旗森の観てきた!クチコミ一覧

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天翔ける風に

天翔ける風に

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2023/09/29 (金) ~ 2023/10/09 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2001年初演のこのミュージカルも4演目という。和太鼓と三味線の奏者が共演する序曲から始まる休憩29分を挟んで2時間五十分の大作である。
野田の作品は、罪と罰のラスコーリニフを女性に設定(珠城りょう)し、時代と場所を日本の維新期としている。物語は、冒頭の高利貸しの老婆を殺害することと、優れた者が殺人を犯すのは社会の進歩のためならば許される、というモラルに主人公が葛藤することを基盤に維新動乱の物語を重ねている。坂本龍馬のように実在の人物も出てくるし、ラスコーリにフの家族設定も父親(今拓哉)を佐幕派の浪人として、彼が仕官する家族の物語で後半物語が進んでいく。原作の判事に相当する役は屋良朝幸が演じる。物語は、ほとんど創作といってもいい罪と罰だが、ミュージカルとしては伝統的な作りで、歌も踊りもオーソドックスな構成である。大きな太鼓橋を中央に一つ置いただけで全場面を処理し、音楽はかなり厚いオケは録音で、和楽器を二本ナマで入れている。殺陣もあるし、舞台は賑やかなのだが物語がつかみにくいのと、ここぞというシーンがドラマ的にも、音楽、ダンスシーンにもない。オフ風の作りだ。原作戯曲との関係は調べていないが、原作の野田の「贋作・罪と罰」で松たか子が、十字路に立ってどこへ行くべきか迷うところが唯一三十年ほど前に見た記憶に残っていたシーンだった。

切り裂かないけど攫いはするジャック

切り裂かないけど攫いはするジャック

ヨーロッパ企画

本多劇場(東京都)

2023/09/20 (水) ~ 2023/10/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ヨーロッパ企画が元気に本多に戻ってきた。コロナ終焉を感じる。昼間から満席。
今回は周年公演ということもあって、新しい素材はミステリ劇の「推理」である。
いわゆる、ミステリ劇は、ドイル・クリステイの昔から、三谷幸喜に至るまで、突っ込めば、いくらでもヘンなところがある。ミステリ劇は強引にへりくつを通して犯人を上げ、正義の勝利にしてしまうのだが、そこを盛大に突っ込む。
時代は原点に戻って19世紀末のロンドン。ホームズ誕生の頃。袋小路の街を密室に少女誘拐事件が起きる。袋小路に面した商店や町の人びと、零落貴族やスコットランドヤードの刑事、浮浪者も現われて、事実検証もそこそこに次々に事件を推理する。それぞれの証拠も推理も往年のミステリ・レベルで他愛ないのだが、そこをお互いに突っ込む。良い芸人総出の昼間のワイドショーのように面白い。常時十人ほど出ている俳優たちも動きと話の流れが速いので、大車輪である。三分の二はこの消失事件で、この事件はロンドン名物になって、商店の一つは事件を掛ける「ジャックシアター」に看板を掛け替え、誘拐ショーをやって当たったりする。収拾がつかなくなったところで、事件の大陰謀が明らかになり・・・といったところからはこれも同時代のジュール・ヴェルヌ風の話になるが、ここはあまり成功していない。2時間。
袋小路のセットがよくできていて、現実にロンドンへ行くと今でもこの手の路地がたくさんある。いかにもヨーロッパ企画らしい大仕掛けのセットで見せるシーンもある。
この劇団を見ていて、いつも、こんな劇団が一つや二つ東京にあっても良いんじゃないかと思う。強いて上げればテアトルエコーとかNLTだろうが、ここほど団結力と集中度がない。ここは作者の上田誠と主要俳優を中心に、みなでこういう芝居を楽しんでいる。(まぁ内実はそうでないのかも知れないが、苦しさは客に見せないで笑わせてしまう。小屋者の意地がある。)さすが文化都市・京都、見上げたものである。毎年のお祭りを楽しむように、来年の東下りを楽しみにしている。

日本対俺

日本対俺

株式会社コムレイド

ザ・スズナリ(東京都)

2023/09/25 (月) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

世紀が替わる頃、シャンプーハットを率いて活躍していた赤堀雅秋は、ちょっとユニークな存在だったが、劇団で商業演劇の劇場を開けるまでには至らず最近は松尾スズキの舞台によく出ていたと思う。テレビの大根仁がそのキャラクターに目をつけて、一人芝居を勧めてこの舞台となった。最期の小劇場劇団時代の出身だが、劇団は始めはショーパブの余興を生業にしていたということで、小劇場にも通じるそう言う空間の藝に、大根は眼をつけたのだろう。あまり無理をしないで、面白い小劇場エンタティメントになっている。
五つのショートコントとその幕間にスクリーンを下ろして映写される赤堀と水澤、松浦の52才のダメ男たちの赤堀の幼友達に会いに行く、というショートフィルムで構成されている。タイトルは「日本対俺」と仰々しいが、うまくかみ砕いて、世間から疎外されている中年男たちの愚かで馬鹿馬鹿しいが、捨ててもおけない鬱憤をお笑いにしている。その案配が、丁度良いところに収まっていて、赤堀も5コマの一人芝居、手慣れた役柄が多いが、神妙に努めて、補助席まで満席の中年主体の客も大満足であった。
そのあり方がいかにも赤堀らしい。しかし、この大成功に乗ってあまりシリーズ化などは考えない方が良いのではないかな。
コントは、サウナで、友達になりたがる男、トイレに行きたい交通整理人、惚けた老父の年金で生きていながら恩あを呼んでしまう男、公園のベンチで昼酒を飲みながら中学生に説教をする男、ゲスト(私が見た回は大久保佳代子)との即席コント

