
散歩する侵略者
イキウメ
シアタートラム(東京都)
2017/10/27 (金) ~ 2017/11/19 (日)公演終了
満足度★★★★
NHKシアターコレクション2009の放映がイキウメを見た最初だから8年近くになる。劇団公演をやっと目にしたのが2011年「散歩する・・」(KAAT)だったが、終演後しばらくこのドラマについて考えた記憶がある。
その後何本かイキウメを観て、「俳優」の仕事について考える所あり、今回も俳優の演じぶりを目を見開いて凝視した。俳優が架空のドラマを具現し、フィクション性を支え、内実(と見えるもの)を注入している訳だが、その裂け目を見ようとしていたのかも知れない。
特に「愛」をめぐるラスト。前回の観劇で感じた、突けばほころびも見えそうなドラマの弱点と、そうしたくない心情により成立するドラマ性の両面が、今回どんな風に見えてくるのか・・気になっていた。だが場面が近づくにつれ、作りを見極めようという欲求よりは、ドラマに浸りたい欲求が勝り、思わず涙した訳だが、やはり初演と同じく、考えさせる要素である。
ユニークな設定で「概念」そのものを扱い、それぞれの概念について想像を逞しくし考える契機が各所にある。

スーパーストライク
月刊「根本宗子」
ザ・スズナリ(東京都)
2017/10/12 (木) ~ 2017/10/25 (水)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2017/10/23 (月)
2年前?と同じスズナリで久々2度目の根本宗子、相性良しの小屋には二匹目の何とか。なかなかどうして、ただ台詞に俗語多く(作者の創作要素あり?)、内輪話に終始するかの部分が前半に散見、しかし荒唐無稽なキャラとストーリーが全く無縁な話にも思われず、面白く観た。女・対・男の対立が最後には女の優位にあって丸く収まる構図は前回に同じ。
根本(演じる役)の逆ナン告白のラストで、根本が惚れた弱味も見せず、喜劇仕立てとは言え、おざなりにガッとやってガバッと引かれる幕に女史の人間が表れているようで。

doubt -ダウト-
いいむろなおきマイムカンパニー
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/10/31 (火) ~ 2017/11/05 (日)公演終了
満足度★★★★
未見だが期待感を膨らませて会場へ赴いた。マイムであるからには、最低ラインの表現でさえ、技術を積み上げねば能わないだろうそのワザが見える芸を見たかった(これを安定志向と呼ぶか?)。圧巻であった。
最前列で見ると、汗はさすがに隠せないが、ほころびや裂け目が見えるかと言えばそれがない。基本音楽に乗せての6、7人のアンサンブルは一秒一秒「意図」が手足の動きから顔の表情におよぶ。拡散と集約、規則性なく見えた中に秩序が見えてくる過程、とりわけ微妙な心情を穿つ「表情」の技術(これは役者によって優劣あったが)は、表現される世界の広がりと深さを獲得していた。単純に、マイムでこんな事までやれるのか・・という驚き。初心者ならではの感想だろうか?
「形」やテンポの心地よさは大きな要素だが、このパフォーマンスの間自分は何を「気持ちよく」感じていたのか、もう一つ別な何かがありそうなのだが。それはまたおいおいに。

