しあわせの支度
ソラリネ。
上野ストアハウス(東京都)
2013/06/12 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了
飛ぶ金魚
ジ~パンズ
銀座みゆき館劇場(東京都)
2013/06/13 (木) ~ 2013/06/19 (水)公演終了
あかい壁の家
オフィス3〇〇
本多劇場(東京都)
2013/08/01 (木) ~ 2013/08/11 (日)公演終了
無欲の人―熊谷守一物語―
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2013/06/20 (木) ~ 2013/07/02 (火)公演終了
オセロ
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2013/06/09 (日) ~ 2013/06/23 (日)公演終了
期待度♪♪♪♪
楽しみにしています。
喜志哲雄は『シェイクスピアのたくらみ』の中で,『オセロー』は嫉妬の悲劇ではなく,もっと別の面が目立つ作品であるということを述べている。主人公オセロは,最初ヴェニスから軍人としてものすごく有用な人材であったが,最後には,不要な存在,むしろ危険でうとましい存在になっていく,そのような政治的に転落していく話であったというようなことが載っている。
この本の中では,ヴェニスの植民地サイプラス島が,たまたまトルコ軍に攻撃されて,その時点ではオセロの力を借りて局面を打開するしか策がなかった。ところが,トルコ軍がたまたま嵐で壊滅していくと,軍人オセロのいる場所はないに等しくなってしまう。また,オセロの方は,ヴェニスの問題に深入りしようとの野心もあって,ここでオセロは利用されるだけ利用されて,破滅に向かうことになる。
ヘッダ・ガブラー
アトリエ・センターフォワード
ギャラリーLE DECO(東京都)
2013/06/05 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了
汚れた手
劇団昴
俳優座劇場(東京都)
2013/06/01 (土) ~ 2013/06/09 (日)公演終了
期待度♪♪♪
楽しみにしています。
最初,まちがって,ローソンで,日曜に予約した。
結果,これを解除できないので,困った。
しかし,翌週の土曜日なら,OKで,そっちで予約しよう!
あれ!こっちは,もうだめだ。
ということで,ローソンには,ごめんなさい!
以後ブラックリストに載る覚悟。
仕方ないよね,予約訂正のシステム早く作って!
ピアで登録し直した。
こっちは,まだ,土曜日があったぞ。
ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!
おぼんろ
d-倉庫(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了
蒲田行進曲
インソムニア
Geki地下Liberty(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
恐怖が始まる
ワンツーワークス
劇場HOPE(東京都)
2013/05/24 (金) ~ 2013/06/04 (火)公演終了
未確認の詩-ウタ-
ライオン・パーマ
王子小劇場(東京都)
2013/05/16 (木) ~ 2013/05/20 (月)公演終了
期待度♪♪♪
お会いできるのが楽しみです。
昔,国立とかにいた頃もあったので,八王子は自転車で遊びにいってました。
今回は,どのような作品かわかりませんが,ぜひ行ってみたいですね。
がんばってください!
楽しみにしています・・・
演劇を見に行ってよくやってないことあるんですよ。
場所を間違うところでした。
赤羽の方なのですね。
あぶないところでした・・・王子劇場の場所が,未確認!
マクベス
東京二期会
東京文化会館 大ホール(東京都)
2013/05/01 (水) ~ 2013/05/04 (土)公演終了
期待度♪♪♪
がんばれ!岡田カレン!
