じべ。が投票した舞台芸術アワード!

2020年度 1-10位と総評
刹那的な暮らしと丸腰の新選組

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刹那的な暮らしと丸腰の新選組

グワィニャオン

明治初期、老人に斬りかかる乞食のような男……という場面から始まる新選組関連の連作短編集。
しかもそれが出版社の歴女社員が出版を目論む書籍の内容であるという設定により各編を現代パートで繋ぐという構成の巧みさたるや。
そして短編集だけに笑い・殺陣・熱血(?)など各種要素を取り入れて各編に特色を持たせるのも上手い。(松花堂弁当のよう?(笑))
さらに配信カメラへのアピールや出演者自ら…(自粛)…など通常公演では見ることがない演出(?)も楽しい。
グワィニャオンの真骨頂と言えるのではないか?

どさくさ

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どさくさ

劇団あはひ

古典落語「粗忽長屋」を新たな視点から仕立て直した「The other side of 粗忽長屋」あるいは「裏返しの粗忽長屋」……いや「もう一つの粗忽長屋」といったところか。
よって元ネタが大好きな身として「そっち側を描いたのか♪」「それ、返歌だよね」など読み取ることができてその発想に舌を巻く。なので粗忽長屋ファンは存分に楽しめる筈。
逆に元ネタを知らないとワカりにくいかも?現に終演後にσ(^-^)のすぐ後ろから「よくワカらなかった」というお嬢さんの声が聞こえてきたし。
ということで事前に古典落語「粗忽長屋」を(たとえばWikipediaのあらすじなどで)予習しておくことを推奨。

また、冒頭の「洋装落語」や序盤の落語的可笑しさのある会話から変容してゆく先は静かな会話劇で、微かに「死の匂い」がすることや澄んで張り詰めた空気感から Oi-SCALE に通じるモノも感じ取った。(あるいは「銀河鉄道の夜」とか?)
これは元ネタからの連想もありそうだけれども。
いずれにせよ好きなヤツだった、ありがたや♪
終盤で男が自分が死んだことに気付く部分があり、それはつまり元ネタの浅草で行き倒れていた男の立場ではないか、と思い、さらに自分の死を察しさせた女性に「あなたも私ですね」と言ってハグするのは元ネタで「俺は一体誰だろう?」と言う熊五郎の裏返し=返歌ではないかとも思った。

スノー・ドロップ

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スノー・ドロップ

感情7号線

16日昼にAチーム、17日昼にBチームを観劇。
事前に伝わっていた情報通り、切ないと言うかビターと言うか、オトナの味わいのパラレルワールドもの。
梶尾真治の「クロノス・ジョウンターの伝説」を舞台化していた頃の演劇集団キャラメルボックスに通ずるモノもあったような。
同じ時間を繰り返してハッピーエンドに辿り着く時間ものがお好きな方はこれを観ると盲点を突かれると言うか新たな発想に眼からウロコが落ちるのではないか? 少なくともσ(^-^)は「そう来たかぁ!」と膝を打った。
桃花という赤鬼の命を救うために青鬼・真白がサークルのメンバーたちに背を向けるが、桃花は真白の不在を悲しむ「泣いた赤鬼」説。何かを得るためには何らかの犠牲を払わなければならないという深い話。
「真白が思う桃花の幸せ」と「桃花自身が思う幸せ」は異なる。それどころか真白の独りよがりの価値観でやり直した世界では純一もニノも元の世界より不幸になっているのが皮肉というか何というか。

余白の色彩

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余白の色彩

こわっぱちゃん家

ファミリーレストラン関係者(従業員・客)たちそれぞれの基本シリアスでビター&スウィート、変化球も交えた恋愛譚集。
今期のテレビの恋愛ドラマがベタベタの大甘やら戯画化したコメディやらだった反動もあってこういう(リアルな?)恋愛ものが観たかったという欲が満たされた。
また、あからさまな伏線があって「やっぱりそうだな」と思わせておいて後からもう一段展開するのも巧み。(ネタバレBOXに詳述)

各人のエピソードを「連作短編集」としてそれぞれ独立させて見せる構成もあろうが、同じ時系列の中で併走するものとして見せることで「糸が撚り合わさって太い綱になる」的にテーマを強調する効果も得られたのではないか?
ただ、それは妙案だしそれゆえの長尺も気にならないが、人物/出演者が多く終演後でも誰がどの役だったか把握しきれないのが珠に瑕。
当日パンフレットに相関図のようなものがあれば良かったであろうに……いや、これからでもイイのでHPにでも是非!