桜の森の満開のあとで
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2015/10/31 (土) ~ 2015/11/10 (火)公演終了
満足度★★★★
プレビュー&本公演
時間の合間にプレビュー(殆ど通し稽古風景=前半)を拝見、本公演はたまたま時間が出来たのでこちらも観る事ができた。
feblabo二度目、以前一度短編集のようなものを観たのが初見だったか・・。
今回は主宰池田氏の執筆による「会議モノ」。大学の政治学(だか)のゼミで教官はゼミ生にモックスという、ディベートのような模擬会議を行なわせる。学生は12人程度。内容は、北陸のある架空の町には様々な職業や立場を代表した者で構成される「連合会議」が存在し、今回議題に上った(教官が指定した)のは「老人の選挙権剥奪」。で、議案に「賛成」「反対」「保留」の三つの立場を選択でき、賛成と反対の立場を取る者は勝てば最高成績Aが獲得でき、負ければD(不可)、つまり野心のある者は勝負に出るが、そこそこで良い者は「保留」に流れる、という具合な設定である。ゼミ生同士の人間関係も絡んで、今度行なわれるモックスでは何らかの「勝負」が予想され、そして当日議論はある程度出尽くして煮詰まる・・という前段でプレビューの「通し」を終えた。
このプレビューの「切り方」は、後の展開が気になる効果も確かにあったが、そこまでの展開での無理さ・もどかしさが私には露呈して見えた。もっともそれも含めて、その後どう処理されたのかは気になった・・(その意味では私にはプレビュー観覧は効果をなした事に。)
この議題そのものの難点に繋がるが、「老人の選挙権を奪う」、という提案そのものの動機が、普通なら最初に提示されるところ、ここでは後々になってそれが出て来る。それを必然化する感情的な対立がしばしば挿入され、息苦しいものになっている。何でそんな議論をやっているのか・・こんな議論しか出来なくなった日本の「民度」を示唆しようという狙いなのか?としても・・と実際つらくなる。それは「老人の選挙権剥奪」が正当性を帯びる特殊な状況が、後付けで少し触れられたりする中でも、すっきりせず残る。
さてそこから、プレビューで見なかった領域に芝居は突入するのだが、このどんでん返しは中々気持ち良かった。とは言え、「すっきりしなさ」は残る。ただしここでのそれは「現実」に近い。人は正論より利害で動くものであったり、道理が通らなくても飯が食えていれば平気だったりする、というレベルで。
このディベートの裏側に流れるストーリーがラストで一つの大団円に収まるが、ここは捻り過ぎていまいち、乗れず。そこはどんでん返し的に片づけなくても、平凡な結末でもいいではないかと思った。例えば、主人公が大学生活に引き戻そうとした友人が、モックスで彼女と反対の意見に立った事(どちらかが落第になる、そういう勝負をかけてきた事)の理由は、「気まぐれ」であっても良いし、「たかだか模擬会議の結果で成績が決まる事じたいおかしい」という持論をこぼしたっていい。その方がリアルでは・・ などと。
しかし一風変わった会議劇であった事は確か。面白い事に今後も挑戦してほしい。

ハイツブリが飛ぶのを
iaku
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/10/19 (木) ~ 2017/10/24 (火)公演終了
満足度★★★★
iakuらしい好編で、常に新たな地点を探り出している、今回もその生々しさがあった。噴火後の避難所跡。「鹿児島カルデラ」が最も新しい大規模噴火で、その前から避難所はあったような説明もあったような・・従ってこれは「噴火災害」の時代に入って以降の話なのだろう、くらいに解釈した。その詳細な設定は、ここでは大きく問題にならない。そういう芝居に仕立てており、書き手の技、演出の技でもあろうか。どこかユーモラスで、災害とそこに一人留まる女性と記憶喪失、災害で死んだ人間を8体埋めたが掘り返してはならぬという女の言葉、トラウマを思わせる所作の片鱗・・陰惨さが匂う設定を十分に飲まされた上で、展開する人物らのやり取りはひどく昼ドラ的で、深刻なのだがどこか楽天的な面が見えておかしい。
奇妙なミュージカル仕立ての展開が、ツッコミが来ない漫才の如くにあったり、ペチャクチャよく喋る青年のサラっと鋭く突っ込むキャラや、真顔の喋りが常に笑いと同居する緒方晋の風情も助けて、軽妙かつ、深みのある芝居になっていた。
渡り鳥であるらしいハイツブリは、劇中では絶望の象徴として、終幕近くでは希望の象徴として使われる小道具だが、これをタイトルとしたのもうまい。
現在進行形に進化しつつある才能と、感じる所大である。

