。この劇団には声優としても高い評価のベテランがいるのだから、もっとキチンと教えたらどうだろう、この際、口移しでもいいと思う。そのうちにうまくなる。
この上演台本だと、音楽と、それに伴う踊りは芝居の雰囲気に大きな影響を及ぼす。音楽の曲は今風との折衷で悪くないと思うが、編曲が雑な感じがする。振付はやはりプロの振付師をスタッフに加えるべきだった。折角の妖精たちがそれらしく見えないではないか。
劇場は満席。コロナ明けの祝祭気分も溢れていて、観客も楽しんでいる。飾らないシェイクスピアの良さを久しぶりに見た。


爪の灯

爪の灯

演劇集団円

シアターX(東京都)

2017/05/19 (金) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★★★

地方在住の作家の誠実な小品で、好感を持って持ってみた。この女性作家は確か神戸の小劇場のリーダーで90年代後半には東京でも公演を打ったと記憶している。その演劇少女が結婚して岡山でこういう芝居をコツコツ書いているかと思うと、ある種の感動がある。時に地方(と言っても過疎に近い)に行くとこういう生活があるだろうな、と想像させられることは多い。だからどうだ、と言うのは都会人の驕りだろう。円も、新劇稀の美少女だった高林由紀子、嘱望された青年・大谷朗が中老の役で出ていて彼らにもある種の感慨がある。精一杯真面目に人生と取り組んでいる、と言う芝居と妙にダブるのである。芝居の中身は置いておいて、という最近稀な観劇体験だった。

リボルバー

リボルバー

オフィスコットーネ

APOCシアター(東京都)

2016/11/18 (金) ~ 2016/11/23 (水)公演終了

満足度★★★★

埋もれた小劇場脚本の発掘
オフィスコットーネと言う小さな(だが実績も歴史もある)演劇製作社が大阪の小劇場の大竹野正典の義侠を再発掘している。本人は09年になくなっているので戯曲から入るというしゅほうそのものが小劇場としては非常に珍しい試みだ。、生きていればこその作者、演出家が小劇場と思っている人も多いが、こうしてみると、埋もれている小劇場のいまも使える本はある。今回の演出は伊東由美子。なつかしや、離風霊船の作演出だ。この劇団のホンも「ゴジラ」などやってみると面白いのではないか(どこかでやっていたようにも思う)。大竹野は全く東京ではやっていなかった作家、小劇場なのでコットーネの公演で初めて知った。「山の声」は、あまりのストレートな作りに大阪の小劇場にもこんなのがあったかと、感動した。今回の「リボルバー」はかなりコメディ風のつくりなので「山の声」とは違うが、つまらない新作よりはいい。大阪らしい笑いがきついが楽しめる。役者はさすが、三田村周三、伊東由美子の大姉御ぶり、若者の辻井彰大、池田智子は若さで行ける。中年夫婦三組にいますこし粒だった人がいるともっと面白かったかとも思うが、それは千歳船橋の出来たばかりのスペースの公演としてはないものネダリだろう。70人くらいのスペースが月曜夜の公演なのに満席だったのがよかった。

ミュージカル『メンフィス』

ミュージカル『メンフィス』

ホリプロ

新国立劇場 中劇場(東京都)

2017/12/02 (土) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★

今年、歌と踊りのショー系のミュージカルでは一番の出来ではないか。山本耕史は子役の頃から見ていて賢そうだな、とは思っていたが、こんなミュージカルを歌い演出する才能があったとは!
ドラマの筋は単純な黒人差別の物語で、常識的な展開なのだが、メンフィスと言う場所にこだわりがあって、上滑りしていない。黒人地域の中の下流白人で偏見を持たない、という役どころを山本はうまく演じる。ここも上滑りしていない。相手役が濱田めぐみで、歌唱力はあるし、動きもいい。テンポのいい展開で客席もミュージカルの楽しさに巻き込まれる。このジャンルならではの舞台である。脇も、根岸季衣とか、栗原英雄とか、芝居からの人をうまく使っている。
いつもはだだっ広くてしまりのないこの劇場をうまく埋めた。一幕の中ほどで上下に道具をいたシーンが唯一間が抜けて感じがあったが、狭いDJスタジオをサット広げていく演出など鮮やか。フレームを付けた美術もいい。踊りも型どおりと言うところが少なく、舞台が生きている。ホリプロ久しぶりの演出人材発掘大成功である。
年末の忙しい時期にいいものを見せて貰った。、