ヒトラーを画家にする話

ヒトラーを画家にする話

タカハ劇団

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2023/09/28 (木) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

ヒトラーが画家になっていればユダヤ人虐殺は起きなかった、それなら、タイムスリップしてウイーンに行き美術学校に合格しなかったヒトラーを上手な絵描きにして画家にしてしまおう。それで世界は救われる、ト現代の画学生三人が、タイムスリップする話である。
こんなハナシを作者が思いついたのは、今の若者(といっても高羽もまだアラフォーティのはず)があまりにも第二次大戦中のナチの暴走を知らないから、知らせないと、ということで自分も勉強してこの本を書いたという。客席はほとんど、三十歳前後の男女の客で埋まっていて、この劇団としては満席の盛況である。
満席はめでたいが、戦前生まれで昭和反省の時代を生き抜いたこちらとしては、こんな安易な取り組みで若者に戦争を理解されてもかえって逆効果ではないかと思う。
600万のユダヤ人の命を救う、ト一口言っただけで話は始まってしまう。タイムスリップした画学生たちも志がまるで見えない。志がないのは良いとしても(よくはないが)それに代わる600万の命に対抗できるようなモノがないと、ただのおふざけになってしまう。ヨーロッパで上演したら、小劇場でも、批判を浴びるに違いない。もちろん遠い日本でやってみるというのも表現の一つとしていいのだが、表現者の責任もある。高羽彩は若い女性たちの本音をうまくすくい上げる作家で、こんな素材には向いていない。ヒトラーが絵を捨てて、得意な演説に向かっていった本音はこれでは誤解されるだけで、まるでうかがえない。それにしても、現代のシーンに出てくる若者たちはみんなこんなにチャラいのだろうか。ドタバタ喜劇にしてもこの設定もちょっと偏見のような気がする。

アナトミー・オブ・ア・スーサイド【9月11日~20日公演中止】

アナトミー・オブ・ア・スーサイド【9月11日~20日公演中止】

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2023/09/11 (月) ~ 2023/09/29 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

華やかな実験劇である。
三世代、三人の女性がそれぞれの人生まっただ中の三十歳代を生きる数年を並行してみせる。ノーセットの舞台にドアの枠が三つ。それぞれの室内でドラマは進行する。シネマスコープの三分割画面を一挙に見ている感じである。15分の休憩を挟んで一時間づつの二幕。各幕に前半4シーン後半は6シーンだったか。
三組のドラマは時に同じ台詞が重なったりして時代が変わっても変わらぬところもあると、暗示したり、、三つの枠で展開する一つ一つのプロットのスジは追い切れないが、起きている事件がほぼ人間の誕生に関することだったりして、現代の暮らしの中で男も女も生きづらい人生を送っていることはよく解る。二三十年前に日本の劇作家が、得意げに台詞を重ねて見せて新趣向と喧伝したのとはワケが違う。こちらは時代も重なっているし、休憩10分を挟んで2時間、全編、ドラマは並行している。三組の俳優はどうやら血縁関係もあるらしく、時に交錯することもあるが、ほぼ独立している。スジはほとんどつかめない。それでいて、スジのつかめないもどかしさはあまり感じない。
文学座の中堅の俳優が、役を生き生きと演じていて、みな適役にみえる。冒頭、一組の男女がチェルフィッチュ風の芝居をやって見せたり、結構賑やかにいろいろな趣向が取り込んでいる。それが、全体としては重苦しい話なのに、人生花盛りのお祭りのはなや傘につながっていく。人間捨てたモノではない。
しかし、ここまでやるなら、見る方にも、三回くらいは見るという前提で興行するという新手もあったのではないかと思う。もちろんコストもチケット代も上がるだろうが回を重ねるたびに面白さは大きくなると思う。(もちろん、そんな興行は出来ないという現状を踏まえた上での公演ではあるのだが、劇団ならやれるのではないか)
文学座は女性演出家の逸材が続々出てくる不思議な劇団だ。生田みゆきもまだ十本もやっていないと思うがもう4本見ている。これは「ガールズ・イン・クライシス」(20)のような前衛性の強い作品だが、昨年評価の高かったアラバールの「アッシリア皇帝」のような作品もスター性のある俳優をうまく使ってエンタメとして楽しめる作品も作る。った今年の小劇場作品の「海戦」も、この作品を仲間内の素人の俳優も混ぜながら芸大の同級生でやる、という趣向が面白かった。華やかで、手が多い。一つ世代を上げると、森新太郎が出てきたときのような感じである。どんどん活躍の場を拡げて欲しい。商業演劇だって軽ーく出来てしまうと思うが才女、才に溺れないよう

アメリカの時計

アメリカの時計

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2023/09/15 (金) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★