かさぶた式部考
兵庫県立ピッコロ劇団
世田谷パブリックシアター(東京都)
2017/10/14 (土) ~ 2017/10/15 (日)公演終了
満足度★★★★
ピッコロ劇団初観劇。「かさぶた式部考」のほうも秋元松代の「常陸坊海尊」と並ぶ<不気味系>作品?と認識するのみ、初見だった。兵庫県立劇団は、実力を感じさせる安定した演技ながら、オーソドックス。藤原新平の演出は、舞台装置ともども、変化を持たせ、終幕まで引っ張っていた。休憩入り二幕2時間半。
凄味のあるドラマだ。炭鉱事故で精神を病んだ男とその家族(母と妻)が、巡礼からはぐれた母子と出会い、やがて巡礼の本体である教団と遭遇する。念仏を聞くと「蝉が啼いている」と耳を塞いで狂乱状態になる男は、妻にべったりと頼り切っていたが、ある時母がうっかり家内で焚いた炭の匂いにパニックを起こし、家を飛び出してある場所に迷い込む。そこには泉式部の末裔を教祖に頂く教団の、その美貌の女教祖がたまたま一人で佇んでおり、一目で虜となる。
家には帰らないと言い張る男に、教団の男が「その方は仏様である、会いたければ信心をし仏を拝みなさい」と教えられ、巡礼に加わる事になる。妻は事故以来不能になった夫に甲斐甲斐しくしながらも、別の男と不貞を働き、同居する母は自分を邪険にするように振舞う妻を快く思っていない。そして息子思いの母も、巡礼に加わることになる。
そして後段、ガラリと変わった美術は、山深い場所を示し、外界から一定離れた空間で、教団のより生々しい内情に迫ろうとする予感を促し、胸が騒ぐ。

ARE YOU HAPPY ???〜幸せ占う3本立て〜
東京デスロック
STスポット(神奈川県)
2017/09/30 (土) ~ 2017/10/14 (土)公演終了
満足度★★★★
「再生」当日券にて。KAATでの岩井秀人演出版の衝撃パフォーマンスを思い出すと、STスポットという狭小空間でのオリジナル版をどうしても目にしたくなった。ネットで売止めだったが当日訪れ、どうにか客席に押し込んで頂いた。
やはり、三度「再生」する。曲は6種。この芝居は男女が飲んで浮かれ騒ぐの夜の風景であり、曲のたびに踊るという「騒ぎ方」が特徴だ。
熱演というものは、あるのだと思うが、どんな舞台も役者は本番では本域でやるものだろう。だがその後、疲労という負荷を背負いながら「再生」させられる様は、異様である。この異様さは観客にも高揚をもたらす。
芝居の一連の流れには噛み応えのあるおいしい箇所が仕込まれており、逐一再生されると、見る側も楽しみになる。
選曲が良い。shangri-laで締めるなどは憎い。
今これを思い出しながら、あのシーンをまた見たい(確認したい)、などと思っている。噛み応えあるシーンを、また噛みたいと思うこの欲求は、演劇という一回性の芸術の本来の姿と背反しているが、レパートリーということで言えば、「あの旅一座がやってた沓掛時次郎を見たい」、なんてのは「再生」への欲求の原形ではないか。
ただ・・録音録画と再生技術を実際に手にした時、どうなるのかは、科学の進歩が見せる「未来の風景」に属した。演劇の「再生」不可能性を、この舞台は示すもののようでもあり、ここからあらゆる芸術の「再生」について考えさせられる。

関数ドミノ
ワタナベエンターテインメント
本多劇場(東京都)
2017/10/04 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了
満足度★★★★
この所イキウメの舞台は早々と優先的に予約する案配になっているが(早く売れてしまう事もその理由)、今回はプロデュース公演だったと、予約後に気づいた。前川知大作品には本人演出が最も優れているが、今回は本人でなく寺十吾演出だと、観劇直前に気づいた。(事前にあまり調べないので。。)
危ぶんだ通り、イキウメの世界の立ち上げとしては手落ちあり。アウトローな人間共の群像を描くのが得意(そう)な寺十らしい、一々反目しあう演技が余計である。気を許していない大人の他人だからこそ、「利害一致」による紐帯が生じた事は微妙な空気を作るはずなのだが、それが殆どみられず、中学の同級生が集まってやってるみたく見える。最悪は、物語の「発端」である事故についての説明が非常に分かりにくい事だ。その事故であり得ない現象が起きた、その目撃が錯覚でないことを他者の証言によって確認しあった者たちが、改めてその奇異な現象が事実である事を「受け入れる」時間があるはずだが、観客が共有するようには作られていない。現象の原因(=ドミノ)が炙り出され、それを実証しようという話に一気に移行してしまっている。
その後は「ドミノ」を巡って様々な場面が派生し、ラストもドミノ理論を踏まえたオチが来る。だが、そもそも発端が「怪奇現象」なのである。ドラマ的に最も面白く、かつ必要なのは、現象を疑いつつも認めざるを得ない事実として、人物たちが「受容」していく様である。それがために一般社会と混じり得ない言わばカルトな集団がそこで生じたかのような、ヒリヒリした空気が流れているはずなのだが、そこが希薄であった。
イキウメ舞台で「社会」が常に意識されるのは、複数の証言で実証されてしまった怪異現象の、「反社会性」にもよる。また、イキウメの舞台では人間関係の親密度のグラデーションが絶妙に表現され、関係の中に「社会」が匂う。その事でオカルトとの対比が鮮やかになるのだ。
イキウメ風が影を潜めたのは今作の演出、演技の問題かに思われたが、戯曲も今回のために改稿されてもおり、その影響かも知れない。
最近、不条理やお笑いが成立する「演技」と、オーソドックスな(新劇由来の?)一般的な「演技」との違いをよく考えるが、前者にSFも含まれるような気がしている。(どういう違いかは割愛。)