ハイサイせば

ハイサイせば

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/01/06 (土) ~ 2018/01/08 (月)公演終了

満足度★★★★

沖縄と青森の地方でやっている劇団の合同公演。作は青森の畑澤聖悟。およそ関係のなさそうな二つの地方の演劇人が合同でやる芝居だから、さぞ、ネタに困ったであろう。しかもほぼアマチュアであろうから長期の稽古も公演もできない。その悪条件をこなすのも畑沢聖悟はうまい。
あらすじに出ている「お話」は苦肉の策ともいえる素材だが、立派に両地方の要望にもこたえ、ともに満足の結果だろうと思う。両地方とは遠い東京のアゴラでも普段は客の薄い日曜夜の7時半が超満席。75分の小品ながら、佳作と言える面白さだ。地方劇団の演劇活動と言う事は十分意義があり、また、畑澤の実績は十二分に評価するとして、畑澤、これでいいのか?と言うのはいつも気になる。
これは、東京の観客からの感想なのだが、こんなに、芝居のツボを心得た劇作家は現在の都会在住の劇作家の中にも何人もいない。当然、東京からの注文もあって、昴に書いた「親の顔が見たい」は、非常に面白かった。この劇団としては珍しく再演もやったくらいだ。ほかにも、民芸や銅鑼、青年座など、観客組織にのった新劇団にはその注文仕切りのうまさを買われて書いているが、最初の昴のようなスマッシュヒットはない。新劇団の注文仕事は、内容を地方巡演まで考えて書かねばならず(今は予想外の頑迷な規制があり、これにひかかると無駄にエネルギーを消費するので、程よく書くことを求められるらしい)、劇団となれば、出したい役者もいるだろうからその注文もあるだろう。地方作家にとっては、それほど自由には書いていないと思う。一方、地元では実績があるから、これまたその要望に応えて、青函連絡船の話や、いたこの話も書かなければならない。畑澤は無論それに不服を言っているわけではないが、東京の観客としては、畑澤の、腰の据わった地方を舞台にした作品を見たいのである。贅沢を言えば、日本のチェホフのような。
いま日本を芝居にするなら、地方都市、農村はいい素材になる。畑澤ならではの芝居が書けると思っているからだ。年齢的にも今が最後の、とは言わないがいい時期だろう。
今は、独立の小劇場系のプロデュース公演も増えているから、この作家のいい戯曲を、公共劇場や劇団の注文でなく、座組みにも面白さの出せるプロデュース公演で見たい。誰か、トラムか、東芸地下あたりで、応分のキャストをそろえてやらないだろうか。例を挙げれば野木の「三億円事件」だってプロデュース公演は見違える出来だった。
正直に言えば、今夜のこの芝居だって、東京在住の青森、沖縄出身の既成の俳優でやれば、もっと面白くなっただろう。地方の俳優にそれを言うのは酷だが、東京の俳優なら受けて立てるだろう。作者の側にしても、もっとケイコが出来れば、終盤の唐突な謎解きめいた終わりにしないで、戦争に巻き込まれる庶民に心情や言葉と言うものの魔力などを織り交ぜながら、さらに深いテーマを籠められたのに、と残念だ。

嗤うカナブン

嗤うカナブン

劇団東京乾電池

ザ・スズナリ(東京都)