あと、ファミレス従業員は店内でマウスシールドを装着しており、店外や客などはマスクをしているのがまさしく「今現在」を表しており、しかも出演者同士の万が一の感染防止にもつながるという一石二鳥なのも良かった。
「火曜日の彼女」が相手の名を問われて「マサヒロ」と答えた時点でよもや?と予期させるあからさまな伏線により別人というオチで「やっぱり……」と思わせておきながら、その後本当の「マサヒロ」を、しかも意外な形で登場させるのも鮮やか。

七人のエムザムライ

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七人のエムザムライ

レティクル座

タイトルや公表されている内容紹介から「おバカ+エロ系」を想定して臨んだら、プロローグの状況・殺陣を含む演技とも本格時代劇級のソレで、装置もレティクル座史上初な(?)きっちりしたもので「新境地か?」と。
が、本筋に入るとやはりSMベースのおバカ・ナンセンス……ではあったものの、芯となるストーリーと一部の人物設定が娯楽時代劇のセオリーやお約束をきっちり踏まえたもので、おバカとシリアスのバランス配分が絶妙、両方の面でしっかり惹きつけられて危うく感動するところだった……いや、正直なハナシちょっと感動(ってか感心?)してしまった。(爆)
そんなこんなを経て迎えるクライマックス・結末も再びの見事な立ち回りありある種のメッセージありでアッパレ!

なお、この少し前に観た楽園王「授業(Bキャスト)」と使用曲が(1曲だけとはいえ)カブっていたのも可笑しかった。

しかしみんなバカやったりあられもない姿になったりする(=レティクル座のお約束?(笑))中で、1人だけ二枚目を貫くキャラがいるの、ズルくね?(笑)

終盤、侮蔑之助(依乃王里)が実父を斬ってまでフェアな対決をして悶々左衛門(高橋哲也)を倒した後に「思い残すことはない」と自決する姿に「サムライの潔さと哀しさ」を感じ、さらに冥界(?)で再会した二人がまた斬り合おうとするラストシーンに「戦の無益さ・無常さ・無意味さ」を感じた。

また、そのラストシーンに映画「今昔伝奇 剣地獄」(佐藤敏宏・奥田瑛二監督、2002年)の結末を思い出した。

あと、楽園王「授業」とカブった曲はドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第4楽章。

JACROW#29「闇の将軍」シリーズ第3弾

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JACROW#29「闇の将軍」シリーズ第3弾

JACROW

25日昼に夕闇(通算3度目)、26日夜に宵闇(通算2度目)、31日昼に常闇と日を変えて3話観劇。

3話とも主要人物たちにその後起こることや彼らがしてしまうことを知っているだけに発言などにニヤリとしてしまう。(書く側もそれを知った上で書いているんだから当然と言えば当然か?)
それにしても発端となる夕闇の冒頭場面、70年も前とは改めて驚く。
また、夕闇→宵闇→常闇と進むにつれて女性の担う役割が増えてゆくのは時代性か。

中には被告人となった人物もいるが、それでも昨今の政治家に較べればまだ彼らの方がマトモだったという気がするのはσ(^-^) だけではあるまい。
夕闇出だしの演説の中に「皆さんの生活を良くすることが私の天命であります」という部分があるが、現総理や前総理にこういう意識はあるのだろうか?(反語的用法(毒))むしろ今は「総理として私の生活や諸外国への私個人の印象を良くすることが私の天命であります」ではないのか?(猛毒)

「常闇、世を照らす」
ラストの「父から娘へ」の表現がまさに画竜点睛を打つ感じ。終盤で明かされる「演劇的トリック」にもしてやられた。
終盤と言えば「ゴッドファーザー」のドン・ビトー・コルレオーネの最期も連想。

【ポストトークからのメモ】
初演時は企画・キャスティング先行からの脚本という順だったので政治家たちがモデルに似ているのは「たまたま」だが、宵闇・常闇は脚本が先でキャスティングが後だったので似ている役者を意識したとのこと。

ポストトークの質疑応答によれば夕闇は9割(夕闇の料亭内のことは全てフィクション)、宵闇と常闇は5~6割(記憶不確実)が虚構とのことだが「出発点と到着点が同じでも過程は無限にある」という平行世界論に則れば政治上の史実を踏まえているこのシリーズもパラレルワールドの1つではないか?(笑)

