かずの観てきた!クチコミ一覧

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RENT

RENT

キョードー東京

東急シアターオーブ(東京都)

2024/08/21 (水) ~ 2024/09/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

座席1階

感動的なのは、山本耕史の抜群の英語力だ。クリスタル・ケイはお父さんが米国人だからネイティブと言ってよいが、このミュージカルのために1年前から英語の準備を妻(堀北真希)と重ねてきたというから役者魂、ここまですごいのかという感じだ。その努力の甲斐あって、見事な舞台に仕上がっている。

ニューヨークで暮らす若者たち。rent(家賃)が払えず追い出されそうになっているところからこの表題がある。ウエストサイドストーリーの現代版というと少し趣は違うのだが、エイズに罹患しているが精一杯生きるカップル、貧乏だが映画監督の夢を追求してフィルムを回し続ける青年など、けして暗くはない、希望がその先に見えている若者たちの群像劇だ。
日本国内でもこれまで日本語版が上演されてきた名作だ。今回は主人公のマーク役を山本が務め、日米合作とうたっているが、ブロードウエイの役者たちに山本が飛び込んだというイメージさえある。
天井の高い東急シアターオーブの舞台をうまく使って、イーストビレッジの古びたアパートをうまく作ってある。全編ほとんどが楽曲で占めているという舞台だから、字幕を読まなくても十分に楽しめる。
歌唱力に定評のあるクリスタル・ケイもきっちり主役級を果たしていた。また、歌唱や身のこなしも山本ならではの切れの良さがある。お値段は高いけど、一見の価値はあろう。

『牢獄の森』『うれしい悲鳴』

『牢獄の森』『うれしい悲鳴』

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2024/08/17 (土) ~ 2024/08/26 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/08/19 (月) 13:00

座席1階

「うれしい悲鳴」を観劇。コリッチの説明文には「集団の狂気」とあるが、それ以上に深い洞察が込められているように思う。物語を追っていくとやや難解なところも多々あったが、随所に展開された、あれだけの人数の出演者による切れのいいダンスは見応えがある。

たぶん、近未来の設定なのだろう。「絶対に例外はない」というルールが支配している社会で、命令の実行部隊である「泳ぐ魚」という会社のような公務員組織と、その例外なきルールによって家を追われ、母親が殺されることになる一家の物語。一家の長女である女性、この一家に乗り込んできた泳ぐ魚のメンバーである男性がいわばロミオとジュリエットのような関係で苦悩するという筋立てもある。
「欠席結婚式」という主役がいない舞台を設定したのも面白い発想。「泳ぐ魚」はカルト集団のような様相も呈するが、そもそも「例外はなし」というルールで社会を締め付けている政治体制が元凶である。物語ではこのルールを覆そうという試みもなされるが、見ている方からするとはかない抵抗のような感じだ。

これは、物事に白黒付けず曖昧なまま世の中が動いていく日本社会のメタファーであろう。「決められない政治」が世の中を悪くする原因だという批判は聞こえはいい。だが、現実の日本ではここ数年、与党による「勝手に決める」政治が幅を利かせ、世の中は急速に悪くなったのではないか。曖昧さを許さない社会、もしくは「決められる政治」の内実がいかに恐ろしいものであるかを、この舞台は暗示している。

役者の動きはよかったが、絶叫する調子でのせりふが多いのは少し気になった。それはそれで迫力はあるのだが、特に女性のせりふで絶叫調が多く、キンキンしてやや耳障りだと感じた。
ともあれ、カーテンコールの拍手の力強さからいっても、アマヤドリという劇団とそのパフォーマンスが若い客席に支持されていることは間違いない。

歩かなくても棒に当たる

歩かなくても棒に当たる

劇団アンパサンド

新宿シアタートップス(東京都)

2024/08/07 (水) ~ 2024/08/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/08/11 (日) 14:00

座席1階

マンションのごみ出しをめぐって、事態はあらぬ方向に転がっていく。悪い夢を見ているようであり、ひょっとしたらあるかもしれないと思ったりもする。要所できっちり笑わせるせりふや演出もすごい。

日常生活を描きながら、いつのまにか想像もつかない世界に迷い込んでいくという物語は小劇場には珍しくない。しかし、今作がすごかったのは、ごみ出しに来たマンションの住人が全員女性であったことだ。女性たちの井戸端会議では、「それは変だ」と思っても否定しなかったり迎合したりすることがよくあるのではないか。初対面も含めたメンバーの会話の中で、女性によくある(といってもよいと思うが)相手を傷つけないようにする配慮、思いやり、言いたいことを引っ込めてしまう空気がこの舞台のメーンテーマだと思う。もし、男性の住人役がいたら、ここまでの恐怖や面白さは実現しなかっただろう。
もう一つ、この舞台が強烈に面白かったのは、ごみ出しのルール違反を監視するおばさん役を務めた川上友里の怪演だ。彼女の熱演、いや、声を枯らしての怪演が笑いを生み、恐怖に巻き込み、客席は舞台から目が離せなくなる。
どうして「歩かなくても棒に当たる」というタイトルなのかは不明だが、マンションのゴミ置き場を阿鼻叫喚の場に変えてしまう台本は相当なものだ。クドカンが「アンパサンドはすごい」と言ったそうだが、この舞台を見た私も100%同意する。