2018/02/07 (水) ~ 2018/02/14 (水)公演終了

満足度★★★★

赤テントの唐組から俳優が、下北沢の人気劇団・東京乾電池から演出と俳優が、新宿暴れ者の第三エロチカから作者と、80年代に、元気のよかった、というより一目置かれて畏怖の念を持たれていた、その三劇団が手を組んで、スズナリで公演を打つ、昔では考えられないが、いまは時代の変遷を実感する座組みの公演である。どんなことになっているのか見てみようとなるスズナリなのである。
この三劇団は、30年を超える風雪を生き抜いて、追従を許さない独特の個性のある舞台を作ってきた実績もあり、今も公演が打てる(第三エロチカはTファクトリーと名を変えたが)が、こういう企画をやろうとするところに、唐が書けなくなった唐組と、結局岩松以後座付を持てなかった乾電池の現在の状況がある。脚本を頼まれた川村毅もどうまとめるかかなり苦慮したに違いない。もともと、わが道を行くという以外にさほど共通点のない両劇団が、看板俳優を出すと言う公演である。しかも、客から勝手に言わせてもらえば、ともに出来不出来の激しい劇団である。ここは役者のガラの面白さと、話は手慣れたメタシアターで喜劇・・・となったのではないだろうか、と客は勝手に想像する。
舞台は、なんと、パリの北沢、である。登場人物もちろんフランス人で名前もそれぞれ横文字だ。売れない男性コーラスの4人が銀行強盗を成功させる。歌っている間にカナブンが飛んできたのに触発された強盗だが、成功してみると仲間割れである。誰がどういう理由で裏切ったか、誰がカナブンか? と言うナンセンス・コメディだが、川村脚本はハードボイルドミステリのお決まりの科白をちりばめて、話を運んでいく。川村はもともと技巧もうまい作家だがこういう大衆劇のような芸もあったかと感心する。だが、唐組も、乾電池も、笑いの中身は解っていても、この洒落っ気を舞台で生かすには、普段の習練が足りなかった。演出の柄本明も舞台美術などは旨いものだが役者をまとめきれていない。
脚本は、ショーのような軽演劇としてはよく出来ていて、俳優が、例えば、バンドのところやダンスのところで愛嬌の一つも出せればお客は喜ぶのにそこが出来ていない。
いくつも注文は出てくる公演ではあるが、この二劇団がやる企画としては十分面白いし、こういう東京喜劇の路線はあまり成功していないのだから挑戦し甲斐がある。大阪に席捲されてきた喜劇と笑いの世界をひろげることにもなる。


ブロードウェイと銃弾

ブロードウェイと銃弾

東宝/ワタナベエンターテインメント

日生劇場(東京都)

2018/02/07 (水) ~ 2018/02/28 (水)公演終了

満足度★★★★

今月の新作のミュージカル二本が1920年代もの。その一本の「マタハリ」はフォーラムでやりながら、ここでは上演すら無視されている。見てみるとなるほど無視されるのも当然の舞台だったが、もう一本の「ブロードウエイと銃弾」はよく出来ていて楽しい。
華やかな表舞台と、銃弾が支配するギャングの裏社会が、表裏一体だった一九二〇代のブロードウエイ。地方出身の純朴な演劇青年(浦井健次)が脚本家を目指してこの町にやってくる。映画からスピンアウトの「ブロードウエイと銃弾」は、ここで初めて脚本採用となった青年この街の風習に振り回される喜劇だ。
まずは興業の金主のギャングからはお気に入りのトンデモ女優(平野綾・快演)を作中に入れることを要求され、ベテランの主演女優(前田美波里)からも次々に注文が出される。進退窮まった脚本家に、なんと、若い女優についてきたギャングのボディガード(城田優) が作劇上のアイディアを出してくれる。純情青年の劇作家と殺人も平気なギャングが二人三脚で舞台をヒットに導こうと頭をひねる。この意外な設定が旨い。ミュージカルなのだが、音楽はオリジナル作曲ではなく二十年代の曲の編曲である。これも効果を上げて一幕の終盤、タップに歌を織り交ぜてローカル試演の成功で盛り上がる。ブロードウエイのオリジナル振り付けを使っているそうで、きれいでシャレた装置の舞台に躍動感がある。
俳優陣も脇役までそれぞれの個性が際立ってバランスがいい。
だが、こんなあやふやな座組みの芝居がうまくいくわけはない。二幕はその崩壊が描かれるが、そのなかでは,芝居つくりの機微にも触れるところがあって面白い。
映画が原作だが、再演が待たれる異色のになった。