客席が異様に静まりかえる幕開きである。アメリカの大恐慌の前、数少ないその前兆を感じ取った商売人が、株高に世間が沸く中で売り抜ける。今中国は恐慌下と同じ状況で、日本も、自らの政権以外眼中にない政府の十数年間のめちゃくちゃな経済政策を見れば遠からず、形は違うだろうが同じ目に遭うことは、国民も承知している。それがこの劇場の小さな異様な空気の静寂の中に示されている。大スタジオ、客席250ほど、ほぼ満席。
きっと、我々も同じ運命をたどることになる。
スタジオの一方を横に長く使った舞台で、そこにアメリカの生活の断片が飾られていて、そこで、大恐慌を受けた生活の変化が描かれていく。中心になるのは恐慌で没落していく中流一家だが、フーヴァーも出てくるし、ルーズベルトも出てくる。恐慌蒔絵の趣だが、ミラーがこの作品を書いたのは70年代になってからで、この本人が書いた戯曲はヒットせず、ヴォードヴィル版がロンドンで当たったというのも、時間を考えれば、そうだったんだろうな、ト納得できる脚本である。恐慌は少しアメリカ史をかじれば必ず出てくる話で、新味もないがこうして今の役者が、目の前でやっているのを見ると、変に実感がある。演出もあまりセンチメンタルにならずに、ドキュメンタリータッチで、戯曲の市民感情に触れるところをつるべ打ちする。アメリカでは過去の話だが、日本では戦前の不景気とは違う新しい危機の予言劇でもある。ぼんやりシルビア・グラフの達者さや小劇場の俳優たちの進歩(みんなうまくなった)を見ていても楽しめるが、何しろ一幕、二幕ともに80分、休憩を挟んで3時間半の長丁場である。企画の良さが第一の舞台だった。

柔らかく搖れる

柔らかく搖れる

ぱぷりか

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/09/20 (水) ~ 2023/10/04 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

広島出身女性作家の一昨年度の岸田戯曲賞受賞作品の再演である。昨年「どっか行け、くそたいぎいな我が人生」という母子共依存のドラマをここで見た。この岸田賞作品も父が事故急死してから一年の家族の微妙な変化を描いていて、大きくは生死の意味(ねこも含めて)を軸に広島の田舎の一族の動きを現代風俗の中に描いてユニークな家族ドラマになっている。
子供が出来ない長男夫婦の危機、レズビアンの関係がグズグズ続く長女、都会にいながら地方が捨てられない親子親族関係、家父長が亡くなったことでそれらの関係が微妙に動き出すところなど、新人らしからぬしたたかな旨ささである。
ほとんどノーセットの一幕モノで100分。照明の切り替えだけで、多くの場(シーン)を切り替えていく手法で、テンポは早いからシーンは80くらいはあるかんじだが、混乱はしない。疑問に思ったところも、次に出てきたときに、あぁそうかと納得することも多いが、やはり、人間関係は複雑すぎてこの手法ではわかりにくい。特に最初の三十分くらいまでは俳優になじみがないせいもあって、混乱する。
広島弁はほとんど演劇に登場しない方言でなじみがない。その情緒性を欠いたところがかえってこのドラマの冷え冷えとした家族関係の言葉としては良かったと思う。

生きる

生きる

ホリプロ

新国立劇場 中劇場(東京都)

2023/09/07 (木) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


舞台の前のオケピットには14名のバンド、主要登場人物こそ絞っているがクレジット・キャストだけで29名。世界的名作映画の気合いのはいったミュージカル化の三演である。初演(18年)は見逃し、再演はコロナの真っ最中(20)で見ず、キャストも変り手も入れたという戸三演が初見である。
もともと、明るく楽しいミュージカルの王道から行けば、「生きる」は大胆な企画である。
映画が大当たりしたとしても半世紀も前、主人公は死に直面した冴えない中年男で、ラブロマンスもなく、劇は葬儀の中で進行する。ストレイトプレイがふさわしい息苦しい社会や家族環境の中で「生きる」ことの意味がテーマになっている。
あの映画「生きる」がミュージカルになるのだろうか。大詰め近くの「ゴンドラの唄」(作詞・吉井勇 作曲・中山晋平)がクライマックスになっているという音楽との親和性だけで、ミュージカル化を図るほど、東宝はお人好しではない。映画だけではないミュージカルのテーマも広がってきたことを視野に入れての、三演だろう。確かにエイズの死を生々しく描いたロックミュージカルの「レント」は日本キャストの公演だけでなく、ツアーの劇団もしばしば来日している。
昭和27年という時代設定はそのままだが、時代に合わせての脚色もある。
大きくは、主人公の「生」に立ち塞がる「お役所仕事」は後退して、「息子」の造反が大きく主人公の最期のバネになる。唯一、脚色で大きくなっているのは息子の妻だが、かえって、息子夫婦の役割がわかりにくくなった。
映画で小田切みきが好演した退職していく若い女性職員の転職動機の「退屈でつまらない」は、今風だと思うが、彼女の環境も動機にもほとんど触れていない、舞台でやれば長くなるので効果を考えて切ったのだろうが、彼女が職員にあだ名をつけていき、最期の主人公に「ミイラ」という処など、これだけでは「お役所」が解らない。惜しい。
やはり、小田切みきにおもちゃの兎を見せられて、何か作ってみては、といわれる主人公の回心が、この作品のクライマックスだろう。映画はここで誕生日祝の女学生のパーティを背景に持ってきていて(このあたりホントにうまい!)、最もミュージカルになりやすい名シーン。ヴァースもソングも目一杯(15分は無理かも知れないが10分は間違いなくいける)作れるところなのに、あっさり処理してしまっている。
「ゴンドラの唄」は原作映画のイメージシーンにもなっているが、現実には、映画の中でも最期の唄として歌われるところではほとんど聞こえない。舞台ではそれではどうにもならないので、(ここで息子を出すために息子を大きな動機になるよう持ってきたのかも知れないが、これはどうも、虻蜂取らず、という感じだった。映画のようにオケ処理のラストでも良かったのではないか。
映画は半ばで、いよいよ主人公が仕事に取り組むところで、突然、時間を飛ばして後半は主人公の葬儀に場での回想形式になる。ミュージカルは、二幕もヤクザの脅されるあたりまでも時間通りに進む設定になっている。映画と舞台の違いで、この方が舞台的と言われるとそうかも知れないとは思うが、説明的になってしまったとは思う。なくもがなのヤクザの赤線地帯開設の話や助役の芸者遊びなどは今風ではあるが、ありきたりでさしておもしろいエピソードでもなく主人公の追い詰められていく過程に効果的だったとも思えない。結局葬儀の席も使うのだから市役所職員のお役所仕事を薄くするだけでなくドラマの幅も薄くしていったと思う。
一幕二幕ともに60分、休憩25分。これでは、映画より中身は30分ほど短い。短くするよりも、もう少し内容を入れても名作を生かしたミュージカルにした方が良かった、とも思う。
と、原作が世界的な評価があるだけに注文も出てくるが、国産のミュージカルを作るからには、こういう名作で、という東宝の心意気は高く評価したい。ホリプロも経験者が多いだけに、国産ミュージカルには期するところがあるのだろう。それだけのことはあった。しかし、世界市場へ打って出るには後もう少し、練る必要があるだろう。国産ミュージカルの弱点は歌詞と音楽のミスマッチがよく言われるが、さすがに半世紀の経験を経て、この作品は作曲は外人ながらよくまとまっている。これからは日本の狭いミュージカル部落だけの人材起用でなく、優れた劇作家に積極的に脚本・歌詞を移植して、長い時間とトライアルで練っていく、という行程に参加して貰うことも、その時期にきていると思う。
俳優も、映画とは時代が違うのだから戸惑うことも多かったろうが、市村は志村とは違う主人公を見せて好演。脇も、唄も踊りもミュージカル俳優が育っていることはよくわかった。小田切を安直に黒江町の婦人会一緒にしてしまうなどという軽挙はこれからはなくなっていって欲しい。せっかくの独立の個性がなくなってしまう。