『マクベス』は,シェイクスピアの戯曲。勇猛果敢だが小心な将軍マクベスが,妻と謀って主君ダンカンを暗殺し王位に就く。暴政を行い,政敵の復讐に倒れる。『ハムレット』,『オセロー』,『リア王』と並ぶシェイクスピアの四大悲劇。
スコットランド王ダンカンには,部下である,マクベスとバンクフォーがいた。ダンカンには,後継者のマルカム王子がいる。マクベス夫人は,夫をそそのかし,ダンカンを殺害する。バンクフォーがまず,マクベスに殺される。
マルカムはイングランドに退避する。そこに,マクベスの同僚でもあるマクダフが登場する。マルカムは,このマクダフをいぶかしく思うが,マクベス討伐を決断する。マクベスの圧政は,民には苦しみであった。やがて,マクベス夫人は自殺。マクベスも敗れる。結局,マルカムが王位を継承する。
サウンド・オブ・ミュージック
劇団四季
四季劇場 [秋](東京都)
2013/01/16 (水) ~ 2013/05/06 (月)公演終了
期待度♪♪
ミュージカルの傑作を観たい。
ジョン・ゲイ(1665-1732)は,1728年「乞食のオペラ」を初演した。彼は,そのときオペラを意識しつつも,オペラから独立宣言をする。「語られる台詞」と,「歌」とを意識的に共存させた。これはどのような意味があったのだろうか。これが,ミュージカルの萌芽であって,彼の役割がないとミュージカルは出現しなかったかもしれないという。しかし,一体何がどうすごかったのだろうか。
たしかに,この時点でも,シェークスピアの作品はたいへんな人気であった。その中にも多くの歌は出て来る。しかしながら,それは,単なる「歌入り芝居」の域を出ていない。一方,本格的「オペラ」というものもあって,最初から最後まで,歌ばかりである。これはこれで,すっきり芸術として理解された。しかし,このような状況で,ジョン・ゲイはあえて演劇史上空前の実験を,自作の「乞食のオペラ」の中で行う。ジョン・ゲイが気にしていたのは,本格的「オペラ」の中で,「レシタティーヴ」というものの存在だ。もちろん,これはこれで,本格的「オペラ」の核心部でもある。たしかに,物語を進行させるためには重要だ。しかし,その対話やら語りが全体を明るくしていない。ならば,はずしてしまえ!かえって自然なものができよう!と力説する。ところが,本格的「オペラ」が自然になるためにやるのだと詭弁を使い,心の底では,もっと現代的な斬新なものをめざしていたことがあとでわかって来る。
それは,どのようなもので結局あったのだろう。本格的オペラなら,「レシタティーヴ」を使う場面で,いきなりマクヒースが歌い出すようにした。そのようなことをすると,「語られる台詞」と,「歌」との間に,明瞭な飛躍と断絶が発生する。これが,ジョン・ゲイの採用した手法であった。普通にしゃべっていた人間が,急に歌い出す現在のミュージカル特有のスタイルのはしりといえる。劇のことばは,人物でなく,作者に付随する。語り手がその場で思いついたように見える言葉は実は,冷静な作者の創作活動に支配されている。だから現象的には,奇異にも見えても,いっこうにかまわない。こういった新型の演劇もあっていいじゃないかとの信念だった。たしかに,時間がたてば,最初違和感があったものも,やがてなれる。芸術としてみれば,さっきまでしゃべっていた人間が急にたちあがって歌い出しても現在では誰も不思議に思わなくなった。それが芝居で,芸術で,そういうものだからさ!とみんな思う時代が来たのだ。というわけで,ミュージカルは最初ちょっと変だけど,すぐなれます。とびきりの音楽で,とびきりのスターが,世界中でミュージカルを演じ,大人から子どもまでがそれを楽しんでいる時代です。生で,映画で,たくさんお楽しみください。
ミュージカルの先行形式であるオペラを調べていくと,この「乞食のオペラ」にゆきつく。「マイ・フェア・レイディ」のようなものも,形式・本質は「乞食のオペラ」にすでにある。「乞食のオペラ」そのものは,二重構造で劇中劇になっている。劇の最初に,「乞食」は自らを作者であると告げている。バラッド歌手の結婚祝いに歌を作ったと言っている。「レシタティーヴ」を落として,「語られる台詞」と,「歌」をいったり来たりさせた。これを,世界的にも初めて意識して作品化した。たしかに,この「乞食のオペラ」は,やがて,「三文オペラ」となる。「三文オペラ」(Die Dreigroschenoper)はベルトルト・ブレヒトの戯曲。クルト・ワイルが作曲を手掛けた音楽劇であり,1928年8月31日にシッフバウアーダム劇場の開場に合わせて初演され,大成功を収めることになる。「乞食」は世界中に,ミュージカルの種を,しあわせの種を,ばらまいたのかもしれない。
参考文献:ミュージカルが最高であった頃(喜志哲雄)
ハムレット
劇団四季
自由劇場(東京都)