骨と肉

骨と肉

JACROW

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/20 (月)公演終了

満足度★★★★

小劇場と言うと、甘えた自分探しや体験告白が多かったのにここ数年、社会実話派が多くなった。中では、トラッシュマスターズやチョコレートケーキなどが、素材的にもその切り口も従来の社会派演劇を超える作品を生み出してきた。それに次ぐ、というjacrowの新作は、大塚家具の父娘の社長争いである。タイトルも「骨と肉」何のことかと思っていたが、何のことはない只骨肉の争いと言うだけのことで芸がない。舞台も週刊誌で知っているような一族の相克と株主総会の経緯で、先の劇団がやり遂げたような事件の中から時代の生々しい人間像が立ち上がってくるということもない。俳優も父娘はともかく周りの大人たちはかなり苦しい。
しかし、小劇場が自分たちの身近の世界にいない人間たちに取り組むのは後日必ず役に立つ。一族の俳優たちが精彩がないのは、日常的な経験に頼っているからで、社外重役たちには経験がないだけに工夫の跡が見られる。見ているだけなら週刊誌をたちあげたような気楽な再現ドラマ的面白さだった。

ネタバレBOX

アンケートで、あなたは社長の意見と会長の意見とどちらに賛成しますか?と問うているが、これは全く愚問である。観客はそんなことを見に来ているのではない。そういうことは東宝の大劇場(エドウインドールドの謎)や2・5ディメンションに任せておいて、小劇場ならではの人間発見に取り組んでもらいたい。兄弟のグズぶりなど下手なミステリもどきで興ざめである。それなりに面白くなる素材なのに勿体ない。
取引

取引

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2017/11/10 (金) ~ 2017/11/20 (月)公演終了

満足度★★★★

j時宜を得た、と言うのにふさわしい芝居だ。森友問題や、加計問題が、話題になっている今まさに、政治家の裏金問題を正面から描いた舞台だ。江戸時代なら、お奉行からお咎め、小屋主は、いやいや、これは異国の話でございますから、などと言い訳しながら大当たり、だったかもしれない。
FBIの潜入捜査官が田舎の州知事の汚職問題で点数を挙げようと二人の捜査官を送り込む。まず、うぶな政治家から始め、次第に大物へと捜査を進めていく、海千山千物語だ。時宜も得ているから、東西どこも同じだろうな、などと思いながら見ているとアクションドラマ並の進行で面白く見られる。
アメリカの20年ほど前の戯曲だそうだが、ほとんど知られていない作家の作品をよく見つけてきたもんだ、と感心するが、では、出来がいいかと言うと、舞台面は十分面白いが、登場人物に、役割以上の色が薄く、数多い台詞をこなした田中壮太郎、小須田康人、福井貴一の主要三役はご苦労様ではあるが、ここから、社会の暗闇はあまり感じられない。それは翻訳劇と言う背景の違いではなくて、多分、戯曲がかけひきの面白さに引きずられたからだろう。そうするには汚職に手を染める側が安いと思う。
しかし、この小屋で補助席がいっぱい出る大入り。それだけの面白さはあるのだが、日本でこの芝居が組めるかと言うと、森友、加計の現状を見ると、複雑怪奇で結末はしりぬけ、とてもドラマとしては成立させられそうにない。

風紋 ~青のはて2017~

風紋 ~青のはて2017~

てがみ座

赤坂RED/THEATER(東京都)