素劇 楢山節考
劇団1980
シアターX(東京都)
2017/10/07 (土) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

ピノッキオ
座・高円寺
座・高円寺1(東京都)
2017/09/01 (金) ~ 2017/09/27 (水)公演終了
満足度★★★★
「劇場へ行こう!」シリーズの公演を昨年終えた『旅とあいつとお姫様』の演出・テレーサ・ルドヴィコによる新レパである。
出演者には前作の辻田暁、KONTA、高田恵篤とユニークな取り合わせの面々が引き続き加わり、特に辻田の踊りには別の「演劇」作品で魅せられた口だから期待も膨らんだ。今作ではピノキオ役に座り、沢山喋っている。お馴染みの「ピノキオ」、と思いきや、翻案なのかオリジナルバージョンなのか別バージョンなのか判別できない自分は「ピノキオ」をよく知っていなかった。「自分の知らない話」が展開し、いつまで経っても「ああ、こういう話だったな」という瞬間が訪れない。そうしてうかうかしている内に話がズンズン進んでしまった。
芝居のほうは、最初に登場する手作りのピノキオ人形の、磨かれた表面の鈍い光沢のような、その肌触りのような、温かでアイデアに満ちた舞台だった。
「来年にも観られる」と思えることが嬉しい。

ARE YOU HAPPY ???〜幸せ占う3本立て〜
東京デスロック
STスポット(神奈川県)
2017/09/30 (土) ~ 2017/10/14 (土)公演終了
満足度★★★★
「3人いる!」・・東京デスロック・多田淳之介の実験演劇作品群の一つだと物の本で知り、「その頃あまり芝居観なかったからなァ~」と残念に思っていたが、タイトルをみてハッと気づいて即予約へ・・とはならず。日程を固めて3本セットで観るか、2本がせいぜいか・・などと迷う間に日が経ち、「『再生』は岩井演出verをKAATで観たし、「芝居」は新作とは言え既成戯曲(ベケットのあれ)、今回は100パー未知数の「3人」これ1本で行こう!と決めた。
という事で作品評・・
この実験は何コレ珍百景である。暗転で区切られた(確か)3つの、次第にバージョンアップされて行く珍景は最終的に(本人らはともかく端から見れば)狂気に血走ったコミュニケーションの様相に拍車がかかってメーターを振り切って爆死する、という破滅型カタルシスの類型だった。コアな音楽ライブを思い出させる。
別役実の不条理劇にも通じるのは、ナンセンスに見えても当人たちはいたって真剣にコミュニケーションに勤しんでいるという、現象の滑稽さである。(彼ら自身が誤解やすれ違いに気づく事もあるがそれは部分的であるため話が正常に戻ることはない。)
今作は、起きている事態がまず奇妙で度し難い事態であり、それは(別役作品のような)彼ら自身の内面的(それが発語に表れるのだと解される)欠陥から生じた事態ではなく、原因は分からないが「外部」から与えられた所与の事態である・・という違いはあるものの、おかしな事態に必死で(彼らなりに真面目に)対しようとする人間の姿という意味では、通じるものがある。
・・であるので、そこで第一義的に描かれている(はずの)光景は、登場した人物の「物事」への反応の仕方であり、トータルで見えてくる「現象」である、と思う。
従って、人物が微妙に、しっかりと反応し合う様を緻密に再現する必要がある、ということになるだろう。それは、起きている事態が「容易に理解しがたい」事態である、という理由からしても、そうである(別役風な解説になってきたが・・)。
後半になるに従って、不可解な、しかし既に生じてしまった事態を、「彼らがどう理解し受け止め、反応しあうか」という人物の姿もそうだが、その反応の中に、「起きている事態」を観客により詳らかに知らせる情報伝達の要素がなければならない、と思う訳である。
アイデンティティどころか、自己認識じたいが揺らぎ、揺らぎついでに一個の身体に二つの自己を仕込んだり、一個の人格が二つの身体を同時に持ったり、二つの身体が一つに見える(一個の人格に見える)事が表明されたり、次第に目まぐるしく狂騒曲めいていく。今回、演技の「精度」と「スピード」との兼ね合いで、「あり得ないことが起きている」というトータルな現象は理解できたが、その細部をより緻密な絵としてみたかった思いは残った。
かなりの力量を要するものと思われるし、今回の役者も頑張っていたと思うが、(テキスト理解が追いつかなかった)自分の今の感想としては、磨きに磨いたバージョンを数年後にまた見てみたい。そうして00年代の「実験演劇」分野の古典の一つとなれば、いいなあ。