『RAA-進駐軍特殊慰安所-』

『RAA-進駐軍特殊慰安所-』

劇団青年座

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2024/08/03 (土) ~ 2024/08/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/08/05 (月) 14:00

座席1階

終戦直後、日本政府が進駐軍のために設けた特殊慰安所(RAA)の背景や実態を語る朗読劇。上陸してきた兵士による暴行、強姦を防ぐために設けたとされる。「大和なでしこの貞淑を守るため」という、いかにも政府がか弱き婦女子を守ってやると言わんばかりのお題目がいかに空虚なものであったかが、さまざまな人たちの証言で浮き彫りとなる。

力の入った朗読劇だった。舞台中央に置かれた玉座は昭和天皇が座るものと思われるが、冒頭の玉音放送以外に昭和天皇の姿は出てこない。玉音放送の文言を字幕に映し出し、国民を苛烈な惨禍に巻き込んだ指導層の無責任ぶりをまず、指摘している。
その後は、RAAが設立された経緯、どのようにして女性を集めたか、女性たちがどんな目に遭ったかなどが詳細に語られる。政府の指示で公娼を運営した民間業者、設立を支持した政府要人や、請け負った警視庁の幹部、女性たち、パンパンに部屋を貸していた家の小学生の証言まで登場する。多くが語られることがない黒歴史。特に女性たちの証言には身震いするような迫力がある。これを聴くだけでもこの舞台を見る価値がある。

鬼畜米英が上陸して街にいる女性を暴行する可能性がある。だから、その欲望を「公の場所=公娼」で処理すべきというのが政府の説明であった。だが、その理屈の裏には、戦時中に中国大陸で皇軍が地元の婦女子に乱暴したということを政府自身が知っているという事情がある。どこの国だろうが兵隊は女に飢えている。だから国民を守るためには公娼が必要なのだと。中国で婦女子が辱められたのは公娼を設けなかった中国政府がいけないと言わんばかりの理屈に、ため息が出る。

舞台は1時間半あまり、コンパクトにまとめてある。ただ、自分としてはこの脚本をストレートプレイでやってほしい。演じる女性俳優は精神を擦り減らすような舞台になるかもしれないが、かつて日本が手を染めた戦争とはこういうものだったと、今だからこそ多くの人に思い出させてほしい。

夏の夜の夢

夏の夜の夢

劇団山の手事情社

山の手事情社アトリエ(東京都)

2024/07/27 (土) ~ 2024/08/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/08/01 (木) 13:00

座席1階

山の手事情社の若手俳優による公演。劇団のアトリエにしつらえられた舞台はなぜか和風だ。掛け軸なんかも配置されている。観客が40人も入れるかどうかというこのスペースでシェークスピアの「真夏の夜の夢」が展開された。

この戯曲の見どころは、森の妖精が森に入り込んでくる人間たちに媚薬を塗って、その恋愛関係を複雑にしてしまうというところではないか。登場人物が多いので追いかけて理解するのはとても難しいが、媚薬を塗られた登場人物が、これまでの恋愛関係が逆転、輻輳化していく面白さは誰がどうしたという関係性が分からなくなっても十分に堪能できる。さらに、山の手事情社独自のメソッドでのばっちり鍛えられている俳優たちが繰り広げる身体表現で物語を構成していくのが最大の注目点であろう。この身体表現は、役者全員がそろって繰り広げるパフォーマンスを見るにつけ、やはり切れ味抜群だ。今回は特に、若いメンバーたちによる身体表現であり、その若々しさや粗削りの魅力も相まって、客席を魅了し続けた。
このアトリエは役者と客席の距離が1~2メートルと下北沢の小劇場よりも近接していて、迫力がすごい。目の大きな女性の俳優さんの強烈な視線を客席が浴びることになり、ある意味、お客さんが俳優によって媚薬を塗られるという錯覚すら感じる。媚薬の標的になったら最後、その役者に恋い焦がれてしまう。これがこの舞台のすごいところだ。

忘れられない演劇体験になる。真夏の強烈な日差しの中を歩いてアトリエに向かう価値はある。想像を超える出来栄えだった。客席の拍手も力強い。

かわいいチャージ’24

かわいいチャージ’24

人間嫌い

シアター711(東京都)

