旗森の観てきた!クチコミ一覧

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改訂版「埒もなく汚れなく」

改訂版「埒もなく汚れなく」

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

先年、小劇場からは珍しく大竹野正典作品が読売演劇大賞を受賞した。これはその舞台を制作したカンパニーが作者をモデルにした創作劇のの再演。
再演と言うと、初演をなぞったお披露目だったり、役者を派手に入れ替えたり、小屋を大きくしたりするのだが、この再演は主役の二人を初演のママに置きながら、新しい舞台を目指して思い切って整理している。話が昭和期の売れない劇作家の話だから、関西風を生かすと、夫婦善哉のようになってしまいがちで、初演はかなりその味が残っていた。しかし、この再演は作家の水難の事件ドラマや、家庭ドラマの世話物的なところは整理して、夫婦のあり方と、作家の宿命を、最後は山に登ることに託してまとめている。つまりは、物を作る芸術家と、男女、家庭、日々の生活の葛藤に絞ったわけで、よく出来ている.古い話なのに全く新しい。令和の新しい舞台の誕生の第一弾と言っていいだろう。
作・演出は瀬戸山美咲。初演は大竹野一代記のような世話物的な作りであったが、そこを作家の現場として作り直して成功している。しかし、作中人物では東京の制作者は、余分だったと思う。こういう第三者は、セメント会社の社長がうまくかけているからそれで充分コメディリリーフの役割も出来ている。演劇製作者の役割としても、いささか以上に皮相過ぎて笑えない。ここを切ると2時間以内でまとまてよかったと思う。
出演者では、なんといっても西尾友樹、占部房子の小劇場のキングとクイーンが揃って目いっぱい技術の限りを尽くして演じてくれたのが大きい。西尾は受けに回って目立たないが、出処進退見事なものだ。占部は今回の方がむしろガラがあっている。抽象的な役柄をいろいろ工夫して形でも見せようとしている。ほとんど日常性を捨象して、演技と台詞で見せる。それでいて、様式性の欺瞞を毫も感じさせない。俳優にも劇場との相性があって、この二人、二百人くらいまでの劇場だと圧倒的な力を発揮する。読売演劇賞も商業演劇の大劇場の役者だけでなく、小劇場で演劇の魅力を素で伝えるこういう人々に光を当ててほしいものだ。脇ではラッパ屋の福本伸一がさりげなくていい。

怪談 牡丹燈籠

怪談 牡丹燈籠

オフィスコットーネ

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2017/07/14 (金) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

牡丹燈籠はもともと話芸だけに物語の筋も趣向も飛躍(意地悪く言えばご都合主義)が多い。歌舞伎脚本が最もよく知られているのだろうが、それでも≪通し≫と言って全部やったのは見たことがない。武士社会の敵討ちとそのお家の従者たちの世話物が二重になっていて、ことにかたき討ちの因縁など複雑に絡んでわかりにくい。怪談はこの二者をつないでいるのだが、幽霊が出る事にテーマがあるわけでもない。ぐちゃぐちゃの人間関係、この世もあの世もありますよ、因果は巡る尾車の…と言うドラマなのだが、今どきそれでは見物は満足しないだろう。
と言うわけで今回の新作、もろもろの牡丹燈籠の種本を渉猟して新しく編んだフジノサツコの脚本。演出は売り出しの森新太郎である。工場(倉?)の改装した小劇場の舞台はノーセット。代わりに横に回転する舞台いっぱいに張られたスクリーンがあって、これが回る間に俳優がその隙間で演技する。と書くと、せせこましいようだが、照明と、大道具操作(回転係)の息が演技とうまくいって、見たことのない抽象舞台を作り出した。スクリーンの奥に俳優が去って照明がすっと動くと闇に溶けるように見える。場数が多い構成が説明なしで次へ行ける(これは功罪あるがそれは後で書く)。衣裳は全員現代衣裳でこれが違和感が全くなかったのはお手柄だが(木下歌舞伎もうまくいった)これにはやはり大道具をスクリーン一つにした大技の力が大きいと思う。
しかし、歌舞伎だとここは武家屋敷、伴蔵うち、船の上、とセットと衣装でハッキリ解るが、これでは、エートここはどこだっけ、だれだっけ、と理解するのに時間がかかる。テンポが速いので飲み込む前に次ぎに行くところもある。これは、原作の筋立てによるところも大きい。この話、歌舞伎でも最近は随分はしょった上にほとんど半分しかやらない。百両降ってくる世話物の部分が面白いので、仇討は添え物になっている。文学座が新劇でやった大西本などは仇討はカットである。今回のフジノ本はよくばりでずいぶん原作を取り込んでいる。構成上、面白そうなところは全部やっちゃえ、という精神だが、やはり人間関係がお客によく呑み込めていないと面白くない。お化けの出る怪談は、いはば、陰の引く話だから、もったいぶった間がないと怖くならない。余り怖くしたくないのかと思ったら、パンフレットでは演出が怖くしたいと書いている。うーんこれは歳のせいか。だが正直、後半話が詰まっていくところは駆け足で見る方も大変である。
そういう辛さも有りながら、この公演が面白かったのはナマの、役者の力だと思う。今回はキャスティングがすごい。80年代後半から現在までの小劇場、初期の東京ボ-ドヴィルの花王おさむから、チョコレートケーキの西尾友樹まで、つかこうへいアり、野田秀樹あり、道学先生にテアトルエコー、シャンプーハットといはば、独立路線を歩んだ小劇場劇団出身者にカブキ大御所の娘・松本紀保を加えた独特の大一座。現代役者名鑑である。彼らをまとめた森の演出力に改めて感服した。先ほどの話をひきとると、役者を見ていると物語の筋はあやふやでも面白いのである。細かく言えばいくらでも注文が出てくる舞台ながら、それをすべて越えて、この公演は成功だった。