真っ赤なUFO
劇団青年座
青年座劇場(東京都)
2017/09/29 (金) ~ 2017/10/08 (日)公演終了
満足度★★★★
太田善也作、好感の持てた朋友『ら・ら・ら』をチラッと思い出しつつ、昭和の懐かしき家庭を舞台にしただろう劇を賞味しに出かけた。
ピンクレディの「UFO」はかからなかったが、『未知との遭遇』が4年前(だったか、一桁)という時代設定は、ツボである。ツチノコやネッシーに騒いだ子供が、『スターウォーズ』の宇宙空間を見て衝撃を受けた。振り返れば時期は殆ど近接している。
アブダクション(という言葉は実はイキウメの芝居で最近知ったのだが)を扱った家庭劇というのも珍しい。要は「宇宙人」との接触だが、これを巡ってテレビ番組の収録にも発展し、奇妙な展開を見せるのが後半。決して順調とは見えない一家の風景の断片を描いた前半の、その真相が不本意にも暴露されることになるという造り。
確かに最後は大団円に落ち着く家庭劇だが、娘の恋人エピソードと言い、テレビ収録エピソードと言い、和式の屋内のリアルなセットから想定されるリアルな芝居の柵を超えて、多様な局面を見せ、観客を楽しませると同時に不安定な場所にも立たせる。テレビ局の人間の「罪」は、父の職人気質ゆえにか露見せず、芝居としては、小さくない罪を不問に付して終える事となり、また「J-alert」に即応した台詞は演出の加筆か・・は分からないが、こうした不安定要素が安定に傾きがちな家庭劇を、目を外せない芝居にしたのだろう。
証明しようのない事実を、信じるのか、否か、信じるとすればそれは何故か・・情報過多の現代、このリテラシーは却って減退しているかも知れない。(中身のスッカラカンの某新党でさえ、テレビ画面にこう頻繁に映れば、人は選択肢はそこにあると「信じて」しまうのか?・・) 終盤この「信じる、信じない」の問いが、台詞として何度も繰り返されていた。