アンドレ・デジール 最後の作品

アンドレ・デジール 最後の作品

サンライズプロデュース

よみうり大手町ホール(東京都)

2023/09/12 (火) ~ 2023/09/23 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

1,960年代のパリを舞台にした名画贋作の物語だが、日本製のミュージカルだ。
今世紀に入る頃の有名画家だったアンドレ・デジール(架空の人物)の絶筆を、ひょんなことから偽造することになった腕の立つ画家の卵の青年・エミール(ウエンツ)と、物語を紡いでその画業を助ける友人ジャン(上山竜治)が主人公である。父親(戸井勝海)は怪しげな贋作も扱う画商だが、息子に期待している。二人が手掛ける贋作は半世紀ほど前に事故で亡くなったデジールの作品で現物はは行方知れず、湖の畔の寒村でえがかれたと伝わっている。
ジャンの語る画題の物語を聞きながら、エミールが贋作を作っていく一種の青春バディ物なのだが、設定が複雑すぎる上に架空のお話しなのでとりとめがない。後半はデジールの娘(水夏希)が登場して贋作の謎を解き糾弾され、二人の青年も前非を悔い、デジール最後の作品を完成させていく。エミールがデジーレに乗り移ったような作品の出来に娘も納得する。現在その作品が展示されているエッフェル塔の見える画廊に今は老いたエミールは日参しているが、すでにジャンが亡くなっていたことを知って自首しようと決意する。形式的にはオフのミュージカルの王道の作りであるが、なんだか韓国ミュージカルに感じるような表面的な熟れ方である。
シーンの中ではバディの歌うデユットも悪くないし、二幕の頭にあるエミールの家の暗い過去も戸井がうまいので良いシーンになっている。とってつけたような最後のシーンも悪くない。感心したのは、スライドのマッピング技術で、ほとんど裸舞台に長方形の窓のようなスクリーンの役を果たすスペースがあって、そこに建物も自然も映し出してすべての場面処理をする。物語的な展開なので時間も空間もこれで転換が早くなった。
しかし、何で苦労してこんな空々しいスジに熱を上げるのか解らない。よくできた練習帳のような作品で、主要人物8人でよくまとまってはいるが、練習帳は練習帳である。どうせやるなら、現代の日本を舞台にしっかりリアリティのある作品を見たかった。

チョークで描く夢

チョークで描く夢

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2023/09/07 (木) ~ 2023/09/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

全国に先駆けて知能遅滞の人々雇用したチョークを作る地方の中小企業の物語りである。
昭和34年(1959年)と六十年後の現在。それぞれ80分の二場に休憩10分。2時間50分。障害者雇用の難しさも時代とともに変わっていくが、基本は宗教的な人間の倫理観が必要である、まとめてしまえばそういうことだが、それを実地で実行するには、かくも多くの軋轢がある、昔・差別、今・ハラスメントというドラマである。
 前回の「入管管理局」で復調してきた作者はこのデータを重ねた経験を生かして、細かいデータをよく集めていて、その上にもう25年にもなる経験を生かしてドラマをうまく組んでいる。
 社会問題を正面からとりくんできた先駆けの作者にふさわしい。このラインでは古川健や横山拓也が追尾してきていて、ドラマに成熟させる点では抜かれてしまったが、こういうデータと現実の扱いはさすがベテランである。後発の作者たちの追従を許さないのは、現実の事実表現にギリギリまで迫っていくところで、今回も知能遅滞の障害者(もちろん俳優が演じている)が数多く舞台に現われる。観客は問題を直視せざるを得ない。
こういうドラマは昔は左翼系劇団が問題劇としてやってきたし、告発劇もあったが、どれも不発だった。しかし、トラッシュマスターズの舞台はナマそのままが放り出されてような現実感がある。現在の配慮の行き届いた演劇界ではやはり異色の劇団として評価したい。
現に、何かの弾みで集団感激することになったらしい私の前の40歳前後の女性団体は呑まれたように見ていた。今の商業劇場にも小劇場にもない独特のヘタウマなのである。
経営上は難しいだろうが、今ほとんどが使われる機会の少ない中小都市の市民ホールなどで、巡演できたらいいのに、と思った。入り入りは八分強。