治天ノ君【次回公演は来年5月!】

治天ノ君【次回公演は来年5月!】

劇団チョコレートケーキ

シアタートラム(東京都)

2016/10/27 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

治天ノ君
トラムのベンチ席で二時間半休みなしは拷問かと思っていたが、俳優熱演でこの劇場ではそれがよく見え面白かった。天皇家をホームドラマで見せるという卓抜なアイディアでそれが現代史の根幹にかかわっているところが素晴らしい。もっとも私は政治的テーマにつられないよう、気をつけて見た。どの家でもタブーはあってそれを抱えながら肉親の関係はできていくのだ。そのドラマを的確に見せた脚本と俳優陣、ことに大正天皇夫妻は特にすばらしい。松本紀保のうまさとガラがこのように生かされた舞台は初めてだろう。間違っても肉親の情につられて帝劇なんか出るな!

ちょっと、まってください

ちょっと、まってください

ナイロン100℃

本多劇場(東京都)

2017/11/10 (金) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

特別なものを見たた気分になる芝居である。芝居の内容がいい、とか、役者がうまい、というのではない。舞台の上と一緒に観客が芝居を楽しめる公演なのだ。
ケラの久しぶりのナイロン公演。今回は別役トリビュートである。
確かに、配られたチラシにもあるように、舞台面は別役色満開、登場人物にも、せりふにも、美術にも、ア、ここは象だな、マッチ売りだな、とさまざまな別役作品引用が出てくるが、それがつまらない薀蓄になる前に、ケラのせりふと演出が次々にこの作品独自の笑いにしてつないでいく。その間合いがうまい。ケラの別役への先人に対する敬意も感じられて快い。それが、ズルズルになっていないところがさらにいい。事実、観客はどのように引用されたかは全く知る必要がない。
同じ話を繰り返すしかすることのない金持ち一家が刺激に惹かれて柄にない事を始める。それに金持ちと同じような家族構成の乞食一家が巻き込まれる、と言うのが芝居の大筋だ。夫婦とか家族の持ついかがわしさを、狂言回しのペテン師があらわにしていく。ペテンと詐欺は違う、というあたりに作者が嫌うテーマ性もあるのだが、ここは作者に従って、そこはどうでもいいことにしよう。いかにも今どきの人間らしい主張をくりひろげるかみ合わない家族の笑劇である。
一幕、家族の間には別役的な食い違いの笑いが続く。いつもは話が転がりすぎて笑いも無理強いになりかねないケラの舞台だが、今回は別役を意識してか、実にいい塩梅のところで収まっている。ここが面白いのは、長年のナイロンのメンバーが勢ぞろいした上に客演のマギーや水野美紀がうまくハマっているからだろう。四半世紀掛けて、自分の劇世界を表現できるグループを作り上げたのもケラの凄いところだ。
別役になかったものには映像と音楽がある。今回も、セットに崩れいく線画の映像を重ねて幕間を楽しめる時間にしているし、音楽もきまっている。デモ隊の合唱なんかいい選曲だ。
今回のホンも別役をよく「研究」しているというのではない、「勘所」を押さえるのがうまいのである。それは才能だ。孤立して群れないし後継の作者もいない。だが、本多で30公演打て、見た回は補助席一杯の大入りだった。観客層の年齢バランスも理想的だ。ほかの演劇人からは嫉妬されるだろうが、面白いからやっているんだと、居直って、これからも面白い舞台を見せてほしい。どのような最期を迎えても本望だろう。今こういう覚悟のある演劇人は少なくなった。
休憩入れて3時間十五分。長いがだれた感じはない。

不埒

不埒

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2017/07/15 (土) ~ 2017/07/23 (日)公演終了