2024/07/24 (水) ~ 2024/07/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/07/26 (金) 14:00

座席1階

「かわいい」の単語が何十回とさく裂する。「かわいい」を何のために求めるのか。どう「かわいく」仕上げるのか。そもそも「かわいい」って何なの? メイドカフェのバックヤードを舞台に繰り広げられる群像劇。「25歳を過ぎたらもう、おばさん」という世界でしのぎを削る女の子たちを見ると、おじさんは何だか少しかわいそうになってくる。

メイドカフェには男性だけでなく、「かわいい」を追い求める女性のお客さんも来るらしい。だから、プロフェッショナルの「かわいい」を磨くために手を抜くことはできない。ダイエットなど言うまでもなくメイクを極めるだけではない。プチ整形だって当たり前。そんな厳しい世界を生きる女性たちの生態を、この舞台は余すところなく客席に突きつける。
このメイドカフェのオーナーは「かわいい」が大好きだがビジネスとしても活用する、年商何十億の起業家キャリアウーマン。ある意味、店の女の子たちにとってはカリスマである。店長を任されている女性も「かわいい」の先端を行く。そんな店長にはスーツを着て髪をまとめ就活に没頭する妹がいる。ルックスに関してお姉ちゃんにかなり劣るというコンプレックスを持ち、表面上の「かわいい」だけを至上の価値としている姉に怒りと軽蔑を抱いている。
「かわいい」ファッションにあこがれ、大学2年で授業出席が軽くなったことを機に入店した女子大生。メイドカフェでバイトしていることを彼氏に隠している女の子。「かわいい」の価値を巡って複雑に揺れ動く女心が絶妙に描かれている。「かわいい」を抜け出して彼と結婚すること幸せなのか。この物語は、今時の女の子が感じている「結婚」の立ち位置なども推察でき、とても興味深い。ただ、この物語の結論には物足りなさを感じる人がいるかもしれない。

劇団人間嫌いが10周年で3本下北沢で上演する作品の2本目。「女の子」を描くことを持ち味にしている作・演出の岩井美奈子がぶっちぎりのメードカフェスタイルで出迎えてくれる。「女の子」であることを思い切り楽しんでいる前説も印象的だ。
客席にはおたくっぽい青年が陣取っていたが、総じて女性が多かった。岩井が描く「女の子」にそれぞれ持つ思いが、終幕後の客席に渦巻いていた。

流れんな

流れんな

iaku

ザ・スズナリ(東京都)

2024/07/11 (木) ~ 2024/07/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/15 (月) 14:00

座席1階

人気劇作家の横山拓也がiaku設立2年目の2013年、初の大型巡演に挑戦した作品という。彼は東京進出に当たって「スズナリはステータス、あこがれだった」と語っていて、そのスズナリで行われた今作は再演を重ねて広島弁でリニューアルされた、とパンフレットにあった。

結論から言うと、横山拓也の源流とも言える見事な会話劇。「見ないと損する」レベルだ。主役を演じた異儀田夏葉がちょっと今ひとつだった感じもするが、この戯曲の価値が下がるわけではない。1時間半、食い入るように舞台を見つめてしまった。恐らく他のお客さんもそうだっただろう。ラストシーンに近い当たりであちこちからはなをすする音が聞こえる。ああ、これが家族を描いた横山作品の真骨頂なのだな、と納得した舞台だ。

舞台は(広島弁なので)広島の小さな飲食店。名産の貝料理で夫婦が続けてきた店だが、冒頭、妻が洋式トイレに座ったまま大いびきをかいている場面から始まる。その横にいる中学の制服姿の長女。母親が脳出血と思われる状況であることに気付かず、部活に行ってしまう。かたわらには一回り年が離れた妹である赤ちゃん。「泣いてるよ」と母に告げて店を出るが、母は大いびきを続けるばかりで反応がない。
このシーンから約30年後の店の状況から物語はスタートする。地元の名産の貝料理を売り込むキャンペーンをする大手企業の社員が閉店状態の店にやってくる。店の主人である父親が倒れ、入院中なのだ。時に母親がわりをしながら父親と店を続けてきた長女。だが、その名産の貝は、貝毒が起きて漁にも出られる状況でない。

この戯曲は、こうした貝毒を巡る公害問題、出生前診断、今認知症診療でも使われるようになった長期記憶の映像化など、複数の社会的課題を巡って展開する。10年以上前に書かれた戯曲だが、今も続いている課題となっていることにまず、驚かされる。今作では、10年前には登場していなかったAIを盛り込んでリニューアルされているが、特に、長期記憶の映像化という話題には、「これが10年前に書かれていたの?」と本当にびっくりした。
また、この洋式トイレが一つのキーワードになっていて、タイトルにもつながっていく。複数の意味での「流れんな」。終わってみて、そうだったのかと舞台を反すうしてしまった。

