じべ。が投票した舞台芸術アワード!

2019年度 1-10位と総評
いつもの致死量

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いつもの致死量

こわっぱちゃん家

舞台美術家を擁しているだけに会場に入った途端に「そう来ましたか」と思う装置で語られるのは3つの流れが併行して進みながら最終的に1つにまとまる物語。

まずは登場人物が皆マジメと言うか真っ直ぐと言うかで、しかも物語の中で生きている存在感があるのがイイ。
が、世の穢れを知らない若者(=こわっぱ?(笑))が理想を語っているような気もして穢れてしまったオトナとしてちょっと眩しい。
いやしかし、だからこそ「そうあって欲しい」「こんなだったらみんなが幸せになれるのでは?」な優しい世界がステキ。

また、劇中で1回時が跳ぶがそのことを会話からすぐに観客に伝えるだけでなく、その「跳んだ間」に「変化」が起きていることを早い段階で見せ、「その原因」が何なのかすぐには明かさないことで観客の興味を引っ張るのも巧い。

あと、ところどころ定番的と言うかベタと言うか既視感のある台詞もあるが、それが借り物っぽく浮いたりせず、ちゃんと話の流れの中で活かさているのもワザだね。

「そう来ましたか」な装置とは、一般的な使い方の下手手前から上手奥までの対角線で舞台と客席を仕切ることで間口を最長にし、しかも2階建てで1回部分はオフィスを中心に両脇に別エリアを、2階部分はギャラリー部分にデスクを2つ設置して営業課の執務室と一般家屋の居間を、という5個所を表現したもの。

青、まだ終わってないよ

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青、まだ終わってないよ

のびる

自分の日記に自分しか知らないであろう内容がいつの間にか書き込まれているという不思議な現象を友人に相談する主人公……という「少し不思議」系の導入部から引き込まれる。
それはやがて少女時代の出来事にも遡り、その内容が演技で表現されたりもするというのがいかにも演劇チック。
後半になると、そこまで上演されていた部分が芝居であり、観客が見ているのはその稽古ということが明かされるというメタフィクション要素も加わる。
台詞につかえた演者に別の演者が助け舟を出したり、途中で客席の端にいる作・演出の吉田さんに演者が確認したりというのがまた可笑しいというか、大好きなパターン。
特に「劇中劇での役になりきるあまり(劇中の)現実を現実と認識できなくなった人物」というのが面白いだけでなく、それを役者が演じているというメタの面白さといったら!

『天国への登り方』

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『天国への登り方』

アマヤドリ

【千穐楽:通算3度目】
今回は4日間6ステージという短期間だったこともあってか初日から楽日まで大きく変わった部分はないように思えたが、初日と楽前日の座席の違い(下手・上手のそれぞれ前方)による印象の違いが大きかった……ので千穐楽は後方ほぼ中央で観劇。位置的にも客観的に観ることができて総復習的な感覚で満足。

なお、初日を観た翌日、冲方丁原作・堤幸彦監督「十二人の死にたい子どもたち」を観たら「死を選ぶ自由」「他人の世話になってまで生きていたくない」など通ずる台詞がいくつかあり既視感。
また、映画の惹句にある「安楽死」は本作での定義からすれば単なる集団自殺にすぎないとも気付き、相乗効果アリ。

三獣士 ─ヴァリアント・マスケティアーズ─

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三獣士 ─ヴァリアント・マスケティアーズ─

X-QUEST

「あの三銃士」が「そのキャラ」で、に始まりあんなキャラやそんなキャラまで交えて展開するが芯はちゃんとしたSF(なのか?)だし細部にコアなギャグも挟むし……なのはX-QUESTの真骨頂。
三獣士が白塗りなことと主題歌の歌詞の投影に某若手団体を連想し、終盤の「驚愕の真相」には某SF作品を想起。にしても近年のX-QUEST作品の最高峰ではないか?

また、改めて台詞が耳に心地よいことを認識する。
X-QUESTの台詞の心地よさというのは、様々な要素が複合されて成立しているのではないか。
例えば七五調などのリズムの良さ、語彙の美しさ、良い意味での芝居がかった抑揚、聞き取り易い発声……などなど。
これ、トクナガ主宰が野田秀樹ファンである、というのも関係しているかも。
ドラキュラ、狼男、フランケンだと思っていた三獣士こそが実は人間で、周囲が皆妖怪(化物?)だったと終盤で明かされた時に想起したのはリチャード・マシスン「地球最後の男(原題:I Am Legend)」(映画化タイトル「地球最後の男オメガマン」「アイ・アム・レジェンド」)。
また、白塗りと歌詞投影で連想したのはレティクル東京座。