2017/11/09 (木) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

宮澤賢治もの、である。没後そろそろ百年にもなるというのに、この作家は衰えぬ人気がある。生前に恵まれなかったと言う事もあろうが、同じ啄木と違って純なところが万人向けなのだ。それだけに扱うのもむつかしく、下手にいじると世論の反撃を食うので、いつも、賢治は不遇の神格化、作品は永遠のファンタジーと言う作りが多かった。
数えきれないくらいの賢治ものが書かれている中で、今生きている劇作は井上ひさしの作品が最も親しいものだが、それも、作者も作品も大団円にうまくまとめたという感じだ。
その中であえて、平成の新進作家の挑戦はいかに?と見物に出かけたが、これが今までの賢治ものにないなかなかの出来なのである。
赤坂の小劇場一杯に組まれたのは遠野市と釜石の間の仙人峠の鉄道未通区間に置かれた駅舎兼旅籠。あらしで不通になったところで、賢治などの旅客が過ごす3日間の物語である。賢治は死の直前の36歳。ロシア革命の年で世界情勢はこの峠まで及んでいる。宿の客は5人、パタン化した役振りなのだがその臭さがない。宿の亭主と亡くなった息子の嫁が切り回す峠の宿もよくある劇的設定なのだが、いつもは型どおりになったりする亭主役の佐藤誓と嫁の石村みかが、役柄をよく抑えて快演(どこかで演技賞でもとりそうなできである)、それにつられて他の俳優陣もよく大正時代の空気を無理なく出している。売られる農村の娘役の神保有輝実も湿っぽくないところがいい。この芝居の成功は殆どそういう時代の中でやむなく生きている都市化し始めた農村社会の人々を,性急に台詞で声高に「社会化」していないところにある。そのために、こういう人たちの中で、賢治のありようが、神格化もファンタジー化もされないで素直にひとつの時代の作家として描かれることになっている。
戦前から続く日本の新劇の伝統の上に立った作品ながら、今の時代にも通じるように書かれている快作で、もうこういう作品を書く人は出てこないだろうと思っていたので大いに感心した。新劇の伝統と言うと古めかしい正邪宣伝の社会劇を連想するが、新劇でも今でも面白く出来る作品はあるし、基盤としたリアリズムはやはり現代劇の基礎となるものだ。
演出は奇をてらわずオーソドックスだが、うまくまとめている。

或る、ノライヌ

或る、ノライヌ

KAKUTA

すみだパークシアター倉(東京都)

2021/09/25 (土) ~ 2021/10/05 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

この舞台で、六十五年も前に大学の一般教養の「社会学」で初めて教えられた「社会は基礎集団(肉親の関係)と機能集団(他人の関係)から成る」と言う社会の構造の原則を思い出した。
いま現実社会が、それぞれの集団の規律を失い浮遊していることから、さまざまな問題が起きる。肉親の欠如を社会が埋めきれず、逆もまた機能しない。言わば、人間がどこにも主なき「ノライヌ」になっている。
第三国人が幅を利かせているような都会の街で三人の女が、恋人に裏切られ、捨てられ、肉親を怪しげなカルト集団にもっていかれる。そこからの回復への旅の道のりをロードムービー風に描いている。2時間45分(休憩10分)と長い。
家族はいま、社会はいま。と問うが、あまり教条的に進まない。「横転」や「ひとよ」、「荒れ野」の現代の社会劇(と言うのも古臭いカテゴライズだが)作者としてのこの作者のいいところだ。今の社会に取り残されたような人々や集まりをジャーナリスティックに取り上げているが、舞台には今の風が流れているし、提示されるテーマは根源的だ。
一筋縄ではくくれない発展途上の作者で、今までも自作を再演するたびに(あるいは舞台から映画へとメディアを変える時に)書き直してバージョンアップしている。この作品は自分の主宰する劇団で、自分も気持ちよく舞台に出て、と第一稿風で、まだ、まだるっこいところや説明不足のところも多い。
以下はその感想と言ったところだ。
この作者、いつも舞台を進めていく主人公がなかなか決まらない。一人一人、丁寧に説明していき、その時のエピソードや芝居も悪くはないのだが、それに気を取られていると、それぞれの人物の関係が分かりづらくなる。観客が芝居から外されてしまう。
「ひとよ」の映画版が分かりやすかったように映画ならワンカットの映像で済むところが、芝居はそうはいかない。この作者は映画脚本も書くのだから今後の課題だろう。
もう一つ、「或る、ノライヌ」と言うが、実際に彼女たちの周囲にいるイヌそのものを擬人化して舞台に上げてしまうのはどうだろう。犬の社会の説明もいるわけで、それで随分尺を食って分かりにくくなっている。みんなで、路地で吠えれば、たしかに象徴的だがどんなものか。
舞台からは最近珍しくなった80年代、90年代の小劇場の匂いがする。最近の新しい劇団はちゃっかり、ドラマターグなどを置いて客観的に整理してしまうところを、ここはぐずぐずと引きずっている。それは脚本だけでなく、俳優の演技や、美術や照明にも表れている。その功罪は決められないが、今回はすべてに少しとっ散らかっているように思う。
といろいろ言いたくなるところがこの劇団に良いところで、きっと作者も、第一稿のつもりで気が付いているだろう。観客は付き合うしかない。
さらに余計なことだが、この「倉」(ソウと読むらしい)という劇場、新装なってから始めて行った。もう彼岸過ぎで、このあたり夜はすっかり暗い。とても劇場とは思えないところに入り口がある。元劇場のあったところに表示でもあればわかりやすいのに。