横山マジックと言っていい流麗な会話劇。今回登場する5人の役柄にそれぞれ秘めた物語があり、きっちりプロットを散りばめた群像劇でもあって、物語が進行するにつれて新たな驚きが次々に出てくる。もう、これはもう舞台から目を離せない。そんな展開だ。
取り上げられているそれぞれのテーマは重く、笑えるせりふも多くはない。しかし、iakuの源流であり真骨頂であるところを十分に楽しむことができる。

広島弁もいいが、当初演じられた関西弁バージョンも見てみたい。また、どこかでやってくれないかな。
今回のスズナリ。見ないと損するかも。

木のこと The TREE

木のこと The TREE

東京文化会館

東京文化会館 小ホール(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/13 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/07/11 (木) 14:00

座席1階

ペヤンヌさんのご厚意でゲネプロを鑑賞。世代を超えて地域の中で生きてきた大木を守ろうと、生きものたちの視点も交えて語る物語。

作者は、都市計画道路を通すために地元の大木が切られようとしていることを知る。行政はまちづくりのためと言うけれど、それは本当に妥当なことなのか。そんな問題意識からこの物語は編まれ、音楽劇として昇華させている。
音楽劇と言っても美しいメロディーが流れ続けるわけではない。存続の危機に立たされる大木の気持ちを表すかのように、時として不協和音が続いたりする。南果歩演じる主人公の少女はどこまでも明るいが、その明るさも時として物語とは不協和音を重ねるような感じもする。
天井の高い劇場であるがゆえ、舞台にしつえられた大木はより存在感を増して客席に迫ってくる。大木の思いを表す舞踏も効果的だ。おとなから子どもまでが思いを一つにして舞台を楽しむことができる。

神話、夜の果ての

神話、夜の果ての

serial number(風琴工房改め)

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/07/05 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/10 (水) 14:00

座席1階

宗教2世をテーマにした物語。キリスト教ふうの「メサイア」がつかさどり、入信した家族は子どもと大人に住居を分けられる。主人公は、幼い頃からこの子ども住居で暮らす少年ミムラ。母親との接触は「愛着は罪。最終的に欲望を生み、世界の平和を壊す」との教えで会うことはかなわない。

俳優は5人だけ。独白が中心となる主人公ミムラのせりふ量がすごい。しかし、よどみなく流れていく物語は、この俳優・坂本慶介の底力を示している。中央に置かれた病院のようなベッドを中心としたシンプルな演出も効果的。主人公が嫌う賛美歌のような音楽も人の心を切り裂くような役割で客席に迫る。

緻密に組み立てられた会話劇で、宗教2世の実態にスポットを当てていく舞台は見事だ。だが、あえて注文したい。宗教2世がテーマなので外れているかもしれないが、人はなぜこのようなカルト宗教に陥っていくのか、この舞台には姿を現さないミムラの母親の物語が少しあってもよかったのではないか。
1時間20分。メリハリの利いた切れのいい舞台で、満足度は高い。

【延期公演開催】エアスイミング

【延期公演開催】エアスイミング

演劇企画イロトリドリノハナ

小劇場B1(東京都)

2024/07/04 (木) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/04 (木) 14:00

座席1階

精神障害者を隔離・幽閉しておくという時代の物語。実話を基に創作されたというが、現在も精神病院に閉じ込めておくという実態を見逃している医療・福祉行政の日本では、ある意味でリアリティあふれる戯曲だ。

妻子ある男性と恋をして子どもを産んだ女性が、「社会的に不適合である」との理由で「触法精神病施設」に送り込まれる。ここで、軍人となって祖国のために戦いたいという願望を持って男として振る舞う女性と出会う。2人はバスルームの掃除を毎日1時間こなすのだが、監獄のような施設の中で一緒に作業し続けることによって、お互いを支え合うようになる。
出演者はこの2人だけ。休憩を挟んで2時間を大きく超える長さで、これだけの台本を身に着けるのは至難の業だったと思われる。イロドリノハナ主宰の森下知香、演劇集団円の研究所にいたという室田百恵。ラストシーンに近いところで森下が思わず重要な言葉を言い間違えたが、そんなアクシデント補って余りある熱演だった。この2人の演技を見るだけでも、下北沢に行く価値はある。
何十年も閉じ込められ、老いていく2人。こうした時間的な経緯をあらわす表現・演技も見事だった。2人の「妄想」は、死刑を言い渡されて長期間収容され釈放された袴田巌さんの拘禁症状を彷彿とさせる。終幕近くで明らかになる時間的経緯は、こうした人権侵害がつい最近まで英国で行われていたことを示唆する。「狂っている」「不道徳だ」と決め付けられ人生を奪われた2人が、いかようにして生き抜いてきたか。森下は「初めて読んだ時に強い感銘を受け、やってみたい、とひたすらこの戯曲と格闘してきた」とパンフレットで書いている。客席にいるわれわれも、そうした思いに共感して舞台を見つめることになる。秀作だ。