ラフタリ―の丘で

ラフタリ―の丘で

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2023/08/29 (火) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

アイルランドの演劇では最近はマクドナーの暗い土着リアリズムの作品がよく上演されてきたが、この作品もこの系列のようで、下層階級の農民の家父長の圧制下に生きる一族の暗黒の物語である。物語の軸はこの家の子供たちで18才の娘、その姉四十才、その間に知能障碍の男の子。母親は下の娘が生まれるときになくなり、同居の祖母は認知症。父はもっぱら同年の友と荒野での兎撃ち、自宅の牧草地は荒れ放題。男の子は動物同然に牛小屋で糞まみれで生活し娘たちは父親の性奴隷になっている。その下の娘に縁談が起きるのが物語のスジだが、全編、内容は今は御法度の家庭内パワハラ、セクハラのオンパレードである。もちろん、舞台で見せたりはしないが、それではこの作品を上演する意味が伝わらない。
なぜ、上品という点では他劇団を引き離して独走の俳優座がこの戯曲をやる気になったのか解らないが、これはミスキャストならぬミス劇団である。文学座が上村聡でやっても、阿佐スパが長塚圭史でやっても、若いところでは温泉ドラゴンがシライケイタでやってもこうはならない。アイルランドの僻村の農家の食堂のセットは軽井沢のコテッジのようだし、衣装化粧は男の子の汚し方は極端だが、娘の方は良家女子校の生徒の普段着の感じ。台詞も上品な訳で、俳優座の俳優だから、台詞はきれいに通す(これは唯一の見所と言って良い)がそれが一層空々しくなるという悪循環である。
俳優座は、劇場も閉めると言うし、この先のレパートリーも発表発しているが、どういうことをやりたいのか解らない。文学座や青年座は時代の難局を切り抜けて新劇ファンの期待に応えている。劇界首位にあった劇団の充実した芝居を見せてほしいものだ。かつては日生劇場で公演が打てた劇団ではないか。百人足らずの客席八分の入り。老人多くエレベーター混雑。


木ノ下歌舞伎 勧進帳

木ノ下歌舞伎 勧進帳

木ノ下歌舞伎

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2023/09/01 (金) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

滅多に同じ演目を同じ劇団(演出)で見ることはない。久しぶりに三年ぶりでキノカブの「勧進帳」を見た。細かく直した現在の時点の決定版という触れ込みである。前回の横浜では、巨体の西洋人が大阪弁で弁慶を演じるとか、ラップを使っていたり、楽器が口三味線とか、ファーストフードで宴席を開くとか、めまぐるしい趣向の数々であった。こん秋も同じ路線の改革で主なキャストは同じである。確かにそれぞれ工夫が凝らされていて細かくなったとは思うが、この、あられもない現代版を見ていると、古典の現代への通路は面白く今風だけで良いのか、という疑問もわいてくる。幕開きの富樫の部分はわずか数分だが、ダレるし、終わりの宴会は笑ってしまうがこれでは延年の舞、とは言えないだろう。大歌舞伎は戦後百回近くいろんな座組で上演しているが、すべて1時間五分から七分である。長唄の寸法だと言われるかも知れないが、その時間で完全に出来上がっているのである。キノカブも1時間五分にトライしてみたら? 完コピの稽古をすると言うから、きっと発見があると思う。(今回は1時間22分。前回より少し長くなったのではないか)
木ノ下歌舞伎の仕事は十分評価した上で、この公演をご覧になった若い方は、是非是非、歌舞伎座で、年に一回はかかる大歌舞伎の勧進帳も見ていただきたいと思う。
大歌舞伎の勧進帳はそのままでも決してわかりにくい作品ではない。一幕モノの演劇的完成度は高く、面白いし、下座や長唄などの音楽的要素と舞台の形式的美しさが渾然となって多くの人に楽しめる。
木ノ下歌舞伎の真骨頂は「合邦」「四谷怪談」「櫻姫東文章」「義経千本桜」などの、いまではキャラも背景も物語も現代から離れてしまったような歌舞伎の名作を現代劇として蘇らせるところにある。今年の櫻姫はまだ推敲が足りていないが、凝り性の岡田利規の演出で今までにない櫻姫が出来た。今回は名作一月公演で9分は入っていたから何よりである。
木ノ下・杉原コンビは、古川・日澤コンビと並んで頑張って欲しい若手(でもないか)である。

台所のエレクトラ

台所のエレクトラ

清流劇場

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/08/31 (木) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