脳ミソぐちゃぐちゃの、あわわわーで、褐色の汁が垂れる。

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脳ミソぐちゃぐちゃの、あわわわーで、褐色の汁が垂れる。

オフィス上の空

従来作品にはよくあった時制の移動などのトリッキーな部分はほとんどなく(あるにはあるが一般的に使われがちなもの程度)まるでど真ん中の豪速球のような恋愛譚。
物語の中心は普遍的で目新しさなど微塵もなく、かつ恋愛経験者の大半に共感を得そうな話であるが、そこに「翳さすもの」が昭和なら先進的すぎ、平成前半でもマニアックと誹られた気がする。
まさしく温故知新、オーソドックスなものをイマに即して仕立て直した「机上の空論流の恋愛物語」ではあるまいか。
終盤の壁を壊す場面で「GTO」を思い出したのはσ(^-^)だけではあるまい。(笑)
いや、むしろ狙ったのかな?

BLACK OUT

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BLACK OUT

東京夜光

演出助手の目を通して描いた商業系プロデュース公演の製作過程。
事前に目にした感想に「演劇人として刺さる/痛い」というものがあったが、専業観客(?)の立場としては「演劇あるある」ならぬ「演劇聞く聞く」満載でシニカル、自虐的、コミカルに理想や希望も加味した疑似ドキュメントとして大変「面白い」。
……ではありながら、終盤のある場面ではそれまで観客側として「察する」ことしかできなかった「その時」の当事者の心情を目の当たりにするようで胸に迫るものがあった。
そして「実体験に基づいたフィクション」としてどこまでが事実でどこまでが創作なのか境界が曖昧で、さらには演者の中には実際に似た体験をされた方もいらっしゃるのでは?などと思うともう「第四の壁」がとろけてなくなるようで、それがまたタマラン。
さらに漠然と思い描く程度であった演出助手、舞台監督などの担当職務を改めて認識できて観劇マニアとして有益だった。

『国府台ダブルス』

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『国府台ダブルス』

filamentz

【卒業式、実行】
初演版にブースターを搭載したと言うか終盤でアフターバーナーに点火すると言うかパワーアップしているし、大岡裁き(三方一両損)な落とし所が巧い。
また、どさまわりの遺伝子を継いだキャラが3人くらいいるし、3148の如く2時間ほどの間に大きく成長するキャラはいるし、ナイゲンを知っているとより楽しい。(ナイゲン(全国版)の翌年の3148と浅草ナイゲンの前年のどさまわりの物語説(笑))
さらに、初演版よりも自主自立や自由というものが色濃くなったような。小さな自主自立と大きな自主自立との対比(?)とか。
あと、この会場ならではの演出は臨場感があった(生徒総会の方の予測はしていたが、こちらでもあるとは♪)し、後方のB席は見易くて結果的にアタリ。

きらめく星座【公演中止3月5日(木)~8日(日)】

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きらめく星座【公演中止3月5日(木)~8日(日)】

こまつ座

こまつ座でのこれまでの8回の上演のうち2014年を除いて7回観ておりよく覚えているので、間もなく起こる場面どころか二場も三場も先の場面が思い出されてエラい先読み泣きをしてしまったりする。
ちなみに観ながら過去の演者を思い出して脳内で再生するのはほぼ毎度のこと。

それにしてもやはり五場はスゴい。以前は竹田の「宣伝文」で泣けたけれどいつからかその前のみさをのあの台詞で泣けるようになった……と思って過去の「観てきた!」で確認したら2017年(前回)からのようだ。
また、最終場の日付と各人物のその後の行く先もまた意味深と言うか、終演後に余韻を残すのもさすが。

【余談】以前は新作の初日が遅れることが度々あったこまつ座、理由は違うがまさかここにきて初日を遅らせることになろうとは。
がしかし、過去の経験からか振り替え、払い戻しなどの告知も完璧で予約していた5日(初日)から12日にすんなり振り替えることができたのだった。
なお、この日のアフタートークでの高橋光臣さんによれば、遅らせたために公開しなかった回は舞台での稽古をしており、まさに「無観客演劇」のようだったとのこと。

総評

コロナ禍により4~6月はほぼ休止状態で観劇本数が大幅に減り、再開以降は「観てきた!」投稿も滞ってしまったがどうにか締め切りに間に合わせた。
前年に引き続き小細工などせず、ひたすら自分の「好きなもの」という基準を尊重し、作品の意義や演劇的巧拙は二の次で選んだ10本である。

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