子どもと大人と食堂と。

子どもと大人と食堂と。

TOKYOハンバーグ

小劇場 楽園(東京都)

2024/07/02 (火) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/03 (水) 14:00

児童養護施設を出た兄妹の物語。保育士になった妹と、自動車修理工場で働く整備士の兄が、子ども食堂の手伝いをするまでの心の動きを丁寧に描いている。

児童養護施設に入る子どもたちの多くは、親の虐待が原因だ。この兄妹も、シングルマザーの母親が困窮し、恋人の男に逃げられないようにとわが子を意に反してネグレクトするという場面が登場する。それでも、幼い兄妹は母親と暮らしたいと訴えたが、母親としても児童養護施設に預けるしかもう、選択肢はなかった。
舞台はこの母親が余命いくばくもない状態で入院しているというところから始まる。児童養護施設を出た子どもたちはケアリーバーと呼ばれる。18歳で施設を出ていきなり自立せよと言われてもアパートを借りる、仕事を見つける、などいくつもの高いハードルを乗り越えなければならない。登場する兄妹は何とか自力で暮らしているが、兄は母親と没交渉だが妹は母親のところに通っているという状況が描かれる。この妹の胸の内が、劇の進行に伴い、兄を引き入れて子ども食堂に関わっていくという重要な心の動きになっている。

ネグレクトをする母親でも、子はずっと慕っている。外には出さなくても胸の内の奥深くにしまい込んでいる。今回の舞台が客席の感涙を絞ったのも、やはりこの兄妹の思いである。また、希望を持って劇場を出ることができるエンディングもいい。

下北沢の小劇場楽園は、入り口にドーンと柱があって、どうしても客席は左右のウイングに分ける形になる。演出は非常に難しいと思われるが、今作では柱を挟んで入り口のスペースも有効に使い、照明を駆使して場面を区切っていくなど見事な演出がなされていた。自然な会話劇であるという台本の秀逸さに加えて、舞台を途切れさせない演出。社会的な問題意識も明確で、社会的養護の関係者はもとより、児童養護施設を知らないという人たちにも是非、見てもらいたい。

地の塩、海の根

地の塩、海の根

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2024/06/21 (金) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/29 (土) 14:00

ウクライナを歴史的、地政学的、文学的に彩った壮大なる叙事詩のような作品。スズナリという狭い客席でこの難解な戯曲と向き合うのは体力勝負的なところはある。休憩なしで2時間半を超す長さだが、よくこれだけの長さに収めたと思う。

西側の報道だけに日ごろ接していると、ロシアがウクライナの大地を一方的に蹂躙しているのが今回の戦争だ。それはそれで事実なのだが、オスマン帝国の時代から見ただけでも、この地が歴史に翻弄されてきていることが分かる。この土地に生きる人たちのありようをわかりやすく伝えるために、京都大学の講堂の来し方やそこで行われた演劇やから説き起こしたり、物議を醸した通販生活の表紙を寸劇にしたり。なるほどこの戦争を形作っているのはそういうものたちがあるのかと分かる。だが、やはり、ある程度知識を仕入れてから見た方が難解さは薄まるであろう。こうした作品を作れるのはやはり燐光群、坂手洋二のなせる業だとは思う。

戦争は国と国、民族と民族、宗教と宗教の争いであり、先に蹂躙を仕掛けた方が責任を取るべきであるという一般論を超えたエンディングが用意されている。理想論と言われるかもしれないが、やはり人間たちはもうそろそろ、ここで描かれている「海の根」に希望を託すべきではないのか。こんな思いをしっかりと抱きとめたいと思う。

その鉄塔に男たちはいるという

その鉄塔に男たちはいるという

2nd pit

小劇場 楽園(東京都)

2024/06/21 (金) ~ 2024/06/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/28 (金) 14:00

座席1階

東演、文化座、テアトルエコー、グランツ。各劇団から俳優が一人ずつ集まって作ったユニットの旗揚げ公演。「刺激的な場所、実験できる場所」を求めて集まったという。選んだ戯曲は「その鉄塔に男たちはいるという」。劇団MONOの土田英生の名作だ。