スカーレット・ピンパーネル

スカーレット・ピンパーネル

梅田芸術劇場

赤坂ACTシアター(東京都)

2017/11/20 (月) ~ 2017/12/05 (火)公演終了

満足度★★★★

昔懐かしい「紅はこべ」ミュージカル版。タカラズカですでに三演、これも主役は同じで再演なので、手慣れたものである。ブロードウエイではさしたるヒットではなかったようだが、兄弟愛や義理人情が日本好みだった様で本邦では第二次大戦以前からおなじみのフランス革命裏話・冒険劇だ。もともと原作が最初に戯曲で書かれたそうで、人物配置も演劇的だ。
お互いに正体を言えない夫婦に石丸幹二と、宝塚時代からやっている安蘭けい。敵役が石井孝一。この三人が歌い上げるげる曲が多く、歌のうまい人たちだけに歌う方も聞かされる方もミュージカルの気分になる。しかし、レミゼが上演されてしまった今では、「紅はこべ」のイギリス騎士道物語は古めかしい。歌に頼らざるを得なかったのかもしれないが、もうすこし場面ごとに色合いをつけてもよかったのではないか。たとえば二幕。幕開きのイギリス宮廷のシーンはパーティの華やかな雰囲気からコミックな紅はこべの連中の登場、彼が正体を現すか?と言うサスペンスと波乱があるのだが、それぞれの内容が立っていない。

ネタバレBOX

幕切れ前の港にシーンも、安蘭けいに二本刀の大立ち回り(ここはさすがにどうかと思った)があるが、ここも、話をまとめて片付けた感じでぐじゃぐじゃな成り行きだ。こういうミュージカルではよくあるのだが、衣装が、紅はこべ七人のメンバーなら、各人それぞれ色を変えておけばいい、と言った安易な設計で、フランス革命!という時代物の厚みがない。と、いろいろ苦情はあるのだが、既に何度も上演されてきて、今夜の会がちょうど50演目と聞くと、まずは定番の作品になったと言えるだろう。しかし、夜の客足、二階はほぼ三分の一くらいしか入っていなかったから、そろそろ新しいネタを探さなくては。「紅はこべ」ではいくら横文字タイトルにしてみても、いかにも古い。
黒蜥蜴

黒蜥蜴

花組芝居

あうるすぽっと(東京都)

2017/12/02 (土) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

花組芝居も30年か! ベニサンでやっていたころは、近松心中物語とか、子午線の祀りとか、歌舞伎ネタのものは大舞台と言う風潮だったから、とても新鮮。しかも20歳代の若者が伝統芸能の人たちは入れないでやる(現実にはかなり勉強していたのだが)、と言うのが新鮮でもあり、無鉄砲でもあった。
歌舞伎と言うこの国固有の演劇伝統をどう取り入れるかは、さまざまで、今世紀には木下歌舞伎など面白いものも出てきた。とり付きにくい伝統芸能に若者が尻込みしないで取り組むのに花組も大きな力になったkとは疑いない。筋書でも言っているようにパイオニアの役割は果たしたのだ。あっぱれ!
今回は「歌舞伎浪漫劇」とうたっているが、中身は新派狂言の「黒蜥蜴」。加納幸和の組を見た。
基になる歌舞伎がないので、新しい脚本・演出で、歌舞伎の音曲や振付を取り込んで、物語はほぼ江戸川乱歩に忠実。三島本のように妙に黒蜥蜴美学に酔ってもいない。加納幸和はさすがによく歌舞伎のいいとこどりに慣れているし、今の流行にも目を配って花組らしい健闘なのだが、全体としては、この「黒蜥蜴」はどこが見せ場なのだろうと思ってしまう。
江戸川乱歩の著作権切れでこのところ山ほど、と言うのは大げさだが、多くの江戸川作品が上演された。舞台向きの猟奇原作も多いのだが、これは、と言うのは「お勢登場】位だったのではないか。黒蜥蜴もこの後次々に上演されるが、三島本を超える新しい黒蜥蜴を見たい。それは多分、この原作にもあり、花組も着目した「浪漫」を越えたところにありそう思えるがどうだろうか。