2013/03/17 (日) ~ 2013/04/04 (木)公演終了
期待度♪♪♪
演劇の原点でもある「ストレートプレー」
ミュージカルは,ミュージカルで完成度が高い素晴らしい芸術にちがいない。一方,演劇の原点でもある「ストレートプレー」と呼ばれるものにも引かれる。
レーマンの本では,演劇のことが書かれている。そこでは,演劇は,演じることと,観ることが,同時に起こる空間である。同じ空気を感じながら,役者と観客は,生の時間を共有し,消費するのだ。ここでは,発信と受信が同時に起こる。舞台と観客席の間で,共有されるテクストがある。といった趣旨だ。
たしかに,現代は,映画やテレビになれてしまった人が多い。だから,分厚い文学書をゆっくり読むこともない。ましてや,その名作に心引かれ,劇場で演劇を鑑賞するのも,面倒であろう。演劇そのものが,市場化されにくいものであるのは,皆言うことだ。さらに,演劇人は,いつの時代もどこか反体制的だったから,助成金ともうまくおつきあいできない人たちなのだ。
演劇の一番良いところは,ずばり,演じる行為と観る行為の一体化にある。芸術的行為の中でも,この点がどうやらずば抜けて優れている。ただ,この美点は,そのままデメリットにもなってしまう。新しいテクノロジーは,なんでも大量頒布して,撒き散らすような特徴があるが,演劇行為は,この点重くて動きが悪い。劇場(舞台)というものに,制約されることが大きい。
「制作」というものを考えても,絵画・音楽という場合によっては,単独でもできそうな分野とちがって,人間くさくて,重たい。テクノロジー,メディアの力を借りて,非物質化し,大量生産的なものに向かう,たとえば,DVD化などをすると,演劇(Straight Play)の本質は,どこか色あせていく。
思想やその描写は,理想的に翻訳され,十分な理解で読まれてもなお,ひとつの言語空間から他の言語空間への,あるいはひとつの文化・地域から他の文化・地域への移行において,別のものになってしまうことはままあることだ。(Hans‐ Thies Lehmann)。
たしかに,演劇行為というのは,ひとつには,海外に持っていくと,どうも別のものになるらしい。劇空間をそこに求め,決めて上演する場合,カメラなどに焼付け,商品化すると,別のものになる。いずれにせよ,演劇が死んでしまうことになる・・・ということになるだろうか。
あわれ彼女は娼婦
演劇集団円
ステージ円(東京都)
2013/04/19 (金) ~ 2013/04/30 (火)公演終了
期待度♪♪
特殊な作品だと思うのですが。
演劇集団円(まどか)の歴史
浅草で,チェーホフ『三人姉妹』を一度だけ観たことがあった。あいにく,橋爪功はいなかった。でも,なかなか格調の高い演劇だった。はて,この劇団は,どのような歴史があるのだろうか。
小山内薫は,1924年(T.13.) ,土方与志と共に築地小劇場を創設する。築地小劇場は,はチェーホフなどの翻訳劇を中心に新劇運動の拠点となる。
俳優座,文学座,民芸は『三大新劇団』といわれる。築地小劇場では,内部分裂がおき,残留組から,1932年(S.7.)築地座ができ,1937年には,明治大学文藝科教授で顧問の,岸田 國士が,新たに文学座を創設した。文学座は,演劇活動に政治性を持ち込むことを最も嫌った団体。
1963年,芥川比呂志ほか「文学座」の中堅・若手劇団員は文学座に退団届を提出し,評論家の福田恆存と,財団法人「現代演劇協会」を設立。1975年,芥川以下,仲谷昇,岸田今日子ら「劇団雲」の俳優が現代演劇協会に退会届を提出。「演劇集団 円」結成。現在の代表は橋爪功。
ちなみに,2012.10.26.には,初めて参戦。
演劇集団 円の,『三人姉妹』を観た。この作品は,1940年に,ネミロヴィチの演出で再演されている。芸術座をともに創始したスタニスラフスキーは,亡くなっていた。メイエルホリド(かもめで,コースチャだった)は,殺害されている。今回,上野での『かもめ』と,少しちがった『三人姉妹』を集中して観察した。
堀江新二は,チェーホフの研究者であるが,1901年のものと,1940年のものと,比較している。こういう研究書を読むと,ずいぶん昔の演劇が,時とともにどう変化し,なおかつ生きのびてきたかわかる。チェーホフの演劇は,それまでの演劇とちがって俄然現代的である。それまでの,演劇には,必ず王様が出てくる。場合によっては,幽霊・妖精までも。そこにいくと,チェーホフの残した代表的な作品は,劇的な展開はないが,現代人が生きていくなかで,素朴に思う疑問やら,不合理なできごとが,いっぱいある。
たぶん,老医師チェブトゥイキンのようなことを言ってしまったら夢も希望もないだろう。そのために,1940年には,「夢への実現・明るい未来を志向する時代にふさわしくない」との理由で,台詞「おなじことだ」はカットされている。何のために生きているか,わかろうとも,わからなくても,同じだと水をさすからだ。