舞台が進むと共に、この男たちがなぜこのような場所でキャンプのようなことをしているのか、なぜ、内輪もめのようなことばかりするのかということが少しずつ分かってくる。場所は戦場と思われる森の中で、部隊の慰問のために訪れた演劇団が戦意高揚の出し物を強いられて、メンバーのうち4人が逃走してくる。ここに、部隊の脱走兵も加わって奇妙な人間関係が出来上がっていく。
とにかくそれぞれかなり個性的な俳優たちだから、見ていて切れがあって面白い。小劇場「楽園」は入ると大きな柱があるので、演出はしにくいと思われるが、客席近くの通路や階段まで使って「偵察」などの場面を醸し出していた。
内輪もめの場面が多いのは、人と人との争いの種を連想させるからだ。つまり、戦争も小さな争いの種がどんどん大きくなって殺し合うのだという戯曲に盛り込まれた主張である。この戯曲を旗揚げに選んだこのユニットが、次にどんな舞台を見せるのかが楽しみだ。

七人の墓友

七人の墓友

ラッパ屋

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/06/22 (土) ~ 2024/06/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/22 (土) 14:00

座席1階

かつて別の劇団で上演されたこの演目を見たが、やはり本家のラッパ屋の芝居だ。数多く散りばめられている珠玉のせりふを、客演を含めた座組が自然体で語っていく。この胸に刺さるせりふたちを家に帰って味わい直すために、物販コーナーで台本を買うといいかもしれない。

この台本が書かれた10年前よりも、今はお墓や関する世間の意識は大きく変わり、友人同士で樹木葬をしたり、散骨したりするという「墓を持たない」あり方が多様化してきた。葬式も親戚一族郎党ではなく、ごく小さな身内に友人を加えたコンパクトな葬儀が主流となってきた。
それは、本家とか長男とかという「家」の存在が希薄になってきたからであり、家族のあり方が多様化してきたからだ。この芝居でも登場するが、特に近年はLGBTQへの理解が広まり、性別を超えて家族を持つ考え方に違和感がなくなってきた。この芝居は、世間の風を敏感に受け止めて書かれたものだと分かる。

登場する群像のうち、「家」の象徴であるお父さんは亭主関白で、男は妻や子どもたちのために働き、妻は夫に従って家族を支えるのが当然という考えに凝り固まっている。妻は理不尽なことに不満をためながらも夫に従ってきた。だが、子どもたちは違う。かろうじて長男は家族を持って孫を連れてくるなどしているが、次男はアメリカに行ってゲイの同居人を連れてくる、長女は40歳近くになっても独身で会社の上司と不倫している、という人生。お父さんのせりふには、昭和の時代では当然のように連発されたが今では「不適切」な言葉が飛び出してくる。台本が書かれてから10年、世の中が急速に回転していることもよく分かる。

15分の休憩を挟んで2時間半の上演時間だが、一気に突っ走った方がよかったかもしれない。演出はラッパ屋らしく手作り感あふれる温かな感じで好感が持てる。それよりも何も、登場人物の多くがさりげなく語る珠玉のせりふが、とにかく胸に刺さる。もう一度、客席に足を運んで堪能したい芝居である。

おちょこの傘持つメリー・ポピンズ

おちょこの傘持つメリー・ポピンズ

新宿梁山泊

新宿花園神社境内特設紫テント(東京都)

2024/06/15 (土) ~ 2024/06/25 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/19 (水) 19:00

座席1階

新宿梁山泊は今回、力が入っていた。熱量が違う。花園神社でのテント公演、原作者の唐十郎が亡くなった直後のタイミング、そして、中村勘九郎、豊川悦司、寺島しのぶ、六平直政、風間杜夫という豪華メンバー。超満席のテント内は開幕前から熱気にあふれていた。

唐十郎が状況劇場で展開したすさまじい妄想の舞台。今回の金守珍の演出は歌舞伎テイストで彩られ、昭和の芸能スキャンダルをおもしろおかしく表現し、そしてラストにはお約束の空中戦を用意した。その金守珍が、けがで降板して代役を立てるという衝撃の発表で開幕した。
豊川悦治の「檜垣」はとにかくかっこいい。中村勘九郎はさすがの立ち回り。長ぜりふも流れるようにきっちりこなす。一方で、せりふに詰まった風間杜夫は客席の拍手で立ち直るという場面も。寺島しのぶは単にセクシーなだけでなく、上下の声色を使い分けて「カナ」の七変化を展開し、客席を魅了した。花道を間近で走り抜ける寺島には鳥肌が立った。
チケットは発売直後から売り切れているそうだが、終幕後の役者紹介ではいつも通り「SNSなどで宣伝を」とやって客席を笑わせた。状況劇場で唐とアングラ舞台を作り上げてきた金守珍が梁山泊を引っ張っていっている限り、またこのような見事な舞台は再演されるだろうし、梁山泊の次の世代がまた違ったテイストで再現していくだろう。今回は、いつもの主役級の水嶋カンナなどが脇に回って盛り上げているところも希少だ。令和の時代に息づくアングラ劇を目撃すべきだ。

水彩画

水彩画

劇団普通

すみだパークギャラリーささや(東京都)