清流劇場という関西の始めてみる劇団だが、すでに長い上演歴を持つ。ことにギリシャ劇は7本目で、ギリシャ劇を身近なものに、とか今の生活で解るように補綴したりしている。
関西では木ノ下歌舞伎があるからこういう古典の上演法も小劇場まで行き届いているのか、とも思うが、両者の間にはかなり距離がある。ギリシャ劇は今とは遠い(当たり前だ)から解りやすいようにあらすじを前説したり、登場人物が境遇説明をしたりするが,今をなぞって通り一遍で、ただただややこしくなるだけでギリシャ劇の芝居の核心について入って行かない。木ノ下の前説では、芝居のキモを演者が出てきてやってみたりもする。説明の技術も濃度も違う。これでは下手な前説のスジ売りなどない方がすっきりする。
大阪弁で身近に,というが、もともとギリシャ劇は何千年も昔の断片で,わかりが良いものではない。それを関西弁で、シチュエーションを台所にしたくらいで身近になると思っている方が考え違いである。ギリシャ劇を現代にダブらせれば、それは完全な誤解である。この舞台を見ているとそこはよくわかる。
無理な現代解釈は,演技にもおよび、解りやすいマンガ調になってしまう。俳優の中には達者な人もいて,それはそれで面白く笑ってしまうのだが,それは一時的な笑いを呼ぶだけで、劇とはあまリ関係ない。挿入歌はうまく入っている。2時間ほど。8分のいり。やってる意味がよくわからない。


いつぞやは【8月27日公演中止】

いつぞやは【8月27日公演中止】

シス・カンパニー

シアタートラム(東京都)

2023/08/26 (土) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

新しい演劇がくっきりと姿を見せた。
これまでさまざまな形で、書かれ上演されてきた加藤拓也の現代劇の今の時点での集大成のような作品である。今の時代を表現しようとするに演劇が、さまざまな面で自在に具体化されて、舞台に上がっている。うまい。面白い。涙を流さないで感動できる。
描かれるのは「今の」社会の中軸であるべきアラサーの人々の「今の」心情や生活などであるが、そこから今を生きるすべての人々の心情に広がっていくところがすごい。
主人公は小さな劇団の主宰者らしき作家(橋本淳)で、ふらりと訪ねてきた昔の仲間(平原テツ)から、自分のことを芝居に書いてくれとせがまれる。実は彼は大腸がんのステージ4で、余命宣言を受けている。
以後芝居のスジは、この仲間の青森への帰郷とそこでの生活が点綴されていくわけだが、同世代の仲間たちが男女関係や家族をつくり、仕事を進めていく中で、それとさりげなく(と見えるように)関わりながら生涯を終えるまで、なのであるが、そこが、今までの難病ものと全く違う。平原テツの快演もあるが、そこには、すべて命ある人間が必ず通っていく道、そこに人間の喜怒哀楽すべてある、とクールに(しかし冷笑的ではなく)提示されている。野田の本には必ず最後に大逆転があり、ケラには必ずフィナーレで芝居の中の人生を納得させられるが、この舞台は現代の小さな世界を素材にして、現代の姿を、ジェンダー問題から老親問題、就職問題まで幅広く自然なカタチで取り込みながらくっきりと描ききっている。
日本の現代劇のレベルを示す作品である。
数年前からこの作者と付き合ってきたシスカンパニーの見識もたいしたモノだ。パンフレットが500円だが、内容充実。これだけでもシスを評価できる。こちらも十分面白い。
1時間45分。満席。半立ち見席も混んでいるが、チケット代の安さも魅力である。

ヨーコさん

ヨーコさん

演劇集団円

吉祥寺シアター(東京都)

2023/08/26 (土) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

絵本作家の佐野洋子の一代記である。佐野洋子の作品はミリオンセラーの「百万回生きたねこ」など、絵本に触れる年代がかみ合わず、その作品は読んでいないが、作者キャラはメディアで知っている。その作品群から角ひろみが音楽劇にした。
まず、原作を丁寧に読みこんで構成した角の戯曲がよくできている。一言で昭和畸人傳と言えるような中身なのだが、家族劇として普遍的な深みに達している。満州で生まれ、帰国して苦労し、一般的には規格外の父母とのそれぞれの葛藤を抱え、七人兄弟の長女として兄弟の死にも遇い、結婚生活は二度。認知症になった母を看取り、晩年ガンにかかって余命わずか、というところからの回想形式である。音楽に絡んで、踊りや影絵もあるが、ドラマはよくできた困った家族の中の長女モノである。笑ってしまうエピソードもたくさんあるが、それが家族で生きる生の哀歓につながっていく。ぶれていない。往年のよくできた井上ひさし作品のようだ。
作者の角はたしか神戸の大学演劇の出身で、もう何十年も前に新宿で小さな公演を打ったときに見た記憶がある。中身は忘れてしまったが、今時(小劇場全盛期)ずいぶん素直な作品と思った。その後、結婚して今は岡山在住という。芝居は捨てていなかったのだ。
今回の本は素材の面白さに支えられているとは言え、流行のねこという飛び道具をしっかり押さえこんで優れた家族劇に仕上げている。岸田戯曲賞を上げてもいい。
演劇につける音楽は難しいモノで、井上ひさしの宇野誠一郎のように、難しくない、素直に観客の心に入っていくのがいい劇伴だ。今回はナマのリズム楽器を使いながら、作曲は西井夕紀子。曲が独立して踊りもあるナンバーもあるが、これが、出過ぎず、俳優の歌とおどりで収まるように出来ていて秀逸だった。
主演のヨーコさんには今回就任したという劇団代表の谷川清美。母役の清水透湖は若いが大健闘。周囲もガラにもよくはまっている。当然、再演ということになるだろうが、言いたくない改善点は演出(作者の角)である。さらに踏み込んで今は団子刺しになっているエピソードを大きなダイナミックな流れに作れば劇団の財産になる市、もっと大きな劇場でも上演できる。栗山民也を連れてくるのは無理かも知れないがこの劇団出身の森新太郎なら、もっと面白くなる。劇団の柱になる作品としても期待できる。ほぼ満席。