満足度★★★★

社会問題劇のトラッシュマスターズ。今回は東芝がメインテーマ。経済問題は、尖閣や外国人移民のように単純化できる点が見えにくいのでかなり苦労している。どこに問題点が隠されていて、どういう人間によって、そういう問題が動かされているか、と言うところに切り込もうとしているのだが、これを舞台で見せるのは難しい。やむなく、渦中の経営中間層の家庭を舞台に、労働問題から行こうとしているのだが、これもなかなか単純ではない。またまた、やむなく、市民運動や家庭内コミュニケーション、LGBTまではなしをひろげるが、こうなると新聞社会面の問題コラムのオンパレードの趣きになってしまう。何となく、ニュースペーパーのマジメ版みたいなところもあり、役者もうまくなったので、見ていれば飽きないが、尖閣を描いたときのようなドキッとする鋭さがない。東芝に絞って、問題点も仕事の意味とか、何か絞っていけば、話題を広げるよりは、標榜する社会性が生きたんではないか。しかし、この劇団が、旧左翼系のだらしない無気力劇団・作家に代わって、生きのいい社会問題に正面から向かおうとしているのは大いに期待している。作者にも何となく、現代版の宮本研を連想するのだ。

ザ・空気

ザ・空気

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2017/01/20 (金) ~ 2017/02/12 (日)公演終了

満足度★★★★

昔あった懐かしい社会正義・糾弾劇である。だが、今のご時世で敵役も、かつてのように、雲上の人や影の人でなく、法律や組織が明確に糾弾されている。しかし、それでは一筋縄ではいかないところがあり、喜劇仕立て、風俗劇仕立てになっている。ベテランの作者だからそこはうまい。だがドラマの構造として、そもそも、倫理的なジャーナリズム精神と、具体的な法律や組織を対峙させても、笑や糾弾はできるかもしれないが、ドラマ的な成熟はないような気がする。笑って見られるがしらけるところもあるし、この程度のことはお客様が先刻ご承知である。そこがメディアが拡散した現代の難しいところだろう。作者は、新国立の芸術監督問題でよほど傷ついたのであろう。それは理解できるが、そろそろこういう素材から離れて、現代の「時の物置」を探してほしい。

湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)

湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2017/07/06 (木) ~ 2017/07/19 (水)公演終了

満足度★★★★

今まで坂手洋二の戯曲を上演してきた劇団燐光群が故・深津篤史の初期の本を上演。演出は坂手だが、出演者も初めての人が多い。ここで燐光群がこれからの劇団活動の方向の模索としてこういう試みをするのは楽しみだが、それを評価することを前提として感じたことをいくつか。
1)坂手も認めているようにこの戯曲は深津の初期作品で若書きである。若いから時代に引きずられてるところも随分あって、直截に言うなら古い。人物造形も類型的で今となっては寓話にしかなっていない.せっかくの燐光群なら、劇団総出演で代表作をやってほしい。「うちやまつり」なんか、新しい面が見えるのではないか。
2)新しい俳優に言うのは酷だが、これでは台詞になっていない。ことに女優陣は声を出すということをもっと真剣に考えてほしい。こういうところはさすがに燐光群の役者は長い間やっているので、上手下手は置いても聞くに堪える。下手に混ぜるとバランスが悪いと思ったのだろうが、まとまったのは歌のシーンだけと言うのではカラオケではあるまいし困ったものだ。
3)こういう機会Dから、演出も少しタッチを変えたらどうだったのだろうか。坂手流でまとまってはいるのだが、型で見せられたような気がする。坂手に比べると深津のホンは随分情緒的でセリフも坂手にはない味がある(良い悪いではない)。そこが型にとらわれてしまったように感じた。
4)坂手ももう立派な中堅だが、この才能、うまくいかせる素材はないものだろうか。前期のブレスレス、天皇と接吻、神々の首都、屋根裏などは、素材も時代に迫る迫力があった。素材に政治性を求め、演劇の課題だと思うのは、井上ひさしが生涯共産党だと自身錯覚していたような不幸な思い込みのような気がする。もっと自由な広場でのびのびと書いてほしい。

「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た!」

「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た!」

椿組

花園神社(東京都)

2017/07/12 (水) ~ 2017/07/23 (日)公演終了

満足度★★★★

もう三十年になるのか、恒例の椿組の神社のテント夏芝居。今年は女性の作者、演出者、美術と女性に占拠された公演だが、その誰もが夏のこの芝居をよく心得ていて、今どき本当に珍しいビールや焼酎を飲みながら見てもいい芝居見物になった。昔ばなし時代劇ながら、お話は盛りだくさんで、ほとんど行き当たりばったりなのだけど面白く見せる(もちろん巧みに計算づくなのだが無鉄砲な生きの良さがあるように見える)。長崎おくにちのような龍まで出てきて盛り上がるし、幕切れの加藤ちかのセットが秀逸。舞台転換速度も、こういう芝居によく似合って、文学座と言う老舗から出てきた作・演出にこういう芸があるとは!!。もう少しみぢかければもっといいのだが。2時間4分。