ロマンティック♡ラブ
水素74%
横浜伊勢左木町 THE CAVE (神奈川県)
2017/09/28 (木) ~ 2017/10/07 (土)公演終了
満足度★★★★
文字が分かりづらいチラシが、水素74%の芝居のそれと知るのに時間が掛かったが、たまたま空いた平日昼間にピンポイントに嵌まり、即予約即観劇。
伊勢佐木町 THE CAVE なるユニークな空間にて。地理的には近くて歓迎である。
以前の作の「事故を起こして放置したまま逃げ帰って云々」という話を発端に据え、忌まわしい恋愛の顛末を描いている。男を翻弄するその女は敵視すべき悪女なのか、彼女なりに精一杯生きて・・という扱いかは判らないが、水素74だけに前者に寄った部分をしじみなる女優が際どく演じ、後味の悪さを残して終わる。ただこの「悪」の行動線を維持するために、やや無理気味に思われる箇所もあった。
モチーフとしてはブス会の「男たらし」、罪深さを自覚したトーンの女のナレーション(声のみ)で繋ぐのはポツドールの何だったか・・似ていたが、水素74%としては描写の精度は高かったのではないか。
ただし、人間模様の切り取りの意図が、そろそろ人間解剖主義から「そこに希望はあるのか」見出す方向に一つ、舵を切っても良いのではないか、という気が(何となくだが)した。見出そうとして見えなければそれはそれでまた、一つの止揚された?絶望の形を描けるのだろうし。
俳優は皆、適役で、怪我で降板となった坂倉花奈の代わりに入った新田佑梨ものびのび演じ切っていた。

『を待ちながら』
HEADZ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/09/17 (日) ~ 2017/10/01 (日)公演終了
満足度★★★★
千秋楽にようやく観劇、贅沢な時間を呼吸した。
即興要素に萌え、俳優っぽくない人達が結構な率。
飴屋氏の「俳優」仕事をこの近距離で初めて見ると、優れたパフォーマーだが、名優とは言いがたく。関西弁の山下氏のいじりで、どうにか舞台に存在し得たような・・「演劇」としては。
タイトルからして何の不思議も無いが、『ゴドー』が徐々に首を出して来る。「旅」と「首吊り」は同列なのか。ラッキーを思わせる飴屋氏の「突然喋った」喋りに散りばめられた含意は、そこだけで終わらず掘り下げてほしく思った。
アゴラ劇場到着後、普段見ない裏面を通るルートへ誘われ、下手奥のあの奈落から階段を昇る。と、そこは客席側の下手後ろ。これはさすがに、「見たことのない景色」であった。
ステージは横に広く、正面奥の扉が開くと、階段が見える。出はけは、ここと下手奥のエレベータの主に2箇所。エレベータの3階を降りた場所も、使われる。客は終演後には正面奥から出て階段で1階へ降りる。
未解消の要素を多々残しながらも、私は、虚と実ないまぜの、とりわけ「実」の取り込みの難しさからすればどうにかクリアした感のある終幕で、満足したと同時に、「実」を「信ずるに足るもの」とどうやって認識したのか・・それは積み残して劇場を後にした。作り手としてそこは重要だったのではないかな・・などと考えたり。
サービス精神旺盛な出し物だが、あまりに哲学的な詩(原作の文)はテーマを絞りにくく、ただ視覚と聴覚の刺激を受け止めるしかない。

恋人たちの短い夜
Amrita Style
小劇場 楽園(東京都)
2017/09/29 (金) ~ 2017/10/01 (日)公演終了
満足度★★★★
2時間強の二人芝居。自分としてはあまり観ないタイプの芝居(「ラブ」専科がそもそも)だが、縁あって観劇。海外戯曲のようでもある気のきいた台詞と運びのうまさに、時折日本の風俗も混じり、作者が気になり出す。野沢尚の名を思い出したのが終演後だったか途中だったか。TVドラマというジャンルに、自身の名と共に箔を付けた人、という印象をこの舞台は裏づけた。
現実の時間に沿って時系列に進むドラマの中で、二人の過去の回想も行なう必然性がきちんと作られ、その流れを自然に見せている二人の微妙な芝居も良い。
完璧とは言わないが、縁薄からざる二人の親密さが、本のうまさだけでなく成立しており、自身の心理の行方を見通した上で自身がどういう結末を望んでいるか・・選択を迫られる終局、言葉では答えを示さずその空白を俳優にしっかり埋めさせる本も本だが演者も生々しく誠実に演じていた、と思う。
共感の押し付けなく、終わってみれば意外に水深の深い蓮池のほとりに立ち、人生という時間へ思いを馳せていた。