2024/06/17 (月) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/19 (水) 14:00

座席1階

マチネの回だったので、隣のカフェは営業中。その店内音楽がちょうどいい具合に聞こえてきて、いいバックミュージックになっていた。舞台は茨城県内のちょっとしゃれたカフェ。ここで、両親と娘夫婦の4人組み、そして若いカップルの双方の会話劇に注目するという趣向。劇団普通定番の全編茨城弁の舞台だ。

双方のテーブルの会話がクロスするわけでなく、実際にカフェで行われている会話のようにそれぞれ独立している。ただ、双方の会話が重なるところは少なく、話が重なって聞きにくいということはない。
会話の中身は、そのような立場になった人なら一度は経験したことがあるような話で、客席は共感できる。若いカップルは地元で同棲中で近く所帯を持とうとしているが、この二人が、東京に出て行ってしまって愛想がない同級生を非難するような場面もある。首都圏とは言いながら東京の吸引力に翻弄される若い世代の思いが少し、興味深い。首都圏以外から東京に出てきた人には「そんな思いもあるんだ」という気付きになるかもしれない。

劇団の名前の通り、普通の会話劇が進んでいき、盛り上がるところは少ない。だが、普通の会話を会話劇にするのは恐らく、相当高度なテクニックが必要なのだろう。劇団普通も経験を重ね、しっかり若いファンをつかんでいる。普通の会話劇にクスッとしたり、共感したり。こうした演劇体験をさせてくれる劇団やユニットはそれほど多くない。

ただ、工夫が必要と思うところもある。普通の会話劇の締めくくりの仕方は、「普通」では落胆する人もいるのではないか。舞台も後半になると、「この会話劇はどんな終局を迎えるんだろう」とソワソワしてしまうが、そういう意味では肩透かし。劇団普通の作品では、ヒット作「病室」の方が楽しめる(近々再演もあるそうだ)

地の面

地の面

JACROW

新宿シアタートップス(東京都)

2024/06/14 (金) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/15 (土) 14:00

座席1階

今回のJACROWは地面師がテーマ。地面師とは、土地の所有者に成り済まして買い主から売買代金をだましとるグループで、著名な企業も被害者になっている。これは見なければと思い、新宿に出かけた。
自分はタイトルだけをみて、地面師グループたちの群像劇かと思っていた。土地売買に関わるさまざまな書類を巧妙に偽造し、本物の所有者を装う詐欺の手口は実に複雑怪奇である。これをどう描くかと思っていたら、地面師にだまされた大手不動産会社の幹部たちの群像劇であった。それならば、これまで会社を舞台に客席の目をくぎ付けにする会話劇を提供してきた中村ノブアキのフィールドだ。結論から言うと、いつもにまして面白さに目を奪われる出色の出来だった。

この舞台には、おじさんたち男性俳優しか登場しない。ここもこれまでのJACROWと少し違うところだが、違和感を感じないどころが実にぴったりとくる。まず、冒頭がすごい。おじさんたちのダンスシーンから開幕するのだが、これがいすとりゲーム。会社内の派閥抗争のメタファーともとれる。ダンスは劇中、何度も出てくるが、これも意外なほどに違和感を感じない。
大手不動産会社をだます手口とはどんなものかというところに興味を持って見ると、それほど込み入った手口の描写があるわけではないので少し物足りないかもしれない。だが、これが大手企業内部の派閥抗争という視点で見ると、やっぱりJACROWらしくて面白い。

ラストシーンに至るところが最大のヤマ場であり、予想外の展開に刺激される。いつもの強烈な会話劇にダンスシーンが加わってパワーアップした今作。見ないと損するかも。

ハロウィンの夜に咲いた桜の樹の下で

ハロウィンの夜に咲いた桜の樹の下で

劇団扉座

座・高円寺1(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/11 (火) 14:00

座席1階

「桜の樹の下で」というのがキーワードだ。「ああ、今日はいい夜だ」というせりふがあるが、小春日和(夜だけど)の中で、季節外れで咲いてしまった桜が舞い散る。ごちゃごちゃに絡んでしまった複雑な人間関係の糸が、ぱあっとほどけていくような爽快感。そんな思いに共感できるいい舞台だった。

冒頭は結構衝撃的だ。大酒飲んで家に帰ってきて居間で眠り込んでしまった中年男性。目が覚めるとなぜか、全身パンダの着ぐるみでパンダメークまでしていて「なんだこれは」と絶叫する。それもそのはず、前夜の深酒がたたり、たまたま立ち寄ったスナックでハロウィンのコスプレをしたことを全く覚えていなかったからだ。さらに、居間の片隅で見知らぬおじさんが寝ていた。何とこの人、深酒した自分をマンションの部屋まで連れてきてくれたのだという。
そればかりではない。舞台が進行するにつれ、次々に見知らぬ人が訪ねてくる。その人は誰なのか、何で訪ねてくるのか。どうも前夜のことと関係があるようなのだが、はっきり思い出せない。それは恐怖であるに違いない。
しかし、舞台の進行と共に、実はそんなに悪くない出会いであると解き明かされていく。最終的には前向きな気持ちで次のステップを踏んでいけるというところが扉座らしい。もっとも、こうした物語の展開は横内謙介の妄想の産物なのだが、誰もが経験があるような妄想を劇作にしてしまう才能、やっぱり劇作家の思考回路だ。