鯨よ!私の手に乗れ

鯨よ!私の手に乗れ

オフィス3〇〇

シアタートラム(東京都)

2017/01/18 (水) ~ 2017/02/05 (日)公演終了

満足度★★★★

渡辺えり子と野田秀樹が、岸田演劇賞を同時受賞したのは1983年。もう35年もたつかと思うと感慨深い。えり子は「ゲゲゲのげ』、野田は「野獣降臨」が受賞作だった。年月がたって、今月、野田は池袋で「足跡姫」えり子(子はなくなったが)は三軒茶屋で「鯨よ!・」をやっている。ともに、自らの演劇を回顧しながら今も変わらぬ演劇への思いを舞台に乗せている。好きなんだなぁ、舞台が、と思う。この舞台がともに公共劇場であることも面白い。彼らは、勝手をやっているように見えながら、世間の演劇観を変えたのだ。今回も自分の劇団主宰公演で、松竹でも、エイベックスでもない。野田がこの種の新劇公演で初演大劇場で61公演と言うのは、戦後新記録だろう。えりの方は劇団にこだわっただけ広がりには欠けたが、本人はキャラを売って演劇人の存在を示して、三越や演舞場、明治座でおなじみになった。この二作は還暦を過ぎた二人の自分へのご褒美のようなものだ。よくやった、ご苦労さん、今の若い演劇人も小さな殻や理屈(が多すぎる)に閉じこもらずに、自分の好きを前面に出して破壊的な力(二人の受賞作を見よ!!)を発揮してほしい。「鯨よ!」はキャストも厚く、老人ホームのアイデアもいいが、話が中途半端になったのが残念。島の子供たちの話はなくてもよかったのではないだろうか。中段、久野の歌のあたりまでは好調だったのに、息切れした。

ネタバレBOX

鯨が嶋の子供たちを乗せていくというのがよくわからない。老人たちとの関連を戦時中の島の学童竿階から結びつけるのは無理だと思う。
彼女を笑う人がいても

彼女を笑う人がいても

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2021/12/04 (土) ~ 2021/12/18 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★



樺美智子か!!
同世代に生きて、その後も生き延び、今も生きるものにとってはいわく言い難い存在。それがこのドラマのヒロイン・彼女(木下晴香)だ。その言い難い個人の言説を言えば際限がなくなる。見たものに絞る。
ようやくこのヒロインを舞台に上げられるようになった。大逆事件から「美しきものの伝説」まで約六十年。こちらもちょうど六十年。直接向き合うには、そういう年月が必要な「事実に基ずく」素材である。
舞台は60年安保の国会抗議デモで亡くなった樺美智子を取材していた記者と、東北震災を取材していたその記者の孫にあたる記者(瀬戸康史・二役)の長い年月の複眼の視点から二つの事件が描かれる。一つは政治、一つは天災だから、作者が「事件」を描こうとしているのではないことは察しられる。事実、舞台では時代の流れを大きく変える事件をマスメディアがどう取り上げ、どう報じたか、という事がドラマチックに描かれる。大きな産業組織の中のメディアと、そこで生活を立てていく記者個人、具体的には、経営側の主幹(大鷹明良)と記者の対立、合理化と配転される記者、それがデモ全体の主張と個人、という構図にも重なってくる。テーマはメディアが報じる大きな事件とその中の小さな個人という事に絞られているようにも見えるが、それは、もちろん、この舞台を作った人たちのトリックだろう。
そのメディアに関するテーマは、内容的には既に言われていることも多く、少し辛く言えば記者がタクシー運転手になっていたり、企業記事に配転されたりというストーリーは平板でもある。
やはりこの劇の軸は樺美智子を陰の主役に据えたことだろう。そのドラマについては一時間45分の舞台の中でもあまり触れられていない。しかし、このドラマに描かれた60年安保も東北大震災の事後処理も、日本社会の病癖に深くかかわっていて(もちろん大逆事件も)演劇のみならず、われわれが常に考えなければならないことである。その第一歩として、このドラマはあまり一方的な情報に左右されず、しかし主張を持った素材をうまくアレンジしている。それがかなり難しいことだというのも、同時代人としてはよくわかる。
数年前、気鋭の劇作家・古川健が「60sエレジー」という作品を書いた。あまり評判にならなかったが、60年安保と集団就職を絡ませた優れた舞台だった(この作品でも、警官隊は農民の出稼ぎ、樺は東京市民と一言触れているが)。
これからも、この素材は扱われ続けると思うが、一言言えば、このタイトル「彼女を笑う人がいても」は、考えすぎだろう。同時代人の一人である者にはまったく馴染めない。正直言えば嫌な感じだ。しかし、歳の流れというのはそういうものでもあろう。