心中天の網島-2017リクリエーション版-

心中天の網島-2017リクリエーション版-

ロームシアター京都

横浜にぎわい座・のげシャーレ(神奈川県)

2017/11/06 (月) ~ 2017/11/18 (土)公演終了

満足度★★★★

横浜の野毛シャーレと言う新しい劇場での公演。劇場案内図を見ると桜木町からとなっているのだが、これが旧東横線の終点と勘違いした当方の時代遅れ。今の桜木町は殆ど日ノ出町。黒沢の「天国と地獄」に出てくる細民街だ。今はすっかりおしゃれになっているが、どことなく前の時代の暗さもある。そういえばこの辺の運河の河舟で遠藤琢郎の「マハバラータ」を観たっけ。心中天網島にはうってつけの場所でもある。
だが、せっかくここまで来たのだから、東京でもやって欲しかった。これから、さいたま芸術は苦戦すると思うがそれは一に交通の便である。SPAC(静岡)ももっと楽に東京で見たい。観客の怠惰、贅沢と思うかもしれないが、東京を抜け出すだけでも大変で、さらに駅から近い観客ばかりではないから、帰りの夜道も気になる。
さて、中身。木下歌舞伎の十周年大歌舞伎の最後の作品である。タイミングよく(と言っては語弊があるが)現実に自殺願望からの殺人事件が起きて、つい舞台と重なってしまう。こういうところが演劇の怖いところでもある。今回は演出が糸井幸之助。作曲もやり、歌入りの紙屋治兵衛、おさんと小春である。冒頭、小春が、舞台の穴から身を乗り出し、元気いっぱい「小春でーす」とあらわれ、治兵衛も「紙屋の治兵衛です」と応じる。ここから物語は歌も歌える三人の男とバイオリンも演じる一人の女性が、歌も演技も受け持って、ほぼ歌舞伎通りに進むのだが、四人の歌があり、めまぐるしく舞台転換があり、かなりめまぐるしい。演出は細かく行き届いていて、隙がない。一幕、河庄で最初に自殺の話が出るところのセリフの積み方等うまいもので、以後、二人の恋の進行は小劇場離れの手際の良さで、タイミングのいい歌と台詞で陽気にどんどん進む。後半は時雨の炬燵。ここで幼時の回想など(歌舞伎にあったかしらん?)織り交ぜながら(ここが唯一だれると感じた)おさんが軸になっていく。時に入る浄瑠璃の原詞の使い方、歌舞伎からの台詞の引き方もうまいものだ。三味線の代わりにヴァイオリンが勤めるところがあるがこういう効果があるとは。
いつも通り、意欲的でなおかつ面白く古典を現代風に砕いた木下歌舞伎なのである。
だが・・・一つの舞台作品としてはこれで十分楽しめるのだが、これが心中天網島の現代版と言われるといささか首をかしげる。この原作の面白さ、テーマと言おうか、は、どうにも切れない男女の縁の不思議な深さで、今回のように陽気に整理が行き届くと、人間の性の不思議さが消えてしまう。