ミッドナイト・イン・バリ ~史上最悪の結婚前夜~
東宝
シアタークリエ(東京都)
2017/09/15 (金) ~ 2017/09/29 (金)公演終了
満足度★★
酷評である。こんな高いチケットを、なぜ買ったのかと、終演後に思い出すと、そうそう。荻野清子の音楽、また、テレビドラマで高名な脚本家が台本執筆・・。和製ミュージカルの本格的なヤツなら、一度観ておくのも・・との期待で購入した。いそいそと雨の有楽町へ足を運んだが、感想を述べようとすると、思わず口を閉じたくなる。
ただ、荻野さんへ一言。
「見せ場(歌の場面)がそもそも少なく、あっても必然性が薄く無理やり捻じ込んだ歌場面、いやはや盛り上がらない事この上なし。これほど湧き上がって来ない脚本では、あの程度でも致し方なかったでありましょう。私はそう解釈しています。」

川を渡る夏
オフィス3〇〇
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2017/09/15 (金) ~ 2017/09/24 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2017/09/15 (金)
すみだパークスタジオが騒がしかった。正面と両脇に張った黒幕がふわりと揺れたり、向こうで人が動き物が擦れる音がしたり。これが気にならないだけの役者の飛躍力。言葉遊びが小気味よく、絶妙。危うい飛び道具・若松武史のあのしゃがれ声は元々の声か? 名は聞けども実は初見のこの俳優、新生物を見るインパクトである。何だこの存在は・・!?
双子(一卵性双生児)の論理=自分が思っていることを相手も思っている・・だから「赤がよかったのに遠慮して相手に譲った」とは、自己矛盾だがそこから始まるのが人生でありドラマ。
死後の世界とも行き来するハチャメチャ騒ぎだが、10年間の昏睡状態を経て蘇った主人公(当時高校生で今オトナ)の「自分探し」が、個性的な導き手(級友や教師、家族、伯父さんなど主人公の過去と密に関わりがある)を同伴者として展開するという軸が保たれ、突拍子もない場面の転換が脈絡を超越しても空中分解しない。迷路を辿るように難解にも関わらずどこか郷愁に満ち、おかしな者たちが健気に生きるおかしみがある。そして増水した川がもたらした不可逆な運命、すなわち「死」が、はじめは生の、やがて死の顔をして現れて来る。揺らぐ地面、暗い水面。たたみ掛けるように進む時間を、視覚が必死にとどめようと稼動するのは左脳でなく、腹か、あるいは体全体だろう。全身で受け止めたこの芝居を、私は愛する。愛さざるを得ない。

きゃんと、すたんどみー、なう。
青年団若手自主企画 伊藤企画
アトリエ春風舎(東京都)
2017/09/15 (金) ~ 2017/09/24 (日)公演終了
満足度★★★★
素舞台に近い使用法の多いアトリエ春風舎に、作り込まれたリアル美術が嬉しい。
畳の間から縁側、短い渡り廊下で奥の家屋とも続きになる。
縁側を降りた奥の下手は抜き板を縦に重ねた時代がかった塀。
畳の上の円卓に麦茶のポットとグラス、、やや斜めに傾いた日射が縁側を照らす。
開場時間(開演20分前)から既に奥側に二人の作業員が座り、部屋にはタオルを被って足を見せて横になる何物か。時折会話していた二人の声が、前説の後に大きくなり、上々の日常芝居の開幕。
余程時間が余っているのか、作業服の比較的若い男女の間にプライベートな時間が流れ始め、長い沈黙の中、見合う二人のキスの寸前に寝ていた某が奇声を上げて起き上る。(この絶妙なタイミングをどう図ったのか未だ不明。)
芝居は伏線と謎解きの構成もあるが、どちらかと言えば伏線抜きで強烈なキャラが登場して展開を見せるので、場当たり的、というか小説的?、ロードムービー的?予測できなさがある。そのためか、きちんと仕込んだ謎掛けの「解き」が今一つだったりもする。
その典型が序盤、男女の関係への想像を促して閉じる一言「元気出しなよ・・」という女の台詞。含蓄があるが、後の「謎解き」が待たれる「振り」にしては、中身はぼんやりしていた。・・男の傷心の源は震災時に帰宅困難者となった妻を自宅で出迎えた時に妻が発した咎めるような一言。・・二人は間もなく離婚し、その後妻は死に(死因には触れず)・・云々。
肩透かし気味なのだが、この「分からなさ」を大きな欠陥とは感じない。最初に張った伏線が意識に上らない程に、あれこれ強烈な刺激(謎掛け)がぶち込まれるからだ。「場当たり的」展開は他にも粗さを残したが、問題はその粗さより、話しがどのあたりに収斂して行くか、にある。
伊藤毅企画、前々作(第一作)以来の観劇は、第二作を飛ばして三作目。気まぐれ気分で観てみたら、障害者とその家族という設定が同じであった。
第一作の「アリはフリスクを食べない」では、軽度の障害を持ち作業所で働く兄と、婚約者の家族が出した条件に従って別居を決めてしまう弟、つまり家族内のやむ無き断絶が描かれる一方、彼に理解を示す女性スタッフが、彼との同居(結婚)を望んでいるらしい(が言い出せない)仄めかしの芝居をラストに置いていた。
今作も「障害者を抱える家族」問題が軸になる。
面白く観たが、この問題の視点から眺めると、物足りなさもある。またこれ(障害者)を扱う難しさを認識した舞台でもあった。