当初イリーナは,働くことは,喜びであると思っていたが,実際の職場生活は,楽しいものではなかった。身近なひとたちの例を見て,幻滅もするが,なんとかトゥゼンバフ男爵との結婚に踏み切ろうとする(そこには,愛情はないかもしれないが)。しかし,男爵は,決闘にまきこまれ死んでしまうのだ。
最後「わたしたちの人生は,まだ終わっていない。生きていきましょう。」という感動的な場面は,脳裏に焼き付いて離れないだろう。しかし,そんな前向きな志向も大事なのだが,チェブトゥイキンのいうとおり,人生は流れていくものである。「多少の努力も,水の泡になると覚悟して,やるならやってごらん」ということか。
参考文献:演劇のダイナミズム・ロシア史のなかのチェーホフ(堀江新二)東洋書店2004
音楽劇 『二十四の瞳』
Aux-Sables
あうるすぽっと(東京都)
2013/04/03 (水) ~ 2013/04/07 (日)公演終了
期待度♪♪♪
前回,工藤優の演技で泣きました。
演劇の中では,「同化」と「異化」の効果があるらしい。
たとえば,名作『二十四の瞳』(壺井栄)を観ると,松江のユリの弁当の話に同化する。感情移入して,涙があふれて来る。それは,それで良い。まだ,幼い身であるのに,ひとりだけ奉公先で苦労しているのだ。ゆえに,この場面を見て,泣いてしまうことはごく当然のことである。
一方,『遭難』(本谷有希子)の中は,異化の世界かもしれない。子どもがいじめにあって,自殺未遂をした。そこにいて関わった戦犯はだれだ!気が付けば,みなが無責任で逃げることしか考えていない。このような場面を見て,ショックを受けた(異化)。私は,現実を知らないのだろうか。
舞台と観客との一対一の対応で,観客をドラマにひきずりこみ,そして,自分を劇中の人物のごとく錯覚させる。「ひとりだけ弁当箱なしの苦い思い出」を胸に秘めて,奉公先で大石先生と再会する「松江の悲しさ」を自分のことのように感じてしまう・・・これが,「同化」。
ここで,ブレヒトが,そういう幻想の舞台ばかりでなく,つまり,観客を同化させているばかりでなく,こん棒で頭をなぐって,びっくりさせて何かを気がつかせるような手法の演劇に注目する。(異化)。
俳優と作家と観客は,そもそもは一体だったのかもしれない。というのも,はじまりは単純なものだったであろう。その後どんどん分業化していった。見せるものと見るものが,分化していった。でも,やっぱり,舞台と客席の関係については対応することが多い。
その舞台と観客の関係では,観客は,自らが劇中人物であるかのように「同化」するという現象はよくあること。別の言い方をすれば,劇中人物に感情移入し,錯覚を起こしているのだ。幻想による「同化」。その場合,舞台は「観客」を対立したまま終わる存在とせず,同感し,和解していく方向に収束する。
これに対し,見慣れぬもので,びっくりさせ,目を覚まさせるという効果がある。これが「異化」。
修学旅行
劇団「14歳」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了
期待度♪♪♪♪♪
前回が感動の四作品でしたね。
坪田文の教室短編集で,『リボン』は,もっとも格調の高い作品だと思いますね。
確かに,『チェリーボンボン』の出だしで,無難な人生なんて,ごみ箱に捨てて,アイドルを目指します。つまり,これは,女優をめざす少女たちへのエールそのものです。
では,『山に登る』は,何を意味しているのかしら。山という名の「普通の人生」かな。「女優の道」は,みんなが選ぶ道ではないので,たいへんそうだって言う意味かな。あるいは,劇団14歳みんなが登る,山=「女優の道」は,はたして登る意味があるのか,ないのかって,話かもしれませんね。私は,意味あると思いますよ!
『春の日』は,どうして,少女が自殺していった話をせつなくも,みんなで追悼しているのか。もしかして,サエコが,女優をめざしていたら,と考えてみました。本人は,すごく悩んで自殺までいっちゃうんだけど,教室の仲間には,ごく普通のかわいいお友達でしかなく,とにかく生きて一緒に卒業したかった。あんなに歌が上手で,変な芸もできて,そうか,「ミュージカル女優になりたい」なんて言えないし,両親の理解もないし,うつ病になっちゃったかな。悲劇だよね。
『リボン』は,谷賢一演出だし,もっとも教室短編集の核になる作品でしょう。女子校生の間で,お互いが,お互い一番理解したい,されたい,そういう世界があること。そのことを,普通の大人=観客に,「あなたたち自身で,表現し,伝えてみて!」といったものでしょうね。これが,たぶん一番,深い世界で,現代演劇的で,劇団14歳らしい,難しい部分ではないかな,と思いました。