あいつをクビにするか

あいつをクビにするか

ぽこぽこクラブ

新宿シアタートップス(東京都)

2023/08/17 (木) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

よくわからない芝居である。前説で、3時間あったので演出の千葉が2時間に無理矢理縮めた、というが、長くても解らないところは多々残ったと思う。
全体のスタイルとしても、社会劇を基盤にした風刺劇なのか、サイコパス患者をもった家庭劇なのか、ホラーなのか、今流行の痴漢と教育者のドラマなのか、行き来激しく腰が定まらない。(脚本の責任だが、絞っていくところがない)
大きな問題では、サイコパス。これが病気であることは今や、一般常識になっている。ヒッチコックが取り上げた時代とは時代背景が違う。病気を扱うには、患者の人権を考えることは今は常識だろう。病気の扱いが、数冊の新書版の理解以上に出ていないところが残念なところである。これで我が国は滅びの国になると言われても呆気にとられるばかりだ。
主演女子高生の磯部莉菜子は昨年の夏私鉄沿線の喫茶店劇場で三好十郎の「ストリップショー」を鐘下演出で演じたのを見た。その後、新劇系の小劇場で二本ばかり見たが、しっかり成長の跡が見える。もう少し、しっかりした座組の娘役を見てみたい。小劇場出身の苦しいところで、時間がもうあまり残っていない。
客席9割ほど。

ネタバレBOX

精神病患者の中で他人に対して攻撃的な症状を占める率はようやくパーセンテージほど。サイコパスになると非常に稀な患者である。今世情を賑わしている事件は、確かに病気のなせる技と思うが、それだけ、取り扱いはあの傍若無人のマスコミですらかなり慎重である。演劇が、言いっぱなしで無責任のSNsと同じになってどうする!!!同世代作家でも、横山拓也の「ヒトハミナ、ヒトナミニ」(2019)の障害者問題を扱った秀逸なドラマがある。
メルセデス・アイス MERCEDES ICE

メルセデス・アイス MERCEDES ICE

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2023/08/11 (金) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★



夏休みの児童のために多くの劇団や公共劇場(商業劇場も)は興行を打つ。ほとんどが劇団四季の小型版みたいなありきたりのジャリモノで、子供たちにも歓迎されていない。そのなかで、これは、大人も子供も舞台に向き合える、手を抜いていない作品だ。
舞台の中央に白く高い高層マンションが線画で描かれている。周囲の空舞台に小さな一戸建ちの家のミニチュアを持った男女が登場して、始まる。男女はその街の市民で、皆、タワーマンションに期待してそこへ住みたいと思う。願望かなってその最上階に住むことになった二人の女性はそれぞれ同日に男の子と女の子を産む。寓話風だが、この地域(三軒茶屋)で最も高い高層ビルの劇場でやっているので、周囲のごった混ぜ菅が残っている街と相まって、現実感がある。母親は街へ出るのが面倒になって、ジャンクフードを買ってきて貰ってそれを食ってドアから出られないほど太ってしまう。男の子と女の子はお互いに意識するようになる。男の子はクール、女の子は優しい。父親はいつの間にかいなくなっている。年月はたって、高層ビルは次第に古び、黒い鳥たちの巣になる。脇役たちが、棒の先につけた黒い鳥たちを一斉に操作するところなどは、子供たちには迫力があるだろう。中央のタワーが照明かマッピングか解らないが次第に黒ずんでいくところなどうまいものだ。きれいな色の鳥を母の求めで買ってきた娘が、鳥に逃げられ、ビルの廊下を探すところは色を失った生活をくっきり顕わしていて、又、現実につながるところもあってうまい。結末にはタワーは崩れるのだが、そこで画かれていると思っていたタワーが実は段ボールを積んだモノだったことが解る。これは大人にも子供にも大いに意外なスペクタクルになった。
区立劇場らしい高層ビルの住民密着の三代記で、それが、十分大人の話なのだが、子供も一緒に見られるように作ってあるというところが味噌である。ロンドンのNTあたりの翻訳かと思ったら、絵本から白井が脚色演出したという。道理で、うまくこなれている。しばらく見なかったこう言う白井の才がよく出ている。それが証拠に小学校高学年から高校生の下あたりの児童が親と一緒にかなり来ていたが、1時間半、飽きずに見ていた。劇場がダレることはなかった。連れてきた親たちも芝居慣れしている感じである。青山円形を上手に使った白井のことだから、きっとこのタワーの二つの劇場も芸術監督としてうまく使ってくれることになる、と楽しみだ。一階はほぼ満席。


我ら宇宙の塵

我ら宇宙の塵

EPOCH MAN〈エポックマン〉

新宿シアタートップス(東京都)

2023/08/02 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

お盆の時期にふさわしい小洒落たファンタジー(メルヘン)である。手が込んでいて、大人もませた子供も楽しめる仕上がりだ。
初めて見る劇団を選ぶときの選択手段に出演者、というのがある。今回はまだ五回目の公演というのにこれだけの顔ぶれが付き合っている。きっと幕内では評判の新人の作・演出なのだろうと観にいった。これが当たり。
いかにも、今風の作らしく登場人物たちは、今風の生活の中で、どこかなじめず、環境からか、自分からか、いつのまにか脱落していった人たちである。夫を事故で亡くし、十歳くらいの息子(小沢が操るパペット)としっかり生きたい池谷のぶえ。自立して生きることに自信はあるが周囲は自他共に信用しない異議他夏葉。発達障害から回復して社会生活が順調にいっていると信じている渡辺りょう。社会から脱落して自分のプラネタリウムを運営しているギタロー。この取り合わせが絶妙で、それぞれのキャラ付けも、台詞もメルヘンにふさわしい。新人らしからぬうまさで今日日あちこちで聞こえる会話が舞台に上げられている。
池谷の人間関係を拡げていく中で、現実からメルヘンへの道筋を作っていく。迷子になった息子をさがすところから、野中のプラネタリウムで星座に対面するところまでの物語の作り方もうまい。子供に母が聞かせた「おとーさんは星座になったの」と言うことを入り口に展開するプラネタリウムの後半は、大胆に採用したプロジェクションマッピングの巧みな技術もあって、小劇場を超えたファンタジー世界が現われる。
注文をつければ物語が甘いのではないかと言うことになるだろうが、夏場にこれだけ行き届いた作品を見せてくれれば、次に大いに期待する、ということになる。しばらく現われなかった加藤拓也の、年は若くないライバルが現われた。
ほじょせきもでて満席。