僕の東京日記

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僕の東京日記

演劇集団 笹塚放課後クラブ

1971年、高円寺の下宿屋に住む人々の物語。
2010年7月の伊達組版の「観てきた!」に「40年前の高円寺の下宿屋が舞台上にタイムスリップしてきたよう」と書いたが今回も同様で「当時の世相が活写されている」などというレベルではなく「当時の世界と直接繋がっているような」「あの頃の空気がそのままそこにあるような」場面のいくつかに戯曲の凄さ(恐ろしさ?)を感じた。
当時の流行語や世相が採り入れられているのはもちろん、ヒッピーやもっと過激な一派、親元から離れて独り立ちしたい学生など若者たちの思想・心情が我が事のように伝わって来るのがオドロキ。(当時そういう世代だったワケでは決してない!(笑))
伊達組版の装置は写実的なものだった記憶が(かすかに)あるが、本作は細いフレームなどでの抽象表現。がしかし、それでもそのように感じたのは「芝居の力」というものか?
他の団体が上演するようであれば観に行きたい演目として記憶しておく。

なお、舞台中央手前の目立つ位置にあったアラジンのブルーフレームらしき石油ストーブに関しては炎の色と点火方法にツッ込みどころがあるが、「芝居のウソ」として片目を瞑っておこう。(笑)

ところで最後に流れたのはSION?(ハスキーボイスとブルースハープからの推測)

紺屋の明後日

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紺屋の明後日

オフィス上の空

少年期に殺人を犯したが更生して働いている男のいる町のそばでかつての彼の手口と似た殺人が起こり……というキ上の空論には珍しい(初らしい)サスペンスタッチの物語。
少年による殺人について、かつての犯人と現在の職場の同僚、被害者遺族などの立場から多角的に描き、観る側も二通りの受け取り方をしそう(最終場のアレはその最たるもの?)。
ちなみにσ(^-^)(爆)は比率に差はあるがそれぞれの心情を理解。
少年犯罪についてはもちろん、贖罪や更正、ひいては「罪」というものに関してあれこれ考えさせて、「面白い」というのは的確ではなく、優れたあるいはよくできた作品と思う。

「面白い」と言えば打球や炭酸(の泡)を照明効果によって表現したのが独特で面白い。
また、衣装の(生地の)デザイン(かつての犯人は下方の黒が次第に薄らいでゆく染模様だし、他に紺が薄らいでゆく生地も)が良く、(得意の)深読み(黒が殺人であるように紺色も何かの罪を暗示しているのではないか?)もする。

終盤での中心人物二人の会話に松澤くれは作品と通ずるナニカを感じたのは、TLでそんなことを見たことやガキさんご出演であることによるだけではなかろう。(笑)

岩井七世、春名風花お二方は(少なくともσ(^-^)が存じている範囲内では)かつてなかったような役どころで「あ、新しい顔!」みたいな。(笑)

なお、最後のモノローグを聞きながら「もう罪は償い更正しているのに周囲から白い目で見られて気の毒」「過去のこととはいえ人の命を奪うという償いことができない罪を犯したくせに何を勝手な……」という相反する感情が起きた旨を中島さんに伝えたところ、執筆の意図は後者だったとの返答が。

ぐりむさん

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ぐりむさん

東京ノ温度

【ゔぃるへるむさん】
翌日にプレゼンテーションを控えた女性会社員二人組が会社帰りに初めて訪れたバーで女主人が「この店は現実世界とメルヘンの世界の両方に通じているメルヘンバーだ」と告げ……な導入部は【やーこぷさん】に近く、グリム童話のキャラクターが複数出てくるというコンセプトは【やーこぷさん】と共通だが、その後はガラリと趣きを異にする。
いわば【やーこぷさん】は状況設定の面白さを活かした基本編、こちらは状況設定を踏まえた上で物語性を重視した応用編と言えるのではないか。
元ネタに「がちょう番の女」「星の銀貨」という馴染みの薄い2編が含まれているので尚更?
さらに両編に微かな接点があったりもして、タイプの異なる2編の構成・組み合わせがとても見事。

ただ、5分以上の開演押しに開演前・終演後を通じて全く触れなかったのは珠に疵。
定刻を過ぎてから(やっと)始める開演前諸注意(前説)は「本日は足元の悪い中、ご来場ありがとうございます」ではなく「開演が遅れまして申し訳ございません」ではないのか?
ということで、星は1つ減ずる。

第27班 本公演9つめ『蛍』

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第27班 本公演9つめ『蛍』

オフィス上の空

21日に14時の【B】と19時の【A】を続けて観劇。 
スケッチ集のように次々に見せた場はやがて4つの流れにまとまり、全体の三分の一あたり(推定)でそのうちの2つの関係が判明、さらに三分の二あたり(推定)で残り2つの関係も判明、そしてやがて……というトリッキーな構造は好みのパターンの1つ。
なので1回目はそれらの関係を推し測りながら観て、2回目は知った上で観ることになり、見えてくるものも違ったり違わなかったり。(Bを観ながらAに出演するよく存じている方々の役を推測するのも面白かった)