ひとり芝居フェス
野方スタジオ
野方スタジオ(東京都)
2017/09/01 (金) ~ 2017/09/17 (日)公演終了
満足度★★★★
閉鎖前の「ひとり芝居」3連荘(チャン)の最終週にようやく観劇が叶った。前回も出た平成マリーの他者演出、フジタタイセイの一席は観ずに終ったが、殺風景な一室を殆ど装飾もせず、しかし次第に堂々と劇場然として見えても来たこの風変わりな小屋を、見納める事ができた。
「劇場を作る」のは何か・・上演される芝居も勿論だが、何よりも観客であるらしい・・そんな事を考える得がたい実例にもなった。
4、5回訪ねただろうか。RAFTや空洞より多い。謝謝である。

冒した者
文学座
文学座アトリエ(東京都)
2017/09/06 (水) ~ 2017/09/22 (金)公演終了
満足度★★★★
文学座アトリエを久々に訪問。上村聡史演出のも暫くぶりだ。
周囲が地割れででも削られたような、勾配のきつい開帳場がドンと置かれ、客席はアトリエの空間の二辺を使った斜め三方向から舞台に対峙する。私は下手の端に座って、真横から見る格好。開帳場を下手奥へ回り込んだ足元には、焼け焦げた炊事用具や何かがリアルに置かれてある。その先が劇場の出入口だから、観客は時代を遡らせる見事なオブジェを目にして会場に入る事になる。
開演後はその通路からの出入りがあり、開帳場の上部=上階から張り出した廊下で狭くなった隙き間から這っての出入りもある。
開帳場の中央には巨大な鉄球がぶつかったか中華鍋のような球面のへこみがあり、最初の場面ではこの穴を囲んで住人が久々の贅沢な夕食をとる。人が足を滑らせて転ぶ、足を踏み入れる事で相手に心理的に近づく、などの活用があったが、およそ邸内の床には見えない(床そのものがあり得ない位傾いてるし)奇怪な穴は、被弾の跡にも見え、舞台全体が焼け焦げた色で統一されている。開帳場の正面奥の上は(戯曲では三階建てとあるので)三階の廊下で人はあまり通らない。が装飾の格子が邸宅の内部を表し、存在感がある。その右手即ち壁の突き当たりで直角に曲がって一段下がった通路、その下に奥(玄関か?)へ通じる通路があり、確か上手側の客席脇も出入ルートになり、自由度が高いのが良い。
戦後間もない頃。三世帯が同居する屋敷に、彼が師事する男(この芝居では観察者を担う)を訪ねて若者が現れたことで、人々はざわつき始める。世代的にはアプレ(戦後派)に属し、彼に気づいて響きあうのが同じ世代になる盲目の娘。何が彼らをざわつかせるのか・・。アプレ、と言ってみてふと思い出すのは三島由紀夫、狂った果実・・。戦前までの日本人を支えていた価値体系が崩壊し、ある人々の中に虚無が棲み付く。虚無たる対象は見えず、見えるのは虚無という鏡に映る自分たち自身であった、のだろう。彼らは元来抱えていた本質的な不安定要因におののき始め、狂気を帯びていく。
それを劇的に描き出した三好十郎の筆力、演出と俳優の格闘が、撓みない3時間55分の舞台に結実した。
時代は古いが、全く古さを感じさせなかった。