桜の園

桜の園

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2023/08/07 (月) ~ 2023/08/29 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

桜の園は日本の新劇にとっては大当たりの狂言で太平洋戦争が終わったその年の末に、焼け跡に一軒残った帝劇で、復興大合同公演をやった時も、観客は着の身着のまま駆けつけて満員だったというから、日本はやはり桜が国花である。
以来、桜の園は、俳優座の東山千栄子を筆頭に、民芸も、文学座もやっているが、杉村春子でやった文学座は、あまりうまくいかず(たしかにパサパサでつまらなかった)、一回限りでやめてしまった。四季もやっていて、これはなかなか洒落た作りの日生劇場だったが(シェルバン演出)これはどういうわけか、結構評判も良かったのに再演していない。コロナの初めのころ、KERAがコクーンでやるというので切符も買って大いに楽しみにしていたら、ゲネプロまでやったのに流れてしまい、大いに残念だった。
さて、パルコの桜の園、イギリス人の演出で今までに見たことのない桜の園であることは間違いないが、これからは桜の園もこうなるかと思うと、さびしい。まぁこっちは死んでしまうからまぁいいか。
今までの桜の園になかったこと。
一つ。まるでロシアの感じがしない。封建領主性が崩れ、初期資本主義社会に移る19世紀末を舞台にしているが、時代も場所も抜きで、不労所得で食ってきた大地主一家が、領内の濃度上がりの小金持ちに買収されて追い出される、ということだけに絞っている。
二つ。原田美枝子はうまい上にどこか不思議な空白があって面白い俳優だ。年齢もそろそろ戯曲に書かれたラネーフスカヤ夫人の年齢に近くなったからキャスティングしたのだろうが、演出がとにかく若作りの方向にもっていく。原田も元気がいいから今までの桜の園とは全然違うことになってしまう。時代の波に飲まれて滅びていくものの哀れさは望むべくもない・
三つ。かといって、それほど戯曲をいじっているわけではなく、主なエピソードはほとんど落としていないだろう。でも、これでは、庭にお母様の亡霊が歩いているのを見たりするわけがない。有名な時代が崩壊する音が聞こえてくるくだりもあることはあるが音は聞かせない。ロパーヒンがせり落としたと意気揚々の帰ってくるところも、まるで、現代のクリスマスパーティのような大騒ぎでここだけはさすがに白けた。
で、私の総評は、へんな桜の園だった、ということになるが、落ち着いて考えれば、それは年寄りの感想で、これからは、現代のコメディという柱を立てて、こういう演出になっていくだろうとは想像できる。芝居は生ものだからそういうことになる。
客の入りは伝説通り、ウイークデーの夜なのに満席だった。

これが戦争だ

これが戦争だ

劇団俳小

ザ・ポケット(東京都)

2023/07/22 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

この劇団と演出家の組合わせでは、かつて『殺し屋ジョー』という秀作を見た。もう、初日前から前売り完売だったガ、声にならない前評判に負けない良い舞台だった。今回はそうはいかなかったようだが、それは多分、戯曲による。
今回は現代戦争の実地報告書のようなルポルタージュ劇だ。カナダの作品で、アフガニスタンでの国連軍とタリバンとの前線にかり出されたカナダの青年男女四人の戦争体験である。ルポルタージュ劇というのは半世紀ほど前のイギリスのフォークランド紛争を描いた『フォークランド・サウンド』(コズミンスキー)あたりがハシリかと思うが、戦争のような規模の大きな世界を扱うにはリアリティの保証にもなって最近ではよく使われる。
しかし、戦争の実態というならアメリカの本には数多いし、その悲惨を多くの国民が実体験した我が国だって負けていない。一頃、世界で最も暮らしやすい平和な国と言われたカナダ人の戦争体験は、外国へ行っての体験であることもあって、今ひとつ切実感がない。
戦闘の前夜の興奮で男女兵士がやってしまうとか、戦場で不意打ちを食って児童を殺してしまったとか、目前の戦闘に動転して救援へり呼び出しに失敗するとか、どうしても只のリポートになってしまう。これではならじと演出者は督励するが、現実戦場となると日本人青年にも基本、体験がない。戯曲も舞台の上もどうしてもきれい事になってしまう。まぁこの結果はやむを得ないと思われるが、その戯曲の範囲で、四人の出演者は、よく頑張っているし、演出も、同じ場面を時間をずらして視点を変えてみるという趣向を生かして面白く見せている。1時間40分。
シライケイタはこの後、座・高円寺の芸術監督を引き受けると言うから、小劇場ならではの芸術監督の新生面を切り開いて欲しい。ここ数年で大分太くなった演劇作家の意欲作を期待している。

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