OTHER DESERT CITIES

OTHER DESERT CITIES

梅田芸術劇場

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/07/06 (木) ~ 2017/07/26 (水)公演終了

満足度★★★★

中嶋しゅうさんの御不幸は心からお悔やみ申し上げる。舞台で亡くなるのは役者の本望とは言うけれどそれは建前で、ご本人も残念なことだったろう。ことに中嶋さんは中年になってからがよくプロデュース公演の「新劇」には欠かせない俳優だった。個人的に印象に強く残っているのは舞台ではなく、映画の新しい版の「日本の一番長い日」で演じた東条英機で、今までどこか及び腰だったこの人物を正面から国民などなんとも思っていない栄達志向の軍人として演じて、一シーンだけで納得させたのは見事だった。そのリリーフは斉藤孝。演劇界では北海道地元演劇の出身者として知られているが、少し若すぎるし、中嶋さんとは感じが違いすぎる。初日は一幕しかやっていないのだから、本日初めての通し初日。これが、意外に、と言ったら失礼だが、中嶋さんとは多分大きく違う父親像としてまとまっていて大収穫。出演者五人、二時間半殆ど出ずっぱりなのだが、台詞も気が付くようなミスはなく、わずか四日にしては上出来だ。相手の母親役の佐藤オリエが、稽古のやりすぎか、いつもはよく聞こえる台詞が聞きにくかったくらいだ。
芝居そのものは、なんでいつもこうなるの、と言うアメリカ現代演劇の家庭内輪物で、かつては暖かいホームドラマだった世界を自虐的に崩壊させてみせる。女優陣が、オリエに加えて麻美れい、寺島しのぶと来れば、もう名優名演競演で、並の演出家では御しきれなかっただろうが、これも、意外に若い演出家の熊林弘高がおさえるべきところは抑え、少しはやりたいようにやらせて、抽象舞台できれいにまとめている。満席の大入り。

ネタバレBOX

この話、終盤、電話がかかってきて終わり、ではいくらなんでも甘すぎると作者が思ったのは当然だが、そのあと、ここまで後味を悪くすることはないじゃないかと、私は思った。現実のアメリカの富裕層の心もとなさを芝居ならではの人間性のある幕切れで見せてほしかった。それにしてもかつては日本の富裕層を描いた「新劇」にはいい作品もあったのに、最近全く見当たらない、いや劇作家が書けないのか。
奈落のシャイロック

奈落のシャイロック

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2017/10/13 (金) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★


明治新劇史では、名高い左団次帰国後の明治座初演を素材にしたバックステージもの。
作者・堤春恵はかねて明治演劇はお得意で、かつて見た鹿鳴館異聞」は面白かったし、評判も良かった、確か小劇場ながら演劇賞も受けた。日米の幾つもの大学で日本の伝統劇を学び、サントリー社長の息女と言う出自のよさがそのままのお行儀のいい作風で、下北沢の小劇場には似合わない。今回は、翻訳劇の日本初演とともに劇場改革を企んだ左団次と松居松葉の「ベニスの商人」上演が、劇場茶屋や下座の反感で頓挫するという史実を劇化している。前段の左団次帰国と時代背景の説明部分はわかり良く、またその性急な改革が頓挫する舞台を混乱の起きた明治座の奈落のシーンにまとめるというアイデアはいいのだが、そこで起きる事件が平板で盛り上がりに欠ける。混乱の原因が、演劇の中身ではなくて劇場システムの問題なので、演劇改革、新劇の誕生、女優の出現、伝統演劇との相克(日本では歌舞伎が強く、なかなか近代劇だ受け入れられなかった)など、人間的な表現が膨らむはずの本質的な演劇テーマが上滑りしてしまう。小芝居の添え物で女優をやってきた新井純(好演)の登場など面白いのだが生かし切れていない。期待されながら、また舞台ではいつも好演ながら、なぜかいい舞台に恵まれない森尾舞も、あい変わらず度胸のいい芝居なのだが、歌舞伎名優の娘が新劇に挑戦するという葛藤が弱い。女優陣の健闘に比べると肝心の男優陣が心もとない。脚本も後半は話が堂々巡りをしてふっきれない。
面白い小芝居を出す名取事務所も、今回はすこし凝りすぎたか。しかし今日は満席で何よりだった。

RENT

RENT

東宝

シアタークリエ(東京都)