テーマソングは「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」。かまやつひろしのこの曲を座高円寺で聴けるとは思わなかった。この曲が流れていたとき、自分もまだ、この曲のいい味を分かる年齢ではなかったのだが、若き扉座ファンにとってはムッシュと言われてもピンとこないであろう。

その先の凪

その先の凪

チーム・クレセント

ザムザ阿佐谷(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/10 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/08 (土) 15:30

座席1階

病気で亡くした息子の生きた証を、とある喫茶店を舞台に老夫婦が少しずつ取り戻していく物語。起伏があったり悲劇的な出来事が起きるわけではない。淡々と進む会話劇に、客席は劇の途中から涙が止まらなくなる。見事な舞台だった。

女子高校生やその先生など、客席には日ごろ演劇とは無縁そうに見える若者たちがたくさんいた。出演者の関係者なのだろうか。その女子高校生たちはハンカチを握り締めながら食い入るように舞台に見入った。それほど強い力を持った演劇だった。
物語は、ザムザの客席入り口から夫婦が喫茶店に入ってくるところから始まる。そこで待ち合わせしているのは、特別な人のようだ。明らかに緊張している夫婦。遅れて現れた女性は、夫婦の息子と23年前に別れた恋人だった。
息子が電話でどんなことを話していたか。夫婦は亡くなった息子の面影を追うように質問を重ねる。女性は真摯に質問に答えていく。だが、聞いていると夫婦の方が明らかに少し「うしろめたさ」のようなものをまとっていることが分かる。劇中でそれがどういうことだったのかが少しずつ明らかにされていく。
コロナ禍の最中に亡くなった場合、コロナウイルスが直接の死因でなくても、遺体は防護服のような袋に詰められ、遺族は火葬場にも行けず、遺骨が戻ってくるだけだった。この息子もそのような形で両親の元に帰ってきただけに、やり場のない怒り、悲しみが夫婦を包んでいた。それだけに、恋人であった女性の語りは老夫婦にとってとても大切なものだった。
つい最近のコロナ禍を私たちはもう、忘れているかのようだが、コロナ禍が大切なものをたくさん奪っていったことを舞台は静かに記憶していく。23年前の悔恨が決定的なことであっただけに、コロナ禍最中での息子の死は、両親には堪え難き経緯だったのだ。
この脚本は、「逆縁」を描きながら先に旅立っていった息子の知られざる思いを浮き彫りにしていく。息子がいかに彼女のことを思っていたかが会話が進むごとに色濃く客席に届いていき、涙が止まらなくなる。
とても静かであるが効果的な演出が、見事な脚本を際立たせる。本当にすばらしい会話劇だった。



阿呆ノ記

阿呆ノ記

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/06/04 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/06 (木) 14:00

座席1階

客演の音無美紀子のための舞台であるといっても過言でない。それほど全編にわたって圧巻の演技、存在感だった。彼女の求心力に触発されたかのように、脇を固める劇団員たちが輝いていった。

今回は、日本の民俗伝承、逸話に出てきそうな生け贄・人柱伝説がテーマ。地域の平穏のために、親亡き子や障害を持つ子らを生け贄として育てるという伝説で、サジキドウジはこれに「阿呆丸」という名を冠して物語にした。戦争の足音が近づいている昭和初期が舞台だ。
音無はこの「阿呆村」の女頭目の役。山の神様から動物の命をいただいて生計を立てている九州の山村で、女頭目の息子、その孫という家族、狩猟をなりわいとする村の男たち、隣町からやってくる火薬問屋の娘など、村を舞台にした人間関係が、山深き地に計画された戦争物資の輸送のための鉄道建設をきっかけに大きく変化していく。
舞台が進んでいくと、「生け贄」は古き時代の民俗伝承などではなく、まさにお国のために命をささげる戦争のことだと分かってくる。直接それに言及するような場面があるわけではないが、メタファーとして物語を支えている。ここがサジキドウジのすごいところだ。
もう一つ、いつも注目の舞台美術。今回は派手な演出ではないものの、十分に客席を満足させる出来栄えだ。そのテーマカラーは赤。舞台が真っ赤に染まる中で、役者たちの絶叫に客席の目はくぎ付けになる。
今作も、ファンとしては見逃せない仕上がりだ。サジキドウジの世界観に没入できる秀作と言ってよい。

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