また、短い場を次々にテンポを損なわず見せる複数の場を同居させた装置や、現在と過去の同じ人物を舞台に登場させて台詞をユニゾンや分担で言わせる手法、ラストで舞台上の2人に視線を集中させておいて照明を落とすことで観客に残像を見せる演出など、「演劇ならでは」のテクニックがふんだんにちりばめられているのもイイ。

構成、演出とも第27班らしいもので大いに満足。
併走する複数の場は序盤で4つの流れに統合され、全体の三分の一あたり(推
オシダの流れとヤマトの流れが現在と過去の同一人物だと明かすのは「15歳違う姉がいる」というオシダの台詞から。
また、同様にサトルとエイジが同一人物と明かすのは「エイジ」が(というかサークル内での呼び名がすべて)実名ではなくニックネームだと語ることで。
このように2人の棋士の過去と現在を見せて終盤の竜王戦でその2人が対戦するという4つの流れが2つに統合され、それがまた交わるのはトーナメント戦の如し。
で、その場面、天才と凡人(自称)の対局にどこか既視感を覚えたが、すぐに「ピンポン」のペコとアクマと気付く。終演後に深谷さんにその旨を伝えたら、意識されたそうで……当たりぃ♪

『アイラブユー』『日本演劇総理大臣賞』

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『アイラブユー』『日本演劇総理大臣賞』

ロデオ★座★ヘヴン

【日本演劇総理大臣賞】
昭和中期、ある劇団の稽古場風景と初の演劇総理大臣賞の選考会議の様子を交互に見せ……な物語。
二つの流れにはそれぞれ原典となる戯曲があるだけでなく、選考過程で語られる戯曲にも元ネタがあり、それらを知っている身には頬が弛みっ放しで執筆中の柳井さんも楽しんでいらしたのではないか?と推察。
しかしそれらを使って今の世の中への警鐘も鳴らしているので立派なオリジナルと言えよう。(某戯曲ネタ)
劇中の最終場の稽古を見る刑事の表情が(前の場を受けて)また良かった。
劇中の設定で別の場所(時も別?)で進行している選考会議(元ネタは「笑の大学」)と稽古場風景(元ネタは「十二人の怒れる男」)が平行して進むが終盤で1度だけクロスするのが巧い。
また、選考会議で大多数が最初に推す「紙吹雪」はもうほとんど岸田國士の「紙風船」。
これらのパートを書く時に「この台詞は使える」「ここはこう変形しよう」などと楽しんでいたのではないか?と推察。

いざ、生徒総会

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いざ、生徒総会

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「国府台高校サーガ」最新作は第1話から第4話で四方の壁を作り、第5話でそこに屋根を乗せる、的構造の連作短篇形式。
その4話の内容も多彩で、そこにナイゲンや旗合戦/卒業式にいたキャラと通ずる部分のある人物も登場し、その意味で「国府台高校スターシステム」とも言えよう。
一方、監査はナイゲンとキャラは異なるものの、監査という役職と自分の心情の板挟みに悩むあたりが共通?
そうして迎えた第5話の前半は、近い将来国政レベルで起こるのでは?と肝が冷えたわ。

なお、シアター・ミラクルの一般的な使い方で言えば客席側・上手側・舞台側を客席とした三方囲み、「女優系」の方には普段の客席側ブロックの奥(角)をオススメ。
第5話で開票結果からの決定に待ったをかけた監査に対する会長の仕打ちはまさに「黒いどさまわり」。そして改憲に関する国民ちょうひょう投票の結果が意にそぐわないと思ったコドモ総理がそんな手口を使うのではないかと思うと肝が冷えた。
本作では民意の良識が正しい結論を導き出した(胸アツ)が、さて……。

なお、
第1話はナイゲンの台詞「めんどくせー学校」がそのままあてはまり、
第2話は総会の議題から発展して社会問題(?)に言及し
第3話は「監査」の役目を際立たせ
第4話はナイゲンの3148が実はすべて計算ずくだった場合
のように思えた。
そして各編のちょっとした部分が第5話の伏線になっているのがやっぱり巧い、感服!

総評

ここ何年かは他の方が投票するであろうものは敢えて外すなど「本来の個人的TOP10」を「加工して」選定していたが、アワード投票者も増加したことであまり効果がなくなってきたので今年はほぼ加工なしで。
ただ、公演情報がCoRich舞台芸術!に登録されていない作品が個人的TOP10内にあったので、それは外して1作品を繰り上げた。

ちなみに登録されていないために外した作品はguizillen「ギジレン5さい オープニングセレモニー」。
団体HPの内容説明からはいくつかのテーマに分けてのトークなどのイベント要素も含んだお祭り的なものを想像したが、実は団体の創設から今に至るまでの(真偽含んだ)演劇作品で、2度の休憩を挟んで185分の長尺ながら体感的に2時間程度だった娯楽性は高く評価する。

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