2017/07/02 (日) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★

この作品が初めて紹介されたときは作者が初日の前にエイズで亡くなったということが広報されて、その影響か全体に暗く、救いのない調子の舞台だった。時代を経て、今は、あの80年代を懐かしむ調子である。街中に放置された倉庫跡に集った青春、と言うネタば、日本の小劇場初期もよくやったものだ。そのままの染色工場の後もあったし。彼らが放逐されていき、それぞれが大人の生活を求めてと言うところもよくある青春ものの結末で、一人くらいはなくなって、一人は瀕死の中から生き返る。誰がそうなってもいいのだがそれらが青春回顧にうまくまとまって、今回はいわゆるミューカルスターは出ていないがよくまとまって甘酸っぱく見られる。お客の方はこれから伸びそうな役者を見つける愉しみもある。振り付けがシャレていると思ったらやはり輸入だった。動きがもう少し切れると良いのだが、歌の方はまずまずで、今までのレントの中では一番安心して見られたのではないだろうか。

ただいま おかえり

ただいま おかえり

東京タンバリン

小劇場B1(東京都)

2017/06/29 (木) ~ 2017/07/03 (月)公演終了

満足度★★★★

小劇場の劇団は一度は家族の「通夜物」をやる。身近でやりやすい(作りやすい)のだろうが、なんだか小劇場の人々の家庭事情を見せてもらっているような気分になる。タンバリンは中流家庭の、郊外に別宅(別荘と言うほどでもない)を持つほどの家庭のご主人がなくなっての「通夜」ではないが、「その後」もの。この劇団も長くなって、小劇場の技術には長けてきて、すらすらみられ、初夏の夜を過ごすにはいいのだが、だからどうだ、と言う小劇場の生きのよさはない。バランスはいいのだが、これからも見たいという役者もいない。こういう安定はどこは行くのだろう。作者が老後を気遣うのも解るような気がする。

猿川方程式の誤算あるいは死亡フラグの正しい折り方

猿川方程式の誤算あるいは死亡フラグの正しい折り方

劇団ジャブジャブサーキット

ザ・スズナリ(東京都)

2016/11/11 (金) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議な地方劇団
今回も筋書だけ読むと、なんだこれ!と言うむちゃくちゃな内容だが不思議につられてみてしまう。不思議と言えば、何年も岐阜の地方劇団が上京して打てるのはなぜだろう。作演出の長谷も最初の頃から脱力風だったがまだわかものの風貌だった。いまはさえない中年男風だが、作風は変わらない。細かいところは随分乱暴なところもあり、いいかげんにしろ!というような安易な性格設定があったりするが、時に、滅多に見られないすごくシャレているところがあって、全部許せてしまう。いや、ご苦労様、ぜひ次も見せてね、と言う気分になるのだ。ほんとに不思議な劇団だ。ひょっとすると、宇宙人の劇団かもしれない。

リチャード三世

リチャード三世

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2017/10/17 (火) ~ 2017/10/30 (月)公演終了

満足度★★★★

力作である。休憩を入れて2時間半。リチャード三世は悪党が主人公の難しい芝居で、その在り方をどう描くかで勝負が決まる。中年を迎えた大型主演役者(言えば、仲代達矢タイプ)が役者の大きさで観客を納得させるという形が多いのだが、今回は佐々木蔵之助、演出はシルヴィル・ブルカレーテ。新しいリチャード三世を見せてくれた。
周辺から行くと、まず舞台装置がいい。中間色を混ぜ合わせたような壁に四角に囲まれた空間が舞台になる。ことにグリーン系の色が日本にはない色遣いで入っていて魅力的だ。その空間の出入りにこれもあまり日本の道具にはないドアが使ってある。もちろん照明との息もあってつい舞台に見ほれてしまう。
衣裳も、これは演出者側のスタッフでイギリスの階級社会をうまう表現している(しかし、イギリスでは歴史的に有名な話で登場人物にもなじみがあるだろうが、これだけで解れ、と言われると日本の観客には辛い。)
音楽と音響効果。ナマ音、生音楽、録音音源をミックスしているのだが、この塩梅がいい。歌うシーンや踊るシーンもあるのだがそれがだれず、舞台の進行内容とあって舞台を引き締めている。ふりつけは素晴らしい。ことに幕開きはオオッツと思わせる。
だが、これらの舞台効果が非常にうまくいったために,2時間半、観客はテンションの高い舞台から目を離せない。空間が閉鎖的であることもあってかなり疲れる。
肝心の中身だ。リチャードをどう演じるか。今までに何千ものリチャード像が演じられてきたが、乱暴に分類すると、大悪党で行くか、小悪党で行くか、と言うことになろう。デモーニッシュな悪を基本に据えるか、市民的なリアリズムで理解できる悪か。どちらも上演の時の世間に合わせていくつも名演があるが、今回はどちらでもないところで勝負している。そこが新しい。佐々木蔵之助の年齢と柄を考えると小劇場系リアリズムだが、今回は違う。演出家は人間性から考え直す、と言う方向で抽象的な善悪の倫理や現実性を前提に置かず、役を作り直している。その結果、今まで日本になかった生々しいリチャードが出来た。佐々木蔵之介もよく頑張った。好演である。
キャストはオールメールキャストで、女性をやらせればうまい植本潤(どういうわけか純米と言う芸名になっている、よせばいいのに)や手塚とおるが女性の役をやる。衣裳が白を基調にした同じ衣裳にちょっとしたアクセントや小道具で役を表現することになっているので、どの役かつかみにくいところがある。ことに一幕は、当時のイギリスの貴族の力関係、それぞれの家の家族関係がなかなか頭に入りにくい。
しかし、二幕になって、リチャードが政権を奪取してからは、芝居も締まってきて面白い。唯一、女優ではベテラン渡辺美佐子が出ているが、これが男の役。役そのものも解りにくく、このキャスティングは疑問。もったいない。
この東欧の演出家はかつて、「ルル」を自国の劇団で持ってきたときに見て面白かった。世界的にも評判がいい(大衆性もある)新しい演出家と言う事はこの公演でもよくわかった。向こうの蜷川幸雄、と言った感じではないだろうか、古典を現代に生かすいい舞台だった。