ネタバレBOX

典型的なのは、幕切れで、おさんが治兵衛との間の子供を抱き上げて、「高い高い」とあやすところで幕になるわけだが、こんなに解り良くてはどうだろう。
キャストは小春が女学生みたいなところから始まるのはいいとして、いつまでたっても女学生のママというのは折角いいキャラの女優がやっているだけに残念だ。(テレビ向きかな?)。治兵衛と、おさんはよく役にはまって熱演である。
私はやはり、天網島にこの音楽は向いていないと思う。歌詞なども苦労の跡が見えるし、編曲もコーラスも、はては振付まで、ホントによく出来ているのだが、この音楽の陽気さ、わかり良さが作品をミスリードしていると思う。
オセロー

オセロー

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2017/11/03 (金) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

米英の本場ヒット作品を日本語字幕でそのまま見ることなんかできないのだから、ありがたい企画である。シェイクスピアの「オセロ―」オランダの演出家の引っ越し公演である。海外演出家だけが来た前の日本キャストの「リチャード三世」も面白かったので期待して見に行った。しかし今回は英語でもなくオランダ語?で、字幕を読むのに忙しくそれ程舞台に没入できなかった。
「オセロ―」は舞台も人も現代あるいは無時代で上演することはよくあって、既に二三度、国内でもシェイクスピア時代劇を離れて上演されたのを見たことがある。話が男の嫉妬と、軍の出世競争の話なので時代色はそれほど必要ないのかもしれない。今回もほとんどノーセットで、無時代の人間模様を見ることになる。オセロ―はイタリア南部のベニス軍の地方駐屯地の司令官と言う立場がつよく出ていて、都へ上がりたいという周囲の従者たちと、都でめとったデスデモーナとの関係に苦労する田舎の律義者である。この芝居、「天井桟敷の人々」でピエール・ブラッスールが演じた如く、英雄的な黒人であることや、嫉妬にもだえ苦しむくだりをそれらしく天を仰いで「熱演」することが通例だが、こちらは、従者との関係も妻との関係もクール説明していく。ここが今回の舞台の新しい工夫だ。ハンカチに疑惑が集まるところまでの一幕は、ほとんど台詞が途切れることなく進む。オセローはかなり辺地の支店長だと言う事がよくわかる。それを失脚させようとするイヤーゴのたくらみが具体化していく二幕、裸舞台に硝子箱の部屋(最近流行のセットだ)が運び込まれて、デスデモーナ殺しの場へ。ここまでどちらかと言うと淡々と進んできた芝居は一転、すべての人間間のドラマを集約して盛り上がる。なるほど、トニー賞、ローレンスオリビエ賞を受賞した演出家の、溜めてきて一気に出す腕の冴えと感心した。絞って使ってきた音響効果もうまい。
俳優は主演のケスティングはまるでゲルマン系白人だが、この芝居のオセロ―をうまく把握して、どこか煮え切れない人物として今の時代に通じるように表現している。全裸で大活躍のデスデモーナ役のデヴィスは可もなし不可もなしと言ったところか。何かと言うと裸になるのは、この芝居はコスチュームプレイではないよ、という主張か(冗談だ)。役者になじみがないと役をつかみにくいのは、海外演劇を見る難しいところだ。言葉が解らないから、耳で聞く台詞の圧力が伝わってきていないな、と感じることが多いのも演劇の母国外公演難しいところだ。
一幕80分、二幕65分、休憩20分、オセロ―としては長い方かもしれないが、演出家の意図のはっきりした舞台だった。リチャード三世に続く、結構刺激的で面白い公演だった。

「表に出ろいっ!」English version”One Green Bottle”

「表に出ろいっ!」English version”One Green Bottle”

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2017/10/29 (日) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

i人それぞれが勝手放題の今の世界をパッチワークした喜劇。本人も出ているので野田調全開、ハチャメチャなまま舞台はどんどん進んでいく。そうだよな、とは思いながらも、最後に野田節の祝詞があるかと思えば今回はなし。それでも1時間20分だから走り切ってしまう。いろいろな仕掛けがあるのはいつも通りだから、劇場からの帰り道で、アァあそこはそういうギャグだったのかと思い当たる楽しみもある。英語なので、それに気づくのに時間がかかったわけだ。これは新しい手だ(笑)
これはこれでいいのだが、世界の現状はこのように笑っていられる自縄自縛のレベルを越えてしまっているようである。われわれは死児を抱く犬か??

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