取引

取引

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2017/11/10 (金) ~ 2017/11/20 (月)公演終了

満足度★★★★

j時宜を得た、と言うのにふさわしい芝居だ。森友問題や、加計問題が、話題になっている今まさに、政治家の裏金問題を正面から描いた舞台だ。江戸時代なら、お奉行からお咎め、小屋主は、いやいや、これは異国の話でございますから、などと言い訳しながら大当たり、だったかもしれない。
FBIの潜入捜査官が田舎の州知事の汚職問題で点数を挙げようと二人の捜査官を送り込む。まず、うぶな政治家から始め、次第に大物へと捜査を進めていく、海千山千物語だ。時宜も得ているから、東西どこも同じだろうな、などと思いながら見ているとアクションドラマ並の進行で面白く見られる。
アメリカの20年ほど前の戯曲だそうだが、ほとんど知られていない作家の作品をよく見つけてきたもんだ、と感心するが、では、出来がいいかと言うと、舞台面は十分面白いが、登場人物に、役割以上の色が薄く、数多い台詞をこなした田中壮太郎、小須田康人、福井貴一の主要三役はご苦労様ではあるが、ここから、社会の暗闇はあまり感じられない。それは翻訳劇と言う背景の違いではなくて、多分、戯曲がかけひきの面白さに引きずられたからだろう。そうするには汚職に手を染める側が安いと思う。
しかし、この小屋で補助席がいっぱい出る大入り。それだけの面白さはあるのだが、日本でこの芝居が組めるかと言うと、森友、加計の現状を見ると、複雑怪奇で結末はしりぬけ、とてもドラマとしては成立させられそうにない。

ダブリンの演劇人

ダブリンの演劇人

Ova9

シアターブラッツ(東京都)

2022/12/06 (火) ~ 2022/12/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

滅多に見られない愉快な笑劇の舞台だ。
新劇各劇団で、山椒の小粒のような脇役で地歩を固めた女優七人と、パフォーマンスとしての打楽器奏者和田啓が加わって、アイルランド演劇の基礎を築いたア米劇場開場の顛末のドタバタ劇である。脚本はアイルランドの作家マイケル・ウエスト。ジョイスの「ダブリナーズ」も劇化している!!と言うから只者ではないのだろうが、この作品はコントをつなげて様な形式で、新しい国民劇場開場と、その日の英国国王の訪問、反体制派や当時のアイルランド市民の母国脱出願望などを背景にした、劇場人たちの右往左往である。狭い劇場で舞台は八百屋にした空間に全員出れば動く隙もない。
かなり複雑な異国の話だが、よくわかるのは、演劇人の生活は東西を問わず、だからだろう。上演台本をうまく作っていて、俳優には大変な舞台だが、皆楽しそうにやっている。コメディアデラルテや、西欧古典劇の笑劇をベースに、衣装や化粧も含めいろんな笑いの形を取り入れていて、歌舞伎まで入っている。いずれもひつこくならないところで寸止めしている。楽器演奏の和田啓が秀逸。これでが劇の基本のリズムが取れたことが大きい。
全体としては殊勲甲であるが、せっかくここまでできるのだから感想を言わせてもらうと、
まず、やはり、演出者は要るのではないだろうか。みんな頑張っていて、引くところを知らない。というか折角の機会だから、やれるとこまでやっちゃえ、でそれはうまい人たちだから解るが、客は疲れる。
二つ目、自分で人物説明も、場面説明のナレーションもやり、対面の芝居でセリフは客席に向かって言い、聞く方は横顔、と言うスタイルは、長くなると飽きるし、手もなくなる。つい衣装や化粧に頼るが、例えば、日本の浅草喜劇などは基本スタイルは同じだが、その辺はうまく処理していたように思う。
三つ目、この演目は劇場の狭さに救われている面もある。次回ははトラムとか、あうるすぽっと、とかせめて風姿花伝くらいの小屋でやってほしい。十分できるだけの内容だった。
満席だったのは喜ばしいが、後ろの方で、役者が売ったチケットで来たのか若い女性客の一群が、役者が登場するたびに、待ってましたというように内容にかまわず,嬌声を上げるのがずいぶん邪魔になった。前の方だったからよかったが、後ろの方の席だったら、「出て行け!」と言いたいところだった。

オセロー

オセロー

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2017/11/03 (金) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

米英の本場ヒット作品を日本語字幕でそのまま見ることなんかできないのだから、ありがたい企画である。シェイクスピアの「オセロ―」オランダの演出家の引っ越し公演である。海外演出家だけが来た前の日本キャストの「リチャード三世」も面白かったので期待して見に行った。しかし今回は英語でもなくオランダ語?で、字幕を読むのに忙しくそれ程舞台に没入できなかった。
「オセロ―」は舞台も人も現代あるいは無時代で上演することはよくあって、既に二三度、国内でもシェイクスピア時代劇を離れて上演されたのを見たことがある。話が男の嫉妬と、軍の出世競争の話なので時代色はそれほど必要ないのかもしれない。今回もほとんどノーセットで、無時代の人間模様を見ることになる。オセロ―はイタリア南部のベニス軍の地方駐屯地の司令官と言う立場がつよく出ていて、都へ上がりたいという周囲の従者たちと、都でめとったデスデモーナとの関係に苦労する田舎の律義者である。この芝居、「天井桟敷の人々」でピエール・ブラッスールが演じた如く、英雄的な黒人であることや、嫉妬にもだえ苦しむくだりをそれらしく天を仰いで「熱演」することが通例だが、こちらは、従者との関係も妻との関係もクール説明していく。ここが今回の舞台の新しい工夫だ。ハンカチに疑惑が集まるところまでの一幕は、ほとんど台詞が途切れることなく進む。オセローはかなり辺地の支店長だと言う事がよくわかる。それを失脚させようとするイヤーゴのたくらみが具体化していく二幕、裸舞台に硝子箱の部屋(最近流行のセットだ)が運び込まれて、デスデモーナ殺しの場へ。ここまでどちらかと言うと淡々と進んできた芝居は一転、すべての人間間のドラマを集約して盛り上がる。なるほど、トニー賞、ローレンスオリビエ賞を受賞した演出家の、溜めてきて一気に出す腕の冴えと感心した。絞って使ってきた音響効果もうまい。
俳優は主演のケスティングはまるでゲルマン系白人だが、この芝居のオセロ―をうまく把握して、どこか煮え切れない人物として今の時代に通じるように表現している。全裸で大活躍のデスデモーナ役のデヴィスは可もなし不可もなしと言ったところか。何かと言うと裸になるのは、この芝居はコスチュームプレイではないよ、という主張か(冗談だ)。役者になじみがないと役をつかみにくいのは、海外演劇を見る難しいところだ。言葉が解らないから、耳で聞く台詞の圧力が伝わってきていないな、と感じることが多いのも演劇の母国外公演難しいところだ。
一幕80分、二幕65分、休憩20分、オセロ―としては長い方かもしれないが、演出家の意図のはっきりした舞台だった。リチャード三世に続く、結構刺激的で面白い公演だった。

蜘蛛女のキス

蜘蛛女のキス

東京グローブ座

東京グローブ座(東京都)

2017/05/27 (土) ~ 2017/06/18 (日)公演終了

満足度★★★★

この作品は戯曲版と、ミュージカル版があるが、原作に近い戯曲版が要を得ている。かつて見たベニサンの舞台は元倉庫と言う場所もよく劇場の大きさともちょうどよく見あっていい舞台だった。その時もジャニーズの岡本健一だったと記憶しているが、今度もジャニーズの大倉忠義。こちらは芝居の経験が少ないというだけに岡本のような複雑な性的嗜好はだせず、また劇場もツルンと大きいグローブなのでスター顔見世のエンタメ性が強い。鈴木裕美の演出は例によって細かく終盤はしっかりと締めている。渡辺いっけいは次第に大蔵に心を寄せていくと女らしくなっていくところがうまい。
それはそうとして、今日の観客には驚いた。一階席で見渡したところ、関係者、記者らしい数人を除いて男性客は三人であとはすべてアラサーの女性客。彼女たちは当然ご贔屓の役者の初奮闘を見に来ているのだから、案の定、芝居の壺は外していて、板の上はさぞやりにくかっただろう。

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